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2005.09.03

Google Earthで六本木ヘリポートも見えた

 Google Earth(参照)で今回のハリケーン(カトリーナ)によるニューオーリンズ近郊の海岸の被害を見て圧倒された(参照)。と同時に、Google Earthがこうしたツールにもなるのかということに、技術に対する人類の意識変化を促進するとでもいうような、奇妙な感覚もあった。ブログを見回してみると、ブログ「earthhopper」に”ニューオーリンズ近郊の海岸の惨状”があり、写真も掲載されている(参照)。これがGoogle Earthだと、同一場所のオーバーレイになり、災害前と後が直感的にわかる。
 話は変わるが、そういえば、Google Earthだと、あれはどのくらい見えるのかなと気になったので調べてみた。あれというのは、六本木七丁目にある米軍のヘリポートである。Google Mapでも見えるので、それほど隠しているわけでもないなと以前思ったことがある。
 ちなみにGoogle Mapを借りているはてなマップではこんな感じだ(参照)。GPSデータでは35.66326742661621,139.72549438476562である。
 サテライトビューからマップに切り替えてみるとわかるが、ここには特になにもない。マピオンでも見てもそんな感じ(参照)。MapFanだともっとわかりやすく灰色にしてくれている(参照)。まぁ、あそこは日本じゃないから日本の地図には載らないのだろう。
 六本木で朝を迎えたことのある人と限らず、あそこからばたばたヘリが行き来することはよく知られているだろう。ぐぐってみたら案の定、いろいろと喧しい反対運動がある。それももっともなことだが、話としては、「狷介老人徘徊日記」というサイトの「在日米軍ヘリポート」(参照)が面白い。ちなみに、このサイトの主は誰かと思ってトップを見てちょと驚いた。ついでに、別サイトだが、「挙動不審レポ:六本木トンネル」(参照)の話も面白かった。
 というわけで、Google Earthで六本木のヘリポートを見たのだが、おやっというくらい解像度は高く、地図の印象からだと、げ、こんなものが東京の真ん中にあるのかよ感が出ていて面白い。GPS情報は、35.6633,139.7255である。少し南側から傾けてみたのがこんな感じだ。

heliport

 そういえば、Google Earthで丸見えで困ったという話が先日韓国の中央日報の記事にあった。”グーグルが世界を覗く”(参照)である。


 青瓦台(チョンワデ、大統領府)と国家情報院、国軍機務司令部など主要保安施設の衛星撮影写真がインターネットを通じて無制限に公開され、青瓦台が対策に乗り出した。
 世界最高の検索サイトであるグーグル(www.google.com)は最近、全世界を対象に衛星写真情報サービスである「グーグルアース」(earth.google.com)を始めた。誰でもグーグルアースにアクセスしてプログラムをダウンロードすれば、米国や欧州、日本はもちろん韓国の衛星写真を見ることができる。地図を拡大したり縮小したりできるほか、世界主要都市の名前を検索窓に入れればすぐに該当の都市の衛星撮影写真が表れる。


 問題は国内法では主要保安施設に対する衛星撮影写真公開が厳格に禁止されているのに、海外検索サイトのサービスに対して国内法が何の効力も発揮できないという点だ。

 青瓦台のGPS情報は37.586,126.975のあたりのようだ。
 日本人としてはふーんというくらいの印象しかもたないだろう。このページにはコメント欄があり、それを読むと予想したような日本人の印象が載っている。
 いろいろ見ていくと、北朝鮮なんかもそれなりに見えているので面白いと言えば面白い。「激しくお勧め! Google Earth」というページ(参照)にもいろいろ情報があった。

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2005.09.02

スポーツ選手にも喘息患者が多いらしい

 一昨日に続いてまた喘息の話(参照)。喘息のことを考えているとつい喘息のニュースに目が行く。今日の話は、スポーツ選手の喘息についてだ。
 ニュースはロイター”Elite athletes may have asthma and not know it”(参照)だ。標題をベタに訳すと「優秀なスポーツ選手は喘息をもっているかもしれず、しかもそれを知らないかもしれない」ということ。
 身体が屈強なスポーツ選手なのに喘息なの?と不思議に思う人がいるかもしれないが、喘息持ちのスポーツ選手は、けっこういる。元になった専門誌”Thorax”の報告”Impact of changes in the International Olympic Committee Medical Commission criteria for asthma (国際オリンピック委員会による喘息の医学委員会基準変更の影響)”(参照)によると、オリンピック競技者の九パーセントから五五パーセントだという。ちょっと数字がアバウト過ぎかとも思うが、そうらしい。特に冬季競技と水泳に多いらしい。冬場と水泳というとなんとなく喘息と関係しそうな気もする。
 ちょっとぐぐってみたら、喘息持ちの有名選手(”Famous Athletes with Asthma”)(参照)という記事もあった。私はスポーツ観戦にうといでの誰が有名だかわからないが、リストを見るといるもんだなという感じは受ける。
 話をロイター記事に戻すと、こうした喘息持ちのスポーツ選手は、運動誘発性喘息の対処として、けっこうステロイドの吸入薬をほいほいと利用しているらしい。なお、運動誘発性喘息というのは、運動後におきる喘息発作でたいていはしばらくすると発作は収まる。ついでに、小児喘息の運動誘発性喘息については”アレルギー情報センター | ガイドライン | 小児気管支喘息”(参照)などを参考にするといいと思う。
 ステロイドは当然ながらドーピングにも関連するため、オリンピックでは喘息持ちのスポーツ選手は予め医師の診断を添えて申告しておくことになっていたが、この判断基準が変更され、ドーピングに関係ない喘息の吸入薬についても規制対象になるらしい。
 この背景調査で、喘息の吸入薬が安易に利用されていて問題だということに併せて、明確な本人の自覚はないものの喘息を持つ選手も少なくはないらしいというがわかったそうだ。
 喘息を知らずにスポーツ選手になるという話に興味をおぼえる。
 個人的な話だが、私も中学高校と陸上をやっていたが、その背景には、小児喘息で失われた幼年期時代の運動能力を回復したいというような思いがあった。小学生時代ずっと駆けっこは苦手だと思いこんでいたが、訓練していけば、中学時二年生のときには、クラスで二番くらいの俊足にはなった。一番のやつはもう遺伝的に違うんだろなと思うし、所詮自分の運動能力は偽物だと思ったのでライバルとかは思わない。でも、あのとき、一番の彼がいなかったら、自分はなんかスポーツとかに適性があると思いこんだだろうか。よくわからないが、喘息を持つ子供がスポーツ選手になるというのは共感することが多い。

