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2005.02.05

「パソコン情報教育」でいろいろ思った

 パソコンとか情報とかの雑談。話は未整理。ま、よろしければ以下。
 先日の一太郎騒ぎでIT Proというサイトを覗いたのだが、同サイトに"アラン・ケイ氏に聞く「コンピュータで子供に何を教えるか?」"(参照)という記事をなんとなく見つけて、一読。ふーんと思った。ケイの言うことはこの20年来毎度毎度の金太郎飴なのでどってことはないと言えばどってことはない。ちょっと心に引っかかったのは、「パソコン操作は技術ではない」というくだりだ。これを受けて記者はこう書いているところだ。


 一方,日本で「コンピュータを使って子供に何を教えるか」と考えると,なぜかパソコンそのものを指導する方向へ走り出してしまう。このため学校にパソコンを配ったものの,先生がいない,といった事態に陥る。ちなみに我が国では従来の「技術」の時間を割いてパソコン作法を教えようとしている。ワード・プロセサや表計算,インターネット検索のやり方を修得することは「技術」の勉強とは言えない。強いて言えば国語であろうか。

 最後の「強いて言えば国語であろうか」はケイの発言ではなく、記者の発言だろう。間違いとも思わないが、例えば、これらからの世代の人は、何を発言するにもGoogleを引かなくてはならなくなるだろうが(Googleでなくても相応のもの)、国語ではないような気はする。公開の発話と情報の関連とでもいうのだろうか。こうした言語活動と情報探索・組織化の基礎技能は必要にはなるだろう。
 余談めくが、先日、ある集会の事務局の電話番号をGoogleで検索したら、え?と思うような別の団体の電話番号だったことがわかって、Googleの世界ってなんだろと思った。その情報が最初にわかっていたら、例の問題の構図ってすっきりしすぎじゃないか、と。
 現代における情報というものの扱い方、もっと端的に言えば、Google的な情報とそうでない情報をどう切り分け、言葉の活動(思想とか、ま、ブログなんかも)に統合していくのか、というあたりの教育は必要な気がする。そのあたりで、ケイとかの発想はもう古いのじゃないだろうか。
 雑想が続くのだが、パソコンの操作と言えば、かつては、DOSコマンドみたいなものの操作だった。思い出すに、Windows3.1が出たころだったか、いやWindows95かな(もう10年経つのか)、人に「もうDOSの世界は不要ですよね」と問われたことがあった。「いやぁ、どうでしょうね」と当時答えたが、さて今なんと答えたものか。不要といえば不要だけど、ここまでDOSが生きるとは思ってなかった。ネットワーク管理なんかはコマンドがメインだし、Windowsについては、WMI(参照)という仕組みがあるのだが、利用されているのか?
 昔のことを思出すと知らず最近は足をすくわれて考え込むことが多い(歳だな)。DOS以前は、BASICの時代だった。あの時代のBASICは事実上DOSを内包していたのだが…という話はさすがにかったるいのでパスだが、数年前、中学校のパソコン教育を覗く機会があって、まだBASICを教えているのにのけぞった。コ、コ、コンピューター教育ってやつですか、これ。
 BASICが悪いわけでもない。以前の知り合いにかなり高度な独創的な画像処理手順を書くやつがいたが、言語何?ときいたらBASICなんで、なぜ?とさらに訊くと、BASICだっていいじゃないとだけ言うのだ。言語に関心ない。アルゴリズムが書ければいい。ま、そりゃそうだ。PASCALあたりなら一番きれいだろうが、本質的な問題ではない。
 ということで、プログラム教育はアルゴリズムの教育かというと、いつのまにかOOP(参照)の時代である。っていうか、OOPがあたりまえの時代でプログラムを始める人が多い。私なんかには、ちょっとわかんないなという感じはする。
 OOP、つまり、オブエジェクト(参照)なわけだが、データ処理の分野だと、いつのまにかこれも現代では、もうすっかりXML(参照)なのですね。
 ブラウザーもかつてはroff(参照)みたいにタグを処理しているだけのものかと思ったけど、内部の処理はすっかりXMLの処理をしているわけで、ちゃーんとDOM(参照)ができている。
 HTMLのブラウザー表示というのはいかにも文書みたいに見えるけど、そのルック・アンド・フィール(参照)というかは一つの結果に過ぎない。しかし、それだけが唯一のものではない。どうなりうるかはわからない。が、セマンティックWebなんて流行しそうにないから、ネットの世界は、HTML+CSSでレイアウトした情報にマルチメディアがある…くらいなことで定着しそうだし、そうなることで広告業界も落ち着くのだろう。
 が、考えてみると、それは一つの形態に過ぎないわけだから、ざっくらばんな話、このブログだってもっと別の表示ができるようにセマンティック(意味論的)に考えなおしてもいいのだろう。だけどWebの世界では、ID・クラス付けというのが、すっかりCSSに従属したようになっていて、HTMLが論理構造で見栄えがCSSってことになりつつあるようだ。考えすぎか? そりゃ違いまっせ、と思うのだが。
 ID・クラス付けというのはHTMLのレベル低過ぎっていうか、こうなることを想定していない規格なので、必要になった論理的なものだ。もちろん、現状のCSSを意識したID・クラス付けは、それはそれでもいいのだけど、この上位にもっとセマンティックな規制をかけてもいい。そうしないと、「日本語における段落の形式化は、/^\s.+。$/」みたいになってしまう、って、わかりもしない洒落を書くなだが、全然形式化に意味がない。
 ID・クラス付けはあくまで論理に従属する、とまでは言えないによ、現状のWebにはどうもギャップがある。と、考えていくと、確かにセマンティックWebというのもありかもしれない。が、さて、OWLとかウェブ・オントロジーとかだと、ちょっと、うーむ、それは違う(参照)。竹田青嗣的に言えば、さしあたって、idとclassの業界規格というか、ブログの規格を作ればいいのではないか。って、それがRSSでしょと言われると、そうなのかぁ?
 繰り返すけどいずれにせよ、ドキュメントがオブジェクトとして意味構造化されると、そうなるとやっぱし広告は入らない。入るとするとAdSenseのように意味的な関連づけになる。というか、広告というのはそういうオントロジーの領域に移行するのだろう。アフィリエイト技術やその努力もそう無駄なものでもない鴨ちゃん。
 だらだらとこの手の話にずっこけってしまったがのだが、ブラウザーとHTMLとDOMということでは、最近、あれま?と思ったことがある。FireFoxを使っていたときのことだ。
 SP2になってから、Internet Explorerに奇妙なセキュリティをかましているせいか使いづらいこともある。ので、FireFoxも使う。これ、いいですね。けっこう使える。使っていて、ちょっとイタズラ半分でdocument.allのコレクションをダンプさせたら、出た!
 そんなの誰でも知ってるわいかもしれないけど、FireFoxの文書モデルって、document.allなのだった。っていうか、マジかよとひっくり返った。もちろん、Internet Explorerですら、document.allは進化の残存なのだが。
 FireFoxにdocument.allのモデルがおまけで付いているのか、互換性のためなのかわからない。後者なんだろうけど、考えてみるとdocument.allってそんなに悪いもんじゃないなと…。そんなのなくてもW3C DOMのAPIで充分でしょとお叱りを受けそうだが、document.allのコレクションってあると便利なものです…と実例を示すのもなんだが。
 それにしても、FireFoxってW3Cのサヨク的な思想(もちろん冗談ですよ)のインカーネーションかと思ったら、違うみたいだ。すごいプラクティカルにできている(Operaみたいにプラクティカリティを誤解していない)。どのレベルでこの仕様が決定されたのか関心あるのだが、もしプログラマー(参照)のレベルだったら、これはかなりすごいやつだ。
 話題が偏ってきたので、フツーに近い話にトレースバックすると、現代のパソコンってGUI(参照)になっために、文書処理とかプログラム処理がすごい難しくなった。MacのHyperCard(参照)みたいのがあればいいのだけど、AppleScript(参照)もちょっと使いづらい。
 その点、私の頭が古いのか、文書処理的な作業だと、パイプとかリダイレクトとか、UNIX的な仕組みのほうが使いやすい。ま、DOSのコマンドだ。sed、awkとか、正規表現的なもの。もちろん、perlもだし、rubyもだけど、ちょっとこうしたツールは独立性が高すぎて使いづらい。
 で、先の話に戻るのだが、すでに現代は、そうしたプレーンなテキストを処理するという時代ではなくて、HTMLがいい例だけど、すでに情報はXML化している。そして、それはオブジェクトでもある。ということは、DOMとして見える。DOMのAPI(参照)で扱うことができる。でも、そこを、もっとHyperCard的に普通の人が扱うツールというのはない、のだろうか?
 情報というのは、すでにオブジェクトなわけだ。ということは、そのAPI、インターフェースを情報それ自体の側で持っていてしかるべきではないか。つまり、情報それ自体が、どう語りかけるべきかについての手法を内在させておけるはずだ。
 あるいは、ある種の情報というのはオブジェクトなのだから、そのオブジェクトとしての情報をどう扱うかという基礎技術というのはあると思う。
cover
情報の「目利き」
になる!
メディア・リテラシーを
高めるQ&A
 話をなんか無意味に難しくしているようだが、日垣隆とかが「情報の目利きになる」といっているのも、工学的なアプローチが可能であるように思うし、そういう教育が情報教育だろう。
 もっと身近な話、世の中が情報化されればされるほど、その引き出し方と再構成の手法が高度化されなくてはいけないし、そういう具体的な応用がiPodみたいなものになるといいのだが。ビル・アトキンソン(参照)の夢の跡みたいなPocket Crystal(参照)があればいいなと思う。iPodがそう進化しないだろうか。
 Wired(日本語)"『iPod』が生む新ユーザー層「サイボーグ消費者」"(参照)にちょっとありげな話があった。

