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2005.05.14

[書評]戦国武将の養生訓(山崎光夫)

 「戦国武将の養生訓」が面白かった。標題はハズしているとも思わないが、そこから受ける印象と内容は少し違う。内容は、曲直瀬道三の「養生誹諧」と「黄素妙論」の現代解釈である。特に、やはり、「黄素妙論」が面白い。

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戦国武将の養生訓
 本書にも説明があるが、曲直瀬道三(1507~1594)は、安土桃山時代の医者で名は正盛。金・元時代の李朱医学を修め、京都に医学舎啓迪院を設立し、正親町天皇から翠竹院の号を受けるほど名声を得た。足利義輝や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にも厚遇された。日本漢方では後世方派の巨人である。もっとも、近代日本漢方は吉益東洞らの、ある意味即物的な古医方派が主流になったと私は見ている。と、いうような話は抜きにしても、曲直瀬道三は興味深い日本史上の傑物である。
 標題の養生訓は「養生誹諧」を貝原益軒の著書に模したものだろう。近代日本では常に各種養生訓が話題となる。日本に本格的にミシェル・フーコーの思想を受け止めた人がいたら、この分野の考古学的な研究に着手するのではないか。でもないか。
 本書には「黄素妙論」が全訳で掲載されている。原典は、京都大学附属図書館所蔵 マイクロフィルム版富士川文庫『黄素妙論』(参照)で公開されているので、そちらを直接読まれてもいいだろう、とか言いたいが、その際は、現代日本人だと、私も愛用している「おさらい古文書の基礎―文例と語彙」が必要だろう。
 「戦国武将の養生訓」に含まれる、現代語訳「黄素妙論」だが、冒頭でも書いたが、これは現代人にも面白いものだろう。若い栗先生でも得るところがあるにちがいない。「黄素妙論」は知る人ぞ知るこの分野の名作で、日本最古の医書「医心方」巻二八房内に匹敵するとされている。のだが、私は未学にして「医心方」巻二八の原典を読んだことも実践したこともない。というか、ちょっとこのこってりした感じはあれだなとか思っていた。しかし、比較するに「黄素妙論」は、その点とても和風というか、あっさりとしている印象を受けた。史学的には、「医心方」は隋・唐の医書であり、「黄素妙論」の散失原典「素女妙論」は明代の医書なので、そうした原典の差もあるのかもしれない。
 じっくり読んでみてしみじみ思ったのだが、「黄素妙論」は実践的でもある。さすがに九勢之要術の魚接勢や鶴交勢というのはやったこともないしやる気もないが、他はふむふむそこが要点だったかとか思い至ることは多い。
 なにより、読後、不覚に思ったのは「八深六浅」を誤解していたことだ。なんてこったと思うがこのあたり(参照)でも間違っているので、普通そんなものか。というわけで、本書には正しい「八深六浅」の解説がある、というか、これが日本史的には事実上の原典なのだろう。なお、些細なことかもしれないが、「八深六浅」のカウント単位「息」だが、訳出した山崎はそのまま呼吸と解している。「寸」が通常の寸と違うだろうように(日本人で八寸はありえないのでは)、「息」もそのまま呼吸するには、実践的には遅すぎないかとも思う。もちろん、このあたりの数字表現は一種のゲマトリア(参照)でもあるのだろう。と、洒落のめすこともなく、九勢それぞれに適切な「息」配分がしてある点が重要だ。他、各勢については、女性からのコメントもありそうだが、そのあたりこの手の一般的な禁則でもあるが「どう?どんなかんじだった?」とか訊けるものでもない。杉本彩さんのように、この分野に関心を持ち、知性のある女性のブログにキ・ボ・ン・ヌ。
 言葉遣いも面白い。あれこれの呼称というのは、ある種、言葉による歴史のタイムカプセルとも言えるもので、まことに興味が尽きない。玉茎玉門は言うに及ばずだが、「男子わかくさかんなる時玉茎しばしばおゆるにまかせ」の「おゆる」は山崎は「お生ゆる」としているが、当時の表現であろう(多分、公家か)。「赤珠」について、「古代中国における玉門関係の一表現」とのみ解があるが、ずばりあれでしょとも思うが、「琴弦」のほうをあれに当てて解している。このあたり微妙なるものがありそうにも思うが、文脈はそれぞれ、「男子其しりゑにひざまづき即玉茎をさし入れて赤珠をたたき…」、「女の手にて玉茎をにきり玉門にあて琴弦にのぞましめ、うるほい生ずる時、ふかくさしいれ…」とあり、そうかなとも思う。
 現代でも応用可能かと思えるのも興ではあるが、「黄素妙論」は広義には養生法であり、健康指南書でもある。これは仙術全体にも言えることなのでどうということでもないのだが、気になるのは、そうした道教的なものではない側面だ。これついては、「黄素妙論」は松永弾正久秀に与えた物として現代に残っている点が重要だろう。
 山崎は本書を弾正に与えたとする奥付から次のように考えている。