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2005.09.01

朝日新聞「虚偽メモ」事件に思う

 朝日新聞が早々に捏造を認めて、ネットの世界ではもう終わった感のある「虚偽メモ」事件だが、どうも腑に落ちない。ネットというかブログでの取り上げ方もなんとなく平べったいというか、昨日の毎日新聞社説に続く読売新聞社説、産経新聞社説と、ただ、水に落ちた犬は叩けという以上はないように思えた。
 ま、朝日新聞だしな、汚名のリストを更新しましたかということで大筋の理解は間違いないし、私も朝日新聞を弁護したいわけではないが、なんか変だ、と思う。懲戒解雇処された記者についても冤罪とまでは言わないが(もともと法的な犯罪でもないが)、中国文化革命的に汚名を着せられているような印象を持つ。なので、エントリでは私が書く部分ではN記者としたい。N記者(二十八)は「功名心だったかもしれない」と話しているというが、自分の行動を「かもしれない」とだけして語らないのも不思議な印象を受ける。
 すっきりとした結論が見えず、まただらっと書くので読みづらくなると思うが、書いておきたい。なお、基本となる該当の朝日新聞の謝罪記事は”「虚偽のメモ」で記者解雇 誤った記事、本紙が掲載”(参照)である。
 この事件が大きくニュースになったおり、私も、事の概要は読んだものの、それほど関心をもたなかった。というのは、ちょっと言い方は悪いのだが新聞記者の飛ばし記事なんてそれほど珍しいことではない。特に地方関連のニュースはそうだ。そして、このニュースで捏造された問題の重要性も理解できなかった。単純な構図からすれば、田中康夫日本代表、もとい、長野県知事の批判発言が端緒にあるので、田中側の意図があるのではないかと思った。
 ネットの騒ぎを見ているにつれ、違和感が増してきたので、基本的なところでわかる範囲を調べなおしてみた。まず、きっかけとなった田中知事の発言だが、私の印象なのだが、今回の事態を想定していないように受け止められた。発端となった八月二十三日の知事会見(参照)を読み直すと、田中知事は「なお、1点だけ朝日新聞の方にご校正をお願い申し上げたいというか不快感を表明させていただきたいと思います」として、これを校正、つまり、デスク段階のエラーだと基本的に認識している。
 この田中知事の指摘に対して、朝日新聞側は、今回処分されたN記者ではなく、”鈴木逸弘氏”が「そこの部分は朝日新聞としてきちんと取材してますが・・・」と頓珍漢な答えをしている。鈴木記者としても、あれ?という感じではなかっただろうか。あるいは、この会見ではN記者も出席しており、質問もしている。N記者の質問に対する田中知事の応答からは、彼がN記者を比較的懇意に見ているようにも受け止められる。田中知事としては、問題記事がN記者に由来するとはやはり考えていなかったのではないだろうか。
 朝日新聞内部での問題はこの二十三日以降、田中知事の指摘を持ち帰るかたちで検討された。そして公式アナウンスと呼ぶには薄っペラなファックス一枚だけなのだが出たのは一週間後だった。この一週間に朝日新聞内部でなにがあったのか。経緯は該当の朝日新聞謝罪記事からはわかりづらい。むしろ、毎日新聞”朝日新聞記者の情報ねつ造:「功名心だったかも」 推測で情報メモ”(参照)がわかりやすい。


 社内調査によると、西山卓記者は長野総局長らを通して政治部から亀井、田中両氏が「(8月)中旬に2人が会っていた」という情報について情報があったら知らせてほしいと頼まれていた。
 記者は20日、長野県塩尻市で開かれた車座集会で取材をしたが、国政に関する話は出なかった。その後、田中知事に対する直接取材をしなかったが、2人が長野県内で会談していたと知事から取材できたかのような虚偽の情報をメールにし、総局長や県政キャップ、政治部記者に送った。

 ”虚偽メモ”ができるいきさつは、こうらしい。

 1 東京の朝日新聞政治部から長野総局長に依頼があった。
 2 依頼の内容は「八月中旬に亀井・田中が会っていた」について情報が欲しい。
 3 依頼は長野総局からN記者に渡された。依頼の形式は不明。
 4 N記者は田中知事を取材できるチャンスがあったのにしなかった。
 5 N記者は”虚偽メモ”をメールで、長野総局長、県政キャップ、政治部記者に送った。

 「県政キャップ」というのがよくわからないのだが、まず、気になるのは、”虚偽メモ”が私信のようなメールではなく、同報メールのようになっていることだ。なぜそのような形式になったのだろうか。
 その疑問は、最初のN記者への情報の依頼の形式につながる。東京の朝日政治部はどのような形式で長野総局長に依頼したのだろうか。電話だったのだろうか、メールだったのだろうか、ファクスだったのだろうか。返信の形態から考えてメールだろうと推定していいだろう。そして、恐らく、これは、東京の朝日政治部から長野総局長に宛てたメールを「メモ作っておいてね」という感じでN記者に転送したのではないか。この推測が正しければ、メモ作成に至る経緯では長野総局長が主体的に情報に関わっていない疑いがあり、それは先の知事会見での鈴木逸弘氏の頓珍漢なリアクションと整合しているように見える。
 次に、依頼の内容はどのようなものだったのだろうか? つまり、依頼された内容は、次のどちらだっただったのだろうか。

 1 長野県で八月中旬に亀井・田中が会っていたのか。
 2 八月中旬に亀井・田中が会っていたがそのときの田中の反応はどうだったか。

 タメのリスト設定のようだが、処分後の報道からすると、1ということで話が進んでいるのだが、その後のN記者の行動からは1が抜けた2だけの可能性もあるように思える。
 実際、長野県ではなく東京だが、亀井・田中は会っていた。これは事実だ。N記者もそれを知っていた。
 東京の朝日新聞政治部側としては、東京の自民党サイドで充分な情報収集ができなくなっていた状況がある。これは八代議員情報の特オチなどからも推測できる。なので、長野県の田中サイドの情報が欲しいということではなかったか。
 N記者はこの依頼をただそういう田中側の補足情報という話の枠組みで受け取ったのではないか。そう考えると、N記者が田中知事に再取材しなかった行動が理解できる。N記者にしてみれば、田中知事の発言・行動はよくわかっているつもりだったという思いがあっただろう。
 一連の動きのなかで、主導的な役割にいるのは誰だろうか?
 明白に、東京の朝日新聞政治部の記者である。
 それどころか、問題の記事を書いたのは、東京の朝日新聞政治部の記者だろう。
 私の推測だが、朝日新聞内には一種の身分差別のようなものがあり(これは朝日新聞と限らないが)、上位の東京の政治部の判断にはただ従うだけという条件付けができていたのではないか。N記者としては、東京の朝日新聞政治部が言うのだからという以上の吟味の発想はなかったのではないか。
 結果的に朝日新聞は虚偽記事を出したわけだが、誰が処罰されるべきか? 実際に記事を書いたであろう、東京の朝日新聞政治部の記者が処罰対象になるべきではないのか。悪い言い方だが、N記者はパシリである。パシリに責任を取らせるだろうか。
 実際に処分になったのは次のとおりだ。


