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2005.08.13

塩の話

 塩の話。食塩ってやつ。と書き出ししてみて、ふと聖書の句が浮かぶ。
 「あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。」(マタイ5-13)
 日本人はここで沢庵とか白菜の漬け物とかでイメージしてしまうのではないか。あるいは、それほど気にせず、「ふーん、そりゃそうだ、塩がきいてない料理はまずいからな、クリスチャンというのは、世間の調味料みたいなもんか」と理解しているのではないか。

塚本訳聖書
塚本訳
福音書
 その解釈が間違いだとは言わない。が、塚本訳だとたしかこれを、肉の保存料とし、その肉は神に捧げられたものだとしていた。つまり、世の中はすべて神に捧げられるものでありそれを保つのがクリスチャンだと言うのだ。徹底的に聖書を読み込んだ塚本なのでそうかなとも思うが、捧げ物とまで解釈できるかなという疑問はちょっと残る。
 それでも聖書の世界つまりセムの世界、いや現代風のアラブの世界から西欧の世界までと言っていいだろうが、そこでは塩は肉の保存料というのが基本であり、セム的の世界を現代風に引き継ぐユダヤやイスラムの世界では肉はコシャやハラルとして聖職者が関わって初めて食い物になる。肉というのは極めて宗教的な存在であり、塩もそこに位置づけられるのだろうと思う。つまり、塩というのは、調味料というより保存料としての効き目が重視されているのだろう。
 軽い話を書こうと思ったのに、いきなしうざったい話が多くなったな。すまん。
 ま、話は塩だ。
雪塩
雪塩
 先日「作家」の日垣隆の有料メーリングリストで宮古(正式にはみゃーく)の雪塩の共同販売の話があった。日垣が太鼓判でうまいというのである。売れたか。売れた。けっこうな申し込みがあったというか、予定した在庫は空になったそうだ。私は、苦笑とはまではしないしその価格なら申し込んでもいいかなと思ったが、雪塩はようするにカネさえ出せば楽天で購入できる。
 雪塩については、「ギネス公認宮古島の海の恵み「雪塩」」に成分表のようなのがあり、確かにミネラル分が多いなとは思う。が、私は、これは成分とか味かというより製法がポイントで、曰く、サラサラのパウダー状が使いやすいというかその形状だと口当たりがいいのだろうと思う。天ぷら屋で「お塩でお召し上がりください」とか言われるときの塩とかに向いている。
粟国の塩
粟国の塩
 日垣を批判する意図はさらさらないが、関連の話で伝統的な塩の製法を守るとか言うのがあり、それなら、「粟国の塩」というのが向いているかなとは思う。これは最初から湿気を吸っていて昔の塩というのは、こういうものだったのかと思わせるものがある。粟国の塩は私も沖縄暮らしでよく使っていたし、東京に行くときはよくお土産にした。評判はよかった。
 粟国の塩はうまいか。率直に言うと、私はよくわからない。雪塩もそうだ。基本的に海塩はあまりうまいと思ったことがない。青菜に塩をしたり魚を塩煮(マース煮とかアクアパッツァ)にするときは使う。が、私は塩の良し悪しがわからない。味オンチなのかもしれない。私は自分の食うパンは自分で作るが、粟国の塩を入れるとうまくパンができないなと思う。当たり前かもだが、海塩を使うと一種の硬水みたくなる。海塩はどの塩がいいかというより、どう料理に馴染ませるかが重要なんじゃないかと思うのだが。
 実は私は料理に塩をそれほど使わない。代わりに塩味には醤油を使う。日本食では塩を使う機会が少ないと思うのだが、この話は別の機会に書こう。
 とはいえ、塩がないと困るので、どうするかというと、適当な塩を使っている。「伯方の塩」とか「赤穂 あらなみ塩」とかだ。適当。ただ、これらは振り塩には使わない。また、料理の調味であとひと味塩がというときも振り塩を使う。
アルペンザルツ
アルペンザルツ
 ステーキとか食うのに振り塩で使っていて便利でいいなというのは、「アルペンザルツ」だ。これは岩塩を細かくしてさらっとするようにできているらしい。三枚に下ろした魚に塩とかにも便利だ。料理は塩振り三年というけど、これだとさらっと均等に塩を振ることができる。この並びの「ハーブ入り岩塩 アルペンザルツ 」もよく使う。卵焼きとかに振ってもいい。ドレッシングの塩味にも使える。
 岩塩は適当な大きさのをペッパーミルのようなソルトミルで使うのが基本のようだが、私はこれはうまくいかなかった。
 いずれにしても、私は岩塩が好きだ。こういうのは単に好みの問題もあるのだろう。岩塩といえば、トルコの内陸を旅行したおり、途中で塩の湖というところに立ち寄ったが、湖の岸は氷のような塩の結晶でできていた。舐めてみてしょっぱいのだがうまいなとも思った。
 岩塩らしい岩塩もいいなとは思うが日本では売ってない。というかそこまで興味はないのだが、あらためて楽天を見たら「モンゴルの岩塩」というのがあった。ちょっと高いなという感じはするが気にはなる。

