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2005.12.31

大晦日になぜすき焼き?

 沖縄暮らしで不思議に思うことはいろいろあったが、なかでも不思議だったのが大晦日のすき焼きだった。最初のうちは大晦日の会食に呼ばれてみたらすき焼きですかというらいで気にも留めなかったが、どうも大晦日はあちこちすき焼きみたいだった。八年も暮らしていたのでわかったが、大晦日にはなにかとすき焼きなのだ、沖縄では。何故?
 沖縄の大晦日の年越しそばが沖縄そばだというのはもういい。っていうか、どうしようもない。しかし、大晦日になぜすき焼き? この話は今年の元旦にも触れていたっけ。そうそう。そして、この風習は沖縄に限定されないようだということもちょっと書いた。
 と思い出したのは先ほど多少は年越しらしい買い物に近所のスーパーに行ったら、レジの前の人の買い物が、どう見てもすき焼きです。うーむ、そうか。東京でもそういう家は多いのか。それにしても、なぜ大晦日にすき焼き? その分布と伝搬はどうなっているのか。
 グーグル先生に訊いてみるのだが、よくわからない。が、どうもあちこち大晦日はすき焼きのようだ。まったくよ。たとえば、”月刊グリ 鞠奴の食いしんぼう日記 2002年10月号(39号)”(参照)。


 また母親が献立に迷ったりしていると、すかさず「すき焼きにしない?」と誘いかけ、冬の定番料理として月イチくらいのペースを確保しつつ、ついには、大みそかを「すき焼きの日」と制定。
 それほどすき焼き好きでない妹の「大みそかは年越しソバを食べる日なんじゃないのぉ」という抗議にも「バカだね、あんたは。年越しソバは紅白歌合戦が終わってから食べるもんだがね。大掃除やおせちで忙しい大みそかは、なるべく簡単にできる夕ごはんじゃないといかんで、どこのウチでもすき焼きなんだわさ」とワケのわからん理屈で応酬し、計画は一方的に進められていった。
 こうして強引に定められた「すき焼きの日」であったが、私が結婚して十数年たった今でも、実家では相変わらず、大みそかにはすき焼きをしているらしい。ほかの献立考えるの、めんどくさいのね、きっと。

 プラクティカルにしてスポラディックな…とカタナカ使うんじゃねー的な印象なのだが、けっこう、あちこち、なんとなく、そういう次第なのだろうか。
 今年の一月一五日毎日新聞”ゆっくりとタフ 東京から 大みそかに食べたもの”にはこうある。

 友人知人に聞いてまわった結果は、思っていたよりも「なんでもあり」だった。「大みそかは、すき焼きを食べるに決まっている」と断言したのは、金沢出身の友人。「うちに決まりごとというものがあるとしたら、大みそかにすき焼きを食べるということだけだ」とまで言った。

 みたいだな。
 しかし、起源と分布がわからない。”汁料理と鍋料理”(参照)に若干ヒントのようなものがある。

大晦日や正月には、豚や鶏の肉鍋が全道的に年々増え、生産地域では近所の数件の家が共同で豚や鶏をつぶして大晦日や正月料理にあてていたようだ。また、すき焼きは昭和40年以降から増え始め、現在では年越しの鍋料理では最も好まれる料理として大晦日に食べられている。

 つまり御馳走の象徴だったのか。つまり年取り魚の変形だな。
 というところで、年取り魚か。年取り魚は大晦日の夜に越年に吉例として用いられる魚で、サケとかブリなどが一般的。
 ところで、先の引用だが、すき焼きが鍋料理に分類されているふうでもある。そういえば、沖縄の大晦日のすき焼きで思ったのだが、それは、確かに、鍋料理だった。あのぉ、すき焼きって鍋料理と違うんですけどぉという一言が、眼前にどぼどぼとと注がれている割り下の洪水を前にして、出なかった。や、内地でもそういうのはある。っていうか、そういうのけっこう多い。っていうか、この問題は、ヒルベルトの残した二十四番目の難問として有名なのでここではあまり深く立ち入らない。
 といっておきながら、すき焼きは「焼き」なので最初に焼く。というか、20年以上も前になるがわけあって偉そうなすき焼き屋で御馳走になったのだが、仲居さんが偉そうな牛肉に真っ白な上白糖をまぶして焼いてちょいと割り下という感じだった。
 ネットを見たらその手のやりかたは関西風でもあるようだ、関西風だと割り下は使わないらしい。
 ちなみに、私は、すき焼きは、軽く牛肉を焼いて、特に牛脂を溶かす。上白糖はまぶさない。ちょっと焼き目な感じで、濃いめの割り下投下。割り下は、醤油一、味醂一、上白糖一の割合に適当に酒と湯と粉ダシで。あとは、具。木綿豆腐、ネギ、しらたき、春菊とか。びちゃびちゃにしない。麩は使わない。生卵がきらいなので使わない。ってなところ。ま、料理のうちに入らない。
 うーむ、なんかすき焼きにするかなぁ。大晦日だし。
 では、みなさん、よいお年を。

