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2005.12.24

クリスマスクラッカー

 クリスマスで何か足りないというか忘れているような感じがして、しばしぼんやりと記憶をさぐっていて、ああ、クリスマスクラッカーだと思い出す。買っておけばよかったか、その要もないか。それ以前に売っているのか。

cover
クリスマスクラッカー
 クリスマスクラッカーとは、あの三角錐の先の紐をひっぱるアレ(参照)ではない。太い千歳飴にねじりをいれたようなアレ(参照)だ。両端をひっぱると、火薬がパチンと音をたてる。大事なのは、ひっぱる相手がいること。イブにするもんじゃないよ。
 ネットを見ていると、「いぎりす What's on クリスマス・クラッカー比べ 英国クラッカーの魅力」(参照)に解説がある。

1847 年、菓子職人であったトム・スミスによって発明されたクリスマスクラッカーは、クリスマスディナーには欠かせないものとして今日まで受け継がれている。二人の人がそれぞれクラッカーのくびれた端を持ち、同時に引っ張ると摩擦で火薬のついた紐が「パン!」と弾ける。中には紙でできた帽子、小さいプレゼントやモットー(格言)、ジョークの書かれた紙などが入っている。

 Wikipediaには中身の紙片について、ある意味もうちょっと英国風にひねった解説がある(参照)。

It is a standing joke that all the jokes and mottos in crackers are unfunny and unmemorable. Similarly in most standard commercial products, the gift is equally awful.

 この standing jokeというのが大変によろしいもので、このブログなどにもしばしば散見する笑えねー洒落っていうやつだ。ネットをひいたら”Bad Joke Generator”(参照)というものがある。ためしに、japan、geishaと入れたらベタにこんなのが出てきた。

What's japan's favourite book?
Memoirs Of A Geisha

 このしょーもなさは、ウケるかも、時節がら。
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Mr.ビーン Vol.3
 クリスマスクラッカーは英国のクリスマスには欠かせないもので、ミスタービーンのクリスマスの巻でも話の中心になっている。ビーン氏はクリスマスの飾り付けをしつつ、倉庫から昨年使い残したクリスマスクラッカーを取り出し…というエピソードである。このエントリは違って、オチが笑だよ。

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2005.12.23

クリスマスが象徴する神の愚かさ

 またクリスマスが来る。毎年よくやってくるものだと思う。毎年やってくるのはクリスマスと限らないのだが、なにかとそこに刻む思いが多いのでそんな気がするのだろう。信仰という意味での宗教に私はほとんど関心を失ったが、逆に神学者ティリヒについてはその組織神学を学ぶより平易に米語で説かれた説教集のほうが歳を取るにつれ心に響くようになった。そりゃ組織神学など凡人まして日本人には理解できないからだとも思っていたが、逆なのかもしれない。ティリヒは説教においてその組織神学を越えるなにかを語っていたのではないか。
 第三説教集「永遠の今」には「考え方では大人となりなさい」という題の説教があり、終わりのほうにクリスマスの言及がある。クリスマスの際の説教であろうか。標題は凡庸なまさにお説教という印象を与えるし、最初に引かれる聖句(第一コリント一四の二〇)もそれだけ読めば特にどうということはない。訳は白水社著作集より。


兄弟たちよ、物の考えかたであ、子供となってはいけない。悪事については幼子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。

 ティリヒはこの聖句について、ある意味でティリヒらしい解釈を投げつける。

パウロは、教会に属する人びとのなかに賢い人びとは多くなく、この世における愚かな者を、むしろ神は選んでおられるという事実を指摘するのです。


ある意味では、キリスト者が現実に生きることはいかにして可能かという、問題の全体が、この神が愚かであられることと、人間が大人であることとの結びつきのなかに含まれてしまっていると思います。

 文脈がないのでティリヒが何を言っているのかわかりづらいが、おそらく文脈があっても、なかなか理解しづらいのではないか。というのは、神はこの世の愚者を選んでいる、神は愚かである、ということはなかなか受け入れがたいからだ。しかし、ティリヒはそう断言している。そしてクリスマスの意味をこう説き明かしている。

 思考における神の愚かさ、そして生活における神の愚かさ、この二つが一つに結び合わさっているのが、クリスマスの象徴においてであります。幼な子のうちにいます神、幼な子としての神、それは聖金曜日〔十字架の日〕の象徴をすでに予知し、準備するものであります。

