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2005.05.28

アイスクリーマーと、私は叫ぶ人かな

 梅雨はまだだが初夏らしい季節になってきた。あー、アイスクリーム。っていうか、ジェラート(gelato)。今年はどうしようかなと悩んでいた。

cover
DeLonghi
アイスクリーム
メーカー
IC4000S
 二年前に東京に出る前の沖縄暮らしではデロンギのアイスクリームメーカーを使っていたが、引っ越しの際、壊れた。もともとちょっと壊れやすい感じはしていたし、重いし保冷に半日以上かかるのでどうしようかと悩み続けていた。
 沖縄だと、いちいち自分で作らなくても、業務用みたいなパックのブルーシールのアイスクリームはけっこうどこでも売っている。本土に戻ってこのサイズはあまり見かけないものだなと思った。コープとかにないわけでもないが…、いまいち。バリエーションもちょっとつまらない。沖縄のブルーシールはウベとかサトウキビとか紅芋とか面白いのが多いのだが、ま、ラクトアイスですね。沖縄ではなにかとアイスクリームでは困らない。くむじリュボウには31はあるし、ハーゲンダッツとかもファミマやローソンにある。が、本土に戻ってあるにはあるけどちょっと困った。とりあえず、昨年は近所のセブンイレブンを活用。しかし…、ハーゲンダッツとか高いし、普通のラクトアイスは苦手だし、シャーベット(ソルベ)も香りがないというか香料の香りが苦手なことが多い。それにもうこってり乳脂肪を取る歳でもないし、こりゃ、また、アイスクリーマーを買うかと物色。
 今度は大草原の小さな家じゃなけど、オールドファッションドな、バケツ型のソルベティエール(Sorbetiere)がいいなと探すが、あまりない。イメージ的にはNordicware Ice Creamerみたいのがいいかなと思っていた。このキャッチがけっこうおかしい。

Nordicware Ice Creamer
No ice, salt or electricity needed!
- Make homemade ice cream, frozen yogurt, sherbert and other frozen treats
- Features a 2 speed gear for creamier churned results
- Non-stick interior
- 1-1/2 pt. model makes 1-6 servings
- Freeze, mix and serve!

 氷も塩も電気も要らない!というのが売りなのだ。つまり、昔のソルベティエールだと氷と塩が必要、デロンギとかだと電気が必要、というわけだ。このあたりの生活感覚って面白いなと思う。
 そのうち、ハンズの通販で「アイスクリーマー ペンギン」というのはどう?と教えてもらった。これはけっこういいかもと思ったのだが、価格的にちょっとこれだと、あれです、この間気になりだしていた「ナショナルコードレスアイスクリーマー[BH-941]」に届くかな、と。実売で5000円ちょいくらいだから、近所の大きな家電店からしょこっと買ってくるかとも思った。デメリットはある。電池式なのでランニングコストがかかるのだ。さて、どうするかと、とにかく家電店に行ったら売ってない。訊いたら、入荷は六月二三日ですとのこと。沖縄の慰霊の日に合わせているのか。他の店に問い合わせたら、同じ答え。売れているのか。
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ナショナル
コードレス
アイスクリーマー
BH941
 そっか、売れているのか、じゃ、通販で買うかということで、買いました。で、毎日使っているのだけど、今のところよいです。まず、普通のアイスクリームはできますよ、そりゃね。むしろソルベはどうかなと思って、100%オレンジジュースをばしょっと入れたら、それでもできました(舌触りはイマイチ)。以前は作らなかったのだけど、そういえばと思って、ヨーグルトにオリゴ糖入れて、ばしょっと入れてフローズン。これもできた。うまいよ。じゃってことで、これにブルーベリージャムを入れた。グッドです。
cover
修道院のレシピ
 おお、よいよい。それじゃ、と、「修道院のレシピ」にあるクレーム・アングレーズ(Creame Angleise)でやってみる。ま、いかにもお手製という感じでちょっと手前みそっぽいがよしとしよう。っていうか、これはクレーム・アングレーズの出来によるのだろう。
 なにかを忘れているなと思ったら、甘いワインのソルベだ。沖縄にいたとき、マスカット・オブ・サモスのソルベを作ってパーティとかに出したらうけたなぁ。
 というわけで、話がだらけてアフィリエイト路線かよみたいな流れになってきたのでおしまい。それにあと小一時間もすると、水出したストロベリークリームのハーブティで作ったソルベができるはず。…というところで出来てました。色合いがイマイチだけど、うまかった。

