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2005.04.02

東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故から二週間が経った

 東武伊勢崎線竹ノ塚駅踏切事故から二週間が経った。ニュースを眺めても、この数日には最新の話はないようだ。赤旗が高架にせよというくらいか。この間、NHKでは、クローズアップ現代が取り上げ、そして首都圏特報も取り上げた。後者の番組を見つつ、私だけかもしれないのだが、あれ?と思った。事件について見落としがあったかもしれない。あれ?については後で話を展開する。
 今回の事故は、発生当初からある種の嫌な感じが私はしていた。複雑な思いもある。が、単純な面から言えば、自分もこうした踏切と身近に暮らしてきた経験もあり、単に踏切制御の人為的なミスとばかりは責められないのではないかと思った。ニュースや当地を生活圏とする人の各種ブログなども拝見しつつ、そうした印象を深めた。該当踏切の仕組みは「東京の踏切」(参照)が詳しい。
 この踏切は時間帯にもよるのだろうが、合法的な操作をすれば、一時間に三分しか開かないとも言われている。しかし、通行のニーズが強いとすれば、非合法的な実態があり、それは当然の危険性を含む。今週のSPAのコラムニスト神足裕司氏の「これは事件だ」では、さらにこういう指摘もある。


「駅務運転作業基準」というものがある。手動式遮断機は、電車が接近しているとき、下ろされると自動的にロックされる。「基準」に定められた駅ごとに作成する「踏切作業内規」には、ロック解除に「駅長の指示が必要」とある。
 内規を破った? だが1分の隙をつくためにわざわざ毎回駅長を呼びに行けというのか。

 基準の解釈がそれでいいのか私にはよくわからないが、それでも規定なりは、有名無実化した経緯もあったのだろう。ただ、このコラムでは、事故当時の時間帯はそれほど開かずの踏切というのでもなかったとしている。単純に開かずの踏切という実態があるのだということだけではないのかもしれない。
 こうした事件が起きると、志賀直哉風正義派はどこかに責任をもっていき糾弾したくなるものだが、多少なりの世間経験があればミスを犯した担当者だけを責められるものではない。三月二二日付け朝日新聞社説”東武踏切――危険を放置するな”はこうした社会問題に正面から向き合うより、昔懐かしい社会主義的なイデオロギーに退行してしまう兆候をはっきりと見せている。

 人口の密集地なのに踏切が残るのは、電車の入れ替え線があり、線路が錯綜(さくそう)しているなどの理由だという。経済的、技術的な問題もあるだろうが、東武鉄道は鉄道事業で年間220億円の営業利益をあげている。要は危険な踏切を放置しないという決意があるかどうかだ。

 この口調なのだが、産経新聞などで北朝鮮制裁の決意を問うのとまったく同質のパトス(情念)であることはすでに社会の一部では明白になっていると言っていいだろう。もちろん、正論ではあるだろう。大東亜戦争末期国民が戦艦大和に出て欲しいと願った「思い」が正論というのに似ている。具体的な現実問題にはあまり意味がない。
 もしかすると、この問題は死者まで出して、まるで改善されず忘れ去れていくのかもしれない。高架案(参照)を赤旗が説くのであればその経緯をちゃんとフォローしてくれ。すでに現在の状況とは言えないのかもしれないが、ブログ「音と言葉のアンテナ」”グッジョブ”(参照)が事故後一週間の状況をこう伝えている。キムタケ風に長くて申し訳ないが引用したい。

ところで、昨日、竹ノ塚の駅向こうを外回りしてたんですが、仕事が終わって帰るときに、ちょっと踏切を見ていこうと思った。まだ相変わらず手動でやってるのかどうか確認して見ようと思ったのだ。もちろん踏切はわたらずに、もう少し南の栗六陸橋を超えて帰ることができる。
 
ところがだ。私は踏切をみて驚いた。
 
踏み切りは相変わらず手動で行っているようだった。ただ、以前と違ったのは、踏み切りの中に、のぼりくだりの線それぞれに旗を持った警備員が立っていたことだった。いわゆる人柱みたいなもんだ。
このときの心境はうまく言葉に出来ない。ある意味感動的ですらあった。私はやすやすと先の決意を曲げて、踏切を渡ることにした。
 
なるほどお、とかいいながら、ぶつぶつニヤニヤしながら渡っていたに違いない。
仮に自動踏切を設置したところで、事故の衝撃が消えるまで、あの踏み切りは渡れなかっただろう。人を立たせましょう、という提案がどのような経緯で起こったのかは知る由もないが、現時点でのベストソリューションだと私は評価した。

 なんだそれ?と思う。ブログがちゃんとニュースの一次情報になっているなとも思うが、それより、ブログ記者サモッチさんの「このときの心境はうまく言葉に出来ない。ある意味感動的ですらあった」という心の動きが興味深い。ジャーナリズムの原点のようなものも感じる。
 人柱か、人間かというところで話を冒頭に戻す。四月一日のNHK首都圏特報(参照)で私があれ?と思ったのは、事故に遭遇したのは自転車だけだったという点だ。ここで明確にお断りしておくが、私は自転車に乗っていたのが事故の理由だとも言わないし、事故に遭われた方にも責任があるとも言わない。その点を誤解なきよう。
 自転車を明示した報道はあっただろうか。私はうかつにも見落としていたので、ニュースを読み直した。一六日の産経新聞”東武伊勢崎線・竹ノ塚駅踏切 遮断機上がり2人死亡 手動操作、係員誤る”(参照)はこうだ。

 十五日午後四時五十分ごろ、東京都足立区西竹の塚の東武伊勢崎線竹ノ塚駅そばの37号踏切で、踏切内にいた女性二人が太田発浅草行きの上り準急列車(六両編成)に次々とはねられ、二人は病院に運ばれたが死亡した。踏切周辺にいた女性二人も軽傷。踏切は係員が手動で遮断機の上げ下げを行っており、事故当時、遮断機は上がっていた。警視庁捜査一課と竹の塚署は係員が誤って遮断機を上げたと話しており、業務上過失致死傷容疑で捜査している。現場は「開かずの踏切」として有名だった。
 調べでは、死亡したのは同区内に住む保険外交員、宮崎季萍(きへい)さん(38)と主婦、高橋俊枝さん(75)。けがをしたのは、近くに立っていた女性(55)と自転車に乗っていた女性(44)で、足や頭に軽傷。自転車の女性は後部に女児(5つ)を乗せていたが、女児にけがはなかった。