 ギースラー助教授は「iPodとユーザーが1つのサイバネティクス的単位を形成しているのだ」と話す。「われわれがサイボーグを語るときは、つねに文化理論やSF文学が絡んでいるものだが、これはサイボーグが市場にも実在するという好例だ……。こうした人々に、私は未来を見ている。彼らはサイボーグ消費者と呼ばれる存在だ」
 ギースラー助教授によると、サイボーグ消費者とは、携帯電話から『バイアグラ』にいたる多様なテクノロジーを利用し、なおかつ技術的、社会的に、ネットワークとの強い繋がりを持っている人々だという。
 たとえば、iPodは単なるMP3プレーヤーではなく、記憶の拡張でもある――人生のサウンドトラックを保存し、名前や住所、カレンダー、メモも記録する。

 一読苦笑してしまうのだが、Pocket Crystalはある意味で端末だったから、ストーレッジ(情報・記憶)はサーバーを想定していた。しかし、iPodが出来てみると、情報というのは、意外とパーソナルなもので、iPodのように100GBをさらりと携帯してこそ意味がある…こういうのは、実感してみたいとわからない。このパーソナルな記憶と知識のブースターと、外部の情報をどうやりとりさせるか…。
 そう遠くない時代、なにかそういうものを自分は見るだろうかと思う。自分の知力が劣化しているのをそういうマシンで補う…サイボーグ知識人?かな。

