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2005.07.09

It's a small world.

 話は最近「はてな」が始めた「はてなマップ」(参照)についての雑談。Google Maps(参照)を応用したサービスだ。Google Mapsは単純に言えば、ネットによくある地図サービスとも言えるのだが、NASAのWorld Wind(参照)のように、衛星写真で世界を網羅していて、世界のあちこちを眺めてみるのが面白い。元画像はNASAだったかと思うので、World Wind同様、北朝鮮の軍事基地とかは見えないのではなかったかと思う。
 「はてなマップ」は、Google Mapsの地形写真情報とインターフェースをベースにして、というか見た目はほとんどマンマでもあるのだが、それに「はてな」らしく、ユーザーが説明書きしたキーワードと、ユーザーが登録した写真のGPS情報を地図上にロケート(位置決め)できるようにしてある。
 単純な話、私はここで働いています…というふう地図上に示すことができるわけで、「はてな」の会社がすでに「株式会社はてなの地図を見る」(参照)というようになっている。この参照リンクをクリックすると、画面中央に写真の吹き出しみたいのがあるが、それをクリックすると、「はてな」のある会社の写真がある。
 衛星写真の解像度はけっこう高いので私の実家なども見分けることができた。というあたりで、こういうのもなんだなという感じはする。
 この手の「はてな」の、ある意味でお遊びがあると、私はすぐにでも参加せずにはいられない性分なので、手元のデジカメ写真のログを見ていた。沖縄で暮らしていたときの写真がいくつかあるのだが、地図ロケーティングで面白いといえば、ランドマークみたいな糸満市の平和祈念堂かなと思って登録してみた。あまりまめまめしい写真もなんだから、あのころの自分のうらぶれた心象を表すようなのを選んでみた。これがそれ、平和祈念堂(参照)である。まんなかに写真のタグみたいなのが出てくるのでクリックすると写真が表示される。

peace_tower

 この写真にはGPS情報は含まれていなかったので、別ソフト(カシミール)で書き込んだのだが、いずれはデジカメにGPSが標準機能になるのだろう。あるいは、デジカメはすでに携帯電話と統合されているので、携帯電話の通信のセルからGPS情報が割り出せるようになるのだろうか。どういう技術が実装されるかわからないが、そうなるのだろう。
 自分がいつどこでなにをしていたかというのが、写真一枚でまとまり、そして、「はてなマップ」のようにロケートできるようになる。ちょっとSFみたいだなという感じはする。人生というのも、こんなふうにコンデンス(圧縮)されるのかもしれない。そういえば、平和祈念堂の写真のEXIFを読んでいたら、この写真は二〇〇〇年十二月二十三日のものだった。クリスマス・イブの前の日になんで私はこんなところにいたのだろうか。
 手元のエジプト旅行やインド旅行の写真もスキャンしてGPS情報を書き込んで、「はてなマップ」に登録してみようかなという思いもちょっとよぎる。地球は本当に小さくなったなという感じがする。It's a small world.♪ でも、思い出はみんな過ぎ去ったことだ。写真に写っている三〇代前半の私は今の私ではない。
cover
紅雀
 はてなマップでは、写真のGPS情報によるロケート以外に、地名などキーワードも緯度経度を指定して登録できる。すでにはてなユーザーがいろいろな地名を登録しているのだが、私はふと、「ランドリー・ゲート」を登録したくなった。ユーミンの「紅雀」の「LAUNDRY-GATEの想い出」は懐かしい曲だ。
 というわけで、登録してみた(参照)。Mapfan.netの位置情報を使えば簡単だろうと思ったのだが、なんか位置の微調整に手間取ってしまった。地図との感じもちょっと違っているかもしれないので、はてなユーザーのかたで「間違っているよこれ」と思うかたは直していただきたい。
 言うまでもなく、「ランドリー・ゲート」は今はない。そして、今はないという地名がこれから日本に増えてくる。地図サービスに20年単位で時間の切り替えができたらどんなだろうか。荒廃していく地球を嘆くようになるのか、緑あふれる地球を求める人々の指標になるのだろうか。