 花押があるのは、あたかも茶道の家元が弟子に免許を授ける「印可状」的な性格をもっている。

 山崎は「黄素妙論」の実践それ自体を美学としてはみていない。が、私はこの理解と実践には茶道のような一種の美学的な側面もあったのかもしれないと考えている。弾正といえば、下剋上時代の典型的な人物と見られるが、信長との茶道具の確執からもわかるように、当代一の審美者でもあった。
 茶道と「黄素妙論」的世界というと、川端康成の「千羽鶴」が連想されるが、この小説はどっちかというと、「雉を食べ卵を食べる(コンモッコ・アルモッコ)」的だが、魚接勢などを見ると、いわゆる夫婦和合というものでもないようだ。
 とはいえ、広義には「黄素妙論」は養生法であり、これに従ったであろう曲直瀬道三は八四歳という当時としては超長寿であった。しかし、晩年は切支丹に入信している。回心したのかもしれない。

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2005.05.13

斎藤昭彦さん拘束の背景

 斎藤昭彦さんがイラクで武装勢力に拘束されたとするニュースに関連して、私は専門ではないが、簡単にPMC(Private Military Company)について触れておきたい。なお、冒頭から余談めくが、斎藤昭彦さんについてだが、英文のAPニュースなどと比べると、事実認識のレベルは同じでも英米系の報道の陰翳は国内とは違うものだなと思う。国内報道では日本人としての大衆心情を結果的に反映することがニュース・バリューになるのだろう。その線上には朝日新聞”「家族持ちたい」と除隊、拘束の斎藤さん 驚く元同僚”(参照)といった不確かな物語もニュースのように紛れ込む。
 イラク戦争と関連したPMCについては、毎日新聞記事”イラク邦人拘束:戦後担う民間軍人 復興に、治安に”(参照)や溜池通信vol.233”イラク戦争の再評価~PMCを中心に”(参照PDF)が読みやすい。極東ブログではこれまで幾つかのエントリにばらばらと書き散らしてきた(参照)。
 いつもなら簡単に基本部分だけまとめるのだが、今日は気になる点だけさらっとメモするに留めたい。
 イラク戦争では、この勢力が一万人から一万五千人程度と見られている。単純に割合で見ると、十人に一人となるが、彼らは高度なプロフェッショナルであり、米軍の内部の指揮にまで関与している。つまり、頭数を揃えたというものではない。
 仮に単独勢力と見れば、米国に次ぎ、しかも、英国(九千人弱)をしのぐ。これだけでもこの戦争が特徴付けられるとも言える。実際のところ、米国もこの勢力に依存しているとすら言え、昨日のイラク向けの関連予算七百六〇億ドルの三分の一がこれに充てられている。
 という点で、すでに、これはある種、通常のコモディティ化しているとも言えるし、マーケットも充分に機能しているようだ。これらを支えている背景は、皮肉にも冷戦後の各国の武力ニーズの縮小であったようだ。つまり、視点を変えれば、大量雇用が新規マーケットにシフトしただけと言えないこともない。
 イラク戦争ではこの勢力は当然ながら米国防総省下におかれるのだが、雇用面では英国が多いらしい。なぜ英国かというのは規制が緩やかというのもあるが、コモンウェルスの広がり、つまりこうした点で数世紀に渡るグローバル化のノウハウがあるからなのだろう。
 今回の斎藤さん関連の報道で、あまり指摘されていないように思えるのだが、戦時国際法的にはこれらの勢力は戦闘員とは見なされない。よって、それらが享受すべき権利も存在しない。死者が出た場合でもカウントされない。なので、その数は大きいだろうと吹く人もいるようだが、ざっと見た感じでは、それ以外と比較して極めて少ないようでもある。やはり、プロフェッショナルということなのだろう。
 朝日新聞社説など日本国内では、あらためてイラクの治安の悪さがこれによって明らかになったみたいに吹かれるが、実際は、暫定政府の要請で斎藤さんらが事実上の丸腰にされていることの要因のほうが大きいだろう。今回の襲撃は計画的であり、直接的な力配分からみてもことが発生してしまえば対応は事実上不可能だっただろう。
 あと、いくつか気になることもある。例えば、現在進行中の米国勢力の活動や、イラク内の複雑な抗争だ。が、それはそれとして、メモ書きすると、なんとなく日本ではこうした勢力を悪のようにみなしがちだが、不確かな情報ではあるが、自衛隊を事実上守ってきたのもこの勢力だし、イラクの最低限のライフラインを守ってきたのも彼らのようだ。しかも、実質的に解体されたスンニ派の組織を友好的に再組織していたのも彼らであったようだ。実態は、そう単純に割り切れるものでもない。

