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2005.04.30

北朝鮮核化の新動向

 29日時事通信で”北朝鮮の核ミサイル、米攻撃可能=国防総省局長が議会証言”(参照)というニュースが流れた。話は、米国時間で29日、国防情報予算の公聴会で米国防総省ジャコビー国防情報局長が、北朝鮮にはすでに核弾頭をミサイルに搭載する能力があると証言したということだが、該当の時事では、標題のように「米攻撃可能」というのが浮き立つ。
 同種の報道は28日付けニューヨーク・タイムズ”U.S. Aide Sees Nuclear Arms Advance by North Korea”(参照)にあるが、少し控えめな表現になっている。


WASHINGTON, April 28 - The head of the Defense Intelligence Agency said Thursday that American intelligence agencies believed North Korea had mastered the technology for arming its missiles with nuclear warheads, an assessment that if correct, means the North could build weapons to threaten Japan and perhaps the western United States.

 これに対して、AP"DIA: N. Korea Can Arm Missile With Nuke"(参照)では次のように、米国には届かないこと、また搭載作業が完了しているかついて、言明はなかったとしている。

WASHINGTON Apr 29, 2005 - The Defense Intelligence Agency chief says North Korea is able to arm a missile with a nuclear weapon, but hasn't said whether it has done so or if such a missile could reach the United States.

 時事の該当記事はやや勇み足のようには思われる。
 国内大手新聞社では、読売新聞”北、弾道ミサイルに核搭載可能と米国防幹部”(参照)と日本経済新聞”北朝鮮、ミサイルへの核搭載も可能・米大統領が見解”(参照)を見かけた。あまり重視されているふうではない。
 欧米紙では、先週ウォール・ストリート・ジャーナルで報道された北朝鮮核実験準備のニュースと同様に重視されているようだ。話が少しこちらの問題に逸れるが、北朝鮮はすでに寧辺の原子炉の運転を停止しているが、これは、特に陰謀論というわけでもなく、使用済み核燃料の再処理から核爆弾用プルトニウム製造を意図していると言っていいだろう。29日付け朝日新聞社説”北朝鮮の核 「6者」に戻るしかない”(参照)も奇妙な文章だが要するにそれを認めているにもかかわらず、次のような奇妙なレトリックで外交駆け引きという話題への誘導を行っている。

 北朝鮮は2月の外務省声明で核兵器の保有を言明した。衝撃的な表明ではあったが、米国などの反応は比較的静かなものだった。
 北朝鮮がすでに1、2個の核を持っているかもしれないというのは織り込み済みだったし、脅されて動くのはうまくない。イラクや、同じく核疑惑が深刻になっているイランへの対応で手いっぱいだったという事情もあった。
 それならもうひとつ、危機の目盛りを上げよう。今回の原子炉停止には、そんな狙いも透けて見える。

 現状認識を除けば、この文章は変なレトリックだ。確かに北朝鮮の核兵器の保有の話は日米政府には衝撃的ではなかったが、今回の核爆弾用プルトニウム製造疑惑と核弾頭搭載ミサイルについては、米紙の報道の扱い見ても重視されている。もちろん、だからといって日本の社会がパニックを起こす必要もないのだが、朝日新聞が誘導したいような話のスジではない。
 話を冒頭の時事報道におけるジャコビー国防情報局長の証言に戻す。

ヒラリー・クリントン上院議員が、北朝鮮はミサイルへの核搭載が可能かと質問したのに答えたもので、ジャコビー局長は「それを行う能力があると見ている」と証言。同時に、米国を直撃できる二段式の大陸間弾道ミサイルを展開する能力についても、「北朝鮮の能力の範囲内だ」と語った。

 関連の話題は28日付ニューヨーク・タイムズ” Agency Says North Korea Able to Mount Warheads on Missiles ”(参照)などが詳しい。現状のままだと状況はかなり悪くなる。

But he appeared to be putting a final conclusion on a study the intelligence community has had under way for at least two years. In 2003, the United States warned South Korea and Japan that satellite imagery had identified an advanced nuclear testing site in a remote corner of North Korea where equipment had been set up to test conventional explosives that, when detonated, could compress a plutonium core and set off a compact nuclear explosion.

 少しくどいがワシントン・ポスト”Intel: N. Korea May Have Nuke-Missile”(参照)もひいておく。余談だが、引用中のClintonは、Hillary Rodham Clintonのことである。今後はまさにそうなっていくのだろう。

U.S. intelligence believes a two-stage Taepo Dong 2 could hit Alaska, Hawaii and perhaps parts of the West Coast. North Korea also has shorter-range missiles which, some officials have said, may be able to carry a nuclear warhead as far as Japan.

Clinton said Jacoby's testimony was "troubling beyond words."


 以上の話が直接的な背景というわけではないのだが、米ブッシュ大統領は北朝鮮について国連安全保障理事の決議について言及してきている。CNN”北朝鮮核問題、安保理論議の選択肢に言及、米大統領”(参照)を引用する。

ブッシュ米大統領は28日夜、ホワイトハウスで記者会見し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核開発問題で、日米中などの6者協議で「総意が得られれば」、経済制裁を議論する国連安全保障理事会に委ねる措置もある、と述べた。大統領自身が、安保理論議に触れたのは異例。北朝鮮が反発を強める可能性がある。

 おそらく日本人の感覚としては、こうしたニュースに対して、「またブッシュが」といった印象を持つことだろう。イラク戦争の際と同様に「ブッシュがまたふかしているな気をつけようぜ」といった感じでもあるだろう。あるいはミサイル防衛との絡みも連想される。先の日経新聞の記事でもこうあった。