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2005.07.08

ロンドン同時爆破テロについて

 昨日ロンドンで起きた同時爆破テロだが、死者は50人にのぼるのではないかと見られ、大惨事となった。現状では詳細はわからないことが多い。が、大方の見方を踏襲するわけではないが、アルカイダを標榜するイスラム過激派による犯行だと見てよいだろう。
 今朝の新聞各紙社説もこのテロを扱っていたが、情報がないとはいえ、紋切り型の話に終始していたように思った。なかでも、テロに屈してはならない、日本も危ないといったトーンが予想通り際立っていた。
 端的なところ、日本は危ないのだろうか。私は今回のテロ事件を見る限りではあまりその印象を受けない。スペインでのテロ事件でも今回のロンドンのテロ事件でもそうだが、非常に政治的なメッセージ性が際立っているのだが、日本に対してそうしたシグナルを送るべきチャンスというのが想定されないからだ。
 今回のテロでは、アルカイダを標榜するグループから犯行声明が出ている。日本の報道ではまだ真偽はわからないとして、あまりこれに立ち入っている印象は受けない。確かに、この声明とテロの関係は明確にはなっていない、とはいえ、欧米の報道の論調ではこの声明は声明として読み込んでいるようでもある。
 ざっと見たなかでは、こうした点でガーディアン”Intelligence officials were braced for an offensive - but lowered threat levels ”(参照)が興味深かった。この記事に声明を英訳した部分があるのだが、重要なのはこの点ではないかと私は思う。


"We continue to warn the governments of Denmark and Italy and all crusader governments that they will receive the same punishment if they do not withdraw their troops from Iraq and Afghanistan."

 ポイントは二点ある。一点目は、次の標的はデンマークとイタリアであると明示していること。なぜデンマークとイタリアかといえば、日本ではあまり報道されなかったが、デンマークについては、オランダの事件だが、「極東ブログ: テオ・ファン・ゴッホ映画監督暗殺事件余波」(参照)でふれたような背景があるだろう。イタリアについては、政権が不安定でありテロの対応で弱そうな様相を見せていたからだろう。この文脈では日本は明確に浮かび上がってこない。日本は反米という線では前線に見えるようだが、こうした欧州の状況から見ると霞んでいる。
 もう一点目は、"all crusader governments"という表現である。物騒だが直訳したほうがわりやすだろうが、「全ての十字軍政府」である。キリスト教的な国家の政府が意識の対象となっている。この点では明らかに日本は外れてしまう。
 以上のスジで考えると、日本とはあまり縁のないテロのようでもあるし、日本人も内心ではそう受け止めているようにも感じられる。
 ただ、こうしたスジではなく、今回のテロ後に即座に経済に影響が出たように、市場の攪乱なりを狙うというなら、落ちぶれても経済大国日本を狙う意味はあるだろう。このあたりは、今回の経済攪乱の背景の有無が問われるだろう。
 ガーディアンの記事では、標題に"but lowered threat levels"とあるように、どうやら英国ではテロについて警戒レベルを落としていたという背景もありそうだ。手薄にしていたから狙われたとも言えないことはない。

Another knowledgeable intelligence source said last week: "We keep on asking why there has been no terror outrage yet. We know it's bound to come."

 とはいえ、むしろ、なぜこれまでテロがなかったのだろうという疑問のほうが専門家にはあるのだろう。
 ただ、陰謀論というのでは全然ないが、うがった見方をすれば、このテロによって、ブレアがごり押ししようとしていた生体認証の識別カードを英国民に押し付けるのがたやすくなるので、その動向は日本人も注視したほうがいいだろう。
 テロの今後だが、当然、今回のテロの首謀者のプロファイルに関連する。ガーディアンでは次のように若いインテリ層が注視されているとしている。

There have been two distinct groups of people involved in planning the attacks in the UK: British-born young men, often educated and middle class, who may have volunteered for training in Afghanistan and who are prepared to risk jail or death to carry out an attack; and foreign citizens, including a number from north Africa, who see Britain as the next most important target after the US and use false identities to avoid being traced, blending in with existing immigrant communities.

 このあたりのテロリスト像は「極東ブログ: ファルージャに入った反米フランス人が捕まっているという話で」(参照)にも関連する。大雑把過ぎる言い方だが、昨今のイラクの治安の悪化も西欧から供給される自殺爆弾によるところが大きい。
 今回のテロについては、私も、こうしたガーディアンの記事に沿った考えになる。つまり、今回のテロは、従来のように急進的な反米的なアルカイダ組織があるというより、EU拡大にともなうイスラム圏の人々の流入とそれが醸し出す各種の社会的な軋轢が誘因なのだろう。
 その意味では、欧州型のイスラム過激派のテロというのは、日本の既存体制に軋轢を感じて噴出した日本国産のテロ集団に近いのかもしれない。

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2005.07.07

マルコ・ポーロ橋の事件

 この手のネタはネットでわいわいするのが目的ならいいのだろうけど、実際はけっこう不毛。なのでパスが基本なんだが、たるいネタに近い感じでちょっと書いてみたい。蘆溝橋事件である。のっけから脱線だが、日本のマスコミは「盧溝橋」と表記する。
 書いてみようかなと思ったのは、日本のマスコミがけっこうナーバスにこの事件を見ているのかもなという感じを受けたからだ。ナーバスというのは、昨今の日中関係を配慮していうより、史学をそれなりに踏まえていて、さすがに2ちゃんで馬鹿にされるほどうかつなことは言わないようなのだ。たとえば、中国様の鼻息を察するに敏なる朝日新聞でも”中国で愛国キャンペーン本格化へ 盧溝橋事件から68年”(参照)でこう蘆溝橋事件を修飾する。


