« 2005年10月9日 - 2005年10月15日 | トップページ | 2005年10月23日 - 2005年10月29日 »

2005.10.22

情熱の赤いバ■、そしてジェラシー♪

 世間では大して話題にもならない些細なことがネットの一部では盛り上がることがある。今回はというと、フジ産経グループのタブロイド紙夕刊フジの記事”朝日新聞、靖国問題で社内乱闘”(2005.10.21)だ。ネットではZAKZAK(参照)に掲載されている。話は、朝日新聞社内で、小泉首相の靖国神社参拝の世論調査をまとめるにあたり、二人の社員の意見の衝突から警察沙汰の暴力事件が起きたというのだ。


 朝日本社で「真昼の決闘」-。小泉純一郎首相(63)の靖国神社参拝をめぐり、朝日新聞社員2人が激論の末、むなぐらをつかみ殴りかかるなどの大ゲンカに発展。暴行を受けて負傷した社員が、社内から110番通報し、警視庁築地署の署員が駆けつける騒ぎとなっていたことが21日、発覚した。不祥事続きの朝日は夕刊フジの取材に事実関係を一部認めたものの、「被害が軽微」と詳細には口をつぐんでいる。社員の一人は全治10日間のけがを負っており、立派な傷害事件なのだが…。

 朝日新聞嫌いの人間にしてみると愉快なネタなのだが、現状のところ夕刊フジ以外からの情報はない。2ちゃんねるをちょっと覗いてみたら案の定祭っぽくなっているがざっと見るにタレコミ情報もない。吉本芸人築地をどりワッチャー勝Pがなんか言っているかなと、うざい中国製スパイウェアが仕掛けてあるサイトを覗いたが、スルーのようだ。
 夕刊フジの記事も読めばわかるが重要な事実関係についてはわざとぼかしているし、兄貴分の産経新聞もこのネタは食ってない。
 というわけで、まったくのデマではないけどフカシっぽい話といったところ。来週の新潮・文春のフォローがあるかが気になる。
 私にも追加のネタがあるわけでもない。が、真相や背景は多少気になるので愚考してみようというか愚考に適する話題である。
 まいどながら気になるのは事実関係である。夕刊フジしか現状ソースはない。

 築地署の調べによると、今月18日午前10時50分ごろ、「暴行された」と東京・築地にある朝日新聞東京本社から110番通報があった。
 通報したのは、同社総合研究本部世論調査部に所属する30代の男性社員で、同部に所属する40代男性社員と前日に小泉首相が靖国参拝したことの是非を問う世論調査の結果を話し合っていた。


 40代社員は激怒し、30代社員に体当たりや胸ぐらをつかむなどして暴行を加えた。さらに、30代社員が携帯電話で110番通報しようとしたところ、40代社員が携帯を奪い取り、真っ二つに破壊したという。一連の暴行で30代社員は腰に10日間のけがを負った。

 まず時系列を整理したいのだが、「前日に小泉首相が靖国参拝したことの是非を問う世論調査の結果を話し合っていた」というくだりについて、「前日」は「参拝した」にかかると読み、「話し合っていた」にはかからないと読むのが自然だろう。時系列整理にあたっては、十九日付け朝日新聞も参考にした。

  1. 十七日午前、小泉首相が靖国神社参拝。
  2. 十七日、朝日新聞社が世論調査を企図(準備不十分だったのではないか)。
  3. 十七日夜から十八日にかけて電話による世論調査を実施。
  4. 十八日朝、四十男と三十男が結果についての激論。
  5. 十八日朝、四十男が三十男に暴行。三十男、腰に10日間のけが。
  6. 十八日朝、三十男が携帯電話で110番通報しようとしたところ四十男がそれを奪い破壊。
  7. 十八日一〇時五〇分ごろ、被害の三十男が朝日新聞東京本社から110番通報。
  8. 十八日昼飯前、通報を受けた警視庁築地署の署員が朝日新聞社へ駆けつける。被害届はなし。
  9. 十八日午後から夜、朝日新聞社で、世論調査結果と解説記事を入稿。
  10. 十九日、朝日新聞朝刊に、世論調査結果と解説記事が掲載。
  11. 二十一日午前、事件発覚。
  12. 二十一日午前、夕刊フジ、朝日新聞社を取材。
  13. 二十一日、午前、夕刊フジの記事入稿。
  14. 二十一日、午後、夕刊フジに同事件の記事が掲載。

 不明な点はこうだ。

  • 口論の内容や対立のポジションはどうだったか。
  • 暴行の実態。なぜ腰に怪我なのか。
  • 三十男の携帯電話による110番通報は成功したか。あるいはその後の通報か。
  • 朝日新聞社内ではどのような対処をしたか。

 三十男と四十男のプロファイルはこう。

三十男
朝日新聞社総合研究本部世論調査部に所属。
四十男
政治部出身。朝日新聞社総合研究本部世論調査部に所属。「記者」から「部員」へ格落ち。後輩は「非常に温厚な人。酒を飲んでもそのようなことをする人ではない」と言う。

 まず私の感想。
 こうした会社内の暴力沙汰というのはごく普通のことだし、十年も会社員経験のある人なら一度か二度くらいは経験しているのではないか。例えば、情報紙「ストレイ・ドッグ」(山岡俊介取材メモ)の”暴行を働き、辞職していたテレ朝政治部長”(参照)ではテレビ朝日で起きた暴行事件をこう記している。

 テレビ朝日のS前政治部長が昨年末、途中退社していたことが判明した。
 関係者の証言によれば、本当の退社理由は暴行を働いた結果というから穏やかではない。
「昨年10月、身内の酒の席で、時事通信社から転職して来た政治部の部下を、仲間の見ている前で、“生意気だ!”とぶん殴ったんです。もともと酒乱の気があったとはいえ、今日日、例え仲間内でも暴力沙汰は許されることではないですからね」


「N報道局長が仲介に入り、一度は慰留に務めたんです。しかし、殴られた部下が逆に、“こんな会社にいられるか!!”と辞職しようとし、いくら何でも被害者の方が辞職では示しがつかないということで、部長には表向きは早期退職に応じたというかたちを取って辞めてもらったんです」(前出・関係者)