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2005.02.04

スーダン問題について

 昨日の朝日新聞社説"スーダン和平――PKOを論じ合う前に"(参照)を一読してかなりむかついたものの、早急の問題でもないので昨日のエントリとしては見送った。逆に今朝の話題である米一般教書演説の主眼である米国公的年金改革はかなり難しいテーマなので今朝のエントリにはできそうにない。しばしミューズリ(参照)を噛みしめながら思ったのだが、朝日新聞の社説はさておき、スーダン問題について自分の考えを書いてみたい。書くにあたって、ディテールは少し割り切ってできるだけこの問題のスジをどう自分が考えているかに絞りたいと思う。その分、批判はあると思う。イデオロギー的な反発も受けるだろうと思う。
 まず、スーダン問題は、現状二つの問題が絡み合っている。これを分けてほしい。
 一つは南北内戦問題で、これはある意味でスーダンだけに限らない。コート・ジボワール(参照)でもなどでも抱えているし、極東ブログ「世界子供白書2005を巡って」(参照)で触れたウガンダの問題もある。
 内戦は世界の他の地域にもみられるが、アフリカの内戦では、少年兵や少女レイプ、アラブ人と黒人の対立といったいくつかの特徴がある。スーダンについて言えば、現状のスーダン政府はかつてビン・ラディンをかくまっていたようにアラブ系であり、南部の反乱勢力はキリスト教である。ただし、宗教対立が原因というわけではない。
 なにが内乱の原因かといえば、宗教と重なり合うものの民族的な対立や経済利権の問題がある。特に、スーダンの場合は南部の石油の利権が大きな要因になっている。これに旧宗主国の支配構造や資源を狙う大国の思惑がある。
 スーダンの場合では、中国が石油利権をここで確保したいがためにかなり無理な態度もとっている。もっとも、「中国が」と言ったものの、その利権は必ずしも中国政府(つまり軍部)がとだけは言い切れない面があり、全体のバランスを崩せば多様な陰謀論も可能だ。なにせ石油利権が噛んでいるのでいろいろなお話はある。しかし、問題は私たち日本人と国際社会の人道的な問題なので実際上は陰謀論的な考察はあまり意味がない。同様に、単純に中国を敵視しても実際的ではない。
 もう一つの問題が、ダルフール危機だ。これは、スーダン西部の問題で、ここにも軍事力を持った反乱組織があるので対立の構造として、南北問題のように、スーダン政府対西部の反乱軍というふうに見られがちだ。たしかにそうした見方もなりたつ。が、その見方のためにダルフール危機が充分に認識されないことになった。「ああ、そっちも内乱ですか」ということに見られるからだ。
 しかし、ダルフール危機は内乱の派生の問題ではない、まず10万人を越える虐殺があり100万人を越える難民が発生した、その人道危機にどう国際社会が向き合うかという問題である。本当にここが問題なのだ。内乱の過程で殺されたのではないのだ。
 ある種の知的な枠組みとして、ダルフール危機の原因なり種別(問題のタイプ分け)は考えられる。その側面では、ダルフール危機は、ルワンダでの民族大虐殺問題(参照)と同様、民族浄化、大量虐殺、ジェノサイドである。
 国際社会は10年前にルワンダにおけるジェノサイドを阻止することができなかった。その反省をどう活かすかと国際的な意識が高まる、まさにその渦中でダルフール危機が発生した。
 早期から、ダルフール危機にはジェノサイドの特徴があることはわかった。だが、この知的な追及は実態がわからないために空回りを続けた。皮肉な言い方をすれば、ジェノサイドが進行していることを見たくがないための知的作業のようですらあった。
 もし、ルワンダ問題のような大虐殺であるとしたらどうしたらいいのか。それが世界に再発したときどう対処したらいいのか。国際社会は回答の方向性を持っていない。あるすれば、国連とアフリカ連合が重要になるのだが、これが機能しない。実際は機能できない。
 その意味で、ダルフール危機というのは、国連の問題でもある。そして、なぜ国連が機能できないのかというところで、どうしようもなくイラク問題や国連不正の問題が関わってきてしまう。極東ブログは親米で国連バッシングをしているかのように受け止める人もいるだろう。だが、このブログを続ける私の願いの根幹は、国連をどうやって使えるものするかということだ。
 しかし、この国連の問題は難しい。特に日本では、国連対米国という図式になる。現実世界を見るなら、米国の関与のない国連など機能しようもないのにだ。しかも、国連が不正に働くとき、つまり、国際社会が欺瞞のなかにあるとき、米国はそれを国益として受け止めるならその単独の軍事力をもってしか是正するしか選択肢はない。そう考えるしか道筋がない現実は、率直に言えば、泣きたい思いがする。
 ダルフール危機は、ジェノサイドなのか?
 私は、大筋では、スーダン政府による組織的なジェノサイドだと見ている。しかし、その認識は、ブログやネットでの立場とは少し違う。そう認識することが当面の問題の解決につながらないからだ。まず、人道危機をどう回避させるか、そのために、最低できることはなにか、現状をどう理解するか。
 だが、ジェノサイドと認識しているということを今日は少し書いておこうと思う。
 ダルフール危機は、南北問題が和解に至る寸前で表面化した。おそらく、スーダン政府が、南部と争いの過程で懲りて、問題が長期の内戦化する以前にダルフール地域を反乱ができないほどに抹殺しようともくろんでいたのだろう。そう言うことはある意味でタブーではあったが、ようやくその見解の支持が国際的には増えて来つつはある。というのも、単に証言だけではなく、ようやくスーダン政府自らの民衆虐殺が目撃されるようになってきたからだ。
 もちろん、実際の虐殺の多くに関与していたのは、ジャンジャウィードと呼ばれるアラブ民兵であり、これまでは彼らとスーダン政府との関係はかなり疑われてはいたものの、明確にはされてこなかった。実際のところスーダン政府側もジャンジャウィードを統制していたわけでもない。そこが難しいところだ。
 また、経時的に見るなら、ダルフール危機の勃発は、ダルフール側の反乱組織の武力攻撃に端を発している。先にけしかけたほうが悪いというなら、反乱側のほうが悪いと見なされがちだ。
 だが、その見解は待ってくれと私は思う。ダルフールで殺害され追われた民衆は、必ずしも西部の反乱軍とは一致していない。むしろ、反乱軍もダルフール民衆を迫害していた様子がある。こうしたことは先に触れたウガンダの状況からもわかる。造反有理というようなつまらない洒落で状況を見ることはできない。むしろ、大筋で見るなら、私は、こうした要素をスーダン政府が民族浄化の目晦ましとしてきたと考える。
 ダルフール危機が、もし内乱の構図なら、極東ブログ「[書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)」(参照)でも触れたように、残酷だが、人間の尊厳を考えるなら、内部で満足行くまで殺し合いをするしかないだろうと思う。
 しかし、ダルフールで迫害された民衆には反乱の意図はなく、また武器もない。つまり、絶対的な非対称性が成立している。これに対して、スーダン政府側には中国から石油利権の代償として供与された武器が利用されている。そして、その中国に武器を販売したくしてしかたがないEUがいる(参照)。
 話が錯綜してきたが、国連が機能できないのは、中国の存在も大きい。これも二面ある。一つは実際に利用しなくても拒否権(veto)の存在が大きいことと、もう一つは人民元切り上げをしないためにやがて来る切り上げを狙ったマネーが中国に流れ出して爆弾状態になっていることだ。人民元についてはそうでないと見る見方もある。フィナンシャルタイムズも、現状の中国の報告が正しければ対処可能だとしている。中国の報告書がどの程度正しいかについては極東ブログ「すごいぞ、中国国際ビジネス」(参照)が参考になるだろうが、この問題はとりあえず別の問題だ。
 ダルフール危機にどうしたらいいのか?
 簡単に書くはずが話が錯綜してしまった。
 どうしたらいいかについては、絶対的な非対称性の状況では、端的に軍事力を投入するしかない。しかし、国連は機能しない。国連にも機能したいと願う人はいる。日本にもそうした軍事支援を要請されているのだが、ここで注意してほしいのだが、日本に要請されているのは、ダルフール危機の問題ではなく、かつての南北内戦の後始末的な仕事だ。
 実際の問題として、ダルフールのような状況に丸腰の自衛隊が投入できるわけもない。そんなことは国連もわかっているから、こうなっている。
 では、どの軍事力なら使えるのか。
 私は、当初、実際のところ米軍でしかないじゃないかと思っていた。しかし、極東ブログ「欧州連合(EU)の軍隊が始動する」(参照)でネガティブに触れたが、使えるならEU軍でもいい。しかし、大筋でみるならアフリカ連合の軍事力が適切だろう。そしてその問題を正確に見る必要がある。
 なのに、朝日新聞社説"スーダン和平――PKOを論じ合う前に"がダメだったのは、この問題について、次のようなバックれを書いている。