日中全面戦争へのきっかけとなった37年の盧溝橋事件から7日で68年を迎える。

 「日中全面戦争」という表現もどうかとは思うが、「きっかけ」というのならどっちが悪いというがありそうなもので、本家中国様はのうのうとこう書く。CRI”盧溝橋から世界の恒久の平和へ”(参照)とか。むふっ(鼻息)。

北京の南の玄関で軍事的要所でもあった盧溝橋では、1937年の7月に、日本侵略者による攻撃の銃声がとどろき、中華民族の抗日戦争の幕が切って落とされたのされたのです。

 ヲイヲイ…なんだそれというのがさすがに中国様なんだが、この先読むとこれじゃまじーよなという意識も少しあるらしく、こう続く。

ところで、盧溝橋事件の勃発に先立ち、日本侵略軍は早くも1931年に、中国大陸を侵略するプロローグ・「9・18事変」を引き起こしています。

 「ところで」が効いてるよ、ったくよ、である。そっちに話を濁したいのだろうが、この先こう来るあたりが中国様って面白い。

日本軍は自分たちが仕掛けた柳条湖事件を口実に、総面積100万平方キロもある東北三省を占領し、更に、清の最後の皇帝、愛新覚羅・溥儀を皇帝に仕立て上げ、傀儡政権である満州国を作り上げました。

 このあたりの話になってくると、蘆溝橋事件ほどすっぱりカタが付くことでもないので、当方も切り上げることにする。
 ちなみに右寄りと言われる産経新聞だが”盧溝橋事件 きょう記念日 中国、愛国宣伝激化へ”(参照)は、まろやか仕上げ…じゃない朝日新聞と同じ。

日中全面戦争の口火になった、1937年の盧溝橋事件記念日の7日、北京市郊外の盧溝橋近くにある抗日戦争記念館は、展示を大幅に拡張して再オープン、記念行事を行う。

 ま、そういうことなんでしょ、日本のマスコミは。
 話はずっこけるが、身近なものに盧溝橋を英語でなんと言うか知ってるかと聞いたら、知らないようだ。高校とかで教えないのか。Marco Polo Bridge、マルコ・ポーロ橋である。北京南郊、永定河にかかる大理石の橋。金代に架橋されたが、マルコ・ポーロが十三世紀に欧州に紹介したとされこの名がある…というのは「マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか」ではないが昨今では疑われている。マルコ・ポーロが史実の人間であるかも疑わしい。「東方見聞録」も定本と呼べるものはなさそうだ。
 というわけで、それが盧溝橋の名の由来かというと、そういう話で済むわけでもなく直接的にはこの橋の近くに乾隆帝による蘆溝暁月の碑があることに由来するというべきだろう。
 盧溝橋事件はこの橋の近くで起こったとされる。の・だ・が、いつからのこの事件の呼称があるのだろうか。私が高校生のころはすっかり定着していた。その意味はというと、日中戦争の発端となった事件とされている。中国ではこの日にちなんで七七事変と呼ぶ。
 そういえば、Wikiあたりはどう説明しているのかと見て、ワロタ(参照)。

 日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ている。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える論者も存在するが、いずれも大勢とはなっていない。
 「中国共産党陰謀説」の有力な根拠としてあげられているのは、葛西純一氏が、中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た、と証言していることであるが、葛西氏が現物を示していないことから、事実として確定しているとはいえない、との見方が大勢である。
 むしろ現在の研究で注目されているのは、「日本軍が銃声を聞いたという小事件がなぜ日中全面衝突まで発展したのか」という視点であり、その意味では、「第一発」の犯人探しはあまり意味がない、という見方もできる。