 今回の朝日新聞社の事件に似ている構図もあるが、なにも「朝日」という共通項ではなく、こんなことは世間一般よくある普通のことだ。テレ朝暴力事件でもそうだが、こうしたケースでは警察通報などはしない。内部できちんともみ消すものだ。
 むしろ、朝日新聞内暴行事件で特記されるべきは、なぜ三十男が警察通報したのかという点にあり、ざっくばらんに言えば、それは社会人としてあまりに非常識。くどいが、大人なら、この事件を聞いて三十男を責める思いが去来するだろうが、昨今の世相では口にはしないだろう。私もしない。
 朝日新聞内暴行事件でそこがイレギュラーだったのはなぜか。警察を必要とするほど身の危険を感じたかといえば、常識的に考えてもそうではないだろう。逃げるなり、大声を出すなりして人を呼べばいい程度だ。しかし、実際はそうしなかった。三十男としては自分の正統性を朝日新聞社を越えて訴えたい、もみ消して欲しくない、という意思があったと解すべきだ。
 そのあたりの三十男の心情はテレ朝内暴行事件の「殴られた部下が逆に、“こんな会社にいられるか!!”と辞職しようと」に共通する。
 であればなおさら朝日新聞社としても、この部下を押さえ込むのが、事後ながら正しいマネージメントであり、恐らくそれはすでに成立しているのではないか。つまり、終わった問題だ。夕刊フジの出遅れリーク感などからも朝日新聞社と警察では手打ちが済んでいるのだろう。
 次に三十男と四十男の対立の構図はなんだったかが気になる。前提としては、常識としてだが、暴力に至るのはその背景に怨恨など感情の累積があるものだ。それに日頃対処できない朝日新聞社という会社の現状の問題はある。が、とりあえず当面の対立に絞りたい。
 夕刊フジの誘導的な記事や十九日付けの朝日新聞記事のトーンからしても、朝日新聞社の世論調査の結果は、朝日新聞の旧来の主張からすると気まずいものだった。なのでそこが争点であることは間違いないだろう。
 この調査結果を元に社会科学的に妥当な記事を書けば朝日新聞の主張の敗北を意味することになりかねない。とすれば、この構図では、三十男が妥当な解釈をしようとしたのに、四十男がそれを阻んだ、ということではあるだろう。逆上した四十男が朝日新聞政治部出身ということも、そう考える理由の一つにはなる。
 一連のリザルトとも言える十九日の記事も見ておこう。記事は”首相靖国参拝、賛否は二分 中韓との関係「心配」65%”(参照)としてネットでも現状閲覧できる。紙面では一面掲載、トップ記事であった。

小泉首相が靖国神社を参拝した直後の17日夜から18日にかけて、朝日新聞社は緊急の全国世論調査(電話)を実施した。首相が参拝したことを「よかった」とする人は42%、「参拝するべきではなかった」は41%で、賛否が二分された。参拝に対し中国、韓国は反発を強めているが、両国との関係悪化を「大いに」「ある程度」心配している人は合わせて65%に上った。両国の反発を政府が「重く受け止めるべきだ」とした人も53%いた。参拝の評価が割れる一方で、周辺国への配慮を重視する意見の強いことが改めて示された。

 記事に明白な嘘はないものの、大学生の学部レベルのレポートですらボツでしょのお笑いもの、というか、現実認識のゆがみを風流として楽しむしかないシロモノなのだが、このホゲな味わいは、質問と回答の内実があると深まる。
 というわけで、四面に掲載された質問と回答の概要を以下に転載する。朝日新聞(2005.10.19)13版4面より。

質問と回答
(数字は%。小数点以下は四捨五入。質問文と回答は一部省略。かっこ内は9月12日、13日の調査結果)
◆小泉内閣を支持しますか。支持しませんか。
 支持する 55(55)
 支持しない 30(30)
◆いま、どの政党を支持していますか。
 自民党 42(43)
 民主党 16(19)
 公明党 4(5)
 共産党 2(3)
 社民党 2(2)
 国民新党 0(0)
 新党日本 0(0)
 自由連合 0(0)
 その他の政党 0(1)
 支持政党なし 30(23)
 答えない・わからない 4(4)
◆小泉首相は17日、靖国神社に参拝しました。あなたは、首相が参拝したことはよかったと思いますか。参拝するべきではなかったと思いますか。
 参拝したことはよかった 42
 参拝するべきではなかった 41
◇(「参拝したことはよかった」と答えた42%の人に)どういうわけで、そう思いますか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)
 戦死者への慰霊になるから 16
 平和の誓いになるから 7
 小泉首相の信念だから 8
 外国に言われてやめるのはおかしいから 10
◇(「参拝したことはよかった」と答えた42%の人に)小泉首相は今回、本殿にはあがらないで手前の拝殿で礼をしてさい銭を投じ、玉串料の代わりに払ってきた献花料も払いませんでした。あなたは、これまでより簡略化した参拝の仕方を評価しますか。評価しませんか。
 評価する 27
 評価しない 9
◇(「参拝するべきでなかった」と答えた41%の人に)どういうわけでそう思いますか(択一)
 軍国主義の美化になるから 2
 憲法が禁止する宗教的活動にあたるから 4
 A級戦犯がまつられているから 5
 周辺諸国への配慮が必要だから 28
◆小泉首相は参拝について「二度と戦争はしない決意を表明した」「総理大臣としてではなく、ひとりの国民として参拝した」などと説明しています。この説明に納得できますか。納得できませんか。
 納得できる 46
 納得できない 45
◆小泉首相の今回の靖国参拝に対し、中国や韓国は反発を強めています。政府は中国や韓国の反発を重く受け止めるべきだと思いますか。それほどのことではないと思いますか。
 重く受け止めるべきだ 53
 それほどのことではない 35
◆今回の靖国参拝で、中国や韓国との関係が悪化することを、どの程度心配していますか。(択一)
 大いに心配している 17
 ある程度心配している 48
 あまり心配していない 28
 全く心配していない 6
◆過去の戦争で亡くなった人々を追悼するために、宗教とかかわりのない新たな国立の施設をつくるという考えに、賛成ですか。反対ですか。
 賛成 51
 反対 28

