「覆水盆に返らず」について
先日来、「覆水盆に返らず」という言葉が気になっている。ちょっと周りの若い者に意味を知っているかと訊くと、「お盆から流れた水はお盆には戻らない…一度ダメになったら修復できない」というような答えが返る。そういえば、これは案外英語の授業で覚えるのかもしれない。あれだ、"There's no use crying over spilt milk." 普通の英文読んでいてあまり見かけたことはない。ぐぐってみると和製英語とか日本人英語教育のコンテクストで出てくるっぽい。そういえば、"The water has gone under the bridge."はリンカーンの言葉らしいが、「覆水盆に返らず」とは意味が違う。ついでに、"That's all water over the dam."をぐぐってみると、ネイティブの用例がいくつか見つかる。田中長野県政も済んだことにしたいものだという意味ではない。
「覆水盆に返らず」は、後悔役立たず…おっと「それは言っちゃだめよ」…後悔先に立たずの類になっているのだろう。間違いでもないのだが、と思ってWikipediaを引いたら、あった(トモロウ風)(参照)。
太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。 太公望が周から斉に封ぜられ、顕位に上ると女は太公望に復縁を申し出た。 太公望は盆の上に水の入った器を持ってきて、器の水を床にこぼして、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。 女はやってみたが当然出来なかった。 太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ。」と復縁を断った。(出典は東晋の時代に成立した『拾遺記』による)
この話から一度起きてしまった事はけして元に戻す事は出来ないと言う意味で覆水盆に返らずと言うようになった。
ちょっとうなる。段落つながってないだろ、とツッコミ。そうじゃないよ、この成語は男女の仲が壊れたら戻らないというのが原義なのだ、ったくよぉ、というわけで、ちょいとぐぐる。その用例が先立つことがまったく知られてないわけでもない。
三省堂の執念の大辞林を見ると、いやさすがに鬼神籠もる(参照)。故事の後にこう解している。
(1)夫婦は一度別れたら、もとには戻らないということ。
(2)一度してしまったことは取り返しがつかないということ。
つまり、「覆水盆に返らず」は夫婦仲のありかた説いているし、そうか、というわけで壊れた夫婦仲のように世の中には元に戻らないものがあると思うのだ。壁に座った卵とか。
私の変な感じはこれで終わりでもない。Wikipediaに戻る。
ちなみにこの話は太公望の数多くの伝説の一つであって、必ずしも史実とは限らない。(周代に盆という容器が存在しないこと、前漢の人物である朱買臣について、同様の逸話があることなど)
そういう解説が必要な時代か。ほいで。
同義の別例として"覆水収め難し"、同じ意味を表す英語の諺に "It's no use crying over spilt milk." がある。
として、"覆水収め難し"を別例としているのだが、原典が気になる。Wikipediaでは東晋代の「拾遺記」としているが、大辞林では漢書の故事とし、「拾遺記」を従としている。
「漢書(朱買臣伝)」の故事から。「拾遺記」には太公望の話として同様の故事が見える。
話を端折るが、広辞苑のほうは「通俗編]としている。大辞林が「通俗編」を取らないのはこれが、出典集だし、清代だからというだろうか。しかし、日本の辞書は概ね通俗編のパクリなので、してみるに、「覆水盆に返らず」は「通俗編」と見てよさそうだ。
というところで通俗編では…という話になるのだが、その前に、よもやと思って、「覆水不返盆」をぐぐってみたら、あれま。あるよ。あるよどころじゃねーよ。「覆水不返」で四字熟語(成語の意味か)がある(参照)。
覆水不返(ふくすいふへん)
意 味: 取り返しのつかないことの例え。一度盆からこぼした水は再び盆には返らない。一度離婚した夫婦は元通りにはならないということ。
ちょっと唖然。っていうか、そんなの本当にあるのか。
「通俗編」に戻るのだが、調べるの難儀と思って、ネットを見たら、あった(トモロウ風)(参照)。
覆水難收
〔[(喝-口)+鳥]冠子注〕太公既封齊侯。道遇前妻。再拜求合。公取盆水覆地。令收之。惟得少泥。公曰。誰言離更合。覆水定難收。〔後漢書光武帝紀〕反水不收。後悔無及。〔何進傳〕覆水不收。宜深思之。〔李白詩〕雨落不上天。水覆難再收。