 ま、書きかけとのことだし、このあたりまで中国様の鼻息が届いているのかもしれないし、たしかに「中国共産党陰謀説」に焦点を当てるならその程度しか言えないのかもしれない。私としても「昭和史の謎を追う〈上〉」の「盧溝橋事件(謎の発砲者は誰か」「中共謀略説をめぐって」以上には言えるものはない。
 話の焦点をもう少し広くすると、私が高校生くらいまでは、蘆溝橋事件が日中戦争の端緒であり、まだ史実を生きた人達が多くいたので「支那事変」の言葉は生きていた。その後はどこがどうなったのか教育レベルまで十五年戦争史観が前面に出てきたようで、こちらは、中国様が関心を持てよと諭している柳条湖(柳条溝)事件から四十五年の日本降伏までを指すのだが、えっ十四年でしょ算数できないのかよ的ツッコミはさておくとしても、柳条湖事件に端を発する満州事変は三三年の塘沽協定で終結と見るべきだが、そこがそうもいかないのは、中国共産党政権の正統性の問題にも関わってくるからだろう。現在世界の外交ではこの政権が正統であるというのは前提であり、香港の返還のオリジナル証書が台北にあってもそっちのほうが洒落になってしまう。しかし、史学的に見た場合、清朝という非漢族の王朝を継いだとする中国共産党政権の正統性は疑問が残るようには思う…というあたりは、また、めんどくさい議論でもあろうだろう。
 くだらない話でオチにしたいのだがと、思うに、そうそうおあつらえ向きのくだらない話があった。六日付毎日新聞”中国:日本好き、わずか3% 英字紙の印象調査”(参照)である。

中国の英字紙「チャイナ・デーリー」が行った大学生を対象にした日本に関する印象調査で、「日本が好き」と答えたのは、わずか3%だったことが分かった。同紙が6日、報じた。

 日本って中国人に嫌われているなという印象を持つが、続きを読めば冗談であることはわかる。

 「日本人に会ったことがない」と回答したのは80%に達し、60%以上が報道やテレビ、インターネットを通じて日本に関する認識を形成したと答えた。

 苦笑して終わりでもいいのだが、ふと気になったのは、日本人は、日本人と中国人という対立した国民があると思っているし、先日の反日暴動でも、「日本人は…」と見られていると思っているようだ。
 が、私は違うと思う。以前、中国に留学した女性の手記をMSNのエッセイで読んでも思ったのだが、日本人はその名前からして、中国の少数民族に見られるのだ。日本では苗字が姓だと思っているが、二文字姓は諸葛孔明ではないが異郷の含みがある。オチの話らしく端的に言えば、日本人は中国人から見れば、吐蕃(チベット)と変わりない蛮族である。東洋鬼である。そんなふうに中国人は日本人を見ているというふうに心得たほうがいいだろう。吐蕃に中国がしたことを日本という異郷にしても大した違いなどあろうはずもない。
 もう一つ冗談ついで言うと、中国の歴史意識としては、愛新覚羅努爾哈斉(アイシンギョロ・ヌルハチ)が長城を越えて漢族を征服したように、東洋鬼豊臣秀吉が攻めてこないように恐れてもいるのだろう。

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2005.07.06

最新のイランの話題をイタリア料理風に

 このブログでピックアップする種類の話題かどうかちょっとためらうものがあるのだが(タルネタでもなし)、内外報道に差が出つつありそうなので、とりあえずメモがてらにふれておこう。話は、今回のイラン大統領選挙を制したアハマディネジャド次期大統領についてである。
 イタリア料理に例えるなら、選挙のどたばたが前菜と言ったところか。私はアハマディネジャドが勝つとまでは読み切れなかったが勝ちの目はあるだろうな、あったらろくでもないなとは思っていた。しかし、現実、どうなるものではない。むしろ米国がさらに不用意にガタガタ掻き回して変なことにしなければいいがくらいのものだった。単純な話、れいによって中国が大きくからんでいるし、トホホ大国日本も絶妙にからんでおり、どっちかというとこの件では中国に近いのが本音。
 しかし、前菜の後はプリモピアットと決まっている。ここはブッシュというかライスもパスタというか出るでしょと思っていたが、出ました。米国側に言わせると、アハマディネジャド次期大統領が一九七九年テヘラン米大使館占拠事件に関わっていたとのこと。元人質が大統領選報道の写真を見て、実行グループの1人に間違いないと証言した。よくイラン人の顔の区別が付くもんだといった不謹慎なツッコミはなしとしても、これは単なるやらせじゃないかもという感じはした。国内報道では毎日新聞一日付け”イラン:次期大統領、米大使館占拠事件に関与の疑惑”(参照)が比較的詳しい。同報道でも早々に打ち消し情報も込みにしているが、アハマディネジャド次期大統領も青春の思い話はなしよという趣向でもないが、そんなことはねーよと釈明に乗り出す。
 国内報道では同じく毎日新聞の翌日”イラン:次期大統領の米大使館占拠事件への関与を否定”(参照)がおあつらえである。標題は否定とあるが、内容は、とてもそうは読めないのがよろしい。