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2005.08.12

郵政民営化は重要な問題だと思う

 「ウォルフレン教授のやさしい日本経済(カレル・ヴァン ウォルフレン)」(参照)の書評もどきを書いたのは昨年の一二月一二日だった(参照)。昨今の状況に合わせて、二〇〇二年五月に出されたこの本を読み返していろいろ思った。

cover
ウォルフレン教授の
やさしい日本経済
 エントリを書くに当たって、私のモチーフは、単純である。郵政民営化に意義を認めるというものだ。
 ネットなどを見回しても、民主党をはじめ、郵政民営化は問題ではないという意見が予想通り出てきた。だが、私は問題だと思う。
 ウォルフレンはその点をこの本で特に重視しているとはいえないが、再読するに示唆となる点は示していた。

 学習院大学の奥村洋彦教授は「日本は、家計資金の半分以上が、政府の金融機関たとえば郵貯とか年金関係で吸収されてしまうような異常な資金の循環をやめるべきだ」(「公的金融偏重の資金循環是正なくして金融再生なし」『論争東洋経済』二〇〇一年三月)と述べています。
 奥村教授は、このようなお金の循環は資本主義経済では異常なものだと見ています。そして内容的には、日本では家計部門から産業部門へのお金の流れがあるという非常に重要な指摘をしています。実際、日本の家計部門の貯蓄は、高度成長期、日本の産業に体系的な形で流されました。
 郵貯から公的な部分にお金が流れている、というのは、「第二の予算」と呼ばれるお金の流れです。第一の予算のように国会で承認する必要はありませんが、年によっては公式な国家予算と同じぐらいの規模か、ことによるとそれ以上かもしれません。
 不透明なので正確にはつかめませんが、それほど多額であることに間違いはありません。日本の郵貯は世界最大の銀行と言われるほど規模が大きく、きわめて重要です。これは日本のシステムが機能する上で大きな拠り所になっています。

