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2005.04.09

米州開発銀行(IDB)総会はよくわからないのだが海外送金の実態は少しわかった

 米州開発銀行(IDB:The Inter American Development Bank)の年次総会がこの六日から沖縄県宜野湾市で開催されている(一二日まで)。IDBは南米諸国の経済支援を目的とした国際開発金融機関で、規模で見ると昨日のエントリで触れた世界銀行に次ぐ。なのでということもあってか皇太子もご臨席される。ま、そういうことだ。
 日本での総会開催は1991年の名古屋市以来一四年ぶり。でもなぜ沖縄で? 六日の朝日新聞記事”米州開発銀行年次総会、6日に沖縄で開幕”(参照)はこう説明している。


 IDBは、中南米諸国向けの融資や技術協力をする国際機関として59年に設立。日本は76年に加盟し、域外国ではトップの5%を出資する。中南米には沖縄からの移民や子孫が20万人を超える縁で、開催が決まった。

 とってつけたような理屈にも聞こえるが、私も沖縄で八年暮らしてそのつながりの深さはいろいろ実感することがあった。ペルーから来た、見るからにうちなーんちゅといった三世の女の子がたどたどしく沖縄アクセントの日本語を学んでいたを思い出す。ディアマンテスのアルベルト城間(参照)のバイト時代の話なども酒の席でよく聞いた。そうした経験はうまくまだ整理できない。
 なにかと「県では」と沖縄県の人は言うが、他の県でもそう言うのだろうか、よくわからないが、県では、今回の総会をサミット以来のお祭りに盛り上げたいのだろう。新報(琉球新報)の記事”IDB総裁が来県 きょうから公式セミナー 10日総会開幕”(参照)からもそんな感じが伝わる。が、県主催の金融特区セミナーは盛り下がっているようでもある。沖縄タイムス”IDB海外参加者 県想定下回る”(参照)のこの記事のトーンがとても懐かしい。

 県関係者は「もっと来ると期待していたが…。(特区セミナーの告知が)IDB側のホームページで遅れるなど、広報も十分ではなかった」と困惑。県幹部はセミナーで使ったレジュメを総会期間中、配布することも検討する。
 金融特区の活性化策を検討する沖縄金融専門家会議の関係者は、海外参加者が少ない要因について(1)海外の経済ジャーナリストの参加が少ない(2)主議題とする中南米の地域開発とセミナーのテーマが合わない―などの背景を指摘。「今後は証券化構想やプライベートバンキングに関心の高い欧米人をピンポイントで狙い、紹介する方法。今回のセミナーを第一歩に次にどうつなげるかが重要」と指摘している。

 非難ではないが、沖縄県ってまいどこんな感じでなんくるないさなか。いずれにせよ、今回のIDB総会の意義が私にはよくわからない。報道も十分に伝えてないようにも思える。
 私にわかったことは一つある。IDBと直接関係ないかもしれないが、この機に発表された中南米向け個人送金の実態だ。これまで明確にはわかっていなかった。共同”出稼ぎ送金、2900億円 対中南米、日本2位に”(参照)から引用する。

日本に暮らす中南米の出稼ぎ移民が昨年、本国の親族らに総額26億6500万ドル(約2900億円)を送金したと推計され、米国に次ぐ第2位の中南米向け個人送金大国になった。


2003年の日本の中南米に対する政府開発援助(ODA)総額約4億6390万ドルの約5・7倍に当たる巨大な額。米国でも中南米への送金額は320億ドルとODAを上回っており、身内の送金が本国の経済を支える実態がより鮮明になった。

 なんなんだろそれ、という感じがする。
 このあたりの話をもっとディープに知りたいなと思うが、よくわからない。
 それでもNHKで聞いた関連の話も面白かった。面白かったというのと違うかもしれないが、備忘のメモをしておく。
 まず、中南米から世界に出ている労働者の総数二千五百万人。その送金総額は五兆円。ほんとかというくらいでかい。うち、日本へは三十万人。大半は当然日系人。送金内訳は、ブラジルが二千四百億円、ペルーが四百億円。足してみるとわかるが、つまり、日本ではこの二国に絞られている。これを、約三千億円として見て、そして送金手数料が三パーセントとすると、その手数料業務だけで九十億円の市場。ま、そういう話。
 メモしてみて思うのだが、すでに都市銀とかはそういう実態を知っているわけだな。そして、ブラジルとペルーの国家にしてもここから外貨をもっと吸い上げたいのでいろいろ工夫もするだろう。というか、その工夫っていうか、規制を含めて、そのあたりが、IDBのメインの話し合いなのではないか。報道からはよく見えないのだが。
 ついでに、他の国から日本への出稼ぎの実態はどうなっているのだろうとも気になる。その送金の業務はどうなっているのだろうかとも。カネの流れているところになにかと社会の真実というもがあるが、でも、その情報というのはダークというかミスティというかそんな感じなのだろう。首を突っ込むと危険だろうなという印象はある。

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2005.04.08

世界銀行、世界開発金融2005、雑感

 世界銀行(世銀)の年刊報告書「世界開発金融2005(GDF:Global Development Finance)」が6日付けで発表された(参照)。といっても私は原文にざっと目を通しただけで、話の筋は別途”Developing Country Growth Is Fastest In Three Decades, But Global Imbalances Pose Risks”(参照)で理解した。これは日本語でも読むことができる(参照・PDF)。


ワシントン、2005 年4 月6 日 2004 年、世界経済は3.8%と、4 年ぶりの高い成長率を記録した。途上国の成長が高所得国をしのいだ上、一部の地域に偏ることなく、途上国地域すべてが過去10 年の平均を上回る成長率を達成した。しかし、こうした世界的な成長の勢いもすでにピークに達し、途上国の成長は、拡大する世界的不均衡(特に米国の経常赤字6660 億ドル)の調整に伴うリスクにさらされている、と世銀の年刊報告書「世界開発金融2005(Global Development Finance: GDF)」は指摘している。

 簡素にまとなっていてわかりやすい。今回の報告書の視点からは余談になるのだろうが、日本の今年度の経済成長率の予測は0.8%。前年の2.6%に比べるとがくんと落ちるので、せっかくの花見シーズンであるが、今年の日本経済はどよーんと暗いだろう。しかも、2006年度も1.9%とのことなので、短期的に見れば、現在のよどんだ世相がまだまだ続くかなという印象もある。ただ投機的なカネ余りはあるのでホリエモン騒動みたいな祭はあるかもしれない。
 今回の報告書で重要なのは次の点だろう。米国赤字が原因となるドル急落とそれに連動する世界的な金融危機だ。

