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2005.12.10

フェタチーズ

 また食い物の話。フェタチーズ。つまり、フェタ。ちょっと前だがニュースを聞いていたら、「フェタ」の名称はギリシア産に限るとEUがようやく裁定したそうだ(参照)。へぇと思うと同時にフェタを食わなくなって久しいなと思った。
 フェタをWikipediaでひいたら写真付きで載っていた(参照)。


フェタチーズ
 フェタ(φετα, feta)は、羊の乳からつくられるチーズのひとつ。フェタチーズとも。
 ギリシャの代表的なチーズである。 白色のねっとりした塊状の外観で、食塩水中で熟成させるために強い塩味がある。 そのまま、あるいはオードブルやサラダの材料として食べる。

 見るとわかるようにぼろっと崩れる。これをサラダに載せるのがグリークサラダというやつで、プラカなんぞの観光客向けのタベルナだとなんかそれっぽいのだが、ちょっと観光地を外すと、グリークサラダって、そうか、フェタを食うのがメインかと回心する。ヘディングできそうなくらいのサイズで野菜の上にどかんと載っている。
 旨いか? ま、これはちょっと好みがあるでしょう。私は好きだ。というか、ギリシアにステイしているときは日々食っていた。日本だとオイル漬けのがちょっこし売っているだけみたいなのでがっかりした。最近ではそうでもないのか。
 ギリシア人のフェタ好きは、昨年のオリンピックの際の読売新聞のサイト「一口サイズのチーズパイ : 気分はギリシャ!簡単クッキング : アテネ五輪」(参照)でもわかる。

 でも、ひと昔前には本当に貴重品でした。長い夏休みのようだった幸せなギリシャ滞在を切り上げて日本に帰らなくてはならなくなった時、日本に住んでいるギリシャ人の友人から、「お願いだからフェタをカバンにいっぱい詰めて帰ってきて」との緊急指令が入りました。そのため、禁断症状を示しはじめた友人を救うために、大量のフェタを密輸することになったのですが、そのカバン、その後どう洗っても干してもフェタのにおいが消えず、二度と使うことができなくなってしまいました。帰国後、東京のギリシャ大使館で仕事をし始めてからは、外交特権で定期的にフェタを取り寄せる同僚たちの恩恵を被り、我が家の冷蔵庫は扉をあけるといつでもフェタのにおいがするようになりました。幸せでした。

 まぁそんな感じだ。山本七平の息子山本良樹は米国在のころ、ギリシア系の女を抱くと野菜の腐ったような匂いがするみたいなことを言っていたが、グリークサラダを食い続けるとそうなる。
 私がこのチーズを好んで食うのでギリシアの年長の女性が教えてくれた、あのね、上質なフェタはデンマーク産、とのこと。
 へぇ、と思った。韓国人が買って食うキムチが中国産のように、ギリシアのフェタもデンマーク産か。よくわからないが、だったら日本にもっと輸入されてもよさそうなものだが、チューリップ(ポーク!)みたいに。
 そんなことが記憶にあったので、フェタはジェネリックじゃないというEUの裁定はそんなものかなとも思った。ちなみに、ありがちなニュースは”Greece wins exclusive European rights to 'feta' name”(参照)など。

Despite its many imitators, Greece remained the main European producer and consumer of feta cheese, the court said.

"The production of feta has remained concentrated in Greece, with more than 85 percent of (European) Community consumption of feta, per capita and per year, taking place in Greece," it said.


 よくわからないが、ようするにギリシア人がフェタをいっぱい食うからここは面子を立てとけということではないのか。割を食ったデンマーク(それとドイツ)だが、従来フェタとしてきたチーズの名称が包装紙に記載できるのは二〇〇七年までとなる(猶予期間)。そういえばBBC”Food firm cheesed off over ruling”(参照)を見ると英国でもブーイングはあるようだ。
 チーズは一時期各種食いまくったことがあるのだが、フェタなんかも歴史的にはモッツァレラチーズみたいなものではないか、というかトルコの濃いヨーグルトというかサワークリームなんかもみんな似たようなものなのではないかとも思う。
 今回ようやくフェタはギリシア限定ということだが、ロックフォールはすでにフランス産に限定のはず。こちらについては、そのほうがいいだろう。いわゆる青カビチーズと上質なロックフォールは、え?というくらい味も香りも違う。ゴルゴンーゾーラもそう。スティルトン? それは食べてないのでわからん。