というわけで、通俗編では「覆水難收」ということで、つまり、さっきはツッコミしてしまったがWikipediaの「同義の別例として"覆水収め難し"」というのも通俗編を踏まえていたことになる。
ほいでこれを読むと、「覆水定難收」がよりオリジナルに近いと言えそうだ。これを清代では、「覆水難收」としていたのだろう。どのあたりで、日本で「覆水盆に返らず」が成立したかはわからないが、通俗編からさらに数ステップありそうな気配だ。
通俗遍では、「反水不收」、「覆水不收」、「水覆難再收」があがっており、どうやら中国人の常識的な比喩世界でもありそうだ。ということは、現代用例があるはずである。そしてその用例があるとすれば、男女の仲を一義としているか、ただ回復困難というだけか、そのあたりが知りたいものだ。
ぐぐっていたら、あった(トモロウ風)。王力宏についてのページ”LEEHOM'S MUSIC WORD”(参照)である。現代の流行歌のようだ。
涙不會軽易地流 イ尓也用不著歉咎
愛就像覆水難収 情又有誰能強求涙は簡単には流したくない 君も謝る必要なんてない
愛はもとには戻らないようだ 誰が愛を無理に求めることができるのだろうか
ほぉ、というわけで、「覆水盆に返らず」=「覆水難収」は、現代語でもあって、「愛はもとには戻らない」ということだ、……王様の軍隊をもってしても。
| 固定リンク
「語源」カテゴリの記事
- 「ポプリ」って何? (2018.01.27)
- 「じれったい」(2012.12.10)
- パッションフルーツの「パッション」はキリストの受難(2011.06.17)
- finalvent's Christmas Story 5(2010.12.24)
- 自衛隊は暴力装置ではない。タコ焼きがタコ焼き器ではないのと同じ。(2010.11.19)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
「壁に座った」という部分が気になっている。ちょっとこたつで寝ているネコに聞いてみると「そりゃ訳者の勝手でしょ」とい言いながら尻尾の先からゆっくりと消えて行き、 終いには「シッシッシッ」という笑い声だけがしばらく聞こえていた。いかん、ケンケンとごっちゃになってる。
Humpty Dumpty sat on a wall Humpty Dumpty had a great fall.
All the king's horses, And all the king's men,
Couldn't put Humpty together again.
ここらへんは案外英語の授業で覚えるのかもしれない。
ぐぐって見ると谷川先生の訳では「塀のうえ」になっているようだ。この方が日本語として座りがいいか。
ちょっとうなる。
私の変な感じはこれで終わりでもない。
谷川先生にもどるとking's men,は「王様の兵隊」となっていたが、別例として「王様の家来」というのもある。こちらのほうがカツラをかぶった廷臣や偉そうな軍人がいり混じって慌てている風情も感じられる。
というわけで、ごめんなさいごめんなさい、ちょっと遊んでみただけなんです。
投稿: nabe | 2005.12.02 12:11
There's no use crying over spilt milk.
は受験英語だと
It is no use cry overspilt milk.
で出てきます。useの後にtoのない不定詞が来る構文の例として有名なんですよね。そして、
It is no use of crying overspilt milk.
と動名詞になる場合はofが必要になると習ったと思います。ま、瑣末な話ですけど。
投稿: 北斗柄 | 2005.12.02 13:08
「トモロウ」ではなく「トモロヲ」ですね。ま、瑣末な話ですけど。
投稿: ばちかぶり | 2005.12.02 13:42
うーむ。最近地雷(自爆)ネタが多いような…(汗
それはさておき、エントリーを読んで、この諺の類例として、
「流した涙は、目には戻らない」
という言葉を、何処かで誰かが披露していたような…。
はて?何だっけかなぁ…。
投稿: uiui | 2005.12.02 16:14
文庫とか新書のしおりで、谷川さんの訳書の一節が書いてあるものがはさんでありました。(講談社でしたっけ?)
ハンプティダンプティ、塀に座った。
ハンプティダンプティ、転がり落ちた。
王様のお馬を全部集めても、
王様の家来を全部集めても、
ハンプティを元には戻せない。
和田誠の絵がまた雰囲気にぴったり。
投稿: yakumo_mishima | 2005.12.03 15:09