同証言を受けて会見したブッシュ大統領は「金正日(北朝鮮労働党総書記)が(核ミサイルを)発射できるなら、米国がそれを迎撃できることが望ましい」と述べ、ミサイル防衛構想を推進する姿勢を強調した。

 しかし、欧米紙のニュースを追っていくと、ある意味でイラク戦争開戦の反省を踏まえたうえで今回このニュースを重視している印象も受ける。日本からそう見えないとすれば、こうしたニュースの累積がこれまで薄かったからではないか。例えばBBCが提供する北朝鮮核問題の経時的なまとめ”Timeline: North Korea nuclear crisis”(参照)を見れば、イラク開戦前の単発的な情報混乱とは異なる様相は見て取れるはずだ。
 現実の問題として、日本ではこの北朝鮮核搭載ミサイル可能性の問題をどう受け止めていいのかは難しい。社会パニックになることは避けたいし、頓珍漢な予想みたいのはしたいわけではないのだが、このまま北朝鮮を追いつめていけば、核実験を行うしかなくなるだろう。そうなってから、日本の世論なりの立て直しが可能かというと、よくわからない。ある程度関心をもつ人が、現状では、できるだけ細かくニュースを追っていく必要はあるだろう。

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2005.04.29

日本人の平均年間性交回数46回、既婚者のセックスレスは30%

 厚生労働科学研究班と日本家族計画協会が共同で実施した「第2回男女の生活と意識に関する調査」が最近発表された。なんとなく気になるテーマでもある。といって、オリジナルの報告書を読んだわけではなく、新聞報道からの二次情報なので以下の話は事実レベルで間違いがあるかもしれない。
 読売新聞”既婚の10代―40代、3割セックスレス”(参照)ではこの調査結果を次のように総括している。


 結婚している10代から40代の日本人男女の約3割が、最近1か月以上性交渉がなく、セックスレス傾向にあることが、厚生労働科学研究班などの調査でわかった。

 十代と四十代を一緒にしてしまうのは大雑把過ぎるので、ネットを探すと毎日新聞の「Dr.北村 ただ今診察中」という連載の”第51話 セックスレス傾向が一段と進む”(参照)にやや詳しい話があった。ここでは、日常的にセックスが行われる環境にあると思われる人々を対象に、セックスレス群(31.2%)と、セックスレスではない群(54.9%)に分け、セックスレス群を次のように特徴付けている。括弧内前者がセックスレス群の比率、後者がセックスレスではない群の比率。

  1. 初めて付き合った異性と今も付き合っている(15.6%:22.6%)
  2. セックスに対して「とても関心がある」(6.8%:14.0%)
  3. 異性と関わることを面倒だと感じている(44.1%:30.9%)
  4. 初交時のセックスに対して「かなり重大なことだと感じていた」(54.8%:44.9%)
  5. 一年を超えるほどに長期間にわたってセックスから遠ざかっている(19.2%:0%)
  6. 避妊することや避妊法について相手とよく相談して決めている(30.5%:45.9%)

 これを見てどう思うか? 私にはさっぱりわからない。単純な話、何かの要因が、セックスレス群とセックスレスではない群を分けているとしても、その要因となるべきものが皆目見当が付かない。この特徴とされているものは、それらの属性のように見える。
 これについて、同記事ではこう総括しているのだが、これも納得もできない。

異性とのコミュニケーションを図ることに消極的であるとか、セックスに対して前向きな姿勢を持つことができないと、セックスレス傾向が強まる可能性の高いことが示唆されます。

 さらに、コラム記事ということもありこういうオチが付く。

 男女間のコミュニケーション・スキルをどう高めていくか。このあたりがセックスレスの解消と少子化からの脱却への近道ではないかと結ぶのは乱暴でしょうか。

 そりゃ乱暴でしょう。でも、読売新聞の記事も同じ。

 日本家族計画協会の北村邦夫常務理事は「行政になじみにくいテーマかもしれないが、少子化対策としてセックスレスの問題にもっと真剣に取り組むべきではないか」と話している。

 ようするにセックス回数が少ないから、少子化だよと小一時間。と笑いを誘うが、それでも、デュレックス社が行った2004年の調査"Global Sex Survey 2004 results"(参照)では、世界平均は年間103回なのに対し、日本は46回と少ない。というか、平均からかなりはずれている。オリジナルデータから抜き出してみるとこんな感じ。

フランス 137回
ギリシア 133回
セルビア・モンテネグロ 131回
ハンガリー 131回
マケドニア 129回
ブルガリア 128回
イギリス 119回
ニュージーランド 114回
米国 111回
タイ 103回
スイス 103回
ドイツ 98回
フィンランド 98回
中国 90回
ベトナム 87回
インド 82回
台湾 79回
香港 79回
日本 46回

