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2005.12.31

大晦日になぜすき焼き?

 沖縄暮らしで不思議に思うことはいろいろあったが、なかでも不思議だったのが大晦日のすき焼きだった。最初のうちは大晦日の会食に呼ばれてみたらすき焼きですかというらいで気にも留めなかったが、どうも大晦日はあちこちすき焼きみたいだった。八年も暮らしていたのでわかったが、大晦日にはなにかとすき焼きなのだ、沖縄では。何故?
 沖縄の大晦日の年越しそばが沖縄そばだというのはもういい。っていうか、どうしようもない。しかし、大晦日になぜすき焼き? この話は今年の元旦にも触れていたっけ。そうそう。そして、この風習は沖縄に限定されないようだということもちょっと書いた。
 と思い出したのは先ほど多少は年越しらしい買い物に近所のスーパーに行ったら、レジの前の人の買い物が、どう見てもすき焼きです。うーむ、そうか。東京でもそういう家は多いのか。それにしても、なぜ大晦日にすき焼き? その分布と伝搬はどうなっているのか。
 グーグル先生に訊いてみるのだが、よくわからない。が、どうもあちこち大晦日はすき焼きのようだ。まったくよ。たとえば、”月刊グリ 鞠奴の食いしんぼう日記 2002年10月号(39号)”(参照)。


 また母親が献立に迷ったりしていると、すかさず「すき焼きにしない?」と誘いかけ、冬の定番料理として月イチくらいのペースを確保しつつ、ついには、大みそかを「すき焼きの日」と制定。
 それほどすき焼き好きでない妹の「大みそかは年越しソバを食べる日なんじゃないのぉ」という抗議にも「バカだね、あんたは。年越しソバは紅白歌合戦が終わってから食べるもんだがね。大掃除やおせちで忙しい大みそかは、なるべく簡単にできる夕ごはんじゃないといかんで、どこのウチでもすき焼きなんだわさ」とワケのわからん理屈で応酬し、計画は一方的に進められていった。
 こうして強引に定められた「すき焼きの日」であったが、私が結婚して十数年たった今でも、実家では相変わらず、大みそかにはすき焼きをしているらしい。ほかの献立考えるの、めんどくさいのね、きっと。

 プラクティカルにしてスポラディックな…とカタナカ使うんじゃねー的な印象なのだが、けっこう、あちこち、なんとなく、そういう次第なのだろうか。
 今年の一月一五日毎日新聞”ゆっくりとタフ 東京から 大みそかに食べたもの”にはこうある。

 友人知人に聞いてまわった結果は、思っていたよりも「なんでもあり」だった。「大みそかは、すき焼きを食べるに決まっている」と断言したのは、金沢出身の友人。「うちに決まりごとというものがあるとしたら、大みそかにすき焼きを食べるということだけだ」とまで言った。

 みたいだな。
 しかし、起源と分布がわからない。”汁料理と鍋料理”(参照)に若干ヒントのようなものがある。

大晦日や正月には、豚や鶏の肉鍋が全道的に年々増え、生産地域では近所の数件の家が共同で豚や鶏をつぶして大晦日や正月料理にあてていたようだ。また、すき焼きは昭和40年以降から増え始め、現在では年越しの鍋料理では最も好まれる料理として大晦日に食べられている。

 つまり御馳走の象徴だったのか。つまり年取り魚の変形だな。
 というところで、年取り魚か。年取り魚は大晦日の夜に越年に吉例として用いられる魚で、サケとかブリなどが一般的。
 ところで、先の引用だが、すき焼きが鍋料理に分類されているふうでもある。そういえば、沖縄の大晦日のすき焼きで思ったのだが、それは、確かに、鍋料理だった。あのぉ、すき焼きって鍋料理と違うんですけどぉという一言が、眼前にどぼどぼとと注がれている割り下の洪水を前にして、出なかった。や、内地でもそういうのはある。っていうか、そういうのけっこう多い。っていうか、この問題は、ヒルベルトの残した二十四番目の難問として有名なのでここではあまり深く立ち入らない。
 といっておきながら、すき焼きは「焼き」なので最初に焼く。というか、20年以上も前になるがわけあって偉そうなすき焼き屋で御馳走になったのだが、仲居さんが偉そうな牛肉に真っ白な上白糖をまぶして焼いてちょいと割り下という感じだった。
 ネットを見たらその手のやりかたは関西風でもあるようだ、関西風だと割り下は使わないらしい。
 ちなみに、私は、すき焼きは、軽く牛肉を焼いて、特に牛脂を溶かす。上白糖はまぶさない。ちょっと焼き目な感じで、濃いめの割り下投下。割り下は、醤油一、味醂一、上白糖一の割合に適当に酒と湯と粉ダシで。あとは、具。木綿豆腐、ネギ、しらたき、春菊とか。びちゃびちゃにしない。麩は使わない。生卵がきらいなので使わない。ってなところ。ま、料理のうちに入らない。
 うーむ、なんかすき焼きにするかなぁ。大晦日だし。
 では、みなさん、よいお年を。

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2005.12.30

[書評]「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記(安田好弘)

 二〇〇五年とはどういう年であったか。いろいろな議論はあるだろう。私には、それは一九九五年からの十年が終わった年だという感じがある。では、九五年とはどういう年だったか。阪神大震災があり、オウム真理教による東京サリン事件が起きた年だ。十年の後、それらはまったくの過去になっただろうか。前者については耐震偽装問題が関連する。
 後者については難しい。一応〇四年二月二八日に判決を見た。この日に私は「極東ブログ: 麻原裁判に思う」(参照)を書いた。


 少し奇妙な理屈になってきたし。この問題は、たぶん、ブログの読者のわずかにしか関心がないだろうからこの程度で切り上げる。率直なところ、私は無意味に自分が誤解されてもやだなという思いもある。
 麻原裁判の問題に戻す。真相は解明されなかった。日本社会は、真相を欲してはいなかったとすら言える。ここで急に話の位相を変える。「と」がかかって聞こえるかもしれない。が、私はオウム事件の真相の大きな一部は村井秀夫暗殺にあるのだろうと考えている。もう少し言う。村井秀夫のトンマな妄想は残酷だがお笑いを誘う。この間抜けな人間に組織化した殺戮のプロジェクトがこなせるとは私は思わない。およそ、ビジネスでプロジェクトを動かした人間ならその背後に、それなりの玉(タマ)が必要なことを知っているものだ。

 私は疑念を残したままだった。
 この事件は私個人の内面としては吉本隆明という思想家の思想との対決という面があった。私は、遅れてきた吉本シンパであり、この時点までは吉本の思想についてきたが、ここで齟齬を感じていた。そのことは、その前段ともいえるエントリ「極東ブログ: 麻原裁判結審と吉本隆明の最後の思想」(参照)で触れた。

 結審に関係ないといえば関係ないのだが、たった一つだけ喉に引っかかった魚の小骨のような思いだけがある。些細といえば些細なことだったが、当時論壇やジャーナリズムを巻き込んで麻原を擁護した吉本隆明の主張だ。眼帯のまほこちゃんこと吉本真秀子(よしもとばなな)の家庭教師だった芹沢俊介を除けば、サリン事件以降、吉本を支持する論者はいなかった。こいつらは馬鹿かと思われるような論者やジャーナリストは一斉に吉本バッシングを始めたが、私が吉本シンパだからかもしれないが、結局吉本の強さが際だつだけだった。ちょっと知恵の回る論者なら、この問題を避けてしまった。
 実際はどれほど吉本シンパであっても吉本のこの立ち回りは理解できなかったのではないだろうか。率直に言えば私もその一人だ。もちろん、心情的には理解できる。

 また。

 言葉の上っ面では吉本の批判など簡単だ。至極簡単と言ってもいいかもしれない。だが、その簡単をそのままやるヤツは歴史から浮遊し始める。昔吉本は彼とサルトルと対決したら必然的に負けると言っていたが、そう言えるところに吉本のしぶとい強さがある。
 私の理解は間違っているかもしれないが、吉本が麻原を擁護するというのは、つまるところ2点だろう。一つは。麻原の行なった壮大な悪事を市民社会は断罪できないし、断罪するような思想は大衆の未来を閉ざすということだ。このテーマは難しい。もう1つは、麻原が歴史上比類無き宗教家だということだ。もちろん、政治的には阿呆だと吉本も付け加えているが。

 前者の問題は造悪論としてその後も思想の課題としては残る。ある意味で、それは吉本を継ぐ形で私が生きている限り、こっそりと思考し続けるだろう。当面の問題は、吉本が麻原を比類なき宗教家だと評価する点についてだが、これらの私のエントリでも表明していたように、まったく理解できなかった。この分野の宗教に不得手な吉本が間違ったのだろう(彼は言語学などでも素人レベルの間違いをしている)というくらいであった。
 が、ごく先日、ある事件を契機にこの問題を振り返り、麻原を宗教家として評価している自分を発見した。もちろん、政治的には頓馬であり思想的価値はゼロだろう。宗教家というのはそういうものではないということが、ある時、すとんと胸に落ちていた。気が付くと、十年前の吉本隆明をほぼそっくり受容できている自分がいた。その転換がいつ起きたのか、自分の心をしばしトレースしたがはっきりとはわからなかった。が、個人的には私の内面で何かが深化したようには思う。そして、そのことは、あの時の吉本が世論の血祭りに上げられたように、私もそれを語るならそのような批判を受けることになるだろうかと思った。その世間の空気の匂いのようなものも感じた。
 少し話を戻す。「極東ブログ: 麻原裁判に思う」で私はこう書いた。

吉本はこの件について、たしか、死刑になんかできるわけないよと言っていたと思う。私もこの裁判(検察)は、法学的に間違っているのではないかと思っていた。やや、やけっぱちな言い方をすると、法学関係者はこの問題にはあえて沈黙するのではないだろうか。嫌なやつらだよな、法学関係っていう感じもする。

 エントリでは、この段落に続いて、しかし死刑にできるという法理を日垣隆の説明を借りて書いた。そのあたりはなるほどではあった。
cover
「生きる」という権利
麻原彰晃主任弁護人の手記
 が、私の心のなかには、吉本と同じで、「死刑になんかできるわけないよ」という感覚というか信念のようなものはけして揺るがなかった。余談めくが、私が法学に多少関連した話を書くといかにも専門家ふうな通りすがりさんに馬鹿だなみたいなコメントを戴くことがあるが私はそれをあまり真に受けていない。この例でも、「死刑になんかできるわけないよ」という私の法の感性が間違っているとはつゆも思っていない。
 こうしたある主のコンバージョン(転換)とコンシスタンシー(一貫性)がある宙ぶらりんとした感じのなかで、今年の八月に出版された安田好弘弁護士の『「生きる」という権利 麻原彰晃主任弁護人の手記』(参照)を読み、いろいろと思うことがあった。それこそ二〇〇五年を私のなかで区切りをつけるためにエントリに記しておかなくてはならないものだ。
 安田好弘弁護士も麻原を死刑にできるわけはないと考え、そして、宗教思想その他を抜きに一人間として麻原に接して、宗教家としての価値を認めていた。私は、この安田に法の感覚を持つ普通の弁護士と普通の人間の感覚を感じた。しかし、それはそのままにして世間の感覚ではない。大衆と大衆の原象の問題でもある。が、それはさて置く。
 安田の本は、この時点の私が読むからなのだろうが、かなり共感できた。しかし、半面、彼自身が現在の麻原に深く関与しすぎている印象も受け、そこがうまく語られていないようにも思った。本書は手記の形態しているが、ライターなり編集の手がかなり入っているのではないかと思えた。むしろ、ジャーナリストがもう一度、安田と麻原の関係を問い直す必要もあるのかもしれない。が、その日はたぶん永遠に来ないだろう。
 話を東京サリン事件だけに絞る。安田が仄めかす事件の真相は、いわゆる一般的なあの事件の解釈やいわゆる陰謀論を越えたものがあり、率直に言うのだが、あの事件についての私の歴史の感覚をガラっとずらすなにかがあった。単純に表現すると陰謀論のようだが、まあ、いいとしよう。それは、警察は事前に事件を予期していたということだ。安田はこう言う。

 三月一五日、地下鉄霞ヶ関駅で、加湿器の入ったアタッシェケースが見つかった。中身は単なる水だったが、警察の反応は過剰ともいえるもので、地下鉄の通路に、「目撃者を探しています」という写真入りの立て看板があちこち立てられていた。私は、イタズラ事件に過ぎないのに、なぜそこまで広く目撃情報の提供を求めるのか、不思議でならなかった。地下鉄サリン事件が起きた時、私はふと、五日前のこの出来事と何かかかわりがあるのではないかと感じていた。


 前述のとおり地下鉄サリン事件の五日前に、地下鉄霞ヶ関駅で「アタッシェケース事件」が起きた。アタッシェケースに仕込んだ噴霧器から白い煙のようなものが発生したが、それは、単なる水であった。後にそれがオウムの幹部たちによって設置されたものであったことが判明した。しかし、当時それに関与した者は、中にはボツリヌス菌から抽出した猛毒のボツリヌストキシンが入っており、それによって数十万人を殺せると信じ込んでいた。
 実は、地下鉄サリン事件よりもアタッシェケース事件のほうが本番だったのである。
 地下鉄サリン事件は、アタッシェケース事件が失敗したため、急遽、実行したものに過ぎなかった。警察はこの事件の内容を掴んでいたに相違ない。
 地下鉄サリン事件が起こる前日、自衛隊は朝霞駐屯地でガスマスクを着けて、サリンに対応した捜索の演習を行っていた。やはり、地下鉄サリン事件が起こる前に、警察は彼らがサリンを持っていることを把握していたのである。
 警察が地下鉄サリン事件を予知していたとなると、事件の様相は一変する。地下鉄サリン事件を無差別大量殺人事件だと位置づけることはできない。この事件がなければ、警察・検察は対テロ政策、つまり、公安調査庁の存続や、警察要員の増員など、幾多の治安優先の政策を実行できなかったはずである。

 私も真相はそうなのではないかという印象を持っている。ただ、公安は自身の存続より別の敵を想定したのではないかとも思うが、そこまでくるとさすがに陰謀論の色が強すぎるだろう。
 安田は警察が何か知っていただろうとすることを検証するために、ちょっと唖然とも私には思えるのだが、Nシステムへのハッキングを試みていた。

 私は警察庁のコンピュータ・サイトからNシステムに入り込み、オウム真理教の車とその後ろを追尾する警察車輌の写真を探し出すことを思いついた。当時、まだハッキングは犯罪ではなかったから、サイトに入る技術を習得すれば可能となる。オウム真理教の車のナンバーはわかっている。あとは、その後ろの車のナンバーが警察のものであるかどうかを調べればいいのである。しかし、私の技術が未熟でうまくいかず、そのうち私自身が逮捕されてしまい、この試みは実現しなかった。

 彼のブレーンにハッカーがいなかったのだろうか。安田の逮捕劇は、オウム裁判という国策によるあまりも馬鹿げた短絡した事態なのでここでは触れないが、こうした流れを見るに、むしろ安田排除の本当の理由は警察追及への威嚇ではなかったかとも思える。
 オウム事件には庶民からも見える形の隠蔽がある。言うまでもなく村井秀夫の衆人環視内での暗殺だ。そして、もう一つの隠蔽がある。まったく語られていないわけではないし、そして長くなるが引用しておきたい。

 村井さんが「科学技術省」トップとして権力を握る一方で、教団の組織化や法律・制度については、AさんとKさんの二人が中心になっていた。Aさんは「法務省」のトップであり、Kさんは「法皇官房」のトップで、麻原さんの側近だった。教団における省庁制は、麻原さんの発想ではなく、Kさんの発案によるものだった。彼ら二人は、新しい国家のモデルを考えていたのであろうか。
 地下鉄サリン事件の二日前、三月一八日にあったと検察が主張する「リムジン車中謀議」(サリン散布を麻原さんが「指示」したと言われる)の際、リムジンの中にはAさんとKさんも乗っていた。しかし二人は、この事件に関して起訴されていない。彼らは「車中謀議」に参加していないことになっているのである。これも不思議としか言いようがない。
 Kさんが地下鉄サリン事件に関与していたという証言が、元「諜報省」トップ・Iさんの尋問中にはからずも出てきた。Kさんは、犯行声明を作ってファックスで送ったというのである。この話を彼はそれまで隠していた。調書に出てきておらず、彼の弁護人も知らなかったようだ。証言によると、地下鉄サリン事件当日の三月二〇日、世間の目をそらすため、宗教学者の島田裕巳さん宅に爆弾を仕掛けに行ったという。しかしその後の、サリンが撒かれる時刻までの彼の行動に、どうしても説明できない時間がある。尋問でそれを訊いていくと、
「Kさんと会っていた」
と彼が証言した。
「何のために会っていたのか」と追及すると、犯行声明の話が出てきたのである。もちろん、それがどこまで本当かわからない。しかし、犯行声明はいっさい出なかったことになっている。どこかで握りつぶされたのではないだろうか。
 こうして、地下鉄サリン事件に、Kさんはかかわっていないという事件の構図が作られたのである。Kさんの祖父が自民党の大物政治家の後援会長だった、などと不起訴の理由もいろいろ取り沙汰された。しかし、それにしても、教団中枢メンバーの中で、なぜKさん一人が起訴されなかったのか。オウム裁判では裁判以前の段階、起訴するかしないかという時点ですでに、差別や区別が図られているのである。
 地下鉄サリン事件に至るまでの教団の動きを追っていくと、教団内の権力はKさんのグリープと村井さんの二人に集中していたようにみえる。しかし、検察の描いた構図では、Kさんのグリープがすっぽりと抜けている。片や、村井さんはこの世にいない。つまり、オウム事件の中心人物が二人とも法廷にいないのである。

 この話は後日譚がある。そのこともこのブログで少し触れたことがある。だが、この問題は単純に言えば、迷宮入りが決まっているのだろうと思う。
 その扉を閉める十年でもあったように思える。
 なお、本書が東京サリン事件に触れるのは全体の三分の一程度で、他にも非常に興味深いエピソードに満ちている。

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2005.12.29

セブン・ミレニアム統合メモ

 少し間が空いたが二十五日、セブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングの株式の六五%を買収し経営統合する方針を発表した。
 言うまでもなく、セブン&アイ・ホールディングスは、セブン-イレブン・ジャパン、イトーヨーカ堂、デニーズを傘下に持つ流通グループ。対するミレニアムリテイリングはそごうと西武百貨店を持つ。これで、国内最大の流通グループが誕生し、小売りでは世界規模でも第五位となる。とはいえ、どの業態も前年比割れか成長見込み薄、ということで、世界規模で見るとヘタ打ったかもねという評価があり、S&Pはセブン側を格下げした。
 新聞社説では私の記憶では二十七日に三社が扱っていた。


  • 朝日 流通再編 消費者の心をつかめるか(参照
  • 読売 [流通大再編]「消費者が握る生存競争の行方」(参照
  • 日経 大転換期示すセブン、ミレニアム統合(参照

 私の印象としてはどの社説の似たり寄ったりで、いまひとつ今回の事態が理解しづらかった。しいていえば、朝日は支離滅裂、日経はべた記事風なので、読売がやや良かったように思う。なぜ?に少し答えていた。

