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2006.01.31

文化戦争かな

 問題はカブトムシとクワガタムシにとっては里山の存続にあることは確かだし、いわゆる四点セットは疑似問題臭いのだが、まようするに世相を覆うこのもわっとした感じは何か。と沈んでいて思うことをなんとなく書く。
 先日なんかのニュースで英国イングランドのシンボルを決めようという話を聞いた。英国というのは正式名はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Irelandだから略してUK、というように国の集まり。国旗もね、三レイヤーズ。実際スコットランドやウェールズは財政とか言語の面でもかなり自治性が高い云々だが、さてイングランドはというと案外文化的な中心的なイメージはないらしい。クイーンがいるじゃないかと日本人などは思うが彼女こそまさにUnitedでありCommonな象徴だから一に除外。つうとロンドン塔かな。れいの二階建てバスは廃止になるらしい。現在そういうシンボルを公募中らしくそしてモンティパイソンの国らしく阿呆なシンボルも集まっているようでもある。
 この話が波及したかわからないのだが、先日二十六日のオーストラリアデーにちなみオーストラリアでも文化的な同一性をどう見るかという話題が多少あったそうだ。そりゃそうかもしれない。キャプテン・ウルトラがバンデル星人から逃れてオーストラリアを発見したというのを建国記念日にされてもなというのが多文化主義の様相を深めつつある現状では異論もあるかもしれない……スターウォーズじゃないカルチャーウォーズということかも。
 というあたりで昨今のもわっとした世相なんだが、これって日本におけるカルチャーウォーズということなのではないかとなんとなく思った。
 ネットを引くとカルチャーウォーズ=文化戦争というのは米国の現代史の文脈で語られることが多い。じゃというわけで、英語のWikipediaを引くとある(参照)。六〇年代あたりからの背景をほのめかしつつあるが、実際は九〇年代の問題という印象も伺える。


The expression gained wide use with the 1991 publication of Culture Wars: The Struggle to Define America by James Davison Hunter. In that book, Hunter described what he saw as a dramatic re-alignment and polarization that had transformed American politics and culture.

He argued that on an increasing number of "hot-button" defining issues - abortion, gun politics, separation of church and state, privacy, homosexuality, censorship - there had come to be two definable polarities. Furthermore it was not just that there were a number of divisive issues, but that society had divided along essentially the same lines on each of these issues, so as to constitute two warring groups, primarily defined not by nominal religion, ethnicity, social class or even political affiliation, but rather by ideological world views.

Hunter characterised this polarity as stemming from opposite impulses, toward what he refers to as Progressivism and Orthodoxy.


 ふーんという感じだが、ここで言うCultureっていわゆる日本語の「文化」というのとはちょっと語感が違っていそうだ。日本人の感覚からすると、ここでは否定されているがむしろ「イデオロギー」に近いかもしれない。いわゆる多生活様式のCultureの広義があって、そこに国ごとの差異やイデオロギーの差異がごそっと放り込まれるようだ。ふと思うのだが、日本ではこうした文化戦争が常に左翼的な文脈で出てくるのは、米国が表面的にはマルクス主義を払拭したための別の表出なのかもしれない。
 文化戦争で興味深いのは同ページのBattleground issues in the "culture wars"のほう。つまり、バトルの土俵というか形式はすでに決まっていると見ていいようだ。なるほどな。そこではもう思想なりというものは無化されて後はただバトルだヘイガニみたいな世界になっているのか、米国は。
 というのが、実は、昨今の日本も同じことなんじゃないか。なんとなく世間の政治話題に見えるもは日本の文化戦争の形式として定着してきたということなのでは。
 ちょっと話がずれるのだが、ネットというのはそういう文化戦争の場としてはある意味でそれまで戦後知識人のタブーを顕在化する方向で進み、それゆえにさらに日本における文化戦争を増長させてきたのでは。
 そういえばくだらないネタなのだが某ハーフ女子アナの母親が在日ではないかというのがあったが、そういうネタが出てきたりネタにリアクトしたりというところで、日本対特定アジア的ないわゆる対外文化としての文化戦争の枠があるのかも……と思いきや、これは実は特定アジアというものが本質的・内在的に日本化してきたことの相互的な問題なのではないか。
 くだらないネタついでにボケネタなのだが、朝鮮日報に”韓国で流通する「日本産コシヒカリ」、85%が偽物 ”(参照)という記事があり、首をかしげた。

 韓国で販売されている「日本産コシヒカリ米」のほとんどが偽物であることが分かった。
 農村振興庁は今月30日、「コシヒカリ」と表示され流通している27のブランドのコメを調査した結果、コシヒカリが一粒も入らない、国内品種米だけのブランドが13種にも及ぶと明らかにした。
 また、国内品種米の占める割合が5つのブランドで98%以上、2つのブランドで95%以上、3つのブランドで75%以上となっており、調査対象の27のブランドのうち85%の23のブランドが、事実上韓国産のコメを日本産のコシヒカリと偽って包装販売していることがわかった。残りの4つのブランドも国産のコメが少量混入しており、100%のコシヒカリ製品は国内に存在しないことがわかった。

 日本語で書かれているので「国産」をつい「日本国産」と勘違いしそうだがこれは韓国産のことなのだろう。で素朴な疑問。コシヒカリを誰が食いたいのか? 在韓日本人? 実態がよくわからないのだが、韓国人には日本産コシヒカリ食べたいなというという層がはっきりと存在するのではないか。そういえば、岡田英弘先生の講義に出ていたとき先生が雑談で、トルコの文化とギリシアの文化は同じですよと言っていたのを思い出す。ラクとウゾだ。ラクとウゾの違いが文化戦争でもあるのだろう。もっとも現在両国は現在はそういう次元にはいない。
 文化戦争というのは極めて特定な同質性の文化の内部に起きる擬似的な問題ではないだろうか。靖国問題にしても騒ぐだれもが戦士の霊魂というオカルト的な実在を信じているかフィクションを共有している。しかし、キリスト教徒やイスラム教徒にしてみればそんな異教徒の霊魂なんかありっこないだろゴルァだろう。そこまで文化が違えば文化戦争も起こりえない。
 というかヴェーバーのいう魔術(呪術)から解放された世界が近代ならそういう問題が起こりえないだろういうところに、実は各種の文化戦争とは魔術からの最後の復讐なのではないかな。

追記(2004.2.5)
 イングランドをブリテンとした誤記を修正した。

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2006.01.30

プロライフ・プロチョイス

 日本人には関心ない話題だろうと思うし、関係ない話題とすら言ってもいいのかもしれないが、二十四日米上院司法委員会は、最高裁判事に現サミュエル・アリート連邦高裁判事の就任を承認した。子供ニュース的に言うと米国の司法で一番偉い人が決まったということ。ブログ的に言うと、これまでのオコーナー最高裁判事は中道と見られていたので、やったぜ共和党、司法も保守陣営が取った、ということか。民主党の議員の多くはその承認に反対しているものの、強行に議事進行妨害をする気配もない。より正確に言うと、これで最高裁の構成は、保守四名、リベラル四名、中道一名ということなので、一気に保守化というわけでもないし、アリート連邦高裁判事も極めつけ保守というほどでもない。太平洋の対岸から見ると、そう変わった風景でもないかという印象はある。
 具体的にこの保守対リベラルの対立というのはどういうことかというと、一つには死刑制度の問題もあるがわいのわいの騒いでいるのは中絶の是非、というかその法規制をどうすべきかということ。簡単な図柄でいうと、中絶規制が保守でプロライフ(命に賛成)(参照)、中絶規制するながリベラルでプロチョイス(選択権に賛成)(参照)ということ。
 普通の英語だと、賛成がproで反対がconなのだが、否定のconは看板には出てこないのが、米国っぽいか。というか、この話題まるごと米国っぽい。米民主党の代理店的水母著作権無視翻訳ブログでもこの話題はほとんど触れてないし……。
 この分野の米国での議論は、中絶権利を初めて認めた一九七三年のロー対ウェイド判決が起点になるのだがと日本語版のウィッキ先生を見ると、説明がねーよ。いや全然ないわけでもなく、アメリカ合衆国憲法の項目のおまけみたいにある(参照)。英語のほうは、Roe v. Wade(参照)に当然ある。日本のネット・リソースとしてまとまってないのも不思議な感じがするが、”2002/11/28アメリカ社会概論 7.生命・生殖・性をめぐる論争と政治”(参照)というサイトにこうまとまっている。


1973年 「ロー対ウェイド事件」判決-妊婦の生命を救う場合以外の中絶を禁止したテキサス州法は、修正14条で保護される「プライバシーの権利」の侵害であり、違憲であると判断。より具体的には、各州政府は、①妊娠3ヶ月以内の中絶は「医学的判断に任せねばならない」(事実上の合法化)、②4ヶ月から6ヶ月については、母体の保護を理由に制限できるが、禁止してはならない。③7ヶ月から9ヶ月は、母親の生命維持に必要な場合以外、制限ないし禁止できる、とした(日本の現行の「母体保護法」では、「妊娠の継続が女性の精神的・身体的健康を害する」などの要件がある場合にのみ中絶を認めている(22週まで)-事実上は請求通り認められる、フランスは10-12週なら無条件に認められる)。
 この「ロー対ウェイド判決」以後、キリスト教保守派を中心に活発な中絶反対運動を起こし、またレーガン・ブッシュ政権も中絶反対の姿勢をとった→レーガンはロー判決を支持したリベラルな判事のうち3人を保守派に入れ替えた。しかしその後のクリントン民主党政権を経て、現在、首席判事のレーンキストと、スカリア、トーマスがプロライフ派、ブライアー、ギンズバーグ、オコーナー、スーター、ケネディ、スティーブンズの6判事がプロチョイス派→2004年の大統領選挙でブッシュが再選されると、プロライフ派の判事が任命され、「ロー判決」が覆される可能性もある。

 プロチョイス的な視点で書かれている印象を受けるが大筋では、最高裁判事の問題というのは、こういう構図の問題でもある。
 この先話がやっかいで詳細に議論すべきことも多いのだが、世事として見ていくと、このころの傾向としてはプロライフ派の活動がめざましいと言ってよさそうだ、というのは、州レベルでの規制が増えつつある。
 こうした動向がいわゆる保守的な動向とイコールと見られるかについては、簡単には言えない。この問題に大きく関わっているのは、アクティビスト写真を見てもわかるように中産階級の白人女性が多いようだ(参照)。
 余談めくが、日本の場合宗教という背景もあるのだろうが、こうした中産階級の女性層では中絶はコントラバーシャルな問題はでなく、代わりにあるかのようないわゆるジェンダーフリー問題も旧来の左翼勢力に収束してしまうように見える。

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2006.01.29

小田和正、小林よしのり、川上弘美

 春節。しかし、その話も今年は書かない。世事についてもいろいろ思うが思いがまとまらない。というかある種うんざり感がある。世界情勢の主要な話題についてはあらためて言及することもないかなと思ったり、私が言及すべきことでもないかと思ったり。かくもネタのないときはブログなんて書かなくてもいいじゃないかとも思うが、もうしばらく日々なんか書いてみよう。そういうのもログ(記録)ではあるのだろうし。
 このところぼんやり考えている三人のこと。
 小田和正。先日DVRの録画リストを見ているとの彼のドキュメンタリーみたいなものがあった。いつ予約したのかしかと覚えていない。私はNHKが好きで雑誌「ステラ」が配送されるとその場で気になる番組の予約をDVRにつっこんでおき後で適当に見る。
 ドキュメンタリーは五十七歳になる小田和正のツアー。テーマはある意味で「老い」ということ。それと団塊の世代としての彼の人生の今といったものだ。久しぶりに映像で見る小田和正は、なんだか江戸切り子職人の老人みたいな印象だった。つまり、老人だった。彼が歌っている映像というのは案外初めて見るのかもしれないが、随分と身体を絞るように声を出しているのがちょっと痛ましい感じだったし、なによりそこかしこの仕草に老人のそれがあった。
 彼は昭和二十二年生まれ。私とちょうど十年の差。私は今思うと背伸びしていのかフォークルとか岡林信康とか高田渡とかとかとか聞いていた世代に属する。オフコースはよく知らない。その後、なんとなくユーミンのファンとなり、そしてユーミンが紅雀あたりでドツボっていたころ、その旦那が彼女に小田和正のようにやればいいじゃんとアドバイスしたとかで、ふーんと思って、それを機にいくつか小田和正のアルバムを買って聞いた。心に残らない。そういえば年末二度ほどユーミンの映像を見た。一つは浜崎あゆみとの対談。そしてなぜか紅白歌合戦の彼女の場面だけ見た。紅白では演歌歌手みたいだったし対談では荒井のおばさまといった雰囲気だった。あまり老いとは感じなかったが。そこにはおばさまがいた。
 小田和正が老人に見えたというのは揶揄ではない。私はあと十年生きているのだろうかと思うし、神のお慈悲あるとてその頃の老人さ具合は彼の比ではあるまいなと素直に思う。三十八歳がついこないだのような感じからすれば、五十八歳の時はすぐに訪れるだろう。
 小田和正は昔のラブソングに合わせ、この十年の作でもある新しい歌を走りながら歌ったのだが、その歌は番組の言葉を借りれば団塊の仲間に伝えるというものでもあった。私は知らなかったのだが、彼は東北大学工学部建築学科卒業でその仲間たちとの交流を今も大切にしているということだ。年末の会合では耐震偽装問題も話題になったとのこと。その仲間たちは、そう退職の時期を迎える。
 ウィッキペディアを見たらけっこう詳しい話がある(参照)。


近所の保育園を出(現在もある)関東学院六浦小学校-市立八景小-聖光学院中学校・高等学校-東北大学 工学部 建築学科卒業。早稲田大学大学院 理工学研究科修士課程修了。生粋のインテリミュージシャンである。建築家で東大教授の藤森照信とは学部時代からの友人。1982年9月3日、新井恵子と結婚。子供はない。

 ふーんと思うのと、へぇ結婚したのは三十五歳の時かとも思った。子供がないというのは、晩婚とかの理由よりもある種偶然なのではないかという感じがする。が、結果的に子供はない。あれば青年であろうに。
 小林よしのり。彼についてはいつからかとんと関心がなくなった。ワシズムが出たころは数巻買っていたような記憶があるので、そのころ関心が薄れたのだろう。SAPIOの連載も読まない。戦争論は二巻読んだが、率直にいうと凡庸だった。沖縄論については気取るわけではないが凡庸だった。彼の政治的な立場にあまり共感できなくなったというのもあるが、それ以前に彼が問題視している問題に問題性というのを感じられなくなってしまった。もうちょっと下品にいうと、反米のバックラッシュで普通の左翼と同じポジションにいるような感じがする。
 が、たまたま今週号かなSAPIOの連載を読んだ。彼の父の死と葬儀の話だ。今までご存命でよかったんじゃないかちょっとうらやましいなというふうに私などは思う。いずれにせよ、父親の死というのは男の人生にあるくっきりとした限界を描く。彼も漫画のなかで自身の死の線を引いて見せていた。満足に仕事ができるのは十年だろうと言う。そして彼も子がなく、残るカネがあれば寄付して終わるというものだった。
 ウィッキペディアをみると(参照)、「本名:小林善範、1953年8月31日-)は日本の漫画家、社会評論家。福岡県福岡市出身」とあり、台湾で販売されている台湾論の著者名小林善範は本名だったのか。私より五歳年上だったのか。すごい仕事量だな、偉いものだなと思う。と同時に、非難する意図はまるでないのだが、彼の政治漫画のあるマンネリ感のようなものは「老い」の一つの陰影なのかもしれない。老いていくということは他者の老いに実はあまり関心を持たなくなることでもあろう。
 川上弘美。彼女については私は最初からまるで関心がない。いや「蛇を踏む」(参照)を読んだことはある。その程度。なのに、今月の文藝春秋に「天にまします吾らが父ヨ、世界人類ガ、幸福デ、ありますヨウニ」というショートショートのちょっと長目みたいな短編があり、広告でも眺めるように読むともなく読んで奇妙な後味に苦しんだ。
 話の仕掛けは、川上を彷彿させる四十七歳の女性作家の独白というもので、ネタは二十年前の恋人と再会するというもの。主人公も昔の恋人も離婚していてという設定になっているが、川上弘美ってそうだったけとふと思う。ま、そんなことは作品とは直接関係ないだろうし、いやむしろ、それもネット用語でいう「釣り」ってやつかな。文藝春秋を読む世代も私(四十八歳)になってきたので、そのあたりが釣れるかなと。「センセイの鞄」(参照)で爺さんが釣れたように。
 昭和五十年ころの恋愛っていうのは……という話で、それなりにほいとおセックスというものではなかったみたいな話があり、では二十年後の再会でそのあたりは、ほいとおセックスとあいなるかというのがネタなのだが、なんつうか、四十七歳の男女のおセックスがむふふというのありかよというあたりで、はてな世代にドン引きとかタグられそうだ。でも、率直に言って、そのあたりの私の世代の幻想をうまく突いているなという感じがした。私のように五十歳を前にした男でも……むふふ……みたいなすげえ勘違い。
 小説で面白かったのは、四十七歳の女性の心情として、若い日の淡い恋心でマスターベーションするととても気持ちいいというあたりだ。そうか? 思わず、そうかそうかと電話でもしまくりたくなる感じだが。しかしそうしたことを含めて、これもまた「老い」というものの兆候なのだろう。
 天人五衰(参照)が象徴するようにこの世から三島由紀夫が消えたのは四十五歳のとき。彼はかすかな老いに耐え難いというのはあったのだろうが、普通の人はそこをやすやすと超え、そして気づかずあるいは再定義しつつ老いを生きていくことになる。

