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2005.12.16

[書評]老人と棕櫚の木(林秀彦)

 「老人と棕櫚の木」(参照)は林秀彦六十八歳の小説。短編集ではない。長編とも言えない。ジャンルとしては私小説に近いのかもしれない。本人の自問によると「…それにしてもいま私は、この”物語”とも随想とも日記ともつかぬ文章を借りて、一体何を書きのこそうとしているのだろうか」とある。フィクションの仮面なくして表現しづらいことが描かれている。が、私小説のように受け取ってもいいのだろう。

cover
老人と棕櫚の木
 おそらくこの作品は、私がここでちょうど一か月前に書いた「極東ブログ: [書評]女と別れた男たち(林秀彦)」(参照)の「P.S. I Love You...」の二十年後ということになるのだろう。
 五十を前にした林は女優の妻と八歳ほどの娘を捨てて、二十八歳の女の元に走り、そして異国に出奔。二十年後、その女に捨てられた。「老人と棕櫚の木」の主題は、七十歳を前にした男が五十歳を前にした女に人生ともども捨てられた惨めさと未練である。
 二十歳も年下の妻を持つというのはどういうことなのだろう。私はそれほどドリフターズのファンではなかったが、時代ということでスターである彼らの話はよく聞いたものだが、彼らはみなと言っていいほど奇妙なほど若い妻をもっていた。少年の私は不思議に思ったものだ。
 そういえば昨今でもとある社会学者が二十歳も年下の嫁をもろたはずとか思い出すが書かぬがよかろう。代わりといってはなんだが、川崎長太郎はどうだったか。書架の「鳳仙花(講談社文芸文庫)」(参照)の巻末年表を見ると、結婚六十一歳。そのおり「やもめ爺と三十後家の結婚」とあるから妻千代子との歳差は三十歳くらいであろうか。記憶の写真でもそんな感じがした。現代日本語で言えば、「喪男最終形態とバツイチ女は三十から」とかなるのだろうか。すまん、下品なことを書いてしまったな。
 川崎長太郎となると俗極まって聖人のごとしだが、五十歳手前の男(今の私でもあるが)は、ちょっとまだ三十歳そこそこの女とやっていけそうな気がするものかもしれない。ちょい悪オヤジとかそういう幻想にどっぷり浸かっているだろうし、それに三十歳ほどの女は人間存在というものの味わいを知るころでもあろうし云々。だが、いずれ男は七十歳となり女は五十歳のままだ。男が捨てられるのが普通だろう。
 そうでなくても、もう人生終わりというところで、女に捨てられるというのは、こういうものかと「老人と棕櫚の木」で知る。なるほど地獄が何層にあるというのは人類の知恵であることよ。というわけで、私はこの小説を呻きながら震撼しながら読んだ。

 今の私の孤独は鬱を生み続け、日々の不安は身の置き所をも失うほどに強烈である。窪んだ両眼を閉じる勇気もなく、何度も夜具を跳ね除け半身を起こし、幽鬼を漂わせて去り行く時間の一秒一秒を瞳を凝らして戦慄するのである。
 だがそこには、心の闇以外の色彩はない。
 老醜の翳りは鈍な闇よりも濃い。朱色もあるのになぜ闇が黒い漆に譬えられるのかが実感で納得できるような闇である。濃いのである。ねっとりとした、容易には砕け散らない黒色なのである。それが老醜の孤独と恐怖の色なのだ。

 ふとこんな英詩を思い出す(参照)。

Ice blue silver sky
Fades into grey
To a grey hope that oh years to be
Starless and Bible black

 物語はそれから、愛のない妻とフランス旅行へ。そして標題のシンボルへとつながる。絶望というのはこういうものだという情況で、小文字のmの出現の暗示をもって一部が終わる。二部はmの示唆から、勇気と希望に転じていく。mは神に近い。ファウストの連想もあるのだろうと思うがその言及はない。いや、 Mはドゥイノの悲歌だったか。
 率直に言うのだが、二部の希望への転換のストーリーは読んでいて白々しい思いがした。また別の二十代の女へと心を向けていくのだが、それこそ醜悪の極みのようにも私は思う。だが、それは私があと二十年生きたときの醜さの指標であるかもしれない。
 若いときには死は近いものに思えたし、五十歳を過ぎていくと、歯の欠けた櫛のようにまわりにぼそぼそと死者が増えていく。四十歳まで生きるわけもないと思いこんだ青年がまだ生きているし、生きていたいものだとすら思う。であれば、林のように七十歳まで生きるかもしれない。そう想像するだけで、ぐえぇとなにか巨大な烏賊の骨のようなものを吐き出したいような気持ちにもなる。
 ところで、林は本当に日本に帰ってきたのだ。前回のエントリのコメントで教えて貰って「諸君」の十一月号の手記を読んだ。彼のいる大分県の地名をたどって地図を開くと老人保護センターがあった。彼は今そこにいるのだろう。会いに行って教えを受けたいような気持ちもする。

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コメント

戦争直後には20歳も若い女性と結婚する男性は普通に多く居たと
本で見ました。それは男が成金の闇ブローカーで女性は金に負けてと言う組み合わせが結構あったらしいです。でも今は女性の贅沢は桁が違う程、一流ブランド商品に目が肥えてるから金銭で結婚も余程の金持ちで、浮気もしないで 絶えず海外旅行に高額商品を買い与え続ける事が出来なくなったら、へそくりしてるから遠慮なく逃げるでしょう。それと冷静な目で眺めると若い女性が20年若い50歳過ぎなら亭主の70歳過ぎより 自分の身内の両親のどちらかの看病があるから、赤の他人の亭主など捨てて行くのも仕方が無いでしょう。今は一人娘時代ですからね。昔のように上手く老後を見てくれる事は絶対に無い、両親と同級生世代なら血は濃い親に肩入れします。周囲も政府も肉親の老齢介護は推進していますよ。親孝行娘で通ります。親の死後まだまだ老齢:結婚もチャンスはあるしね。遺産も貰えます。

投稿: ようちゃん | 2005.12.17 08:22

林先生ご夫妻には学生時代にオーストラリアで大変お世話になりました。
とってもステキなご夫婦でしたが、離婚されたのですね…。残念です。
あの広大な土地のステキなお宅はどうなったのかしら…
年の差は気にならないお二人でしたよ、あの頃は。

投稿: wakame | 2010.07.28 20:57

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