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2005.06.18

心の問題は現代の文化の問題とは言えそうだが

 スルーしようかなと思ったネタでもあったけど、少しだけ。先週、米国では、米国国立精神保健研究所(NIMH)の発表が話題というかネタになっていた。話は、現代米国人の26%はなんらかの精神障害の兆候を見せているものの、専門家の対応を受けているものは17%にすぎない…というようなこと。

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精神疾患は
つくられる
 こんな語り口もある、”健康プラスα 私の本棚:『精神疾患はつくられる ―DSM診断の罠―』”(参照)より。

 かつてアメリカで精神科が大はやりの時期があった。そのころのジョーク、「あなた、一度も精神科にかかったことがないの?それって異常よ、一度精神科で診てもらったら……」。
 しかし、今ではもうこの話、誰も笑わないかもしれない。NIMH(国立精神保健研究所)が行った疫学研究、いわゆるECA研究では、アメリカの成人の32%が生涯に何らかの精神障害にかかり、20%は常時その状態にある、という結果がでているからだ。

 リンク先を見ていただくとわかるが、この記事は、「精神疾患はつくられる―DSM診断の罠」という書籍がそう語るのだ、として、こう続ける。

 どうやら、科学的根拠に基づいて決められたとばかり思っていた診断基準も、政治や文化、経済などの要因によって左右されるかなりあやふやなものだったのだ。それでもこのバイブルには、診断基準の文章をほんの少し変えるだけで、何百万もの患者を増やしたり減らしたりする影響力がある。
 だから、「DSMは普通の人間的な感情しかないところに無理やり精神の病気をみつけだしている」と著者たちは批判する。この世にそんなに多くの精神障害者が「いる」のではなく、全世界に100万部以上も売れているマニュアルが、精神障害者に「した」というのである。

 よく言われることでもある。比較的知識層に読まれただろう十二日付けニューヨーク・タイムズ”Who's Mentally Ill? Deciding Is Often All in the Mind”(参照)も似たようなトーンだった。

But more than anything, historians and medical anthropologists said, the rise in the incidence of mental illness in America over recent decades reflects cultural and political shifts. "People have not changed biologically in the past 100 years," Dr. Kirmayer said, "but the culture, our understanding of mental illness" has changed.

 ということで、この話は、ネタとしては大筋で現代の文化のありかたに還元することが多い。ついだが、同記事では日本の状況についても文化的な背景として言及していた。
 ネタとしてはそんなところで終わりだが、もうちょっと踏み込むとどうなのかという話もないわけではないし、オリジナルと思われるNIMH”Mental Illness Exacts Heavy Toll, Beginning in Youth”(参照)もきちんと読み込むべきかもしれない。特に、若者の問題として考えなおす意味もあるのだろう。
 とはいえ、個人的にだがそれ以上あまり関心の進む話題でもない。この話いろいろ語られうるが、それで現代の文化のありかたがどうとなるものでもないし、具体的にこうした問題に現在苦しんでいる人たちの助けにもならない。
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青空人生相談所
 そういえば、橋本治の「青空人生相談所」だったか、相談者が別に日常生活どってことないけどエレベーターに乗ると少しパニックになってうんぬんというのに、橋本はそれって大問題ですよ、と答える話があった。言語化できないから身体に出るのだと。たしかにそういうこともあるろう。
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最新心理療法
EMDR・催眠・
イメージ法・TFT
の臨床例
 それに、宗教的な話をしたくはないが、人生にはなにか不思議な局面というのはあり、人の人生というか運命に強く関わっているようにも思うことがある。オリビア・ハッセーが演じるマザー・テレサの映画のスチルを見ながら、よく老けたなという以上に、マザーのことを少し思った。なにが彼女の心を動かしたかはわからないが、見方によっては、そう生きることしかできなかったとも言えるのだろう。運命に逆らわない生き方がその結果でもあっただろうし、それに逆らう生き様というのは可能だろうか。ふと、ヨナ記のことも思うが省略。
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EFTマニュアル
 心の問題は脳の問題とかにもされる現代の文化でもあるがそうとばかりも言えないだろうし、知的なアプローチだけで片が付くことでもないだろう。反面、個々人の具体的なケースでは、TFTやEFTといったシンプルなセラピーできっかけで好転することもありそうだ。