 フランスダントツ。オスマン帝国ってなんか独自な文化なのか。コモンウエルスもそうか。やるなぁ…はいいとして、日本だけがダントツに少なく。むしろ、こうした側面が日本国民というものを特徴付けているとしか読めない。それってなんだと考えていくうちに頭痛がしそうだ。わからない。
 直感的に思うのは統計が間違ってんじゃないの?だが、そうでもないのだろうか。こうした数値上は、日本人が性交に非常に消極的な国民ではあると言えるのだろう。
 なので、それに既婚者のセックスレスのネタをまぜて厚生労働科学研究班と日本家族計画協会が少子化みたいな問題に絡め、さらに、夫婦のコミュニケーションみたいな話に持っていくというお話もできそうではある。
 が、そういえば、先週まで週刊文春で三回シリーズで「中高年の性生活をまじめに考える」という特集をやっていて、一応全部読んだのだが、これも関連して気になった。
 率直に言うと、このシリーズの元になる調査というのがわけのわからないシロモノだったのだが、それでも、この調査では中高年だとセックスレスが55%とかある。基本的なところで統計にあまり信頼が置けそうにないのだが、大筋で言うなら、デュレックス社調査をさらに推し進めたような感じにはなっていた。気になるのは、この調査では、セックスレス夫婦でも中高年の場合は結婚の満足度が高いという結果にはなっていたことだ。そうなのだろうとも思うし、それの意味について、あるいは、やりまくりのグルーバル・スタンダードから見るとどういう像になるのだろうか。
 いずれにせよ、日本のこの分野の状況というのはそういうもので、なのでそれが日本の文化だと言えないこともない。だが、どうもこうした調査からは見えない重要な要素がありそうだと気になる。なんとなく思うこともあるのだが、そのあたりを書くとまずい雰囲気になるかもなので、別途なにか数値的に見える兆候があったら、また考えてみたい。

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2005.04.28

郵政民営化法案問題をできるだけシンプルに考えてみる

 郵政民営化を巡る問題をこの機に、できるだけシンプルに書いてみたい。
 抜本的な認識違いもあるだろうし、この問題は、賛否が明白に分かれるので、もしかするときつい批判を受けることになるかもしれない。
 27日、郵政民営化法案がようやく閣議決定され、国会提出となった。この問題は極東ブログでも以前にも扱ってきた。今回のエントリはこの流れの話というほどではないが、一応過去の主要なエントリは以下である。


 さて、何が問題なのか?
 問題は、郵政がこれまで行なってきた貯金と保険の二つの事業、つまり金融部門を政府から独立させるかどうか、その一点だけだ。郵便事業やネットワークといったことはどうでもよい。
 郵政の持つ金融部門が政府から切り離されないということは、事実上、総務省管轄下に置かれることになり、国債の担保とされている膨大な資金が金融庁の管轄外に置かれることになる。そんなことになれば、金利政策決済の安定性など原則的に不可能になり、そんな市場を世界が信頼するわけもない。であれば、それだけで単純に日本経済の死になると私は思う。そんなことも自民党与党の法案反対勢力はわからないのだろうか。
 自民党与党の法案反対勢力がやっていることは、すでに世間の空気からして郵政民営化の看板自体で争うことはできないので、オモテ向き民営化にしておきながら、この金融事業の実態は政府直轄とするための抜け穴作りである。
 反対勢力がしたいことは、ここに保持される三五〇兆円を支配だ。この金額は、国民の家計部門の四分の一を占め、規模としては四大メガバンクと大手保険会社の合算に相当する。
 今年に入ってから自民党と政府内でもめたのは、民営化を骨抜きにする抜け穴のでき具合だけだ。
 抜け穴はできたのだろうか?
 ここで、メディアの煙幕が立ち上る。抜け穴があるとする例としては今朝の読売新聞”改革の貫徹へ国会審議を尽くせ”(参照)がある。典型例なので引用したい。

 法案には、持ち株会社が保有する貯金と保険の金融2社の株式を、完全民営化までの移行期間中に完全処分することが盛り込まれた。
 ところが、合意文書は“抜け穴”を用意した。いったん市場で売られた金融2社の株式を、持ち株会社傘下の郵便や窓口網の両社が買い取ることを認める。持ち株会社が完全処分の義務を果たさなくてもペナルティーを科さない。
 抜け穴を活用すれば、金融2社は政府出資の持ち株会社の傘下にとどまり、政府の関与が続くことになる。経営上の様々なリスクも生じかねない。例えば、郵便会社が経営悪化に陥った場合、金融2社へ悪影響が及ぶ。利用者が貯金の引き出しに殺到すれば、金融不安を招く。
 抜け穴をふさぐ必要がある。

 これは煙幕だと私は思う。なぜなら、合意文書は法案ではないからだ。法案は玉虫色の性格を持ちながらも、明白な抜け穴はふさがれている。ここで小泉総理は、なかなかのグッジョブをしている。評価したい。
 煙幕ではないが、無責任な放言も目立つ。今朝の毎日新聞社説”郵政民営化法案 後は野となれ山となれか?”(参照)がそれだ。

10年後の姿さえ、当初、小泉首相や竹中平蔵経済財政・郵政民営化担当相が思い描いたものになるのか、保証の限りではない。

 それでは十年後を保証せよというのかと脊髄反射したくなるほど大人げない。この他、煙幕としては、今回の騒動はただの権力闘争の道具だとする話もあるがくだらない。
 以上、現状では、郵政民営化法案は日本の現状を考えるなら可能なかぎり健全に推移している。小泉がんばれと思う。
 あと一点。この点については、私も明確にわからないのだが、気になるので追記したい。
 郵政の金融部門が民営化されれば民業を圧迫する巨大銀行ができるだけだからいかんとする議論がある。この点は私はわからない。というのは、三五〇兆円というと巨大だが、この実態は民営化後も従来の国債維持のために旧勘定となり、事実上自由な運営はできない。むしろ、民営化は日本がこれまでやってきた国債の問題の内情を暴露するもっとも適切な契機となると思えるのだが。

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2005.04.27

アルメニア人虐殺から90年

 日本ではそれほど関心が寄せられなかったが、この24日、第一次世界大戦中、当時のオスマン・トルコ帝国領土内として起きたとされるアルメニア人虐殺事件から九〇周年の催しが世界各地で開催された。
 日本語で読める関連記事としては朝日新聞”アルメニア人虐殺から90年 パリなどで追悼の催し”(参照)があるがあまり詳しくない。アルメニアの首都エレバンでの追悼集会の模様は、英語だがCNN”Armenians mark Ottoman killings anniversary”(参照)も参照されるといいだろう。ハリウッドでの催しはAP”Armenian Americans march in Hollywood remembering mass killings”(参照)などが伝えている。