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2005.05.27

社会事件と説明の関係ということ

 昨今の少女を拘束する事件にはあまり関心を持っていないというか、あまり立ち入った関心を持つのは品が悪いと思ってやりすごしてしまうのだが、先日NHKのラジオでこの問題について宮台真司が出てきて解説していたのを聞いて、奇妙な感じを覚えた。それって間違っているよ、と言いたいわけでもない。ちょっともどかしい感じがするので、書きつつ考えてみたい。
 彼はこうした事件を、まず心理面と社会面と二つ要因あるとして分ける。のだが、冒頭から私はちょっとつまずく。要するに、彼は事件ではなく、事件の背景を説明したいということらしい。そういうことかと思って聞く。
 彼の考えでは、心理面は、大半が古典的な精神医学で説明できる、としていた。正確な言葉ではないが、曰く、現代の青年は、精神発達の過程において必要とされる、全能感・万能感の断念ということができていないため未熟であることが多い。彼の説明では、人というのは、その精神的な発達において、母親的なものに全肯定され万能感を持つが、その後父親的なものに接して自分は限界づけられたものだということを受け入れていくものだ、と。これができないと……このあたり論理が飛躍していると私は思うが……対人関係で対等な人間関係を築けずに相手を支配下に置こうとする傾向が出てくる、と。
 フロイトやラカンの学問を少し学んだ人間なら前半は常識の範囲であり、これらがどのようにその後の国際的な精神医学で受け入れられてきたかという過程を多少なりとも知っている人は、ドン引きとまでは言わないでも、ちょっと引くのではないか。仮にこれが説明として十分であっても、父親的なものつまりファルスの復権が重要になるのだが、それは現代日本社会に可能なのか。この点は、この先の話で宮台は矛盾しているようにも思う。
 社会面ではと、彼は切り出すのだが、私には奇妙にも思えるのだが、心理面と類似だ、としている。そして、宮台の言説に慣れた人なら毎度の歌が流れ出す。曰く、90年代以降、日本の社会では、女性のほうが男性よりコミュニケーションで優位に立ちやすい、と。理由は、トレンドなど社会の情報を処理する能力が女性のほうが優れているためだ、と。これに対して、男性は、性的に開放されたという女性のイメージだけを勝手に受け取ったものの、未だに男性はコミュニケーションなしで女性に対して優位でいられると思っているようだ、と。だが、実際にはそういかないため、男性は劣位になってしまった取り返しとして暴力が出てくる傾向がある、と。さらに、宮台はこうした状況は、これは先進各国に見られるとしている。のだが、はて、これは何の説明なのだろうかと私は思う。当の事件は、日本的なものではないということなのか。
 と、私のちゃちゃがうざったい文章になってしまったが、事件の解説としては奇妙な印象を受けた。
 この先さらに、なぜ少女が自分が逃げられなかったについては、宮台は、恐怖の条件付けとストックホルム症候群を挙げ、そして、今後日本社会はどうすべきかということでは、人間の関係を支配と被支配の二項対立で見ることをやめて豊かなコミュニケーションが必要になる、と宣う。また、彼は、こうした二項対立は国際外交の世界でも同じだ、という。このあたりで、私はちょっと、それってジョークかと思える。
 最後に彼は、男女の関係で、男性が劣位でも構わないという社会に変える必要があるが、日本社会は未だに男性に対して男らしくなければいけないとメッセージを発信しているのが問題だ、とする。
 私はよくわからん。私の要約が間違っているかもしれないが、最後のところ、つまり、男性が旧来の男性らしいというイメージから自由になる必要性、というのは、それって先のファルスの必要性と矛盾しているのではないだろうか。
 書き方が拙いので、宮台真司への批判のように受け止められるかもしれないが、そういう意図ではなく、私が気になるのは、これが当の事件の説明として社会的に充足しえるのだろうか、という点だ。
 社会は、こうした事件について、それなりのある対応の見解を持ちたいものだ。そしてそれを常識と整合させて社会を営んでいく必要がある。それに、この説明が十分なのだろうか? 宮台と限らず、こうしたタイプの、とぞんざいにまとめるのもいけいないが、いかにも西洋輸入思想みたいなもので継ぎ接ぎされた説明の言葉が一般社会的に説明の意味を持つのだろうか。
 話の方向を変えて、お前さんはどうだね、こうした事件をどう思うのかね、と問われると、私はどう答えるか。
 まず、心理的な背景のようなものは原則的に捨象していいのではないかと思う。個人のこうした幻想域に社会はあまり関心を持つべきではないと思う。問題は、それが社会という契機で、つまり、私との関係性で問題になるとき、私はどのような原則で向き合うかということだ。
 今回の事件の一つでは保護観察のシステムにエラーがあった。その意味では、JR西の脱線事件と同じようにシステムの問題がまずある。そして、システムが十分に機能していてもなお問題が発生するかというと、そこがよくわからない。ある一定数の犯罪は、自由主義社会のコスト域にあるので、それを越えてるのかという点がよくわからないのだ。社会学者には、むしろ、そうした点での説明を期待したいと思うのだが。

