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2005.09.10

人間の脳は進化の途上

 私はちょっと勘違いしていたのだが、人間の脳はまだまだ進化の途上、というネタは日本で報道されていたっけ?
 勘違いというのはあれだ、なんとなくこっちの話とごっちゃにしていた。朝日新聞”チンパンジーのゲノム概要解読 ヒトの能力解明手がかり”(参照)とかAP”チンパンジーのゲノム解読、ヒトの遺伝的進化の解明へ”(参照)とか。
 こっちの話は、朝日の記事だとなんか要領を得ないが、APだとニュース的にはチンパンジーと人間は遺伝子的にはそれほど変わらない、というような話だ。この分野にある程度関心を持っていた人ならどれほどどってことでもないネタではある。ネタ元は一日付のネイチャーということになっている。APだとこんなふうにもある。


 シアトルにあるワシントン大学医学部のロバート・ウォーターストン博士は、次のように述べた。「一覧表が手に入ったので、次はこれを解明する必要がある。問題になるのは1つの遺伝子ではない。遺伝子の変化の積み重ねを解明することになるだろう」
 ウォーターストン博士は、『ネイチャー』誌の9月1日号や、同日付の『サイエンス』誌オンライン版に掲載されている関連論文の1つを中心になってまとめた人物だ。

 それほどこのニュースに関心はなかったのだが、東亜日報”ヒトとチンパンジー、案外遠い ”(参照)であれっと心にひっかかってはいた。ネタ元が同じなのに話が逆みたいでもあるからだ。

 チンパンジーは思ったよりヒトに近くないことが確認された。
 世界2大科学専門誌である米誌サイエンスと英誌ネイチャーが、1日の電子版でチンパンジーの遺伝子に関する最新の研究成果を同時に発表した。

 ただ、この記事は整理されてない印象もあった。というのは別ネタも混ぜているからだ。

 ネイチャー誌には米コネティカット大学のサリー・マクブレティ博士チームが、世界で初めてチンパンジーの化石を発掘したことも発表された。50万年前にできたケニアの堆積層からチンパンジーの歯の化石を3個発掘したのだ。
 発掘の場所からは、現生人類の化石も見つかっている。そのため、今回の発見は、チンパンジーと人類が500万~800万年前に共通の祖先から分かれ、別々に違う場所で生きてきたという従来の仮説に反するものだ。

 で、エントリ冒頭に戻って私の勘違いなのだが、この話と昨日付のニューヨークタイムズ”Brain May Still Be Evolving, Studies Hint”(参照)と同じネタ元の関連ネタかなとかちょっと思っていた。ま、それは違う、というわけだ。

Two genes involved in determining the size of the human brain have undergone substantial evolution in the last 60,000 years, researchers say, leading to the surprising suggestion that the brain is still undergoing rapid evolution.

The discovery adds weight to the view that human evolution is still a work in progress, since previous instances of recent genetic change have come to light in genes that defend against disease and confer the ability to digest milk in adulthood.

It had been widely assumed until recently that human evolution more or less stopped 50,000 years ago.


 つまり、定説だと人間の脳の進化は五万年くらい前に終了しているということだが、今回の研究だとそうじゃなくて、まだまだ進化の途上だというのだ。
 ネタの面白さという点では、RxPGニュース”Human Brain Is Still Evolving”(参照)が勝る。例えば、こっちの記事では研究者の興味深い発言をリードにしている。

"Our studies indicate that the trend that is the defining characteristic of human evolution - the growth of brain size and complexity - is likely still going on. If our species survives for another million years or so, I would imagine that the brain by then would show significant structural differences from the human brain of today."