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アララトの聖母
 ハリウッドといえば映画だが、カナダ映画「アララトの聖母」を通して、初めてアルメニア人虐殺の史実を知ったという人も少なくはないだろう。と言いつつ、私もまだこの映画は見ていない。映画の題にもあるアララトは、旧約聖書でノアの箱船が洪水後に到達したアララト山を指している。アルメニアは古代からキリスト教と縁の深い土地柄でもあった。
 アルメニア人虐殺について、先の朝日新聞の記事では、次のように簡単にしか触れていない。もっとも、この点が現代的な問題ではある。

 アルメニア政府は、迫害による死者を150万人とし、トルコ政府に対して虐殺の認知と謝罪を求めている。だが、トルコ側は死者はずっと少なく、しかも通常の戦争の犠牲者だとして虐殺の事実を認めずにきた。

 Wikipediaには詳しい説明が「アルメニア人虐殺問題」(参照)の項目にある。

 19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり、オスマン帝国領内でアルメニア人に対する大規模な迫害が起こったことが知られている。これを「トルコ国家」によるアルメニア人の組織的虐殺であるとみなす人々は、この一連の事件をアルメニア人虐殺と呼んで非難している。
 二度の迫害のうち、一度目はアブデュルハミト2世専制期の1894年から1896年にかけて行われた迫害・襲撃、二度目のそれは第一次世界大戦中の1915年から1916年にかけて統一と進歩委員会(通称は統一派、いわゆる青年トルコ党)政権によって行われたアルメニア人の強制移住を指す。二度目の迫害では数百万人単位の犠牲者が出たと言われ、「アルメニア人虐殺」といえば狭く二度目のそれを言うことも多い。

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人間喜劇
 この強制移住の結果アルメニア人は世界に散らばることにもなった。「人間喜劇」の作者ウイリアム・サローヤン(William Saroyan:1908-1981)はその作品に暗示されるように米国二世だが、背景にはトルコの迫害の歴史があったようだ。他に私が親しんだアルメニア人というと、神秘家ゲオルギー・イワノヴィッチ・グルジェフ(Georges Ivanovitch Gurdjieff:1877?-1949)がいる。彼の出生には不明な点が多いが、その作品と思想からは明確にアルメニア文化が読みとれる。そういえば、私事だが、北部ギリシアの旅で数日ともにした同年代の米人もアルメニア人の子孫だと言っていたことを懐かしく思い出す。
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注目すべき
人々との出会い
 今回の国際的な催事に際しては、米国ブッシュ大統領もアルメニア人の主張をサポートするような異例とも言える声明を出していた。なぜかこの点だけ日本経済新聞”米大統領が有志同盟びいき?アルメニアの肩持つ発言”(参照)が伝えている。

 ブッシュ米大統領は24日、第1次世界大戦中のオスマン・トルコによるアルメニア人殺害事件から90周年を記念し声明を発表、同事件を「大量殺人」と表現した。「大量虐殺」だとするアルメニアと「戦争中の行為」とするトルコは隣国ながらいまだに外交関係がない。トルコ側の反発を招く可能性がある。

 記事ではさらに、今回のイラク戦争でトルコが米軍の基地使用を認めなかったことが背景だろうと推測しているのだが、湾岸戦争のおりのトルコに対する米国の恩義を考えるとあまり妥当だとも思われない。
 アルメニア人虐殺問題の関連で、トルコに対する対応が複雑なのはEU、つまりフランスも同じだ。昨年のEU会議で将来的にトルコをEU加盟とする道筋をつけたものの、フランスは、アルメニア人虐殺への謝罪要求、つまり、おフランス的な追加注文も出していた。
 現代トルコとしては、こうした歴史問題は、なにかと対応しづらいものでもあるだろう。日本も類似の問題を抱えていると言えないでもないので、こうした歴史問題にどう取り組むべきか考えさせられることがあるのでは……とも思うのだが。

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2005.04.26

JR福知山(宝塚)線脱線事故に思う

 昨日朝九時過ぎ、JR福知山線(愛称、宝塚線)で快速電車が脱線し、線路に連接するマンションに激突した。死者七〇名を越える大惨事となった。人の命は、「あしたに紅顔」と言うが夕べを見ない人もいる。救助が間に合わず亡くなったかたも少ないとは言えない。哀悼の意を表したい。
 事件について、私がオリジナルに持つ情報はない。日本国民が共有する歴史事件の一つの些細な記録として思うこと書いておきたい。