 今回の再編で、セブン&アイは、百貨店との“共鳴効果”を狙った。一定のブランド力を保つ百貨店が仲間に加わることで、新商品の開発や仕入れが有利に展開でき、新たな出店戦略も立てやすくなる、というわけだ。
 ミレニアム側にとっても、渡りに船だったとされる。ミレニアムの株式の多くは、国内の投資ファンドに所有されている。意に沿わない形で株式が売却されるより、価値を認めてくれるセブン&アイのような相手が理想的だった。
 もう一つの特徴は、外資系流通大手の攻勢に備えた規模の拡大、という意味合いだ。国内の流通市場には、多くの外資が進出している。米ウォルマートは、大手スーパーの西友を子会社化した。欧州系企業も店舗展開を始めた。

 つまり、①共鳴効果(シナジー効果)、②ミレニアム側の売却の危機意識、③外資対抗、ということで、大筋ではそうなのだろう。
 その後、NHKの解説で知ったのだが、今回の統合はミレニアム和田繁明社長がセブン鈴木敏文会長に先月持ちかけたものらしい。和田としては他数社もリストにはしてあったそうだが、やはり鈴木を狙っていたのだろう。やはり、突然のものだったのかと思い直した。
cover
セゾンからそごうへ
和田繁明の闘い
 というあたりで、この統合の裏には鈴木敏文と和田繁明という二人の天才のドラマがあるのだろうが、それだけなのか。印象としては、もうちょっと政治的な動きがあるとしか思えないのだが、ざっと見たところではメディアには浮いてこない。いずれにせよ、楽天・TBSのような笑えない喜劇を展開している猶予はどこにもないのだから、賢明な方向ではあるのだろう、数年後の勝算は別としても。
 鈴木敏文と和田繁明については、私のような者が何かを書いてもしかたがないのだが、こういう人が天才なのだなとは思う。鈴木敏文はコンビニの現場なんか見回りませんよと言って、POSデータのCRTを見つめていた姿が印象深い。和田繁明は改装後のデパートの中を駆け回って一番ボトムの現場を確認していた姿が印象深い。そうした姿だけで、何かを感じさせる経営者ではあった。
cover
鈴木敏文の
「本当のようなウソを見抜く!」
セブンーイレブン流
「脱常識の仕事術」
 が、皮肉な見方をすれば、その二人の時代も終わったということかもしれないし、この二人の最終章なのかもしれない。あるいは、新しい才覚ある経営者がここから芽生えてくるのかもしれない。こういう言い方は違うのだろうが、堤清二から和田繁明が出てきたように、時代は変わる、その変わり目のドラマがあと数年で始まるような気がする、傍観者には。

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2005.12.28

ローソンが二十四時間営業を一部廃止へ

 コンビニのローソンが二十四時間営業を一部廃止するというニュースが朝日新聞系で報道された。他紙系などにもあるのかもしれない。
 話は”コンビニ、後継者確保に懸命 24時間営業見直し”(参照)の冒頭がわかりやすいだろう。


 コンビニエンスストア2位のローソンの新浪剛史社長は、一部の店舗で、24時間営業を2年後にもとりやめる方針を明らかにした。高齢化が進む加盟店オーナーに「体力的につらい」との声が強まっていることが背景にある。「24時間営業」はコンビニ業界の大きな特色だけに、業界初のこの動きは、競合他社にも波紋を広げそうだ。

 ああ、やっぱりな、という印象を私もった。コンビニのオーナーの高齢化は避けがたい。それと率直な印象を言うのだが、このビジネスにはシステム的に無理があり、その崩壊というのも大げさだが変動の始まりのように思えた。無理の部分は、人件費が実際にはオーナーの過重労働になっているのではないかということだ。それ以上はちょっとブログで明からさまに言いづらい。
 朝日新聞が次のようにいうオーナーの高齢化というだけではないとは思う。

75年設立の同社では、加盟店のオーナー年齢は当初、30~40代が中心だったが、最近は50歳前後が主体になった。年齢層が上がるにつれ「24時間開けている必要はないのではないか」との意見が寄せられるようになった。このため、ローソンでは今春から24時間営業の見直しを検討していた。

 もちろんそうした側面もある。三〇代の仕事量を五〇代がこなせるわけもない。しかし、このシステムの一面ではそれを強いることになる。自営業というのはそういうものだとも言えるが、かつての八百屋・魚屋というわけにもいかない。
 この話はコンビニの後継者という話にもつながる。関連記事がもう一つある。”ローソン、24時間営業を一部廃止へ オーナー高齢化で”(参照)より。

 ローソンが11月中旬、東京都内のホテルで開いた「後継者研修」には加盟店オーナーの子息20人が集まった。1泊2日で新浪剛史社長らが店舗運営や経営者の心構えを説いた。次世代に継いでもらいたい、という発想で昨年から始めた催しだ。参加者は「後継者と言われても、いままでピンとこなかったが、自分の勉強不足だった」と話していた。

 話が飛躍するし粗くなるのだが、後継者に継がせるということはそのコンビニが地域社会の欠かせぬ機能と化していることが前提になるのだが、それは無理に近いだろう。ひどい言い方になるが、五〇歳をすぎて自分が「具」になっているというのが経営的に見れば無理がある。むしろ次のようにファミマの発想のほうが経営的には一見すると正攻法だろう。

 ファミリーマートは「複数店」経営を奨励する。03年春、2店目以降について、本部に支払う毎月の手数料の一部を払い戻す奨励制度を導入。今年8月末までに約500人の複数店オーナーが生まれた。

 「一見」と留保したのは、その経営リスクをやはりオーナーに分散させるというのは無理かもしれないなと思うからだ。五〇〇名というと多いように見えるが、いずれ頭打ちだろう。この他、記事では、セブンイレブンは若い脱サラ組を狙ったといったスジの話に流し込んでいた。
 あまり不謹慎な話はしたくないのでさくさくと書くのだが、いずれにせよ、コンビニ全体はいろいろ小さな惨事を起こしつつ、システムというものがそうあるような仕方で統合されることにはなるだろう。ある意味で、できる経営だけができるということだ。朝日新聞の記者も不思議に思わなかったのか思っていて書かなかったのか、深夜の客がペイしなければ深夜営業は閉じるというだけの話でもあり、そうした経営が店舗経営として成立しなければ消えるということだ。
 コンビニは都市生活者にはさらに便利な店舗に進化していくだろう。むしろ、現状ではその可能性がうまく経営に反映されていないきらいすらある。コンビニ活用マニュアルでも書くと面白いくらいだ。が、いずれにせよ、それも都市が求めるものに落ち着いていく。
 では、地方は? 地方で長く暮らしたのでわかるのだが、意外と地方生活者ほどコンビニが便利なものだ。当然自動車で行くことになるのだが。そのあたりがどうなるのだろうかとは思う。沖縄だと、昔ながらの小さななんでも売る雑貨店が「まちやぐゎー」として存在し、おばーたー(老婦人)が消費税なんててーげーで営業している。仕入れはと見ていると、巡回の小型トラックが来ていた。ネットワークがあるようだ。ああいうビジネスが日本の各地方に展開されれるようになるといいのではないか。すでにそうなっているのかもしれないのだが。

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2005.12.27

猫も杓子もブログの一年

 一年を振り返るという趣味があまり好きではないが、それでも今年はブログが普及した年だったなと思った。猫も杓子もブログか。とふと、「猫も杓子も」と「ブログ」の二つのキーワードでグーグルを検索したら、あれま、四万五千件もヒット。すげ。ちなみに、この二つのキーワードで、ああなんていい気分(I'm Feeling Lucky)としてみたら、”@IT:ブログブーム、猫も杓子も古川氏(マイクロソフト)も”(参照)という記事が出てきて笑った。古川さんのブログはスタイルシート・ネタとゲイツ君ネタが面白くて何回か覗いたことがある。
 ところでなんで「猫も杓子も」か。これは私の記憶では「禰宜も釈氏も」の駄洒落であった。そんな話がネットにあるかと覗いてみると、あるにはある。先日もこのサイトに出くわしたような記憶があるが「ことわざわーるど(ことわざ辞典 慣用句 四字熟語辞典 四文字熟語」の”猫も杓子も”(参照)では普通の意味と出典として「一休咄」があるが、語源というかなぜこの言い回しかという説明はなかった。いくつか見ていると、「龍光山正宝院」のサイトの”猫も杓子も”(参照)ではこう説明していた。


 仏弟子を釈子(しゃくし)といいます。お釈迦さまの弟子、お釈迦さまの教えを受け継ぐ者という意味です
 神官の長を神主(かんぬし)といいます。その神主の下の位を禰宜(ねぎ)といいます。そして禰宜の子孫を禰子(ねこ)といいます。

 釈子かとちょっとうなる。釈氏が先ではないかとふと思ったが大辞林を見ると、釈氏は釈子に同じとある。するとこれは孔子、孟子の類か。それよりもうなるのが禰子だがこの用語が江戸初期に日常語化しているのかわからない。神名には禰子があるが禰宜の子孫をそう呼んだものか。
 「一休咄」(一六六八年)の文脈は「生まれては死ぬるなりけりおしなべて釈迦も達磨も猫も杓子も」なので杓子が釈子の洒落はいい。が、猫の洒落の対応はいまひとつわからない。言うまでもなく、この歌は一休宗純のものではありえない。
 話を少しもどして、釈子と釈氏だが、釈氏というのは、氏が釈ということ。といえば、釈由美子だが、最初のその芸名を聞いたとき私は、戒名みたいな芸名だねとつぶやき、たまたまいた一同を唖然とさせたことがある。おやま。こんな話は通じないご時世。それにしても、釈氏が芸名とはと思って調べるとなんと本名であって、こんどは私のほうが驚いた。
 真宗に戒名が存在しているのも奇怪な話で、実際には真宗では戒名とは言わず法名という。これも言うまでもなく「戒」に関係しているのだがそこまではこのエントリでは触れない。で、釈だが、これはまさに氏として機能していた。親鸞も、釈親鸞であって、これに恥じて愚禿を冠する。言うまでもなく曇鸞も釈曇鸞である。ただ、釈法然という呼称は聞かないようには思う。
 曇鸞など北魏後半から北斉の浄土教徒たちは、中国的な氏、つまりファミリーのシステムを捨てて、擬似的な釈氏というファミリーを打ち立てた。釈氏にはそうした含みがあるのだが、考えてみるに、いわゆる墨家といった表現にも似たものであり、要するに中国特有の秘密結社ではあるのだろう。余談だが、こうした結社の延長に中国共産党も存在する。その意味で、中共は法輪功と本質を同じにしているからこそあの憎悪を持つ。
 またまた奇妙な蘊蓄話みたいになったが、ま、今年は猫も杓子もブログの一年ではあったな。

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2005.12.26

米ニールセン調査がDVRを対象に

 テレビ視聴率調査の老舗ニールセンだが、ようやくDVR(ハードディスクレコーダー付きテレビ)を調査対象に含めるらしい。ニュースはPCマガジン”Nielsen to Collect DVR User Data ”(参照)が読みやすいだろう。


Responding to the requests of clients who wanted to know how DVR use affected viewing, Nielsen will now offer three ratings per program and network: Live, Live/Same Day (which includes same-day playback via DVR) and Live+7 Day Ratings (live along with time-shifted viewing up to 168 hours after airing). The first overnight ratings with live and same-day sets of data will be Wednesday; the first Live+7 streams will be available two weeks after the Monday-Sunday cycle.

 ということで、三つのセグメントに分かれる。①定刻で見ている人、②同日中に見る人(タイムシフト機能含む)、③一週間以内に見る人、ということらしい。
 考えてみるまでもなく、なるほどねの区分である。②は要するに帰宅後に見るということだろう。現在の報道番組というのもサラリーマンの帰宅時間に合わせているわけだが、DVRが普及すればその必要はなくなる。③は週末まとめ見ということだろう。ドラマなんかだとそのほうがいいように思う。というわけで、そのあたりも番組編成に大きく関係するだろう。
 そういえば、かく言う私もクリップオンからDVRを使う人なので思うのだが、深夜番組はこれでまとめておいて見る。鉄人28号とか、そうでないと見なかったかも。というわけで、深夜番組も週末用のプール(保存)ということにもなるのだろう。
 業界的には当然ながら広告費用の問題でもある。一つには広告を出す側がリアクションをどう読むかということであり、もう一つは広告飛ばし(ザッピング)である。そのあたりだどうか。

"There is some value to playback (ratings), and I think that we'll see (it) because not everyone zaps the commercials," Horizon Media research chief Brad Adgate said. "There are ways to avoid watching commercials when it's live. What the DVR ratings will tell you is who is zapping. When someone leaves the room (watching live TV), you never know."

 へぇという感じなのだが、広告がどう飛ばされるかも調査するということか。別の言い方をすると広告がすべて飛ばされるとは想定されていないわけで、広告のリーチ方法というか番組の作り方が変わるのだろ。
cover
CM化するニッポン
なぜテレビが
面白くなくなったのか
 話を読んでいると、週末型と広告の関係が注視されているようでもある。が、私はいまひとつイメージがわかない。いずれ米国が先行してから日本に導入されるのだろうが、日本の場合の特殊性のようなものもあるだろう。
 話はそれだけで、あとは個人的な余談だが、このところ、米国のポッドキャスティングをいろいろ試している。まだ印象がまとまらないのだが、へぇという感じだ。つまり、広告メディアとしてとてもグッドじゃんという感じ。特によいなと思うのは、音楽のベストテンみたいなもの。昔のラジオのデスクジョッキーみたいのではなく、この曲がいいよというのをブラウズするタイプがいい。ただ、「お、これいいじゃん」という時に、即iTMSに移動できないのがなんだかな、なので、iPodのなかに[あとで聞く]タギングのようなものができるようになるのだろう。

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2005.12.25

人生ゲームから自由意志について偽科学哲学的に考える

 人生ゲーム? いや、いいよ。と、その先は言葉を飲む。そんなの大の大人のするゲームじゃないよ、人生っていうのはだな云々。

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人生ゲーム EX
 しかし、横目で見るとルーレットが回っている。あれ? そういう仕様だったか、昔。思い出すに、子供のころから人生ゲームっていうのはやったことがなかったか。三十代、一時期モノポリーに嵌ったのでそんな気がするだけか。あれはエグイ面子でやると実に愉快というか不愉快なゲームである。ほいでこれはダイス(さいころ)だったか。バックギャモンのように欧米のゲームらしく、ダイスを二つ使っていた。もっともバックギャモンの場合は云々。
 人生というのはルーレットかダイスのようなものではある…と若いころも思った。十代とか二十代の頃。あの頃、私は人間に本当に自由意志というものが存在するのかと考えていた。
 例えば、一つのダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一。さて、この命題は正しいか。議論を端折るが、これは命題でもなんでもないのな。あるいは特殊な様相のようなしかけを作って述語論理演算とかは可能かもしれない云々。ま、ぶっちゃけ、ダイスを振る。六の目が出た。というとき、すでに確率ではなく、事実。確率とは振る前の命題のようだが、事後に検証はできない。科学というのはこういう構造を持っているのだがこれも省略。
 話は派生がある。例えば、普通のダイスを十回振って全部六が出たとする。次に六の目の出る確率は? これはもちろん六分の一。過去のヒストリーには影響されない。ま、ここも議論を端折るのだが、では確率が六分の一とはなにかというと、ヒストリーのサム、総和を意味している、ような気がする。あるいは、ヒストリーサム(history sum)から導かれたようでもある。と、諸賢お気づきのとおり、これは量子力学と同じ論理の仕組みを持っている、というか、量子力学が確率論から成り立っている。ただ、私はほんとかなとは疑っている。これも事後のダイスと同じ議論の間違いなのではないかという気もするからだ。
 で、なんの話か? 人間に自由意志があるのか? 人間の意志の過程は脳のプロセスから出るような感じがする。そりゃな。すると、それはケミカル(化学)的なプロセスであり、そのような化学において、必然以外のなにかが入り込む余地があるのか。少なくとも量子力学的な不確定性の領域があるのか? いろいろ考えたが、ありそうでもある。
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ウイトゲンシュタイン全集 8
 話を単純にする。ダイスを振る。六の目が出る確率は六分の一である、まあ、いい、そういうことにしよう、ヴィトゲンシュタインが百十六歳で生きていて、世の中っていうのもはそういうものでしょとヴ老に訊けば、そうだと答えるだろう。言語ゲームってもんだな。
 さて、ダイスを振る過程を子細に見る。それは、すべて力学的な現象として解明される。すると、その過程を子細に再現すれば、つまり、ある特定のダイス、投下距離、地上の弾性などなど、それらを子細に再現すれば、百回振って百回六の目を出すことは可能である。だよな。ここまではいい?
 では、なぜ、我々は、ダイスが次回(未来)に六の目を出す確率を六分の一だと思いこんでいるのだろうか?
 そこでいう確率とは、もうおわかりように、ダイスの特性ではなく、ダイスを含みこみダイスに表現される過程の複雑性に還元される。
 では、その過程の複雑性は確率なのだろうか?
 当然ながら、その過程の複雑性が確率であるかのようにビヘイヴ(所作)する根拠性が問われなくてはならない。数学的に言うなら、過程を子細に見るというときは、百回振って百回六が出る過程の複雑性を決定論に帰着させる有限のパラメーターが存在し、それによって、一見過程の複雑性と見えるものは、決定論的なモデルに変換されることになる。おそらく、そうした決定性モデルというのが、実際には科学と技術を支えているだろうと思うが、話を先に進める。
 ダイスの現象は、かなりおそらく、有限の要素によって、そうした決定論的なモデルに還元できるはずだ。しかし、我々の日常の常識、老いたるヴ老の幻想であるが世界を営む言語ゲームのルールは、かなりたぶん、確率を要請している。
 ぶっちゃけ、確率がこの世界に成立しているに違いないという確信があり、それらが現象世界において、先の決定論モデルと矛盾している。
 この矛盾(世界は決定論モデルとしてしか記述できないのに我々は確率事象が存在すると直感して世界を了解している)は、たぶん、量子力学の不確実性と同型なのではないか。
 あるいは、こう言えるのだろうか。ダイス過程の複雑性は、モデル世界においては有限の要素による決定論に還元されるが、モノポリーをやっているときの世界はさらに複雑な世界となるため有限要素と見なしがたい、と。
 そりゃ、嘘だ。どこまで複雑になっても有限要素である限り、決定論モデルになる。
 では、こう仮定できるか、ダイスプロセスには、量子力学的な不確実性がそのまま反映しているのだ、と。
 そうなのだろうか?
 ダイスの落下時の角の分子と机上面の分子の間に量子力学的な不確実性がありうるのだ、と?
 私はそんなわけはないと思う。やはり複雑性が確率をビヘイヴしているだけだろう。
 そして、となると、決定論性というのは、モデルを統制するルールのありかたに拠るだけである。
 それは人生ゲームではないが、人生でもそうか、人生のルールをシンプルにバインド(束縛)すればより決定論的な人生になる…あー、そうかな。
 わかんないなぁ。これがとりあえずのオチってことで、この先はまた来年のクリスマスにでも。

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2005.12.24

クリスマスクラッカー

 クリスマスで何か足りないというか忘れているような感じがして、しばしぼんやりと記憶をさぐっていて、ああ、クリスマスクラッカーだと思い出す。買っておけばよかったか、その要もないか。それ以前に売っているのか。

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クリスマスクラッカー
 クリスマスクラッカーとは、あの三角錐の先の紐をひっぱるアレ(参照)ではない。太い千歳飴にねじりをいれたようなアレ(参照)だ。両端をひっぱると、火薬がパチンと音をたてる。大事なのは、ひっぱる相手がいること。イブにするもんじゃないよ。
 ネットを見ていると、「いぎりす What's on クリスマス・クラッカー比べ 英国クラッカーの魅力」(参照)に解説がある。

1847 年、菓子職人であったトム・スミスによって発明されたクリスマスクラッカーは、クリスマスディナーには欠かせないものとして今日まで受け継がれている。二人の人がそれぞれクラッカーのくびれた端を持ち、同時に引っ張ると摩擦で火薬のついた紐が「パン!」と弾ける。中には紙でできた帽子、小さいプレゼントやモットー(格言)、ジョークの書かれた紙などが入っている。

 Wikipediaには中身の紙片について、ある意味もうちょっと英国風にひねった解説がある(参照)。

It is a standing joke that all the jokes and mottos in crackers are unfunny and unmemorable. Similarly in most standard commercial products, the gift is equally awful.

