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2005.08.20

郵政民営化問題:ワシントンポストとフィナンシャルタイムズ

 今朝の新聞社説やネットの意見などを散見すると、郵政民営化問題を主題に取り上げるのはおかしいとか、郵政民営化問題はたいした問題じゃないといった論が目立つように思えた。いろいろな意見があってもいいと思う。なので、私は全然そうは思わない。
 ちょっと偽悪的に言うと、そんな意見、G8を構成するような先進民主主義国( leading industrial democracies)の論調では見たこともないな。もちろん、それほど各種の議論を見てないせいもあるのだろう。また、郵政民営化の問題は極めて日本の国益に関係しているので海外の意見など参考にもならないという意見もあるかもしれない。
 でも、私の考えでは郵政民営化と日本の政治の未来は、先進民主主義国にもある程度重要な問題だ。なので、日本内の意見と先進民主主義国の意見がそう食い違うというのは、ありえないんじゃないか。
 とはいえ、そのあたり簡単にワシントンポストとフィナンシャルタイムズの意見についてメモしておいてもいいだろう。
 この話題について、ワシントンポストの記事は、十四日付の”The Stakes in Japan's Vote”(参照)が妥当なところだろう。


We hope that Mr. Koizumi wins his political gamble and holds on to a parliamentary majority in the election on Sept. 11.

 まず、明確に、小泉にこの選挙で勝ってほしいとしている。こういうざっくりとした意見をいうのが米国の論調の特徴かもしれない。

The vote will be a referendum on his plan to privatize Japan's postal savings system, which has amassed an astonishing $3 trillion in deposits by offering above-market interest rates to savers; a good chunk of this capital gets used to finance pork-barrel infrastructure projects.

 ここでワシントンポストは"referendum"(レファレンダム)としている。この認識がいい。つまり、憲法制定や独立なみの民意が問われているというのだ。
 考えてみればあたりまえのことで、この選挙で日本国民の富の行く末を問うのだからそれだけの重みがある。なのに、郵政民営化問題を主題に取り上げるのはおかしいとか、郵政民営化問題はたいした問題じゃないとかいうのは、民主主義国家というものがわかってねーんじゃないかとか毒つきたくなるが、まぁまぁそんなこと言うもんじゃないよ、と。

Privatizing this system so that capital is allocated according to market criteria would boost Japan's economic efficiency. It would also deprive the ruling LDP of a vote-buying slush fund, which is why reform is at once urgent and difficult.

 これはおまけ。海外からも抵抗勢力なんて"pork-barrel infrastructure projects"と見えているわけだ。そりゃそうでしょ。
 米国側がこうした明確な態度を取るのは、世界経済を日本にも支えてほしいという背景がある。

A more dynamic Japan would buy more imports, both from the United States and from its Asian trading partners, which in turn would trim the unsustainable U.S. trade deficit. It would also allow the world economy to survive a U.S. slowdown that might come, for example, if home prices level off and mortgage refinancing slows.

 ドルがへたったときには助けてくれと言うのだ。あまりに赤裸々な本音だけど、現代の世界というのはそういうものだろう。
 次はフィナンシャルタイムズ。十一日付の”Koizumi's gamble”(参照)が標題からもわかるようにこの問題を扱っている。

The election due on September 11 essentially has been turned into a referendum on reform.

 フィナンシャルタイムズも、今回の選挙を改革のためのレファレンダムとしている。が、一見して論調はワシントンポストより醒めている。話は、民主党が勝つこともありうるだろうし、それも日本の政治には有益かもしれない、ともしている。
 が、読みづけるとそう醒めているわけでもないか。

The real risk in Mr Koizumi's move, however, lies in the possibility that neither the LDP nor the DPJ win enough seats to form a government. Mr Koizumi would then probably be replaced with a compromise candidate as leader of the LDP, who could woo the post office rebels back in order to form a government. This would hand victory to the anti-reform rebels and thereby entrench the depressing lesson that a reform-minded programme with a clear-cut ideological stance is an electoral liability in Japanese politics. Japan's democracy, not to mention its economy, would emerge impoverished.

 小泉自民党であれ民主党であれ、この選挙で十分な議席が取れなければ、自民党は不安定になり、抵抗勢力が返り咲くし、そうなれば"the depressing lesson"だぜ。気が滅入るような教訓ということになる。経済問題だけではない、日本の民主主義が弱体化するだろう…と話が進む。
 英国流でもってまわった言い方だが、民主党が圧倒するか小泉自民党が圧倒するかのいずれかしかないだろうということだ。民主党にそれができますかということでもある。
 最後の締めは含蓄深い

Building on the credit he has won for perking up Japan's economy, Mr Koizumi therefore needs to spare no effort in explaining to voters why the country's ageing population and feeble growth rate require further reforms. In doing so, he can exploit the DPJ's opportunistic decision to oppose postal privatisation, which dented its reformist credentials. Having been brave enough to create this window of opportunity, Mr Koizumi now needs to use it deftly.

