« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »

2006.03.31

所帯と世帯

 書棚の整理をしていたら「日本の漢語 その源流と変遷(角川小辞典)」(参照)が出てきて、しばらくめくっていたら、所帯と世帯の話があり、このところなんとなくこの言葉の使い分けが気になっていたので該当項目をざっくり読み、少しぼんやり考えた。
 「所帯持ち」とは言うが「世帯持ち」とは言わない。「一世帯当たりの」とは言うが「一所帯当たりの」とは言わない。「所帯じみた」とは言うが「世帯じみた」とは言わない。「母子世帯」とは言うが「母子所帯」とは言わない。
 言い分けの用例をつぶやいていると、その違いの生活感覚はわかるが、さてどう説明するのかとなると難しい。とりあえず、お役所言葉で戸のことが世帯とは言えるのだろうが、所帯という言葉の庶民的な含みをどう言い表すか。所帯と言えば「女房子ども」と続くようでもあり、男が働いて家族を食わせるといった世界観のようでもあるが。
 ウィッキペディアに「世帯」(参照)があった。


世帯(せたい)とは、
1、実際に同一の住居で起居し、生計を同じくする者の集団。
2、一家を構えて、独立の生計を営むこと。所帯(しょたい)とも言い、結婚することを「所帯を持つ」とも言う。
3、生活に必要な家や道具。
以下、1の意味における「世帯」ついて詳述する。

 とあり、もっぱらお役所言葉的な部分に絞られていくのだが、次義として所帯の同義としている。ここでは「~すること」という言わば、事的対象が「所帯」ということなのだろう。それに対して、物的対象が「世帯」か。それでいいのかといった疑問は感じる。それと、3の「生活に必要な家や道具」は所帯道具の略か。
 字引を見る。gooの大辞林の「所帯」(参照)はこう。

しょたい 【所帯/▽世帯】
(1)一家を構え独立の生計を営むこと。またその生活。せたい。
(2)家庭での暮らし。暮らし向き。
「―のやりくり」
(3)住居および生計を一つにして営まれている生活体。せたい。
「―数」「男―」「大―」
(4)もっている財産や得ている地位。身代。
「竹沢が―を没収して、その身を追ひ出されけり/太平記 33」

 どうもあかんなこれはという感じだ。世帯を引くと同じ項目が出てきたし。
 気になるのは、太平記の用例を見ると、propertyの語感に近いか。もっとぴったりの英語があったような気がするが。このあたりが古義なのかなという印象を大辞林は与えるわけだが、それ以前に太平記の用例が「所帯」なのか「世帯」のかわからない。
 「日本の漢語」はその点、つまり歴史主義の部分は詳しい。古い用例として吾妻鏡の「所帯職」を提示している。読み下すとこう。

去る五日季弘朝臣所帯職を停め被れをはんぬるの由。仙洞より源廷尉義経に仰せらる。

 「所帯職」という用語には違いないが、さてどのような職種かというと、文意からわかるようにそうではない。ただ、職というだけのことだ。「所帯職を停め」は「停職」というだけのこと。すると「所帯」とは何か?
 「日本の漢語」で示唆されているように、これはさらに「職を帯ぶる所の」と読み下せる。つまり、特に意味はない。が、吾妻鏡では、所帯職から離れて所帯だけで、所領を意味する用例も出てきている。細かい話を端折れば、十三世紀には今日の所領の意味で「所帯」という言葉が確立しており、おそらく鎌倉幕府(政府)の時代の社会のあり方を反映しているのだろう。
 ここまでをまとめると所帯というのは所領、領地を意味していたののだろう。では、それが、現在の意味にどう変遷したのだろうか。中世狂言のスクリプトにはすでに、今日の意味に近い「所帯」があるのだが、そこまでの変遷はよくわからない。それほど時間をかけた変遷ではないようだ。少し考えれば、領地に人が従属していたというこのようにも思えるが、あまりに粗っぽい推論になる。
 「世帯」のほうはどこから出現したか? 中世狂言のスクリプトの異本ですでに「所帯」と「世帯」の混同が見られるようだ。とりあえずは、「所帯」が「世帯」に変化したのだろうが、そのその変遷は狂言のスクリプトということからも想像されるように、音価の同一性だったのだろう。つまり、「しょたい」の音価が「世帯」でもあったのではないか。雑な考察だが、「先生」を「しぇんしぇー」というような「しぇ」の音価に近かったのかもしれない。
 「日本の漢語」ではさらに面白い考察を加えている。「世帯」の表記に「世諦」があり、その意味の関連があるのではないかというのだ。
 「世諦」の意味だが、とgooを見ると「世間一般の立場での真理。俗諦。」のみで解が薄い。「俗諦」とあるが、これは「世俗諦」の略でもある。こちらの意味はこう(参照)。

ぞくたい 【俗諦】
〔仏〕 世間の人々の考えるこの世の真理。現世的真理。世間的知恵。世諦。世俗諦。
⇔真諦

 つまり、「世諦」とは庶民の真理、極東ブログで言う所の世間知に近いかもしれないが、そうした価値観というより、その価値観に束縛されている時空として捉えるといいだろう。というのも、真諦が仏教の世界に対応するように、「世諦」は俗世でもあるのだろう。
 そう考えると、現代日本の「所帯」のコノテーションは「世諦」に近いように思われる。非モテ論を純粋に繰り返すとか栗先生のようにモテを追求するより、世の中ってものはこんなものさと女房を見つけ子をなす(女なら旦那を以下略)という「世諦」であろう。つまり、そういう生き様が所帯じみたというのはまさに、世間の人々の考えるこの世の真理の反映なのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.03.30

NHK番組改編、「あすを読む」終了

 ステラに掲載されている来週のNHK番組予定をつらつらと見ているのだが、やはり「あすを読む」が終了したようだ。これはかなり残念。「あすを読む」は、あえて失礼な言い方をするが、NHKが飼っている解説員という最高のインテリジェンスを惜しみなく出している番組で、何年も見ているとNHKが世界や日本をどう考えているかがよくわかった。昔の記者やアナウンサーが解説員に上がっていく様もよかった。ああいうNHKの顔が見られなくなるのかと思うとがっかりする。追記同日:スポーツ&ニュース(23:30-23:55)に含まれるらしい。
 私はいうまでもなく「あすを読む」のファンだしここから多くのことを学んだ(エントリのネタにもさせてもらった)。まだ中国の露骨なエネルギー外交が表面化する数年前だがこの番組は統計グラフを出して今日のありかたを予想して見せたことがある。これは大問題だなと思ったが当時はあまりリソースはなかった。他、中央アジア情勢なども意外と丁寧に説明していたのも勉強になった。
 限られた時間内でのプレゼンテーションや、話し方という点でも学ぶ点が多かった。率直に言うのだが、おっさんがなんかしゃべるというときはどうしなくてはいけないか、それがもろに出ているのもよかった。
 NHKのニュースや解説番組は漫然と見ていると随分左がかっているなという印象はあるのだが、「あすを読む」に出てくる解説員の物言いに慣れてみるとそのあたりの微妙さもわかった。時折、解説員同士の対談があり、これなどは各委員の考えの違いがわかって興味深かった。
 そうしたなか、これも露骨に言ってしまうが、私が一番嫌いな解説員が柳澤秀夫である。嫌いな理由は簡単で、意見が左がかって面のいいやつだからだ。私はこいうタイプが憎いのである。筑紫哲也などもいまではオジーになってしまったが二十年前はそんな感じだった。平野次郎もそうである。嫌いとかいうのは、ま、そんな浅薄などうでもいいことだが、柳澤秀夫は解説員としては中東が多く、こりゃ酒井啓子と同じ意見が多いのはなんかセクトがあるのかとも思ったが、他の意見を聞いていてるとNYTやWPの社説まんまというのがあり、この人はけっこう権威主義というだけかなとも思い直した。
 というわけで、NHKのメインのニュース番組「ニュースウォッチ9」のメイン・キャスターが柳澤秀夫となるのを見て、暗澹。冷静に見れば、NHKの人選の発想は悪くないわけで、今NHKでこの分野で視聴率が取れる面は彼しかないでしょ。ちなみに、彼が英語しゃべっているのは聞いたことないが、そのあたりはどうかな。
 話多少変わって、クローズアップ現代はどうなるのかと思ったら、さらに続投らしい。やっている内容からすれば国谷裕子キャスターでなくてもよさそうだが、時折代替の紳士服CMのようなオサーンが出てくると気が抜けるように、この番組は国谷さんでないともたないでしょう。彼女はかなりの知識人でありながら、うまく知識を押さえているあたりが得難い才能だと思うし、この人の面も国際的に通じるでしょう。
 ま、テレビというのは、ある番組のタイプとしては、一に面、二に面、三にコテ、みたいな感じでしょうかね。よくわかんないですが。これからテレビはさらに老人メディアになるというのとどう関係するのかしないかも。
 ラジオのほうに番組改編があるのかと気になったが特にないようだ。ラジオあさいちばんの小野卓司・佐治真規子、木村知義・遠田恵子のメンツが実は変わったとかだったら、ショックを受けそう。

追記同日
 グッドニュース。ウィッキペディアのあすを読む(参照)によると以下。


2006年3月31日を持って終了。以後はスポーツ&ニュース (NHK)(23:30-23:55)で解説コーナーとして放映。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2006.03.29

朝日新聞社長長男、大麻所持で逮捕

 秋山耿太郎朝日新聞社長の長男竜太容疑者が大麻所持で逮捕というニュースが昨日流れた。秋山竜太容疑者は三十五歳になる大人だから、今年六十一歳の秋山耿太郎朝日新聞社長に責が及ぶというものでもないのだろう。
 秋山耿太郎朝日新聞社長は、世代的にはプレ団塊の世代ということだろう。長男が生まれたのは二十五歳か。京都大学法学部を卒業したのは一九六八年。一年間のラグがあるようだが京大の側の問題だろうか。そしてそのまま朝日新聞社入社が二十三歳。そして、その二年後に長男誕生というパーソナル・ヒストリーか。それだけ見ていると順風満帆という印象は受ける。
 著書がある。というか共著か。「津島家の人びとちくま(学芸文庫)」である。余談だが津島家については「極東ブログ: 明日は12月8日」(参照)で少し触れたことがある。
 文庫本は二〇〇〇年の刊だが、オリジナルは朝日ソノラマから一九八一年に出たもののようで、その時は著者名がオモテに出ていたかわからない。「朝日新聞青森支局」でもあったようだ。いずれにせよ、一九八一年、三十五歳の秋山耿太郎記者は太宰治とその文学を生み出した風土を追っていた。同書を読んだことがないので、秋山耿太郎の文学的な感性はわからないし、偏見だが八一年という年代と朝日新聞という背景からはある程度のトーンも含まれているには違いない。アマゾンの素人評にも「かつて存在した大地主という階級を理解するにはこの上ない好著である」とあるのも示唆的だ。
 それでも三十五歳の秋山耿太郎記者は太宰の文学を読み解く感性があったのだろうし、そうした文学的な感性というのは、まさに太宰治の娘たちがそうであるように、子どもにも共通するものがあるだろう。とすれば、長男秋山竜太容疑者三十五歳の内面というのはどんなものだろうかと、私はちょっと気になる。
 事件に戻る。当初事件は産経新聞”朝日新聞社長の長男、大麻所持で逮捕”(参照)からの印象ではたまたま捕まったというようでもある。


 調べによると、竜太容疑者は10日午後10時半ごろ、東京都渋谷区渋谷の路上で、警察官に職務質問を受けた際、大麻1グラムを所持していた。竜太容疑者は容疑を認めている。竜太容疑者は「フリーでテレビ関係の仕事をしている」と話しているという。

 テレビ関係はネットを検索するとTBS番組の関連の話が出てきた(参照)が、彼がTBSと関係していたかはわからない。
 さらっとしたニュースのなかで突出した雰囲気を醸し出しているのが十日という日時であり、その間どうなっていたのだろうかということが腑に落ちなかった。そのあたりをすっきりさせたのは毎日新聞”麻薬と大麻:朝日新聞社長の長男を起訴 東京地検”(参照)だった。

 起訴状によると、竜太被告は今月8日ごろ、東京都渋谷区内の地下鉄駅構内で合成麻薬MDMAを使用。10日には同区の路上で、乾燥大麻約1.4グラムを所持した。現行犯逮捕されていた。竜太被告は、同種事件で執行猶予中だったという。

 なるほど。MDMAでいちどしょっ引かれ執行猶予中となると問題の質が変わってくる。なお、MDMAについては「極東ブログ: 麻薬問題は思考停止では解決できない」(参照)で少しふれたことがある。
 MDMAや大麻をどう捉えるか以前に、竜太被告の法意識とそのピア・グループがどういうふうに生息しているのか、そのあたりに朝日新聞はどういう評価をしているか、つまり、朝日新聞社長長男だからということでなく、問われる部分はあるだろう。
 余談だが、大麻について、私より少し上の世代で、青年期に平凡パンチOHとか往時の週刊プレーボーイとか読んでいる世代は、「大麻なんて有害ではない、違法としているのは日本がどうたら」という意見を執拗に開陳する傾向があるという印象を受ける。あ、オサーンまたなんか言っているなというか。
 大麻が有害であるかについては、概ねそれほどの有害性はなさそうでもあり、西欧では合法に準じる扱いをしている地域もある。米国では、実態としてはかなり広がっているにもかかわらず、タバコ同様、医学界は敵視しているようだ(反面医薬品応用への関心は高い)。大麻研究は意外と現在でも盛んだ。一例はこんな感じ(参照)。なので、オサーンたちのフカシはいろいろ突っ込み所があるかもだがこの世代は熱い議論がお好きだし締めは読めているのでうんざりする。
 大麻について日本のウィッキペディアあたりはどう捉えているかと見たら、現在項目が削除になっている。背景議論が面白い。ノート:大麻(参照)。

WHOは大麻に有害性は認められないと報告している?
本文の「WHO(世界保健機構)の報告でも有害性は認められないと結論されている」という記述に関する議論。

大麻の有毒性について
大麻の毒性に関するwhoのホームページの記述を見る限り、 否定されているようには見えないのですが。(英語がつたないのではっきりとはいえませんが)
参照:
http://www.who.int/substance_abuse/facts/cannabis/en/
英語が得意な方、判断をお願いします。
榊 2005年1月10日 (月) 08:41 (UTC)



WHOのページ
WHOのページを見ると、WHOは「政治的圧力に屈する事無く」大麻の害を説くと書いてある(ように英語が苦手な私には読めます)。
参照:http://www.who.int/inf-pr-1998/en/pr98-26.html

このページよると、


  1. 大麻にどの程度害があるのかについてはデータが無いので何とも言いがたいものの、健康に害があるのは明白。
  2. 「大麻はタバコや酒にほど害がない」と主張する論文「A comparative appraisal of the health and psychological consequences of alcohol, cannabis, nicotine and opiate use」をbackground paperとしてもちいたが、この論文は「矛盾に満ち」、「非科学的」なもの。

だそうです。 少なくとも現時点ではWHOは大麻に関して否定的なようです。
ですのでWHOに関する記述は修正したほうがよさそうです。

 若い世代だと思うけど、ちゃんと現状のファクトに基づいてウィッキペディアを育てているようすが伺える。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.03.27

白木みのる

 先日郊外の駅のホームに立ってぼんやりと春日のなか電車を待っていると、子どもが一人、線路近い端の白線のほうにつっと歩いていくので思わず駆け寄った。が、近づいて、彼が子どもではないのに気が付いた。小人症(この表現が現在使えるか自信はないが)の老人であった。ああ、大人か。大人であれば大丈夫かと思い、ふと白木みのるのことを思い出した。
 最近、白木みのるをテレビで見かけないな。引退したのだろうか、それともああいう芸そのものがいろんな理由で好まれなくなったのか。ぼんやり電車に乗りながら考えて、そうだ私は最近テレビを見てないじゃないか。わかるわけないじゃないか。そんなこと当たり前だのクラッカーである。
 ネットで白木みのるをざっと見渡すと、そうでもないようだ。そうでもないというのは、昨今リバイバルしているふうでもある。ウィッキペディアの該当項目(参照)を見るとこうある。


その後も舞台、テレビなどで活躍しており、近年ではキングジム「テプラ」やミスター・チルドレンのアルバムのコマーシャルなどにも出演した。
 現在では、北島三郎の歌謡公演には欠かせない俳優として活躍している。

 そりゃよかった。私は彼の芸が好きだ。彼が現れるいやいなや、これから面白いことが起きるぞ、大人たちがギャフン(死語)とする場面が現れるぞをわくわくしたものだった。子どもの心性である。
 ウィッキペディアの項目を見ていて、気になったのだが、そこに「小人症」ないしいずれかの障害名の記載がないことだった。ふと、私が勝手に小人症と思い込んでいたのかという気になって、ネットを見渡したがあまり情報がない。印象としてはその話題を避けているふうでもある。
 が、白木本人と関係ありそうな「白木みのるの解説」(参照)にはこうユーモラスに描かれていた(引用に際し対話者をAとBに編集した)。

A:そもそも白木さんって、どういう方なの?
B:昭和三十年代後半に一世を風靡した国民的人気番組「てなもんや三度笠」で超人気者になったんだよ。
A:この写真のかわいいらしい小坊主ちゃんが白木さんね。子役スターってわけネ。
B:子役?資料によると白木さんは1934年生まれだろ。「てなもんや」のオンエアが1962年~1968年だから、どう若く見積もってもこの写真の頃は・・・
A:えっ?28歳っ?!
B:お若く見えますなぁ。
A:そう考えると「ミスターチルドレン」ってバンド名も微妙ねぇ・・・直訳すると・・・。
B:「大人こども」?