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2005.12.30

[書評]「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記(安田好弘)

 二〇〇五年とはどういう年であったか。いろいろな議論はあるだろう。私には、それは一九九五年からの十年が終わった年だという感じがある。では、九五年とはどういう年だったか。阪神大震災があり、オウム真理教による東京サリン事件が起きた年だ。十年の後、それらはまったくの過去になっただろうか。前者については耐震偽装問題が関連する。
 後者については難しい。一応〇四年二月二八日に判決を見た。この日に私は「極東ブログ: 麻原裁判に思う」(参照)を書いた。


 少し奇妙な理屈になってきたし。この問題は、たぶん、ブログの読者のわずかにしか関心がないだろうからこの程度で切り上げる。率直なところ、私は無意味に自分が誤解されてもやだなという思いもある。
 麻原裁判の問題に戻す。真相は解明されなかった。日本社会は、真相を欲してはいなかったとすら言える。ここで急に話の位相を変える。「と」がかかって聞こえるかもしれない。が、私はオウム事件の真相の大きな一部は村井秀夫暗殺にあるのだろうと考えている。もう少し言う。村井秀夫のトンマな妄想は残酷だがお笑いを誘う。この間抜けな人間に組織化した殺戮のプロジェクトがこなせるとは私は思わない。およそ、ビジネスでプロジェクトを動かした人間ならその背後に、それなりの玉(タマ)が必要なことを知っているものだ。

 私は疑念を残したままだった。
 この事件は私個人の内面としては吉本隆明という思想家の思想との対決という面があった。私は、遅れてきた吉本シンパであり、この時点までは吉本の思想についてきたが、ここで齟齬を感じていた。そのことは、その前段ともいえるエントリ「極東ブログ: 麻原裁判結審と吉本隆明の最後の思想」(参照)で触れた。

 結審に関係ないといえば関係ないのだが、たった一つだけ喉に引っかかった魚の小骨のような思いだけがある。些細といえば些細なことだったが、当時論壇やジャーナリズムを巻き込んで麻原を擁護した吉本隆明の主張だ。眼帯のまほこちゃんこと吉本真秀子(よしもとばなな)の家庭教師だった芹沢俊介を除けば、サリン事件以降、吉本を支持する論者はいなかった。こいつらは馬鹿かと思われるような論者やジャーナリストは一斉に吉本バッシングを始めたが、私が吉本シンパだからかもしれないが、結局吉本の強さが際だつだけだった。ちょっと知恵の回る論者なら、この問題を避けてしまった。
 実際はどれほど吉本シンパであっても吉本のこの立ち回りは理解できなかったのではないだろうか。率直に言えば私もその一人だ。もちろん、心情的には理解できる。

 また。

 言葉の上っ面では吉本の批判など簡単だ。至極簡単と言ってもいいかもしれない。だが、その簡単をそのままやるヤツは歴史から浮遊し始める。昔吉本は彼とサルトルと対決したら必然的に負けると言っていたが、そう言えるところに吉本のしぶとい強さがある。
 私の理解は間違っているかもしれないが、吉本が麻原を擁護するというのは、つまるところ2点だろう。一つは。麻原の行なった壮大な悪事を市民社会は断罪できないし、断罪するような思想は大衆の未来を閉ざすということだ。このテーマは難しい。もう1つは、麻原が歴史上比類無き宗教家だということだ。もちろん、政治的には阿呆だと吉本も付け加えているが。

 前者の問題は造悪論としてその後も思想の課題としては残る。ある意味で、それは吉本を継ぐ形で私が生きている限り、こっそりと思考し続けるだろう。当面の問題は、吉本が麻原を比類なき宗教家だと評価する点についてだが、これらの私のエントリでも表明していたように、まったく理解できなかった。この分野の宗教に不得手な吉本が間違ったのだろう(彼は言語学などでも素人レベルの間違いをしている)というくらいであった。
 が、ごく先日、ある事件を契機にこの問題を振り返り、麻原を宗教家として評価している自分を発見した。もちろん、政治的には頓馬であり思想的価値はゼロだろう。宗教家というのはそういうものではないということが、ある時、すとんと胸に落ちていた。気が付くと、十年前の吉本隆明をほぼそっくり受容できている自分がいた。その転換がいつ起きたのか、自分の心をしばしトレースしたがはっきりとはわからなかった。が、個人的には私の内面で何かが深化したようには思う。そして、そのことは、あの時の吉本が世論の血祭りに上げられたように、私もそれを語るならそのような批判を受けることになるだろうかと思った。その世間の空気の匂いのようなものも感じた。
 少し話を戻す。「極東ブログ: 麻原裁判に思う」で私はこう書いた。