調査方法 17、18の両日、全国の有権者を対象に「朝日RDD」方式で電話調査をした。対象者の選び方は無作為3段抽出法。有効回答数は978人。回答率は50%。

cover
「社会調査」のウソ
リサーチ・リテラシー
のすすめ
 世論調査で一番の基本となる有効回答数と回答率だが、意外なほど少ないという印象を私はもった。他は、常識のある人なら読めばわかるが、誘導のテンコモリ。しかもそれがかなり誤爆しているところに風情がある。
 いろいろ解釈もできるが、なんというか、出来の悪いレポートに評を書くのも野暮ではあるので省略。
 それでも、ネットやブログなので熱く論じられる「憲法が禁止する宗教的活動」「A級戦犯合祀」「軍国主義の美化」といった諸点は、この世論調査を真に受けても、国民の一割程度。なので、そんな話題は、つまらないな、と言ってもいい時代になった。
 反面、普通の日本人の多くには、特定アジアへの心配りも忘れずにという優しい心根があることもわかる。そうした妥協点からすれば、ポスト小泉では、非宗教の国立追悼施設が落とし所ということなのだろう。

| | コメント (11) | トラックバック (2)

2005.10.21

ベネズエラ近況

 ベネズエラについて昨今気になる話題のメモ。というわけで、突っ込むとなにかと複雑なベネズエラなので、さくさくと話を進める。話題の中心は、ベネズエラがいわゆる「核の平和利用」とやらに乗り出し、原子力発電所建設を進めようとしていることだ。私が最初に目にしたのは、今月の初め。読売新聞十月七日付けの記事”チャベス・ベネズエラ大統領、また米挑発 核の平和利用に関心、イラン訪問意向”を見るとこうある。


 2日に放映された国営テレビの番組で明らかにしたもので、「ブラジルやアルゼンチンが進める核の研究は正当だ。我々も平和利用を目的とした核エネルギー研究に着手しつつある」と述べた。核開発への関心がどこまであるのか真意は不明だが、ブッシュ米大統領をさらに刺激するのは間違いない。

 この時点では、チャベス大統領にありがちなフカシかなという感じだったが、その後の流れを見ているとそうとも言えないようだ。十七日付AFP”ベネズエラが核技術取得模索=数カ国に接触―米紙”(参照)ではワシントンポストの孫引きでこう伝えた。

【ワシントン17日】米紙ワシントン・タイムズは、ベネズエラ政府が核技術を取得するため、数カ国と接触したと報じた。米政府当局者は、ベネズエラのチャベス大統領(写真)が核兵器開発計画に乗り出す可能性もあるとして、懸念を強めている。

 フカシとか洒落のレベルではないようだ。同記事では、チャベス大統領を次のように的確に表現してもいる。

チャベス大統領は反米スローガンを公然と唱えるポピュリストで、軍備の増強を図っている。米当局者は「チャベスは何でもほしがる。そのための資金も持っている。新しい戦闘機も、人工衛星もほしがっている」と述べた。

 資金というのはオイルマネーだ。石油価格高騰のおかげである。面白いことにと言っていいのか、ご近所ということもあってベネズエラの総石油輸出量の約六十五%は米国向け。米国側にするとベネズエラからの石油が総石油輸入量の約十五%にもなる。数値上は、日本、朝鮮、中国のように仲良くやってくれだが、難問解決!ご近所の底力とはいかない。九月末には、米国が「ベネズエラ侵攻」を計画しているというデマのような変なニュースもあった。ちなみに九月三十日付け”米大使が反論、ベネズエラ大統領主張の侵攻計画で”(参照)とか。

ベネズエラ・カラカス――反米姿勢を強める南米ベネズエラのチャベス大統領が9月中旬、米テレビとの会見で、米国が「ベネズエラ侵攻」を計画していることを示す「文書の証拠」を入手している、と主張した問題で、同国駐在のウィリアム・ブラウンフィールド米大使は29日、そのような計画は存在しない、と反論した。記者団に語った。

 妄想じみているとか思うのはチャベス大統領と南米の情熱を知らない日本人ということで、彼は独裁の金ちゃんとも仲良くしている。九月三十日付け読売新聞”ベネズエラ、北朝鮮と関係強化合意 米との対決姿勢エスカレート”によればこうだ。

 世界第5の石油輸出国・ベネズエラのイサラ外務次官は28日、同国を訪問中の北朝鮮の楊亨燮(ヤンヒョンソプ)・最高人民会議常任副委員長と会談し、大使館の相互開設など関係強化を目指すことで合意した。また、エネルギー支援などについても協議した。
 ベネズエラのチャベス大統領は、ブッシュ米政権への対決姿勢を先鋭化させており、実際に原油支援などに踏み切り、北朝鮮と接近する事態となれば、ブッシュ大統領の神経をさらに逆なですることは間違いない。
 ベネズエラからの報道によると、楊副委員長は会談後、「大使館の開設は両国関係をさらに強固とするだろう」と述べた。エネルギー協力にも関心を示した。また、ベネズエラは来年1月に平壌に大使館を開設する方針という。

 北朝鮮とベネズエラ、それとイランもなのだが、この三人組仲良く「熊x栗x淳也のないしょ話」(参照)のように目立ったところでないしょ話を始めつつある。話題は、出会い系の話といった仲良きことは美しきかなというのではなく、もっとハードに核問題に直結していきそうだ。
 九日付けロイター”Venezuela wants Argentine nuclear reactor - paper”(参照)というふうに具体的なフカシのようなものも見え始めた。

Venezuela has asked to buy a nuclear reactor from Argentina in a request being handled like a "hot potato" in Buenos Aires because of leftist President Hugo Chavez's clashes with Washington, a newspaper reported on Sunday.

 こうしたチャベス大統領の情熱の行方をどう捕らえるべきか。ここは彼らの平和志向という言葉を信じて温かく見守っていこうというのが平和を愛する日本人であるみたいなボケを朝Pが言い出す…わきゃないよなと思うでしょ。言ってら。四日付け”【経済】石油と医者の交換も 山田 厚史(編集委員)”(参照)。

 「ベネズエラとキューバが石油と医者を交換しているのを知ってる?」
 中南米から飛んできた友人が原油問題を語りながらそう言った。
 ベネズエラは中南米最大の産油国。最大の輸出相手は米国だが、反米姿勢を強めているチャベス大統領はキューバのカストロ首相との連携を深めている。原油や石油製品を低価格でキューバに提供し、見返りに医師を派遣してもらっている、という。
 「米国メディアはチャベスを悪く書くけど、国民にはすごく人気がある」
 ベルギー人の彼は米国からの風圧に立ち向かう中南米の指導者に同情的だ。
 石油は紛争のタネや金儲(もう)けの道具になりがちだが、ベネズエラでは貧者のためにも使われているという。

 この段落の先も面白い怪電波を出しているが、世界情勢を読み解く上ではただのゴミなので、次行ってみよう、だが。さて、こうした事態をどう考えるか。
 というまでもなく、チャベス大統領下の原発なんて冗談で終わりにしたいもの。十七日付けフィナンシャルタイムズ”Countering Chavismo in a cool manner”(参照)が的確だ。

For a country with the largest oil reserves in the western hemisphere, it surely makes little sense to invest money in capital intensive nuclear power. Understandably therefore, the interest of Venezuela's President Hugo Chavez in acquiring nuclear technology - expressed most recently at last week's Ibero-American summit in Spain - will alarm his neighbours.

