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2005.08.27

財投機関債を巡って

 財投機関債を巡って、この間考えたことのメモをしておきたい。
 すでに他のエントリでも書き散らしているが、私は、郵政民営化の問題について財投機関債に着目していた。なぜかというと、ごく簡単に言えば、郵政民営化とは財投改革であって、郵便事業などはとりあえず論点から外してもいいだろうと考えるからだ。
 平成十三年度以降の財政投資融資制度によって、特殊法人(財投機関)が資金を必要するときは、まず自力で政府保証なしで財投機関債を発行し(市場からカネを借りるということ)、それが足りなければという限定で、政府保証の財投債(つまり国債:税金からカネを借りるということ)でまかなうとされた。財投機関債が主、財投債(国債)が従である。
 つまり、特殊法人は財投機関債によって経営するのが正しいありかたということになる。だから、特殊法人のありかたを考えるときは財投機関債の現状と今後のありかたから考えるのが正しい筋道になる。
 そこでこの間この問題を再考していた。
 財投機関債関係で気になっていたことは二つあった。一つはこれが本来は政府保証はないとされているのに市場での振る舞いは政府保証がついているとしか思えないということ。こんな鵺のようなものが跋扈していていたら財投改革なんかできない。この曖昧なものから潰して特殊法人を整理し、より大きな問題である財投全体の問題に着手すればいいのではないか。
 また、暗黙の政府保証を発生しにくくするには、小泉やその先生である加藤寛が言うように、元になる郵政のカネの入口を絞れるのは有効かと考えていた。
 だが、ブログ「マーケットの馬車馬」のエントリ”郵貯:改革の理由(番外編) 財投機関債のお話”(参照)では、財投機関債はそれほど問題でもないということらしい。


前提条件が180度違うので、finalvent氏とは結論も全く異なってくる。財投機関債に「暗黙の政府保証」の問題がない、又はほとんどないのであれば、むしろ機関債の発行は奨励されるべきだろう。また、今回いくつかの公団のHPを見に行ったが、まだ十分とはいえないまでも、情報公開はだいぶ進んできている。これも機関債へのシフトが理由である事は間違いないだろう。

 私はこれで納得したかというと、そうでもない。だが、それ以上切り込むにはよりテクニカルな知識が必要となり、私にはわからない。追記:ブログ「bewaad institute@kasumigaseki」のエントリ”それでも暗黙の政府保証は存在する、ほか”(参照)にこの関連の有益な示唆がある。
 財投機関債関連で気になっていたもう一つのことは、本来なら特殊法人は財投機関債によって経営されるはずなのに、そうじゃない財投債への依存が依然高い。なぜなのか。また、今後本来あるべき財投機関債へ移行する道筋がないようにも見える。そういった財投債との関連の問題だ。
 この問題については、そうは言っても、たぶんその道筋は早々になくなっているのだろうなと思ってもいた。だからこそこれも入口となる郵政のカネを絞り込むために今回の民営化が必要なのだろうとも思った。これは小泉と同じ理屈である。
 小泉は案外ただの勘で入口改革論に固執しているのかもしれないが(参照)こう主張している。

 特殊法人の事業資金には、国民の皆さんからあつめた郵便貯金、簡易保険や年金の資金が使われてきました。特殊法人が無駄な事業で赤字をだしたからといって、その負担を郵便貯金に預けた国民に求めるわけにはいきません。ですから、最後は税金で負担せざるを得なくなるんです。
 この構造を改革するためには、資金の「入口」の郵政事業、資金の「出口」の特殊法人、そしてこの間をつないで資金の配分をしている財政投融資制度。これを全体として改革し、資金の流れを「官から民へ」変える、そして、民間で資金を効率的、効果的に活用してもらおう、というのが、資金の「入口」である郵政民営化から「出口」の特殊法人改革までの大掛かりな改革の狙いなのです。
 すでに、財政投融資制度については、郵貯、年金の資金全額を国に預ける仕組みをやめました。そして、道路公団を民営化し、住宅金融公庫を廃止して住宅ローンは民間金融機関に提供してもらうようにするなど特殊法人の廃止・民営化の改革を進めています。
 残された一番大きな改革が、資金の「入口」である郵政民営化です。