 つまり、未来の人類の脳というのは現在の人類の脳とは異なるものだろう、というわけだ。
 基本的には脳構造、もっとざっくばらんに言えば、その外見ということでもあるのだろうが、それでもその機能差もあるだろうから、ちょいとSFチックではある。
 人類は今後も数万年単位での生存が可能だとすればどのような脳を獲得するのだろうか。その高次な能力とは、あれかなとかつらつら思うことはある。が、自分の脳の限界はこの程度だし、現存人類の知能が過渡的な状況にあるというのは、マジで考えつめていくとけっこう変な感じはする。

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2005.09.09

二〇〇五年衆院選挙予想

 さて、気の進まぬ選挙予想をしてみよう。外れたら大笑いってやつだ。実にブログ向きじゃないか、ね。
 で、結局どうよ? どうよってどうよ?

 A 小泉負け (岡田の勝ち)
 B 小泉辛勝
 C 小泉圧勝

 メニューはこのくらいか。新党日本とかは? ま、スペシャルオーダーってことで。
 まず、A列車で行こう、はない。Bランチは行ける、だろう。辛勝は数値的には過半数というラインで二百四十一議席で、これは公明党コミ。
 参考までに、解散前議席は、自民党二百四十九と公明党三十四。合わせて、二百八十三。しかし、郵政民営化反対が自民中三十七。なので、これを引くと、自公郵政民営化本隊は二百四十六。つまり、デフォで見ても辛勝ラインは楽勝。今回の衆院選が前回に比べて自民不利というふうでもないのでそう見てもいいのではないか。
 すると、BからCのスケールをどこに取るかというか、圧勝って何を意味すんねん、ということになる。これは、郵政民営化国民投票という意味合いで見れば、小泉自民単独過半数を差していいだろう。すると、二百四十一。これに鉄板の公明が三十四加わるので、自公隊二百七十五ということになる。これが可能か?
 郵政民営化自民本隊は二百十二。なので、小泉劇場効果であと二十九取れるかというのが今回の選挙の見所ということだろう。
 取り分の先は、小選挙区(三百)か比例区(百八十)か、だが、どうか。
 党を決める比例区については、小泉追い風と言われているわりには、党支持率では自民党が伸びているふうでもない。朝日新聞の情報を見ると、五、六日の状況だが、自民党の支持は安定せず全体としては時間推移とともに低下傾向がありそうだ。代わりに民主党は無党派を食って向上している(参照)。この感じからすると小泉劇場効果は終わったと見てよく、自民が現状優勢とはいえ、概ねのところ、比例区では自民党が前回選挙に比べて優勢とまで見るのは難しい。
 小選挙区はどうか。とりあえず…と留保するが、注目の郵政民営化反対組三十三選挙区の状況だが、これも朝日新聞の情報だが、当初誰もが思った「そりゃ漁夫の利の民主党」という流れは出てないようだ(参照)。それだけで民主党はつらい。とはいえ、この流れで選挙に突入するかというと、未決の無党派層が四割いるようなので、結局、その動向が勝敗を決める。つまり予想は難しい。しいていうと、傾向としては民主党に流れそうでもある。
 小選挙区全体はどうか。ここは多分に選挙のプロ人の領域なので私には皆目わからない。百票からの精度の票読みの積み上げが必要になるが、そりゃできないですよ。
 代わりに、自分の政治観を交えず、一生活者の実感で補足。とすれば、小選挙区選挙というのは本来は政党政策が問われるべきものとはいえ、実際はその地域の権力関係だけが決定的。その関係の構造はそう簡単には変化しない。私を一投票者としてのみの例にすると、今回はいつもとは違う投票行動を取るが、「なんだかコイツに入れるのはやだな」感は漂う。余談だが、だから、ホリエモンは落選すると思う(とはいえ、外人記者対談では亀井は思いっきりずっこけたのでこのパワーが最後のダメを決めるかもとはちょい思う)。
 ついでに、私の周り(都市民)のノンポリな人間(年配層多し)の話をなにげに聞いてまわってみると、それほど小泉劇場の効果はない。むしろ、この間の小泉への幻滅感は大きいようだ。が、それが民主党支持に結びついているわけでもない。意外だったのだが、公明党はどうとさぐりを入れてみると、詳細な本部の指示がないでアバウトな行動を取っているらしい。この点はなるほどねと思った(それって本質は無党派なのではないか)。
 以上の流れから単純に推論して、小泉圧勝ラインはあるか? あまりなさそうな感じがする。
 ところでメディアは何と言っているか。あえて産経系を覗いてみる。
 産経”衆院選終盤情勢 自公300議席うかがう 民主、都市部で苦戦(09/07) ”(参照)は、標題からもわかるように、自公で三百という威勢のいい数字が上がっている。ま、その手のフカシはどうとでもなるのだが、気になるのはこっち。