cover
事故付近地図
 なぜ起きたのか? あまりに理不尽な惨事にどうしてもそこに思いが集まるのはしかたがない。一日が過ぎて原因は依然不明だが、運行上の問題か、置き石された可能性の二つが宙ぶらりんの状態になっている。誘因としては、過密な運行、安全システムの問題、人材管理の問題、車体強度などがある。しかし、原因と誘因は別だ。今朝の新聞各紙の社説では、どうしても原因に切り込めないがゆえに誘因を原因であるかのように書かれていたものが目立った。
 私も原因はわからない。が、二点つ気になったことがある。
 一つは、「のり上がり脱線」の問題だ。「のり上がり脱線」は、カーブ地点の走行で車輪がレールにのり上がるよう力を受けて脱線することだ。ざっとネットを見ると、「車両の脱線」(参照)や「地下鉄脱線事故の真因を探る-  No.2 のり上がり脱線とは ? 」(参照)に解説がある。
 今回の事件では、私も気になって夜NHKのニュースなどを見たのだが、専門家からは「のり上がり脱線」というターム(術語)は聞かれなかった。文書化されたニュース情報でも見かけなかった。もちろん、私の見落としはあるだろうし、専門家の説明では、そういう術語を出さないだけで、その原理についてはふまえてのものだっただろうとは理解できる。
 専門家の解説には、このようなカーブが原因で脱線が起きるとすると今回のケースの地点ではないはずだというような指摘もあったので、そのあたりから、通常の「のり上がり脱線」ではないと判断されているものかもしれない。私としては、どちらかというと、「それはありえない」という前提で語られていた印象を受けた。今回のケースでは急ブレーキもかけているようなので、そうした状況での「のり上がり脱線」ということはないのだろうか。
 もう一つは、置き石の問題だ。報道からは、今回のケースでは置き石されていた可能性がかなり高い。だが、置き石が原因だと言えるかというとそこがよくわからない。恐らく小さな置き石であれば問題はないだろうし、ある程度の大きさなら弾くだろう。それ以上の大きさのものだっかについては現状では不明だ。
 いずれにせよ置き石であれば、人為的なものであることは間違いない。が、こうした人為的な置き石は、今回の報道では連鎖を恐れて報道が控えられているのかもしれないのだが、近年頻発している。これは少し過去のニュースを調べてもわかることだし、多少なりとも鉄道に関心を持つ人間なら常識化している。そうした頻発する置き石問題がいよいよ惨事となった可能性もある。
 陰謀論を捏造したいわけではないが、現場の地図を見ながら私が得た印象は、表現はよくないのだが、実に効果的なところに置かれている、というものだった。置き石をするにしてもその作業は電車通行間の三分ほどなので、いつか来るかわからぬ電車にイタズラをしたというタイプのものではない。仕組むならかなり意図的に仕組んだのだろうという思いが抜きがたい。この可能性は今後の連鎖があれば疑わしくなる。
 たまたまブログ「日々の独り言」のエントリ”大惨事の犯人?”(参照)で見かけたのだが、情報ソースはどの新聞はわからないのだが、この路線では最近不審者があったようでもある。

線路に人影? ダイヤ乱れる
 24日午前11時50分ごろ、JR神戸線の塚本駅(淀川区)と尼崎駅(兵庫県尼崎市)間を走っていた快速電車の車掌から「線路横を歩いていた人影とすれ違った」とJR西日本に連絡があった。

 今回の脱線事故の直接原因は置き石ではないのかもしれないが、置き石が事実であるなら、その人的な関連はより調査されてしかるべきだろうし、犯人が烏ということであればそれは一つの懸念される条件の対処にもなるだろう。
 以上、二点に加えるべきことはないのだが、「のり上がり脱線」の説明に、その可能性を高める指摘として、次のことがあり、気になる。

・レールや車輪の接触面に油が塗ってあって滑りやすいところでは起きにくく、逆にレールや車輪がザラザラしてすべりにくいところでは起きやすい。

 今回のケースでは置き石は粉砕されているのだが、その粉砕された置き石がこのざらつきを起こしているという複合性はないのだろうか。
 いずれにせよ、以上は素人考えに過ぎず、今後各種調査を踏まえて専門家からの解説がでるだろう。ただ、責任の擦り合いのような政治力学に専門家が巻き込まれなければいいのだが、という懸念はある。

追記同日
 本文に関連のニュースは共同にもあった。
”線路立ち入りで1万人影響 大阪 JR東海道線”(参照


 24日午前11時50分ごろ、大阪市淀川区のJR東海道線尼崎-塚本間で、網干発野洲行き快速電車の車掌が線路脇を歩いている黒い服を着た人影を発見、新大阪総合指令所に通報した。JR西日本は上下線で一時運転を見合わせた。

追記同日
 別所でご指摘していただいた情報から考え直すと、今回の事件は、速度オーバーと運転というだけで、ある程度予想された事態だったのかもしれない。

”在来線でかなりのスピードを出す区間”(参照


125 名前: 名無し野電車区 投稿日: 03/05/30 00:04 ID:0N0Q1I42
JR酉 宝塚線 北伊丹~塚口間 207系快速爆走 120㌔はかなり萌える!
宝塚駅AM7時16分発木津行き快速はラッシュで満員だがいつも1分遅れで出発
川西池田を出るとR171高架下までは83㌔ぐらいをキープ。そこを過ぎると
フルノッチ!一気に120㌔達成!北伊丹駅手前のカーブをそのままの速度で突っ込む
満員の車内が大きく揺れ車体がきしむ。で伊丹のジャスコが見えてきたらフルブレーキ。
線路はブレーキシューの粉で真っ黒(w)伊丹駅を出るとまたまたフルノッチ
稲野駅を115㌔ぐらいで通過(ホームの人は怖くないのか?)塚口までのストレート
を120㌔で爆走。塚口駅過ぎたポイント付近で70㌔制限のカーブまでフルブレーキ
尼崎駅に着いた時は何事も無かったかの様にクールにホームイン。207系マンセー!

