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2005.08.06

戦争を忘れないということの裏にあること

 ブログを長く書いているとネタがなくなるものだという。そうかもしれない。戦後六十年の節目ということで、いろいろ思うことがないわけでもないが、このブログでは、昨年までにその手の話題をよく書いたような気がしている(参照)。もうさしあたって書くことはない…そうだろうか。
 今朝は八時十五分にNHK総合のテレビをつけた。式典の映像はそこにあった。特に変わった印象は受けなかった。小泉総理の挨拶には真剣な響きはなかった。
 式の中継が終わり、そういえば原水協と原水禁は今も分裂したままだったかとグーグルをひいてみた。そのようだ。二つのグループで統合した行動が取れないのに平和を求めるものなんだなと皮肉な思いも去来するが、それにもそれほど関心はない。
 なにか心に引っかかっているものがある。なんだろう。毎日新聞”チョムスキー教授:人類は核戦争に着実に近づいている”(参照)の記事が少し気になっている。


 原爆投下はおぞましい犯罪だ。個人的には東京大空襲はさらにひどい犯罪だと考えている。しかし、戦争犯罪を定義したのはニュルンベルク裁判だった。枢軸国の行為のみを戦争犯罪、平和に対する罪、人道に対する罪と定義し、大都市への空爆など連合国もした行為は定義から除かれた。

 思い起こすと個人的にお会いする機会は逸したが、チョムスキー先生とも長いつき合いか。日本では当初べ平連がらみで受け止められていたようにも思う。そういえば、ご本人直ではないだろうが、沖縄にいたときは沖縄を支援するメールも戴いた(無くした)。九・一一以降、日本では突然若い世代にも人気を得ているようだが、いい意味でも悪い意味でもチョムスキーは変わっていない。その言語学理論のようにいつも不自然なまでにリゴラスな側面がある。毎日新聞の記事で東京大空襲に触れているのもそうした側面からなのだろう。
 そういえば、先日の一日は長岡大空襲の日だった。長岡戦災資料館(参照)のサイトではこう説明してる(参照)。

 昭和20年(1945年)8月1日の午後10時30分ころから翌2日の午前0時10分までのおよそ1時間40分間、長岡はアメリカの爆撃機B29による焼夷弾爆撃を受けました。
 投下された焼夷弾の量は925トン、163,000発余りの焼夷弾が文字どおり豪雨のように降りそそぎ、長岡を焼き払ったのです。
 この空襲により、市街地の約80%が焼け野原となり、学童約300名を含む1,470余名の尊い生命が失われました。

 通称裏日本の空襲としては、被害は七月一九日福井大空襲(死者約約千六百人)に次ぐと言えるのかもしれないが、投下焼夷弾は長岡のほうが多かった(福井空襲は九千五百発)。
 他に裏日本の地域での空襲はない(追記:ここは間違い。同日の富山空襲があります。また、八・一四土崎空襲などがあることをコメントで教えていただきました)。しかも原爆投下スケジュールも決定済みの八月一日になぜ長岡を狙ったのか。そして、長岡大空襲が事実上最後の大空襲となった。このあと目立った空襲といえば、六日未明の阪神空襲があるが、死者は百四十五人(参照)。規模は小さい。そして、同日の朝、広島には原爆が投下された。
 なぜ長岡が狙われたのか。当時の人は山本五十六の墓があるからだと思ったようだ。長岡空襲というサイト(参照)はこう記しているが、他にも類似の記事は見られる。

当時、「長岡は山本五十六元帥の墓地が有るので、国民の戦意喪失を目的として空襲を受けた」と噂された。

 しかし、先日私は暑い暗闇のなかでじっと思っていたのだが、狙ったのは墓ではあるまい。嫌な汗が身体から吹いた。むしろ生家を狙ったのであり、その類縁の血統を絶やそうと米国は狙ったのではないか。報復というよりもっと残虐が意志がそこのあったのではないか。
 Wikiの山本五十六の項にはこうある。

 彼の生家は長岡空襲で焼失し、現在は山本記念公園となっている。ここには復元された生家や胸像が建っている。この胸像はもともと全身像で、かつては霞ヶ浦にあった海軍航空隊にあったものであったが、終戦後の1948年に密かに霞ヶ浦に投げ込まれ、後に引き上げた際胸部のみを長岡の山本元帥景仰会が貰い受け、ブロンズ像に鋳直したものである。また、公園の向かい側には山本五十六記念館がある。

 墓についてはこうある。

彼の墓は多磨霊園と故郷・長岡の長興寺にあるが、後者にある墓は2004年10月23日の新潟県中越地震で倒壊し、翌2005年4月に復旧した。

 米人が墓を狙うことはないだろう。
 しかし、と、ここで私は闇にせせら笑われるように、問いかけられる、そんなことは実証できまい、と。
 そうだ。たぶん、実証できない。戦争や戦後に纏わる多くの欺瞞はかならずしも実証できない。だから、それらは妄言とされる。
 しかし、そういうものだろうか。
 「松代大本営の保存をすすめる会」(参照)のサイトに長岡空襲の経験者の次の話がある(参照)。

