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2005.11.12

一九二三年十一月十一日、二〇〇五年十一月十一日

 生涯を振り返って、その少年が忘れることができない一日となったのは、一九二三年の十一月十一日だった。誕生日を一週間後に控えた十三歳の少年は、奇しくも正確に八十二年後、死んだ。
 場所はウイーン。その日はオーストリア共和国の記念日だった。五年前、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝カール一世が退位し、以降共和制を祝う日となった。
 その日は市中の交通は止ることになっていた。街に行列が行き交うからだ。学生たちも行列を作り、赤旗を掲げ革命歌を歌った。その行列の先頭に少年がいた。が、少年はふと立ち止まった。行く手を遮る大きな水たまりを見たからだ。
 立ち止まったのは少年だけだった。行列は進み、彼はうしろに残された。なぜかもう行列に戻る気にはならなかった。
 その行き先にあるものを少年が直感したからではなかった。自分の人生はこれから始まる激動の時代を見つめる証人(bystander)になると感じたからだった。そしてそのとおりになった。長く生きて歴史を見つめた。
 激動の時代を見つ続けた彼は後に自分は作家(a writer)と呼ばれたいとも言った。生涯に二冊ほど小説を書いたが、それが彼を世界的に有名にしたものではなかった。小説は人の精神の苦悩を表現していたが、医学生として直接フロイトの講義を受けた母の気質も継いでいたかもしれない。
 少年の家はオーストリアということもあり音楽にも関係が深かった。祖母はシューマンの弟子でもあった。父はザルツブルク音楽祭の創始に関わる政府高官だった。オーストリアの豊かな感性は、変貌しつつあるドイツの世相を受け入れるはずもない。
 その日から四年後ギムナジウムを終え、青年となった彼はハンブルクの輸出会社で書記見習いとして働いたが、その間に書いた経済論文が注目され、その縁でオーストリア・エコノミストの編集長カール・ポランニと知り合い、その家族とも親交を深めた。ポランニの思想は青年の心に引き継がれていった。

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明日を支配するもの
21世紀の
マネジメント革命
 青年は実務をこなしつつフランクフルト大学から一九三一年、法学博士号も取得した。フランクフルト大学法学部で助手も勤めた。ケルン大学から教官の声もかかった。が、それにはのるわけにもいかなかった。時代は大きく人を押しつぶしつつあったからだ。彼は三三年、「フリードリヒ・ユリウス・シュタール論」(参照)を書き、追われた。ロンドンに逃れた。
 彼はそこで実務家として成功を感じ、そして苦悩した。最晩年の著作「明日を支配するもの」(参照)で彼は当時の自分をこう語っている。

よくできること、とくによくできること、おそろしくよくできることが、自らの価値観に合わない。世の中に貢献している実感がわかず、人生のすべて、あるいはその一部を割くに値しないと思えることがある。


 私自身も若い頃、成功していたことと、自らの価値観の違いに悩んだことがある。一九三〇年代の半ば、ロンドンの投資銀行で働き、順風満帆だった。強みを存分に発揮していた。しかし、資産管理では世の中に貢献しているという実感がなかった。
 私にとって価値あるものは、金ではなく人だった。金持ちになることに価値を見いだせなかった。大恐慌のさなかにあって、特に金があるわけでも、他に職があるわけでも、見通しがたっていたわけでもなかった。だが私は止めた。正しい行動だった。

 彼は経済記者となった。そのころ彼は恋もしていた。金よりも価値観を選ぶという情念は恋にブーストされていたのかもしれない。一九三七年、若き伴侶は物理学を専攻していた。そのころ彼女がメガネをしてたかについてはよくわからない。
 二人は新世界へ移った。
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「経済人」の終わり
全体主義はなぜ
生まれたか
 孔子曰く、三十に立つ。最初の主要著作「経済人の終わり」(参照)を彼は著した。そこには彼のそこまでの生涯の意味がこめられ、そしてその後の世界を正確に予言した。以下略。

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2005.11.11

[書評]心とは何か(吉本隆明)

 吉本隆明の講演集「心とは何か-心的現象論入門」(参照)は副題に「心的現象論入門」とあるが、これは吉本の心的現象論の入門という位置づけになると、おそらく弓立社の宮下和夫が考えたのだろう。ネットをうろついたら、その様子をうかがわせる話が「ほぼ日 担当編集者は知っている」(参照)にあった。


吉本さんの仕事を大きく分けると、3つになる。本筋は文芸批評家だが、「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論」という3つの大きな仕事がある。


『心とはなにか-心的現象論入門』は、この「心的現象論」の最良の入門書だ。どこをとっても面白い。吉本さんの本を読んだことのないひとでもおもしろく読めるはずだ。心というとらえどころのない対象が、こんなにはっきりと考えられるのか、という驚きと、それでもなお、果てしなく残る不可思議さ。

 優しい言葉のなかに宮下和夫の相貌のような気迫がこめられていると私は思う。この本を出すにはある種の執念を必要としたのだろう。

この本は、1994年に初校のゲラが出ながら今まで7年もかかった。その間、他の出版社から数十冊の本が出るのを見送ってきた。なぜ、吉本さんはこの本にこんなに時間をかけたんだろう?

