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2005.11.13

健身球

 ナグチャンパの石鹸が消滅したのでさて次はどれにしよかと棚をごそごそとしていたら、懐かしい石の玉が出てきた。石でできた玉二つである。直径四センチくらい。ずしっとした重みがある。


大理石健身球
 なんに使うのかというと手のひらに乗せて回す。なぜ回すかというとボケ防止である。俺にぴったりじゃん。って、十年以上前に買ったものだったか。そんな前からボケていた…ってことで。
 名前はなんていうのか忘れた。中国語の効能書きもついていたはずだが紛失した。記憶ではたしか神をなんたらとかいう感じであった。神とかいうのは中国語では精神という文脈が多かったように思うがどうか。
 ネットをごそごそと検索したら、名称は健身球というらしい。楽天をひいたらやたらと在庫切れであった。大変よく売れました、キューさま。よく売れたものよのぉ。おーほぉっほっほっ。
 「パンダ図 健身球」というのもあった。中国デザインのパンダはたれパンダみたいにキャラクタ化してなくていい。王陽明のように事物の本質を見抜くのが中国人である。パンダの絵も肉食にもなる本性を描いたものが多い。
 通販の健身球の大半は七宝焼きである。見た目も大切か。いや人間でもそうだが見た目だけが大切というのもある。中国向けのiPodも七宝焼きが売れているというのも頷ける。しかも、手のひらで回すとチャイナリンとか鳴る玩具仕様である。ま、輸出向けだし、お土産だし。
 私が健身球をよく使っていたのは、二十代のころか。そのころからボケていたというのもあるが、あれだ、なんか手でいじる物が好きで、じゃ自前でもいじってろとか女でもいじってろっていう下品なツッコミはなしとして、この手のものがあるとつい買ってしまう(安いし)。ある弾性をもってふにゃーっと縮むソフトボールというのもある。何種類もあるが、にくい顔をした象のがよかった。うりゃーとかぐいぐい潰すと象が情けない顔になるのである。その他、なんか金属製の輪っかのようなのとか、カービィみたいのとか、トゲピーみたいのとかとかとか。握っていじるのである。
 なんというのか、手の貧乏揺すりみたいな感じだな。パソコンのキーボードとかピアノのキーボードとかでもやっていると落ち着くが、そーゆーのがないと苛立つ。なんにもないとげーろげろげろ…カエル、とか作ったり、各種密教の印を作って「臨兵闘者皆陣列在前」とかやったり、「栗田式 新・指回し健康体操 - 痛み、ストレスに驚きの速効力!」(参照)をやったり、各指の第一関節を指一本ずつ順に曲げたり…子どもの頃からそんな感じ。
 そういえばアテネのプラカをぶらぶらしていると、よくたるんだ数珠のようなものが売っていて、なんでこの数珠はたるんでいるのかと訊くと、数珠じゃないらしい。売り子のギリシア人が、こんなのものは意味がない、ただの遊びだ、とか言って、親指に輪をかけてスナップさせて、手のひらでキャッチさせた。ほぉ、おもすれー。たくさん買い込んだ。それでも無くして、百円ショップで数珠玉買って作ったりもした。そういえば、海外をぷらぷらとしているとなにかと数珠をもてあそぶというかいじっている人をよく見かけた。
 なんの話してたっけ。中国健身球だ。いかんなマジ、ボケ。
 以前職場でもくるくる回していたら、中国旅行好きの年下から、先輩っ、それってめっちゃ恥ずかしいっすと言われた。それって中国じゃまじボケ老人がしてるっす、というのだ。胡桃とかもあるらしい。ほぉ。というか、胡桃が原形なのか。どんな経緯でこんなものがあるのか今まで疑問にも思ったことがないのでグーグル先生に訊いてみると、「健身球の歴史と景泰藍の健身球」(参照)とか嫁。うーん、説明になってないな、他も以下略。
 私が健身球を知ったのは高校生ころだろうか。三十年も前になるのか。ふと思い出すと、私は華僑の雑貨店が好きでよく入ったものだ。中国茶とか香辛料とかま、いろいろ、当時の私には変なものがあった。今でもそうだが、私は変なものが好きだ。ある種の変なものというのか。スプラッタな感じは受け付けないし、かわゆいというのもそれほど好きでもない。シナモロールは好きだが、ケロロ軍曹はそれほど好きではない。
 これはなんだと私は華僑の老人に訊いた。これはこう使うのだとヨーダみたいな老人は教えてくれた。ほぉ。おもすれーと思った。最初は小さい玉でやるのだ。それから大きな玉にするのだ。重たいほうがいいぞとも教えてくれた。そして、ある日、秘伝を教えてくれた。玉はこすらないようにするのだ、玉と玉が触れてはならぬ。離れて、こう自然に陰陽の世界が量子的なカンタムジャンプを牽制するようにそれ自身が己の手の上で天体のように回るように…と老人の手の上で、重たいでかい玉が回り始めた。
 指が回しているのではなかった、と私には見えた。な、なんの力で動いているのか、弱い力、強い力、電磁気力、重力…いや第五の力がそこにあった…ということはなく、それはあたかも楊露禅の手のひらにとまった雀がどうしても飛び立てないような微妙に絶妙な気のコントロールがあった。いや、ま、そんな、感じ。
 今日は久しぶりに石の玉を回してみた。老師のワザにははるかに及ばない。三十年の日々は無為に過ぎて修行ではなかったしな。ま、無為にして化すというのは、こーゆのじゃないんだろうけど。

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コメント

あっ、僕もそれ持ってます。小さい目のやつ。「ケイン号の反乱」で偏執狂の艦長が使ってましたね。カミさんのプレゼント。現役のときはイラチだったから。

投稿: 余丁町散人 | 2005.11.13 16:37

おもしろ~い!

100円ショップで、仏式の数珠を買ってこようかなぁ。
なんか一日、なんか握っているのは良さそうだし、
数珠で掌をごしごしやると気持ちよさそうだし。
そうだ、明日、買ってこ。
ところで、あったかなぁ。

あと、カトリックの数珠による瞑想も神秘的で、いいなぁ。

どうせなら、大理石健身球で、でっけえ数珠をつけて、それを首からかけて、写真に……へへ。

投稿: 野猫 | 2005.11.13 16:49

そうか、健身球ってもっと知名度が高いかと思っていましたが意外と世に知られていないんですね。

>老人の手の上で、重たいでかい玉が回り始めた。
神戸は南京町のキャッチでは数を増やしていくという効果が上がるとか書いていましたっけ・・・
実際に店員さんが片手で4つを右回り・左回りにまるでベアリングのように整然と動かすのを見ておーと思ったことがあります。(私ももっていますが3つをギクシャクと廻すのがやっとですね。)

投稿: F.Nakajima | 2005.11.13 22:10

 栗田式指回し、私もよくやっています。余分な力が抜けて、なぜか胸郭のあたり?が整えられる感覚。
 そばの人をドッキリさせないとわかっているときは、親指と中指同時回しで、それぞれ一本ずつずらしていったりとか。

投稿: 左近 | 2005.11.13 23:54

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