吉本はこの件について、たしか、死刑になんかできるわけないよと言っていたと思う。私もこの裁判(検察)は、法学的に間違っているのではないかと思っていた。やや、やけっぱちな言い方をすると、法学関係者はこの問題にはあえて沈黙するのではないだろうか。嫌なやつらだよな、法学関係っていう感じもする。

 エントリでは、この段落に続いて、しかし死刑にできるという法理を日垣隆の説明を借りて書いた。そのあたりはなるほどではあった。
cover
「生きる」という権利
麻原彰晃主任弁護人の手記
 が、私の心のなかには、吉本と同じで、「死刑になんかできるわけないよ」という感覚というか信念のようなものはけして揺るがなかった。余談めくが、私が法学に多少関連した話を書くといかにも専門家ふうな通りすがりさんに馬鹿だなみたいなコメントを戴くことがあるが私はそれをあまり真に受けていない。この例でも、「死刑になんかできるわけないよ」という私の法の感性が間違っているとはつゆも思っていない。
 こうしたある主のコンバージョン(転換)とコンシスタンシー(一貫性)がある宙ぶらりんとした感じのなかで、今年の八月に出版された安田好弘弁護士の『「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記』(参照)を読み、いろいろと思うことがあった。それこそ二〇〇五年を私のなかで区切りをつけるためにエントリに記しておかなくてはならないものだ。
 安田好弘弁護士も麻原を死刑にできるわけはないと考え、そして、宗教思想その他を抜きに一人間として麻原に接して、宗教家としての価値を認めていた。私は、この安田に法の感覚を持つ普通の弁護士と普通の人間の感覚を感じた。しかし、それはそのままにして世間の感覚ではない。大衆と大衆の原象の問題でもある。が、それはさて置く。
 安田の本は、この時点の私が読むからなのだろうが、かなり共感できた。しかし、半面、彼自身が現在の麻原に深く関与しすぎている印象も受け、そこがうまく語られていないようにも思った。本書は手記の形態しているが、ライターなり編集の手がかなり入っているのではないかと思えた。むしろ、ジャーナリストがもう一度、安田と麻原の関係を問い直す必要もあるのかもしれない。が、その日はたぶん永遠に来ないだろう。
 話を東京サリン事件だけに絞る。安田が仄めかす事件の真相は、いわゆる一般的なあの事件の解釈やいわゆる陰謀論を越えたものがあり、率直に言うのだが、あの事件についての私の歴史の感覚をガラっとずらすなにかがあった。単純に表現すると陰謀論のようだが、まあ、いいとしよう。それは、警察は事前に事件を予期していたということだ。安田はこう言う。

 三月一五日、地下鉄霞ヶ関駅で、加湿器の入ったアタッシェケースが見つかった。中身は単なる水だったが、警察の反応は過剰ともいえるもので、地下鉄の通路に、「目撃者を探しています」という写真入りの立て看板があちこち立てられていた。私は、イタズラ事件に過ぎないのに、なぜそこまで広く目撃情報の提供を求めるのか、不思議でならなかった。地下鉄サリン事件が起きた時、私はふと、五日前のこの出来事と何かかかわりがあるのではないかと感じていた。


 前述のとおり地下鉄サリン事件の五日前に、地下鉄霞ヶ関駅で「アタッシェケース事件」が起きた。アタッシェケースに仕込んだ噴霧器から白い煙のようなものが発生したが、それは、単なる水であった。後にそれがオウムの幹部たちによって設置されたものであったことが判明した。しかし、当時それに関与した者は、中にはボツリヌス菌から抽出した猛毒のボツリヌストキシンが入っており、それによって数十万人を殺せると信じ込んでいた。
 実は、地下鉄サリン事件よりもアタッシェケース事件のほうが本番だったのである。
 地下鉄サリン事件は、アタッシェケース事件が失敗したため、急遽、実行したものに過ぎなかった。警察はこの事件の内容を掴んでいたに相違ない。
 地下鉄サリン事件が起こる前日、自衛隊は朝霞駐屯地でガスマスクを着けて、サリンに対応した捜索の演習を行っていた。やはり、地下鉄サリン事件が起こる前に、警察は彼らがサリンを持っていることを把握していたのである。
 警察が地下鉄サリン事件を予知していたとなると、事件の様相は一変する。地下鉄サリン事件を無差別大量殺人事件だと位置づけることはできない。この事件がなければ、警察・検察は対テロ政策、つまり、公安調査庁の存続や、警察要員の増員など、幾多の治安優先の政策を実行できなかったはずである。

 私も真相はそうなのではないかという印象を持っている。ただ、公安は自身の存続より別の敵を想定したのではないかとも思うが、そこまでくるとさすがに陰謀論の色が強すぎるだろう。
 安田は警察が何か知っていただろうとすることを検証するために、ちょっと唖然とも私には思えるのだが、Nシステムへのハッキングを試みていた。