 私の読みが勘違いしているかもしれないが、結論的には、フィナンシャルタイムズは、ジョンブル的に小泉を叱咤・激励していると理解したい。

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2005.08.19

イラク内戦の危機について朝日新聞とフィナンシャルタイムズ

 今日の朝日新聞社説”イラク 内戦の瀬戸際だ ”(参照)は標題通り、イラクが内戦に陥りかねない状況について述べている。こうした視点は朝日新聞に限らず、八日付のフィナンシャルタイムズ社説”Iraq's slow slide into civil war”(参照)にもあった。このエントリでは、両紙の主張を簡単に比較してみたいと思う。
 朝日新聞社説からは状況がわかりづらい。


 憲法作りが難航しているのは、旧フセイン政権を支えたイスラム教スンニ派と、新政府で主導権を握ったシーア派や自治色を強めるクルド人勢力との間で、厳しい対立が続いているためだ。地域の自治をどこまで認めるか、イスラム教を憲法でどう位置づけるか、イラク経済を支える原油収入をどう配分するか、などで大きな溝ができているという。

 フセイン体制を支えたスンニ派に対して、シーア派とクルド人が、自治、憲法の位置づけ、原油収入で対立していると朝日新聞は言うのだが、こうした利害対立はどの国でも見られるものであり、内戦に直結するものではない。
 だが、この段落はいきなり次に続く。

 その対立を象徴するように、バグダッドを中心に、連日のようにテロの嵐が吹き荒れ、多くの市民がバスターミナルや病院などの前で犠牲になっている。
 油田地帯のある北部はクルド人が、南部はシーア派が押さえている。テロの背景には、原油収入が自分たちには回ってこないというスンニ派の不安がある。

 ここが実にわからりづらいのだが、文脈を素直に読んで判断すると、テロを行っているのは、スンニ派だということだろうか。そして、そのテロは彼らの不安から肯定されると朝日新聞は見ているのだろうか。そして結局のところ、対立は石油利権が原因という朝日新聞は主張したいように読める。
 また、この事態と米軍の関係について朝日新聞はこう述べている。

 現在の混乱は、イラク国内の政治勢力同士の対立から生じている。「外国から侵入した反米武装勢力が爆弾テロを仕掛けている」と米国が説明してきた図式は、とうに崩れているというべきだろう。米兵は敵を見失い、治安の維持という目的を達成できず、死傷者の数をふやしている。
 内戦の瀬戸際にあるイラクの状態を打開するには、どうしたらよいのか。外国軍が治安面で手助けしてイラクの自立を促すという再建策が事実上、破綻(はたん)しているという現状を、まず素直に認めることだ。そのうえで、イラク再生の道筋をもう一度考え直す時期に来ている。
 現に「有志連合」の多国籍軍から撤退する国が相次いでいる。段階的、地域的に外国軍を撤収し、不完全な統治であろうとも「イラク人によるイラク再建」に委ねることを目指すべきだ。

 つまり、米軍を含め、多国籍軍がイラクから撤退してイラク人に任せろというのだが、この主張は先の、イラク内での抗争とどう関係するのかについては触れていない。朝日新聞の主張は、スンニ派が行っているらしいテロ活動は米軍が撤退することで鎮静するということだろうか。非常識な議論に思える。
 フィナンシャルタイムズはどう事態をとらえているだろうか。

Sunni insurgents have been bent on igniting such a war since the assassination of Ayatollah Mohammed Baqr al-Hakim and about 100 Shia worshippers at the Imam Ali shrine in Najaf nearly two years ago. The strategy is explicit among jihadis such as Abu Musab al-Zarqawi, whose group appears more interested in murdering Shias than Americans.

 フィナンシャルタイムズは、スンニ派によるシーア派の弾圧は現在に始まったものではなく、二年前にも百人からの虐殺を行っていることを注視している。また、対外勢力であるザルカウイももはや米軍よりシーア派を狙っているとしている。
 これらの背景は石油利権というよりより端的に民族的な問題だろうともしている。

But it also motivates Sunni supremacists from the deposed Ba'ath party and the leading tribes, enraged that the US invasion has placed Iraq's majority Shia in the saddle.

 特に、日本ではあまり話題とされたいないが、サウジのワハブ派はシーア派を嫌悪しており、イラク内にも影響を及ぼそうとしている。

Hundreds of Saudis, raised on Wahabi totalitarianism, are flooding into Iraq to kill the "apostate" Shia.

 クルドについても対外的に不穏な背景がある。トルコ・サイドのクルドの関連があるからだ。

Turkey is on a hair-trigger to enter northern Iraq if the Kurds move further towards independence.

 こした事態の認識に対して、フィナンシャルタイムズは、朝日新聞のように米軍の撤退を説くということはしていない。むしろ、米軍の楽観視を危険な兆候と見ている。
 とはいえ、フィナンシャルタイムズも現状ではスンニ派の国政参加をより促すべきだろうとしているだけで、有効な提言はできていない。

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2005.08.18

ロナルド・ドーア先生のフィナンシャルタイムズ寄稿

 エントリを起こすような話でもないけど、それを言うならこれまでもけっこうどうでもいい話を書いてきたので、ちょっこし、ロナルド・ドーア先生が先日八日のフィナンシャルタイムズに寄稿した”A contemporary dilemma haunted by history”(参照)について触れておこう。

cover
日本型資本主義と
市場主義の衝突
日・独対
アングロサクソン
 批難する意図はないのだが、この寄稿がなんとも奇妙な形で日本のブログに引用されているみたいなのがよくわからない。ので、曖昧な言い方になってしまうのだが、その受け止め方は、まるで郵政民営化は欧米の陰謀だといったふうでもある。
 決まり切って冒頭が引用される。

Koizumi's Snap Election: a contemporary dilemma haunted by history
By Ronald Dore

Koizumi Junichiro, Japan's prime minister, has lost the vote on his grand scheme to privatise the country's post office with its vast savings pool and will go to the polls. For now, the village-pump communitarian face of Japanese conservatism has won out over anti-bureaucratic, privatising radicalism. The global finance industry will have to wait a little longer to get its hands on that Dollars 3,000 billion of Japanese savings.