 "it surely makes little sense "は、「ってのはつまらん洒落だ」と訳したいところ。だが、近隣諸国が警戒するのも当然だ、と。
 で、この問題、国際社会はどう対応すべきか。

In the meantime, this is a time for patient diplomacy and low-key persuasion rather than empty threats. Wild verbal attacks favoured by the US president's more rightwing supporters such as Pat Robertson, the evangelical preacher, simply play into the Venezuelan leader's hands, confirming his anti-gringo credentials among supporters and boosting his image in a region where the US administration is unpopular. Mr Chavez thrives on confrontation. The US should not help him.

 つまり、 patient diplomacy(忍耐強い外交)が重要だということ。同じことは日本の類似の状況についても言えることであるが……ちょっとそう簡単に総括できない問題もある。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.10.20

アスベスト問題を巡って その三 (米国社会と比較)

 アスベスト問題についてもう一エントリ続けたい。話は、この問題についての米国社会との対比についてだ。
 まず、昨日の「極東ブログ: アスベスト問題を巡って その二 (考える会/白石綿)」(参照)に関連するのだが、日本政府はこの問題をどう見ていたかを簡単に振り返りたい。話のきっかけとしてだが、読売新聞八月二十七日社説”アスベスト 行政の責任を避けた政府検証”を、やや長めになるが引用したい。ここでは、次のように政府の対応が批判された。


 じん肺や中皮腫(ちゅうひしゅ)の原因になるとして問題となっているアスベスト(石綿)について、各省庁はこれまで、的確に対応してきたのかどうか。その検証結果を政府が公表した。
 厚生労働省、環境省、経済産業省などがそれぞれ独自に検証した。合わせて百数十ページにも及ぶ内容である。
 政府は「関係省庁の連携は必ずしも十分ではなく、反省の余地がある」と結論づけている。だが、具体的な「反省」例はほとんどなく、大半は、過去の省庁別の対策を列挙したにすぎない。
 これでは、政府・行政責任の検証と言えないのではないか。
 国際労働機関(ILO)と世界保健機関(WHO)がアスベストの発がん性を指摘したのは、1972年だ。今回の検証によると、政府もこの当時、危険性を認識していた。
 旧労働省は、粉じんを発生しやすい石綿の吹きつけ作業や、有害性の高い青石綿の使用を禁止するなど、対策は取ってきた。しかし、アスベストの使用や製造を、一部の例外を除き全面禁止としたのは昨年10月のことだ。

 この批判は的を得ているだろうか。それを確認するには、ソースにあたってみるといい。ソースは”アスベスト問題に係る政府の対策について:平成17年8月26日(金)アスベスト問題に関する関係閣僚会合(第2回)資料”(参照)にある。
 私はざっと目を通しただけなのだが、読売新聞が政府に反省はないとしているのとは逆に、これまでの対応はやむを得ないものではなかったかという印象を持った。特に、ILOとWHOへの読売新聞の言及は、「極東ブログ: アスベスト問題を巡って その二 (考える会/白石綿)」(参照)でも触れたが、アスベストの種類についての考察が含まれていない点、本当に読売新聞が政府資料を検討したのか疑わしくも思う。なお、こうした態度は読売新聞に限定されるわけではない。
 政府資料を読みながら私が思ったのは、アスベストとして一般化される問題よりも、クリソタイル(chrysotile:白石綿)と産業に必要とされるその代替品の有毒性の問題のほうだ。なお、誤解なきように付言するのだが、私はクリソタイルが規制されるべきではないと言いたいわけではない。が、いずれその代替品が必要になるならその安全性が十分に問われていないように見えるのは不思議には思う。むしろ、今年に入ってからクボタの対応による一連の話題では、クボタ側での代替品への対応が背景になっているのではないかという疑念も若干持つ(それでクボタを責めるわけではないのでその点も誤解無きよう)。
 話を戻して、アスベスト問題は日本に限定されないのだから、「極東ブログ: アスベスト問題を巡って」(参照)でも少し触れたが、米国社会との対比について触れておきたい。といって話のネタもとは十八日のNHKラジオの話のメモによる。
 こういうことらしい。まず、米国ではアスベスト被害について連邦政府の推定は存在せず、非営利団体の推定のみがあるとのこと。当然推定は訴訟に関係しており、一九七〇年代以降七十三万人の被害者が八千四百社の企業に訴訟に及んだ。結果、企業がこの訴訟にかけた費用が七百億ドル(約八兆円)。内、賠償金や和解金などで被害側が得た額はその七割で、残りは弁護士費用に消えた。
 裁判への出費や裁判に関連する信頼の低下から株価下落によって破綻した企業数は一九七六年以降全米で七十社以上に及ぶ。
 被害者への実際の支給は、信託基金を介するらしく、実際に被害者が得るのは、要求の八割程度がカットされた残りの二割ほど。より支給を得るのに弁護士の能力が鍵になるのは、被害の因果関係を明確にするのが難しいためだ。転職などが多い被害者のケースはできるだけ多くの企業を対象に訴訟を起こすほうがよいので、効率化のために訴訟の団体も必要になる。日本とは異なり、補償について政府が関わるべきだとする社会的な動向も展開もない。
 被害者としても、国家(連邦政府)が関与し、国民に税負担をしいることを避ける傾向がある。企業も支援を国家(連邦政府)に求める動きはない。しかし、こうした状況は被害者救済という点で十分ではないため、現在国家(連邦政府)に十五兆円補償基金を求める法案が議会に上がっている。
 が、これも公費負担ではなく連邦政府からの支援はないと明記され、カネの出所は企業負担となる。なお、米国ではクリソタイル禁止の規制はなく、その検討もない。禁止の規制自体が一九九一に裁判所によって否定されている。
 以上が話のメモだが、公費負担による救済を志向する日本とはかなり異なる。
 米国の状況について、言い方は悪いが、なにが問題を推進しているかというと、被害の問題もだが、弁護士の存在だろう。実際彼らがここから大きな仕事を得ている。
 顧みて、日本はどうか。被害者救済をこの問題構図から抜いたとき、なにかが残るだろうか。
 何かをほのめかしたいわけではないが、気にはなる。
 そうした関心の背景は、例えば、日本国内の厚労省による結核対応や報道への疑念も関連している。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2005.10.19