「資金動員と脆弱性への対応」と題された同報告書は、米国の金融引き締めと金利引き上げが、途上国の力強い経済成長と共に、世界的不均衡を是正し、米国の経常赤字を削減し始めるという可能性を指摘している。ただし、このシナリオにはリスクが伴うとし、途上国に対しては、予想以上の利上げや予想を上回るドル安により市場心理が変化するのに備え脆弱性を軽減する必要があると提言している。


「金融危機が市場や政策担当者の意表を突く形で発生することは、過去の例が繰り返して示しているとおりだ」と、同報告書をまとめた世銀の開発予測グループの局長であるユリ・ダドゥーシュは述べた。「金融市場と政策担当者には、警告を見過ごしてつい行き過ぎる傾向があるため、実際に危機が発生した場合、より大規模な調整が必要となってしまう。途上国にとっては、過去2 年間に回復した資金フローを、世界的な状況がこれまでの明るさと安定性を欠いても、確保し続けられるかどうかが問題となる」

 この点については、同日のフィナンシャルタイムズ”World Bank warns on dollar 'risk' for poor ”(参照)がクリアに書いていた。

Developing countries that have amassed large US dollar reserves face a growing threat of big losses from a sudden decline in the dollar, the World Bank warned on Wednesday.

 ドルを貯め込んだ貧国は危ないよというわけだ。それはそうなんだろうが、気になるのはなんといっても中国のスタンスではある。が、世銀関連からはよく見えてこない。フィナンシャルタイムズも次のように言及するくらいだ。余談だが、FTではYUANじゃなくてrenminbiって言うのだね。

Asian countries are also reluctant to allow their currencies to appreciate against China's currency, which is pegged to the dollar. Many economists see a stronger renminbi as central to an adjustment in Asia towards more domestic-led growth and a reduction in global current imbalances. There are also concerns about rising protectionism, in the US, as a result of its record trade deficit.

 話はそのくらいだが、すわドル暴落かという話でもない。世銀としてもこれはただの報告であってなんらかの政治的な意図があるというものでもない。世銀総裁となるウォルフォウィッツと米国の緊密な関係はなんであれ必要とはいえるのだろう。
 アジア地域と世銀の関わりといえば、ラオスのダムやタイの政治動向とも関連する。これらは今年、ワッチしていく課題になるだろう。

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2005.04.07

三角合併恐怖は見当違いだったか

 三角合併と外資に関わること。まいど自分でわかってないことを書くなよでもあるのだが、それもブログってことかなと。
 三角合併について私が気になったのはホリエモン騒動の前からだ。その実施で日本はどうなるのだろうと案じていた。例えば、かつては事実上国家の一部に近かった日立なども外資に買収される可能性もあるのだろうとなんとなく思い、危機感のようなものを感じていた。ただ、なぜ危機感なのかというあたりにすっきりとしないひっかかりはあった。
 当ブログのホリエモン話の切り出しともなった「新年好! ホリエモン」(参照)のエントリで私はこう書いた。


TOBについては、現時点だと現金を動かせるやつが強い。が、来年になると通称三角合併(参照)、つまり外資による日本企業の乗っ取りが活性化する、というわけで、外資の課税とかなんかより大きな問題になるようにも思う…が、と、そのあたりはなんだかわくわくするようなマネーゲームか、クレヨンしんちゃんの「やればぁ」でもある。

 ふざけて書いたのは、単純な危機感ということでもないだろうなという思いもあったからだ。ここで参照としたのは読売新聞の「アット・マネー」”来年にも解禁 三角合併 ”だった。冒頭、こう説明している。


 外国企業が日本の子会社を通じて日本企業を買収する「三角合併」が2006年にも解禁される。株式時価総額の大きい欧米の有力企業が積極的に活用するケースなど、国境を越えたM&A(企業の合併・買収)の活発化が予想されるが、日本企業にとっては、敵対的買収からの防衛が重要な課題となりそうだ。

 これはそれほど外した説明でもないだろうし、普通にこうした解説を読めば、先に書いたような私の懸念のようなものにもつながるだろう。
 しかし、このホリエモン騒動のなかで、なーんか違うんでないか、という感じが強くなってきた。識者にしてみればなにを今更かもしれない。が、一つの大きなきっかけは、立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」(参照)だ。ふっきれない違和感の部分が誇張されているように見えた。特に”第五回 浮き彫りになったアメリカ金融資本“むしりとり”の構図”(参照)である。
 立花隆のこれ、なんなのだろう? 環境ホルモン騒ぎのときの立花隆を思えば、洒落だってばさ、で済むことかもしれないのだが、それでも、かなり変な感じがする。変というのは、なんというか、自分の愚かさを鏡で見ているようなこっ恥ずかしさでもあるのだが、きちんと反論なりができるわけでもない(無知だな私ということ)。
 昨晩このエントリを書き出した時点では、同サイトは”第7回 フジのお家騒動から浮かび上がる「因縁の構図」”までが掲載され、一旦は掲載された”第8回 フジを追われた鹿内家とSBI北尾CEOを結ぶ点と線”と”第9回 巨額の資金を動かしたライブドア堀江社長の「金脈と人脈」”という二回分が消えたままだった。私の操作ミスかと思ってGoogleデスクトップで調べたらキャッシュが並ぶので単純に非公開になったようだ。
 今朝見ると、この二回分は復活しており、さらに非公開についての弁明”連載第8回及び第9回の記事が再度公開になるまでの経緯について”(参照)が追加されていた。弁明は特にどってことはない。見方によってはブログと紙媒体の差の象徴的な出来事ともいえるかもしれない。なお、以前掲載されていた二回分については、よいことか悪いことか判断しかねるが、「ヒートの情報倉庫」”立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」1~9”(参照)で読むことができる。詳細の突き合わせはしていない。
 立花隆のこの連載で私が気になったのは、詳細の正否より、この外資の陰謀だみたいな展開や、ある種陰謀論的なところに出口を見いだそうとする思考のパターンのようなものだ。それは、とてもメカニカルな、陳腐なことなのかもしれない。私のブログなども、陰謀論と揶揄されることがある。そうならないように気を使っていてもうまくいかないのかもしれないし、そう見えるということもメタなメカニカルな枠組みがあるだけなのかもしれない。
 ひどく単純に言うなら、立花隆の、こうした外部からの陰謀論的な思考は、恐怖というもののリアクションへの違和感なのだろう。国家の外から恐い者がやってくる、みたいなパターンだ。黒船とも比喩される。そして、そこまで単純化するなら、さて、この件で、本当に日本に襲いかかるような恐怖というのはあるのだろうか?
 吉本隆明の「共同幻想論」がなぜか書架にないが、その他界論だったかで私が学んだことは(大ハズシかもしれないが)、この手の恐怖というのは共同体の内部に閉じさせようとする幻想の機能でもある。
 三角合併など外資の活動の実際はどうなるはずのものだったのだろうか。そうしたことをつらつら思っているおり、先週のニューズウィーク日本語版4・6に掲載されたスティーブン・ヴォーゲル、カリフォルニア大学バークレー校准教授のコラム「外資を困惑させるライブドア狂騒曲」が興味深かった。読みづらいコラムではあるが、会社の買収行為に過剰な防衛を張るのは間違いだとして、彼はこう続ける。