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2005.06.17

[書評]「ビルとアンの愛の法則」(ウィリアム・ナーグラー&アン・アンドロフ)

 小学校の国語の教科書だったと思う。ある日学校行くのをさぼってみたという「ジルダンとぼく」という少年の話があった。三十年以上も前になるのだろうが強く心に残っている。ブラジルの話だったかと思う。
 主人公の「ぼく」とジルダンは学校をさぼってみたらどんなに楽しいだろうと思って実践した。しかし、一日中遊んで疲れて途方に暮れ、結局、下校の同級生たちをこっそり見に行く。そして、こう思うのだった。彼らは今日もしかしたらぼくたちが一生の間に学ぶことのできない大切なことを学んだのかもしれない、と。
 そんなことはあるわけないじゃんというのが常識だろう。実際、山村幸広エキサイト社長が熱心に新入社員に「時間を守る、会社を休まない」と訓辞をたれても(参照)通じるものではない。でも、たぶん、社長の言っていることも正しいし、人生には「ジルダンとぼく」的なことはあるものだ。学校とは限らないにしろ、ほんのちょっとの知恵を学ばないがために、その後人生に無意味に近いトラブルが増える。
 前フリが長くなったが、「ビルとアンの愛の法則」という小さな本には、え、それを知っていたら人生楽だったのという知恵がぎゅっと詰まっている。先日、実家の書架で見つけた。1991年初版だが、こういう本って今でもあるだろうかと思ってアマゾンを見たが、あるようなないようなという感じだ。古書としては購入できそうでもある。オリジナルの英語の本は売っているというか、やはりというべきかロングセラーのようでもある。ちょっとリストにしておく。


 この本を買ったとき、私は「ベスト・フレンド―新しい自分との出会い」をまねた体裁としてブックデザインされたのだろうと思ったし、その手の内容かなとも思った。が、違った。原書の標題が"Dirty Half Dozen"とあるように、ラッパーならすぐピンとくるだろうが、"dirty dosens"(参照)の洒落だ。といっても、会話のノリの良さというより、この本では、悪口の言い合い状況への対処という含みがある。
 つまり、人間関係の、特にはてしない口喧嘩のような状況への対処の知恵というのが本書の目的なのだが、そうした状況の典型例は夫婦関係や恋愛関係でもあり、本書でもそこに焦点が置かれていることから、「ビルとアンの愛の法則」というマヌケな標題がついてしまった。それでも副題、「60分で読めて、一生離せない本」というのは嘘ではないと思う。
 短い本だし、一句一句が知恵のかたまりでもあるのだけど、ちょっとサワリをご紹介しておくとわかりやすいだろう。もっとも、どれも当たり前の話ばかりで、なーんだと思われるかもしれないのだが。たとえば、

相手を絶えず喜ばせ、満足させ、魅惑することは不可能だ。
 :
ふつう、人の頭の中には二〇~三〇時間分のネタしかない。
 :
目新しいことを言ったり、おかしなコメントを吐いたり、新奇な行動に出たりするのにも限度がある。

 あたり前なんだけど、これがわからない人を私は知っているし、私もそう見られがちではある。
 多くのブログが熱死してしまうのは、この法則でもある。と気が付くのだが、ブログも対人関係のようなもので、コメントスクラムとかも"dirty dosens"ではある。

フェアプレーは禁物である。
 :
フェアに闘っていいのは、映画の中だけだ。
 :
争いを放棄せよ。降参せよ。それも意識的に。

 そいうもんですよ。

大したコトでない些事について、何か素敵なことを言ってやること。
これが大したコトなのだ。

 これがさりげなくできたら、大人です。
 というわけで、全文引用しそうになるけど、もっとも重要なチャプターである「カネを支配せよ」についてはふれない。このチャプター・タイトルは誤解を招きやすい。表面的な意味ではない。このことを知らないと、人生はかなりつらい。
 人生というのはお釈迦様がいうように本質的につらいものだろうとは思うが、無駄につらいことはありうるので、そこが「ジルダンとぼく」的問題でもあるし、そして、こうした知恵は数多く蓄積すればいいものでもない。Half Dozenくらいでいいのではないか。