 私は警察庁のコンピュータ・サイトからNシステムに入り込み、オウム真理教の車とその後ろを追尾する警察車輌の写真を探し出すことを思いついた。当時、まだハッキングは犯罪ではなかったから、サイトに入る技術を習得すれば可能となる。オウム真理教の車のナンバーはわかっている。あとは、その後ろの車のナンバーが警察のものであるかどうかを調べればいいのである。しかし、私の技術が未熟でうまくいかず、そのうち私自身が逮捕されてしまい、この試みは実現しなかった。

 彼のブレーンにハッカーがいなかったのだろうか。安田の逮捕劇は、オウム裁判という国策によるあまりも馬鹿げた短絡した事態なのでここでは触れないが、こうした流れを見るに、むしろ安田排除の本当の理由は警察追及への威嚇ではなかったかとも思える。
 オウム事件には庶民からも見える形の隠蔽がある。言うまでもなく村井秀夫の衆人環視内での暗殺だ。そして、もう一つの隠蔽がある。まったく語られていないわけではないし、そして長くなるが引用しておきたい。

 村井さんが「科学技術省」トップとして権力を握る一方で、教団の組織化や法律・制度については、AさんとKさんの二人が中心になっていた。Aさんは「法務省」のトップであり、Kさんは「法皇官房」のトップで、麻原さんの側近だった。教団における省庁制は、麻原さんの発想ではなく、Kさんの発案によるものだった。彼ら二人は、新しい国家のモデルを考えていたのであろうか。
 地下鉄サリン事件の二日前、三月一八日にあったと検察が主張する「リムジン車中謀議」(サリン散布を麻原さんが「指示」したと言われる)の際、リムジンの中にはAさんとKさんも乗っていた。しかし二人は、この事件に関して起訴されていない。彼らは「車中謀議」に参加していないことになっているのである。これも不思議としか言いようがない。
 Kさんが地下鉄サリン事件に関与していたという証言が、元「諜報省」トップ・Iさんの尋問中にはからずも出てきた。Kさんは、犯行声明を作ってファックスで送ったというのである。この話を彼はそれまで隠していた。調書に出てきておらず、彼の弁護人も知らなかったようだ。証言によると、地下鉄サリン事件当日の三月二〇日、世間の目をそらすため、宗教学者の島田裕巳さん宅に爆弾を仕掛けに行ったという。しかしその後の、サリンが撒かれる時刻までの彼の行動に、どうしても説明できない時間がある。尋問でそれを訊いていくと、
「Kさんと会っていた」
と彼が証言した。
「何のために会っていたのか」と追及すると、犯行声明の話が出てきたのである。もちろん、それがどこまで本当かわからない。しかし、犯行声明はいっさい出なかったことになっている。どこかで握りつぶされたのではないだろうか。
 こうして、地下鉄サリン事件に、Kさんはかかわっていないという事件の構図が作られたのである。Kさんの祖父が自民党の大物政治家の後援会長だった、などと不起訴の理由もいろいろ取り沙汰された。しかし、それにしても、教団中枢メンバーの中で、なぜKさん一人が起訴されなかったのか。オウム裁判では裁判以前の段階、起訴するかしないかという時点ですでに、差別や区別が図られているのである。
 地下鉄サリン事件に至るまでの教団の動きを追っていくと、教団内の権力はKさんのグリープと村井さんの二人に集中していたようにみえる。しかし、検察の描いた構図では、Kさんのグリープがすっぽりと抜けている。片や、村井さんはこの世にいない。つまり、オウム事件の中心人物が二人とも法廷にいないのである。

 この話は後日譚がある。そのこともこのブログで少し触れたことがある。だが、この問題は単純に言えば、迷宮入りが決まっているのだろうと思う。
 その扉を閉める十年でもあったように思える。
 なお、本書が東京サリン事件に触れるのは全体の三分の一程度で、他にも非常に興味深いエピソードに満ちている。

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2005.12.29

セブン・ミレニアム統合メモ

 少し間が空いたが二十五日、セブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングの株式の六五%を買収し経営統合する方針を発表した。
 言うまでもなく、セブン&アイ・ホールディングスは、セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズを傘下に持つ流通グループ。対するミレニアムリテイリングはそごうと西武百貨店を持つ。これで、国内最大の流通グループが誕生し、小売りでは世界規模でも第五位となる。とはいえ、どの業態も前年比割れか成長見込み薄、ということで、世界規模で見るとヘタ打ったかもねという評価があり、S&Pはセブン側を格下げした。
 新聞社説では私の記憶では二十七日に三社が扱っていた。


  • 朝日 流通再編 消費者の心をつかめるか(参照
  • 読売 [流通大再編]「消費者が握る生存競争の行方」(参照
  • 日経 大転換期示すセブン、ミレニアム統合(参照

 私の印象としてはどの社説の似たり寄ったりで、いまひとつ今回の事態が理解しづらかった。しいていえば、朝日は支離滅裂、日経はべた記事風なので、読売がやや良かったように思う。なぜ?に少し答えていた。