 神の愚かさとはなにか? ティリヒはクリスマスの意味をそこに問い出している。彼は神の愚かさに捉えられたという表現もする。日常を世の大人として賢く過ごしていても、そこに覆われた神の愚かさが突然現れ、それが人を捉え、奪い去る。

どんなに学者として大成している人といえども、自分の現実存在そのものを問う思いを一度も抱いたことがないならば、人間として大人とはいえません。正当にも、自分の学問的業績においては、どんなことでも疑うのに、学者としての自分の存在、人間として自分の存在を疑うこともなくそのまま受け入れているような人間は、まだ大人ではありません。

 自分の知と経験のすべてをただ疑念と無価値の深淵のなかに落としこむことが神の愚かさであり、人の知に勝るとしている。ヘッセの「ガラス玉演戯」(参照)においても、主人公ヨゼフ・クネヒトは自己のグランドマスターとしての意義を見失い、そして一人の少年を助けるべく水死してしまう。ヘッセやティリヒたちを捉えるこの奇怪な神概念はドイツ的なものなのかもしれない。
 ところで先の第一コリントの聖句だが、実際にその文脈を読み直すと、それが「異言」についての話題のなかに置かれていることに気が付く。こう続く。

律法にこう書いてある「わたしは異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信心者がはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。

 ここで「異言」という見慣れない話が出てくる。ティリヒはこの文脈を意図してあの説教を語ったのではないかという疑念が私に沸き起こる。なるほどなという気もするが、話を「異言」に移す。
 試しに字引を引いたら、掲載されていた(参照)。

いげん 0 【異言】
(1)異なった言葉や話。
(2)キリスト教で、宗教的恍惚(こうこつ)境におちいって発する言葉。初期教会では聖霊による神の賜物と考えられ、その解釈もされた。

 誰が付けた釈かわからないが、「初期教会では」というところに万感の思いが感じられる。日本ではクリスチャン人口が一パーセント程度というありえないマイノリティのせいもあり、あまり異言が社会的に露出しない。が、この釈に反して、現代でも行われている。そして、その光景は「彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう」とパウロが言うとおりのものである(コリントIは偽書ではない)。
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ポロポロ
 田中小実昌の「ポロポロ(河出文庫)」には、そのようすがまさにポロポロというつぶやきとして描かれている。
 あれはなんのだろうと自分の経験を奇怪に思うのだが、沖縄で迎えたある年のクリスマスのことだが、どういう次第か「イエス之御霊教会」(参照参照)の教会に参加した。大きなだみ声の、それでいて面白くなくヒネリも知性もない説教がひとくされ終わると、では、みなさんご一緒に、ハレルヤとつぶやきだした。それが、ハーレルヤ♪っていう感じはない。ポロポロの大音響なのである。ハレルヤハレルヤハレルヤぐゎわわわんである。説教師は、いいのです、それでいいのです、恥ずかしがらず…と誘導する誘導する。私は、死ぬかと思った。
 手元に資料がないので孫引きだが(参照)、昭和四六年文部省科学研究による、宮古島城辺町保良のサンプル調査では、全一六一世帯中、ユタ(カンガカリャー)信奉者一三一世帯、カトリック一一世帯、イエス之御霊教会八世帯、創価学会二世帯、無宗教九世帯とのこと。しかも、カトリックはイエス之御霊教会からの改宗があるらしい。
 現代の沖縄本島でもだいたいそうした形跡が伺えた。しかし、そうして知識で知るのではなく、ポロポロの大音響のなかに包まれる体験はあまりに異様だった。そこは沖縄である。子供たちもたくさんいてはしゃぎ回っていた。
 それをもって神の愚かさという皮肉を言いたいわけではない。それどこか、そこにはまさにティリヒのいう神の愚かさに捉えられそうになった私がいた。

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2005.12.22

私の些細な三つのライフハック

 ライフハックというのがよくわからないのだが、はてなブックマークとか見ていると、ちょっとしたコツというか、おばあちゃんの知恵というかお爺さんの教えみたいなものみたいだ。そしてその手の内容のエントリを書くとはてなブックマークが大漁になるので、それじゃいっちょ、私の些細な三つのライフハックをご紹介してみますか。