 この standing jokeというのが大変によろしいもので、このブログなどにもしばしば散見する笑えねー洒落っていうやつだ。ネットをひいたら”Bad Joke Generator”(参照)というものがある。ためしに、japan、geishaと入れたらベタにこんなのが出てきた。

What's japan's favourite book?
Memoirs Of A Geisha

 このしょーもなさは、ウケるかも、時節がら。
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Mr.ビーン Vol.3
 クリスマスクラッカーは英国のクリスマスには欠かせないもので、ミスタービーンのクリスマスの巻でも話の中心になっている。ビーン氏はクリスマスの飾り付けをしつつ、倉庫から昨年使い残したクリスマスクラッカーを取り出し…というエピソードである。このエントリは違って、オチが笑だよ。

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2005.12.23

クリスマスが象徴する神の愚かさ

 またクリスマスが来る。毎年よくやってくるものだと思う。毎年やってくるのはクリスマスと限らないのだが、なにかとそこに刻む思いが多いのでそんな気がするのだろう。信仰という意味での宗教に私はほとんど関心を失ったが、逆に神学者ティリヒについてはその組織神学を学ぶより平易に米語で説かれた説教集のほうが歳を取るにつれ心に響くようになった。そりゃ組織神学など凡人まして日本人には理解できないからだとも思っていたが、逆なのかもしれない。ティリヒは説教においてその組織神学を越えるなにかを語っていたのではないか。
 第三説教集「永遠の今」には「考え方では大人となりなさい」という題の説教があり、終わりのほうにクリスマスの言及がある。クリスマスの際の説教であろうか。標題は凡庸なまさにお説教という印象を与えるし、最初に引かれる聖句(第一コリント一四の二〇)もそれだけ読めば特にどうということはない。訳は白水社著作集より。


兄弟たちよ、物の考えかたであ、子供となってはいけない。悪事については幼子となるのはよいが、考えかたでは、おとなとなりなさい。

 ティリヒはこの聖句について、ある意味でティリヒらしい解釈を投げつける。

パウロは、教会に属する人びとのなかに賢い人びとは多くなく、この世における愚かな者を、むしろ神は選んでおられるという事実を指摘するのです。


ある意味では、キリスト者が現実に生きることはいかにして可能かという、問題の全体が、この神が愚かであられることと、人間が大人であることとの結びつきのなかに含まれてしまっていると思います。

 文脈がないのでティリヒが何を言っているのかわかりづらいが、おそらく文脈があっても、なかなか理解しづらいのではないか。というのは、神はこの世の愚者を選んでいる、神は愚かである、ということはなかなか受け入れがたいからだ。しかし、ティリヒはそう断言している。そしてクリスマスの意味をこう説き明かしている。

 思考における神の愚かさ、そして生活における神の愚かさ、この二つが一つに結び合わさっているのが、クリスマスの象徴においてであります。幼な子のうちにいます神、幼な子としての神、それは聖金曜日〔十字架の日〕の象徴をすでに予知し、準備するものであります。

 神の愚かさとはなにか? ティリヒはクリスマスの意味をそこに問い出している。彼は神の愚かさに捉えられたという表現もする。日常を世の大人として賢く過ごしていても、そこに覆われた神の愚かさが突然現れ、それが人を捉え、奪い去る。

どんなに学者として大成している人といえども、自分の現実存在そのものを問う思いを一度も抱いたことがないならば、人間として大人とはいえません。正当にも、自分の学問的業績においては、どんなことでも疑うのに、学者としての自分の存在、人間として自分の存在を疑うこともなくそのまま受け入れているような人間は、まだ大人ではありません。

 自分の知と経験のすべてをただ疑念と無価値の深淵のなかに落としこむことが神の愚かさであり、人の知に勝るとしている。ヘッセの「ガラス玉演戯」(参照)においても、主人公ヨゼフ・クネヒトは自己のグランドマスターとしての意義を見失い、そして一人の少年を助けるべく水死してしまう。ヘッセやティリヒたちを捉えるこの奇怪な神概念はドイツ的なものなのかもしれない。
 ところで先の第一コリントの聖句だが、実際にその文脈を読み直すと、それが「異言」についての話題のなかに置かれていることに気が付く。こう続く。

律法にこう書いてある「わたしは異国の舌と異国のくちびるとで、この民に語るが、それでも彼らはわたしに耳を傾けない、と主が仰せになる」。このように、異言は信者のためではなく未信者のためのしるしであるが、預言は未信者のためではなく信者のためのしるしである。もし全教会が一緒に集まって、全員が異言を語っているところに、初心者か不信心者がはいってきたら、彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう。

 ここで「異言」という見慣れない話が出てくる。ティリヒはこの文脈を意図してあの説教を語ったのではないかという疑念が私に沸き起こる。なるほどなという気もするが、話を「異言」に移す。
 試しに字引を引いたら、掲載されていた(参照)。

いげん 0 【異言】
(1)異なった言葉や話。
(2)キリスト教で、宗教的恍惚(こうこつ)境におちいって発する言葉。初期教会では聖霊による神の賜物と考えられ、その解釈もされた。

 誰が付けた釈かわからないが、「初期教会では」というところに万感の思いが感じられる。日本ではクリスチャン人口が一パーセント程度というありえないマイノリティのせいもあり、あまり異言が社会的に露出しない。が、この釈に反して、現代でも行われている。そして、その光景は「彼らはあなたがたを気違いだと言うだろう」とパウロが言うとおりのものである(コリントIは偽書ではない)。
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ポロポロ
 田中小実昌の「ポロポロ(河出文庫)」には、そのようすがまさにポロポロというつぶやきとして描かれている。
 あれはなんのだろうと自分の経験を奇怪に思うのだが、沖縄で迎えたある年のクリスマスのことだが、どういう次第か「イエス之御霊教会」(参照参照)の教会に参加した。大きなだみ声の、それでいて面白くなくヒネリも知性もない説教がひとくされ終わると、では、みなさんご一緒に、ハレルヤとつぶやきだした。それが、ハーレルヤ♪っていう感じはない。ポロポロの大音響なのである。ハレルヤハレルヤハレルヤぐゎわわわんである。説教師は、いいのです、それでいいのです、恥ずかしがらず…と誘導する誘導する。私は、死ぬかと思った。
 手元に資料がないので孫引きだが(参照)、昭和四六年文部省科学研究による、宮古島城辺町保良のサンプル調査では、全一六一世帯中、ユタ(カンガカリャー)信奉者一三一世帯、カトリック一一世帯、イエス之御霊教会八世帯、創価学会二世帯、無宗教九世帯とのこと。しかも、カトリックはイエス之御霊教会からの改宗があるらしい。
 現代の沖縄本島でもだいたいそうした形跡が伺えた。しかし、そうして知識で知るのではなく、ポロポロの大音響のなかに包まれる体験はあまりに異様だった。そこは沖縄である。子供たちもたくさんいてはしゃぎ回っていた。
 それをもって神の愚かさという皮肉を言いたいわけではない。それどこか、そこにはまさにティリヒのいう神の愚かさに捉えられそうになった私がいた。

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2005.12.22

私の些細な三つのライフハック

 ライフハックというのがよくわからないのだが、はてなブックマークとか見ていると、ちょっとしたコツというか、おばあちゃんの知恵というかお爺さんの教えみたいなものみたいだ。そしてその手の内容のエントリを書くとはてなブックマークが大漁になるので、それじゃいっちょ、私の些細な三つのライフハックをご紹介してみますか。

一、味噌汁をこぼしたときにぎゃーと言わない
 私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わない。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わない。他人がそうしたときでも。
 そうなった理由はごく簡単で、私の母がぎゃーと言う人で、そういう人と少年時代暮らしながら思ったのだ。このシチュエーションでぎゃーとか言ってなんの意味があるのだろうか? よく考えたのだが、ない。どころか、そういう場合は黙って処理したほうがええんでないのか、と仮説を立てて検証してみるに、そうだ。私が正しい。
 ところが、そういう親に育てられると、ぎゃーとか言うクセみたいのは付くわけで、なので、私は、子供ながらに自分を自己訓練した。私は味噌汁をこぼしたときぎゃーと言わないようにしよう。お茶碗を落として割ったときとかもぎゃーとか言わないにしよう。
 世の中に出てみるとというか、それ以前から学校とかでもわかってきたのだが、世の中、味噌汁をこぼしたときぎゃーという人は多い。というか、言わない人が少ない。もっと観察すると、ぎゃーの度合いによるようだ。まあ、他人がどういう原理で生きていてもご勝手にだし、よほど身近な者以外にこのライフハックは伝授してないのだが(って教えるに馬鹿みたいだしね)、なんらかの世の中の仕組みというか人間の遺伝的特性とかよくわからないが、ぎゃーは根絶はされないのだろう。というか、世の中ってそういうものだな、他人ってそういうものだと、この訓練の過程で理解した。
 この訓練は意外とメリットがある。初動が早くなるのだ。味噌汁をこぼしたとき、やるべきことは決まっているのに、その最初の手順に、ぎゃーを置かないとワンステップ先に進む。それで進んだ私になんかメリットがあるかというと、自分の場合はメリットがあるが、他人のぎゃーには尻拭いになる。まあ、世の中、他人の尻ぬぐいを先にやる役目という人がいるものだともわかった。
 この訓練は応用がある。駅に着く、財布を忘れたというとき、ぎゃーと言わない、とか。
 残念ながら、人間関係とか仕事でパニック的な情況になったとき、私には、この訓練の成果が出ない。なぜなのかよくわからない。

二、エレベータの中では黙る
 エレベータの中では黙るって、そんなの常識でしょと言う人がいるのは知っている。でも、私には常識ではなかったのだが、ある時、こう考えた。独りでエレベーターに乗っているとき人は(私も)しゃべらない。だが、二人とか乗るとしゃべる。どうやらそういう人が多い。そして、他人二人がしゃべると、率直に言うと、独りの私には不快である。なので、自分たちが二人でしゃべるのも独りの他者には不快だろう云々。
 というか、エレベーターに乗っている時間は、人生の時間に比べるまでもなく、そりゃ、エレベーターを待っている時間より短い。そんな時間に会話をする必要は何もないはずだ。が、現実は違う。どうやら、人はエレベーターのなかでしゃべりたいという生き物なのだ。この現存在のあり方についてはハイデガー哲学を持ち出すまでもなく、そゆこと。
 人って、狭い空間で二人だけだと、なんか話したくなるのだろうな。ということもわかった。この特性については悪用しないように。
 で、エレベータの中では黙るようにしてなんかメリットはあるのか。うまく言い難い。誤解されるかもしれないが、人に理解されない些細な親切を実践しているような感じがする。また、エレベーターでしゃべるという、人のそういう、どうしようもないたわいない不快に耐えるということは、生きてくうえでよいことなんじゃないかと思う。

三、傘は雨に当たってから開く
 傘は雨に当たってから開く。地下鉄の出口とかで、階段を上って地上が見えると、暗い。ああ、雨か、というとき、一旦、出口を出て、雨に当たってから傘を開く。もちろん、少し濡れるし、どしゃぶりのときはそうもいかない。でも、ちょっとした雨でも、雨にあたる領域に出て傘を開くまで一分とはかからない。その間はもちろん濡れるし、濡れることは不快といえば不快なんだけど、その不快を諦めて耐える。逆に傘を閉じるときは雨の中で閉じる。
 なぜそんなことをするのか。これはやってみると理解してもらえるけど、人が流れているところで突然立ち止まって、しかも視点を変えて行動されると他の人に実は迷惑なのだ。地下鉄の出口とかでも、そこに人がつまると下は階段なので危険。というわけで、員数の一人である私くらいはそれらから外れて全体のシステム負荷を減らしたほうが全体にとって安全。またそこに人がスタックしてなくても、自分にとっても安全度が少し増す。
 出口というのはドアとかもあって、ドアというのは意外に危険なしろものなので、そこに立ち止まらないほうがいいというのもある。
 濡れるというのは不快だが、慣れてしまえば、たいしたことはない。
 沖縄で暮らしていたとき、スコールみたいな雨がよくあって、冷たくもないし、夏着なんで濡れてもたいしたことないというところでは傘ってそれほど要らないのでないかと思ったし、バリに半月ステイしているときも、雨がひどくふったらバラニーズたちは普通に雨宿りしていたし、小降りになると歩き出した。

 今日のエントリはこれでお終い。今晩はこんにゃくとかカボチャとか食ってとけよというライフハックもお勧めしたいけど。

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2005.12.21

東方の三博士とマギーブイヨンには関係がないという話

 クリスマスの劇というと東方の三博士というのが有名だが、なんとなくネットを見ていたら、この博士、共同訳の聖書では「占星術師」になっているらしい。手元に共同訳がないのでわからないのだが、翻訳としては占星術師が正しいだろう。英語の magi は、ギリシア語μαγοιに由来するはず。
 と、マゴイ、メイジャイと呟いてみて、そういえば、magiはマギとは読まないのだが、マギーブイヨンのマギーのスペリングは maggiだったな。駄洒落だとすると音の響きから来るはずなので語源は全然違うのだろう。では、maggiってどんな意味?と手元の字引を引いてもわからない。俗語にも強い英辞郎をみてもよくわからない。
 あれ?スペリング違ったか? 考えてみるとこの音の英語らしいスペリングは maggieのはず。というか、それは Margaretの愛称なので、とするとこれは、マーガレット夫人考案のブイヨン? というあたりで、グルーグル先生とウィッキ先生を見るがそれほど情報はない。が、まるでないわけでもない(参照)。スペリングもmaggiであってる。


Maggi is a brand marketed by Nestle which produces instant soups, stocks and noodles. It was founded by the Maggi family in Switzerland in the 19th century, and merged with Nestle in 1947.

Maggi is particularly well known in Malaysia and Singapore for its instant noodles, to the extent that "Maggi noodles" are synonymous with instant noodles in those countries. A popular dish served there is known as Maggi Goreng (fried Maggi noodles).


 ということで、Maggiは発明者の十九世紀スイスのマギー家に由来するらしい。ほいで、一九四七年にネスレに吸収。しょーもない情報としては、マレーシアやシンガポールではマギーはラーメンの意味のようだ。マギーゴーレンか。そんなのあったっけか。
 ということでそういえばブランド名なんだから、ネスレのサイトになんかそのスジの情報があるでしょと見ると、あった、どころかけっこう詳しい。「マギー 製粉業者から食品の専門家へ」(参照)より。英語のネスレのサイトより詳しい。

 今でこそ世界中の誰もが知っているマギー。
 驚くことにこのマギーブランドは一人のスイス人の創造力の結果生み出されたものです。30年以上も自分の会社のために献身的に働き、そして多大な影響を残していった人――ジュリアス・マイケル・ヨハネス・マギー。ここでは、マギーの創設者である彼がいったいどのような人であったのかを見ていきましょう。

はじまりはケンプタールから
 ジュリアスは1846年にスイスの中央部トゥルガル州のフラウェンフェルトに生まれました。
 父から受け継いだ活動的な気質、そして母から受け継いだ思慮深い性格を持った彼が15歳のときに、彼の父はスイスのチューリッヒ郊外のケンプタールに製粉所を購入し、経営を始めました。


 なにか宗教的な背景がもっとありそうだが、面白いのは、マギーブイヨンの起源は女性の就労と関係しているというくだりだ。

 社会問題にまで発展した食事と栄養の問題。工場検査官であり、協会のアドバイザーでもあった医師シューラーは、栄養価の高い豆を食事にとり入れることを勧めました。シューラーとジュリアス・マギーは協力して研究を重ね、その2年後、遂に粉末状の豆のスープを生み出すことに成功したのです。
 彼はこの結果に決して満足することなく研究を重ね、多くの種類のスープを作りつづけました。それと同時に肉のエキスの風味を活かした調味料の完成を目指しました。

 現在のキューブができたのは一九〇八年とのこと。けっこう古いものなのだと思う。余談だが、私はマギーブイヨンの味が嫌いなので、インスタント・コンソメ探しは苦労し結局業務用のを買っているのだがそれはさておき。
 マギーがネスレに吸収されたのが一九四七年とすると、日本では当初からネスレのブランドだったのだろうか? よくわからない。というあたり、関心がネスレに移るのだが、あれ? いつからネスレ? つい最近までネッスルと呼んでいたのにと。余談だが、ギリシアではインスタントコーヒーのことをネスカフェと呼んで、現地の伝統の口ぺっぺコーヒーより高級だった。もう昔のことになるのかもだが。
 で、ネスレとネッスルだが、その回答はまさにネスレのサイトにあった(参照)。

 1994年に、社名を従来の「ネッスル」から、「ネスレ」に変更しました。
 「ネッスル」とは、当社の社名である「Nestle」を英語読みにしたものです。
ネスレは、本部をスイスのフランス語圏におく国際企業です。フランス・ドイツ語読みの「ネスレ」を世界的には使用しているため、表現の統一を図るために変更いたしました。

 別途調べてみると、自分には意外だったのだが、ネスレの日本進出が戦後ではなく、大正二(一九一三)年。横浜に支店を出したが、そのときの法人が英国法人の下にあったので英名のまま続いていたそうだ。ついでにもうちょっと調べると、大正一一年に神戸に移したそうだ。なんだかR30さんの祖先の物語のようでもあるな。
 そういえば、マギーがネスレだったのを知らなかったついでにネスレの他のブランドをと見たら、私の食習慣の範囲では、ミロ、ペリエ、ブイットーニ、キットカット、フリスキーがあった。キットカットもネスレだったのか。ゴクミのCMの印象で英国ブランドかなと思っていた…あー話が古過ぎ?