 産経を責める意図はなく、一例に過ぎないのだが、ここから事故死されたかたが自転車に乗っていたとは読みとれないのでないか。この点、同日の朝日新聞”遮断機誤って上げた疑い、踏切保安係逮捕 東武線事故”(参照)は明確になっている。

3人とも自転車で踏切を渡っていたところを事故に遭ったが、佐藤さんの自転車に一緒に乗っていた娘にけがはなかったという。

 首都圏特報によると、遮断機が上がってから一台のバイクが踏切を渡ったのだが、接近する電車に気が付き、とっさのアクセルで該当線路を突き抜け難を逃れたようだ。異常事態でもあり、このバイクの方を責める意図ではないが、踏切横断中にバイクのアクセルというのはどういう状況だったのか少し違和感が残る。
 自転車は三台事故に遭遇したが、歩行者には事故はなかった。単純に思うのだが、歩行者のほうが機敏な動作が取れたからではないか。そして、そういえばと連想するのだが、自転車が踏切を渡るときは降りて手押しするのではなかったか? 警察はそう指導しているのではなかったかと、ネットを探ると警視庁「学ぼう! 交通ルール&マナー」(参照)では、クイズ形式を借りてこう説明している。

問題3
 ふみりきりをわたる時は、ふみきりの手前でかならず一時ていしをして、左右の安全を確認したあとにじてんしゃにのってなるべく早くわたる。

 あなたのこたえ:○  せいかい:×

<かいせつ>
 ふみきりをわたる時は、一時ていしをして、左右のあんぜんをかくにんしたあと、じてんしゃからおりて、おしてわたりましょう。


 これは子供向けの指導なのか、なにか法規的な裏付けがあるのかよくわからない。ただ、だから踏切では自転車を降りて手押しせよとここで主張したいわけではない。
 自転車が事実上存在しない沖縄での八年の暮らしから私が東京に戻ってなにより閉口しそして恐怖に思ったのは歩道を走行する自転車だった。自転車が走行していい歩道は指標が出ている。が、警官まで無視しているので私はその警官に小一時間といったこともあった。なにより、むかつくのは、チリンだ。なにがチリンだばかやろうと私はなんども怒鳴り散らした。自転車走行が認可されている歩道でも、歩道は歩行者が優先であり、その歩行を妨げていけない。チリンを鳴らすんじゃなくて、おまえが自転車を降りろ。交通法も知らんのか、と。第一、チリンは無礼だろう。しかし、二年が過ぎて、慣れた。この私が感じた違和感は社会問題ですらないのだろう。
 繰り返すが、踏切で手押ししない自転車を責めるわけではない。それは、竹ノ塚駅踏切が「合法」的に運用されていなかったことを責めるわけにもいかないのと変わらない。
 さて、このまま人柱方式が解決なのだろうか。NHK首都圏特報は散人先生もご覧になり、エントリ”NHK 首都圏特報「開かずの踏切で起きた人身事故」……なにが問題か、またしてもぼかされている!”(参照)で、遮断機開閉時には電車が自動的に停止するというシステムを提起している。それが現実的に可能か私はわからないが理念は正しい。同番組では最新の制御システムについても示唆していたが、詳細情報はなかった。
 現状の踏切については先にも参照させて頂いた「東京の踏切」(参照)が詳しい。特に「踏切探検隊」(参照)には自転車の状況を含め考えさせられることが多かった。

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2005.04.01

[嘘記事]寝ない子が育つの新理論:不眠社会と現代人の動物化

追記: エイプリルフール・エントリでした。背景色部分が嘘。

 日本国内では認可されていないが、米国では空港などでも時差ぼけ解消用サプリメントとしてメラトニンが販売されている。メラトニンは睡眠を誘導する脳内ホルモンだが、動物の脳などから抽出しなくても人工的に合成が容易であり、また特許の必要もないことから、米国ではごく安価な快眠用サプリメントとして幅広く利用されている。舌下錠(sublingual)の形態が吸収しやすいため、米国らしいノリでミントフレーバーなども出回っている。

cover
驚異のメラトニン
 メラトニンが国際的にブームになったのは10年ほど昔。イタリアの研究者による発表が有名だ。メラトニンを多く摂取させた動物の実験により、メラトニンが動物の長寿をもたらす可能性があるとした。この話がその後拡張され、メラトニンはすぐれた抗酸化物質であり、ボケ防止、血圧降下、血糖値低下、しわ予防などなんにでも効果があると不確実に宣伝されるようになった。日本でもスッチーのお買い物定番となり、海外旅行のお土産としても一時期話題だった。が、なんといってもメラトニンの一番の用途は睡眠誘導である。
 日本でも類似の傾向があるが、米国は不眠社会とも言えるほど不眠に悩む人が多い。29日のロイター記事"アメリカ人は寝不足で性生活に問題あり!?"(参照)では次のように伝えている。

米睡眠基金の調査によると、成人の75%に、夜何度も起きたり、いびきをかいたりという睡眠障害の兆候が頻繁に見られるそうだ。しかし、睡眠障害があるという自覚はなく、たいていは問題を無視してしまう。


よく眠れないと解答した人の3分の1が、寝不足のために配偶者との関係に悪い影響が出ていると答えた。よく眠れると答えた人ではたったの8%だった。

 米国のこうした不眠社会に定着したメラトニンだが、先月新しい研究が発表され、従来明確には解明されていなかった重大な副作用の可能性が明らかになった。2月8日の共同通信記事"睡眠ホルモン生殖機能抑制 過剰摂取は注意、広島大"(参照)では、標題からもわかるようにメラトニンが生殖機能を抑制する副作用を持つ可能性を示唆している。

メラトニンは健康補助剤として米国などで広く市販されており、取りすぎると生殖機能障害が起きる可能性があると筒井教授らは指摘している。

 幸い国内ではメラトニンはサプリメントとして販売が許可されていないで、この記事はそれほど日本では関心をひかなかったが、米国ではかなり注目された。MSNBC"Sleep hormone may affect sex organs: Melatonin commonly used by travelers to combat jet lag"(参照)では、その機序も伝えている。

This is important because GnIH has been found to have the opposite effect to the key hormone that primes the body for sex - gonadotropin releasing hormone or GnRH.