 この問いかけの答えはほぼ日のサイトにはない。出版されたのは二〇〇一年。その七年近い日々の間、吉本は講演集をリライトしまくっていたかといえば、本書の後書きを読めばわかるようにそうではない。話し言葉のまどろこしさを開いた程度である。ではこの七年の時間とはなんだったか。
 私は、吉本の心的現象論の挫折がその理由であると思う。だが、それを言えばマルクスだって資本論に挫折したのだ。
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心とは何か
心的現象論入門
 吉本隆明がマルクス思想を継いで「心的現象論序説」(参照)の初版を北洋社から出したのが一九七一年。それ以降も、彼は彼が主催する雑誌「試行」に心的現象論を書き続けた。正確な日付の参照はできないが四半世紀に及ぶだろう。よってその総体は大部となるだろうが、その価値は(この極東ブログと同じように)、ただのゴミだろう。なにより失敗作であり、小林秀雄の失敗作「ベルクソン」(参照)のように復刻する意味もない、だろう。
 一九七一年は印象的な年でもある。いわゆる吉本シンパなり吉本隆明神話が形成されるのは一九六八年以降勁草書房から刊行された「吉本隆明全著作集全十五巻」によるのだが、その一九七三刊行の十巻目、思想論I「心的現象論I(書き下ろし)」は序説の別バージョンではないだろうか(この巻は私は持っていないのでわからない)。いずれにせよ、吉本シンパにとっても、心的現象論はその序説をもって終わり、「試行」の連載はいわば「情況への発言」のように終わりなき漫談といったふうに読まれていたのではないか。
 私が「試行」を購読し始めたころ、当時は紀伊国屋でバックナンバーが購入できたので正確にはいつだか忘れたが、八〇年代後半にはすでに、吉本の心的現象論は三木成夫からの決定的な影響下のもとに再編成が進んでいた。すでに序説との整合は俗流フロイト説を除けばどうつながるか理解不能だった、もっとも私が馬鹿なだけのかもしれないが。
 「試行」は一九九七年に廃刊となった。心的現象論漫談もそこで終わった。並行する吉本の思想深化は、これも書籍としては珍書と言ってもいい「母型論」(参照)に見られるのだが、さすがにこのエントリはそこまで触れない。
 二〇〇〇年を前にし、心的現象論の最終的なかたちは、だから、結局のところ、「心とは何か-心的現象論入門」しかないということを吉本隆明自身も諦めただろう。悪口で言えばこのころから吉本にも老境というにはボケも感じられる。本書の後書きもそうした趣きが漂っていて多少気味が悪い。つまり、吉本がこのゲラを数年して読み直し、これでよいとしているのである。

全体的に読みかえした感想をいえば、現在も持続して関心をもつ主題で、わたしの精いっぱいの考えが保存されていて、現在のわたしの水準として読者が考えていただいて一向に不服はない。

 本書は心的現象論入門ではなく、その最終の姿の近似と言ってもいいのだろう。
 その最終の姿とはなんだろうか。
 私は、三木成夫が胎児のなかに人間身体の発生の動的な構造原理を見いだしたように、それに対応する心的領域における動的な構造原理だろうと思う。が、その原理が本書で十分に描かれているわけではなく、三木成夫が胎児の時間に想定したものを吉本隆明は一歳児に投影しているのを予感するだけだ。私は、直感的には、その方向でよいのではないか、つまり、心的領域の構造生成は出産前数ヶ月から一歳くらいまでではないか、と思う。
 本書には、ずばり「三木成夫について」という章がある。三木成夫の「海・呼吸・古代形象-生命記憶と回想」(参照)の解説でもあるのでこちらの本を持っている人には不要かもしれない。この解説記事では、三木成夫の思想から吉本隆明の思想へすでに明確に一歩が踏み出されており、三木思想の忠実な解説というよりは、その発展になっている。が、それでも、三木成夫の思想に俗流オカルト的な解釈を読む人が多いなかで、吉本がいかにも理科系男らしく読み込んだ、その上質なサマリーとなっている。そして本書の他の部分はそれに呼応してはいる。
 結局、心とはなにか? 私のがさつな言葉でパラフレーズするのだが、心というものは、脳神経システムと肺という呼吸器システムの相克で生じるものだと理解したい。そして、この相克こそが、私が彼らの思想から私が受け取った部分なのだが、人の心に決定的なダイナミズムを与えている。
 彼らの思想にはないのだが、これに免疫のシステムが関与したとき、人の身心の病的な領域が、人の進化の必然とその途上性の可能性を示すものとして、現れるのだろうと思う。