 「我々の問題は我々の手で」と、アフリカ連合はすでに1700人の要員をスーダン西部に送った。だが、装備と資金の不足で十分な活動ができない。

 そんな要員ではなにもできなことは以前から指摘されていた。そして実際なにもできなかった。「装備と資金の不足で十分な活動ができない」のはわかっていたことだ。しかも、実動でなにもできなかったのは、スーダン政府の妨害があったからだ。こうした経緯は、偉そうに言いたいわけではないが、私が立ち上げた「スーダン・ダルフール危機情報wiki」(参照)でそのおりにふれてログしてきた。なお、このwikiは私だけが書いているわけではない。誰もが参加できる。
 私はこのエントリではちょっと感情的かもしれない。メディアではダルフールの死者は7万人と言われている。それは、殺戮された人で、難民として非業の死を遂げた人はその倍はいる。いつの日かあきらかになるだろうが、この無慈悲な事件で、私はすでに30万人の人が死んでいると思っている。間違いであってくれたら、どんなにかよいだろう。

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2005.02.03

一太郎訴訟、とほほ

 毎朝新聞各紙の社説をざっと読むのだが、今朝はちょっと驚いた。朝日新聞を除いて、大手紙がこぞって「一太郎訴訟」を扱っていたからだ。こんなニュース、社説で扱うものだろうかと読み進めて、さらに困惑した。そのあたり以前エンジニアの端っこにいた自分の考えを書いておきたい。なお、社説としては朝日新聞の「スーダン和平」が南北問題とダルフール危機一緒くたにした最低のシロモノだった。目立った話題がなければ明日取り上げるかもしれない。
 一太郎訴訟なのだが、まずなにが争点なのかが非常にわかりづらい。ブログ「ブログ時評」"「一太郎」製造販売禁止判決報道のずさん"(参照)では、その点を率直に述べていたので参考に引いておきたい。


全国紙の紙面を見ただけではどれも問題点が理解不能だ。唯一、日経新聞だけが、昨年、同じような訴訟が同社の家計簿ソフトで争われ、同地裁の同じ裁判官がジャストシステム勝訴の判決を出している事情を詳しく解説し、問題のボタンがアイコンであるかどうかがポイントと教えてくれる。それでもかなり判りにくく、ITmediaの「ジャスト「一太郎」の販売中止を命じる 松下アイコン訴訟で判決」と併せ読んで理解できた。

 同ブログについて私は詳しくは知らないのだが記者さんが書かれているとのことなので、失礼な含みはないがジャーナリズムの場にいる記者さんにも難解な事件ではあったのだろう。引用部には同ブログが理解できたする記事へのリンクがある。私もそれを読んでみた。確かにわかりやすい記事なのだが、気になることがあった。
 これは「ブログ時評」での扱いにも関連している。同ブログではこの問題をわかりやすく報道していない状況を問題としているのだが、私はそれ以前に、ITmediaの同記事のリードにそれに先立つ問題点を感じた。この部分だ。

松下とジャストが争っていた「アイコン特許事件」で、東京地裁判決は松下の主張を認め、「一太郎」「花子」の製造販売中止と製品の廃棄を命じた。ジャストは控訴する方針で、当面の製品販売には影響はない。

 きちんと「製品販売には影響ない」と明記され、このことは本文中でも触れているのだが、それでも、「製造販売中止と製品の廃棄を命じた」という表現がまずもってきつく響いている。この表現はITmediaだけではなかった。報道としては、私は、これがまずもって問題だと思う。
 この点については、IT Pro"特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄命令"(参照)の追記がわかりやすい。というか、この点が問題となったために追記されたのだろう。

2月2日付記:上記記事のタイトル「特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄命令」中の「命令」は、法律用語としてではなく、一般的な「命じる」の意味で使っています。法律用語としての「命令」は強制力を有する表現になりますが、今回の判決には仮執行宣言が付されていません。このことを勘案すると、「特許侵害で「一太郎」、「花子」に製造・販売中止と廃棄を命じる判決」のほうが、より厳密な表現となります。(日経コンピュータ編集)

 ということで、今回の一太郎訴訟の報道の問題は、その内実がわかりづらいために社会的に混乱をもたらしたというより、「命じた」という表現が報道で安易に流れたことにあるように思える。
 そして、それが伝言ゲームになってしまったのではないだろうか。その結果が株式市場にも反映し、2日は取引開始直後から売り注文が殺到。値が付かない状況が終日続き、大引けでストップ安。というまるで空売りしていたヤツがいたら洗えよと言いたくなるような珍事となった。っていうか、やっぱ、それが報道の問題でしょ。
 当の争点だが、これは、私も取り敢えずエンジニア・サイドに含めるとしての印象だが、「くだらねー」である。「くだらないことやめてくださいよ」と思った。それは、些細な問題だというより、エンジニア側にしてみると、ヘルプシステムのガイドライン部分なんて最初の決め事なので、原則的にはシステム設計者のカバーなのだが、実際には、ヘルプやルック・アンド・フィール(参照)は独立しているので、システム・エンジニアもプログラマーもタッチしない。もっと率直に言うと、「営業に言ってよぉ」である。
 これは現場サイドの本音だと思うが、組織的に見ても、インターフェースやルック・アンド・フィールについては、組織の上部のほうで予め検討されておくべき問題だ。もちろん、知的財産権だのがどうのという問題でもあるが、そういう一般論のなかに流し込んでヘンテコな社説を書くなよ、大手新聞、と思う。
 ちょっとくどいのだが、もうちょっと踏み込む。知的財産権だと特許だのが、アルゴリズムに関わる場合は、まさにエンジニアに直撃するのでその対応が難しい。とはいえ、実際には、こうしたアルゴリズムに関与しているエンジニアは主要な手法に精通しているので、これを書いたらパクリでしょというのは実際にはわかっているものだ。だから、エンジニアのそういう心情を吸い上げる組織が重要になる。というか、そのためにはエンジニアの上司はエンジニアでないと難しいという問題でもある。だが、インターフェースやルック・アンド・フィールは性質が違う。
 別の観点でいうと、今回の松下の特許だが、率直に言えば、「誰もそんな特許の存在知らねー」し、「そんな特許全部読めるわけないっしょ」である。第一、「読んでもわかんねー」だし。
 さらに言うと、この手の「なんだ、この特許?」みたいのは五万とあり、大抵は「業界の常識」によって正しく無視されている。つ・ま・り、今回のケースでは、相手が松下で、しかも、おそらく経営のトップが「業界の常識」破りをやったのだということで、ここから得られる業界的な教訓は、「くだらねー特許に見えても出した香具師は覚えとけ」だろう。くどいが、いわゆる知的財産的な、アルゴリズム的な部分の問題というのは、現場ではけっこうわかっている。ユニシスの特許はGIF画像のエンコーディングに及ぶことはユニシスがトチ狂って騒いだので問題になったが、これってLZHにも影響あるんじゃないのというのは、誰も黙っていたものだ。
 今回のケースでもジャスト側ではそうした業界の常識でこなしていたのが、いきなり、ズブっと来たのではないだろうか。ちょっと下衆の勘ぐりをすると、松下側でも実動部隊というか広報は「ええ??」と仰天しているのではないだろうか。CNET JAPAN"「一太郎ショック」で鳴り響くソフトウェア産業への警鐘"(参照)がちょっと笑える。