ただ、投票態度を明らかにしていない有権者が比例代表で約二割、選挙区で約三割もおり、情勢が大きく変わる可能性もある。

 「大きく変わる可能性もある」としているものの、意外と変動要素が絞り込まれている感があり、それが自民党優位の流れを形成しているふうでもある。
 あとは空気をどう読むか、サプライズはあるか、くらいか。
 空気といえば株価だが、これはもう圧勝ラインを読んでいるというか、脅している。総選挙はてな(参照)は民主党の流れだったよなとか、気になってちょいと見たら、あれま。
 サプライズとしては、木曜日の文春・新潮あたりに隠し球があるかと期待したら、ダメダメ。特に、文春は亀井と同じような考えをしているのがわかって、ワロタ。日米の台風関連の情報がどう影響するかとも思うが特にどうということもなく、台風十五号も選挙日に影響しそうにない。対外的には、中国様も民主党に余計な助け船を出してくれるほど愚かではないし、金さんも藪さんと同じく仲良く静観中。
 サプライズの可能性としては、民主が最後の流れを作るかだが、マニフェストにもない癖球を岡田がぼこぼこ出してくるあたりが選挙民に受けるか、爆走ですねと笑われるか。
 さーて。
 冷静に見ていると、小泉辛勝ちょいくらい。メディアに踊らされると小泉圧勝。
 私はというと、ただの勘だが、小泉圧勝弱くらいかなと思う。つまり、自民単独二百四十。
 なぜ? だから、勘ですよ。勝負の詰めは勘。小泉はただ者ではない勝負師の一世一代の大勝負というか三世かけた大勝負かもしれないと思うあたりの情に眼がくらんだ(カリスマ)。ついでに、もうちょっと勝てば公明党を圧倒できるし(すでに圧倒している感はあるにせよ)。
 ま、そんなところ。
 余談だが、「さぁ、みんな選挙に行きましょ」とか言う声も聞くが、そんなことこそ自分で決めるべきことで他人がどうこう言うもんじゃないだろ、とか。

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2005.09.08

郵政民営化法案余話

 このエントリでは郵政民営化は正しいかみたいな話をする気はない。雑談というかトリビアといった類。ぶくまをかせぐ、郵政民営化をわかりやすく説明するといった話でもない。もっと、なんというか、たるーい話である。では、ゆるゆると。
 先日四日付のニュースだが、日本経済新聞の二日付朝刊に掲載された、郵政民営化法案に関する民主党の全面広告について、自民党は翌三日、広告内容に事実に反する間違いがあるとし、訂正と謝罪を求める通告書を民主党の岡田代表あてに送付した。ニュースの扱いとしては些細なものだった。そんなものだろう。
 自民党にかちんときたのは民主党の次の主張のようだ(参照)。


(自民党の郵政民営化法案は)『民営化』の名に値する法案なのでしょうか。民営化会社は今後10年間100%政府出資の会社であり、新たな国有株式会社をつくり出すことになります。

 これに対する自民党の言い分はこうだ(幹事長談話)。

 郵政民営化によって新たに設立される郵便貯金銀行及び郵便保険会社の株式については10年の移行期間内に段階的に全部処分することが法律(郵政民営化法案7条2項及び同62条1項)で義務付けられています。
 したがって、「10年間100%政府出資の会社」が設立されるわけでないことは明らかであり、民主党の広告は全く事実に反します。

