東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故から二週間が経った
東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故から二週間が経った。ニュースを眺めても、この数日には最新の話はないようだ。赤旗が高架にせよというくらいか。この間、NHKでは、クローズアップ現代が取り上げ、そして首都圏特報も取り上げた。後者の番組を見つつ、私だけかもしれないのだが、あれ?と思った。事件について見落としがあったかもしれない。あれ?については後で話を展開する。
今回の事故は、発生当初からある種の嫌な感じが私はしていた。複雑な思いもある。が、単純な面から言えば、自分もこうした踏切と身近に暮らしてきた経験もあり、単に踏切制御の人為的なミスとばかりは責められないのではないかと思った。ニュースや当地を生活圏とする人の各種ブログなども拝見しつつ、そうした印象を深めた。該当踏切の仕組みは「東京の踏切」(参照)が詳しい。
この踏切は時間帯にもよるのだろうが、合法的な操作をすれば、一時間に三分しか開かないとも言われている。しかし、通行のニーズが強いとすれば、非合法的な実態があり、それは当然の危険性を含む。今週のSPAのコラムニスト神足裕司氏の「これは事件だ」では、さらにこういう指摘もある。
「駅務運転作業基準」というものがある。手動式遮断機は、電車が接近しているとき、下ろされると自動的にロックされる。「基準」に定められた駅ごとに作成する「踏切作業内規」には、ロック解除に「駅長の指示が必要」とある。
内規を破った? だが1分の隙をつくためにわざわざ毎回駅長を呼びに行けというのか。
基準の解釈がそれでいいのか私にはよくわからないが、それでも規定なりは、有名無実化した経緯もあったのだろう。ただ、このコラムでは、事故当時の時間帯はそれほど開かずの踏切というのでもなかったとしている。単純に開かずの踏切という実態があるのだということだけではないのかもしれない。
こうした事件が起きると、志賀直哉風正義派はどこかに責任をもっていき糾弾したくなるものだが、多少なりの世間経験があればミスを犯した担当者だけを責められるものではない。三月二二日付け朝日新聞社説”東武踏切――危険を放置するな”はこうした社会問題に正面から向き合うより、昔懐かしい社会主義的なイデオロギーに退行してしまう兆候をはっきりと見せている。
人口の密集地なのに踏切が残るのは、電車の入れ替え線があり、線路が錯綜(さくそう)しているなどの理由だという。経済的、技術的な問題もあるだろうが、東武鉄道は鉄道事業で年間220億円の営業利益をあげている。要は危険な踏切を放置しないという決意があるかどうかだ。
この口調なのだが、産経新聞などで北朝鮮制裁の決意を問うのとまったく同質のパトス(情念)であることはすでに社会の一部では明白になっていると言っていいだろう。もちろん、正論ではあるだろう。大東亜戦争末期国民が戦艦大和に出て欲しいと願った「思い」が正論というのに似ている。具体的な現実問題にはあまり意味がない。
もしかすると、この問題は死者まで出して、まるで改善されず忘れ去れていくのかもしれない。高架案(参照)を赤旗が説くのであればその経緯をちゃんとフォローしてくれ。すでに現在の状況とは言えないのかもしれないが、ブログ「音と言葉のアンテナ」”グッジョブ”(参照)が事故後一週間の状況をこう伝えている。キムタケ風に長くて申し訳ないが引用したい。
ところで、昨日、竹ノ塚の駅向こうを外回りしてたんですが、仕事が終わって帰るときに、ちょっと踏切を見ていこうと思った。まだ相変わらず手動でやってるのかどうか確認して見ようと思ったのだ。もちろん踏切はわたらずに、もう少し南の栗六陸橋を超えて帰ることができる。
ところがだ。私は踏切をみて驚いた。
踏み切りは相変わらず手動で行っているようだった。ただ、以前と違ったのは、踏み切りの中に、のぼりくだりの線それぞれに旗を持った警備員が立っていたことだった。いわゆる人柱みたいなもんだ。
このときの心境はうまく言葉に出来ない。ある意味感動的ですらあった。私はやすやすと先の決意を曲げて、踏切を渡ることにした。
なるほどお、とかいいながら、ぶつぶつニヤニヤしながら渡っていたに違いない。
仮に自動踏切を設置したところで、事故の衝撃が消えるまで、あの踏み切りは渡れなかっただろう。人を立たせましょう、という提案がどのような経緯で起こったのかは知る由もないが、現時点でのベストソリューションだと私は評価した。
なんだそれ?と思う。ブログがちゃんとニュースの一次情報になっているなとも思うが、それより、ブログ記者サモッチさんの「このときの心境はうまく言葉に出来ない。ある意味感動的ですらあった」という心の動きが興味深い。ジャーナリズムの原点のようなものも感じる。
