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2005.01.15

NHK従軍慰安婦特集番組の改変問題って問題か?

 NHK従軍慰安婦特集番組の改変問題だが、なんでこんなのが今頃話題になるのか、というか体制左翼と自民内部の一派が組んで安倍晋三潰しをやっているのか、そのわりにはお粗末なトリックだなとスルーしていた。粗方、問題は収束したのではないかとは思うが、どうなのだろうか。
 私がこの話を知ったのは13日の朝日新聞社説"NHK――政治家への抵抗力を持て"(参照)だった。


 自民党の有力政治家がNHKの幹部に放送前の番組について「偏った内容だ」などと指摘し変更を求めていた。4年前、旧日本軍の慰安婦問題を取り上げた番組に対してのことだ。
 ひとりは安倍晋三幹事長代理。当時は森内閣の内閣官房副長官だった。政権中枢にいたが、「国会議員として言うべき意見を言った」と振り返る。もう一人はいま経済産業相をしている中川昭一氏である。
 この事実を内部告発したのは当時、番組制作にあたった現場責任者だ。内容を変えるよう指示があったのは両議員の意向を受けてのことだとして「放送内容への政治介入だ」と訴えている。
 国会はNHKの予算や決算を承認する。しかも政権を担う政治家だ。自らの影響力を知っているからこそ、放送前に注文をつけたのだろう。このような行為は憲法が禁止する検閲に通じかねない。

 朝日新聞の社説では「この事実を内部告発したのは」とあり、すでに事実認定されているようだが、どういう認定プロセスだったのか、今後批判検討が必要になるだろう。
 現時点の事実としては当事者のNHKからの調査のほうが信頼性があるだろう。NHK"NHK 見解をまとめ発表"(参照)ではこうまとめている。

4年前にNHK教育テレビで放送された「戦争をどう裁くか」というシリーズ番組のひとつについて、自民党の安倍晋三氏と中川昭一氏が放送前にNHKの幹部を呼んで放送の内容に偏りがあるなどと述べたと報道されたことについて、NHKは改めて調査を行いました。その結果まず、NHKの幹部が中川氏に面会したのは放送前ではなく放送の3日後であることが確認されました。また安倍氏についても放送の前日ごろに面会していましたがそれによって番組の内容が変更されたことはありませんでした。この番組については内容を公平で公正なものにするために安倍氏に面会する数日前からすでに追加のインタビュー取材をするなど編集作業を進めていたものです。さらに番組の当時の担当デスクが記者会見して政治家と面会したことなどの経緯を「会長に逐一伝えた報告書が存在する」と述べましたがそうした事実もありませんでした。

 もともとこの古くさい話が蒸し返されたのは、当事者の告発がすべての話の発端ではなく、いわゆる新規燃料投下にすぎなかった。このことは、これも4年前2001年7月24日付け"なぜNHKを提訴するのか ―「女性国際戦犯法廷」番組改ざんの責任を問う 裁判の目的と意味"(参照)からわかる。興味深いのは、「改竄」過程としてこう触れられている点だ。

その後明らかになったのは、12月27日に制作された番組を1月19日に見た担当部長が「法廷に距離が近すぎる」と修正を命じ、その結果24日にできた完成納品版をさらに修正した台本で28日出演者の一人にコメントの取り直しをさせ、同日わざわざ右翼学者のインタビューを急遽追加して、「法廷」たたき、「慰安婦」たたき発言をさせたのです。それを番組にいれたものを試写で見たNHK上層部は、さらに、修正を命じたため、30日放送ギリギリまで、番組は切り刻まれ、「法廷」を記録するのではなく、批判する番組に変わっていたのです。まさにNHK上層部の製作現場への直接介入で 改ざんされた番組が放送されのです。

 つまり、「改竄」に関しては安倍晋三の関わりがあるとすれば日時的に面会ではありえず、「数日前からすでに追加のインタビュー取材」ということになるが、経緯を見る限り、NHKの側から「改竄」プロセスというかただの編集の追い詰めになって、「これでいいかぁ、うるさそうな安倍ちゃんにOKとっといてよ」ということだったのではないか。私の想像だが、この経緯を、四年後になって、「これって、安倍晋三のトラップに使えるかも」ということではないのか。いずれにせよ、安倍側からの強い関与であるとは考えにくい。
 資料がてらだが、当時の状況は2ちゃんねる"NHKが極左団体に加担!女性戦犯法廷特集を放送!"(参照)が詳しい。また、産経系「正論」"「女性国際戦犯法廷」の愚かしさ"(参照)が興味深いといえば興味深い。これらのソースは、「女性国際戦犯法廷」に対して否定的な見解のてんこ盛りだが、もともとこの「女性国際戦犯法廷」の「法廷」とは名ばかりで、弁護が存在しないという中世暗黒裁判みたいなそら恐ろしいしろものであった。いや、中世暗黒裁判でも悪魔の代理というのがいたかと思う。いずれにせよ、法廷を名乗るなら、弁護を付けろよ、洒落にもなんねーよと思う。
 今回の事態は、NHKの報道に政治介入があってよいのか、ということだが、介入というより公金で成り立っているメディアなのだから、弁護側のない法廷みたいな番組を垂れ流すとしたら、それをどうやって是正するかということで、その是正手段がすべて政治介入ということでは話にもならない。今回の問題で糾弾の先頭にあると見える社民党福島瑞穂もNHKではないが、テレビ番組会社に詰問状を出している(参照)し、そういうプロセスは普通のことではないか。
 総じていえば、体制左翼もこんなチープトリックを繰り出すとは、ここまで焼きが回ったかというか、情けなくなる。アフリカ問題などもっとグローバルな人権問題に取り組めよと思う。
 それと折角古くさい問題が蒸し返されたので思うのだが、この番組のネタを作ったNHKエンタープライズ21(参照)ってなんだ? 決算、役員、株主のリンクが死んでいるみたいなんだけどね(追記:通常のリンクではなくJavaScriptで開くようになっていました)。おまけはドキュメンタリー・ジャパン(参照)ってどうよ、かな。