 くだらねとか率直な意見を言うのは控えることとして、重要なのは新規の国有会社は十年で消滅するという点。株式が全部売却されて国営というのは語義矛盾。
 とすると民主党のツッコミ所というのは、その十年が問題だということか(余談だが売却されるから外資に乗っ取られるとかいうトンデモ話にはついてけませんってか日本の株における外人の状況を見れ)。
 民主党から反撃があった。日経”民主、自民の民主広告批判に反論”(参照)より。

民主党の枝野幸男幹事長代理は4日、(中略)「持ち株会社が100%政府出資であり続ける可能性が残っている。記述に何の問題もなく、批判は的外れだ」と反論する回答書を送付した。

 話を真に受けると、十年後にも政府持ち株会社である可能性があるから、自民党から言いがかりをつけられたが、もとの主張のままでよいのだ、というのだ。ほぉ。つまり、民主党の要点は、十年後も国有会社が存続するという点にあるわけか。
 思わずくだらねとか呟くのは控えることとして、これで話は終わりかなと思ったら、六日だがくすぶっていた竹中御大は吠えた。日経”竹中氏、民主に広告の訂正要求”(参照)より、民主党広告について。

「国会で株式の完全処分について質問していながら虚偽の広告を打った」と批判した。民営化法案は2017年3月末までに政府の保有株式を段階的に処分するとしており、「訂正と謝罪を求めなければならない」と強く抗議した。

 渦中の人、竹中としてはどうしてそう曲解されるのかと思ったことではあるのだろう。
 この問題は、郵貯・簡保が国の持ち株となる可能性があるのかとかいう問題とも見られる。
 こうした話は二日付の読売新聞社説”[郵政改革]「資金の流れを変える案はどれか」”(参照)にもあった。

 与党案は政府出資の持ち株会社を設立し、傘下に郵便、郵便局、貯金、保険の4会社を収める。貯金、保険の金融2社の株式は10年以内に完全処分する。民営化をテコにして資金を民間で循環させるという内容だ。
 問題点もある。持ち株会社は金融2社の株式を買い戻しできる。買い戻せば、政府による2社への関与が復活する。資金運用に政府の干渉が続き、資金の流れが大きく変わらない恐れもある。

 こういうのになんと言っていいのか迷うのだが、郵貯・簡保の買い戻しの可能性というのは自民党の党内合意であって、法案の内容ではないというのを読売新聞社説子はわかっていないのだろうか。
 っていうか、もしかすると、民主党もそのあたりをごちゃごちゃにしているのではないだろうか。
 どうなんすかね。
 先日コンビニに買い物に行ったら民主党のマニフェストを貰ったので郵政改革について読んでみたが、十年で郵貯・簡保の株が売却されるという話はなく、依然この国営会社から国債にカネが流れるという解説図があった。そりゃ、流れますよ。第二の国家予算を一気にストップできるわけはない。旧勘定は依然国債消化になるだろう。
 でも、民主党のマニフェストは旧勘定と新勘定の違いがわかっていないか意図的に曖昧にしているなという印象は受けた。この話の要点は旧勘定が固定されてもう増えないという点とそれが事実上の禁治産者扱いになるということだ(敗戦処理だな)。言うまでもないが、旧勘定が市場に流れるという話はないので、そのカネが原因で民間が潤うという話もない。
 そういえば衆議院解散は憲法違反だとかいう愉快な話もあった(参照)。お笑いはさておき、衆院を解散させるのではなく、参院で摺り合わせはできなかったという話も聞く。が、摺り合わせの内容とは、衆議院のどんずまりのどたばたで見たように、買い戻し可能という自民党内の合意を法案に盛り込むということなるのはわかりきったことだ。それを法案に盛り込めば、この法案は否決されるまでもなく死ぬ。今後重要なことがあるとすれば、自民党にその党内合意を実現させないことではあるのだろう。
 が、すでに自民党内合意は法案と同じだと見ているからこそ出てくる議論というものもあるのだろう。世の中いろいろではある。