一、味噌汁をこぼしたときにぎゃーと言わない
 私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わない。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わない。他人がそうしたときでも。
 そうなった理由はごく簡単で、私の母がぎゃーと言う人で、そういう人と少年時代暮らしながら思ったのだ。このシチュエーションでぎゃーとか言ってなんの意味があるのだろうか? よく考えたのだが、ない。どころか、そういう場合は黙って処理したほうがええんでないのか、と仮説を立てて検証してみるに、そうだ。私が正しい。
 ところが、そういう親に育てられると、ぎゃーとか言うクセみたいのは付くわけで、なので、私は、子供ながらに自分を自己訓練した。私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わないようにしよう。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わないにしよう。
 世の中に出てみるとというか、それ以前から学校とかでもわかってきたのだが、世の中、味噌汁をこぼしたときぎゃーという人は多い。というか、言わない人が少ない。もっと観察すると、ぎゃーの度合いによるようだ。まあ、他人がどういう原理で生きていてもご勝手にだし、よほど身近な者以外にこのライフハックは伝授してないのだが(って教えるに馬鹿みたいだしね)、なんらかの世の中の仕組みというか人間の遺伝的特性とかよくわからないが、ぎゃーは根絶はされないのだろう。というか、世の中ってそういうものだな、他人ってそういうものだと、この訓練の過程で理解した。
 この訓練は意外とメリットがある。初動が早くなるのだ。味噌汁をこぼしたとき、やるべきことは決まっているのに、その最初の手順に、ぎゃーを置かないとワンステップ先に進む。それで進んだ私になんかメリットがあるかというと、自分の場合はメリットがあるが、他人のぎゃーには尻拭いになる。まあ、世の中、他人の尻ぬぐいを先にやる役目という人がいるものだともわかった。
 この訓練は応用がある。駅に着く、財布を忘れたというとき、ぎゃーと言わない、とか。
 残念ながら、人間関係とか仕事でパニック的な情況になったとき、私には、この訓練の成果が出ない。なぜなのかよくわからない。

二、エレベータの中では黙る
 エレベータの中では黙るって、そんなの常識でしょと言う人がいるのは知っている。でも、私には常識ではなかったのだが、ある時、こう考えた。独りでエレベーターに乗っているとき人は(私も)しゃべらない。だが、二人とか乗るとしゃべる。どうやらそういう人が多い。そして、他人二人がしゃべると、率直に言うと、独りの私には不快である。なので、自分たちが二人でしゃべるのも独りの他者には不快だろう云々。
 というか、エレベーターに乗っている時間は、人生の時間に比べるまでもなく、そりゃ、エレベーターを待っている時間より短い。そんな時間に会話をする必要は何もないはずだ。が、現実は違う。どうやら、人はエレベーターのなかでしゃべりたいという生き物なのだ。この現存在のあり方についてはハイデガー哲学を持ち出すまでもなく、そゆこと。
 人って、狭い空間で二人だけだと、なんか話したくなるのだろうな。ということもわかった。この特性については悪用しないように。
 で、エレベータの中では黙るようにしてなんかメリットはあるのか。うまく言い難い。誤解されるかもしれないが、人に理解されない些細な親切を実践しているような感じがする。また、エレベーターでしゃべるという、人のそういう、どうしようもないたわいない不快に耐えるということは、生きてくうえでよいことなんじゃないかと思う。

三、傘は雨に当たってから開く
 傘は雨に当たってから開く。地下鉄の出口とかで、階段を上って地上が見えると、暗い。ああ、雨か、というとき、一旦、出口を出て、雨に当たってから傘を開く。もちろん、少し濡れるし、どしゃぶりのときはそうもいかない。でも、ちょっとした雨でも、雨にあたる領域に出て傘を開くまで一分とはかからない。その間はもちろん濡れるし、濡れることは不快といえば不快なんだけど、その不快を諦めて耐える。逆に傘を閉じるときは雨の中で閉じる。
 なぜそんなことをするのか。これはやってみると理解してもらえるけど、人が流れているところで突然立ち止まって、しかも視点を変えて行動されると他の人に実は迷惑なのだ。地下鉄の出口とかでも、そこに人がつまると下は階段なので危険。というわけで、員数の一人である私くらいはそれらから外れて全体のシステム負荷を減らしたほうが全体にとって安全。またそこに人がスタックしてなくても、自分にとっても安全度が少し増す。
 出口というのはドアとかもあって、ドアというのは意外に危険なしろものなので、そこに立ち止まらないほうがいいというのもある。
 濡れるというのは不快だが、慣れてしまえば、たいしたことはない。
 沖縄で暮らしていたとき、スコールみたいな雨がよくあって、冷たくもないし、夏着なんで濡れてもたいしたことないというところでは傘ってそれほど要らないのでないかと思ったし、バリに半月ステイしているときも、雨がひどくふったらバラニーズたちは普通に雨宿りしていたし、小降りになると歩き出した。