 この冒頭は、私のブログのエントリに溢れるどうでもいいような余談の枕話にすぎないのだが、なにか面白いのだろうか。試訳してみる。

小泉首相の脊髄反射的選挙:歴史に拘泥する現代の矛盾
ロナルド・ドーア
 日本の首相小泉純一郎は、巨額の貯金を抱えた日本郵政公社を民営化するという基本計画が信任されなかったので、選挙に持ち込んだ。現状では、村落依存の日本の保守派が持つ共産主義者的な側面が、反官僚主義や民営化改革主義に打ち勝った。世界の金融産業が、日本の抱え込んだ三兆ドルを取り扱えるようになるのはもうしばらく待たなくてはならないだろう。

 というわけで、で?というくらいの話の枕だ。
 が、引用最終文の"get its hands on"というのを、「手を付ける」だから「せしめる」と訳して、だから日本の富の三兆ドルをかすめ取ろうとしている、と解釈したのか。そう訳せないことはないとは思うし、日本語がお達者な変人ドーア先生でもあるのでその含みがないとは言わないし、自分の訳がいいとは思わないけど、それでも、その解釈にはちょっと絶句する。
 というのは、この短い段落を見るとわかるけど、日本人は保守派という共産主義者のためにカネを吸い取られていたという含みがあるし、官僚制や民営化に反対する勢力がそうした共産主義者に負かされちゃったよというトーンがある。ので、そうした文脈からはそう勝手に誤解のできる話ではないと思うのだが。
 そしてなにより、この寄稿、この冒頭はただの枕なんだよ。こう続く。

But the snap election next month is likely to focus as much on the dire state of Japan's relations with China and Korea as on privatisation. Here at issue is the other face of Japanese conservatism: the reluctance to feel guilty about the war. The key symbol of that reluctance has been Mr Koizumi's visits to the Yasukuni shrine in Tokyo to pay respects to Japan's war dead.

 というわけで、小泉首相は郵政民営化問題で選挙を問おうとしたのだけど、中韓関係の泥沼状態のほうが注目されるかもよ、と話が続き、実際のところ、この寄稿は全文読んでみると、そういう話が続いている。
 くどいけど、ドーア先生のこの寄稿のテーマは全然郵政民営化じゃない。フィナンシャルタイムズが扱った郵政民営化の記事を取り上げたいなら、同じく八日付けの”Closing the piggy bank”(参照)のほうがいい。こっちは正式に社説だし。

There is a chance the bill will not make it. That would provoke a political crisis when Japan has more pressing things to worry about.

The post office is the world's biggest bank and insurance company, which happens to own a side business delivering mail. The main point of privatisation is to encourage better allocation of its huge Y350,000bn (£1,800bn) pool of savings. The post office funnels these into government bonds, encouraging politicians to spend beyond their means, and into a murky second budget that pays for roads, bridges and sundry political favours.


 というわけで、日本の行く末をごく普通に憂慮しているし、郵政のカネの正体を"a murky second budget"ときっちり書いている。
 話をドーア先生の寄稿に戻す。
cover
働くということ
グローバル化と
労働の新しい意味
 この寄稿は、郵政民営化を扱ったものではないというので、その文脈で引用したりするのは無意味なのだが、さて当のテーマである日本の歴史問題として読むと、これが中国様の息がかかりぎみのフィナンシャルタイムズにしてはなかなかいい線のお話になっていた。簡単に言うと、中韓や朝日新聞みたいなその日本内シンパの歴史認識とは明確に違っている。日本の戦争についてこう言っている。

It was a racial war, but the Japanese had no genocidal project equal to the Nazis' systematic slaughter of Jews and Gypsies.

They were racists, yes, but all imperialists were racists.


 日本の戦争に人種問題は関係していたが、欧州のようなものではなかったし、帝国主義の時代とはそういうものだとさっぱりとドーアは割り切っている。
 じゃなぜ問題になるのか。

The big difference was that the Japanese came too late. And lost. The winners could declare the imperial age over, cede their colonies and claim they had saved the world for freedom and democracy.

 日本が帝国主義の潮流に乗ったのは遅かったし、なにより、負けたからだよ、というわけだ。そのとおり。英国みたいに戦争に勝っていたら、帝国主義の時代は終わったとか言える(言うだけだけど)わけだ。
 じゃ、なぜそうさっぱりと日本は割り切れないのか。

Why would mainstream Japanese politicians hesitate to talk in these terms? Probably because it would upset too many powerful Americans.