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2005.12.20

耐震強度偽装問題とブログ

 今日になって耐震強度偽装問題を調べている警視庁と千葉・神奈川県警合同捜査本部が家宅捜索に踏み出した。対象は、姉歯元建築士事務所、ヒューザー、木村建設、平成設計、シノケン、総合経営研究所、イーホームズ、日本ERIなどということで、とりわけ目立った狙いがあるようには思えない。この面子で話を終了ということにしようとしていると見てよく、疑いもある国土交通省側の闇には触れないのかもしれない。いや、そのあたりがこの問題の今後の注目点ではあるのだろう。
 耐震強度偽装問題についてはこれまでもいくつかエントリで触れてきたが、騒がれているほどにはあまり庶民には関係がない。問題としては建築物としてビジネスホテルとマンションが上がっているが、ビジネスホテルについては庶民の世間知としては危ないなら泊まらないというだけだし、政府がまったく無関係とは言わないまでも、基本として、税を投入するような話ではない。粛々とというタイプの話だ。が、マンションとなるとビジネスホテルのようにはいかないし、対処は緊急を要するのでいろいろイレギュラーな対応もあるのはしかたがない。それにしても過去の天災被害とのバランスを考えなさいというのが世論調査などに見える庶民の世間知でもある。庶民としてみればマンションを買うというのは住む地域の共同体を選択するという意味でもあり、そうした地域共同体にはそれなりの知恵というものもある。
 今回の事件で誰が悪いのかというのは、それほど庶民に切迫した課題ではありえない。が、社会システムとして見れば、こうした問題を防ぐ検査の機能が問われるのは当然で、その意味で今回の文脈ではイーホームズやERIがなぜ機能しなかったのかというのが重要になる。
 ところが、よくしゃべるイーホームズとしてはちゃんと決められた仕事をしてきたと言いたいようでもありその言い分もあるのかもしれない。が、結果論からすれば庶民にはその仕事の意味はゼロに等しかった。それでいて、イーホームズは二〇〇二年に三千万円だった売上げが、姉歯物件を扱い始めた翌年に一億四千万円になり、今年は十一億を越える(構造関係の担当は二名)という成長はなんだろと奇怪に思う。
 ということで、国策として、そのあたりだけ見せしめにしておけば他はなんとかなるでしょというのがあっても、それはそういうものかでもあるし(他の業界でもそんなもの)、これから改善されればいいのではということでもある。耐震強度の偽装は問題でもあるが、それ以前に古い建造物の耐震強度の問題というのも控えており、庶民にはそのほうが差し迫った課題だ(古い学校が潰れちゃうとか困るし)。
 そのあたりで私などは関心を失うのだが、そうでもなく執拗にこの問題を掻き立てていたのが「きっこのブログ」(参照)だ。簡単に言えば、反小泉で凝り固まった古くさい左翼的な主張しかでて来ず、しかも、そのネタはないだろというのを続々繰り出してくる面白ブログなので、お好きなかたはどうぞというだけなのだが、昨日ここにイーホームズ藤田東吾社長御本人のタレコミ(参照)があり、驚いた。関係者がこんなところに迂闊に出てくるかよということで(自社サイトで書きもせず)、いち早くR30ブログ”メディアについて何となくいろいろ”(参照)で問題の奇怪な構図が取り上げられていた。
 このタレコミをどう扱うべきか。
 あまりマジで取り上げるのもなという感じもして困惑するのだが、「切込隊長BLOG」”イーホームズ藤田氏が「きっこのブログ」に情報を寄せた件”(参照)が内容に踏み込んで言及していた。藤田東吾タレコミが正しいとすると面白い図柄は出てくる。


正直言うと、いまさらこのような話が出てきたからといって大勢が大きく変わるとも思いづらいのだが、藤田氏の発言の根拠となる物証(録音テープなり議事録なり)が出て、「これは本物ですな。はっはっはっ」となり、芋づる式に違法建築物件が明るみになって関係業者が大量検挙で、事件を闇に葬ろうとした国交省のそっち方面幹部の腐敗が明らかになり、地震大国日本の建築事情が一新されればこれこそ本当の構造改革じゃん、野次馬的には赤組も白組も頑張れ、といった具合だろうか。

 そんな感じだろうか。
 私としては、タレコミを受けた当のきっこのブログがどう消化していくのか。つまり、そこを解明していくのかが重要だと思う。
 そこが解明されていくなら、なんであれ大したものだと私は思っていたのだが、そして現段階で断ずるのはフライングっぽいのだが、新エントリ”1年ぶりのテポドン大作戦”(参照)を見るに、がらっと方向を変えたようだ。
 単純な話、きっこのブログは反小泉政局に使えない弾は置いといて、ということなのだろう。代わりに民主党の馬淵澄夫議員の事務所とグルで情報をブログに流していたということを明らかにした。そこから反小泉政局運動を展開しようという流れにもなっている。ブログも扇動の道具となったかという落胆するような展開だ。
 なお、馬淵澄夫議員自身の言葉では、きっこのブログとこれまで関連はないと”No.210 前人未到の荒野[05/12/20]”(参照)で言明しているので、問題の初期段階から打ち合わせてしてきたというきっこのブログの言明とは食い違う。普通に考えれば、馬淵澄夫議員スタッフが、イコールきっこのブログということなのだろう。
 さて、話を簡単にまとめておこう。
 基本構図は庶民には関係ないよということ。庶民には社会制度の不備が問われるべきだということ。
 真相解明というなら、イーホームズ藤田東吾社長自身のタレコミの裏を探るのが先決ではないのか。
 なのに、これをきっかけに政局のための扇動道具にブログが活用される時代になりましたか、ということ。

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2005.12.19

黄禹錫(ファン・ウソク)教授問題についてごく簡単に

 以前、「極東ブログ: [書評]あなたは生きているだけで意味がある(クリストファー・リーヴ )」(参照)でも少しふれたが、クリストファー・リーヴへの関心ともあいまって私はES細胞の問題に関心を持っている。黄禹錫(ファン・ウソク)教授問題についてもそうした延長で関心を持っていた。私は、この問題について、どちらかというと米国側の視点に立っていたように思う。その倫理的な立場として私は米人に近いからでもある。話を端折るが、黄禹錫教授の成果についても当然、そうした倫理の観点から見てきた。
 なにかおかしいかなという印象は今回の問題発覚以前からもっていたが、それほど日本では問題にならないだろうなとも思っていた。しかし、どうも昨今は日韓の文脈でやや方向の違った議論にもなっているようにも思えるので、エントリに書くのは控えてきた。
 しかし、やはりログ(記録)しておこうと思ったのは、黄禹錫教授の研究と韓国政府の関連について疑念を持つのはそう不当でもないと思えるからだ。ニュースとしては、朝鮮日報”韓国政府、今年1月にES細胞汚染報告受けていた 民主労働党「政府が1年間隠蔽」”(参照)がわかりやすい。


 黄禹錫(ファン・ウソク)教授は16日の記者会見で「オーダーメード型の幹細胞6つを樹立した今年1月6日、深刻な汚染事故が同時に発生し、当日直ちに政府当局に報告、後続対策を打ち出すことになった」と話した。
 黄教授の主張通りなら、政府は今年1月から幹細胞6つの汚染事実を知りながらも、「サイエンス」向けの黄教授の論文発表とその後の幹細胞ハブ構築など、一連の過程をそのまま見守ってきたということになる。


 朴補佐官は同日、大統領府の点検会議と政府対策会議に参加した。盧大統領が黄教授研究の問題点を初めから理解していたかについて、崔仁昊(チェ・インホ)大統領府副スポークスマンは「確認してみる必要がある」と話した。
 民主労働党の朴用鎮(パク・ヨンジン)スポークスマンは「政府が重大問題について、あらかじめ分かっていながらも、1年にわたりこれを隠蔽していたのではないか」としながら、「この問題に対し、政府当局の責任者を明らかにすべきだ」と主張した。

 つまり、韓国政府側はこの問題を知りつつ隠蔽していたとなると明白に韓国という国家のありかたが世界に問われることになる。
 今回の問題は、韓国政府と深い背景的なつながりを持っていた。朝鮮日報の十七日社説”黄禹錫教授波紋、偽りを払拭し真実の上に再出発しよう ”(参照)では、政府との関連の背景をこう記している。

 現政権は、カスタマイズ型幹細胞研究を「政権的プロジェクト」と位置付けたのに続き、「国家的プロジェクト」として押し上げ、ひいては「21世紀韓国国民の希望のプロジェクト」にまで膨張させながら、数百億ウォンを支援してきた。
 大統領府の科学技術補佐官の名前が黄教授論文の共同著者として記載されたこともあり、また黄教授を国家重要施設を保護する水準で保護してきたというこの政権だが、いったいこうした事態が起きるまで何をしていたのだろう。大統領府、首相室、科学技術部は黄教授研究のこのような問題点をいつ把握したのか、また知っていたのなら、なぜ「あまりエスカレートしないように」「事態を見守りたい」という発言に終始して、国民が真実に目を開くことを妨害したのか。

 つまり国策との関連は疑問視される。
 ただし、こうした糾弾が、たとえば日本の耐震強度偽装問題がブログの風聞を巻き込んで政局問題に発展していきそうなように、韓国内の政局問題であるというなら、他国民である私などが関心を持つべきではないだろう。
 今回の直接疑義については韓国民が真実を明らかにしていけばいい種類の問題ではあるだろうが、それでも今回の事態だけで閉じるものでもなさそうだ。今朝の読売新聞”黄教授「クローン犬」も偽装か…米調査チームが指摘”(参照)は問題の根がそこまで深いのかもしれないという可能性にぞっとする。ぞっとするというのは、ES細胞研究が孕む生命への畏敬の感性からだ。
 日本人である私がこの問題に言及するだけで反感を持つかたもあるかもしれないので、卵子提供疑惑時点の記事だが、ニューヨークタイムズ”South Korea's Cloning Crisis ”(参照・有料)を引用して終わりにしておこう。

But science is an enterprise that relies heavily on trust. The Koreans should not be surprised if their next scientific breakthrough is greeted with extreme caution.

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2005.12.18

純喫茶をめぐって

 日本茶、紅茶と限らずお茶が好きで、ついでにその関連の歴史だの文化だのにも関心を持つ。あまり極めるということはなく散漫な関心事であるのだが、「茶の湯の歴史―千利休まで(朝日選書)」をなんとなく読み返していて中世の東寺南大門前の茶売りの話をまたぼんやり考えていた。
 時代は応永十(一四〇三)年四月。東寺南大門前の茶売りたちが東寺に誓約書(請文)を書いている。同書にはその一点が引用されているが、内容はといえば、門前に住み着くな、寺の水を使うんじゃないといった無難なことばかり。だが、それだけでもなかったようだ。


その後、同じ東寺の門前の茶屋に対してしばしば文書が発せられているところをみると、東寺門前での茶売りはますます盛んであったことがうかがえる。その禁令の古文書のなかには、茶屋ではたらく女のことを記したものがある。どうやら、茶屋は茶ばかりでなく、よからぬことも売っていたらしい。茶という字が、しばしば色里の隠語に出てきたり、茶屋といえば、色っぽい世界を意味するようになるのは江戸時代のことだが、その源流はこんな門前の茶屋にもすでにあった。

 さて「源流」と言えるのかわからないし、そっちのほうの古文書のほうを読んでみたいのだが(といって原文は私なぞには読めまい)、この文書からでも仮設の小屋のようなものがあったことはわかる。であれば、そうした関連商売もあったであろうし…別の商売といえばこの二十一世紀の日本ですら云々といったものではあろう。
 なかなか茶というのは茶のみを純粋に味わうというものでもないし、もともと茶道には食事や喫煙が組み込まれてもいる。とぼんやり思いながら、純粋に茶…純喫茶という駄洒落のような連想が沸き起こった。純喫茶というのは死語であろうな。
 字引を引いてみると純喫茶の項目はない。後方検索をかけると大辞林に歌声喫茶だけがあった。

歌声喫茶
小楽団の伴奏で客が合唱を楽しめるようになっている喫茶店。〔第二次大戦後、関鑑子(1899-1973)の指導によって全国的に広められた歌声運動に結びついて流行した〕

 関鑑子といえばカチューシャである。もろあれだ。と、歌声運動について少し書いてみたい気もするがそれほど気が乗らない。ネットになんかあるかと見たら、「日本のうたごえとは 【歴史】」(参照)というのがある。ざっと見て萎える。関心のある人はどうぞ。
 純喫茶が字引にないのはなぜか、版が古いか、とためしにグーグル先生にきいてみたら、はてなのキーワードにあると言う。まさか。俺が爺ぃ筆頭のはてなにあるわきゃねーだろこのぉと思ったが、ある。「純喫茶とは」(参照)である。

純喫茶
 喫茶店の中でもアルコールのメニューを置いていない店のこと。
 かつて「純喫茶」を名乗っていた店の中でも有名なのが東京池袋の「純喫茶蔵王」か。
 かの店はお代わりし放題のトースト、ゆで卵や金魚鉢に見間違うほどのジャンボパフェで有名だったが。2004年2月に閉店した。

 マイアミはどうしたと突っ込む気はないが、はてならしい解説だなと思う。が、ほかグーグル先生も同じようなことを言っている。面白かったのは、「[教えて!goo] 純喫茶ってなんですか?」(参照)だ。間違ってはないから良回答なのだろうが、むしろ同伴喫茶などに触れる劣回答のほうが私には実感がある。
 私が二十歳になったのは一九七七年だが、そのころ同伴喫茶があったか。言葉はあった。が、ああ、あれかというオブジェクト・オリエンティッドな記憶はない。ネットをさらに見ていると、「阿藤快 今月の放言」(参照)にまさにそのものといった「第3章 同伴喫茶にあの子を誘った」(参照)という話がある。

 俺が大学生だったのは1970年頃。当時は新宿の西口で安保の話とかを熱く話してたのに、たった30年で一気にこうなっちゃったんですよね。それと同時に同伴喫茶がなくなってね。同伴喫茶は階段も室内も暗くなってるんですよ、陰靡な感じでね。キャバクラのボックス席みたいなのがあって、そこでカップルはセックスまではしないけどいちゃつけるんだよね。もちろん、俺も行ったことありますよ。誘うのにすごい緊張したけど、相手も期が熟すみたいな感じで了解してくれた。でも、まだその時は肉体関係なんてない。セックスの前に行くところなんです。だから同伴喫茶に行くのはある程度段階を踏んでるから、相手もすんなりとOKしてくれたんだろうな。それよりもやっぱり手をつなぐほうがドキドキでしたよ。当時は付き合って3ヶ月で手をつないで…とかそういう時代。結婚するまで貞操を守るっていうのがまだありましたからね。

 彼は私より約十歳上なので、現在六十歳手前くらいの人々の青春の風景でもあったのだろうし、柴田翔「贈る言葉(新潮文庫)」(参照)収録「十年の後」もそうした風景の一つなのだろう。
 戦後史の総括が本当に出始めるのは、この世代が退職してからか。しかし、歌声を否定したところからの声は出てこないかもしれないなとも思う。

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2005.12.17

みずほ証券によるジェイコム株の誤発注問題は「美しくない」

 みずほ証券によるジェイコム株の誤発注問題についてブログに特に書くこともないかなと思っていたのだが、世相のログ(記録)でもあり、また昨今の新聞社説などを読むに違和感もあるので、簡単に書いておこう。
 違和感が一番強いのは、与謝野馨金融・経済財政担当相の「美しくない」発言への反発だ。私は与謝野の感性と発言が、とりあえずまっとうなものだと思っている。「とりあえず」と留保した部分については後述する。反発の典型例は昨日の毎日新聞社説”利益返上 「美しい」株取引って何だ?”(参照)などがよいだろうか。


 先回りして大もうけすることは、証券会社にとって美徳のはずだ。しかし、それが「美しくない」と言われてしまった。別に美しくなりたいとは思ってはいないだろうが、風向きをよむのも時には必要だとして、もうけをはき出すことにした。

 私も下品な文章を書く品性の劣った人間だが、新聞社説がかくまで下品な切り出しをするとはあきれた。私の感性では、証券会社というのは一義に株取引を適性に円滑に行うことで社会に寄与することであり、取引の儲けとはその株によって産業が興隆することにある。マネーゲームが美徳だと抜かす神経がわからん。ということで読み進めるに…。

 しかし、「美しくない」のは、今回に限ったことではない。株式分割を繰り返して株式時価総額を膨らませ、さらに時間外取引でニッポン放送の買収を仕掛けたライブドアや、転換社債を通じて阪神電鉄株を大量取得した村上ファンドの行動も、違法ではないものの、美しいとはいえない。

 というくだりでブッチ切れ。それとこれとは話が違うだろと、つぶやいたものの、さて、ぶくまのコメントで終わるならそれもまたよしだが、普通に言うには補足が必要だろう。というあたりで少し雑感を補足する。
 今回の事件の直接の発端は言うまでもなく、みずほ証券のおばか、である。余談だが、昨日の朝日新聞社説”利益返上 「美しさ」と危うさと”(参照)はみずほ証券を「みずほ」と略しているが、みずほの本体の証券屋はインベスターズのほうである。私が塩漬け鮭を預けている証券屋でもある。

 事の起こりは株数と金額を逆に注文したみずほのお粗末さにある。東証の取引システムにも不備があり、誤りを救済できなかった。
 そのすきをついて他の証券会社が一瞬にして巨額の利益を得た。そのことに国民は驚き、メディアも大きく報道した。
 みずほが出した売り注文は、対象銘柄の株式総数の42倍に達する。いくら生き馬の目を抜く株式市場であっても、明らかな間違いに乗じた証券会社への反発がひろがった。

 みずほ証券なんだから略して「みずほ」だよってな言い分もあるだろうか。だが、インベスターズがあるのだから、こんな省略するもんじゃないし、そのことで悪意すら臭う。しかし、無知で荒っぽい社説を書き飛ばしているとすれば、一面のトバシと同じで劣化の構図ではないのか。
 話を戻す。みずほ証券の今回の失態は、おばかという言葉が正確に使えるような事態であるが、人間というのはおばかなものなので、私も片鱗システム屋でもあったことがあるので言うのだが、システム屋というのはそうしたヒューマンエラーを想定しなくてはいけない。なので、おばかという評は一義にはシステム屋に向けるべきだろうと事件発端時に思った。しかし、システムはおばか警告を出していたのにおばかどもは警告を無視しておばかなことをしでかしたとの続報があり、一晩寝たら、東証もダメダメだったというあたりで、オマエらぁ~とつぶやいた自分の声に、いや構図が違うなと、ギロロみたいな私のダイモンが答えた。
 めんどくさいので記憶に頼るので子細が違っているかもしれないが、お上相手の公務員みたいな日本興業銀行(参照)傘下興銀証券もといみずほ証券が六十一万株を一円でバーゲンしたとき、警告音が鳴った。おばかさんはこれを無視したのだが、おばかだったからでしょというのはトートロジーに過ぎない。違うのではないか。無視するのが通常業務なので、つい、と。それに東証のシステムが反応したのも実はシステム的に正しい反応だったのではないか。
 みずほ証券のおばかさんは、やべと一円で取り消ししようとしたが、操作ミス。取り消すなら五十七万円なんぼでなくてはいけなかった。というあたりに、おまえら素人だろやっぱし、なのだし、ここがよくわからないのだが、東証側システムも五十七万円なんぼなら通常通り取り消せたのではないか。
 世の中の反応を見ていると、一円の株ならわたしも買えたのにと誤解している人がいるが、実際には一株あたりで六十万円くらいだから、儲けを出すにはかなりのタマを持っているやつに限られる。風聞だがなんでも二十代の若造で今回の事件でボロ儲けをしたのがいるというが、それってフツーじゃないってばさ。
 話が少し混乱してきたので整理するが、一円で売り出したというから、ほぇ~ばかで~とネタになるのだが、問題はそうことではなくて、むしろありもしない六十一万株が出せるシステムだったよね、やっぱしね、のほうだ。
 しかも、取り消し操作なるものは米国の証券市場ならそもそもありえねーシロモノである。つまり、そういうのが正常なシステムだったということ。むしろ、みずほ証券のおばかさんは愚を装ってタオを明らかにしたのである。塞翁が馬である。
 でだ。儲けたやつら、プロですよ。プロっていうのはどういうことかというと、裏を知っているということ。こういうシステムの裏を知っていたということ。っていうか、こんなの株を少しやっていた人間なら裏でもない常識だよ。新聞にだって四年前にちゃんと書いてあったのだ。”「電通、16円で61万株売り」 UBSウォーバーグ証券が注文ミス ”(読売新聞2001.12.01)より。