アメリカ軍の資料の中に、山本五十六の生地だから長岡を襲撃するとの文言は全くありませんと聞き、驚きました。

 その驚きの意味は語られていない。
 私はどう考えたらいいだろうか? 歴史学的な見地からすれば、長岡大空襲の目的が山本五十六の類縁の血を抹消するための報復だったとは言えない。しかし、私は、それが長岡大空襲の意味であると疑うことができない。
 この思いはどう解消されるのだろうか。
 私の山本五十六の評価は低い。理由は単純である。真珠湾を決定的に壊滅しなかったからだ。奇襲は成功した。石油が封鎖された日本において博打的とはいえ最善の戦略だった。しかし、そこで終わった。山口多聞(参照)が進言した壊滅的な攻撃は遂行しなかった。海軍内の話とすれば南雲忠一(参照)が日本の勝機を潰した。しかし、その最終的な責任は山本五十六にある。
 言えば奇矯な話になるのだろうから洒落を交えて言うが、日本はあの戦争に勝てた。ハワイを完全に封鎖すれば米軍は日本と停戦に持ち込む以外はない。そういう可能性を日本から引き出すかも知れない血を米軍は恐れたのだ。私はその思いがうまく否定できない。
 いうまでもなく、戦争を抽象的にとらえるなら、すべきではない。しかし、その話も、もう「極東ブログ: [書評]戦争を知るための平和入門(高柳先男)」(参照)で書いたから、繰り返さない。

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2005.08.05

iTunes Music Store(アイ・チューンズ・ミュージックストア)が始まった

 昨日、待望の、と言っていいと思う、iTunes Music Store(iTMS:アイ・チューンズ・ミュージックストア)のサービスが始まった。このブログを読まれているかたにiTMSについて基礎的な解説は不要かもしれないが、ようするにアップル社によるインターネットを使った日本向けの有料音楽配信サービスだ。こうしたサービスは従来からもあったが、マッキントッシュやアイ・ポッド(iPod)といった、ソフトウェアとハードウェアの一体化製品を出す同社のファン層は、パソコン好きのある中核に存在しているのでネットでは話題になる。
 今回のサービスは、簡単な話、パソコンがあれば、自宅にいて一曲二百円で曲が買えるというものだ。洋物だと百五十円もある。米国では同種のサービスは一曲で一ドルを切るので、日本だと割高だなと思う反面、同種の日本国内サービスに比べると安いといった視点もあるだろう。結局どっちかというと、日本のこの市場ではしかたがない。よく善戦したともいえるだろう。というのも、CD一枚が国内だと新しいものではなぜだか三千二百円くらいする。これに十二曲くらい入っている。一曲だと、二百五十円くらいかということになるから、二百円に比べると安い。
 それにすでにこの手のサービスが先行していた米国でも議論になっていたが、CD一枚だと駄作もコミということになるので、インターネットによるばら売りではさらに割安感が出る。他方、作り手としてはアルバム制作のコンセプトが活かされないというデメリットもある。余談だがその隙間をぬって紙ジャケCDが国内で流行ったがどうもそれが逆に米国に影響しているようでもある。LP時代に音楽を聴いて育った私から上の世代には、ジャケットに強い思い入れを持つ。
 ネットで購入する曲は相対的には安いと言えるとして、根にある問題はCD一枚がなぜ三千二百円かということだ。DVDなら市場原理に従ってその半額には落ちる。映像までついて半額なら、DVDから音だけ引っこ抜いてしまえばいいじゃないかと、パソコン好きなら考えるだろうし、それは実際にそう難しくできる。当ブログでは解説はしない。もっとも、「そう難しくなく」とはいえ、一般のパソコン利用者にはハードルはかなり高い。
 iTMSの国内登場によって、CDで販売されていた音楽がこれからはインターネットで販売される、と、とりあえずは理解していいのだが、音楽好きにしてみると、ちょっと言葉は悪いが、ネット販売の曲はそれほど音質にこだわらないポップスくらいしか使えない。音質はMDよりはちょっと音がいいかなくらいだが、CDのオリジナルには劣る。しかも、iTMSでは音楽の再生はパソコン(ノイズが多すぎ)かiPod(音質はよくない)を想定しているので、音質面ではかなり本質的な限界が存在する。それでも、米国の動向を見ると、この音質でいいや、イコライズしてでっかいスピーカーで流してしまえというようでもある。
 それと、パソコン内でデータ・ファイルとして購入した曲は他のパソコンでは再生できない。ややこしい制限がある。
 サービスは昨日から始まった。私は、ちょっと勘違いして本格サービスは翌日(つまり今日)からだと思っていた。アップル社の製品とは長いつき合いになる私としては、こうしたサービスに初日から手を出すとろくでもないことになるなと知っているが、いち早く手を出したふうな「R30::マーケティング社会時評」”iTunesMusicStoreにがっくり”(参照)のエントリを読み、はてな?という印象をもったので、アイチューンズ(iTunes)を起動してみた。
 素で起動すると米国サービスが出たのでちょっと苦笑した。お知らせメールのアドレスで起動しなおすと、日本語サービスになった。通信チェックにサンプルをゲットしてみるかと操作しているうちに、会員登録しろということになり、ままよと済ませた。
 さしあたって欲しい曲はない。弘田三枝子の「人形の家」がよいなと思ったが、ミコちゃんものかなというアルバムが一つしかない。あ、これは、と思い、松任谷由実で検索すると、ない。が、荒井由実なら五、六個アルバムが出てくる。そういうことだ。洋物ではPeter,Paul & Mary とかThe Brothers Fourとかはない。Bob DylanやCarly Simonもほとんどない。検索のしかたがよくないのかもしれない。実はこのあたりの曲は、別系のサービスですでに存在することを調べてあるので、そんなものかという感じがするだけだ。
 結局、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」を買った。二百円。シングルCDで余計なものコミで買うよりは安いので、今後はシングルCD市場はかなり衰滅するのではないか。
 私は米国の通信サービスも利用しているので、こうした音楽配信サービスを使うのは初めてではないが、日本語できちんと提供されてみると随分違った印象を持った。この感じはなにかなと記憶を辿ると、そうだジュークボックスだなと青春時代を思い出して胸がきゅんとした。若い頃はなぜポップスがそんなに訴求力があったのだろうか。いや、「誰かの願いが叶うころ」を聞きながら今でも胸きゅん感はあるか。
 iTMSサービスではラジオ深夜便の一部などNHKラジオ関連の音声メディアをオーディオブックとして販売していた。これも興味深い。どのくらいの時間が収録されているか詳細は見てないが、価格は一本七十円と安い。四十五分程度で新書価格に匹敵する七百円くらいのようだ。米国では、オーディオブックがこの市場の大きな分野を形成しているので、日本でもそうなるといいとは思うが、単純な話、こうしたいわば音読物を好む年寄り層がiPodを使いこなせるとは思えない。
 いや、年寄りばかりでもないか。私の観察が偏っているのかもしれないが、電車や街の人を見るに、若い人でもまだ半数はMDを使っているようだ。白いイヤホンの多くはiPodであろうとは思うが、その大半はシャッフルのようだ。つまり、五ギガ以上のストーレッジ(格納)性の高いガジェット(電子小物)としてのiPodはまだあまり普及していないように見える。
 私の推測だが、意外と若い人たちが高速回線に接続できる音声・映像処理可能なパソコンを持ってないのではないか。反面、携帯電話への依存率は高そうだ。音質の低い着歌などを三百円で買っている現状や、基本的にパケ代単位の世界のこの層はデジタル重税に喘いでいるようにも見える。ある種のデジタル・バイド(格差)か。もしそうなら、それはiPodの普及にも影響しているのだろう。
 iTMSのサービスでもう一点、ふーんと思ったのは、意外とポッドキャスティングが充実していることだ。技術的にはそう難しくないのだが、私みたいな芸もないオッサンが肉声で語っても聞く人はあるまい。それに、生の声は恥ずかしなとも思う。参考がてら、先日、自動音声合成でちょろっとサンプルを作ってみた(参照MP3きっかけとなった栗先生のネタ)。
 音声ファイル作成は技術的には難しくはないが、面白いコンテンツを作るのは難しい。それでも、画像と文章がメインのブログからもっと音声ベースのブログのようなものの展開できるのは新しいネットの可能性ではある。