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2005.05.12

米国のヒスパニック層

 ホットな話題がないわけでもないが、個人的にこのところ米国のヒスパニック層 (hispanic) の状況について気になっているので、そんな話を。
 ヒスパニックは、メキシコなど中南米系米国人マイノリティで、スペイン語を母国語としている。当然ながら混血も多い。このヒスパニックの人口が大きく米国を変容させるまでに増加しつつある。象徴的なできごとと言えると思うのだが、アフリカ系米国人の人口を抜いた。
 現状については、簡素にまとめたAussie English Greeneryのサイトにある”ヒスパニック・レポート(3)”(参照)の引用で代えたい。


2003年1月に発表された米国商務省統計局の調発表によると、ヒスパニックの人口が全米人口の13%の3,700万人に達し、黒人の12.7%を抜いて米国最大のマイノリティー集団に浮かびあがりました。つまり、過去10年間に60%もヒスパニック人口が膨れ上がったことになります。

 別の統計では3900万人とも聞く。大雑把に言えば、米国の総人口が三億人であるのに対して、ヒスパニック人口が四千万人ということだろう。全体の一割を越える程度だとも言えるのだが、総人口に注目すれば、オーストラリアの総人口が二千万人であるのに比べると、その倍の人口でもある。ヒスパニックを購買力で見ると、メキシコ一国分に匹敵する。米国の消費市場には内部にもう一つメキシコを抱えているという印象も受ける。余談めくが、ヒスパニックが多いのはテキサス州だが、現在でこそテキサス州と呼ばれているが、この地域は1836年にメキシコから独立してから、十年ほどはテキサス共和国(参照)として独立国だった経緯がある。
 米国のヒスパニックにはいろいろな特徴があるが、ほぼ同数のアフリカ系米国人の人口と比べても顕著なのは、言語の問題だろう。アフリカ系米国人と限らず米国の移民は二世になるとたいていは英語を母国語とするのだが、ヒスパニックはスペイン語が保持される傾向があるようだ。
 米国の公用語というのを考えたことはないが、こうした現状、スペイン語が事実上の公用語となりつつある。先にヒスパニックの購買力に触れたが、市場でもスペイン語の市場というのもが事実上確立されつつある。はっきりとした統計を見たことはないのだが、ヒスパニックの消費行動の大半はこのスペイン語の市場に閉じているようだ。実際の商品においても、ヒスパニック志向が見られる。象徴的な例としては、ハーシーズもスパイスシーなキャンデーをヒスパニック向けに昨年から販売している(参照)。
 一般的にマイノリティというと収入が低い層と見られるし、統計上もそれを裏付けてはいるが、一部ヒスパニックでは高額所得者は増えつつあり、年収十万ドル層でみるとその増加率は白人系の米人の二倍にもなるらしい。
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分断される
アメリカ
 こうした動向が今後どういうふうに米国を変えていくのか気になる。「文明の衝突」で日本でも有名になったハンチントンだが、ヒスパニック問題について触れた「分断されるアメリカ」では、米国の文化的なアイデンティは、各種の移民を受け入れながらも、ナショナル・アイデンティティとしては、アングロサクソン的、プロテスタント的な文化・価値観を保持すべきだとしている。そうなれるものかどうかわからないし、それがアメリカという国を分断する問題となるのかもわからない。
 近いところで、前回の大統領選の結果から見れば、ヒスパニック層については、それほど目立った兆候を示すわけでもなかった。というか、それまでヒスパニックは民主党支持が多いと思われていたフシもあったが、共和党票も多かった。日本では大した理由もなく頭が悪そうなイメージを投げかけられるブッシュ大統領だが、彼は、スペイン語をしゃべる初の米国大統領と言われており、ヒスパニックの支持層も厚い。
 いずれにせよ、人口動態は国家の内在的な動向を決める最大の要因だろうし、このまま推移していけば、いずれ、他国のほうが遅れて米国というもののイメージを変えていくことになるようにも思う。