追記(2005.1.17)
ドキュメンタリージャパンから次の声明が出た。
「長井氏の会見に関する「朝日新聞」記事中の事実誤認について」(参照


2005年1月13日の長井氏の会見を報道した朝日新聞1月13日夕刊の記事の中で、弊社に関係する下記部分に関し、重大な事実誤認が2カ所あると考えます。
 長井氏の発言がそのまま活字化されているのか、朝日新聞記者による加除があるのか、定かではありませんが、いずれにしろ事実とは異なることを明確にしておきたいと思います。

 内容は2点。なお、NHKエンタープライズ21のチーフ・プロデューサーは池田恵理子氏。
(1)朝日新聞はこの番組を企画したのはドキュメンタリージャパンだとしていたが、実際はNHKエンタープライズ21のチーフ・プロデューサーからの強い要請によるものであり、企画も協議によって成った。
(2)ドキュメンタリージャパン視点が主催団体に近かったということはなく、当初の作品は主催団体に近い考え方の要素だけでなく、別の視点の要素も盛り込んだ構成案だった。これをより法廷を主にした内容で行く方針を打ち出したのは、NHKのチーフ・プロデューサーと長井氏だった。

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2005.01.14

Mac MiniとiPod Shuffle

 こんなネタを私が書くのはどうかなと思うが、古いMacユーザーでもあるし、とりあえず歴代のMacを使いながらAppleを見続けてきたし…、昨日付のニューヨークタイムズ"Apple Tries to Break Out"(参照)などでも話題にはなっていたし、というわけで、ちょっと思うことでも。

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Apple Mac mini
1.42GHz,80G
 Mac Miniにはちょっと驚いた。やるなぁと。技術的に見れば、こんなのどこのメーカーだって作れるし、価格的にもそれほど安いものでもない。先のニューヨークタイムズでも指摘しているとおりだ。

The $499 is misleading because it does not include a monitor, keyboard, mouse and other needed items, but the sticker price may get the attention of some Microsoft users, particularly the millions of people who have been introduced to Apple through iPods.

 でも、こういうマシンを作り出すのはジョブズだけの英断だろう。要は技術の問題ではない。こういうマシンが必要だと見なすところがすごい。Mac miniは、iPodだのiPhoto、iMoveだのをファミリー・ユースで使うためのセンター・マシンとして最適だ。ニューヨークタイムズも、iPodから入るアップルユーザーに視点を置いているのは頷ける。
 現状のiMacではあまりにもパソコンめいているし価格的にも高すぎる。Mac Miniなら、リビングに置いておくのにもいいだろう。ディスプレイは液晶TVとの兼用でもいけるか。いずれにせよ、OSだのを意識させないで用途に徹しているマシンというのがなによりいい。
 対照的に、家電志向とはいえ日本のAVパソコンにはこういうのがない(あっても売れないのはわかるが)。あまり言われなくなったが、昔のシャープのX68000のように自社でパソコンを作るということも日本から消えてしまって久しい。嘆かわしい。
 Mac Miniのコンセプトで気になるとすれば、日本人の感じからすると、どうしてもテレビとの統合というのがあるだろう。つまり、AVパソコンならハードディスク・レコーダーとの融合というのが日本ではニーズとしては高いように思う。
 しかし、そこも考えようで、Mac Miniでも思うのだが、コンテンツというのが基本的にCDやDVDのようにセルのパッケージになるのだと割り切りがある。そのうえで、こういうMac Miniみたいな割り切った作りにすれば、逆に今の日本のAVパソコンに求められるTV番組HDレコーディングからDVD焼き、そしてレンタルDVDのリッピングからエンコードみたいな泥臭いニーズを覆い隠してしまうメリットもある。コンテンツ市場的にもさすがジョッブズ様という感じなのではないか。
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iPod 40GB
 iPodについては、私もようやく使いだして、いろいろ思うことがある。これもやはり、コンテンツ志向だなと思う。技術的には、iTunesだとiPod側からのファイルの引っこ抜きはできず、本体側に音楽のデータベースをまさにベースとして作るようになってはいるものの、ファイルはMP3だし、やる気なれば引っこ抜ける。それでも、それはイレギュラーな使い方だし、コンテンツ志向の構成になっているならこそ、ユーザーもまずは自分のための音楽のデータベースの構築が強く意識させられる。今回のMac Miniもそういうベース機能の面から構想されているのだろう。
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iPod mini 4GB
 そうしてみると、iPodのユーザー側の最大のタスクは、自分の持っている全CDを整理するということになる。iPodを使うということは、自分の持つCDコンテンツをデータベース化するということでもあるわけだ。
 私なぞ一時期までのユーミンの全曲を持っているのだが、さすがに今は聞きたくもない。そういうちょっとまだ聞くのはねというのを除いても、CDとしては100~200枚といったところをすでに持っている。そのあたりが取りあえずのユーザーのモデルとなるだろう。CD一枚に各10曲として概算すると2000曲を聞きこなすわけだ。それがフツーのiPodのユーザー層の持ち曲の数とすると、容量的には10GBもあれば足りる。実際にはこの半分でもけっこう大丈夫だし、年期の入らない若い層なら、4GBのiPod miniでもいいだろう。先のニューヨークタイムズの言葉を借りるとこんな感じだ。

But an iPod with a two-digit price tag has a lot going for it. And perhaps there are actually lots of potential iPod users out there who have been discouraged from entering this market because they just don't feel a need for 5,000 songs.