 今回の再編で、セブン&アイは、百貨店との“共鳴効果”を狙った。一定のブランド力を保つ百貨店が仲間に加わることで、新商品の開発や仕入れが有利に展開でき、新たな出店戦略も立てやすくなる、というわけだ。
 ミレニアム側にとっても、渡りに船だったとされる。ミレニアムの株式の多くは、国内の投資ファンドに所有されている。意に沿わない形で株式が売却されるより、価値を認めてくれるセブン&アイのような相手が理想的だった。
 もう一つの特徴は、外資系流通大手の攻勢に備えた規模の拡大、という意味合いだ。国内の流通市場には、多くの外資が進出している。米ウォルマートは、大手スーパーの西友を子会社化した。欧州系企業も店舗展開を始めた。

 つまり、①共鳴効果(シナジー効果)、②ミレニアム側の売却の危機意識、③外資対抗、ということで、大筋ではそうなのだろう。
 その後、NHKの解説で知ったのだが、今回の統合はミレニアム和田繁明社長がセブン鈴木敏文会長に先月持ちかけたものらしい。和田としては他数社もリストにはしてあったそうだが、やはり鈴木を狙っていたのだろう。やはり、突然のものだったのかと思い直した。
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セゾンからそごうへ
和田繁明の闘い
 というあたりで、この統合の裏には鈴木敏文と和田繁明という二人の天才のドラマがあるのだろうが、それだけなのか。印象としては、もうちょっと政治的な動きがあるとしか思えないのだが、ざっと見たところではメディアには浮いてこない。いずれにせよ、楽天・TBSのような笑えない喜劇を展開している猶予はどこにもないのだから、賢明な方向ではあるのだろう、数年後の勝算は別としても。
 鈴木敏文と和田繁明については、私のような者が何かを書いてもしかたがないのだが、こういう人が天才なのだなとは思う。鈴木敏文はコンビニの現場なんか見回りませんよと言って、POSデータのCRTを見つめていた姿が印象深い。和田繁明は改装後のデパートの中を駆け回って一番ボトムの現場を確認していた姿が印象深い。そうした姿だけで、何かを感じさせる経営者ではあった。
cover
鈴木敏文の
「本当のようなウソを見抜く!」
セブンーイレブン流
「脱常識の仕事術」
 が、皮肉な見方をすれば、その二人の時代も終わったということかもしれないし、この二人の最終章なのかもしれない。あるいは、新しい才覚ある経営者がここから芽生えてくるのかもしれない。こういう言い方は違うのだろうが、堤清二から和田繁明が出てきたように、時代は変わる、その変わり目のドラマがあと数年で始まるような気がする、傍観者には。

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2005.12.28

ローソンが二十四時間営業を一部廃止へ

 コンビニのローソンが二十四時間営業を一部廃止するというニュースが朝日新聞系で報道された。他紙系などにもあるのかもしれない。
 話は”コンビニ、後継者確保に懸命 24時間営業見直し”(参照)の冒頭がわかりやすいだろう。


 コンビニエンスストア2位のローソンの新浪剛史社長は、一部の店舗で、24時間営業を2年後にもとりやめる方針を明らかにした。高齢化が進む加盟店オーナーに「体力的につらい」との声が強まっていることが背景にある。「24時間営業」はコンビニ業界の大きな特色だけに、業界初のこの動きは、競合他社にも波紋を広げそうだ。

 ああ、やっぱりな、という印象を私もった。コンビニのオーナーの高齢化は避けがたい。それと率直な印象を言うのだが、このビジネスにはシステム的に無理があり、その崩壊というのも大げさだが変動の始まりのように思えた。無理の部分は、人件費が実際にはオーナーの過重労働になっているのではないかということだ。それ以上はちょっとブログで明からさまに言いづらい。
 朝日新聞が次のようにいうオーナーの高齢化というだけではないとは思う。

75年設立の同社では、加盟店のオーナー年齢は当初、30~40代が中心だったが、最近は50歳前後が主体になった。年齢層が上がるにつれ「24時間開けている必要はないのではないか」との意見が寄せられるようになった。このため、ローソンでは今春から24時間営業の見直しを検討していた。

 もちろんそうした側面もある。三〇代の仕事量を五〇代がこなせるわけもない。しかし、このシステムの一面ではそれを強いることになる。自営業というのはそういうものだとも言えるが、かつての八百屋・魚屋というわけにもいかない。
 この話はコンビニの後継者という話にもつながる。関連記事がもう一つある。”ローソン、24時間営業を一部廃止へ オーナー高齢化で”(参照)より。

 ローソンが11月中旬、東京都内のホテルで開いた「後継者研修」には加盟店オーナーの子息20人が集まった。1泊2日で新浪剛史社長らが店舗運営や経営者の心構えを説いた。次世代に継いでもらいたい、という発想で昨年から始めた催しだ。参加者は「後継者と言われても、いままでピンとこなかったが、自分の勉強不足だった」と話していた。