 ウォルフレンが日本経済について見るとき最大のポイントは、家計部門が国家(官僚)を通して産業部門に従属になる点、そして、その国家(日本)が新重商主義(物を外国に売って外貨を稼ぐ)を方針としているという二点だ。
 単純に言えば、郵貯・簡保を解体すればこの仕組みを支える大きなカネの流れが止まる。
 もちろん、ウォルフレンも他の部分で指摘しているように、すでにそれが第二の国家予算となっているがゆえに、早急に制止させることは危険でもある。
 さて、ここで問題がある。すでにこうした議論は過去のものとなったのか、ということだ。つまり、郵貯・簡保が国家の第二の予算となるという悪弊はすでにシステム的に解消されているとする議論は正しいのか。
 二〇〇一年四月「資金運用部資金法等の一部を改正する法律案」の施行により、旧大蔵省資金運用部が廃止され、これに伴い郵便貯金や年金積立金などを預託する制度も廃止となった。そして、官僚天下り・無駄遣いの温床である特殊法人は、政府保証のない財投機関債を発行して金融市場から自主的に資金調達を行うことになった。それができない場合は、政府保証で財投債で資金調達を行う。どちらも、調達先は金融市場ということになる。ちなみに財投債というのは、政府保証なんだから、つまり、国債である。国債というのは、国民の借金であり、これはいずれ税金という形で国民に解決が向けられる。
 繰り返すが、この図柄をそのまま受け取れば、財投債(国債)とは違い、特殊法人の財投機関債は政府保証がないので国家(官僚)との関連も断ち切られる。
 そしてこの図柄に郵貯・簡保の問題はなくなったかに見える。
 が、そうなのか?
 まず、この財投機関債がアテにする金融市場というのは実は郵貯・簡保である。また、財投機関債は本当に政府保証はないのか? それ(政府保証)があればつまりこいつ(財投機関債)の正体は郵貯・簡保をアテにした国債(やがて重税に化けるもの)である。
 このあたりの問題は率直に言って私にはよくわからない。単純な話、財投機関債が政府保証かすらよくわからない。ウォルフレンが言うように「不透明なので正確にはつかめません」という感じもする。ついでに言えば、どうやら、財投機関債以外にも類似の金蔓があるようでもある。
 ただ、わかることはある。無い袖は振れぬの原理から言えば、特殊法人に流れる無責任なカネの入口を閉じてしまえばいいということだ。郵貯・簡保が民営化されれば、原理的には、そうなる。
 郵政民営化は大した問題じゃない論には、別の変奏もある。こうだ。現状の郵政民営化法案では、民間となった新会社も財投機関債や財投債の購入が自主的に継続できる。なので、この点をついて、新会社が財投債(国債)や財投機関債(正体不明)が大量購入されるなら、問題の構造は依然変わらないということになる。よって、郵政民営化は意味がない、と。
 私はそう思わない。
 民間化後にそんなもの(実質国債)を大量購入できるという仮定はそれほど確かなものだと思えないからだ。
 私が、郵政民営化問題はたいしたことじゃない論に一番違和感を持つのは、その内実に詳しいからというより、衆院でのどたばたの経過を思うからだ。
 「極東ブログ: 郵政民営化法案問題をできるだけシンプルに考えてみる」(参照)でも触れたが、衆院でもめにもめたのは、民営化後、いったん市場で売られた金融二社(郵貯・簡保)の株式を、持ち株会社傘下の郵便や窓口網の両社が買い取ることを認め、持ち株会社が完全処分の義務を果たさなくてもペナルティーを科さないとする抜け穴についてだった。
 そこまで、反対勢力がその抜け穴に躍起だったのに、なのに大した意味ないとは、私は到底思えないのだ。
 むしろ、メディアでは既決事項のような抜け穴があると報道したが、これは法文ではなく私的な合意文書に過ぎない。自民党の旧態勢力をぶっとばせばこんなものは反故になる。
 というわけで、私の結論は単純だ。郵政民営化すべきだ。そしてそれは重要な課題だ。

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2005.08.11

マレーシアのスモッグ(ヘイズ)

 昨日からGoogle NewsがRSSを配信をはじめたので、RSSリーダーから同種のTopixを外して入れ替えてみた。かくしてぼんやりと世界のニュースのヘッドラインなどを眺めていると、マレーシアのスモッグの話がひっかかった。読みやすいのはBBC”Malaysia haze triggers emergency”(参照)だろうか。標題を見てもわかるように、このスモッグだが、ヘイズと呼ばれている。
 スモッグというと日本では自動車の排気ガスなどが連想されるが、ヘイズの場合は森林火災や焼き畑農業などが主な原因である。
 というわけで、ヘイズの話はマレーシアやインドネシアから毎年のように聞くのだが、どうも今年はかなり深刻になっているようだ。


Malaysia has declared a state of emergency after air pollution in parts of the country reached danger levels.