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2005.08.04

なまこが大ブーム

 雑記。なまこと私。深い関係はない。多少、縁はある。沖縄の海辺で八年ほど暮らしたが、海辺によくいた。黒いぶにょっとした、なんというか、つまり、なまこだ。食うのかと現地の人に訊くと食わないと言う。食うわけないだろという顔をしている。でもこんなにいるのだから、なんか関わりというものはないのかというと、さらに怪訝な顔をして、そう言えばと言う、なまこを置いて、石を持ち上げて、その上に落とすと、ぶちゅっと白いソーメンのようなものを吐くというのだ。あれはソーメンだねと言う。楽しげに語る。訊くんじゃなかった。
 なまこというのは上質な中華料理の素材である。明朝や清朝の文化の影響を受け、那覇には媽祖、つまり天妃を祀るくらいの沖縄・琉球なのに、なまこ料理はないのだろうか。なまこと沖縄で検索すると「にらいかない」というブログに”♪なまこ・ナマコ・海鼠~~~♪”(参照)というエントリが、あれれ、沖縄でも食うのかと思って読むと、そうではない。


 気がついたら、クリスマスが終わって、お正月がもう目前!!
 買い物に行ったら、いました!ナマコが!!
 沖縄の海にはごろごろしている黒い物体、ナマコ。これはどうも、毎年お正月に食べるナマコとは違うなあ・・・と思っていたら、『ナマコを食べるなんて、信じられない!?!?!』言われました。
 言うじゃな~~い!?
 でも、いるんですから!食べるんですから!輪切りにして!お腹のコノワタの塩辛は絶品ですから!!