 話が飛躍するし粗くなるのだが、後継者に継がせるということはそのコンビニが地域社会の欠かせぬ機能と化していることが前提になるのだが、それは無理に近いだろう。ひどい言い方になるが、五〇歳をすぎて自分が「具」になっているというのが経営的に見れば無理がある。むしろ次のようにファミマの発想のほうが経営的には一見すると正攻法だろう。

 ファミリーマートは「複数店」経営を奨励する。03年春、2店目以降について、本部に支払う毎月の手数料の一部を払い戻す奨励制度を導入。今年8月末までに約500人の複数店オーナーが生まれた。

 「一見」と留保したのは、その経営リスクをやはりオーナーに分散させるというのは無理かもしれないなと思うからだ。五〇〇名というと多いように見えるが、いずれ頭打ちだろう。この他、記事では、セブンイレブンは若い脱サラ組を狙ったといったスジの話に流し込んでいた。
 あまり不謹慎な話はしたくないのでさくさくと書くのだが、いずれにせよ、コンビニ全体はいろいろ小さな惨事を起こしつつ、システムというものがそうあるような仕方で統合されることにはなるだろう。ある意味で、できる経営だけができるということだ。朝日新聞の記者も不思議に思わなかったのか思っていて書かなかったのか、深夜の客がペイしなければ深夜営業は閉じるというだけの話でもあり、そうした経営が店舗経営として成立しなければ消えるということだ。
 コンビニは都市生活者にはさらに便利な店舗に進化していくだろう。むしろ、現状ではその可能性がうまく経営に反映されていないきらいすらある。コンビニ活用マニュアルでも書くと面白いくらいだ。が、いずれにせよ、それも都市が求めるものに落ち着いていく。
 では、地方は? 地方で長く暮らしたのでわかるのだが、意外と地方生活者ほどコンビニが便利なものだ。当然自動車で行くことになるのだが。そのあたりがどうなるのだろうかとは思う。沖縄だと、昔ながらの小さななんでも売る雑貨店が「まちやぐゎー」として存在し、おばーたー(老婦人)が消費税なんててーげーで営業している。仕入れはと見ていると、巡回の小型トラックが来ていた。ネットワークがあるようだ。ああいうビジネスが日本の各地方に展開されれるようになるといいのではないか。すでにそうなっているのかもしれないのだが。

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2005.12.27

猫も杓子もブログの一年

 一年を振り返るという趣味があまり好きではないが、それでも今年はブログが普及した年だったなと思った。猫も杓子もブログか。とふと、「猫も杓子も」と「ブログ」の二つのキーワードでグーグルを検索したら、あれま、四万五千件もヒット。すげ。ちなみに、この二つのキーワードで、ああなんていい気分(I'm Feeling Lucky)としてみたら、”@IT:ブログブーム、猫も杓子も古川氏(マイクロソフト)も”(参照)という記事が出てきて笑った。古川さんのブログはスタイルシート・ネタとゲイツ君ネタが面白くて何回か覗いたことがある。
 ところでなんで「猫も杓子も」か。これは私の記憶では「禰宜も釈氏も」の駄洒落であった。そんな話がネットにあるかと覗いてみると、あるにはある。先日もこのサイトに出くわしたような記憶があるが「ことわざわーるど(ことわざ辞典 慣用句 四字熟語辞典 四文字熟語」の”猫も杓子も”(参照)では普通の意味と出典として「一休咄」があるが、語源というかなぜこの言い回しかという説明はなかった。いくつか見ていると、「龍光山正宝院」のサイトの”猫も杓子も”(参照)ではこう説明していた。


 仏弟子を釈子(しゃくし)といいます。お釈迦さまの弟子、お釈迦さまの教えを受け継ぐ者という意味です
 神官の長を神主(かんぬし)といいます。その神主の下の位を禰宜(ねぎ)といいます。そして禰宜の子孫を禰子(ねこ)といいます。