 そういう意味で、ライブドア騒動への自民党の反応は、企業買収という難題へのまちがった対処法の手本ともいえる。自民党は、外国企業が株式交換を用いて日本企業を買収する「三角合併」の解禁を一年遅らせることを了承したが。敵対的買収が激増するとの懸念から、企業に防衛策を整備する時間を与えた。
 この論理には、致命的な誤りがある。三角合併は敵対的買収ではなく、友好的な買収の手段だ。解禁延期は的はずれな措置としかいいようがない。

 類似の主張は同誌「ライブドア 和製黒船が挑む鎖国経済 ペリー来航以来、外圧でしか変われなかった日本に生まれた内なる圧力」にもある。ライブドアの件では、外資が日本の放送会社を買収することなどありえないことだとしてこう続ける。

 それでも自民党は、ライブドアの一件を口実に、商法改正に盛り込むはずだった株式交換方式による外資系企業の日本企業買収の解禁を延期した。皮肉なのは、株式交換の解禁は、敵対的買収とはまったく関係ないことだ。「法律を読めばわかる」と、日本でM&AのアドバイスをするJTPコープのニコラス・ベネシュ社長は言う。「株式交換のスキームは本質的に友好的なものだ」

 そういうものなのかと無知な私は考える。だが、そうであっても私の無知ばかりでもないかもしれない。こんな話もある。3日付の朝日新聞記事”「堀江社長への十分な抑止力」SBI北尾氏、本紙に語る”(参照)だ。SBIの北尾へのインタビュー記事である。

 また、国内における敵対的買収について「銀行が株を売り、安定株主がいない今の危機的な状況で、敵対的買収の防御に法制度がついていっていない」と指摘。「外資はどんどん動いていて、うちにもたくさん話が入ってくる。このままじゃ手遅れになる。政治家と行政の怠慢だ」と強調した。

 もちろん、このインタビューだけで北尾って何?と思うまでもないし、三角合併を直接指しているわけでもない。でも、これって、すごく違うんじゃないのか。
 さてと考える。こうした問題を素人はどうとらえたらいいのか。というか、素人/玄人と切り分けると逆に話は混乱するかもしれない。どこかに常識的な、簡素な基準がないだろうか。
 私の当面の結論は、会社と株主の関係が健全なら、外資がどうのという問題はありえない、というか、それは問題にすらならない、ということだ。とりあえず、そういう視点を基準にしておく。

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2005.04.06

衛星ラジオとiPodの未来

 衛星ラジオが熱い…というノリはこのブログ向きではない。私はラジオ・オタクに近いが業界のワッチャーでもない。でも昨日ニューヨーク・タイムズに"Satellite Radio Takes Off, Altering the Airwaves"(参照)の記事には少し驚いた。標題を試訳すると「衛星ラジオがブレイク、放送の世界を変える」だろうか。米国での衛星ラジオの普及がメディアの状況を変えつつある。


The announcement on Friday by XM Satellite Radio - the bigger of the two satellite radio companies - that it added more than 540,000 subscribers from January through March pushed the industry's customer total past five million after fewer than three and a half years of operation.

 この四半期だけで、二つの有料衛星ラジオに54万人が加入したというのだ。

Total subscribers at XM and its competitor, Sirius Satellite Radio, will probably surpass eight million by the end of year, making satellite radio one of the fastest-growing technologies ever - faster, for example, than cellphones.

 今年末には加入者が八百万人を越えるだろうと。その普及率は、携帯電話の比ではないと。
 衛星ラジオが普及している話は知っていたが、そこまですげーセクターになっているとは思っていなかった。さすがホリエモン先見の明がある…違う。彼は地上波を狙っているのだから、ラジオの作り手のノウハウという点以外は、話が違う、と。
 衛星ラジオについて、IT系の日本のニュースでもそれなりに話題になっているで、技術面は日本語の国内ニュースのほうが読みやすいだろう。現状、今回の(ようやくの)衛星ラジオのブレークにはガジェット(小型機器)も関連しているので、そのあたりを込みにした「小池良次の米国通信インサイド :ITビジネス&ニュース」の”第5回 モバイル・ファッションの波に乗る――米国の衛星ラジオ放送”(参照)がわかりやすい。

この会員急拡大の原動力は、iPodと同じ個人モバイル市場を狙って「端末の小型化・モバイル化」を行ったことだ。もちろん、両社とも赤字を続けているが、会員急拡大で、衛星ラジオ・サービスの将来に明るい展望が見えてきた。

 情報の流れという点でも興味深いのは、地域密着性だ。同記事でもその点を指摘している。

 地上波ラジオは、地域に密着したニュースや交通情報を売り物にしているため、衛星ラジオは当初、全米で同じ番組を聴けることをセールス・ポイントとしていた。しかし、ドライバーにとって、イベントや交通情報、天気、ニュースなどの地域情報は欠かせない。そこで地域情報を拡充する一方、遠い出先でも自分の応援しているスポーツ・チームの実況放送が聞けたり、株式情報をリアルタイムで表示すると言った多様化を進めていった。

 この点はニューヨーク・タイムズでも強調されている。

On Sunday, XM began offering every locally broadcast regular-season and playoff Major League Baseball game to a national audience, having acquired the rights in a deal that could be worth up to $650 million over 11 years.