 懲戒解雇処分にしたのは長野総局の西山卓記者(28)。取材報道の責任を問い、東京本社の木村伊量・編集局長と金本裕司・長野総局長を減給、更迭。持田周三・政治部長と脇阪嘉明・地域報道部長をそれぞれ譴責(けんせき)、曽我豪・政治部次長を戒告処分とした。さらに編集全体の責任を問い吉田慎一・常務取締役編集担当を役員報酬減額(10%、3カ月)処分とした。

 そこに東京の朝日新聞政治部の記者はない。
 一応機構上、東京本社の木村伊量・編集局長は減給にはなった。彼の責任はアンカーマンとして当然ではあるが、なぜN記者の処分が重く、そして、実際の記事作成に深く関与している東京の朝日新聞政治部の記者がスルーされているのだろうか。また、この構図は、朝日新聞・NHK問題での社会部副部長という肩書きはあるが本田雅和記者のプロテクトにも似ている。
 仮定に仮定を重ねているように聞こえるかもしれないが、この処分決定のための空白の一週間だったのではないか。
 若いN記者には今後もジャーナリストの現場で活躍してほしいと私は思うし、田中康夫がある一定の政治権力を維持するなら骨くらい拾ってやってくれとその人情に問いたい。すでに、骨拾いは朝日新聞内でできているというなら、それはそれで、以上の疑惑の構図を補強するものかもしれないが、ま、人情の内だ。

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2005.08.31

喘息患者の脳は喘息を連想する言葉に反応する

 二十九日付で海外に出ていたニュースなのだが国内報道はあっただろうか。喘息についてのニュースで、喘息の患者というのは、喘息を連想させる特定の言葉を聞くとそれに脳が反応して、喘息発作の引き金になるようだ。読みやすいところでは、BBC”How emotions spark asthma attack ”(参照)がある。
 喘息の被験者に提示された言葉は、"wheeze"、"loneliness"、"curtains"で、wheezeが喘息のぜいぜい、lonelinessは孤独、curtainsはカーテン。wheezeに脳が反応したということ。最近はやりのfMRIを使った研究だ。
 日本語だと、wheezeに相当する言葉はなんだろうかと思うが、ぜいぜいという感じだろうか。呼吸ができないよぉ、くっ苦しい、ボンベはどこどこ…といった感じか。そう、私は小児喘息だったので、こうした問題はまるで他人事ではない。
 同じく小児喘息だった人や大人になって喘息を抱えている人となんとなくこの話題で話すことがあるのだが、どうも、わかるよね、というのがある。あーこの人、喘息持っているなぁという雰囲気がわかるのである。神経質とかひ弱なという感じとは違う、なんかある種の感じだ。ちょっと言い過ぎかもしれないけど、ある物事に対する切迫感の込め方になんかある、というのともちょっと違うのだが。
 こういう話は誤解されやすいかもしれないが、小林よしのりが小児喘息だったらしく、彼はその思い出を漫画のあちこちに書き散らしている。あの感じは、現在の政治漫画以前の東大一直線とかにも表現されていたような気がする。
 小林の話で身につまされたのは、彼の幼友達で同じく小児喘息だった子の話だ。それが直接の原因というわけでもないかもしれないが、死んだ。あの子が喘息で死んだのに自分は生きているというあの感じはわかるなと思う。なんとなく、私も、自分が心のどこかで不正に生きているような気がする(そりゃそーだろとかツッコミはなしね)。
 なぜあの苦しみがあり、そしてなぜそれを自分が克服したのか? 私の場合、内面では、ある時、ある意識の持ち方をがらっと変えたような感じがするのだが、小林もそうなのではないかと思う。映画「ブリキの太鼓」の最後で主人公オスカルが、ええい大人になろうと決心するシーンがあるがああいう感じだ。もっとも、喘息患者がそうした内面の決意でよくなるということが言いたいわけではない。むしろ、そうした感性はある結果なのだろうとも思う。
 BBCのニュースに戻ると研究者のこんな会話を引いている。


"We have always known that asthma and a patient's personality and emotions are very intrinsically bound up with each other.

"We do need further research into this."

For example, whether increasing the dose of medication might help to cover tough emotional times.


 今回の研究では、直接的に喘息を連想されるキーワードが重視されたが、研究者は、喘息患者の感情の持ち方に関心を持っている。もちろん、当面は、有効な治療方法を模索するという側面ではある。
 が、これもいろいろ思い出すことがある。たしか、吉本隆明の奥さんが喘息持ちで、吉本がそれを観察したエッセイを読んだことがあった。夫としては、あーくるなという感じがわかるのだそうだ。奥さんのほうもわかっていてそれを止められないのだろうな、と夫としての吉本は見ているというものだった。このあたりの話は、吉本ファンなら誰もがしっている奥さんからの吉本評である、「あんたの背中には悪魔の羽がばたたしている」というにもつながるように思う。そして、ちょっと言いづらいのだが、この感じはある種のエロスにもつながっているように思う。
 話が散漫だが、天理教を開いた中山ミキについて以前少し調べたことがあったのだが、今でも天理教では、たすけせきこむ、という表現をしている。ミキが喘息であったかどうかは違うのではないかと思うが、このたすけせきこむ、というのは、喘息の切迫感のような不思議な表現だなと思ったことがある。こういう心のあり方が人類には必要だったのではないかなと夢想することもある。喘息は多分に遺伝的な問題なわけだが、この遺伝が人類にどういう意味を持つのか、あるいはそういう問い方は違うのかもしれないが、心に引っかかっている。
 そういえば、喘息は悪い話ばかりではない。喘息患者はがんの死亡率が低いそうだ。先月のニュースなのでネットにはもうあまり残っていないが、”Cancer deaths lower among asthma, allergy patients ”(参照)という話があった。

One good thing about having asthma or hay fever, if such a thing can be said, is that it apparently reduces the overall risk of dying of cancer, compared with the odds for people with neither of these allergic conditions, according to a new report.