 釈子かとちょっとうなる。釈氏が先ではないかとふと思ったが大辞林を見ると、釈氏は釈子に同じとある。するとこれは孔子、孟子の類か。それよりもうなるのが禰子だがこの用語が江戸初期に日常語化しているのかわからない。神名には禰子があるが禰宜の子孫をそう呼んだものか。
 「一休咄」(一六六八年)の文脈は「生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」なので杓子が釈子の洒落はいい。が、猫の洒落の対応はいまひとつわからない。言うまでもなく、この歌は一休宗純のものではありえない。
 話を少しもどして、釈子と釈氏だが、釈氏というのは、氏が釈ということ。といえば、釈由美子だが、最初のその芸名を聞いたとき私は、戒名みたいな芸名だねとつぶやき、たまたまいた一同を唖然とさせたことがある。おやま。こんな話は通じないご時世。それにしても、釈氏が芸名とはと思って調べるとなんと本名であって、こんどは私のほうが驚いた。
 真宗に戒名が存在しているのも奇怪な話で、実際には真宗では戒名とは言わず法名という。これも言うまでもなく「戒」に関係しているのだがそこまではこのエントリでは触れない。で、釈だが、これはまさに氏として機能していた。親鸞も、釈親鸞であって、これに恥じて愚禿を冠する。言うまでもなく曇鸞も釈曇鸞である。ただ、釈法然という呼称は聞かないようには思う。
 曇鸞など北魏後半から北斉の浄土教徒たちは、中国的な氏、つまりファミリーのシステムを捨てて、擬似的な釈氏というファミリーを打ち立てた。釈氏にはそうした含みがあるのだが、考えてみるに、いわゆる墨家といった表現にも似たものであり、要するに中国特有の秘密結社ではあるのだろう。余談だが、こうした結社の延長に中国共産党も存在する。その意味で、中共は法輪功と本質を同じにしているからこそあの憎悪を持つ。
 またまた奇妙な蘊蓄話みたいになったが、ま、今年は猫も杓子もブログの一年ではあったな。

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2005.12.26

米ニールセン調査がDVRを対象に

 テレビ視聴率調査の老舗ニールセンだが、ようやくDVR(ハードディスクレコーダー付きテレビ)を調査対象に含めるらしい。ニュースはPCマガジン”Nielsen to Collect DVR User Data ”(参照)が読みやすいだろう。


Responding to the requests of clients who wanted to know how DVR use affected viewing, Nielsen will now offer three ratings per program and network: Live, Live/Same Day (which includes same-day playback via DVR) and Live+7 Day Ratings (live along with time-shifted viewing up to 168 hours after airing). The first overnight ratings with live and same-day sets of data will be Wednesday; the first Live+7 streams will be available two weeks after the Monday-Sunday cycle.

 ということで、三つのセグメントに分かれる。①定刻で見ている人、②同日中に見る人(タイムシフト機能含む)、③一週間以内に見る人、ということらしい。
 考えてみるまでもなく、なるほどねの区分である。②は要するに帰宅後に見るということだろう。現在の報道番組というのもサラリーマンの帰宅時間に合わせているわけだが、DVRが普及すればその必要はなくなる。③は週末まとめ見ということだろう。ドラマなんかだとそのほうがいいように思う。というわけで、そのあたりも番組編成に大きく関係するだろう。
 そういえば、かく言う私もクリップオンからDVRを使う人なので思うのだが、深夜番組はこれでまとめておいて見る。鉄人28号とか、そうでないと見なかったかも。というわけで、深夜番組も週末用のプール(保存)ということにもなるのだろう。
 業界的には当然ながら広告費用の問題でもある。一つには広告を出す側がリアクションをどう読むかということであり、もう一つは広告飛ばし(ザッピング)である。そのあたりだどうか。

"There is some value to playback (ratings), and I think that we'll see (it) because not everyone zaps the commercials," Horizon Media research chief Brad Adgate said. "There are ways to avoid watching commercials when it's live. What the DVR ratings will tell you is who is zapping. When someone leaves the room (watching live TV), you never know."

 へぇという感じなのだが、広告がどう飛ばされるかも調査するということか。別の言い方をすると広告がすべて飛ばされるとは想定されていないわけで、広告のリーチ方法というか番組の作り方が変わるのだろ。
cover
CM化するニッポン
なぜテレビが
面白くなくなったのか
 話を読んでいると、週末型と広告の関係が注視されているようでもある。が、私はいまひとつイメージがわかない。いずれ米国が先行してから日本に導入されるのだろうが、日本の場合の特殊性のようなものもあるだろう。
 話はそれだけで、あとは個人的な余談だが、このところ、米国のポッドキャスティングをいろいろ試している。まだ印象がまとまらないのだが、へぇという感じだ。つまり、広告メディアとしてとてもグッドじゃんという感じ。特によいなと思うのは、音楽のベストテンみたいなもの。昔のラジオのデスクジョッキーみたいのではなく、この曲がいいよというのをブラウズするタイプがいい。ただ、「お、これいいじゃん」という時に、即iTMSに移動できないのがなんだかな、なので、iPodのなかに[あとで聞く]タギングのようなものができるようになるのだろう。