 「危険レベル」というのは、PL法との知識のある人ならドンビキのレベルでもある。注意、警告といった段階ではなく人命に関係してくる。
 邦文のニュースはないかと検索すると、「アジア・欧州経済情報/NNA: Global Communities」(参照)の十一日付のマレーシアのニュース(参照)で”ヘイズ収まらず、首都圏「危険レベル」[社会]”という記事があった。gooのサイトにも同記事がある(参照)。

インドネシア・スマトラ島の森林火災などによる煙害(ヘイズ)が10日、クアラルンプールを中心に拡大した。首都圏、スランゴール州などで視界が1キロメートル以下に悪化。スランゴール州政府はクラン、シャアラム、スバンジャヤ、プタリンジャヤの大気汚染が「非常に危険な状態」に達したと発表。環境局(DOE)は「大気汚染はモンスーン(偏西風)・シーズンに入る10月まで続く」とみて注意を呼び掛けている。

 gooでは四日付の関連で”【マレーシア】 首都圏でヘイズ拡大、森林火災が原因[社会]”(参照)もあった。

インドネシア・スマトラ島の森林火災や、クアラルンプール郊外のサイバージャヤ周辺の泥炭層(ピート)火災によるヘイズ(煙害)が2日、首都圏はじめ国内各地に拡大した。午前中から視界は徐々に悪くなり、午後4時ごろから急激に悪化。屋外を歩くと煙の臭いが感じられるようになり、ハンカチで口と鼻をふさぐ通行人も多く見られた。環境局は「南西季節風(モンスーン)の影響により、今後数日間はヘイズが続くだろう」とみている。

 基本的には森林火災なのだろう。
 被害から考えると大変な問題なのだが、私は、この手の森林火災は基本的には自然な状態ではなかったかと理解している。ソースは忘れたが、オーストラリアの森林火災についてなにかの記事を読んだとき、そういう説明があった。
 ぐぐってみると、”オーストラリアの火災”(参照)が一番にヒットした。

 火災は生態系における自然現象の一つです。それはこの風光明媚な海浜公園の多様な生息環境にとっても同様です。しかし、火災が動物の個体群に及ぼす複雑な影響については、よくわかっていません。最近オーストラリア東部で発生した大規模な森林火災は、生物多様性の損失に対する防火対策の役割について人々の関心を高める結果となりました。例えば、近年ではお粗末な防火体制のせいでオーストラリア固有の鳥類2種が絶滅し、今も50種以上の鳥類に計り知れない脅威を与え続けています。デビッド・リンデンマイヤー博士は、予め計画された火災に加え、記録に残っている歴史上の火災に対して動物がどのように反応したのかを調べています。過去のデータと実験データを結びつけることによって、資源管理者は防火対策と保全対策の両方を併せて立案できるでしょう。

 基本認識としては森林火災というのは自然現象なのだろう。そして、オーストラリアの場合は、人間以外の視点になるが、マレーシアではそうもいかない。
 こういう問題もあまり単純なものではないなとは思う。ということで、さしてエントリのオチもない。ただ、スモッグというと、これから一週間の東京はよいなと思う。帰省者ラッシュの後東京の人口や活動が激減する。私はこの時期の東京がけっこう好きだ。富士山もよく見えるし。

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2005.08.10

公明党と共産党に関連して

 最初に誤解なきようお断りなのだが、私にとって、公明党と共産党はどっちが嫌いか甲乙つけがたいほど嫌いな政党なのだが、このエントリは政治的な意図をもって貶めるという趣旨ではない。もっとも、こんな弱小ブログにそんな影響力もないだろう。この二つの政党に関連してなんとなく気になることがあるので書いておきたい、というだけだ。