 コンテンツ側の視点に立つと、CDを一枚2500円とすると100枚で25万円。200枚で50万円くらい。そんなものかな。年間20枚買って10年のライブラリーということでもある。単純にいえば、年間5万くらいCDを買えよ、ということでもあるし、あるいはダウンロード販売でもその程度のカネを曲に使えよということだ。iPodはCDコンテンツ販売のインフラでもあるわけだ。
 だから、iPodはその本体の価格帯というより、CDの価格帯とその保有の問題になる。200枚を越えるCDを実際に聞き回わすテクノロジー(そのためにカネを叩かせる)としては、iPodはまさに画期的な製品だった。実際に使ってみて思うのだが、耳に白いイヤホン突っ込む以外に、オーディオ装置に接続して半日聞いているということも多い。カーオーディオのニーズも高いというのも頷ける。
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iPod shuffle
 だからというか、今回のiPod Shuffleについては、ニューヨークタイムズのようになるほどというのと、ちょっと違和感もある。何が次の曲かわからないスリルというのは、そういうのもアリだとは思う。実際の米人のiPodの使い方でもそうだし、日本でも同じかとも思うが、いくつかプレイリストのセットを作って切り替える。だから、そのプレイリストを切り出せばiPod Shuffleになるというのはわからないでもない。
 でも、私などは、ラフマニノフと宇多田ヒカルがシャッフルされても困るし、そう音楽ばかり聴いているのも疲れるので、iPod Shuffleの魅力は感じない。このタイプの小物で欲しいとすれば、マシンを介さずにダイレクトでエンコードできてかつFMチューナー付きのD Cubeみたいのがいい。これにAMがついて操作が簡単なら老人にも向くと思うのだが。
 エントリとしてはそういうこと。つまり、こういうマシンをジョッブズ様が創造してくださったおかげで(洒落の敬語だよちなみに)、コンテンツ側のインフラが整備された、と。ま、それでいうなら、PSPにDVDが入るといいのかもしれないのだが…(だめだめでしょう)。

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2005.01.13

すごいぞ、中国国際ビジネス

 APニュース"China Finds Widespread Cheating on Reports"(参照)がちょっと気になった。中国の国際ビジネスでは不正会計がかなり横行しているだろうなというのと、先月の中国航空油料集団のその後の話題なのかという、当方の予断があるからなのだが。
 該当記事はAP系のニュースでもあるし、新華社もかんでいるので、国内にも情報が入っているだろうとサーチしてみると中国情報局というサイトに類似の記事"中央企業80社不良資産比率10%超、不正行為も"(参照)があった。邦文のほうが読みやすいから、こちらを引用する。話は、中国の国有資産監督管理委員会(国資委)統計評価局の孟建民局長が、直属(国営ということだろう)181社の内、80社で不良資産比率が10%を越えていたというのだ。


 孟・局長は、180社のうち、120社が一部の財務データを会計監査報告書に記載していなかったことや30社でずさんな会計監査が行なわれている現状を指摘。さらに13社では、企業が発表した財務データの監査報告結果と現状が大きく異なること、13社で会計監査報告に技術上の問題が生じていることが判明した。
 企業の会計監査報告の質的レベル低下の原因として挙げられるのが、監査法人による不正行為。直属企業181社は、300社あまりの監査法人に会計監査を委託しているが、「利益至上主義」である監査法人は、監査の段階で企業の不正行為に手を貸すこともあるという。

 というわけで、国際ビジネスにおける中国企業の会計監査の不正はかなり深刻なようだ。というか、国際ビジネスが分かっているのだろうか、中国?という印象もある。
 このページからは関連ニュースのリンクがあり、"中央企業の資産損失計3000億元、管理強化へ"(参照)ではこう伝えている。

 中国の国有資産監督管理委員会(国資委)は、直属する中央企業181社の資産損失が累計で3177億8000万元にのぼり、資産総額の4.2%を占めていることを明らかにした。今後は各企業に対して、予算管理やリスクマネジメント、内部監査などの強化を求めていく。16日付で中国新聞社が伝えた。
 この損失額に、これまで中国財政部が審査して認可した約1000億元を含めると、中央企業による不良資産比率は5.4%に膨れ上がる。

 率直にいって私にはこのニュースの意味がよくわからない。が、時系列に見ると、シンガポールでの中国航空油料集団のデリバティブ問題の派生であるようには思う。
 この事件は日本で報道がないわけではなかったが、10年前のベアリングス社事件ほどには、それほど注目されなかったのが不思議な感じがした。規模がベアリングス社事件の三分の一ほどだし日本もかんでいなかったからということかもしれない。いちおうニュースとしては日経"中国航空油料、石油デリバティブで560億円の損失"(参照)をひいておく。先月の2日のものだ。

【香港2日共同】中国の航空燃料を扱う国営燃料供給大手、中国航空油料集団の子会社で、シンガポール証券取引所に上場する中国航空油料は2日までに、石油のデリバティブ(金融派生商品)取引などで約5億5000万ドル(約560億円)の損失を出したことを明らかにした。
 一部メディアはインサイダー取引の疑いもあると伝えている。シンガポールを舞台にした投機的取引で英国の名門投資銀行旧ベアリングズ社が破たんした1995年以来の金融スキャンダルに発展するとの見方も出ている。

 類似のニュースだが、共同系"中国企業の不正発覚相次ぐ 容易でない体質改善"(参照)もクリップしておく。

 【北京28日共同】中国で大手企業トップの不正行為発覚が相次いでいる。中国政府は企業統治の重要性を再三訴えているが、同族経営による私物化など問題の根は深く、不透明な企業会計の改善は簡単ではなさそうだ。


続いて国営の航空燃料大手、中国航空油料集団のシンガポール子会社、中国航空油料が、石油のデリバティブ(金融派生商品)取引で約5億5000万ドル(約567億円)の損失を出したことが明るみに出て、陳久霖・前最高経営責任者(CEO)が12月8日に逮捕された。

 日経が触れていたインサイダー取引問題だが、本国側がどうなっているのかが気になる。関連の話としては旧聞だが産経系"シンガポールの中国系企業で経済事件相次ぐ 上場誘致に影響も"(参照)がある。

 親会社の中国航空油料集団が10月20日、CAOの持ち株15%を機関投資家に売却したが、その10日前にCAOから巨額損失の報告を受けていたとされ、インサイダー取引や情報公開規定違反の疑いが浮上している。

 その後のこの問題の経緯の報道がよくわからないが、昨日のNHKのラジオを聞いていたら、インサーダー取引問題はその後も継続的に調査が進められているようだ。
 ところで、5億5千万ドルの損失をするのかだなのだが、中国本土側の補填はないらしい。つまり、債権者は放棄を迫られることになるようだ。すげー。

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2005.01.12

未婚男性急増といったことから

 SPA(1/18)の特集「独身オトコの肖像」をめくりながら、昨日しばしぼんやり考えた。副題に「マジで急増中!!」とあるが、身の回りを考えると、それがある意味フツーなので、それほど違和感はない。それでもSPAとしてはこれがネタになるなと踏んだのだろう。煽りを追うとこうだ。


Over35
紀宮さま&黒田さん(39歳)婚約内定で考える
35~39才男性の26%にのぼる未婚者の「彼女いない歴」からオナニー頻度までを本邦初調査!