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2005.05.11

繊維問題についてのメモ

 日本のメディアから見えない国際的な問題でも英米メディアからはくっきり見えることが多いのだが、このところの中国関連の繊維問題はあまり見えてこないように思う。つまり、それは大した問題ではないのだよ、ということでもあるのかもしれないが、私の印象としてはなんか違う。なにか重要な変化が進行しつつあるようにも感じられる。とりあえず、考える手がかりとして少し書いてみる。
 繊維問題はすでに四月からEU関連で話題になっていた。経緯は「繊維ニュース」”対中セーフガード発動で/EUが指針を発表”(参照)を引用する。


 欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会(EC)は現地時間で6日、対中繊維セーフガード発動のための指針を制定、発表した。ECによると、EU加盟国および中国双方に明確性と透明性を与えるため、対中繊維セーフガード発動の要件や手続きを定めた。被害の調査に当たっては、EU加盟国だけでなく地中海沿岸の繊維品生産国の状況まで考慮に入れる。米国はすでにセーフガード発動のための調査に向かっており、EUも発動に向けて体制を整えたと言える。

 米国議会側では”米国:中国製繊維製品に対する輸入状況調査開始”(参照)といった動きがあるにはある。
 当の中国もこうした動向がわかってないわけではない。九日付け日本経済新聞”中国、欧米への繊維製品輸出額の伸び鈍化・1―3月”(参照)が伝えるように「欧米各国が中国製品に対する緊急輸入制限(セーフガード)発動を検討している影響がはっきりと出てきた格好だ」という傾向はある。他方、毎度の中国様のことだから、”WTO元事務局長、「中欧繊維製品の貿易摩擦は中国側の責任ではない」 ”(参照)といった日本人のように狭い心の民族性では笑えないような豪快なユーモアも披露してくださる。
 いずれにせよ、そうした、ある意味、よくある危ういバランスが続くのだが、たとえば一昨日の国内ニュースでふとこんなふうに顔をもたげるのは、多少違和感に近い印象を受ける。日本経済新聞”仏中、国連改革へ共通認識めざす・首脳会談で一致”(参照)など、標題を読むかぎり、国連改革ですかと受け取れるし、間違いでもないのだが、実態はこちらに比重がありそうに思える。

シラク仏大統領は9日夕(日本時間同夜)、モスクワ市内のホテルで胡錦濤中国国家主席と会談した。両首脳は日本が常任理事国入りを希望している国連改革問題で、共通認識をめざすことで一致した。大統領は中国から欧州連合(EU)への繊維製品の輸出が急増し、欧州繊維産業に打撃を与えている問題も取り上げ、懸念を伝えた。

 つまり、この会談の主眼は前半ではなく後半なのではないか。と、すれば、フランスと中国のトップでなんとかなる問題なのだろか。フランスは現在月末のEU憲法投票を控えていろいろ不安定な情勢にあるし、私の予想としては転けるでしょう、なのだが、仮にEU憲法問題を乗り切り、EUの頭にフランスが立ったとして、さて、この繊維問題が暗示する全体構造はなんとかなるものなだろうか。
 先の繊維ニュースでは問題をこう指摘していた。

この中国からの輸入は、EU諸国の繊維産業に厳しい競争を強いているだけでなく、繊維生産品の95%がEU市場に依存している地中海沿岸諸国(モロッコ、チュニジア、トルコなど)からの輸出にも脅威となっている。さらにバングラデシュなどの発展途上国からの対EU輸出にも後退を余儀なくさせているという。