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2005.06.16

キルクークにおけるクルドの問題

 このところ日本のメディアに倣ってイラクの問題はあまり書いてこなかった。昨年の極東ブログ孤立かもの、れいの大義問題とやらも日本でもようやく国連疑惑と関連の文脈に置けるようになったし、いろいろ問題はあるが歴史は逆行しないのだし、なにより日本の関わりは限定されている。しかし、今回のニュースはさすがに暗澹たる思いに沈む。
 ニュースという位置づけとは少し違うのかもしれないが、十五日付けのワシントンポスト”Kurdish Officials Sanction Abductions in Kirkuk”(参照)がそれだ。本来ならニューヨーク・タイムズから出そうな話ということもあり、体裁を繕うような感じで”U.S. Says Kurdish Forces Seized Arabs and Turkmen in Kirkuk”(参照)も出た。
 日本ではどういう扱いになるのかと思ったが、共同からベタ記事のような”クルド民兵がアラブ人拘束 イラク、米紙報道”(参照)が出た。ご覧の通り、ワシントンポストを引くだけで、これってブログかよ、みたいな記事だが、日本語で読みやすいので概要を示す上で引用したい。


【カイロ15日共同】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は15日、米国務省の秘密公電を基に、イラク北部キルクークで最近、クルド人政党の民兵組織や警察のクルド人部隊が、多数のアラブ人やトルクメン人を拘束してクルド人自治区に連行していると報じた。

 なぜカイロ発というのもツッコミどころではあるが、後日ワシントンからの詳細な記事を期待したい。
 キルクークの現状だが、クルドはスンニ派と見られる勢力やイラク外勢力のような直接的な行動は取ってはいないものの、同記事にもあるように、一月の国民議会選挙以降、地元司法当局の許可もない拘束を実施しているらしい。背景にあるのは、キルクークといえば当たり前の、油田の利権である。
 共同の記事はこれで終わりだが、オリジナルの英文記事を読んでいただくとわかるように、むしろ問題は米軍にある。ワシントンポストの長い記事の冒頭を引用する。

KIRKUK, Iraq -- Police and security units, forces led by Kurdish political parties and backed by the U.S. military, have abducted hundreds of minority Arabs and Turkmens in this intensely volatile city and spirited them to prisons in Kurdish-held northern Iraq, according to U.S. and Iraqi officials, government documents and families of the victims.

 端的に言えば、この事態は米軍がお墨付きになっているわけだ。弁護にもならないのだが、だからより直接的な行動にもなっていないのかもしれない。
 なにかとこの手の話題では目を通すことにしているサロン・コムだが、このあたりの米軍トホホに焦点を当てつつも、この先の悪夢を示唆している。”Revenge takes root in Iraq”(参照・会員制)を借りる。

Rising tensions boiling over into civil war is one serious concern, of course -- and U.S. credibility, or what remains of it, another.

 クルドを巻き込んだ内戦の危機の懸念が強まる。
 そういえば、極東ブログの過去エントリとしては、四月の”国連アナン事務総長と英米との反目”(参照)でこうふれた。

イラクの油田の利権について、英米系のメジャーはキルクークを中心とした北部、つまりクルド人の地区にある程度限定されている。石油利権という点でいえば、英米系はあまり南部には関心を持っていない。その面から見れば、英米にとっては、クルドが安定こそが重要で、シーアやスンニの地域がある程度荒れていてもそれほど問題はなかった。