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2005.12.09

「手鍋下げても」について

 耐震偽装も国連分担金も、「ヤケ」になった犯罪者もイラク派兵延長も、ましてジョン・レノンも関心がわかない。みずほ証券? いやそれほど関心ない。億のカネなど縁がない。プーアル茶を飲みながらそういえば今日のエントリを書いてないことに気が付く。書き込み予定地にしてもいいのだが、埋めておく。
 先日の「覆水盆に返らず」の関連でもあるが気になる言葉があった。「手鍋下げても」である。
 二〇〇五年の話題とやらのブログにこの表現があるか。テクノラティで検索してみた。十三件。多いのか少ないのかよくわからん。リンクをたぐってみたが、実際には出てこなかったり、引用だったりで書いてる本人がわかってんのかという感じ。わかってそうなブログは儂より年上っぽい感じ。ま、そうだろう。
 「きなこもち」というブログの”動物占い☆”(参照)というエントリにこうあった。


リンクをたどって違う性格診断もやってみた(ようするに暇だった笑)
結果↓
http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/bacbb.htm
「手鍋下げても」ってどうゆう意味だろ・・・???

 疑問に思っている。リンク先を見た。「エゴグラムによるあなたの性格診断結果」というのだ。エゴグラム?

2.恋愛・結婚
優しいから情に溺れる、情に溺れるから下らない者に引っ掛かるという様に、優しくて感情的判断をしやすい性格が、仇となり易いタイプです。稀には「手鍋下げても」という様な思い込みが、貴方を幸せに導く場合も有ります。異性関係には、熟虜をすべきタイプです。

 あ、いいなコレ。声に出して読みたいくだらない日本語という感じ。くだらなくもないか。その思い込みが幸せというのもあるだろう。
 グーグル先生もひいてみた。二百十件。少ないんでないの。そしてこれもなんか生きた用例というか、自分の思いから使った表現というのはあまりないみたいだ。
 字引を引いてみる。広辞苑に「手鍋を提げる」の項に織り込まれている。そのほうが表記としては正しいのだろう。グーグル先生も件数はさらに少ないがそんな感じ。

手鍋を提げる
自分で食事の用意をする。貧しい暮しをする。特に、「手鍋提げても」の形で、好きな男と夫婦になれるなら、どんな貧苦もいとわないという意に用いる。

 意味はそういうこと。大辞林も二版にはあった。一版で落としてしまって慌てたのか。
 というわけで、昔は「好きな男と夫婦になれるなら、どんな貧苦もいとわない」という女がいたのである、日本に。ニホンオオカミみたいに。
 今でもいるのだろうか。いるんじゃないかと私は思う。そういう表現はなくなったが、人の心というのはそう時代で変わるものでもないというか、男女の機微の深いところはあまり時代に左右されないのではないか。逆に世相が変わってしまって、「手鍋提げても」の人生は世相と齟齬があるかもしれない。すて奥に混じっているかもしれない。ってなことを書いて苦笑・失笑を買うであろうな。ここまで読んだならな。悪かったな。
 手鍋提げてもでもないが貧苦というなら山本七平の結婚の逸話も面白かった。れい子夫人によると、熱心なクリスチャンだった彼女の母が七平との結婚を勧めたらしい。当時七平さんは結核だったというのにだ。
 お見合いの七平はこうだった。

そのとき主人は、戦争で経験した酷くつらいことを、初めて会った私でしたのに、熱心に何時間も語ってくれました。カトリックに告解というのがありますね、何だかそんなふうな感じがありました。

 まぁ一般論として童貞の男というのはそういうものである、っていうのはある。それ以上のものもある。ひどい言い方だが、その時七平がれい子さんに告げたかったことは、たぶんこの手記(Voice,H4山本七平追悼記念号)の執筆時期でもあまり思い至らなかったのではないか。
 話を戻す。当時アイドルなみのルックスのれい子さんはこう思った。

私は、何と気の毒なと思いつつ、そのときは内心ちょっと困ったなという感じでいたんです。

 そんなものである。普通。手鍋下げてもということがなくても話は展開する。
 彼女はその後「観念した」と言っているが、七平の押しが強かったわけではない。接し方の雰囲気と彼が聴覚障害者の自立のために校正を教えているといった素行が大きかったようだ。
 そういえば、吉本隆明が旧姓黒沢和子とすったもんだで一緒になってから、彼女にどんなところが良かったかと訊いたとき、立ち小便しないことと答えた…だったかな。記憶違いならすまん。ま、それも素行ではあるだろう。