一方の松下でも「マスメディアからの問い合わせが集中するなど、これほど大騒ぎになるとは思わなかった」(広報)とし、判決に関して「主張が認められた結果だと考える。なお、今後の展開については見守っていきたい」という声明を出した。

 なんだか某社ゲートキーパーから怪パケットが飛び出すように、松下側でも全体の統制が取れなかったのか、全体の統制がとれちゃって珍事になったか、そんな感じがする。
 さらに、多分、業界の常識的にだと思うが、今回争点になった技術は、一般には、「コンテクスト・メニューをヘルプに応用する」というもので、Windowsパソコンなら、「パネルの翻訳にもっとカネかけてよねわかんないよ」という怪日本語にマウスを置き、右クリックすると、今回一太郎訴訟で問題になったようなちょこっとしたポップアップが出る。つまり、技術的には、大枠で、コンテクスト・メニューのキッキング(あるいはモード・チェンジ)の手法が特許となるのか?ということであり、しかも、今回の訴訟では、その大枠は問題視されず、キックにアイコンを使うことが松下の特許なので、ボタンの表示が「?」だったらいいけど、そこにマウスの絵を載せたらせたらアウチ!という判決だった。ここでも、「く、くだらねー」というつぶやきを呑み込むのだが、つまり、そういうこと。しかも、この適用はワープロに限定されるのが松下の特許のようでもあるのだが…。
 こうした問題にどうしたらいい? 私の回答はすでに書いた。これは、インターフェースやルック・アンド・フィールの問題なのだから、そう対処なさい、と。裁判の動向については、かつてのエンジニアとしては、「あのなぁ」という一つの声としてこのエントリを書いておく。大手新聞の社説執筆子については…「※ってよし」とも言いたくなるが、それだけ言っても通じない、というのもこのエントリを書いた理由。
cover
Human Interface
Guidelines(日本語版)
 先日、このブログの右下のアソシエイトの欄で、Appleの名著「Human Interface Guidelines:The Apple Desktop Interface(日本語版)」をちょっとノミネートしておいた。ある年代のある水準のエンジニアは必ず読んでいた(英語で読まされた)。しかも、この内容はすでに常識になっている。でも、その常識は一般パソコン利用者の常識であっても、会社経営者や大手新聞社説執筆者の常識にはなっていない。お偉い様、読んでくだせー。

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2005.02.02

iPodで笠碁を聞きつつメディアの将来を憂う

 雑談。先日、ラジオ名人寄席を聞いていたら春風亭柳橋(六代目)の笠碁をやっていた。春風亭柳橋といえば昨年いや一昨年亡くなった春風亭柳昇の師匠だなと思った。さて笠碁は、と、まさに名人の力量を示すに格好な題目だが、目線の芸などはラジオを聞いてでは味わい尽くせない。あの時代に、現代の映像メディアでもあれば、そのあたりをくっきりと見ることができるだろうか。いや、そうでもあるまい。などと思って聞いていた。話は手短に20分ほどで終わり、そのあと番組では石庭玉置宏がラジオが娯楽として広まる前の話をしていた。それが面白かった。
 私は知らなかったのだが、ラジオ以前の時代、SPレコードに吹き込んだ落語に人気があったらしい。昭和の一桁の時代だ。柳橋もそうした時代に、SPレコードの落語家としても人気が高かったそうだ。
 SPレコードといえば、あの落とせば割れるというやつだ。そう昔のものでもない。私が小学生のころにはあった。小柳ルミ子の「私の城下町」とか「シェルブールの雨傘」とかよく聞いたものだ。追記同日この2つはSPレコードではないらしい。
 ソノシートというのもあった。アスキーの創刊号にも付いていた…そこまで話はずっこけないとして…、SPレコードだから、今でいうシングルカットくらいしか入らない。時間として3分ほど。玉置もつい高橋圭三の「歌は三分間のドラマと申します」に振っていたが、そうそう。
 SPレコードは裏面と合わせて6分ほど。そんな短い時間で落語になるのかとも思うが、それでも大人気のメディアだったようだ。それなりの工夫も当然あったとのこと。こうしたメディアの制約に合わせて、柳橋も新作小話を作っていた。柳昇の師匠でもあるし。
 そうした柳橋のSPレコード向けの話に「そば屋」というのがあるらしい。元の企画では「うどん屋」とのことだが6分に収まらない。そこで、「そば」ということなのだが、この「そば」が「中華そば」だ。もちろん、歴史的には「支那そば」なのだろう。昭和の一桁の時代だな、なるほどなと私は思った。沖縄のいわゆる「沖縄そば」だがこれの起源はこの数年なにかといろんな人が調べたところ、だいたいこの時代の内地からの支那そばが起源のようだ。なんのことはない、まるで日本語の起源と同じように、本土のラーメンと姉妹麺類だった。
 LPが出るのは戦後のこと。そして、LPの落語もあったらしい…というか、自分の記憶を探ってもそうした名残があったように思う。それがカセットテープに移行したのは私が中学生くらいのことだろうか。そうだそうだ。1970年ころのことである。
 外人宣教師なんかとも知り合いがあったらしい私の父親が、私が小学六年生のとき、田崎英会話のテープを買ってくれたことがある。あのテープはリールだった。再生機もそういうものだった。テープに音が録音できるということだけで不思議に思えた時代だった。

cover
iPod 20GB
 と、なんとも古い話だなとも思うし、そんな昔のことじゃないよとも思うが、メディアというのは時代ともに変わる。そして、この六代目柳橋の笠碁だって、ラジオからタイマー録音しMP3でエンコードしたのを、iPodで聞いているのである…。
 自分としてはNHKのメディアというのは、ラジオ名人寄席とかラジオ深夜便とか、その手のものがあればもう充分だという感じもするのだが、時代はラジオからテレビに移った。その話もいろいろ思い出すことがあるが、それはさておき、そして、現代いよいよそのテレビというメディアも変わらざるをえないのだろう。
 そんなことを思いつつ、SPAに連載されているコータリ(神足裕司)のコラム"海老沢会長が強気でいられた理由はデジタル放送にあり!?"(vol.423, 2/8)をよんでふーんと思った。コータリは、海老様が強気なのはNHKがデジタル放送を基盤に経営の前途は盤石の構えだと考えているからだとしている。