 このニュースを詳細に調べると、そう言えたものでないかなという感じもするが、ま、喘息にも少し良いこともあるかもねと思ってもいいかもしれない。

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2005.08.30

財務省理財局はどうよ論についての雑談

 入口改革論と関連して、諸悪の根源は郵政じゃないだろ財務省だろ論がある。これが私にはよくわからない。単純に理解できない点があるので意見を述べても外しているだけかもしれない。だが、軽く雑談という程度で触れてみたい。
 なお、特定の意見への反論というわけではないので誤解なきよう(あくまで意見のタイプとして扱っているだけ)。ついでに補足しておくと、公明党嫌いの私が小泉政権を支持するのは原則的に今回だけ。またどんな理由であれ(又吉さんを信じるとか)、郵政民営化に反対という意見のかたがいてもいい、それが多数ならそれが日本の現状だと私は受け入れる。それが民主主義なんだし、どうぞ、ご自由に。ただ、私の意見が参考になれば幸いかなとは思う。いずれ、各自自分で考えることのほうが重要でしょう。
 さて、郵政民営化が実施されると、三五〇兆円もの規模の銀行・保険業が、金融庁の管理下に一括される。現状のままであればこれだけ巨大な銀行・保険業が総務省管理ということになる。こうした形態は先進民主主義国ではありえないのだが、というところで、「そうでもないだろ、米国のファニーメイやフレディマック(Fannie Mae、Freddie Mac)がある」といった声も聞くが、これは銀行・保険業ではない。郵政のように国営の銀行・保険業は日本が発展途上の一時期は有益だったかもしれないが日本が先進民主主義国になった現在、これらは通常の銀行・保険業の発展を阻害するものにしかならない。ま、このあたりもいろいろ議論はあるのだろうけど、銀行・保険業は竹中平蔵が言うところの「純粋な商法上の一般法人」というのが原則になる。
 この変更によって、郵政のカネの支配が事実上総務省から財務省下に移る。
 なので、これをもって、郵政民営化を財務省の権力闘争とか陰謀と見る向きがある。この手の話は趣味の領域だと思うので、他人の趣味に口出しするのも野暮というか無粋なものだ。
 だが、少し話を薄めると、入口改革論と関連して、財投問題は入口改革じゃないだろ財務省理財局だろ論というのがある。ネットなどを見ると、国会で発言もした山崎養世ゴールドマンサックス前社長がそうした意見の代表みたいでもある。発言のようすはオンデマンドで再生できるとのことなので聞いてみた(WMP用・参照)。
 私の感想なのだが、よくわからなかった。いつの時代の話なのか、どの状況設定なのか戸惑った。
 私の理解が単純に間違っているかもしれないのだが、財投は財務省理財局が問題だろ論が、昔の話ではないなら、郵政民営化が失敗したときの議論なのではないか。
 郵政民営化が失敗し、つまり、入口改革論が失敗した場合には、確かに、財務省理財局のコントロールは重要になる。
 例えば、民主党は党としては郵政民営化を標榜してないので(小沢は郵貯・簡保の民営化支持)、仮に民主党政権で郵政民営化反対ということになれば、財投を握る財務省理財局の管理が重要になるのは当然だ。入口が断たれないので放置しておけば財投の問題が解決できない。
 だが、郵政民営化が実現した場合は、財務省理財局の出番は徐々になくなる。
 「郵政民営化に関する特別委員会 第11号」(エントリの末に資料添付)からわかることだが、財務省との関連では、現状「平成十九年度まで郵貯等による財投債の直接引き受けが経過措置として行われている」のだが、「預託金の支払いが基本的に終了する平成十九年度まで財投債等も引き受けていただいておりますが、基本的に平成十九年度で終わらせる」ということで、この時点で、財務省理財局のこの仕事は終了することになっている。
 なので、郵政民営化が実現すれば本筋としては財務省理財局を重視する必要はなくなる。
 それと、私の理解が間違っているかもしれないが、このカネは現行の郵政のカネ、つまり旧勘定のことではないのか。だとすれば、民営化された郵便貯金銀行が新勘定をもって財投債(国債)をどう扱うかという問題では、一般の銀行と同じ問題になるだろう。議論の枠組みが変わる。
 話を少しこんがらがらせてしまうのだが、一般の金融市場において、明確に政府保証が付く財投債(国債)として財務省が管理しているならそれはそれでよいのではないかと私は思う。公の事業は本質的に必要なものだ。そして、その場合重要になるのは、本来政府保証がないはずの財投機関債になる。こちらが、特殊法人にとっては主軸となる資金源となるべきからだ。だからこそこれに暗黙の政府保証がついてしまうのは困る。この話はすでに書いた。特に財投債から「今後本来あるべき財投機関債へ移行する道筋がないようにも見える」のは困った状態だ。
 以上が、財務省理財局はどうよ論についての私の理解だが、間違っているのかもしれない。
 郵政民営化は緩慢に進む改革ではあるが、郵政のカネが財投に流れる経路は断たれ、現状の財務省理財局の役割は変わる。
 以上の理解でよいとして、それでも「これまでの財務省理財局はどうよ」というのはあるかもしれない。その責任を不問にするのかという話だ。
 確かにそれは問題だなと思うが、むしろそれを確定するのは郵政民営化を進めてからのことではないだろうか。
 財務省を弁護するものではないが、郵政にあれだけどかんと民間の市場で動けないカネがあれば財務省が対応するしかなかったのかもしれない。むしろ、入口改革論でこのカネを減らしていくのは正しい改革のように思える。
 余談だが、今回の選挙で、落下傘部隊よろしく出てきた財務省出身者だが、これをもって財務省の権力拡大と見るむきもあるようだ。だが、財務省のお先を見切ったと見てもいいのではないか。