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2005.05.26

エルサレム旧市街での土地問題

 日本国内ではあまり報道されていないのではないかと思うが、今月の初めからエルサレム旧市街で奇怪な事件が進行している。メジャー所の最近の報道としては、BBC”Autumn of a Patriarch”(参照)を読んでいただくほうがいいかもれない。また、話の発端での様相は、インディペンデント”The man who sold Jerusalem”(参照転載サイト)がわかりやすい。
 話の発端を単純にまとめると、エルサレム旧市街ヤッフォ門(参照)近くのパレスチナ人居住区で、ギリシア正教教会が所有している土地が、イスラエルに居住していないユダヤ人投資家に売却されたということだ(正確には長期リースのようでもある)。
 これが問題になるのは、イスラエル和平が居住区ベースによってなされるため、この売却が成立すれば、この地域においてイスラエル側が有利になるためだ。さらに背景としては、イスラエル人入植者がパレスチナの土地買収を進めている実態がある。
 パレスチナ側としては面白くない事態なのだが、因縁の土地とはいえ、ただの買収劇ではないと問題発端から見られていた。購入したユダヤ人投資家が誰であるかはっきりしていないようだが、それでも、この背後には、イスラエル政府が事実上後押しをしている入植者団体があるらしい。
 日本人の感覚からすると、いくらパレスチナ人居住区とはいえ、ギリシア正教教会が所有している土地に対して、どのようにパレスチナに関連するのか疑問に思えるだろう。で、その件なのだが、これは単純に、この正教会はこの地域のパレスチナ人正教徒によって維持されていることに関連する。パレスチナ人全てがイスラム教信者というわけではない。余談めくが、イスラエル入植以前はこの地域の人々は区分されることなく総括してアラブ人と呼ばれていた。
 今回の問題のもう一端は、このギリシア正教会がどのような判断でこの行動をしたかということなのだが、どうやらここを管轄するイレネオス一世総主教が勝手に行ったらしい。
 ギリシア正教はローマン・カトリックのように集中した中央を持つ組織ではないが、それでも、イレネオス一世総主教にこの権限があったのかも疑問視され、エルサレム総主教庁に所属する聖職者らは会議決定としてイリネオス総主教に退任を要求した。
 このあたりの煩瑣な状況が冒頭のBBCニュースにつながる。国内のブログをサーチしたら、ブログ「日刊ギリシャ 檸檬の森」”エルサレムのギリシャ正教総主教退任劇はカオスから笑い話へ”(参照)に詳しい話があった。
 今後の動向がどうなるのかよくわからないが、民族・宗教・所有権・施政権といった複雑な問題が絡み合い、日本人から見ると複雑過ぎる問題にも見える。しかし、その歴史を交えた複雑さこそがこうした問題の本質に関わっているのだろうから、単純に割り切れないというのはしかたないことであるのだろう。

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2005.05.25

橋梁談合って何が問題

 昨日の新聞社説のネタではあるが、大手紙はすべて橋梁談合事件を扱っていた。巨額な公金が投入される大型鋼橋建築に関わる橋梁メーカーに談合の疑いがあり、すでに公正取引委員会から検察庁に告発されている。検事らによる関係各社の家宅捜索も始まっている。
 なぜ談合がいけないかというあたりは朝日新聞社説”橋梁談合 ペナルティーが軽すぎる”(参照)が啓蒙的だ。


 公取委の資料によると、過去に入札談合で立ち入り検査に入った後、落札価格は平均で18%下がった。
 鋼橋の売上高3500億円を当てはめると、1年間に600億円もの不当な利益を業界は手にしていることになる。これはすべて税金だ。談合は数十年も続いていたという。罪はきわめて重い。