 おそらく日本でも企画屋さんたちは地域球団とラジオとかぶちあげているのだろう。
 ラジオ・オタクの私としてみると、この地域密着性はラジオのよさである。FEN(AFN)米軍放送などを聞いていても地域コミュニティのイベントの話などがけっこうある。また、沖縄にいたころFMのタウンラジオ(コザとか糸満)に関心をもったが、面白いものだった。
 ラジオとITと言えば、もう一方で話題のiPod、つまりPodcasting(ポッドキャスティング)だが、そのあたりの関係が微妙だ。ニューヨーク・タイムズでもそのあたりは微妙に触れている。

Commercial radio, which also is combating the growth of digital music players like iPods, is making investments in technologies like Internet and digital radio as well as podcasts, audio programs that can be downloaded to computers or portable devices.

 Podcastingは日本ではまだまだの状態だが、意外にも米国ではすでにかなりの普及しているようだ。日本語で読める話としては、「ITmediaニュース」の”米国で勢いを増すPodCasting”(参照)が詳しい。

MP3フォーマットで収録された自家製ラジオ放送をiPodなどの携帯プレーヤーで聞くという「PodCasting」の体験者は米国のMP3プレーヤー所有者のほぼ3割に達する。米国のPew Internet & American Life Projectが、2月21日から1カ月間実施した調査結果を4月3日、発表した。

 数値でいうと、六百万人ということになる。日本は米国人口の半分だから同様の普及があれば三百万人ということなるが、いくらなんでもという感じはしないでもない。
 衛星ラジオとiPodの関連は、ニューヨーク・タイムズの先の引用箇所でもさらっと過ごしていたが、オモテの記事ではあまり触れにくいのだろうとも思うが、HDD(ハードディスク)録音の問題がある。衛星ラジオのガジェットには録音機能がある。現状これとiPodをどう結びつけるかという話はちょっとタブーかかっている。衛星ラジオのほうについても、まだ微妙だ。Wired日本版”衛星ラジオ放送のデジタル録音、RIAAは静観”(参照)が比較的詳しい。総じていえば、著作権問題は根っこと収益のシステムが押さえられればなんとかなるのだろう。日本は?ま、それを問うなって。
 とま、以上、ざらざらとラジオの動向というか可能性の話をメモったのだが、個人的には、ラジオ深夜便やその過去ライブラリーをエルダー世代?っていうか高齢者向けに提供するといいと思うのだが、二つのハードルでダメだろう。一つはNHKのリソースは子会社孫会社の利益になっているという醜悪な構造、もう一つは再生機のインタフェースがだめだめ。
 若い人にはどう普及するかなのだが、日本の場合、若い人たちはAV傾向なんでこれもどうなんだろうとは思う。
 Podcastingを含めて可能性があるとすれば、タレントのトークだろう。個人的にはマルタ人をおじいさんにもつという英玲奈さん(参照?迷惑かけんようにやめとく)のトークがあったら聞きたいよ(サンディ・アイさんもDJやって欲しい)。あとは、対談だろうな。宮台真司と神保哲生みたい講義調はごめんこうむりたいが。

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2005.04.05

ローマ法王雑感

 ローマ法王が亡くなった。突然の死ということもなかったので、驚きはない。不謹慎な言い方に聞こえるかもしれないが、シャイボさんのように命をつなぐことがあれば、世界に別の問題を投げかけたかもしれないとも思う。
 長い在位期間であったとも言われるが、私なども歳食ってきたせいか、先代のヨハネ・パウロ法王が、ある意味不自然な亡くなりかたをしたように思えたのも、そう遠い昔でもない。あの時、今度の法王はポーランド出身なのか、という少しの驚きがあり、それはその後の世界のなかで独自の意味を持ちつづけた。まるでなにか陰謀論でも読みたくなるようなほど。と、書いても苦笑されない程度のネタは多少あるようだ。
 どういうことのはずみかわからないのだが、長く「ホントかよ」とも思われていた旧ソ連KGB(カーゲーベー)による法王暗殺事件だが、本当だったらしい。4月一日を避けたのか二日の朝日新聞で”ローマ法王暗殺、KGBが計画?81年の事件で「証拠」”(参照)という記事が出た。


 81年に起きたローマ法王ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件について、旧ソ連の国家保安委員会(KGB)が旧東ドイツとブルガリアの秘密警察に対し、暗殺を指示した証拠となりうる書類が存在することがわかった。ブルガリアの元議会関係者が朝日新聞の取材に対して認めた。事件の捜査をしたイタリアが近く、ブルガリア政府に司法共助依頼を出す見通しだ。

 とりあえずすんなりと理解すると、KGBが脅威を感じるほどヨハネ・パウロ2世は仕事をされたということで、その点では、すでに世界史上での評価も、レーガンと同様かなり定まっているとは言えるのだろう。
 反面、法王死後数日が経ち、コンクラーベの、ある意味で政治闘争の時期に入ってきたせいか、批判も少し聞かれるようになった。たとえば、ロイター”「法王は矛盾だらけ」 改革派からは批判の声”(参照)ではこう伝えている。

改革派が問題視するのは、法王が人権尊重の姿勢を示す一方で、既婚男性や女性の司祭、避妊、中絶には反対の態度を取り続けていた点だ。

カトリック教会の改革を目指す国際組織「ウィー・アー・チャーチ」は「ヨハネ・パウロ2世による法王は矛盾に満ちたものだった」「世俗界に示した人権推進の意識は教会には適用されなかった」との声明を発表した。