 三十日に東証一部に新規上場した広告最大手・電通の株価は、公募価格と同じ四二万円の初値をつけた後、証券会社の注文ミスで乱高下する波乱の幕開けとなった。この日は結局、公募価格を五万円上回る四七万円の「ストップ高・買い気配」で取引を終えたが、大量の買い注文が宙に浮いた。
 混乱は、欧州系のUBSウォーバーグ証券が取引開始直後に、「六一万円で十六株の売り」とするところを「一六円で六十一万株の売り」と誤って注文を出したためと見られ、UBSも注文ミスの事実を認めている。
 UBSはミスに気づいて注文を取り消したが、約六万五千株分の売買が成立してしまい、電通株は一時、四〇万五〇〇〇円まで下落した。

 女体の仕組みじゃないけど、こういうふうになっているのだよ。
 さて、ここからちょっと陰謀論濃度を上げるので、ご注意。
 やつらが裏を知っていたということは、だから、たぶん、蜘蛛の糸みたいなワッチシステムを張って、まぬけな蝶々さんが来るのを待っていたのだ。でだ、普通はそうしたまぬけ蝶々をひっかけていたのが、今回ひっかかったのは、みやこ蝶々さんくらいでかすぎ。買ったやつらも、やっべー、マジ?、買っちゃったよ、とか、ラッキーゲロ儲けとはしゃぐ三十代社員を前に四十五歳過ぎのおっさんが、だめだこりゃ、とつぶやいたに違いない(恐竜の着ぐるみで)。っていうか、判断停止? 外資系なんかだと、しかたないから外人上司様にお伺い…「…なわけで、うちのおばかな若造がこんなんで糞儲けしたんだけど、どないしょ」と英語で言う(実際にどういう英語の表現になるのかわからん)。すると外人さん曰く「あきまへんな、もともと日本の市場はこうなっているからカモネギやおまへんか。バレたら地味な儲けが出まへんがな」と英語でいう(実際にどういう英語の表現になるのかわからん)。かくして伝言ゲームが政府にまで伝わったので、与謝野晶子の孫が「美しくないよ」と宣って、終了。
 と、ここで陰謀論濃度を下げる。
 陰謀的な話はさておき、こうしたシステムが普通だったし、マジでこのシステムを改善する動向はなさげなので、「美しくない」で納めておくということだろう。それはそれなりにまっとうでもあるし、しかしなぁでもある。
 つまりだな、個人投資家は持ち株しか出せないけど、大口プレーヤーならありもしない株がかんがん出せるという普通のシステムは変わらないということだ。なぜ変わらないかについては、ちょこし陰謀論濃度を上げる必要もあるのだけど、今日はもういいや。

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2005.12.16

[書評]老人と棕櫚の木(林秀彦)

 「老人と棕櫚の木」(参照)は林秀彦六十八歳の小説。短編集ではない。長編とも言えない。ジャンルとしては私小説に近いのかもしれない。本人の自問によると「…それにしてもいま私は、この”物語”とも随想とも日記ともつかぬ文章を借りて、一体何を書きのこそうとしているのだろうか」とある。フィクションの仮面なくして表現しづらいことが描かれている。が、私小説のように受け取ってもいいのだろう。

cover
老人と棕櫚の木
 おそらくこの作品は、私がここでちょうど一か月前に書いた「極東ブログ: [書評]女と別れた男たち(林秀彦)」(参照)の「P.S. I Love You...」の二十年後ということになるのだろう。
 五十を前にした林は女優の妻と八歳ほどの娘を捨てて、二十八歳の女の元に走り、そして異国に出奔。二十年後、その女に捨てられた。「老人と棕櫚の木」の主題は、七十歳を前にした男が五十歳を前にした女に人生ともども捨てられた惨めさと未練である。
 二十歳も年下の妻を持つというのはどういうことなのだろう。私はそれほどドリフターズのファンではなかったが、時代ということでスターである彼らの話はよく聞いたものだが、彼らはみなと言っていいほど奇妙なほど若い妻をもっていた。少年の私は不思議に思ったものだ。
 そういえば昨今でもとある社会学者が二十歳も年下の嫁をもろたはずとか思い出すが書かぬがよかろう。代わりといってはなんだが、川崎長太郎はどうだったか。書架の「鳳仙花(講談社文芸文庫)」(参照)の巻末年表を見ると、結婚六十一歳。そのおり「やもめ爺と三十後家の結婚」とあるから妻千代子との歳差は三十歳くらいであろうか。記憶の写真でもそんな感じがした。現代日本語で言えば、「喪男最終形態とバツイチ女は三十から」とかなるのだろうか。すまん、下品なことを書いてしまったな。
 川崎長太郎となると俗極まって聖人のごとしだが、五十歳手前の男(今の私でもあるが)は、ちょっとまだ三十歳そこそこの女とやっていけそうな気がするものかもしれない。ちょい悪オヤジとかそういう幻想にどっぷり浸かっているだろうし、それに三十歳ほどの女は人間存在というものの味わいを知るころでもあろうし云々。だが、いずれ男は七十歳となり女は五十歳のままだ。男が捨てられるのが普通だろう。
 そうでなくても、もう人生終わりというところで、女に捨てられるというのは、こういうものかと「老人と棕櫚の木」で知る。なるほど地獄が何層にあるというのは人類の知恵であることよ。というわけで、私はこの小説を呻きながら震撼しながら読んだ。

 今の私の孤独は鬱を生み続け、日々の不安は身の置き所をも失うほどに強烈である。窪んだ両眼を閉じる勇気もなく、何度も夜具を跳ね除け半身を起こし、幽鬼を漂わせて去り行く時間の一秒一秒を瞳を凝らして戦慄するのである。
 だがそこには、心の闇以外の色彩はない。
 老醜の翳りは鈍な闇よりも濃い。朱色もあるのになぜ闇が黒い漆に譬えられるのかが実感で納得できるような闇である。濃いのである。ねっとりとした、容易には砕け散らない黒色なのである。それが老醜の孤独と恐怖の色なのだ。

 ふとこんな英詩を思い出す(参照)。

Ice blue silver sky
Fades into grey
To a grey hope that oh years to be
Starless and Bible black

 物語はそれから、愛のない妻とフランス旅行へ。そして標題のシンボルへとつながる。絶望というのはこういうものだという情況で、小文字のmの出現の暗示をもって一部が終わる。二部はmの示唆から、勇気と希望に転じていく。mは神に近い。ファウストの連想もあるのだろうと思うがその言及はない。いや、 Mはドゥイノの悲歌だったか。
 率直に言うのだが、二部の希望への転換のストーリーは読んでいて白々しい思いがした。また別の二十代の女へと心を向けていくのだが、それこそ醜悪の極みのようにも私は思う。だが、それは私があと二十年生きたときの醜さの指標であるかもしれない。
 若いときには死は近いものに思えたし、五十歳を過ぎていくと、歯の欠けた櫛のようにまわりにぼそぼそと死者が増えていく。四十歳まで生きるわけもないと思いこんだ青年がまだ生きているし、生きていたいものだとすら思う。であれば、林のように七十歳まで生きるかもしれない。そう想像するだけで、ぐえぇとなにか巨大な烏賊の骨のようなものを吐き出したいような気持ちにもなる。
 ところで、林は本当に日本に帰ってきたのだ。前回のエントリのコメントで教えて貰って「諸君」の十一月号の手記を読んだ。彼のいる大分県の地名をたどって地図を開くと老人保護センターがあった。彼は今そこにいるのだろう。会いに行って教えを受けたいような気持ちもする。

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2005.12.15

マレーシアの国産車プロトン関連の話

 クアラルンプールで十三日に開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)と日本との首脳会議だが、日本でのニュースをなんとなく聞いていると、奇妙に日中関係のテーマがクローズアップされていたように思う。とはいえ確かに会議では冒頭マレーシアのアブドラ首相による日中関係についての懸念表明はあった。現在のマレーシアの立ち位置や日本とマレーシアの関係はどうなのだろうか。露骨に言ってしまえば、華僑をシンガポールに分離したマレーシアが親中国ということはないだろうと思っていた。
 中韓問題などどうでもいいので関連ニュースをざっと見ているなか、日経”日本とマレーシアのFTA、来秋発効へ・両首相が署名”(参照)の記事にプロトンの名前を見て、しばらく考えこんだ。プロトンはマレーシアの国産車である。


 04年1月の交渉開始以来、自動車の扱いが最大の焦点だった。マレーシアは乗用車「プロトン」などを育成する国民車構想を打ち出しており、自動車関税は最大で200%に達していた。マレーシア側に配慮して10年間の猶予期間を設定することで妥結に至ったが、スピード感に欠ける印象は否めない。

 今回の日本・マレーシア間の自由貿易協定(FTA)を支える経済連携協定によって、今後十年以内にマレーシアは、自動車を含め、鉄鋼などの鉱工業品の関税を段階的に撤廃することになる。この自動車がプロトンである。
 マレーシアはマハティール首相時代の八三年に、国策として国産車の育成につとめることにした。ゼロから出発はできないので、現地資本と日本の三菱自動車が提携してプロトンと立ち上げた。さらにその十年後、小型車をメインのターゲットとして、日本のダイハツ工業が資本・技術提携したプロドゥアができた。
 先の日経の記事にもあるように、マレーシアはプロトン保護のために大きな関税をかけてきたのだが、現在の世界では、こうした保護政策はもはや立ち行かない。関税撤廃の潮流もだが、マレーシアが現状のスタンスのままでいるなら、自動車産業への投資はタイに流れていくばかりだし、さらにマレーシアの富裕層はこの関税でも外車を購入しはじめている。先日のラジオで聞いた話では、プロトンのシェアも往時六〇パーセントから現状四十四パーセントまで落ち、今年の四・六月期の決算では赤字に転落した。マレーシアとしても単純な保護政策ではだめということで、十月に国民車構想を転換したようだが、その実態は研究補助というくらいしかわからない。
 プロトンの基礎を作った三菱自動車はすでに昨年提携を解消した。この六月からは、三菱商事と提携しその現地販売社を通じて販路を広げるようだ。このあたりのマレーシアと三菱自動車・三菱商事の関係については私は知らない。技術供与は当面継続しているようだが、それほど良好とはいえないのではないかとなんとなく思う。
 プロトンとしては代わりに昨年フォルクスワーゲンとの提携に合意し、当時の話では今年末までにフォルクスワーゲンの自動車を生産するとのことだったが、どうもこの話もうまく進んでいないようだ。マレーシアが国産車にこだわるあまり、フォルクスワーゲンに経営を握られるのが恐いようでもある。
 この分野についてよくわからないのだが、近代国家というのは自動車産業を持ちたがるものなのだろう。が、それに成功したのは日本だけではないだろうか。いや、韓国の現代(ヒュンダイ)はどうか。そういえば、現代も、七五年の韓国初純国産車「ポニー」は三菱自動車との提携でできたものだった(参照)。マレーシアは時代に遅れたということだろうか。
 そのあたりで、「極東ブログ: 国家の適正サイズ」(参照)を思い出したが、国家のスケールとしては、マレーシアと韓国では倍の開きがあり、案外そのあたりの要因が大きいのかもしれない。
 近代国家とアジアの自動車産業ということでは、タイと中国を加えるとどういう図柄になるのか気になる。そのあたりが、アブドラ首相の日中関係懸念表明に影を落としているような気もする。が、よくわからない。勉強が足りないというだけだが。

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2005.12.14

小田急高架化訴訟が例証する改正行政事件訴訟法の意味

 小田急高架化訴訟について、ネタとしては少し出遅れ気味ではあるし、深くつっこむ余裕もないのだが、日本社会の変化の目印としても重要なのでブログに記しておきたい。
 訴訟内容は、東京都世田谷区の小田急線高架化事業に反対する沿線住民四十人が、都の都市計画事業を国が認可したのは違法として処分取り消しを求めたもの。七日はその上告審が最高裁大法廷で開かれ、町田顕最高裁長官は「騒音や振動で、健康や生活環境に著しい被害を直接受けるおそれがある者は原告適格がある」として原告適格を認めた。今後裁判が進展する。
 重要なのは、高架事業云々ではなく、同裁判について一九九九年最高裁判例では、原告適格を「事業地の地権者」に限定し、沿線住民四十人の原告は高架化事業地の地権者ではないため原告適格を認めなかったのに、今回逆転したという点だ。最高裁大法廷が開かれたのは、判例を大きく変更するという司法の意思表示である。
 繰り返すが、高架事業の可否については、率直に言えば、裁判のルールに従って勝手にやってくれ、直接的な利害関係にない私にはどうでもいい。ただ、こうした訴訟が特定の地域住民のエゴの拡大になりはしないかという懸念を今回の判断は引き起こしたこともあり、八日産経新聞社説”小田急高架訴訟 重たい「原告適格」の判断”(参照)などはそのあたりを論点としてこう主張した。


 原告適格の範囲が拡大されたことで、住民への説明が不十分なまま工事を強行すれば、行政訴訟の続発のおそれがある。
 さらに場合によると、住民エゴがまかり通る結果にもなりかねない。行政の停滞などを招くことによって住民が不利益を被っては本末転倒だ。鉄道や道路建設などでは、付近住民への説明責任がより重要となるが、社会全体の公益も考えなくてはなるまい。

 これはお門違いな議論。社会全体の公益そのものを司法が判断するという時代になったのがまるでわかっていない。余談だが、この問題について、左派的な色の濃い朝日新聞と毎日新聞が社説では特に言及してなかったように記憶しているがなにか裏でもあるのだろうか。
 同日日経新聞社説”行政訴訟の門戸を広げた最高裁判決”(参照)は、正論といえば正論だが、やや斜め上を見ている。

 ただし原告適格を広げるだけで行政訴訟制度は本当に使いやすくはならない。裁判所には行政のチェック機能を果たす積極的な姿勢が要るし、行政側は従来の「門前払い判決を狙う」訴訟戦術を改めるべきだ。弁護士も国民の権利・利益を守るために訴訟制度を活用する法技術を磨く必要がある。改正訴訟法の付則は、施行状況の検討を政府に義務づけた。改正法に不十分な部分があれば、再改正もためらうべきではない。

 議論の急所をわかりやすく押さえていたのは同日読売新聞社説”[小田急高架判決]「行政訴訟の門戸を広げた最高裁」”(参照)である。

 行政訴訟の件数はドイツの250分の1程度だ。昨年の件数も約2700件で裁判で原告の主張が認められたのは約14%に過ぎず、却下や棄却は約61%だ。
 背景には、原告適格の門が狭かったことや、行政の裁量に対し、司法の判断が揺れたり、消極的だったことがある。


 訴訟の乱発は好ましくはないが、行政訴訟を活性化し、機能させることは必要だ。「身近な司法」を目指している司法改革の重要課題ともなっている。

 もうひとつ、読売は重要な点を記している。

 だが、原告適格について新たな規定を加えた改正行政事件訴訟法が4月に施行された。改正前は原告適格について、「法律上の利益を有する者」という規定しかなかった。
 改正法は、「この規定の文言のみによることなく、関係法令の目的や趣旨も考慮し被害の態様や程度をも勘案すべき」という規定を新たな指針として加えた。大法廷判決は、追加規定の適用の具体的な基準を初めて示したものだ。

 つまり、問題の根幹は、この四月に施行された改正行政事件訴訟法であり、「この規定の文言のみによることなく、関係法令の目的や趣旨も考慮し被害の態様や程度をも勘案すべき」が今回の裁判で明確になったということだ。
 引用が多く読みづらくなったが、これからの日本社会では、行政への訴訟に対して、「法律上の利益を有する者」の枠が広がった。これはもう引き返せない歴史の進展である。
 改正行政事件訴訟法については、さらに行政への司法側からの指示が可能になっていることや、在外日本人の投票権問題で見えつつある、権利確認の訴えなども関連している。
 少し言い過ぎのきらいはあるが、こうした司法を介した行政に対する市民側の運動はもう引き返せないという構造が日本社会にできた。なので、小田急高架のように個々の問題は個々に議論するべきだが、個々の問題から日本社会のあり方を問うパス(小径)はもうない。そのあたりで、小泉政権の強化に伴う従来型右派の迷走が深まっていくような印象も世間の空気から受ける。

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2005.12.13

NHK日曜日朝「経済羅針盤」にソニー中鉢社長が出ていた

 NHK日曜日朝「経済羅針盤」にソニーの中鉢社長が出ていた。といって私はこの番組を見ていたわけではなく、ハードディスクのファイルリストにエンコードミスの音声ログが残っていたので再エンコードがてらiPodで聞いてみたというだけだが、聞いてみて興味深いというのか脱力したというか、ソニーの悪口を言いたいわけではないがちょっと風流を感じるものがあった。この昨今のソニーというネタは他所でいろいろ議論されているし、私に新ネタがあるわけでもないし、「極東ブログ: ソニー経営陣刷新、ふーん」(参照)といったくらいの認識であるが、ただ長いことソニーファンだったし、少しメモ。
 中鉢社長の話を聞いていて、へぇ、というか、え?、というか思ったのだが、ソニー復活はこの年末商戦のテレビに賭けるというのだ。野球でいえば三対二の二。九回裏ランナー二塁だそうだ。背水の陣とも言っていた。そうなのか。そうなのだろう。中鉢社長自らヤマダ電機の社長にトップセールをかけていた。と、そのくだりでぼんやりとエンコーダーの具合を聞いていた私も、え゛と目を覚まして内容に耳を傾けた。考えてみたら、考えてみなくても、ソニーの製品を売るというのはヤマダ電機なんだよな。いやヤマダ電機と限らずそういう量販店だ。ソニーのテレビはもう価格支配力なんてないよな。そうだよな(繰り返し)という感じである。
 とすれば、当然そんなところから利益が出せるわけもないじゃんというのは、「さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学(光文社新書)」(参照)を読むまでもない。NHKの番組司会者もそのあたりにツッコミだが、対する中鉢社長の回答が私の印象では要領を得なかった。大丈夫っす、儲けは出ます、〇七年までに四パーセントの営業利益ガチっす……とはいかなかった。いくわけもないだろうが、いろいろ品質や技術面で価格は理解していただけるはず、という技術畑上がりらしい冷静な回答があった。大丈夫か。
 それにしてもなんでテレビ?というのは私にはよくわからなかった。サムスンとの合弁で液晶パネルの会社を作り量産に賭けたというのはわからないではない。規模も大きいことはわかる。でも、と思うのは、そこで出来たパネルを別途ファブリケートすればソニーの目はないのではと素人がてらに思う。そういう疑問を織り込んだのか、部品技術と回路技術でソニーらしさが出せると強調していた。信じる?
 番組はそれから工場と経営陣のコミュニケーションという日本人の好きそうな流れになっていて、そうだこれで経営と工場が一丸となって頑張ればソニーは立ち直るという盛り上げであった。がんばってくれと呟きたい。
 新製品にも賭けるというというくだりではiPod対向の新型ウォークマンが出てきたのですまん一気に関心を失った。どんな話だったか忘れた。よい製品なら売れるでしょう。きっと。
 ソニーの未来については…私などが言うことではないが、一つ気になったのは、ハイビジョンの時代になるのでしょうかね、ということ。そしてそれがソニーなどAV家電の会社を盛り立てる大きな流れを形成するのか、映像に関心のない私にはまるでわからない。テレビ見ないし。