 朝日新聞は、このように「罪はきわめて重い」としているのだが、そのあたりに私は違和感を持った。業界はまるで罪の認識などしていない。ふてぶてしいと朝日新聞などは考えているようなのだが、傍から見ていると、実際には、それってたいしたことないよね的な業界内の空気があったのだろう。
 というのも、朝日新聞社説でも指摘されているが、談合の場合、受注額の6%の課徴金(来年施行の改正では10%)、また関わった個人には3年以下の懲役や罰金、会社には5億円以下の罰金が科される、となることがわかっていながら、業界は特に変わりもしなかった。
 読売新聞社説”橋梁談合事件 『官』とのなれ合いはなかったか”(参照)では一歩踏み込み、これって官民の癒着はなかったかと問いつめている。

 橋梁工事の大半は、国土交通省や日本道路公団などが発注する公共工事だ。本社の調べでは国交省が2003、04年度に発注した5億円以上の橋梁工事の落札率は予定価格の平均95%にも達する。こうした問題は、橋梁業界だけなのかどうか、という疑念が指摘されている。
 問題は、長期間、談合が繰り返された背景だ。発注側の国などが知らなかったとは常識的には考えにくい。談合を事実上見過ごしコスト削減の意識を欠く、予定価格の設定をしてはこなかったか。

 この業界は裾野が広いので、これが秘密裏に行われていたとは、読売新聞の言葉を借りれば、「常識的には考えにくい」。
 実際は、多くの人が知っていたでしょう。当然、新聞社の記者さんでも知っていたでしょ。つまり、知っていて、朝日新聞などは正義面して厳罰がとかほざいてみせている、というのが実態でしょ。いや、知らなかったというなら、それはそれで記者失格じゃないですか。
 新聞記者はプロでブロガーはアマチュアとだというけったいな議論が散見されることもあるが、こうした問題でちゃんとプロを通してこない新聞記者になんの意味があるのかわからないし、職業ブログが求められるとかの雰囲気で「実は今回の談合では…」とさらっと書ける人もいるわけもない。
 と、いうのがみーんなわかっていて、この手の議論をしているというのが、ジャーナリズムもブログも交えて仲良しの現状だし、私とてもやばげなネタは書かない。書くとどうなるかは腹をくくった人でもそれなりのダメージは受けているのも、なんかなぁ、こういう世界かと思うくらいだ。
 話を橋梁談合事件に戻す。端的にこの問題のなにがいけないかといえば、国民の税金をくすねていた企業は許せんということのようだが、それもこうした構図で見ると、国側や、独禁法改正をゆるくしたい日本経団連も、一種のコスト認識だったのではないか。あるいは、富の再配分という意味合いがあっただろう。
 そういうコスト認識と富の再配分という一種の暗黙の国策をこれから止めますよというディスプレイが今回の「事件」ということなのだろう。と、書くとそれだけで陰謀論扱いされますか。
 問題は、国の内部でどこがどう権力のシフトあって方針決定が変わったのか、また、その方針をこうして見せしめにするだけの背景的な意味はなにか、ということだろう。
 そこがブログとかで追及できるのかわからないし、ブログにはブログなりの社会認識と変革の意識が目覚めて別の道を開くのかもしれない。
 新聞記者さんたちがこの問題をどう考えているのかわからないといえばわからないが、先に、記者さんだって知っていたでしょと問いつめたものの、知ってて書かないという世間を知っていたからこそプロの記者さんだったかもしれないし、そこの甘い酸っぱいのわからない記者さんとか出てくると変な光景が見られるのかもしれない。

同日追記

 談合内部で大きな諍いがあった模様。
 日本経済新聞”橋梁談合、専業と兼業で対立”(参照


 国発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)建設工事を巡る入札談合事件で、大手メーカー17社で構成する談合組織「K会」で激しい内部対立があり、受注調整の仕切り役が2001年度に三菱重工業から横河ブリッジに交代していたことが25日、関係者の話でわかった。個別工事の受注を巡る橋梁専業の10社と兼業7社の対立が根底にあったとされる。

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2005.05.24

政治とブログとその公共的な性格について

 ブログ自体を話題にするのはできるだけ控えたいと思うのだが、少し昨今のブログについて触れてみたい。大筋では政治とブログについてだが、話のとば口に、昨日のFujiSankei Business i.”ブログの影響力は限定的、米で調査結果”(参照)を借りる。ま、冒頭を読んで味噌。