 実際にリアルで「てなもんや三度笠」を見ていた世代の端っこである私などでも、白木は大人なんだけどということは知っていた。フェリーニ的な世界でもあったのかもしれない。正確にはわからないので私は意図せず差別的な発言をしているのかもしれないのだが、小人症の芸人というのはそれほど違和感のないある時代の空気があった。
cover
てなもんや三度笠 爆笑傑作集 Vol.1
 ああいう時代の空気がなくなったのかそれとも、成長ホルモンを使った治療で小人症が減少しているのか。この点については以前米国の状況を調べたことがあるが、日本の状況を調べたことがなく、これもふとふいを突かれたように思ったので、ざっくりネットを眺めてみた。状況は微妙という印象を受けた。
 下垂体性小人症は成長ホルモン分泌不全性低身長症と呼ぶらしい。成長ホルモン分泌不全以外に軟骨無形成症のケースもある。昭和五十四年八月三十日という日付の「小人症への国の対策強化に関する質問主意書」(参照)というリソースがあるが、それからかなり年月も経ちこの時点の問題は解決しているふうには思える。また社会の声の一例として「成長ホルモン分泌不全症のページ」(参照)が興味深かった。
 米国での事例をつきあわせて考えるといろいろな思いが沸くがうまくまとまらない。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.03.25

PSEマーク問題雑感

 PSEマーク問題にはそれほど私は関心がない。中古家電品と自分の生活の関わりがあまりないためだ。中古品市場に何か売ることもなければ、そういう市場から家電品を買うこともない。しいていえば十五年くらい前に販売されていた遠赤外線焼き芋焼き器がもう一機欲しいかなくらいのもの。その程度の認識の人間がこのエントリを書く。詳しい話はわからんということ。
 PSEマークとはなにかついての基本の話は省略。その基本の解釈がいびつになったゆえに問題化したした側面があるにせよ。
 この問題を聞いたとき、というか、ネットに反対運動が展開されたり、煽りかなと思えるようなエントリをいくつか目にしたとき、私が思ったことは、省エネタイプでない家電と世界基準の安全性のない家電はアファーマティブにリニューされてよいということだった。
 そう思った最大の理由だが……。私は過去十五年間、何回引っ越ししたかな、よく引っ越しをして、その都度エアコンなどを買い換えた。こうしたおり、日本の家電はこの間、私の印象では省エネ技術と安全性の技術がどんどん進展していているのがわかった。これはすごいなと思った。エアコンについては十年ものにさっさとリニューを促す条例でもあれば省エネにいいのにとすら思ったほどだ。安全性についても同じ。グローバリゼーションというとネットではなんとなく批判の対象のようだが、家電品の安全性はグローバリゼーションで向上したように思えた。
 まあ、そんなふうに思っているので、メモがてらの公開日記に「省エネタイプでない家電と世界基準の安全性のない家電はアファーマティブにリニューされてよい」と書いたら、いきなり匿名の批判コメントをもらった。もちろん公開日記だし、ある程度コメント制限はあるにせよコメントは公開しているのだから反論コメントがあってもいいのだけど、そのいきなりという感じと、理由なしで反意を私に向けてくることに、すごく違和感を持った。
 というか、ああ、これか、と思った。PSE問題で、谷みどり経済産業省消費経済部長のブログが炎上したという噂も聞いていたが、これはきっと、ネットのなかでのPSE発言をチェックしまわる工作部隊のようなものがあるのかもしれないなと思ったのだ。私はそういうネットの活動が甚だ不愉快なので、宇多田ヒカルのKeep Trin'の「どうせなら標的になって泥に飛び込んで~♪」やろかいとも思ったが、率直に言って冒頭ふれたようにPSEマーク問題の重要性がわからん。へたれとこ。
 こうした個人的なネットでの経緯もあって、今回のPSE問題はなんだか反対者がうさんくさいなと感じていた。なんかぜんぜん違う利権の背景があるんじゃないのかと疑問にすら思った。
 昨日たまたまNHKのニュースを見ていたらこの問題についての経済産業省の最新アナウンスと解説があり、私の理解では、これってすっかりザル法というかナンセンスになった。関連のネットソースとして、読売新聞”PSEなし中古家電の販売、事実上容認”(参照)より。


 電気用品安全法の安全基準を満たしたことを示す「PSEマーク」のない家電製品(259品目)が4月から販売禁止になる問題で、経済産業省は24日、マークのない中古家電について、当面の間、同法の対象外となっているレンタル扱いにすることで事実上、販売を容認する見解を表明した。
 中古品販売業者が顧客に商品を一定期間レンタルした後に無償譲渡することを認める。中古品販売業者から猛反発を受けたための措置だが、安全対策そのものが骨抜きになる恐れもある。

 この問題の一つの側面は、その「安全対策」である。サイト「市民のための環境学ガイド」の記事”電気用品安全法は悪法か”(参照)ではこう触れている。

安全を追求することによる消費者保護。検査を必要とすることによるコスト上昇。さらには、製品の廃棄を促進する可能性も皆無ではない。いずれにしても、こんな意味でのトレードオフが明確に見える法律だ。実害はそれほどでないと思われるので、まあ、トレードオフというものの存在を認識するには、良い練習問題のように思える。

 安全とのトレードオフという課題が原理的には残ると言えるのだろう。
 ただ、現実問題として中古家電品がどれほどの危険性を孕んでいるかというとそうでもないだろう。このあたりは先日話題になっていた松下ファンヒーターなどの問題とも関連する面はあるだろうが、いずれにせよ、リスク評価を日本社会がどう受容するのかということで、ま、現状でええんでないということであれば、ザル法でもいいということはあるだろうし、トレードオフということは、些細なリスクを捨ててもいいじゃんということでもあるだろう。
 NHKのニュースの後でぼんやり思ったのだが、今回の電気用品安全法は、そう騒がずとも最初から経産省の不備でダメだったんじゃないか。
 日本の官僚システムは業界団体を牛耳ることで権威を維持しているわけだが、今回のこの分野では該当業界を掌握できてなかったのだろう。やはり、きちんとした行政には、官僚の天下りを含めた強い利権の構造で業界を掌握するという前提が必要になるものだ。

| | コメント (23) | トラックバック (7)

2006.03.24

ローンボール(Lawn Bowls)

 外信を眺めていると、WBCよりコモンウェルス・ゲーム(英連邦大会)の話題をちらほら見かけたように思う。日本には関係ない話なので国内報道はあるかと検索すると、”エリザベス英女王、英連邦スポーツ大会の開会を宣言”(参照)など多少ある。


英連邦国からアスリートが集結して4年に1度開催されるスポーツイベント、第18回コモンウェルス・ゲーム(英連邦大会)が15日、オーストラリアのメルボルンで開幕した。

 簡単にいうと、英国の旧植民地など七十一の国や領土の人が集まってオリンピックのサブセットみたいなことをする。いつからやってのかと調べると、一九三〇年、カナダのハミルトンらしい。第二次大戦で中断したが、一九五〇年に再開したらしい(参照)。
 「コモンウェルス・ゲーム Commonwealth Games」(参照)というページでは、一九九四年の大会の話だがこうある。

 コモンウェルス・ゲームと言っても日本では馴染みが薄いですが、英連邦に属する国や植民地が参加して4年毎に行われるアジア大会みたいなものです。日本で報道されたかどうかは知りませんが、それが1994年8月中旬にカナダで開催されました。60近いチームが参加しましたが、オーストラリアももちろんその中の一つです(オーストラリアはアジア大会のメンパーではない)。今時エリザベス女王がカナダまで出かけて開会宣言をするあたり、いささか時代錯誤の感もありぎすが、まあ今では同窓会のようなものと言った方がいいでしょう。南アフリカが久方振りに出場を認められたり、香港にとっては最後の大会だったりと、良し悪しは別にして過去にイギリスが何処で何をして来たかを見るにはいい機会とも言えます。参加チームの内独立国で旗の中に未だにユニオンジャックを残しているのは3ヶ国だけだったそうで、植民地などの旗と並んでたてられただけに、恥ずかしく感じたオーストラリア人も多かったようです。

 大東亜共栄圏があれば似たようなことになっただろうかというのは言うまでもなく悪い洒落なので無用なご批判はなしと。引用したのは、香港はこの時が最後の参加だったらしいというのでへぇと思ったからだ。確かインドは現在でも大会に参加しているはずだし、参加の単位は国・領土とあるがスコットランド、ウェールズといった区分なので、香港も参加したらいいのにというのも言うまでもなく以下略。
 いろいろ思うことはあるのだが、コモンウェルス・ゲームに私がかそけき関心を持つのは、実施されるスポーツが大変によろしいからだ。で、ローンボール。
 ローンボール(Lawn Bowls)とはなにか。Google様にずばり見せてもらうといい(参照)。ああ、あれかと思う人もいるだろう。芝生(lawn)の上でやるボーリング(Bowl)だが、ピンを倒すのではなく、チームで分けて複数のボールを使い、相手のボールをはじき出す。これってなんかに似ているでしょ。そうカーリングだ。実際カーリングのように転がる玉の前で一生懸命熊手で芝生を掻きむしりさわやかな汗を流すのが醍醐味らしい。
 ローンボールって変なスポーツだなと思う人も当然いるだろうが、これが氷に閉ざされた国に移ってカーリングの起源となり、室内ゲーム用で玉をでかくしてできたがいわゆるボーリングだ。意外に知られてないのだが、ボールを転がすなんてめんどくさいから投げちゃえ、投げるなら鉄の玉がいいやということで古代ギリシアに伝わってできたスポーツが砲丸投げだ。フットボール(サッカー)からラグビーが出来たようにスポーツというのはこういう歴史的な起源を持つものなのだ。ま、若干説明が大雑把だったかもしれないが。
 Australian History Databaseのローン・ボーリング(ローンボール)(参照)の説明によるとローンボールはオーストラリアで特に盛んなようだ。オーストラリアでのローンボールの歴史の話が面白い。

 19世紀初頭に、オーストラリアのローンボールは発展した。その担い手は、商人、政治家、上級公務員など、主に男性の植民地エリートであった。イギリスと同じく、オーストラリアでも「公衆用」のグリーン(競技場)は、ホテルや宿屋の近くにつくられた。こういった場所は、素手によるボクシング(bare-knuckle pugilism)、闘鶏(cock-fihgts)、猟犬によるウサギ追いレース(greyhound-coursing)、ハト撃ち(pigion-shooting)、徒競争(foot-races)などの「荒っぽい」活動の開催地と近かったため、初期オーストラリアのローンボール主催者は、わざわざその格式高さを強調していた。「公衆用」グリーンは、ホテルの用地に作られ、成功していったが、荒っぽい連中を締め出すために会費制が導入された。一方、「私有」のグリーンの設立者たちも、オーストラリアの初期のローンボールの特徴の1つである。もっとも有名なものは、おそらく1878年にジョン・ヤング卿によってつくられたものである。

 いやその、面白いのは、正直に言おう、次の種目だ。

  • 素手によるボクシング(bare-knuckle pugilism)
  • 闘鶏(cock-fihgts)
  • 猟犬によるウサギ追いレース(greyhound-coursing)
  • ハト撃ち(pigion-shooting)
  • 徒競争(foot-races)

 スポーツにまるで関心のない私なのに、なんかこういうスポーツはとても関心が向く。素手によるボクシングとか徒競争とか、なんか、わくわくする。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006.03.23

生鮮コンビニ

 生鮮食品を売るコンビニを生鮮コンビニと言うのだそうだ。そういうのがあるというのは、昨年だったかニュースで聞いた。ローソンとかが始めたのだったか。だが、生鮮コンビニという言葉が時代のキーワードになっているとは知らなかった。先日のニュースによると、昨年五月に生鮮コンビニを開始したローソンが現状の三十五店舗から今年は百店舗に拡大。サンクスは先月この分野に参入し、同じく今年首都圏に百店舗。am/pmが首都圏に六十店舗ということらしい。いくら首都圏が広いといっても今年あたりから、生鮮コンビニが世の中の風景に目立つようになるのだろう。
 うまく言葉になってこないのだが、私は町の風景の変化というのが不思議でならない。以前ならそれがなかった。なのに今はある。そういう違いがうまく受け止められない。現在では沖縄でもスタバはあるが、五年くらい前だったか東京に出るたびにスタバが街に増えて不思議な気がした。それを言うなら、十五年前には携帯電話を持っているのは私だけでまわりにはいなかった。重たいのは当然だけど充電が面倒臭かった。逆に、以前は普通にあって今はないもの。昨年の一月「極東ブログ: 街中のタバコの広告」(参照)であの時眼前に見た巨大なタバコの広告が半年後に消えることを知って奇妙に思った。


あのでかいタバコの広告はもうすぐ私たちの街の光景から消える。人にもよるのだろうが、こうした光景について、なにが加わる変化より、何かが消える効果のほうが、弱いものの、鈍く長く残る違和感になるような気がする。

 最近、駅のフォームなどで、以前ここにタバコの広告があったなというところを眺めている。そこに、ない。別のなにかがあるのだけど、組織的に消えてしまったものへの違和感が強い。
 生鮮コンビニの話に戻る。私はローソンの生鮮コンビニに行ったことはないが、近所に99ショップというのか、ネットを見るとSHOP99か、があって、以前二週間くらいちょこちょこ買い物をした。小分けの生鮮食料品が便利に思えたのである。実際の価格は百円をちょっと超えていた。生ハムとかも小分けで売っていたし、冷凍食品は便利に思えた。でも、使わなくなった。理由は単純で口に合わないのだ。そんなに贅沢な物が食いたいわけではないけど、完成品に近い食品ほど味が決まってきて、つまり外食に近くなって、そういえば私はやけくそ的に食う以外はあまり外食が好きではない。
 その二週間くらいの間に、SHOP99でいろいろな人を見掛けたように思う。いろいろというのはスーパーやコンビニとは違った客層ということだ。夕刻は仕事帰りの人々、また若い人が多かったように思う。私がよく通っていた時期にレジが改変されていて光学式の読み取りになった。みな同じ値段なのにデータを取るというのは売れ筋をPOSで管理しているのだろう、けっこう情報産業だなこれはと思った。
 生鮮コンビニが近所で出来たら行くか? 行くと思う。私はけっこうすでにコンビニの人だし。以前、セブンイレブンで生鮮野菜の宅配をやっていてなかなかよかった記憶がある。とはいえ、セブンイレブンは生鮮コンビニには出てこないようだ。
 ネットを見ると、「100円生鮮コンビニ戦争勃発!参入各社の勝算とは」(参照)といった昨年の時点での詳しい話がある。ただ、あまりピンとこない。生鮮コンビニとは別分野なのか、ローソンでナチュラルローソン(参照)というのもあるらしい。街の社員食堂みたいなものか。店舗一覧(参照)を見ると、なんかそれっぽい地域がばかりのように思える。というころで、要するに、生鮮コンビニなどは都会の特定地域の生活の風景のようでもあるのだろう。単純に言って、こうした存在は現代人に向いているし、なんだかんだ言っても、あっという間に風景を変えてしまうのだろう。
 個人的には台湾都市郊外の夜市みたいなのがあったら楽しいのだが、そうはならないのだろう、日本は。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006.03.22