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2005.11.10

[書評]胎児の世界(三木成夫)

 新書形式の「胎児の世界」(参照)をもって三木成夫の畢生の大作と言えば違うのだろうが、そう言たくなるほどのインパクトを持っている希有な書籍だ。思想家吉本隆明は晩年になって本書を初めとした三木の思想の直撃をくらい、心的現象論を大きく変えることになった。と、大上段に語ることもないか。普通のエッセイとして普通に読める本でもある。

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胎児の世界
人類の生命記憶
 内容は標題どおり「胎児の世界」である。受精し生命が誕生し母体のなかで人間になる過程を発生学の専門家である三木成夫が一般向けに語るのだが、その過程こそヘッケルが「個体発生は系統発生を繰り返す」としたように生命史が凝縮されてもいる。
 が、正確に言えば、不用意な誤解を招くのを避けるのなら、言うまでもなく、ヘッケルのこの命題は間違いであり、そのあたりはWikipediaのヘッケルの項目(参照)や同じく反復説の項目(参照)でも参照されればいいだろう。と読み返すに、なかなかギャグっぽいお話が掲載されている。

 しかし、現在でも大筋では認めることができるものと思われる。進化の過程を正確になぞるということは当然あり得ないが、それをごく単純化し、省略した形での反復までは認められると言ってよいだろう。おおよそ、初期段階であるほど、その省略が激しい。また、反復に近い形であっても、その構造が変化している場合も見られる。
 と、このように書けば、そこまで認めれば、どんな説だって認められるんじゃないか、とか言われそうな気もするが、実際そういう面もある。同じ内容も解釈次第、という場合もある。たとえば、ほ乳類の胚における鰓裂の形成に関しても、その部分から形成される諸器官の元基としてできるだけで、鰓を再現したものとは見なせない、との批判がある。
 ただ、一つには、生物学における法則は、大抵に於いてこんなものである。また、それを認めた上でも、発生の過程が進化をたどる形で行われることを認めることで、よく理解できる現象が多々あることも事実である。

 ようするに修辞を弄すればそういうことになる。問題は最初に結論を置きそれに修辞に逃げることではない。三木成夫のようにひたすら胎児に向き合うという奇妙な生き様があり、その結実が多少狂気を帯びた言説になったという、その意味をどう捕らえたらいいのかという課題だ。私たちもまた胎児を経て人間となったのであり、自分の身体的な根源が問われている。
 ま、通称「反復」と訳されるRecapitulationだが、大筋では生命史を反復していると言ってもいいだろうし、Wikipediaで自明のごとく捨てられるラマルキズムの用不用説も三木の弟子筋の西原克成などはある程度までだが実証的に覆しつつある、とまでは言えないが、そのあたりは「極東ブログ: [書評]内臓が生みだす心(西原克成)」(参照)で少し触れた。
 つまらぬ回り道が多くなったが、本書が読者に強いインパクトを与えるエピソードは、椰子の実のジュースと母乳の話だろう。三木は椰子の実のジュースを飲み、太古の記憶を呼び戻すように感じたという。もう一つは、彼の細君が授乳期に乳が張りすぎて痛いので吸って飲んだという話だ。
 椰子の実のジュースの話は本書でも少し触れているが三木が飲んだのは劣化していたのだろう。あれはほとんどただの水だ。人間の母乳の味については、たぶん、人に、特に男性に強くしかし語りがたいなにかを想起させるだろう。

 事は二番目の男の子が生まれて間もない赤ん坊のときに起こった。それは、親からうけた免疫抗体が切れる、そんなある日、突如として高熱を発し、まるっきり乳を飲まなくなるというところから始まったのである。当然、母親の乳房はおそろしい形相に怒張し、搾乳器もこわがって作動しなくなる。やむなく友人の小児科医に相談すると、それは亭主が吸うのだという。
 「なに?」こちらの肉体は、もちろんそういうこと拒絶する。考えてもみるがいい。哺乳動物の雄が授乳期の雌のからだに近寄り、しかもその哺乳のいあだに割って入る、などという光景があるのだろうか。母性はしかし、まことに広大無辺だ。そういった男性の思惑など、まるでひと飲みだ。あの深海性鮟鱇の矮雄の運命か。

 そんなこと考えるまでもないとツッコんでもいいだろうが、こうしたところに三木成夫らしい感性がある。知的にこうした事態から遠隔化しても、男の人生には母乳の味への奇妙な忌避と希求は伴うだろうし、それは無意識より身体の深い意識のなかでいつまでもしこり続けるだろう。世の中にはおっぱいの味を知っている男とそうでない男がいる。その違いは、ただの味の記憶というものだけではない。
 と、なかなか本書の本質は語りづらい。発生学的な観察記録には科学的な価値があっても、その考察はトンデモでしょと言ってもいいだろう。が、そのあたりから、乳の味を知る男とそうではない男の差のようなものが浮き出てくるようにも思われる。もっと言えば、鮟鱇の矮雄となる運命を知った男とそうではない男には、違いがある。