 鍵となるのは、GnIHと呼ばれる脳内ホルモンの存在だ。
 脳内ホルモンの存在については、30年ほど前だが、米国のロジャー・ギルマンとアンドリュー・シャリーがその促進系であるGnRHを発見し、1977年にノーベル医学生理学賞を受賞した。しかし、この機序のフィードバック系のホルモンについては長く不明だった。それがようやくGnIHであることが判明し、しかもそのGnIHの放出を制御しているのがメラトニンらしいということがわかってきた。

 この画期的な新知見によって、一部ではすでに現象面では注意されていたものの明確に理解されていなかった各種睡眠と生殖器官の関係が急速に明らかになりつつある。とはいえ、現状では医学ジャーナリズムの記事が先行し、権威あるジャーナルなどへの論文発表は後手になりそうだが、非常に興味深い各種知見の報道が相次ぐ。なかでも、現代人にとって大きなインパクトを持つのは、私の考えでは、次の二点である。
 一つは、睡眠と人間の性行動の関連である。メラトニンはサプリメントで補なわなくても、人間の脳内で自然に分泌されるものだが、先の記事"アメリカ人は寝不足で性生活に問題あり!?"にも示唆があったように、睡眠サイクルの異常から不定期に放出過剰となることで、性機能に抑制的な変化が見られるようになる。
結婚もしくは恋愛中のカップルの4分の1近くが、眠いためにセックスの回数が減ったり、興味がなくなったと回答している。
 この逆の現象、つまり、覚醒時の持続による性機能の昂進もある。下品な日本語だがいわゆる「疲れマラ」なども同一の現象らしい。食い慣れていない高価な焼き肉を食って起きる現象ではないようだ。

 こうした性機能サイクルだが、その生物学的な存在理由は、生物を性機能の負担から保護するものではないかとの見解が出ている。MSBNG"Sex inhibit hormon saves costy power"(参照先のMSNBCの同記事でワシントン大学のGeorge Bentley博士はこう推測している。


Such a hormone would be important for many species, he said.
 
“Reproduction is energetically costly. It takes its toll,” Bentley said in a telephone interview.
 
“So that is why a lot of animals breed seasonally. They can only afford to do it at certain times of year.”

 鳥類や哺乳類などは、四季の変化に合わせて睡眠を調節しているのだが、その延長として無駄なく性行動を誘導するということが、こうした機序の背景である可能性がある。

 二点目は、このような季節による性機能の調整に加え、人間の場合、メラトニンによる睡眠サイクルの長期的な調整が性的な成長過程にも関連しているらしい。特に、子供の深い眠りは、このGnIHの抑制機序をネオテニィー(幼形成熟)に流用している可能性があるようだ。
 ネオテニーは、生物の幼形時の特徴がそのまま時間的に延長される現象である。この現象に関心が集まるのは、1920年代にL・ボルクが、人類を他の動物から区別する最大の特徴をネオテニーとした有力仮説があるからだ。この仮説がわかりやすいのは、簡単に言えば、チンパンジーなど類人猿の幼形(赤ちゃん)の特質が、人類に似ているためである。生物学者デズモンド・モリスは「裸のサル―動物学的人間像」と表現している。
 人類ネオテニー説は、人間が性的に成熟するまでに長期間を要することをうまく説明する。人類以外の生物が比較的短期に大人の形態を取ることからもこの説は理解しやすい。この成長における性抑制機序の基軸がメラトニンの放出サイクルにあるらしい。
 つまり、メラトニンからGnIH、GnIHによる性的成熟の遅滞、そしてネオテニーという連鎖が人類のネオテニーの発現を支えている。いわば、寝る子は育つ、というのが人類の人類らしい特徴を維持してきた。
 逆に言えば、現代社会の睡眠サイクルの破壊から脳内のメラトニンを不足させることで、比喩的に言うのだが、より短期に子供が生殖器官の面で大人になる可能性も示唆される。
 不眠社会によるネオテニーの不完全さは、人類をより短期的に性的に成熟を達成させてしまうことになる。当然、成長速度のバランスが崩れることで、人間の身体形態をも変化させることになる。それは一面では性的な成熟の速成の副次的な効果に過ぎないとも言えるのだが、これまで人類を人類たらしめたネオテニーを不完全化させるという意味で、不眠社会は特異な形態での人間の動物化を促進していることにもなる。

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2005.03.31

朝日新聞社が武富士から5千万円を受けていた

 昨晩から一部で話題沸騰だが、朝日新聞社が大手消費者金融(街キン)武富士から5千万円受け取っていたという話、ネタ元である週刊文春の"朝日新聞が武富士から受け取った「ウラ広告費」5000万円 "を読んだ。率直な印象を言えば、あーこりゃダメだわ、であるが、さて、なにが駄目なのか少し呆然と考え込んだ。
 この話題をエントリに書くべきかも躊躇った。私にネタがあるわけでもないし、外交・内政・社会といった点で些細な問題に過ぎないともいえる。むしろ、国連不正でアナン無罪とはしゃいでいる日本の報道は変だよとか、英下院国際開発委員会でダルフール死者の推計が30万人を越えるとかのほうが大きな問題である。
 ただ、これらの報道も、昨年に比べると国内も改善されてきている。よく見渡せば報道はある。極東ブログも昨年は自分では孤軍奮闘感もあったのだが、最近は少し引いてよ、とも思う。
 でも、この朝日新聞の話題、なんとも奇妙に気になるので書いてみたい。最初に自分の思いを言うと、朝日新聞がすでにある種のアノミー(無秩序状態)になっているのではないか、ということだ。オピニオンの主体と会社組織が微妙に特殊なアノミーになっているように見える。そして、そう考えると、一連の事態もそれの派生ではないかとも思えてくる。とはいえ、じっくり考え詰めたわけではない。
 話は現在発売中の週刊文春が詳しい。が、簡単に当のニュースのアウトラインを見ておきたい。毎度のことなら、当事者の話をまず聞こうじゃないかとも思うので、朝日新聞記事"編集協力費処理で不手際 武富士から5千万円 週刊朝日"(参照)から引用する。