 つまり、EU自体というより、EUの底辺を支える基盤に構造的な影響を与えていると言える。米国や欧州の中心部にしてみると安価な繊維の輸入は消費者のメリットすら言えるだろうし、実際のところ、こうした中心部では国家産業ではなく周辺への投資ということの関わりが大きい。話を少し飛ばすが最大の問題はこうした周辺域の雇用の構造に強い影響を与えることだろう。そこを媒介として、国家・政治的な運動に反映されることになる。
 最新の動向はどうだろうと、Google Newsを見ていたら、たまたまBangkok Post Wednesday 11 May 2005"Chinese textile tsunami hits Europe"(参照)という記事に出くわした。見出しだけ引用するが、雰囲気は伝わると思う。

There's pain in Spain and tension in other European countries as jobs and sales are lost

 やっかみで言うのではないが、こうした現象をウォーラステインやエマニュエルといった学者はどう捕らえ、どのような世界ビジョンを掲げているのか多少気になる。

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2005.05.10

蚕の話から雑想

 蚕の話から。特に今日蚕の話をする理由はないのだが、季節的には「掃き立て」(参照)である。大辞林をひいたら「養蚕で、孵化したばかりの毛蚕を、羽箒などを使って集め、新しい蚕座に移し広げること」と説明されていた。春の季語でもある。私はこの言葉にちょっと胸にきゅんと来る感じがする。
 養蚕業の農家は和紙に産み付けられた蚕卵を購入し、これを孵化させる。これを掃き立てとして、今時分、新聞紙を敷いた浅い竹籠に書き落とすのだが、要するに、こいつらは蚕の赤ちゃんである。だから、桑の若芽を細かく刻んだ芽桑を与える。最初に与える桑でもある。ここから蚕と桑との半年の生活が始まる。
 蚕のことが気になったのは、昨日だったか、ラジオで「インド養蚕普及強化計画」の話を聞いたせいもある。この計画は、名前のとおり、インドに日本が持つ高度な養蚕技術を移転しようとする計画だ。インド政府から要請があり、1990年代の始めから継続的に実施されていたらしい。
 ネットを覗くといくつか情報があった。少し古いが「JICA-事業事前評価表 インド 養蚕普及強化計画」(参照)ではこうまとめている。長いが興味深いので引用しておきたい。なお、多化性蚕とは年に三回以上卵から孵化する蚕、二化性蚕とは自然状態で年二回孵化する蚕だ。一般的には、二化性が高品質であり高級絹織物の縦糸に使われる。


 インドで生産される生糸の大部分は収量・品質の劣る多化性蚕(※1)または二化性蚕(※2)と多化性蚕の交雑種であり、品質の高い二化性生糸については、国内需要のほぼ全量を中国からの輸入に頼ってきた。インド国内における生糸生産量は増加傾向にある一方、生糸輸入も増加しており、1994/95年には国内生産の3分の1に迫り、国内蚕糸業を圧迫しつつあることことから、自給体制が急がれている(表1参照)。このような状況下、インド政府は、「国家養蚕開発計画」(1989/90~94/95)のなかで、二化性養蚕技術開発について我が国に協力を要請し、JICAはプロジェクト方式技術協力「二化性養蚕技術開発計画」(1991~1997)(以下「フェーズ1」)により、現地に適した蚕品種育成等の技術開発を行った。
 その後、インド政府は、フェーズ1で開発された技術をさらに農家レベルに定着させるための協力を我が国に要請した。そこで、フェーズ1で開発された技術成果を農家レベルで実用化する技術協力プロジェクト「二化性養蚕技術実用化促進計画」(以下「フェーズ2」)を1997年4月1日から5年間実施した。
 フェーズ2では、インドにおいて二化性養蚕が導入可能であることが実証され、かつ農家の所得向上等の成果が見られた。そこで、インド政府は、生糸生産の9割を占める南部3州(カルナタカ州、アンドラ・プラデシュ州、タミルナド州。表2参照。)において、これまで実証された養蚕技術を普及し、二化性生糸を2007年までに6,700トンに増産する計画を策定し、2001年1月、我が国に対しフェーズ3となるプロジェクト協力を要請した。