 内容は、企画先にありきの取って付けたような出来合いの仕上がりなので、特に読み応えとか新奇性はないように思えた。というか、違和感が残った。実態がこの特集ではよく見えないというのもあるし、そろそろマーケットのシフトということかなという感じもした。単純な話、SPAという雑誌のターゲット層をそのまま5歳くらい上にシフトするのだろうか。他も同じく。
 話題を当の「独身オトコの肖像」という点に戻すが、私には特に結論のようなものはないといえばないし、あると言えばある。と言った手前、その結論を言うと、これって単純に所得の問題ではないのかということだ。これは、特集でインタビューされている、れいのパラサイ用語を出した山田昌弘東京学芸大教授の結論でもある。

 まず、35~39サイで独身なのは、どういう男性なんでしょうか。
「ズバリ、収入が低い人ですよ」
……二の句も継げぬシビアなお答え。実際、下のグラフのとおり、年収と未婚率はきれいに相関する。

 というわけで、いかにもという棒グラフも記事には掲載されている。そして、これはこれで終わりという感じはする。
 晩婚化とか少子化とかあるいは二子目をなぜ産まないのか…というのは、ワークシェアというような女性参画社会の問題というより、単に男性の所得の問題か? このあたりからちょっと迷路に入る気がする。
 当然ながら昔のほうが収入が低かった。しかし、結婚はしていた…と書き出すにこの話題はなにか全然外している感じがする。そういうことではないのだろう。
 単純なところ、というか、ごく当たり前に、幸福なりは可処分所得に比例している社会になったのだから、それを長期的に可能にする状態への希求が起こるのは当然のことだろう。
 露骨な感じでいうと、「人並み以下の生活はいやだな」という感じだろうか。その人並みはもちろん幻想といえば幻想だが、そこから抜け出せない現実といえば現実でもある、ということだ。
 話はずれるのだが、最近では私も引きこもっているせいなのか、周りで新興宗教の人々と会う機会はない。ものみの塔の人と愉快な神学論争をする機会も減った。が、ああいう共同体の中で半分隔離された現実的幻想あるいは幻想的な現実があれば、所得とかに比例した幸福みたいな基準からはかなり解放される。そういうものなのだと思う。
 もう10年以上も前の話題になるのだが、当時は原理教やオウムからどう子供を奪回させるか、マインドコントロールを解くかという話が賑わっていた。私は、違うよ、そういう思い込みというか思想の問題ではない、コミュニティの問題なのだ…と説得した。そう、そんな相談にそう答えたことがあったなと思い出す。帰るべきコミュニティがなければ帰れないものだ。もともと擬似的にですら帰属するべきコミュニティをそこに見た人々は、なんというか、私には外人みたいなものだ。私の所属する社会とは関係ない幸せを持つ人々…。
 話がだいぶずっこけたが、子供の教育費を含め、幸福なりが可処分所得と消費に構造化された世界のなかでは、そこから落ちこぼれていく人がいるというのは、まさにその構造の特性なのだろう。で、終わり、という感じがする。そこを出るということは、マイルドであれそうした構造に対立するという意味でカルト的なコミュニティへの所属希求になるのだろう。が、それが上位の一般社会を覆うことはない。
 そして、たぶん、人は自分の死をリアルに観念するまで社会的なありかたと自分の人生とは違うものだ、という精神的な自立というのはない。
 なにも自立せよというような偉そうな話ではない。精神的な孤立などたいていの人はできない。それでも、人は現実的にはどういう状況であれ自分の死を受け入れるという意味でみな孤独に死んでいくものだ。
 なんか臭い言い方だが、そうした中で自分の生を繋ぐ幻想に過ぎないとしても、子供でもいたらなぁという幻想はたぶん、かなり、社会依存よりも強固なものとしてあるようには思う。まぁ、家族ってやつですか。希望的に言えば、というか、今の私の生活感からすれば、都市部では、静かにそういう家族を大切に生き始めている人々が弱く社会正義を支えているように思う。それがメディアから、つまり、消費社会の側から可視になる契機があるのだろうか、よくわからない。

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2005.01.11

国連ヴォルカー調査が発表された

 イラク石油食糧交換プログラム国連不正疑惑についてのヴォルカー調査が10日付けで発表された。この問題をワッチしてきた人間にとって驚くべき新事実は含まれていない。予想どおりとも言える。つまり、不正疑惑の解明にはなっていない。
 しかし、ヴォルカーを任命したのは国連トップのアナンであることから、イラク石油食糧交換プログラムについて国連に重大な不手際があったことを国連自身が認めた形にはなった。問題が存在することは歴史に刻むべく明白になった(問題の全容はわからないが)。つまり、それが今回の事件なのだ。英語圏の各主要ニュースを処理したGoogle Newsでは昨日から現在にかけてこのニュースを国際面でのトップ2位で扱っている。
 が、日本では、かろうじて毎日新聞でベタ記事が出ただけのように見える。本来なら今朝の新聞各紙は社説でこの問題を扱うべきだろう。NHKも触れるべきだろう。扱いは明日になるのだろうか。なぜそんなに遅れる。
 八つ当たりのようだが、ホームページやブログなどで、米国の不正を暴くみたいなことをやっている人も、イラク石油食糧交換プログラム国連不正疑惑を扱ってきただろうか。イラク戦争は大義なき戦争だという人も、その審判者の不正を看過してどうするというのだ。と、しかし、すでにそうした次元の問題は終わっているのである。そう、問題はすでに変質している。
 とはいえ、まず、毎日新聞ニュース"イラク不正疑惑:石油と食料交換プログラム、ずさん管理"(参照)から、ニュースの確認をしよう。


