大学全入時代というのだそうだ
昨日だったか朝のラジオを聞いていたら、白石真澄東洋大学助教授が「少子化時代の大学の生き残り策」という話をしていた。現在の日本の大学について私はあまり関心はないが、なにげに聞いていたら面白かった。
えっと驚いた思ったのは、青学の厚木キャンパスってもう無くなっているのかということ。知らなかった。なんどか行ったことがあるので懐かしい。ネットを見たら「今は無き、青山学院大学 厚木キャンパスを懐かしんで・・・ 」というリードのある「青山学院大学 厚木キャンパス」というブログを見つけた(参照)。チャペルも無くなったのか。トンネルの写真とかちょっと胸きゅんものだな。
ラジオの話は、少子化が進んだ結果、来年から大学全入時代というのになるのだそうだ。そりゃそうか。すでに大学側でも優秀な学生を高校から青田買いみたいにしている実態は知っていたので、それほどには違和感はない。
私立共済事業団とかいう団体の調査では、私立の三割で定員割れだそうだ。と、話をさらに聞いていると、短大の四割で定員割れともあった。ということは、大学の定員割れというより、短大がなくなりましたということか。そういえば、沖縄にいた頃、沖縄キリスト教短期大学原喜美学長による、沖縄キリスト教学院大学創立への向けての話を聞く機会があり、大学の経営というのは大変なものだなと思ったものだ。前向きな経営の短大はすでに四年制化しているのだろう。
定員割れは地域差もあるとのこと。それは常識でもわかる。定員割れが進む地域としては、中国、四国、北海道、九州あたりらしい。沖縄は九州ということになるのだろうか。もう少し地域の状況を知りたいとも思ったので、なにかのおりに調べてみたい。
私大の場合定員割れ半数になると補助金がなくなり、つまり、自動的にといっていいだろう、つぶれる。大学全入時代はイコール大学統廃合時代でもあるし、人気のある大学と不人気な大学との二極化でもあるのだろう、と言ったものの、「二極化」というタームにだまされているかな。
大学はどうするかというと、当然経営努力とかマーケティングとかするわけで、先の青学の厚木キャンパス閉鎖もそうした一環だろう。あれは、ちょっとすごい所だったし。
キャンパスの作りは学生の人気の重要ポイントでもあるらしく、明治大学はリバティタワーによって志願者を一万人増やしたそうだ。へぇ。
いずれにせよ、大学こそ都心回帰が激しくなる。親御さんも子供を自宅から通学させやすいし、夜間など社会人教育というビジネスも開ける。……逆に言うと、キャンパスを八〇年代以降山奥に移転していたのはなぜだったのだろうか、少子化が予想されてなかったのかとも疑問に思える。
当然ながら、大学も政府みたいに歳出削減に尽力するらしい。で、人件費だよね。いや、そうなると、非常勤講師とかになかなか美しい話がいろいろありそうなのは予想が付くが、ラジオの話では、もっとマーヴェラスなのは助手のようだ。期限付き採用というのがあるらしい。学者さんも厳しい世界になるか、いや以前もそうだったか。
大学というものの社会的な意味が変わるということなんだろうが、その変化後のイメージが今ひとつよくわからない。大学というのは、教育・研究・地域社会貢献とかが重要と言われているが、自分の経験でも思うのは、大学は青春というもののプロバイダーでもあるだろう。そのあたりの若さの活動の充実度が、単純に都市性に還元されるのは、ちょっと違うかなという感じもする。
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コメント
>キャンパスを八〇年代以降山奥に移転していたのはなぜだったのだろうか
確か、栗本慎一郎が大学側に学生運動の後遺症があり
安らぎを緑に求めて次々に山奥に移転していったのだ
みたいなことを書いてたような気がします
私はそういった世代ではないので
それが本当のところかどうかは正直よくわかりませんが
投稿: とおりすがり | 2006.01.27 09:41
>沖縄キリスト教短期大学原喜美学長による、
キリ短か~懐かしいさ~
あそこの学生は美人ばっかだったな~
守礼門で琉球衣装着て観光客と記念写真を撮るバイトやってるオネイちゃんはほとんどキリ短だったね。
投稿: SST | 2006.01.27 14:08
全入時代が予想よりもはやく来たのは、若年人口の減少ペースが予想を上回ったことと(それと相矛盾するようですが)大学定員が右肩上がりに上昇したことによります。むしろ予想外だったのは大学定員の大幅な上昇だったようです。
私学の経営陣は、「不景気のときにタクシー業者がとりあえずタクシー台数を増やしてみる」のと同じ理屈で無闇と学部や学科を新設してきました。
#法学部とか経済学部といった「既存」の学部を
#新設することは大変困難ですが、
#「人間ほにゃらら学部」のような訳のわからない
#もとい斬新な視点に基づく学部や学科は
#簡単に設置認可がおります。
バブル期においては、余剰資金の捌け口としてまた来る少子社会に向けて「台数」を確保するために郊外にキャンパスを新設したわけです。
結果として学生獲得の競争は激化しておりまして、一部のブランドを持っている大学は除いて大部分の大学は大苦戦しております。finalvent氏の指摘していらっしゃる期限付き助手、非常勤講師はもちろん悲惨ですが、Tenureを持っている教授、助教授も暇さえあれば高校に営業活動に駆り出されるということが珍しくありません。願書を高校に置いていただくように日参したりしております。
投稿: | 2006.01.27 14:56
はじめまして。
厚木キャンパスは駅から遠過ぎると言う事で淵野辺に移転したと聞いております。
ちなみに長男は厚木で2年間生活しました。
森の里と地名があるように自然はたっぷり、しかしとても不便でした。
投稿: ゆき | 2006.01.27 20:55
>キャンパスを八〇年代以降山奥に移転していたのはなぜだったのだろうか
都市部への人口流入を防ぐため、郊外への移転に優遇措置を、都市部への出店を規制(既成都市区域における工場等の制限に関する法律)したというのが実際のところです。
投稿: ありゅーしゃ | 2006.01.30 23:37