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2005.09.07

チェルノブイリ事故の被曝死者報道について

 国際原子力機関(IAEA)、世界保健機関(WHO)、国連開発計画(UNDP)の専門家グループが、五日、一九八六年のチェルノブイリ原発事故の被曝死総数を約四千人と推定する報告書を発表し、昨日は国際的な話題となっていた。というのは、これまで数万人規模と推定されていた死者数をはるかに下回ったからだ。事故は悲劇的なものだったが、今回の推定が正しければ、従来想定されていた被害より少なくてよかったとは言えるだろう。
 このニュースについて国内外のニュースを何の気なしにざっと比べ読みしていて、奇妙なことに気が付いた。朝日新聞の報道のトーンが他と異なるのである。特に以前の死者の総定数の表現が違う。
 まず比較として一般的な報道としてロイター”チェルノブイリ事故、直接被爆の死者は推定下回る56人=調査”(参照)をあげておこう。


8つの国連機関などからなるチェルノブイリ・フォーラムは5日、1986年のチェルノブイリ原発事故で直接被爆して死亡した人はこれまでのところ56人で、それまでの一部試算を大きく下回ったとの報告を発表した。


報告は、「事故により数万から数十万人が死亡したと言われていたが、それは正確ではなかった」と結論付けた。

 この報道はIAEAが発表している”Chernobyl : The True Scale of the Accident”の概要(Digest Report)(参照)とも合致している。該当箇所は次である。

The report’s estimate for the eventual number of deaths is far lower than earlier, wellpublicized speculations that radiation exposure would claim tens of thousands of lives.

 つまり、数万人(tens of thousands of lives)と明記されていて、数千人というオーダーでは明白にない。参考までに、ワシントンポスト”Report: Effects of Chernobyl Not as Dire as Expected”(参照)とニューヨークタイムズ”Chernobyl's After-Effects Not as Dire as Predicted, Report Says”(参照)の記事もその標題からも話題のポイントがわかるだろう。
 ここで比較として朝日新聞の該当記事”チェルノブイリ事故の被曝死者4千人 IAEAなど報告”(参照)を見ると、標題に話題性が反映していないのはいいとして、冒頭は次のように書かれている。

 国際原子力機関(IAEA)などの専門家グループが5日、86年4月に旧ソ連(現在のウクライナ)で起きたチェルノブイリ原発事故について、直接の被曝(ひばく)による死者数を推計4000人程度にのぼるとする報告書を発表した。これまで数千人から数十万人と様々な調査結果が出されていたが、専門家による推計として、6、7の両日、ウィーンで開かれる国際会議で協議される。

 些細なことにこだわるようだが、朝日新聞のこの「これまで数千人から数十万人と様々な調査結果が出されていた」という様々な調査結果はなにを指しているのだろうか? つまり、どの過去の調査報告に今回四千人と推定されたような「数千人」があったのだろうか。もちろん、この表現がまたまた「捏造」だと指摘したいわけではなく、それらの推定値の情報はどこかにあるのかもしれない。だが、それが朝日新聞の記事だけに強調されているということは指摘できるだろう。
 加えて、該当記事全体を読むとわかるが、予想をはるかに下回るというロイター記事やIAEA発表にある重要な文言が含まれていない。そこがニュース性の根幹だがなぜ朝日ではスルーされているのだろうか。
 もっともこの点がスルーというのは、日経新聞記事”チェルノブイリ事故、死者は最大4000人・国連報告”(参照)も類似だが、これはベタ記事に近く、朝日新聞記事のように「数千人」という過去推定値は含まれていない。
 さらに参考として、読売新聞記事”チェルノブイリ被ばく死亡4千人、専門家グループ報告”(参照)でも標題は朝日新聞に類似だが、死者想定を下回る件についての明言は含まれている。BBCも”Chernobyl 'likely to kill 4,000' ”(参照)との穏やかな標題だが、内容はむしろ従来推定との差異に焦点が当てられている。
 なお、こうした今回の推定がチェルノブイリ事故の被曝者支援を妨げるものではないことは言うまでもない。