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2005.11.09

World 3.0 という雑想

 このところ一人ぼんやり虚空を見つめながら、なんどか思い、そして苛立つ。もうちょっとなんとかフォーマルに考えられないものか…。World 3.0 という雑想である。バージョン1の世界があり、バージョン2の世界がある。切れ目は、私にとっては明確である。カール・ポランニが「大転換」(参照)と呼んだそれだ。この本は実家に置いてきた。けっこう難解な本なので自分でも理解したとは思わない。代わりに書架にある、漫談風の高須賀義博の「マルクス経済学の解体と再生(御茶の水選書)」(参照)をぱらぱらとめくって読む。塩沢由典との対談などなんだか冗談のように面白い。オリジナルは一九八四年『思想の科学』に掲載されたもので、八四年は私などにはついこないだのようにも思うが、もう二十年経ったのか。


塩沢 高須賀さんは、「マルクス・ルネッサンス」を一九六八年パリの五月革命以降に顕著に見られるようになったマルクス経済学に対するアカデミズムからの妥協点としていますが、このとらえ方はかなり独自なものですね。今一度説明して下さい。
高須賀 (略)
 ベリー・アンダースンは、この五月革命は、実践と理論が分離していた西欧マルクス主義がそれを克服する「一つの底の深い歴史的転換点」とみています(『西欧マルクス主義』)が、この評価は少し甘すぎると思います。五月革命は本当の革命的実践に結びつかず、「マルクス・ルネッサンス」をもたらしたにすぎないというのがわたしの判定です。これは五月革命が「知性の反乱」であったことと関係しています。五月革命は現代社会の過剰抑圧に対する重大な異議申したてだったのですが、それはマルクーゼ的にいえば、革命の主体たるべき労働者階級が体制内化され「一元的人間」にされてしまった状況のもとで、社会的存在としては「遊民」である知識人や学生によって担われたものでした。(略)それゆえこれに対する体制(エスタブリッシュメント)側の対応は、マルクス主義に対するアカデミズムの妥協で足りたわけです。(略)

 今読むとギャグかよ、という感じもするし、「現代社会の過剰抑圧に対する重大な異議申したて」という問題意識はさらに悪化しただけではある。そして日本ではどうだったか。とりあえず苦笑して言葉が出てこない。

塩沢 シンポジウムのなかで「マルクス・ルネッサンスを担った人達は従来のマルクス主義者とは違う人達だ」といわれてますね。なぜ従来のマルクス主義者は新しい動きの蜷手になれなかったのでしょう。
高須賀 「マルクス・ルネッサンス」の特徴の一つは、マルクス解釈権が一党(一個人)によって独占されていたスターリン時代の一枚岩のマルクスが復活したのではなく、多様なマルクスが登場してきた点にあります。それゆえ思想的問題としての「マルクス・ルネッサンス」の焦点は、スターリン教条主義からの脱却にあります。一度でもスターリン主義にコミットしたものは厳しい自己清算を経ないと「マルクス・ルネッサンス」の担い手にはなれません。(略)

 ギャグだよなとさらに思う。スターリンの延長にレーニンをおいて共産党の名の変更を共産党の党首に求めるようなけたたましいギャグだってできないわけではない。高須賀自身はどう思っていたかしれないが、マルクス・ルネッサンスが遊民の知的お遊びであればその先にはなにもあるわけがないのだ。
 と、高須賀も、そして塩沢もというべきか、森嶋通夫的な数理モデルのなかにマルクスの再定義をとりあえず見たいと思っていたのだ、あの頃。しかし、この本にあるようにスラファの先から出てきたものは、サミュエルソンに言わせれば「剰余価値率がプラスであるのは利潤率がプラスの場合だけである」という、はいはいワロスワロスになっていった。その先は、私は知らない。あるとき、ぷっつりと関心が失せた。いや、高須賀がそっちの方向ではなく、貨幣という特殊商品についてどう思想を繋いでいくだろうか、十年してあるいは二十年して見てみたいものだとは思った。そして二十年は過ぎた。

 このように貨幣商品金は特殊な役割をもった例外商品であるがために、一般商品とは決定的に異なる。第一に、貨幣商品金は一般商品と同一基準で生産されるにもかかわらず、価格を持たない。第二に、一般商品は生産され、交換され、最後には消費されてその任を終わるのに対して、貨幣はあくまで市場にとどまる。第三に、一般商品とは異なって、貨幣は、資本主義の理念型においてすら、国家が深く関与する。価格標準の決定権と鋳造は国家主権に属し、信用制度は中央銀行を中核として整備され、中央銀行の政策には国家が影響を与える。