 TV放送は、'11年に完全デジタル化される。ハイビジョンを試聴するには、視聴者のIDを入れた受信カードが必要になる。
 今は玄関先や銀行で支払い拒否ができるだろう。しかし6年先には、誰にもそれはできない。

 もちろん、その話は私も知っている。むりむりとか思っているのだが…、現在のNHKのハイビジョン化の流れを見ていると、価値の高いコンテンツをそちらに移していく傾向はよくわかる。

 近い将来、NHKを視るには必ずお金を払わなければならなくなる。民放のほうはまだ不明だ。しかし、有料でバラエティ番組を視るか? 私は地球大進化を選ぶ。

 そのあたりはどうなのだろうか。しばし考えた。笠碁はたぶんラジオで聞けるかな。それより、この問題は民放のほうが大きな問題でもあるのだろう。

 6年後に始まるデジタル放送では「ハードディスク視聴」が始まり、視聴者はCMを飛ばす。今のような民放経営はなりたたなくなり、ペイTVやインターネットのバナー広告のような試みが求められる。

cover
HDD搭載
DVDレコーダー
SONY
RDR-HX70
 このあたりの技術認識はあれま?とも思うのだが、というのも私はすでにTVはHDレコーディングでしか見ない。民放をまれに見るときはすいすいとCMを飛ばす。ありがたいことにCMの前後はかぶるかぶるなので、飛ばしのコントロールがしやすい。そこまで民放が配慮してくれる時代なのである…ってことではないのだろうが。
 問題は…コンテンツということだろうか。でも、コンテンツというなら、寄席に行って現代の落語家の笠碁を見にいくほうがいいようにも思う。よくわかんないなと思うし、自分などは、所詮、映像メディアの時代から取り残されていくのだろうか。

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2005.02.01

イラクで一兆円近いカネが消えてましたとさ

 国内でまったく報道がなかったわけではないが、イラク選挙に示し合わせたかのように、30日、ボーエン米特別監査官が連合暫定当局(CPA)の予算管理の問題点を指摘した。もっとも期日を示し合わせたわけではなく、議会への四半期の報告だったからにすぎないので、この点について深読みはご無用。
 報告書によれば、CPA下で約88億ドル(9100億円)の使途が確認できなかったということ。もっとも以前からこの問題は指摘されていたのだが、まったくもって洒落にならない額だ、ということで、イラク選挙の成功に合わせて欧米ではけっこう重要なニュースになっていた。簡単に見ると、CPAの問題だから反米のネタにでも使えそうなものだが、朝日新聞も特にピックアップしている様子はない。
 国内のニュースは昨今の傾向でもあるのだが、共同がさらっと流していた。"CPAがずさん経理/イラク復興で"(参照)が該当ニュースだがそっけない、というか、ロイターの垂れ流しであり、日本のジャーナリズムというか報道メディアにおいて共同にかなり問題があるようにも思う。


【ワシントン30日共同】イラクに主権移譲された昨年6月末まで同国を統治した米英主導の連合国暫定当局(CPA)が、復興予算88億ドル(約9100億円)について、ずさんな経理を行っていたことが、米特別監査官の議会向け報告書で明らかになった。ロイター通信が30日報じた。

 というわけでロイターなのだが、日本版でも該当ニュースは流れていた。"旧CPA、イラク復興予算の監督不十分だった=米監査報告"(参照)がそれだ。

 監査報告はその上で、CPAが昨年6月イラク暫定政権に主権を委譲するまでイラク予算について、適切な監督を怠ったでことを批判した。
 報告は「予算配分でイラクの各省庁に渡った開発基金(DFI)資金約88億ドルに関して、CPAの監督は不十分だった」と指摘。

 ロイター・共同系だと今一つこのニュースがわかりづらい。CNN日本"旧イラク暫定当局の経理、「不透明」と指摘 米報告書 "(参照)ではもう一つインフォを加えていた。

同氏らによると、旧政権のある省庁では警備員8206人に給料が支払われていたが、実際には602人しか確認できなかった。報告書は「何千人もの『幽霊職員』がいたことになる」と指摘する。

 この点が重要なのだが、そこに踏み込む前に、このニュースの伝搬の他の側面を見ておこう。つまり、問題の重点と、それって反米で使えるネタかな、というあたりだ。
 まず、この問題の核心だが、要するに一兆円近いカネが米統治下のイラクで消えたということなので、欧米メディアはそこをずばりと斬り込んでいる。かねてよりこの問題をワッチしていた英国公共放送(と強調するのはだめな某国公共放送への当てつけです)BBCは"Iraq reconstruction funds missing "(参照)としてこの点を第一に強調している。

Almost $9bn (£4.7bn) of Iraqi oil revenue is missing from a fund set up to reconstruct the country.
【試訳】
約9000億円ものイラクの石油収入が消失していた。このお金はイラク再建に当てるものであったにも関わらずだ。

 つまりイラクの国富が盗まれたということがこの問題の重要点だ。FOXニュースなどでも扱っているので、欧米のメディアではこの問題の扱いの偏りはあまりない。が、日本ではちょっと違っていた。
 冒頭にも触れたようにこの問題は以前から話題にはなっていた。赤旗などがユーモア記事のようにクリスチャン・エイドの情報を"石油収入30億ドルが消えた"(参照)と書き飛ばしていた。他に、ブログ「暗いニュースリンク」でも"主権移譲前倒しの裏側:イラク再建用の石油収益200億ドルが行方不明に"(参照)と軽いネタに上がっていたことがある。

イラク主権移譲手続きの直後に、大急ぎでヘリに乗り込み帰国の途についたブレマー元CPA代表。そのタイミングは、クリスチャン・エイドの報告書がメディアに伝達される直前だったという。現地の愛人問題以外にも、ブレマー氏には隠し事がたくさんありそうだ。

 話が前後するが、なので、このネタはけっこう反米スジが釣れるかと思ったのだが、現状それほどでもない。不思議なほどだ。ネタの出所が甘すぎるからなのだろうか。
 もう少しちゃんと見るなら、クリスチャン・エイド系のスジではなく、きちんと国際通貨基金(IMF)下の国際顧問監視理事会(IAMB)の報告が重要になる。日経系"イラクの石油収入、管理に不備・国連などが監査報告"(参照)が参考になる。

連合国暫定当局(CPA)統治下の管理不備で大量の石油が密輸されたことが明らかとなり、IAMBは統治を引き継いだイラク暫定政権に、石油生産量の計測徹底などを求めた。
 報告書は米大手会計事務所のKPMGに依頼して作成した。CPA統治下で成立した石油事業を巡る契約のうち「6件は正当な手続きを経ず、4件は競争入札なしで認可された」などと具体的な事実を挙げ、混乱の中で数十億ドル規模の石油収入が管理漏れした構図を浮き彫りにしている。