 また、「極東ブログ: イラク警察と自衛軍は米軍の指導下に置かれる」(参照)を書いたのは昨年の今頃だった。あのころは、懸念はありつつもまだ余裕をもって見ていた。

 いずれにせよ、イラクの警察組織や自衛力としての国軍が整備されることで、時事上の膨大な雇用が生まれ、そこに石油歳入を投入することで富みが配分されるという構造になるように思われる。そして、それは、国家が機能しなければ、石油の地域的な偏在を通して、クルドとシーアに対するスンニ側の潜在的な対立を強めることになるのではないか。

 日本国内の「識者」は結局のところスンニ派の代弁ということが多いので、こうした事態でどのような議論が展開されるのか、気になるといえば気になる。
 キッシンジャーなどもまさに一月の時点で”Results, Not Timetables, Matter in Iraq”(参照)でこう言及していたが、これが基本構図になる。

An absolutist application of majority rule would make it difficult to achieve political legitimacy. The Kurdish minority and the Sunni portion of the country would be in permanent opposition.

 クルドとスンニが両立することはないというのが前提だ。それを調停するのは権力であり、警察力・軍事力でしかないというのも基本だ。
 日本での議論は、その基本からはずれた素っ頓狂な歌になるのか、あるいはこの話題は華麗にスルーなのか。もっとごりごりとした正論が出てくるといいのだが。

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2005.06.15

米国の話だが保障の薄い医療保険は無意味

 米国の話なので日本国内での報道はないんじゃないかとも思うが、今朝見たロイター系のニュース”A little insurance is like none”(参照)が心に引っかかった。標題が端的でわかりやすいので意訳すると「保障の少ない保険はかけてもかけなくても同じこと」という話だ。
 私事だが、このところ、保険はどうしましょうかと人の相談に乗ったりしていたので、その関連の資料をちらちらと見る機会があったのだが、なんとくなくだが、薄い保険って宗教的なお守り以上の意味はないんじゃないか、と思っていた。批難の意図はまるでないが、健康診断不要の保険というのは、いったいどういうバランスで成立しているのだろうかとも疑問に思った。
 ニュースを少し引用しよう。


A little health insurance is not much better than none at all, according to a study released Tuesday.

Officially, about 45 million people in the U.S. go without health insurance, but 16 million people pay for limited coverage that puts them in about the same boat financially and medically as those with no insurance at all, the study found.

These "underinsured" individuals are nearly as likely to be the target of medical bill collectors and to forego needed medical care, the study published in the journal Health Affairs found.


 米国では医療保険未加入が四千五百万人。とすると、五人に一人くらいは保険なしということか。そして、千六百万人が保障の少ない保険で、この部分は、今回の調査によれば、掛けていても掛けていなくても同じということだ。しかも、そういう薄い保障では、結局のところ、いざという場合の医療費はかなりの負担になる。
 この先、ニュースを読むと、その薄い保険というのは、収入の10%を当てている層らしいが、元の収入で違いがでそうなものだがそのあたりはよくわからない。しかし、ざっと収入の10%以上を医療保険にかけろという話でもあるのだろう。
 こうした話を聞くと日本というのは良い国だなと思うし、クリントン(当然ヒラリー)上院議員が大統領夫人だったころ必死に医療保険改革に取り組んで挫折したのも実に残念だったことのようにも思える。
 そういえば、米国の個人破産は高額な医療費によるというロイターの記事が二月にあった。"Half of Bankruptcy Due to Medical Bills -- U.S. Study"(参照)で読める。なお、なぜか米国民主党代理みたいな翻訳転載が多いブログ「暗いニュースリンク」に私的な翻訳がある(参照)。
 ここがポイント。

"Most of the medically bankrupt were average Americans who happened to get sick. Health insurance offered little protection."