朝日新聞社発行の「週刊朝日」が00年から約1年間にわたってグラビア記事を連載した際、大手消費者金融「武富士」(東京都新宿区)から総額5千万円の編集協力費を受け取っていた。連載終了後に写真展の開催などによって同社が協賛していることを明らかにすることになっていたが、双方の都合でいまだに実現していない。31日発売の「週刊文春」が報じた。

 いい比喩ではないのだが、私が子供のころ聞いた漫才を思い出す。「きみ、それ盗んじゃいかんよ」「盗んでませんよ。黙って借りたまま、返さずにいただけです。それを盗みというとは失敬な」…漫才はここで笑う。朝日新聞のこの記事を読んでも、盗みではないのだが、同じような屁理屈で笑う。
 先の朝日新聞とNHKの問題でも、なんだか突然古い話が蒸し返されて奇妙なものだなと思ったが、今回の話も2000年から2001年のこと。古い話を文春が持ち出したものだなという印象はあったが、今回のケースでいうと、それが古いからこそ、この「双方の都合でいまだに実現していない」ということが別の陰を落とす。常識的に見て、ここまで放置されてきたのだから、ここで暴露されなければ、それが実現されることなどなかっただろう。「双方の都合」とやらが気になるが、それは文春の記事にもあり、ある意味でこの事件の面白さでもある。そこは当ブログはそれほど立ち入らない。
cover
武富士の
闇を暴く
 古い話だなということの今日的な意味がもう一つある。この時期、武富士が社会でなにかと問題を起こしていた。極東ブログ「武富士事件の山岡俊介って山ちゃんじゃないか」(参照)でも触れたジャーナリストの山岡俊介氏は現在ではココログにブログを持っていて、当時についてエントリ"武富士から「ウラ広告費」を5000万円もらっていた朝日新聞"(参照)ではっきりと語っている。

 しかも、この連載期間、偶然というべきか、本紙・山岡が盗聴を受けていたまさに期間と重なるのだ。
 こうしたことから、実は朝日新聞社は盗聴事件が浮上した時、あわたふためいたようだ。

 朝日新聞が武富士からこの金銭を受け取っていた時期は、まさに武富士が社会問題を起こしつつある渦中でもあった。朝日新聞社の態度は、ある意味で信じられないような話でもあり、ある意味でよくある話でもある。
 NHK番組の内容に政治家が介入したかという視点に似た言い方をすると、こうして作成された朝日新聞社の雑誌記事に武富士の思惑なりがこっそりどの程度反映されたのかが当然気になるところだが、ざっと見た範囲ではそれはなさそうではある。朝日新聞としては武富士の名前を消してしかも武富士側からの意向も受けてないのだからなにが問題なのかとも言い得るのだろう。
 ただ、世の中、カネはちゃんとものを言うのだ。イエス・キリストが、あなたは神に仕えるかカネ(マモン)に仕えるかと問うたが、そこで神を強調すれば宗教だろうが、人が自己の倫理・道徳で生きるかカネのために生きるかと問い直せば、人生なんて案外その択一だけの単純な懊悩の連続なのである。
 文春記事ではそのカネのつぶやきを拾っている。2003年12月武富士会長が逮捕されたおりの朝日新聞社発行週刊朝日の報道状況をこう記している。引用冒頭の「その結果」とは5千万円のカネを貰った結果ということだ。関係者は武富士の事件についてこう言う。

 その結果、盗聴事件で武井会長が逮捕される前後、うちは三回しか記事にしていません。短い記事でお茶を濁したんです。やれっこないですよ、うちがあんなお金もらっておいて」(別の「週刊朝日」関係者)
 バックナンバーを調べてみると、武富士関連の記事はたしかに三本あるが、いずれも一ページ弱から二ページのものばかりだ。「AERA」も同様で、逮捕直後の一本(しかも一ページ)しか取り上げていない。
 同時期の他誌と比較するとその異常さは歴然とする。小誌は七本、「週刊ポスト」は六本、「週刊新潮」「フライデー」は五本、「サンデー毎日」は六本。

 そういうふうにカネは語るものである。あるいは、黙らせるものだ。
 ところで、私の関心は、なぜこんな話が今頃出てきたのかに、むしろある。この疑問は文系春秋社にも向けるものだが(それと広告の流通もだが)、とりあえず朝日新聞社に絞る。
 文春の記事を読む限りでは朝日新聞内部ではすでに問題視していただろうし、だからこそ文春側もある程度期間を置いて取材していたのだろう。なぜこんなに暴露が遅れたのか。別の言い方をすれば、この話が本来出るべきなのは、2003年の武富士会長逮捕の時点だろう。その時点で、朝日新聞は、結果的にバックレに決め込んだとも言えるのだが、私は、これは、ただ現実的な意味での責任者の不在ということではないかと疑う。
 前回のNHK・朝日問題でも本田雅和記者の行動を上部がきちんと把握していのか疑問に思える。この件のその後の対応でも、朝日新聞社には現実的な意味での責任者が不在、という事態なのではないかという思いが拭えない。
 朝日新聞社が社会に向けたオピニオン発信者として統制された主体があれば、もっとはっきり社会にものを言うべき事態なのに、そうした声は聞こえない。朝日新聞社はすでに自社の統合を喪失した状態の、各種の兆候を示しているのではないか。

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2005.03.30

止まらないGMの転落が暗示する世界の先には

 昨日の朝日新聞記事"トヨタ、08年に970万台生産へ GM超えも視野に"(参照)では、標題どおり、トヨタ自動車(ダイハツ工業と日野自動車を含む)グループが2008年に生産の計画を970万台とし、米ゼネラル・モーターズ(GM)を抜いて、自動車メーカーとして世界一になるとあった。朝日新聞、そう来たか。
 GMは確かに大変なことになっている。業績不振である。30%代を維持してきた市場シェも25%まで落ちる。転落が止まらないように見える。同記事にはこうある。