 ああ、そうだ。そして二十年して国家は超国家的な国家となり、国家の関与性に知識が忍び込んでその関与に知性をかさねた壮大な与太話が舞い飛ぶ。与太なんだから水でもぶっかけてやれとも思うが、なかなかね利口な装いとなっていて物言えばこちとらが馬鹿みたいだというか馬鹿なんだろう。でも、高須賀があげたこの奇怪な特性から私が目をそらすわけでもない、ロートルだし、俺。
 そして、ぼけきった自分が高須賀義博の「マルクス経済学の解体と再生」をつらつら読むに、ふと違った風景のようなものも見えてきた。高須賀は私が当時思っていたよりカール・ポランニに傾倒していたのだと思った。

『大転換』(一九五七年)におけるポランニーの優れた着想の一つは、資本主義の経済システムの自立性を擬制的であるとした点にある。彼によれば、経済システムは本来社会システムの下位に置かれねばならぬものであるのに、資本主義は経済システムのなかに社会システムが埋めこまれてしまうことを原理的に要請する社会である。これが完全に達成されれば、経済システムの自立性は社会構成原理として確立されるが、それは本来無理である。ここに彼は資本主義の歴史性あるいは過渡的な正確をみる。それゆえに資本主義は、彼が「社会的防衛の原理」と呼ぶ異質の原理を導入して変質してゆかざるをえない。

 まあ、そういうことだ。しかし、そうはならなかった。ポランニの弟子筋のドラッカーはたぶん、その原理性の一つに戦後日本の企業経営のようなモデルを夢想していた。そしてそこからさらにサードセクターと呼ぶ現代のNPOの原理性を問いつめていった、テクノロジーと市場を見つつ。しかし、それが、特異なローカルなモデルを除けば、うまく実を結んだようには見えない。それどこかその成功にはどこかしらカリスマを必要としているかに見えるのは不思議でもある。
 大転換、つまり、World 2.0 は経済システムのなかに社会システムを埋め込むことであった。そしてそれには、強く貨幣が関与し、そして貨幣は強く国家と国家を操作する知を求めた。そしてその知が知性たる高等遊民を、まるで火に集まる蛾のように集めても不思議ではない。しかし、遊民など無害だし、あらかじめ敗北が決められているようなという洒落にしてもそう外れでもない。
 問題は、むしろ、超国家的な国家と、超貨幣的な貨幣の運動だ。それは、どこに地球をもっていくのだろう。というポエムな響きからわかるように、私の話も与太な領域に入りつつある。そして、与太といえば、石油だろ、そりゃ。
 原油価格が上がった。理由は…以下略というくらいなものだ。奇怪なのは投機のスジだ。私はなんとなく四〇円以上は投機でしょと当初思っていた。ま、流れを見て五〇円くらいかな。でも七〇円とか六〇円とかは投機でしょとかは思う。よくわらんが。
 いずれにせよ、がぼがぽと無駄に儲けた金が世界にぶふっと溢れて、そしてどこへ行くのか、おーいである。答えは理念的には簡単だ。カネがカネを産むところへだ。というあたりで、途上国への投資とかとかとか思っていたのだが、あれだな、どうも高度資本主義の国に環流しているのだな。トンデモ? そうだったらいいだろう。高度資本主義の国がカネをもっと必要としているのだから、ジャブッと増やしてみたらみたいなリフレ派を世界規模でやってみましたということなんじゃないのか。
 というあたりで、どっかで World 3.0 になってしまったのか。いやいや、World 2.0 の奇妙なドンヅマリを見ているのか。さて。

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2005.11.08

[書評]ブータン仏教から見た日本仏教(今枝由郎)

 「ブータン仏教から見た日本仏教(NHKブックス)」(今枝由郎)は標題のとおり、ブータン仏教から日本の仏教はどう見えるかという話だ。

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ブータン仏教から見た
日本仏教
 ブータン仏教研究に半生を注いだこの分野の第一人者が、広義にとりあえずチベット仏教と言ってもいいブータン仏教と現在の日本の仏教を比較している。現状の日本仏教のわかりやすいモデルとしては玄侑宗久「私だけの仏教―あなただけの仏教入門(講談社プラスアルファ新書)」(参照)があげられている。
 私はこの本をさっと読んだとき、別にどってことない本だなと思った。日本の仏教と仏教という宗教についての私の考えは、すでにこのブログになんどか書いてきたが、基本的に私は日本の仏教には批判的だ。

  • 仏教入門その1(参照
  • 仏教入門その2(参照
  • 仏教入門その3(参照
  • 仏教入門その4(参照
  • 仏教入門おわり(補遺)(参照
  • 般若心経について(参照
  • [書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)(参照