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2006.01.28

ヨガブーム雑感

 ヨガが流行っているらしい昨今を見ているとちょっと時代に乗り遅れたような不思議な感じがする。いや不思議でもないか。十年前日本ではヨガといえばまだオウム真理教みたいに思われることもあった時代だった。が、アメリカではすでにヨガブームだった。東京在の米人たちも米国から講師を招いてワークショップを開いていた。私も著名な講師ロドニー・イーのワークショップに参加した。彼とも少し話をしたこともある。
 あのころ三年くらい私もヨガをしていた。けっこう熱心にやっていて、初級のインストラークター向けのワークショップも終えた。昨今ちまたにあふれるヨガの写真とか見ると、あ、ここが違う、とか思う。千葉麗子のヨガとかきくと、このお師匠さんはSri Swami Satchidananda(参照)でしょとか思う。で、どうよではあるのだが。
 あのころヨガを熱心に学んでいたといっても正式なヨガのインストラクターとなるわけでもなく、他のボディワークにも関心を持ちつつ、なにかと曖昧な感じでいた。
 ヨガといえば、私も最初はいわゆるインド系のヨガに関心をもっていた。カルカッタまで行き欧米で有名なパラマハンサ・ヨガナンダの関連も見て回ったりもした。いろいろ思い出すことはあるが、私はヨガに神秘的なものを求めることもなく、インドのヨガというのも実際の歴史は浅いものだろうと考えるようになっていた。
 ミルチャ・エリアーデの著作などを読むと彼も若い日にヨガの実践者でもあり、百年くらい前のことがなんとなくわかる。そういえば、日本の中村天風などの逸話でもそうだ。ヨガを指導できるヨギたちは十九世紀くらいまでいたのだろう。エリアーデのヨガ修行以前になるだろうがトマス・バーナードの修行記には、ある階梯以上の秘技はすでにインドには残されていないというくだりもある。
 私はインドのヨガにそれほど関心をもたなくなり、今はやりの米国風のヨガにシフトした。ただのワークアウトでもある。プロップ(小道具)なども使った。当時日本にはなくて船便で送ってもらった。なぜこんなプロップがあるのか疑問に思っていたが、未だによくわからない。アイアンガー自身の考案によるようではある。
 アイアンガーは誰にヨガを習ったかも私ははっきりと知らない。Sri K Patthabi Joisを介しさらにその師匠はT.Krishnamacharya(参照)でもあるようだ。そうなのかもしれない。このあたりの系譜から、アイアンガー・ヨガにも似たアシュタンガ・ヨガなどもある。現在のパワーヨガみたいなのはこの系統なのだろう。もっとも、米国では師弟の系譜はそれほど重視されず、ロドニーのヨガも必ずしもアイアンガーの系統でもないようだ。ま、そういうのもあまり関心なくなった。
 いつだったかアイアンガーの高弟らしいおばあちゃんのワークショップに参加したことがある。リラクセーション関連だった。プロップなども使った。リハビリテーションかなという印象も持つほど、のったりとしたヨガだったが、私のやっているヨガをちょこちょこと直してくれた。このとき、私はそれまでのヨガというのを抜本的に勘違いしているのではないかと思った。今でもそんな感じがしている。ヨガはたぶん、TMS(参照)などと関連した、無意識と身体の技法なのではないか。そのあたりは、同時に学んでいたフェルデンクライスからも感じるものがあった。
 そういえば昨今呼吸法みたいのも流行っているようだ。胸式ではなく腹式がいいとか、ヨガの呼吸法は腹式だとかいろんなことをいろんな人が言っている。グルジェフが「注目すべき人々との出会い」(参照)で理解していしない呼吸法訓練は長期には危険をもたらすのではないかと示唆していた。そういえば、クリシュナムルティも学校の先生としては教科でヨガを教えていたようだが、彼の指導は、対談などから想像するに、呼吸を理解させることから始まっていた。
 我々が身体に対してどういうインサイトを持つか、そのインサイトのありかたそれ自体を身体の運動に分離させないようなありかたとはなんなのか。そんなことは今でもぼんやり思うことがある。

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2006.01.27

シンガポールにおける政府系出会い系

 英語の"Social Development Unit"をなんと訳すか。英辞郎をひいたらなんも出てこなかった。Unitを消して"Social Development"なら出てくる。「社会開発」とか「社会的発展」とか。"Social Development Research Center"だと(財)社会開発研究センターだそうだ。ふーん。これも何かのご縁というものだ。ちとサイトを覗く。事業分野とやらを見る(参照)。


財団法人社会開発研究センターでは、以下の事業分野において、研究調査業務を行っております。
 ・計画制度・計画システムの研究・提案
 ・国土計画・広域圏計画・市町村計画の調査・立案
 ・地区整備・施設整備の計画・管理
 ・調査研究・計画づくりのコーディネート・情報交換等
 ・地域振興・産業振興
 ・福祉介護計画
 ・行 政 経 営
 ・教育・人材育成

 わかんない……五十秒沈黙……はっ、復活。
 話を戻して、"Social Development Unit"だが、内容面でずばり言うと、子作り促進センター、というか、違うか。シンガポールのお役所だ。
 ネットを見ると東証のサイトに記事がある。"お見合いだって国家事業、図書館だって出会いの場 "(参照)より。

「社会開発局(Social Development Unit)」という名称から、みなさんはどのような仕事を想像されますか?実はこのSDU、シンガポールの「国営お見合いセンター」なのです。

 正解は「国営お見合いセンター」。

ともあれ、多くのカップルをまとめるために、SDUでは知恵を絞っており、昨年は2時間で17人の相手と出会えるという「Speed Dates」を導入し、今年に入っても未婚のカップル向けの「デート指南書」を発行したりと新機軸を打ち出しています。

 こ、これだ!っていう感じもするが、なんか記憶にひっかかる。日本にもすでにあったんじゃないか。いや、アレは国営じゃなかったか。
 っていうアレは、戦後の集団見合い。いや、集團見合というべきか。三百人近くが多摩川に集まったというスゴイ映像を見たことある。なんかの宗教かみたいな。昭和二十三年頃にはなんどか開催されたようだ。それで生まれたのが、っていうか団塊世代?
 話をシンガポールの「国営お見合いセンター」に戻す。
 対象は大卒。二年間無料、さらに二年延長も千五百円くらい。でも、当然というか、それほど人気がない。十年ぐらい前からある組織だけど効果は微妙。会員は一万人ほどで成婚はその十分の一、年間千人くらいだったか。
 最近の「国営お見合いセンター」はどうかなと、少子化だよな年末とかだとさ、みたいになんとなく年末に気になっていたのだが、今朝ラジオで最近の話を聞いた。
 驚いた。盛況と言っていいらしい。二〇〇三年二万五千人の会員が〇四年に三万二千五〇〇人と増加。成婚は四千人。なんかイノベーションでもあったのか。
 よくわかんないのだが、各種イベントとかネットの活用がよいらしい。政府系出会い系っていうことだ。
 って書いててちょっと変な気持ちにはなるよな。

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2006.01.26

大学全入時代というのだそうだ

 昨日だったか朝のラジオを聞いていたら、白石真澄東洋大学助教授が「少子化時代の大学の生き残り策」という話をしていた。現在の日本の大学について私はあまり関心はないが、なにげに聞いていたら面白かった。
 えっと驚いた思ったのは、青学の厚木キャンパスってもう無くなっているのかということ。知らなかった。なんどか行ったことがあるので懐かしい。ネットを見たら「今は無き、青山学院大学 厚木キャンパスを懐かしんで・・・ 」というリードのある「青山学院大学  厚木キャンパス」というブログを見つけた(参照)。チャペルも無くなったのか。トンネルの写真とかちょっと胸きゅんものだな。
 ラジオの話は、少子化が進んだ結果、来年から大学全入時代というのになるのだそうだ。そりゃそうか。すでに大学側でも優秀な学生を高校から青田買いみたいにしている実態は知っていたので、それほどには違和感はない。
 私立共済事業団とかいう団体の調査では、私立の三割で定員割れだそうだ。と、話をさらに聞いていると、短大の四割で定員割れともあった。ということは、大学の定員割れというより、短大がなくなりましたということか。そういえば、沖縄にいた頃、沖縄キリスト教短期大学原喜美学長による、沖縄キリスト教学院大学創立への向けての話を聞く機会があり、大学の経営というのは大変なものだなと思ったものだ。前向きな経営の短大はすでに四年制化しているのだろう。
 定員割れは地域差もあるとのこと。それは常識でもわかる。定員割れが進む地域としては、中国、四国、北海道、九州あたりらしい。沖縄は九州ということになるのだろうか。もう少し地域の状況を知りたいとも思ったので、なにかのおりに調べてみたい。
 私大の場合定員割れ半数になると補助金がなくなり、つまり、自動的にといっていいだろう、つぶれる。大学全入時代はイコール大学統廃合時代でもあるし、人気のある大学と不人気な大学との二極化でもあるのだろう、と言ったものの、「二極化」というタームにだまされているかな。
 大学はどうするかというと、当然経営努力とかマーケティングとかするわけで、先の青学の厚木キャンパス閉鎖もそうした一環だろう。あれは、ちょっとすごい所だったし。
 キャンパスの作りは学生の人気の重要ポイントでもあるらしく、明治大学はリバティタワーによって志願者を一万人増やしたそうだ。へぇ。
 いずれにせよ、大学こそ都心回帰が激しくなる。親御さんも子供を自宅から通学させやすいし、夜間など社会人教育というビジネスも開ける。……逆に言うと、キャンパスを八〇年代以降山奥に移転していたのはなぜだったのだろうか、少子化が予想されてなかったのかとも疑問に思える。
 当然ながら、大学も政府みたいに歳出削減に尽力するらしい。で、人件費だよね。いや、そうなると、非常勤講師とかになかなか美しい話がいろいろありそうなのは予想が付くが、ラジオの話では、もっとマーヴェラスなのは助手のようだ。期限付き採用というのがあるらしい。学者さんも厳しい世界になるか、いや以前もそうだったか。
 大学というものの社会的な意味が変わるということなんだろうが、その変化後のイメージが今ひとつよくわからない。大学というのは、教育・研究・地域社会貢献とかが重要と言われているが、自分の経験でも思うのは、大学は青春というもののプロバイダーでもあるだろう。そのあたりの若さの活動の充実度が、単純に都市性に還元されるのは、ちょっと違うかなという感じもする。

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2006.01.25

[書評]山本七平の日本の歴史(山本七平)

 「山本七平の日本の歴史」()は昭和四十八年雑誌「諸君」一月から二十二回にわたって連載された「ベンダサン氏の日本歴史」が昨年書籍化されたものである。

cover
山本七平の日本の歴史〈上〉
 オリジナルを見るとわかるように当時の著者はイザヤ・ベンダサンであった。それが「山本七平の」と変わるには著作権の移動の問題などがあったのだろう。二人は別のコピーライト保持者でもあったからだ。しかし、この問題についてはこのエントリでは立ち入らない。当時のオリジナルを読んだ私としては著者をベンダサンとしておきたい。
 本書が書籍として刊行されたのは没後の評価に衰えのない山本七平の著作の関連ということもあるだろうが、二〇〇三年の高沢秀次「戦後日本の論点 山本七平の見た日本(ちくま新書)」(参照)も大きな要因ではなかっただろうか。「ベンダサン氏の日本歴史」の意味を従来になく深く掘り下げている。
 このエントリでは本書の全体については扱わない。下巻十四章「タブーに触れた北条高時」について、ほんの少しだけど書いてみたいと思っただけだ。
 太平記などを読んだ者は、と言いたいが、現代においてはオリジナルを読み下した者はそう多くはなかろう。一般には吉川英治「私本太平記」(参照)などで読まれている。平成三年のNHK大河ドラマ「太平記」も吉川英治を原作としていた。北条高時は片岡鶴太郎が好演していた。
 太平記の物語では北条高時は痴れ者というか悪人として描かれている。なぜかとあらためて問われると、そういうもんじゃないですかと太平記的な物語の文脈で答えたくなるものだが、歴史学的には答えがたい。

さて、その非難・嘲罵の裏付けとなる政治的行為を立証すべき史料となると皆無に等しいからである。このことは逆にこの非難すべき”逆賊”に、特に大きな失政がなかったことを立証しているのであろう。


彼は生涯、自分の方から天皇に対して何事かを積極的に行なったことはない。常に受け身であり、常に、執拗きわまりない攻撃にさらされていただけである。従って彼に関する史料が皆無であっても不思議ではなく、もし時代が平等に推移すれば、彼は、その前任者の基時と同じように、歴史から忘れられた平凡な執権の一人となったであろう。

 ではなぜ、北条高時は失脚し、そして歴史の物語に汚名として残ったのか。
 ベンダサンは彼がタブーに触れたからだろうと考えている。
 では、北条高時が触れたタブーとはなんであったか。現代からすればなぜと思えるが、それは田楽と闘犬であったようだ。武家は天皇を奉るという国体の建前からすれば仮の権力者であるのだから、質素におごそかに統治者の振る舞いをすべきはずの立場である。だが彼は遊興に耽っていた。そのために民に苦を強いたりもした。それがタブーであった。建前の規則を破ってしまっていた。
 ベンダサンは社会現象を見るとき、どの社会にもタブーというものがあるという視点を強調する。

 言うまでもなく、北条高時政権の崩壊と、アメリカでのニクソン政権の崩壊には、共通する面もあれば、共通しない面もある。共通する面をあげれば、高時の失脚が「武家政権」の崩壊にはならなかったように、ニクソンの失脚は大統領制の崩壊にはならないこと、もう一つは、両者とも、政策の失敗よりむしろタブーに触れて失脚した、ということであろう。従って厳密にいえば政治的失脚ではない。


 タブー これは政治における最もやっかいな要素であり、通常、歴史家も同時代の批評家もこの点には触れない。ニクソンの辞任について、日本でもさまざまな批評が出ていると思うが、その中にもおそらく、「ニクソンはアメリカのタブーに触れたから失脚した」という批評はないであろう。

 タブーはどのように形成されるのだろうか。ベンダサンは歴史が結果的に作り上げるものだとしている。それはそうかもしれない。
cover
戦後日本の論点
山本七平の見た日本
 どの社会でもその世間はタブーというものを明瞭に言語化しないが、およそその世間を生きる構成員は知っている。そしてその違反者を結果的に罰せずにはおかない。恐るべき事に、タブーは法よりも強い。近代国家なら法がタブー違反者を守るべき役目にあるはずなのに。

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2006.01.24

ホリエモン、逮捕

 昨日九時過ぎにDVRのようすをチェックしたら、楽しみにしていた八時からのNHK「地球、ふしぎ大自然」が録画されていない。変だなと思ったら、ホリエモン逮捕の特番のようになっている。ホリエモン逮捕なんてどうでもいいから「追跡!カブトムシ大繁栄の秘密」が見たかった。その番組は来週になるらしい。
 で、ホリエモン、逮捕。
 確かにこの一週間の流れに乗ればさすがにそうなるのだろうなとは思った。ただ、一週間前「極東ブログ: ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを」(参照)を書いたときは、こんな微罪でどうすんだろと思っていた。この手の犯罪は執行猶予が付き刑務所入りはありえないので「この件で、ホリエモン、豚箱へということはない」と書いた。今朝になって一週間前のエントリに愉快な匿名コメントが付いていたの見た。


>この件で、ホリエモン、豚箱へということはない。

おもいっきりハズシましたね~w
次回のエントリを楽しみにしています。

名前: SS | 2006年1月24日 午前 12時24分


 ご愛読ありがとう。豚箱=拘置所ならハズシだろうし、イノシシ逮捕とか息巻いていた検察マンセーなブログが大当たりなのだろうね。そんなことはそれほどどうというものでもないが、少し落胆したのは、その後の世情を見ていると、ホリエモン逮捕がそんなに嬉しいか、藻前ら、という感じ。
 誤解されないように書くが、私は一貫してホリエモンのシンパではない。私がどうホリエモンを見ていたかは、過去のエントリを読んでいただけばわかるが……と、この機にまとめておこう。一見関係なさそうに見せたエントリもあるが。

  • 2005.02.09 新年好! ホリエモン(参照
  • 2005.02.23 負けたのか、ホリエモン(参照
  • 2005.03.05 ホリエモン・オペラ、間奏曲(参照
  • 2005.03.18 釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世(参照
  • 2005.03.19 モーソーモーソーとホリエモンは言う(参照
  • 2005.03.27 終わったのか、ホリエモン(参照
  • 2005.04.19 ホリエモン騒動終結、私的総括(参照
  • 2005.05.20 [書評]希望格差社会(山田昌弘)(参照
  • 2005.09.09 二〇〇五年衆院選挙予想(参照
  • 2006.01.17 ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを(参照
  • 2006.01.18 フィナンシャル・タイムズがホリエモンを称える(参照
  • 2006.01.19 マネックス・ショック(参照
  • 2006.01.20 国際連帯税とかトービン税とか(参照
  • 2006.01.21 ライブドア騒動、現状の感想(参照
  • 2006.01.23 日本文化の誤訳のほうがわかりやすいとか(参照

 話を戻す。
 昨晩十時になってからNHKのニュースを見た。よくわからない。単純な疑問は二点。一つは、これはそんなに特殊な犯罪なのか。もう一つは、熊谷史人取締役は今回のスキームから外したのか。私の関心はむしろこっちにあるのだが。
 NHKのニュースが要領を得ないので、切るか、くだらね、と思っていると、専門家らしき人のコメントが出てきた。曰く、今回の容疑だが、個々の事例ではグレーだが、流れとして見ると犯罪だという認識に検察が立ったのだろう、という感じ。専門家はちゃんと言うじゃないか。
 今朝になり、朝飯買いにコンビニに寄ったついでにライブドアのお仲間か宿敵かの産経新聞を買った。一年前から少数の東京地検特捜部が動いていたという記事もあった。他、ネットの毎日新聞記事”ライブドア:関係者から詳細資料 堀江社長追い詰める”(参照)を見るとこうもある。

 東京地検特捜部は、成田国際空港を巡る官製談合事件の強制捜査に着手した昨年秋ごろ、極秘に捜査を本格化させた。官製談合事件に特捜部外からの応援検事を投入しながら、特捜部内に数人の検事を残す専従班態勢を維持した。
 端緒はマスコミなどからの情報提供で、その後、グループ会社の元幹部から重要な証言を引き出した。“動かぬ証拠”である幹部間の電子メール、財務諸表なども入手して、強制捜査の準備を進めた。

 「マスコミなど」について野暮な補足は不要だろう。ライブドア側も特捜部の動きは察知していたようだ。

 だが、後に“真犯人”が判明する。関係者によると、特捜部が昨年参考人聴取したライブドア関係者が、会社側に事情聴取を受けた事実を伝えていた。特捜部が「内部通報者」と信じた関係者が、実はライブドアグループ側の人間だった。特捜部は現在、専門家の協力を得て削除されたデータの復元に努めている。
 18日夜に飛び込んだエイチ・エス証券副社長(38)自殺の情報も、特捜部を驚かせた。ライブドアグループの子会社社長を務め、宮内取締役と関係が深い副社長が、那覇市のホテルで失血死していた。19日朝、地検幹部らは普段より早い時間に出勤して対策を協議したが「副社長は事件に深くは関与していなかった」と判断した模様だ。

 「判断した模様」がナイス。
 同記事では、ホリエモン逮捕には「もう少し時間をかけたい」という「現場の本音」も伝えている。法務・検察幹部にしてみても、ここは一発押し通すかということでゴリっとやってしまった。その後の東証の経緯を見れば、メンツ優先で市場への配慮などなかったのだろう。ひでーもんだな、検察は、と私は思う。
 新聞各紙の社説もざっと読んだが、コメントすべきこともなし。ブログもざっと見回したら、早々に散人先生がきちんと検察のドジをついていた(参照)。