 GMは04年の世界生産台数を明らかにしていないが、ほぼ同規模の販売台数(小売りベース)は899万台。トヨタの04年の世界生産は754万台にすぎない。
 しかし、GMは主力の北米でトヨタなどに押され、多額の販売奨励金をつぎ込んで販売台数を確保しているのが実情で、経営悪化に苦しんでいる。

 やや旧聞だが今期GMは赤字に転落した。17日の日経記事"GM、1株利益が赤字転落"(参照)が詳しい。

 同社は1―3月期について収益トントンになるとの見通しを示していたが、前提となる北米の生産が過剰在庫圧縮を狙った減産で予想を大幅に下回っている。価格競争も激化した。通期の一株利益予想は従来の4―5ドルから1―2ドルに落とした。従業員・退職者の医療費・年金負担も財務を圧迫し、有力格付け会社の一部はすでに長期債の格付けを引き下げる検討に入っていた。

 金融市場にも影響が出てきている。28日の日経記事"米投資家心理は委縮、GM業績悪化や原油高懸念"(参照)ではこう伝えている。

米金融市場で投資家心理の委縮が目立っている。自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)の業績悪化を機に浮上した企業の信用問題や原油高への懸念などが続いているためだ。

 とま、そういうことなのだし、この分野のビジネスに関わりのない私などがどうコメントすることもないのだが、いくつか思うこともある。
 まず、リストラ。赤字転落前に、GMは当然いろいろとリストラした。売れない車種は整理した。そのあたりはごく普通のことだ。気になるのは、金融子会社(GMACコマーシャル・モーゲージ社)の処分だ。GMは自動車ローン関係から金融子会社をもっており、以前はそれがけっこうな稼ぎ手でもあったのだが、これもリストラした。結果的にではあるが、GMほど大きな企業でも本業は何かと問われるものなのか。経営というのにはそれなりに王道というか根本原理というか倫理というかが、やっぱりありそうだな。
 倫理と思ったのは、近年のGMのリコール問題もある。もともと米国市場シェアが高いせいもあるのだがGMのリコールが目立っていた。作りに気合いが入ってなかったのかとも思うし、このあたりことは、物つくり好きの日本人には小一時間問いつめるネタになるかも。
 マーケティング的にもGMはつまづいた。2001年のテロ以降、販売店のインセンティブを高める目的でGMは高額なキックバックを行なっていた。短期的なカンフル剤的な効果はあったのだろうが、米国でありがちな値引き合戦とともに収益の圧迫原因になった。こういう、とにかく目先で売っちゃえ、という感じの経営って、いかにも米国的だなと思うし、この失敗は日本にとってもいい教訓であるのかな。
 GMは雇用もリストラした。一万三千人を整理。GM全体の20%ほど。先の日経の記事にもあったが、ただ雇用調整したというだけでなく、重要なのは「従業員・退職者の医療費・年金負担も財務を圧迫し」ということのほうだろう。医療費はGMにとってかなりの財政的な負担だったようだ。
 このあたりの、いわば企業の福祉切り捨てという動向は、GMだけとは限らない。とすれば、現在ブッシュ大統領が進めようとして逆風を受けている年金改革なども、クルーグマンがいろいろ理屈をこいても、いずれ順風ということになるような気もする。日本人にしてみると米国って社会保障の面では索漠とした国だなという印象が強まる。
 私はそういう国のあり方は少し違うのではないかとも思う。GMの件でも、社会の福祉を担う会社の雇用のありかた、つまり広義の経営が問われてくるようになる、ということなんじゃないか。社会と企業経営の関係において、よい経営がより強いのだという話にまとめるのはちょっとムリメでもあるが。しかし、福祉的な側面について国内的に切り捨てるほうが効率的な経営だぜ、という方向に進めば、結局、社会と国がじわじわ駄目になっていくっていう悪循環ではないのかと。
 別の言い方をすれば、利益を高めるには社会保障の薄い中国で自動車を効率的に生産できる体制にすればいいわけだ。それって、国内の雇用の差分の利益じゃないのか。もちろん、マクロ経済学的には…、などと私がいうのもまたも失笑であろうが、しかし、そうしたシフトはただの産業構造のシフトに過ぎない。そのシフトは、米国も日本も、いわゆる物つくりじゃないサービス産業に向かえ、ということなのかもしれない。
 私としては、内心ではこっそり、米国人や日本人にまだ欲しいものやサービスってあるのかよと思うのだ。質素な生き方という選択でもいいのではないか。その分、社会保障と雇用を考える国家のほうがいいんじゃないかと。