 ざっと思い返すとそんなところか。私は日本の仏教に基本的には批判的でもあるので、今枝由郎「ブータン仏教から見た日本仏教」はむしろなじみやすかった。と同時に多少退屈な読書という感じもした。ブータンが抱える民族問題などに仏教の視点で触れてもよさそうなものだがとも思った(参照)。
 今枝は翻訳書の他に「ブータン―変貌するヒマラヤの仏教王国」(参照)や「ブータン中世史―ドゥク派政権の成立と変遷」(参照)など学術的な著作があり、また、写真解説といった趣きの「ブータンのツェチュ祭―神々との交感アジア民俗写真叢書」(参照)や「ブータン・風の祈り―ニマルン寺の祭りと信仰」(参照)がある。しかし、一般向けの書籍としては本書が初めてであり、出版社側がよく企画したようすも本書から伺える。
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悪魔祓い
 本書は一般書としては上田紀行の「がんばれ仏教(NHKブックス)」を意識しているが、それも企画側の意図とも共鳴することがあったのだろう。余談だが、上田紀行は彼が若い時代に書いた「悪魔祓い」(参照)が面白い。初版は「スリランカの悪魔祓い―イメージと癒しのコスモロジー」としたものだ。
 しかし、本書を再読して奇妙に印象が変わった。単純に言えば、私は親鸞を捨てることができるだろうか、という問いを自分に再度立ててみた。私は家の宗教ということを除けば、親鸞への関心は吉本隆明のそれに近い。広義に思想家としてもいい。その思想的な意義はどれほどのものだろうか、さっぱりと真宗の評価を下し、親鸞は別とするのか。親鸞もまた排せるものだろうか。今枝は本書でそれほど意気込みもなく、ブータン仏教との僧たちとの交流から真宗を抜け出しているように思えた。
 今枝由郎はフランス人である。仏教を学ぶためにフランスに渡り、フランス人となった。彼は大谷大学での思い出からこう語る。

 チベット語の稲葉先生が、二年生の夏休み前に、「本当にチベット語を勉強したかったら、まずはフランス語をしっかり勉強しないかん」とおっしゃった。その理由は、先生は第二外国語としてドイツ語を学ばれたが、晩年になって世界各地でのチベット研究の視察旅行に出られ、それまでまったく知らなかったフランスでのチベット研究が、世界の最高水準をいくものであることを発見された。

 仏教を学ぶならフランス、となった理由は簡単で、中国様がチベットの叡智を世界に散らしたからである。私は、訳書が多いこともあって、ダライラマ以外にチョギャム・トゥルンパ(「チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生」)やチューギャル・ナムカイ・ノルブ(「虹と水晶―チベット密教の瞑想修行」)などの本をよく読んだ。トゥルンパは英米圏、ナムカイ・ノルブはイタリアといったことから欧州におけるチベット仏教の状況はある程度知っていた。池澤夏樹が「異国の客: 024 川の風景、マニフ、記憶論とチベット」(参照)で次のように語るときも、特に違和感もなかった。。

 ここでチベット仏教という主題はどうだろうか。
 フランスでこの宗派に再会するとは思っていなかった。
 ぼくにとっては信仰ではなくまだ文化的な関心に過ぎないけれども、チベット仏教についてはこれまで多くの契機があった。
 北インドの山の中で開かれたカーラチャクラの大法会に2週間に亘って参加したこともあるし、ネパール国内にあって最もチベット的なムスタン王国にも行った。
 ダライラマ法王猊下にお目にかかったこともある。
『すばらしい新世界』という長篇では大事なテーマの一つだった。
 
 この因縁がフランスまで続いていた。
 ぼくが住んでいるこの家の家主のアンヌの夫はチベット文化の専門家で、今はオックスフォードでチベット学の講座を主宰している。

 余談ばかりのようだが、米国のAbout.comの仏教(参照)を見ても、禅を除けば、国際的には仏教は、かなりの部分がチベット的な仏教に親和的になってきているように思える。
 話を本書に戻す。再読して、二つのエピソードに心惹かれた。一つは、胎内仏である。私は奈良時代の文化が好きで二十代後半から三十代後半よく奈良を歩いたのでその仏像のいくつかが胎内仏を持つことを知っている。なので、それほど新味はなかったが、本書にはこういうエピソードがある。今枝がブータン高僧に日本の仏像を紹介したところ、「スンが奉納してあるか」と訊いたのだそうだ。

私はスンという言葉をそれまで聞いたことがなかったので、問い返すと、チベット系の仏教の伝統では仏像のなかには、仏とその教えを象徴する仏舎利とか教典を収めることになっており、それをスンと総称する、とのことであった。