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2005.12.25

人生ゲームから自由意志について偽科学哲学的に考える

 人生ゲーム? いや、いいよ。と、その先は言葉を飲む。そんなの大の大人のするゲームじゃないよ、人生っていうのはだな云々。

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人生ゲーム EX
 しかし、横目で見るとルーレットが回っている。あれ? そういう仕様だったか、昔。思い出すに、子供のころから人生ゲームっていうのはやったことがなかったか。三十代、一時期モノポリーに嵌ったのでそんな気がするだけか。あれはエグイ面子でやると実に愉快というか不愉快なゲームである。ほいでこれはダイス(さいころ)だったか。バックギャモンのように欧米のゲームらしく、ダイスを二つ使っていた。もっともバックギャモンの場合は云々。
 人生というのはルーレットかダイスのようなものではある…と若いころも思った。十代とか二十代の頃。あの頃、私は人間に本当に自由意志というものが存在するのかと考えていた。
 例えば、一つのダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一。さて、この命題は正しいか。議論を端折るが、これは命題でもなんでもないのな。あるいは特殊な様相のようなしかけを作って述語論理演算とかは可能かもしれない云々。ま、ぶっちゃけ、ダイスを振る。六の目が出た。というとき、すでに確率ではなく、事実。確率とは振る前の命題のようだが、事後に検証はできない。科学というのはこういう構造を持っているのだがこれも省略。
 話は派生がある。例えば、普通のダイスを十回振って全部六が出たとする。次に六の目の出る確率は? これはもちろん六分の一。過去のヒストリーには影響されない。ま、ここも議論を端折るのだが、では確率が六分の一とはなにかというと、ヒストリーのサム、総和を意味している、ような気がする。あるいは、ヒストリーサム(history sum)から導かれたようでもある。と、諸賢お気づきのとおり、これは量子力学と同じ論理の仕組みを持っている、というか、量子力学が確率論から成り立っている。ただ、私はほんとかなとは疑っている。これも事後のダイスと同じ議論の間違いなのではないかという気もするからだ。
 で、なんの話か? 人間に自由意志があるのか? 人間の意志の過程は脳のプロセスから出るような感じがする。そりゃな。すると、それはケミカル(化学)的なプロセスであり、そのような化学において、必然以外のなにかが入り込む余地があるのか。少なくとも量子力学的な不確定性の領域があるのか? いろいろ考えたが、ありそうでもある。
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ウイトゲンシュタイン全集 8
 話を単純にする。ダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一である、まあ、いい、そういうことにしよう、ヴィトゲンシュタインが百十六歳で生きていて、世の中っていうのもはそういうものでしょとヴ老に訊けば、そうだと答えるだろう。言語ゲームってもんだな。
 さて、ダイスを振る過程を子細に見る。それは、すべて力学的な現象として解明される。すると、その過程を子細に再現すれば、つまり、ある特定のダイス、投下距離、地上の弾性などなど、それらを子細に再現すれば、百回振って百回六の目を出すことは可能である。だよな。ここまではいい?
 では、なぜ、我々は、ダイスが次回(未来)に六の目を出す確率を六分の一だと思いこんでいるのだろうか?
 そこでいう確率とは、もうおわかりように、ダイスの特性ではなく、ダイスを含みこみダイスに表現される過程の複雑性に還元される。
 では、その過程の複雑性は確率なのだろうか?
 当然ながら、その過程の複雑性が確率であるかのようにビヘイヴ(所作)する根拠性が問われなくてはならない。数学的に言うなら、過程を子細に見るというときは、百回振って百回六が出る過程の複雑性を決定論に帰着させる有限のパラメーターが存在し、それによって、一見過程の複雑性と見えるものは、決定論的なモデルに変換されることになる。おそらく、そうした決定性モデルというのが、実際には科学と技術を支えているだろうと思うが、話を先に進める。
 ダイスの現象は、かなりおそらく、有限の要素によって、そうした決定論的なモデルに還元できるはずだ。しかし、我々の日常の常識、老いたるヴ老の幻想であるが世界を営む言語ゲームのルールは、かなりたぶん、確率を要請している。
 ぶっちゃけ、確率がこの世界に成立しているに違いないという確信があり、それらが現象世界において、先の決定論モデルと矛盾している。
 この矛盾(世界は決定論モデルとしてしか記述できないのに我々は確率事象が存在すると直感して世界を了解している)は、たぶん、量子力学の不確実性と同型なのではないか。
 あるいは、こう言えるのだろうか。ダイス過程の複雑性は、モデル世界においては有限の要素による決定論に還元されるが、モノポリーをやっているときの世界はさらに複雑な世界となるため有限要素と見なしがたい、と。
 そりゃ、嘘だ。どこまで複雑になっても有限要素である限り、決定論モデルになる。
 では、こう仮定できるか、ダイスプロセスには、量子力学的な不確実性がそのまま反映しているのだ、と。
 そうなのだろうか?
 ダイスの落下時の角の分子と机上面の分子の間に量子力学的な不確実性がありうるのだ、と?
 私はそんなわけはないと思う。やはり複雑性が確率をビヘイヴしているだけだろう。
 そして、となると、決定論性というのは、モデルを統制するルールのありかたに拠るだけである。
 それは人生ゲームではないが、人生でもそうか、人生のルールをシンプルにバインド(束縛)すればより決定論的な人生になる…あー、そうかな。
 わかんないなぁ。これがとりあえずのオチってことで、この先はまた来年のクリスマスにでも。

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