 AP通信によると、アフマディネジャド次期大統領は事件当時、23歳でイラン科学産業大の学生だった。複数の現地ジャーナリストは「次期大統領が事件当時、イスラム革命を支持する学生連盟の中心的メンバーで、事件を支持していたことは確か」と語る。
 しかし同通信によると、事件を指導したアッバス・アブディ氏やモフセン・ミルダマディ氏らは次期大統領の関与を明確に否定。両氏は事件を指揮しながらも、現在は改革派としてむしろ米国と近い関係にあり、保守強硬派の次期大統領を擁護するとは考えにくい。

 欧米ジャーナリスムの流れでは、この件はほぼ決まりといった印象をうける。あまり補助にもならない右寄りテレグラフだが”A 'head case' in Teheran”(参照)を参考までに。

Details of his past have since emerged, confirming him as a true foot-soldier of the Islamic Revolution. They include participation in a student organisation set up by a confidant of Ayatollah Ruhollah Khomeini, the cleric who overthrew the Shah; membership of the Revolutionary Guards, the shock troops of the revolution; and building up the radical group Abadgaran, which won municipal elections in 2003 and parliamentary ones the year after.

 ましかし、プリモピアットはそんなもの。先の毎日新聞記事では、旧ソ連大使館の占拠も計画にアフマディネジャド次期大統領が関わっていたかもと散らすが、たいした話ではない。日本人にしてみると、イタリア料理はパスタで終わりということでこのまま終わるのかと思ったら、ちゃーんと、セコンドピアットが、まいりました。
 内容は、アフマディネジャド次期大統領が一九八九年のクルド人指導者殺人事件に関与したという疑い。やってくれたのは、オーストリア、ウィーン検察当局だ。これ、国内で報道すんのかよと思ったら、日経が今日付で出した。”オーストリア検察、イラン次期大統領を殺人関与で捜査”(参照)が肉の味わいをあっさりと仕上げた一品です。

検察当局はオーストリア緑の党のピルツ議員の告発に基づき、捜査に乗り出すことを決めた。ピルツ議員は89年7月にイランの反体制組織「イラン・クルド民主党」の幹部3人がウィーンで銃殺された事件で、アハマディネジャド氏が実行犯に武器を渡したとしている。殺害された幹部らは米国でイラン反体制支持者との面会を控えていた。

 というのが現状。話はBBC”Austria probes Iran's Ahmadinejad ”(参照)のほうがやや詳しい。

Austrian politician Peter Pilz said there was "credible evidence" to link Mahmoud Ahmadinejad to the murder of Iranian exile Abdul Rahman Ghassemlou.

 話はロイターのほうが淡々としている印象を受ける。”Iran's Ahmadinejad linked to Vienna murder probe”(参照)より。Witness Dはこの件の重要な証人である。

Witness D's information came from one of the alleged gunmen, who contacted Witness D in 2001 but later drowned, Pilz said.

One of the reasons that Witness D appeared credible is that he knows details that only someone with access to Austrian investigators' classified files could know, he said.

Pilz said Witness D had no ties to any exiled Iranian political groups in France.

Many members of the National Council of Resistance of Iran (NCRI) and its militant wing, the People's Mujahideen Organisation, are based in Paris.


 さて、どれほど裏がありそうかということだが、率直に言うとよくわからない。外交的に見ると、こちらの話にどれだけ米国が噛んでくるかということでもある。
 いずれにせよ、ことはフカシの領域を越えつつあり、実証可能な問題でもあるのだが、さて、日本のジャーナリズムがどれだけこの問題に関心を払うかというあたりが、二の皿を喰いきれない弱々日本人のデザート待ち状態にも近い。

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2005.07.05

同じ遺伝子の双子が違うわけ

 先日トリビアの泉で、双子の女性の男性趣味(見た目)は同じかというくだらないネタがあったが笑ってナンボなんなでくだらないというのも野暮だし、こりゃ一致するでしょとういう選択限定だったが、それでも後から考えると、ヤラセとまでは言えないにせよこの誘導を排除しても、意外に一致してんじゃないのかとも思った。顔の好みと遺伝子的な関連はゾンディ・テストといったろくでもない洒落を混ぜるまでもなく単にわからないといったもので、基本的にまだ議論の条件もできていない。
 が、一卵性双生児は同一のゲノムを持つのになぜ身体的に違った点があるのかとなると、よくわかっていないのレベルが異なる。と、書くと失笑される向きもあろうが、ま、一般的にはその問いでいいだろうし、専門的にも突き詰めればよくわかっていない。
 という背景もあって、五日付けニューヨーク・タイムズ”Explaining Differences in Twins”(参照)は興味深い話だった。


Identical twins possess exactly the same set of genes. Yet as they grow older, they may begin to display subtle differences.