アスベスト問題を巡って その二 (考える会/白石綿)

 アスベストについて「極東ブログ: アスベスト問題を巡って(2005.07.17)」(参照)を書いてからなんとなく気になっていることがあり、考えもまとまっていないのだが、とりあえず書いておこう。とっかかりはこの問題の背景についてだ。前回は、七月の時点だが、こう書いた。


 アスベスト被害の問題が急速にメディアで取り上げられるようになった。被害者救済という点ではよいことなのだろうと思う。C型肝炎の問題でもそうだったが、識者は現状や予想について警鐘も鳴らしていたのだろうが、それが一般の社会問題に取り上げられるに至るには、なにか別の経路を取ることもある。今回のアスベスト騒ぎでもそのあたりが気になっていたのだが、ざっと見た限り、特に気にすべきこともなさそうだ。

 アスベスト問題が今年に入って急に社会問題に浮上する経路について、まったく気にすべきことがなかったかというと、そうでもない。ただ、よくわからないというのと、不用意に書くべきではないだろうなという思いがあった。その後、ネットやブログを見回してみてもそれほどアスベスト問題の背景の考察は見かけないように思える。それならそれでもいいのだが。
 試しに「アスベスト」をグーグルの"I'm Feeling Lucky"ボタンで検索すると、なんとも素人くさいデザインの「アスベストについて考える」(参照)というホームページが出てくる(MIDIのオルゴールが流れるには閉口した)。プロファイルもアバウトもないので一見して誰が運営しているのかわからない。「アスベストについて考える会」ということらしいのだが、この会はなんなのだろうかと疑問が湧く。
 通常通りにグーグルで「アスベスト」を検索すると次点は厚労省の「アスベスト(石綿)情報」(参照)となっているのだが、どうしたグーグル先生? 気分でも悪いのか。なぜ「アスベストについて考える会」が厚労省サイトより上位なのだろうか。SEO的な処理があるのかざっと見たがわからなかった。
 「アスベストについて考える会」とはなにかが気になるのでいくつか調べてみると、読売新聞(2005.07.21)”[論点]アスベスト災害 「労働法」超え対策急げ 大内加寿子(寄稿)”に次のようにあった。

 ◇おおうち・かずこ アスベストについて考える会 97年からアスベスト問題のホームページを開設する。「石綿対策全国連絡会議」運営委員。

 つまり、実体は「石綿対策全国連絡会議」ということだろう。なので、「石綿対策全国連絡会議」を調べると、読売新聞(2005.07.16)”石綿業界が規制に抵抗 92年の法案提出時に社会党などへ文書 大阪夕刊”に次のようにあった。

 石綿被害が表面化してきた1987年に「石綿対策全国連絡会議」が発足し、同会議は医師や有識者の意見を聞きながら「アスベスト規制法案」の国会提出を目指した。
 同連絡会議の事務局長だった伊藤彰信・全日本港湾労働組合書記長らによると、92年に社会党を中心とした超党派で法案の原案を作り、提出前の同4月ごろ、関係者からヒアリングしたが、石綿協会側は「健康への影響について誤解されている。

 また、読売新聞(1990.01.21)”石綿対策全国連絡会議”では次のようにあった。

 アスベスト(石綿)による健康破壊、環境破壊をなくそうと、1987年11月、総評の呼びかけで結成された。労働組合、市民団体など26団体で構成。アスベストを使用する機会の多い全港湾、全建総連といった労働組合、アスベスト110番で市民相談に応じているアスベスト根絶ネットワーク、日本消費者連盟、全国じん肺弁護団などが加わっている。

 短絡すると、「アスベストについて考える会」は総評が元になっていた。さすがに今となっては総評について注釈したほうがいいだろう。Wikipediaの項目(参照)にはこうある。

 日本労働組合総評議会(にほんろうどうくみあいそうひょうぎかい)は、日本の労働組合中央組織。 略称、総評(そうひょう)。
 日本最大の全国的労働組合中央組織だった。 第二次世界大戦後、占領軍・連合国軍最高司令官総司令部の保護と育成の下に再出発した日本の労働運動は,当時の経済・社会情勢を背景に激しく、かつ政治的色彩の濃いものであった。


 1983年(昭和58年)には49単産、451万人、全組織労働者の36%が総評傘下にあり、その約7割は官公労働者だった。 毎年、中立労連とともに春闘共闘会議を組織し、春闘を賃金決定機構として定着させた。
 1987年に発足した全日本民間労働組合連合会(全民労連。後の日本労働組合総連合会(連合))に合流するため、1989年11月に解散した。

 これも短絡すると、総評は官公労働者が中心の労働団体で現在の連合(参照)に統合されている。
 話を戻してなぜ総評が一九八七年にアスベストを問題としたかというと、その前年にILO(国際労働機関)の条約があったからだ。地域医療研究会というサイトの”静かな時限爆弾”(参照)が詳しい。

● アスベスト条約の批准
今から約20年前、1986年にILOがアスベスト条約を作っています。青石綿と吹き付けの全面禁止、他の石綿は可能な限り、禁止か代替製品を促進するようにと。しかし日本はこの条約を批准しなかったのです。


● 石綿対策全国連絡会議結成
日本では、ILO条約の翌年、1987年に労働組合(総評)が市民団体に呼びかけて、石綿対策全国連絡会議が結成されました。

 以上が、「アスベストについて考える会」の由来に関連するファクツなのだが、気になるのは、当初の問題は「青石綿と吹き付けの全面禁止、他の石綿は可能な限り、禁止か代替製品を促進するよう」という点だ。つまり、禁止対象は青石綿に限定され、他の石綿(アスベスト)についてはそれほど厳しい規制は求められていない。
 ここでアスベスト(石綿)の種類だが、Wikipediaでは次のように分類している(参照)。なお、引用には英語名を私が補足した。