人柱か、人間かというところで話を冒頭に戻す。四月一日のNHK首都圏特報(参照)で私があれ?と思ったのは、事故に遭遇したのは自転車だけだったという点だ。ここで明確にお断りしておくが、私は自転車に乗っていたのが事故の理由だとも言わないし、事故に遭われた方にも責任があるとも言わない。その点を誤解なきよう。
自転車を明示した報道はあっただろうか。私はうかつにも見落としていたので、ニュースを読み直した。一六日の産経新聞”東武伊勢崎線・竹ノ塚駅踏切 遮断機上がり2人死亡 手動操作、係員誤る”(参照)はこうだ。
十五日午後四時五十分ごろ、東京都足立区西竹の塚の東武伊勢崎線竹ノ塚駅そばの37号踏切で、踏切内にいた女性二人が太田発浅草行きの上り準急列車(六両編成)に次々とはねられ、二人は病院に運ばれたが死亡した。踏切周辺にいた女性二人も軽傷。踏切は係員が手動で遮断機の上げ下げを行っており、事故当時、遮断機は上がっていた。警視庁捜査一課と竹の塚署は係員が誤って遮断機を上げたと話しており、業務上過失致死傷容疑で捜査している。現場は「開かずの踏切」として有名だった。
調べでは、死亡したのは同区内に住む保険外交員、宮崎季萍(きへい)さん(38)と主婦、高橋俊枝さん(75)。けがをしたのは、近くに立っていた女性(55)と自転車に乗っていた女性(44)で、足や頭に軽傷。自転車の女性は後部に女児(5つ)を乗せていたが、女児にけがはなかった。
産経を責める意図はなく、一例に過ぎないのだが、ここから事故死されたかたが自転車に乗っていたとは読みとれないのでないか。この点、同日の朝日新聞”遮断機誤って上げた疑い、踏切保安係逮捕 東武線事故”(参照)は明確になっている。
3人とも自転車で踏切を渡っていたところを事故に遭ったが、佐藤さんの自転車に一緒に乗っていた娘にけがはなかったという。
首都圏特報によると、遮断機が上がってから一台のバイクが踏切を渡ったのだが、接近する電車に気が付き、とっさのアクセルで該当線路を突き抜け難を逃れたようだ。異常事態でもあり、このバイクの方を責める意図ではないが、踏切横断中にバイクのアクセルというのはどういう状況だったのか少し違和感が残る。
自転車は三台事故に遭遇したが、歩行者には事故はなかった。単純に思うのだが、歩行者のほうが機敏な動作が取れたからではないか。そして、そういえばと連想するのだが、自転車が踏切を渡るときは降りて手押しするのではなかったか? 警察はそう指導しているのではなかったかと、ネットを探ると警視庁「学ぼう! 交通ルール&マナー」(参照)では、クイズ形式を借りてこう説明している。
問題3
ふみりきりをわたる時は、ふみきりの手前でかならず一時ていしをして、左右の安全を確認したあとにじてんしゃにのってなるべく早くわたる。あなたのこたえ:○ せいかい:×
<かいせつ>
ふみきりをわたる時は、一時ていしをして、左右のあんぜんをかくにんしたあと、じてんしゃからおりて、おしてわたりましょう。
これは子供向けの指導なのか、なにか法規的な裏付けがあるのかよくわからない。ただ、だから踏切では自転車を降りて手押しせよとここで主張したいわけではない。
自転車が事実上存在しない沖縄での八年の暮らしから私が東京に戻ってなにより閉口しそして恐怖に思ったのは歩道を走行する自転車だった。自転車が走行していい歩道は指標が出ている。が、警官まで無視しているので私はその警官に小一時間といったこともあった。なにより、むかつくのは、チリンだ。なにがチリンだばかやろうと私はなんども怒鳴り散らした。自転車走行が認可されている歩道でも、歩道は歩行者が優先であり、その歩行を妨げていけない。チリンを鳴らすんじゃなくて、おまえが自転車を降りろ。交通法も知らんのか、と。第一、チリンは無礼だろう。しかし、二年が過ぎて、慣れた。この私が感じた違和感は社会問題ですらないのだろう。
繰り返すが、踏切で手押ししない自転車を責めるわけではない。それは、竹ノ塚駅踏切が「合法」的に運用されていなかったことを責めるわけにもいかないのと変わらない。
さて、このまま人柱方式が解決なのだろうか。NHK首都圏特報は散人先生もご覧になり、エントリ”NHK 首都圏特報「開かずの踏切で起きた人身事故」……なにが問題か、またしてもぼかされている!”(参照)で、遮断機開閉時には電車が自動的に停止するというシステムを提起している。それが現実的に可能か私はわからないが理念は正しい。同番組では最新の制御システムについても示唆していたが、詳細情報はなかった。
現状の踏切については先にも参照させて頂いた「東京の踏切」(参照)が詳しい。特に「踏切探検隊」(参照)には自転車の状況を含め考えさせられることが多かった。
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