 私としても、財投改革のカネの入口改革をためらうこともないだろうし、先進民主主義国において国営の銀行業・保険業があるというのも異常なことなので、民営化の基準でこうしたカネの流れを開示・吟味していくといいとは思う。
 こういう私の考えに対して、郵政民営化は財投改革とは別とか、財投改革にはカネの入口改革論は不要など、いろいろ議論があるようだ。そうしたなかで、小泉・加藤寛流のカネの入口改革論がより有効なのかといわれると、私には正直なところわからない。ただ、なぜそこまでして彼らが入口改革論を避けるのかは不思議に思う。入口改革論ではだめという理由は議論されてないように思える。
 話は以上なのだが、基本に戻って、なぜ財投改革にこだわるかというと、特殊法人の役人の天下りや無駄遣いというのがあるのだが、その結果といえば、当然、まいどおなじみの不良債権がある。それがさらにどうなるかは説明は不用だろう。
 ウォルフレンはその存在を想定しつつも額の想定はしてなかった。さて昨今どのくらいだろうか。財投残高三百三十三兆円のうち百兆円くらいは不良債権化しているだろう。実態はわからない。建前上は不良債権はないとされている。
 財投の不良債権問題が表面化する前にカネの元になっていた郵政民営化が重要かとと言えば、またそこでそれは別問題だといった議論も起こるのだろう。しかし、民営化しておいたほうが敗戦処理にはよいのではないか。

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2005.08.26

精子銀行が心の支えになるという話

 男性の癌患者にとって自分の精子を精子銀行に保存しておくことは精神面での援助になる。そういう記事がロイターに出ていた。標題は”Sperm banking gives cancer patients emotional lift”(参照)というだけなのだが、冒頭読み出して、ちょっとびっくりした。話は日本の話なのだ。てっきり米国とかのことだろうと予断を持っていた。


Sperm banking may not only preserve young cancer patients' ability to have children, but their emotional well-being as well, according to Japanese researchers.
【試訳】
精子銀行は若い患者が子供を持つ能力を保持するだけのものだけではなく、彼らの気分を快活にする上でも役立つと日本の研究者が明かにした。

 日本のニュースなんだから日本語版のグールグニュースを「精子」で検索したけど、この話題はひっかからなかった。明日にはネットのどこかに掲載されるのだろうか。研究は横浜市立大学医学部附属病院のもので、研究者名はゴルゴ13を連想させる「さいとうかずお」とあるのだが、漢字名はわからなかった。追記:コメントでいただいた情報では、横浜市立大学付属市民総合医療センター泌尿器・腎移植科の齋藤和男先生とのこと。また、オリジナル情報は、アメリカ癌学会誌「Cancer」8月1日号に掲載とのことです。
 癌の化学療法の結果、精子を作る能力が失われることがあるので、その対応として保存しておくというのは、心の支えにもなる。そうなんだろうなと思って読んでいくと、むしろ化学療法中の人にとって有益という示唆があり、そうしたことまで思い至らない自分のうかつさを恥じた。
 とはいえ、現状ではこうした場合のそれほど精子銀行の利用は普及してないようだ。せいぜい一割から二割というところらしい。
cover
スター・ウォーズ
エピソード3シスの復讐
 話のネタとしてはそれだけなのだが、このところ私はスターウォーズを1から順繰りに見ていて、昨日その順で6を終えた。この順で見るのも奇妙なものだなと思うし、ようするにスターウォーズというのはダースベーダーという悩める父の物語でもある。今回、6でアナキンが悔悛するところで、奇妙な感じがしたのだが、ルークにしてみれば、父というのは、ちょっと言い方は悪いが、精子というつながりしかない。そのつながりだけで、父と子というのだろうか。もっとも、双方の思いがそこに集約されているだけということであって、重要なのは父と子という思いの問題でもあるのだろう。
 それでもエピソード1でアナキンが発見されるときも、血が問題になっていた。つまり、精子の問題でもある。ちょっとこのあたりの感覚は、歴史的に血統を無視している日本人にはついてけないものがあるなとも思った(日本は養子縁組の文化)。

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2005.08.25

「中国男女平等と女性発展状況」白書を巡って

 ロイターで見かけたニュースでちょっと気になることがあった。ずばりと切り出しづらい感じがするし、よくわからない。該当のニュースは、”Chinese women hold up half the sky, but many in poverty”(参照)である。標題の含みが今ひとつわからないが、中国人女性が置かれている状況は大きく改善したものの、まだ多数は貧困層にある、ということだろう。中国人の大半は農民であり、それは現状も貧困層なので、女性が貧困の状態にあるというのはとりわけ話題でもないかとは思うが、中国の女性問題には多少関心があるので、記事を読み進めてみて、困惑した。


The mortality rate of women in childbirth fell to 48.3 per 100,000 last year from 61.9 per 100,000 in 1995, it said.