そんな投資家も、検察が動かなかったら、損失をこうむらなかった。検察がアホ投資家の損失を具現化したとも言える。


ホリエモンもいい加減だが、彼の逮捕に一種の「嫉妬感情」と「国家権力」の法律の恣意的運用を感じるのは思いこみ過ぎか。

 まったく同感。
 他に、「ふぉーりん・あとにーの憂鬱」” 「正義」のコスト”(参照)も同感。

そして、内部で事実関係を確認しようにも、今回のようにいきなり強制捜索がなされ、一切合切の書類が差し押さえられてしまえば、何も対応のしようがありません。アメリカであれば、弁護士の最初の仕事は、こうした書類の提出に関する範囲や手続について捜査機関との合意です。日常業務への影響や被疑者側の防御の権利を図りつつ、捜査の便宜や証拠隠滅を防ぐための手順について、捜査機関と弁護士が合意をし、その合意に従って、捜査機関側への書類の提出手続が内部調査と並行して粛々と進められていきます。


私にとっては、ライブドアが「最終的に」どれだけのことをやっていたかではなく、「この1週間の間に」ライブドアに起きたことが、とても恐ろしいことのように思えてなりません。

 私もそう思う。ここに日本の国家が恐怖として顔を覗かせていて、マスコミも法も無力になっている。
 起訴・捜査権限を持っている検察が暴走したとき、しかも世論がその犯罪の詳細を知らされずプリミティブな勧善懲悪の空気を醸し出したとき、どうしたらいいのか。
 多分、どうにもならないのだろう。ま、今になって始まったことではないが。

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2006.01.23

日本文化の誤訳のほうがわかりやすいとか

 雑談である。昨年の日本版ニューズウィーク12・14号のカバーは「ニッポンを誤訳するアメリカ」というものだった。話は映画『SAYURI』に寄せて書かれたもので、リードには「芸者を演じるのは中国人女優、せりふは英語。話題作『SAYURI』が映すハリウッドの誤解と偏見の元凶に迫る」とある。記事の英語版はネットに見あたらないようだが、あるだろうか。で、この記事だが、日本通のデーナ・ルイス女史も加わっているせいか、読めたもんにはなっている。もう一つ釣りを引用する。


いよいよ日米で同時公開される映画『SAYURI』が描くのは
中国人女優が英語のせりふで芸者を演じる、ファンタジーとしての日本
文化を「意訳」するハリウッドの手法はステレオタイプを助長し
日本への誤解やアジア文化の混同をさらにアメリカ人の間に広めかねない

 そうはいっても、日本文化を広く米人に理解させようとしても無理は無理。となると逆に、相手の固定観念に乗ったほうが理解が得やすい。ハリウッドらしいじゃないか。
 理解が得られるように書くとか演じるとかいうのは、それがカネを出しての演出となれば、とても重要なことだ。
 よくわかりやすい文章書き方とかのコツとかがブログのネタになることがあるが、わかりやすい文章なんていうのは、読み手の固定観念に沿ったものではなくてはならない。
 コミュニケーション技術といったってそうだ。相手の固定観念を前提にしなければ通じるわけがない。日本人がどんなに米国牛肉に疑問を持っているかなんて米人に通じるわけはないので、米人に通じるような仕掛けが必要になるというものだ。
 もっといえば、異文化間でなにか伝達するなら、その聴衆の固定観念に沿って演じるに限る。たとえば、日本人には不可解なことでも、そうか日本人っていうのはそういうものか、という米人とかの固定観念があるなら、それに乗っ取った演出をすれば、行動やできごとのメッセージは単刀直入にぶすりと伝わるものだ。
 そういうわけで、米人に日本文化を理解させるより、米人とかが日本文化をどう誤解しているかをリストアップしてそのコードを考えていくほうがいいだろう。
 ということで思い出すことがある。私事になるが、昔米人のインテリと一緒の部署で仕事をしていたことがあった。こいつがインテリでなんつうか、とてもポライトなんだが内心日本人を軽蔑とまではいかないにせよ未文明国家の国民と見ているような感じがした。なんだかんだあって、こいつと仕事させるには、私のようなズレた日本人が適任じゃないかと白羽の矢が立ったようだ。
 で、ま、それなりに対応した。双方、気が合う相手ではなかったが、それなりに認め合ったようでもあり、雑談などもしたのだが、そのひとつテーマが日本文化だった。ちょっと辟易とした。
 こやつ、漢字とか勉強している。「ちみもうりょうって漢字で書けますか」とか訊かれたときは、そんなもの書けるわけないだろ、と脊髄反射的に答えるや、こやつ、さらりと、魑魅魍魎とか達筆で書きましたね。「巷間に魑魅魍魎が跋扈する」……そんな日本語使わないって。
 そのうち、こやつ、でっかいウェブスターをあてどなく見ているているので、さては日本語熱も冷めたかと思ったら、そうじゃない。英語になった変な日本語リストを作っているのだ。ヲイ。
 それで知ったのだが、torii(鳥居)とか英語の辞書に載っているのな(参照)。そんな言葉、英語の辞書に掲載する意味があるのかわからないが、後、沖縄で暮らして、Torii Stationというのを知った。
 他に、「つつがむし、知ってますか」とか訊かれた。んなもの名前しか知らないよと答えると、辞書を見せてくれた。あった。ネットのウェブスターを見ると、tsutsugamushi disease(参照)である。なんでそんな言葉が英語になっているかと見ると、なんか歴史がありそうだ。

Etymology: Japanese tsutsugamushi scrub typhus mite, from tsutsuga sickness + mushi insect
: an acute febrile bacterial disease that is caused by a rickettsia (Rickettsia tsutsugamushi) transmitted by mite larvae, resembles louse-borne typhus, and is widespread in the western Pacific area -- called also scrub typhus, tsutsugamushi

 その手の話で、そう驚きもしなかかったの言葉が、hara-kiri(腹切り)である。
 ウェブスターに載っている(参照)。普通、「腹切り」なんて日本人は言わないよ。では、なんというのか? 切腹、seppukuだよ。これですか(参照)。そんな言葉が載っているのか。と見ると、hara-kiriを見よである。

Etymology: Japanese harakiri, from hara belly + kiri cutting
1 : ritual suicide by disembowelment practiced by the Japanese samurai or formerly decreed by a court in lieu of the death penalty
2 : SUICIDE 1b

 まんじりと語義を見ると、え゛っ、hara-kiriってsuicideってか。うーむ。確かに、自決ともいうが、自殺というのは違うような……と思った。
 ま、hara-kiriなんていう英語は普通に英語をしゃべる外人も知らないだろうが、そういう日本文化特有の自殺の方法というのはそれなりに知られているし、日本人が腹を切ったら=自殺、というのは、あまりにもわかりやすいディスプレイ(演出)だよなと思っていたら……先日、二〇日付けでロイターで”Japan suicide latest of many sparked by scandal”(参照)という記事を見つけた。

But the incident surprised few in Japan, where suicide is not prohibited by religious beliefs and death has long been seen as a way to escape failure or protect loved ones from shame.

Indeed, ritual disembowelment, or "harakiri," was an accepted form of punishment for the samurai warrior class for hundreds of years.


 やっぱ外人はそう見るか。そんな記事を書くか。まったく、誤解も甚だしいな……と思うのは日本人だけで、伝達したい相手にわかりやすいって考えると全然違う文脈になるかもしれない。
 誰にとってわかりやすい話だったかといえば、日本人じゃないってことなんだろう。

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2006.01.22

ショコラ・オランジェを作るの巻

 デパ地下に行ったらやたらとチョコが売られているのでそうかパレンタインデーかと思った。そんな記念日は私には追憶以外に意味はないのだが、ついでにうまそうなチョコはないかと物色してみた。が、ダメっぽい。
 私はアソートがそれほど好きではない。単純なのがいい。フェアトレードのですら、ちょっと味がしょっぱげなのだがなんだが、いいかという感じ……でもないか。基本的にビターで舌触りがよくて云々。
 ゴディバが苦手。そんなに悪くないんだけど苦手は苦手。意外とあれっておいしくないんじゃないのとか言う気はありません。でもなぁ、ゴディバのオランジェはいただけないなぁ……そうだ、オランジェ。

cover
大東カカオ・チョコレート
ビター
 以前はフランスのをオーダーしていた。なんでもオランジェ作り三代というので日本チョコレートが直輸入していたのだが、もう輸入しないのだそうだ。
 こういうときは、作るか、無謀にも。なのだが、さすがにうまくいかない。オレンジピールがね、うまくできないんだよ。チョコの部分は大東カカオのチョコレートのビターでけっこういいのだけど。
cover
オレンジピール
 で、そうか、ピールの部分だけ買えばいいじゃんと発想の転換。偉そうなピール(ラメル)をめっけたので作ったら、簡単で、激ウマーでしたよ。味はピールで決まります。どうやらオレンジ自体がいわゆる米国オレンジとかじゃだめみたいだ。ついでにレモン・ピールのも作ったけど、これもよいです。っていうか、レモンもけっこうよい。
cover
ディップ後
 作り方は簡単。普通にチョコで型を作ったことのある人なら特にどってことない。チョコを湯煎して溶かして、ピールをディップ。そいだけ。
cover
ヴァンホーテン
でかいでしょ
 あとは冷やすだけでいいのだけど、あれ、冷え切る前にココアまぶし。ヴァンホーテンがよいですよ。ちなみに、ヴァンホーテンはでかい缶のがいい、あまり売ってないけど。
 うーむ、話はそれだけ。意外に簡単なんで作ってみるといいですよ。

cover
これで完成

追記(2006.1.23)
 antiECOさんから、「まぶした残りのココアパウダーは何処へ?」というコメントをいただく。言い忘れていた。このあと、ころころと転がして裏面などにパウダーを付ける。これでほとんど無駄はないのだが、それでも多少残るのでかき集めて、オランジェを納めたボックスの上から撒いておく。オランジェがなくなって最後に残るパウダーは? それはホッチョコ。

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2006.01.21

ライブドア騒動、現状の感想

 ライブドア家宅捜索からその経営の実態がわかるにつれ世間でも大きな話題になってきた。現状のニュースからは巨額のマネーを幹部数名で操作していたようでもあることに加え、ライブドア子会社の元取締役で堀江貴文社長側近だったエイチ・エス証券の野口英昭副社長が怪死を遂げたこともあって、ある年代以上の人なら、十年前のオウム真理教事件や昭和六十年の豊田商事事件などをつい自動的に連想してしまうだろう。もちろん、共通点もあり、その共通性が日本の変わらない暗部を示していると考えたくもなるものだ。
 事の推移で私が気になっていることとしては二つあり、簡単に世相に対するログとして記しておきたい。
 一つは、株式全体が暴落といった波及はないものの、そして先日書いたマネックス・ショック(参照)や東証のシステム不備や対応のまずさをさておくとしても、株式市場への影響は自分が予想したより大きかったかなということ。2ちゃんねる創設に関わったひろゆき氏が”小を捨て大を取るためにライブドアを上場廃止にするんじゃないかなぁ。”(参照)という愉快なエントリをあげていたが……。


 昨日、東京証券取引所は注文件数がさばけなくて途中でシステムを停止しました。
 さて、ライブドアの売り注文は2億6000万株とか出ているわけですが、東証が1日に処理できる件数は400万件しかありません。
 単純に計算しても65日かかるわけです。

 釣られるのもブログの醍醐味なので野暮な突っ込みはなしとして、FujiSankei Business i.”上場廃止への不安広がる 売買単位で全市場の3割超”(参照)は、へぇと思った。

 ライブドアの株式数が全市場で流通する株(単元株ベース)の三割超を占めていることが二十日分かった。株式分割による投資単位の極端な引き下げで、多くの個人投資家が同株の取引に参加。同社が上場廃止に至った場合、相場にどこまで影響を与えるのか不安が急速に広がっている。

 我ながら株に疎いというのは情けないもので、二〇〇四年度の株式分布調査では単元株ベースで見るとライブドア株は株式分割の影響で市場全体の三割を占めていたそうだ。すでにある意味では異常事態だったわけだ。とすれば、東京地検特捜部は今回の家宅捜索でなにが連鎖されることは織り込み済みだったのだろう。そして、この事件を契機に、日本の株式の大きな部分が変わることになる。
 もう一点は、エイチ・エス証券の野口英昭副社長の怪死だが、ニュースをよく追ってないのでわからないのだが、メディア的には自殺ということに落ち着いたのだろうか。殺人事件的に考えるとその具体的な手口が想定しづらいのでその分、他殺説は込み入ったものになるだろう。
 気になってそういえばと2ちゃんねるを覗いたら案の定奇っ怪な情報があげられていて、そのわりに基礎的な裏が間違っているというのがわざとかなのか釣られる熊なのか、またこれをネタにふかしブログが政局へ向けて愉快に書いてくれるのか……それもまたネットやブログに求められるニーズというものだろう。かなり詳細に答えられそうな人はなぜか沈黙しているのも問題の複雑さを暗示しているのだろう。
 ブログでは、すでに他殺でしょ警察はちゃんと調べろみたいな息巻きの稚拙なエントリも見かけたが、警察としても言われるまでもないんだけどなであろう。全体構図で見ると、自殺・他殺であれ、機能的には口封じというかある重要な情報は闇に葬られたということであり、さて、その葬られた情報とはなんだったのだろうかということと、本当に情報は埋葬されたのかというあたりの疑問は残る。
 改めて自殺であったのだろうか、とぼんやり思うのは、私は、人はカネでは死なないんじゃないかと思っているからだ(カネたのめで殺すはよくあるが)。いやそんなことはない、人はカネで死んでいるじゃないかと言われそうだが、それはある程度心の病気にまでなったか、他の理由があるからだ。つまり、カネに追いつめられた他の理由というのがけっこう人を殺す。で、その大半というのは、端的に言えば、絶望か、愛情か、だろう、悲しいことだが。
 絶望はカネに結びつかなくても人を殺す。そういうものだ、とりあえず。そして、他面、人というのは愛情というものが確信できたら、死んでもしかたないか、死ぬかということになる。
 エイチ・エス証券の野口英昭副社長が怪死が自殺なら、絶望だっただろうか、愛情だっただろうか、と考えて、気分が悪くなった。愛情のない人間のほうが絶望を超えられるものかもしれない。

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2006.01.20

国際連帯税とかトービン税とか

 ライブドア錬金術の要の一つに海外ファンドがあるのだが、この海外ってなんだろねと疑問に思いつつも、この手の話題には深く関心はもたないこととして、と、他になにか心にひっかるなとぼんやりしているとトービン税を思い出し、ついでに昨日だったかラジオで聞いた国際連帯税を思い出した。
 話はちょっと古いのだが昨年十一月二十三日フランスが国際連帯税を決め、今年の七月から実施ということになった。ネットを見るとあまりニュースは残ってないというか、元々それほど国内では報道もされていなかったように思う。が、ロイターぱくりの共同記事”航空券に「国際連帯税」 フランス、来年導入へ”(参照)が残っていた。概要がてらに引用しておく。


フランス政府は23日の閣議で、貧困国のエイズ治療などへの支援資金に充てるため、航空券に「国際連帯税」を課税する方針を了承した。ロイター通信によると、今後、法案を議会に提出、来年7月からの新税導入を目指す。

 税額は同記事では、欧州内のエコノミーで1ユーロ(約一四〇円)ということ。ラジオではフランス国外について、約五六〇円としていた。クラスでも違うのだが、ビジネスクラスやファーストクラスではその十倍になるらしい。つまり、フランスからビジネスクラスで国外に出ると五千円は上澄みで取られて、貧困国援助に寄与できるというわけだ。
 日本国内で国際連帯税を扱っているオルタモンドもこのフランスの決定を受けてであろう、昨年十一月二十九日からブログ「航空券税アップデイト~ほっとけない国際連帯税ブログ」(参照)を開始している。が、それほどたいしたエントリもないし、現状トップに引用という明示もなく産経新聞の記事がベタと貼ってあるが産経新聞と提携しているのだろうか。
 その産経記事にもあるが、今回のフランスの国際連帯税導入で見込まれる収入は日本円にして約三百億円ほど。ちなみに、日本政府が昨年のサミットでエイズなど感染対策として五年間で支援すると約束した額は五千億円。日本は国際連帯税導入に乗り気ではないと言われることもあるが、実際には年間一千億円の支援をすると約束している。国際連帯税導入を日本にもという場合は、全体像のバランスも考慮すべきではあるのだろう。
 で、この国際連帯税だが、昨年のダボス会議(世界経済フォーラム年次総会)でまだまだEU憲法が行けると思いこんでいたシラクがぶち上げたものだった。過去記事”エイズ対策の財源 「外為取引・航空券に課徴金」シラク仏大統領が大胆提案”(読売2005.01.28)ではこう。

 講演の中でシラク大統領は、エイズ対策費として「少なくとも年間100億ドル(約1兆300億円)が必要なのに、現状では60億ドルしか集まっていない」と指摘。その上で、必要な財源確保のため、〈1〉外国為替取引に最大0.01%の課徴金を義務付ける〈2〉航空券一枚当たり1ドルを徴収する〈3〉飛行機や船舶の燃料費に一定の課徴金を課す――などの案を示した。

 それなりに約束は果たしたということはあるだろう。
 話を冒頭のぼんやりに戻すと、国際連帯税は昨今トービン税の文脈で語られている。トービン税とは……、とウィッキ先生を見たら、あれ、ない。ないのか、ほんとに。じゃ。これは、ノーベル経済学賞受賞者のジェームズ・トービン教授が一九七一年に提唱した国際的な税のありかたの提言。国際為替税とも言われていたのは、為替の取引に一パーセント未満の税金をかけることで投機マネーを抑制しようとしたため。
 検索しなおすと、オルタモンドに関連記事があった。なんか道に迷って同じところに出てきた感じでもある。とにかく、”altermonde いま、なぜトービン税!?”(参照)が詳しい。個人的には”altermonde トービン税にまつわる10の神話”(参照)に書かれている理屈がネットのリフレ派さんみたいな感じでおもしろい。
 このトービン税(国際為替税)だが、日本では元の主旨どおり九〇年代に投機の加熱をさますために検討されていたことがあったはずだ。十年前になるが、”円高対策 “奇手”続々、実現性は「?」 政府与党、意気込むが…”(読売1995.04.13)より。

 〈トービン税導入〉 ジェームズ・トービン米エール大学名誉教授らが提唱している外国為替取引税の導入構想を支持する声も出始めている。外為取引をするたびに取引高に応じた税金を課せば、短期売買を繰り返すほど負担が大きくなるから投機的な動きを抑制できるというものだ。
 ただ、世界中が同時に実施しなければ、効果が薄いのも事実で、「日本が検討を宣言するだけでは即効性が薄い」(大蔵省)。

 この間、この話はどうなっていたのか知らない。勘違いかもしれないが、導入しておいたら、貧困対策は別としてもそれなりに現在の日本にとって意味があったんじゃないか……とお茶を濁してみる。

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2006.01.19

マネックス・ショック

 昨日ボケなエントリを書いているさなか、東証が全面安で売買停止となった。あれま。世の中では、ライブドア・ショックということになっているらしい。ま、それはそうかもしれないんだが。しかし、これはマネックス・ショックでしょ。
 時事としてはロイター”[焦点]信用取引の投げで連鎖安、東証システム問題も加わり予断許さず”(参照)がわかりやすい。