クリソタイル(chrysotile:白石綿、温石綿)
 クリソタイルの組成式は Mg6Si4O10(OH)8。クリソタイルから作られる石綿を温石綿と呼ぶ。日本では2004年10月、使用が禁止。しかし、一部の用途に限っては、2006年までその使用は認められている。2008年までには全面禁止される予定。
クロシドライト(crocidolite:青石綿)
 1995年より使用も製造も禁止。
アモサイト(amosite:茶石綿)
 1995年より使用も製造も禁止。
アンソフィライト(anthophyllite:直閃石綿)
トレモライト(tremolite:透角閃石綿)
アクチノライト(Actinolite:陽起石綿)

 内、アンソフィライト、トレモライト、アクチノライトは稀少なので産業には応用さていない。産業で利用されたのは、クリソタイル(白石綿)、クロシドライト(青石綿)、アモサイト(茶石綿)であり、危険性が特に問題視されるのがクロシドライト(青石綿)である。
 日本はアスベストの多くをカナダから輸入しているが、そのカナダ大使館の情報”クリソタイル-白石綿 (アスベスト) について”(参照)では次のように説明している。重要な事柄なので、長いが引用したい。

 「アスベスト」は広範囲な科学的及び医学的な精密調査の対象となってしまいました。とりわけ科学者は、すべての「アスベスト」が同様ではないことを発見しました。また、繊維の長さ、直径及び種類も曝露(量と期間)と同様に人間の健康に影響を与えることが分かりました。これらの知見の結果として、角閃石と呼ばれる鉱物で健康に影響する可能性のある種類は、もはや使用されていません。同様に、「アスベスト」は吹きつけ断熱材及びその他空気中に容易に放出される可能性のある製品には、すでに用いられていません。
 一方、クリソタイルは世界で用いられるアスベストの最も普通の形態であり、カナダではこの種類が唯一生産され輸出されています。建築材料、ブレーキ ライニング及び上下水道管などの製品に安全に使用することができます。これらの用途に関しては、この繊維はセメントや樹脂のような基質に封じ込められて、周囲の環境に放散されることはありません。


 角閃光石アスベストとクリソタイル繊維は物理学的、化学的及び構造的に異なっています。これらはいずれも疾患の原因となりますが、クリソタイルは低いレベルでの曝露では安全に使用できることを示す科学的根拠もあります。しかしながら、すべての形の「アスベスト」は採鉱から廃棄までのあらゆる時点で注意して取り扱われなくてはなりません。オンタリオの「アスベストの使用によって生じる健康及び安全性に関する王立委員会[Royal Commission on Matters of Health and Safety Arising From the Use of Asbestos (ORCA)]は、世界有数の信頼できる分析結果の後、1984年に最も一般的に使用されている角閃石アスベストであるクロシドライト(青石綿、crocidolite)及びアモサイト(茶石綿、amosite)を使用する製造活動を無期限に禁止すべきであると勧告しました。一方、同委員会はクリソタイルを取り扱う職業上の活動に対しては、効果的な規制の施行、及び厳格な曝露レベル(繊維1本以下/ml規制限界)を勧告しました。これはクリソタイルへの「安全な使用」の提案と解釈され、採鉱、粉砕、製造、輸送、取り扱い及び廃棄活動全体に亘る厳格な規制を含んでいます。

 カナダ大使館発のこの情報をそのまま信頼すべきではないかもしれない。ここで関心のある人は、「アスベストについて考える会」のクリソタイル(白石綿)についての情報を読み込んでみるといいだろう。
 私の現時点の考えでは、過去のクロシドライト(青石綿)の問題は重視されるべきだが、クリソタイル(白石綿)まで一括した禁止とすべきだったのか、つまり、これまでの政府の対応が一概に間違っていたとも言えないのではないか、と。
 悪性中皮腫の原因と疫学・病理学の関連、補償の主体についての日米差などについても思うことはあるがまた別の機会としたい。

| | コメント (8) | トラックバック (2)

2005.10.18

靖国参拝は信教の自由の問題

 日本版ニューズウィークに掲載されているジェームズ・ワグナー副編集長のコラムを読むのは私の楽しみである。なんつうか、口の軽いスットコドッコイなところが私と似ているからであろう。日本に暮らす知的白人さんらしくリベラルな空気を読むのもうまいが、朝日新聞建屋居候三杯飯の慎みもないカナダ人大西哲光のような悪意を感じさせないのも好ましい。日本の空気が醸し出されていなければ、チラっと欧米風の常識を出してしまうところに先輩無理無理金髪染デーブ・スペクターのような好ましさも感じる。
 彼は今年の8・10/17号、つまり毎年吉例手抜きだよ「海外で暮らす」号のコラムに良いことを書いていた。”靖国参拝「ノー」に危険な落とし穴”である。ちょうど八月十五日に小泉首相が靖国参拝するかという話題が一部で関心を持たれていたころだ。このコラムは日本の政治家が靖国を参拝する問題について扱っているのだが、これほどきちんとした見解を私は日本のメディアで見たことはない。


 このコラムでは、小泉純一郎首相の靖国神社参拝を非難するつもりはない。多くの人と同じように、私も彼の参拝が日本の国益につながるとは思わない。だが、仮に8月にこれまでどおり参拝しても、それは憲法で守られた権利だと私は固く信じている。
 だから、小泉の靖国参拝を憲法違反だとして、裁判に訴えた一連の動きが気がかりでならない。

 これに続いて政教分離という問題はなんたらアメリカでもなんたらとあるが割愛。そして。

 しかしどんな理由であれ、信教の自由を犯す大義名分にはならない。もし一連の訴えが勝訴に終われば、まさに信教の自由を侵害することになるだろう。
 心配しすぎだろうか? そんなことはない。首相の靖国参拝が憲法違反と判定された、どうなるか考えてみるといい。
 小泉は明治神宮にも教会にも行けなくなるのだろうか。誰の目にも見え透いていようが、「私的参拝」として強行すればいいのか。参拝を禁じられるのは、首相だけか、それとも閣僚全員、あるいはすべての国会議員が禁止されるのか。

