下校時の学童の安全はスクールバスを考慮すればいいのでは
下校時の学童が狙われる痛ましい事件が目立つ。新聞社説なども取り上げているのだが、スクールバスの議論があまりないのはなぜだろうかと疑問に思った。チャーリーブラウン好きの私にしてみると、学童の通学イコールスクールバスというのはアメリカだけのこととも思えない。
社説がまったくスクルールバスについて触れていないわけではない。昨日の朝日新聞社説”また女児殺害 大人が懸命に守らねば ”(参照)にはこうある。
特に細心の注意をしなくてはいけないのは下校時である。今回の女児は防犯ブザーを持っていたが、被害を防ぐことができなかった。
通学路が遠く、大人の目が届かない場合には、幼稚園や保育園で使われているような送迎バスを用意するなどの対策を取るべきだ。
保護者の視線ではなく、犯人の視線に立って、子どもたちの通学路を再点検する。そのうえで、危なそうな通学路の要所要所に大人が立つ。そうした工夫が欠かせない。
話が少しそれるが、防犯ブザーについては私はナンセンスではないかと思う。朝日新聞が「被害を防ぐことができなかった」と書くには、それなりの効果が警察や地方行政側から認定されていたのでなければおかしい。つまり、警告音の規格などがあるのか。実態はないのではないか。だとすればそんなもの初めから被害を防ぐものでもあるまい。そして、その話のついでにスクールバス(送迎バス)の話題が出るのだが、「通学路が遠く、大人の目が届かない場合には」という奇妙な留保がさらに付き、話はずるっと大人の目論に流れていく。
この問題は大人の配慮といったマネージメント論的考えるのではなく、システム的にスクルーバスを導入したほうがいいと考えべきだと思うが、むしろ朝日新聞社説は、「それには及び腰なんだよ」というメッセージを出しているようにしか読めない。なぜなのか。
今朝の日経社説”狙われる子供 皆で守ろう”(参照)には、スクールバスが出てきて当然の文脈に、すっぽりと、ない。
警察庁は一昨年、15歳以下の子供の連れ去り事件の実態調査をした。犯行現場は半数以上が路上で、時間帯は登下校時が多かったという。最近の事件を見ても、まずここに手を打たなければならない。
通行人の死角になる危険な場所や過去に犯罪が発生した地点をマークする「安全マップ」を通学路を子供と一緒に歩いて作ったり、地域のボランティアが登下校の「見守り活動」をしたり、赤色灯や警察署直通のインターホンといった「緊急通報システム」を備えたり……。手段がいくらでもあるわけではないが、各地で始めているこうした対策をまず広げていくことだ。
子供たちの身の安全は、地域の大人が力を出し合わなければ守れるものではない、と再確認したい。
私の偏見だろうか。そうした実態があるなら、道徳論とか奇手を考えるより、システム的にスクールバスを考えるべきではないのか。なにか規制でもあるのだろうか。
世論的な要望はあると思う。たとえば、十一月二十八日の読売新聞大阪版に匿名のこういう投稿があった。
我が家は学校から遠く、子供の足で40分かかります。帰宅時間を少し過ぎただけでも不安になり、迎えに出ます。娘が連れて行かれそうになってからは、しばらく学校近くまで迎えに行きましたが、仕事の都合もあり、毎日とはいきません。
娘の件から1週間後、別の女児が被害に遭いかけました。学校は「変質者に注意して」と呼びかけましたが、心配でなりません。
こういうことが起こる度、スクールバスを導入できないかと思います。現在、地域のスクールヘルパーさんが要所要所に立ってくれますが、そこを過ぎると見守る人がいません。海外では、スクールバスが当たり前のところもあるといいます。費用面で難しいのかもしれませんが、一番大切なのは子供の安全です。大人の都合ではありません。有料でも、利用したい人は多いのではないでしょうか。
なぜ議論がくすぶる感じなのだろうか。
背景がよくわからないので、少し調べてみると十年前のものだが気になる報道もあった。”自家用有料スクールバス“ノー”波紋 運送の対価なら幼稚園用も違法/運輸局”(読売新聞中部1994.4.3)より。
愛知学泉大学(本部・愛知県岡崎市)が白ナンバーの自家用スクールバスを有料運行し、同県警豊田署から道路運送法違反の疑いで事情聴取を受けたが、これをきっかけに、愛知県下で運行されている私立幼稚園の通園バスでも、大半が有料運行している実態が浮かび上がってきた。中部運輸局は「運送の対価として収受すれば、違法となる」と主張、幼稚園側の困惑を呼んでいる。一方、同県私学振興室では、「園児の安全を考えれば通園バスは必要で、実費弁償的な料金は徴収するのがスジ」と実態を追認し、運輸局と真っ向から対立する見解。全国的にも同様の状態にあるとみられ、論議を呼びそうだ。
というわけで、これは幼稚園児であり、白ナンバーでもあるということだが、「議論をよびそうだ」とあるわりに、その後の議論は聞いたこともない。あったのか。
スクールバスの導入は現実的には白ナンバーとなるのではないかと思うので、こうした規制の実態と背景も知りたいとは思う。
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コメント