政治と宗教の関係をめぐって法王庁と衝突し、聖職者の地位を追われたブラジル人神学者のレオナルド・ボフ氏も、法王の考えは一貫性がなかったと話す。


 批判と言ってもどうということでもない。実際のところヨハネ・パウロ2世がこうした問題にどう立ち回れたものか、私などには想像も付かない。日本ではあまり報道されていないようだが、もともとキリスト教の総人口が国民の1%というアジアでは「ありえねー」国である日本だからということもあるが、欧州におけるカトリックはこの間、ジリ貧に衰退してきた。フランスなどではカトリックの伝統が維持できるかという瀬戸際だ。余談だが一昨年フランスは猛暑に襲われ死者まで出たが、身元がわかっていても引き取り手のない死者も多く、結局国家が無縁仏風に埋葬することになった。フランス人の人情がなくなりつつあるとも聞く。
 引用をちと長めにしたのは、この間、私などから見ると、カトリックが息を吹き返しているのは、ブラジルなど南米の国のようにも思えるからだ。次期法王も南米から出るのではないかとも少し思う。予想っていうほどでもないけど。
 話にまとまりがないが、このエントリでも「法王」としているが、日本のカトリックとしては「教皇」としてくれと以前から声明を出しているが、NHKを含めて聞く耳持たぬ状況であるのはなぜなのだろう。後鳥羽院への配慮とも思えないが、韓国・北朝鮮などとくらべて配慮しなくても大丈夫だからなのだろう。ちなみに、受験の世界史関係は随分前から「教皇」で統一されているので、若い世代は、昨今の報道に変な印象を持っているのではないか。
 とはいえ、「教皇」という呼称もなんだかなという感じはする。日本語で考えると、「教えのスメロギ」ってか? もともとローマ「皇帝」とか訳してしまった日本語も奇妙なもので、中華世界の皇帝とローマのそれとは違う。違ってもトップだからいいじゃんかもしれないし、それ言うならローマ「帝国」も誤訳ではある。日本の「天皇」も日本の王様なのだから日王でもいいじゃん、ってなノリである。なんだかなである。
 在位期間関係の報道では、使徒ペテロについで…みたいな表現も多かった。日本語版CNN”ローマ法王、葬儀は8日 埋葬地は大聖堂の墓所”(参照)にはこんな表現もある。

ソダーノ枢機卿は「復活なされたキリスト、生命と歴史の主を信じ、ペテロの後継者として27年にわたり普遍的教会を導いた、愛するヨハネ・パウロ2世を託します」と祈りを捧げた。亡くなる法王の枕元にいた枢機卿は、法王の死は安らかだったと語り、「平安は信仰の賜物だ」と述べた。

 カトリックはなにかとペテロの伝統みたいなものを持ち出すのだが、それはたまたまローマの地の司教区が現在のバチカンと地理的に近いだけであって、キリスト教の権威の伝統、つまり正統という点では、私などはいかがなものかと長いこと思っていた。素直に言うと、私も若いころ、本当のキリスト教ってなんだろと自分なりに歴史を学んだ。結論はすげー虚しかった。どの宗教でも国家神話でもそうだが、起源になにか真実があるかと思わせるようにしているが、どの歴史も子細に見ていくとそんなものなんかないのだ。仏教だって仏陀が実在したかもわからないし、教義だって起源となるものがあるのかすらよくわからない。仏教の原始教団というのも現代仏教学の学としての仮説であって、そうした信仰が現代に伝わっているわけでもない。むしろ現代に伝わっている観音信仰など、これって仏教なのかぁ?とも思える。定説ではないのだが、いわゆる日本の大乗仏教というのはアレクサンドロス以降アフガンあたりで成立したヘレニズム宗教という点で、実はキリスト教と兄弟なんじゃないかとも私は思う。が、ま、そのあたりで、なんだかどうでもいいやという気分になるし、関心も薄れた。
 キリスト教会の東西分裂についても一時期関心をもったが、所詮自分には関係ないないやと思って、詳細を忘れてしまった。記憶をなんとなく辿る程度だ。それにしても、キモとしては、「ビザンチン帝国」って嘘だよな、とは思っている。ビザンチン帝国なんてものはない。三国志(通常有名なのは演義)で魏呉蜀とか言うけど蜀なんていう国はないのであって、あれは「漢」である。同じ理屈で言えば、ビザンチン帝国とか東ローマ帝国なんてものはなくて、あれがローマ帝国なのだ。このあたりの話はどうだろうとWikipediaを見たら、きちんと書いてあった。

東ローマ帝国(ひがしローマていこく)は、ビザンティン帝国・ビザンツ帝国・中世ローマ帝国ともいい、395年に東西に分裂したローマ帝国の東方地域を継承し、1453年までの1000年以上に渡って存続した帝国。首都はコンスタンティノープル(現在のトルコ・イスタンブール)。先に挙げた呼び方はすべて後世に付けられた通称であり、正式な国号はローマ帝国である。

 つまり、よくローマ帝国の崩壊とかいうけど、それは1453年にメフメト2世によって滅亡したときでないとおかしい。
 で、ローマ帝国というのは、ミラノ勅令(313)以降、キリスト教を国教としているのでその王は、っていうか、仮に通例どおり皇帝とすると、ローマ皇帝が地上の権限を握るわけで、こうした皇帝に対応する「教えの皇帝」みたいなものはない。そして、この関係は通称ビザンチン帝国(ローマ帝国)でも同じなので、いったいどこに「教皇」なんてものがありうるのか、歴史的に見ると、なんだかさっぱりわからない。ついでにいうと、今日正教として分離されているけど、歴史的に見れば、これのほうがキリスト教だろうとも思うが、もちろん、現在世界のキリスト教においてそれが正統だとか言うつもりは、さらさらない。竹島の所属について歴史で決着しようとする韓国政府みたいな倒錯に陥ってもしかたない。
 以上、カトリックを貶めるように聞こえるかもしれないし、そうした点で反論を受けるかもしれない。でも、長々書いたわりに、そうした問題、つまりローマ法王の正統性には私は関心なくなってしまった。
 ただ、こうした、ローマ法王?ふーん、という感じは、いわゆる正教徒の感覚でもあるだろう。ヨハネ・パウロ2世は生前、こうした一千年近い東西分裂の和解の推進に努力した。双方での破門みたいなことはたしかに緩和されたようでもある。それで良かったのか、私にはよくわからない。
 プロテスタントを含めてこうした世界にばらけたキリスト教をまとめようとする動きがある。エキュメニズムとかいうのだが、私は若い頃には、そこになにかの意味を感じていた。これも、その後、どうでもよくなった。エキュメニズムとかいっても、コプト教会とか別、とかいうことなんだろう。
 私はカイロを旅したおり、コプト教会に行ってみた。それはそれでそこにちゃんとあった。あるんだと思った。たぶん、バグダッドの東方教会もいろいろ迫害を受けてもそれはそれであるのだろう。
 うまく言えないがそういうものかと思った。古代の伝統を持つエチオピアのキリスト教のようすも知りたいと思ったが、依然果たせないでいる。メディアを通してだが、エチオピアの教会の聖歌を聴いたことがある。だみ声で、日本の東北民謡みたいな感じだった。感動した。