 九州のかたらしい。九州では食うのか。というか、生食に近い。中華素材とも違うようだ。韓国ではたしか、乾しなまこなのでこれは中国の影響だろう。
 中華料理のなまこは一時期よく食べたものだった。理由がある。仕事の同僚がとある大手企業の社長の息子なのだが、その父というのが食い道楽で、息子もその趣味を継いでいた。それで、なまこを食いましょうというのだ。そうか。というわけで、食い歩いたのだが、彼もイマイチ満足しない。そのころ仕事場は新宿近くだったのだが、そういえば近くに随園別館(参照)がある。当時はなんか屋台っぽい雰囲気もあったが、そうだそこにもあるんじゃないかというわけで、食った。彼に言わせると合格点らしい。私はというと、あまり好まない。
 中国人がこの手のものを好むのは、うまさというより健康効果なのだろう。フカヒレもそうだが、あれ自体別段うまいものでもない。なまこも中国語で海參というがどうも人蔘に模しているようだ。人蔘というのは、もちろんあれだ、高麗人蔘の人蔘である。キャロットではない。Wikiのナマコの項目に面白い説明があった(参照)。

 海参は漢方薬として古くから滋養強壮薬、皮膚病薬として使われてきた。
 また、ナマコがもつサポニンの一種(ホロトキシン)は、強い防カビ作用をもち、白癬菌を原因とする水虫の治療薬「ホロクリンS」として実用化されている。ホロトキシンを発見したのは京都大学薬学部の島田恵年。
 サポニンは通常、植物に含まれる成分で、動物でサポニンを含むものはナマコとヒトデだけである。 海参とはナマコの強壮作用から「海の人参(朝鮮人参)」との意味でつけられた名前である。ちなみに朝鮮人参の主成分もサポニンである。

 ふーんといった感じのトリビアである。さらにこのふーん感は続く。

 全国的に漁獲されるが、中国においては、北海道の日本海産、青森県陸奥湾産が、品質で世界一の評価を受けている。

 そうらしい。今朝NHKラジオを聞いていたら、その話題をやっていた。中国の富裕層に厚みが出るにつれ、なまこの人気が高まっているのだそうだ。毎日一つは食べたいほどらしい。
 中国国内での養殖化も進んでいるが(んなもの養殖するのか)価格はうなぎのぼり。そのうち、なまこのぼりなんて言葉ができるかもしれない。お値段は?というと、五〇〇グラムで五万円もあるとのこと。余談だが、ちょっと私みたいに古風な人間には戸惑うのだが、大陸では一斤が五〇〇グラムである。いや私みたいな華人も多いのだろう。なので、公斤とも言い分けることもある。
 そんななまこブームがインターネットから伺えるものかと、グーグル・ニュースで検索してみると、けっこうあるようだ。「成報」というサイトの先月二十一日の記事に”爽滑甘香 海參極品 北海道遼參蝦籽米子吊鮮香”(参照)というのがある。エキサイトで翻訳するとこんな感じ。

 1位の経営の海産物店の友達は私に教えて、今年日本のナマコは失って収めて、また比較的に港の日本のナマコの価格を売って去年35%上昇したことを招いて、その中の日本のナマコは2800元の1斤を必要とする。聞くのは思わずやかましく騒ぎたてて、肉がいっぱい生えていて、顔立ちのとても醜いナマコを刺して、意外にもこの値段を売ることができる。もとは、ナマコを海産の食物の天王の中で才能がすべて現れさせることができて、すべてそれが曇ることを噴いて血を養うため、多く筋肉と皮膚をきめ細かくてつやつやしていさせることができることを食べて、きわめて級のが顔の絶品に駐在するのだ。いつも大きい時の大いな節操を責められないで、いっぱいな机の大きい魚の大きい肉、ただコレステロールのナマコをくわえないのが最も人受けがいくて、大人の細い道も多く食べるとよい。
 ナマコの生存の歴史は原始の魚類より更に早くて、6億年前にあるカンブリア紀はすでに存在した。ナマコは「海の貴重品」と称されて、その食療の作用は十分に匹敵して上の朝鮮人参のだため、だからまた「海の中の参」と称される。

 日本語が達者という香港の茶商からお茶を買うときの熱弁みたいだが、言わんとすることはわかる。
 ひさしぶりに随園別館に言ってみるかな。

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2005.08.03

「『政治介入』の決定的証拠」(魚住昭)について

 場末の本屋に今月の月刊現代が売れ残っていたので、買い、例の「『政治介入』の決定的証拠」(魚住昭)をまずざっと読んだ。詳しく読み込んだわけではないのだが、これって何?というのが最初の印象だった。
 記事の問題性については朝日新聞記事”NHK問題、「月刊現代」の記事 本社資料流出の疑い”(参照)がわかりやすい。


 NHKの番組改変問題をめぐり、朝日新聞が取材したNHK元幹部らの「証言記録」を入手したとする記事が「月刊現代」(講談社)9月号に掲載されることがわかり、本社は29日、「社内資料の一部が流出した疑いがある」として社内で調査を進めることを決めた。