 単純に言えば日本の養蚕技術をインドに移転することで現地の養蚕業による収入アップを図るということだ。日本とインドとでは気候が違うのでそのあたりが気にもなるのだが、すでに15年という年月をかけているので問題もないだろうし、おそらくそうした活動を通した副次的な支援効果も大きいのだろうと思う。
 そういえば、東高円寺の駅前に昔、蚕糸試験場があった。現在は、蚕糸の森公園となっている。ちょっとネットを見たら、前身は明治四四(1911)年創設の原蚕種製造所だったらしい。ここに蚕糸試験場があったのは、この地域でも養蚕業が盛んだったからだ。以前は趣のある煉瓦の建物があったが、と思い出すに、最近はあの界隈は散歩もしていないな。また、この脇道沿いの蓮光寺にチャンドラ・ボーズの追悼がてら寄ってみようかとも思う(参照)。
 日本から養蚕が消えてもインドに移植されるのは日本人としてはなんだか嬉しいような気もする…と、なにも日本から養蚕が完全に消えたわけでもないのだろう。しかし、1998年に国産生糸の買い支え制度が撤廃され、事実上、産業としては壊滅した。資料をあたると、1993年に一万トン強もあった国産繭の生産量は、2003年には約七六〇トンとなり、生糸生産も同じく約四千トンから三百トンを割るまでになった。しかたがないといえばそうだろう。
 個人的には、養蚕とふれあってきた日本の歴史が消えるような寂しさを感じる。
 私の両親は信州人で、私も子供のころ母の生家でよく蚕と過ごした。その地では「おかいこさま」と呼ぶのである。繭を作り始めるころは、「びーどろ」とも呼んでいた。そのビードロを取り分ける手伝いなどもよくした。夏の夜だったが、蚕のいる部屋の隣で寝ていると、蚕が桑を喰う音が、しゃーっと水を流すように聞こえた。よく覚えている。思い出すと、自分がどうしようもなく日本人なのだなと感傷的にもなる。
 なので、私は、桑の木はよくわかる。どの土地に行っても、桑の木はさっと見つける。沖縄にも桑が多くて驚いた。土地の人に昔は養蚕をしていたのかとなんどか訊いたが、要領を得ない。どうも、その実が美味しくて植えているようでもあった。シーミー(清明)のおりなど、子供たちがよく口の中を赤くしていた。
 そういえば、そういうやつがいたなと思い出す。オハイオから来た、あの頃、自分と同年くらいの青年で、日本の民家を学ぶのだと言っていた。一度、民家周りがてらに一緒に田舎を散策したら、嬉々として桑の実を摘んでは、ほうばっていた。懐かしいらしい。たしかに、桑の実はマルベリー(mulberry)として米人にも馴染まれているものだろう。
 彼の名前は忘れた。なんで民家が気になるのかと訊いたら、大工になるのだと言う。なんで大工になるのかと訊いたら、イエス・キリストは大工だったからだと言う。ワケワカメ。ま、なんでもいいや。今頃、どんなおっさんになってどこで、どんな家を建てているのだろうか。

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2005.05.09

ドイツ終戦記念とヤルタ会議評価の行方

 昨日八日は、第二次世界大戦でドイツが無条件降伏してから六〇年目の記念日なので、ドイツ各地で記念行事が行われた。私は、もう少し荒れるだろうと予想していたが、先日の中国よろしく封じ込めが成功していた。日本国内の報道は軽かったように思うし、英米系の報道でも建前だけですごしていたように思えた。私は率直なところ、この歴史問題が孕むものが、このまま順調に推移していくとはあまり思っていない。
 ケーラー大統領はこの日、ベルリンの連邦議会で記念演説をした。のっけから些細なことだが、朝日新聞”ドイツ降伏60年 不戦誓う記念行事、極右はデモ準備”(参照)はこう伝えていた。


ケーラー大統領は連邦議会で記念演説し、「すべての犠牲者の冥福を祈りたい。それはドイツの犠牲者も含んでいる」と述べ、大統領として公式の場で初めて、ドイツの「被害」にも触れた。

 ケーラー大統領に「冥福」を祈らせるという朝日新聞の記事の日本語はどうなんだろうか。以前に書いた「極東ブログ: 「冥福」は祈らない」(参照)を思い出して変な感じがした。日経新聞”独大統領、独犠牲者の追悼を明言・終戦60周年で演説”(参照)ではこうだった。

大統領はナチスのユダヤ人虐殺などに恥と嫌悪感を表明する一方で、従来は強調を避けてきたドイツ人の犠牲者に対する哀悼を明言。

 こちらは「哀悼を明言」とある。些細なことなんだろうが、そして私なんぞが言えた義理でもないのだが、最近、新聞記者の書く日本語がとみに変だ。
 話を本筋に戻して、この件で気になることが二点ある。
 一つは、冒頭書いた封じ込めだ。読売新聞”終戦60周年、独大統領「自信取り戻せ」”(参照)ではこう伝えている。