 この記事は要するに、医療保険がないことが問題なのではなく、保障の薄い医療保険に意味がないことを示しているというものだ。
 日本の社会は米国化しており、「自己責任」とかいうおフダでこうした不運としか言えない疾病までも個人の問題に還元しつつある。しかし、根幹のところでは、まだまだ日本社会は大丈夫だとは言えるようにも思う。
 とすると、さしあたっては、保障の薄い保険にどれだけのメリットがあるのか、ある種の算定が可能なようにも思うのだが、そういう資料を見かけたことはない。私が知らないだけかもしれない。

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2005.06.14

中国の遺伝子組み換えコメ

 国内ではベタ扱いだったのが、中国の遺伝子組み換え(GMO:genetically-modified organisms)のコメについて気になる話がロイターで流れていた。”Illegal GMO rice spreads across China - Greenpeace”(参照)がそれだ。
 目新しい話でもない。当ブログでも一度扱おうとしてためらっていたことでもある。が、いろいろ複雑な問題があり控えた。この機に簡単に触れておきたい。
 邦文の記事は共同”違法組み換え米、なお流通 中国でと環境団体”(参照)で扱いは軽い。


国際環境保護団体のグリーンピースは13日、同団体が今年4月に中国での流通を指摘した違法な遺伝子組み換え米が、その後の調査の結果、湖北省や広東省で依然、流通していると発表した。

 グリーンピースと聞くだけでドン引きという向きもあるかもしれないが、それで苦笑して終わりともいかない。彼らの調査では、湖北省のコメにGMOコメが含まれており、当地の卸商によれば、「1日約60トンの湖北省産米を購入し、広州、中山、珠海など広東省内のレストランや工場に販売している」とのことで、本当なら洒落にならない量だ。しかも、このGMOコメは、武漢市の研究用組み換えのコメの種子が外部に流出したものらしい。
 中国的な発想だと何が問題だかわからなくなるかもしれない。少し古いが二月の新華社”GM rice promoted to boost supply”(参照)では、GMOコメに期待が膨らんでいた。

The Changsha Evening News quoted the head of the super hybrid rice scheme Yuan Longping as saying that GM rice would boost China's rice output by 30 billion kilograms a year. That's enough to feed 70 million more people.

According to supporters of GM rice, it will enable farmers to do away with the widespread use of dangerous pesticides, and result in better yields and higher quality grain that will spur farmers' incomes.


 現在中国が抱えている最大の問題は人民元なんかではなく農村部の貧困であり、GMOコメはこれへの対処の強力な要因と見なされている。短い報道ながら含蓄があり、要するにこれは病虫害への耐性を高めたGMOコメであることがわかる。
 このGMOコメの問題、特にその危険性については、四月一六日付けニューヨーク・タイムズ”China's Problem With 'Anti-Pest' Rice ”(参照)が詳しい。当然ながら、人間が食物とすることの危険性は確定していない。そもそも、まだ研究段階のものだからだ。問題は、それがずるっと流通しはじめている点にある。

Farmers and seed market officials here say the planting of biotech seeds is widespread in the region and has occurred for about two years. But they also say many farmers do not eat the rice they harvest. Some farmers think that anything that kills a field pest could also prove harmful to people.

But the farmer holding the fistful of rice in his home says he and his family eat all the anti-pest rice he produces.

"Why not?" he says with a broad smile. "I don't believe the government would poison its own people."


 ブラック・ジョークとしては最高と苦笑できないのは、ようするに農民にとってはすでに政府認可に見えているという実態だ。
 この問題について、日本国内でのリアクションは今回のベタ記事扱いでもわかるように、あまりないように見受けられるが、隣国韓国ではマジで考えると洒落にならない事態が進行しているのかもしれない。四月一八日付け朝鮮日報”中国で遺伝子組み換えコメの不法取引 国内も対策まとめが急務”(参照)では、先のニューヨーク・タイムズの記事を元に韓国内でのGMOコメの流通の可能性を指摘している。

 中国産コメは韓国のコメ市場の開放を受け、今年9月から本格的に国内に輸入され、スーパー等で市販される予定であり、遺伝子組み換えコメの流入を防止するための何らかの措置が必要だと指摘されていいる。
 これについて農林部は、「中国などから輸入されるコメに対しては、遺伝子組み換えかどうかを判別するために国際的なコメ検疫企業であるOMICに検査を依頼している」とし「韓国が輸入する中国産コメの主な生産地は東北3省であり、遺伝子組み換えコメは見た目からも区別できる」と述べた。