はてなユーザーではないので、日記の件でこちらに投稿します。
これまで小学校は基本的に徒歩通学が出来る事、というのが原則でした。そして、子供が減って学校が過疎化し、統合の問題が浮上しましたが、先の原則を盾にして統合に反対しているのが文科省と日教組です。特殊な地域を除いたスクールバス通学を認めると、統合-リストラに口実を与える、というのがスクールバス論議がタブーになっている原因だと思います。
投稿: (スクールバス問題) | 2005.12.04 18:19
スクールバス賛成! でもスクールバスを導入すると、学校の数はもっともっと少なくてもよいことになってしまうので、教育関係者は積極的じゃないんじゃないかしら。
投稿: kafusanjin | 2005.12.04 18:55
「子供が減って学校が過疎化し、統合の問題が浮上しましたが、先の原則を盾にして統合に反対しているのが文科省と日教組です。特殊な地域を除いたスクールバス通学を認めると、統合-リストラに口実を与える、というのがスクールバス論議がタブーになっている原因だと思います」。という上記のコメントが、本当なら、ゆゆしき問題ですね。ミケ
投稿: 屋根の上のミケ | 2005.12.04 19:44
元PTAとして、ちょっとコメント。
統合に反対するためにスクールバスが導入
されていないというのは単なる憶測です。そ
れだと子どもが10km以上も歩いて通うよう
な旧来の過疎地ではスクールバスが導入
された実績があってもいいはずですが、あ
りませんから。そもそも栃木県今市市はも
ともと人口が少ない(栃木の中核都市では
あの「Y字路」のような通学路が長距離ある
のはザラです)ので、少子化-学校過疎化
理論が当てはまりません。
実際には、スクールバスというものに対する
「ぜいたくだ」観が教育関係者のみならず社
会に根強いからです。昨年、都内公立全校
に冷房を導入するという話が出たとき、これ
も「ぜいたくだ」ということで批判されました。
実際には夏の体感気温がものすごく高くな
っており、冷房導入は学校現場ではほとん
ど必須なのですが(授業中に子どもが熱射
病になる事例も多いです)、現実をみない精
神論で反対されるわけです。同じパターンで
すね。
代わりに、PTA経由で保護者に「通学路パ
トロール」という無償労働でカバーすることに
なるわけですが、共働き率が高い地域では
これは家庭にとってかなりの負担になります。
実は、その負担を解消するために、地方公
共団体がシルバー人材センターに依頼して
「緑のおばさん」のような人たちを手配して
いたのが今までの通例でした。しかし、近年
の緊縮財政のあおりで、こういった手配を行
えないケースが各地で急増しています。疑われる方はご自分の近隣の学校に確認してみ
てください。
かといって父兄がパトロールに出る率が急
に高まるわけもありませんから、通学路には
一種の“真空地帯”が生まれてしまっている
わけです。かといって、父兄が要望を出して
も「そんなお金はない」…つまりぜいたくだ、
という反応が返ってくるだけで改善はされま
せん。
つまり、スクールバスもパトロールも「ぜいた
くだから」実現されないのです。「ぜいたくで
はないのだ」と主張し、声を上げていくことが
重要でしょう。
日教組だの文科省の陰謀に責任を負わせる
のはわかりやすいですが、単なるフィクション
なので現実の改善につながる視点ではあり
ませんね。
投稿: Bar | 2005.12.04 20:34
それから、米国のスクールバスは治安対策
ではなく、黒人入学拒否のような人種差別
をなくすための強硬措置です。
投稿: Bar | 2005.12.04 20:38
確かに教育現場には「質実剛健」をよしとする風潮が根強いですね。現場でエアコン問題と同じ構図でスクールバスもタブーになっている可能性は僕もありえると思います。とにかく実際に自分の足で歩かせることが大前提で、ここから安全対策の議論が進められることになるのでしょう。
投稿: Zyugem | 2005.12.04 21:20
以前、温泉旅館に勤めていました。旅館での送迎はよくあるのですが、白ナンバーですと最寄りのバス停や駅までの送迎しかできないそうです。離れた駅へ送迎したり観光地へお客様を案内する時には緑ナンバー(二種免許)が必要になります。
つまり免許も無しにバス会社の仕事を取るな、って事みたいですね。もしバスでの送迎が必要なら、学校で緑ナンバーのバスを所有して二種免許を持つ運転手を雇うか、バス会社から派遣してもらうかって方法になると思うのですが。。。
投稿: らいらい | 2005.12.04 21:23
Barさんへ。
過疎地でのスクールバスの運用はもう現実に行われていますよ。
「スクールバス 学校統合」でググってみてください。沢山の例がありますよ。でもここで問題になっているのは、安全対策の為にスクールバスが利用できるかという事ではないのでしょうか。それが可能なら都市部でもスクールバスの運用ができるようになり、都市部の学校統合が進むとは考えられませんか?