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2005.12.08

一生分食った物について

 十二月八日といえばグーグル様と一緒にポコペン侵略にいそしむケロロ軍曹の誕生日の前日である。他になにか?
 師走である。師たる者は走るのである。走れ走れメロン…ちと違うな。メロンは走らない。苔むさず転がるばかりだ。そうしたメロンが世の中には好物という人たちがいる。メロン・アレルギーの私には不可解極まるが、不可解といえば当方のメロン・アレルギーも高級メロンならアレルギーは出ないという珍妙なる特質を持っているので人それぞれ人生いろいろではあろう。メロンについては、私が言うのだから高級メロンなのだが、もう一生分食ったよと思う。メロン? もう要らね。美味しいよと言われても、もういいのだ。そういうのってあるでしょ。
 そうねと女は言う、蟹は一生分食べたわね、と。そりゃ嘘だと小声で答えてみるテスト。タラバガニみたいのの新鮮なやつをまた食ってみたいのではないか。その蟹ね、蟹っていろいろあるのね、わたしの蟹はあの海の蟹……って蟹は海にいるのではないか…そうでもないな。
 蟹は河にもいた。信州の家にいたころ千曲川で山ほどとっ捕まえて持って帰ると、食うかと大人たちは言った。信州である。なんでも食う。蝗はもちろん食う。蜂の子は食う。常世の虫のごとくお蚕様と崇めておきながら、食う。馬も食う。ザザムシも食う。信州人の末裔の私としては一生の一度はザザムシも食わねばなるまい。なんの話だっけ。蟹…いや、一生分食った物の話だ。
 お葉漬けは一生分食った。この季節、国鉄から私鉄に乗り継いだ二十キロものお葉漬けが来る。駅留め。遠い私鉄の駅から父と自転車を押して帰宅した。私が小学生になる前か。そしてお葉漬けの日々が春まで続く。塩の馴染まない青臭いお葉漬けが、しょっぱくなり、すっぱくなるころ春になる。最後は炒めて食う。春まで、あった。もうこんなもの食いたくないよと子供心に思った。一生分食った。
 世の中に出たころ、世人はそれを「野沢菜」と呼ぶのを知った。美味しいとかぬかしていたので、殴ってやるかと怒りがこみ上げてきたのを覚えている。第一だな、「野沢菜」とはなんだ、それは「お葉漬け」だ。「な」と一言で言うのも正しい。なにが、野沢菜だ。旨いだと。おめーら春を待ちながら酸っぱいあれを日々食うという正しい生活を知らないのかぶぁかものと思ったが、世人らは美味しい美味しいと野沢菜なるものをつまんでいた。一口だけ食ってみた、私も。変な味がした。これは、何だ? これは、野沢菜なるものか。菜の味がしなかった。お葉漬けの味がしなかった。なんか、泣けた。
 沖縄で海洋博があるというので、電話線やらの工事監督ということで電電公社員の父は三ヶ月ほど出張していたことがある。沖縄はいいところだとよく言っていた。彼が死んだのでそうかと思って私は行ってみることにした。そして暮らした。海辺で暮らしてみたかったので海辺の家を借りた。痴呆症というのだろうか一人暮らしの老婆が引き取られて空いた家。庭があり、植物がいろいろあった。バナナもあった。
 バナナが実った。おらあグズラだどんではないが、私もかろうじて、あ、バナナだぁの世代である。バナナをお腹一杯食べてみたいなと思っていた。できたら、煙いぶして黄色くしたんじゃなくて、自然に熟れたバナナが食べたいなと。夢が実現してきた。バナナというのは、熟れるまで木におくと、太った女のストッキングの破れのように中からぷっくりとはじけてくるのを知った。感動した。太った女の脚というのもよいものかもしれない。
 問題は量だ。一房実ったバナナは私の食事の一ヶ月分のカロリーを供給するだろう。どうしたらいいのか、こんな大量のものを。というわけで近所に分けた。ウチナーンチュはテーブルのうえにバナナがあると無意識で食べるという習性があるのを知っていたので、あちこち置いてもきた。
 バナナは一生分食った。バナナの花も食ってみたが、渋かった。食用のバナナの花というのは違うらしいと後に知ったので、いずれ死ぬまでにバナナの花は食ってみたいと思う。
 老婆の残した庭には釈迦頭があった。シュガーアップルである。見た目うまくなさそうだし、住み始めたころはほっておいた。通りすがりのウチナーンチュがわっけのわからんウチナーグチで怒るのだがようするにこの釈迦頭をなんとかしろと。食えというのか。欲しかったらあげる、勝手に持って行ってよいと伝えたかったがうまく伝わらん。鳥たちはやってきて食っていた。うまそうでもあった。イエス様の言うとおりである。
 それから二年後ぐらいだろうか、釈迦頭があまり実るのでもいでテーブルに並べ、さてどう食うのかと調べてみた。熟れたら食うのだそうだ。そりゃな、普通な。とにかく山ほどあるので食って食ってそのうち釈迦頭の食べ方というものもわかった。触った感じで旨いころ合いがわかるのである。少し弾力がある感じがよい。食ってみてわかったが旨かった。多数含まれる砂利のように固い種がやっかいだが、こんなに豊潤な香りと甘みと酸味というのはちょっと他のフルーツにはない。もし釈迦頭を食う機会がありそうな人がいるなら伝えておきたいのだが、冷蔵庫に入れてはダメだ。ダメと言ったらダメだ。理由は聞くな。
 かくして釈迦頭は一生分食った。他に…ライチも一生分は食った。ドリアンももうあれで一生分でいい。他に? 芋粥? 甘蔓で煮た芋粥とは、ターンム(沖縄の料理)の緩いようなものだろうか。ターンムも一生分食った。もういい。普天間飛行場は返還すべし。
 酒も一生分飲んだと思った。アードベクやらラフロイグが残る瓶をそのまま飲める人に譲った。もういい。人は酒瓶を半分残して死んでいくものだ。その時期が若干ずれたと思えばいい。それから四年経った。少し酒を飲む。酔うまで飲まない。もともと酔うたちでもない。