 この話にちょっとツッコミたい気がするがなんとなくブログ筆禍ゾーンの気配も感じるので控えておく。
 問題はGMOコメの管理もだが、もう一点気になるのは、このGMOコメがどうアジア経済に影響するかだ。あまり深く掘り下げる余裕もないので、簡単なメモに留めるのだが、三日付けロイター”INTERVIEW - Pressure on Prices as China Readies First GMO Rice ”(参照)では次のようにタイのコメ産業との関連を指摘していた。

As the leading exporter of rice, Thailand is bracing for a slump in global prices once China gives the go ahead to commercialise the world's first genetically modified rice.

 実際にGMOコメが新華社の夢のように実現したとき、中国農村部の貧困層がどう反応するのか。どんな絵柄が出てくるのかについては、ちょっとぞっとするものがあるかなという印象もある。

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2005.06.13

グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)

 グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)。これも愉快なネタかな、というのもサンノゼ・マーキュリーを見たら”Home buyers enjoying `conundrum' -- while it lasts”(参照)とある。いや、すまん。意味合いが違う、とれいによって私が書くべき分野でもないところで洒落を書くのはよくないか。
 話は、上のサンノゼ・マーキュリーがけっこう面白いし、案外それがファイナル・アンサーかもねだが、ちょっと後回し。国内的には7日付けの日本経済新聞”FRB議長、米長期金利の低下に警戒感示す ”(参照)が簡素にまとめている。
 前提はいうまでもなく、昨年六月末から徐々に利上げを継続しているのに、いわゆる経済学の常識に反して、米長期金利が低下しているという難問(conundrum)だ。この表現はこの二月の議会証言で出てから注目されている。ちなみに、日本の報道ではなぜか「謎」と訳しているが、とするとmathematical conundrumは「数学の謎」かね。この事態をグリーンスパン彦左衛門は、前例がない事態として、警戒感を表明してる。
 この問題について、四つ仮説がその後、専門家から挙げられている。


  1. 経済の先行きに対する市場の不安
  2. 年金基金による債券運用の拡大
  3. 外国の中央銀行による米国債の大量購入
  4. 中国やインドの市場参加に伴うインフレ圧力の抑制


 ただ、いずれの仮説にも疑問が残り、国際化の進展で新たな現象が起きているかもしれないと強調した。議長は2月の議会証言で、長期金利の安定傾向を「謎」と表現して話題を呼んだ。過去数年間にわたるヘッジファンドの成長については「一時的に縮小する恐れがある」と語り、市場の波乱要因になりかねないとの懸念を表明した

 ライブドアニュース”増谷栄一の経済コラム:長期金利低下でもインフレ圧力増すか注視=米FRB議長”(参照)ではその反駁に焦点を当てていた。まとめてみる。

(1)経済の先行きに対する市場の不安
景気が上向いている国でも長期金利の低下を食い止めることは出来ていない。
(2)年金基金による債券運用の拡大
確かに英国やフランスでは50年国債を起債するなど長期債への投資需要が強いのは明らかだが、これだけでは完璧な説明をするには力不足である。
(3)外国の中央銀行による米国債の大量購入
外国の中央銀行による米国の長期債購入が長期金利の低下をもたらしているのは事実だが、米国債市場の大きさを考えると、それらの投資の増加は緩やかなものだ。また、最近のFRBの調査研究でも、外国の中銀による投資は、なぜ米国債以外の長期債の金利もかなり低下しているのかについて、うまく説明できない。
(4)中国やインドの市場参加に伴うインフレ圧力の抑制
過去10年間の経緯の説明にはなるが、ここ1年間で生じた長期金利の低下の説明にはならない。

 日本人的な感覚からすると、それらの複合的な要因でしょ、とか言いたくなる。
 フィナンシャルタイムズは”Still puzzled by the bond market”(参照)でこの問題を扱っていた。彼らの仮説は(1)に近いのだが、考えようによってはもうちょっと深刻な視点を掲げていた。八日付けなのでむしろこの視点をグリーンスパンが織り込んだのかもしれない。

In remarks earlier this week, the Fed chairman reiterated his view that it is very difficult to explain the fall in long-term yields since the Fed started raising interest rates a year ago. But he acknowledged that one "credible" theory is that the economy is in a worse shape than the Fed believes it is.