国連経済制裁下のイラクで、人道支援を担った「石油と食料の交換プログラム」に絡む不正疑惑を調べている独立調査委員会(委員長、ボルカー前米連邦制度理事会議長)は10日、国連の内部監査結果を公表した。

 国連高官の不正などの証拠は含まれていないものの、同プログラムを監督していた「イラク・プログラム」事務所が水増し請求などずさんな運営を見過ごしていた実態が明らかになり、同委員会は「国連の内部監査では適切な監督が行われず、勧告も無視されてきた」などと指摘した。


 ほとんどベタ記事だし、また今回の報告では国連不正の全容が明かになったわけではないが、端的に言えば、イラク制裁は国連の不正によって骨抜きにされていたというのがその意味だ。そこがはっきりとは記事に書かれていない。それどころか、「米国の共和党勢力などを中心に国連批判が改めて強まりそうだ」とか「今回の内部監査公表は米議会などの不満を沈静化する狙いもあるとみられる」など、政治面での影響についてコメントが付いているだけだ。
 スマトラ沖地震津波支援でも国内報道は、米国の単独主義かとミスリードし、数日後に米国も国際協調に流れを変えた、などと言っているが、流れを見る限り、アナンの首をつないだ時点で国連と米国政府のお手打ちは済んでいるのである。籠絡されたと見ていいのではないか。むしろ、そのほうがなんぼか米国の危険性が増すと警戒したほうがいいくらいだ。
 英米圏でのこの問題に対する状況はGoogle Newsを見てもいいし、大抵のメディアでまだトップに近いニュースになっているのだが、典型はニューヨークタイムズ記事"Panel Reports Lapses in Oil-for-Food Program"(参照)だろう。
 まず、これがスキャンダルだという点をしっかりとらえておく。

The release of the confidential documents shows with new depth the loose financial controls over the sprawling program, which has become a major scandal at the United Nations.

 次に、毎日新聞の記事では「国連高官の不正などの証拠は含まれていないものの」とぼかしてたが、ニューヨークタイムズなどはもう少し問題の含みを厳しくとらえている。

While neither the audits nor the accompanying briefing paper from the commission contain allegations of bribery or corruption by United Nations officials, the audits make clear that many of the deficiencies were known in the late 1990's, at a time when indications of corruption of the program by Saddam Hussein and others were also reaching the United Nations.

 この不正はフセイン統治と深く関わっていたと見ていい。この記事では今回のヴォルカー報告が予定より早く提出されたことの裏への示唆やクルドへの示唆も多少あるが、当面重要なのは、ヴォルカーが結果的にフカシたな、というあたりだ。このあたりは、VOA"Oil-for-Food Audits Reveal UN Mismanagement"(参照)がすっきり書いている。

In an interview with the New York Times newspaper last week, Mr. Volcker said the first part of his investigation, into possible wrongdoing by U.N. staff, had not turned up any clear evidence of criminal activity.

 つまり、ヴォルカーは不正解明にはタッチしないよということだ。参照されているニューヨークタイムズ記事は"Volcker Highlights Smuggling Over Oil-for-Food in Iraq Inquiry"(参照)だろうか(AP系なので)。すでに無料閲覧はできないようなので、"Volcker Highlights Smuggling, Over Oil-for-Food in Iraq Inquiry "(参照)を参照されたい。

Mr. Volcker, a former United States Federal Reserve chairman, said there was a lot of confusion between money from smuggling and money obtained illegally under the now-defunct oil-for-food program, and he refused to give any estimates. "The big figures that you see in the press, which are sometimes labeled oil-for-food - the big figures are smuggling, which took place before the oil-for-food program started and it continued while the oil-for-food program was in place," he said, according to a transcript obtained Monday by The Associated Press.

 これ以上ヴォルカーを責めてもしかたないようにも思うし、ようするにそのあたりのお手打ちが米国と国連の間だでできていると見たほうがいい。早々に"米ハリバートン、イランの大規模ガス田開発に参加か"(参照)といったニュースが出てくるのも芳しすぎるようにも思うが。
 さて、この流れで、月末のフェイクなイラク選挙で一定のケリが付くのだろうかというあたりで、当方のちょっと胡散臭いスジの読みを書いておきたい。あまり楽しい陰謀論というほどでもないが。
 イラク戦争のいわゆる大義の問題はある程度米国としてもわかっていて突っ込んでしまった面はあるだろう。ブレアもわかっていたのではないか。なぜあの時点なのかという点はわかりづらいし、結果としてIAEAが正しいとしても、その後のIAEAを見てもわかるようにIAEA自体もきな臭い政治的な意図を持つ。ただ、いずれ、国連が審判者ではなかったことから、イラクの石油が国際的な石油市場を揺るがす可能性はあった。これにユーロ決済の問題がどれだけからむのかは陰謀論めいた感じがするものの、日本としてみれば、のほほんと繁栄していられるのは石油が市場を通じて提供されるからで、現在中国が奮闘中の、国際ルール無視の石油調達が主流になれば日本は一巻の終わりである。とすれば、イラク戦は結果として日本の死活問題だった。
 多極化世界とは名ばかりであり、イラクを籠絡していたフランスやロシアなどによる、石油市場の混乱要素がこれで是正されるとしても、それは結局のところOPEC体制の立て直しでしかない。だが、イラクを正常な市場に奪還する米国は、結果としてOPEC解体を志向せざるをえなくなるはずだった。単純な話、現在世界では石油はなんといってもサウジからじゃぶじゃぶ出しているから統制が可能だが、イラクから非OPECの石油がじゃぶじゃぶ出ていいものだったのか。それが仮に米国統制下に置かれたと見えてもだ。
 というのは、いずれこうした統制はかつてのメジャーが無力化されたのと同じ経過を辿るはずだ。このシナリオは、もうあまりに過ぎ去ったことになるのかもしれないのだが、米国のサウジ離れの国策とも関連していたはずだ。
 だが、昨年後半から投機の名目というかシカケで原油が高騰した。無鉄砲な高騰はすでに鎮静したし、中国でも現状は市場から石油を調達しないといけないから、ある程度の高値留まりはしかたないだろう。いすれにせよ、これはサウジを利した。ちょうど米ドルの下落補正であるかのような具合なのが笑っていいのかよくわからない。
 イラクが非OPECの流れの本流となる可能性は減った。イラク戦後の混乱で随分と遅れたからだ。おかげでサウジは大笑いだし、それを結局、ブッシュ王朝が支えていたのだろうかとも思える。と、たいした陰謀論ではないにせよ。
 話が国連疑惑から逸れたようだが、国連はこうした愉快な世界に組み込まれていくことになるだろうか。それで済むものなのだろうか。世界はテロとの戦いとかいうストーリーで覆われているが、むしろこの愉快な世界を不愉快と見る勢力との戦いなのではないか。