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2005.12.07

耐震強度偽装問題の政府支援についてはとく言うこともなし

 あまりふれたくない話題なので簡単に。昨晩いつになく十時のニュースを見ていたら、耐震強度偽装問題の政府支援の話を図解で説明していた。わかりやすい。土地は住民のもの、避難・解体費用は政府・自治体が出す、新規マンションの費用は住民負担、というか民事の問題へ。ま、そういうことか。
 少し奇妙な気分にはなった。酒は飲まないことにしたのだが、最近は少しだけ飲む。小瓶のゴーデンホップ。アテはカマンベールチーズ。考えてもしかたないことは忘れよう…。寝る。
 そして今朝、新聞各紙の社説を読んだら昨晩のことを思い出した。日経を除いて執筆子、私同様不機嫌なご様子。私的に共感したのは毎日新聞社説”耐震偽造支援 リップサービスは許されない”(参照)だ。毎日新聞のうしろからぷーっと息がかかってないのかよくわからないが。


……胸中は察するにあまりある。
……無理からぬところかもしれない。
……妥当な措置と言えるかもしれない。

 使える表現が多いが、さておき。

 問題は、地震や水害などの災害時の救済策とのバランスを保ち、国民の間に不公平感が生じないように留意することだ。とくに耐震性を考えるならば、全国には耐震強度に不安を抱える建物が約1400万戸もあることを忘れてはならない。それらの耐震構造化への補助などとの釣り合いも考慮すべきだ。新たに欠陥建築が発覚したり、災害が起きた場合に適用できるかどうかも大事な要件となる。北側一雄国交相は「特例だ」と強調しているが、普遍性なくして国民の納得が得られるだろうか。

 主張はさておき、ファクツが重要。つまり、「全国には耐震強度に不安を抱える建物が約1400万戸もある」ということだ。
 と書きながら私もブログで社会ヒステリーを増幅しているだけなのだろうか。まあできるだけファクツだけメモするようにしておこう。
 読売新聞"検証・震災80年(1)「関東」「阪神」…伝える執念"(2003.7.29)は二年前の記事だが。

 国土交通省によると、全国の住宅は四千三百万―四千四百万棟。半分は八一年以前の建築で、うち六割余は耐震性に問題があるという。
 本間義人・法政大教授は「政府が掲げた都市再生政策では、とかく派手な高層ビル建築に目がうつりがちだが、危険地域の防災対策こそ優先すべきだ」と語る。

 ざっと概算すると耐震性の問題があるのは千三百万個になるようだ。この二年間で特に改善は見られない。
 古い建物といえば校舎が連想されるが、対応は地方自治ということもありニュース地域ごとにばらばらとしている。読売新聞"神戸の市立小・中学校 学校耐震診断8%止まり 大半が「補強必要」"(2004.1.16大阪)も約二年前の記事が参考になるか。