Suicide, however, remains a major cause of death among women, particularly in the countryside. State media figures from 2002 showed 250,000 Chinese women took their own lives every year, a rate 25 percent higher than among men.


 前段は出産時死亡率でこれは一年でもめだって改善されている。問題は後段だ。中国人女性の主要な死亡原因が自殺だというのである。特に農村部で目立つらしい。男性と比較して二五パーセントも多い。
 日本を含め、多くの社会では男性のほうが自殺率が高いはずだし、また、農村部で高いというのはなにかの事態を暗示しているのだろうか。
 関連ニュースはないかと調べてみると英語ではいくつかあるし、英語版毎日新聞にAPの”Chinese women become more educated but lag behind in business, government”(参照)の記事があり、この問題に焦点を当てている。

BEIJING -- College attendance is up among Chinese women but millions more remain trapped in bitter poverty in rural areas where female suicide and infanticide persist despite campaigns to raise the status of women, a government report and an official said Wednesday.


The report did not mention that China has one of the highest suicide rates in the world, with some 290,000 deaths a year, or that more than half the victims are women -- most in the countryside.

Gu said in response to a reporter's question, that female suicide in China "occurs mainly in rural areas for a number of complicated reasons," including depression, family conflicts, economic difficulties and disease.


 APの記事はこの状態について社会問題が背景にあるという示唆がある。
 毎日新聞の日本語版にこの情報がないか調べてみたがネットからは見あたらないし、他も日本のジャーナリズムは注視していないようだ。
 今回のニュースの元になったレポートの側から調べると、中国サイドのCRI”中国、「中国男女平等と女性発展状況」白書を発表”(参照)があった。しかし、この問題には触れていない。同系の英文ニュースも同様なので特に日本語版で配慮したものでもなさそうだ。
 該当白書の全体は英文”Full text: Gender Equality and Women's Development in China”(参照)で読める。ざっと流し読みしたが、女性の自殺については触れていないようだ。
 というところで、先のAPのニュースを読み直して気が付いたのだが、"Gu said in response to a reporter's question"とあるので、中国女性の自殺率の問題は白書の内部ではないのかもしれない。
 このあたりの報道の絡み具合や、日本のジャーナリズムやこの問題に関心をもってよさそうな団体などの見解も現状ではまだ見あたらない。APでは"infanticide(幼児殺害)"にも言及しており、このあたりは男女の出生率が当然参照されるべきだが、よい情報は簡単には見あたらなかった。

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2005.08.24

東洋人と西洋人では物の見方が違うらしい

 東洋人と西洋人では物の見方が違うらしい。そんなのあたりまえでしょとか言わんでくれ、抽象的な話じゃない。どうも実際に物を見るときの知覚のありかが違っているという実証的な科学実験の話なのだ。
 国内の報道で話題になっているかわからないが、海外では話題になっている。BBC”Different view for East and West ”(参照)の出だしはこうだ。


Different view for East and West
Western and Eastern people look at the world in different ways, University of Michigan scientists have claimed.
【試訳】
東洋と西洋では見方が違う
西洋人と東洋人では世界の別の方法で見ているらしいとミシガン大学の科学者たちが主張している。

 実験は、二十四人の華人と二十一人の米人が対象となり、背景を伴った動物写真や非生物の写真を見せ、その際の眼の動きをミリ秒単位で追跡したものだ。
 結果は、米人は中心の被写体を観察しようとする傾向があるが、華人はより背景も含めて見ているとなった。ふーん、である。日本の常識からしてもそんな感じかな。
 なぜそう差が出るというと、華人のほうが短期記憶が弱いかららしい。ほんとかね。というわけで、BBCの記事ではこれをネタに文化論的な話に花が咲くといった趣である。
cover
生物から見た世界
  先日、「極東ブログ: ティッシュ配りについて考える」(参照)で「生物から見た世界」について触れたが、種の差を超えて文化差のようなものでも影響があるのだろうか。
 サインティフィック・アメリカンのサイトの”Americans and Chinese Differ in Their World View--Literally ”(参照)を見ると、実験の一例の写真と視点のようすが写真で掲載されている。森の中にたたずむ虎の写真が提示されると、米人は背景より虎の眼あたりを見ている。が、華人はその全体を見ているようではある。
 武道だとどっちの視線がグッドかなとちょっと思う。相手の目は次の攻撃に備えるためだが、防御だと全体配置が重要になる。いや、見るんじゃない、フォースを使うんだ。
 ワシントンポストに掲載されたAP”Asians, Americans Show Perceptual Divide”(参照)の記事では、前回の実験での日本人についての言及もあった。

Nisbett illustrated this with a test asking Japanese and Americans to look at pictures of underwater scenes and report what they saw.

