墓地の森、あるいは森の墓地
先日、ラジオ深夜便でベルリンの最近の墓事情の話を聞き、興味深く思った。「OKWave ドイツのお葬式」(参照)でも識者が触れていたが、ドイツは従来は土葬が多い。だが、ラジオの話では、最近は土葬だと費用がかかることや、子供のない人が増えているといったことなどから、火葬が増えているとのことだ。
火葬になれば広い土地も要らない…とも日本の墓を見ても言いかねるのだが、さらにドイツでは本人の生前の意思として遺灰の共同墓地化も進んでいるとのことだ。それで墓地のために広い土地は必要なくなり、墓地の空き地が目立つようになったそうだ。結果、墓地の整理・閉鎖が進んでいるとの話もあった。
とりわけ、へぇと思ったのだが閉鎖される墓地は、最後の埋葬時から三十年後となる規則だ。話の詳細をうまく理解できない点もあるのだが、その時点で土葬死体を火葬にし、共同墓地化するようでもある。
話が前後するが埋葬の費用は土葬だと二千五百ユーロに対して火葬だと千五百ユーロ。日本の感覚からすれば大差はないというか、日本の埋葬事情はかなりとんでもない事態になりつつある。そういえば、先日はてなダイアリー「antiECOがいるところ」”先祖代々の墓を守るのは誰ですか?”(参照)という問題提起があったが、都市というか都市流入民にしてみれば祖先の墓はかなり整理されている。
子供のない人にとって墓はどう維持されるかというのもドイツでもやはり問題のようだが、それ以前はどうしていたのか。ゲマインデ的な管理があったのだろうか、あるいは教会が関わっていたのか。そういえば昨年の猛暑でフランス人に多くの死者が出たのだが、子孫があっても引き取り手のない死体が多く、問題ともなっていた。概ね、子孫が墓に関わるということは減少していくとしか言えないのだろう。
話の後段に墓地の森の話題があった。あるいは森の墓地と言うほうがいいのだろうか。生前に森の特定の樹を選び、死んだらその樹の元に散骨というか遺骨を埋めるのである。現在ベルリンにはないが広まるだろうかとも言っていた。
私の率直な印象は、あ、それもいいかなというものだった。私はフロイトに傾倒したのだが、たしか彼はロンドンの公園に散骨されたと記憶している。いいなという思いが私にはある。が、実際に自分の死や死に纏わることはたびたび想起して未だに恐怖におののくせいか、情けないことに、どう散骨してくれと言い出せない。いや、その前に世事が多く積み重なることだろう。
森の墓地についてネットになにか補足話題があるだろうかとざっと見渡したがなかった。墓地の森は別のキーワードでもあるようだ。いろいろ当たっているうちに、ゲーテ研究所の”A Final Resting Place in a Quiet Forest - Alternative Funerals ”(参照)にこの話題があった。
Traditional Christian funeral rites are becoming less significant in Germany. More and more people are deciding in favour of alternative forms of funerals. Many are turning to forest burial grounds, where urns are buried at the roots of trees in the countryside.
詳細が多少わかった。ラインハルトヴァルトである。いばら姫だな。
There are already six such woodland burial grounds in Germany. Reinhardswald, covering an area of 120 hectares, was the first to open in 2001. The Catholic Church opposes the idea, offered by a company in Darmstadt. The German Bishops’ Conference criticises it, saying that it is based on an avowal of "natural religion" and "lacks key elements of a humane and Christian burial". For its part, the Evangelical Church expressed cautious approval. Under certain circumstances, the woodland burial ground idea "is at least not totally incompatible with the fundamental Christian belief in the dignity of (remembering) the deceased".
すでに二〇〇一年から試みられているらしい。カトリックは当初反対していたがプロテスタント側はある程度容認でもあるらしい。ドイツにおけるカトリックとプロテスタントの分裂はそれ自体も面白いのだが、双方とも現代という時代に十分に応えているとは言い難いようにも思うし、プラクティカルな神学というのもなさそうではある。
余り軽々しく言うべきでもないが、森の墓地というか墓地の森は、日本でも広まっていくのではないだろうか。
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コメント
>閉鎖される墓地は、最後の埋葬時から三十年後となる規則だ。話の詳細をうまく理解できない点もあるのだが、その時点で土葬死体を火葬にし、共同墓地化するようでもある。
日本のとある地域では埋葬して大体20年で白骨化したそうです。
その地域では、明治以前、土葬→20年で白骨化→骨取り出して、一族の墓に改葬していたとか。
明治になって政府に強制的に火葬にさせられた時には、数年~十数年しかたっていない遺体を改葬するのに腐臭がすごくて大変だったそうです。
気候とか土壌とかにもよると思いますけど、20年とか30年ってそういう改葬できる状態になる「時間の長さ」なのかなと思いました。
投稿: qimangul | 2005.11.28 09:49
はじめまして。こんばんわ。
「墓地の森」と聞き、葬送の習慣から死者を弔う島とされていた奥武島を思い出しました。沖縄県名護市の奥武島は今でも無人の墓地の島です。
樹の根元に散骨する「墓地の森」とは趣が異なりますが、破風墓の真横に鬱蒼と草木が生い茂る景色も、沖縄風の墓地の森とも言えるかも?
http://goo.gl/7xJ2CR (ストリートビュー)
投稿: singapurala | 2014.10.08 20:39