 今日のエントリはこれでお終い。今晩はこんにゃくとかカボチャとか食ってとけよというライフハックもお勧めしたいけど。

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2005.12.21

東方の三博士とマギーブイヨンには関係がないという話

 クリスマスの劇というと東方の三博士というのが有名だが、なんとなくネットを見ていたら、この博士、共同訳の聖書では「占星術師」になっているらしい。手元に共同訳がないのでわからないのだが、翻訳としては占星術師が正しいだろう。英語の magi は、ギリシア語μαγοιに由来するはず。
 と、マゴイ、メイジャイと呟いてみて、そういえば、magiはマギとは読まないのだが、マギーブイヨンのマギーのスペリングは maggiだったな。駄洒落だとすると音の響きから来るはずなので語源は全然違うのだろう。では、maggiってどんな意味?と手元の字引を引いてもわからない。俗語にも強い英辞郎をみてもよくわからない。
 あれ?スペリング違ったか? 考えてみるとこの音の英語らしいスペリングは maggieのはず。というか、それは Margaretの愛称なので、とするとこれは、マーガレット夫人考案のブイヨン? というあたりで、グルーグル先生とウィッキ先生を見るがそれほど情報はない。が、まるでないわけでもない(参照)。スペリングもmaggiであってる。


Maggi is a brand marketed by Nestle which produces instant soups, stocks and noodles. It was founded by the Maggi family in Switzerland in the 19th century, and merged with Nestle in 1947.

Maggi is particularly well known in Malaysia and Singapore for its instant noodles, to the extent that "Maggi noodles" are synonymous with instant noodles in those countries. A popular dish served there is known as Maggi Goreng (fried Maggi noodles).


 ということで、Maggiは発明者の十九世紀スイスのマギー家に由来するらしい。ほいで、一九四七年にネスレに吸収。しょーもない情報としては、マレーシアやシンガポールではマギーはラーメンの意味のようだ。マギーゴーレンか。そんなのあったっけか。
 ということでそういえばブランド名なんだから、ネスレのサイトになんかそのスジの情報があるでしょと見ると、あった、どころかけっこう詳しい。「マギー 製粉業者から食品の専門家へ」(参照)より。英語のネスレのサイトより詳しい。

 今でこそ世界中の誰もが知っているマギー。
 驚くことにこのマギーブランドは一人のスイス人の創造力の結果生み出されたものです。30年以上も自分の会社のために献身的に働き、そして多大な影響を残していった人――ジュリアス・マイケル・ヨハネス・マギー。ここでは、マギーの創設者である彼がいったいどのような人であったのかを見ていきましょう。

はじまりはケンプタールから
 ジュリアスは1846年にスイスの中央部トゥルガル州のフラウェンフェルトに生まれました。
 父から受け継いだ活動的な気質、そして母から受け継いだ思慮深い性格を持った彼が15歳のときに、彼の父はスイスのチューリッヒ郊外のケンプタールに製粉所を購入し、経営を始めました。


 なにか宗教的な背景がもっとありそうだが、面白いのは、マギーブイヨンの起源は女性の就労と関係しているというくだりだ。

 社会問題にまで発展した食事と栄養の問題。工場検査官であり、協会のアドバイザーでもあった医師シューラーは、栄養価の高い豆を食事にとり入れることを勧めました。シューラーとジュリアス・マギーは協力して研究を重ね、その2年後、遂に粉末状の豆のスープを生み出すことに成功したのです。
 彼はこの結果に決して満足することなく研究を重ね、多くの種類のスープを作りつづけました。それと同時に肉のエキスの風味を活かした調味料の完成を目指しました。