 というわけで、日本を負かした米国人が恐いのでしょうというわけだ。
 いやはや、まったくそのとおり。ということで、この先のオチになるキ※タマねーのか河野洋平の話は割愛して、このたるいエントリもおしまい。

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2005.08.17

スティーブン・ヴィンセントが最後に伝えたこと

 少し旧聞になる。今月の3日のことだ。イラク南部バスラで、米国人ジャーナリスト、スティーブン・ヴィンセントの遺体が発見された。頭部を何度も銃撃されての死だ。彼は、その前日に通訳のイラク人女性とともにテロリストに拉致されていたらしい。事件の背後関係や詳細については、はっきりしてないようだが、彼が著名なジャーナリストであるために狙われていたようでもある。もっと限定的に、七月三十一日付のニューヨーク・タイムズの寄稿が原因であったのかもしれない。
 イラクはどうなっているのか。ヴィンセント殺害の背景は何か。
 今日のニュースによると、イラクの正統政府樹立につながる新憲法の起草作業が一週間ほど延期されたらしい。が、いずれにせよ憲法成立は大詰めにきている。そのため、その後のイラク政府への影響力維持を狙って反政府活動が盛んになっており、その巻き添えで、米兵の死者も増えてきている。が、気になって国内のニュースを見ると、こうした動向は単純に反米活動としてまとめられているふうでもある。
 ヴィンセントによるニューヨーク・タイムズの寄稿”Switched Off In Basra ”(参照)は、こうした状況に必然的に示唆深いものになっている。彼は英軍とともに行動しながら、イラクの現状をレポートしている。ポイントは、宗教勢力による民衆の圧政にある。イラクの警察組織までもが宗教的な勢力活動の一端となっているようだ。そしてその最悪な状況について、噂を交えてこう書いている。


An Iraqi police lieutenant, who for obvious reasons asked to remain anonymous, confirmed to me the widespread rumors that a few police officers are perpetrating many of the hundreds of assassinations --- mostly of former Baath Party members --- that take place in Basra each month. He told me that there is even a sort of "death car": a white Toyota Mark II that glides through the city streets, carrying off-duty police officers in the pay of extremist religious groups to their next assignment.

 こうした状況に英米兵は、それは多文化の宗教の問題だとして関わっていない状況も報告されている。ヴィンセントはこの状況にこう述べている。

In other words, real security reform requires psychological as well as physical training. Unless the British include in their security sector reform strategy some basic lessons in democratic principles, Basra risks falling further under the sway of Islamic extremists and their Western-trained police enforcers.

 彼は微妙な書き方をしているので、私もちょっと自分なりの敷衍を避けたいように思うが、それでも、現在のイラクの地だからこそ、"democratic principles"の価値が強く再認識されていたとは言えるだろう。
 ヴィンセントの事実上のブログの最後は、”In the Red Zone”の”THE NAIVE AMERICAN”(参照)にある。今となっては痛ましい思いがする。
 この遺書となったエントリをどう読むべきか。
 テレグラフ”Don't leave Iraq alone”(参照)はこう取り上げていた。

Mr Vincent wrote of one telling conversation in which a young, secular Iraqi woman railed against the stupidity and misogyny of the religious parties, and asked her American companions exasperatedly: "How can you say you cannot judge them? Why shouldn't you apply your own cultural values?"

 英語が読みづらいかもしれないが、あえて試訳はつけない。
 テレグラフは、ヴィンセントが記したそのイラクの人の問いかけに、"Indeed so."と答えた。もちろん、英国の状況がテレグラフの主張の背景にはある。

In fact, many Britons who supported the war - including significant voices on the British Left - did so for strongly moral reasons. Saddam Hussein had repeatedly defied international law and effected the vilest tortures upon the Iraqi people. The fact that the West had shored up his regime for strategic reasons in the past, and later let down those Iraqi Shi'ites who dared to rebel in 1991, was no argument for doing so in perpetuity.

 イラク戦争は正しかったかという議論は尽きない。が、テレグラフは簡素にこう言っている、英国民が戦争を支持したのは、"moral reasons"、道徳的な理由からだった。
 暴虐があるとき、人は、道徳的な理由で戦争を起こすことがある。こうした話の関連は”極東ブログ: [書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)”(参照)で触れたので繰り返さない。
 イラクの現状というとき、そこでジャーナリストがどう生きてどう死んだのかは私には重要に思える。命をかけて、最後になにを問いかけたのか。それをどう受け止めるべきか。私は、安易に考えるべきではないと思う。
 とばっちりのような言い方になってしまうが、ブログ「ニュースの現場で考えること」の今日のエントリ”「イラクの子供がこんな死に方をするときに」”(参照)を読んで、私は落胆した。

私は、このイラク戦争を支持する人の気が知れません。なぜっかって? 「支持」するとは、それを認めることです。積極的支持か、消極的支持か、そんな言葉遊びは別にして、上記のエントリにあるような当事者(犠牲者たち)と面と向かった際、その相手の目を見て、「おれはこの行為(=あなたの肉親が殺された戦闘行為)を支持しているんだ」と言い放つことと同義です。