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2005.04.04

ブログとニュースの情報経路についてのケース・スタディ

 ブログ論的な話はあまり扱わないようにしたいと思うようになったのだが、今回は少しそれに関連するかと思う。話はある種、検証の過程でもあるので、多少読みづらいかもしれない。三例挙げてみる。最初におことわりしておくが非難・批判の意図はない。
 一例。昨日エキサイトの「ブログニュース」(参照)で見かけた「知識の泉 Haru's トリビア」という人気の高いブログの”コンピューターに頼り過ぎた教育で学力低下に!!( ̄□||| ”(参照)というエントリで気になることがあった。冒頭を二段落分引用する。



算術、読み書きにもマイナス
コンピューターに頼り過ぎた教育は学力低下を招く!
(yahoo news 3/21)

学校の授業でコンピューターを使う機会が多ければ多いほど、算数や読み書きといった基本的な学力が低下する傾向にあるという新たな調査結果が報告され、コンピューターが学力向上に有効という以前の調査報告とはまったく逆の形となったことが伝えられた。

5年前に行われた別の調査では、自宅にコンピューターがある生徒は、コンピューターを持たない生徒よりも学力面で1学年進んでいるとの結果が報告され、コンピューターが学力向上に有効である点が強調されていた。


 気になったのは内容についてではなく、どっかで読んだという感じだった。記憶を辿って調べた。これは先月20日ころ、ブログ「雅楽多blog」の”コンピューター教育は学力低下をまねく?”(参照)などでよくクリップされていた記事と同じだ。
 この時点で各種ブログなどでよくクリップされたのは、JAPAN JOURNALというサイトの”3/21 算術、読み書きにもマイナス――コンピューターに頼り過ぎた教育は学力低下を招く!”(参照)という記事である。こちらも冒頭を二段落分引用する。

3/21 算術、読み書きにもマイナス――コンピューターに頼り過ぎた教育は学力低下を招く!
学校の授業でコンピューターを使う機会が多ければ多いほど、算数や読み書きといった基本的な学力が低下する傾向にあるという新たな調査結果が報告され、コンピューターが学力向上に有効という以前の調査報告とはまったく逆の形となったことが伝えられた。
 
5年前に行われた別の調査では、自宅にコンピューターがある生徒は、コンピューターを持たない生徒よりも学力面で1学年進んでいるとの結果が報告され、コンピューターが学力向上に有効である点が強調されていた。

 ご覧のとおり、「知識の泉 Haru's トリビア」とまったく同じである。時間的な経緯で考えると、JAPAN JOURNALから転載されたものかとも思うが、こちらのサイトには次の注意書きがある。

(C)1999- 2004 JAPAN JOURNALS LTD. All rights reserved
*本ホームページ中の記事を無断で複写複製(コピー、ペースト)することを厳禁します。

 無断で複写複製は厳禁されているので「知識の泉 Haru's トリビア」が無断でJAPAN JOURNALから転載したものではないのだろう。この2つのオリジナルとなるニュースの出所があり、そこから両者が許可を受けて掲載したのだろうか。「知識の泉 Haru's トリビア」の該当エントリを見ると、(yahoo news 3/21)とあるので、Yahoo!にオリジナルのニュースがあり、そこから両者が提供を受けたのかもしれない。Yahoo!を少し調べてみたが、その点はわからなかった。
 この2つの同一記事の内容について、情報の出所という点でわからないことがある。全文引用するわけにもいかないので、先の記事のはリンク先を読んでいただきたいのだが、記事の主眼は、学力調査であるのに、その調査を実施した主体についての情報が含まれていない点だ。誰がその調査をしたのかという話がない。
 情報ソースを明示しないニュース記事の信頼性は乏しい。当ブログでも先日、エープリルフールの余興で嘘記事を書いたが、嘘というのは情報の出所でバレるものだから、そこをぼかすのに工夫した。
 この記事には、英文なりのオリジナルがあるのではないかとも思ったが、英米圏のジャーナリズムにおいて、どこの調査機関か明示しない調査結果のニュース記事を書くとは考えにくい。JAPAN JOURNALのオリジナル記事だろうか。
 関連した疑問も浮かぶ。JAPAN JOURNALにはUK Todayともあるので英国のニュースのようにも見える点だ。次のように英国を示唆する話も含まれている。

この調査結果にもかかわらず、英国政府は学校の各教科でコンピューターを使用した授業実施を推進。先週発表された今年度の国家予算案でも、学校へのコンピューター設備導入費として、これまでの25億ポンド(約5,000億円)に加え、さらに15億ポンド(約3,000億円)を投入することが伝えられた。

 英国政府への批判記事のようにも読めるのだが、それを日本のJAPAN JOURNALがオリジナルで書いのだろうか。
 類似の記事を英文で探してみた。これはすぐに見つかる。ガーディアン"Pupils 'do worse with computers' "(参照)もその一つだ。

Academics will today argue that the growing use of computers in secondary school classrooms and for homework could be leading to worsening performance in literacy, science and maths.

An international study of about 100,000 15-year-olds in 32 different developed and developing countries suggests that the drive to equip an increasing number of schoolchildren in the UK with computers may be misplaced.

In a report to be given at the conference of the Royal Economic Society in Nottingham this week, Thomas Fuchs and Ludger Woessmann of Munich University say the research shows diminished performance in students with computers.


 ガーディアンの記事には調査主体とその調査の指導者名が明記されている。締めくくりも興味深い。

Last week the chancellor, Gordon Brown, announced an extra £50m for information technology in schools - including moves to let pupils take computers home on "low cost" leases.

 このガーディアンの記事では、Royal Economic Societyの調査をネタにしてゴードン・ブラウン財務相(参照)を皮肉ったものだ。この調査をもとに英国政府を批判しているとまでのトーンは感じられない。
 例を変える。
 ブログ界で注目のマトと言っていいだろうと思うが、ブログ「ブログ時評」の”BSEはメディアリテラシー力を問う [ブログ時評15] ”(参照)で、情報の経路という点で次の部分が気になった。

 安全を担保できるのは全頭検査ではなくて、危険部位除去の徹底なのだ。輸入再開へ向けて検査を緩和するのか、政府から諮問を受ける、注目の食品安全委員会。その下にあるプリオン専門調査会を昨年8月から傍聴しているという「BSE&食と感染症 つぶやきブログ」は諮問内容から肉骨粉の混入防止策などが除外され「危険部位が除去された(ことが前提の)肉の検証」になりそうとのニュースに、眉をひそめている。
 同ブログは、3月15日付「NYタイムズ紙が社説で『飼料管理、きっぱり改善すべき・必要なら全頭検査も』と主張」とのニュースも伝えている。社説の原文は台湾のサイトに転載された「The beef merry-go-round」で読める。ニューヨーク・タイムズまで全頭検査を言い出したのかと誤解しない方がよい。