 この月刊現代の記事に含まれる資料がオリジナルなのかという考証はなされていないので、とんでもない偽文書という可能性はある。が、一読した印象ではたぶんこれは、かなりオリジナルを反映しているだろうという印象は持った。そのあたりは、七月二五日に出た朝日新聞の報告と類似性があることも裏の一つにはなる。むしろ、かなりオリジナルであろうと推定されるならなおさら、この文書に改竄がないかが重要になるだろうし、そして、それは、単純に言うのだが、録音テープの存在との照合が必要になるだろう。ここ至って、本田記者らによる秘密の取材テープ(ICレコーダーかもだが)が存在しないという主張も成り立つわけもないだろうし、この問題について、朝日新聞は明快な回答が求められていることにもなる。私の印象だが、この記事も含まれている資料にはすでに編集が入っているように思われる。
 ジャーナリストの魚住あるいは講談社がこれを持ち出した理由は、そう勘ぐることもなく、この記事のリードの通りであろう。つまり、「『政治介入』の決定的証拠 中川昭一、安倍晋三、松尾武元放送総局長はこれでもシラを切るのか」ということである。もう少し丁寧に言えば、魚住がこのリードを飲んでいるかはやや疑問には思える。というのは記事をまともに読めば証拠にはなっていないからだ。

 ただ、彼(本田記者)の取材に不十分な点がなかったわけではない。特に松尾氏が放送前日に中川氏と会ったという事実の確認においては詰めの甘さがあった。

 魚住は可能な限り本田記者を擁護しているが、さすがに事実関係において錯誤もできない。現状では、中川昭一は当の放送前にNHKと接触していなかったとするのが妥当だ。しかし、魚住は本田記者を擁護するあまり、本田記者が錯誤を自覚しているかのごとく解説する。それは違うだろう。なにより、だからこそ朝日新聞は一月一二日付の誤報を出したのだ。
 また、魚住の記事では安倍晋三を糾弾するかのごとき修辞が多いのだが、以下のようにNHKへの圧力を説明しているということは、背理法的に見て、安倍晋三の関与はないとすることの妥当性につながることになる。

 この経過で明かなように「放送中止」の圧力は右派団体・若手議員の会→伊東番制局長・松尾総局長の順で伝わっている。

 くどいがそこに安倍晋三はない。
 私が中川昭一と安倍晋三のラインに関心を持つのは、ここがこの問題の要点だからである。「極東ブログ: NHK番組改変問題について朝日新聞報道への疑問」(参照)で私はこう記した。

 朝日新聞が今後するべきことは、NHKバッシングのスジに逃げ込むのではなく、中川昭一と安倍晋三の関与がどのようなものだったかということを明確にすべきだろう。
 具体的には29日の「局長試写」で当時の松尾武・放送総局長と国会担当の野島直樹・担当局長が改変した内容が次の3点であったと朝日新聞は言う。

 (1)秦氏のインタビューを大幅に増やす
 (2)民衆法廷を支持する米カリフォルニア大学の米山リサ準教授の話を短くする
 (3)「日本と昭和天皇に慰安婦制度の責任がある」とした法廷の判決部分のナレーションなど全面削除
 
 であれば、中川昭一と安倍晋三がこの三点にどのように関与していたかを問わなくてはならないはずだ。そこが明かになれば、それはそれなりにニュースの価値があるだろう。


 つまり、現状では、具体的な関与条件以前に、二氏の関与すら明確になっていない。
 しかもさらに悪いことに、魚住の記事は「朝日新聞が今後するべきことは、NHKバッシングのスジに逃げ込むのではなく」という悪路の典型例になってしまったことだ。
 繰り返すが、この魚住の記事は、論点のすり替えである。
 ただ、なぜこんな論点のすり替えが出てきたのかということのほうがおそらく重要だろう。このあたりはやや推測に過ぎるという自覚も私にはあるのだがあえて端的に推測を言えば、すでに朝日新聞援護側の勢力がNHKバッシング(自民党がNHKに関与していることは悪だ)という問題が当の問題だと勘違いしているのではないか。だから、朝日新聞のジャーナリズムの倫理は無視しても本田記者の録音テープを出せばそこがクリアされると勘違いしているのではないか。
 この錯誤があるなら、呆れる。NHKの問題を曝きたいというなら、それこそがまったく間違った手法だということが理解できなくなっているからだ。さらに、この勢力は、朝日新聞による七月二五日の「NHK番組改変問題、改めて報告します」が気に入らないのではないかとも私は推測する。そうであれば、朝日新聞内部のある分裂の兆候なのだろう。
 ちなみに、朝日新聞の報告は以下である。

 ノイズのインフォメーションを多くして問題の核心を暈かしているが、ことは非常に簡単である。ようするに「NHK番組改変問題2―取材の総括」のここだけが重要だ。

一方、記事中の(1)中川氏が放送前日にNHK幹部に会った(2)中川、安倍両氏がNHK幹部を呼んだ、という部分に疑問が寄せられていました。

 この2点についてはこういう結果になった。

しかし、当事者が否定に転じたいま、記事が示した事実のうち、(1)(2)については、これらを直接裏付ける新たな文書や証言は得られておらず、真相がどうだったのか、十分に迫り切れていません。この点は率直に認め、教訓としたいと思います。

 つまり、朝日新聞はデマぶっ飛ばしたということを認めたのである。真相のわからないことをぶちかましてみることをデマという以外に形容できない。
 つまり、この朝日新聞の報告書が明記しているのは結果的に次の二点である。
 