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2005.12.12

学習塾小六女児殺害事件雑感

 京都府宇治市の学習塾「京進」で十二歳の少女を二十三歳の同志社大学生講師が殺害した事件について、私はテレビを見ないので、いわゆる世間がどういう話題にしているのか知らない。代わりに、ネットのニュースはよく拾うほうなので刻々と報道されるニュースはなんとなく見ている。よくわからないというのが一番の思いだが、それは二十三歳の男は十二歳の少女を殺してはならぬという無意識の掟のようなものに私の心が支配されているからだろう。

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誕生日の子どもたち
 社会的に見るなら、真相がわからないので間違っているかもしれないが、大筋では塾の経営の問題のようにも思う。今回のケースはさすがに特例だが、人が集まる組織には殺してやりたいといった怨念は籠もるものなので、多少なり世間の苦労をした大人はそうした関係に風を通すなり、時には泥をかぶる必要があるものだ。
 この事件についてはそれ以上言うべきことはないのだろうし、エントリに書くほどでもないがと冬枯れの町を歩き、通りがかりの天やで天丼かっこみながら、そうしたせいか若いころを思い出した。自分も二十三歳の大学生だったし十三歳くらいの少女の家庭教師をしたこともあった。が、そうした経験から類推されるものはなにもない。
 無意識にひっかかっているものは、ある文学的な印象のようなもので、ふと、そうだ、ミス・ボビットだと思い出す。カポーティの「誕生日の子どもたち」(参照)である。確か「冬の樹」という邦題で訳されていたように記憶するがそれは見つからず、村上春樹の新訳があった。私はこの短編をあの頃英語で読んだ。追記(12.18):コメント欄にて「夜の樹(新潮文庫)」であると教えてもらった。
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せつない話〈第2集〉
 アマゾンをなんとなく見ていると、山田詠美編「せつない話〈第2集〉(光文社文庫)」(参照)にも収録されていた。誰の訳であろうか。詠美がこれを選んだ気持ちはなんとなくわかった。せつないというより、ある種人間の心にひりひりさせるような何かがあるからだ。村上春樹もたぶんそうした何かを感じただろう。
 ストーリーは要約するようなものでもないし、私にはうまくできそうにもないので、アマゾンの読者評(水水酔)を引用する。

「誕生日の子どもたち」の語り手は、アメリカの田舎町に住む少年である。きのうの夕方、ミス・ボビットがバスに轢かれた、という文章で小説は始まる。少女は、ちょうど1年前、やはり同じ6時のバスで、母親とともにこの町にやってきた。映画でいえばここがファーストシーンだ。やせっぽちの10歳の女の子ながら、もう大人のコケットリーをもっている彼女は、母親をしたがえて、バスが巻き上げていった土埃のなかから姿をあらわす。遊んでいた少年や少女たちは、このミス・ボビットの風変わりなようすに度肝をぬかれて、言葉もなく見守っている。

 町の人々が十歳のミス・ボビットに魅了されていくカポーティの筆致はその幻惑性をよく示していたと思う。
 私はここで躊躇う。私は十歳の少女にはミス・ボビットのような幻惑の力がありうるとまでは言ってもいいかもしれない…が、この事件の文脈で語ることはできない。
 私は四十八歳の男であり、社会的な存在としては殺された少女の父に近い。私がその場なら狂わんばかりだろう。ただ、事件のおそらく語られにくい部分には世間的には語りがたい幻惑のような何かがあったのかもしれないとは思う。
 そういえば先日、実母を毒殺しようとしたされる少女の事件についてエントリ「極東ブログ: 母親毒殺未遂高一少女事件の印象」(参照)を書いたとき、ブログでいくつか、そんな文学やら疑似精神医学で考えるとはなんて馬鹿だろうこいつはという感じの嘲りを受けた。なるほど世の中には理解不能な事件は多いし、理解しようとする必要もあるまい。しかし私はそう思っていない、言うまでもなく。

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2005.12.11

iPodが学習ツールとして普及すればいいのに

 「キャンパスはiPod革命前夜」という記事が今週のニューズウィーク日本版があった。話は大学の講義がアイポッド用に配信されるというのだ。そりゃそうだろうなと前から思っていたので、現状の確認という感じで記事を読んだ。すでに始まっている大学もあるようだが、概ねこれかららしい。そのあたりが邦題の「革命前夜」であろう。原題は "Professor in Your Pocket"でオリジナルはMSNBCのサイト(参照)で読める。
 米国は以前からオーディオブックの文化でもあり(特に啓蒙書の音読を通勤に聞くというのが多いようだ)、大学の講義などもそうなるだろうとは思った。が、実際の米国の講義というのはディスカッションや演習が多いので、アイポッドで聞く講義の部分はリーディング・アサインメントの延長のようなものでもあるのだろう。日本の一般的な大学の講義のほうがアイポッドに向いているのかもしれない。と書いたところで、すでにその傾向は進んでいるのだろうか。ニューズウィークの記事は大学がオーソライズした講義だが、日本ではこっそり録音とか。ああ、そういうのは昔もあったか。
 すでに他所でも話したが(参照)、私はNHKラジオをMP3に落として聞くことが多い。使い初めて一年くらいになる。当初は、少しは勉強しなくちゃなと講義っぽい内容のものも聞いていたが、続かない。歳かな。いやこれが実際に優れた先生の講義とかだとそうでもないだろうから、ぬぼーっと聞いていることになにか抵抗感があるのだろう。
 ということで経験的になんとなくわかってきたのだが、集中して聞けるのはせいぜい二十分といったところ。四十五分ものだと二回にわけたほうがいいのでしおり機能のあるM4B(ブック形式)にエンコードし直したほうがいのだが、それもめんどくさい。寝れない夜が一番聞く上でコンディションがよい。三時間くらい集中して聞いていられる、が健康にいいことではないな。追記:コメントで教えてもったので確認した。MP3でもしおり機能が使える。
 テレビソースの音声は、実際に画面を見ていると見ている必要もないと思うのだが、音声だけを聞く段になると意外と聞きづらい。ラジオソースのほうがいい。情報の構成に関係があるようだ。それと、話のうまい人というか講演みたいのは意外とだめなものだ。聞きづらい。情報が少ないことが多くて、つらい。アイポッドで聞くというのは、人にもよるのだろうが、情報量が経時的に増加していかないとつらい。などなど。
 アイチューズのストアなどを見ると、日本でもアイポッドコンテンツとしてのオーディオブックに人気がありそうだが、市場的にはまだまだうまくいってない。個人的には松平定知の声色による藤沢周平も色気があっていいのだが、なんかこうもっとよさげな色気のコンテンツがあるといい。中年女性の落ち着いた声の音読がよいが…話がずっこけた。
 アイポッドと限らないのだろうが、社会人再勉強ツールのニーズは高いだろう。三十半ばくらいだろうか、もっと勉強しときゃよかったと各種入門書などを読み出すという人は多いと思う。が、読んでいるだけでは、なにかいまひとつ達成感も薄いのではないだろうか。
 アイポッドによる教育マテリアルでも類似に思える。なので、ポータブルなアチーブメントテストがバインドされているといい(メモツールも欲しい)。ということは、アイポッドの画面にそういう機能を担わせるといいのだろうが。
 今年の話題の言葉にポッドキャスティングがあるが、音声コンテンツをただエンコードしてRSSベースで配信というだけでは面白くもないだろう。アチーブメント的な補助と内容についてのインデクシングのような機構がうまく統合されるとよいのだが…そのあたり米国からまたなにか出てくるだろうか。

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2005.12.10

フェタチーズ

 また食い物の話。フェタチーズ。つまり、フェタ。ちょっと前だがニュースを聞いていたら、「フェタ」の名称はギリシア産に限るとEUがようやく裁定したそうだ(参照)。へぇと思うと同時にフェタを食わなくなって久しいなと思った。
 フェタをWikipediaでひいたら写真付きで載っていた(参照)。


フェタチーズ
 フェタ(φετα, feta)は、羊の乳からつくられるチーズのひとつ。フェタチーズとも。
 ギリシャの代表的なチーズである。 白色のねっとりした塊状の外観で、食塩水中で熟成させるために強い塩味がある。 そのまま、あるいはオードブルやサラダの材料として食べる。

 見るとわかるようにぼろっと崩れる。これをサラダに載せるのがグリークサラダというやつで、プラカなんぞの観光客向けのタベルナだとなんかそれっぽいのだが、ちょっと観光地を外すと、グリークサラダって、そうか、フェタを食うのがメインかと回心する。ヘディングできそうなくらいのサイズで野菜の上にどかんと載っている。
 旨いか? ま、これはちょっと好みがあるでしょう。私は好きだ。というか、ギリシアにステイしているときは日々食っていた。日本だとオイル漬けのがちょっこし売っているだけみたいなのでがっかりした。最近ではそうでもないのか。
 ギリシア人のフェタ好きは、昨年のオリンピックの際の読売新聞のサイト「一口サイズのチーズパイ : 気分はギリシャ!簡単クッキング : アテネ五輪」(参照)でもわかる。

 でも、ひと昔前には本当に貴重品でした。長い夏休みのようだった幸せなギリシャ滞在を切り上げて日本に帰らなくてはならなくなった時、日本に住んでいるギリシャ人の友人から、「お願いだからフェタをカバンにいっぱい詰めて帰ってきて」との緊急指令が入りました。そのため、禁断症状を示しはじめた友人を救うために、大量のフェタを密輸することになったのですが、そのカバン、その後どう洗っても干してもフェタのにおいが消えず、二度と使うことができなくなってしまいました。帰国後、東京のギリシャ大使館で仕事をし始めてからは、外交特権で定期的にフェタを取り寄せる同僚たちの恩恵を被り、我が家の冷蔵庫は扉をあけるといつでもフェタのにおいがするようになりました。幸せでした。

 まぁそんな感じだ。山本七平の息子山本良樹は米国在のころ、ギリシア系の女を抱くと野菜の腐ったような匂いがするみたいなことを言っていたが、グリークサラダを食い続けるとそうなる。
 私がこのチーズを好んで食うのでギリシアの年長の女性が教えてくれた、あのね、上質なフェタはデンマーク産、とのこと。
 へぇ、と思った。韓国人が買って食うキムチが中国産のように、ギリシアのフェタもデンマーク産か。よくわからないが、だったら日本にもっと輸入されてもよさそうなものだが、チューリップ(ポーク!)みたいに。
 そんなことが記憶にあったので、フェタはジェネリックじゃないというEUの裁定はそんなものかなとも思った。ちなみに、ありがちなニュースは”Greece wins exclusive European rights to 'feta' name”(参照)など。

Despite its many imitators, Greece remained the main European producer and consumer of feta cheese, the court said.

"The production of feta has remained concentrated in Greece, with more than 85 percent of (European) Community consumption of feta, per capita and per year, taking place in Greece," it said.


 よくわからないが、ようするにギリシア人がフェタをいっぱい食うからここは面子を立てとけということではないのか。割を食ったデンマーク(それとドイツ)だが、従来フェタとしてきたチーズの名称が包装紙に記載できるのは二〇〇七年までとなる(猶予期間)。そういえばBBC”Food firm cheesed off over ruling”(参照)を見ると英国でもブーイングはあるようだ。
 チーズは一時期各種食いまくったことがあるのだが、フェタなんかも歴史的にはモッツァレラチーズみたいなものではないか、というかトルコの濃いヨーグルトというかサワークリームなんかもみんな似たようなものなのではないかとも思う。
 今回ようやくフェタはギリシア限定ということだが、ロックフォールはすでにフランス産に限定のはず。こちらについては、そのほうがいいだろう。いわゆる青カビチーズと上質なロックフォールは、え?というくらい味も香りも違う。ゴルゴンーゾーラもそう。スティルトン? それは食べてないのでわからん。

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2005.12.09

「手鍋下げても」について

 耐震偽装も国連分担金も、「ヤケ」になった犯罪者もイラク派兵延長も、ましてジョン・レノンも関心がわかない。みずほ証券? いやそれほど関心ない。億のカネなど縁がない。プーアル茶を飲みながらそういえば今日のエントリを書いてないことに気が付く。書き込み予定地にしてもいいのだが、埋めておく。
 先日の「覆水盆に返らず」の関連でもあるが気になる言葉があった。「手鍋下げても」である。
 二〇〇五年の話題とやらのブログにこの表現があるか。テクノラティで検索してみた。十三件。多いのか少ないのかよくわからん。リンクをたぐってみたが、実際には出てこなかったり、引用だったりで書いてる本人がわかってんのかという感じ。わかってそうなブログは儂より年上っぽい感じ。ま、そうだろう。
 「きなこもち」というブログの”動物占い☆”(参照)というエントリにこうあった。


リンクをたどって違う性格診断もやってみた(ようするに暇だった笑)
結果↓
http://www.egogram-f.jp/seikaku/kekka/bacbb.htm
「手鍋下げても」ってどうゆう意味だろ・・・???

 疑問に思っている。リンク先を見た。「エゴグラムによるあなたの性格診断結果」というのだ。エゴグラム?

2.恋愛・結婚
優しいから情に溺れる、情に溺れるから下らない者に引っ掛かるという様に、優しくて感情的判断をしやすい性格が、仇となり易いタイプです。稀には「手鍋下げても」という様な思い込みが、貴方を幸せに導く場合も有ります。異性関係には、熟虜をすべきタイプです。

 あ、いいなコレ。声に出して読みたいくだらない日本語という感じ。くだらなくもないか。その思い込みが幸せというのもあるだろう。
 グーグル先生もひいてみた。二百十件。少ないんでないの。そしてこれもなんか生きた用例というか、自分の思いから使った表現というのはあまりないみたいだ。
 字引を引いてみる。広辞苑に「手鍋を提げる」の項に織り込まれている。そのほうが表記としては正しいのだろう。グーグル先生も件数はさらに少ないがそんな感じ。

手鍋を提げる
自分で食事の用意をする。貧しい暮しをする。特に、「手鍋提げても」の形で、好きな男と夫婦になれるなら、どんな貧苦もいとわないという意に用いる。

 意味はそういうこと。大辞林も二版にはあった。一版で落としてしまって慌てたのか。
 というわけで、昔は「好きな男と夫婦になれるなら、どんな貧苦もいとわない」という女がいたのである、日本に。ニホンオオカミみたいに。
 今でもいるのだろうか。いるんじゃないかと私は思う。そういう表現はなくなったが、人の心というのはそう時代で変わるものでもないというか、男女の機微の深いところはあまり時代に左右されないのではないか。逆に世相が変わってしまって、「手鍋提げても」の人生は世相と齟齬があるかもしれない。すて奥に混じっているかもしれない。ってなことを書いて苦笑・失笑を買うであろうな。ここまで読んだならな。悪かったな。
 手鍋提げてもでもないが貧苦というなら山本七平の結婚の逸話も面白かった。れい子夫人によると、熱心なクリスチャンだった彼女の母が七平との結婚を勧めたらしい。当時七平さんは結核だったというのにだ。
 お見合いの七平はこうだった。

そのとき主人は、戦争で経験した酷くつらいことを、初めて会った私でしたのに、熱心に何時間も語ってくれました。カトリックに告解というのがありますね、何だかそんなふうな感じがありました。

 まぁ一般論として童貞の男というのはそういうものである、っていうのはある。それ以上のものもある。ひどい言い方だが、その時七平がれい子さんに告げたかったことは、たぶんこの手記(Voice,H4山本七平追悼記念号)の執筆時期でもあまり思い至らなかったのではないか。
 話を戻す。当時アイドルなみのルックスのれい子さんはこう思った。

私は、何と気の毒なと思いつつ、そのときは内心ちょっと困ったなという感じでいたんです。

 そんなものである。普通。手鍋下げてもということがなくても話は展開する。
 彼女はその後「観念した」と言っているが、七平の押しが強かったわけではない。接し方の雰囲気と彼が聴覚障害者の自立のために校正を教えているといった素行が大きかったようだ。
 そういえば、吉本隆明が旧姓黒沢和子とすったもんだで一緒になってから、彼女にどんなところが良かったかと訊いたとき、立ち小便しないことと答えた…だったかな。記憶違いならすまん。ま、それも素行ではあるだろう。