 阪神大震災で避難所となった神戸市の市立小・中学校で、耐震設計基準が強化された一九八一年以前に建てられた校舎や体育館のうち、耐震診断を終えているのは8・2%にとどまっていたことが十六日、わかった。東海地震に備える神奈川(87%)、静岡(85%)両県や全国平均(35%)を大きく下回る。補修などの復興事業が優先されて後回しになった形だが、市教委は今年度始めた全棟診断計画を前倒しし、年度内に55%の診断完了を目指す。

 二年前で耐震診断を終えた校舎が全国平均で三五%というと、現在では四分の三くらいは耐震設計対応になっていると見てよいのだろうか。これを多いと見るか少ないと見るか。こうした校舎は避難所にもなるのでそのあたりも気になる。
 ビザールというわけでもないが、奇妙なニュースもあった。十年前だが、科学技術庁防災科学研究所が阪神大震災の地震波形を振動台で再現し、鉄筋コンクリート三階建ての建物を揺らす破壊実験を行った(読売新聞1995.3.21)。結果はどうだったか。

 建物は三層構造で現行の建築基準法に盛り込まれた新耐震設計基準ギリギリの強度になっている。これを加速度八一八ガルを上回る一二五〇―九七〇ガルで三回揺らした。最大振幅五十九センチを記録した最上階を中心に、はりには無数の損傷が見られたが、震度7相当の揺れでも崩壊しなかった。今回の実験では計算上、三回目の揺れで建物全体が壊れるはずだった。今回は揺らすごとにはりと柱のつなぎ部分の損壊が大きくなり、揺れのエネルギーを緩和することになった。

 計算が外れたようだ。現実問題だと、どう外れるかがわからないのではあるが。

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2005.12.06

[書評]失敗の中にノウハウあり(邱永漢)

 絶版となったアマゾンの古書の価格を見ていると、昨今の古本屋というのは本の価値をよく知っているものだなと唖然とする。その背後にはブログなんかに出てくる気もない本の虫が五万といるのだろう。いや、ちょうど五万というくらいか。良い本は一万と売れない。十年かけて二千部も捌ける本が本当の本というものだろう…というような狂気に憑かれた出版の鬼というか編集の鬼がいて、こいつらもまだしばらく絶滅しそうにもない。てな余談でエントリを潰していくのもなんだが、「失敗の中にノウハウあり」(参照)の古書は二束三文で買える。こんな宝がずっしりつまっている本がハンバガーより安い。いや、そこに宝を見るのが難しいということかもしれない。

cover
失敗の中にノウハウあり
金儲けの神様が
儲けそこなった話
 邱永漢の本でおそらく読書人として読むべきは二冊しかないように思う。言うまでもなく「食は広州に在り(中公文庫)」(参照)は外せない。あと一冊は「わが青春の台湾 わが青春の香港」(参照)だろう。絶版になっているがプレミアはついてない。この本は、「失敗の中にノウハウあり」に近い内容になっているというか補う関係になっている。
 「失敗の中にノウハウあり」はある意味で標題通りの話で、邱永漢の金儲け失敗談がテンコモリになっていて、それはよい意味で笑いをもたらすものだ。他人の失敗というのは滑稽なもので傍から嘲笑っているのは愉快なものだ。が、そうして傍観者は人生の本質を失っていく。
 昨日ヒューザーの小嶋進のことを少し考えたあと、書架から本書をひっぱり出してみた。ある意味では似たような人生でもある。全然違うと言えばそうだし、時代も違う。しかし、カネが原因で生きるか死ぬかと追いつめられた経験は同じだろう。邱先生も五十を前に追いつめられた。

これで預かった保証金も返さなければならなくなるし、銀行から借りた建築費の返済もはたせなくなってしまう。ヨーロッパ旅行の楽しかった思い出はいっぺんに吹き飛んでしまい、生きた心地もしないままに羽田に戻った私は、妻の顔を見ると、「もうこのまま死んでしまいたい」と言った。すると、妻は私をにらみ返してきっぱりと言った。
「そのくらいのことが何ですか。お金には人間の生命を左右するだけの値打ちはありません」

 娑婆を眺めてみると、カネには人を殺すチカラがあると私は思う。カネに命は代えられないというのはきれい事でしかないこともあるなとも思う。だから話は邱先生はよき伴侶をもったという愛の物語かもしれないし、そういうふうにアジア人は近代を生きてきたとも言えないでもない。ただ、なんというか人生にはそういうふうにカネと命をじっと見つめるときはあるのだろう。マタイ書(6:23)の句は意外に難しい。

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、 あるいは、一方を親しんで他方をうとんじるからである。 あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