(1)中川氏が放送前日にNHK幹部に会ってもいない。
(2)中川、安倍両氏がNHK幹部を呼んだこともない。

 当の問題を起こした本田記者については以下の点が重要。


●「すりあわせ」をもちかけたのか
 記事掲載後の今年1月18日、記者は松尾氏から電話を受けた。この際、記者が再取材を提案したことが、「すりあわせ」「調整」を持ちかけたと批判された。
 この電話で松尾氏は、朝日新聞の取材を受けたことはNHKに報告していないと告げたうえで、自分の真意と違うことが書かれたと訴えた。さらに、内部の事情聴取を受けると話し、録音記録の有無などを重ねて問いかけた。
 記者は、取材源の松尾氏が不利益を被ることがないように配慮した。そこで、証言内容を改めて確認し、場合によってはより正確にするために、再取材できないかと尋ねた。

 つまり、「場合によってはより正確にするために、再取材できないかと尋ねた」というのは、本田記者が「すりあわせ」を持ちかけたということである。
 このあたりは月刊現代の魚住の記事にはカバーされていないようだ。むしろ、この時点で本田記者は多少なり疑念を持ったのかもしれない。
 あと、些細なことだが、朝日新聞”初会合で説明、委員から意見 本社「NHK報道」委”(参照)ではこうあるのだが…。

 朝日新聞社側が総括報告の紙面などについて説明し、委員からは「番組改変という言葉を使ったが、その言葉からは番組を改悪したという先入観が感じられる」「政治的圧力があって改変されたというのは事実としてではなく、朝日新聞の判断として書くべきだった」などの指摘があった。

 同じテーマの読売新聞”番組改変報道問題、朝日新聞の第三者委が初会合”(参照)ではこうなっている。

 朝日新聞によると、初会合では、委員から「『政治的圧力で番組が改変された』ということを事実として書くのではなく、朝日新聞の意見として書くべきだったのではないか」「『番組改変』という言葉には、番組を改悪したという先入観を与える」といった声が出されたという。朝日新聞側からは、秋山耿太郎社長ら5人が出席。秋山社長は「秋の早い時期」までに意見をまとめるよう求めた。

 「判断として書くか」「意見として書くか」どっちが委員の発言であったのだろうか。判断として書くのであれば、判断をサポートするファクツが必要になる。意見として書くならブログのように勝手に書けばいい、ただそれで新聞なのかということは別の次元の問題になる。

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2005.08.02

カネは天下の回りもの

 身辺記事の類。先日、ぶらりと花火を見に出かけた。私は花火が好きで、よく見に行ったものだったが、沖縄暮らしを終えて東京に戻り、もうすぐ三年にもなろうというのに、昨年も一昨年の夏も花火を見に行くことはなかった。なぜか自分の心に問うてもよくわからないが、その夕暮れは、なんの気なしにぶらっと行く気になった。なんか、やさぐれた気持ちもあった。
 花火会場の最寄りの駅に降りて、違和感があった。人が少ない。花火は中止だろうかと思った。が、多少の人出はある。浴衣着の若い女性もいる。昨年は変な浴衣が流行るものだと思ったが、見慣れた。若い男性の浴衣もあるが「つんつるてん」という古い言葉が思い浮かんだ。
 花火は結局あった。しけた花火だなとも思ったが、それなりに夏の夜空に美しく、帰りも人出の少ない夜道を歩いたのだが、喉が渇いた。
 そんなときに必ず自販機があるのが日本である。なければ地面からぬっと出現する、わけもないのだが。さてなんかお茶でも飲むか。生茶でもいいぞ。いつの間にか茶香料を抜いたみたいだし、と奇妙に輝く自販機を見ると、七色亜茶というのがある。七つのお茶をブレンドしたらしい。温度で味が変わるとかいう。お茶好きにチャレンジするその意気込みがよろしいと、コインを突っ込む。百二十円。私は自販機をほとんど使わない。そうか、百二十円か。百円と二十円か。沖縄だと、百円だったよなとふと思う。
 と、出てこないことにふと気が付く。なにがあったのかと機械を見ると、お前の突っ込んだカネは百十円だよと言いたいらしい。そんなわけはない。おつりのところに指を突っ込むと案の定、そこの十円がある。ほらな。俺はドジな男だが、こういうことで嘘はつかない。その十円をさらに突っ込む。が、きゃつはぺっとまた吐き出した。その十円がまるで気に入らないみたいだ。壊れてるのか。北朝鮮の偽金と思ったか。金さんはこんなしけたカネは作らない。私はこうした事態にしかしそれほど悩む人間でもないので、別のもう一個持っていた十円玉を突っ込んだ。ビンゴ。かくして、七色亜茶を買い、電車の来ないホームでちびちび飲んだ、そう不味くもない。なんだこれと帰宅後グーグルで情報を検索して萎えた。世の中知らないほうがいいことは多い。
 話を戻す。電車の中で夜の街を見ているうちに、ふと下車したくなった。私はそういう人間だったのだ。定期を持っているときなど、気まぐれでふと下車してその街をうろつき、なんか喰うのが常だった。そしてあのころ私には才能と呼べるものが一つだけあった。うまそうな店がわかるのである。私だけがそう思っているのではない。女もそう言ったものだ。ま、その話はどうでもいいや。というのもその才能も尽きたのかもしれない。故事にある食指が動かない。だめだな俺。やさぐれた気持ちでいると目の前に松屋というのがあった。麦とろ御前四百九十円は魅惑的だ。五百円のワンコインで飯だ。と、その話は省略。
 店を出るとまた喉が渇いた。糖尿ってことはない。店の水というのを飲まないたちだし、味噌汁はちとしょっぱかった。なので、また自販機がぬっと登場する。爽健美茶でも買うかと、百二十円を突っ込む。そう、百円玉と、おつりの十円とさっきの十円があるぞ、と。しかし、また十円突っ返された。時は2005年シグマドライブでエネルギー問題を解決した人類の文明にいったいなにが起きているのか。ま、いいや、帰って自分で熱い茶でも飲むかとと駅で切符を買うとき、それがまた起きた。十円がぺっと返ってくるのである。
 ここに至って、この物語の主人公が私ではなくその十円であることがおわかりいただけるだろう。そうだ。なんなんだこの十円。私は、場末の駅の蛍光灯の白けた灯りのなかでじっくりとその十円玉と見た。
 もちろん、ただの十円玉である。偽金ではない。が、よく見るとというかよく見なくてもわかった。昭和二十八年とある。昭和二十八年。俺が生まれたのは昭和三十二年だぜ。俺より四つも年長さんでしたか、こりゃすまん先輩。俺が四十八歳だが、おまえ様は五十二歳(参照)。いや、お互い戦後生まれの戦争も知らない世代とか言われたものだが、半世紀の時が経ちましたなぁ…感慨モードに落ち込む。
 よく見れば、昭和二十八年の十円玉も私のように擦り切れている。そういえば、と、縁を見る。ギザがあるよ。ギザを撤退したのはいつのことだったか。そういえば子供ながらに、ギザのない新しい十円玉を不思議に思った記憶もある。
 以前、西洋の魔法の本を読んだことがあるが、魔術師は物体から記憶を読み出すことができるらしい。私は魔術師ではないのだが、その十円の記憶の雰囲気のようなものには当てられた。
 帰宅してから調べてみた。十円玉というのはいつできたものか。これはすぐにわかった。Wikiによると(参照)、一九五三年一月一五日。つまり、昭和二八年だ。つまり、こいつ、第一世代の十円玉だったのだ。へぇー。
 Wikiにはギザの話もあった。「一九五九年二月一六日:十円硬貨が、側面のギザの無い新しいデザインに変更される」 とすると、私が二歳の時だから、物心ついて切り替わったわけでもないのか。ついでに、稀少性の十円玉は私の生まれた昭和三十二年とのこと。そうか。初代二十八年の十円玉は希少性もなく、天下を回り続けて、花火の夜に我が懐中にやってきたわけだ。
 ところで、なんで自販機がこいつを吐き出すのか、重さでも違うのかと計ってみたが、一グラムと違いはない。どこで見分けているのだろうか。