The Americans would go straight for the brightest or most rapidly moving object, he said, such as three trout swimming. The Japanese were more likely to say they saw a stream, the water was green, there were rocks on the bottom and then mention the fish.

The Japanese gave 60 percent more information on the background and twice as much about the relationship between background and foreground objects as Americans, Nisbett said.


 日本人も全体を見る傾向があると言えるだろう。なので、今回の研究とも違和感がなく、日本人も華人同様東洋人ということになる。
 引用中、米人は明るさに反応しているというくだりがあるが、近世の西洋絵画を見ると、光と物体のありかたについて、日本人にしてみるとちょっと違和感があるくらい感じられるものだ。そういえば、外人の写真のポートレートもポイントは影、つまり、光なんじゃないかと思う。ヌード写真なんかもそういう光と影の造詣性が重視されている…ような気がする。

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2005.08.23

吉野家雑談

 牛丼はお好きですか。店を覗くとけっこう人が入っているようなので、人気は高そうだなと思う。コストパフォーマンスがいいのだろう。私は、というと、牛丼はそれほど好きではない。
 二十年くらい前は秋葉原に行ったおりは吉野家でよく食っていた。なんか懐かしい思い出につながるものはないかと、ぐぐってみたら、「嗚呼!青春の吉野家」(参照)があった。


印象に残っている店も何軒かある。たとえば中学生の頃に行った秋葉原の吉野家。いまはもうこの場所にはなくなってしまったが、この店はカウンターの中がタイル張りで、つねに水をまいてあり、店員は全員が白いゴム長靴を履いていた。彼らはカウンターの中を行ったり来たりするときに、必ず小走りに勢いをつけて走ってきて、最後はツーーーっと滑ってくるのだが、これが面白かった。

 そんなだった感じがする。
 そういえば、墓参りのとき都合のいいところに吉野家があるので食べたものだった。定食メニューみたいのを頼むことが多いのだが、これも思い返すと、BSE騒ぎの前のことだ。その後の吉野家はまるで知らない。主力商品にダメージを受けて大変なんだろうと思っていたくらいだが、そうではないらしい。時事に”吉野家に復活の兆し=2カ月連続で売上高2ケタ増、定食が心とらえる”(参照)というニュースがあった。

6月に発売した2種類の定食が客の心をとらえ、売り上げが2カ月連続で前年比2ケタ増となった。

 へぇ、それって何、と思って調べてみるがよくわからん。日経”吉野家の7月売上高、定食好調で前年比20%増 ”(参照)を見ると一品は「豚生姜焼定食」だとわかる。

6月から発売した「豚生姜(しょうが)焼定食」など定食メニュー2品目が好調なほか、豚丼の値引きキャンペーンなどで客数も13.3%増と回復した。

 気になる。こうなったら吉野家のホームページを見るしかないか。一次ソースは”吉野家|店舗のご案内|メニューを見る”(参照)あたりか。
 もう一品は「牛焼肉定食」だろうな。
 で、牛肉。なーんだ吉野家って現在牛肉扱っているんじゃん、とまでは言わない。私は吉野家の牛丼がショートプレートにこだわっていることは知っている(参照)。でも、私はそれほど牛肉は詳しくない。詳しそうなやつに、これってハラミでしょと以前聞いて、違う、と憮然げに答えてもらったことがある。気になるかたは「牛肉の部位のお勉強 」(参照)などをご覧あれ。
cover
吉野家の経済学
 なんであれ、吉野家の経営って好調なんだと思って見ていくと、私は全然知らなかったのだが、京寿司っぽい京樽って吉野家の系列だったのだね。”京樽、8年ぶり復活上場・ジャスダックに”(参照)だとこれから上場するとのこと。京樽のほうはよく食べました。
 気になってグループ企業を見ていたら(参照)、うどんの「はなまる」も吉野家の系列でしたか。
 というわけで、(株)吉野家ディー・アンド・シー (9861) の株式の情報も見ていたら、株主優待(参照)には三百円単位のサービス券がある。なるほど、それで某若手投資家は牛丼食ってるわけか。
 ところで、吉野家、吉野家と書いているけど、この「吉」の字は吉野家のそれとは違うって知ってました。あ、知ってましたか。
(ではまた。)