 「富」は原語を当たればわかるがマモンであり擬人化されている。日本風に言うならここには二つの神がいて、イエスの神はマモンという神に嫉妬をするのである。嫉妬こそユダヤ・キリスト教の神の本質である。そして、福音書をよく読めば富が忌避されているのでもないリアリズムを知る。イエスは天に宝を積めというが、人の心はカネのあるところに寄り添うようにできているのだから、それなら天にでも積むがよかろうという一種のユーモアもある。もっとも強欲な商人こそが神に近いといったホラ話のような笑話もある…笑話なんだよ。セム・ハムの古代世界は性と欲の笑いに満ちているものだ。
 邱永漢はクリスチャンではないが、福音書のイエスのユーモアはよくわかっていたようだ。その後、邱先生はまた富を回復した。が、こう思った。

 しかし、不動産でお金を儲けてみると、こんなことがはたして事業といえるのだろうかと私は疑った。銀行からお金を借りてきて、土地を買い、ビルを建てれば、黙っていても財産はふえる。プランをたてる段階で失策さえしなければ、億の金が簡単に儲かってしまうのである。
 一方で、大学を出て一生かかって仕事に励んでも家一軒建てるのに四苦八苦する。サラリーマ家業はお金にあまり縁がないとしても、自営商で喫茶店や町工場や床屋をやっている人でも朝から晩まで働きずくめに働いても、その日暮らしがやっとである。
 もし私が他の事業をやめて、不動産投資に専念していたら、多分、私はいまの十倍も百倍も財産家になっていただろう。しかし、あまり簡単にお金が儲かりすぎるのもよしあしで、他人の苦労もわからなくなるし、人生を見くびることにもなりかねないと、別の自分が自分を批判するのである。

 そして邱先生はその金儲けはやめて別のチャレンジと失敗の山を繰り返していった。死期を自分で決めていたようだがその後も生きて儲け物の人生のように活躍されている。

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2005.12.05

[書評]ヒューザーのNo.1戦略(鶴蒔靖夫)

 「ヒューザーのNo.1戦略 - 100m2超マンションへのこだわりが業界の常識を変える」(参照)をざっと読んだ。正直に言うのだが私はこの本に期待していなかった。駄本であろうと腹をくくっていた。が、面白かった。なかなか微妙な味わいがある。娑婆の底のほうを少しでも覗いたことのある人なら、どうしてもある種の共感を禁じ得ないものが確かにある。

cover
ヒューザーのNo.1戦略
100m2超マンションへの
こだわりが業界の
常識を変える
 言うまでもなく、ヒューザーは今話題の耐震偽装マンション問題の渦中のヒューザーであり、この本はヒューザーという企業のヨイショ本でもあるのだが、小嶋進の評伝とも言える。鶴蒔靖夫という年長のライターが書いたものだ。小嶋進自身によるとされる「ヒューザーの100m2超マンション物語―最新版 欧米型永住マンションの魅力 平均専有面積5年連続首都圏No.1ディベロッパーの社長が贈る」(参照)もあるようだが、アマゾンの素人評によれば「本の半分ほどが、ヒューザーのマンションを購入した人の体験談です。その他、よくわからない内容の章もあり、役に立つ内容は、総ページ数の半分もありません。」とのことだ。
 「ヒューザーのNo.1戦略」のほうは、読みやすくまとまっているし、小嶋進の語られる部分の人生が見える。それは、なんというか、人の人生のリアリティというのはそういうものだとしか言えないなにかでもある。

 小嶋進が生まれた宮城県加美郡色麻町は、仙台から北へ約三〇キロほど行ったところにある。典型的な農業の町で、「ササニシキ」や「ひとめぼれ」などを生産する宮城の穀倉地帯である。周辺には自衛隊の駐屯地もあり、最近では、沖縄の演習基地移転の候補地となって注目されたところである。
 小嶋が誕生したのは、終戦から八年が経ち、日本も戦後の混乱期から落ち着きを取り戻した昭和二十八(一九五三)年のことである。田園風景が広がる農村地帯で、小嶋は姉、兄、弟にはさまれた農家の次男坊として生まれ育った。