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2005.09.06

カトリーナ被害を経済面からのみ見ると

 先ほど朝日新聞記事”排水作業が本格化、死者1万人説も 米ハリケーン被害”(参照)を読んだ。標題からも想像以上の被害が伺われ、痛ましく思う。すでに各所から批判されているように人災といった側面もあっただろう。
 今回の災害の全貌はまだわからないが、その経済への波及についてはある程度推測されつつあり、四日付のワシントンポスト”Disaster Economics(災害の経済学)”(参照)が扱っていた。一読して、やや意外な印象を受けた。印象的なのは最初の段落の最後にある次の一文である。


The truth is that natural disasters disrupt economies surprisingly little.

 米経済への波及は少ないというのだ。これは今回の災害へのコメントというより、巨大な経済を抱える国家の一般論的な認識らしい。

In a huge economy, the destruction of even an entire city's worth of capital stock represents only a modest financial blow, however great the loss of communities and memories.

 人的な被害については回復できないことがあるが、経済の側面に限定して見るなら、一都市の壊滅も国家経済にはそれほどの影響はもたらしえない。記事にもあるが、ニューヨーク証券取引所の時価総額(昨年九月)は十七兆八千億ドル(約千九百六十兆円)であり、現在推定されているハリケーン被害額をこの株式相場に相当させれば、〇・六パーセントの降下である。
 それはそうなのかもしれない。が、私の印象としては少し奇妙な感じがしないでもない。また、いろいろ想起されることもある。逆に株価の変動というのは米国の数都市を吹っ飛ばすほどかなとも思うが、よくない連想ではある。
 いずれにせよ、ワシントンポストが指摘しているように、今回の災害の経済面での波及は一年程度で吸収されるうるものとみてよさそうだ。つまり、これによって米経済の凋落が始まるといったことはない。
 これに続く話では、むしろ、災害を契機に経済は強化される面が指摘されている。今回のケースでは米社会は石油の浪費を減らす方向に進むべきだったのかもしれないが、この点については冷静に考えるとややがっかりするような対策も出ている。いずれにしても、規模の面からすれば限定的ではあるのだろうが。
 現段階での最悪の事態とはなにかという点についてワシントンポストは、米国民が経済の自信を失い、消費にためらいが生じ、それが引き金となって景気後退するという点をあげている。が、それはないだろうともしている。

The worst case is that Americans lose confidence in the economy and sharply rein in their spending, triggering a recession.

 理由は米経済は失業率も低く健全であるからだというのだ。それもまたそうなのかもしれない。
cover
大きな森の小さな家
インガルス一家の物語(1)
 私は子供のころ「大草原の小さな家」というテレビ番組を好んで見た。ハリケーンによって被害を被る話もあった。あの話の元気づけと、今日のワシントンポストの記事のトーンはあまり変わらないような印象も受ける。これが米国という国なのかなとも思う。