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2005.08.22

極東ブログ、二年

 内輪ネタ。先日の十四日、極東ブログが二周年を迎えた。その日に書こうかなと思っている内に他の話題に押された。そしてそのことに気が付いた人もないほどのネタなのでスルーしてようかとも思ったが、自分なりの感傷は多少あるので少し書いてみたい。
 二年もよくやったなぁと思う。しかも休みなし。我ながら少し呆れるが、内容は別としてこういう根気というか奇妙な忍耐というのは自分にはあるのかもしれない。普通ならやんちゃ盛りの高校生のときでも私は皆勤賞を得た。高校生の時の自分にもういちど挨拶してみたい気持ちもある。やぁ、俺は変わったけど変わらないところもあるぜ。
 極東ブログは当然だがいつか終わる。有料契約なので、私がいなくなればこのブログはネットから消えてしまうだろう。それでいいやと思う反面、ちょっとさみしい気もするので、身近な人には製本にして残しておきたいような気もしていた。
 そんなおり、不思議なことに思いが通じたのか、篤志のかたから、ココログ出版(参照)にしてみませんか、謹呈します、というお話を戴いた。いろいろ考えたのだが、お受けした。嬉しいプレゼントだ。嬉しいものを素直にいただいていいじゃないかと思った。
 実際に作業にかかってみると大変なことだった。想定外というくらいのボリュームがある。なので、ココログ出版を担当されている「あさひ高速印刷」(参照)の担当のかたと相談し、随分煩わせてしまった。ソフトウエア開発でどれだけのデータの負荷に耐えられるかというテストをすることがあるが、まさに極東ブログはココログ出版の耐久力テストみたいだった。これでは、おいそれとあなたのブログを本にしますコンテストにはノミネートされないよね。え? 内容的にボツ。はいはい、わかってますよ。
 でも、できました。篤志のかた、「あさひ高速印刷」さん、ありがとうございました。

製本・極東ブログ

 書棚に入れてみた。今年の五月末まで。各巻四三四ページ全八巻。なんかの全集みたいだ。手にする。念願の縦書き製本ですよ。ちょっと泣けた。
 製本はとてもきれいにできていた。これならみなさん、ココログを使って自家製本ができます。価格も他の類似サービスに比べれば格段に安いです。なにより「あさひ高速印刷」さんは信頼できますよ。
 自家製本としては現状のベストだと思う。もちろん、市販の本のようにはいかない。編集が入らないと本はできないものである。ご存知のとおり、私のブログは誤字脱字が多い。すみません、苦手というのはあるので。
 あと、細かいところでいうと、製本時に反映されるのは本文だけなので、引用(blockquote)などは製本時のスタイルには反映されない。また、他のかたからいただいたコメントを含めるかどうかはオプション。極東ブログとしての公的な価値はみなさんのコメントのほうにあると思っているけど今回の製本は感傷トーンだし、そうでなくてもタフなので入れないことにした。
 こうしたココログ出版のような自家製本がもっと普及したら、校正と製本スタイル編集というのは独立したSOHOビジネスになるだろうなと思う。そういう世界はいつかきっとくると信じたい。
 ついでに余談めくが。今朝新聞の社説を読み、その他気になった記事をブックマークしている最中に、コメントスパムのスクラムを受けた。おやおや。最新コメント欄はいただいたコメントのアクセスの便宜を考えてのことだが、その意図が達成されない時期になったようだ。なので、トップからは外した。
 もちろん、匿名を含めてコメントはオープンにしてある。
 コメントスパムのスクラムが急増したのは、たぶん、今回私が明確に郵政民営化を支持し、小泉首相を支持したことを快く思わない人たちが増えているからなのだろうと思う。
 そして反省してみれば、極東ブログをこれまで支持してくれた人でも、この件で愛想を尽かした人もいるだろう。申し訳ない。
 でも、私は、日本人を信じていますよ。
 日本人が今回の選挙で、郵政民営化を却下し、小泉首相にノーを言うなら、私は、それを日本人の意見だとして受け止めていく。
 私は民主主義を信じている。
 言論テロみたいな真似事をするのではなく、議論をしましょう。日本と世界がどうあるべきか、ブログという民主主義の道具ができたのだから、それを使っていきましょう。
 私はおっちょこちょいだし、この手のパソコン文化に慣れているので、なんとなくブログブームのお先棒をかついでいるように思われることもあるが、いえいえ、そんなふうには自分では思っていない。