 そして彼は十歳のとき母親の実家に跡継ぎということで里子に出された。そして若い叔父・叔母にいじめれたと、進は語る。

「母親の実家であっても、人の家でタダ飯を食わせてもらうのは厳しいことだなあと思いました。いま思えば、小さいころからかわいそうだったんだなあ」

 学校での出来はよかったそうだ。将来の希望はと訊かれ、内閣総理大臣と言い続け、高校二年のときに思い切り先生に怒られた。物理学を学ぼうと東北大学を受験し浪人。その三ヶ月後に消火器のセールを始めて当時の四、五十万を得たという。ビジネスの才があるとしかいえないだろう。が、すぐに辞めた。職を転々とした。職がない現代ならニートであろうか。
 先物取引で阿漕な仕事もした。そのエピソードがナニ金のようでもある。

小嶋はある先輩から、損をさせた相手に「腹を切って詫びろ」と詰め寄られ、本当に切った痕を見せられたことがある。その先輩は「横に切る分には死なないんだ」と、平然といったという。

 そんな話ばかりではそれはそれで退屈なのだが、その後、小嶋は小さい不動産屋を興し成長させるが、乗っ取りの憂き目に会うや部下に騙されるやといった処世の濃いところによくある話が続く。小嶋はよく立ち上がっていく。すごいなと思う。私は立ち上がれなかった。
 平成十年でもまだ小嶋の人生は波乱が続いている。というかその年もどん底であった。が、手元にはまだ七億円残っていてそれで再起を願っていた。東京富士信用組合と東日本銀行のつてで融資はなんとかなることになった。このあたり、少し深読みができそうでもあるが。

 次はゼネコンとの取引をなんとかしなければならない。しかし、ハウジングセンターの仕事を受けたがるゼネコンは、見当たらない。
 どうしようかと思案しているとき、大型枠で工事をする建設会社のことを紹介する新聞記事が目にとまった。熊本の木村建設という会社は、通常二週間はかかるその作業を四日で仕上げてしまう。「これだ!」と思った。

 ここであなたが飯を吹き出してしまうとしたら私のエントリが拙いのである。人間とはそういうものだというか、そういう人間がいるのだというか、世間というものの味わいの深いところだ。
 かくして小嶋は木村建設と深い縁ができた。

そのときの縁がきっかけで、いまでも木村建設は私たちの会社の中堅施工会社として活躍してもらっています。
 そうこうしているうち、ほかのゼネコンさんとも少しずつ縁ができるようになってきました。

 そして、グランドステージ江戸川とグランドステージ糀谷に小嶋は賭けた。

これが失敗すれば、正真正銘の無一文となって倒産するしかないのである。
 圧倒的に不利な立地条件のなかで勝負するには、他社にはない物件をぶつけるしかない。

 これで起死回生かというとまるでNHK大阪のドラマかいなという展開がまだある。が、もういいだろう。ようやく安定したかに見えるのは、平成十二年ころであろうか。
 本書の終わり近くにこういうくだりがある。

 取材の最中、小嶋は「家というものは、本当のことをいって買うべきものではないと思うんです」と、デベロッパーとしては耳を疑うようなことをいったことがある。
 「考えてもみてください。人間の命というのは、生きていてもせいぜい百年ちょっとなのです。ところが土地のほうはどうですか。日本の土地だって何千万年前からずっとここにありつづけたものでしょう。
 一万年前、この土地は誰のものだったのですか? 誰のものでもなかったわけです。人間の歴史など、土地の歴史の歴史に比べたら、ほんのわずかなものです。
 この悠久の大地の歴史のなかで、わずか百年しか生きないのに、どうして細切れにしたものを売ったり買ったりしなくてはいけないのでしょう」

 ライターはこれを美談として書いたものでもないだろう。ライターの手法としては小嶋進という人間を描く素材とは思っただろうが、奇異な感じも受けたのではないだろうか。
 小嶋進が生まれた色麻町は坂上田村麻呂の伝説の土地である。田村麻呂は侵略者ではあるが温情の厚い人でもあったようでもある。そうでなければ土地が彼を祀ることはなかっただろう。そしてそのように祀り続けなければならぬ土地でもあったのだろう。

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2005.12.04

下校時の学童の安全はスクールバスを考慮すればいいのでは

 下校時の学童が狙われる痛ましい事件が目立つ。新聞社説なども取り上げているのだが、スクールバスの議論があまりないのはなぜだろうかと疑問に思った。チャーリーブラウン好きの私にしてみると、学童の通学イコールスクールバスというのはアメリカだけのこととも思えない。
 社説がまったくスクルールバスについて触れていないわけではない。昨日の朝日新聞社説”また女児殺害 大人が懸命に守らねば ”(参照)にはこうある。