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2005.08.01

シリアによる石油食糧交換プログラム不正関与

 国連によるイラク石油食糧交換プログラム不正問題だが、日本ではあまりニュースで見かけなくなった。昨年はこの問題は日本のマスコミは事実上の隠蔽のような状態だったが、国連自身によるヴォルカー報告以降、さすがにバックレ切れなくなり、ちょぼっとニュースを出した。それを皮切りにアナン親子の疑惑も少しは国内で報道されたが、その後は雲散霧消したかのようで、「極東ブログ: 朴東宣のことを淡々とブログするよ」(参照)の問題など、日本が関わっている可能性が高いのに報道は少なかった。
 そんなものかもしれないが、当ブログとしては、重要な駒が一つ進むにつれ、少しずつ触れておこうかと思う。今度の駒は、シリアだ。
 シリアが国連によるイラク石油食糧交換プログラム不正に深く関与していた。この事自体は予想されていたことでもあり、驚くほどでもないのだが、むしろ問題は関与の度合いだ。
 ニュースソースはというほどでもない米国下院国際関係委員会の報告で、ソースのオリジナルはフォックスニュース”Syria, Iraq Link May Have Fueled Insurgency”(参照)の記事中にリンクがある(参照・PDF)。話の概要はVOA”Investigators Say Syria Profited Illegally from Iraqi Oil For Food Program”(参照)がわかりやすい。


"According to estimates from Iraq's state oil marketing organization, known as SOMO, from January 2000 until July 2003, the Iraq-Syria trade protocol generated approximately $3.4 billion from the sale of illicit Iraqi crude oil and Iraqi petroleum products," said Ms. Dibble.

 つまり、シリア・チャネルで三十四億ドルが流れていたということだ。
 それ自体も問題ではあるが、下院国際関係委員会の話題は次のように、現在のイラクの武装勢力の支援金になっていたというふうに展開していることも、問題ではある。

Victor Comras, former member of the U.N. Al Qaeda monitoring group, responded by saying: "That's a fair assumption that at least part of these funds are being made available to support this insurgency and perhaps other terrorist activities."