そんなことは、私はできない。だからイラク戦争もそれに加担するあらゆる行為や言説を、私は支持しません。


 私は、このエントリに、「なぜ、即断せず考え続けないのか」と反論したい。
 なぜ、一人のジャーナリストが命をかけて、ニュースの現場であげた声を聞かず、教条主義に陥ってしまうのかと問いたい。

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2005.08.16

郵政民営化のダークサイド

 郵政民営化のダークサイド…その暗黒面…とはいえ、半分はネタです、最初に断っておくけど。ただ、釣りとか意図しているわけでもないし、おふざけというのでもなく、一連のエントリで「ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)に触れた手前、ウォルフレンの関連議論で気になるところをちょっとメモしておくというくらいのこと。タルネタに近いエントリだ。
 私のスタンスとしては、郵政民営化賛成っていうかそれっきゃないでしょ、だから、小泉続投支持ということに変わりはない。
 むしろ、このエントリはウォルフレンと私の考えの相違のような意味合いのメモにしたい。
 とはいえ、まず、ウォルフレンの意見と私の考えとで、あまり相違していない点から。それは、郵政民営化は緩やかに行うべきことと、具体的に詳細な提案が必要になるということの二点だ。しいてもう一点加えると、郵政民営化が決定され、小泉続投となってもそれほど日本がバラ色になるわけもないということ。もっともそうならなかったら、世界に真の夜がやってきてしまうかもだが…いや、そうもならないか。海外のこの日本の問題への視線からするとそれほどは大問題ともされていない。つまり国際的にはそれほどは大問題でもない。
 さらに、ウォルフレンの指摘するダークサイドの話に入る前の長枕になるが、もうちょい。
 彼は、郵政のカネを第二の国家予算として、こう述べている。


 この巨額な資金による「第二の予算」は、日本の経済構造の発展のなかで、いろいろと重要な役割も果たしてきましから、突然止めてしまうことはできません。ですから、郵貯システムを民営化するのなら、このシステムをどのように運営、管理していくのかを現実に即して考え、提案しなければなりません。現在、郵便貯金は、財務省の資金運用部が集め、一元管理し、運用しています。この資金を使って何をすべきなのか、いろいろな考え方が可能です。

 当然の注だが、郵貯のカネは、現在では、財務省管理下の財投債(事実上国債)と財投機関債(政府保証はないとされているが疑わしい)に分かれている。
 ここで問題になるのは、むしろ、情けないことに今回の民主党の提案(マニフェスト)だ。預入額をいきなり減額するというのだが、正気か。朝日新聞”民主、マニフェストに郵政改革案 公社は維持、郵貯縮小”(参照)によるとこう。

民主党の郵政改革案は、郵貯資金が特殊法人の無駄遣いにつながっていることを指摘。民間資金を公的部門に流す役割を必要最小限に抑えることを目的とする。そのため、郵貯の預け入れ限度額をただちに700万円に引き下げた後、段階的に500万円まで引き下げることを明記する。

 「ただちに」っていうが、「それって取り付け起きないのか」というのはさておき、即座に竹中郵政民営化担当大臣に叩かれた。TBS”竹中担当相、民主党の改革案を批判”(参照)より。

 竹中郵政民営化担当大臣は民主党が郵便貯金の限度額を直ちに700万円に引き下げる計画を打ち出したことについて、「8万人の首切りプランだ」と改めて批判しました。
 竹中大臣は「(郵便貯金の限度額を700万円に引き下げると)活動、資産、収益が縮小する。単純計算で26万人の3割カットで8万人の削減」と述べ、民主党が郵便貯金の限度額を700万円に引き下げるプランについて、「郵政公社の事業規模が縮小し、職員の雇用が維持できない」と批判しました。

 私はこれを聞いて、だめだな民主党というより、竹中がさっと民主党政権下で首切りされる人数を弾いたことに驚いた。逆に言えば、竹中は自プランでは現状の郵政の雇用を検討しているのだろう。もっとも率直に言ってその詳細を私が知るものでもないし、その詳細でどういう結果になるのかもわからない。
 本題に移る。
 ウォルフレンの話で気になること、いわば郵政民営化のダークサイドはこういう話だ。少し長いがやはり引用しよう。

 私は首相になる前の小泉純一郎と、郵貯の民営化について長い時間をかけて議論したことがありますが、少なくとも四年前、彼は根本的なところを、資金運用の二つの役割も、なぜ郵貯があるのかについても理解していませんでした。
 彼が初めて郵貯民営化を主張したとき、このアイデアはどこから出たのか、と私は考えました。おそらく当局の担当者が長期的に考えていくうちに、思いついたものでしょう。担当者自身、自分たちでしてしまった間違った投資を隠すために使おうと考えていたのが、将来ひょっとすると、政府の資金源である財政投融資(郵貯はその主要部分です)が底をつくかもしれない。そこで、二〇〇〇三年に郵政事業を公社にしようと計画したのではないでしょうか。

 言うまでもなく当局というのは大蔵省であり現在の財務省だ。
 ウォルフレンの話を続ける。

 そして郵政を公社化した後で、旧・国鉄のような形で民営化をすすめようとしているのかもしれません。旧・国鉄は世界最大規模の赤字垂れ流し企業でしたが、それを「民営化」することによって、株式を売り、新しい資金創造ができました。NTTが民営化されたとき、その株式総額は、ドイツ一国の株式市場全株式総額を超えると言われたものです。これだけ円を経済に投入する方法があったのかと驚かされました。
 それは新しい形での「創造的な」帳簿つけでした。日本の当局は、歴史上最大の創造的な帳簿つけ名人なのです。