 その仏像には当然、スンはない。今枝はしかし、この仏像はとても有名な彫刻家によると高僧に語ると、「それではこれは仏像ではなく、たんなる木と変わらない」とそっけなく答えたそうだ。それはそうだろう。
 もう一つのエピソード。今枝が日本人の知人の十三回忌の話をブータン僧にしたところ、僧はこう答えた。「あの人は、そんなに悪い人とは思えなかったが、なにか重大な悪業でも犯していたのか。」
 チベット仏教でもその延長の三島由紀夫のコスモロジーでもそうだが、人は死後四十九日をもって転生する。何十年も冥土に置かれて冥福を祈られるものでもない。
 いや、おそらく日本人にとって冥土とは黄泉の世界であろうし、仏教とは異質な宗教ではあったのだろう。それが神道かといえばまたややこしい話にはなる。

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2005.11.07

フランスの暴動について簡単な印象

 フランスの暴動について簡単な印象を手短に書いておくのも同時代資料的なブログの意味かもしれない。事件の発端は、先月二十七日パリ郊外セーヌ・サンドニ県で、強盗事件捜査中の警官に追跡されたアフリカ系未成年二人が変電所に逃げ込み感電死したこと。その翌日二十八日、サルコジ内相が二人は追跡されてなかったと表明したことにアフリカ系移民社会が反発し、同日金曜日の夜から移民社会の、主に未成年による暴動が始まった。休日を挟み、十一月の一週には収束すると見られていた暴動は今なお継続して世界的な関心をひく事態となった。しかし、暴動による死者はまだ出ていないようだ。
 私は当初それほどたいした事件ではないと思っていた。現在日本人は各国で暮らしており現地からのブログを読むこともできるからだ。そうした一例として、ブログ「ujuの日常」の七日付けエントリ”パリ郊外の暴動”(参照)ではバリの状況をこう記していた。


とりあえず、私は今パリ市内に住んでいて何の問題もないです。
今日も彼とメトロに乗り、ちょっと遠くまで出かけていましたが
普通のいつもの日曜日と変わりはなかったです。
それでも
いつどこで何が起きるか分からない今の状況
ちょっと不安だったりするのは事実です。

 生活者の視点としては、パリの日常も東京のそれとあまり変わらないではないかという印象を持った。まず、メディアによる情報が先行しているが、暴動自体は極めてローカルな連鎖のようだ。
 暴動の進展につれ、私は過去二つの暴動に思いを巡らした。一つは一九九二年のロサンゼルス暴動(参照)。そして、もう一つは同じくフランスで一九六八年に起きた通称「五月革命」(参照)である。
 ロサンゼルス暴動の連想は人種差別と社会的な憎悪の蓄積が引き金となった点である。今回の暴動はこれに近いのではないかと当初私は思っていたので、偶発的でもあり早晩収束するだろうと見ていた。しかし、そうではなかった。では、ミシェル・フーコーなども関わった五月革命的なものだろうか。しかし、今回は目立った知識人の関与はなく思想性も伺えない。ただ、これだけ長期化するには、火炎瓶などを継続的に作成する必要があり、そのあたりに下準備があったのではないかという疑問はもった。一部報道ではそうした準備も指摘されている。例えば、”仏暴動:パリ南部で火炎瓶製造工場発見 背後組織を捜査”(参照)にはこうある。

北アフリカ系を中心とする若者による暴動を捜査しているフランス警察当局は5日夜から6日未明にかけ、パリ南部エブリの廃虚ビルの中で、火炎瓶製造工場を発見し、火炎瓶50本と、ガソリンを詰める前の瓶100本以上を押収した。


 ただし、仏警察はこれまでの逮捕者の調べなどから、暴動について単一のグループが全体を指示している形跡は薄く、各地の別のグループが他地域での暴動を「模倣」する形で広がっていると見ている

 暴動はそれほど偶発的ではないのかもしれない。現状では扇動するような背後組織についてはなんとも言えないが、ありそうな印象はある。
 フランスの暴動について報道は各メディアを通して行われていたが、解決策への示唆を含む論調のものはあまりなかったように思う。そのなかで英国のガーディアンが左翼っぽく、差別解消、反サルコジといったトーンを出していたように思えた。が、特に見るべき内容でもなかった。国内ニュースでは毎日新聞”仏暴動:移民若年層、差別に怒り 疎外感が過激化招く”(参照)がそうしたトーンに近い。

 暴動がこれほどまでに拡大した背景には、治安維持を優先するサルコジ内相の強硬路線に対する反発だけでなく、就職、家探しなど日々の暮らしの中で移民が直面する差別への怒りがある。さらに、仏社会に溶け込めない一部移民は大都市郊外などで一種の「ゲットー」を形成しており、社会からの疎外感が若者の過激化を招いている。

