社会と国家とイスラム法
イスタンブル郊外を車の窓から見ていて随分荒れた住居、スラムが多いなと思ったはもう十年も前のこと。現状は知らないが、こうした地域でイスラム原理主義が活発なのだという話を聞いて当時関心をもった。この地域のイスラム原理主義は、昨今メディアの伝える過激なものではなく、互助的な社会原理らしい。こうした関心から、パレスチナのハマスにもそういう側面があることも私はある程度納得できる。
イスラム教圏が近代化の立ち後れ状態にあるとき、あるいは国家の福祉的な施策の立ち後れがある場合、その社会はそのまさに社会機能の必要性から、こうした復古的な原理主義に立ち返らざるを得ないところがある。しかたがないと言えるのだが、問題ははたしてそうは言ったものの、「近代化の立ち後れ」なのかは考えるとむずかしい。
イスラム教圏を国家という区切りで見るとその最大の領域はインドネシアである。中東やアフリカの諸国でもなく、ましてイスラム教徒移民が多いとされる昨今の欧州の諸国でもない。そして、その福祉的なイスラム原理主義の活動の特徴はインドネシアに見られるのだが、そこで民主化と経済的な発展がどうやらねじれた兆候を示しだしているようだ。
ソースを示して丁寧に議論すべきなのだが、メモ的に話を簡単にする。
民主化と経済発展が地域に振興することでその地方自治制が高まる。それは原則としてはよいことなのだが、結果、その地域社会にイスラム法が復権してしまうらしい。
日本人などからするとイスラム圏の社会にイスラム法があっても文化の選択なのだからそれでもいいのではないかと考えがちだし、直接日本への利害の問題もない。だが、考えようによってはいくつか困った兆候がこうしたインドネシアの社会に見られるようだ。例えば、女性のスカーフが法による義務となり、キリスト教会は排除される。特にキリスト教会の排除については、実際にはそれまでも非認可だったらしく、従来どおりの法規制でも排除せざるをえないのだが、そこはやはりアジア的というかある種の伝統的な融通性があり、また軍政ということでの近代化を遂げていたインドネシアでもあり、事実上の国法的な保護が暗黙の了解であった。そのあたりが地域社会の興隆で揺らぎだしているようだ。
話を単純にするのだが、例えば、ある女性がスカーフは嫌だ、といった場合、その地域社会の掟は彼女を守らないことがありうる。なにが彼女を守るのか? これは国家の法でなくてはならず、国家がまさに社会と対立して市民を保護しなくてはならない。
ここで近代国家の法の公義というものが、ある意味で原理主義的に顔を出す。というか、その顔を出さなくては近代国家たりえない。そして、それは社会=イスラム法、に原理的に対立するしかない。
別の言い方をすれば、社会=イスラム法が国家=イスラム法になるということを、近代国家という原理主義が許さないということでもある。
現実の個々の社会問題の局面では、当然それらはすべて社会という場で行われるので、社会のルールに妥協することになるのだが、その個人を社会にすべて帰属させるのではない近代国家をどう問い出すかということは本質面で妥協を許さないところがある。
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コメント
久しぶりのコメントです。インドネシアはイスラム教徒人口が多いものの、国教ではないですね。そもそもスカルノがイスラム教徒ではなかったらしいですし。あそこがイスラム法の世界だというとすれば、ちょっとどうかなという気がします。そもそも多様な民族を無理やりひとつの国の形に押し込んでいるところですしね。
投稿: fanannan | 2006.02.09 23:00
キリスト教社会では「私的に」ムスリムであることは比較的容易ですが、イスラーム社会では私的にも非ムスリムであることは難しい。
そういう非対称性が厳然として存在するんですよね。
何故イスラーム圏で近代国家が成立しなかったか(言い換えれば何故欧州で近代国家が生まれたか)の答えもその辺に在りそう。
投稿: 煬帝 | 2006.02.10 03:33
法律ってもののルーツを考えると、キリスト教(圏)とイスラム教(圏)じゃそもそも議論が成り立つんだろうか?
などと時間つぶし先でふと考えてみました。
投稿: ムンマでしたっけ | 2006.02.17 18:40