 この話は彼の説明では別カ所につながる。

郵貯制度の民営化はそれほどリスクの多いビジネスではないと思います。
 日本では、これまでも、本当の意味の民間の企業ではない「民間企業」が生まれています。それらは株式化することで利益を上げる以外は、民営化される前の旧態依然とした公社の体質をほとんどそのまま受け継いだ「疑似民間企業」です。
 郵貯もそうなってしまう可能性があります。郵貯を民営化し、実際の企業である中間的な企業を作って、これまでと大差ないシステムをつくってしまえば、非常に「創造的な」会計処理も可能になります。そこで実際に持っている以上のお金があるというイメージを作り出すことも簡単にできます。

cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 さて、このウォルフレン説だが、与太なのだろうか?
 私は、率直にいうとそこがよくわからないし、腹黒い言い方をすれば、たとえそうであってもそれでいいのではないかという感じはする。
 世界は現在カネ余り状態だし、日本がたんまり築き上げた米国債を見かけ上日本に引き戻すようなトリックがそれで可能になるのではないか、とそんな気もする。
 ここでウォルフレンの与太かの話をさておき、関連した、私の懸念もついでに書いておきたい。
 先ほどウォルフレンの話に「現在では資金の流れは違うよ」と指摘した。つまり、無駄遣い・天下り特殊法人も、政府保証のない財投機関債で資金を金融市場を介して得ているのだから、かつてのような「第二の国家予算」といった郵政問題はない、という話がある。これがけっこうネットで支持の高い経済学者までもマジで言っているみたいなので萎えるし、名指しで批判しようものなら面倒なことになるので一般論とするが、現状を考えれば、財投機関債が政府保証なしのわけがない。
 また、財投機関債が買われているのはデフレの結果論だという話もある。私はそれも嘘なんじゃないかと思う。それを証明するためにも、一端、本気で政府保証を外すという意味で郵政民営化を進めてみたらどうかと思う。
 しかし、重要な問題はそれではない。もし私の予測が正しく、財投機関債ががたがたと消えていくとして(その事態は危険なことなので暫時行う必要があるだろうが)、そうなると、特殊法人の資金繰りは結局以前のように財投債(国債)だけとなるのだが、そのカネはどうするのという問題が残る。別の言い方をすれば、政府保証がないとされる財投機関債が成立するくらいなら、そりゃあんさん、民間企業になりなさい、ということだ。そうもいかないのが国家だ。
 当たり前のことだが、国家は採算の合わない事業もしなくてはならないし、そのための資金も必要だ。そしてそれは結局、国債になるというなら、そして結局、カネのあるところに頼むしかない。ということで、郵貯が「創造的な」会計でカネを保持して見せるというのも、そう悪いことではないのではないか(…ネットで人気の金融政策で結局課税と同様の効果で国民のカネをかすめとっていくよりも…)。
 他のダークサイドとしては郵政民営化は年金問題を実質的に解決しないための壮大な煙幕かもしれないなという思いはある。国のビギーバンクには年金もあるからだ。が、その話は今日は触れない。
 余談ついでだが、ネットでよく見かける外資が郵政のカネを狙っている説は笑い飛ばしていい与太だろう。むしろ、これだけのカネを扱えるファンドマネージャーが日本にいないのだから、外資に助けてもらうしかないでしょ、というべきなのではないか。

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2005.08.15

小泉独裁批判が意味すること

 郵政民営化が参院で否決されたことで、小泉総理は衆院のほうを解散した。それは傲慢であり独裁的だという批判をよく聞いた。私はそれにアンビバレンツな思いを抱いている。が、どちらかというと、小泉が行使した権力こそが現在の状況下では総理のリーダーシップに必要な条件をなすのではないかと思うからだ。そのあたりを少し書いておきたい。

cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 話はまた「ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)から切り出したい。この本で著者ウォルフレンは、日本の政治経済問題を扱うにあたり、アカウンタビリティ(accountability)という言葉を多用している。もともとこの言葉を流行らせた張本人が彼なのだから当然と言っていいかもしれない。彼はアカウンタビリティを「説明責任」としている。これは、「なぜこういう政策をとったのか」をきちんと説明・開示する能力であり、これが日本ではもっとも欠落しているとして日本の政治・経済システムを批判する。

 アカウンタビリティの問題は非常に根深いものがあります。日本は現代に至る数百年の歴史のなかで、このシステムを持つことがありませんでした。日本の政府、権力機構にあっては、結局誰がいちばん権力を持ち、誰がいちばんリーダーシップを発揮しているのかわからないという状況でした。
 たとえば朝廷や大臣たちは名目上は権力を握っているはずですが、実際には誰が重要な決定をしているのか、誰が影響力を持って全体を動かしているのかはっきりしない。実質的な最高権力者をたどって、そうではない人を消去していくと誰も残らないという結果になってしまう。こうした権力の分散化は、千何百年たった現在も変わっていないように見えます。
 正式には、内閣総理大臣と閣僚がすべての政府機関の長となって行政をコントロールすることになっているはずですが、実際に選出された政治家にはシンボル的な権力しかありません。誰が総理になっても、閣僚になっても変わらないのが実情です。