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創価学会
 公明党だが、先日の都議会選でもそうだし、今回の衆院選挙でも結果的にキャスティング・ヴォートの位置になるだろう。つまり、その政策が国政に強い影響力を持つことになる。
 背景に創価学会という宗教団体を持つ公明党なので、政教分離なり、その宗教団体の利害が国政に反映するのは好ましくないなどといった視点で批判されがちだ。が、私は、概ね公明党は無害な政党なのではないかというか、世相の流れに流されている政党なのだろうと考えつつある。流れとは、昨日の「極東ブログ: [書評]自民党の研究(栗本慎一郎)」(参照)で自民党について触れた点と関連する。つまり、権力の主体が、農漁村ベースの旧保守か都市民の新保守かということが問題で、公明党は後者の都市化の流れから大枠で逸れることはできないだろうということだ。
 新潮新書の島田裕巳著「創価学会」のまとめが穏当だろうと思うが、創価学会というのは地方から都会に流れた人たちの互助組織に近い。言い方はよくないのだが、完全なマイノリティでもなくそれほど逼迫した状況でもない非都市民が都市に適応するための政治運動と見てよいように思う。イデオロギー的には無色に近いのだろう。
 その意味で、公明党からは、国政を左右するという点で突飛な政策が出てくるわけもなく、突飛という点では地域振興券といったお笑いが出てくるくらいだろう。もちろん、背景の宗教団体やその支持層を結果的に保護する政策色は強いだろうが、その点では新保守の自民党側で薄めることは可能ではないかと考えたい。むしろ、そうした新保守のなかに公明党を解体する受け皿のようなものをそろそろ用意したほうがいいのではないかとも思うが、この点についてはそれ以上言及しない。
 共産党については、中国共産党が内実をすっかり入れ替えたように、日本共産党も内容を入れ替えなければ、そろそろ歴史的にお役目を終えた政党でもあるし、社民党と同様に実質的な政策はゼロ、というか、およそ政策実施に伴う責任性を完璧に回避したので、その発言はもはやエンタテイメントの領域に近い。むしろ、より過激な政治運動を緩和する緩衝になるのかもしれないのがメリットかもしれない。
 が、国政から離れると、都市部や農漁村部でパッチワークのように共産党は強かったりする。その強さについては、地べたに立ってみるといろいろ思い当たることはあるが、それらが国政的なレベルに持ち上がるかというのが、強いて言えば、問題になる。
 大筋で言えば、持ち上がるためには、公明党同様に都市部の新保守層の利害を包括しなければいけないのだが、そういう芽は現状ではあまりなさそうだ。
 関連して、共産党については、それほどは世間で話題になっていないようだが、先月二十一日筆坂秀世元政策委員長が離党していた(参照)。筆坂は一昨年六月にセクハラ問題の責任を取り参院議員を辞職していたが、さらに共産党からも離れることになった。ベタ記事に近いニュースからは執行部の党運営に反発とある。
 政策委員長という要職からもわかるが、いうまでもなく筆坂は不破哲三議長、志位和夫委員長、市田忠義書記局長に次ぐ共産党の実力者だった。日本共産党史を見れば、野坂参三の例もあるように幹部が更迭されるのは別段珍しくもないが、それらは明白な除名処分だった。が、筆坂の場合は、自らの意志による離党であったというのが気になる。どのような思いだったのだろうか。
 この話は、政局ネタとしては前回の衆院選で終わったことなので、呑気にこんなブログに書ける面もあるのだが、あらためて過去記事を見なおすとやはり気にはなる。”筆坂議員辞職 身内の不祥事は真相あいまい 共産、一貫性欠く”(読売新聞2003.06.25)ではこう伝えていた。

 自ら発表し、議員辞職という措置をとり、党の自浄能力を示した格好だが、実は、共産党は綱領を改定し、現実・柔軟路線をアピールした二十三日の中央委員会総会で、常任幹部会委員でもある筆坂氏の解任を決めていた。にもかかわらず、発表を二十四日まで伏せていた。同党の閉鎖性の一端も明らかになった格好だ。筆坂氏自身、談話の紙を出しただけで、記者団の前に姿を見せなかった。
 こうした共産党の対応ぶりに、「事実関係が何も分からないというのは国民に理解できない。比例代表選出議員として選んだ人に説明が必要ではないか」(上野官房副長官)と、有権者に十分説明する必要があるとの指摘が出ている。