The bond market is probably signalling that there is a serious risk the current US soft patch will turn into a more serious slowdown, forcing the Fed to stop raising interest rates. Mr Greenspan thinks otherwise. So far the slowdown is mostly inventory-led and the drag from oil should ease.

 このあたりの文章のトーンに英国的なものも感じる。つまりコントローラブルな対象としての世界ではなく、ピュシスとでもいうべき世界が先行し、むしろその事態を聞くべきなのかもしれない。
 ちょっとネタっぽい話ではなくなるが、以下のフィナンシャルタイムズの結語は正しいのでないかと思う。

If Mr Greenspan is right, US corporate investment will recover, and the Fed will be able to continue raising rates. But global factors will limit Mr Greenspan's room for manoeuvre. As long as other countries set policies to achieve trade surpluses, obliging the US to maintain a giant current account deficit, the Fed will have to keep rates low enough to keep consumers spending or risk the US and the world falling into recession.

 つまり、"the US and the world falling into recession"ということだ。なんか金子勝にでもなったような気分だが。
 そんなわけで、今後も債券市場で低金利が続くと見れば、冒頭のサンノゼ・マーキュリーの記事のエンジョイ感につながるのだが…。
 というあたりでネタの文脈にシフトするが、同記事でグリーンスパンの意図をこう見ているのがちょっと面白い。

Seven months ago Mr Greenspan appeared confident he was right and the bond market was wrong. He warned that anyone not properly hedged against rising rates "must be desirous of losing money". In February he described bond prices as a "conundrum" adding that this might be a "short-term aberration". Now he seems a fraction less certain.

 もともと、グリーンスパンの意図としては、"conundrum"発言は、正しくヘッジしない臆病もんに彦左衛門の小言一時間ということでもあったのだろう。穿った見方だが、世界がもっとグリーンスパンとかとか級に賢くなればいいのだと。
 しかし、それがパラドックスの最大要因であるかもしれないというウルトラメタ議論がある。というか、オモスレー。これだ。日銀だよ。”米国の長期金利の「謎」を考える:金融政策との関連を中心に”(参照)。

(要旨)
 昨年半ば以降、米国を中心とする多くの国・地域で、それまでの金融緩和を徐々に修正する流れが続いているが、その中で米欧の長期金利は、歴史的な低水準で推移し、時期によってはむしろ低下していた。この現象については、米国連邦準備制度(以下FRB)のグリーンスパン議長が「謎(conundrum)」であると発言するなど、国際的に関心が高まった。
 本稿では、こうした長期金利の動きに影響を与えていると考えられる様々な要因のうち、とくに金融政策が何らかの影響を与えている可能性について、米国のケースを題材とした分析を紹介する。そこでは、近年、(1)FRB の金融政策運営に関する不確実性が低下しており、それが米国の長期金利を押し下げる方向で作用している可能性があること、また、(2)金融政策がより長期的なインフレ率や景気に関する期待形成に与える影響を強めており、その結果として長期金利の安定性を高めている可能性があることを指摘する。

 PDFのほうが過激なので引用する。

つまり、政策ショックに対する長期金利の感応度の低下は、市場が金融政策の効果を比較的大きく見積もっていること(金融政策の影響力の強まり)を意味していることになる。
 実際、近年の米国のデータをみると(図7)、長期金利のボラティリティは比較的落ち着いており、そのひとつの背景として金融政策の影響力の強まりという要因を指摘する論者もいる。

