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2005.12.22

私の些細な三つのライフハック

 ライフハックというのがよくわからないのだが、はてなブックマークとか見ていると、ちょっとしたコツというか、おばあちゃんの知恵というかお爺さんの教えみたいなものみたいだ。そしてその手の内容のエントリを書くとはてなブックマークが大漁になるので、それじゃいっちょ、私の些細な三つのライフハックをご紹介してみますか。

一、味噌汁をこぼしたときにぎゃーと言わない
 私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わない。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わない。他人がそうしたときでも。
 そうなった理由はごく簡単で、私の母がぎゃーと言う人で、そういう人と少年時代暮らしながら思ったのだ。このシチュエーションでぎゃーとか言ってなんの意味があるのだろうか? よく考えたのだが、ない。どころか、そういう場合は黙って処理したほうがええんでないのか、と仮説を立てて検証してみるに、そうだ。私が正しい。
 ところが、そういう親に育てられると、ぎゃーとか言うクセみたいのは付くわけで、なので、私は、子供ながらに自分を自己訓練した。私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わないようにしよう。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わないにしよう。
 世の中に出てみるとというか、それ以前から学校とかでもわかってきたのだが、世の中、味噌汁をこぼしたときぎゃーという人は多い。というか、言わない人が少ない。もっと観察すると、ぎゃーの度合いによるようだ。まあ、他人がどういう原理で生きていてもご勝手にだし、よほど身近な者以外にこのライフハックは伝授してないのだが(って教えるに馬鹿みたいだしね)、なんらかの世の中の仕組みというか人間の遺伝的特性とかよくわからないが、ぎゃーは根絶はされないのだろう。というか、世の中ってそういうものだな、他人ってそういうものだと、この訓練の過程で理解した。
 この訓練は意外とメリットがある。初動が早くなるのだ。味噌汁をこぼしたとき、やるべきことは決まっているのに、その最初の手順に、ぎゃーを置かないとワンステップ先に進む。それで進んだ私になんかメリットがあるかというと、自分の場合はメリットがあるが、他人のぎゃーには尻拭いになる。まあ、世の中、他人の尻ぬぐいを先にやる役目という人がいるものだともわかった。
 この訓練は応用がある。駅に着く、財布を忘れたというとき、ぎゃーと言わない、とか。
 残念ながら、人間関係とか仕事でパニック的な情況になったとき、私には、この訓練の成果が出ない。なぜなのかよくわからない。

二、エレベータの中では黙る
 エレベータの中では黙るって、そんなの常識でしょと言う人がいるのは知っている。でも、私には常識ではなかったのだが、ある時、こう考えた。独りでエレベーターに乗っているとき人は(私も)しゃべらない。だが、二人とか乗るとしゃべる。どうやらそういう人が多い。そして、他人二人がしゃべると、率直に言うと、独りの私には不快である。なので、自分たちが二人でしゃべるのも独りの他者には不快だろう云々。
 というか、エレベーターに乗っている時間は、人生の時間に比べるまでもなく、そりゃ、エレベーターを待っている時間より短い。そんな時間に会話をする必要は何もないはずだ。が、現実は違う。どうやら、人はエレベーターのなかでしゃべりたいという生き物なのだ。この現存在のあり方についてはハイデガー哲学を持ち出すまでもなく、そゆこと。
 人って、狭い空間で二人だけだと、なんか話したくなるのだろうな。ということもわかった。この特性については悪用しないように。
 で、エレベータの中では黙るようにしてなんかメリットはあるのか。うまく言い難い。誤解されるかもしれないが、人に理解されない些細な親切を実践しているような感じがする。また、エレベーターでしゃべるという、人のそういう、どうしようもないたわいない不快に耐えるということは、生きてくうえでよいことなんじゃないかと思う。

三、傘は雨に当たってから開く
 傘は雨に当たってから開く。地下鉄の出口とかで、階段を上って地上が見えると、暗い。ああ、雨か、というとき、一旦、出口を出て、雨に当たってから傘を開く。もちろん、少し濡れるし、どしゃぶりのときはそうもいかない。でも、ちょっとした雨でも、雨にあたる領域に出て傘を開くまで一分とはかからない。その間はもちろん濡れるし、濡れることは不快といえば不快なんだけど、その不快を諦めて耐える。逆に傘を閉じるときは雨の中で閉じる。
 なぜそんなことをするのか。これはやってみると理解してもらえるけど、人が流れているところで突然立ち止まって、しかも視点を変えて行動されると他の人に実は迷惑なのだ。地下鉄の出口とかでも、そこに人がつまると下は階段なので危険。というわけで、員数の一人である私くらいはそれらから外れて全体のシステム負荷を減らしたほうが全体にとって安全。またそこに人がスタックしてなくても、自分にとっても安全度が少し増す。
 出口というのはドアとかもあって、ドアというのは意外に危険なしろものなので、そこに立ち止まらないほうがいいというのもある。
 濡れるというのは不快だが、慣れてしまえば、たいしたことはない。
 沖縄で暮らしていたとき、スコールみたいな雨がよくあって、冷たくもないし、夏着なんで濡れてもたいしたことないというところでは傘ってそれほど要らないのでないかと思ったし、バリに半月ステイしているときも、雨がひどくふったらバラニーズたちは普通に雨宿りしていたし、小降りになると歩き出した。

 今日のエントリはこれでお終い。今晩はこんにゃくとかカボチャとか食ってとけよというライフハックもお勧めしたいけど。

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コメント

一、ぎゃー尊重派です。味噌汁や茶碗にとっては一大イベントですから。目の前で人が殺される瞬間に出くわすのと似ています。三、全面的に賛成です。

投稿: Oz | 2005.12.22 13:22

二、は気になる人多いかも。知っている人が話ししているときは気になる。知らない人同士なら気にならない。

投稿: synonymous | 2005.12.22 14:32

二、アメリカでは、(特に)知らない者同士がエレベーターに乗り合わせると何かしら声をかけるのがむしろエチケットだとか。何かしゃべらないとと思うと気が重いこともあります。相手に対して自分に敵意がない、というか「自分は決して怪しい者じゃありませんよ」ということを示すという意味で結構肝心なことみたいですが。
知っている人と二人で知らない人が乗っているエレベーターに乗り合わせた時は、(知り合い同士で)話す時と話さない時があります。どっちも意識的にやっている気がするなあ。どう違うんだろ。前者の時は(日本でも)やっぱり「自分(たち)は怪しい者じゃありませんよ」というポーズのような気がするし、後者の時は「相手が不快かも」と遠慮しているような気もします。それはエレベーター内の「空気」で使い分けているのか・・・?

投稿: saihou | 2005.12.22 20:05

>>三、傘は雨に当たってから開く

自分はワンタッチで開く傘を使うことによって、スピーディーにその場を離れ、スタックのリスクを減らすようにしています。
もちろん多少は濡れますが、最小限に抑えられます。

投稿: 恵比寿の人 | 2005.12.22 23:48

ぎゃー尊重派です。
被害が他人に及ぶのを防ぐため、周囲の注意を喚起せねば。

投稿: 23 | 2005.12.23 20:47

偉い人によく分からせるために、エレベーターに乗ってる短い時間で説得・解説するのをエレベータートークと言うそうです。

投稿: リーマン | 2005.12.24 08:18

日本でのスナップ;この傘、どうやって開いたらいいのでしょうかねえ。
http://madonnasthoughts.blogspot.com/2005/12/lol-at-rainyou-cant-touch-this.html

投稿: 欧州人 | 2005.12.27 04:10

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