 現在のキューブができたのは一九〇八年とのこと。けっこう古いものなのだと思う。余談だが、私はマギーブイヨンの味が嫌いなので、インスタント・コンソメ探しは苦労し結局業務用のを買っているのだがそれはさておき。
 マギーがネスレに吸収されたのが一九四七年とすると、日本では当初からネスレのブランドだったのだろうか? よくわからない。というあたり、関心がネスレに移るのだが、あれ? いつからネスレ? つい最近までネッスルと呼んでいたのにと。余談だが、ギリシアではインスタントコーヒーのことをネスカフェと呼んで、現地の伝統の口ぺっぺコーヒーより高級だった。もう昔のことになるのかもだが。
 で、ネスレとネッスルだが、その回答はまさにネスレのサイトにあった(参照)。

 1994年に、社名を従来の「ネッスル」から、「ネスレ」に変更しました。
 「ネッスル」とは、当社の社名である「Nestle」を英語読みにしたものです。
ネスレは、本部をスイスのフランス語圏におく国際企業です。フランス・ドイツ語読みの「ネスレ」を世界的には使用しているため、表現の統一を図るために変更いたしました。

 別途調べてみると、自分には意外だったのだが、ネスレの日本進出が戦後ではなく、大正二(一九一三)年。横浜に支店を出したが、そのときの法人が英国法人の下にあったので英名のまま続いていたそうだ。ついでにもうちょっと調べると、大正一一年に神戸に移したそうだ。なんだかR30さんの祖先の物語のようでもあるな。
 そういえば、マギーがネスレだったのを知らなかったついでにネスレの他のブランドをと見たら、私の食習慣の範囲では、ミロ、ペリエ、ブイットーニ、キットカット、フリスキーがあった。キットカットもネスレだったのか。ゴクミのCMの印象で英国ブランドかなと思っていた…あー話が古過ぎ?

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2005.12.20

耐震強度偽装問題とブログ

 今日になって耐震強度偽装問題を調べている警視庁と千葉・神奈川県警合同捜査本部が家宅捜索に踏み出した。対象は、姉歯元建築士事務所、ヒューザー、木村建設、平成設計、シノケン、総合経営研究所、イーホームズ、日本ERIなどということで、とりわけ目立った狙いがあるようには思えない。この面子で話を終了ということにしようとしていると見てよく、疑いもある国土交通省側の闇には触れないのかもしれない。いや、そのあたりがこの問題の今後の注目点ではあるのだろう。
 耐震強度偽装問題についてはこれまでもいくつかエントリで触れてきたが、騒がれているほどにはあまり庶民には関係がない。問題としては建築物としてビジネスホテルとマンションが上がっているが、ビジネスホテルについては庶民の世間知としては危ないなら泊まらないというだけだし、政府がまったく無関係とは言わないまでも、基本として、税を投入するような話ではない。粛々とというタイプの話だ。が、マンションとなるとビジネスホテルのようにはいかないし、対処は緊急を要するのでいろいろイレギュラーな対応もあるのはしかたがない。それにしても過去の天災被害とのバランスを考えなさいというのが世論調査などに見える庶民の世間知でもある。庶民としてみればマンションを買うというのは住む地域の共同体を選択するという意味でもあり、そうした地域共同体にはそれなりの知恵というものもある。
 今回の事件で誰が悪いのかというのは、それほど庶民に切迫した課題ではありえない。が、社会システムとして見れば、こうした問題を防ぐ検査の機能が問われるのは当然で、その意味で今回の文脈ではイーホームズやERIがなぜ機能しなかったのかというのが重要になる。
 ところが、よくしゃべるイーホームズとしてはちゃんと決められた仕事をしてきたと言いたいようでもありその言い分もあるのかもしれない。が、結果論からすれば庶民にはその仕事の意味はゼロに等しかった。それでいて、イーホームズは二〇〇二年に三千万円だった売上げが、姉歯物件を扱い始めた翌年に一億四千万円になり、今年は十一億を越える(構造関係の担当は二名)という成長はなんだろと奇怪に思う。
 ということで、国策として、そのあたりだけ見せしめにしておけば他はなんとかなるでしょというのがあっても、それはそういうものかでもあるし(他の業界でもそんなもの)、これから改善されればいいのではということでもある。耐震強度の偽装は問題でもあるが、それ以前に古い建造物の耐震強度の問題というのも控えており、庶民にはそのほうが差し迫った課題だ(古い学校が潰れちゃうとか困るし)。
 そのあたりで私などは関心を失うのだが、そうでもなく執拗にこの問題を掻き立てていたのが「きっこのブログ」(参照)だ。簡単に言えば、反小泉で凝り固まった古くさい左翼的な主張しかでて来ず、しかも、そのネタはないだろというのを続々繰り出してくる面白ブログなので、お好きなかたはどうぞというだけなのだが、昨日ここにイーホームズ藤田東吾社長御本人のタレコミ(参照)があり、驚いた。関係者がこんなところに迂闊に出てくるかよということで(自社サイトで書きもせず)、いち早くR30ブログ”メディアについて何となくいろいろ”(参照)で問題の奇怪な構図が取り上げられていた。
 このタレコミをどう扱うべきか。
 あまりマジで取り上げるのもなという感じもして困惑するのだが、「切込隊長BLOG」”イーホームズ藤田氏が「きっこのブログ」に情報を寄せた件”(参照)が内容に踏み込んで言及していた。藤田東吾タレコミが正しいとすると面白い図柄は出てくる。