 気になったのは後段の書き方だ。ちょっとわかりづらいかもしれないが、特に気になるのはここだ。

「NYタイムズ紙が社説で『飼料管理、きっぱり改善すべき・必要なら全頭検査も』と主張」とのニュース

 ここでニュースというのは、「全頭検査が必要とニューヨーク・タイムズが主張した」ということがニュースなのか、「ニューヨーク・タイムズの主張の要約が日本の新聞に掲載された」というニュースなのか。どちらなのだろうか。前者なら、ニューヨーク・タイムズのオリジナルの主張が対象となり、後者なら日本の新聞での要約が対象となる。つまり、オリジナルな記事が対象なのか、要約された二次的な記事が対象なのか。
 前者だろうか。というのも、ブログ時評ではニューヨーク・タイムズ社説の原文をリンクで参照させようとしているからだ。
 が、ここでさらに二つ疑問がある。
 一つは、ニューヨーク・タイムズのオリジナル記事が対象であれば、このリンクはなぜ台湾のサイトなのか。もう一つは、ブログ時評では「ニューヨーク・タイムズまで全頭検査を言い出したのかと誤解しない方がよい」とあるが、この示唆は誰にむけたものなのか。ニューヨーク・タイムズのオリジナル記事をそう誤解しないほうがいいと示唆しているのか。なお、私がオリジナルを読んだ印象ではそのような示唆の重要性は少ないと思った。
 ブログ時評で扱っている対象は、ニューヨーク・タイムズのオリジナルの社説なのか、あるいは日本の新聞に掲載された要約記事についての判断なのかが、この文章からはわからない。前者は一次ソースだが、後者は二次ソースなのでその区別は重要だろう。
 ニューヨーク・タイムズ社説のオリジナルへのリンクがない点については、記者の団藤氏はコメント欄でこう補足している。

 ニューヨーク・タイムズは登録しないと読めないことは多くの方が知っていることです。台湾サイトの転載自体は誉められたことではありませんが、読者がクリックすれば読めるサイトがあるのならと紹介したまでで、迷惑とか言う問題ではありませんよ。

 これは日本のジャーナリズムの慣例なのかもしれない。だが、私には、情報の確実性という点で、台湾サイトに転載された文章が、ニューヨーク・タイムズ社説のオリジナルと同一であるとの保証はどこでなされていたのかが気になる。
 最後の例題。これでこのエントリは終わりにしたい。
 対象はブログではない。昨日の産経新聞記事”「反日」中国に不利益 米紙、社説で警鐘 要因は教育、経済関係損なう”(参照)だ。冒頭段落だけ引用する。

 日本が国連安全保障理事会の常任理事国入りを目指していることをめぐり、中国の複数のインターネットサイトが反対の署名活動や日本製品の不買運動を呼びかけているが、米紙ウォールストリート・ジャーナルは「魔人ジニーが中国のつぼから飛び出した」と題する先月三十一日付社説で、中国共産党の反日教育に要因があると指摘し、繰り返される不毛な対日批判は「中国自身の利益にもならない」と警鐘を鳴らした。主な内容は次の通り。(杉浦美香)

 ここで「次の通り」と書かれているのだが、この「次」というのは、どこまでが「次」なのだろうかが、気になった。この新聞記事の終わりまでを指しているのだろうか。そう読めるようにも思う。
 この記事の大半がウォールストリート・ジャーナル社説の要約だというのなら、これはウォールストリート・ジャーナルの意見を不確実に転載しただけに見える。
 先のニューヨーク・タイムズ社説の扱いと同様に、これらを扱う日本の新聞の記事は二次的なソースにしかならないので、これらをさらにブログなどで扱う場合はオリジナルを意識するという注意が必要になるだろう。

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2005.04.03

般若心経について

 長く難病に苦しんだ生命学者、柳澤桂子が般若心経の現代語訳のような本「生きて死ぬ智慧」を出していたのを最近知った。堀文子の絵とリービ英雄の英訳も書籍の企画としてはすばらしいものだ。柳澤桂子の言葉を読みながら、正法眼蔵の摩訶般若波羅蜜の巻なども思い出しながら、なぜこれほど多くの人がこの短い経に心を寄せるのか、あらためて不思議に思った。

cover
生きて死ぬ智慧
 宗教学的に考察するなら、般若心経とは、一般に日本で理解されているものとはかなり異なるものだ。仏教学者も実際は各教派の下に置かれるから、その教義を離れた厳密な考察はしづらいし、解釈が教義に引かれてしまいがちになる。それでもいいのだろうとも思うし、なにより、研究者には一般社会に語らなくても自明のことがあるものだ。
 そうしたこともあり、私もある種自明なこととしてこの件に書くことはなかろうとも思っていた。しかし、こうしたおりについでに少し般若心経についてふれておいてもいいかもしれない。
 般若心経について、もっともわかりやすい解説書は佐保田鶴治「般若心経の真実」だろうと思う。アマゾンには置いてないが、書店や古書店を探すとまだそれほど入手しがたい本ではない。楽天ブックスには在庫があった(参照)。この本は般若心経についてもっとも大切なことをきっぱりと書いている。それは、般若心経という、この短い経典で、重要なのは真言(マントラ)の部分だけで、よく解説されるこの多い、難解な教義的な部分はすべて付け足し、ということだ。色即是空といった教義的な部分について佐保田はあっさりこう断じている。

一般にこの部分がこのお経の中心と考えられておりまして、先生方はここの部分の説明に力こぶを入れて、縦横無尽に解説されるのでありますが、それは見当違いも甚だしいのでございます。この部分は大乗仏教一般にとりましては大切な理論の展開といえましょうが、心経が書かれたそもそものねらいはここにあるのでは無いのでございます。空の理論を展開するのは金剛般若経あたりの役目でありまして、今さらこんなちっぽけなお経を説く必要がどこにありましょうか。

 そして、佐保田はマントラ・ヨーガを簡単に説明した後、こう言い切る。

拙老は、そういう意味合いから、般若心経を全部繰り返すのは無駄でありまして、最後の明呪だけを繰り返せばよいのではないかと考えるのでございます。般若心経全部を繰り返すのは、薬の効能書きを読んでは薬を飲むというのと同じことになるではないかと思います。効能書は一ぺん読めばよいのではございませんでしょうか。