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2005.12.08

一生分食った物について

 十二月八日といえばグーグル様と一緒にポコペン侵略にいそしむケロロ軍曹の誕生日の前日である。他になにか?
 師走である。師たる者は走るのである。走れ走れメロン…ちと違うな。メロンは走らない。苔むさず転がるばかりだ。そうしたメロンが世の中には好物という人たちがいる。メロン・アレルギーの私には不可解極まるが、不可解といえば当方のメロン・アレルギーも高級メロンならアレルギーは出ないという珍妙なる特質を持っているので人それぞれ人生いろいろではあろう。メロンについては、私が言うのだから高級メロンなのだが、もう一生分食ったよと思う。メロン? もう要らね。美味しいよと言われても、もういいのだ。そういうのってあるでしょ。
 そうねと女は言う、蟹は一生分食べたわね、と。そりゃ嘘だと小声で答えてみるテスト。タラバガニみたいのの新鮮なやつをまた食ってみたいのではないか。その蟹ね、蟹っていろいろあるのね、わたしの蟹はあの海の蟹……って蟹は海にいるのではないか…そうでもないな。
 蟹は河にもいた。信州の家にいたころ千曲川で山ほどとっ捕まえて持って帰ると、食うかと大人たちは言った。信州である。なんでも食う。蝗はもちろん食う。蜂の子は食う。常世の虫のごとくお蚕様と崇めておきながら、食う。馬も食う。ザザムシも食う。信州人の末裔の私としては一生の一度はザザムシも食わねばなるまい。なんの話だっけ。蟹…いや、一生分食った物の話だ。
 お葉漬けは一生分食った。この季節、国鉄から私鉄に乗り継いだ二十キロものお葉漬けが来る。駅留め。遠い私鉄の駅から父と自転車を押して帰宅した。私が小学生になる前か。そしてお葉漬けの日々が春まで続く。塩の馴染まない青臭いお葉漬けが、しょっぱくなり、すっぱくなるころ春になる。最後は炒めて食う。春まで、あった。もうこんなもの食いたくないよと子供心に思った。一生分食った。
 世の中に出たころ、世人はそれを「野沢菜」と呼ぶのを知った。美味しいとかぬかしていたので、殴ってやるかと怒りがこみ上げてきたのを覚えている。第一だな、「野沢菜」とはなんだ、それは「お葉漬け」だ。「な」と一言で言うのも正しい。なにが、野沢菜だ。旨いだと。おめーら春を待ちながら酸っぱいあれを日々食うという正しい生活を知らないのかぶぁかものと思ったが、世人らは美味しい美味しいと野沢菜なるものをつまんでいた。一口だけ食ってみた、私も。変な味がした。これは、何だ? これは、野沢菜なるものか。菜の味がしなかった。お葉漬けの味がしなかった。なんか、泣けた。
 沖縄で海洋博があるというので、電話線やらの工事監督ということで電電公社員の父は三ヶ月ほど出張していたことがある。沖縄はいいところだとよく言っていた。彼が死んだのでそうかと思って私は行ってみることにした。そして暮らした。海辺で暮らしてみたかったので海辺の家を借りた。痴呆症というのだろうか一人暮らしの老婆が引き取られて空いた家。庭があり、植物がいろいろあった。バナナもあった。
 バナナが実った。おらあグズラだどんではないが、私もかろうじて、あ、バナナだぁの世代である。バナナをお腹一杯食べてみたいなと思っていた。できたら、煙いぶして黄色くしたんじゃなくて、自然に熟れたバナナが食べたいなと。夢が実現してきた。バナナというのは、熟れるまで木におくと、太った女のストッキングの破れのように中からぷっくりとはじけてくるのを知った。感動した。太った女の脚というのもよいものかもしれない。
 問題は量だ。一房実ったバナナは私の食事の一ヶ月分のカロリーを供給するだろう。どうしたらいいのか、こんな大量のものを。というわけで近所に分けた。ウチナーンチュはテーブルのうえにバナナがあると無意識で食べるという習性があるのを知っていたので、あちこち置いてもきた。
 バナナは一生分食った。バナナの花も食ってみたが、渋かった。食用のバナナの花というのは違うらしいと後に知ったので、いずれ死ぬまでにバナナの花は食ってみたいと思う。
 老婆の残した庭には釈迦頭があった。シュガーアップルである。見た目うまくなさそうだし、住み始めたころはほっておいた。通りすがりのウチナーンチュがわっけのわからんウチナーグチで怒るのだがようするにこの釈迦頭をなんとかしろと。食えというのか。欲しかったらあげる、勝手に持って行ってよいと伝えたかったがうまく伝わらん。鳥たちはやってきて食っていた。うまそうでもあった。イエス様の言うとおりである。
 それから二年後ぐらいだろうか、釈迦頭があまり実るのでもいでテーブルに並べ、さてどう食うのかと調べてみた。熟れたら食うのだそうだ。そりゃな、普通な。とにかく山ほどあるので食って食ってそのうち釈迦頭の食べ方というものもわかった。触った感じで旨いころ合いがわかるのである。少し弾力がある感じがよい。食ってみてわかったが旨かった。多数含まれる砂利のように固い種がやっかいだが、こんなに豊潤な香りと甘みと酸味というのはちょっと他のフルーツにはない。もし釈迦頭を食う機会がありそうな人がいるなら伝えておきたいのだが、冷蔵庫に入れてはダメだ。ダメと言ったらダメだ。理由は聞くな。
 かくして釈迦頭は一生分食った。他に…ライチも一生分は食った。ドリアンももうあれで一生分でいい。他に? 芋粥? 甘蔓で煮た芋粥とは、ターンム(沖縄の料理)の緩いようなものだろうか。ターンムも一生分食った。もういい。普天間飛行場は返還すべし。
 酒も一生分飲んだと思った。アードベクやらラフロイグが残る瓶をそのまま飲める人に譲った。もういい。人は酒瓶を半分残して死んでいくものだ。その時期が若干ずれたと思えばいい。それから四年経った。少し酒を飲む。酔うまで飲まない。もともと酔うたちでもない。

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2005.12.07

耐震強度偽装問題の政府支援についてはとく言うこともなし

 あまりふれたくない話題なので簡単に。昨晩いつになく十時のニュースを見ていたら、耐震強度偽装問題の政府支援の話を図解で説明していた。わかりやすい。土地は住民のもの、避難・解体費用は政府・自治体が出す、新規マンションの費用は住民負担、というか民事の問題へ。ま、そういうことか。
 少し奇妙な気分にはなった。酒は飲まないことにしたのだが、最近は少しだけ飲む。小瓶のゴーデンホップ。アテはカマンベールチーズ。考えてもしかたないことは忘れよう…。寝る。
 そして今朝、新聞各紙の社説を読んだら昨晩のことを思い出した。日経を除いて執筆子、私同様不機嫌なご様子。私的に共感したのは毎日新聞社説”耐震偽造支援 リップサービスは許されない”(参照)だ。毎日新聞のうしろからぷーっと息がかかってないのかよくわからないが。


……胸中は察するにあまりある。
……無理からぬところかもしれない。
……妥当な措置と言えるかもしれない。

 使える表現が多いが、さておき。

 問題は、地震や水害などの災害時の救済策とのバランスを保ち、国民の間に不公平感が生じないように留意することだ。とくに耐震性を考えるならば、全国には耐震強度に不安を抱える建物が約1400万戸もあることを忘れてはならない。それらの耐震構造化への補助などとの釣り合いも考慮すべきだ。新たに欠陥建築が発覚したり、災害が起きた場合に適用できるかどうかも大事な要件となる。北側一雄国交相は「特例だ」と強調しているが、普遍性なくして国民の納得が得られるだろうか。

 主張はさておき、ファクツが重要。つまり、「全国には耐震強度に不安を抱える建物が約1400万戸もある」ということだ。
 と書きながら私もブログで社会ヒステリーを増幅しているだけなのだろうか。まあできるだけファクツだけメモするようにしておこう。
 読売新聞"検証・震災80年(1)「関東」「阪神」…伝える執念"(2003.7.29)は二年前の記事だが。

 国土交通省によると、全国の住宅は四千三百万―四千四百万棟。半分は八一年以前の建築で、うち六割余は耐震性に問題があるという。
 本間義人・法政大教授は「政府が掲げた都市再生政策では、とかく派手な高層ビル建築に目がうつりがちだが、危険地域の防災対策こそ優先すべきだ」と語る。

 ざっと概算すると耐震性の問題があるのは千三百万個になるようだ。この二年間で特に改善は見られない。
 古い建物といえば校舎が連想されるが、対応は地方自治ということもありニュース地域ごとにばらばらとしている。読売新聞"神戸の市立小・中学校 学校耐震診断8%止まり 大半が「補強必要」"(2004.1.16大阪)も約二年前の記事が参考になるか。

 阪神大震災で避難所となった神戸市の市立小・中学校で、耐震設計基準が強化された一九八一年以前に建てられた校舎や体育館のうち、耐震診断を終えているのは8・2%にとどまっていたことが十六日、わかった。東海地震に備える神奈川(87%)、静岡(85%)両県や全国平均(35%)を大きく下回る。補修などの復興事業が優先されて後回しになった形だが、市教委は今年度始めた全棟診断計画を前倒しし、年度内に55%の診断完了を目指す。

 二年前で耐震診断を終えた校舎が全国平均で三五%というと、現在では四分の三くらいは耐震設計対応になっていると見てよいのだろうか。これを多いと見るか少ないと見るか。こうした校舎は避難所にもなるのでそのあたりも気になる。
 ビザールというわけでもないが、奇妙なニュースもあった。十年前だが、科学技術庁防災科学研究所が阪神大震災の地震波形を振動台で再現し、鉄筋コンクリート三階建ての建物を揺らす破壊実験を行った(読売新聞1995.3.21)。結果はどうだったか。

 建物は三層構造で現行の建築基準法に盛り込まれた新耐震設計基準ギリギリの強度になっている。これを加速度八一八ガルを上回る一二五〇―九七〇ガルで三回揺らした。最大振幅五十九センチを記録した最上階を中心に、はりには無数の損傷が見られたが、震度7相当の揺れでも崩壊しなかった。今回の実験では計算上、三回目の揺れで建物全体が壊れるはずだった。今回は揺らすごとにはりと柱のつなぎ部分の損壊が大きくなり、揺れのエネルギーを緩和することになった。

 計算が外れたようだ。現実問題だと、どう外れるかがわからないのではあるが。

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2005.12.06

[書評]失敗の中にノウハウあり(邱永漢)

 絶版となったアマゾンの古書の価格を見ていると、昨今の古本屋というのは本の価値をよく知っているものだなと唖然とする。その背後にはブログなんかに出てくる気もない本の虫が五万といるのだろう。いや、ちょうど五万というくらいか。良い本は一万と売れない。十年かけて二千部も捌ける本が本当の本というものだろう…というような狂気に憑かれた出版の鬼というか編集の鬼がいて、こいつらもまだしばらく絶滅しそうにもない。てな余談でエントリを潰していくのもなんだが、「失敗の中にノウハウあり」(参照)の古書は二束三文で買える。こんな宝がずっしりつまっている本がハンバガーより安い。いや、そこに宝を見るのが難しいということかもしれない。

cover
失敗の中にノウハウあり
金儲けの神様が
儲けそこなった話
 邱永漢の本でおそらく読書人として読むべきは二冊しかないように思う。言うまでもなく「食は広州に在り(中公文庫)」(参照)は外せない。あと一冊は「わが青春の台湾 わが青春の香港」(参照)だろう。絶版になっているがプレミアはついてない。この本は、「失敗の中にノウハウあり」に近い内容になっているというか補う関係になっている。
 「失敗の中にノウハウあり」はある意味で標題通りの話で、邱永漢の金儲け失敗談がテンコモリになっていて、それはよい意味で笑いをもたらすものだ。他人の失敗というのは滑稽なもので傍から嘲笑っているのは愉快なものだ。が、そうして傍観者は人生の本質を失っていく。
 昨日ヒューザーの小嶋進のことを少し考えたあと、書架から本書をひっぱり出してみた。ある意味では似たような人生でもある。全然違うと言えばそうだし、時代も違う。しかし、カネが原因で生きるか死ぬかと追いつめられた経験は同じだろう。邱先生も五十を前に追いつめられた。

これで預かった保証金も返さなければならなくなるし、銀行から借りた建築費の返済もはたせなくなってしまう。ヨーロッパ旅行の楽しかった思い出はいっぺんに吹き飛んでしまい、生きた心地もしないままに羽田に戻った私は、妻の顔を見ると、「もうこのまま死んでしまいたい」と言った。すると、妻は私をにらみ返してきっぱりと言った。
「そのくらいのことが何ですか。お金には人間の生命を左右するだけの値打ちはありません」

 娑婆を眺めてみると、カネには人を殺すチカラがあると私は思う。カネに命は代えられないというのはきれい事でしかないこともあるなとも思う。だから話は邱先生はよき伴侶をもったという愛の物語かもしれないし、そういうふうにアジア人は近代を生きてきたとも言えないでもない。ただ、なんというか人生にはそういうふうにカネと命をじっと見つめるときはあるのだろう。マタイ書(6:23)の句は意外に難しい。

だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、 あるいは、一方を親しんで他方をうとんじるからである。 あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。

 「富」は原語を当たればわかるがマモンであり擬人化されている。日本風に言うならここには二つの神がいて、イエスの神はマモンという神に嫉妬をするのである。嫉妬こそユダヤ・キリスト教の神の本質である。そして、福音書をよく読めば富が忌避されているのでもないリアリズムを知る。イエスは天に宝を積めというが、人の心はカネのあるところに寄り添うようにできているのだから、それなら天にでも積むがよかろうという一種のユーモアもある。もっとも強欲な商人こそが神に近いといったホラ話のような笑話もある…笑話なんだよ。セム・ハムの古代世界は性と欲の笑いに満ちているものだ。
 邱永漢はクリスチャンではないが、福音書のイエスのユーモアはよくわかっていたようだ。その後、邱先生はまた富を回復した。が、こう思った。

 しかし、不動産でお金を儲けてみると、こんなことがはたして事業といえるのだろうかと私は疑った。銀行からお金を借りてきて、土地を買い、ビルを建てれば、黙っていても財産はふえる。プランをたてる段階で失策さえしなければ、億の金が簡単に儲かってしまうのである。
 一方で、大学を出て一生かかって仕事に励んでも家一軒建てるのに四苦八苦する。サラリーマ家業はお金にあまり縁がないとしても、自営商で喫茶店や町工場や床屋をやっている人でも朝から晩まで働きずくめに働いても、その日暮らしがやっとである。
 もし私が他の事業をやめて、不動産投資に専念していたら、多分、私はいまの十倍も百倍も財産家になっていただろう。しかし、あまり簡単にお金が儲かりすぎるのもよしあしで、他人の苦労もわからなくなるし、人生を見くびることにもなりかねないと、別の自分が自分を批判するのである。

 そして邱先生はその金儲けはやめて別のチャレンジと失敗の山を繰り返していった。死期を自分で決めていたようだがその後も生きて儲け物の人生のように活躍されている。

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2005.12.05

[書評]ヒューザーのNo.1戦略(鶴蒔靖夫)

 「ヒューザーのNo.1戦略 - 100m2超マンションへのこだわりが業界の常識を変える」(参照)をざっと読んだ。正直に言うのだが私はこの本に期待していなかった。駄本であろうと腹をくくっていた。が、面白かった。なかなか微妙な味わいがある。娑婆の底のほうを少しでも覗いたことのある人なら、どうしてもある種の共感を禁じ得ないものが確かにある。

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ヒューザーのNo.1戦略
100m2超マンションへの
こだわりが業界の
常識を変える
 言うまでもなく、ヒューザーは今話題の耐震偽装マンション問題の渦中のヒューザーであり、この本はヒューザーという企業のヨイショ本でもあるのだが、小嶋進の評伝とも言える。鶴蒔靖夫という年長のライターが書いたものだ。小嶋進自身によるとされる「ヒューザーの100m2超マンション物語―最新版 欧米型永住マンションの魅力 平均専有面積5年連続首都圏No.1ディベロッパーの社長が贈る」(参照)もあるようだが、アマゾンの素人評によれば「本の半分ほどが、ヒューザーのマンションを購入した人の体験談です。その他、よくわからない内容の章もあり、役に立つ内容は、総ページ数の半分もありません。」とのことだ。
 「ヒューザーのNo.1戦略」のほうは、読みやすくまとまっているし、小嶋進の語られる部分の人生が見える。それは、なんというか、人の人生のリアリティというのはそういうものだとしか言えないなにかでもある。

 小嶋進が生まれた宮城県加美郡色麻町は、仙台から北へ約三〇キロほど行ったところにある。典型的な農業の町で、「ササニシキ」や「ひとめぼれ」などを生産する宮城の穀倉地帯である。周辺には自衛隊の駐屯地もあり、最近では、沖縄の演習基地移転の候補地となって注目されたところである。
 小嶋が誕生したのは、終戦から八年が経ち、日本も戦後の混乱期から落ち着きを取り戻した昭和二十八(一九五三)年のことである。田園風景が広がる農村地帯で、小嶋は姉、兄、弟にはさまれた農家の次男坊として生まれ育った。

 そして彼は十歳のとき母親の実家に跡継ぎということで里子に出された。そして若い叔父・叔母にいじめれたと、進は語る。

「母親の実家であっても、人の家でタダ飯を食わせてもらうのは厳しいことだなあと思いました。いま思えば、小さいころからかわいそうだったんだなあ」

 学校での出来はよかったそうだ。将来の希望はと訊かれ、内閣総理大臣と言い続け、高校二年のときに思い切り先生に怒られた。物理学を学ぼうと東北大学を受験し浪人。その三ヶ月後に消火器のセールを始めて当時の四、五十万を得たという。ビジネスの才があるとしかいえないだろう。が、すぐに辞めた。職を転々とした。職がない現代ならニートであろうか。
 先物取引で阿漕な仕事もした。そのエピソードがナニ金のようでもある。

小嶋はある先輩から、損をさせた相手に「腹を切って詫びろ」と詰め寄られ、本当に切った痕を見せられたことがある。その先輩は「横に切る分には死なないんだ」と、平然といったという。

 そんな話ばかりではそれはそれで退屈なのだが、その後、小嶋は小さい不動産屋を興し成長させるが、乗っ取りの憂き目に会うや部下に騙されるやといった処世の濃いところによくある話が続く。小嶋はよく立ち上がっていく。すごいなと思う。私は立ち上がれなかった。
 平成十年でもまだ小嶋の人生は波乱が続いている。というかその年もどん底であった。が、手元にはまだ七億円残っていてそれで再起を願っていた。東京富士信用組合と東日本銀行のつてで融資はなんとかなることになった。このあたり、少し深読みができそうでもあるが。

 次はゼネコンとの取引をなんとかしなければならない。しかし、ハウジングセンターの仕事を受けたがるゼネコンは、見当たらない。
 どうしようかと思案しているとき、大型枠で工事をする建設会社のことを紹介する新聞記事が目にとまった。熊本の木村建設という会社は、通常二週間はかかるその作業を四日で仕上げてしまう。「これだ!」と思った。

 ここであなたが飯を吹き出してしまうとしたら私のエントリが拙いのである。人間とはそういうものだというか、そういう人間がいるのだというか、世間というものの味わいの深いところだ。
 かくして小嶋は木村建設と深い縁ができた。

そのときの縁がきっかけで、いまでも木村建設は私たちの会社の中堅施工会社として活躍してもらっています。
 そうこうしているうち、ほかのゼネコンさんとも少しずつ縁ができるようになってきました。

 そして、グランドステージ江戸川とグランドステージ糀谷に小嶋は賭けた。

これが失敗すれば、正真正銘の無一文となって倒産するしかないのである。
 圧倒的に不利な立地条件のなかで勝負するには、他社にはない物件をぶつけるしかない。

 これで起死回生かというとまるでNHK大阪のドラマかいなという展開がまだある。が、もういいだろう。ようやく安定したかに見えるのは、平成十二年ころであろうか。
 本書の終わり近くにこういうくだりがある。

 取材の最中、小嶋は「家というものは、本当のことをいって買うべきものではないと思うんです」と、デベロッパーとしては耳を疑うようなことをいったことがある。
 「考えてもみてください。人間の命というのは、生きていてもせいぜい百年ちょっとなのです。ところが土地のほうはどうですか。日本の土地だって何千万年前からずっとここにありつづけたものでしょう。
 一万年前、この土地は誰のものだったのですか? 誰のものでもなかったわけです。人間の歴史など、土地の歴史の歴史に比べたら、ほんのわずかなものです。
 この悠久の大地の歴史のなかで、わずか百年しか生きないのに、どうして細切れにしたものを売ったり買ったりしなくてはいけないのでしょう」

 ライターはこれを美談として書いたものでもないだろう。ライターの手法としては小嶋進という人間を描く素材とは思っただろうが、奇異な感じも受けたのではないだろうか。
 小嶋進が生まれた色麻町は坂上田村麻呂の伝説の土地である。田村麻呂は侵略者ではあるが温情の厚い人でもあったようでもある。そうでなければ土地が彼を祀ることはなかっただろう。そしてそのように祀り続けなければならぬ土地でもあったのだろう。

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2005.12.04

下校時の学童の安全はスクールバスを考慮すればいいのでは

 下校時の学童が狙われる痛ましい事件が目立つ。新聞社説なども取り上げているのだが、スクールバスの議論があまりないのはなぜだろうかと疑問に思った。チャーリーブラウン好きの私にしてみると、学童の通学イコールスクールバスというのはアメリカだけのこととも思えない。
 社説がまったくスクルールバスについて触れていないわけではない。昨日の朝日新聞社説”また女児殺害 大人が懸命に守らねば ”(参照)にはこうある。


 特に細心の注意をしなくてはいけないのは下校時である。今回の女児は防犯ブザーを持っていたが、被害を防ぐことができなかった。
 通学路が遠く、大人の目が届かない場合には、幼稚園や保育園で使われているような送迎バスを用意するなどの対策を取るべきだ。
 保護者の視線ではなく、犯人の視線に立って、子どもたちの通学路を再点検する。そのうえで、危なそうな通学路の要所要所に大人が立つ。そうした工夫が欠かせない。