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2005.08.21

ティッシュ配りについて考える

 「生物から見た世界」という、戦前のドイツの人が書いた本がある(正確にはちと違う)。内容は、ひどく単純に言うと、各種の生物はそれぞれ自分の視点で世界を見ているということ。当然と言えば当然。それを人間の個人差にまで広げるのもなんだが、多少なり人生を生きてみると、同じ人間で、同じ日本人とかで、同じ世界を生きていると思っていても、それぞれ勝手に違った世界を見ているものだ。私は思うのだが、街の見方までがらっと変えてしまうのは、ビラ配りと車椅子の経験だ。後者については別の機会に。

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生物から見た世界
 私は一度だけビラを配ったことがある。米国の核兵器に反対しようとかいうシロモノだ。お世話になった先生の手前、嫌ともいえない状況にあった。二十代前半のこと、私はノンポリだった。それでもソ連の核兵器はどうなんだろとかぽかーんと思った。さすがに参加しなかったけど、ダイインという、路上で死んだふりパフォーマンスもあった。
 ビラ配りをやってみると、けっこう大変な仕事だった。恥ずかしいのである。なんでこんなことしているんだろとか思う。そのうち、なんであれやっているんだからきちんとやろうとか思い直す。だが、ビラは受け取ってはもらえない。道行く人はすげない。などなど。もうこんなのやだなと思った。世界観は変わった。以降十年くらい、ビラを配っている人がいると必ず受け取ることにした。
 ティッシュ配りも必ず受け取っていた。ティッシュが欲しいわけではない。無料のティッシュは薄いし固いので好きではない。でも、断れない。ようやく、最近、受け取らなくなった。すみませんねぇ、と小声で言って通り過ぎる。
 先日、東京郊外の街を歩いていて、あれっと思ったのだが、ティッシュ配りの女の子が、かわいい。えっ!とかときめく歳でもないが、昔はそうだったかなと記憶を辿る。わからない。気になって他を見回してみた。あくまで傾向としては、という限定なんだけど、ティッシュ配りの女の子がかわいい。世の中どうなったのか?
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さおだけ屋は
なぜ潰れないのか?
 さらに考えてみる。かわいい女性のほうがティッシュ配りにとって効率がいい。だから、この作業もある種専門化しているのか。我ながら悪くない仮説だが、さてと算盤を弾く。時給はいくらだろう? 千円くらいかな。この仕事、できて三時間というところ。手取りで一日三千円。あまりよい仕事でもなさげ。その程度の額なら、ちょっと小ずるい知恵があれば別の方法でゲットできそうだし、というか、以前はそうなっていたはずだ。なにか世の中変わったのか?
 仮説を足す。ティッシュ配りの専門要員というのはいなくて、別のバイトの順繰りなんじゃないか。あるいは、実は、あの女性たちは、主婦なんじゃないか。わからん。訊いてみる? キモワルがられるよな。
 なんて思っていたら、通販生活秋号に「ティッシュ配りの徹底検証」が載っていた。辛酸なめ子まで憲法九条は禿同みたいなことを書いているおまけの冊子は速攻で捨てて、読んでみた。なるほど。
 ティッシュ配りのメッカは新宿南口だそうである。ほぉ。一個の原価は六円だそうだ。ほぉ。大阪では「毎度ぉ!」とか言って渡すらしい。ほぉ。ストレッチマンもいると効率がよろしい。嘘。
 配布専用員というのもあるらしい。私の仮説は間違っていたのか。
 肝心の時給だが、千二百円で一日三時間くらいらしい。それは上限価格だろうから、このあたりの私の仮説はあたり。
 ちょっと意外だったのは、ティッシュ配りは、街金の広告としてはあまり効果はないそうだ。街金としては親愛の気持ちの表現みたいなものらしい。そうかもしれないなとは思う。
 もっとも、ジャンルによっては効果はあるだろう。そういえば、私が三十代のころだが、人に連れられて女性がお酌する飲み屋に行ったことがあるが、女性と向き合って話題もない。とはいえにらめっこもなんなのでモヒカンっぽく「なんでここで働いているの?」と訊いてみた。答えは、ティッシュ広告で募集していたのだそうだ。そういうティッシュ見たことないなと答えると、彼女は、あんた馬鹿?みたいな唖然とした顔をした。「女性に配るのよぉ」「そうか」と答えると、彼女は苦笑した。
 今思うと、なんであれ笑わせたら勝ちだよなと思うが、当時はそんな知恵も回らないのであった。

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