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2005.03.29

おそらく40歳くらいから始まる第二の人生

 職業とは何か、仕事とは何か。私はあまり関心に上らない。無業者(通称ニート)が増えているというが、施を受ける乞食(こつじき)こそ仏道でもあるし、いろんな生き様があってもいいのではないか。そんなことくらいしか思いつかない。それでも無意識にひっかかることはあるので、つらつらと考えてみて、いわゆるぶっちゃけ、なんで働くのかと言えば、ローンを返すことじゃないかと思い至った。
 実父に対する孝の薄い本なので好きじゃないし、しかも読んでもカネに縁ができそうでもないなと、引っ越しのおり捨ててしまったのだが、「金持ち父さん貧乏父さん」にも、たしかローンを背負ったら終わり(じゃなかったか、損だったか)みたいな話があった。働き始めた時点で35年といった住宅のローンを背負い込むと、まあ、35年は働かないといけないということになる。昭和32年生まれの私の世代だと男の場合、結婚年齢の平均は28歳くらいだったか。それで35年ローンを背負うと、終わるのは63歳。定年ちょっと前というあたりだ。
 と、現在こう書くとなんだか奇妙な感じがするのだが、当時はそういう世界が普通だったように思う。私はそうした世界の空気を吸いながら、まだまだドンパチ仕事をしていたつもりでも、反面、なんか世間から落ちこぼれてしまったなと思った。
 その後、日本の世間も変わり、都市部では30代前半の男性の半数くらいは未婚者のようだ。30代の女性もそうなりつつある。晩婚化、そしてそれゆえの少子化ということでもあるのだが、仮に35歳で結婚するとしたら、もう35年ローンは組めないんじゃないか。終わるのは70歳。70歳まで結果として働くことになっても、ローンの計画は難しいのではないだろうか。もちろん、35歳で結婚ということならある程度資産形成もできているので、頭金を増やして、20年ローンとかもありだろう。このあたりの現実の統計を知りたいのだが、そうなっているのだろうか? 印象としてはなってないような気がする。
 たぶん、結婚してローンを背負ったから、それゆえに働く、というのは少数とまではいえないけど、すでに普通ということはなくなったのだろうと思う。ローンがなければ、長期的に働くということの実際的な意味はない。もちろん、どっかに住まないといけないので、賃貸は発生するだろうが、いずれ短期的な計画だけとなる。
 それどころか、いわゆるパラサイトは、親の家をその老後の面倒と合わせて受け継ぐのだから、ローンどころか賃貸の見通しも不要ということになるだろう。そうした人口がけして少なくない。一つのモデルとしては長命化する老人介護につきあって気が付くと人生40歳、50歳ということにもなるのだろう。そう書いてみて、なんか不思議な世界になったなと思う。
 いい悪いではないし、統計を扱っていないので杜撰な議論だが、それでもそうした光景は現状から未来をそう外してるものでもないだろう。
 ローンも、そして賃貸すらない。となると、糊口がしのげるなら、仕事の経済的な意味は薄くなる。そこで、じゃ、適当に暮らすかというのと、自己実現を仕事に賭けるかというのの択一となるのだろうが、後者であっても、大半は40歳、50歳とういうところで人生は失敗するのだろう。なにも悲観的なことが言いたいわけでもない。
 話がずっこるが、目下話題のホリエモンだが、私の記憶だが、彼はこうしたビジネスを40歳くらいまでやるきはないみたいに言っていた。彼をメディアで通してみていると、毀誉褒貶という意味でもないのだが、彼にとって仕事とは40歳くらいっていうものなのだろう。彼はそういう人間の一つの象徴でもあるのだろう。
 で、人は、日本人は、そうして40歳から50歳となってどう生きていくのだろう。現在のその世代の人々の生き様はある意味では参考になるだろうし、ある意味では参考にもならない。全共闘世代の実際の全共闘の経験者の比率は少なく、この私より10歳も上の世代の大半はまだ古い枠組みの世界に生きている。たぶん、ローンも10年残っているのじゃないか。

cover
明日を支配するもの
21世紀のマネジメント革命
 そういえばと思って書架のドラッカーの「明日を支配するもの―21世紀のマネジメント革命」をめくる。彼は「自らをマネジメントする」という章で、知識労働者の生き方・働き方について5つの項目を掲げて説明するのだが、その最後の項目が「(5)第二の人生はなにか」とある。
 日本で普通、第二の人生というと、定年退職後を指すだろうし、ドラッカーもそうした文脈を大きく外しているものでもないのだが、自分の問題意識を変えて読み直すと、随分印象が変わる。

 今日、中年の危機がよく話題になる。四五歳ともなれば、全盛期に達したことを知る。同じ種類のことを二〇年も続けていれば、仕事はお手のものである。学ぶべきことは残っていない。仕事に心躍ることはほとんどない。

 こうした意見に反論もあるだろう。何歳でも学ぶことあるとか、IT化がさらに進めば全盛期は三五歳くらいでしょとか。しかし、自分の経験からしても、たいていの人は、四五歳ともなれば、仕事に心躍ることはほとんどないと言えるように思う。もちろん、そうでない人もいるだろうが、たぶん、大半の人は内心、自分はそれほど成功者ではないと思っている。
 ドラッカーはまさにそこをきちんと突く。

 知識社会では、成功が当然のこととされる。だが、全員が成功するなどということはありえない。ほとんどの人間とっては、失敗しないことがせいぜいである。成功するもがいれば、失敗する者もいる。

 ドラッカーはそこで成功の次元を変えるという話を進めるのだが、私はここでドラッカーがポイントとしているのは、別の形態の成功ではなく、絆(きずな)ということだと理解している。彼は日本にその期待を抱くという文脈でこう語る。

いかなる国といえども、社会が真に機能するには、絆が不可欠だからである。

 そして、こうした第二の人生というのは、助走が必要だと彼は説く。

 しかし、第二の人生をもつには、一つだけ条件がある。本格的に踏み切るにははるか前から、助走していなければならない。


 労働寿命の伸長が明らかになった三〇年前、私を含め多くの人たちが、ますます多くの定年退職者が、非営利組織でボランティアとして働くようになると予測した。だが、そうはならなかった。四〇歳、あるいはそれ以前にボランティアの経験をしたことがない人が、六〇歳になってボランティアになることは難しかった。

 そうした助走は、四〇歳くらいから始まるのだろうと思う。

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2005.03.28

EU(欧州連合)憲法お陀仏の引導を渡すのはフランスとなるか

 標題にはちょっとばかりの悪意があるが、それほど釣りの意図はない。最初に明言しておくと、EU(欧州連合)憲法なんか潰れてしまえとも私は思っていない。環境問題のEUのありかたから、私もけっこう影響を受けてきているせいもある。
 とはいえ、潰れる可能性は当面高まっている感じがする。話は少し古いが、18日付で発表されたフランスの世論調査(CSA)では、僅差ながら、EU憲法憲法成立への反対が51%となり、賛成49%を上回った。この二週間で賛成が14%もがくんと凹んだ。
 この急激な変化にはわけがある。毎日新聞記事"欧州憲法:フランスで反対強まる 5月に国民投票、域内他国に影響も"(参照)は、その理由についてパリジャン紙をひいてこう伝えている。


 同紙は、EU不信に加えてラファラン内閣に対する国民の批判が「制裁票」になっている可能性を指摘している。仏では2月のゲマール前経済相の不動産スキャンダルの表面化に続き、教育改革反対の高校生や、政府の経済・労働政策に抗議する官民の労働者がデモを展開、対政府圧力を強めている。