 特に細心の注意をしなくてはいけないのは下校時である。今回の女児は防犯ブザーを持っていたが、被害を防ぐことができなかった。
 通学路が遠く、大人の目が届かない場合には、幼稚園や保育園で使われているような送迎バスを用意するなどの対策を取るべきだ。
 保護者の視線ではなく、犯人の視線に立って、子どもたちの通学路を再点検する。そのうえで、危なそうな通学路の要所要所に大人が立つ。そうした工夫が欠かせない。

 話が少しそれるが、防犯ブザーについては私はナンセンスではないかと思う。朝日新聞が「被害を防ぐことができなかった」と書くには、それなりの効果が警察や地方行政側から認定されていたのでなければおかしい。つまり、警告音の規格などがあるのか。実態はないのではないか。だとすればそんなもの初めから被害を防ぐものでもあるまい。そして、その話のついでにスクールバス(送迎バス)の話題が出るのだが、「通学路が遠く、大人の目が届かない場合には」という奇妙な留保がさらに付き、話はずるっと大人の目論に流れていく。
 この問題は大人の配慮といったマネージメント論的考えるのではなく、システム的にスクルーバスを導入したほうがいいと考えべきだと思うが、むしろ朝日新聞社説は、「それには及び腰なんだよ」というメッセージを出しているようにしか読めない。なぜなのか。
 今朝の日経社説”狙われる子供 皆で守ろう”(参照)には、スクールバスが出てきて当然の文脈に、すっぽりと、ない。

 警察庁は一昨年、15歳以下の子供の連れ去り事件の実態調査をした。犯行現場は半数以上が路上で、時間帯は登下校時が多かったという。最近の事件を見ても、まずここに手を打たなければならない。
 通行人の死角になる危険な場所や過去に犯罪が発生した地点をマークする「安全マップ」を通学路を子供と一緒に歩いて作ったり、地域のボランティアが登下校の「見守り活動」をしたり、赤色灯や警察署直通のインターホンといった「緊急通報システム」を備えたり……。手段がいくらでもあるわけではないが、各地で始めているこうした対策をまず広げていくことだ。
 子供たちの身の安全は、地域の大人が力を出し合わなければ守れるものではない、と再確認したい。

 私の偏見だろうか。そうした実態があるなら、道徳論とか奇手を考えるより、システム的にスクールバスを考えるべきではないのか。なにか規制でもあるのだろうか。
 世論的な要望はあると思う。たとえば、十一月二十八日の読売新聞大阪版に匿名のこういう投稿があった。

 我が家は学校から遠く、子供の足で40分かかります。帰宅時間を少し過ぎただけでも不安になり、迎えに出ます。娘が連れて行かれそうになってからは、しばらく学校近くまで迎えに行きましたが、仕事の都合もあり、毎日とはいきません。
 娘の件から1週間後、別の女児が被害に遭いかけました。学校は「変質者に注意して」と呼びかけましたが、心配でなりません。
 こういうことが起こる度、スクールバスを導入できないかと思います。現在、地域のスクールヘルパーさんが要所要所に立ってくれますが、そこを過ぎると見守る人がいません。海外では、スクールバスが当たり前のところもあるといいます。費用面で難しいのかもしれませんが、一番大切なのは子供の安全です。大人の都合ではありません。有料でも、利用したい人は多いのではないでしょうか。

 なぜ議論がくすぶる感じなのだろうか。
 背景がよくわからないので、少し調べてみると十年前のものだが気になる報道もあった。”自家用有料スクールバス“ノー”波紋 運送の対価なら幼稚園用も違法/運輸局”(読売新聞中部1994.4.3)より。

 愛知学泉大学(本部・愛知県岡崎市)が白ナンバーの自家用スクールバスを有料運行し、同県警豊田署から道路運送法違反の疑いで事情聴取を受けたが、これをきっかけに、愛知県下で運行されている私立幼稚園の通園バスでも、大半が有料運行している実態が浮かび上がってきた。中部運輸局は「運送の対価として収受すれば、違法となる」と主張、幼稚園側の困惑を呼んでいる。一方、同県私学振興室では、「園児の安全を考えれば通園バスは必要で、実費弁償的な料金は徴収するのがスジ」と実態を追認し、運輸局と真っ向から対立する見解。全国的にも同様の状態にあるとみられ、論議を呼びそうだ。

 というわけで、これは幼稚園児であり、白ナンバーでもあるということだが、「議論をよびそうだ」とあるわりに、その後の議論は聞いたこともない。あったのか。
 スクールバスの導入は現実的には白ナンバーとなるのではないかと思うので、こうした規制の実態と背景も知りたいとは思う。

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