 <マネックス・ショックの余震も継続>
 一部の証券会社が17日にライブドアの株券について、信用取引の担保掛目をゼロとする措置を実施したことも、影響が継続している。マネックス・ビーンズ・ホールディングス<8698.T>傘下のマネックス証券は、ライブドア<4753.T>および同社と関連のあるライブドアマーケティング<4759.T>、ライブドアオート<7602.T>、ターボリナックス<3777.OJ>、ダイナシティ<8901.Q>の計5銘柄の代用有価証券掛目をゼロに引き下げたが、17日の後場に下げが激しさを増したのは、これが要因との見方が出ている。
 17日の朝方は“ライブドア・ショック”だが、17日後場からの下げを“マネックス・ショック”と呼ぶ関係者も少なくない。

 「マネックス・ショック」は狭義には一七日のマネックス証券の信用取引の担保掛目ゼロ措置を指しているが、この記事のように広義にとらえていいように思う。事態の基本的な話は、FPN-ニュースコミュニティ”許されざるマネックス証券”(参照)がイロハから書かれていてわかりやすい。
 ニュースではそのあたりどう報道するのかなと十時のNHKニュースを見たら、マネックス証券の名前は出てこないものの、一応この事態と経緯をそれなりにきちんと取り上げていた。が、新聞報道などではあまりこのスジがはっきりと出てこない。今朝の新聞各紙社説では完全にネグられていた。
 多少扱った例として、読売新聞”ライブドア株、問い合わせ殺到”(参照)はこうなっている。

 一方、ネット証券各社の調査部門は、ライブドアグループに東京地検特捜部の捜索が入ったことから、相次ぎライブドア株の評価を下げた。楽天証券は最高のAから最低のEに。また、マネックス証券は同株の担保価値をゼロにした。

 株の評価を変えるというのと担保価値をゼロにするというのは全然次元の違う話ではないのか、というか、マネックス証券がこういう対処を取らなければ、事態は違っていたのではないか。
 マネックス証券としてもその事態の推測ができなかったのかもしれないし、私もこの措置を十七日の時点で知っていたがこんなランドスライドを起こすとは思ってもいなかった。デイトレの規模はそれほど大きくないし、むしろオイルマネーみたいのがどかんと流れているわけだから大きい枠の運動で決まるだろうなと思っていた。違っていた。
 そういえば当のマネックスの松本大社長のブログの今朝のエントリ”金融列伝 JM その2|松本大のつぶやき”(参照)は含蓄がある。

 JMは金融界の英雄です。本来は近づきがたい存在であるJMと親しくできることに、私はいつも感謝しています。
 今日はとても辛い日でしたが、そんな時に笑顔で現れて、励ましてくれたJMは、文字通り地上に降りた天使のようでした。

 私の勘違いかもしれないのだが、マネックス証券としては今回の措置がまずかったとは考えていないのだろうし、新聞報道などが「マネックス・ショック」をなんとなく避けているのもそれが違法行為でもないという配慮でもあるのだろう。
 代わりに日本の報道では、いや海外でも同じようなものだが、東証のシステムの不備が指摘されていた。たしかにそれはあるだろうが、日経社説”脆弱な構造映した株式市場の混乱”(参照)のユーモアは秀逸だった。

東証は19日以降、取引時間を短縮する一方、証券会社に投資家の注文をまとめて発注することで注文件数を抑制するよう要請した。インターネットを利用する投資家の小口注文がシステムへの負荷を高めていることに対応し、投資家に冷静な判断を促すための措置だが、これといった決め手がないのが実情だ。

 そうじゃないだろ、火に油を注いだんじゃんとか野暮は言うまい。ユーモアといえば……と他にも思うがそれほどたいしたことでもない。
 私は株については塩鮭を持っているだけなので昨今のことはわからなくなったが、株式市場というのは波乱もまたネタだし、今朝の寄りつきはいいんじゃないかとは思っていた。日経”日経平均、大幅反発で始まる・買い戻しの動き優勢に ”(参照)を見るととりあえずはいい。ま、これが終日続くかわからない。
 当のマネックス・ショックについては、特段対応というのもないので、デイトレによいお灸というくらいの話になるのだろう。もっとも、現場にいた人はきつい鉄火場であろうが、株は昔からそんなものでもあった。

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2006.01.18

フィナンシャル・タイムズがホリエモンを称える

 またホリエモン・ネタもどうかなと思うけど、フィナンシャル・タイムズ論説”Old guard's revenge”(参照)を読んで、ふーんと思ったのでふーんと書いてみる。ふーん。
 じゃ、話にならないので、印象というか感想をごくわずかに。今回のスラップ・スティックを海外がどう見ているかというのは気になるといえば気になるというかとても気になるじゃんかではある。で、フィナンシャル・タイムズ論説が言うというのだから、気になるわな。なんとおっしゃっておじゃるかというと、ホリエモン、あんさん、偉い、というのだ。フィナンシャル・タイムズがだよ。ふーん。
 理由があるらしい。しかも、三つも。干からびた猿の手のミイラの指を折るように、ひとーつ。


First, as one of its few large-scale successful entrepreneurs, he is an invigorating breath of fresh air in a country where individual initiative and new ideas are too often stifled at birth by hidebound bureaucracy and rigid corporate conformism.

 最初は、だ、ホリエモンは日本に元気をもたらしてくれたじゃないか。みんながんばろう。油絵画家みたいな亀井を打ち負かそう……みたいな。
 二つ目は。

Second, by doing deals that have frequently tested financial market rules, Mr Horie has highlighted the rules' inadequacies. That has provided much-needed impetus for reforms to improve transparency and fairness in Japan's clubbish capital markets.

 ほぉ。そーゆーのは由緒正しい日本語では、噛ませ犬、というのだな。あるいは、肥やし、とかも言うか。偉かった、あんさんのおかげで今日の日があるんや的。
 三つ目が通る。

Third, and most important, his aggressive methods have sent a shiver of apprehension through sleepy managements and challenged them to perform better.

 改革の呪いをあげた……狼煙だったか……ってやつか。
 ……そんな理由で……かどうか知らないがフィナンシャル・タイムズもなんか論旨になってないなボケみたいではあるが、とにもかくにもホリエモンを好意的に見ているよ熱烈というのだけはわかる。カネからカネを作っただけじゃんてことはないとかいうくだりもある。そんなの普通の資本主義でしょ、がたがた言うなということかも。
 にしても、フィナンシャル・タイムズのこの好感というのは、想像するに、該当記者がホリエモンに実際に会ったことがあるからなんじゃないか。ホリエモンというのは、それなりにカリスマな人なんだろう。私は個人的面識はないけど、ワンクッション置いた感じだと、そういうのはひしひしと伝わった。
 でもねぇ。随分と広げたライブドアの風呂敷の端っけに具体的に乗ってみると、つまり私なんぞも顧客になってみると、なんか経営って感じがしないんだよね。という私も、フィナンシャル・タイムズに批判される旧体制側の人間なんだろう。
 ここでちと考えてみるに、勘で言うだけなんだけど、たぶん、フィナンシャル・タイムズの言っているホリエモンの評価は、ボケ、とか日本人が言っても無意味で、外の世界はそういうもんか、と田舎のネズミ的に心得ておくべきなのだろう。
 そういえば、R30さんとこの”ライブドア死すともデイトレは死なず”(参照)でもこう。

 だから、たとえ今ライブドアを潰しても、日本の証券市場では短期売買の方が儲かるという(個人)投資家の信念を変えない限り、第二、第三のライブドアは生まれてくる。ライブドアの存在は、資本市場のプレーヤーの信念と持ちつ持たれつなのだから。霞ヶ関の方面に黒幕な方々がいらっしゃるようでしたら、ぜひそこんとこをよくお考えくださいな。

 ま、それもそゆことではあるんだろう。
 日本も確定拠出年金(401k)的にならざるをえないというか、カネのぶち込み先は株でしょにならざるをえないのなら、長期ホールドの投資の環境ができないといけないのだろうが、そのあたりで、よくわかんないなぁと思う。直接株ではないけど、郵貯の投信とか売れてるし。

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2006.01.17

ライブドア家宅捜索、お好みの陰謀論メニューを

 あまり気のしないが世事をログするブログとしては昨日のライブドア家宅捜索についてふれないわけにもいかない。
 予想された事態だったかというと、そのスジでは予想されていたのではないか。私は事情通ではないので知らなかった。が、違和感はなかった。昨日夕方NHKが報道のフライングをしたかのようでありそのあたりを疑問視するむきもあるようだが、私はそういう疑問は持たなかった。
 今回の家宅捜索は端的に言ってそれほど重罪というわけでもない。この件で、ホリエモン、豚箱へということはない。
 むしろ当面はメディアを巻き込んだ大げさな見せしめショーだろうし、しばらくまたお茶の間の話題提供だろう。今日は阪神大震災の追悼日、宮崎勤被告判決日、ヒューザー社長喚問といった話題が控えているのでそのカバーかと見るむきもあるようだが考え過ぎだろう。特にヒューザーの件では自民党衆院議員伊藤公介・元国土庁長官の関連が問われるかという期待もあるが、れいのきっこのブログまわりの不発弾拾いくらいだろう。小嶋進社長が耐震偽装の黒幕という線は出てきそうもない。問われるのは彼が偽装を知ってからの隠蔽工作ということで、当の問題の大筋からは早々に逸れているのである。
 ライブドアの家宅捜索だが、問題はなぜ当局がこれほど華やいだショーを演出したのかという意図にある。その華やぎの分だけ陰謀論を誘うのはさけがたい。いくつかメニューをご披露しよう。
 一、ライブドアの株式分割という錬金術に不正がありそうなので解明したい。このあたりの話は、松井証券松井道夫社長が一昨年の時点で”ひと烈伝 松井道夫氏 怒りを力に喧嘩を糧に(日経ビジネス)その1”(参照)が背景としてわかりやすい。どう見てもライブドアです。


 単刀直入を旨とする松井道夫も、この時ばかりは「しまった」と思ったのではないだろうか。ネット証券評議会が9月4日(土)午後に東京・渋谷公会堂で開いた個人投資家セミナー。評議会の会長として講演した松井は、個人投資家に人気のある何社かを念頭において「地獄に堕ちろですよ、これは」と口を滑らせたのだ。
 具体的な社名こそ上げなかったが、この発言を挟んで「株価水準が利益からでは説明できないぐらい高い」「訳の分からない株式分割をする」「投資家心理を手玉に取っている」「市場を自分の財布のように考えている」などと批判したから、会場にいた千数百人の個人投資家の大半はピンときた。
 実際、市場では1対100、1対11といった大幅な分割をして、株価水準を大幅に下げ資金力が乏しい若い投資からの投機資金を招き寄せ、何百億円もの資金を調達しようという企業が目についていた。株式分割の権利落ちから新株発行までの上場か部数が少なくなる局面で大量の自社株買いを仕掛けた会社もある。「株価を何だと思っているのか」と思わず問いただしたくなることが起きているのだ。

 このあたりの全体像については早々に解明が進行している模様。日経”ライブドア、本体でも株式交換偽装か”(参照)より。

 ライブドア関連会社を巡る証券取引法違反事件に絡み、ライブドアも2件の企業買収の際、自社株と買収先企業との株式を交換するとの虚偽情報を公表していた疑いがあることが、16日分かった。同社は03年以降、公表前後に株式分割を繰り返して株価をつり上げ、同社側に残った自社株を売却する一連の不正取引で、少なくとも数十億円の売却益を得たもようだ。

 二、ダイナシティとホンニャラ団関係。正月のラジオだったか対談で、宮脇磊介元内閣広報官が耐震偽装問題など気になる事件の背後に関東に移動しつつある暴力団の動きがあると力説しており、インタビュアーがじゃ何と突っ込むと、今は言えないという珍妙な応答があった。ま、このネタはネットにもころころしているし、お好きな方にはたまらないだろう。ま、そのスジがゼロということもないだろうし。
 三、フジテレビの逆襲。これで晴れて提携がチャラにできる云々。ま、ネタとしてはおもしろいが、フジへの傷手が大きい。読売新聞”ライブドア強制捜査、フジテレビに衝撃…提携に影響も”(参照)より。

 また、フジテレビは2005年9月末現在、ライブドアに12・75%を出資しており、堀江貴文社長に次ぐ第2位の大株主でもある。
 フジテレビは、ニッポン放送争奪戦の和解の一環として、ライブドアによる第三者割当増資を05年5月に440億円(1株329円)で引き受けたが、16日の終値は買値の2倍以上の696円で、今のところは大幅な含み益を抱えている。
 ただし、保有するライブドア株は、ライブドアの同意がなければ07年9月末まで第三者に譲渡できない制限がある。17日以降のライブドア株の株価次第ではフジテレビにも痛手になりそうだ。

 このままいけば莫大な含み損というストーリーにもなるのでそこまでしてやるのか。損得考えようでもある。
 四、コイズミの独裁、飯島秘書官の暗躍、チーム世耕の陰謀……、まぁ、愉快なストーリーをひねってくれ。パス。
 五、ライブドアへの資本の流れを解明。これは楽天についてもいえるのだが、いったい巨額なマネーの根っこはどこなんだろう(棒読み)という話。子細にはふれず。
 ま、そんなところか。
 私としては、五の線ではないかと思っているのだけどね。

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2006.01.16

[書評]ハウルの動く城

 そういえば正月「ハウルの動く城」(参照)を見た。いろいろ前評判なども聞いていたのがバイアスになっていて、ちょっと不安な感じもしたが、特に物語り上の破綻もなく、また映像としてもよく出来ていた。ジブリのなかではある意味で一番よく出来た作品ではないかと、言ってみて、ある意味っていうのは、外人が見てということかなと思い直した。

cover
ハウルの動く城
 宮崎駿の作品で一番重要なことは私にしてみると、なんであれ楽しめるかということであり、楽しめるという点では「紅の豚」(参照)に次ぐものだった。なんであれ楽しいではないかと中途まで見つつ、半ばあたりで奇妙に考えこまされた。率直に言うと、この映画の主題は、東京大空襲ではないのか。誰かがそんな指摘をしているか知らない。欧米人もこの映画を評価していただろうから、ロンドンの空爆やドレスデン空爆などの連想があり、その意味で一般的な空爆のイメージでとらえられるのだろう……しかし、やはり、これは、東京大空襲なのではないかと、映像による歴史の無意識へに問いかけが強くなってきた。
 ならば、しかたないな、その線でこの映画のメッセージを解いてみようかという気持ちになった。もちろん、それは私の個人的な趣味にしかすぎないだろうが。
 プロットにはわかりやすい一つの謎が仕組まれている。カルシファ(炎)とハウル(鳥)の謎だ。どのような趣味的な解釈であれ、この謎解きをベースにするしかあるまい。
 スポイラーになるが、謎は……、ハウルの子供時代、天界から地上に落ちてきた星の子をハウルが受け止め、飲み込み、その心臓(ハート)を与えることで星の子は悪魔カルシファーとなりハウルは心臓(ハート)を失う……という関係になったこと。
 言うまでもなく、原作のカルシファー(Calcifer)は、これはルシファー、つまりルシフェル(Lucifer)の洒落である。イザヤ書に「黎明の子」とある(14-12)。

黎明の子、明けの明星よ、
あなたは天から落ちてしまった。
もろもろの国を倒した者たちよ、
あなたは切られて地に倒れてしまった。

 また、同じくイザヤ書の炭火のイメージもあるだろう(6-6)。

 その時セラピムのひとりが火ばしをもって、祭壇の上から取った燃えている炭を手に携え、わたしのところに飛んできて、わたしの口に触れて言った、「見よ、これがあなたのくちびるにふれたので、あなたの悪はのぞかれ、あなたの罪はゆるされた」

 セラピムには鳥のイメージがあるのでこの構図は、ハウルの物語とはネガのような関係になっているが、しかしそれほどの対応ではないだろう。ついでに言えば、ソフィー(Sophie)は知恵であり、知恵はロゴスであり、ヨハネ書の言う、世の始めにいたロゴスに等しい。そして世の始めのエロヒム=神もまた鳥に擬されているのだが、そうした心象の世界は欧米人にはなじみやすいものだろう。
 物語の謎は、ハウルとカルシファーのそのような経緯からすれば、ソフィーがカルシファーに水をかけた時点で終わるべき命が生き延びることにある。これは端的に、ソフィーがハートをカルシファーに与えたことであり、ハート=愛が、物語に奇跡をもたらしたということだ。
 物語の必然は、ハウルがソフィーを愛するがゆえに戦う、死もいとわないという関係のなかで展開することでもある。ここでは戦争が外部性・外来性ではなくなる(逃げる対象ではなくなる)。世の中から戦争というものがなくなればいいのに、というようなナイーブなありかたはない。また、個の倫理性が人を救うというナイーブさも棄却される。愛を知ることは罪を知ることであり戦うことだ。これは多分に戦禍の日本人と日本の兵士を暗喩しているだろう。
 ではどのように戦禍を終わらせることができるのか。ソフィーの愛という奇跡はどのように戦争を終わらせるか。それは、つまり、東京大空襲をどう鎮魂するかという問いかけに変わってくる。
 と、筆が飛躍しすぎて、トンデモない話になってしまったが、私の解釈の図では、日本の戦禍の情念をどう鎮魂し止揚するかということにテーマが絞られる。
 ハウルという戦人は必然的に死ぬほかはなく、空爆も終わることはない。が、奇跡の物語はソフィーの愛(英知=老いのシンボル)によってハウルとカルシファーを再生させた。
 その愛とは、日本の戦後の意味だろう。戦後の日本史のなかにどれほどの愛が打ち建てられたか。その愛だけが戦人を鎮魂し再生の命を生かすということなのだろう。
 もうちょっと丁寧に書くべきなんだが、ま、そんなことを思った。

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2006.01.15

[書評]事故のてんまつ(臼井吉見)

 高校生のころ読もうと思って機会を逸したままだった本で、それから三〇年して読むという感じだ。話はノーベル賞作家川端康成の自殺を追ったフィクションだが、かなりの部分は事実ではあるのだろう。内容の紹介がてら帯を引用するが、あまり釣りの文言とは言えない。


72歳で自ら命を絶ったノーベル賞作家の、死の前の半年間を描いて、一生涯抱きつづけていた哀しみの根源をたどり、その人と文学に新しい光をあてた力作中編小説。

 当初雑誌「展望」(一九七七年五月号)に掲載されすぐ単行本として出版(三〇日付け)されたものの、川端家から販売差止めの民事訴訟を受け、絶版となった。臼井が謝罪し、八月一六日、和解が成立した。
cover
事故のてんまつ
 日本文学史研究の上でも貴重な資料ではあるが、「エーゲ海に捧ぐ」(参照)などと同じく、当時ベストセラーとなったこともあり、現代でも古書の入手はたやすく、価格も千円程度である。ネットの古書店でも簡単に見つかるので、気になるかたは読んでみるといいだろう。文学作品として優れているかというと私の結論としては微妙というところだ。傑作ではない。失敗作に近い。個人的にはディアスポラの信州人として信州の微妙な筆致がわかるところは多い。
 たしか小谷野敦だったかと記憶によるのだが、臼井吉見は本書が訴訟沙汰になったことで、事実上文壇から排斥されたと見ていた。私もそういう印象はもっていた。
 少し歴史を振り返る。臼井吉見については、はてなダイアリーのキーワードに年譜があった(参照)。なにかから引き写したものではないかと思うが(文学館であろう)、本書の言及は、当然のごとく、ない。