参考:「郵政民営化に関する特別委員会 第11号」


○竹中国務大臣 入り口、出口、その経路である中間、これは、繰り返し申し上げていますように、やはりそのすべてを改革しないとお金の流れは変わらないということなのだと思います。
 そのうち、資金の流れの出口につきましては、これは既に財投改革や特殊法人等の改革が進められておりまして、特殊法人等整理合理化計画の改革対象、これは百六十三法人のうち百三十五法人について廃止、民営化、独立行政法人化等の見直しを行う等の改革の成果も上がってきていると思います。
 また、十七年度の財投の再編におきまして、特殊法人等が行うすべての財投事業の財務の健全性につきまして、これは民間準拠の財務諸表も参考にしながら総点検を行った、そして、特殊法人等向けの投融資額をピーク時の三分の一程度に圧縮した、そのような出口の中間の改革も進んでおります。
 もう一つ、出口に関しては、政府系金融機関改革につきまして、平成十四年十二月の経済財政諮問会議におきまして、民間金融機能が正常化することを前提に、現行政策金融機関は、民業補完に徹して、かつ、貸出残高について将来的に対GDP比率で半減することを目指すこととしたことを踏まえまして、現在改革を進めているところでございます。
 そこで、お尋ねの入り口の部分でありますが、これまで、特に財投の制度が存在をしてきた時期においては、入り口のところでの郵貯、簡保、それが制度的にそういった財投の仕組みを通して政府系の機関に流れるという仕組みが機能してまいりました。出口のところを今小さくしているというお話を申し上げましたが、入り口のところでの郵貯、簡保の資金というのは政府が集めた資金で政府保証がついている。したがって、それについてはいわゆるリスクをとれる資産にはなれない、安全資産に主として運用せざるを得ないということでありますから、どうしてもこれまでと同じような国債とか財投の機関にこのお金が流れている。
 一言で言いますと、やはり入り口のところの資金を民営化して、リスクをとれる資産、リスクをとれる投資、つまり、民間に流れるような仕組みを入り口で同時にあわせてつくっていかないと、全体としてのこの資金の流れを官から民へと改革するということは困難である。これが、入り口、出口、中間をあわせて改革する、とりわけ入り口としての郵貯の民営化が大変重要であるというふうに考える理由でございます。
○一川委員 これは谷垣大臣の所管になるかもしれませんけれども、先日の委員会の中でのやりとりにもありましたけれども、その財政投融資改革というものに、これからその健全化に向けて取り組んでいきたいというような趣旨の御答弁をされておりましたけれども、今のこの入り口論、出口論、いろいろとございます、それから、中間的に財務省理財局も重要な役割を担ってきたわけですけれども、そういう中で、これからの財投改革というんですか、これは今の郵政民営化と絡めてどういうスケジュールでどういうふうに取り組んでいかれる方針なんですか。
○谷垣国務大臣 今、竹中大臣からもお話がございましたけれども、入り口と出口というのは絡み合っているんだろうと思います。
 今までは、要するに郵貯で集めたお金は十三年まで全額預託義務があって、それは財投に回っていくということでございましたから、その仕組みは平成十三年度で基本的には終わらせた。今、基本的にと申しましたのは、預託義務はなくしましたけれども、現実には、平成十九年度まで郵貯等による財投債の直接引き受けが経過措置として行われているわけでございます。これは、預託金の支払いが基本的に終了する平成十九年度まで財投債等も引き受けていただいておりますが、基本的に平成十九年度で終わらせる。
 そうなりますと、お金の流れの直接的な関係は切れていくということになるわけでございますから、当然、そのときに郵貯の方でも自立的な動きというものをどう道をつけていくかということがあると思いますし、私どもは、郵政の集めたお金とは別個に、残る財投、財投もまだ必要なものがこれはございますから、どうしていくかということが起きてくるんだろうと思います。
 そこで、基本的な構造としては、平成十三年に預託義務を廃止して、財投債ないしは財投機関債を発行してマーケットを通して必要なものを集めるという仕組みをつくって、今までのように、たくさん集まったらそれをそのまま必要もないものに使うという御批判がございましたけれども、そういうものを克服しようとしている。
 一方、もう一つやらなければならないことは、やはり財投機関の見直しでございます。
 それは、政策コスト分析の導入であるとか、それから貸出先の特殊法人等における民間準拠の財務諸表を導入するというようなことをやりまして、財投機関の必要性や債務償還性というものをきちっと見ていこうということでやらせていただいておりまして、先ほど竹中大臣からも御答弁がございましたけれども、平成十七年度特殊法人等向けにつきましては、ピーク時、これは平成七年に当たりますけれども、三十一・七兆ございましたが、三分の一の十一・三兆に縮減をしたわけでございます。この規模がまだ大き過ぎるかどうかいろいろ議論もあろうかと思いますが、先ほど申し上げましたような財投機関の健全性や何かを見ながら、真に必要なものは何だという道筋は、これからも常に点検をしていかなければならないと思っております。
 それから、十七年度の財投計画編成につきましては、財政制度等審議会ですべての財投事業について総点検を行っていただきまして、特に財投残高で大きなウエートを占めております住宅金融公庫、これは民間で取り組んでいる直接融資はもう廃止しよう、それから、都市再生機構についてはニュータウン事業から撤退するというような抜本的見直しを実施いたしまして、財投機関の問題点というのを一応えぐり出してきたところでございます。
 今後とも、引き続き今のような視点からきちっと見ていかなければならないと考えております。

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2005.08.29

入口改革論のダークサイド

 気乗りしない話でもあるので書かないつもりでいたが、簡単に書いておこう。
 最初に二つお断り。一つは、この議論はそれほど重要ではないということ。もう一つは郵政民営化の重要性については大筋ですでに触れた以上はないということ。
 また、以下の話は大変に読みづらくわかりづらい。関心のあるかただけの参考としてほしい。
 後半部にトンデモな条件を入れているが明示的に入れているので、そのトンデモ度については読まれる方の判断としてほしい。
 では。
 話は「第162回国会 郵政民営化に関する特別委員会 第7号」での藤本祐司の質問に対する竹中平蔵の回答を読み解くことで進める。


○藤本祐司君 (中略)
 まず、郵貯、簡保の旧勘定、新勘定、この件についてなんですけれども、郵貯に関してなんですが、旧勘定になるのと新勘定になるのがそれぞれ幾らあって、どのような性質のものが旧勘定になって新勘定になるんでしょうか。竹中大臣、お願いします。
○国務大臣(竹中平蔵君) まず、事実でございますが、民営化前に預け入れられました郵便貯金、約二百兆円だと想定されますが、及び民営化前に締結された簡易生命保険契約、約百十兆円ぐらいと想定しておりますが、これにつきましては、通常郵便貯金等を新勘定として郵便貯金会社に承継をさせる。そして、定額貯金等の定期性の郵便貯金と、これ百五十兆円分、及びすべての簡易生命保険契約約百十兆円分を旧勘定分として機構に承継されることとしております。
○藤本祐司君 保険の方をちょっと除いて郵貯の方だけいきますけれども、旧勘定の約百五十兆円については、その管理、運用というのは機構がやると。そして、機構が実際にはその管理業務をやるということではなくて、その実際の管理業務はまた別のところがやると思うんですが、これは法的にどこに書いてあるものでしょうか、竹中大臣。
○国務大臣(竹中平蔵君) 今申し上げたことの振り分け等々の法律的な規定でございますが、次のように規定をしております。
 郵便貯金銀行に承継される通常郵便貯金については、郵政民営化法の第百七十二条第一項におきまして、「この法律の施行の際現に存する旧郵便貯金法第七条第一項第一号に規定する通常郵便貯金」、中断ありまして、これは、「この法律の施行の時において、承継計画において定めるところに従い、郵便貯金銀行が受け入れた預金となる」旨を規定をしております。
 規定はこれでよろしゅうございますでしょうか。

 まず、簡保については議論を捨象。
 ポイントは、郵貯の旧勘定の約百五十兆円の管理・運用は、機構が実際にはその管理業務をやるということではなくて、その実際の管理業務はまた別のところがやる、ということ。