「ブログ」と呼ばれる日記スタイルのホームページは政治に影響を与える存在であるかもしれないが、情報や影響という点で新聞やテレビなどの既存メディアに成り代わる存在ではない-。

 これは、米非営利組織ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・プロジェクトがまとめたブログの調査・研究報告で明らかになった。


 前段だけなら、思わず、脊髄反射的に「ふーん」とか言いそうになるのだが、後段を読んで「ありゃま、これは何?」と私は思った。というか、「ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・プロジェクト」という名前を見て、「ヲイヲイなんじゃそれ」と思う人も多いだろう。私もよくやる単純な誤植かもしれないのだが、これは、”Pew Internet & American Life Project”(参照)のことでしょ。ライフ(生命)を落としては大変。
 対応するオリジナル記事は、たぶんこれでしょ。”Release: Innovative Study Suggests Where Blogs Fit into National Politics”(参照)。その冒頭を引用し、比較のためにちょっと私の意訳を添えておく。

NEW YORK, May 16, 2005 - Experimental research from the Pew Internet & American Life Project and BuzzMetrics suggests that political bloggers can make an impact on politics, but they often follow the lead of politicians and journalists.
【意訳】
ニューヨーク、2005年5月16日 ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスが行った暫定的な調査ではあるが、政治志向のブロガーの意見は確かに現実の政治に影響力を持つものの、政治家やジャーナリストの見解を後追いをしていることもしばしばある、という傾向が伺われた。

 私の意訳は正確な訳ではないが、それでも、FujiSankei Business i.の該当記事と違った印象を持つのではないだろうか。つまり、「情報や影響という点で新聞やテレビなどの既存メディアに成り代わる存在ではない」という主張はどこから出てきたのかよくわからない。なお、詳細なレポート(参照・PDF)も公開されているのが、やはりそう読めるものだろうか疑問に思う。
 些細なことにこだわっているようだが、ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスのこの調査の主眼は、ブログが市民の政治意識・活動にどのような影響を与えるかということであって、新聞やテレビなどの既存メディアと対立の枠組みではない。むしろブログが既存政治の道具となるのか、あるいは、どのように具体的な政治に意味を持つのか、それが問題意識なっている。
 この点、つまり政治ブログというのはどうよ、と。
 極東ブログも政治ブログの分類に見られることもあり、以前日本のブログ界の情勢マップではそうした位置づけだったかと思う。そのおり、私の記憶違いかもしれないが、ブロガーの切込隊長さんから、極東ブログが政治ブログの最右翼っては笑っちゃうね、みたく指摘されたことがあった。彼一流の「けなす技術」かもしれないが、おそらく彼は彼なり実際に政治活動に関与したことがあり、政治のブログならその政治的な立場を明確にし、具体的な結果が得られるようにあるべきだとその時点で政治ブログのあり方を考えたのではないか、という印象をもった。
 その頃アメリカでのブログは、ちょうど大統領選挙前ということもあり、そうしたあり方(政治の道具としての政治ブログ)のほうが通例でもあった。が、その後は、先の「けなす技術」を私も読んだのだが、切込隊長さんのブログ観も、どちらかというと、市民の政治意識の底上げが重要かもしれないというふうにシフトしているようには思えた。
 民主主義社会では、言論が直接政治的なパワーとなりうるものだし、まさにアメリカのモデルで考えれば、政治的な成果を求めることが最優先にあって、それゆえにブログなどもそのためのツールとなりうる。もともと、既存のペーパー・ベースのジャーナリズムでもそういう傾向はあるのだが、今回の調査では、インターネットの特徴から、そのあたりの単純なスキーマの変化が注視されたようには見える。
 この点については、FujiSankei Business i.の記事でもきちんと拾われている。

 それによると、主宰者だけでなく、だれでもコメントを書き込むことができ、他のブログとの接続も容易で瞬時に情報収集・発信ができるブログは「意見交換や討論を形成する場」としてふさわしい特徴を持っていると指摘した。

