大晦日になぜすき焼き?
沖縄暮らしで不思議に思うことはいろいろあったが、なかでも不思議だったのが大晦日のすき焼きだった。最初のうちは大晦日の会食に呼ばれてみたらすき焼きですかというらいで気にも留めなかったが、どうも大晦日はあちこちすき焼きみたいだった。八年も暮らしていたのでわかったが、大晦日にはなにかとすき焼きなのだ、沖縄では。何故?
沖縄の大晦日の年越しそばが沖縄そばだというのはもういい。っていうか、どうしようもない。しかし、大晦日になぜすき焼き? この話は今年の元旦にも触れていたっけ。そうそう。そして、この風習は沖縄に限定されないようだということもちょっと書いた。
と思い出したのは先ほど多少は年越しらしい買い物に近所のスーパーに行ったら、レジの前の人の買い物が、どう見てもすき焼きです。うーむ、そうか。東京でもそういう家は多いのか。それにしても、なぜ大晦日にすき焼き? その分布と伝搬はどうなっているのか。
グーグル先生に訊いてみるのだが、よくわからない。が、どうもあちこち大晦日はすき焼きのようだ。まったくよ。たとえば、”月刊グリ 鞠奴の食いしんぼう日記 2002年10月号(39号)”(参照)。
また母親が献立に迷ったりしていると、すかさず「すき焼きにしない?」と誘いかけ、冬の定番料理として月イチくらいのペースを確保しつつ、ついには、大みそかを「すき焼きの日」と制定。
それほどすき焼き好きでない妹の「大みそかは年越しソバを食べる日なんじゃないのぉ」という抗議にも「バカだね、あんたは。年越しソバは紅白歌合戦が終わってから食べるもんだがね。大掃除やおせちで忙しい大みそかは、なるべく簡単にできる夕ごはんじゃないといかんで、どこのウチでもすき焼きなんだわさ」とワケのわからん理屈で応酬し、計画は一方的に進められていった。
こうして強引に定められた「すき焼きの日」であったが、私が結婚して十数年たった今でも、実家では相変わらず、大みそかにはすき焼きをしているらしい。ほかの献立考えるの、めんどくさいのね、きっと。
プラクティカルにしてスポラディックな…とカタナカ使うんじゃねー的な印象なのだが、けっこう、あちこち、なんとなく、そういう次第なのだろうか。
今年の一月一五日毎日新聞”ゆっくりとタフ 東京から 大みそかに食べたもの”にはこうある。
友人知人に聞いてまわった結果は、思っていたよりも「なんでもあり」だった。「大みそかは、すき焼きを食べるに決まっている」と断言したのは、金沢出身の友人。「うちに決まりごとというものがあるとしたら、大みそかにすき焼きを食べるということだけだ」とまで言った。
みたいだな。
しかし、起源と分布がわからない。”汁料理と鍋料理”(参照)に若干ヒントのようなものがある。
大晦日や正月には、豚や鶏の肉鍋が全道的に年々増え、生産地域では近所の数件の家が共同で豚や鶏をつぶして大晦日や正月料理にあてていたようだ。また、すき焼きは昭和40年以降から増え始め、現在では年越しの鍋料理では最も好まれる料理として大晦日に食べられている。
つまり御馳走の象徴だったのか。つまり年取り魚の変形だな。
というところで、年取り魚か。年取り魚は大晦日の夜に越年に吉例として用いられる魚で、サケとかブリなどが一般的。
ところで、先の引用だが、すき焼きが鍋料理に分類されているふうでもある。そういえば、沖縄の大晦日のすき焼きで思ったのだが、それは、確かに、鍋料理だった。あのぉ、すき焼きって鍋料理と違うんですけどぉという一言が、眼前にどぼどぼとと注がれている割り下の洪水を前にして、出なかった。や、内地でもそういうのはある。っていうか、そういうのけっこう多い。っていうか、この問題は、ヒルベルトの残した二十四番目の難問として有名なのでここではあまり深く立ち入らない。
といっておきながら、すき焼きは「焼き」なので最初に焼く。というか、20年以上も前になるがわけあって偉そうなすき焼き屋で御馳走になったのだが、仲居さんが偉そうな牛肉に真っ白な上白糖をまぶして焼いてちょいと割り下という感じだった。
ネットを見たらその手のやりかたは関西風でもあるようだ、関西風だと割り下は使わないらしい。
ちなみに、私は、すき焼きは、軽く牛肉を焼いて、特に牛脂を溶かす。上白糖はまぶさない。ちょっと焼き目な感じで、濃いめの割り下投下。割り下は、醤油一、味醂一、上白糖一の割合に適当に酒と湯と粉ダシで。あとは、具。木綿豆腐、ネギ、しらたき、春菊とか。びちゃびちゃにしない。麩は使わない。生卵がきらいなので使わない。ってなところ。ま、料理のうちに入らない。
うーむ、なんかすき焼きにするかなぁ。大晦日だし。
では、みなさん、よいお年を。
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