正直言うと、いまさらこのような話が出てきたからといって大勢が大きく変わるとも思いづらいのだが、藤田氏の発言の根拠となる物証(録音テープなり議事録なり)が出て、「これは本物ですな。はっはっはっ」となり、芋づる式に違法建築物件が明るみになって関係業者が大量検挙で、事件を闇に葬ろうとした国交省のそっち方面幹部の腐敗が明らかになり、地震大国日本の建築事情が一新されればこれこそ本当の構造改革じゃん、野次馬的には赤組も白組も頑張れ、といった具合だろうか。

 そんな感じだろうか。
 私としては、タレコミを受けた当のきっこのブログがどう消化していくのか。つまり、そこを解明していくのかが重要だと思う。
 そこが解明されていくなら、なんであれ大したものだと私は思っていたのだが、そして現段階で断ずるのはフライングっぽいのだが、新エントリ”1年ぶりのテポドン大作戦”(参照)を見るに、がらっと方向を変えたようだ。
 単純な話、きっこのブログは反小泉政局に使えない弾は置いといて、ということなのだろう。代わりに民主党の馬淵澄夫議員の事務所とグルで情報をブログに流していたということを明らかにした。そこから反小泉政局運動を展開しようという流れにもなっている。ブログも扇動の道具となったかという落胆するような展開だ。
 なお、馬淵澄夫議員自身の言葉では、きっこのブログとこれまで関連はないと”No.210 前人未到の荒野[05/12/20]”(参照)で言明しているので、問題の初期段階から打ち合わせてしてきたというきっこのブログの言明とは食い違う。普通に考えれば、馬淵澄夫議員スタッフが、イコールきっこのブログということなのだろう。
 さて、話を簡単にまとめておこう。
 基本構図は庶民には関係ないよということ。庶民には社会制度の不備が問われるべきだということ。
 真相解明というなら、イーホームズ藤田東吾社長自身のタレコミの裏を探るのが先決ではないのか。
 なのに、これをきっかけに政局のための扇動道具にブログが活用される時代になりましたか、ということ。

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2005.12.19

黄禹錫(ファン・ウソク)教授問題についてごく簡単に

 以前、「極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )」(参照)でも少しふれたが、クリストファー・リーヴへの関心ともあいまって私はES細胞の問題に関心を持っている。黄禹錫(ファン・ウソク)教授問題についてもそうした延長で関心を持っていた。私は、この問題について、どちらかというと米国側の視点に立っていたように思う。その倫理的な立場として私は米人に近いからでもある。話を端折るが、黄禹錫教授の成果についても当然、そうした倫理の観点から見てきた。
 なにかおかしいかなという印象は今回の問題発覚以前からもっていたが、それほど日本では問題にならないだろうなとも思っていた。しかし、どうも昨今は日韓の文脈でやや方向の違った議論にもなっているようにも思えるので、エントリに書くのは控えてきた。
 しかし、やはりログ(記録)しておこうと思ったのは、黄禹錫教授の研究と韓国政府の関連について疑念を持つのはそう不当でもないと思えるからだ。ニュースとしては、朝鮮日報”韓国政府、今年1月にES細胞汚染報告受けていた 民主労働党「政府が1年間隠蔽」”(参照)がわかりやすい。