明治38年
(0歳) ●6月17日、長野県南安曇郡三田村(現安曇野市)田尻の農家に、父貞吉・母きちの次男として生まれる。

 明治三八年というと「年号年齢早見表 極東ブログ・リソース 2006年版」(参照)を見るとわかるが、一九〇五年である。昨年は誕生百年祭でもあったのだろうが、そういう話題は聞かなかった。本書の初出である「展望」は昭和二十一年筑摩書房の創刊だが臼井は事実上の立役者であり、筑摩書房の創業者古田晁とも中学時代からの友人だった。なにより、臼井は「筑摩」の名付け親でもある。筑摩は私が高校生のときに使った現代国語教科書の出版社であり、臼井はその主編纂者でもあった。筑摩書房が一旦つぶれことがあるにせよ、現在の臼井への事実上の沈黙は意図的なものか、横光利一のようにただ忘れ去られた作家なのか判断は難しい。
 本書が執筆されたとき、臼井吉見は何歳だっただろうか。年表を見て奇妙なことに気が付く。一九七四年に主著「安曇野」第五部完結し刊行したのが六十九歳である。「事故のてんまつ」はその三年後に刊行されるのだから、臼井は七十三歳である。つまり、本書執筆時は川端康成の自殺の歳とほぼ同じであった。
 川端康成の年譜を顧みる。川端は明治三二(一八九九)年生まれである。臼井より六歳年上だ。同時代を生きた二人の作家とはいえるが、年代的には臼井からは川端はかなり年上に見えたのではないだろうか。川端の死の歳を待って書かれたといえば言い過ぎではあるだろうが、臼井にしても七十年の人生経験の一つの決算のありかたではあっただろう。
 川端康成が自殺したのは、昭和四七(一九七二)年四月一六日。満で七二歳だった。はてなダイアリーのキーワード川端康成をのぞくとやや奇妙なことが書いてある。

1968年にノーベル文学賞を受賞し、『美しい日本の私』という講演を行った。その3年後に、門下の三島由紀夫の割腹自殺などによる強度の精神的動揺から、ガス自殺した。73才だった。

 三島由紀夫の割腹自殺は昭和四五(一九七〇)年十一月二十五日。葬儀は翌年一月二十四日になされたのだが、この時の葬儀委員長は川端康成だった。川端が文学界の長にいたということよりも、文学美学の志向において三島由紀夫は川端康成の事実上の弟子を任じていたことが大きいだろう。川端もそれを認めてはいただろう。そして当時の文学界的には川端の死は三島の死の翌年という雰囲気はたしかにあったことだろう。
 ここで話が少しそれるのだが、川端は三島をどう評価していただろうか。どちらも文学的な資質は病者に近いものがあり、そのあたりで川端は三島を認める感じはあっただろうが、案外三島は文学の体をなしていないと見ていたかもしれないと思う。そう思うのは、私が今年四九歳になるからだろう。
 三島由紀夫は大正十四(一九二五)年生まれ。私の父は大正十五年、吉本隆明は十三年生まれ。私の父の世代になる。三島由紀夫が自死したのは四五歳。そして、今の私からすると、まさしく彼の文学は青年の文学の延長でしかないように見える。たしか、三島は川端を評するおり、川端のノーベル賞受賞記念講演「美しい日本の私」の仏界・魔界から魔界入りがたしを引いて魔界の人だとしていた。存外に三島は川端ほどの魔人ではない自身への焦燥のようなものがあったのではないかと思う。余談ついでだが、三島由紀夫が埋葬されたのは一月十四日。四十九日が過ぎたその日であるが、この日こそは三島由紀夫の誕生日であった。埋葬される日を自分の誕生日から逆算して自死したしたたかさは、今の私にしてみると狂気的な思想というより、やはり特異な不達・焦燥感だったのではないか。
 本書に関わるが、魔人川端の死はどうであったか。臼井の描写の前に、たまたまであるがネットで伊吹和子の「川端康成の瞳」(参照)を見つけた。このようなものが公開されているとは驚いた。伊吹証言は分断的には臼井証言と表裏をなすものでもある。

 昭和四十七年四月十六日の日曜日、北鎌倉の東慶寺で、その年の田村俊子賞の授賞式があった。毎年、命日であるこの日に、お墓のあるこの寺で行われる式である。北鎌倉の駅から境内に至るまで、桜、連翹(れんぎょう)、桃、木蓮等々の花が咲き満ち、青々と晴れ渡った空がひときわうららかであった。
 式の後、同じ墓地にある高見順氏のお墓にも詣で、帰りに川端先生のお宅に寄ろうか、と思っていると、同じ授賞式に出席しておられた立原正秋氏と、宇野千代氏とに呼び止められた。


 先生の急逝を聞いたのはその夜遅くであった。
 編集長の指示で、サイデンステッカー氏と同乗した車で駆けつけると、顔馴染みの福田家の女将さんが、泣きながら案内して行き、先生の顔にかけられた白布を取ってくれた。
 先生は、白い布の中で眠っておられた。はっと声を呑むほど安らかで、幼児のようなあどけない寝顔であった。父の死を見た七歳の時以来、私はどれほど多くの死顔に逢っただろう。しかし、こんなにうつくしい、こんなに穏やかな死顔は初めてだと思った。
 十八日の密葬の時、私は例によって出版関係の人達と一緒に、雑事を手伝っていた。


 何日かして会社の人が、不思議な経験をした、と私に話をした。彼は鎌倉に住んでいるのだが、あの日曜日、七里ヶ浜の先まで魚釣りに出かけていたそうである。「輝くほどよく晴れた青空だったよね」と彼は言った。私が立原氏の庭から眺めた空のことである。
「そう、そうなんだよ。波も穏やかでね、いい気持で岩の上にいて、夕景になって江の島の方を見たら、美しい雲が光って、こんなきれいな夕焼け雲は見たことない、とびっくりしたんだよ。そしてしばらくしたら、急にその雲が赤紫とも茜色とも、何とも言えない色に変って、風がざあっと吹いたと思ったら、何百とも知れない千鳥が、どこからか一斉に飛び立ったんだ。それが、発表された川端先生の死亡推定時刻に合うんだよ。あの時なくなったんだと、僕は思いますね……」

 この描写に嘘があるとは私は思わない。むしろ、その美の光景は決定的なものだったかもしれないと思う。江藤淳が評論「小林秀雄」で、若い日の小林秀雄の自殺前の遺書のような詩文を読解していくのだが、小林が自死に至らなかったのは、海が美しくなかったからだ、という部分を強調していた。ある種の若い感性なら説明するまでもないが、美しい光景があれば死ねるものでもある。
 本書は、俗に言うなら、川端の自死の原因は、若い女性への恋慕の敗北によるとするものだ。初読後、私が思い浮かんだ言葉は「ツンデレ」であった。自分がいかれているなと思うが、そして、「不幸萌え」が接いだ。冗談のようだが、たぶん現代の若い人が本書を読めば、ツンデレ論と不幸萌えになるだろう。不幸萌えっていうのが現代にあるかどうかわからないが。
 「事故のてんまつ」の事故は川端の自死だが、「てんまつ」は本書の主人公でもある十八・九の女性に川端が不幸萌えを起し、自滅したと言えるように思う。とこなれない表現でいうのもなんだし、さらに話がお下劣になるのだが、2ちゃんねるなどを以前見たとき、ブス専というのがあって、考えたことがある。ブス萌えというのがあるのかどうか知らないが、美人でなくても、ある若い女性の不幸な境遇に萌えてしまうという心性がある。これはただ萌えて思慕するというのではなく、その女性が不幸に耐えてツン状態であるのに、いじいじと心理的に虐待的に接することで萌えてしまうという……とんでもない心性だ。この心性については、もう少し議論もできるが、まあ、そういうものなんだろうなと思う。私にはこの心性はそれほどないが、宇多田ヒカルの最近の歌にある種不幸萌えの美を味わうことはある。
 臼井吉見にはこの感性はほぼない。そのため、主人公のツン的心性にそのまま乗っかってしまっい、「眠れる美女」と「片腕」(参照)をばっさりと捨てている。臼井は冷徹な批評眼からその近似に接近したものの、その魔の領域を文学的に仕上げることなく評論の擬態をしたために本書は社会的に失敗したのだろう。
 臼井の眼は内的な了解は伴わないまでも事態を正確に見ていた。彼は山口瞳をこう引用していた。

……最後まで少女と心中したいと言っていたのは、冗談ではなく本音であり、それ以上強い願望であったと思う。私は川端さんの自殺の真因は、誰かに失恋するとまでは行かなくとも、少女と戯れることの出来なくなった肉体の衰えに絶望したのではないかという気がしてならないのである。

 山口には山口なりのもう少し思いがあっただろうし「わたしの読書作法」(参照)なども考慮されなくてはならないだろう。ただ、山口は魔人ではなかった。
 本書では、川端の自死の事件から川端康成という文学者の内面に接近しようとして、慣れもしない奇妙な精神分析論のようなものも出てくる。この議論、石川啄木に関わるもので、私も思うことはあるのだが、本書の批評方法論としては、失敗している。
 あと、二つの事項をメモしてこのエントリを終わろう。一つは、川端康成の都知事選応援の話はもう少し深い子細があるように思えた。もう一つは、川端康成の妻への臼井の考察だ。臼井は川端康成の年譜に夫人とのなれそめの経緯が十分にないことに疑問を感じている。が、この点については、川端の死後、秀子夫人による「川端康成とともに」(参照)である程度明かになっている。ネットを見ると、”川端康成「新婚時代」を歩く”(参照)という記事もあり、これを見れば、誰もがあることに気が付くだろう。
 臼井吉見が亡くなったのは昭和六十二(一九八七)年、八十二歳。しかし、昭和五六(一九八一)年、七六歳のときに再発した脳血栓で左半身不随となる。この時点で文学者の生命は絶たれていたに等しいだろう。幸い「獅子座」は二部まで執筆できた。そういえば、私はこの作品も読んでいない。人生の宿題を思い出す。
 川端秀子が亡くなったのは、二〇〇二年九月九日。九五歳。その長命は川端康成が残した最強シールドであったといえば皮肉な言い方になるが、それはそれとして川端康成が示した愛のインカーネーションでもあっただろう。

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2006.01.14

そういえば世界貿易機関(WTO)があったな

 昨年十二月十三日から香港で開催された世界貿易機関(WTO)閣僚会議についてなにもふれてこなかった。特に言及することもないような気がした。国内での報道もあまり見かけなかったように思うがどうだろうか。まして、ブログなどでも話題にはならなかったように思う。
 ニュースなどを見るに、韓国人の過激ともいえる反対運動が目についたが途上国の立場との対立といった話も特に聞かなかった。アフリカの貧困国の閣僚は意思表示のために木綿の服を着ていたらしいが、そういう映像は見かけなかった。
 WTOは現在一四九か国になるらしい。大き過ぎ多様過ぎて機能しない印象も受ける。今回のテーマは、新多角的貿易交渉(ドーハ・ラウンド)の決着に向けて、貿易自由化の拡大や開発途上国支援などが協議されるということだったが、〇三年閣僚会議のように決裂となるだろうという予測もあった。私もどっちかというとその予想に近かった。
 結論はというと、決裂をさけるために先延ばしになった。最終合意期限は今年の年末になるらしいが、達成できるのだろうか。
 今回の宣言には、途上国対象に輸出促進の援助や「無税無枠」措置が盛り込まれた。すでに加盟国は一四九か国とはいえ、その五分の四は途上国であり、内実は途上国の不満対処だろう。従来は先進国の利害調整という意味合いが強かったようにも思うが、どのあたりが転換点だっただろうか。
 日本については、その思惑でもある「上限関税」が非明記となったものの、そのような状態が続くわけもあるまい。上限関税は実現されるだろう。
 いずれにせよ、私などにしてみると、ああこれは貧困問題なのだろうなという印象を持つし、日本のWTOの枠組みもそういうふうになるべきではないかと思う。
 と、そんなことを思ったのは、このところ、たまたまコカコーラの不買運動ということを考えていた。コカコーラは販売されている国によっては環境破壊をもたらしているので、それをやめさせるための意思表示に不買運動が有効であるといった議論を見かけた。私にとっては、古い話であり、どうでもいいよ、勝手にしてよ、という類の話題でもあるのだが、そういう思いに至る歴史の感覚がたぶんネットのなかから消えつつあるようにも思えた。
 では、どう対話するか? 単純なスキームで言えば、日本のコカコーラは複数のボトラーが販売しているだけで、環境破壊悪の米帝国の手先といったものでもない。本体の米国のコカコーラは原液の卸をしているくらいだ云々。そういう企業の関係で、日本でコカコーラの不買運動して日本のボトラーを困らせ、それによって原液を出している米国の企業経由で米国初の環境運動を他国のボトラーに徹底させよ、というのは、スジが違うようにも思う。一義には、各国で展開しているボトラーの規制だろうし、その国に環境問題があれば、その国への直接な支援が重要になるはずだ。
 だが、こうした議論はネットなどでしても通じないというか、ブログに時代になればますますそうなるようだ。かく言う私も、応答しようのない匿名の批判コメントなど基本的にスルーになる。
 途上国の人権状況や環境問題の根には貧困問題があり、その根が重要であるように私は思う。そしてその貧困問題の一つの端緒がWTOなどで露出してきている農産物関税の問題だろう。
 話が連想ゲームのようになるが、アフリカの貧困といっても、実際にはアフリカには石油や金属など資源が多く必ずしも貧困とは言い難い面がある。スーダンなどがその例だ。こうした国には民主的な体制が確立されなくてはどうしようもない。が、鉱物資源がない貧困国はというと、実際には農業しか産業はない。そしてその農業を基本に交易をしていかなくてはならないのだが、それを潰しているのは、先進国での過剰な自国農業保護だろう。かくしてWTOでの不満となる。
 日本の文脈で言えば、その対応として、日本の農業保護を減らし、こうした保護解除のルールをWTOなどを通じて国際的に広げていくことが貧困解消の手助けになるはずだ。が、そうした主張もネットであまり見かけないように思う。私の視野が狭いということもあるだろうが。

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2006.01.13

イラン核問題メモ

 まあ英独仏がんばってくれということだろうか。ざっと振り返ると(認識違いもあるかもしれないが)、二〇〇三年七月米国の調査でイラン中部ナタンツの施設で濃縮ウランが検出されてイランの核開発疑惑が発覚。同十月英仏独の調停でウラン濃縮を一時停止したがこれもその後反故。翌二〇〇四年九月米国はイラクの安保理付託をめざしその期限を「十月末」と主張したが、英独仏はイランを追い込みたくないとして前面に出てきた。G8で三国は、イランがウラン濃縮活動を停止し保障措置義務を履行するなら、その見返りに経済支援を与えるという妥協案を示したが……という流れなので、米国としては英独仏のお手並み拝見ということだろうか。自分のケツは自分で拭いてごらんか。しかし、日本はというと書くに情けない事態でもある。
 この間三国に加え、ロシアがウラン転換作業を認めつつ、濃縮作業はロシア国内で実施する妥協案とか出して云々。今回の騒ぎもロシアが納めるのかと思って眺めているととりあえずそうでもない。
 日本の平和勢力っていうかよくわかんないが、ロシアに期待したりするのだろうか。あるいは、国際原子力機関(IAEA)に期待か。なんだかなあ。
 英独仏がどの面さげてかわからないが、安保理付託ということになっても、どうせ中国が握りつぶすだろう。ということでまた中国かでもあるのだが、この問題については、アフリカの石油利権とかとは違って中国独断ということもなく、インドも中国に同調するだろう。っていうか、印パが核兵器を保有した時点で、事実上、IAEA終了、でもあった。
 で、どうなるか。パキスタンみたいに核を持たせても是認ということで、核の平和利用という看板でお茶を濁すなんていうのもエレガントだし、米国を抜けばそんな落としどころしかないだろうが、ようするに米国はどう動くか。
 と考えると、米国がイラクみたいに……と考える向きも多いだろうけど、それはないんじゃないか。米国が恐れているのはむしろイスラエルだろう。一九八一年、イスラエルはフランスがイラクに提供したオシラク原子力施設をある日突然二人黙るのぉ♪じゃないけど空爆した。あんなのありかよと私は衝撃を受けたことを覚えている。それでも当時はまだのんきな時代だったわけで、現在でそれをやるとろくでもない副作用が出る。
 でもイスラエルという国はそういう事態になればやる。というか、イスラエルと米国の一部をどう暴発させないかという問題でもあるのだろう。
 現状の米政権はブッシュのレイムダック化もありかなり微妙な位置にある。が、IQ二〇〇だったかのライス女史とかの外交はそれなりに絶妙でもあり、なにか思いがけない手が出てくるのだろうか。
 中長期的に見るまでもなく、アハマディネジャド政権はそれほどイラン国民に支持されているわけでもない。制裁が仮に通ってもむしろイラン内のバックラッシュを誘うくらいだろう。とすると……というふうに思いが進み気が付くと日暮れて道遠くどこやら陰謀論のチャルメラが……。

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2006.01.12

ホテル・ルワンダをあと三百軒ほど

 昨日たまたま十時のNHKニュースを見たら、映画「ホテル・ルワンダ」(参照)が日本でも上映されるという話をやっていた。そういえば、そういう運動があることは「はてなブックマーク」で見かけたことがあるなと思い出した。私はその上映運動には関心ない。
 そうしたこともあってか、ニュースのなかで上映を呼びかけた若者の話などを聞いてて、千二百人の人の命が救えて、そりゃよかったね、ダルフールにホテル・ルワンダをあと三百軒ほど建ててくれ、とつぶやくくらいだ。こうした虐殺がもう二度と起きないようにというような発言もあったかと思う。こっそり苦笑した。
 二〇〇四年、欧米でルワンダ虐殺十周年のニュースはダルフール虐殺のニュースのただ中で流れた。目前に進む虐殺を止めることはできなかったのだった。虐殺……スーダン政府による民衆の虐殺だ。
 なぜ国際社会が虐殺を止められなかったか。もう端的に言おうと思う。中国が原因である。スーダンに石油利権を持つ中国が常任理事国の地位を悪用し、国際社会がスーダンに圧力を加えることを妨害しつづけた。
 もちろん問題はそんな単純ではない。錯綜している。そしてさらに現在はこじれた状況になりつつある。最初はダルフールの反政府勢力の小さな暴発だった。そしてスーダン政府はジャンジャウィードという民兵を使いダルフールの民衆を虐殺し続けた。ちょうど日本ではイラクに平和をと叫ばれた時期だった。なぜイラクに平和という奴らはダルフールの虐殺を看過するのか。中国のお仲間なのだろうか。
 それでも、一義に攻められるのはスーダン政府であり、そして次には中国だと思う。国際社会として見れば、中国の要因が大きい。
 と、私だけが思うのではないという補強に昨年十二月十七日のロイター”China's interests in Sudan brings diplomatic cover”(参照)を引いておこう。


China's trade and oil interests in Sudan have induced the permanent U.N. Security Council member to provide diplomatic cover for the government accused by many of war crimes against its own people, analysts say.