 もちろん、反語である。
 昨日たまたまテレビのニュースを見たら、民主党の前原代表が、首相には私的参拝はありえない、と左右の歪んだ顔に逝ってしまったの眼を付けて、ほざいていた。社民・共産党や特定アジアの見解はスルーでいいけど、いったい政権を取ろうという日本の政治集団が信教の自由についてどう考えているのか私は呆れた。
 このあたり私もスットコドッコイに言うのだが、小泉首相が靖国参拝できないというなら、大平首相のようにクリスチャンの首相は教会にも行けなくなるのだろうか。
 というか、小泉の靖国参拝に反対している人にそう問うと、おそらく、きょとんとされ、「それとこれとは別」とか言うのではないだろうか。そして、「靖国神社はA級戦犯が合祀されているからダメ」と言うのではないか。
 というあたりで私の頭はどっかーんである。靖国神社がA級戦犯を合祀してようがその宗教の勝手というか信教の自由の問題だ。なにより不可解なのは、私は明治以降の国家神道を信じてないから断言するのだが、戦犯の合祀とやらは特定信仰の上の概念ではないのか。小泉の靖国参拝に反対している人ってそういう信仰世界を共有する信者なのかね。それって、君たちの信仰と信仰のぶつかり合いの問題じゃないですか、云々。
 ジェームズ・ワグナーの結論を私は支持したい。どこまでが許され、許されないの線になるのか。

 結局のところ、線引きなど不可能だ。日本国民の基本的人権を侵害せずにはなしえないだろう。

 首相が私人として特定の宗教を信じて悪い理由はないし、その活動を禁じることはできない。問題はあくまでそれが公的であったかだけが問われるべきであり、先の大阪高裁の違憲判断も、そうした公的な性格を帯びた首相の靖国参拝への警告だった。この判断では、その判定としての具体的な基準としては、参拝に公用車を使うかどうかが示されていた。
 昨日の小泉首相の私的靖国参拝についていえば、公用車という点ではよくないかなと私は思う(三木首相は公用車を使っていない)。それでも、他は概ね、そこいらのおっさんの参拝と変わるところはなかった。
 個人的な感想を足せば、あれはまずいんじゃないのというか、ユーモアということかもしれないけど、いい老人がお賽銭をポケットからポケットマネーという洒落みたいに出すのはいかがなものか。ああいう時は、懐中に収めた万札入りの封筒を投じるべきだったように思う。でも、そうすると、そこになんて記名されていたか問題になるというのだろうか。そのあたりは、信仰告白の内面のように思うが。

| | コメント (82) | トラックバック (22)

2005.10.17

[書評]内臓が生みだす心(西原克成)

 この本の内容は、とりあえずと限定するのだが、「内臓が生みだす心」(参照)という標題がよく表現している。人の心というものは内臓が生み出すのだというのだ。

cover
内臓が生みだす心
 現代の医学では人の心は脳が生み出すということになっているから、当然この本の主張はトンデモナイといったことになる。実際、本書を読まれるとわかるが、あちこちにトンデモナイ話がごろごろとしている。だが、これがそれぞれの端となるトンデモナイ主張をあちこちプチプチとビニールの気泡緩衝材のように潰したところで意味はない。というのは、このトンデモナイ説の背景には、巨大な一つの思想が横たわっており体系となっているからだ。…その話はこのエントリでは、まだ、触れない。なお、本書をアマゾンでみたらすでに事実上絶版になっていた。古書では購入できる。追記(2005.10.18):訂正。現時点で「内臓が生みだす心」は絶版にはなっておらず、版元に在庫が十分にあるとの連絡を受けた。アマゾンの現時点での在庫だけの問題のようだ。プレミア古書に慌てて手を出さないように。
 言うまでもなく、今日のエントリは、昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)の続きでもある。こちらの実記とされた話では、心臓と肺を受けて同時移植手術を患者が以前の臓器を持っていた人間の意識を引き継ぐという奇譚であった。もし仮にそんなことが事実であるというなら、それはなぜか。神経免疫学者ポール・ピアソール は「心臓の暗号」(参照)で心臓という臓器にはそうしたプラスαの要因があるのだと想定した。
 「内臓が生みだす心」でも著者西原克成医師は類似の結論を出しているし、なにより、クレア・シルヴィアの「記憶する心臓」をそうした現象の証明の一つとして受け取っている。しかし、西原の考えの内実は、ピアソールとはかなり異なる。ピアソールが心臓という臓器になにか未知な要素を付加しようとしているのに対して、西原は臓器それ自体のあり方に意識を見ている。その思想をどうまとめていいのか私は戸惑うのだが、西原は生物の全体の意識の発生を生体の発生から論じ、原初的な意識を腸管による食物の選択としている。そして、この腸管が海のホヤといった単純な生物からヒトに至るまでの発生のようすを考察し、原理的に人間の腸が意識を担うとしている。
 ただし、この腸は完成された人間の臓器としての腸ではなく、進化や胎内での発生的な観点から見たもので、その点で、意識を担う腸はむしろ肺であり、「記憶する心臓」がクレア・シルヴィアが移植元の人間の意識を継いだのは、むしろ肺臓の移植によるものだとしている。

 心は心臓にも宿りますが、本当の心のありかは肺のほうです。心臓は鰓の脈管系で、肺が鰓腸の腸管上皮から出来ているためです。腸の上皮の神経と筋肉の一体となった腸の総体に心が宿ります。心臓は肺という筋肉を持たない腸管上皮の脈管系の筋肉の一部と考えることが出来ます。

 いずれにせよ、心は肺に宿るという。そんなことがありうるのか。それが医学であり、科学だというなら、実験で証拠が提示できるのか。
 それがある意味ではできているようだ。西原の医学哲学の大系がもたらす検証はある程度まで可能になっており、その明白な成果はある種奇怪な印象を与える。
 私はこのうまく話をまとめることができないのだが、この奇怪な医学というか生物学の大系は、端的に言えば、西原も明記しているようにラマルキズムでもある。進化論の歴史なかですでに決定的に廃棄されたはずのラマルクなのだが、なぜ復権するか。
 そうえばと思いWikipediaの項目(参照)を見ると、示唆的な説明もある。

今日に措いて、個体がその生涯の間に身に付けた形質が子孫に伝わるとの考えは、ラマルキズムと言われる。この考え方は、極最近までは、近代の遺伝学的知見に照らして、絶対に成立しないと考えられていたが、最近のエピジェネティクスという遺伝的機構等、幾つかの発見で、それが全く見当外れとは言えなくなった。

