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2006.01.04

[書評]小林秀雄の流儀(山本七平)

 昨年といっても先月のことだが、ふと思いついたように同年に出た小林秀雄全作品〈別巻1〉「感想」(参照)を取り寄せて読み始めた。小林秀雄の古典的な主要著作については私は高校生時代にあらかた読み終えており、その後はぼつぼつと「本居宣長」(参照)を読んできた。二十歳の青年だった私は小林秀雄の著作によってその後の精神的な年齢の確認をしてきたようにも思う。今になってみると、いわゆる古典的な著作はなるほど小林秀雄の若いころの作品だなと、まるで年下の人の作品のように思えるが、半面「本居宣長」は遠く起立した巨大な岩山のようにも思える。精神の年を重ねていくことの指標のようにそこにある。
 が、その道程に欠けているのは「感想」のベルクソン論であることは随分前からわかっていた。この作品は小林秀雄自らが封印していた。そしてその意思はある意味では尊重すべきだろうし、読まなくてもいいものでもあろう。当時の雑誌を取り寄せて読むのも難儀なことだ…しかしそれを言うなら「本居宣長」の雑誌掲載時のもう一つのテキストも同じ難儀ではある。
 「感想」をとりあえず一読し、そしてその意義(封印の意義)もある程度了解したものの、これもまた巨岩に近いものであり、小林秀雄の五十代の主要作品として私の五十代の課題ともなるのだろう(生きていられるなら)。
 というところで、そういえば、今回の全集では〈別巻2〉「感想(下)」(参照)に事実上遺稿となった未完の「正宗白鳥の作について」がありそれもついでに通し読みしながら、しばし物思いにふけった。

cover
小林秀雄の流儀
 私の父は正宗白鳥に会ったことがあり、その思い出を私は直に聞いている。祖父も白鳥の作品は折に触れて読んでいたと言っていた。そうしたこともあって、私は白鳥の作品をいくつか読んだ。小説は何も心に触れるものはなかったが、随想はある意味で決定的ななにかを含んでいた。簡単に言えば、彼の秘密とその最期である。
 さらにそういえばと、山本七平の「小林秀雄の流儀」(参照)を書架から取り出して読んだ。読書としては三度目くらいになるのだろうか、ある意味で現状もっとも優れた小林秀雄論とも言えるのだが、同時に山本七平が小林秀雄の文章の魔力に呪縛されたようになっており、読みづらい本である。そのせいか、山本七平の選集とも言える山本七平ライブラリーからは外されたのだが、おそらく山本七平の内面をもっとも映し出す書籍でもあるだろう。そのことは、彼の自伝とも言える「静かなる細き声」(参照)の標題が、旧約聖書のエリヤの故事に由来するのは当然としても、小林秀雄のドストエフスキー論によって山本七平が着目したことに由来するからだろう。なお実際の標題は息子山本良樹によるものではあろう。
 散漫な文章になったが、今回「小林秀雄の流儀」を読み返したのは、小林秀雄の最後の白鳥論と山本七平の思いを顧みたかったからである。だが、結論から言えば、やはりと言ってもいいのだが、語られていない。「感想」収録の「正宗白鳥の作について」で小林秀雄が正宗白鳥の内村鑑三論にあれだけ言及していて、しかも山本はその内村の系譜のクリスチャンでありながら、そこには触れていないのはむしろ不思議には思えた。
 しかし、考えてみれば、「小林秀雄の流儀」はある意味で小林秀雄が何を語らなかったという問題であり、そこには当然、山本七平がなにを語らなかったが重ねられている。
 以前「小林秀雄の流儀」を読んだときは、七平さん(私は生前二度ほどお会いした)が小林秀雄の「本居宣長」をバイパスしようとしているなと思ったものだ。彼は本書で宣長については二十年したらなにか言えるかもしえないと仄めかしもあった。だが、再読して、それは仄めかしでも韜晦でもなかったのだなと思った。なるほど彼にその年月の寿命があるわけでもなかったとして、やはり「本居宣長」を強く胸に秘めて語らなかったのかもしれない。
 もちろん、語らないということは単なる沈黙ではなく、なぜ語らないかについて逡巡する饒舌であると言っていい側面がある。その饒舌は当然、文章としての構成に危機を与えるものであり、十分な作品なり著作なりにはまとまりえないものがあるだろう。だが、そのプロセスの苦労というか、まさにベルクソンの認識のコアにある努力のようなものが、人の精神の中年以降の成長を魅惑してくるものでもあろう。

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