 当の問題の構図に戻る。1兆円近いオイル・マネーはどこに消えたのか? CNNの示唆では幽霊職員ということになっている。また、このニュースの欧米での広がりは端的にCPAのボスであるブレマーへのバッシングになっており、ブレマー自身も混乱していてわかんねーよという開き直ったコメントを出している。確かにブレマーがどの程度関与しているのかということが問題ではある。
 だが、幽霊職員への不正が賄賂というのならカネがでかすぎる。当然ながら、IAMB報告のように、石油の密輸に関わっていると見るべきだろう。とすると、その密輸が、フセイン政府崩壊後、即座にCPA下で出来たのかというと、私としては、その陰謀説は考えにくいと思う。この不正は巨大なビジネスなのだし、ビジネスには相応の組織性なりが必要になる。
 先のCNNのニュースに戻るが、そももそもこのマネーの出所は、れいの石油食糧プログラムであった。

CPAは03年10月から04年6月にかけ、国連の食料石油交換計画からの資金や旧政権から押収した資産など88億ドルを、復興事業の運営費や人件費、設備投資などに使ったとされる。

 なにも陰謀論を展開したいわけでもないが、妥当に考えて、このリソースはこの構造ともにごそっとCPAに表向き動いただけで、中では、その不正システムが止まっていないか、あるいはそれなりに稼働していたと見るべきなのではないだろうか。こう推理することはそれほど陰謀論でもないと思うのだが。
 この問題に関連してもう一つ気になる問題がある。端的に言って、現状はどうか? この不正のシステムは改善されているのか。当たり前だが、この不正のシステムに米国がまったく汚れていないわけもない。現状イラクに主権は戻り、また、大筋で石油歳入権もイラクに戻っている。しかし、現在の暫定政権が米国から独立してこの巨大な金の鶏を管理できるわけもない。それでも米国の議会鑑査が入り、過去の問題を暴露している以上、いわゆる不正という構図ではなくなってはいるのだろう。
 それにしても、まだ、根の深い問題だし、意外に難解なネタだなと思う。

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2005.01.31

イラク総選挙はとりあえず成功した

 イラク選挙の投票が終わった。テロはあった。死者は出た。しかし、投票を覆す事件にはならなかった。私は率直にテロって意外にヘタレだなと思った。もちろん、それを弾圧した膨大な軍事力を知らないわけではない。ファルージャは廃墟となった。
 今朝の主要新聞各紙社説は投票について触れていない。間に合わなかったのかもしれないが、毎日新聞社説"サマワの自衛隊 より重くなった政治の責任"(参照)にはこの日についてこう触れている。


イラクで30日、移行国民議会選挙が行われた。反米勢力などが選挙妨害のための武装闘争を活発化させてきただけに、選挙後のイラク情勢が大きく流動化する可能性も少なくない。

 こんな話を選挙についての論評に先行させてしまう政治センスについていけないものを感じる。他、その後の国内ニュースなどを見ると、イラク国民を称える欧米の論調と落差がはげしい。NHKにいたっては早々に今回の選挙は成功だとはいえないと解説員に言わせている。だが、その理由たるやスンニ派が参加していないことと今後の動向を見る必要があるというもので、それって別に昨日の投票の意義とは関係ない。解説員が解説を放棄しているように思える。少なくともこの選挙で目立ったテロが発生しなかったこと、多くのイラク国民が命を賭けて投票に行ったことに言及すべきだろう。
 どちらかといえばブッシュ寄りではないサロン・コムの、APニュース"They voted"(参照)ではこういう話を伝えている。これもヤラセと言うのだろうか。

At one polling place in Baghdad, soldiers and voters joined hands in a dance, and in Baqouba, voters jumped and clapped to celebrate the historic day. At another, an Iraqi policeman in a black ski mask tucked his assault rifle under one arm and took the hand of an elderly blind woman, guiding her to the polls.
【試訳】
 バグダッドのある投票所では、兵士と投票者が手をつないでダンスをしていた。バコバでは投票者は、この歴史的な日を祝うために、躍り上がり喝采していた。別所では、黒いスキーマスクをしたイラク警官がライフル銃を小脇にかかえ、盲目の老婆を投票場に連れて行った。

 私は単純にこうした話に感動する。それは一部のできごとではないかということかもしれない。シーア派の人々は投票せよという宗教令が出されたていたからとも言われる。でも、私はまず単純に感動する。私はこの勇気ある行為をもってイラクの人々を称えたいと思う。イラクの国民がイラクの国家のために命をかけて投票したことはたしかだし、APが"They voted"と短くタイトルをつけた理由もわかる。
 BBCでは経時的に投票の詳細を"Reporters' log: Iraqi elections "(参照)で触れている。

Paul Wood : Baghdad : 1808 GMT
There was almost a party atmosphere in the streets around the BBC bureau in Baghdad, with Iraqis we met delighted at being able to cast a democratic vote.

And in the holy city of Najaf, an 80-year-old woman declared: "I've been forced to vote under Saddam. Today I freely choose my candidate."

These were Shia voters. In Sunni towns the electoral commission admitted that some polling stations hadn't even opened.

Still, there was a trickle of voters even in Falluja, an act of courage given the insurgents' threat to behead anyone casting a ballot.

With the Shia and Kurdish turnout clearly high the crucial question now is how many Sunnis have been prepared to defy the gunmen and vote.


 こうした話を読むと、スンニトライアングルでの投票は難しいと見られていたし、確かにそうではあった。でも、バグダッドでも投票はあり、ファルージャですら投票者がいたのだなと感慨深い。
 今回の投票が、今後のイラクと米国の関係にどういう意味を持つかについては、難しく議論したいなら、国務長官であったキッシンジャーとシュルツが25日付けのワシントンポスト掲載した寄稿"Results, Not Timetables, Matter in Iraq"(参照)が重要だろう。いわゆる出口戦略論である。

The debate on Iraq is taking a new turn. The Iraqi elections scheduled for Jan. 30, only recently viewed as a culmination, are described as inaugurating a civil war. The timing and the voting arrangements have become controversial. All this is a way of foreshadowing a demand for an exit strategy, by which many critics mean some sort of explicit time limit on the U.S. effort.

We reject this counsel. The implications of the term "exit strategy" must be clearly understood; there can be no fudging of consequences. The essential prerequisite for an acceptable exit strategy is a sustainable outcome, not an arbitrary time limit. For the outcome in Iraq will shape the next decade of American foreign policy.