 一卵性双生児とはいえ後年は異なる。一応、生活環境が変われば違うでしょくらいに一応理解されてはいるのだが、遺伝子学的な研究が進んでいる。

But a whole new level of explanation has been opened up by a genetic survey showing that identical twins, as they grow older, differ increasingly in what is known as their epigenome. The term refers to natural chemical modifications that occur in a person's genome shortly after conception and that act on a gene like a gas pedal or a brake, marking it for higher or lower activity.

 というわけで、キーワードは「エピゲノム(epigenome)」である。
 同じ遺伝子でも成長するにつれ、その発現のあり方が変わるというのだ。
 ま、そんなの常識でしょというのもあろうが、曖昧な環境適用という説明よりは、より遺伝子学的な説明の可能性が開けてきたわけだ。
 科学的には、ヒストンのメチル化(参照)とアセチル化(参照)が鍵ということで、そのあたりは別段この分野の科学者には、ふーんといったものだろう。が、それでも、この分野、つまり、エピジェネティクス(参照)がポストゲノムの話題なのだろうなとは思う。
 専門的にはその具体性のほうに関心が移るわけだが、ニューヨーク・タイムズなどを読む普通の教養人としてはそこまではあまり突っ込まない。もっと一般的になぜこの変容が起きるかというのは、こんな説明になる。

There are two possible explanations for Dr. Esteller's findings. One is simply the well- known fact that epigenetic marks are lost as people get older. Because the marks are removed randomly, they would be expected to occur differently in two members of a twin pair.

A second possible explanation is that personal experiences and elements in the environment - including toxic agents like tobacco smoke - feed back onto the genome by changing the pattern of epigenetic marks.


 一つは、歳を取ればエピジェネティクス的な要因は増えるものだということ、もう一つは有害物質などで遺伝子が傷つくということ。
 しかし、それじゃ、いわゆる老化の酸化学説(by Denham Harman)みたいなもので、なんだかなという感じはする。
 というわけで、このあたりのポスト・ゲノム研究の動向と一般社会での理解の枠組みというのがうまく噛み合ってこない。
 それと、ちょっと気になるのだが、雑駁すぎるがメチル化は病気などにもいろいろ関わるわけで、このあたりなんか間違いがあると、あるいは誘導があると、ヘンテコな話題が世間に沸騰するかもしれないなとは思う。