投稿: ロム男 | 2005.12.04 22:04
私は、家から小学校まで2kmの距離があり、
小学校一年の頃はバスでの集団通学でしたが、二年からは徒歩での集団通学に切り替わりました。
新一年生の女の子の一人の親がバス通学に強硬に反対し、うちの子は一人でも徒歩で通学させる。と言い切った(その子の家はあまり裕福では無かったのは確かですが...)のがきっかけですが、
よく調べてみると、川を挟んだ地区にはバスが通っておらず、ずっと徒歩通学で、徒歩でも十分通える。事が最終的な判断になったようです。
問題は、自分の子供のみならず、バス通学に反対する親の子供の安全も守らなければならない点でしょう。
友達が殺された子供はどういう事になるのでしょうか?
投稿: Deki | 2005.12.05 00:38
この問題をバスなり人力監視なりで
(適正は地域によるだろう)
何なくカバーできるぐらい
ドロップアウト団塊のマンパワーと金銭パワーはある。
やるかやらないかだけだ。
投稿: 無粋な人 | 2005.12.05 11:29
スクールバスに何の規制もありません。
岩手県内の山間部は多くの学校がスクールバスを活用しています。
スクールバス導入の障害になっているのは、県議会、市町村議会、PTAの中にいる保守層です。
彼らの闇雲なコストカットの要求がスクールバス導入の最大の障壁になっています。
私の村では、彼らの一部がスクールバス運営組合をつくって資金をプールすることを「社会主義だ」と頓珍漢な非難を加えてきました。
スクールバスは利用者負担にした場合、それを必要とする遠隔の生徒ほど通いづらいという矛盾に陥りますから、全員負担としてコストを分散するのが合理的です。ところが、この程度のことに牙をむき出しにするのですから、あいた口がふさがりませんでした。
幸い、私の村の学校では同窓会も負担することになってスクールバスが維持されています。
でも、数年後には合併で閉校になってしまうのです。
投稿: 岩手県民 | 2005.12.05 12:11
スクールバスの問題は、単に購入資金とランニングコストを教育委員会が渋ってたり、地域住民がその分の負担増を嫌がっているだけです。
教職員の人事には無影響ですし、日教組が反対しているなんて構図もありませんね。
学校統合問題は、主に過疎地域では学校が中核施設(地域唯一の公共施設だから)となっているため、それがなくなることによる地域崩壊を恐れた住民が行っているものです。
県職員である教職員の人事に関係するという話は妄想もいいところですね。
文科省にしても文教費ゲットの口実になるので反対はしません。
投稿: くれふ | 2005.12.05 12:27
スクールバスは当然のことですが、それが導入されないと子供の安全が守れない、などというのは親の無責任でしょう。システムがないのなら自分で自分の子を守るしかない。仕事の都合でそうもできないなどというのは、馬鹿げたいいわけだと理解すべきだし、そういう社会の風潮と戦うべきでしょう。子供や家族に仕事が優先するなんて社会が根本的に間違っているのです。
子供を送り迎えするために仕事の方の都合を変更するのは、当然の権利です。現状でそんなことをしたら、仕事上の差別を受けるのでしょうけれど、そういう社会と戦わないから変わらない。本当に子供が大事なら戦いましょう。誰の子でもない自分の子なんですからね。
アメリカのスクールバスが黒人差別対策で導入されたかどうかは知りませんが、アメリカでは児童を児童だけの状態に置くこと自体が違法です。車の中にちょっとだけ残して買い物することも違法ですし、子供だけで自宅で留守番させることも違法です。児童だけで登下校など、基本的に許されていません。
たしかに馬鹿げた法律だとも感じますが、無責任な親から子供を守るためには必要な法律なんだろうと思います。物言えない子供のための法律だということです。
投稿: nh | 2005.12.05 12:33
何かある度に呼び出され、(何もなくても)児童生徒の安全確保のため何かと負わされがちな教職員の負担軽減にもなるのですから、組合が反対する理由は無さそうに思いますけどねぇ…
投稿: カルマ | 2005.12.05 12:33