 ということで、毎日新聞の外信では、ニュースなどでも伝え聞くフランスでの大規模なストライキの余波と見ているわけだ。が、なぜか「政府の経済・労働政策に抗議する」として、その内実に触れていない。これは公共部門での賃下げと法定労働時間35時間の見直しが含まれている。
 同記事ではこれに続けて「サービスの自由化」を上げている。

 また、EUのボルケスタイン前欧州委員(域内市場担当)が起草した「サービスの自由化」についての域内指令が仏国民の危機感をあおっている。旅行・ホテル業、建築・不動産業、レンタカーなどの分野で加盟各国企業に対してEU域内での自由営業を認めるもので、安価な労働力の域内移動が加速され、すでに失業率が10%に上っている仏国民は職を脅かされることになる。

 これでも国内紙では毎日新聞の外信はよく伝えているほうなのだが、もしかするとシラク大統領来日に遠慮しているのではないか。

 欧州憲法反対派はこの域内指令を反EUキャンペーンに利用しており、シラク大統領は15日、EUのバローゾ欧州委員会委員長との電話会談で「受け入れられない」と指令の再検討を要請した。

 とややぼやけたトーンなのだが、この点は、19日付フィナンシャルタイムズの愉快な標題の記事"Falling out of love"(参照・有料)では、きちんとというか強いトーンで書かれている。

Mr Chirac's latest move to blow the directive out of the water was to ring up Jose Manuel Barroso, the Commission president, this week to tell him the services plan was "unacceptable", and then spread his demarche all over the French press. Hardly a tactic to endear Brussels to the French electorate, or himself to Mr Barroso, who said he was "amazed at the French debate".

 EUの基本となるべき「サービスの自由化」をけっ飛ばしたのはシラクであり、バローゾ欧州委員長もこのおフランスな議論"the French debate"には、びっくらいこいた。ポルトガルは田舎だがや、ってか。
 それにしても、法定労働時間35時間の見直しにしたって、もとはといえばフランスが吹いていたリスボン戦略じゃねーか。ったくよぉ。ちなみに、リスボン戦略というのは2010年にEUが世界でもっとも競争力のある世界となるというもの。笑うな。
 バローゾにしてみれば、フランス人ってのは国民も国民、大統領も大統領である。それに、またかよでもあろう。と同時にこのあたり、バローゾを支持した英国の気持ちをフィナンシャルタイムズが代弁している。原文にはさらにジャン・モネ(Jean Monnet)を引いてもってまわった英国風の皮肉が込められていたりして、読みづらいったらありやしない。
 いずれにせよ、この流れでEU憲法お陀仏の引導を渡すのはフランスとなるかなのだが、ま、そうなるんじゃないかというのは極東ブログの従来からの読みでもあるのだが、差し迫ったとはいえ、国民投票が実施される五月二九日までは間がある(フランス政府としてはこれでも間を取らないための日時設定だが)。今回の世論調査でも、棄権が53%もいるので、充分覆る可能性はある。
 今週のニューズウィーク日本語版(3・30)"EUを救う民間の底力 腰が重い政府を尻目に民間レベルで高まる改革の波"では、旧来勢力のパリのストライキに反対する動向に着目している。

 パロゾの改革を支えるのは、破綻寸前の福祉国家などあてにできないと考える若い起業家や活動家。

 としているが、こうした勢力や、従来からの欧州統合派などが盛り返してなんとかフランスの国民投票を乗り切るという可能性もある、というか、ルペン潰しの時の図柄を思い出してもそうした可能性は考えられはする。
 それにはさっさとシラクが引っ込むべきかもしれないし、そうすることで昔懐かしいおフランスな政治風景も変わるかもしれない。もちろん、フランスがこければイギリスがこける。

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2005.03.27

終わったのか、ホリエモン

 月曜日以降また奇妙な展開があるのかもしれないが、ホリエモン騒動のコマがまた一つ進んだようだし、どうも腑に落ちないことが多いので、そのあたりを、結果的に私もワッチしてきた手前書いておきたい。
 前々回「釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世」(参照)でふざけたトーンでこう書いた。


もちろん、窮鼠猫を噛むの例えもある。ホワイトナイトだかなんだかわけのわからない迫撃砲がどかんと一発禿げ頭になる可能性もある。あると言えばある。でも、もうそれって、経済とかマーケットとかの次元ではない。

 「禿げ頭」というのは失礼な話だが、このおりソフトバンク孫社長を少し思っていた。ホワイトナイトもありだし、ホワイトナイトならというなら、先日の野球の騒動を顧みても、面子的にそうかな、と。もっとも、予想したとおりだった、などとも思ってもいない。それに、今回の件は直接的にはSBIであってソフトバンクではないとされている。
 いずれにせよ世間的にはというかネットの空気も、ホリエモンこれで終わったでしょう、負けたでしょうというのが感じられる。すでに総括しちゃったブログもあるし。確かに、ホリエモンがフジテレビを取得するかという点ではそういうことかなとは思うが、ニッポン放送については、たとえそれが資産価値としては空っぽでも、また多少難題はあるにしても、得ることはできただろう。その意味で、負けでもないし、AAで終了と大書する、ということでもないとも言える。ただ、ホリエモンもこの件で多額の金を動かしており、それがこの結果では、メリットが実質なし、だろう。それに、他事業から推測しても、ニッポン放送の経営の才覚もないだろう。
 私としては、ちょっと話を戻して考える。SBIの登場は突然の感はあったのだが、そうなのだろうか。当ブログ「ホリエモン・オペラ、間奏曲」(参照)で類似の想定には少し触れておいた。

で、フジ側はどうするかというと、週刊文春(3・10)にも噂が飛んでいるように、「メディア初の共同持ち株式会社を作って上場し、他を未上場会社にする」という手に出てくるのだろうか。