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2005.01.10

[書評]雷のち晴れ(アレクサンドル・パノフ)

 書評という話ではないが、結果的に書評的になるかもしれないこともあり、エントリ・タイトルはこうしておく。

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雷のち晴れ
日露外交
七年間の真実
 話の枕に昨日の朝日新聞社説"日本とロシア――この空回りをいつまで"(参照)を借りる。この朝日新聞社説では、このところの日露関係のまずさを嘆いているのだが、なんとも奇妙な話に思えた。彼らの言い分はこうだ。

 ボタンの掛け違いがいっきに表面化したのは昨年の秋だ。小泉首相が現職首相として初めて船上から北方領土を視察した。領土問題を政権後半の課題として内外に印象づけようという狙いだった。
 ところが、これがロシア側の反発を招く。なにせチェチェン独立派による旅客機爆破や学校占拠事件のさなかだ。プーチン政権にすれば、領土保全の決意を見せなければならない時に、日本があえて神経を逆なでしたというわけだ。
 11月になると、こんどはプーチン氏が歯舞、色丹両島の返還で領土問題を決着させるべきだと表明し、それが日本側をいらだたせることになった。

 ロシアが反発するとしても、北方領土はもともと日本が自己領土だと見なす地域でありあの程度の視察を問題視することはないだろう。プーチンの言明に日本が苛立つというのも、わからない。ロシアとしては中国との国境問題を解決したのだから、次は日本を進めていくだけではないのか。
 朝日新聞は、中国の口調を真似てか、日本とロシアを見下したような解決をほのめかす。

 ではどうしたらいいのか。日本側は、日ロ関係全体を拡大する中で領土問題を打開していくという、明確な戦略と腹構えを持つことだ。4島の帰属の確認をロシアに求めるにしても、思いついたように口にするだけでは、時の政権の人気取りだと見透かされる。
 一方、プーチン氏の主張はあまりに筋が通らない。その2島返還論は1956年の日ソ共同宣言に基づくものだが、彼は国後、択捉の帰属問題の解決にも触れた4年前のイルクーツク声明に署名している。難しい国内事情は分かるが、そうした身勝手は、プーチン政権への国際的な批判をさらに誘うだけだろう。

 朝日新聞の提言とは逆に、領土問題については、日本はソ連崩壊後、「明確な戦略と腹構え」を持つべく努力してきた。結果的に十分ではない面もあったにせよ、これが頓挫したのは、日本側の要因ではなかったか。2003年まで駐日ロシア大使を勤めた知日派のアレクサンドル・パノフの手記「雷のち晴れ―日露外交七年間の真実」を読むとそう思えてくる。友好の努力のなかで領土問題を解決しようとした日本国内の一派が、別の日本国内の勢力によって駆逐されたようすが伺えるからだ。パノフはこう考えるに至る。

 日本には領土問題が解決されない方がよいと考えている勢力が存在する。私そう判断している。こうした勢力は、ロシアに関係するものには、すべて「生来的に、毛嫌いし、信用せず、眉唾の態度で臨む」という基本的立場に立ち、「領土問題を未解決のままにしておけば、それが日ロ二国関係の一種の”調整弁”として利用できる」と考えているのではないかと推測される。

 この問題は複雑でパノフの見解だけが正しいとは言えないにせよ、それでもこうした経緯をふまえてから朝日新聞も言及すべきだろう。そうでなければ朝日新聞も結果的に偏向に荷担することになる。
 しかし、こうした話はそれほど問題ではない。問題なのは、朝日新聞社説で言及されている所謂二島返還論だ。端的に言って、朝日新聞はどうしろというのか。二島返還論は正しいと言っているのか。正しいけれど筋が通らないというのだろうか。イルクーツク声明と日ソ共同宣言は矛盾するというのだろうか。つまり、四島返還論が正しく、プーチンが領土に固着するロシア国内事情に配慮しすぎるのはよくない、というのか。曖昧だ。
 朝日新聞が韜晦になるのは、「日ソ共同宣言が正当であり、まず二島返還論がある」という認識があるのに関わらず、日本国内の空気に配慮してはっきり言えないということなのだろう。だから、中国外交風に、上っ面のお為ごかしの友好をせいというのだ。
 この問題にもう少し立ち入るのだが、日ソ共同宣言とイルクーツク声明はどういう関係になっているのだろうか。声明文の関連箇所はこうだ。

 一、五六年の日ソ共同宣言が両国間の外交関係の回復後の平和条約締結に関する交渉プロセスの出発点を設定した基本的な法的文書であることを確認した。
 一、その上で、九三年の東京宣言に基づき、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を解決することにより、平和条約を締結し、もって両国間の関係を完全に正常化するため、今後の交渉を促進することで合意した。
 一、相互に受け入れ可能な解決に達することを目的として、交渉を活発化させ、平和条約締結に向けた前進の具体的な方向性をあり得べき最も早い時点で決定することで合意した。
 一、平和条約の早期締結のための環境を整備することを目的とする、択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島をめぐる協力を継続することを確認した。