トラスト・スクールについてちょっと

 トラスト・スクール(trust school)の定訳語を知らないのだが、財団学校、基金学校とでもなるのだろうか。現在、英国でこの新しい学校システムについて、もめているようだ。まだ、法案は通っていない。
 制度的には、公立と私立の二区分に加え、新しい区分としてトラスト・スクールができることになる。というあたりで理解しづらい。親たちや企業が基金を作り学校を運営するという。そう聞けば、私立ではないかという印象を受ける。
 トラスト・スクールについて、日本語でのネットのリソースはあまり見かけなかった。探し方がまずいのかもしれない。そんななかブログ「シェフィールド便り」”School Reform Law”(参照)が詳しい。BBCのソースをまとめたもののようだ。


1、目的
トニー・ブレア首相の言によれば「学校に更なる自由を」というもの。具体的には、イギリスのセカンダリースクール(日本で言う中学校、高校レベル)レベルで新たにトラストスクールという形式の学校を設立しこの形式をイギリス国内に広める。トラストスクールの特徴として①学校が独自に自校の校舎や敷地をどの場所に立てるかもしくは購入するかについての選択権がある。②学校が独自にそのスタッフを雇い入れることができる。③入学選考基準について学校が独自に設定、管理をすることができる。

 引用がやや長くなるが。

2、インディペンデントスクールとの違いについて
インディペンデントスクール(財源が国から独立しているという意味で、日本の私立と同じであると考えていいと思う)がトラストスクールの手本になっているのは間違いない。しかし、トラストスクールは①授業料を課すことができない②利益を求めることができない③必要以上の資金を受け取ることができない、などの制約がある。

 手短によくまとまっているのだが、今回の英国のトラスト・スクールの位置づけは基本的には公立であるようだ。そのあたりが、私も理解しにくい点である。
 公立に近いものでありながら、企業からの出資を受け入れ、その企業が運営に参加できる、ということで、それは学校としていかがなものかといった問題はおきている。BBC”Who will run 'trust' schools? ”(参照)がそうした問題をやや皮肉にまとめている。たばこ会社やファーストフード会社が学校運営?といったトーンだ。

Would a tobacco company be acceptable? What about a big fast-food brand taking over a school? Or a company that did not recognise trade unions?

The prime minister's response to this was to say that the proposed new schools commissioner would be a filter, deciding which outside organisations were suitable to be school partners.

Mr Blair added that he had "not come across the Big Mac Academy concept".


 この問題の全貌がよくわからないのではずしているかもしれないが、米国の例を考えると、こうした経営はそれほど違和感はない。確か、チョコレートのハーシーは巨大な慈善団体を持ち、学校も運営していたかと思う。また、米国の通常の州運営の学校でも、食品会社から資金を受け、その事実上の見返りにスナックを子どもたちに食べさせている。もっとも、この点はいろいろと問題が起きた。
 話を戻して、なぜトラスト・スクールという考えが出てきたかというと、基本的には教育費の問題が背景あるのだろう。誰が学校運営のゼニを担うかということだ。そして教育費の問題は事実上教育水準にも関係する。日本でも公共教育の費用が問題になれば、トラスト・スクール的な発想は出てくるだろうか……とちょっとそれは勇み過ぎか。
 トラスト・スクールの法案はまだ可決していない。ブレア首相が教育改革の目玉として意気込んで推進しているのだが、ブレア自身の労働党与党内で反対者が多く、むしろ野党保守党が賛成している。現状を合算すると保守党の賛成によって法案は可決されるようだが、ブレアとしてはそれでいいのかという問題は残る。そのあたり、ガーディアン”Focus on trust schools, Blair tells councils ”(参照)から少し伺える。ブレア自身の発言はこんな感じ。

"I believe it will make schools stronger, improve standards and offer better opportunities to young people. These reforms to raise standards and expand opportunities in schools, along with reforms in health and other public services, are delivering on our commitment to make our public services safe for a generation," Mr Blair added.

 トラスト・スクールの法案が最終的な形になるまでまだ紆余曲折はあるようだが、この間、興味深かったのは、入試での面接の禁止だ。日本だと人柄を重視するとかいって面接にあまり抵抗はなさそうだが、公的であるといことは面接の禁止に及ぶのものなのだなと私は印象深く思った。正義の女神はブラインドであるし。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006.03.20

東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ

 先日の朝のラジオの話だが、東京の私立中学受験が厳しいのだそうだ。そんなこと言われても寝ぼけた私の頭なんかにはふーんなのだが、数字を聞いているうちに、えっと目が覚めた。今の小学生は東京だと二八パーセントもが私立中学受験をするというのだ。二八パーセントって四人に一人か。受験だけ? いわゆる居住者の多い地域だと三人に一人は私立中学に受験しているってことか
 そういえば、先日転勤になる知人と飲みながら聞いたのだが、彼の娘さんが公立中高一貫校を受験するというのだ。そんなのがあるということは、ちらというくらいしか聞いたことがない。私立も受験するらしい。知人は私より五歳くらい年下か。いやもっとか。私の世代だと男も二十五歳くらいで結婚しているのがいるので、今頃は子どもが大学を終えている……おっとぉ。彼は晩婚だったのか、なんか数字が合わなくなってきたが。
 シーンその二。近所の話。私より一回りくらい若い奥さんが、息子を進学塾に送らなきゃというので、何年生かと聞いたら、四年生だそうだ(このシーンを深読みしないように)。で、話を聞くに、けっこうそうよ、ということらしい。どうなってんだ。
 ラジオの話は文化女子大学野原明教授という人だった。ネットをちらと覗くと、文化女子大学附属杉並中学・高等学校の校長先生とかもしていたようだ。まさに専門家。
 私立中学は全国に七二〇校。うち、四割が首都圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)。私立中学受験が盛んになったのは二〇〇〇年からということで、れいのゆとりの「新しい学習要領」とかの余波でもあるようだ。つまり、公立中学じゃ、学力下がるでしょ、と。
 他の理由としてあげられていたのは、公立学校が荒れているから。うっぷす。そうか。あまりこの問題は立ち入らないほうがよさげ。そして、三つめは、公立の中高一貫校が刺激になったというのだがよくわからない。ちなみに、公立の中高一貫校は昨年一校、今年四校だそうだ。来年も増えるのかについての話はなかった。
 現在の私立中学校の学費は平均年間八十九万円。ざっとなべて年間百万円。中高一貫っていうと大学前に六百万円か。子ども二人で千二百万円。そうみると、安いじゃん、な、わけないよな。
 格差社会がどうたらというのはあまり私は関心がないのだが、アルファーブロガーきっこの言う諸悪の根源小泉がこうした傾向の原因なのか。ちと違うような。冗談はさておき、なにが起きているのだ。っていうか、みんな格差好きなんじゃないのか。話が違う?
 そのスジのテクニカルな観点でいうと、建前上、公立の中学には学力試験はないということになっているのだそうだ。よくわかんないが、建前がきれいだと実態はひどいよねというのが世の常で、平和主義者のブログほどバッシングのきついこと……これは話が違う。いずれにせよ、なんか不透明な審級システムがじわっと小学生にまで波及しているというところで、さっきの奥さんの話の現状なのだろう。よく知らないが、内申書とかでも生徒会長なら何点とポイント制になっているらしい。うへぇ。
 現状としては、こうした動向が実際に大学受験にどう結びつくかはまだ見えてないそうだ。あと二年くらいで傾向が出てくるのだろう。予想は付くな。大学といっても普通の大学はもう桂三枝のいらっしゃい状態なので大学受験が意味を持つのは特定の大学だけになるのだろう。
 なんだかよくわかんないけど、五年先くらいになんかけっこう変な社会になってそうな気がしてくる。格差社会とかじゃないなんか変な。

| | コメント (21) | トラックバック (2)

2006.03.19

ウイニー(Winny)事件雑感。とても散漫な雑感

 私は、ウイニーを使ったことがない。何が便利か皆目わからん。一度インストールしてソフトの動作をチェックして即外し。というか、もう三年以上も前のこと、二代前のパソコン。そういえば、2ちゃんねるも参加したことがない。考えてみると、五年くらい前から新しいIT技術やカルチャーについて行けなくなっている。

cover
Winnyの技術
 ウイニーについては聞きかじりくらいしか知らないが、昨今話題のウイルスって、「キンタマ」でしょ。ウイルス名は比較的オリジナル名が付くのに、キンタマって聞かない(Antinny.Gとか言っているか)。クローズアップ現代で国谷裕子キャスターが「今、日本全国でキンタマが猛威を振るっています」とか言うとちょっと萌え。「今日はITにお詳しい橋本米米さんをお招きしています。この、キンタマですが……」とか、いいなぁ。いきなり話が逸れてるけど。
 Google様でずばり「キンタマ」で検索したら、「Winnyウィルス(通称キンタマ)」(参照)が出てきた。さすがだね。ちなみに、ひらがねで「きんたま」とすると「苺きんたま」(参照)が出てきた。お前らなぁ。
 で、晒されたファイルは次のように表示され出まわるという。これはむふっな画像。

 [キンタマ] お前のデスクトップ 感染したパソコンのユーザー名 [感染した日付].jpg

 いや、私はよくわかんないのだが、昨今、急に世の中の話題になったのは、[キンタマ][キンタマ][キンタマ]ということだったのだろうか。ちょっとありえない感は漂う。なんで今頃世の中やたらと話題なのか。次なる民主党の追求ネタか。キンタマ。
 ウイニー流出ニュースのなかで一番感動したのが、十六日付け毎日新聞”愛媛県警:Nシステム情報流出か 車10万台ナンバー”(参照)だ。キンタマ、Nシステムの情報開示をしてくれたわけだね。


これに対し、Nシステムなど公的機関の行動監視に取り組む東京都渋谷区の市民団体「一矢(いっし)の会」の浜島望代表(73)は「裁判での証拠申請にも警察は提出に応じず、運用実態を示す資料が表面化するのは初めてのことだろう。しかし、なぜ一捜査員がデータを保管していたのか、国会などでの説明と実際の運用が違う可能性がある。警察は改めてシステムについて説明すべきだ」と語った。

 ここで「一捜査員がデータを保管していたのか」なのだが、ちょっとどの流出事件だったか忘れたが、会社だかお役所だかで私物のパソコンを使って、それを自宅に戻してそこでウイニーっていて漏れたというのがあった。これって、ウイニーで漏れたというより、そういうデータをたぶんコピーだろうけどパソコンに入れて持ち帰っていいのか?ってことだと思うが。
 などなど、昨今のウイニー騒ぎはどうも大半は私物パソコンの問題でもあり、なんで仕事で私物のパソコンを使ってるんだということでもだけど、言うだけ白々しいのは、だってねということではあるのだろう。そんなこと言ってもね。
 技術的には、ウイニーのトラヒックを遮断とかできそうだが、私物パソコンとかだとそれ以前の問題だし、たぶん、iPodとかによるデータの吸い出しとかもけっこうできるんじゃないのだろうか。
 作者の金子勇さんもなにかとウイニーの改良はできない世の中の掟になっているし。世の中ウイニー騒ぎにしてなんとなく撲滅を狙うのが次善か。
 まったく日本の情報管理はどうなっておるのか、とかお怒りの向きもあるだろうけど、私はよくわからない。このわからない感の根は、俺ウイニー使わないし、がある。
 ちょっと考えてみるのだが、ウイニーなんてそう簡単にパソコン素人さんが使えるソフトでもないし、なんというかそもそも日本のインターネットの活用ってワーキングタイムでの公私混同が基本だったのでは? ブログの閲覧とかそうだろうし。
 つまらんエントリなのでこれでお終い。あ、そうそう、ウイニーって使っているの日本だけだったんだよね。

| | コメント (8) | トラックバック (1)

2006.03.18

[書評]幸福否定の構造(笠原敏雄)

 「幸福否定の構造(笠原敏雄)」(参照)は以前から読んでみてはと勧められていた本だが、結果からすると私はこの著者を別の青年心理の専門家と勘違いしていたことや、なんとなくという敬遠する気分から、まだ読む時期ではないような気がしていた。が、ふと、今読むべきだと思って読んでみた。その直感はある意味で正しかった。というのは、私は最近密かにベルクソニアンを深めつつあり、その背景からより深く読み込めた部分がある。

cover
幸福否定の構造
 さて、ここで言うのは少し気が引けるのだが、本書は、一般向け書籍ということを考慮しても、精神医学の分野の書籍としてはトンデモ本だろう。おそらくこの分野に関心があり、所定の基礎知識を持っている人には受け付けないだろうとも思う。
 では、この本は、いわゆるトンデモ本のように笑い飛ばすことが目的かというと、そうではない。そうではないのは、この本で開陳されている理論はおそらくかなりの実効性を持つだろうと思われることだ。つまり、通常「統合失調症」とされさらに治療の効果がかなり期待できない対象にもある程度有効性を持つだろう。つまり、有効性という点に確信が持てるならこの理論の価値は高いとも言える。
 本書の主要命題は、帯を引用するが、こういうことだ。

「うれしいこと」の否定が心身症・精神病の原因となる。30年に及ぶ豊富な臨床経験から、人間の心の奥底に秘められた驚くべき仕組みを明らかにする。現行の人間観を覆す異色の理論。

 つまり、標題のように、幸福を否定することが心身症・精神病を作り出すというある意味で奇妙な理論でもある。もっとも、後期フロイトには死の欲動というテーマがあり、私は当初それに関連するかという予断を持っていた。それは違った。
 本書が掲載する、幸福否定のケースはそれなりに説得力を持つ。問題は、むしろ「幸福」の定義による。あえて引用しないが、笠原は、幸福と快感を区別している(その区別のためにベルクソンを援用している)。が、その区別は私には理解できなかった。という意味で私の了解だけの問題だけなのかもしれない。
 それでも、オウム事件における林郁夫を例とし、人は反省することによってより人格を高め幸福になるが、そうした幸福を否定することが精神的な病理をもたらすという展開には疑問を覚えた。私はこの分野ではラカンくらい古典的なフロイディアンなので、幸福に快感以上の意味を付与しない。余談だが、マズローやアドラーといった人々は幸福などの価値性を無前提に理論に導入するので同じように私には受け入れがたい。
 「幸福」がいわば括弧付きの超越的な道徳・倫理概念になっているなら、それは「善」と言い換えてもよく、そうなれば、幸福否定が問題というより、人間の本来的な善性の否定という構図になってしまう。ほとんど宗教の領域になる。
cover
平気でうそをつく人たち
虚偽と邪悪の心理学
 ただ、この問題はだから終わりとも言い難い。日本でもなぜかベストセラーになった「平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学」(参照)だが、これは標題やまたベストセラー時に多かった感想とは異なり、本質は、「悪」の心理学、というものだった。スコット・ペックの主張をよく読めば、それが神学的な領域に至ることへの方法論的な自覚もあった。
 実際の人生経験からすると、私も半世紀近くこの世にいるのだが、こうした善と悪の問題はそれほど抽象的なものではない。本書、「幸福否定の構造」でも注目している統合失調症(分裂病)患者特有の印象というものに近いある種の対人的な印象というものは、世間を生きるなかでも感受され、世間知に融合する。どんなに身の潔白を説いても、それがとりあえず表面的に辻褄が合っても、こいつは変だという感覚を人は対人判断に優先するようになる。もちろん、そこには個人差がある。
 本書の価値は、その実践的な有効性にあるだろうと先にふれたが、この関連で、本書で語られている小坂英世医師の理論形成史は私にはとても興味深いものだった。小坂が最終的に漢方医になってしまう点には、筆者笠原と同様に落胆するものを当初感じたのだが、読後しらばらくすると、この小坂の生き様には重要な意味があるようにも思えた。無意識というのは身体であるというテーゼを加えるなら、漢方医と東洋宗教的な解脱の融合は、同じ根の問題へのアプローチとしてありうるのかもしれない。
 他にもディテールにおいてとても興味深いことがいろいろあった。個別には見当識(参照)のとらえ方を変更する必要があるかもしれないとも思った。それら含めて、笠原の理論をどう自分の考えに受け入れていくかは多分私の課題になるだろう。その意味で、本書はたぶん、今後も何度も読み返す本にはなるだろうし、そうした経緯のなかで、評価を大きく変えるかもしれない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006.03.17