 ベルリンではこの日、終戦を「(ナチス支配からの)解放」ととらえる政府や国民の多数派に反発し、極右の国家民主党(NPD)が3000人規模の糾弾集会を実施したが、左翼系市民約6000人の反対デモに遭い、予定していたデモ行進をあきらめて解散した。

 報道が錯綜しているが日経新聞ではこの阻止は警察による包囲だとしていた(参照)。
 いずれにせよ、日本人の感じからすれば、ドイツの極右勢力には困ったものだが、それでも良識派も勢力を持っていて好ましいということだろうか。先の朝日新聞の記事でもそうしたトーンは感じられる。
 私もそれに異論があるわけでもないが、あまり報道されないが、この極右勢力の根は旧東ドイツにある。ちょっと誇張した言い方になるが、これは東西ドイツ問題の現代的な表出でもあると考えている。
 と書くと、旧東ドイツの地域の民主化の遅れや経済格差のように日本では受け止められるかもしれないが、どうもそればかりではなさそうだ。現代日本人は、日本についても戦後の日本領土からものを考えがちだが、領土と国民の関係は陸続きの国家の場合は複雑になる。戦前のドイツの場合など、現行のドイツ領域外にいたドイツ人千五百万人くらいが結果的に退去となりその際かなりの死者が出ている。こうした問題は、現在のドイツの国策の建前からは加害者側扱いに分類されてしまい、当然、その怨嗟は社会にこもることになる。これらが直接的な極右に連結するともいえないが、外交的な外面より、イデオロギーを離れた社会学的な調査と国内での宥和の政策が必要になるように思う。
 二点目はこの宥和に関連する。先の日経新聞記事での表現が興味深い。

 大統領は「暴力行為や攻撃を受けたドイツのすべての犠牲者を悼む。すべての犠牲者を公平に追悼したいからだ」と述べた。捕虜や強制労働、連合軍兵士の乱暴などで犠牲となったドイツ人自身を「被害者」と扱う演説は異例。謝罪と和解を繰り返したドイツの戦後に一区切りを付け、国際社会で新たな地位と責任を負う意図を明確にした。

 後半は日経新聞記者の解釈がややきついようで、重要なのは、この「公平」だろう。これには旧東ドイツの問題を含んでいると思われる。
 話は少し飛ぶのだが、七日ラトビア訪問中のブッシュ米大統領はその地の講演でヤルタ会談を批判した。記事的にはCNN”米大統領、ソ連の東欧支配批判 ヤルタ会談の「誤り」認める”(参照)がわかりやすい。

ブッシュ大統領はさらに、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相、スターリン・ソ連首相が欧州の戦後処理を話し合った1945年2月のヤルタ会談を批判。会議は「小国の自由を犠牲にした」もので、その結果、欧州が分断され、中東欧の数百万人が共産主義支配下におかれたと厳しく批判した。

 この問題の外交的な部分については、ブログ”カワセミの世界情勢ブログ: 米国におけるヤルタ会談の評価”(参照)が手際よくまとめていた。確かに基本的な米国の外交戦略の方向性をよく表しているとしていいだろう。
 が、私はというと、この件については、複雑な印象を持つ。
 旧ソ連下の問題を蒸し返すとき、現行の東欧世界がつい想起されるが、これには先に触れたように旧東ドイツや戦前のドイツ人の問題も関係する。うまく表現できないのだが、米国のこのイデオロギーを仮に「世界における自由の拡大戦略」とした場合、それは違うだろうというか、それは蹉跌するだろうと私は考えている。