 話が少しそれるが、防犯ブザーについては私はナンセンスではないかと思う。朝日新聞が「被害を防ぐことができなかった」と書くには、それなりの効果が警察や地方行政側から認定されていたのでなければおかしい。つまり、警告音の規格などがあるのか。実態はないのではないか。だとすればそんなもの初めから被害を防ぐものでもあるまい。そして、その話のついでにスクールバス(送迎バス)の話題が出るのだが、「通学路が遠く、大人の目が届かない場合には」という奇妙な留保がさらに付き、話はずるっと大人の目論に流れていく。
 この問題は大人の配慮といったマネージメント論的考えるのではなく、システム的にスクルーバスを導入したほうがいいと考えべきだと思うが、むしろ朝日新聞社説は、「それには及び腰なんだよ」というメッセージを出しているようにしか読めない。なぜなのか。
 今朝の日経社説”狙われる子供 皆で守ろう”(参照)には、スクールバスが出てきて当然の文脈に、すっぽりと、ない。

 警察庁は一昨年、15歳以下の子供の連れ去り事件の実態調査をした。犯行現場は半数以上が路上で、時間帯は登下校時が多かったという。最近の事件を見ても、まずここに手を打たなければならない。
 通行人の死角になる危険な場所や過去に犯罪が発生した地点をマークする「安全マップ」を通学路を子供と一緒に歩いて作ったり、地域のボランティアが登下校の「見守り活動」をしたり、赤色灯や警察署直通のインターホンといった「緊急通報システム」を備えたり……。手段がいくらでもあるわけではないが、各地で始めているこうした対策をまず広げていくことだ。
 子供たちの身の安全は、地域の大人が力を出し合わなければ守れるものではない、と再確認したい。

 私の偏見だろうか。そうした実態があるなら、道徳論とか奇手を考えるより、システム的にスクールバスを考えるべきではないのか。なにか規制でもあるのだろうか。
 世論的な要望はあると思う。たとえば、十一月二十八日の読売新聞大阪版に匿名のこういう投稿があった。

 我が家は学校から遠く、子供の足で40分かかります。帰宅時間を少し過ぎただけでも不安になり、迎えに出ます。娘が連れて行かれそうになってからは、しばらく学校近くまで迎えに行きましたが、仕事の都合もあり、毎日とはいきません。
 娘の件から1週間後、別の女児が被害に遭いかけました。学校は「変質者に注意して」と呼びかけましたが、心配でなりません。
 こういうことが起こる度、スクールバスを導入できないかと思います。現在、地域のスクールヘルパーさんが要所要所に立ってくれますが、そこを過ぎると見守る人がいません。海外では、スクールバスが当たり前のところもあるといいます。費用面で難しいのかもしれませんが、一番大切なのは子供の安全です。大人の都合ではありません。有料でも、利用したい人は多いのではないでしょうか。

 なぜ議論がくすぶる感じなのだろうか。
 背景がよくわからないので、少し調べてみると十年前のものだが気になる報道もあった。”自家用有料スクールバス“ノー”波紋 運送の対価なら幼稚園用も違法/運輸局”(読売新聞中部1994.4.3)より。

 愛知学泉大学(本部・愛知県岡崎市)が白ナンバーの自家用スクールバスを有料運行し、同県警豊田署から道路運送法違反の疑いで事情聴取を受けたが、これをきっかけに、愛知県下で運行されている私立幼稚園の通園バスでも、大半が有料運行している実態が浮かび上がってきた。中部運輸局は「運送の対価として収受すれば、違法となる」と主張、幼稚園側の困惑を呼んでいる。一方、同県私学振興室では、「園児の安全を考えれば通園バスは必要で、実費弁償的な料金は徴収するのがスジ」と実態を追認し、運輸局と真っ向から対立する見解。全国的にも同様の状態にあるとみられ、論議を呼びそうだ。

 というわけで、これは幼稚園児であり、白ナンバーでもあるということだが、「議論をよびそうだ」とあるわりに、その後の議論は聞いたこともない。あったのか。
 スクールバスの導入は現実的には白ナンバーとなるのではないかと思うので、こうした規制の実態と背景も知りたいとは思う。

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2005.12.03

日米流行の子供の名前

 今朝ネットを漫然と眺めているとき、「かわいそうな名前をつけられてしまった子供一覧」というのを見かけた。以前も見たことはある。変わった名前が増えてきているという傾向はあるにせよ、このリスト自体は都市伝説でしょと思って気にも留めなかった。が、あらためて眺めてみると、それはそれでいいんじゃないのかという感じもした。ちなみにこんな感じ。


楽気 らっきー 礼加 れたす
来夢 らいむ 呂偉 ろい
上人 うえると 季生 きき
燃志 もやし 心愛 ここあ
騎士 ないと 留樹 るーじゅ
南椎 なんしー 心夏 ここなつ
聖来 せいら 海鈴 まりん
折雅 おるが 星光 きらり
愛舞 いぶ 紅亜 くれあ
偉大盛 いであ 紗音瑠 しゃねる
愛果夢 あいかむ 奏日亜 そふぃあ
美似夢 みにむ 茶彩羅 てぃあら
夏偉樹 ないき 実果林 みかりん
湖林檎 こりんご 響 のいず
雨 ぢぬ 出 で
奏夢 りずむ 未来 ふゅ~ちゃ
路未央 ろみお 天子 てんし
瀬詩瑠 せしる 乃絵瑠 のえる
愛深 まなみ 美羅乃 ミラノ
蘭素 ランス 理在 りある
大也(ダイヤ)&主人(モンド)(双子)
楽瑠琥(らるく)&詩慧瑠(しえる)(双子)

 面白いなと思った。自分の子供に付ける名前なんだろうから、なんでもいいじゃないか。
 そういえば、美羅乃 (ミラノ )は…と思い出した。司馬遼太郎「ひとびとの跫音(中公文庫)」(参照)の副主人公ともいえるタカジ(西沢隆二)の子がミラノとナポリだったはずだ。
 そういえば、映画「姉妹」のキャストである西沢ナポリ(参照)はタカジのお子さんであろうか。ご存命であろうか。追記(2005.12.4):コメント欄にてご健在とのインフォをもらう。
 そういえば、与謝野馨のお祖母さん与謝野晶子の息子、つまり、与謝野馨の伯父は与謝野アウギュストである。漢字も宛てあるようだが読みはアウギュストだろう。彼が赤ん坊だったころその恐るべき母が与えた美しい詩もある…。ついでに馨の伯母はエレンヌ、与謝野エレンヌである。瀬戸カトリーヌみたいな感じもするが、エレンヌはハーフではない。
 そういえば、「無想庵物語」(参照)に出てくる武林盛一の娘は武林イヴォンヌである。
 そういえば森鷗外の…やめよう…つまり、明治末期から大正時代にかけてこんな名前はごろごろしていたのであり、奏日亜、茶彩羅とかも別にそんなに変なものでもあるまい。こういうのは日本語じゃないみたいだが、漢語で梵語を写すような感じでもあり、広義の変体仮名としてもいいのだろう。漢字の字面に思いを籠めることもあるだろう。
 今年はどうか知らないが、昨年の新生児名のランキングで十位まではこんなふうだった(参照)。

男児
1位 蓮 レン
2位 颯太 ソウタ、フウタ
3位 翔太 ショウタ
3位 拓海 タクミ
5位 大翔 ヒロト、ハルト、ヤマト、ダイト、ダイキ、タイト
6位 颯 ハヤテ、ハヤト、ソウ、リュウ
7位 翔 ショウ、カケル、ツバサ
7位 優斗 ユウト、ハルト、ヒロト
7位 陸 リク
10位 翼 ツバサ、タスク

女児
1位 さくら サクラ
1位 美咲 ミサキ
3位 凜 リン
4位 陽菜 ヒナ、ハルナ、ハナ
5位 七海 ナナミ
5位 未来 ミク、ミライ、ミキ、ミクル
7位 花音 カノン
8位 葵 アオイ
9位 結衣 ユイ
10位 百花 モモカ
10位 ひなた ヒナタ


 なんとなく時代を感じさせるものがあるし、あるいはこうした世相の感覚が時代の感覚でもあるのだろう。こちらの名前は先のリストほど面白くはないが、逆に読みが難しい。学校の先生なども生徒の名前が読めないという時代にはなっているのだろう。
 米国の最近の新生児名は日本とは違ってやや古風だ。社会保障庁(Social Security Administration)にリストがある(参照)。

Male name, Female name
1 Jacob, Emily
2 Michael, Emma
3 Joshua, Madison
4 Matthew, Olivia
5 Ethan, Hannah
6 Andrew, Abigail
7 Daniel, Isabella
8 William, Ashley
9 Joseph, Samantha
10 Christopher, Elizabeth

 女児の名前がやや感性的に付けられているふうではあるし、「ジェイソン」などは映画の影響でリストから消えたらしい。統計外なら、変な名前というのもある(参照)。というか増えてもいるらしい。
 米国社会保障庁のこのリストだが、自分ではちょっと意外だなと思ったのはアビガイル(Abigail)。しかし、通称はアビー(Abbie)だからそんなでもないか。日本人の感覚からすると、アビガイルという名前を付けるかねでもあるが。

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2005.12.02

「覆水盆に返らず」について

 先日来、「覆水盆に返らず」という言葉が気になっている。ちょっと周りの若い者に意味を知っているかと訊くと、「お盆から流れた水はお盆には戻らない…一度ダメになったら修復できない」というような答えが返る。そういえば、これは案外英語の授業で覚えるのかもしれない。あれだ、"There's no use crying over spilt milk." 普通の英文読んでいてあまり見かけたことはない。ぐぐってみると和製英語とか日本人英語教育のコンテクストで出てくるっぽい。そういえば、"The water has gone under the bridge."はリンカーンの言葉らしいが、「覆水盆に返らず」とは意味が違う。ついでに、"That's all water over the dam."をぐぐってみると、ネイティブの用例がいくつか見つかる。田中長野県政も済んだことにしたいものだという意味ではない。
 「覆水盆に返らず」は、後悔役立たず…おっと「それは言っちゃだめよ」…後悔先に立たずの類になっているのだろう。間違いでもないのだが、と思ってWikipediaを引いたら、あった(トモロウ風)(参照)。


 太公望が周に仕官する前、ある女と結婚したが太公望は仕事もせずに本ばかり読んでいたので離縁された。 太公望が周から斉に封ぜられ、顕位に上ると女は太公望に復縁を申し出た。 太公望は盆の上に水の入った器を持ってきて、器の水を床にこぼして、「この水を盆の上に戻してみよ。」と言った。 女はやってみたが当然出来なかった。 太公望はそれを見て、「一度こぼれた水は二度と盆の上に戻る事は無い。それと同じように私とお前との間も元に戻る事はありえないのだ。」と復縁を断った。(出典は東晋の時代に成立した『拾遺記』による)
 この話から一度起きてしまった事はけして元に戻す事は出来ないと言う意味で覆水盆に返らずと言うようになった。

 ちょっとうなる。段落つながってないだろ、とツッコミ。そうじゃないよ、この成語は男女の仲が壊れたら戻らないというのが原義なのだ、ったくよぉ、というわけで、ちょいとぐぐる。その用例が先立つことがまったく知られてないわけでもない。
 三省堂の執念の大辞林を見ると、いやさすがに鬼神籠もる(参照)。故事の後にこう解している。

(1)夫婦は一度別れたら、もとには戻らないということ。
(2)一度してしまったことは取り返しがつかないということ。

 つまり、「覆水盆に返らず」は夫婦仲のありかた説いているし、そうか、というわけで壊れた夫婦仲のように世の中には元に戻らないものがあると思うのだ。壁に座った卵とか。
 私の変な感じはこれで終わりでもない。Wikipediaに戻る。

 ちなみにこの話は太公望の数多くの伝説の一つであって、必ずしも史実とは限らない。(周代に盆という容器が存在しないこと、前漢の人物である朱買臣について、同様の逸話があることなど)

 そういう解説が必要な時代か。ほいで。

 同義の別例として"覆水収め難し"、同じ意味を表す英語の諺に "It's no use crying over spilt milk." がある。

 として、"覆水収め難し"を別例としているのだが、原典が気になる。Wikipediaでは東晋代の「拾遺記」としているが、大辞林では漢書の故事とし、「拾遺記」を従としている。

「漢書(朱買臣伝)」の故事から。「拾遺記」には太公望の話として同様の故事が見える。

 話を端折るが、広辞苑のほうは「通俗編]としている。大辞林が「通俗編」を取らないのはこれが、出典集だし、清代だからというだろうか。しかし、日本の辞書は概ね通俗編のパクリなので、してみるに、「覆水盆に返らず」は「通俗編」と見てよさそうだ。
 というところで通俗編では…という話になるのだが、その前に、よもやと思って、「覆水不返盆」をぐぐってみたら、あれま。あるよ。あるよどころじゃねーよ。「覆水不返」で四字熟語(成語の意味か)がある(参照)。

覆水不返(ふくすいふへん)
意 味: 取り返しのつかないことの例え。一度盆からこぼした水は再び盆には返らない。一度離婚した夫婦は元通りにはならないということ。

 ちょっと唖然。っていうか、そんなの本当にあるのか。
 「通俗編」に戻るのだが、調べるの難儀と思って、ネットを見たら、あった(トモロウ風)(参照)。

覆水難收
〔[(喝-口)+鳥]冠子注〕太公既封齊侯。道遇前妻。再拜求合。公取盆水覆地。令收之。惟得少泥。公曰。誰言離更合。覆水定難收。〔後漢書光武帝紀〕反水不收。後悔無及。〔何進傳〕覆水不收。宜深思之。〔李白詩〕雨落不上天。水覆難再收。

 というわけで、通俗編では「覆水難收」ということで、つまり、さっきはツッコミしてしまったがWikipediaの「同義の別例として"覆水収め難し"」というのも通俗編を踏まえていたことになる。
 ほいでこれを読むと、「覆水定難收」がよりオリジナルに近いと言えそうだ。これを清代では、「覆水難收」としていたのだろう。どのあたりで、日本で「覆水盆に返らず」が成立したかはわからないが、通俗編からさらに数ステップありそうな気配だ。
 通俗遍では、「反水不收」、「覆水不收」、「水覆難再收」があがっており、どうやら中国人の常識的な比喩世界でもありそうだ。ということは、現代用例があるはずである。そしてその用例があるとすれば、男女の仲を一義としているか、ただ回復困難というだけか、そのあたりが知りたいものだ。
 ぐぐっていたら、あった(トモロウ風)。王力宏についてのページ”LEEHOM'S MUSIC WORD”(参照)である。現代の流行歌のようだ。

涙不會軽易地流 イ尓也用不著歉咎
愛就像覆水難収 情又有誰能強求

涙は簡単には流したくない 君も謝る必要なんてない
愛はもとには戻らないようだ 誰が愛を無理に求めることができるのだろうか


 ほぉ、というわけで、「覆水盆に返らず」=「覆水難収」は、現代語でもあって、「愛はもとには戻らない」ということだ、……王様の軍隊をもってしても。

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2005.12.01

辺境、辺獄、リンボ

 あんた、このままだと地獄に落ちるわよ、と言われたことはない。自分はそこまで悪人ではないような気がするが、さて天国となるとおぼつかない。しかたない煩悩凡夫も弥陀にすがって倶会一処の望み…さて…世間相場ならぬ来世の相場を考えるに、私のような者は地獄でも天国でもなければ、辺境、いや辺獄、いやリンボということだろうか。
 であれば、ソクラテスにもディオゲネスにも会える。会ってみると意外に腋が臭いとかだったりするかもしれないが(特にこのふたり)。私もギリシアに半月ほどいただけで山羊とオリーブばっか食っていたら…いや問題は腋臭ではない。リンボだ。忙しい所だ…リンボ…。
 カトリックの権威、つまり神の代理人の権威をもって、秘蹟の一つである洗礼を受けぬ、善でもなく悪でもない魂は(俺とか)、ゆえに天国にも地獄にも行かずリンボに行く。ラテン語で端っこということだ。われ正路を失ひ、人生の四十八歳にあたりてとある暗き侮露愚のなかにありき。ダンテは歌う(参照)。


我等は一の貴き城のほとりにつけり、
 七重の高壘これを圍み、
 一の美しき流れそのまはりをかたむ
我等これを渡ること堅き土に異ならず、
 我は七の門を過ぎて聖の群とともに入り、
 緑新しき牧場にいたれば
こゝには眼緩かにして重く、
 姿に大いなる權威をあらはし、
 云ふことまれに聲うるはしき民ありき 


衆皆かれを仰ぎ衆皆かれを崇む、
 われまたこゝに群にさきだちて彼にいとちかき
 ソクラーテとプラートネを見き

cover
ダンテ神曲
永井豪
 嗚呼、七重の高壘、そは、羅馬の教育科目たりし三文(文法、修辭、論理)四數(音樂、算術、幾何、天文)をあらはせるなり。Gram. loquitur, Dia. vera docet, Rhet. verba colorat. Mus. cadit, Ar. numerat, Geo. ponderat, Ast. colit astra. なに? 知らぬ? 「極東ブログ: 教養について」(参照)を読めてば。
 というわけで我が一定住処ぞかしたるリンボであるが、これが無くなってしまうというのだ。民営化するわけでもないらしい。ロイターによると”ローマ法王に「辺獄」の教義からの削除を要請へ=国際神学委”(参照)こうだ。

国際神学委員会は、「辺獄」の教えをカトリック教義から削除するようローマ法王に要請する。イタリアのメディアが伝えた。


 死去7カ月前の昨年10月、前ローマ法王のヨハネ・パウロ2世は、この教えについて、「より論理的かつ啓発的な」表現を考えるよう同委員会に提案していた。

 というわけで、ヨハネ・パウロ二世の願いでもあったのかもしれないが、その当時の国際神学委員会長は現ローマ教皇ベネディクト十六世でもあった。我が任という思いはあったのかもしれない。
 リンボが無くなると私のような者の居所がなくなってしまうので大変なニュースなのだがあまり日本では話題になっていないので、西洋人の世界を覗くと、やっぱ大問題じゃん。右のテレグラフ”Now it's the turn of limbo to be cast into oblivion”(参照)も左のガーディアン”Babies to be freed from limbo”(参照)も大きく扱っているということだが、テレグラフのこのタイトル、シェークスピアのパロディかで私のごとくおちゃらけっぽいが、ガーディアンのほうはこの問題の核心をずばり言うわよっぽい。そ、赤ん坊。ガーディアンの記事ではこう。

Limbo was concocted in the 13th century as a solution to the theological conundrum of what happened to babies who died before they were christened.

 いや、テレグラフの記事ではもっとずばり胎児…。

Catholics also believe that because fertilised ovum and aborted foetuses have human souls they, too, go to limbo.

 というわけで、ぶっちゃけを想像するに、この幼き魂のリンボの住民はみなデフォで天国入りというわけで、現在世界の状況を考えるにそこに力点を置きたいということではないか。
 それと今後はカトリックは南米やアフリカに伸びていくことからも、こうした教義の変更がなにか重要なのではないか。
 よくわからないが、自分としては、地獄はちょっと嫌かも。

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