おフランスの学生さん大暴れ

 フランスの学生暴動についてあまり関心が向かないでいた。興味が今ひとつわかないのはこんなバックラッシュしても大きな流れは変わらないだろうから、バックラッシュの常としてとんでもない鬼子のようなものが出てくるのはかなわないな。ユーロに移したわずかなゼニの動きはどうしようかくらいなもの。これがある閾値を超えれば、日本でもなんか勘違いした輩が出てくるんじゃないか。ブログとかも「使える」し……うへぇ。
 といきなり飛ばしたが、今朝の朝日新聞の関連記事標題もいきなり笑いを取っているし。”仏「若者解雇しやすくなる法」 学生反発、全土でデモ”(参照)。「若者解雇しやすくなる法」ですか、はぁはぁ。


 26歳未満の若者を雇えば最初の2年間は自由に解雇できる法律に反対する学生のストやデモがフランス全土に広がり、ドゴール体制を崩壊させた68年の5月革命の「再来」を予言する声も出始めた。だがドビルパン首相は、法律を施行する姿勢を崩していない。大統領選を1年後に控えて指導力を示したい首相は、あえて危険な「かけ」に出た。

 初っぱな舞い上がっているし。フランシーヌの場合ぁ♪、ぉっとそれは文脈違うってば。
 現状はこう。

 5月革命の舞台となったパリの学生街カルチエラタンでは連日、学生と警官隊の小競り合いが続いている。ソルボンヌ大学を占拠した学生が11日に排除された後、近くのコレージュ・ド・フランスに学生が突入する騒ぎが起きた。国立大学84校のうち学生が全学や一部を封鎖しているのは59校。15日にはパリの高校で生徒が占拠を始めた。16日も全国規模で抗議デモが行われた。

 ソルボンヌ大学ソルボンヌ大学五月革命か五月革命か五月革命か以下略。その気配がまるでないわけでもないのが不気味。
 日本とは違って旧態依然たるおフランス社会でエリートな学生さんたち大暴れの理由は、「若者解雇しやすくなる法」への反発。
 なんだその法?だが、初期雇用契約(CPE)を盛り込んだ新雇用機会均等法である。初期雇用契約(CPE)? 朝日新聞の同記事にもあるように、二十六歳未満の若者と無期限の雇用契約を結ぶ際、採用から2年以内は試用期間(強化期間)として解雇証明なしに解雇できるというもの。うっぷす、ひでーな、学生さん大暴れもご納得といきたいが、背景や詳細はそう簡単なものでもない。ブログ「L'ECUME DES JOURS ~日々の泡~ 」のエントリ”Contrat premiere embauche (CPE)”(参照)などが参考になる。
 英米圏では基本的に高見の見物のようでもある。日本版ニューズウィーク3・22「欧州を脅かす保護主義の亡霊」の次のコメントもその類であろう。

 イギリスやアメリカのように労働市場の流動性が高ければ、こうした法律も受け入れられやすいだろう。だが、フランスでは終身雇用が常識だ。
 「プジョーに就職すれば、プジョー一家の一員となる」と、ジャンルイ・ボルロー雇用・社会結束・住宅相は言う。「(終身雇用を)崩すことには根強い抵抗がある」
 しかし、グローバル化が進む今、温情的な雇用形態は維持しにくくなっている。変化に対応して迅速にリストラを実施できなければ、企業は破綻するおそれがある。

 三が出たらエントリの振り出しに戻るみたいなことだが、そういうことだ。
 ジャーナリズム的にはまだきちんとしたレポートを見てないが、学生さんを焚きつけているのはまさに五月革命か五月革命か五月革命かの爺層臭い。ずばり言うと……筆禍ぴょーんっぽいし、こんな話題では火中の栗を拾いたくもない。ただ、昨年通称EU憲法を支持していた日本のインテリ様たちからはおフランスの学生さんへの支援の声はあまり見かけないように思う。
 裏のもう一つは来年六月大統領選挙と統一地方選挙がある。なーんだ、選挙運動じゃん。ということなのだが、前回の大統領選挙を思い出せる記憶力がある人だと、こんなんで左派勢力が盛り返せるわけないっていうか、またルペンルペーン♪みたいなことにならなければいいのだが。もともと民衆運動連合(UMP)もヘタレっていうか足の引っ張り合いって楽しいなぁみたいなものなんで、政治不在はよくないと思うのだけど。
 ま、状況は流動的なんでワッチ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006.03.16

媽祖廟

 明日十七日横浜中華街で媽祖廟の分霊式(開眼式)が行われるそうだ(参照)。関帝廟があるのだから、次は媽祖廟だろうなとも以前から思っていた。あそこからそれほど遠くない地域に以前住んでいたことがある。懐かしい思いがする。近いうちに行ってみるか。
 媽祖については現在の日本ではそれほどには知られてないように思えるがどうだろう。ウィッキペディアには一通りの説明があった(参照)。


媽祖(まそ、ピンインMazu)は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。特に台湾省・福建省・広東省で強い信仰を集め、日本でもオトタチバナヒメ信仰と混淆しつつ広まった。親しみをこめて媽祖婆・阿媽などと呼ぶ場合もある。


中国大陸における媽祖信仰
媽祖は当初、航海など海に携わる事柄に利益があるとされ、福建省、広東省など中国南部の沿岸地方で特に信仰を集めていたが、時代が下るにつれ、次第に万物に利益がある神と考えられるようになった。歴代の皇帝からも媽祖は信奉され、元世祖の代(1281年)には護國明著天妃に、清代康熙23年(1684年)には天后に封じられた。媽祖を祀った廟が「天妃宮」、「天后宮」などとも呼ばれるのはこれが由縁である。

 現在でもこの地域では媽祖信仰が篤い。江戸時代の歴史風土の記憶を忘れることにした近代日本人からすると呆れるほどでもある。私なども、基本は海難除けであろうかと思うくらいだが。
 ウィッキペディアに天妃とあるように、また、横浜中華街媽祖廟のホームページでも説明があるように、沖縄(琉球)を日本史に含めるなら、日本初の媽祖廟は那覇にある(参照)。

 日本で最も早く祀られたのは那覇市で明の永楽二二年(一四二四)に当時の琉球王国の唐栄(営)が最古とされており、下天妃宮と呼ばれています。また、14世紀頃、中国との朝貢貿易始まった頃、福建よりもたらされた「上天妃宮」が一層古いという説もある。現在、那覇至聖廟内に天妃宮として祀られています。那覇市久米の上天妃廟跡は石門だけが保存されており、石門に続く石垣は布積みとあいかた積みから成る。天妃小学校の敷地内にある。
 http://www.geocities.jp/ryuuko5/210kumetenpi.html
 なお、久米島にも媽祖廟が祀られています。

 「天妃小学校」からもわかるように「天妃」は地名、天妃町であった。今は小学校名とバス停に名残を残すだけ(たぶん)。引用にある下天妃宮と上天妃宮にはいろいろ歴史の謎があるがここでは立ち入らない。現在の地名久米からわかるように、また那覇ハーリーでもわかるように久米の人たちの地域というのが歴史的な背景ではある。この話も長くなるので立ち入らない。
 同ページにはまた面白い指摘がある。

● 青森県大間町大間稲荷神社は元禄9年(1699年)に水戸から遷座したのが発祥という説もあり、現在も大間町の稲荷神社には天妃様が祀られていて、平成8年から毎年7月20日には天妃様行列が実施されています。http://www.jomon.ne.jp/~oomas/

● 茨城県北茨城市磯原天妃山
(参考)http://www.geocities.jp/gotos_room/_geo_contents_/tenpisan.html


 青森へなぜ水戸から遷座したのか、また茨城に天妃の名残があるのか、歴史を学ぶものにはピンとくるものがあるだろう。弟橘媛などもこのあたりの歴史に根を持っていそうだ。ネットを見たらこういう話に関心を持つ人もいるようだ(参照)。
 もう一点。

●鹿児島県笠沙町の野間神社は、廃仏毀釈以前は野間権現と呼ばれ、近世初頭には娘媽神が合祀されていたことから娘媽権現とも呼ばれています。
http://tabetabe.hp.infoseek.co.jp/kasasakikou2-3.htm

 このあたりも近代日本人が忘れた面白い歴史でもある。基本的に日本では近代以前は神宮寺からもわかるように、神仏は分離していない。いわゆる神道というのは江戸時代に再構成した宗教であろう。近代日本人がナショナリズムの神話として読む古事記も漢文で書かれているものであり、これを祝詞のような和文に仕立て直した本居宣長の創作をその後の日本人の多くは古代の言葉だと思っている。もっとも、宣長の言語学的な知識を考慮すればすべてが創作とは言い難い。いかん、話が逸れた。
 媽祖信仰は台南に盛んだ。四百くらいあると記憶している。ウィッキペディアはこう記している。

台湾における媽祖信仰
 台湾には大陸から移住した中国系の開拓民が多数存在した。これらの移民は媽祖を祀って航海中の安全を祈り、無事に台湾島へ到着した事を感謝し台湾島内に媽祖の廟祠を建てた。このため台湾では媽祖が広く信奉され、もっとも台湾で親しまれている神と評される事も多い。
 台湾最初の「天后宮」は台南市にある祀典台南大天后宮。
 この媽祖信仰は日本統治時代に台湾総督府の方針によって一時規制された。なお台北最大規模だった「天后宮」は台湾総督府により撤去され、かわりに博物館(現在の台湾国立博物館)が建てられた。

 この台南だが、八年ほど前だったか、私が媽祖信仰に関心があるのを面白がってか、では最大の神社を見せてあげようということで台南のかたに鹿耳門天后宮(参照)に連れて行ってもらったことがある。いや、ぶったまげた。東洋最大の寺院とかいうのも嘘ではないなというか、空中楼閣というか、なんだこのパワーはと思った。こんなのよく作るよなと呆れるあたりが、江原啓之で小じんまりする現代日本人には向いてないのかも。

| | コメント (3) | トラックバック (2)

2006.03.15

量的緩和政策の解除だって

 量的緩和政策の解除について、私にはよくわからない。だから、ちょっとだけ書いておく。
 量的緩和政策は、庶民的な感覚からすれば、結果的に、家計部門から金融部門への所得移転、つまり、庶民の貯金が利息で増える分を銀行の儲けにしちゃったなということだった。その損失額は三百四兆円だという試算もある。日経”超低金利で家計に304兆円の「損」・日銀試算”(参照)より。


 日銀の白川方明理事は23日の参院財政金融委員会で、バブル崩壊後の超低金利で家計が得そこなった金利収入が累計で304兆円にのぼるとの試算を明らかにした。長引く金融緩和が家計に大きなしわ寄せをもたらしたとの見解を示した。

 もっともそれだけ金利が得られる状態という仮定は正しいかとか、金利がそれだけ得られる状況なら企業活動も活況であり所得も増えただろうといった議論も成り立つのかもしれない。私はよくわからない。が、たとえ所得が増えてもその再配分は現状より良かったかは疑問だ。老人や若者へはやはりしわ寄せになったのではないか。
 また、低金利時代でも銀行が儲けを出していたということは、ちょっと小狡い頭があれば、それ以上の金利はどっかで稼げたってことだろう。
 どっかって?
 ニューズウィーク日本版3・22、ピーター・タスカ「量的緩和解除の落とし穴」がヒントになりそうだ。

 もっと注目すべきなのは、バブル崩壊後の日本の投資家が停滞した自国経済を敬遠し、海外に資金を回したことだ。アメリカの債券市場を中心に、ニュージーランド・ドルなど高利回りの通貨や、債務担保証券やファンド・オブ・ファンズ、プライベート・エクイティーといった新しい金融商品にも資金が流れ込んだ。
 日本の資金が国内で投資されるようになれば、これまでの投資先は主要な買い手を失いかねない。日本の投資家のように、過大評価されている資産に喜んで大金をつぎ込む買い手は、二度と現れないだろう。

 皮肉屋のタスカらしいフカシと言いたいところだが、それでも前提として、日本の投資家は自国経済を敬遠して稼いでいたとは言えるだろう。ま、そんなことは庶民にはできないから銀行が儲けたんだよなと私なんぞは思う。
 タスカの懸念についてはよくわからない。この先を延長していくといろいろ愉快な陰謀論もできそうなのだけど、そうした推測は私には向かない。それ以前に、量的緩和=低金利という理解はどうよというのもあるだろう。
 話を戻して量的緩和政策の解除はこれでよかったのか。私は以前からそうだが、こうしたテクニカルな話は海外メディアのほうを信頼している。フィナンシャルタイムズはなんと言っていたか。
 ”Bank of Japan starts the return to normal”(参照)では、二点強調していた。

Two points need to be stressed: the first is that deflation has barely ended; the second is that monetary growth remains feeble. Note that the consumer price index (less food) in January was still 2.7 per cent below where it had been in December 1997 and was also no higher than in August 2002. Yet price levels as well as changes in price levels matter, since a long period of falling prices has increased the real burden of debt. Moreover, over the last two years the average rate of growth of broad money has been under 2 per cent. This hardly suggests monetary conditions have been too easy. The withdrawal of excess liquidity may shrink the money supply or at least slow its growth. That hardly seems wise after so long a period of deflation.

 一つは、日本のデフレは辛うじて終わった、つまり、ぶっちゃけ終わってないよ、ということ。違う? 私にはごく当たり前の現状認識だと思えるけど。
 二つめは、通貨供給量増加という点ではまだまだ弱々~、ということ。なので、過剰流動性が抑制されると通貨供給量増加もなくなる。"That hardly seems wise"というのは、馬鹿みたいじゃん、ということ。締めはこう。

The Bank of Japan has now taken a step towards the orthodox and is taking a risk in doing so. Let us hope that it will not, as a result, damage the recovery now under way.