 まずイルクーツク声明で重要なのは、日ソ共同宣言が有効であることが確認されたことだ。よって、自動的に色丹島と歯舞群島は日本に返還される。これは既決事項となった。だとすれば、だからプーチンはそれを実行しようじゃないかと言っているだけのことだとわかる。実に単純なことだ。
hana 問題は、択捉島と国後島だが、これについては協議を継続しましょうということだけで、日ソ共同宣言とそれに付属する色丹島と歯舞群島の返還とは別の話だ。二島返還論が正しいというのではないが、まず最初に二島返還ありき、そして、残りの二島はそれから協議しましょうというだけのことに思える。
 なのに、四島返還がなければ平和条約がないとか、四島返還を言明しないプーチンを責める世論とはなんなのだろうか。そもそも二島返還論とはなんなのだろうか。先の書籍でパノフは興味深い言明をしている。

 さらに付け加えるならば、平和条約の交渉プロセスに関与していた、鈴木代議士、東郷和彦、佐藤優、さらにはその他の日本の外交官達のだれ一人として、ロシア外交官との個人的雑談を含め、いかなるとき、いかなる場でも、歯舞、色丹二島の対日返還だけで領土問題を解決できるというような発言をしたことは一度もない。このことを私は一点の曇りもなく断言することができる。

 二島返還論というのは一種の情報操作なのではないか。
 もっとも、日本としては、地図を見ればわかるように、歯舞、色丹二島を返還されても実質的な意味が薄いことはわかる。それでも、そこにこそ今後の外交努力がある。
 実際のこところ、パノフも指摘しているように、北方領土に関連してかなり大規模な密漁の問題が絡んでいる。

 ところで、ロ日間の貿易事業で、きわめて大規模で、しかも、その参加者に巨額の利益をもたらしている「合弁事業」が一つだけある。この「合弁事業」は、ロシア、日本のいずれにも登記されておらず、その事業内容について何の報告も行わず、さらには税金もいっさい払っていない。
 それは、南クリール諸島の密漁である。

 南クリール諸島とは日本が求めている四島を指す。問題は解決すべきであるがスターリンでもなければ簡単に解決はできない。パノフは本書では四島の現状については触れていないが、先日ラジオで聞いた話では、こうだった。歯舞には人は住んでいない。色丹は、人口は四千人ほどで、北海道東方沖地震でコンビナートの9割が倒壊し、日本の人道支援が頼みになっている。国後は色丹同様。択捉の人口は七千人で、他島の1.7倍の収入を持つ。大学進学率も七割。繁栄しているかに見えるのは、十四年前に設立された水産会社が好調なためで、行政は同社の税収が頼み。また住民の二割が同社に就業している。
 事実上、四島返還とは択捉の問題だろうし、密漁の構造的な問題に加え、一万人ほどの住人と水産会社の対応をどううまく政治・外交的に解決していくかということになるのだろう。
 北方領土の問題はこのくらいとして、先の朝日新聞社説だといかにも日本は対露外交がまずいという印象をぶちまけているが、国際的には逆だ。顕著なのはフィナンシャルタイムズ社説"Diplomatic coup for Japan as Russia picks"(参照)だ。

Russia will by May draw up detailed plans for the financing and construction of an estimated $11.5bn oil pipeline to the Pacific following a decision over the new year to adopt a Japanese-proposed route over one that would have favoured China.

The long-expected decision to build the pipeline from eastern Siberia to the Pacific, from where oil can easily be transported to Japan, will be seen as a diplomatic victory for Tokyo over Beijing.


 れいのパイプライン問題で、フィナンシャルタイムズは、日本は対露外交において中国に勝ったと賞讃している。この話は、先のパノフが日本人に向けて話していたユーモアを思い出させる。

「通常は、日本を代表して皆さんがモスクワにいらっしゃるとき、何をおいても最初におっしゃるのが北方領土と決まっていたのですが、今日この頃は、最優先テーマは石油パイプラインにかわったようですね」

 パイプラインが日本側に決定され背景にパノフの手腕が働いていかについては、今回の本では触れられていない。しかし、今回の決定は、日本外交の勝利というだけではなく、ロシアからの親日本の強いメッセージが込められると理解してもいいだろう。とすれば、それを日本は表面的であれ受け止めるべきだろう。

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2005.01.09

ヒーローものゲームの攻撃性、そんなのどうでもいいじゃないですか

 たるい話題だが、読売新聞"ヒーローものゲーム、子供の攻撃性高める可能性"(参照)を読んで思ったことを少し書いておきたい。話は、標題のように、ヒーローものゲームをやっていると子供の攻撃性が増長されるというのである。心理学的にそうなのだという話で、また、ゲーム脳ですか、とも当初思ったのだが、研究の中心者はお茶の水女子大の坂元章教授であり、彼はゲーム脳にはどちらかというと批判的だ。
 記事を追う。


 6校の児童592人についての調査結果を分析すると、知的だったり、見た目がかっこよかったり、魅力的な特徴を持つ主人公が登場し、攻撃するゲームでよく遊んでいた児童は、1年後に「敵意」が上昇していた。「ひどいことをした悪者に報復する」という、暴力を正当化するゲームでよく遊んでいた児童も同様に「敵意」が高くなっていた。
 これに対して、攻撃回数が多い、たくさんの人を攻撃するなど、暴力描写の程度が高いゲームで遊んでいる児童の場合は、研究チームの予想とは反対に、むしろ攻撃性が低下していた。
 この結果を坂元教授は「かっこいい正義の味方だと、プレーヤーが自己同一視しやすいため」と分析している。