 というわけで、難しい議論が進むのだが、シーア派の人々による政権に民主主義が根付くまでまたクルドという難問をこじらせないためアメリカの関与が必要だと、彼らは説く。
 言うまでもなく、イラクから米軍が撤退すればすべて解決と説くような議論とは正反対の位置にある。

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2005.01.30

対中武器禁輸解除の動向について

 日本時間の午後からイラク選挙が始まる。最初から限界の多いことがわかっている選挙だが、私としてはなにより大きなテロが発生しないように祈る気持ちだ。選挙については蓋が開いてから触れるとして、今日は簡単にEUの対中武器禁輸について少し書いておきたい。
 1989年の天安門事件をきっかけにEUは表向き対中武器禁輸に踏み切り、この措置が現状まで続いているのだが、中国とフランス(シラク)はこの措置は冷戦の時代のものだとして、EUからの武器禁輸解除を求めている。昨年12月のEU・中国首脳会議では即時解除は見送りとされたが、フランス中心にEUとしてもこの禁輸を解除したいという意向が強く、近く解除される見通しでもある。
 鍵を握るのは英国だ。従来は対中武器禁輸に慎重な態度を取っていたが、風向きが変わってきた。13日の毎日新聞"対中武器禁輸:今年7月までに解除の見通し 英外相示す"(参照)では状況をこう伝えている。


【ロンドン小松浩】ストロー英外相は12日の議会で、欧州連合(EU)の対中国武器禁輸措置について、英国がEU議長国(各国半年輪番制)になる今年7月までに解除されるだろうとの見通しを明らかにした。


ストロー外相は、中国の人権状況に懸念が残ることを認めながらも、中国はジンバブエやミャンマーといった国とは異なるとして禁輸解除に理解を表明。EUが武器輸出に関する行動基準を強化することで、中国への野放図な武器輸出は起こらないと強調した。

 このあと、英国ストロー外相は、21日に北京に向かい李肇星外相との会談で、武器禁輸の解除に英国が基本的に賛同するとの考えを伝えている。
 こうしたEUや英国の動向に対して反対している筆頭が米国であり、その子分でもある日本だ(正確にいえばEUですべて合意が取れているわけではないが)。26日の毎日新聞"米国務長官:「現、新」長官と重複会談 英独外相"(参照)では、この24日と25日に、英国ストロー外相とドイツのフィッシャー外相が米国務省とホワイトハウスを訪問した際、ライス次期国務長官就任と外相会談を持った。

またストロー英外相は24日、欧州連合(EU)が検討している中国向けの武器禁輸解除についてライス補佐官に説明した。
 ホワイトハウスは大統領補佐官の会談内容を公表していないが、バウチャー国務省報道官は25日、対中武器禁輸が89年の天安門事件に対する制裁として米欧が発動したものであることを背景に、中国の人権状況が改善されていない現時点での解除は「誤ったシグナル」を送ることになり反対だと明言した。

 米国側からのそれほど強い意志の表示ではないものの、ライスには明確な意識がありそうだ。
 日本側では、中川昭一経済産業相が欧州歴訪中の13日、ゲマール仏経済財務産業相と会談で、EUの対中武器禁輸を解除に日本からの反対の意志を伝えた。14日の日経新聞"経産相、仏の対中武器禁輸解除論に苦言"(参照)ではこう伝えている。

経産相は「潜水艦の領海侵犯の問題とか(調査船の)排他的経済水域航行の問題などで、日本に限らず東アジアは中国の軍事的プレゼンスをひしひしと感じ始めている」と説明。「武器禁輸解除の問題はEUやフランスにとっては単なるビジネスの問題かもしれないが、東アジアの平和的発展には大きな影響を与える」と理解を求めた。これに対してゲマール氏は「事情はよくわからないが、話は聞かせてもらった」と応じるにとどまった。

 中川も言うところはちゃんと言うじゃないか、これじゃ中国シンパにはたしかに目障りだな…という感じだし、当の日本ではこのニュースは別件で事実上もみ消されたようになっていた。
 対中武器禁輸については、バウチャー国務省報道官が「誤ったシグナル」とうまく言い当てているように、実際上は単にシグナルでしかない。だから、反対する米国もイスラエルに武器輸出をしているじゃないかという愚論はさておくとして、実態が問題になる。この点については、22日の毎日新聞"EU武器輸出:中国に567億円分 禁輸措置抜け道多く"(参照)が詳しい。

【ブリュッセル福原直樹】欧州連合(EU)が過去3年間、世界各国に輸出した通常兵器と関連機器などの詳細が22日、各国の申告を元にした内部統計から分かった。武器禁輸の対象国・中国に03年、規制対象の電子機器など約4.2億ユーロ(約567億円)が認可されていたほか、米がテロ支援国家に指定したイランに約8.2億ユーロ、シリアには最高で年約1400万ユーロが認められていた。EUの武器輸出は各国の判断に任されているうえ、禁輸の監視体制も整わないなど、不透明さが批判されており、EUは監視体制の強化策を検討している。

 つまり、実態は対中武器禁輸はシンボリックな問題でしかない。実際上は、議論の繰り返しのようだが、中国を巡るEUと米国の対立であり、それに必然的に巻き込まれた日本と英国の問題でもある。日本国内では、ブッシュ政権は2期目になってイラク戦争でこじれた国際関係改善を重視とか抜かしているのんきな見解が目立つが、対中武器禁輸問題には日本はのんきに構えすぎているきらいはある。
 英国は以上見てきたように対中武器禁輸解除の意向なのだが、22日のフィナンシャル・タイムズ"Weapons for China"(参照)は意外に慎重な見解を出していた。

However, it is clumsy and irresponsible of the Europeans to consider ending the embargo without taking US concerns on board, especially when the re-elected President George W. Bush is holding out an olive branch to them and visiting Europe next month.

 フィナンシャル・タイムズ、大人、だな、である。ブッシュが折れた姿勢を示すならそれにEUも応えなさいと。実質的には英国が応えろということでもあるのだが。
 で、どうせよと?

Pressed by China to end the embargo and by the US to keep it, the EU dismisses the embargo as outdated but insists its proposed new regime would not lead to greatly increased arms sales. One does not have to be American to find this argument unconvincing. The best solution is for the EU and the US to agree what sanctions they want to keep on China and then to apply them as firmly as possible.

 結局のところ、対中武器禁輸は実際的ではないとするものの、EUの現状の武器販売をなし崩し的に認めるのはやめて、米国と協調した制限を設けるべきでしょう、と。おお、大人じゃん。
 日本にそういう人はいるのかなと思う。わかんないなと思う、ので、私もこのフィナンシャル・タイムズに、取りあえず、同意。現実は現実だし。本来なら、平和を世界にもたらすべき使命が明記された憲法を持つ国民なのだから、もっと積極的にこうした問題に関わるべきなんだろうけど、そういう動向って、なんも見えないじゃないですか。

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