”この区間の最高速度は?スレ”(参照

23 名前: 名無し。 投稿日: 01/10/13 22:01 ID:Jy9JKKWg
JR宝塚線川西池田ー塚口間。
一度207系が130㎞の手前まで出した事があった。


25 名前: 名無しでGO! 投稿日: 01/10/13 22:07 ID:nsL.vTno
 >>23 そのスピードで尼方面、塚口通過たら間違いなく、その先500メートルで 脱線する事うけあい。

追記(2005.4.29)
 その後の調査で、エントリで触れていた「のり上がり脱線」と「置き石説」は事実上否定された。

読売新聞”尼崎事故、特異な「転覆脱線」か…死者106人に”(参照


 過去の脱線は、運転ミスや踏切事故などを除くと、車輪とレールの間の摩擦がなんらかの原因で高まり、車輪がレールに接触しながら乗り越える「乗り上がり脱線」、または「せり上がり脱線」と呼ばれるケースが多い。2000年3月の営団地下鉄(現・東京メトロ)日比谷線の事故も乗り上がり脱線だったとされている。これら乗り上がり脱線では、左右のレールや、レール間の枕木に、車輪が乗り越えていった傷や痕跡が明確に残るのが特徴だ。
 ところが今回の事故現場を事故調が調べた結果、〈1〉右側の車輪がレールに残した傷跡が見当たらない〈2〉レール間の枕木やバラスト(敷石)上を右側車輪が走った痕跡がない〈3〉左側レールの頂部にも乗り上がり脱線特有の傷がない――ことが判明した。
 このため事故調は、今回の事故では、カーブ内側に当たる右側車輪が浮き上がり、レールや地面から離れたまま、先頭車両が左側に倒れ込み、軌道から逸脱した転覆脱線だったとの見方を強めている。

毎日新聞”尼崎脱線事故:レール付着は敷石 置き石原因説ほぼ消滅”(参照


 JR福知山線の脱線事故で、国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は28日、脱線現場のレール上に付着していた白い粉末についての分析結果を発表した。粉はいずれも、組成・成分が現場軌道内のバラスト(敷石)と一致。事故調はバラストの粉砕痕と断定し「脱線の原因とは考えにくい」とした。JR西日本が当初示唆した「置き石」が原因となった可能性は、ほぼなくなった。

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2005.04.25

「ゆとり教育」という言葉にこだわる

 22日文部科学省は、全国の小学生(五・六年)二一万人と中学生二四万人を対象にした教育課程実施状況調査(学力テスト)の結果を発表した。通称「ゆとり教育」と言われる、2002年度開始の新学習指導要領の定着度として見ると、まずまずの成果だ。いや、これはかなりよい結果が出た。前回と同一問題では43%も正答率が高く、ごく一部の教科を除くと全体で前回よりもよい。学習意欲も学習時間も増加した。ということは、ゆとり教育でよかったのである。それ以外の結論がどうでるのかわからない。
 だが、すでに文部科学省では昨年末、学力低下が進行しているとかで、ゆとり教育の見直しに着手している。なにやってんだかという感じだ。暫定的であれ、少なくともこうした結論が出ている以上、もうしばらく現状を継続していくべきなのではないか。
 新聞社説などを見ると、「そうは言っても」論が多い。なぜそこまで文科省の方向に口裏を合わせるのかよくわからない。23日付け朝日新聞社説”学力調査 「考える力」が心配だ”(参照)では次のようにめちゃくちゃな不平を言っている。


 学力調査は、教える内容や指導方法をさらに良いものにするためのものだ。文科省は成果を強調するよりも、むしろ問題点に目を向けた方がいい。
 調査では、朝食をとり、登校前に持ち物を確かめる子は成績がよい傾向がはっきりした。正しい生活習慣を身につけさせるのはまず家庭の仕事である。教育は学校だけが担うものではない。そのことも今回の調査は改めて教えてくれる。

 この戦前の訓話みたいなのが現在の朝日新聞の社説なのであるから苦笑してしまう。産経新聞と日本経済新聞がこれについて社説では触れてなかったように思うが、毎日新聞と読売新聞の社説も似たようなものだ。
 私自身の「そうは言っても」は中一のところで学力低下が目立つのが気になる。ここに断層があるのではないか。
 しかし、なんだかんだ言っても、すでに「学力低下防止!」みたいなスローガンというか空気は変わらず、奇妙な方向に日本の教育は迷走続けるのだろう。というか、近代以降迷走し続けているのでそれが常態でもある。
 ここでちょっと話の向きを変える。どうにも「ゆとり教育」という言葉が私にはしっくりこないのだ。「ニート」(参照)のときのように、なんかまた言葉で騙されているような気がする。というわけで、この機にちょっと調べてみたので、簡単にメモしておきたい。
 少し驚いたのだがWikipediaに「ゆとり教育」(参照)の項目があり、かなりしっかり書かれている印象を受ける。定義っぽいのはこんな感じだ。

ゆとり教育(ゆとりきょういく)とは、学習者に焦燥感を感じさせずに、学習者自身の多様な能力を伸張させることをめざす教育のことである。

 が、この定義がなに由来するのかわからない。経緯についてはこうある。

1976年(昭和51年)、加熱する受験戦争や、学校教育が知識を偏重し過ぎた詰め込み教育であるなどの批判(落ちこぼれ問題など)に対応する形で、文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会は、「昭和51年12月答申」において"ゆとりと充実"という表現を用いて学習内容の削減を提言した。

 この説明に誤りがあるとも思わないのだが、「ゆとり教育」という言葉の出所とその歴史に基づく解説はWikipediaのこの項目にはない。好意的に見るなら、昭和51年12月答申の「ゆとりと充実」という表現の省略形ということなのだろう。
 「ゆとり教育」というキーワードについて読売新聞で近年での初出を調べてみたら、”増える都内小中学校の空き教室 なんと1万室 有効利用の工夫も”(読売1988.9.4)という記事だった。

 さらに、空き教室をもっと高度に利用するため、二、三年前から、ほとんどの区市で利用方法の検討委員会を設けてチエを出し合っている。その結果、図書室と空き教室の境の壁を取り払って図書室を拡張したり、ゆとり教育を進めるため、ランチルームや和室に改造するなど、これまでにはない積極的な利用方法も増えてきている。