 さらにネットを調べていく真偽のわからない怪情報などもあり、途方に暮れる。
 とはいえ、こうした問題で共産党を批判したいというのがこのエントリの趣旨ではないので、その真相の推察はしない。
 広義に見れば、筆坂秀世元政策委員長は、自民党の旧保守に対応するような農漁村的な代表の位置にあり、結果的には共産党内部の都市派との権力闘争ではなかったかというふうにも思える。
 共産党の内部についてはそれほど関心もないのだが、大枠で各種の政治動向を決定しているのは、ここでも農村部と都市部の利害の対立ということかもしれないなという思いがする。

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2005.08.09

[書評]自民党の研究(栗本慎一郎)

 日本の大きな変革に立ち会っているのだろうなと思う。日本のありようが日本国民に問われたということはいいことだ。日本国民はどう答えるだろうか。というところで、さて情報戦がばしばしと始まるのだ。
 迎え撃つ小泉首相の原点は明快だ。”衆議院解散を受けて 小泉内閣総理大臣記者会見”(参照)より。


 私は、今、国会で、郵政民営化は必要ないという結論を出されましたけれども、もう一度国民に聞いてみたいと思います。本当に郵便局の仕事は国家公務員でなければできないのかと。民間人ではやってはいけないのか。これができないで、どんな公務員削減ができるんでしょうか。どういう行政改革ができるんでしょうか


言わば、はっきりと改革政党になった自民党が、民営化に反対の民主党と闘って、国民はどういう審判を下すか聞いてみたいと思います。だから解散をしました。

 つまり、郵政民営化に賛成ですか、と。
 そこで、情報戦の敵方の先陣は論点ずらしに出てくる。曰く、そこが問題じゃない、そんなことは大した問題ではない、と。そして、偉そうな理屈がついたり、専門家めいたフカシがはいる。
 しかし、その時点で倒錯ではあろう。国政というのはシンプルなものだからだ。
 そのことを小泉総理はよく理解して勝負に出ている。

私は、この郵政民営化よりももっと大事なことがあると言う人がたくさんいるのも知っています。しかし、この郵政事業を民営化できないでどんな大改革ができるんですか。

 この問題を明快にクリアできずに、何ができるのか、と。
 たしかに、私はその通りだと思う。民主党を含めて反対勢力をうまく炙り出したという点で、緒戦は勝ったとすら思う。
cover
自民党の研究
 そして、これから、さらに情報戦が始まる。
 情報戦は、端的に言えば、虚像だ。そうではない、実像はどこにあるのか。
 ぼんやりと考えながら、そういえばと書庫を覗くと、栗本慎一郎が病に倒れる前、一九九九年に書いた「自民党の研究―あなたも、この「集団」から逃げられない」があった。捨てたと思ったのだがある。めくってみた。面白いといえば面白い。参考になると言えば、そういう面もある。例えばこれ。関係というのは、旧保守と新保守の関係だ。

 したがって、やがて日本経済が危機を脱したということになれば、この関係は分裂し、自民党の粒状化が始まることになる。自民党は、旧保守の牙城たる農漁村をいかに完璧に押さえても、衆議院の過半数を占めることはできない。旧保守を中心に自民党の運営がなされても、選挙が近づき、これでは政権が維持できないとなったとき、いとも簡単に新党ができる可能性が高い。
 いうまでもなく、都市型、国際型新党である。
 少なくとも二〇〇五年までに、自民党はあるひとつの総選挙のまえに分裂することは必至である。