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2005.05.08

ラプサンスーチョンという紅茶の話

 このところ、きつい話の比率が多かったのか、アドセンス広告も配信されなくなった。広告自体はそれほどでもないが、なんか世間様からはずれているふうでもあるので、連休も最後だし、じゃ、紅茶の話その2でも。ちなみにその1は「紅茶の話」(参照)なんだけど、別に毎日新聞社説の少子化テーマみたいにシリーズ化するつもりはない。しかも、紅茶といっても、話は、ラプサンスーチョンだ。
 ラプサンスーチョンは紅茶好きな人ならとりあえず知っていると思う。ひたすら煙の匂いのする変な紅茶だ。正露丸の匂いと言ってもいい。なんでこんなもの飲むの?とびっくりするほどの紅茶。日本で売っているかなとネットを見たら、楽天などでもないわけでもない。リストを眺めてどのあたりがお薦めかとも思ったのだが、それ以前に、この紅茶、ダメな人は完璧にダメなので、関心ある人は、20gぐらいちょこっと買うほうがいい。紅茶専門店に行って、「ちょっと試してみたいので20gぐらいください」がいいだろう。
 ラプサンスーチョンは手元の「現代紅茶用語辞典」によるとこう説明されている。


ラプサンスーチョン Lapsang Souchong
 中国福建省崇安で生産された正山小種[セイザンショウシュ]紅茶。形状外観は粗いが、カップ水色[スイショク]は紅色で、こく味があり、松の煙香が強い特殊な紅茶。1840年のアヘン戦争の直後、中国社会は混乱し、崇安県の銘茶「武夷[ブイ]山の岩茶」の生産が激減したため、「にせ岩茶」が出回った。やがてイギリス市場で充分に発酵させた紅茶の需要が集中したため、揉捻[ジュウネン]、発酵、乾燥を終えたあとで、さらに茶葉を竹製の篩のなかに入れ、そのまま木の桟[サン]にツルして、その下で松柏の木を燃やして燻煙し、熱で再乾燥(中国独自の熱発酵)させた小種紅茶が、武夷岩茶の変形として誕生した。これがラプサンスーチョンである。1970年代には中国からのラプサンスーチョン輸出はピークを迎えたが、その後インド、セイロンの紅茶(イギリス帝国紅茶)の追い上げいあって、ついに破れ去った。

 と書き写しながら、ちょっとこの説明は違うのではないかと思うこともある。竹製の篩いで再乾燥するのは昔タイプの頂凍烏龍茶でも岩茶でも行うので、燻煙は当時はその副産物的なものではないか。陳年頂凍烏龍茶でも薫香が付く。が、大筋ではこの説明でいいだろう。ここからもわかるが、武夷山岩茶、つまり、日本でよく中国茶の分類で岩茶として中国茶商に乗せられて珍重されているのは、紅茶と同じ起源で、その意味では、中国茶と紅茶の違いというものはない、というか一種のカテゴリーエラーっぽい。ちなみに、武夷は紅茶好きな知っていると思うがボヘアである。
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茶の世界史
 このあたりの茶の歴史の話は名著「茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会」に詳しい。これは茶の歴史というより、中国近代化の歴史書としてもとても面白い内容を含んでいるので歴史好きは一読されたし、というかすでに読んでいるだろう。惜しむらくは筆者は茶自体には専門家ではないわけで、茶好きには隔靴掻痒の感もあるにはある。たとえば、ペコー(白毫)やコングー(工夫)、ヤングヘイソン(Young Hyson)などが、どのように西洋世界に定着していったかなどの説明があれば、「僕は日本茶のソムリエ―お茶で世界をつなぐ夢」の冒頭にあるようなChun Mee(珍眉)への誤解みたいなのもとけただろう。いずれにせよ、岩茶やラプサンスーチョン(正山小種の広東語的な英名)の歴史については同書にはない。
 と、まいどの文体になりそうだが、ものはためしラプサンスーチョンを飲んでみるのも面白いと思う。私はこのところ、なんとなく、寝る前に薄く淹れて飲むことが多い。タバコ(パイプタバコ)を吸わなくなって久しいが、この燻煙香は、パイプタバコの飛鳥の趣にもちょっと似ている。瞑目すると、鼻腔から脳に静かに野性的な、中年男の心の慰みのような香りが遠く呼びかけてくるふうでもある。英米人ではこれにもミルクを入れてしまう人もいる。
 紅茶としては、ラプサンスーチョンの変形というか、セイロン茶などのブレンドでロシアンキャラバンがある。これは自分でブレンドしてもよそうなものだが、私は他人のブレンドで飲む。セイロン紅茶の味わいの上にラプサンスーチョンの薫香が重なる。ラプサンスーチョンと比べてどっちが日本人に向くかといえば、ロシアンキャラバンのほうだろう。名前の由来は知らない。ロシア人がサモワールでこんな紅茶を淹れるとも思えない。
 

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