 これって単に空間的なゆとりという以上の意味合いはない。1980年代は「ゆとり教育」という言葉自体がまだ普及してなかったのではないか。
 あるいは、と思って記憶を辿ると「ゆとりある教育」だったか。それで1980年代の用例を見ると、”パソコン教育シンポジウムが開幕”(読売1987.11.25)があった。

 北海道から沖縄県まで全国の小、中、高校の教員や教育委員会関係者など約四百人が参加。来賓として出席した中島源太郎文相は、「文部省でも、臨教審の提案を受けて、情報メディアの利用について調査中。コンピューターの活用によるゆとりある教育の実現を期待する」とあいさつした。

 中島源太郎文相の発言なのだが、「コンピューターの活用によるゆとりある教育」という表現はイミフ(意味不明)と言う以外ない。この事例からも「ゆとりある教育」という言葉の現代的な意味はまだなかったようだ。
 やっぱし、なんか、変だ。
 ざっと過去の用例を見ていているく、1989年の新学習指導要領あたりから、「ゆとりある教育」という表現が現れ、それが省略されて「ゆとり教育」という表現に縮退したようでもある。”[ミニ時典]新学習指導要領”(読売1989.4.26)

学習指導要領は小・中学校、高校の教育課程の基準となるもので、教科書はこれに基づいて編集される。ほぼ10年間隔で見直されており、今回の改定は小・中学校が5回目、高校は4回目。前回(52年)の改定が、詰め込み教育を反省し、「ゆとりある教育」を重視したのに対し、新学習指導要領は、教育の国際化、個性化、文化と伝統の尊重などを強く打ち出しているのが特徴。これらを基調に具体的には、高校での世界史必修、中学校の英語の時間の増加、小学校低学年の生活科新設、入学式などでの「日の丸」掲揚や「君が代」斉唱の事実上の義務化などが盛り込まれている

 あらためて読み直すと、細かい点でふーんという感じがする。単純に教科の削減が進んだというわけではないのか。とすると、先のWikipediaの項目にあった次の指摘もあまり正確ではないなとも思う。

これ以降、学習内容の精選(のちに厳選)として各教科の指導内容が削減されていくとともに、中学校などでの「選択教科」の拡大、小学校などでの教科「生活」の新設、小学校から高等学校までの段階のすべてで「総合的な学習の時間」を新設するなど、よりきめ細やかな指導をするために各学校の教育課程に関する裁量権が拡大されてきている。

 話がちょっと錯綜してきたので、小休止的に推測をまとめると、どうやら、「ゆとり教育」という言葉は、現代の用例としては、1990年代以降に出てきたようだ。それでも、1990年代の初めはまだ定着してない。”教科書にも性差別が… セリのさし絵に男性だけが活躍 教研集会の発表から”(読売1991.1.27)だと、依然、現代とは違った用例が見られる。

また、「校門圧死事件」をきっかけに議論を呼んでいる“管理教育”に挑戦、一日に鳴らすチャイムを三回だけに減らしたユニークな試みも報告され、ゆとり教育に一石を投じた。

 この用例だと、「ゆとり教育」とは、授業をぼちぼちはじましょうかね的である。
 この20年間のこの言葉の用例を追っているうちに、現代の語義の「ゆとり教育」というのは、「詰め込み教育」の反意語として世間に定着していたようだなと思った。
 私が学生だったころ(1970年代)は、まだ「詰め込み教育」の慣性があり、これじゃいけない、詰め込みじゃいけない、ゆとりを…という「空気」だった。
 その観点から1980年代を眺めてみたら、ああ、そうだったよなと思い出した。”教育改革 読売新聞社世論調査 9月入学に国民感情の壁”(読売1987.3.9)がわかりやすい。引用が長いが、これが約20年前の「空気」だったのだ。

◆教師の質、詰め込み、偏差値… “体質”改善を要望◆
 国民の六割以上が学校教育に不満を抱いているが、どんな点に不満を感じ、改革が必要だと思っているか、いくつでも挙げてもらったところ、今回の調査での上位五位は、(1)「教師の質」42%(2)「詰め込み教育」38%(3)「いじめ」33%(4)「校内暴力・非行」32%(5)「偏差値教育」31%――となっている。
 六十年二月以降同じ質問(「いじめ」は六十一年から加えた)を繰り返しており、その変化をみると、前回一位の「いじめ」が23%減、同二位の「教師の質」が10%減、同三位の「校内暴力・非行」が15%減とそれぞれかなり減少している。「いじめ」や「校内暴力・非行」は、ここ二、三年社会問題化したが、さまざまの対策が打ち出され、かなり沈静化している状況を反映しているといえようか。「教師の質」は前回より減ったとはいえ、六十年調査を上回っており、国民の不満は根強い。
 こうした上位グループの減少傾向の中で、三回の調査を通じてほぼ一定して不満が多いのは、「詰め込み教育」や「偏差値教育」「道徳教育」などで、三割前後の人が挙げている。さらに、「詰め込み教育」や「偏差値教育」の原因ともなっている「大学入試」や「高校入試」に対する不満や改革を求める声は漸増しており、ことに「大学入試」では前回より5%増え20%になっている。
 この三回の調査を通じて、「教師の質」を含めて「詰め込み教育」「偏差値教育」、それに入試といったわが国の教育の“体質”にかかわる面では、国民の不満は一向に解消されていないことが読み取れる。