 二〇〇五年は当たり。と、これだけ読むと、恐ろしいほどの切れ味の予言ということになる。が、この予言は新保守の核が小沢一郎になるだろうと続く。だから、栗本の予言の全体は、九月一一日以降、そしてさらに半年後くらいにはっきりするだろう。
 私は小沢を十年間一貫して支持したが、もう小沢の目はないんじゃないかと思うようになった。しかし、かつての思いから言うと、分裂が必要なのは民主党のほうだ。民主党から小沢の勢力が今回の事実上の小泉新党に合流して公明党を叩き出すというスジを望みたいが、まともに考えるなら、そうはならないだろう。栗本も、原則論的に、そう言っている。

 小泉の家は、祖父、父、本人と三代続く保守政治家の家系だ。だが、もともとの本業は、横須賀の港を仕切る沖仲士などの集団の親分だった。ある意味で、清水次郎長がそうであったように、それこそ本物の侠客である。少し若いころの小泉に三度笠でもかぶせて、長い楊枝をくわえさせたら、中村敦夫(参議院議員、俳優、作家)よりよく似合う。
 小泉は、小沢のように政党の改革とか政治の改革などといったことはいわない。関心すらないといっていいだろう。一方、小沢は、まずは理念と大きな政治方向を押し出して、前へ進もうという政治家である。小沢のほうが少数派であり、小泉は自民党の保守政治家である。
 そういうわけで、小沢と小泉がいっしょになることはなかった。今後もないだろう。

 もっとも、栗本は二者の合流に六年前だが未練は持っていた。
 同書は森喜郎と小泉の関係についても美しいエピソードを描いているが、この背景を知ると缶ビールと乾いたチーズの話も含蓄深い。
 さて、エントリを書いてみて思ったのだが、どう大衆情報操作がなされても、小泉が折れても、新保守の流れが止まるわけもないな。つまり時期だけの問題で、今回が好機となるのか、混乱からさらに焦土に近くなって立ち上がるか、それだけのことかもしれない。そう考えると、それほど意気込む戦いではない。ここで勝てたら儲け物。

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2005.08.08

インドにおける野良牛問題

 問題は、野良牛である。今世界の人々が注目しているのは、まさにこの問題だと言っても過言ではない。いや日本国内では九月一一日の衆院選挙のほうが重要だという意見もあるかもしれない。しかしここは世界を大局的に見る必要がある。BRICSを代表するインド。その首都ニューデリーの未来に立ちふさがっているのは、街に溢れる野良牛である。
 野良牛をどうしたらいいのか。それは依然大問題であるとともに複雑な問題でもある。日本の野良犬処分のようなわけにはいかない。日本人なら誰でも知っていることだが、インドの多くの州では野良牛を殺すことは法律によって禁止されている。
 現在ニューデリーには約四万頭の野良牛がいると推定されている。もちろん、その他の動物もいる。猿(その潜在的な危険生について別途エントリを起こしたい)、羊、犬、そして公園にはリスなど、仏陀の涅槃に集まったこの敬虔なる衆生はそこにずっと同じ衆生である人間と共存しているのである。だが、問題も起きる。まず、彼らと人間とでは交通ルールが違う。交通事故も起きる。もっとも私がコルカタで見た野良牛たちはきちんと交通ルールを守っていたと証言しよう。
 人間と野良牛とには、双方に共存を理解しえない勢力が存在する。人間と人間ですら共存は難しいのだからしかたがないことだとはいえ、今年に入って野良牛が人間を突き殺すという悲しむべき事件も起きた。裁判となり高裁判決も出た。
 野良牛の弁護側の反応については書類を見てないのでなんとも言えないのだが、ニューデリー高裁の判決は明快だった。市に対して野良牛の退去を命じたのである。なので、市としても野良牛を市街からの撤去に乗り出した。しかし、事は順調に進んでいない。撤去しても戻ってくるらしい。
 野良牛をどうしたらいいのか。今月に入って、斬新な展開があり、世界が注目した。ブロガーなら欠かさずワッチしているはずのエキサイト、世界びっくりニュースでもこの六日に”野良牛を捕まえた人に賞金 インド”(参照)はこう伝えている。