 黄禹錫(ファン・ウソク)教授は16日の記者会見で「オーダーメード型の幹細胞6つを樹立した今年1月6日、深刻な汚染事故が同時に発生し、当日直ちに政府当局に報告、後続対策を打ち出すことになった」と話した。
 黄教授の主張通りなら、政府は今年1月から幹細胞6つの汚染事実を知りながらも、「サイエンス」向けの黄教授の論文発表とその後の幹細胞ハブ構築など、一連の過程をそのまま見守ってきたということになる。


 朴補佐官は同日、大統領府の点検会議と政府対策会議に参加した。盧大統領が黄教授研究の問題点を初めから理解していたかについて、崔仁昊(チェ・インホ)大統領府副スポークスマンは「確認してみる必要がある」と話した。
 民主労働党の朴用鎮(パク・ヨンジン)スポークスマンは「政府が重大問題について、あらかじめ分かっていながらも、1年にわたりこれを隠蔽していたのではないか」としながら、「この問題に対し、政府当局の責任者を明らかにすべきだ」と主張した。

 つまり、韓国政府側はこの問題を知りつつ隠蔽していたとなると明白に韓国という国家のありかたが世界に問われることになる。
 今回の問題は、韓国政府と深い背景的なつながりを持っていた。朝鮮日報の十七日社説”黄禹錫教授波紋、偽りを払拭し真実の上に再出発しよう ”(参照)では、政府との関連の背景をこう記している。

 現政権は、カスタマイズ型幹細胞研究を「政権的プロジェクト」と位置付けたのに続き、「国家的プロジェクト」として押し上げ、ひいては「21世紀韓国国民の希望のプロジェクト」にまで膨張させながら、数百億ウォンを支援してきた。
 大統領府の科学技術補佐官の名前が黄教授論文の共同著者として記載されたこともあり、また黄教授を国家重要施設を保護する水準で保護してきたというこの政権だが、いったいこうした事態が起きるまで何をしていたのだろう。大統領府、首相室、科学技術部は黄教授研究のこのような問題点をいつ把握したのか、また知っていたのなら、なぜ「あまりエスカレートしないように」「事態を見守りたい」という発言に終始して、国民が真実に目を開くことを妨害したのか。

 つまり国策との関連は疑問視される。
 ただし、こうした糾弾が、たとえば日本の耐震強度偽装問題がブログの風聞を巻き込んで政局問題に発展していきそうなように、韓国内の政局問題であるというなら、他国民である私などが関心を持つべきではないだろう。
 今回の直接疑義については韓国民が真実を明らかにしていけばいい種類の問題ではあるだろうが、それでも今回の事態だけで閉じるものでもなさそうだ。今朝の読売新聞”黄教授「クローン犬」も偽装か…米調査チームが指摘”(参照)は問題の根がそこまで深いのかもしれないという可能性にぞっとする。ぞっとするというのは、ES細胞研究が孕む生命への畏敬の感性からだ。
 日本人である私がこの問題に言及するだけで反感を持つかたもあるかもしれないので、卵子提供疑惑時点の記事だが、ニューヨークタイムズ”South Korea's Cloning Crisis ”(参照・有料)を引用して終わりにしておこう。

But science is an enterprise that relies heavily on trust. The Koreans should not be surprised if their next scientific breakthrough is greeted with extreme caution.

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2005.12.18

純喫茶をめぐって

 日本茶、紅茶と限らずお茶が好きで、ついでにその関連の歴史だの文化だのにも関心を持つ。あまり極めるということはなく散漫な関心事であるのだが、「茶の湯の歴史―千利休まで(朝日選書)」をなんとなく読み返していて中世の東寺南大門前の茶売りの話をまたぼんやり考えていた。
 時代は応永十(一四〇三)年四月。東寺南大門前の茶売りたちが東寺に誓約書(請文)を書いている。同書にはその一点が引用されているが、内容はといえば、門前に住み着くな、寺の水を使うんじゃないといった無難なことばかり。だが、それだけでもなかったようだ。