 いろいろ興味深いこともあるが、「詰め込み教育」に着目すると、問題は過度な競争となる大学入試が背景にあった。だから、当時は詰め込み教育をしていたのだ。しかし、少子化の人口動態から、大学入試も自然に緩和されることが予想されたので、「ゆとり」のシフトが始まったということだな。ついでに言うと、教師の仕事もゆとりという理由で私企業ならリストラだったものが看過されてきたのだろう。
 現在大学入試は有名校とそれ以外に分化し、後者はスルーで入れるようになってきている。つまり、所謂エリートにならなくてもいいなら、詰め込み教育はいらないのだし、所謂エリートになるなら詰め込み教育が必要だということになった。つまりはそういう世相がつい最近まで「ゆとり教育」という「空気」だったのだ。
 しかし、日本の経済活動の衰退とともに、そうして楽に入って楽に出た大学の卒業生が企業で使い物にならんとかなんとかかんとか小一時間で、この上「ゆとり教育」とやらだと全体の学力がどうたらとオヤジたちが言い出して、うっとうしい「空気」が醸されているいうことなのではないか。

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2005.04.24

ウイルスバスター(トレンドマイクロ)事件雑感

 昨日、コンピューターのセキュリティ(安全性)対策で有名なトレンドマイクロ社の人気ソフト「ウイルスバスター」の更新ファイルのバグ(不具合)のため、新聞各社を含め各企業でWindowsパソコンが動作不能状態になるという事件があった。トレンドマイクロ社へは企業や個人の利用者から七万件を超す問い合わせが殺到したという。昨日はインターネットの掲示板でもこの問題が話題となった。被害の全貌がわかるのは週明けのことになるかもしれない。
 セキュリティソフトがウイルス以上のトラブルを引き起こすということ自体洒落にもならないのだが、今回の事件で、同社の今後の対応が社会的な信頼を決めることになるだろう。その意味で、これからが重要なのかもしれない。ちなみに、このソフトの売り文句は「 ネットに潜む危険から、あなたを守るインターネットセキュリティソフト」だそうだ。
 事件については、すでに各種報道があり、私が独自に知っている情報もないので、以下ごく簡単に、黎明期からパソコンを使っている利用者として、雑感を書いておきたい。
 私はウイルスバスター(PC-cillin)を使っていない。なので被害はなかった。使っていない理由は、このソフトが評価できないからだ。パソコンに加える負荷と維持費を考えると自分にはメリットがないと思える。現状、インターネットにはルーターレベルでファイアウォールが入っているし、メールはテキストでしか受信しない。ブラウザーはブラクラ防御やアクティブ・エックスが自動ダウンロードしないように設定してある。これで完璧とはまるで思わないが、あとは時折、常駐ソフトや初期起動ソフト、トラッキング・クッキーなどを含めて、マシン(パソコン)の状態をチェックするようにしている。もっとも、ウイルス対応ソフトが無意味だと思わない。私も長くマッキントッシュ・ユーザーで、常にノートン先生を使っていた。
 今回のトラブルで私が一番驚いたのは、トレンドマイクロが提示する対処法だった。セーフモード起動しろというのだ。Windows95くらいから使っているパソコン利用者だとセーフモードのお世話になることが多かったので、その操作を知っているかもしれない。だが、現在のXPの利用者はどうだろうか。たぶん、無理なのではないか。簡単にパソコンのセキュリティが保持できるとしたのに、重要な局面で強面が出てくるという印象を受けた。
 それにしても、なぜこれほどまでに企業のパソコンにウイルスバスターが組み込まれていたのにかも驚いた。同社が企業対象のビジネスを展開していることもわかるが、率直に言うと、システムの管理者にしてみると、配下の利用者がトラブルを起こすのを避けたいがための、ご霊験あるお札のようになっていたのではないか。例えばお偉いさんが、「きみぃ、当社のパソコン・セキュリティは大丈夫かね」と言うなら、「全機にトレンドマイクロ社のなんたら…」と答えておくのが無難だ。なにも運営担当者を責めたいわけではないが、パソコンのイロハを教育することが実は現代では難しくなってきている。そういえば、以前は自動車に運転免許が必要なんだからパソコンにも免許があったほうがいいという議論もあったものだ。
 ニュース報道などでは、ウイルス対応に追われるセキュリティ会社はトラブルを起こしやすくなっていたといった指摘もあった。たしかに、今回の事件についていえば、フィリピンから配布された問題のアップデートは十分なテストもされていないことが明かになっており、同社としてもその失点は覆うべくもない。
 だが、私は、この分野へのプレッシャーとして、この四月から全面施行された個人情報保護法や企業の個人情報流出問題が「空気」として背後にあったのではないかと思う。実は、この機にウイルスバスターの仕様を読んで、「へぇ、ここまでやるのか」と驚いた。そして、その売りの大半は、以前のようなウイルス対応とは違ってきているのだなと思った。
 個人情報流出については、個々のケースでも明かだが、システム的な問題ではなく、人的なマネージメントの問題である。しかし、そうしたマネージメントが難しいという状況があるのだろう。
 最後に、ごく個別に。今回のトラブル原因は、今回の更新で追加されたウルトラプロテクト(Ultra Protect)と呼ぶ圧縮形式のファイルを検査する機能かとの説明がトレンドマイクロからあった。「Windows XP Service Pack2とWindows Server2003には、OSの一部としてUltra Protectを使ったファイルが標準で含まれており、それを発見したウイルスバスターが検査を試み、無限ループに陥る。結果としてCPU負荷が急増してしまう。」(参照)とのことだが、被害の状況を見ていると、日本版のWindows XP SP2に集中している。XP SP2周りの説明はそれでもいいが、なぜ日本版のWindowsなのだろうか。もし日本版だけのトラブルであれば、Windows側の技術も気になる。

追記(同日)
 トラブルは日本語版だけに限らないようだ。
 "So how was your Friday night? "(参照

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