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2006.01.25

[書評]山本七平の日本の歴史(山本七平)

 「山本七平の日本の歴史」()は昭和四十八年雑誌「諸君」一月から二十二回にわたって連載された「ベンダサン氏の日本歴史」が昨年書籍化されたものである。

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山本七平の日本の歴史〈上〉
 オリジナルを見るとわかるように当時の著者はイザヤ・ベンダサンであった。それが「山本七平の」と変わるには著作権の移動の問題などがあったのだろう。二人は別のコピーライト保持者でもあったからだ。しかし、この問題についてはこのエントリでは立ち入らない。当時のオリジナルを読んだ私としては著者をベンダサンとしておきたい。
 本書が書籍として刊行されたのは没後の評価に衰えのない山本七平の著作の関連ということもあるだろうが、二〇〇三年の高沢秀次「戦後日本の論点 山本七平の見た日本(ちくま新書)」(参照)も大きな要因ではなかっただろうか。「ベンダサン氏の日本歴史」の意味を従来になく深く掘り下げている。
 このエントリでは本書の全体については扱わない。下巻十四章「タブーに触れた北条高時」について、ほんの少しだけど書いてみたいと思っただけだ。
 太平記などを読んだ者は、と言いたいが、現代においてはオリジナルを読み下した者はそう多くはなかろう。一般には吉川英治「私本太平記」(参照)などで読まれている。平成三年のNHK大河ドラマ「太平記」も吉川英治を原作としていた。北条高時は片岡鶴太郎が好演していた。
 太平記の物語では北条高時は痴れ者というか悪人として描かれている。なぜかとあらためて問われると、そういうもんじゃないですかと太平記的な物語の文脈で答えたくなるものだが、歴史学的には答えがたい。

さて、その非難・嘲罵の裏付けとなる政治的行為を立証すべき史料となると皆無に等しいからである。このことは逆にこの非難すべき”逆賊”に、特に大きな失政がなかったことを立証しているのであろう。


彼は生涯、自分の方から天皇に対して何事かを積極的に行なったことはない。常に受け身であり、常に、執拗きわまりない攻撃にさらされていただけである。従って彼に関する史料が皆無であっても不思議ではなく、もし時代が平等に推移すれば、彼は、その前任者の基時と同じように、歴史から忘れられた平凡な執権の一人となったであろう。

 ではなぜ、北条高時は失脚し、そして歴史の物語に汚名として残ったのか。
 ベンダサンは彼がタブーに触れたからだろうと考えている。
 では、北条高時が触れたタブーとはなんであったか。現代からすればなぜと思えるが、それは田楽と闘犬であったようだ。武家は天皇を奉るという国体の建前からすれば仮の権力者であるのだから、質素におごそかに統治者の振る舞いをすべきはずの立場である。だが彼は遊興に耽っていた。そのために民に苦を強いたりもした。それがタブーであった。建前の規則を破ってしまっていた。
 ベンダサンは社会現象を見るとき、どの社会にもタブーというものがあるという視点を強調する。

 言うまでもなく、北条高時政権の崩壊と、アメリカでのニクソン政権の崩壊には、共通する面もあれば、共通しない面もある。共通する面をあげれば、高時の失脚が「武家政権」の崩壊にはならなかったように、ニクソンの失脚は大統領制の崩壊にはならないこと、もう一つは、両者とも、政策の失敗よりむしろタブーに触れて失脚した、ということであろう。従って厳密にいえば政治的失脚ではない。


 タブー これは政治における最もやっかいな要素であり、通常、歴史家も同時代の批評家もこの点には触れない。ニクソンの辞任について、日本でもさまざまな批評が出ていると思うが、その中にもおそらく、「ニクソンはアメリカのタブーに触れたから失脚した」という批評はないであろう。

 タブーはどのように形成されるのだろうか。ベンダサンは歴史が結果的に作り上げるものだとしている。それはそうかもしれない。
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戦後日本の論点
山本七平の見た日本
 どの社会でもその世間はタブーというものを明瞭に言語化しないが、およそその世間を生きる構成員は知っている。そしてその違反者を結果的に罰せずにはおかない。恐るべき事に、タブーは法よりも強い。近代国家なら法がタブー違反者を守るべき役目にあるはずなのに。

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コメント

それは、タブーといわずに法学的には「自然法」というのでは?

投稿: F.Nakajima | 2006.01.25 23:32

棲む世界さえ間違えなければたタブー違反者だって生きていけるでしょう。

投稿: | 2006.01.26 00:44

ホリエモンもこのタブーにやられたんですかね。

ホリエモンに関するマスコミの言説は、球団買収から一貫して醸成された「空気」が噴出したように感じました。

投稿: u17 | 2006.01.26 00:46

ほぼ日でイトイさんが1/23付けのダーリンコラム」というコーナーで、「明文化」のコミュニケーションと「察し(空気を読む)」のコミュニケーションについて語ってました。
タブーは「察し」のコミュニケーションの中でつくられてるんでしょうね。

投稿: もそり | 2006.01.26 09:15

>>二人は別のコピーライト保持者でもあったからだ。しかし、この問題についてはこのエントリでは立ち入らない。

ってとこにえらく興味をそそられます・・・。
どうか今後、そこに立ち入って考察してくださればうれしいです。
finalventさまの山本七平・ベンダサンについての考察を読み、日本人とユダヤ人」「私のなかの日本軍」を読み返してみると、確かに奇妙なところがあり、確かに何らかのタブーを伏せているように読めます。とても興味深いと思っています。

投稿: ひろ@糀町 | 2006.02.23 23:16

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