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2005.09.05

ペトロカザフスタンまわりの話

 深読みするといくらでも深読みできる話でもあるが、先月二十二日、中国の石油最大手、中国石油天然ガス集団(CNPC)がカザフスタン油田に権益を持つペトロカザフスタン(カナダ)の買収を発表した。買収額は、四十一億八千万ドル(四千六百億円)。ペトロカザフスタンの時価総額に二割ほど積んだのは、インドもここを狙っていたからとも言われている。
 もっとも、ペトロカザフスタンの原油生産量はカザフスタン全体の十二パーセント、日量十五万バレルとのことで、それ自体で原油ウハウハというものでもない。日経”中国石油、加ペトロカザフスタンを4600億円で買収”(参照)では、この買収で「原油が豊富に埋蔵されているカスピ海の油田開発事業へ参画する道が開ける」と指摘している。むしろそっちが本命なのだろう。
 同記事には、「カザフスタンから中国新疆ウイグル自治区を結ぶ石油パイプラインの建設を進めている実績も評価され、ペトロカザフの取締役会がCNPCの提案を受け入れた」とある。これに合わせて、産経系”独山子石油化工が中国最大級の製油所建設 ガソリン不足解消へ期待”(参照)といった話もある。当然ながら、中国にとっては、中国新疆ウイグル自治区が地政学的にさらに重要になってきた。
 地政学的なリスクからすれば、ナザルバエフ大統領(参照)が独裁しているカザフスタン自体のほうがはるかに高いようにも思われる。なので、中国としては着々と手を打っているつもりなのでもあろう。五月にはナザルバエフ大統領を北京にお持て成しなどもしていた(参照)。七月には逆にナザルバエフ大統領がカザフスタンに胡錦濤主席を迎えた。余談だが、カザフスタン新首都の設計は黒川紀章とかもあって(参照)日本ともなにかと関係が深い。
 結局、この動向って何? というのをフィナンシャルタイムズが先月二十四日扱っていて面白かった。標題もずばり"Beijing's Great Game"(参照)である。グレートゲームといったら、ディプロマシー・マニアも関心を持つのも当然かもである。
 二つの側面があるとフィナンシャルタイムズは言う。


First, China's eagerness to buy access to foreign oil and gas for its growing economy has not been in any way diminished by the failure of CNOOC's financially and politically more ambitious bid for Unocal of the US. Second, Washington has yet to come to terms with China's emergence as a big energy importer in competition with the US and other consumers.

 一つはユノカルはこけたものの中国様はめげないということと、もう一つは中国が米国を初めとして主要な原油輸入国の競争に参戦したということ。中央アジアを巡る争奪戦(グレートゲーム)が始まる。
 このゲームをフィナンシャルタイムズがどう見ているかというと妙に皮肉っぽい。

US officials are right to declare that Chinese policy on energy and foreign affairs should ideally be based on morality and justice. The vital business of oil procurement, however, is the last place to look for such a change of heart. And the west has barely begun to set a good example.

 米国は原油争奪について偉そうなことは言えないよというのだ。やけに中国様に肩入れするものだなとも思うが、普通の経済活動と見れば、原油争奪戦自体はどってことでもないのだろう。
 私はフィナンシャルタイムズの見方とは違い、米国は別の危機への布石をしているようにも思えるのだが、米国自身は表立ってあまりそうした素振りを見せてないようでもある。

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2005.09.04

[書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)

 私の書架に「砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教」(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)という対談本がある。一九七七年の初版だ。ネットの古書店を見ると、まだ入手可能でもあるようだ。内容は標題からわかるが、アフガニスタンの仏教を巡っての話が主軸になっている。アフガニスタンにソ連が侵攻する以前の様子もよくわかって面白い。私がこの本を買ったのは、密教への関心から金岡秀友に関心を持っていたことと(参照)、仏教というのはヘレニズム宗教なのではないかという漠たる思いからだった。
 世界がタリバンに関心を持つようになってから、私もアフガニスタンのことが気になり、なんとなく折に触れて読み返すことがある。昨日も自室でぼーっとしながら書架を見ていてこの本に気がつき、また手に取ってみた。
 アフガニスタンの仏教といっても、パキスタン領のガンダーラ地方とも関連が深いように現在の国境で区分されるものではない。パキスタン側の地域シルカップ(参照)には重要な仏教遺跡クナーラ塔(参照)があり、ここはクナーラ伝説で有名である。
 本書にも引かれているが、クナーラ伝説はこういう話である。アショーカ王の子、クナーラ王子は、美男聡明ということもあり、実母亡き後、若い継母に色仕掛けで言い寄られるが、王子はこれを諫めた。継母は逆恨みをして、夫である王を騙し、クナーラ王子を僻地に追放した。しかし王子は僻地をよく治め評判を高めた。継母はさらに怒り、謀略で王子を罪人とし、その刑罰として、両眼をえぐり山野に追放した。王子は流浪の身となり、歌うことで命をつなぐのだが、ある日、その歌が王の耳に入る。王はそれが息子の声であることを知り、また妻に騙された自分を後悔した。どうしたらよいのか。王は阿羅漢(仏教の聖者)に息子の目が見えるようになるように懇願した。阿羅漢は民衆を集めなさいと王に答えた。そして、阿羅漢は仏教の根幹教義である十二縁起を説法すると、民衆は感涙極まった。阿羅漢は王に言った、その涙を集めて王子の目を洗いなさい。すると、王子の目は元に戻った。
 話は後世のアラビアン・ナイトを彷彿させるが、そういう関連もあるようだ。こうした仏教説話はジャータカ(参照)として収集され、今日では日本では上座部仏教系で知られるようになるのだが、クナーラ王の話でもそうだが、原点は索漠としたアフガニスタンの地ではなかったか。