Sudan has had its back against the wall of the U.N. headquarters in New York during the past 18 months over the conflict in Darfur, where tens of thousands of people have died as a result of violence the United States called genocide.

But the spectre of a Chinese veto has shielded Sudan from possible sanctions over the conflict and in turn protected a growing source of much-needed oil for Beijing.


 中国はスーダンに石油利権のために人道問題の解決の足をひっぱり続けた。
 そして中国はどんどんそのプレザンスを高めていった。

China's heavy but understated presence in Sudan is symbolised by the vast, walled compound housing its embassy on prime real estate in Khartoum. It dominates Sudan's crude oil sector, which produces around 330,000 barrels per day, and is building roads, bridges and dams.

China has become Sudan's biggest foreign investor with $4 billion in projects.


 なんでこんな国に日本は政府開発援助を続けなくてはならないのだろう。
 二度とルワンダの虐殺がおきないようにというまえに、ダルフールの虐殺の実態がなぜ知らされないのか考えてほしい。現在の世界はその虐殺の実態さえ知らされていないのだ。三十万人もが虐殺されていたのかもしれないというのに。
 そういえば、今日付のタイムズ”Insatiable Beijing scours the world for power and profit”(参照)を見たらこうある。

China now obtains about 28 per cent of its oil imports from Africa - mainly Angola, Sudan and Congo. Chinese companies have snapped up offshore blocks in Angola, built pipelines in Sudan and have begun prospecting in Mali, Mauritania, Niger and Chad.

 アンゴラかと思う。昨年の読売新聞”ブレア英首相が提唱のアフリカ支援、実現に不安 貧困解消阻む土壌”(2005.6.24)でギニアに並んでアンゴラにこうふれていた。

●遠い改革
 「民主化」を求めるドナー国の要求も、簡単には受け入れられそうもない。
 ウガンダのムセベニ大統領は5月25日、「(先進国は)国の運営を指図する習慣をやめるべきだ。我々は自ら政策を決定できる。彼らは我々に奴隷になれというのか」と、かみついた。
 今期限りのムセベニ大統領は憲法改正で2006年大統領選への出馬を狙っており、英国は、ウガンダへの政府開発援助(ODA)の一部を保留した。ウガンダの国家予算の約4割は先進国開発援助金だが、ムセベニ大統領は政治改革を求める外部の声を「内政干渉」と、はねつけている。
 南アフリカの研究機関「グローバル・ダイアログ」のクリスティ・ベストヘイゼン研究員は「冷戦時代、先進国はアフリカの独裁者を支援した。今になって欧米流の民主化を求める考え方は、アフリカの指導者には矛盾に映る」と話す。
 赤道ギニアやアンゴラなどの原油産出国に対しては、欧米の民主化圧力はないに等しく、「二重基準」の批判もある。

 かくしてアフリカの産油国へ民主化圧力はむなしい。中国が内政不干渉と称しながらカネと武器を流し込んでいるから、なおさらのこと。

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2006.01.11

シャロン後メモ

 ごく簡単に。脳内出血で倒れたイスラエルのシャロン首相の政治復帰は事実上不可能と見ていいようだ。それにしても、アラファトといい絶妙のタイミングでアウトになるものだとも思うが、シャロンの歳が七十七歳であるとすればこうした退場はまるで予期されないものでもなかっただろうし、実際、エルサレム・ポストの”Report: Sharon had undetected vascular disorder”(参照)などを見るとそうした予期について目下政治の責任問題化しているようでもある。元ネタはハーレツらしい。


Prime Minister Ariel Sharon was suffering from an undiagnosed vascular brain disorder that can be worsened by the blood thinners he was taking before his massive stroke last week, the Haaretz newspaper reported Tuesday.

If the disease of the blood vessels in the brain had been diagnosed when Sharon suffered a first stroke on December 18, doctors most certainly would have not prescribed the blood thinners due to the risks, a senior doctor treating Sharon told Haaretz. The ailment was discovered only after Sharon suffered a massive stroke last week, the paper said.


 読みようによっては陰謀論のようにも読めるところがオツだが、直接の引き金となったわけでもあるまい。小渕総理の時の対処もなぜウロキナーゼという話が若干あったが消えた。すべて済んだことになった。
 もともとシャロン首相の政治行動は側近でも予期しかねるところがあり、リクードを飛び出してカディマを結成したものも、突然の独断ではあったようだ。
 とはいえ、結果論からすればカディマの結成はその後のイスラエル国民の支持という点では成功だったわけで、シャロン自らが倒れなければその流れに変わったのかもしれない。
 シャロン後の問題は当然、カディマがシャロンを失ってもシャロンの路線を維持できるかという点にある。カディマの支持者はシャロンのカリスマ的な力に引き寄せられたとするなら、この路線は大きな岐路となるが、私はそうでもないのではないかと思う。
 ガザ撤退を強行したシャロン首相の行動はイスラエルという国が存続していく上ではもっとも合理的な選択であった。そういう合理性がイスラエルの国のなかでどう支持されるかということがイスラエル側の今後を決めるのだろう。が、支持されるのではないだろうか。ノーベル平和賞受賞者シモン・ペレス元首相も老骨に鞭を打っておもてに立つようだ。
 ただ、そうしたその合理性は労働党側にもあるだろうし、労働党側が案外盛り返しても大筋での変化はないように思える。
 パレスチナ問題では他方パレスチナ側の動向が気になるが、この焦点はアッバス議長ではなく、先月の地方選躍進したハマスということになるのだろう。「極東ブログ: 国連がハマスに資金供与の疑惑?」(参照)でもふれたが、ハマスは一概にテロ集団というふうに決めつけられるわけでもない。合理的な政治プロセスに乗せていくしかないのではないか。
 米国はどうでるか、だが、よくわからない。ブッシュのある意味で必然的なレイムダック化が進み中間選挙を控えている状況で、大きな外交策は出てこないようには思う。それに、イランのほうが大きな問題となってしまった。

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2006.01.10

胃袋のペースメーカー

 今朝ラジオを聞いていたら、肥満防止のために胃袋の中に埋め込んで食欲を調整する装置の話をしていた。あれ?それって効果なしってことじゃなかったかと思って話を聞いていたのだが、そういうオチにもならず、貧困国を含め全世界で六人に一人が肥満でという文脈に流れていた。さて?
 ラジオの話には固有名は出てこなかったが、それはあれでしょ。この技術を開発していた Transneuronix を昨年六月に買収した Medtronic の Transcend でしょ。ブツの写真と詳細は”Medtronic Obesity Management”(参照)にある。名称は、とりあえずGES(Gastric Electrical Stimulation)となっている。IGS(implanted gastric stimulator)という表現もある。
 あるいはこの手の機械は他にもあったか。要するに、心臓のペースメーカーよろしく胃袋のペースメーカーになる。過食だと電気信号でもう食うなもうおなかいっぱいだよんというものだ。そういうえば、カナダだったか、脳に埋め込んだ電極に信号を送ると鬱が改善するというのもあった。なんか、ヒューマノイドっていう世界ではあるな。
 Medtronic のサイトをこの機に覗いてみると、FDA(The Food and Drug Administration)……直訳すれば「食品医薬品局」って感じなんだと思うけどなわけねーよ定訳語だよ……では認可してないとのことだ。つまり、米国人は使ってないということか。あるいはイギリスとかで手術すればOKなのだろうか。
 ニュース的にはどうだったかざっと調べ直してみると、やっぱし効果はないようだ。昨年十二月八日RED HERRING”Medtronic Obesity Device Fails”(参照)にはこうある。


Medtronic said Thursday preliminary trial results show its implantable, electric weight loss device failed to prove more effective than a placebo in helping patients lose excess weight.

The medical device company said the one-year study on the company’s implantable gastric stimulation device was affected by “factors including variances in trial execution and unplanned treatment changes.”


 ニュースは経済記事らしくこの失敗の株価への波及などについてもふれているがそれほどの影響力はなかったようだ。つまり、市場的にはこの手の機械への期待はまだ続いているということなのだろう。
 そういえば、数年前だったが、日本で、あれ、低周波治療器をおなかの贅肉にあてて痩せるというのが流行っていたみたいだが、その後はどうなんでしょうね。

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2006.01.09

パソコンのキーボード

 わけあってウィンドウズでUSBキーボードを使うということになり、それもいいかと思ったのだが、キーボードを見ると日本語キーボードってやつ。まいったな。私は日本語キーボードが使えない人なのである。いやまったく使えないわけもないのが、もうレッテラから始めて三十年間近く英語キーボードを使ってきたので、2の上に@がないと気分が悪くなる。しばらくしたら英語キーボードに変更しようと思っていた。正月もあけたのでパソコン屋でも行ってみるか。しかし、秋葉もなぁ、電気街というわけでもないし。
 それにもしかしたらと思って近所のパソコン屋に電話を入れてみた。英語USBキーボードってある? ない(即答)。え、ないの? 他にこの手に詳しい者に聞いてみると、ビックカメラにあったよとのこと。じゃ、そっちに行ってみるか。
 あった。というか、あるにはあった。スモールキーボードっていうのかシンプルなやつだ。ちょっとぺなっとした感じ。これなら米国から買ったPS2用のがっちりしたのが棚の奥にあったっけと思い、そうだそれならPS2/USBのコンバーターでも買えばいいじゃん。
 それだけ買って、さてと、つなげたのだが、あれま、キーアサインがすっかり日本語キーボード。まいった。これってコンバーターの問題かね。ま、それでもとりあえず英語キーボードが使えるからいいか我慢するかと、しばしテストランしていると、アンダバー記号とかが出ない。これにはまいったまいった。使い物にならない(ファイアーフォックス用のCSSも書けませんと)。
 どうせ我慢なら、いよいよ日本語キーボードで我慢するか。英語キーボードを使う日本人なんて、マイノリティなんだろう。それに人生は我慢と喪失の繰り返しだしな。
 しかし、まいった。手元にスペースバーがないとどうも操作がこける。そうだよ、スペースキーじゃないよ、スペースバーなんだよ。あれこれ考えあぐねて、ふと秀Caps(参照)を思い出す。あれにこの手のアホなキーをころす設定はなかったけかと見ると、あるある。とりあえずこれで訳の分からない手元のキーを無効にする。ついでにウィンドウズキーとかアプリケーションキーも無効にしたいのだが、以前その手のツールを使ってエラー率が増えたのでやめた。ま、我慢我慢。記号とかの入力のときは、手元を見て確認することにするか(作業効率悪いなぁ)。
 ……そんなワケで……じゃないよ、キーボードもあきらめ。新しい時代になったのだ。ロートルに見合ったロートル環境のパソコン使っている時代じゃない。
 そういえば、いろいろドライバーとかでなんとかならんかと物色してみていて発見したのだが、ドボラークとかってまだあるのだな。そういえば、結局私はドボラークに移行しなかったな。って、あれはいつの時代だったか。アップルIIcだっけか。そういえばドボラークっていうのは日本ではドボルザークだよなと関係ないことまで思い出した。

追記(2006.1.10)
 いろいろありましたが、問題がとりあえず解決!!
 その後、以下を購入。
 「SKB-E1U 英語USBキーボード: エレクトロニクス」
 サンワサプライ:SKB-E1U【英語USBキーボード】余分なキーを省いた標準英語配列104キーボード。
 しかし、トラブルは相変わらず。
 みなさんから教えていただいたノウハウを適用。
 特に、岩魚さんのインフォで助かりました。
 ようするに


\ HKEY_LOCAL_MACHINE \ SYSTEM \ CurrentControlSet \ Services \ i8042prt \ Paremeters
LayerDriver JPN
の、内容を
kbd101.dll
と、変更してパソコンを再起動して下さい。

 でした。
 みなさん、ありがとうございました。

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2006.01.08

[書評]ジョゼと虎と魚たち(映画版)

 気になっていたまま見過ごしてしまっていた映画「ジョゼと虎と魚たち」(参照)だが、年末だったか年始だったかテレビでやっていたらしく、DVRで見た。

cover
ジョゼと虎と魚たち
(通常版)
 いい映画だった。ピアノの響きも印象的だった。スナップ写真の風景の連続が胸にきゅんと来るものがあった。
 いい映画過ぎて原作の印象がぼやけてしまったので、実家にある田辺聖子の原作(参照)も読み返してみたくなった。
 映画と原作ではジョゼのイメージが私にはけっこう違う。「市松人形」という表現があったが、もっと人形のような感じをもっていた。が、映画のほうのジョゼもそれなりによかった。池脇千鶴もうまく演技していたというか、それなりのジョゼの解釈をもっていたのだろう。
 話は……原作についてのアマゾンの帯みたいのを引用するとこう。

足が悪いジョゼは車椅子がないと動けない。ほとんど外出したことのない、市松人形のようなジョゼと、大学を出たばかりの共棲みの管理人、恒夫。どこかあやうくて、不思議にエロティックな男女の関係を描く表題作「ジョゼと虎と魚たち」。

 映画ではもっと社会の底辺のイメージをきっちり描いていた。あの貧しい生活の感触は私にとっては昭和三〇年代を思い出させるものがあり、奇妙な郷愁のような、いとおしい思いにも駆られる。
 恋の物語ではあるが、身障者であること、社会的弱者であること、そうした同情のようなものが恋愛に変わっていったのではないということが映画ではくっきり描かれていた。おカネがあってもいい暮らしをしていても、どうしても見えない人間の心の引く力のようなものはある。
 もっとはっきり言えるだろう。うまい食い物を作って家の中に待っている女、そして、待ちながら女であるスジのようなものをきちんともっている女……そうした女にたぶん男は落下するように落ちていくのだろうし、その先には当然性的な営みがある。とま、言葉で言うに無粋なものだが。
 映画の中の、ジョゼと暮らす老婆のイメージが喚起するのだろうが、能の井筒、そしてその元になった伊勢物語なども自然に思い出される。日本人の男と女の仲というものはかく千年も変わらないもののようにも思う。

風吹けばおきつ白波たつた山夜半にや君がひとりこゆらん

 そういうふうに想う女のもとに男はまた帰っていくのだろうし、また別れもある。映画のほうの話も最後に別れとしていた。エンディングのシーンがとてもよかった。
 恋愛がどう続き、どう終わるものか。相性というものもあるだろうし、偶然というものもあるのだろう。最初からダメとわかっている関係もそれが終わるまで続けなければならない、ということもあるだろう。
 そうした思いがみな風景のようになって、そして人は老いて取り残されて、そして消える。

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2006.01.07

ロシアとウクライナ天然ガス問題

 年末年始にかけて世界が注目したロシアとウクライナ天然ガス問題は意外なと言ってほど急速に収束した。よかったと言えばよかったし、概ねブログで提言するようなこともないようだがどうも奇妙な後味が残るので、曖昧な意見にはなるだろうが少し記しておきたい。
 私の政治的な視点は基本的に欧米保守と大差ないのだが、ウクライナ問題についてはかつて通称オレンジ革命の際にややふざけて「極東ブログ: 美人だろうが民主化だろうが、私はチモシェンコ(Tymoshenko)が嫌い」(参照)を書いたように、あまり西側の論調に同調できない。また、私を揶揄する人たちは私を自民党マンセーだのブログを読みもしないで言うのだが、例えば、自民党原田義昭衆議院議員ブログ”仕事始め、そしてウクライナとロシア”(参照)など、私はまるで賛成できないどころかとほほな思いになる。


 ロシアがウクライナに対する天然ガスの供給をストップした。するとウクライナは自国を通過するパイプラインからガス成分を抜き取った。そのため今度はEU各国への供給が途絶え始めた。慌てたのはロシア・・・。この寒空、遠いヨーロッパでこんなことが起きている。ロシアがウクライナとの価格交渉で圧力をかけるために採った措置だが最も多くを失ったのは、勿論ロシア。経済関係に政治や軍事、非経済事象を持ち込むのは完全な禁じ手、ましてや天然ガスというライフライン(基本的生命線)、あの国の言うエネルギーの「安定供給」などいかにいい加減なものかが満天下に示された。
 先日訪れた、愛しのウクライナ!!あの人たちがこの寒空、国の誇りのために懸命に闘っていることを心から応援します。

 なにが「愛しのウクライナ!」だか。そのウクライナとは何を指しているのか。ちなみに、三月二六日の議会選挙に向けて現在ウクライナでユシチェンコ支持は一二・四パーセントに対して、親ロシアのヤヌコビッチ支持は一七・四パーセント(NHK)。こういう実態を原田義昭衆議院議員は知っているのだろうか。
 とはいえ欧米の論調も基本的に原田議員に似てロシアを非難していた印象を受けた。しかし、このロシアの態度は二〇〇四年ウクライナ大統領選挙の際に想定されていたことで、別に寝耳に水というものではない。オレンジ革命なんていう祭はどうでもいいから、この問題こそユシチェンコ政権の成立と共に対処すべき課題であったのが放置されていたに過ぎない。しかも、ウクライナ支持とかしていた自由主義諸国はこの問題でウクライナを援助していたわけでもない。昨年一二月二四日のワシントンポスト”Democracy's High Price”(参照)でもそのことは指摘されていた。

Will the West stand up for democracy in Belarus and Ukraine? So far there's not much sign of it. The European Union decided shortly after Mr. Lukashenko's announcement to postpone the launch of a radio service intended to provide uncensored information to Belarusans. Poland's foreign minister, Stefan Meller, spoke with Secretary of State Condoleezza Rice about Ukraine's gas price problems during a visit to Washington this week, but they did not reach agreement on a concrete response. Many in the administration remain unwilling to react to, or even acknowledge, Mr. Putin's aggressive campaign to undermine Mr. Bush's pro-democracy policy. As U.S. lassitude continues, Mr. Putin's price keeps going up.