○藤本祐司君 それと、あと百六十条の第二項のところにあろうかと思います。まず、いわゆる機構法十五条第一項の契約というものに対しては、郵便貯金銀行の方に承継を、承継といいますか、法律の施行のときにおいてその郵便貯金会社を相手方として契約を結ぶということになっておろうかと思いますけれども、それはそれでよろしいんでしょうか。
○国務大臣(竹中平蔵君) 失礼いたしました。資産の振り分けでございますから、更に追加の説明が必要だと思います。
 そして、新旧勘定の一括運用を実現するために、承継時におきまして、貯金については機構とそして郵便貯金銀行との預金、特別預金を創設しまして、簡保については機構が郵便保険会社に再保険を出再することとしている。これは正に委員御指摘のとおり、郵政民営化法案第百六十条の第二項第一号、第三項第一号の規定でございます。
 また、特別預金の預入金及び再保険の保険料につきましては、それぞれ郵便貯金銀行、郵便保険会社が公社から承継する資産をもって充てるということもこの民営化法の第百六十条第二項第二号、さらに第三項第二号にまとめて書いてございます。
○藤本祐司君 今おっしゃるとおり、百六十条に関しては、要するに施行のとき、郵政民営化法の施行のときにおいては必ずそこの、今あった指摘どおり、郵便貯金銀行と契約をするということになっておるんですけれども、一方、機構法の方の第十五条の一項、こちら、第十五条の一項によりますと、「機構は、銀行その他の者との契約により当該者に郵便貯金管理業務の一部を委託することができる。」ということになっているんですけれども、要するに、百六十条で、契約というのは民営化されたその施行のときは契約をしていなければいけないと。ただ、十五条で、銀行その他、つまりここでは郵便貯金銀行という指定はしていないわけですね。だから、一般の民間銀行ともこの一部委託契約ができるということになるという解釈でよろしいんでしょうか。

 問題は、郵貯の旧勘定の約百五十兆円の運用について。この運用は直接は郵便貯金銀行につながるのではなく、扱いには契約を必要とする。しかも、この契約は、法文上は郵便貯金銀行以外にも開放されているように見えるということ。

○国務大臣(竹中平蔵君) この特別預金の例でございますけれども、これ、機構法上どうなっているかといいますと、郵便貯金資産の運用方法の一つであります金融機関への預金に該当するもの、このスキームの安全性、効率性においては、これ当然機構にとって、機構としてはこの郵便貯金銀行に委託する以外により望ましい方法というのはなかなか想定はされないわけでございますけれども、法律上の制度設計上は今委員がおっしゃったようなことは可能としております。
○藤本祐司君 要するに、法律上は、まず施行時、その施行時においては郵便貯金銀行に委託するんだということなんですけれども、それを過ぎれば別の銀行に委託することができる、可能であるということは、法律上はそうなっていて、理論上はそうなっていると。現実的にはそれが難しいというお話はありましたけれども、法律上そうであるということは、可能性は、要するにほかの銀行に委託する可能性はゼロではないという、そういうことだというふうに解釈できるんですけれども。
 そうであれば、ここはやはりきちっと、銀行その他の者との契約というのではなくて、きちっと郵便貯金銀行と書いても問題ないんじゃないかと、むしろ書いた方が安心感を与えられるんじゃないかなというふうに思うんですけれども、ここ、なぜ書いていないのかと。先ほど竹中大臣は、現実的にはそういうことはないだろうけれども銀行その他というふうに書いてあるというふうにおっしゃったんですが、そこの理由についてちょっと御説明していただきたいんですが。

 竹中の理解では、旧勘定の約百五十兆円の運用は一般銀行でも可能だが、現実的ではない。なので、藤本祐司はだったら、きちんと郵便貯金銀行に委託しろと法文化すべきと主張している。ただ、そうすると、郵政民営化とは名ばかりで、民営化後の一体感ができてしまう。

○国務大臣(竹中平蔵君) まず、これ大変技術的な問題、今丁寧に御質問してくださっていますが、なぜそもそもこういうふうに旧勘定を分けるかというと、これ政府保証が付いているからと。で、政府保証付いているところに問題、ものについては、これ民間がそのまま引き継ぐというのではなくて、そうすると負債側に政府保証が付いた預金という負債が来るわけでありますから、これはやっぱりきちっと切り離しましょうということになる。しかし、これは一括してかつての郵政の皆さんが集めたものであるし、だからその利益がちゃんとそこに帰属するようにしたい、かつ資産、負債の一体運用をやっぱり効率的に一体でやってもらいたいと、そういうそもそもの制度設計で、この部分については切り離しましょうということを、考え方として基本方針でまず述べているわけでございます。
 これを実現するために、我々は基本的には、だからこれ郵便貯金銀行に運用してもらうということを想定しているわけですが、法律上、じゃなぜそういう特定をしていないのかと。最初は特定しているけれども、途中からそうなっていないという、その御質問なわけですが、これは、あえてこれ制度のつくり方として申し上げますと、万が一に、これ万が一にでございますけれども、そこの郵便貯金銀行でその運用等々において非常に不正等々が行われたような場合等々、これは機構としては、利益を守るためにそこから、そこを避けて別のところにというようなことも可能性としてはないわけではないわけでございます。
 もちろん、先ほど言いましたように、それが現実的であるとは想定をしておりません。しかし、そういう場合も万々が一に想定をして、法律上は、制度としては、制度設計としては同様の契約をできるような制度設計にしたというふうに御理解を賜りたいと思います。

 ここが重要。
 なぜ、旧勘定と新勘定にわけるかというと、旧勘定には政府保証がつくため。つまり、現行郵貯に預けた国民の貯金は完全に政府保証が付く。逆にいうと、その国民の貯金を守るために、その切り分けとして旧勘定がある。
 しかし、その旧勘定で郵政が得た利益は、新規郵便貯金銀行が得るべきではないか、という議論がある。それはある程度納得できる。むしろ、その点では、藤本祐司が言うように、その預金ともども郵便貯金銀行にするっと移行しろという発想もなりたつ。
 なのに、そうしていないのはなぜか。
 竹中はこれは、「郵便貯金銀行でその運用等々において非常に不正等々が行われたような場合等々」の危険から国民の貯金を守るためだとしている。
 もちろん、竹中は、それが現実的に起きるとは想定していない。が、竹中贔屓にいうと、こうした法制度そのものが予防策になるという自負があるからではないか。
 ここで、大きな問題の一つが浮かび上がる。郵便貯金銀行で資金運用に不正が起こる可能性は、可能性としてはあるということ。ここは留意して先に進む。

○藤本祐司君 要するに、法律上はほかのところでもできるということだけは確認できるんだろうというふうに思いますけれども。
 それでは、郵貯の旧勘定分は十年後は、旧勘定分ですね、先ほど百五十兆円というふうに言われましたけれども、十年後、どのぐらいになるものなんでしょうか。
○国務大臣(竹中平蔵君) 機構に承継されました定額貯金等々の定期性の郵便貯金、これはもうメーンでございますけれども、この郵便貯金につきましては、最長の預入期間、これは御承知のように定額貯金十年でございます。したがって、十年経過後は法律の規定によりまして通常貯金になる。したがいまして、このことから、民営化後十年経過した段階で機構が有する定期性の郵便貯金の残高はゼロになると。したがって、基本といいますか、原則はこの十年でゼロになるというふうにお考えいただいていいわけでございます。
 ただし、実務上申し上げますと、すべての預金者が満期後すぐに払戻しを受けるわけじゃない、つまり取りに来ない人が現実問題としてはいる、こういうのをいわゆる期満預金というふうに言うと承知しておりますが、厳密には、その貯金の旧勘定の債務は十年経過後もゼロにはならないと、そういう期満貯金の存在でゼロにはならない、そのように理解をしております。
○藤本祐司君 それでは、ゼロにならない、私もそう思いますけれども、実際に取りに来なかったと、放置しているというような場合があるんだろうと思いますけれども、その分のその勘定はどこに残ることになるんですか。通常貯金だという話ですけれども、それはどこに残ることになるんでしょうか。