 最後の一文はうっとりするような英文だな。シェークスピア演劇みたいだ。でも、この英国風の言い回しを普通の日本語にすると、馬鹿みたいな量的緩和政策の解除はヤメレってばさ、となるのではないか。
 とはいえ、事実上、短兵急な動きはないので、どうということでもない。ロイター”日銀の量的緩和解除に対し、市場は予想通り冷静な反応=IMF高官”(参照)はこう伝えている。

国際通貨基金(IMF)高官は13日、日本銀行による量的緩和政策の解除について、金融市場はこれを冷静に受け止めたとの見方を示した。

 つまり、やっぱり、とりあえず、どうってことはないのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (1)

2006.03.14

あの時代、サリン事件の頃

 地下鉄サリン事件が起きた一九九五年三月二十日、私は東京に居なかった。沖縄の海辺で無意味に暮らしながら、かつで自分がよく乗った地下鉄のことを思い出していた。その一年前なら、私は殺されていたかもしれないとも思った。一九五七年生まれの私は、一九九四年、三十七歳だった。私より一回り年下の一九六九年生まれの人なら、あの時、二十五歳だっただろう。そしてその人は今年三十七歳になるのだろう。
 沖縄に持って行った本はごく僅かだった。本など読みたくもない時期だった。例外は「沖縄キーワードコラムブック」。この本にはあの頃の沖縄の現在が感じられた。初版は一九八九年、沖縄出版より。翌年続巻が出た。編集のまぶい組が後のボーダーインクになったかと記憶しているが違っているだろうか。ボーダーインクのワンダーはそれから購読していたが、昨年末に終刊した。先日バックナンバーフェアが開催されていたと聞いた。琉球新報”「ワンダー」が終刊 バックナンバーフェア開催”(参照)より。


足かけ16年にわたり編集長を務めた新城和博さんは、終刊について「これまで沖縄ブームを横目でにらみつつ、一つのサイクルが終わったかな、という感じ」と語った。
 フェアでは、同誌のバックナンバーをはじめ執筆者ら関係した人の著書を販売、表紙を手掛けてきた大城ゆかさんのイラストも展示されている。

 私も一つのサイクルが終わったのだと思う。大城ゆかのイラストも好きだし、「山原バンバン」(参照)は愛読書だ。いろいろ思いが去来するが、今でも、と言ってもいいだろう。ところで、なんで「山原バンバン」かって? 教えないよ。
cover
美麗島まで
 「沖縄キーワードコラムブック」のコラムニストのなかで、その名前をどうしても覚えてしまったのが与那原恵だった。「美麗島まで」(参照)の奥付で確認してみたが、やはり「よならはらけい」と読む。その読みの齟齬のような話も「沖縄キーワードコラムブック」には書かれていた。
 彼女は一九五八年、東京生まれ。私と同級生か一学年下か、いずれ東京で同じ時代の風景を見てきた。彼女はあの頃(今でもだろうが)頻繁に沖縄を訪れ、しかし東京に戻っていたことだろう。
 彼女のエッセイで忘れられないのは、当初「宝島30」に掲載された「フェミニズムは何も答えてくれなかった―オウムの女性信者たち」だ。これはその後、「物語の海、揺れる島」(参照)に収録された。書架にあるはずだと探したが、見つからない。貴重な写真が掲載されている本でもあるので、もう一冊購入するか。
 元の文章に当たることができないので記憶に頼るのだが、「フェミニズムは何も答えてくれなかった―オウムの女性信者たち」はまさに標題通りのルポだった。年代的には、与那原のように三十半ばから二十代半ばまでの女性たちが、ある何かをフェミニズムに求めたがそこから答えが得られずに、オウム信者となったというものだった。もちろん、私の記憶違いもあって重要なディテールを取り違えているかもしれない。が、私はそれを雑誌で読み、エッセイ集で読みながら、そうなのだろうと思っていた。フェミニズムに答えがなかった、というある感触はよくわかった。フェミニズムはここではもっと広義にしてもいい。
 もちろん、私は男で、女性の二十代後半からの生き様が抱え込む問題というのはわからない。だが、そう言っておきながら矛盾するが、わかるという感触は持っていた。現在、非モテとして若い男性が議論しているテーマのいくばくかはあの時代のフェミニズムへの希求に似ているのではないかと思うが、そういえば反論されるのでしょうね。
cover
笑う出産
やっぱり産むのは
おもしろい
 オウムに答えを求めたその年代の女性たちはその後どうしたか? わからない。たぶん、答えはさらになかったのだろうと思う。そして、その喪失の始まりは、やはり一九九四年頃のある時代の空気として覆っていたとように感じられる。書籍で象徴するなら、まついなつきの「笑う出産―やっぱり産むのはおもしろい」(参照)が出たのが、一九九四年。ベネッセが「たまひよ」を出したのはその前年の一九九三年。失われるはずの十年の明るいといえば明るい前哨戦のようでもあった。アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。
 そして十年が過ぎた。「わたしたち」はどこに行ったか。もっとも、そのレンジは、現在の三十五歳から四十五歳というあたりとぼける。世代論的な区切りというより、あの何かを求めた空気を背負った部分だ。
 私についていえば、ブログなんてもので饒舌に語り出した。しかし、言葉にもならない薄闇のような思いはある。そして、しだいに語りづらくなりつつもある。

| | コメント (30) | トラックバック (3)

2006.03.13

ユダヤ人

 それほど多いわけではないが、昔幾人かユダヤ人の知り合いがいた。ユダヤ人といっても、イスラエル国籍ではなく米人であったり英国人であったりする。名前からベン・バーナンキのようにベタにわかる名前もあるが、米人なら普通にわかっても日本人にはわからないユダヤ人名もある。
 なぜ彼らがユダヤ人であると知ったかというと、二つの契機がある。他の人が、彼はね、彼女はね、となんとなく伝えてくれるのである。そんなこと伝えてもらってもねみたいだが、うまくいえないのだが、その、なんというか奇妙に絶妙に軽くふっと伝えるのである。伝えられてどうかというと、よくわからない。そういえば、ユダヤ教会(日赤の裏)でよくいろんな会合とか企画があったのだけど、なぜそこかって考えてみたらわかるよな。でも、当時私はよくわかってなかった。
 もう一つは、僕はあたしはユダヤ人なんだというふうに打ち明けられる場合。これにも二つある。何かの話題で、そうそうユダヤ人はこうやるんだ、そうそう、僕は、あたしは、ユダヤ人なんだ、という感じ。やー、ハッピーハヌカー、この巻きずしはコシャーだよ。
 そして、心に残るのは、そっと打ち明けられた場合だ。記憶のディテールは書かないが、ある男性だったが、そう自身から伝えてくれた。私のリアクションは今思うと滑稽なのだが、ユダヤ教を信じているのか?といったものだった。どう見ても彼は無神論者にしか見えないし、コシャーを食っているふうではなかった。自分が信仰とかで自己規定しないなら、国籍的も米国人なら、ユダヤ人であるかどうかということはあまり意味がないのではないか……とそんなことを思っていた。
 彼の答えは簡単だった。母がユダヤ人だったから。言われて、なんて私は馬鹿なんだと自分を呪い沈黙したことを思い出す。
 そうだった。母親がユダヤ人だと子どもはユダヤ人ということになる。それはどういうことなのか、と考える以前に、重たい歴史のようなものを感じた。ユダヤ人であることは、母と子の関係の歴史でもあるのだろう。
 うまく言えないのだが、彼は母親が好きでなかったようだ。それがユダヤ人であることに関係するのかどうかはわからない。いや、こういう問題は、知的にわからないと言ってすますにわけにはいかない何かがある。
 ユダヤ人の歴史がすべて母と子の歴史というものでもないだろうが、それが実際の西洋史にどのような陰影を残すのか、時折考える。
 マデレーン・オルブライト(参照)についてウィッキペディアを覗いてみる。


チェコスロバキアのプラハ生まれ。出自的にはユダヤ系であるが、本人は成人するまでその出自を知らなかった(ローマ・カトリック教徒として育ったため、ユダヤ人ではない)。 第二次世界大戦中は、ユーゴスラビアに避難し、ナチスの人種理論によるホロコーストを免れた。戦後チェコスロヴァキアが共産化したため、1950年、米国に移住。ジョンズ・ホプキンス大学やコロンビア大学で学ぶ。

 間違った記述とは言えないだろう。「ローマ・カトリック教徒として育ったため、ユダヤ人ではない」も正しいのだろう。しかし、とここで、ある何かがまた心を去来する。彼女がその出自を知ったのはまさに彼女が公務にあった時期であり、いろいろと彼女の思いを巡る文章を私も読んだことがある。
 英語のほうには少し陰影がある。

In 1996, Albright discovered that her grandparents had been murdered at Auschwitz and Terezin. Albright has stated that she did not know she was Jewish until she was an adult.

 成人してから、自分がどの人種かを知るということがある。そこでいう人種とは歴史でもあり、まさに肉親を巻き込んだ質感と重みのある歴史だ。こうした側面の問題については日本にも関わりがあるし、私も実際に知人との関係で考え込んだことがある。
 人というのは歴史的存在である。そして、その歴史的存在であるという限定は常にある思弁とそれゆえの正義を希求しがちだ。しかし、歴史の質感というものは、そうした思弁に抗う何かをもっている。オルブライトはカトリック教徒だろう。だから、ユダヤ人ではないというのは間違いではない。彼女の思いがそれで割り切れるわけではないことを知るには、人は実際に多様な人に出会って、その関係性の距離において、その人が担ってきた歴史の質感を知らなくてはならないのだろうと思う。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2006.03.12

英国人デビッド・アービングがオーストリアで逮捕

 旧聞になる。二月二十日、オーストリア、ウィーンの裁判所は、英国の歴史家デビッド・アービングに禁固三年の有罪判決を言い渡した。罪状はナチスによるホロコーストを否定したことだ。オーストリアやドイツではホロコースト否定が法律で禁じられている。なぜ英国人がオーストリアで裁判という疑問もあるだろう。当然ながら、「極東ブログ: エルンスト・ツンデルはカナダからドイツに”送還”」(参照)も連想されるし、同じことはイランのアハマディネジャド大統領に当てはまらないのか、ちとタメっぽいが疑問も浮かぶ。
 今回の逮捕については、共同”ホロコースト否定の英歴史家に禁固刑 オーストリア”(参照)よれば待ちかまえていたかのような印象を受ける。


 同国司法当局は1989年、アービング被告がオーストリア国内での講演などで「アウシュビッツにガス室は存在しなかった」などと述べたとして、逮捕状を出した。アービング被告は昨年11月に講演のため同国を訪れた際に逮捕された。

 十五年以上も前の逮捕状だったわけだが、アービングは忘れていたのだろうか。報道されている逮捕時の彼の言い分は興味深い。ちなみに、一九九二年のドイツで彼は同罪で罰金刑を受けたことがある。

 同被告は法廷で罪状を認め、過去のホロコースト否定は誤りだったとして「後悔している」と表明。判決に対しては「ショックだ」と述べ、控訴する意向を示した。

 共同のお話で読んでいると、捕まっちゃったからごめんね、ボクちんほっぺをペチみたいに見えるが、実際はそうではない。ブログでは「セカンド・カップ」”思考を裁く”(参照)がこの問題の難所をよくとらえていた。

 話を整理すると、アービングという英国人がオーストリアで裁かれているのは、オーストリアにおけるホロコースト否定が問題だったからで、これは過去の一時点でのアービングの見解により、その一時点とは1989年、と。
 で、その後アービングはこれを否定して、俺は間違ってた、いろいろ知ろうとするといろんな文書が出てきて、自分は間違ってたってことはあるわけですよ、と言っている、と。


 間違ってましたと言ったところで、過去の「罪」は消えない、そしてその「罪」とはまったくの言論であり思考だ、という点がさらに強化されたといえるだろうと思う。

 この問題が日本でどう受け止められたかについては、ちょっと書く気力がわかない。ただ、同じく「セカンド・カップ」”余波はきっと続く”(参照)に引用されているGlobe and Mail紙の見解は参考になる。同ブログのパラフレーズを借りる。

「ホロコースト」は近代史の中で最も文書で立証されているケースの一つなんだから、アービングの世界観を覆すのは難しいことではない、獄に繋げるのは間違ってる、と締めている。

 とりあえずはそう言えるはずではある。しかし……と嘆息する部分はある。
 ニューズウィーク日本版3・8「ホロコースト否定を否定する不自由」ではこの問題について、米国エモリー大学デボラ・リップスタット教授が興味深い見解を述べていた。彼は、アービングを「ヒトラーの同志」呼んだことでアービングから名誉棄損で訴えられたことがある。今回の逮捕について彼はこう述べている。

 だが私は、祝杯をあげる気などなれない。言論の自由が狭められてしまうのが嫌なのだ。


 私はアービングに訴えられたとき、憎悪あふれる彼の発言に誠実さで対抗した。彼の言い分がすべてナンセンスであることを法廷で立証した。私の圧倒的な勝訴は、彼のホロコースト否定論者にも壊滅的な打撃を及ぼした。公の場で堂々と、彼らの論理を破綻させたからだ。
 もしイギリスにホロコーストを否定する発言を一刀両断にする法律があったら、否定論者がでたらめであることを暴く機会はなかったかもしれない。

 私もデボラ・リップスタット教授に同意する。と同時に、日本における別の風土を懸念する。同種の問題では、歴史の事実が問われず、イデオロギー的な審級に移行され、そしてイデオロギー対立から、「人間のクズだ」「人としてどうよ」としてそのままバッシングする傾向がある。繰り返す、歴史の事実が問われずにだ。
 この問題にはもう一つの側面がある。レイシズムの問題だ。彼はこうも加える。

 法で規制するより、事実と調査を突きつけて嘘つきや人種差別主義者を追い込むべきだ。

 人種差別主義に基づく主張は、その対象の差異はありつつも、ネットの興隆とともに日本でもよく見かけるようになってきた。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2006.03.11

ラオホの実験

 最近の科学の話題ということでもないが、量子力学パラドックス関連の実験で私が時たま考えることのメモの関連をちょっと書いておく。本当は、ラオホ(Helmut Rauch)(参照)自身の論文にあたるべきなのだろう。が、ここでの話は「「量子力学の反乱」―自然は実在するか?(最新科学論選書)」(参照)の孫引きですよ。なお、基本的な話はネット・リソースとしては「アインシュタインの科学と生涯」(参照)によくまとまっているように思えた。
 ラオホの実験については後で触れるとして、話のテーマは、シュレディンガー方程式における波束の収束はどのように起きるか(という命題が哲学的にナンセンスな可能性はあるにせよ)、ということ。いわゆる観測問題もちょっと関係している。


 さて、ボーアの考えでは、観測の際にミクロの対象はマクロの装置と相互作用したとたんに制御不能な攪乱を受け、瞬間的にフォン・ノイマンが言ったような波束の収縮が起こるとしていた。しかし、前章で述べたように測定過程に量子力学を忠実に適用してみると、波束の収縮はミクロの感覚で言えば非常に長い時間をかけて起こることがわかった。だとすれば、干渉可能な純粋状態から測定後の干渉のない混合状態への移行は、この中間状態を通ることになる。この中間状態では、測定の必要条件である検出は途中まで行われ、干渉も残っているだろう。いわば”半検出・半干渉”の状態である。このときに粒子を見ようとすれば、”半粒子・半波”の状態であろう。ここで、”半”というのはもちろん1でも0でもないという意味で、その中間のどの値でもよい。このことは、測定装置を決めれば(つまり何を見るかを決めれば)、対象は波か粒子かどちらかとしてしか観測されないという相補性の議論に反する。

 いわゆるシュレディンガーの猫パラドックス的にいうと、半死半生状態がわかるというのものだ。
 ラオホ実験、その一。

 ラオホは中性子が波動関数で表される波の性質を持つとしたら、その干渉作用を次のような実験で確かめられると考えた。装置に1本の中性子線を入射し、これをいったん2つに分け、ふたたび合流させる。この合流点に検出装置を置いておく。2つの経路を対称的配置にすると、両方の通路を通ってやってきた波(波動関数)は検出装置で山と山、谷と谷が重なって強め合う。だが、もし片方の通路を通ってくる波の来方だけをずらせば、合流したときの重なりが違ってくるだろう。

 この前提で装置を作成し、各種の干渉を見た。
 で、なにわかったか。

 また、ラオホの実験では中性子線の粒子密度を非常に低くして、中性子が入射してから検出されるまでの間に実験系に存在する中性子の数は平均0.003個となっていた。ということは、観測される干渉は、1個の中性子がそれ自身との間で起こす干渉といっていい。それは1個の中性子が波として空間に広がり、両方の通路を同時に”通る”ことによってできたものである。

 ほぉ。
 町田はこう説明する。

 この実験における位相器の振る舞いは、「ミクロの対象がマクロの装置と相互作用すると、その瞬間に制御不能な攪乱を受ける」というボーアの学説に反している。前章で述べたわれわれ(筆者と並木)の観測理論でいえば、位相器の振る舞いは、検出過程がミクロ的には非常に長い時間をかけて起こっている場合に対応する。

 町田的には、波動関数の収束がゆっくり起きているのだと言う(んなの当たり前とか言われそうだが)。ちなみに、町田・並木理論についてのページもあった(参照)が、上位のページにいくとなんか奇妙。
 ラオホ実験、その二。

 次にラオホのもう1つの実験に移ろう。装置は前と同じだが、中性子を入射するやり方が違う。今度は中性子がポンポンとかたまりになって入ってくるようにする。それも1つのかたまりがちょうど1個の中性子が”粒子”的に空間の狭い領域内にあるような状態にする。
 (中略)量子力学に従うと、このかたまりは空間に広がった一定波長の波が重なったものである。そのいろいろの波長の波を自由に取り出せるはずである。そこでラオホは、干渉を見る検出装置の手前に波長分析器を置き、特定の波長だけが検出装置に行けるようにした。それは量子力学によれば”粒子”的なかたまりのずっと外まで広がっていなくてはならない。

 で、どうなったか。

位相器の厚さを”粒子”的なかたまりの干渉が見えなくなる厚さの数倍にしても、検出装置は干渉をとらえたのである。

 どういうこと?