 こうした論調を否定はしないがタメにする議論のようでもある。むしろ同記事で重要なのは暴動の主体だ。

 今回、暴徒化した若者の多くは、高度成長期のフランスに北アフリカなどから両親が移り住んだ移民の2世、3世だ。

 端的に言えば、暴動の主体は紛う方なき歴としたフランス人なのである。言語的にもカルチャー的にもフランスに違和感をもって育った人ではない。暴徒の行動原理は一義的にはフランス人のそれであると理解していいだろうと私は思う。つまり、移民が問題の根幹にあるのではなく、ある問題が移民に投影された問題と理解したい。また、彼らの大半は未成年でもあり、大枠では、思想性もない、ありふれたお子ちゃまの大暴れという認識に留まるだろう。
 暴動の別側面だが、「極東ブログ: シラク大統領の次はサルコジ大統領」(参照)でも触れたサルコジだが、今回の暴動は結果的に彼を追い落とすという流れになるだろうかということが気になった。しかし、最新の報道では、読売新聞”仏暴動、発砲で警官ら30人負傷…大統領が緊急会議”(参照)にあるように、シラク大統領も表面に出てきたようなので、そのあたりの面々の泥の被り方が見ものである。
 今後の動向だが、暴動はいずれ一段落した後、今回の暴動を嫌悪した右傾化の度合いが深まるのだろうと思う。関連の話はいくつかこのブログにも書いたが、「極東ブログ: 親日家ブリュノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch)発言の波紋」(参照)あたりが気になる。

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2005.11.06

シリアスなシリアの状況

 国内ではイラクほどには注目されてないような印象も受けるが、ここらでちょっとシリアスなシリアの話でしょう。十月三十一日の安保理で、シリアに向け、ハリリ元レバノン首相暗殺事件に関する決議が採択された。じゃシリアへドカンと一発も経済制裁もない。そりゃない。決議はシリアに対して国連の独立調査委員会に無条件に協力(妨害中止)することを求めるというもの。これには被疑者の拘束や資産凍結を含む。全会一致の採択となった。中露も賛成したのは米英仏が折れたため。決議にシリアが抵抗し国際調査委員会への協力を拒否すると、「さらなる措置」とかでチェックメイトになるかもだが、私の印象ではステイルメイトか。
 暗殺されたハリリ元レバノン首相は在任時レバノンに威圧的に駐留するシリア軍の撤退を主張し、シリアと親シリア派のラフード大統領と対立。結果、昨年十月に辞任し、今年二月に無惨な最期を迎えた。誰がやったのか真相はわからないが、対立していたシリアでしょという気運は「国際世界」にはあった。またか君か的である。シリアによって暗殺されたと見られるレバノン要人は既に二十人以上にのぼる。今回は駄目押しのように独立調査委報告書が出てシリアとレバノンの治安機関などの関与が指摘された。シリアのアサド大統領の実弟(四男)マーヘル・アサドや義兄(姉の夫)アーセフ・シャウカトなどシリア軍の要人も事件に関与したとされている。が、その名前を掲げた証言は最終版では「高官」の表現となり実名は消された。国連の聴取中シリアのカナン内相が自殺したとされているがそのあたりもきな臭い。
 今回の決議採択についてワシントンポスト(参照)とニューヨークタイムズ(参照)は仲良く「ええんでねえの」的に意見を一にしているのだが、私はどうも解せない。もちろんシリア内に以前からレバノンのうるさいやつはやっとけ組織が存在していた。その関与がないわけもないだろう。だが、シリアの国策としてこんなことをやったのだろうか。やったらどうなるかくらいわかんないのがシリア・クオリティなのかどうも私には信じがたい。とはいえ、この先は疑惑の「宇」宙が開けてようでもあり、なんともな。
 大枠で見ると、まず、米国とシリアの関係というのはなかなか微妙なものである。このあたりは、以前にも少し触れた。例えば、「レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える(2004.9.3)」(参照)や「極東ブログ: シリア制裁発動(2004.5.12)」(参照)など。
 アメリカの本音としては、もちろんなにかと強面だが、実際は中道化を狙っているんじゃないの的ブッシュ政権はシリアを孤立させるだけでよしとしているのではないか。大統領とはいえ浮き世の義理の世襲王アサド(参照)は筋金入りのヘタレだしスンニ派の嫁ももろたりと世俗的でもある。立てといて悪くない。それにマジでシリアとレバノンをボロボロにしたらイスラエルまで飛び火する。そこまで米国がするだろうか。
 おりしも、在イラク米軍はシリア国境を固めつつある。


 イラク西部フサイバ(CNN) イラク駐留米軍は5日、シリア国境に近いフサイバ市で、外国人戦闘員も交じる武装勢力を掃討する大規模作戦「鋼鉄のカーテン」を同日早朝、開始した、と述べた。海兵隊、海軍、陸軍などの米兵約3000人、イラク軍550人を投入している。
 武装勢力は、路上爆弾、自動車爆弾など使い、散発的に抵抗している模様。近隣地区では、武装勢力の最後の拠点ともみなされている。米軍は、フサイバ市は武装勢力の作戦の指揮センターで、イラク各地へ戦闘員を送り出す中心地ともみている。

 イラクに入り込むシリア側の武装勢力を押さえ込むということもあるだろうが、シリアへの威嚇もあるのだろう。

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