 このコメントは広義にトラックバックを含めていいだろう。確かに、政治的な意味でのブログというは、「意見交換や討論を形成する場」として重要になってくる。
 というあたりで、多少問題の視点が変わる。
 極東ブログを続けながら、私の側でスタンスが少しずつ変わる点がある。私については、このブログで正論や、知的にレベルの高い意見を述べる必要はない(できもしないが)、と思いつつある。
 そうではなく、ある問題について私はこう思うという発言と、こう思った私の思いをきざんでおく、という二点が重要だと考えるようになった。この二点がブログに満たされれば、ある種の問題に関心のある人が、自由に距離を置いて接することが可能になるのではないか。
 もう少し話を進める。ブログというのは(一部論外は除くとして)、当然そのエントリには著者がいるわけでその著作権は守られてしかるべきだが、かなり公共財的な意味があると思うようになった。特に、RSS情報については公共財に近いと見ていいだろうし、すでに国内ではニュース標題の著作権はないとされていることもあるが、しいて言えば、要約(description)までも公共財ではないかと思う。
 そして、ブログの公共財的な性格について、二つ思うことがある。
 一つは、すでに一部ブロガーでは話題になっているのだが、ライブドアが、先行したエキサイトのブログニュースのようなものを六月から実施するらしい、という話に関連する。いわゆる著名ブロガーの方には掲載許諾についてライブドアからお誘いメールが先週時点であったらしいのだが、極東ブログにはなかった。このブログはそれほどメジャーなブログでもないだろうし、いろいろな選があってもしかるべきだし、そもそも論で言うと、エキサイトのブログニュースと同様に所詮RSSを受信して並べるだけとなるので、RSSは一種の公共財と考えれば、「ご自由にどうぞ」という性質の物でもある。
 ただ率直なところ、極東ブログが選落ちしたのはなぜかとは考えた。1つはレベルが低すぎと見なされた。これはしかたないでしょ。2つめは嫌われた。けっこうライブドアには厳しい評を投げてきたからな、と。そして、3つめは、ライブドアという商品的な性格を持つメディアにこのブログが合っていないということだった。
 エキサイトのブログニュース(参照)の、特にランキングを見てもわかるが、上位は基本的に小ネタとエンタテイメント・ネタである。時に時事的なキワモノネタも上がり、そうしたとき、なんかの偶然のように極東ブログのエントリが上位にすることがある。総じて言えば、ネタとタイトルの妙と、一日のエントリ数で上位は決定するようになっている。
 これではブログの世界の実情というのがうまく伝えられていないか、あるいは曲解されるかなと私は懸念していたし、ある時点から、このランキングには関心を持たなくなったのだが、考えてみれば、こうした小ネタやエンタテイメント・ネタこそが、エキサイトというポータルの商品価値である。
 同様に、ライブドアもなんらかの商品価値の志向があり、そこから極東ブログが排除されたのだろうとも思った。この関連で言うなら、ブログ単位ではなくエントリ単位でグールグル・アドセンスもけっこう厳格に選別をしている。
 仮にこうした傾向をブログの囲い込みなりとして見ると、商品化の枠組みで考えられる。が、RSSを公共財として見るなら、それらは近未来に各人のRSSリーダーに組み込まれるだけのことなので、単に過渡的な問題にはすぎないだろう。
 もう一点は、ブログがそういう公共財的な性格を持つなら、広告(スパム)やあまり低次元な嫌がらせコメントやトラックバックというのも、公共性への侵害のようにも思えてくることだ。その辺りが当面、ブログの課題になっていくのかもしれない。
 しいてもう一点言えば、ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスの調査が暗示するように、政治家や既存ジャーナリストの追従者の系列に近いのだろうが、カリスマ・ブロガーとかがあればそれがある種の危険性を持ちうるだろう。が、それこそが、まさにブログの公共的な性格によって緩和されるものではないか。いわゆるスマート・モブというのは、携帯電話メールのレベルでは起きえるが、ブログの成熟はその抑制に働くのではないか。
 と、話は以上なのだが、このエントリにはちょっとお笑いのオチがある。ライブドアからお誘いのメールが来てしまったのである。finalventさん、落ち込んでるょという支援の声もあったらしい。ありがたい。お受けします、理屈は、いらんでしょ。