 このことは、中性子のように電子の2000倍の質量をもち、陽子とともにわれわれのまわりのすべての物質の重さを担っている重い粒子でも、量子力学が予言するとおりの波的性質をもっていることを示した。そして、普通の実験で粒子的にかたまって見えたとしても、本当は波動関数が示す通り空間に広がった”存在”であることを明らかにした。

 で、どこまでそれが広がっているのか?

 ラオホの実験は室内で行われたが、広がりの大きさを制約するものは原理的には何もない。ホイーラーの宇宙規模の遅延選択実験でもこれを利用して、非常に狭い幅の波長だけを選んで観測することにすれば、1個の光子の空間的な広がりはいくらでも大きくすることができる。片方の光を光ファイバーで貯めておく以外に、この手段も併用すれば、干渉を観測できる可能性はさらに大きくなるわけである。ただし、波長の幅を狭くすればそれだけ光の強度が弱くなるから、その点では観測の困難が増すことになるだろう。
 こうしてみると、「1個の粒子の広がり」という言葉も、簡単ではないことがわかる。たとえば、1個の電子を考えるとすると、それは一定の質量、電荷、スピンをなどをもっている。その場合の1個というのは、質量や電荷などが1個分の値をもつという意味でははっきりしている。ところが、同じ1個の電子の空間的な広がりに注目すると、それはもっと複雑な意味を持っている。われわれが粒子の広がっている空間でそれを観測すると、粒子はある確率で見いだされる。その確率は波動関数の2乗だから粒子の広がりは波動関数の広がりで決まることになる。

 つまり宇宙の果てまで? そうらしい。なお、図18aは釣り鐘形のグラフ。

 1個のミクロの粒子は、すべての波長でまとめてみれば図18aのように局在していても、ある波長幅だけで見ればその広がりはずっと大きくなる。そして、波長を1つの数値に限定すると、その波は空間全体に、宇宙のすみずみまで一様に広がってしまう。このような無限の空間全体に広がったものが”1個の粒子”だとするのは、常識ではとうてい受け入れがたいことかもしれない。しかし、量子力学によればまさにそうなっているのであり、ラオホはそれが正しいことを実証してみせたのである。

 ちなみに、この不可分な性質を、私はEPRパラドックスやベル不等式の破れと同じ文脈で理解していたが、ときたまそういうことを書くと、違う、おまえは全然わかっとらんとかコメントをいただく。
 残念ががら、なにがどうわかっとらんのか今に至るまで納得できない。ただ、ラオホ実験のこの量子のビヘイビアというのは面白いものだなと思う。
 とりあえずそれ以上はない。昔は、存在とはなにかということで量子力学やら数学基礎論(自然数は実在するかとか)やらに関心を持った。歳とともにあまり関心はなくなりつつある。
 ネットを眺めていたら「量子測定と記録 遠藤 隆 はじめに」(参照PDF)というエッセイがあり、こう書いてあった。

 量子力学において記録という過程を考慮することが重要であることがわかった.これによって,状態収縮という量子力学の基本原理と矛盾する過程を導入しなくても済むようになる.ただし,このことは状態収縮が起きていないことの証明にはならない.しかし逆に言えば状態収縮が起きていることを観測によって示すことも不可能なのである.なぜなら状態収縮を検知する装置があるなら,その装置は,検知しなかったことによって収縮が起きていないこと,すなわち重畳状態が生じていることを表示することが可能であるが,重畳状態を検知する測定装置が存在しないことは証明されている.したがって収縮を検知する測定装置も存在しない.
 ではなぜ我々の認識は外部世界が収縮していると感じるのであろうか.その理由はわからない.ただ言えることは,外部世界が重畳状態にあっても,我々はそのことを知り得ないということである.これは,人間の認識が常に認識の認識を伴うことと関係があるのかもしれない.観測に伴う記録を常に再読しつつ観測を行うために重畳状態であることが認識できないのではないだろうか.

 この件については、自分なりにというか大森荘蔵的に思うことがあるが、それはまたなにかの機会でもあれば。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006.03.10

ココログ頓死記念にブログ論という与太話

 それほど理由を知りたいと思うわけでもないのだが、ココログが昨日からずっと死んでいた。昨日はエントリのアップもできなかった。なので、病欠というわけでもないが、極東ブログはまたしても欠を作った。
 私事だが先日過労で倒れて、ブログ千日回峰行もついに頓挫した。ブログ阿闍梨にはなれないものだった。千日回峰行を二度成した酒井阿闍梨が以前回峰行には必ず難所が来ると言っていたし、覚悟はしていたが、覚悟が足りなかった。阿闍梨の決意には遠く及ばない。彼らは難所を乗り切る決意のためにスイス・アーミー・ナイフを携帯しているらしいし、そういえば、相撲の行司もそうだったが、たしかこちらはゾルリンゲンだったと記憶している。
 ‥‥そんなワケで、私なんぞ一度ブログ行はだめかなと躓いていたので、昨日のココログの頓死も、しかたないかぁ、神も大石先生もサイコロを振るか、くらいの呑気な気持ちでいた。特にエントリのネタものない。といえば、今日もエントリのネタはない。二十年近いニフティのつきあいや、ヘビーユーザーの一人としてココログの悪口をたーんと書いてやろうとも思ったが、大人げない。なにごとも仏業の妨げとなるようなことは洒落であっても慎むべしであろう。
 とはいうもののブログの話でも。

cover
ネットは新聞を殺すのか
変貌するマスメディア
 今週の日本版ニューズウィークのカバーストーリーを見ると「ブログは新聞を殺すのか」とある。ほぉ、湯川さんですか、と思って読むのだが、湯川さんのインタビューはない。「ネット」と「ブログ」の違いはあれ、なんか仁義にもとるなという感じするがそのけっこうどうでもいい感こそ日本版ニューズウィーク編集者の見識なのだろう。釣りはこう。

ネットの急速な進化が名門NYタイムズをも存亡の危機に。
激動の最前線アメリカからニュースメディアの未来を総力リポート

 スポイラーっぽい言い方をするのだが、これって「激動の最前線アメリカ」ということで、このお冠から日高義樹とか落合信彦とか田中宇とかとか出てきそうなへなへな感がどーんだが、どうも米版のオリジナル記事はないようだ。日本版の特集なのだろうか。読んでみると、なんか変なパロディ文章のような印象もある。英題は、Will Blogs Stops the Presses? とあり、これもちょっと変な感じもする。
 関連記事が三本ある。「紙のニュースが燃え尽きる日」(Turbulent Times)、「市民メディアの夜明けが来る」(Power of the People)、「フリーペーパーは脅威か」(How Much Is "Freee"?)。人にもよるのでしょうが、どれも私にはピンとこなかった。標題から予想のつく以外の話もない。
 なんだろこのボケ感は。米国と日本が違い過ぎるし、その違いがまるで考慮されていないからではないかと思う。日本の新聞というのは、紙面を計測してみるとわかるけど、半分は広告である。チラシ広告を折り込むための大きな広告と言っていい。日本の新聞は戸配の広告媒体である。
 そして、紙面的には残りの半分の半分にニュースがあり、その残りが特集とか書評みたいなもの。後者の部分はブログでも足りる。が、NYTなんかではコラムニスト部分が有料になっているように、ゼニの取れるコラムの書ける人は限られている。
 前者がいわゆるジャーナリズムというべきかもしれない。ここは一次情報が問われる。ニューズウィーク日本版でもそこがいかに大切かということで、新聞がなくなればブロガーはイラクに特派員を出すのかというタメの疑問のようなものを出している。
 この手の一次情報についての議論は、最近はあまり見かけなくなったがブログで以前ちょいと話題になった。つまり、新聞は一次情報を扱うけどブログは二次的だというのだ。しかしねぇ。その一次情報たるも半分は記者クラブ・クローズのお上垂れ流しが大半。それに産経新聞と共同通信がいい例だけど、一次情報については通信社があればいいわけで、つまりは一次情報っていうのも新聞というくくりではそれほどどうというものでもない。ついでに言うと日本の新聞の外信ってけっこう海外紙のベタなコピペだったりする。
 と、書いていて退屈になるように、ブログか新聞かというフレームはどうでもいいよになりつつある。実際のところ、日本の場合は、新聞は戸配というインフラがある限り続く。新聞は戸に収納された高齢者向けのメディアということだ。すでに若い世代は新聞を読んでいない。高齢者はけっこう長生きするので、案外このフレームはあと二十年くらいもつのだろうけど、そして瓦解して終わる。というか、新聞が高齢者メディアに変質して、どうでもいいよ感のなかで黄昏を迎えるのだろう。
 問われるべきことがあるとすれば、若い人とジャーナリズムの関係だろう。これは基本的には、無料メディアに収斂していくだろうし、エンタテイメントに収斂していくだろう。ガセでもネタならいいじゃん的な。亀甲おもすれーとか。
 もちろん、そんなのがいいわけはない。本当は誰もが、ジャーナリズムがあるべきような真実の報道を欲しているはずだ、というか、そういうものがないと高度に情報化した社会はうまく機能しない。
 現状ではその、本当って何何何?という部分が、高度なクチコミ化している。ミクシって百万人以上いるのだっけ。いずれにせよ、そういう高度なクチコミのなかで、あいつが言っていたし、あいつも言っていたし、だから、ポーションの青色一号は発癌性があるんだって、ふーんみたいな。
 ホッブズの言う、万人の万人に対する闘争状態という自然状態ではないが、ネットの世界は万人の万人に対するフカシ状態という自然状態になるのだろう。
 そこで真理に対する審級性にコストが払われるかどうかが社会に問われるのだろうが、どうなっていくのかよくわからない。真理に対する責任のコストのようなものが経済活動のなかで欲せられるのか。いわゆるメディア論的にはそのあたりはだめぴょんということで公共放送の有意義性というのが出てきたのではなかったか。議論が巡回する。
 ブログ論とか考えるだけ無駄と思ってあまりこの手の話はする気はないが、考えてみると、若い人たちがどう社会に向うかというところで基礎的に信頼性の高い情報がどう提供されるのか、とても気がかりにはなる。

| | コメント (3) | トラックバック (3)

2006.03.08

ベラルーシ大統領選挙とシャラポワの話

 ベラルーシの大統領選挙が三月十九日行われる。ルカシェンコ大統領の二期満了に伴うものだ。次は誰か、と言ってみる。ベラルーシの憲法では以前は大統領三選を禁じていた。が、二〇〇四年に三選を可能にする憲法改正の是非を問う国民投票を実施し、賛成多数で承認。なので言うまでもなく、ルカシェンコはまた選挙に出る。出て当選するのかというと、現状ではほぼ間違いない。ということなのでそれほど話題にもならない。
 昨年の一月時点では「極東ブログ: お次はジンバブエとベラルーシかな」(参照)でも少し触れたが、まだ米国の言挙げもあり、つけ込むのかなという雰囲気もあったが、現時点ではもう話題にならない。ロシア近隣国の民主化ドミノが終了し、米国ももう乗り気とも見えない。
 いわゆる西洋型民主主義ということでは問題は多い。最近では二日付け朝日新聞”大統領選目前のベラルーシ、野党系候補の身柄拘束”(参照)に外信があった。


 大統領選の投開票を19日に控えた旧ソ連ベラルーシの首都ミンスクで2日、野党系候補のカズリン前ベラルーシ国立大学長が治安機関に身柄を拘束された。ルカシェンコ大統領の強権的な政治手法への懸念が高まる中、対立候補の逮捕という異例の事態となったことで、国際的な批判が高まることは避けられない状況だ。

 紋切り、テンプレという記事だが、その後、それほどには「国際的な批判が高まることは避けられない状況」とも見えない。
 しかし、国民はその非民主的な状況に反対しているかというと、政府側の各種の弾圧があるのを差し引いてみてもそれほどでもないようだ。「極東ブログ: ロシアとウクライナ天然ガス問題」(参照)でも触れたが、ウクライナのどたばたを見て、ああなりたくないと国民は考えているようでもあり(天然ガスも安価にロシアから供給されている)、なにより失業率は一パーセントというのも、え?みたいな状況だ。もちろんその数値への疑念はあってしかるべきだろうが、実態もそれほどかけ離れたものでもないようだ。
cover
マリア・
シャラポワ写真集first
 ……ってなエントリを書いたのは今朝のラジオでベラルーシの大統領選挙の話があって、そうだったなと思い出したからでもある。ラジオでは、前振りにロシアのテニス選手シャラポワの話があり、それによると、彼女の母親はベラルーシ人でチェルノブイリ原発事故が原因で旧ソ連時代のソ連に移住した。もしあの事故がなければシャラポワはベラルーシ人だったかもしれないというのだ。
 私はテニスにまったくといってほど関心がないが(ゼロではないのは理由があるが)、この話は以前からちょっと気がかりだったので、調べてみた。
 まず、ウィッキペディアだが、チェルノブイリ原発事故の関連の記述はない(参照)。なんでロシア人なのかもよくわかんない記述になっている。

 両親はベラルーシ・ゴメリの出身。4歳の時からテニスを始める。6歳の頃マルチナ・ナブラチロワに才能を見い出され、7歳の頃父親とともに渡米した。

 英語のほうには説明がある(参照)。

Her parents are originally from Homiel, Belarus, but moved to Russia in 1986 in the aftermath of the Chernobyl nuclear accident. Sharapova was born in Nyagan, Russia, the following year. While having Belorussian roots and residing in the USA, Sharapova holds Russian citizenship.

 ちょっと補足的にまとめてみる。
 来年で二十周年になるがチェルノブイリ原発事故がウクライナで起きたのが一九八六年四月二十六日。影響はベラルーシにも及ぶ。
 翌年四月十九日、シャラポワはソ連下のニャーガニ市(ハンティ・マンシ自治管区)で生まれる(参照)。ということは、両親がニャーガニ市に移住してからの妊娠ということなのだろう。
 両親が原発事故以前にいたのは、ベラルーシのゴメリ(ホメリ)市(参照)ということで、この時点ですでに両親は結婚していたのだろうか。たぶんそうなのだろう。ゴメリ市はウィッキペディアにもあるようにチェルノブイリ原発の影響を受けた。

ウクライナの国境付近にあり、チェルノブイリ原子力発電所に程近いソジ川 Soz の右岸に位置する。ホメリ市庁舎の位置は北緯52度44分16.70秒、東経30度98分33.30秒。1986年4月26日のチェルノブイリ原子力発電所の事故で大きな被害を被った。

 地図のほうがわかりやすかもしれない。ベラルーシ共和国情報サイト「ゴメリ州」(参照)に地図がある。また次の記載があった。

ゴメリ州はチェルノブイリ原発事故の影響を最も受けた場所でゴメリ、モギリフ、ブレスト州で16万人以上の住民が避難した。

 シャポア父母はその十六万人に含まれていたのだろう。
 その後なのだが、英語ウィッキペディアにはこうある。

At the age of three, Sharapova moved with her family to the resort town of Sochi, beginning to play tennis at the age of four, using a racquet given to her by Yevgeny Kafelnikov's father. At age five or six, at a tennis clinic in Moscow, Sharapova was spotted by Martina Navratilova, who urged her parents to get her serious coaching in the United States.