cover
ブッダ
 銀面女の話も本で紹介されている。こんな話だ。バラモンのカースト(階級)に生まれた銀面女は、女に生まれたことを悔やみ悲しんだ。その人生は苦労を積み重ねるもので、最後は自分の乳房を切って人に与えて死んだ。その善根因果で願いが叶い次の転生ではバラモンの男に生まれた。そして、今生にあってはさらに善根を積むべく、我が身に千の穴をあけ、飢えた動物の子の糧とさせ、死んだ。三度目の転生では王に生まれたので、人々に善政を施した。が、誰も供養しない虫たちもいることを知り。虫たちにこの身を捧げるため、山に入り、虫に血を吸わせて死んだ。かくして四度目の転生に仏陀となった。
 ジャータカではないが本書にはこんな説話も引かれている。スルーパ王という王がいた。王は妻子をつれて山に修行に入ったところ、先に修行した叔父から、欲を断ち切らなくては真理は得られないと告げられた。また、真理がマントラ(偈)にあることも知ったスルーパ王は、叔父にそのマントラを請うと、叔父は腹が減って言えないと答えた。そこで、スルーパ王は息子を差し出すと、叔父はその息子を食った。さらに妻も差し出させ、食った。それでも教えてはくれない。しかたがない。この身を食ってもよい。だがその前にそのマントラを教えてくれと懇願した。すると、ようやく叔父は教えたのだが、スルーパ王は食われた。とその時、王は帝釈天に変わったという。
 こうした話は日本人の心性としてはドンビキという感じだろうか。しかし、アフガニスタンの古い仏教というのはこういう感じのものだっただろうし、その地の風土というのはそういうものなのだろう。金岡秀友の対談相手である菅沼晃はこう言っている。

 しかし、そういう説話を聞かされても日本人はピンときませんね。身を猛獣に投げ与えることにしても美談だとはとても思えない。しないでもいい苦労を、好んでしているのじゃないか、そんな感じさえします。
 それもわが身を飢えるのもののために捧げるのならまだしも、わが子をトラに与えて供養したとか、頭や首を切りとって供養したという話にいたっては、とういてついていけない気がします。

 旅を想起した対談は同じく菅沼晃のこうした言葉で締められる。

 さて、アフガニスタンからパキスタンへ遺跡をめぐりながら重ねた旅行も、このあたりでピリオドを打つことになりますね。アショーカ王がその勢力を誇った地域からすると、その何十分の一にも足りないほどの間を歩いたのに過ぎません。しかも、民族の精神を支えて生きつづける日本の仏教に比べて、すでに遠い昔、砂漠の中に埋もれ去っていったその西アジアの仏教を廃墟の中に訪ねながら、私は人間の精神と風土という問題を、改めて考えずにはいられませんでした。

 捨身と暴虐を背景とした古代のアフガンの風土のなかで仏教は陶冶さてきた。しかし、日本人もその仏教もそうした原風景のようなものに立ち向かうほどの精神性は持ち合わせてはいないのだろう。

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