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2005.05.23

コーヒーについての雑談

 コーヒーについての雑談。ネタもオチもなし。先日、談話室滝沢が閉店になるというので、ちょっと懐かしくもあり、新宿店に行ってみた。店内に入るのは十年ぶりくらいだろうか。しかし、一歩踏み入れたら昔とまったく同じに思え、ちょっとタイムスリップした。地下のほうには昔と同じ小さな池があり鯉がいた。あれがけっこう好きだった。二十五年前の私はまだ青年だった。当時の青年には滝沢は割高なのでたぶん年上の誰かに連れられて来たのだと思うが、誰だったのかの記憶がない。
 新宿でうろついていたころよく行った喫茶店というと、今は「思い出横町」と改名されたあたりの但馬屋だ。最近は行ってないが、今でも客を見てカップを選んでくれるのだろうか。もしそうでも、もう私には花柄っぽいのは来ないだろう。但馬屋ではなんどか女性とまったりコーヒー飲んだような記憶があるのだが、それも誰だか思い出せない。他に、酒飲んだあと、歌舞伎町から東口に行く途中の地下に梵という喫茶店によく行ったが、今でもあるだろうか。当時は勘定台にマッキントッシュが置いてあった。
 話を滝沢に戻す。あのコーヒーを旨いという人がいるが、私はよくわからない。久しぶりに飲んでみるとたしかに懐かしい味がしたが、私は好きではない。私が好きなコーヒーは、参道の大坊のナンバー2だったか、とにかくダークローストだ。十年前だと東京でもまともなダークローストというかヨーロピアンローストのコーヒーはあまり飲めなかった。ちゃんとしたエスプレッソの香りのするエスプレッソもほとんどなかった。
 八年東京を離れている間に東京は変わった。沖縄暮らしでも時折東京の街には出て来たのだが、驚いたのはその度ごとにスタバが増殖していることだった。どんなコーヒーかと思ってスタバのを飲んでみた。まずまず満足できる味、というわけで、以前はコーヒー豆を海外のショップから買っていたものだが、最近はスタバで買う。と書くとコーヒーにこだわりがあるようだが、それほどでもない。普通のコーヒーでいいのだ。
 そういえば先日ラジオでブラジルのコーヒー事情を聞いた。ブラジル人もコーヒーを飲みましょうというような話だった。ブラジル人はすでにけっこうコーヒーを飲んでいるはずなので、なぜだったのか。具体的にどんな話だったかも失念したが、コーヒーの世界統計の話などもあり、いくつかへぇと思った。この手の情報ならネットにあるだろうと見ると、確かにある。
 全日本コーヒー協会の統計資料のページ(参照)にコーヒーについていろいろな統計データがある。国別の生産量を見ると、やはりだんとつにブラジルが多く、約254万トン。次が、少々意外だったのだが、ベトナムで72万トン。コロンビアの約70万トンを抜いている。ベトナムは行ったことはないが、私がよく海外のショップに注文したのはベトナム・タイプのブレンドだった。サイゴン・ブレンドとか言ったか。ベトナムを仏印と呼ぶほどの歳ではないが、サイゴンはある意味、フランス文化が根付いたところなので、ヨーロピアンローストのコーヒーが美味しい。とか言って、私は旅行したことはないのだが、幾人かから聞いた話だ。
 ベトナムのコーヒー生産量が多いのは、中国での消費拡大だろうか。邱永漢が数年前から中国人も今後はコーヒーを飲むようになるから雲南でコーヒー農場をするのだと、美しい夢をよく語っていたが、私などには実感はない。雲南にコーヒー農場ですか。わからない。
 中国とコーヒーはどういう状況にあるのかと見ていくと、同じく全日本コーヒー協会の”中国コーヒー市場の将来性”(参照)という記事があり、それなりに面白かった。が、ベトナムとの関係はわからない。考えてみると、中国に近い生産地であっても中国内部であっても、コーヒーのグローバルな市場には関係ないだろう。
 世界のコーヒー消費の話といえば、どの国の人が一番コーヒーを飲むか、である。私の記憶では北欧だったのだが、”世界の国別一人当たり消費量”(参照)の資料を見ると、概ね当たり。とはいえ、なぜ北欧でコーヒーなのかという理由はよくわからない。身体が温まるからか。でもブラジルとかも飲むしな。
 個人消費の統計を見ると、この数年で大きく構造的に変化している国はなさそうだが、しいていうと、オーストリアが徐々に減っている。ウィンナコーヒーとか飲まないのだろうか。という以前に、オーストリアでウィンナコーヒーなんて飲んでいるのだろうか。よくトルココーヒーとかいうが、トルコではそれほどコーヒーは飲まれてないかった。ましてトルココーヒーは少ない。
 全日本コーヒー協会の資料にはないが、日本のコーヒー生豆の輸入量は2003年統計で世界第三位の年間約40万トン。けっこう多い。インスタントコーヒーが相対的に嫌われているのか(単に国内生産でないのか)、あるいは喫茶店文化がそれなりに盛んなのか。ついでに資料を見ていて知ったのだが、「キリマンジャロ」というのはタンザニアからの輸入豆、「ブルーマウンテン」というのはジャマイカからの輸入豆のことらしい。
 と書きながら、そういえば、喫茶店で「俺、ブルマン」とか言わなくなった。「私、キリマン」とか言うのもないだろう。時代だなあ。「お前、モカ、…ブルータス、お前もか…」といった洒落も現代では注を要する、というあたりのオチにする予定はなかったのだけどな。