 シャラポワ嬢三歳のとき、リゾート地、ソチ市(参照)にさらに移住。ウィッキペディアのこっちにはシャラポワの記載がある。

スポーツ設備も充実しており、ソチのテニス・スクールはマリア・シャラポワやエフゲニー・カフェルニコフらを育てた。ロシアサッカー連盟もソチに年間を通じて利用できるナショナルチームの練習施設を建設することを発表した。ソチは2014年冬季オリンピックの開催都市に立候補している。

 ふーんという感じだが、なぜシャラポワ一家がリゾート地に移住したのかはよくわからない。案外三歳くらいで、この子はいつか四回転ジャンプをしますよとか期待をもたれていたのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006.03.07

農村問題鋭意尽力中全人代はまだ半ば

 第十期全国人民代表大会(全人代)は十四日まで続くので現在途中というところ。だが、農村問題が主要課題となっていることはすでに明白であり、このあたりでメモをしておいてもいいかもしれないという気になる。
 朝日新聞は昨日の社説”中国全人代 農民も病院に行きたい”(参照)でその標題からもわかるがパセティックに飛ばしていた。


 伸び盛りの中国。外見は元気はつらつだが、体内に多くの不安を抱える。思い切った手術を必要としているのが、農民、農業問題である。
 農民が一昨年、手にした現金は平均で800余元だった。日本円で1万数千円でしかない。一方、大学生1人には4年間で3万元以上もかかる。農民の30~40年分の年収にあたる。
 これで農民が子供を大学にやれようか。義務教育の小中学校さえ重荷だ。

 うぅぅ貧乏は惨めじゃという口上でもあるのだが、よく読め。「義務教育の小中学校さえ重荷だ」って何? いやね、義務教育は無料じゃないってことだ。朝日新聞もこの先で「すでに農産物にかかる税の減免がはかられてきたが、義務教育費の免除や医療システムづくりも進められる」とか触れているけど、今回の全人代でようやく「義務教育費の無料化」が打ち出せた。日本みたいにdisguised communismな世界ではないのだ、中国は。

 人口約13億人の中国で、戸籍の上では9億4千万が農民に数えられる。出稼ぎも増えたが、7億5千万は農村で暮らす。膨大な人々が発展から取り残され、都市住民との収入や生活水準の差は開くばかりだ。

 農民が出稼ぎもできない貧しさか、つらそうだ……おっと待ったぁ、ちょっと違う。中国では生まれたときから農村籍か都市籍かに分かれていて選択の余地はない。それは欧米でいう人権問題状態。日本でいうとなんだかよくわからないが。Welcome To 農村というサイト(参照)「大連の農村」の、これは写真のキャプションということで洒落も入っているのだけど……。

 好きでここに生まれたわけではない、何がどうなったのか僕は農村に生まれてしまったのだ。農村籍が付いてしまった以上都市では住めないのだ。一生百姓をやるしかないのだろうか?。
 都市で生まれた人は都市籍、農村で生まれた人は農村籍と決まってしまって都市籍の人は農村に住めるのに農村籍の人は都市には住めない。大連市籍を買うのに10万元以上掛かるそうだ。一生掛かってもそんな大金見る事も出来ない。

 とはいえ昨今多少籍の問題は緩和もある。なにより、実際の問題として、都市が農村籍の安賃金の労働者を必要としていたのでお目こぼし状態だった。
 さらに朝日新聞は……。

 高い医療費が社会全体の問題になっているが、ここでも農民は苦しい。「救急車に乗れば豚1頭がむだになる。入院したら1年の稼ぎがむだになる」。農村ではこんな言葉を耳にする。

 絶妙なフェイント、それは「農村では」だ。正確には「農村でも」。サンケイ・ビジネスi”全人代政府活動報告 農民の生活改善が主眼 医療体制も課題”(参照)より。

 九億の農民のうち、約一億五千万人が余剰労働力となっている。貧しい農村から都市に出稼ぎに流入した「民工」と呼ばれる労働者は最底辺の生活を強いられている。
 改革開放路線で先行発展した沿海部の都市でも低所得層は生活に困窮している。医療費が高額なため、病院に行けない都市住民が大勢いるのは農村と共通した問題だ。

 たしか、「民工」は「盲流」の言い換えだったと記憶する。
 ぼんやり飯食いながら流れてくるNHKのニュースを聞いていたら、二千年続いた農業税が廃止になったといっていた(それって史学的に正しいのかよ)。これは以前からその必要性が言われていた。で、このあたりよくわからないのだが、ではそれまで必要とされていた農業税の部分はどうなるのか。というか、ぶっちゃけ、農業税を誰が必要としてんだうりうりでもある。私の憶測だけど農業税の廃止ではそのうりうりあたりが当面の目的なのではないか。
 産経新聞もここぞと”中国、失地農民4000万人 突然の略奪、揚げ句…犯罪者扱い ”(参照)で悲惨な話をてんこ盛りにしていたが、もうちょっとおなか一杯状態。
 中国様も大変だなぁと思う。軍拡とか宇宙ロケットとかの費用を回したらいいんじゃないか。そういう足がかりが今回の全人代といいのだけど、ま、たぶん、違うでしょ。と言った手前、放言ぽくなるけど、中国人は基本的に政治闘争しかしない人たちだから、これもそういう流れなのではないのか。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2006.03.06

米国財政赤字の実体は知的投資か

 ラジオ深夜便二月二十八日零時台、国際金融アナリスト大井幸子による「ニューヨーク・マーケットリポート」が奇妙に心に残り、それからときおり考えていた。
 最新のリポートとしては住宅市場の軟化ということ、また、アラブ首長国連邦でドバイに本社のあるDP Worldが米国内の六カ所の港湾施設管理を担う是非問題についても触れていた。この話題はこのブログで扱うべきか少しためらったなと思い出す。

cover
魂の求める
仕事をしよう
ニューヨーク発
よいキャリアの築き方
 大井の話はそれからなんといっても米経済は堅調、と続くところで、アナウンサーは財政赤字・貿易赤字問題はどうでしょうと突っ込む。彼女の回答はというと、バーナンキも懸念は示しているもののと切り出し、米経済のこの十年の構造変化に話を転じた。
 ポイントは、米国ではIT革命を経て知識による生産性が高まり、さらなる向上のために、優れた知識産業の人材を得るための教育費・研究費の費用が増えた――二〇〇〇年以来四十二%の伸び――という話は眠気を誘うふーんといったところのなのだが、その先、こうした費用が経費計上になっているが、これを投資として計上すると財政赤字はぐっと減るというのだ。ほんと?
 そういう話はネットにあるのかなと思ったら、ほとんど同じ話が彼女の会社のサイトにあった。”アメリカの底力について Knowledge-based economyの意味”(参照)である。

 財政赤字について、ビジネスウィーク誌は、これまでの政府予算では研究開発や教育活動を経費として計上しているが、これを国の将来への投資として計上すれば赤字はなくなる。米国では国富を産み出す人材にカネが回る仕組みが行き届いている。この点こそ、米国の経済成長を支える基本的な要因であり、米国の利点、底力といえるだろう。

 というわけで、大井自身のオリジナルの話というよりビジネスウィーク誌がネタ元らしい。それは私は読んでない。が、多分本当なのだろう。
 戦後日本のように製造業ベースの産業だと設備投資が経済発展の指標になるわけだが、知識が生産性を決定する社会にあっては、研究費や教育費が投資になるのは当然でもあるし、堺屋太一とかも言ってそう。問題は、そういうオヤジ・ビジネス書的な一般論ではなく、米国財政赤字の実体がそうした知的投資だったのかということだ。別の言い方をすれば、赤字に見えるのは経理上の問題ということか。
 当然、日本はどうだろと思うのだが、よくわからない。なんとなく思うのは、日本の財政は事実上国家コントロールの利く公益産業への投資ということで地域への富の再配分となっているだけではないのかということだ。日本の研究開発費や教育費が将来の知価を高めるためには機能してない気がする。
 話はそれだけで、これを機会にそのあたりちょっと視点を変えて見てみようか、と思った。

| | コメント (6) | トラックバック (1)

2006.03.05

ダルフール危機がチャドに及ぶ

 三日付けUNHCR ニュース速報”チャドとスーダン双方から国境を越える人びとが続出”(参照)で、チャドとスーダンの国境地帯の治安が悪化したことから、その両方向の難民の移動が報告されている。端的に言えば、チャドのダルフール化が進みつつある。この機に、その後のダルフール危機についていくつか気になるところをメモしてみたい。
 二月二十八日共同”ダルフール人道危機、チャドにも拡大 米紙報道”(参照)はニューヨーク・タイムズの孫引きで次のように伝えていた。


 28日付の米紙ニューヨーク・タイムズは、スーダン西部ダルフール地方のアラブ系民兵が隣国チャドに越境し、抵抗する住民を無差別に殺害、少なくとも2万人のチャド人が家を追われ、国内避難民化していると報じた。

 スーダン政府を背景とするジャンジャウィードがチャドに侵入していると見ていいのだろう。
 同記事ではアフリカ連合(AU)軍の限界も伝えている。

ダルフールには7000人規模のアフリカ連合(AU)部隊が展開しているが、資金難のため近く国連に任務を引き継ぐ見通し。国連は1万―2万人規模の新たな大型平和維持活動(PKO)部隊派遣計画の策定に入っている。

 識者は当初からAU軍では問題の解決にほど遠いことを認識してはいたものだが、私も含めてできればAUがこの問題を解決できればという期待を持っていた。もう限界とすべきだろう。
 およそ大規模な虐殺を制止させるにはそれなりの対処が必要になる。個々人の倫理に還元できる問題ではまるではない。
 ダルフール危機については死者数がわからない。日本での報道は私の見た範囲では初期の七万人説があるくらいでその後それ以上の被害であることがわかりつつあるが死者想定数が消えた。「極東ブログ: ダルフール危機報道について最近のメモ」(参照)で触れたように、四十万人という理解が妥当なのだろう。
 共同はニューヨーク・タイムズの孫引きをしていたが、同紙の二月二十二日付けの社説”Beyond Strong Words on Darfur”(参照・有料)では、一瞬これは本当にニューヨーク・タイムズかと疑問に思えるようなブッシュ大統領の支持から切り出されていた。

It's good that President Bush is now talking tougher about the need for more robust military action, including increased support from the NATO alliance, to stop the killing in the Darfur region of Sudan. What would be even better would be a United States commitment to provide specialized reconnaissance and air support for the United Nations force being planned for Darfur later this year.

 ちなみに結語はこう。

It's not America's job to police the world. But Darfur is a special case, which the Bush administration has rightly described as genocide. Mr. Bush has shown that he understands the scope and urgency of Darfur's crisis. The next step is for him to accept the role America needs to play in a timely solution, before thousands more people needlessly die.

 ベースにはAU軍限界の認識がある。それにしても、いわゆるリベラル派からようやくNATO軍もという線が見えてきたことはこの問題の認識の広がりを示すものだろうとも思われるし、EUの状況の変化も大きい。この間、イスラム暴動なども大きなうねりとなってか、フランス、というかシラク大統領は親米的な路線に転換した。
 日本もあまり対岸にいるということもできなくなるのだろう。二日付け共同”米大使、スーダンPKOで日本の部隊派遣に期待”(参照)ではボルトン米国連大使の日本への要望を伝えている。

 ボルトン米国連大使は一日の共同通信との会見で、国連が検討しているスーダン西部ダルフールへの新たな平和維持活動(PKO)部隊派遣について、PKO設置が決まった場合には「日本が(部隊に)参加してくれるなら大歓迎だ」と期待感を示した。

 問題のもう一つの軸はいうまでもなく国連である。改革は迷走しているかのようにも見える。なかでも国連改革の主眼とも言われる人権理事会設立がうまくいかない。今日付の共同”国連人権理、土壇場で難航 議長案に米が“拒否権””(参照)はこう伝える。

理事会設立は昨年9月の国連総会特別首脳会合で合意。現在の国連人権委員会(53カ国)には、政府系民兵による住民虐殺が指摘されるスーダンなどが名を連ね、「完全に破たんしている」(ボルトン米国連大使)との批判が出ている。このため、理事会に格上げし機能強化を図ることになった

 共同は曖昧にしか触れていないが、中国の思惑はある。

中国の王光亜国連大使も「(当面の課題が一段落する)6月末ぐらいまで議論を封印する方向に傾きつつある」と話しており、13日までに打開策が見いだせない場合は設立がずれ込む可能性が高まるとみられる。

 ちなみに同記事の次の結語は呆れて物が言えない。

常任理事国の拒否権を盾に、安全保障理事会を仕切ってきた超大国、米国。今回の動きは「一国一票、拒否権なし」の総会でも、状況次第では米国が事実上の拒否権を行使できる国連の実態を映し出した。

 先のニューヨーク・タイムズ社説の危機認識とあまりに差がありすぎる。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

2006.03.04

滋賀県長浜市幼稚園児刺殺事件について

 やや旧聞になるのだが、二月十七日滋賀県長浜市で起きた幼稚園児刺殺事件について、ニューズウィーク日本版3・8「日本社会 中国人妻が抜いた孤独の刃」を読んでからなんとなく無意識にひっかかることがあった。同記事は、リードが「滋賀県の園児殺害事件で明らかになった日中結婚ビジネスの実態」というように、日中結婚ビジネスに焦点が当てられている。他所でも同事件についてそうした観点で論じられることが多かったようにも思う。
 無意識のひっかかりは、はてなブックマーク経由で読んだ「はてな的、論点ひきこもり」の” 斎藤環「精神医学、世論との距離保て」(参照)でふと意識に浮かんできた。なお、同エントリは、精神科医斎藤環の朝日新聞寄稿を無断転載したものだろうか、よくわからない。なので、あまりここから斎藤環の意見を批判するわけにもいかないが、一読、精神科医の見解とは思えないなというのがあった。端的に言えば、社会批評家斎藤環なんか不要だから、一精神医としてこの事件を語ってほしかった、ということだ。
 ニューズウィークの記事を読み返した。無意識のひっかかりはすぐにわかった。


99年の来日後、しばらく夫の実家に住んでいた鄭の印象について、「ごく普通の笑顔がきれいな人だった」と近所の人は口をそろえる。
 しかしその後、精神的に不安定になり、03年秋から05年秋まで長浜市内の精神病院に通院。04年には4か月間入院していた。

 「精神病院」というタームで私の心はカチっと音をたてた。そういう報道はあったか。また、そういう履歴をもった人が事件を起こしたとき、日本の新聞メディアは実名を出さないはずではなかったか。
 別ソースのニュースを見ると、京都新聞”犯行動機 解明急ぐ 長浜2園児殺害1週間”(参照)ではこうある。

しかし、2003年から通院し、長期入院したこともあった。2年前に夫の実家から今の家に移り、長女が通園を始めた。昨春からは園に長女の様子を頻繁に見に行き、当番以外の日も通園について行った。

 他大手新聞も類似の表現で、精神病院という記載は見あたらなかった。日刊スポーツ”滋賀園児殺害の鄭容疑者、精神鑑定へ”(参照)では「神経内科」とある。

 調べや親族の話によると、鄭容疑者は2000年7月に結婚。03年ごろから感情の起伏が激しくなって、家庭で暴れだすようになり、家族が救急車を呼び病院に連れて行ったこともあった。その後、鄭容疑者は長浜市内の神経内科で診察を受け回復。通院は続けていたが昨年10月から病院に行かなくなった。医師からは2週間に1度、通院するように言われていた。最近も突然怒りだすことが多く、事件前日にはほとんど寝ていない様子だったという。

 私の知識では、精神科と神経内科は異なる。
 おそらく、病院は、広義には精神病院ではあるだろうが、容疑者が通院・長期入院していたのは、精神科ではなく神経内科ではなかったのだろうか。話を端折るが、それは適切な対応ではなかったのではないか。さらに、精神科医斎藤環はこの点を専門家として言及するのが社会的な役割ではなかったか。追記同日:入院先は精神神経科らしいとのコメントをいただいた。
 日刊スポーツの同記事だが、標題のように精神鑑定を問うている。引用が長くなるが重要なのであえて引用したい。

 滋賀県長浜市で幼稚園児2人を刺殺したとして逮捕された鄭永善容疑者(34)について、大津地検は21日までに、精神鑑定を実施する方針を固めた。
 鄭容疑者は「自分の子どもがなじめなかった」と動機を供述。しかし、事実と食い違う点も多く一方的な思い込みとみられる上、精神的に不安定になって家庭内で暴力を振るっていたことも分かり、地検は鑑定で精神状態を詳しく調べる必要があると判断した。
 一方、鄭容疑者が殺害状況を具体的に説明。「このままここにいたら捕まる」と逃走を図ったことから罪の意識もあり、刑事責任は問えるとみている。

 少し粗暴な議論になるのだが、神経内科に通院ということで、精神科ではないことから、ジャーナリズムは実名報道に踏み切り、そしてその社会評論家風な斎藤環のように、事件を社会問題に還元して議論が進められているのだが、私は、これは元来が精神科の領域の問題ではなかったかという疑問に捕らわれつつある。