大学のデータベースでアメリカのスクールバスの歴史を調べてみたのですが、Barさんの言うように差別対策としての側面が強いようです。ただ制度の始まりは別として、今回の日本であったような犯罪を防止している側面はかなりあるように思います。そもそも犯罪が日本に比べてはるかに多いアメリカにおいて子供を一人で登校させるという選択肢などないわけで、その有用性を疑う意見は見当たりませんでした。なのでスクールバスを否定すると、各親が車で送り迎えするということになりますが、共働きの家庭も多いですし、なにしろ貧困層に対する負担が大きいので現実味がありません。アメリカでの議論はスクールバスの運用をいかにより安全にするか(シートベルトを導入の有無・運転手の教育など)という段階に移っているようです。
個人的には、日本の教育関係者とか省庁の人が反対するのは、スクールバスを運用した上で子供に何かが起こるケース、交通事故や犯罪者によるバスジャックなどの際に学校の責任を取らされることを恐れているんじゃないかと思います。
投稿: 白鵜 | 2005.12.05 13:41
スクールバス導入に保守層のなかでも特に阿呆な部分が反対するというのはいかにもありそうな事態だ。ここのブログ主人はNHKラジオをよくお聞きの様子だから、そのあたりはよくご存知ではないかと思うのだけど。
投稿: synonymous | 2005.12.05 19:36
>システムがないのなら自分で自分の子を守るしかない。仕事の都合でそうもできないなどというのは、馬鹿げたいいわけだ
自分の子供に無頓着な親も少なからず居ます。
あなたの子供の友人の親が無頓着な親だったとして、
あなたの子供の友人に何かあったら、あなたの子供はどんな思いをするのでしょう?
子供について親が全ての責任を負うというのは、
負いたがる親と負いたがらない親が居るかぎり無理です。
無頓着な親の子供に何かあって、自業自得だというのは自由かもしれません。
でも、それは無頓着でない親の子供にも多大な影響がある事を理解しておいてください。
投稿: | 2005.12.06 00:31
>システムがないのなら自分で自分の子を守るしかない。仕事の都合でそうもできないなどというのは、馬鹿げたいいわけだ
全て親の責任というなら、教育だって親の責任だ。というのが、現代社会の論調でしょう。
学校とは、子どもにとっての「社会」であり、集団行動を学ぶ場です。
一方、仕事というのは、生活の基盤です。そっちをどうにかすべきだ、という議論はなされるべきではあっても、今すぐ仕事をやめて、収入を失ってでも、子どもに付き添えというのは、暴論極論ならぬ、アホ論でしかありません。
お金がなくなれば、衣食住だって失います。
ただ親と子を一緒にしておけば安全? 家もなく食べ物もなく着るものもない安全なんて、どこにあるというのでしょう?
学校というのは、たとえいかなる理由で育児できない親ももとに生まれようと、社会が最低限平等に子どもを育てよう、教育を与えようという機関です。
「全部親の責任。それぞれの親がしっかりしないのが悪い」ってことはつまり、「子どもをどう育てようが、殴ろうが、搾取しようが、世話しなかろうが、親(自分)の勝手。口出すな」ということを容認しろ、ってことですよ。
>無頓着な親の子供に何かあって、自業自得だというのは自由かもしれません。
絶対に、子どもの自業自得ではないんですからね。自由じゃありません。それこそ責めるべき。
投稿: | 2005.12.08 12:01
路線バスをスクールバスとして使う案が出ているようです。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200512200376.html
投稿: samayoiaruku | 2005.12.20 17:05
はじめまして。
日本では、小学生の子どもの登下校に親が付き添うことを、冷ややかな目で見たり、心無い言葉をかける保護者のかたがいます。義務化以前に、こういった意識をなんとかしてほしいです。地域性や全体の安全も大切でしょうが、一番安全な親の付き添いを受け入れる意識がたいへん低いと思います。
(トラックバックさせていただきますね。)
投稿: ときどきファンタ+ | 2006.03.11 14:20
スクールバス制度に賛成です。
これだけ子どもに関連する犯罪が多い中、
自分の子どもは被害に遭わないから大丈夫という何の根拠もない大人、社会は子どもの人権を軽視している。
子どもを守る対策を放棄している現状を変えなくては。有料でもいい。子どもの命、心の傷を軽んじてはならない。
子どもは世界の光ですね。
子どもをあたたかく見守り育てていくことで、人権が守られる新しい社会、国が生まれる。
とはいえ、ただ子どもがすくすく生きてくれれば、それだけで充分しあわせです。
私もチャーリーブラウン好きです!
投稿: スクールバス制度賛成 | 2015.04.29 10:11