 私たち日本人はそのことをよく知っている。まさに、誰が総理になっても、閣僚になっても変わらないのが実情です、ということを。
 ウォルフレンは日本人とこの問題を語りつづけ、そのようすをこうまとめている。

 ディスカッションをするとき、人によっては「状況はもう絶望的です」と結論づけることも時折ありました。なかには、「日本人は本当の危機が迫って否応なく対処を迫られない限り、この問題から脱却できないのではないか」という極端な意見を持っている人もいました。

 この本を読むと、ウォルフレン自身、その極端な意見に近いのではないかと私は思うが、重要なのは「本当の危機」だ。が、話をもう少し戻す。
 小泉になにが出来たか? 何もできないという意見を十分に否定することは難しいだろうと思う。そして、それは誰が総理になっても何もできないという公理のようなものの必然的な帰結である。ウォルフレン自身もこう小泉を語る。

 小泉首相は、彼が首相になってから何カ月もの間、多くの人が期待していたことを、実現できていません。しかし、それは彼のせいではありません。これは日本の政治経済の仕組みから来ている問題なのです。

 少し長くなるけど、とても重要なのはこの仕組みなので、さらに引用したい。

しかし日本の政治が抱えている問題は、トップのリーダーシップ欠如にあるわけではありません。日本の政治の構造は、リーダーシップの資質を備えた人たちであっても、その指導力を政策立案の形で発揮できないようになっているのです。政治家が政治システムの周辺に追いやられてしまっているというのが、日本の政治の構造なのです。
 日本では、公式には政治家がコントロールしているとされていますが、実際に権力をもっているのは政治家ではなく官僚であり、官庁です。
 日本には政治のエリートが存在します。これはビジネスのヒエラルキー構造のトップと、官僚機構のトップの人たちから構成されています。そして彼らは、何らかの形で自民党に結びついています。
 つまり、欧米諸国に確立されているような政治のリーダーシップは、日本ではほとんど存在しないということです。政治家が自ら政策立案にイニシアティブをとろうとした途端に、彼は政治のシステムから引きずり下ろされてしまうのが、日本政治のシステムです。

 ここで合いの手を入れると、今まさに小泉が引きずり下ろされるかの瀬戸際でもある。
 続けよう。

 ですから、小泉首相が真の構造改革を実現できなかったとしても、彼の責任を問うてはいけません。小泉首相は一生懸命改革しようとしています。そこでは、日本の総理がリーダーシップとしての資質を持っていないという批判も、まったく的外れです。日本の統治システムの構造を変えない限り、政治家のリーダーシップは実現されないからです。

 なので、こうなる。ウォルフレンはこう言う。

しかし小泉首相をひどい首相だと言うつもりはありません。過去数十年の歴代首相も、同じようなものだったのですから…。

 まったくダメなのか。どうしたらいいのか。
 ウォルフレンは次のようなプランを出した。二〇〇一年のことである。彼のプランが実施されない怒りがこの本を書き上げたのだと言っていいのだろうとは思う。

 私が本書で説明してきたことを小泉首相が十分に理解していたならば、そして今の暗い日本を、新たな経済的活力に満ちた元気いっぱいの日本に変えたいと本気で思っていたのであれば、二〇〇〇一年の参院選のときに衆院選も同時に実施することができたはずです。衆議院を解散して総辞職した後、新党を結成する道もあったはずです。そうしていたならば、彼はおそらく衆院選で勝利をおさめていたことでしょう。そして、野党のかなりの数の議員と自民党の一部議員が彼に協力するようになっていたでしょう。そのような劇的かつ勇気ある行動に出ていたら、本当の意味で効果的な政策転換を実行できる態勢になっていたはずです。
 私は、彼が首相になってから数週間のうちに受けたいくつものインタビューで、これらの点をすべて指摘しました。世論調査で彼の支持率が途方もなく高かったころでしたが、そのときからもう、彼が思いきった行動に出ないかぎり真の改革の可能性はないことがわかっていたからです。

 そして、この文脈が先の「しかし小泉首相をひどい首相だと言うつもりはありません」と続く。
 ウォルフレンは正しいだろうか。正しかっただろうか?
 私はウォルフレンは間違っていたのだと思うし、小泉首相は正しかったのだと思う。いや、ようやくそう思うようになった。
 なぜか。
 ウォルフレンが頼みとしているのは、結局のところ、「世論調査で彼の支持率が途方もなく高かった」というあの熱狂である。私は、あの熱狂のなかで小泉に強権が行かなくてよかったのだと考える。それこそが衆愚政治であり、民主主義が独裁を生む道なのだと考えるからだ。
 むしろ、今、彼の正しさが本当に問われ、罵倒まみれになり(おかげでこちたらまでとばっちりがくる有様だが)、そうした多事争論のなかで彼をあらためて国民が支持できるかということが国民の決意になるのだと思う。
 そして、このエントリでは十分に触れられないが、私は今決断を必要とする危機的な状況になっていると思う。
 ウォルフレンも先の統治システムの説明に続けてこう言っている。