【追記同日】
 コメントにて以下の情報をいただいた。私の推測だが、この情報は正しいと思う。

> 病院は長浜日赤病院
> http://www.nagahama.jrc.or.jp/
> 精神神経科です。
> http://www.nagahama.jrc.or.jp/sinryouka/seisinka.htm

 容疑者に精神神経科の入院歴があるとすれば、なぜ大手新聞社は実名報道に踏み切り、また精神神経科を明記しなかったのだろうか。あるいは明記されていたのか。

| | コメント (11) | トラックバック (2)

2006.03.03

ぼくちん永田はほっぺをペチっで終わり

 世間的には終わった問題でもあり、私もひとまずの区切りをつけておきたいと思う。疑惑メール問題についてだ。
 永田寿康衆院議員Yet民主党員資格停止中が、武部鉄人28号に深々頭を下げるの図や如何と、昨日十時のNHKニュースを見た。見るんじゃなかったかなという後悔もあるが、こういう風景も世の中にはあるな。ふと脳裏に又吉イエスの厳粛なる言葉が浮かんだが詮無き。オリガミスト永田のさらなる謝罪会見の映像もあったのだが、釈明中、どもったのか口が回らなかったのか、自分の頬を自分の手でペチと叩いた。私は唖然とした。こ、こいつ、お子ちゃまか。五十も近くなって今だお子ちゃま気分の抜けない私が言うこっちゃないが、ぼくちんほっぺをペチっはねーだろ。所作というものがあるだろ。なるほどこりゃ、小娘が何か言わなきゃなんない世の中か(参照)。
 醜態をもって一巻の終わりということだろう。読売新聞記事”永田氏「メールは本物でない」…衆院は懲罰動議を付託”(参照)によれば、こういう落とし所となった。


 これに先立ち民主党は2日昼、自民党の1日の公開質問状に対し、<1>メールの真偽は「本物ではない」とした党声明の通り<2>メールに基づく武部氏の二男への送金疑惑は、論拠が消滅した<3>武部氏と二男の名誉回復措置として、改めて謝罪する――とする鳩山幹事長名の回答書を自民党に提出した。しかし、自民党は納得せず、国会での正式な陳謝などを求める公開質問状を再提出した。

 「極東ブログ: 問題はメールの真偽ではなく口座の真偽ではないのか」(参照)で触れたが、この問題は、疑惑メールではなく、疑惑口座である。それが、永田ちゃんごめんねペチっで、「<2>メールに基づく武部氏の二男への送金疑惑は、論拠が消滅した」ことになった。なんだか、それって論理が狂ってね。疑惑メールは主疑惑の従であった。
 つまり、主疑惑である口座問題に民主党がギブアップしたということだ。負けであり、完敗であり、鉄人28号乾杯である。もう、ご次男の疑惑自体が消えちゃったんだものね。
 ここで世間的には終わった問題となった。
 私には問題は残った。しかし、ここで区切りをつけるためにエントリを書いている。
 問題は……もう昨日の週刊文春も週刊新潮も出していることでもあるからブログに書くにもどういうことはなかろう、永田オリガミちゃんのお友達、フリージャーナリスト西澤孝である。ことの粗方の真相とやらは週刊文春「『ネタ元記者』と対決180分」の記事に詳しい。週刊新潮はS学会の敵意をネタにしすぎのようだ。
 問題はではフリージャーナリスト西澤孝が元凶かというとそのあたりから記事はぼけてくる。とりあえず、民主党+永田オリガミちゃんの問題はその次元にクローズするし、国民の問題としても、どの面さげてやがんだぁ(西澤桃花裏人格の声にて)で終わる。しかし、事の真相はフリージャーナリスト西澤孝の奥になる。
 奥には主要な登場人物がまず三人いる。同記事ではS学会系とされる弁護士への配慮からか、富裕層向け雑誌編集者X(エックス)とされているが、雑誌はデュモンだしすでにネットでは名前が流れているのだからここに秘す理由もないようにも思うがとりあえず書かない。二人目はメール作成者でもあり、ライブドア関係者で、昨年、すでに退社している人物Y(ワイ)。最後にYの女友達。女友達というのからYではなくXではないかとも思うがという凝った洒落はさておき。
 こうしたXYXみたいな構図が文春の「真相」記事から示唆されている。それが真相かはわからないが、この部分が解明されないと疑惑メールの出所はわからないし、なにより、疑惑口座はこうした奥の構図から出ていることは間違いない。
 民主党としてはその構図が解明できない。解明できない理由もあるだろう。自民党としてはその構図を民主党が解明するわけはないという駆け引きで事件は進んだ。チキンゲームは自民党の勝ちになった。
 もし疑惑メールの真偽を知りたいなら、富裕層向け雑誌編集者Xを調べることから着手しなけれならない。が、そこで、とりあえずデット・エンドとなった。その先にはメドゥーサでもいるのかもしれないし。
 この間、バイストーリーも展開した。富裕層向け雑誌編集者Xの人脈からいろいろと愉快なブランチが出てきた。その先には、話題の新進アルファーブロガー、といっても引き籠もりさんじゃないほう(マーケッター大西だよなもなしなし)の線も浮かびあがり、そういえばと思うと、ふーん、なんだかわかんないけどそんなものかもな感は、こんな問題はどうでもいいとか、フリージャーナリスト西澤なんてそもそもいねーんだよとかの火消し火消しからじわ~っと伝わる温かさ。なるほど煙幕の後は火消しだよな。そして、ひとまず、終わり。

| | コメント (9) | トラックバック (1)

2006.03.02

リチャード・プール、享年八六

 昨今なにかと天皇家に関する議論がネットで盛んだが、法的に見れば日本では戦前も戦後も一貫して天皇は国家の機関であった。そのことは昭和天皇もよく理解していた。中野学校でもきちんと教えていた。天皇という存在は憲法に従属するものであり、憲法を見ればわかる。最新版の日本の憲法を見ればそれは「象徴」ということだ。つまり、バッチだ。スケバン刑事リメークもきっと桜の大門を見せてくるだろうが、象徴というのはそういうものだ。
 最新版日本国憲法を作ったのは日本人ではない。米人たちである。GHQ(連合国軍総司令部)である。その民政局の憲法起草委員会たちの、今で言えば「はてな」で日記とか書いたりWeb2.0と見ると脊髄反射的にブックマークしていそうな若造である。
 二十六歳だったのだろう、リチャード・プールはその時。なぜ、僕が?とプールは思った。そりゃ、君の誕生日が理由さ、日本の天皇と同じく四月二十九日だからね、と。もちろん、気の利いた洒落というだけの話。彼は、大学で国際法や憲法学も学んでいた。なにより、横浜生まれ、そして六歳まで日本で育ったということで、日本の伝統などについて、当時のメンツのなかではよく知っていると思われた。もっとも六歳の子が日本の文化や言葉の深い陰影を知るすべもない。

cover
日本国憲法を生んだ
密室の九日間
 プール青年が悩んだのは、敗戦国日本の「天皇」をどう憲法に位置づけるかということだけではなかった。そんな大それたことを青年の一存で決められるものでもない。ケーディス大佐を長とする委員会で検討を重ねた結果だった。問題は、すべてのジョブがそうであるように、納期である。日本国憲法をでっちあげるまでの期間はわずか十日。十日もあれば世界を震撼させることもできるのかもしれないが、それを描く歴史書が実際の歴史の評価に絶えないように、日本国憲法もその後の歴史に耐えるものであるのか、プール青年は不安に思った。後に彼は当時を思い出し、「米国憲法でも草案作りに何か月も要しているのに、短期間の指示にとても驚いた」と述べた(「憲法五十周年記念フォーラム」1997)。
 こんなん出ましたけどみたいな草案が出来た。気になったのは九条である。読売新聞記事”改憲の是非、議論必要 憲法議連主催の憲法50周年記念フォーラム開く”(1997.11.19)で、老いたかつての軍人リチャード・プールはこう述べている。

一九四六年二月、マッカーサー元帥がホイットニー民政局長に「一週間で憲法を改正する草案を準備しろ」と指示したことに驚いた。米国の憲法は、何か月も費やして初めて起草されていたからだ。私は天皇についての起草にあたった。象徴天皇制について内閣にいろんな意見があったが、国会に対して天皇が支持する旨を伝えてくれた。玉音放送、人間宣言と同じぐらい重要なことだ。
 九条の草案を見たときに「永遠に軍事力の保持を放棄せよということは理にかなっていない。原理原則を言うのならば、本文でなく前文で言うほうがより適切でないか」という私見をケーディス大佐(運営委員会のチーフ)に述べたが、彼は「マッカーサー元帥がそう言った」と明かした。
 私は九条の改正は正当化されると思う。日本は国際問題において主要先進国と同じような役割を担うべきだ。紛争を解決する手段としては戦争は放棄すべきだが、国際的な平和維持、人道的な活動のためには防衛力を保持してしかるべきだ。

 そういう意見もあるだろう。クリエーターの心情としても一般的にもそういうものだ。自分の作品に対する後悔の念というものはクリエーターがすべて共有するものでもある。例外は糸井重里のマザーくらいのものかもしれない。
 リチャード・プール、享年八六。亡くなったのは二月二十六日。バージニア州の自宅にて(参照)。
 その親族の歴史(参照)には、日本の敗戦時に関わる、なにかまだ大きな歴史の謎が秘められているようにも思うが、よくわからない。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006.03.01

問題はメールの真偽ではなく口座の真偽ではないのか

 昨日、民主党永田寿康衆院議員の記者会見後、早々にエントリを書いたが、民主党ではその後もその関連のごたごたが続いていた。時刻は七時二〇分だったかと記憶に頼るのだが、前原誠司民主党代表は民主本部で会見し、疑惑メールが「本物ではない」と宣った。
 この点はさすがに、逝ってしまったお魚目の前原でもシラは切り通せないだろう。お話はその先だ。送金が指定されたとする口座について、信頼に足りる裏づけができなかったから国政調査権発動も「いったん取り下げる」と平然とぶちかました。うひゃ、なんだ、こいつ。
 魚眼前原は先週は「国政調査権を発動して、調査すると確約することが必要だ」と言っていた。そこからどうしてこういう変遷になるのか。
 という前にジャーナリズムの問題も関連しているので触れておくが、同種の主張は二月二十三日の日経新聞社説”あいまい決着は許されない”(参照)にもあった。


 前原氏は資金振込に関係する口座名や口座番号の情報を得ていると言明した。メールの真贋の決着がつけられないとすれば、この口座を調べない限り事実関係は究明できないだろう。国政調査権の発動を含め、与野党はその手立てを早急に検討する必要がある。国民の関心は高く、あいまいなまま幕を引くことは許されない。

 そして、今朝の社説”あまりにもお粗末な永田議員と民主党”はこうだ(参照)。

 不正の追及は国会における野党の大事な役割である。そのためには十分な裏付け調査が必要であり、もし、十分な裏付けがとれない場合は質問にも慎重さが必要である。あいまいな情報で大げさな疑惑追及をすれば、国会は不毛なスキャンダル暴露合戦の場になって国民の信頼を失ってしまう。戦前の政党政治がそうしたプロセスを経て崩壊した教訓を与野党とも忘れてはなるまい。

 ちょっとこれもないだろ。
 市民社会にとって市民の最終の保護者は国家であると同時に、最大の脅威もまた国家である。国家の権利をどのようにコントロールするかが市民社会の最大の課題であり、その最終ツールが憲法でもある。ま、憲法論はどうでもいいが、市民は国家の権力の発現にはいつも注意を払っていなくてはならない。し、ジャーナリズムもそれが基本だ。
 この問題に関連してもっとも優れた記事は二月二十一日付け毎日新聞”武部氏二男・金銭授受疑惑:「堀江メール」、国政調査権で攻防 発動でも効力疑問”(参照)だ。

 「民主党は何を調査しようとしているのか。過去の例から見てもおかしい」。自民党の細田博之国対委員長は20日の与党国対委員長会談で、国会法104条を根拠とした民主党の国政調査権発動要求を強く批判した。
 自民党が「過去の例」を持ち出すのは、同法を適用した事例37件(34件は昭和20年代)のうち、今回のように民間を対象にしたケースは1949年の2件しかないためだ。衆院事務局も「国政調査権は立法府による行政監視の一環と位置づけられ、学説上も民間には抑制的に用いるべきだと解釈されている」と話す。

 さらに。

 さらに、国会法104条に基づく調査権を発動したとしても、どこまで実効性があるかという問題もある。最近では94年に細川護煕首相(当時)が東京佐川急便から1億円を借り入れた疑惑をめぐり、法務省や国税庁などに資料を要求した例があるが、「国家公務員の守秘義務」などを理由に拒否され、それ以上の追及はできなかった。要求を拒否しても、同法には罰則規定もない。
 実態を解明する手段として、議院証言法による証人喚問や資料要求もある。ただし、実現へのハードルは一層高くなり、現段階では現実味がないのが実情だ。

 魚眼前原というか現行民主党は調査権の発動について本気だったのか。本気だったとしたら、市民社会原則のセンスが狂ってないか。また、どうせ政府は調査権の発動に応じるわけがないからというメンツの問題だったのか。昨日の魚眼前原の会見だと後者のように思えてならない。
 前原会見の前段部分に話を移す。民主党ツンデレってやつか。
 オリガミスト永田会見ではメールの真偽は不明だとツンしておきながら、前原会見でデレしたのかその理由はなんだ? 人間型ET鳩山由紀夫幹事長は次の三点を挙げた。

  1. メーラーのユードラのバージョンが堀江容疑者の使用のそれと違う
  2. 署名前に不自然な@(アットマーク)が入っている
  3. 情報仲介者への信頼が喪失した

 怒っていいのか笑っていいのかわからないが、それってみんなおまえさんたちの隠蔽工作ではないのか。しかも、国権乱用のための。
 ユードラ・バージョンを隠したことの民主党あるいはオリガミスト永田の関与は今ひとつわからないが、@(アットマーク)については明白に民主党の隠ぺい工作である。ひどすぎね。
 しかし、そのあたりがごたごたしていたのは民主党だけのことで世間ではすでに済んだ話だ。問題は、三番目、「情報仲介者への信頼が喪失した」ということだ。
 問題はそこなのだ。どのようなプロセスで「情報仲介者への信頼が喪失した」かの責任説明が私には十分ではないと思う。
 そもそもの問題はメールの真偽ではなく口座の真偽ではないのか。二月十六日の永田議員の会見では、堀江被告が選挙コンサルティングの名目でしたとされる、武部幹事長の二男の銀行口座への振り込みは三回以上、と指摘していた。”資金提供は計3回以上 民主・永田氏が会見 武部氏二男送金問題 ”(2.26時事)より。

 民主党の永田寿康衆院議員は16日昼、国会内で記者会見し、 ライブドア前社長の堀江貴文被告から自民党の武部勤幹事長の二男に対し、 昨年8月26日付メールで指示のあった振り込みの前後にも資金提供が あったと述べた。振り込みは計3回以上となる。永田氏はこうした 資金提供について「証言を得ている」と述べる一方、物証の有無については 明言を避けた。

 問題の端緒となるファクツの報告は、「三回以上とされる振り込み」であって、疑惑のメールはそのサポート(例証)という位置づけだったはずだ。だからこそ、魚眼前原や民主党も疑惑の口座の解明を、脱線しつつも、狙っていた。
 今回の事件は、一例だが、「池田信夫 blog」”偽メールの怪”(参照)のように、ラザー・ゲート事件に模して考える人が多い。だが、それはあくまで従属的なファクツであり、問題の構図は疑惑の口座から発したものであった。
 昨日のエントリ(参照)で指摘した送受信者同一疑惑も入手経路疑惑も曖昧のまま終わるのかもしれない。しかし、それはおっちょこちょいってのは仕方ないなぁ永田ぁ(俺もそうだしなぁ)、にクローズする問題だ。
 民主党が握っていたとされる口座の情報がガセであれば、この問題は、終わる。そこが曖昧であれば、この問題が終わったとは私には到底思えない。

| | コメント (15) | トラックバック (2)

« 2006年2月 | トップページ | 2006年4月 »