 重要な点は、まず、旧勘定の資金、つまり、現行の郵貯に預けた国民の貯金は、十年後には、理想的にはゼロになる、ということ。というか、これは、理論上そうなる。新規の郵便貯金銀行の新勘定に移るからだ。
 このあと、藤本祐司は忘れられたカネはどうなるといった議論を展開するのだが、これはそれほどどういう話ではないので、割愛。
 問題は、では、十年してゼロになるはずの現行の郵貯の資金はその間に民間に流れるのかという問題に移る。

○藤本祐司君 分かりました。
 それで、今回見てみますと、今、旧勘定として残り百五十兆、これについては当初、当初は百五十兆で、だんだん減っていって、限りなくゼロに近くなるという御説明なんだろうと思うんですけれども、その百五十兆については政府保証が残っているということです。
 ですから、裏を返して言えば、本当に民間の資金というふうになるというか、政府保証が付かないもの、付かないというか、完全に付かないわけじゃないんですけれども、その郵便貯金の方、貯金銀行の方に移っている五十兆、これがどちらかというと官から民へ移ったものだというふうに思うんですけれども。
 ただ、今まで何度も何度も、総理も竹中大臣もそうなんですけれども、三百四十兆円の資金が民間に移ると、という説明をしているんですが、これは実際には三百四十兆円の資金が民間に移るわけではなくて、民営化した当初、その時点では五十兆円が民間に移るという解釈になるんだろうと思うんですけれども、一般的には三百四十兆が移っているかのようにここは報じられていて、みんな割とそのように理解をされているんだろうと思います、よくメガバンク何行分だとかという話になりますからね。そうすると、五十兆というと、メガバンク大体大きいところでは東京三菱辺りだと一行分なんですけれども、その分だけが民間資金として活用されるんだということの認識でよろしいんでしょうか。
○国務大臣(竹中平蔵君) 我々もそういう、同様の御指摘を受けてから言葉遣いを大変注意をしているつもりなんですが、三百四十兆円の官の資金が民間の資金になっていく道を開くと。
 したがって、二〇〇七年四月一日の時点においては、これは今正に藤本委員が御指摘のとおりでありまして、その点に関しては、政府保証が付いた独立行政法人の預金なわけでございますから、そのものについては、これはまた要するに従来の形が残っているわけでございます。しかし、これは、徐々に徐々にこれは減っていくと。
 それで、実際に何が起こってくるかといいますと、これは満期が来ましたと。さっきの期満預金を除きますと、満期が来た分については、これは当然郵便局の、ないしは郵便貯金銀行の営業努力として、これはできるだけ新しい新勘定に預け替えてくださいよというものもあるでしょうと、ないしは、ひょっとしたら窓口の方では別の金融商品でフィーを稼ぐというのもあるかもしれません。
 しかし、そういう過程で、正に民間に徐々に徐々にこれは満期に近づくにつれて変わっていくわけでございますので、私たちが申し上げたいのは、正にそういうふうに次第に民間のお金になる道が開かれていくということでございます。委員御指摘のような誤解を招かないように、私たちは説明は注意をしなければいけないと思っております。

 つまり、法案が通れば郵政民営化が実現される二〇〇七年四月一日の時点では、三百四十兆円の資金はまだまだ民間には流れない。このプロセスは十年もの非常に緩慢なプロセスになる。
 民営化のエフェクトは非常に緩慢であるということ。
 問題は郵貯の旧勘定百五十兆円の扱いに移る。ここに重要な問題が潜んでいるように思われる。

○藤本祐司君 それと同じことなんですけれども、要するに百五十兆円というのが政府保証が付いているわけで、ここについても、法律上、機構法二十八条に定められていて運用方法というのは限られているわけなんですが、これについて言うと、公社のときよりも運用方法というのが物すごい狭まってしまっていると。
 そうなってくると、結局、最初から言っているように、政府保証が付いたものだと、国債だとか、まあ財投債も含まれるわけなんですけれども、そういったものに回ってしまう。つまり、入口の改革が出口改革につながるんだというふうに言われているわけなんですが、実際には百五十兆円というものが政府保証が付いたものであって、運用の方法が物すごい限定的になっていると、結局これは国債だとか財投債だとか、そちらに回るお金になってしまうと。多分、想定されると、だんだん減っていきますよという、多分そういうお話なんだろうと思いますけれども、少なくとも百五十兆というお金が当初残っていて、五年たってもまだそれが多分半分とか、ちょっと五十兆ぐらいになるんだろうと思いますけれども、その間はそれで回すしかなくなってくるんじゃないかなというふうに思って、ほとんど、その辺の入口の改革が出口の改革につながるのかというと、当面は全くつながらないんじゃないかなというふうに思うんですが、いかがでしょうか。
○国務大臣(竹中平蔵君) これも先ほど御説明をさせていただきました、そもそもなぜ旧勘定を分けるかということでありますけれども、私たちとしては、今までこれ政府保証が付いています。政府保証が付いているから安全資産で運用されてきました。実は、このバランスシートの借方に政府保証が付いた債務があって、貸方にそれに見合った安全資産があると。このバランスシートの固まりをやっぱり切り分けてきっちり管理していかなければいけない。これがやはり旧勘定を機構という形で承継させようというそもそもの方針だったわけでございます。
 これは、当然のことながら政府保証が、これもう約束した政府保証ですから、これはもう十年間必ずなくなるまでは付くわけでございます。政府保証が付く以上は、これはやはり安全資産で運用をしていただかなければ、国民のリスクを考えるとやはり困るということになる。そういう点から、機構の運用範囲につきましても、委員御指摘のようにそれなりの制約といいますか、運用範囲はある程度限定をしていただかなければいけないということは、この中でも、法律の中でも規定をしているところでございます。
 それが、したがって、その借方だけではなくて貸方の方、貸方だけではなくて借方の方もなかなか民間にお金が流れていかないではないかという点に関しては、これはもう政府保証のある預金、それに見合った資産でありますから、そこはやはり時間を掛けてこれを少しずつ変えていくということしかやはり私はもう方法はないのだろうというふうに思っております。
 しかし、これも説明の仕方には留意をするという、その御指摘はそのとおりであると思います。