 般若心経のマントラ、具体的には、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」であり、佐保田はこれを唱えるだけでよいとする。なお、これに後続する「薩婆訶」はマントラの本体ではなく、神像に捧げ物などをするときの所作に合わせる言葉だ。現代インドでもこの所作はよく見られる。
 重要な部分がマントラ(呪文)であるということは、そこに解釈されるような意味などというものはない、ということでもある。その呪文の功徳があるだけだ、ということになる。だから、般若心経の解釈自体というのは無意味なことだということにもなる。特にその功徳が知りたいというなら「能除一切苦」で尽きてもいる。苦しみを除くというのだ。
 なんとも未開な呪術ではないかと思えてくるが、般若心経とは、実際そういうものだし、日本の歴史でもそうして有り難たがられてきた。
 佐保田が強調するもう一点は、この般若心経という経典は、般若=仏教の叡智、といったものではなく、女神を称える経典であるする点だ。

 ハンニャ・ハラミッタ(Prajna-paramita)というのは、ここでは女性のボサツの御名前でございます。施護の訳に「聖仏母」とあるのは、この女性のボサツが、仏母(Bhagavati)すなわち仏をお生みなされた母上であるからでございます。

 般若波羅蜜多というのは、この女神の名前、固有名詞だというのだ。般若波羅蜜多女神と呼んでもいいだろう。
 そして「心経」の「心」もいわゆる心髄といった比喩でなく、単に「心臓」という意味だと佐保田は解説している。般若心経とは、般若波羅蜜多女神の心臓なのである。これはトンデモ説のように思われるかもしれないが、私もその解釈で妥当だろうと考えている。
 私がこうした佐保田の説にあっさり納得するのはわけがある。が、その話の前にこの女神については、次の指摘が重要になることに注意を促したい。

この女性のボサツは単にハンニャ(Prajna)とよばれることもありますし、またターラー(Tara)ともよばれております。こうした女性のボサツが信仰の対象として現れるのはインド仏教の末期でありまして、六、七世紀以降になると女性のボサツへの信仰が盛んになったことは、サールナートの博物館などに行ってみるとよくわかるのでございます。

 般若心経という経典でのハンニャ・ハラミッタ女神は五世紀初等の時点のものなので、後に全盛となるインドの女神信仰と比べると、まだ基本的な段階ではあったかもしれない。
 以上、やや奇矯とも思える佐保田の説を上げたのだが、これは、ミルチャ・エリアーデの著作にも描かれているとおりなので、宗教学的にはこの分野のごく国際的な基本的な理解の水準と見ていいはずだ。例えば、「エリアーデ著作集 第2巻 (2)」では、般若心経についてあっさりとこう説明されている。

ここには『般若波羅蜜多』の「要約」が存するのではなく、「女神」の姿を取った「宇宙的空の真理」(sunyata)の直接的、全体的な同化が存する。

 この女神についてエリアーデの考察も引用しておくといいだろう。ハンニャ・ハラミッタ女神とターラー女神だについてだ。佐保田は後代の視点から同一視しているが、生成的には異なるものである。

アーリア・インドの精神史において、はじめて偉大な女神が支配的な位置を得ることに注意しよう。古く紀元二世紀には二柱の女神が仏教に入った。その一、プラジュニャーパーラーミターPrajnaparamita<般若波羅蜜多>は形而上学者と苦行者の「産物」であり最高の知慧の権化である。その二、ターラーTaraは土着のインドの偉大な女神の出現したものである。

 般若心経はこうした女神信仰の重要な局面から出現した経典だった。
 これでこのエントリの話は終わりにしてもいいのだが、薬の効能書きの部分の重要な点である「空」つまり「宇宙的空の真理」(sunyata)についても、少し触れておこう。
 エリアーデが指摘するように、それは女神の姿を持っているのだが、より精神医学的に深化したチベット仏教の流れでは、空(くう)は認識・意識のある状態として展開される。
 「タントラ叡智の曙光―タントラ仏教の哲学と実践」(絶版)では、こう説明している。

 認識能力に高められた状態としての「プラジュニャーパー」(般若)すなわち「シェーラブ」は、認識能力がふつうは内在している相対的思考のネットワークが弱められた状態をも意味します。

 これだけではわかりづらいかもしれないが、ある種の先入観や記憶の条件条件付けのない認識の状態が般若心経のもたらすところであり、つまりは、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」のマントラで達成されるはずの意識なのだろう。
 同書では、シューニャター(空)について比喩的にこう説明されている。

 「シューニャター」の意味は大変やさしく説明することができます。われわれがものを知覚するとき、普通はある形に仕切られた対象の形に注目します。しかし、これらの対象は一つの視野の中で知覚されます。目の行き先は具体的な形の仕切られた形態か、それともそれが位置している視野に対してかのいずれかです。シューニャター体験においては注意は視野に向けられて、視野の内容ではなくなるのです。ここで「内容」というのは、視野そのもの中の目立った特徴を意味します。われわれはまた、心の中の一つの考えが浮かんだとき、その考えによって仕切られている境界と言いますか、いわば領域というのははっきりしていなくて、ぼやけているということに気づくでしょう。その領域が次第に消えていくと何か非常に開放的なものになっていきます。この開放的な広がりこそが、「シューニャター」の基本的な意味です。

 般若心経はただこのマントラを唱えよというだけなのだが、その実践にはこうした意識・認識・体験としての「空」への導きが含まれていたのだろう。
 この点について先の佐保田は、この経典の冒頭に登場する観自在菩薩を観音としてとらえ、こう推測している。

 説明がたいへんむつかしくなって恐縮でございますが、要するに、音を聞くというような手近な心の作用を初級の観相の材料として、空という深いさとりの世界へはいっていこうとするのが観音という修行法だということでございます。

 おそらく般若心経には、当時この経典を維持してきた教団に自明なマントラの修行法も関連していたのだろう。
 別の言い方をすると、現代において、「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」のマントラを唱えるだけではそうした意識は獲得はされないのではないか。
 般若心経が発生した時代の信仰には強固な女神信仰が深く関連していた。しかし、現代には「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」が女神に具現視されるような信仰的な確信を失っている。であれば、どれほど高度なマントラであると効能を持たないだろうし、女神信仰的な背景を欠落して、いくら「羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提」と唱えても、「コカコーラペプシコーラドクターペパー」と唱えるのと大して変わりないだろう。

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