 あはは。
 経済学における「期待」というのは心理学的な期待ではないというのだけど、なんとく、やっぱし心理学なんじゃないのかなと思うのはネタにはまった証拠。

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2005.06.12

フィナンシャルタイムズもネタなのか

 これもネタかなぁ。ま、なんとなく気になる話でもあるので、気軽に書くのもブログっていうことで書いてみよう。話は、七日付フィナンシャルタイムズ”Now is not the time to tighten belts”(参照)。日本経済を話題にしているので読まれたかたも多いのではないか。標題からもわかるように、まだまだ日本経済は引き締め策に向かう時期ではない、ということ。
 そんなの常識でしょとも思うのだが、欧米は、そのあたりまた日本が愚策を取るのではないかとはらはらしているのかもしれない。だが、記事を読み進めていくと、しかし、あれ?という感じがした。そ、これってネタ? 昨日のエントリでBBCがネタ?とか思ったが、英国ってユーモアの伝統でネタが多いのか。
 話の背景は先日の「極東ブログ: 量的緩和政策は続行しますとも」(参照)と同じ。日本でも量的緩和政策は終了とか読む人も若干いたようだし、概ね観測気球かなくらいの受け止めかただったのだが、どうも海外ではそれほど洒落には見てないふうでもあり、そのあたりが今回のフィナンシャルタイムズの記事にもちょっと反映している。


The Bank of Japan last week allowed liquidity to fall below its target for the first time since it introduced its ultra-loose monetary policy four years ago. Although the BoJ denies any policy change, the move has been widely interpreted as a first step towards a return to controlling the economy by means of interest rates.

 大したことではないが、Althoughとか言う、この当たりの空気がちょっと違うのかなという印象は受ける。というのも、日本だと、なんとなく、まだまだ踊り場ダンスダンスダンスという雰囲気を醸したい人もいるみたいだが、フィナンシャルタイムズなどはあっさり、デフレでしょで終わっていると見ていることもあるのだろう。

Even more important, Japan is still in the grip of the deflation that has bedevilled it for the past eight years. The BoJ's loose monetary stance was designed explicitly to combat deflation. Until it is far clearer that the dragon has been slain, even to hint at a shift in policy is dangerously irresponsible.

 まとめると、日本ってひどいデフレのまんまじゃん、そんなときに変な金融政策しないでね、世界が迷惑するから…それわかる。その先、それほど財政の問題は急務でもないよと話もあるのが、それもいい。要するに税収減は不況のせいだよーんというのも小一時間のたぐい。
 あれれ?と思ったのは、ここだ。まず、日本経済の課題としていろいろ言われている雑音は雑音として、重要なのは継続的な成長だよ、と。成長する経済なら諸問題は従属的だ、とあって、The focus now should be on promoting...

Japan's biggest immediate challenge is not balancing the budget, still less regaining control over interest rates. It is creating sustainable growth. If the latter is achieved, the former will follow. The focus now should be on promoting that goal by intensifying structural reform. Only once it bears fruit should the priority shift to restoring fiscal and monetary orthodoxy.

 フィナンシャルタイムズは、日本政府に、経済問題の焦点を”intensifying structural reform(構造改革に重点を置け)”と言っているのだ。
 え、そうだったのか、フィナンシャルタイムズ。
 この先、若干筆禍の領域に突っ込むのだが、これまで極東ブログでは経済関連はフィナンシャルタイムズとOECD提言あたりを視座に見てきた。簡単な話、経済は私は言われるまでもなく素人なので普通の社会人的な関心しかもたない。ただ、欧米からどう見えるのかなというところでこの二点が妥当かなと思っていた。で、概ね、なるほど欧米というのは、いわゆるリフレ派と似ているのだなとは思った。ま、この話はそんな程度なのだが、なんとなくだが、フィナンシャルタイムズはいわゆるリフレ派の政策とは必ずしも一致せず、どうも陰翳のようなものを感じてはいた。
 今回はそのあたり、構造改革ですかぁ、みたいなものがフィナンシャルタイムズからひょっこし強く出てきたので、このあたりはちょっとどうなんだろうなと思った。
 ま、それだけの話なんですけどね。

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