 西原はラマルク説のある種の復権として、重要性を重力と化生という現象に置き、個体と種の変容を説いている。このあたりの問題意識は今日発達心理学者として知られるピアジェ(参照)の同化(Assimilation)と調節(Accommodation)の考えにも近い。
 一般的な書籍として「内臓が生みだす心」を見た場合、率直のところ現代の奇書としか言えない。内容のバランスも奇怪だし、中世の魔術書でも読むかのごとく同じ説明がくだくだ循環してもいる。
 なによりトホホな印象をうけるのは、そこから導かれる治療医学のありかたがみのもんたの健康番組といった趣向であることだ。実際に西原は同番組でもドクターとして出演していたようだ。なぜそんな奇矯とも思える立場に彼がいるのかというのも、本書のなかに間接的には描かれているが、悪口で言うのではないが、医学者としては学会で干された人生だったからなのだろう。
 学問を進めていくとき、そうまれにでもなく、ある発見した問題を追及すれば学者としての道を断たれてしまうだろうなということはある。それでも前に進める学者もいる。数学者のブノワ・マンデルブロ(参照)などもそうかもしれないし、言語学者の三上章(参照)もそうかもしれない。ヴィルヘルム・ライヒ(参照)をそこに含めるべきかどうかは難しい。逆に、ライナス・ポーリング(参照)やイリヤ・メチニコフ(参照)がある意味、トンデモナイ主張をしていたことは、学問の世界では、できるだけ触れないことになっている。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2005.10.16

[書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)

 このところ思うところあって「記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)を読み返した。訳書は一九九八年に発売されたもので、もう七年も前になる。その後読み継がれているふうもないので事実上絶版になったようだが、アマゾンの古書では安価に手に入る。文庫で復刻されるかもしれない。

cover
記憶する心臓
ある心臓移植
患者の手記
 話は、実記の体裁をとっているが奇譚と言っていいだろう。クレア・シルヴィアというユダヤ人中年女性が脳死の若い男性の心臓と肺を受けて同時移植手術を受けたところ、術後に、移植元の若い男性の性格が乗り移ったり、また睡眠中の夢のなかでその若者にあったり、その若者の記憶が乗り移ったりしたというのだ。通常、移植手術を受けた人はもとの脳死者の情報を得ることができないが、彼女は夢で知った若者の名前を手がかりに本人を突き止め、その家族に出会うことになる。
 そんな話がありえるだろうか、臓器にそれ自身の記憶が宿り、移植手術者にまで持ち越されるということが…。現代の医学の常識では当然ありえない。
 この訳書の出版時期は日本で臓器移植法が施行されて一年というころで、脳死や臓器移植がまだ社会でよく論じられたものだ。同年には柳田邦男「犠牲(サクリファイス)―わが息子・脳死の11日」 (参照)も文庫化された(元は一九九五年)。
 この訳書についても出版社はそうした社会の空気を読んで出したのものだろう。だが、この話題はその後日本社会からは立ち消えたとはいわないがトーンは変わってきた。一般向けの本で思いつくのは、たとえば、二〇〇〇年の「私は臓器を提供しない(新書y)」(参照)といった素人くさい談義やいかにも新書的な「脳死と臓器移植法(文春新書)」(参照)から、昨年の、ある意味でよりディテールな「脳死・臓器移植の本当の話(PHP新書)」(参照)の変化というものはあるだろう。
 あるいはこう問い返してもいい、「現在日本での脳死移植は何例あるか知ってますか?」と。答えは十五日時点で三十九例である。意外に多いとみるか、少ないとみるか、いずれにせよある種の思いが反響するだろうし、その先に、自分自身の脳死ということも想定せざるをえない。
 話を「記憶する心臓」に戻すが、読み返してみて、そうした奇譚の真偽ということから離れて、これは非常に面白い小説だった。考えてみれば、「ティモシー・アーチャーの転生(創元SF文庫)」(参照)や「ハプワース16、一九二四」(参照)などを真偽の水準で読むことはない。「記憶する心臓」についていえば、クレア・シルヴィアという当時四十九歳(今私の歳に近い)の女性が移植手術なくしては死という局面に向かうときの心理描写やその後の生活と自己省察などは面白く、フィリップ・ロスの小説を彷彿されるようなユダヤ人らしい独特の感性の描写もある。そのことと関連しているのかもしれないが、彼女の術前術後の男性遍歴や性についての行動などもいろいろ考えさせられた。日本では四十七歳の中村うさぎの突撃ルポがネタ化される空気があるが、米人女性の五十代にとって性はとても大きな問題でもある。そうした女性としてのある生々しい生き様が訳書に掲載されているクレアの写真への関心へと結びつく。そういえば、昨日献本を戴いた「アルファブロガー 11人の人気ブロガーが語る成功するウェブログの秘訣とインターネットのこれから」(参照)などでも「中の人」への視線の意味というのはあるのだろう。クレアについては、ネットを見ると、比較的現在に近いポートレート(参照)もあった。すっかりおちゃめなおばあさんという感じもする。
cover
心臓の暗号
 余談のような話ばかりになったが、それでも「臓器がそれ自身の記憶や意識を持つのか」という問いかけを度外視して読むことはできない。日本の、とくにネットの空気では単純にID論などを否定するように、それは「トンデモ」というだけで終わりそうだ。だから、この問題をある程度学術的な意識で論じたはずの「心臓の暗号」(参照)などでも、さらにトンデモ度が高いということになりかねないし、実際のところ、こちらの本はそう評価されてしかたないだろうと私も思う。
 それでも、私より年上の全共闘世代的な「本音を言えよ」的に問われるなら、世の中不思議なことはあるし、わからないこともあると私は答える。私も四十八歳まで生きてみて、気が付くと太宰治はもとより三島由紀夫の享年を越え、来年は坂口安吾の享年も越えるのだろう。漱石も超えるかもしれない。そして次第に老いつつある身体を抱えつつ生きてみて思うのは、身体のなかには、父祖の声があるという実感だ。自分の声のどこかしらは父の声に似ている。それでもって彼が私を呼んだように呼ぶことに禁忌のような畏れも感じる。孔子は六十を耳順と言った。耳に従うとは不思議な表現だが、その歳になると身体に宿る父祖の声に従うようになるからかもしれない。

| | コメント (5) | トラックバック (2)

« 2005年10月9日 - 2005年10月15日 | トップページ | 2005年10月23日 - 2005年10月29日 »