町を徘徊している野良牛を捕まえ、州が管理する収容所に連れてきた人に対して賞金2千ルピー(約5,140円)が支払われることになった。

 懸賞付きということだ。なお、ニュースのオリジナルは”Earn easy cash in your spare time!”(参照)である。
 BBCも大きく取り上げていた。”Cash bounty on stray Indian cows ”(参照)。ところで、記事を読んでいただくとわかると思うが、おカネが儲かる牛(cow)なので、cash cowといういう駄洒落のオチがあるのかと期待すると虚しい。
 以上、世界のニュースから現在の野良牛の深刻な状況が伝わってくるのだが、それにしてもなぜ? なぜ、かくも野良牛がいるのか? 昔からいたけど、それが近代化に伴って問題とされるようになったのか。
 先日のNHKラジオの話では、どうも真相はそうではないらしい。
 私が理解したところでは、問題の真相は牛乳と財投債のようだ。とはいえ財投債についてはこのエントリでは触れない。
 なぜ牛乳なのか。
 十分な放牧地を持たない零細な酪農業者が、市街で草を食わせてその場で牛乳を売る、という生産と販売のありかた、つまり広義の産業構造と福祉の構造が、一見野良牛問題に見える問題の背後にある。
 市当局としても郊外に放牧地を用意しているのだが、その費用やなんだかんだでこうした業者と牛の移転はうまくいってないとのこと。なにより、そうして解決できる頭数は五千頭くらいなので、全体的な解決にはなりそうにない。
 ふと思ったのだけど、野良牛を捕まえる賞金というのは零細酪農業者の援助金なのではないか。

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2005.08.07

参院否決なら、衆院を解散して国民に信を問えばいい

 政局について特に私にネタがあるわけでもないが、事ここに至って、一国民としての思いを少し書いておきたい。
 郵政民営化法案のキモについては、「極東ブログ: 郵政民営化法案問題をできるだけシンプルに考えてみる」(参照)で触れた。ので繰り返さない。
 政局についてだが、結論を先に言うと、郵政民営化法案が参院で否決ということになれば、衆院を解散して国民に信を問えばいい。私は小泉首相を支持する。
 原則としては、良識の府であるはずの参院で否決されたら、法案を廃止なり、見直しなりをすべきだろう。しかし、内閣として、廃止にしたくないし、これまでも最大限譲歩したので見直すべき点はないとしている。であれば、国民に再度問えばいいという以外に私は考えられない。それに反対するというのは、国民の意思が現れるのを恐れていることになる。
 これに放言を足す。私は参院は基本的には国の未来の決断を問うとき、不要だと考えている。しかも、参院は国民の一票が不公平に配分されたままであり、国民の良識を代表しているとはいいがたい。もちろん、コンサルト的な意見を出すという意味はあるだろうし、それが今回予想される否決であるというのを認めないわけでもない。
 だから、やれ。解散しろ。
 これで新しい衆院が出来て多数をもって可決し、あんな参院は不要だったなということになれば、国政の改革にもよい。あるいは、国民が、小泉首相を支持しない、郵政民営化法案を潰すというなら、それも国民が決めたことだ。
 具体的には、現状の選挙の動向からすると、雰囲気だけの民主党に有利というふうに読める。これに公明党はすでにどうでもいいから勝ち組に乗るとしているのだから、小泉支援の自民党の勢力が一気に瓦解するということもあるだろう。
 ただ、そこまでして民主党は郵政民営化法案反対で通すのだろうか。私は、自分の不勉強だと言われてもいいが、民主党が明確な対案を出したことなど知らない。私は、基本的に民主党の支持者だが、今回は小泉を支持する。
 話としてはそれだけ。
 具体的な政局の動向予想というわけではないが、橋梁談合問題のその後が気になる。これまでの日本の政治・産業風土からすると、官僚サイドからの逮捕者まで出すとは思えないのだが、そこまで押した。これは小泉の意志なのだろう。このことは、そこまでできるある種の力を暗示しているのだろうし、つまり、その力がこの政局でも出てくるのではないか。

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