 ここは非常に微妙なところだ。
 ざっと受け止めると、旧勘定=国民の貯金を保護するためには、安全な運用をしなければならないので、だから、安全といったら結局国債(つまり財投債)といったものにならざるを得ないだろう。そうなれば、当初想定していた入口改革論と矛盾するではないか、依然、国債(財投債)に旧勘定が流れるではないか、ということになる。
 なので、藤本祐司はここで一種勝利宣言をしてしまう。

○藤本祐司君 そうなんですよ。基本的に世の中の方の誤解というのが一杯ありまして、非常に誇張している。誇大広告みたいになっているわけなんですね。三百四十兆円が民間に流れるからもう本当に経済が活性化するんだとか、もうここで要するに政府保証が付いた、要するに国債とか財投債に回るようなお金がどんどんなくなるんだということばっかりみんながとらえて、ああ、これはいいことだというふうに思って勘違いされる方非常に多いわけなんですが、多分それはねらっているんだと思うんですよ。そういうことを言っておくと、まあ詳しい人は分かってしまうけど、詳しくない大半の人たちが、そんなことは、ああ、それはいいことだというふうに思っているという、いわゆるPRをする一つの手法としてねらっているんじゃないかなということをつくづく思うんですけれども、またそれについては後ほど、後半でまた質問したいと思っておりますけれども。
 (後略)

 タメの批判をしたいわけではないが、この勝利宣言の前の竹中の発言に戻る。
 竹中は明示せず、あえて負けを受けた形にしているが、旧勘定と新勘定が分離されているなら、国債や財投に流れるカネは、旧勘定の一五〇兆円で止まる。十年かけて入口改革は進む。
 その意味で、入口改革は緩慢だが有効ではあるだろうとは言える。
 むしろ、藤本祐司が期待しているように、旧勘定が郵便貯金銀行に直結すると、これを担保に新銀行が入口となってしまう。
 もちろん、新銀行が新たな財投債(国債)の入口となる可能性はある。むしろ、現行の民営の銀行ですら国債を買っているのだから、デフレ下の安定した運営にはそれ以外の選択はないだろうという批判もあるだろう。
 ただ、そこへ議論をシフトするのはちょっと待ってほしい。
 というのは、竹中の発言にある「安全資産で運用をしていただかなければ、国民のリスクを考えるとやはり困る」という安全資産に注視したい。
 この話は、先の、郵便貯金銀行で資金運用に不正が起こる可能性につながっているのではないか。
 以上の話の展開は、国会討論についての私の解釈であり、それほどトンデモナイといったものではないだろう。
 ここから以下、二段階でトンデモナイ話を意識してまぜる。読まれるかたを騙す意図はまったくないので、よく注意してほしい。
 まず、一段階。もし旧勘定と新勘定を区別せず、民主党が推進しているように、旧勘定をするっと新勘定に直結した場合、郵便貯金銀行で資金運用に不正が起こる可能性があるのではないか。だとすると、その旧勘定を使って行われる不正の可能性とは何か?
 そして、二段階。現状の公開資料では財投に不良債権はないとされているが、それは百兆円の規模ですでに発生しているのではないか。あるとすれば、それは、郵政の旧勘定を直撃するのではないか。
 トンデモ条件は以上の二つのみ。
 この条件が成立する際に、もっとも重要なことは、旧勘定である国民の富を防御することになるだろう。
 この問題に関心があるかたは、ここで、もういちど、この一連の竹中の答弁を読み直してもらいたい。

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2005.08.28

それは布団じゃないだろ

 ラジオ深夜便を聞いていたら、BBCのローカルニュースで布団(ふとん)を英国から日本に輸出しているという話があった。一瞬、あっ、あれか、と思った。続いてラジオの話では、親切にもそれがどんな「布団」であるかについて解説があった。そうだ。あれは布団じゃないだろ。ではどんなものか。
 見れば、あれね、と大半の人がわかる。Google Imageで見るといい。キーワードはローマ字で「futon」である(参照)。
 スターウォーズに甲冑(ダースベーダー)だの、チャンバラ(ライトセーバー)だの花魁(パドメ・アミダラ)だのが出てくるほど日本文化が世界に広まっているせいか、ずばり日本の布団みたいな画像も出てくるが、大半は、見た目は、こりゃソファー。単純に言おう。布に綿を詰めてできているのが「futon」なのである。大抵は、背もたれのところが倒れて、ベッドにもなる。
 なんだこれはの状況は、Google(英語版)を見るとさらによい(参照)。「futon」で英語のGoogleを検索すると、いったいぜんたいこれはなんの勘違いなのかといった趣きのリストが並ぶ。が、これがグローバルスタンダードの布団ってやつだ。
 Wikipediaの布団の項目をみると洒落もなく布団の項目がある(参照)。面白くもなくヒネリもないのだが、布団へのこだわりは感じられる。


こたつで使用される敷物および掛けるものは、寝具ではないが、同じような形状であるためこたつ布団と呼ばれる。

 定義者は布団の最大属性を寝具としているのである。
 ところで、このWikipediaの項目ページの左コラムには、同一の意味の各国語版のリンクがある。そこで、Englishをクリックするのだ。じゃーん。ジニーのようにFutonが登場。
 定義はきちんと日本の布団についての説明から始まるのだが、日本を除く先進民主主義国で利用されている西洋布団(Western futon)についての言及がある。

Western futons are different from Japanese futons in several ways. They are usually filled with foam as well as batting, often in several layers, and are almost always much thicker and larger than Japanese futons, resembling a traditional mattress in size.

 そしてなにより西洋布団についてずばりその本質を述べている。

Most Japanese people would not recognize a Western-style "futon" as a futon.

 日本人の大半は西洋風の布団を布団とは認識できなかろう、というのだ。まったくね。
cover
蒲団・重右衛門の最後
 日本と西洋の布団といえば、忘れてならないのは、あれだ。あれだよ。田山花袋の布団だ。ちがう。「蒲団」(参照)だ。ちょっと表記を変えてある。

 小石川の切支丹坂から極楽水に出る道のだらだら坂を下りようとして彼は考えた。「これで自分と彼女との関係は一段落を告げた。三十六にもなって、子供も三人あって、あんなことを考えたかと思うと、馬鹿々々しくなる。けれど……けれど……本当にこれが事実だろうか。あれだけの愛情を自身に注いだのは単に愛情としてのみで、恋ではなかったろうか」

 三十六歳の竹中時雄は恋にやぶれ、女の体臭の残る蒲団をくんくんしながら泣いたという明治の大文学である。現代でいうと、村上春樹の「羊をめぐる冒険」にある別れた妻が残した下着だろうか。文学的なリアリティとしては花袋の「女のなつかしい油の匂いと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした」のほうが強い。あー、言い忘れたが、この女、芳子は十八歳ぐらいである。
cover
FUTON
 この手の話というのは、いつの時代にもあるし、意外に重要なのは、やはり布団である。英語ならfutonだということはすでに書いた。なので、中島京子の「FUTON」だ。
 そ、それでこの話のオチなのか。

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