 記事を読んだときの最初の私の印象は、それで何が悪い?というものだった。この印象は、ふと考え直すと、ちょっと複雑なのだが、自分の子供時代の記憶も深く関係している。
 以前に書いたし、みっともない話だが、私は小学生低学年のときは、居住区の関係から友だちに排除され、それゆえにいじめられっ子だった。成績も凡庸だったのだが、四年生あたりからクラストップに自然になった。と、その変容とともに「ブリキの太鼓」ではないが、内心の奥深くで「やられたらやり返すからな、私の忍耐の限界を越えさせたら殺してやるかな」と決意した。たぶん、その殺気のようなものが周囲に伝わり身を守ったのかもしれない。いじめられっ子ではなくなった。そして孤独に生きるしかないとも思った。ま、そんなところだが、ある種の子供には、そういう敵意のアイデンティが必要なのではないか。それは悪いことかね、と思う。問題は、それを暴発させない大人の体制の側にあるのではないか。
cover
テレビゲームと
子どもの心
 話をこの調査に戻す。調査によると、暴力シーンがいけないのではなく、暴力を正当化することがいけないのだということらしい。なんとなくだが、この手の話が別の国際政治みたいな文脈に移ったら萎えるなと思うのだが、正義とは、単純に言えば、そんなものではないのか。私がザルカウイを殺せる立場にあれば殺しますよ、と。ま、現実にはそういう設定はあり得ないし、プロセスも複雑だけど、本質はそういうことだ。
 別の言い方をすれば、市民を政治的に去勢化する傾向には賛成したくもない。ウクライナ選挙については私は民主化推進派に嫌悪を覚えたが、それでも、民主化というのはあのくらい暴力的なものだということは了解している。
 話がおちゃらけてきたのだが、現実問題として、そういうヒーローものゲームはどうするかということになれば、それほど気にすることではないのではないかと思う。別の言い方をすれば、一般的な暴力表現の規制だけでいいのではないか。
 話はずれるが、私は今回シリーズは退散したが、この数年平成仮面ライダーをよく見ていた。恥ずかしいことに解説本まで買って読んでいるのだが、クウガ、アギト、龍騎、ファイズには、作り手の側では、どうやったら正義のヒーローが解体できるか、怪人たちの運命的な悲しみのようなものが表現できるかということが腐心されていた。クウガの場合は、グロンギは意味のない悪意の世界の表象として描かれていたが、それでも最終の敵ダグバはクウガの究極形態と同一としてクウガの側の暴力もきちんとオダギリの生身の痛みとして表現されていた。正義の暴力とはあんなものだという主張はわかりやすかった(参照)。
cover
金城哲男
ウルトラマン島唄
 他の平成仮面ライダー・シリーズはさらに複雑だし、語るにオタクみたいだから控えるが、TVなどの作成側ではヒーローは正義の暴力みたいなのは表現として成り立たない時代になっている。というか、ある程度まで日本社会のなかで心が成熟すればそうならざるをえないだろう。この傾向は金城哲男などが描いた初代ウルトラマンですらそういう設定だった。
 むしろ、正義を不可能にする閉塞感が、社会無意識を介して、単純でわかりやすい怪物への欲望に変化しているのかもしれないし、その欲望する主体は、むしろ、ヒーローゲームを忌避する社会正義の感性ではないのかと皮肉に思う。もっとも、今回の調査でも、ヒーローゲームとヒーローものの物語は違うとされているし、実際違うのだから、あまり話を混乱させることもあるまい。
 少し話題が逸れるが、子供のメディアと暴力について、英国で先日奇妙な調査結果が出た。ニュースの話としては、伝統的な童謡の持つ暴力性は、暴力的なテレビ番組よりひどい、というものだ。「グリム童話より怖いマザーグースって残酷」ではないが、マザーグースなどを指していると理解していいのだろう。ロイター"Nursery rhymes have more violence than kids TV "(参照)ではこうだ。

LONDON (Reuters) - Children's nursery rhymes contain ten times more violence than British television shows broadcast before the country's 9 p.m. "watershed" after which more adult content can be shown, research published on Thursday said.

"You would hear about 10 times more violence if you listened to an hour of nursery rhymes than if you watched television for an hour before 9 o'clock on an average day," said Dr Adam Fox of St Mary's Hospital in London.


 テレビよりも童謡のほうが10倍も暴力性に富むというのだ。このニュースは発表当時はけっこう話題になったが、所詮はネタというだけ。実際のところ、童謡などは現代世界では摩滅していくのだし、社会問題とはならない。ゲームみたいに産業と結びついてもいないので、研究者の「うまー」もない。
 このニュースは私も忘却していたのだが、ふと気になって、オリジナル論文に当たってみた。概容は公開されている。"Could nursery rhymes cause violent behaviour? A comparison with television viewing"(参照)。結論は意外なほど落ち着いていた。

Conclusions: Although we do not advocate exposure for anyone to violent scenes or stimuli, childhood violence is not a new phenomenon. Whether visual violence and imagined violence have the same effect is likely to depend on the age of the child and the effectiveness of the storyteller. Re-interpretation of the ancient problem of childhood and youth violence through modern eyes is difficult, and laying the blame solely on television viewing is simplistic and may divert attention from vastly more complex societal problems.
【意訳】
結論: 子供と限らず人は暴力的な映像や刺激に晒され続けるべきではないのは当然として、子供の暴力性というのはけして現代的な問題ではない。映像的な暴力と空想的な暴力は区別されることなく同質のものであるが、その影響は子供の年齢や提供者の能力にもよって異なる。幼児や青少年の暴力という古来からの問題を現代的な視点で見ることは難しい。暴力シーンが含まれるテレビ番組を見ることだけ非難して済む問題ではないし、そんなことをすれば、もっと幅広く複雑化した社会問題に眼を背けることになる。

 まったくな、である。
 ということで、同じ結論を繰り返すのだが、こういう研究が無意味だとは思わないが、ヒーローものゲームにレイティングだの、特別に配慮した査定が必要だのと考えることは、子供の置かれた日本社会の問題状況から気をそらすことにしかならないだろう。

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