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2005.07.04

南の島のゲンジツ

 南の島のゲンジツについては人間関係というか政治というかそういう側面はあまり書きたくないのだが、人間という存在をよりマクロな視点に移した場合のゲンジツについては、少しふれておいてもいいかもしれない。
 まず、蟻だ。人間はこの地球全体の視点から見れば蟻に等しい存在だと言うのは蟻のことをなんも知らない人だろう。蟻はその生物的な社会性において人間より高度な発達を遂げている。なかでも、生殖と労働を分化させ、実質労働を第三の性として身体具現化した点において人類がその途上にあるとはいえまだまだ到達できない地点にある、といった、高度な与太話はどうもでいい。
 蟻は、南の島のゲンジツを構成するかなりの重要な要素なのである。想像してほしい。あなたはビジネスとかで一花咲かせるとか国際ソムリエコンクールに優勝するとか、あるいは喰いつぶしてなんとなくとか、南の島の午後、のんびりと寝ている。IT機器はすべてオフにした。もう誰もあなたをディスターブする存在はない…と信じてる。なんという間違いだろう! そこに、かーならずぅデデデはやって来る♪じゃない、蟻がやってくるのだ。
 南の島の蟻はただの蟻ン子じゃないのだ。キロロが本土で活動してなにが一番驚いたかというと、蟻のでかいことだった、と感嘆の声をあげて浮きまくってしまったほど、本土と沖縄の蟻は異なる。形状ばかりではない。噛むのだよ。ちくっとね。蟻に噛まれたってどってことはない……オリジナル鉄人二八号に出てくる巨大蟻(だったっけ)じゃないのだがどってことはない……なんてことはないのだ。イテーのだ。蚊がチクっとするなんてもんじゃないのだ。すげーイテーの。なにが起きたのか、というくらい飛び上がる。あたりを見渡すとキロロが馴染んでいた小さい蟻が不機嫌にいるだけ。これの存在に沖縄県民は苦しめられてきたのかと思うが、うちなーんちゅに訊いてみるとそうでもない。「ちょっと、アガっとか言う」とのこと。そうなのか、沖縄で暮らし続けるとそうなるのか。ちなみに私は八年暮らしてそうならなかった。そういえばバリにいたときは、腕と足が真っ赤にただれた。なんだこれというと、ファイーアントと言うのだそうだ。火蟻かよ。たしかに火傷みたくなった。
 蚊も洒落にならない。西ナイルウイルスが沖縄に上陸したのか疑惑というのが数年前ローカルな話題になったかならないくらいだったが、上陸しちゃうとちょっと洒落にならないのだが、あー、かゆいってことでは沖縄の蚊は洒落にならない。すげーかゆいの。しかも、よくわかんないのだが、小さい蚊のほうがかゆい。
 大きい蚊もいる。え、これは蚊かよ、ちょっとサイズでかくねとかのろのろ飛んできて、腕に止まってエンダーのルートビア飲むみたいにちゅーーと始める。おい、オマエやっぱり蚊だったのか、というころで、ええい、真っ赤なトマトになっちまいな、と超能力を発揮するじゃないや、ばちんと叩きつぶすと、ほんとにトマト潰したみたいにぶちっと血の跡が出来て不愉快です。なんでこんなにこのでかい蚊は鈍いのか。
 鈍いといえば、ゴキブリも鈍い。御器ぶりってなものではなく、現地では、ヒーラーとかピーラーとか言う。ジャガイモの皮でも剥いてくれるというわけでもないが。で、これが内地と比べると鈍い。そしてでかい。やあ、元気っ、ボクの食い物どれどれ、ていう感じで、のそっと食卓に上ってくる。ばちんと潰すと、潰れる。
 しかし、それが沖縄の暮らしというのか、いちいちヒーラーなんか殺していてもしかたないので、あっち行けよ、と指さすとサイザンスかと踵を返すようになる。悪友みたいなもんだな。だからっていうわけでもないが、ヒーラー君にやめてもらいたのは、夜ばたばた飛ぶことだ。これがトロくてばたばた飛ぶのだ。歩いていてもぶつかってくるし。あるとき、危うく口に入りそうになったことがある。これが、似たような形状の香港だか広東だかの食用タガメの味がするとわかっていたらムシャラクって感じかもだけど、たぶん、まずいのでしょう。喰わんかったが。
 ごきぶりが悪友といえば、そう悪気もないのが、海の生き物たちである。アーマン(やどかり)とかカニとか。こいつら、ちっこいとかわいげはあるんですよ。おい、何していると問えば、いやねもうすぐ満ち潮なんでこうしちゃいられないと答える、みたいなコミュニケーションも楽しいのだが、こいつらもでかいのがいる。お、おまえホントにアーマンなのか、聖ヨハネの手じゃないのか、みたいにでかい。そして、これは図体のわりに速いこと。一度だったか、十センチくらいのカニが玄関を開けたら、そっと入ってきて大暴れ。あれです、ナイチャーはカニっていうと、ゆであがっているか、道頓堀んのそのそ手足を動かしているディスプレイなイメージを持っているだろうけど、違う。速い。おい、そっちに行くな、トムとジェリー♪、出口はこっちだ、と諭すというか追いつめると…忘れもしない、飛んだ。カニが飛ぶのだ。ほんとだ。一メートルくらいジャンプしてきた。ごつごつと棘のある硬いのが高速に顔面に飛んでくる。恐ぇ恐ぇ。
 と、ウチナー暮らしについて滔々と語りだしたきらいはあるので、あと一つ。
 あれだ。沖縄の夜というのは街は明るいそりゃね二時以降が全開だしではあるが、田舎は暗くなる。しんみりと暗いのだ。
 暑く寝苦しくて暗くなった部屋でじっとソファーにもたれて「月と六ペンス」的な感慨にひたっていると、というか、泡盛に沈没していると、沈黙が巨大な黒いスライムのように思えて、心底恐くなるのだが、そんなとき、あいつは、「ケケケケッ」と言うのである。笑うかよ、このシーンで。というと、「ケケケケッ」とさらに言う。オメー全然孤独じゃないよ、というのだ。ヤモリだ。ウチナーグチでヤールーである。バリ島ではガジャとか言っていたような。
 灯りを点すと、壁に、エッシャーの絵のジグソーパズルのワンピースみたいに、いる。動かない。おいと言うと、「ケケケケッ」と答える。結局、そいつに心というか魂を救われたことはあるように思う。

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2005.07.03

国際決済銀行(BIS)報告雑感

 国際決済銀行(BIS:Bank for International Settlements)の七十五回目の年次報告について先日フィナンシャル・タイムズのコメントがあり、ちょっと違和感をもった。
 と、その前に、本来なら、日本との関連で、特に量的緩和政策についてのBISの示唆をどう理解してよいかを明言できればいいのだが、率直に言ってわからない。
 この件では、記事としては、二七日付日経”日銀の量的金融緩和政策、転機迎える・BIS年報”(参照)が典型的なものだろう。