その後、同じ東寺の門前の茶屋に対してしばしば文書が発せられているところをみると、東寺門前での茶売りはますます盛んであったことがうかがえる。その禁令の古文書のなかには、茶屋ではたらく女のことを記したものがある。どうやら、茶屋は茶ばかりでなく、よからぬことも売っていたらしい。茶という字が、しばしば色里の隠語に出てきたり、茶屋といえば、色っぽい世界を意味するようになるのは江戸時代のことだが、その源流はこんな門前の茶屋にもすでにあった。

 さて「源流」と言えるのかわからないし、そっちのほうの古文書のほうを読んでみたいのだが(といって原文は私なぞには読めまい)、この文書からでも仮設の小屋のようなものがあったことはわかる。であれば、そうした関連商売もあったであろうし…別の商売といえばこの二十一世紀の日本ですら云々といったものではあろう。
 なかなか茶というのは茶のみを純粋に味わうというものでもないし、もともと茶道には食事や喫煙が組み込まれてもいる。とぼんやり思いながら、純粋に茶…純喫茶という駄洒落のような連想が沸き起こった。純喫茶というのは死語であろうな。
 字引を引いてみると純喫茶の項目はない。後方検索をかけると大辞林に歌声喫茶だけがあった。

歌声喫茶
小楽団の伴奏で客が合唱を楽しめるようになっている喫茶店。〔第二次大戦後、関鑑子(1899-1973)の指導によって全国的に広められた歌声運動に結びついて流行した〕

 関鑑子といえばカチューシャである。もろあれだ。と、歌声運動について少し書いてみたい気もするがそれほど気が乗らない。ネットになんかあるかと見たら、「日本のうたごえとは 【歴史】」(参照)というのがある。ざっと見て萎える。関心のある人はどうぞ。
 純喫茶が字引にないのはなぜか、版が古いか、とためしにグーグル先生にきいてみたら、はてなのキーワードにあると言う。まさか。俺が爺ぃ筆頭のはてなにあるわきゃねーだろこのぉと思ったが、ある。「純喫茶とは」(参照)である。

純喫茶
 喫茶店の中でもアルコールのメニューを置いていない店のこと。
 かつて「純喫茶」を名乗っていた店の中でも有名なのが東京池袋の「純喫茶蔵王」か。
 かの店はお代わりし放題のトースト、ゆで卵や金魚鉢に見間違うほどのジャンボパフェで有名だったが。2004年2月に閉店した。

 マイアミはどうしたと突っ込む気はないが、はてならしい解説だなと思う。が、ほかグーグル先生も同じようなことを言っている。面白かったのは、「[教えて!goo] 純喫茶ってなんですか?」(参照)だ。間違ってはないから良回答なのだろうが、むしろ同伴喫茶などに触れる劣回答のほうが私には実感がある。
 私が二十歳になったのは一九七七年だが、そのころ同伴喫茶があったか。言葉はあった。が、ああ、あれかというオブジェクト・オリエンティッドな記憶はない。ネットをさらに見ていると、「阿藤快 今月の放言」(参照)にまさにそのものといった「第3章 同伴喫茶にあの子を誘った」(参照)という話がある。

 俺が大学生だったのは1970年頃。当時は新宿の西口で安保の話とかを熱く話してたのに、たった30年で一気にこうなっちゃったんですよね。それと同時に同伴喫茶がなくなってね。同伴喫茶は階段も室内も暗くなってるんですよ、陰靡な感じでね。キャバクラのボックス席みたいなのがあって、そこでカップルはセックスまではしないけどいちゃつけるんだよね。もちろん、俺も行ったことありますよ。誘うのにすごい緊張したけど、相手も期が熟すみたいな感じで了解してくれた。でも、まだその時は肉体関係なんてない。セックスの前に行くところなんです。だから同伴喫茶に行くのはある程度段階を踏んでるから、相手もすんなりとOKしてくれたんだろうな。それよりもやっぱり手をつなぐほうがドキドキでしたよ。当時は付き合って3ヶ月で手をつないで…とかそういう時代。結婚するまで貞操を守るっていうのがまだありましたからね。

 彼は私より約十歳上なので、現在六十歳手前くらいの人々の青春の風景でもあったのだろうし、柴田翔「贈る言葉(新潮文庫)」(参照)収録「十年の後」もそうした風景の一つなのだろう。
 戦後史の総括が本当に出始めるのは、この世代が退職してからか。しかし、歌声を否定したところからの声は出てこないかもしれないなとも思う。

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