 週刊文春で触れていたこのシナリオがずばり現在のシナリオというのものでもないが、想定ケースとしては類似のものだろう。というか、SBIの今回の立ち回りのカネの出所がフジ関係だということはないのかとも疑問に思うが。
 かいかぶるわけでもないが、ホリエモンとしても、企業買収を業態としているプロであり、こうした事態こそ想定の範囲内だったのではないか。つまり、SBIが出てきて、「え、その手があったのか、ガーン!」というほどナイーブな話とは素人の私にも到底思えない。なにより、この手法こそクラウン・ジュエル(参照)そのものであり、これをプロが想定していないとは考えにくい。
 しかも、ライブドアとニッポン放送という枠組みでクラウン・ジュエルを見るうちはいいが、フジテレビにしてみるとニッポン放送をTOBまでした株主なわけで、日本の風土的には所詮ニッポン放送はフジテレビのものという先入観はあるのだろうけど、フジテレビの株主、特に外人とかにしてみると、フジテレビはなんちゅう経営やってんのじゃ、という異文化的に変な図でしかない。
 この関連で言うなら、結果的に、フジのニッポン放送TOBとはなんだったのだろう? やってみなくても負けとわかっていたけど、やってみたら負けました、だったのだろうか。大東亜戦争っぽい感じもする。
 わからないと言えば、ニッポン放送の新株発行予約の裁判沙汰も、メディアでは、当時の地裁の時点だが、口を揃えて、「結果はわからない」「地裁がどう出ても長期化する」という話ばかりだった。この件については素人考えにもあまりにも変なので極東ブログ「ホリエモン・オペラ、間奏曲」(参照)でこう指摘しておいた。

ただ個人の勝手なブログなので勝手に賭けに出ると、裁判所沙汰について言えば、ホリエモンの勝ちでしょう。


であれば、裁判所の判断は案外単純に出るだろう。

 自分が予想を当てたと言いたいわけではない。この分野に知悉しているわけでもないのだから。ただ、この話は視点さえ定まれば素人にも、すっきりわかる。むしろ、わけのわからない煙幕が張られているな、ということが単純にわかった。
 繰り返すが、新株発行予約の話など、最初からフジテレビ(ニッポン放送)側に勝ち目のない、ただの煙幕として想定されていたメディア陽動作戦であり、メディアは実にフジテレビ側に協力していた。こんなことが本当に起きていたのかというのはちょっと驚く。と同時に、煙幕というか情報陽動作戦はそれだけだったとも思えない。
 SBI登場でホリエモン負けの空気が醸し出されたのは、構造的に見るかぎり、フジテレビはLBO対象になりうるという構図がオモテに出てきたことの対応でもあった。この構造はまさに構造なので、しかも、当初ニッポン放送がフジテレビの親会社的な位置にあるという構造とともに、今回のホリエモン騒動の構造的な基底となっていた。もちろん、素人の私などそんなことは事前に知らなかったのだが、知ってしまえば、それは現実の構造なので、情報陽動でどうとなるものでもない。見方が変わっても構造というのは変わらない。
 SBIの登場で、この構造が変わったのか? ニッポン放送の位置については変わったと言えるかもしれないが、依然フジテレビがLBO体質である構造には大きな変化はない。
 話が回りくどくなったが、要するにホリエモンが現状のフジテレビをLBOで入手するためのカネの工面ができない、よりしづらくなったということだけだろう。
 これには二点ある。一つはSBIにニッポン放送が持つ議決権を握られたから、そこがゲタにならないということと、もう一つはLBOしづらく状況が転換したということだ。
 この後者なのだが、情報の流れという点でいうなら、産経新聞をかかえたフジサンケイグループ憎しという頓珍漢な友軍である朝日新聞のLBOニュースが実に効いた。
 この経緯は、率直に言ってある程度解っていても私も乗せられたクチだった。極東ブログ「釣り堀衛門? いえいえ算盤弾いて末世」(参照)はそのログでもある。情報との向き合い方において、自分の失点かなと思うのは、当のホリエモンの言葉に耳を傾けるのを待たなかったことだ。待ってみると、ホリエモンは否定したのである。なので、「モーソーモーソーとホリエモンは言う」(参照)を続けて書いたのだが、いずれにせよ、朝日新聞が流したLBOニュースは、素直に経緯を見るなら、ホリエモンからこの時点で出た話ではない。
 このLBO話は誰が出したのか? すでに先のエントリでも触れた話なので再記しないのだが、この情報の出所が気になる。ただの朝日新聞の飛ばしとも思えないし、朝日新聞側にこの件での情報操作の意図があるとも思えないのは、頓珍漢な友軍爆走が他に多いことでもわかる。
 今回の件では、どうも、不可解な情報陽動策が目立つ。陰謀論とまで言わないが、あまりに煙幕が多い。
 しかも煙幕を取り払うと奇妙な絵が出てくることが多い。LBOニュースでも、その情報で誰がメリットを得るのか?と考えたのだが、同じ発想で今回のSBIの登場を見れば、結果的にソフトバンクグループによるフジテレビの支配という構図だけが見てくるのも奇怪だ。すでにそうした陰謀論みたいなものも見かけるがしかたないだろう。
 単純な話、ホリエモンもカネを張って勝負に出て、それにフジ側も乗ってしまったのだから、ニッポン放送からお帰り願うとしても帰りの駄賃くらいは出さないとホリエモン側としてもお商売にはならない。もっとも、ホリエモン本人がなに考えているのか、最近クチが堅くなったみたいなのでよくわからないが。
 そうしてホリエモン自身という要素を今回のSBI効果の結果の構図から抜いてしまえば、全体の絵は、また単純になる。LBOに弱い構造をもっていたフジテレビをソフトバンクがいきなり触手を伸ばしても、ホリエモン騒動以前なら、すんなりと事は進まなかっただろう。
 私としては、そうした陰謀論みたいな話にはあまり関心はない。が、結果的に、フジテレビという旧メディアがソフトバンクというITメディアの産業と提携し、メディアの構造が変わる、それが重要だみたいな話も、それはそうであっても、まだまだ早すぎるように思う。
 つまり、メディアの構造と状況にそんな変化はないでしょ、と。OECDが懸念しているように日本のデフレはまだ終わってないでしょ、というのに似ている。立ち枯れ状況がまだまだ続くのであり、それは退屈でもある。しかたない。

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