 視点を変えれば、ロシア・プーチン大統領はウクライナ締め付けの暗黙の是認を読み取っていたとして不思議でもない。
 しかも、今回の問題で実際上パニックとなったのはウクライナの問題というより、ウクライナを経由するガスのパイプラインでヨーロッパ側へのガス提供が減ったことだった。
 この問題の詳細が報道などからはよくわからない。報道例として”欧州向けのガス供給回復へ増量 露ガスプロム ”(参照)はこう伝えている。

 ガスプロムは三日の声明で「ウクライナが違法にガスを抜き取っていることでエネルギー危機が到来することを阻止するため」として、一日に減らした供給量の約八割に当たる日量九千五百万立方メートル分の追加供給を再開したことを明らかにした。
 そのうえで、供給量低下は、ウクライナがガスを「盗んだ」ことが原因と糾弾し、増加分は「ウクライナ向けではない」と強い調子で牽制(けんせい)した。
 これに対し、ウクライナ側は、ガスの抜き取りは行っていないと弁明した。ただ、供給停止措置を前に「ウクライナを通過するガスの15%を得る権利を有する」とも表明しており、欧州向けガス供給が大幅に減少した原因をめぐり双方が激しく対立することも予想される。

 個人的な印象に過ぎないのだが、ウクライナ・ユシチェンコ側はヨーロッパをわざと問題に巻き込んだのではないだろうか。というのは今回の決着のケツがヨーロッパ側に回されているのも胡散臭いからだ。読売新聞”ウクライナ向け天然ガス、露が輸出再開合意”(参照)より。

 ロシアはEU諸国向けにガスを送るため、ウクライナ領内を通過するパイプラインを使っている。露側がウクライナ側に支払っているパイプライン使用料は、これまで1000立方メートルのガスを100キロ送るのに1・09ドルだったが、同1・6ドルに引き上げられる。これにより、ウクライナ側は、ガス買い付け価格上昇に伴う衝撃をほぼ吸収できる見通しだ。

 いずれにせよ、当面の問題は収束し、一応国際的にはというか西側の論調としては、ロシア脅威論と原子力活用という二面に移りつつある。典型的な論調としては、ワシントンポスト”Russia's Energy Politics”(参照)が一例になるだろう。

Even if Mr. Putin adopts this course, Western countries should absorb an important lesson. Without a prosperous or technologically advanced economy and with greatly reduced military strength, Mr. Putin hopes to restore Russia's world-power status through its control of gas. That inevitably means manipulating supplies to other countries for political ends. Western countries that do not wish to receive Mr. Putin's ultimatums -- from Germany, France and Britain to the United States, which is being pressed by Russia to line up as a major customer for new Arctic gas fields -- should realize that dependence on Russian gas is not consistent with "energy security." Instead they should develop alternative sources of supply, or a greater emphasis on nuclear energy. Russia cannot be allowed to hold its neighbors, or the world, hostage during a future cold winter.

 私はこうしたロシアを過剰に敵視していく論調は違うのではないかと思う。今回の問題の基底に、いわゆるオレンジ革命はイラク民主化と同じ路線が産んだものであり、ブッシュのレームダック化に伴うものだろう、と考えざるをえない。その路線を復興させればいいと単純には思わないが、対処にはグローバルな政治が問われなくてはならず、そこにかつてのリーディングとしの米国の力が薄れつつある。
 話が飛躍するが、今回の問題を日本の新聞が好きな言葉、他山の石、とするなら、中国のエネルギー囲い込みがどう日本を締め付けていくかが問われなくてならないだろう。ロシアと中国をどう適切なマーケットに引き出すかがイデオロギーの先に問われるべきだろう。残念なことにそれ自体がイデオロギーの様相を帯びつつ衰退しつつある。

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2006.01.06

独断的和食の味付けについて

 ときたまする料理の話。和食の味付けについて。もちろん、私が適任なわけもないのだが、私とって当たり前のことが世の中あまり当たり前でないことがある。そういう時は…大抵は私が間違い。もちろん、というわけで謙虚に独断である。

cover
割合で覚える和の基本
 が、村田吉弘の「割合で覚える和の基本」などを読むに、大雑把に考えると、私の考える基本と同じみたいだ。
 で、ずばり和食の味付けのヒケツは何か? ちょっと搦め手から言うのだが、砂糖と塩を使わないこと。和食の味付けに、砂糖と塩はほとんど不要。砂糖と塩を使うから味がブレるのだと言いたい。
 じゃ、どうするのかというと、味醂と醤油を使うのである。
 しかも、使い方は非常に簡単。両方を等量合わせて使うだけ。等量合わせるためには計量スプーンが必須。精密に計る必要はないが、大さじで計量したほうがいい。
 あとは、味の濃さについて、水量と大さじの関係を人数に合わせて一度決めておく。一度決めておけば、味にブレなど起こりようがない。私はしないけど、味醂と醤油を合わせるのがめんどくさければ、最初から合わせておいてもいいかもしれない。
 ここでやっかいなのだが、醤油は、薄口醤油を使うこと。和食の味付けの醤油は薄口醤油が基本。
 味醂と醤油が決まれば、あと、これにダシがあれば、和食の味付け終わり。
 ダシはうるさいこと言う人がいるけど、粉ダシかパックダシでいい。ダシ取りで料理に時間をかけるのはプロか暇人。
 味醂、薄口醤油、粉ダシがあれば、煮物から鍋からうどんまで和食はほぼオールマイティである。これで物を煮るというのが和食なのである。どのくらい煮るかは、煮る物の特徴で決まる。和食というのは、素材の質を覚えれば、レシピ不要。
 もうちょっと正確に言うと、肉や魚などたんぱく質の場合は、味醂の部分を味醂と上白糖で半々に分ける。味醂・上白糖・薄口醤油が、0.5:0.5:1、という感じだ。肉じゃがとか、煮魚とかだね。なお、酒についてはあえて触れない(難しくなるから)。
 各要素の上質化は、やりたければどうぞ。もちろん、比率をもう少し自分の好みに合わせるというのは当然どうぞ。醤油によって強さも違うだろうし。
 醤油は薄口醤油と言ったが、慣れないと薄口醤油の選びは難しいものだ。関東だとあまり選べない。決め手は香りである。が、偉そうな醤油は要らない。適当なところからまとめて通販しておけばいいと思う。迷うなら、私も使っている伊勢醤油本舗を勧めるが、オンラインでは薄口醤油が買いづらい。電話するといい(親切である)。
 味醂は、ミリン風とかいう偽物は論外だが、上質なのはきりがない。味に凝るなら年代物を試してもいいけど。っていうか、上質なのは、そのまま飲むと旨い。和風ソーテルヌという感じ(慣れるとちょっとやみつきになる危険性あり)。
 ダシも手間があるなら、ちゃんとカツブシを削ると、全然香りが違う(削り機は回転式のがよい)。昆布とかもだね。だが、これもキリがない。冬茹は一日かけて水で戻すこと。
 和食っていうけど、そんなんで江戸前というか東京味の料理ができるのか?
 できない。あのどす黒くて甘い東京の味は、これではできない。ので、どうするか。ここで、砂糖と濃口醤油が登場する。これも、砂糖と濃口醤油を等量使う。
 もともと江戸の食い物は東京(江戸)湾の臭い下魚みたいのを使うので、濃口醤油には臭み抜きが期待されていたのだろう。
 砂糖・濃口等量の合わせでいわゆる丼物とかはできる。ただ、卵丼とか親子丼でこれだと醜いので、砂糖と薄口醤油を勧めたい。照り焼きやすき焼き類は、逆に、味醂と濃口醤油、と言いたいのだが、この場合は、味醂と上白糖半々に濃口醤油を合わせる(0.5:0.5:1)。
 濃口醤油もいろいろあるが、これはもともと刺身醤油だったもの。醤油の品質はこの刺身醤油の観点からランク付けされているので、一般的な料理にはあまり関係ない。逆にいうと、掛け醤油(濃口)はそこそこに上質なのを少し使うといい。そして保存が大切。密閉して冷蔵庫に入れておく。掛け醤油は使うときだけ小分けにする。
 ちょっと余談だが、今でこそ江戸(東京)の料理はどす黒く甘いのだが、江戸時代はあれほど甘かったのだろうか。当時は水飴があっても上白糖はない。はっきりとはわからないのだが、明治時代以降砂糖の普及とともに、佃煮の味が一般化したのではないか。保存性を増すということもあったのだろうが。
 で、塩は?
 もちろん、塩は料理に使える。菜っ葉など塩をして食うだけでも旨い。海産物もそう。というか、塩はまさに素材に「塩する」ために使う。所謂和食の料理用の調味ではない(沖縄料理は別だけど)。もっとも、先のフォーミュラ(味醂・薄口醤油等量)で塩味が足りないときは、ちょっと加える。というか、そのあたりで好みの味を出す。吸い物は味醂等量だと甘過ぎだとか(吸い物に味醂入れるなとかのご意見もあろうが)。
 余計なお世話だが、他人の台所を見ていかんなと思うのは塩と上白糖を同じような容器に入れてあること。間違いの元。しかもこの間違いは破壊的にして不可逆的。容器を徹底的に別物にするか、三温糖など砂糖のように少し色付きを使うといい。いっそ、塩は振り塩だけにしてもいいのだが、昨今はやりの天然塩というのはじっとっとしているので振り塩が難しい。料理は塩振り三年とかいうが、そんなもの、さらっとした細かい岩塩を使えばいいのだ。
 というわけで、あの調味料の「さしすせそ」っていうのが、調味の大きな間違い、だと私は思う。さ=砂糖、し=塩、す=酢、せ=醤油、そ=味噌というやつだ。ついでなので、酢だが…というような話はまた。

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2006.01.05

[書評]人類の未来を考えるための五〇冊の本(ランド研究所)

 米国の有名なシンクタンクの一つであり、インターネットの生みの親とも言えるランド研究所が人類の未来を考える上で重要だとする五〇冊の本のリストを昨年年末に提示していた。”50 Books for Thinking About the Future Human Condition”(参照)がそれである。各書籍にはなぜそれが重要かという簡単な解説もある。
 日本人にしてみるとこうした書籍はできるだけ邦訳で読みたいものだ。なので、この機に邦訳があるものの対比リストをざっくりとだが作成してみた。
 間違いもあるかもしれない。邦訳がないもので自分のわかる範囲については代替の本を挙げておいた。
 なお、米国のシンクタンクの重要性については、「第五の権力 アメリカのシンクタンク(文春新書)」(参照)を一読されるといいだろう。


    過去
  1. The New Penguin History of the World
    1. 図説 世界の歴史〈1〉歴史の始まり」と古代文明
    2. 図説 世界の歴史〈2〉古代ギリシアとアジアの文明
    3. 図説 世界の歴史〈3〉古代ローマとキリスト教
    4. 図説 世界の歴史〈4〉ビザンツ帝国とイスラム文明
    5. 図説 世界の歴史〈5〉東アジアと中世ヨーロッパ
    6. 図説 世界の歴史〈6〉近代ヨーロッパ文明の成立
    7. 図説 世界の歴史〈7〉革命の時代
    8. 図説 世界の歴史〈8〉帝国の時代
    9. 図説 世界の歴史〈9〉第二次世界大戦と戦後の世界
  2. Guns, Germs, and Steel: The Fates of Human Societies
    1. 銃・病原菌・鉄〈上巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
    2. 銃・病原菌・鉄〈下巻〉―1万3000年にわたる人類史の謎
  3. Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed
    1. 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上)
    2. 文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (下)

    過去から見た未来
  4. The Economic Consequences of the Peace
  5. The year 2000: A framework for speculation on the next thirty-three years: Books: Herman Kahn
  6. Next 200 Years
  7. Coming of Post-industrial Society
    1. 脱工業社会の到来 上―社会予測の一つの試み
    2. 脱工業社会の到来 下―社会予測の一つの試み
  8. Future Shock
    人類の発展
  9. The Evolution of International Human Rights: Visions Seen (Pennsylvania Studies in Human Rights)
  10. Readings In Human Development: Concepts, Measures And Policies For A Development Paradigm
  11. Oxford University Press: Human Development Report 2000: United Nations Development Programme
  12. Oxford University Press: Human Development Report 2001: United Nations Development Programme
  13. Oxford University Press: Human Development Report 2002: United Nations Development Programme
  14. Oxford University Press: Human Development Report 2003: United Nations Development Programme
  15. Oxford University Press: Human Development Report 2004: United Nations Development Programme
    世界統治 未来
  16. Global Public Goods: International Cooperation in the 21st Century

    国際紛争 未来
  17. Understanding International Conflicts: An Introduction to Theory and History
    健康 未来
  18. Genomics and World Health

    人口問題 未来
  19. How Many People Can the Earth Support?
    技術革新 未来
  20. The Next Fifty Years: Science in the First Half of the Twenty-First Century
  21. Genome: The Autobiography of a Species in 23 Chapters
  22. Nanotechnology: Basic Science and Emerging Technologies
    情報技術 未来
  23. The Transparent Society: Will Technology Force Us to Choose Between Privacy and Freedom

    環境問題 未来
  24. The Two-Mile Time Machine: Ice Cores, Abrupt Climate Change, and Our Future
  25. Natural Capitalism: Creating the Next Industrial Revolution
  26. Ecosystems And Human Well-Being: Synthesis (The Millennium Ecosystem Assessment Series)

    エネルギー問題 未来
  27. Winning the Oil Endgame

    グルーバル化経済 未来
  28. Globalization and Its Discontents
  29. In Defense of Globalization
  30. The Lexus and the Olive Tree: Understanding Globalization
  31. Economic Development (The Addison-Wesley Series in Economics)
  32. The End of Poverty

    異文化問題 未来
  33. No God but God: The Origins, Evolution, And Future of Islam

    地域問題 未来
  34. Understanding The European Union: A Concise Introduction (The European Union)
  35. The Rise of China (Main Page)
  36. China's Second Revolution: Reform After Mao
  37. India: Emerging Power
  38. Modern Latin America
  39. A Peace to End All Peace: The Fall of the Ottoman Empire and the Creation of the Modern Middle East
  40. Russia in Search of Itself
  41. African Politics and Society: A Mosaic in Transformation
  42. State Legitimacy and Development in Africa

    未来
  43. Futuring: The Exploration of Tomorrow
  44. Macrohistory and Macrohistorians: Perspectives on Individual, Social, and Civilizational Change
  45. Shaping the Next One Hundred Years: New Methods for Quantitative, Long-Term Policy Analysis
  46. Who Will Pay?: Coping With Aging Societies, Climate Change, and Other Long-Term Fiscal Challenges
  47. Global Crises, Global Solutions
    全体
  48. Biomimicry: Innovation Inspired by Nature
  49. Fantastic Voyage: Live Long Enough to Live Forever
  50. Amish Society

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2006.01.04

[書評]小林秀雄の流儀(山本七平)

 昨年といっても先月のことだが、ふと思いついたように同年に出た小林秀雄全作品〈別巻1〉「感想」(参照)を取り寄せて読み始めた。小林秀雄の古典的な主要著作については私は高校生時代にあらかた読み終えており、その後はぼつぼつと「本居宣長」(参照)を読んできた。二十歳の青年だった私は小林秀雄の著作によってその後の精神的な年齢の確認をしてきたようにも思う。今になってみると、いわゆる古典的な著作はなるほど小林秀雄の若いころの作品だなと、まるで年下の人の作品のように思えるが、半面「本居宣長」は遠く起立した巨大な岩山のようにも思える。精神の年を重ねていくことの指標のようにそこにある。
 が、その道程に欠けているのは「感想」のベルクソン論であることは随分前からわかっていた。この作品は小林秀雄自らが封印していた。そしてその意思はある意味では尊重すべきだろうし、読まなくてもいいものでもあろう。当時の雑誌を取り寄せて読むのも難儀なことだ…しかしそれを言うなら「本居宣長」の雑誌掲載時のもう一つのテキストも同じ難儀ではある。
 「感想」をとりあえず一読し、そしてその意義(封印の意義)もある程度了解したものの、これもまた巨岩に近いものであり、小林秀雄の五十代の主要作品として私の五十代の課題ともなるのだろう(生きていられるなら)。
 というところで、そういえば、今回の全集では〈別巻2〉「感想(下)」(参照)に事実上遺稿となった未完の「正宗白鳥の作について」がありそれもついでに通し読みしながら、しばし物思いにふけった。

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小林秀雄の流儀
 私の父は正宗白鳥に会ったことがあり、その思い出を私は直に聞いている。祖父も白鳥の作品は折に触れて読んでいたと言っていた。そうしたこともあって、私は白鳥の作品をいくつか読んだ。小説は何も心に触れるものはなかったが、随想はある意味で決定的ななにかを含んでいた。簡単に言えば、彼の秘密とその最期である。
 さらにそういえばと、山本七平の「小林秀雄の流儀」(参照)を書架から取り出して読んだ。読書としては三度目くらいになるのだろうか、ある意味で現状もっとも優れた小林秀雄論とも言えるのだが、同時に山本七平が小林秀雄の文章の魔力に呪縛されたようになっており、読みづらい本である。そのせいか、山本七平の選集とも言える山本七平ライブラリーからは外されたのだが、おそらく山本七平の内面をもっとも映し出す書籍でもあるだろう。そのことは、彼の自伝とも言える「静かなる細き声」(参照)の標題が、旧約聖書のエリヤの故事に由来するのは当然としても、小林秀雄のドストエフスキー論によって山本七平が着目したことに由来するからだろう。なお実際の標題は息子山本良樹によるものではあろう。
 散漫な文章になったが、今回「小林秀雄の流儀」を読み返したのは、小林秀雄の最後の白鳥論と山本七平の思いを顧みたかったからである。だが、結論から言えば、やはりと言ってもいいのだが、語られていない。「感想」収録の「正宗白鳥の作について」で小林秀雄が正宗白鳥の内村鑑三論にあれだけ言及していて、しかも山本はその内村の系譜のクリスチャンでありながら、そこには触れていないのはむしろ不思議には思えた。
 しかし、考えてみれば、「小林秀雄の流儀」はある意味で小林秀雄が何を語らなかったという問題であり、そこには当然、山本七平がなにを語らなかったが重ねられている。
 以前「小林秀雄の流儀」を読んだときは、七平さん(私は生前二度ほどお会いした)が小林秀雄の「本居宣長」をバイパスしようとしているなと思ったものだ。彼は本書で宣長については二十年したらなにか言えるかもしえないと仄めかしもあった。だが、再読して、それは仄めかしでも韜晦でもなかったのだなと思った。なるほど彼にその年月の寿命があるわけでもなかったとして、やはり「本居宣長」を強く胸に秘めて語らなかったのかもしれない。
 もちろん、語らないということは単なる沈黙ではなく、なぜ語らないかについて逡巡する饒舌であると言っていい側面がある。その饒舌は当然、文章としての構成に危機を与えるものであり、十分な作品なり著作なりにはまとまりえないものがあるだろう。だが、そのプロセスの苦労というか、まさにベルクソンの認識のコアにある努力のようなものが、人の精神の中年以降の成長を魅惑してくるものでもあろう。