 いかにも米国風な話の展開と見ることもできないではないが、ある程度は妥当な推論でもあるだろうし、イラク混乱についてシリアの観点から見ると、幾つかの奇怪な疑惑のピースがつながってくるようでもある。例えば、「極東ブログ: 北朝鮮竜川駅爆破とシリアの関連」(参照)なども関連して思い出す。しかし、こうしたピースをつなぎ合わせて、ある全体像を描くことは控えておこう。

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2005.07.31

収賄で死刑判決が出る中国

 中国ってわからない国だと考えるか、おもすれーと見るか、結局同じなら、後者のほうがいいのかもしれないが、たとえば収賄で死刑判決が出るというのはどう? 収賄はいけないけど、それで極刑ですか、中国様。ニュースは国内報道があるのかよくわからないし、私が簡体字が使えないせいもあるのか、グーグル・ニュースでも中国ではあまり出てこないが、香港、台湾では、ざくざくという感じで出ていた。話の主人公は馬徳さんという人だが、日本のGHQ漢字はだめだめで、馬德で検索するといい(参照)。
 大紀元というサイトでのニュースの標題は”中國最大的「賣官案」馬德被判死緩”。日本人なんで漢文はわかるから意味は通るものの、中国語としてはどんなかなとエキサイトの自動翻訳をかけると「中国の最大の「官職を売る事件」馬徳は死刑執行猶予が言い渡される」ときちんと出てくる。つまり、死刑ではなく、死刑の執行猶予ということだ。そりゃねということで、蛮族のようにしゃらっと始末してしまうわけでもなく、実際のところ死刑は名目みたいなものだ。
 それにしても、中国の最大の官職を売る事件なんだからそれでも大ニュースではないのかよくわからない。国内報道はネットでは見かけないように思うが…。というわけで、自動翻訳など使ってたどたどしく、新華社の「新華毎日電訊:“馬德案”與東北反腐風暴」(参照)とか読む。


馬徳事件はまだ綏化市を影響を及ぼしだす下に10の県市を管轄して以上の幹部の260数人につきあう。裁判所の審理は明らかにして、馬徳は1993年~2002年の間に、収賄は人民元の600数万元に考えをめぐらして、“新中国の創立から最大の官職を売る事件”と称される。

 よくわからん。というわけで、英語の新華社"Ex-official sentenced to death for corruption"(参照)のほうがわかりやすい。が、さらっとしていていまいち。妻が噛んでいるというのはどういうこととか思うがわからん。
 なんか補助情報はないかとネットを探すと、「中国からの日記・今の中国」というサイトに「中国に有りそうで、やっぱりあるもの・官吏の汚職」(参照)があった。昨年の八月ごろの記事だろうか。

 この腐敗現象と言うのはどんな事をするのか。その典型的なものが売官という行為で、つい最近の新聞(2004・8・4)にも建国以来の最大の売官事件が起訴されたと出ていた。黒龍江省の綏化市の市委員会書記・馬徳であるが、直轄する10の市、県の上級幹部50人を巻き込んだ事件で、56万元と5万カドルを受け取って、幹部の抜擢や移動に便宜を図った疑いで起訴された。不思議なことに起訴されたのは北京においてであった。

 これにこう続く。

 しかし、この見出しはオーバーかもしれない。金額で言えば 1700万円くらいで、建国以来最大と言うのはおかしい。この男は10年間も売官をビジネスにしていたと言うくらいだから、実際にはもっと大金を受け取っていたのかもしれないが、こんな程度の金額では中国一になれない。もっと凄い金額の売官事件が沢山有る。

 なにかもうちょっとディテールがあるのかもしれない。馬徳さんも控訴をしないのだが、飲んでいるのか、控訴なんて概念が中国にはないのか。
 他に「新しい東北アジア」というサイトの「中国の東北進行政策と北東アジアにおける経済協力」の資料にも今回の汚職がちょろっと出てくるが、なんとくなくだが、これって普通のビジネスだったのではないか。
 ところで、今回の裁判だが、昨今の風潮を反映している。”極東ブログ: 最近の新華社と孔子学院”(参照)でも似たような話に触れたが、関連して”党幹部汚職 腐敗に渦巻く不満”(読売2005.6.21)といった話もある。

 中国紙によると、改革・開放以来、海外などに逃亡した汚職官僚は約4000人に上り、持ち逃げされた資金は500億ドル(約5兆4000億円)を超える。海外や香港・マカオのカジノにも、大量の公金が投入されている。5月には、雲南省の貧困地区を襲った大規模地震の義援金4111万元を政府幹部が流用した事件も発覚した。
 昨年、汚職で摘発された当局者数は4万人以上。表に出ない不正、腐敗の数はだれにも分からない。
 “特権階級”である党幹部の腐敗問題は、「調和社会」実現に向けた大きな関門だ。発展から取り残された地方や農村では、特権への不満のマグマが渦巻いており、各地で発生する住民暴動の多くは、役人らの「横暴」に端を発している。

 というわけで、そうした不満の運動もあるようだ。”中国・江西省の学生15万人、大学腐敗抗議デモ/香港誌報道”(読売2005.7.20)。

香港誌「動向」の7月最新号によると、中国江西省で今年6月末に同省内28大学の学生計15万人が、それぞれの地元の政府庁舎前などで、大学幹部などの汚職や腐敗に抗議するデモを一斉に行った。同誌は天安門事件以来、最大規模の学生運動と報じている。

 実態はよくわからないが、反日暴動なんかで騒ぐ日本は中国様にはかないませんってことかな。

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