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2005.05.22

フィリピン日系人の調査

 先日NHKラジオで、日本政府によるフィリピン日系人の調査が進めらることになると聞いた。違和感というものでもないが、なんで今頃なんだろうかとも思い、少し調べてみたのだが、ネットなどを見ている限りは、支援団体の活動はわかるのだが、その時点でメジャーなニュースにもなっておらず、また政府の動向もよくわからなかった。そんなわけで、なんとなく気にしていたのだが、今日の読売新聞”フィリピン日系人、身元調査へ…高齢2世らの要望受け”(参照)に関連の記事があった。


 政府は、終戦前にフィリピンに移住した日本人の2世や3世に関する身元確認調査を近く開始する。戦後60年を迎え、高齢化が目立つ2世らから、「祖国が日本であることを確認したい」との要望が出ているためだ。日本人移住者の子や孫であることが確認された人は、日本の定住ビザを取得し、日本で働くことも可能になる。調査は約300人が対象で、年内に結果をまとめる方針だ。
 調査は、現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)に依頼し、本人への面接調査を行う。

 実務部分は、読売新聞の記事には「現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)」として特定されていないが、NHKラジオの話では、このNPOは、NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(通称PNLSC)(参照)とのこと。同NPOのサイトでは、弁護士でもある河合弘之理事長の次のような「ひとこと」を掲載している。

「経済的に豊かで、現地の人たちとも仲良く暮らしていたフィリピン日系人社会をたたきつぶしたのは日本軍ですから、これを再建するのも我々日本人の責務だと思います。そのためにはより多くの残留2世の親を捜し出し、2世の国籍を確認し、彼らのアイデンティティを確立し、日系3世、4世の定住ビザ取得を容易にしなければなりません。そして1人でも多くの人が日本で一生懸命に働いて、フィリピンの家族に送金できるようにしなければなりません。さらにはフィリピンの日系人社会を再び、豊かで尊敬される階層へと押し上げなければなりません。私はその日までがんばります」

 このNPOの設立は日が浅いようだ。ネットなどで見るかける、活動史のある「フィリピン日系人支援の会」(参照)といったNPOとの関連もわからない。
 先の読売新聞の記事では、フィリピン日系人の歴史的背景についてはあまり触れられていないが、重要な日本の近代史の一側面ではある。
 話は、明治三十七年以降のことだ。主に、ミンダナオ島ダバオ市周辺に日本人が移住し、日本人街の様相を呈していたらしい。往時にはその人口は二万人を越えたとも言われている。
 第二次世界大戦後、敗戦の処理の一環で、同地の日本人、つまり日本移民と両親がともに日本人である子供は日本に送還されたものの、母親が日本国籍を持たない子供はその対象とならなかった。が、当時の日本国法では父親が日本人であれば、子供にも日本国籍が与えられていた。
 外務省は、今から十年前、一九九五年になってようやく、フィリピン移民日系二世の実態調査を実施し、この際、その総数は二千百二十五人、うち、生存者千七百四十八人と発表した。が、この時点では、日本人戸籍謄本などで身元の証明ができたのは五百四十一人だった。その後、一九九七年にも外務省が調査しているが、この間の経緯は私はよくわからない。NHKラジオでは千人以上の身元が判明したと伝えていた。
 今回の調査では、ラジオを聞いた記憶では八百人ほどが対象になるらしいとのことだが、読売新聞の記事では三百人と少ない。いずれにせよ、おそらくこれ以上問題の解決を引き延ばしては行けない時期でもあるだろうし、二世から三世、四世の時代に移りつつある。
 今回の調査で日系人であることが確認されれば、南米の日系人と同じような待遇になるようで、その子孫は日本での就労も可能になる。
 こうした問題では、いろいろ複雑な要素が絡むので、単純に割り切れない。私自身、沖縄で長く暮らし、類似の問題の多様な局面についても考えさせられた。話は、戦後の構図として、つい日本対アジア人という枠組みで語られることも多いが、戦前の日本人とはなにかという点で、どうしてもマージナルな部分は残るように思う。

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