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2006.01.03

シリウスとシリウス暦のこと

 正月でブログなんぞ覗く人は少ないだろう、とはいえ、あまり退屈なエントリを並べるのもなんだし、かといって、「鬼門は丑寅」とあるように、鬼は丑寅、つまり、牛と虎のアマルガム、なので、頭に角を生やし腰に虎のパンツを履いているだっちゃみたいなトリビアを書いてもさしてウケないであろう、とかつらつら思いつつ、とりあえず昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究(栗本慎一郎)」(参照)を書いてアップロードしたものの、間を置かず、あ、そうかと思った。なーんだという感じである。とはいえ、昨日のエントリはとりあえずそのままにしておこう。
 あ、そうかと思ったのは、シリウスである。なんでシリウスかというのを前のエントリではとりあえず放置しといたが、なんのことはない。引用した部分で栗本先生がちゃんと指摘しているように、ペルセポリス全盛の時代はシリウス暦だったからだ。シリウスを計測して暦としていた。つまり、宇宙の時間を計測するのはシリウスが原点だった。だったら、シリウスが一番重要に決まってるじゃん。あったりまえ。しまったな、自分で言っておきながら、つい中華的コスモロジーに引っ張られたなというわけだ。
 太陽暦を使い、しかもシリウスで暦を計測するなら、神殿の役割はまさにシリウスを観測のために存在する以外ありえない、なんて誰でもわかりそうな話ではないか。ただ、その延長にある陰謀論じゃない日本古代史の議論は多少奇怪なものになるのだろう。つまり、応仁天皇陵もペルセポリスのゾロアスター(ミトラ)教の神殿と同じく、シリウス観測の神殿的な役割を持っていた、と。
 そう書くだけで、すでにトンデモ的世界に足を突っ込んでるじゃんとか言われそうだが、言うまでもなくと言いたいのだが、前方後円墳というのは「墳」が付くように墳墓ということで確かに埋葬者もいるのだが、あの建造物はでっかいお墓でしょで終わり、というのは近代の発想に過ぎず、実際は、あれは、なんだかよくわからない何かなのだ。というかあれだけでかければなんらかの神事の場でもあったには違いないだろう。たしかできた当時は白石で覆われていて湾港からもワクテカに見えたことだろう。
 応仁天皇陵がシリウス観測遺跡というなら、シリウス暦をその時代の日本人が知っていたか?そのあたりとなると実証的なサポートは不能であり、穏当なところでは、シリウス暦が日本古代にあったでしょというのはちょっとむりめ。だが、冬至の深夜にあそこでシリウスを仰いだのではないかという感じはする。追記(同日):天体ソフトで冬至深夜表示してみたところ、日本だと当然ながら二〇度の傾きにはならない。なので、厳密な計測遺跡ではないのだろう。
 そういえば、最近シリウス暦の話をどっかで読んだっけと思いだし、ああ、うるう秒の関連だ、といきなし、その二語でググったら出てきた。”SEIKO DESIGN YOUR TIME. うるう秒とは”(参照)である。追記(同日):コメントで指摘していただいたが、この記述のシリウス暦の表記はユリウス暦との混同がある。


 「うるう年」は現在の暦のクレゴリオ暦(1582年に導入=1年は365.2425日)の元となった先代のシリウス暦(紀元前49年に導入=1年は365.25日)から始まり、すでに十分に定着しているが、「うるう秒」は1972年から始まった新顔だ。
 ちなみにシリウス暦の前に古代エジプトで使われていた暦では、1ヵ月を30日としていたため、年末に5日間の調整日を設け「働くのは良くない日」として祭日にしていたという。おおらかで、うらやましい暦だ。

 というわけで、いわゆるエジプト暦は我々が現在使っているグレゴリオ暦の原形となった。たしかユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)のエジプト遠征のときローマにもたらされて、まずユリウス暦となったのではなかったか。いずれにせよ、この意味で、我々の現代の宇宙の時間もシリウスに起源を持っていると言えないこともない。
 シリウス暦についてウィキ先生をみても事実上情報はなかった。英語の Solar calendar にも情報はなく、ユリウス暦にもさして情報はない。シリウスについても日本語のウィキには情報はないが、英語の Sirius (参照)には多少関連した話がある。

Historically, many cultures have attached special significance to Sirius. Sirius was worshipped as Sothis in the valley of the Nile long before Rome was founded, and many ancient Egyptian temples were oriented so that light from the star could penetrate to their inner altars. The Egyptians based their calendar on the heliacal rising of Sirius, which occurred just before the annual flooding of the Nile and the Summer solstice. In Greek mythology, Orion's dog became Sirius. The Greeks also associated Sirius with the heat of summer: they called it Σεριο Seirios, often translated "the scorcher." This also explains the phrase "dog days of summer".

 そういえば、類似の話は「星の古記録(岩波新書)」(参照)にもあった。

赤い犬シリウス 全天でいちばん明るい恒星、冬空にらんらんと青く輝く天狼星、おおいぬ座の主星シリウスは、ギリシャ神話によれば狩人オリオンにつきしたがう二頭の猟犬のなかの一頭である。古代のエジプトでは、夏至のころ日の出前の東天にはじめてこの星が見えた日をその年の初日とした。このとき、太陽は地平線下九度ほどにあった。この日からかぞえてほぼ一定日ののち、ナイルは増水して流域に肥沃な土壌をもたらした。そこではシリウスは「犬」と呼ばれ、シリウスの初見はその増水を知らせる犬の叫びとされた。

 エッセイは項目タイトルのように昔のシリウスは赤いという伝承を追ったもので、気になる人は読んでみるといだろう(結論はないが)。
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シリウス・
コネクション
人類文明の
隠された起源
 つらつらと関連のまともなソースを見ていくのだが、「シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究」(参照)で栗本慎一郎がいうような、シリウス暦とミトラ教の関係はわからなかった。
 シリウスについて正月だしマジでトンデモ本を堪能したいという人は、「シリウス・コネクション 人類文明の隠された起源」(参照)を読まれるといいだろう。

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2006.01.02

[書評]シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究(栗本慎一郎)

 最初におことわりしておくべきだが、栗本慎一郎「シリウスの都 飛鳥 日本古代王権の経済人類学的研究」(参照)についてはこのエントリではあまり触れない。どう評価していいかわからないからだ。

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シリウスの都 飛鳥
日本古代王権の
経済人類学的研究
 アカデミックに見れば、トンデモ本の類であろう。またごく一般書として見ても議論も文体も整理されていない駄本といった印象も受ける(編者はパーソナルな洒落を削除すべきだった)。しかし、本書で描かれている指摘について、総じてトンデモ説として看過するには、あまりその代償が大きいかもしれない。少なくとも、三の論点がある。副題のように、日本古代王権の経済人類学的研究という経済人類学のアプリケーションの課題、加えて、シリウス信仰以前と以降の二つである。いずれにせよ、これらをどう扱っていいのかは方法論的にもやっかいだし、対象の措定ですらあまりに難しすぎる。シリウス信仰という限定はないが、三点目の問題は、渡辺豊和「扶桑国王蘇我一族の真実―飛鳥ゾロアスター教伝来秘史」(参照)のほうがわかりやすい。ただし、ゾロアスター教とミトラ教の考察は栗本のほうが優れている。
 いずれにせよ、そういう次第で、このエントリは昨日の「極東ブログ: 門松は死と再生のゲートかも」(参照)の続きのメモとでもいうべきものであり、そこに同書の、ごくわずかな関連を記しておきたいというくらいである。
 「シリウスの都 飛鳥」では神殿方位が真北から二〇度西に傾くという問題を、シリウス信仰として見ている。ペルセポリスなど古代ペルシャの神殿位置について論じるにあたり、前段でシリウス信仰と暦についてこう言及している。

冬至のペルシャでは、新年は冬至の真夜中、今で言う十二時に迎えた。
 ペルシャの国教は、ゾロアスターが創始したアフラマズダーを崇拝する三アフラ教(アフラマズダーのほかに二つのアフラ神がある)及びマズダ教だったが、基本は太陽信仰ということでありながら、その宗教はしばしば折衷的で、暦はシリウスの観測を軸にしつつ「副太陽」であるシリウスをも、崇拝の対象にしていた。儀礼もそうである。副太陽という意味は、昼間の一番明るい星は太陽なのだが、夜間で最も明るい星がシリウスということである。シリウスは太陽系から8・7光年の距離にある新しい星で、古代日本でもオオボシ(大星)と言われていた。ゾロアスター教以前からあるミトラ教の諸派では最高神アフラマズダーに次ぐティシュトリア神とはシリウスのことである。何よりも、暦はシリウス暦だった。その意味で、人は「光」の根源を太陽よりシリウスに感じていたのだ。

 このあたりの詳細について知らないのだが、所謂中華的な世界観からは出てこないものがあり、栗本が指摘しているように、大陸=中国と捕らわれないほうがいいだろう。
 神殿位置についてだが。

 紀元前五百年頃、ペルセポリス(北緯29度57分、東経52度22分)の冬至の真夜中、今でいう十二時にシリウスは真南から20度東に傾いた方向に煌々と輝いた。この方向に向かって、新年を告げるシリウスを遙拝するとすると、遙拝する者の真後ろ(後ろの正面)は真北から20度西に傾くことになる。

 このあたりのシリウス信仰だが、栗本はこれが後代、妙光、妙見信仰となり、さらに阿弥陀信仰、弥勒信仰に結合していくと見ている。
 私も、栗本ではないが、二十代から三十代にかけて奈良・紀州・近江などをあてどなく彷徨って古代・中世の遺物を見てまわったが、私は、妙見信仰が日本に深く隠されているという印象を強くもった。
 問題は、妙見菩薩が北斗七星の神格化でよいとすれば、また北辰菩薩ともいうなら、北極星ないし現在のこぐま座の北極星つまりポラリスを指すというのならわかる。が、なぜシリウスなのか。そこが今ひとつわからない。
 ところでこのエントリを記そうとしたのは、北から西へ二十度ではなく東へ二十度の問題である。つまり、昨日のエントリで触れた丑寅の意味だ。これについて、栗本は奇妙な印象だけを本書に記している。蘇我馬子の墓とされている遺跡について触れ、その破壊についてこう述べている。

(蘇我氏にとって)後年、日本において後に東北の方向、つまり艮が、不吉な方向になっていくことと関係はないだろうか。それとも、艮はこれ以前から不吉な方位だったのだろうか。おそらく、これ以後からと思えるが、今のところ、私には分からない。
 別の考えかたもある。東に方位を振ること自体にも(逆に)聖なる意味があるということだ。広い意味では蘇我氏に繋がる奥州藤原氏の四代のミイラが納められた毛越寺の金色堂が、真北から20度東に傾斜した方位で建立されているからだ。ただ、これもミイラの収納所だから、死の世界と関わっているのかもしれない。

 昨日のエントリを酔狂にも読まれていれば、艮(丑寅)が死と再生の方位であることはすでに触れたとおりなので、このあたりに栗本の日本史の欠落が感じられる。しかし、当の問題、つまり、真北から西に20度とそれに対するがごとき東20度の意味はわからない。
 あるいは、乾(戌亥)ということであろうか。
 これらを決するのは、コスモロジーの考古学とでもいうべき学問がタイポロジーとして成立していなくてはならない。さらに具体的に言うなら、中華的なコスモロジーと北魏的なコスモロジーが経時的にどういう構成になっているかということだ。
 ただし、方法論的には非常に難しい。古代遺物はそのマテリアルなのかアプリケーションなのかをどう区別していいかがわからないからだ。
 だが、この学問がありうるなら、古代王権というものの権力の実態であるその呪術性を明らかにするのだろうとは思うし、恐らく、日本中世の天皇制の再構築はこの呪術の産物であり、そしてさらに民衆側に起きた浄土信仰もおそらく、この呪術性の同一のシステムであったことだろう。
 アウトライン的には妙見信仰、光と影、死と再生、夏至冬至といった諸相から攻めることになるのだろうか。
 余談だが、日本はアジアにあって、唯一、妙見信仰・ミトラ教的な太陽のコスモロジーのなかで近代化を遂げた。なんとなくだが、その連関がすべて日本はアジアではないということを示唆しているのではないだろうか。

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2006.01.01

門松は死と再生のゲートかも

 あけましておめでとうございます。ま、そゆことで、今年も。っていうか、今年いっぱい続くだろうかと懸念しつつ、ブログ足かけ四年目を迎える。
 話は正月ネタの雑談。少し思うことあって、その下調べメモがてらの話をなんとなく書いておく、という以上の意味はない。きっかけはとりあえず、正月でもあり門松としておく。
 ウィッキ先生が何か言っているかとみると、まあありがちな話が書いてある(参照)。


 門松(かどまつ)とは、正月に家の門の前などに立てられる松や竹で作った飾りのこと。松飾りとも言う。
 古くは、木の梢に神が宿ると考えられていたことから、門松は年神を家に迎え入れるための依代という意味合いがある。かつては松に限らず榊、椿、楢などの常緑樹なら何でも良かった。鎌倉時代から竹が一緒に飾られるようになった。
 平安時代に中国から伝わり、室町時代に現在の様式が決まったという門松。

 マイペディアはもうちょっと含蓄のある話にしてある。

 正月門口に立てる松。門木,お松様とも。本来は年神を迎えるための依代で,ナラ,ツバキ,トチノキ,スギ,竹,ホオノキ,ミズキ等も用いられる。12月13日に山から採ってくるのを松迎えという。期間は7日や小正月までとされ,小正月にこれを焼く風も広く行なわれている。

 いずれも年神の依代説であり、手元の『日本を知る小辞典』(世界思想社)でも概ねその説としているが、明治以降にできた近代的な民俗学的な定説なのではないか。同書には、門松が普及したのは、明治時代の文部省唱歌によるのだろうと推測している。実証は難しいだろうが、そのあたりが真相ではないか。とすれば、現在日本の門松の風習というのは天皇制や君が代、日の丸と同様に西洋文化遭遇による近代化反応の偽物の一つでもあるだろう。しかし、その話にはそれ以上踏み込まない。
 気になっているのは、松の象徴である。先に引用した一般的な解説例ではどちらも、常緑樹ならよしということで松の特定性はないとしている。しかし、これは民俗学もまた近代偽物である悪影響のように思える。
 兼好法師も徒然草に松はよいものだとしているように、松は日本人の趣向にも会うし、中華的な趣向にも会うだろう。確か琉球の儀間真常も松の移植などをしていた。が、松の象徴性はもっと日本の中世文化というか呪術的世界にとって決定的なものではなかったか。
 そう思わせるのはまず歌舞伎の松羽目物の連想がある。話を端折るが、松羽目物は能・狂言のオマージュであり、起源は当然に能になる。そしてこの能の舞台、というか、能の劇的世界は「松」の象徴によって成立しているととりあえず言えるだろう。話が短絡するが、元旦の門(ゲート)の象徴がこの能と同じ世界であるということの意味がとりあえず課題として浮かんでくる。
 ここで松の象徴に対応するもう一方の極が「正月」という時間のシンボリズムである。では、正月とは何か? この象徴性を日本の伝統の文脈で問うなら一義に十二直となるだろう。ウィキを引く(参照)。

 十二直(じゅうにちょく)とは暦注の一つで、建・除・満・平・定・執・破・危・成・納・開・閉のことである。
 暦の中段に記載されているため、「中段」「中段十二直」とも呼ばれる。「直」には「当たる」という意味があり、よく当たる暦注だと信じられていたと考えられる。

由来
 北斗七星は古代から畏敬の念を持って見られた星座の一つであるが、この星の動きを吉凶判断に用いたのが十二直である。
 昭和初期までは、十二直が暦注の中でも最重視されていたが、最近では六曜や九星を重視する人が多くなり、以前ほどは使われなくなっている。


 なかなかこれはよい指摘で、現代日本人は細木数子だかなんだか知らないが、近代以前の占術と暦法を六曜や九星がメインだと勘違いしている人が多くなってきているが、そうではなく、十二直が重要になる。
 十二直では北斗七星の動きが重要になる。

 柄杓の形をした北斗七星の柄に当たる部分(斗柄)が北極星を中心にして天球上を回転することから、これに十二支による方位と組み合せて十二直を配当する。


 冬至の頃には斗柄が北(子)を指す(建(おざ)す)ので、冬至を含む月を「建子の月」という。

 ウィキにはこの件についてこれ以上記さず、わかりにくい。もう少しまともなリソースはないかと見ると、「国立国会図書館 「日本の暦」―暦の中のことば 中段」(参照)がよい。

 古くから中国では、一定の位置にあって動かない北極星を中心に1日1回転する北斗七星に興味を示していました。そして、北斗七星のひしゃくの部分(斗柄、剣先星)が夕方どの方角を向いているかをその方位の十二支に当てはめて各月の名を決め、暦に記しました。これを月建(げっけん)といいます。冬至(旧暦11月)には、斗柄が真北(十二支の子の方角)を指す(建(おざ)す)ため、建子の月と名づけ、同じように、十二月は丑、正月は寅…という要領で各月を名づけました。
 そして、その節月と同じ十二支を持つ最初の日を建とし、以後順に、除、満…と配していきます。例えば1月の月建は寅なので、1月節(立春)後の最初の寅の日が建となり、次の卯の日には除、辰の日には満…と順に配当します。原則として十二直は12のサイクルですが、毎月の節入りの日のみ、その前日と同じ十二直を配しています。

 とりあえず重要なのは、一二月が丑、そして、正月が寅、ということだ。
 当然、門松は、丑から寅の遷移のゲートに立つことになる。その意味で、門松のコスモロジックな意味は、「丑寅」であるということはできる。
 加えて、冬至が太陽の死と再生の象徴でもあることから、「極東ブログ: サンタクロース雑談」(参照)で多少触れたが、クリスマスは太陽信仰のミトラ教によるもので、その死と再生から後の救世主の誕生に擬された。これを、同じコスモロジーを共有する十二直の世界観に置き換えれば、「丑寅」は死と再生の意味を持つはずだ。
 本論に戻ると、むしろ話は逆で、「丑寅」がなぜ「松」なのか、ということになる。というか、ここでようやく、門松の意味が問えることになる。そして、そこには、死と再生のシンボリズムが関連していることだろう。話が粗くなるのだが、恐らく、松羽目の元になる能の松の空間とは死から生への、劇ゆえのたまさかの、再生の空間なのだろう。余談だが、橋懸かりは死から再生へのブリッジであろう。
 とすれば、正月とはまさに、能の空間に擬されているために、松がゲートに配されていると見てよいのだが、問題はなぜそれが松なのか依然わからないことだ。
 この問題の解については、吉野裕子が「カミナリさまはなぜヘソをねらうのか」(参照)で、松の旧字が、木偏に八白と書くことで、八白の木と解され、九星の八白の方位が丑寅であるという説を上げている。
 そうなのだろうか。私には、よくわからない。松の旧字は、私には「木偏に八白」ではなく、木偏に八口ではないかと思える。あるいは俗字か。
 しかし、吉野説の松が八白の木であるなら、その呪術の体系が中世以前に存在していただろうし、その呪術の体系は、「極東ブログ: キトラ古墳の被葬者は天皇である」(参照)でも少し触れたように、日本の王家の呪術に関係してくることになる。

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