 同じように、首相を公選制で選ぶというシステムも、近い将来実現されることはないでしょう。しかし、政治的な緊急事態が生じた場合には導入されることがあるかもしれません。日本周辺の不確実な政治情勢を考えれば、緊急事態の可能性も否定できません。

 別の言い方をすれば、国民がその危機をどれだけ認識しているかによって、統治システムの変更を起こすようなリーダーシップの確立を必要としているかがわかるのではないか。
 もちろんそこを強調すれば一種の脅しのようなトーンになるだろうから、衆院選と関連づけてその危機を問いたいとは、私は、さらさら思わない。

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2005.08.14

郵政民営化反対論の反対論

 それほどリキをいれた話ではないので適当に。六月三〇日の読売新聞に千葉商科大学加藤寛学長が”郵政民営化 反対論封じる5つの原則”という寄稿をしていた。ネットにはソースはないようだ。私も郵政民営化に賛成だが、率直に言うと加藤の意見に全面的に同意というものでもない。が、わかりやすいといえばそうかなとも思うので、参考までに紹介と自分のコメントをまぜて書いておきたい。

cover
税金を払う人使う人
加藤寛・中村うさぎの
激辛問答
 郵政民営化反対論封じる五つの原則というのだが、こんな感じ。

1. 座して死を待つな


 したり顔の評論家がよくいう。「せっかく郵政公社になって頑張っているのだから、あと2年くらい様子をみたら」と。この人は、今の公社がぬれぞうきんを絞って利益を出していることを知っているのだろうか。2年続けて黒字となったが、このままでは次第に衰退していくのは明らかだ。電子情報の時代に、郵便離れが進み、国際宅配便でも後れをとった。

 このあたり私はよくわからないのだが、「郵政公社の採算は問題ない、だから、民営化しなくてよい」とする意見がある。これに対して、上記のように加藤は反論している。私はこの論点にはあまり関心がない。
 やや混乱した印象を受けるが加藤はさらにこう議論をつなげる。前提は郵便局をなくせというわけではないというのだ。

 郵便局は過疎地域でも、スーパーやコンビニを展開せよ、というから無理がある。それよりも地方自治体の事務代行(全国で5兆円市場)をすればいい。介護センターになったり、ワンストップ・サービスを明確に位置づけてもいい。地方の仕事はこれから確実に増えるからこそ、過疎地域の郵便局は必要なのだ。

 私は郵便局の存続にも関心ない。無用なものは自然に淘汰されればいいだろうくらいしか思わないのだが、「地方自治体の事務代行(全国で5兆円市場)」というのは魅惑的でもあるな、ほんとかなとは思う。

2. 二兎(物流と金融)を追う者一兎も得ず


金融と物流産業とは別の世界の原理である。物流のネットは大切にしよう。しかし金融は、官から民に移すべきである。官がカネを集めて国民の金融をせき止めてはならない。

 私にはこれも当たり前なので、端から三事業の一体化は考えてもいない。
 むしろ、これも加藤の余談のほうが面白い。

個々の郵便局は三つの窓口(郵便・簡易保険・郵便貯金)を一体として運営しており、複式簿記を利用していない。つまり近代的経営管理ができていない。今や世界は、国際会計基準で合意し、遅れた日本の金融を排除する動きもある。

 え?ほんとかである。それじゃ中国様と同じレベル…すべてがそうなわけはないか。さて、それってほんとかなと思い返すになんか本当っぽいな。このあたり、民営化論以前の問題のようにも思える。

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立国は私なり、公にあらず
日本再生への提言
3. 敵は本能寺にありとして目をそらせるな、臭いは元から断て
いくら公的金融の“出口”である財政投融資を改革したとしても、出城(財投機関)は落とせない。本丸(郵貯と簡保)から援軍がきて挟み撃ちになるからだ。本丸がある限り、出城の改革は中途半端になる。
 これはまったく同意。というか、この話しか自分は関心ない。これについては、思いのたけを半分くらい「極東ブログ: 郵政民営化は重要な問題だと思う」(参照)で書いた。あとの半分はまだ書いてない。

4. 武士の商法を許すまじ


公務員改革も、身分保障が行き過ぎればストのやり放題になる。郵政改革が不首尾に終われば、いくら税金に依存しないとはいえ公務員として威力を温存してしまう。

 私はこの論点もそれほど関心はない。が、この点については先日のエントリのコメントなどで示唆をいただいた。公務員についてはいろいろ思うことがあるが、特に強い思い入れはない。

5. 地方のカネは地方で使え
 これが面白いのだが、この最後の一点は加藤はまだ実現していないと考えている。とすればまともな原則でもないのだが、それでも、面白い。


将来を考えれば特に「地方のカネは地方で使え」の第五原則にたって地域分割へ向かって修正されることは正しい。これができれば、郵貯・簡保の巨大な資金をどう使うか、民業圧迫にならないかといった初歩的反対論は消滅する。

 これには私は同意。というか、日本国憲法というは、事実上の原文である英文を読むとnationとstateを使い分けており、つまり、これって連邦法ではないのか、と考える自分にしてみると、日本は州に解体したほうがいい。日本が州に解体できれば、その従属でいろいろな権力に再組織化が必要になるだろう。

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