日銀の量的金融緩和政策は転機を迎えていると分析。金融システムの正常化で民間金融機関は大量の資金を必要としなくなっており、量的緩和の「出口」に向けて日銀が市場とどう対話するかが重要になると強調した。
 年報は日銀が金融機関への資金供給のために実施する公開市場操作(オペ)で、応札額が目標額に届かない「札割れ」が頻発していると指摘した。資金の借り手のモラルハザード(倫理の欠如)や金融市場の機能低下、財政規律の緩みなど量的緩和の弊害も列挙した。

 後段の部分のトーンからすれば、量的緩和政策を終わりにせよ、というふうにこの記事は読めると思う。問題はむしろ、その「出口」の見つけかたということになる。が、むしろ、問題は、「金融システムの正常化で民間金融機関は大量の資金を必要としなくなっており」をどう受け止めるかだ。表面的にはそういうことではあるのだろう。ただ、そこが私にはよくわからない。
 今朝の毎日新聞社説”デフレ・いつまで呪縛にとらわれる”(参照)は論旨全体としては支離滅裂な印象をうけるのだが、そのことはさておき、量的緩和政策についてこうBISがお墨付きを与えたかのように書いている。

 たしかに、国民経済全体の物価変動率である国内総生産(GDP)デフレーターは今年1~3月期でも1%下落とその幅は大きいが、傾向としては縮小の方向にある。国際通貨基金(IMF)も日本のデフレが解消の方向にあることは、最近の対日年次協議などで認めている。国際決済銀行も年次報告で日本銀行の量的緩和政策が転機に来ていることを指摘した。

 毎日新聞社説のトーンからは、デフレは早晩終結する、だから、量的緩和政策が転機、つまり、終わりにせよと受け止めてよいのだろう。
 そういうことなのだろうか。
 BISの報告の原文、特に、該当部分”BIS 75th Annual Report - Chapter IV: Monetary policy in the advanced industrial economies ”(参照)からPDF文書でダウンロードできる。
 ざっと読んでいて基本的にはよく言われる議論だなという印象なのだが、以下の部分に奇妙な陰翳を感じた。

As seen elsewhere in the world, inflation targeting regimes can help to shift inflation expectations down and maintain them at a low level. The Bank of Japan’s challenge, however, would be somewhat different. It would be to achieve and maintain expectations of low inflation in a growing economy after a decade of deflation and sub-par economic performance. Perhaps the more important contribution made by setting an explicit inflation objective, once the economy and financial system were on a sounder footing, would be to reduce the likelihood of inflation expectations overshooting on the upside given the large reserve overhang. Such an overshoot could lead to an increase in borrowing costs and aggravate some lingering fragilities in the economy, not least problems associated with weak companies still battling for survival.

 ちょっとやぶ蛇な意図はないし、反リフレ派とかリフレ派とかいう毎度のご批判はご免こうむりたいのだが、BISのこのあたりの話に、理論通りな施策をしない日本には日本の事情があったんでしょうなといった奇妙な印象を受ける。というか、日本が正攻法を取れなかった、その本当の理由はなんだったのだろうか。
 当面の問題としては、BISとしては、現状での”量的緩和政策”だが、表面的には、目標残高自体の引き下げには慎重にせよということなので、単純に出口を探せというふうに読めるものなのか、そのあたりもわからない。
 と、書いてみると曖昧な前振りが長くなってしまったが、私としては、二九日付フィナンシャルタイムズ”A world economy, living dangerously”(参照)が気になった。端的に言えば、この標題どおり、世界経済が危機的な状況にある、ということなのだが…。

The impression it conveys is of a world economy pumped up on a high-octane mix of public and private debt in the industrialised economies, careering towards a brick wall.

 と、枕に英国風のユーモアを置いたあと、BIS報告を引用し、ユーモアをさらに英国風に研きかける。

The world's current account imbalances are a familiar - but ever bigger - part of the problem. "If what needs to be done to resolve external imbalances is reasonably clear, it seems clear that much of it is simply not going to happen in the near term," is the bank's jaundiced, but all too perceptive, view of how politicians will rise to the challenge.

 つまり、なんにも改善されないでょ、ということだ。
 フィナンシャルタイムズは、この先、でもそう悲観的になることはないよと続くのだが、オチはちょっとやけっぱちな印象を受ける。

The Gleneagles agenda shows how the Group of Eight, which excludes China, India, Brazil and other global players, no longer plays the strategic economic role for which it was set up. A new group is urgently needed that better reflects today's more complex global economy.

 現実的なところ、中国、インド、ブラジルがどんなプレイができるというのだろうか。そして、それは重要なプレイなのか。
 フィナンシャルタイムズもこんなふうに受け止めているあたり、なんか無責任な感じがする。というあたりが、現実の今の世界そのものなのだろうか。

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