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2005.11.16

[書評]女と別れた男たち(林秀彦)

 一九八三年に創林社から出た林秀彦の短編集「女と別れた男たち」だがすでに絶版で現在入手は難しいかもしれない。他にも林秀彦の本出していた創林社自体すでに無くなったとも聞く。この短編集は現代に読んでもそれなりに面白い。「生きるための情熱としての殺人」の現代版の映像(参照)も人気になったようだが、こちらも原作は絶版のままではなかったか。林秀彦の主要作品は、中公文庫あたりで復刻されてもよさそうに思うが、どうだろうか。
 林秀彦は一九三四年の生まれ。五五年から六〇年にかけてドイツ、フランスで哲学を学ぶ。がその後、テレビ界に入り「七人の刑事」「鳩子の海」などの脚本家として時代の寵児となる。と書きながらふと山田太一の生年を見ると同じく三四年だった。山田の場合は一度教師となりそれから三十歳過ぎての脚本家。そのせいか、私の記憶では林と山田ではテレビ界で脚光を浴びていた時期は五年から一〇年のずれがあるようにも思う。
 私が林秀彦を意識したのはある意味最近になってのことだ。気が付くとテレビを通して林の影響を強く受けていたなという感じがした。なかでも決定的だったのは一九八四年十一月に始まる「名門私立女子高校」だった。そういえば南野陽子がこの作品でデビューしたというのだが主人公の娘役だったのか、私の記憶ではその後のスケ番刑事(全部見た)とは結びつかない。
 私はなぜかこの「名門私立女子高校」というドラマを初回から最後まで丁寧に見ていた。この年は私の若いころの大きな転機でもあり、そうした思いも投影していた。
 最初のシーンをよく覚えている。グレースケールの映像で中年男の人生の再生を願う独白が続いた。独白はその作品の中へも織り込まれていくのだが、主人公に託されていたこともあり、物語の進展につれ次第に薄れてはいった。
 主人公は妻から離婚を切り出されたうだつのあがらない高校教師で、西田敏行が演じた。彼が、生徒を自殺未遂に追い込んだという若い女性教師との軋轢のなかで恋が目覚める。こちらは桃井かおりが演じた。伊武雅刀が校長を演じていた。こう書くとお笑いドラマのようだがそうでもなかった。
 「女と別れた男たち」は、林秀彦の生き様や思いからすれば、「名門私立女子高校」の前作にあたるのだろう。そして、自伝的長編「梗概(シノップシス)」が八〇年の刊行で、林の青春の結実でもあるフランス人の妻との別れがさらにその前段になり、そうしたある種の敗北感が基調を響かせていると思う。
 この時代の林秀彦が今の私の歳に近い。現在の林秀彦を思えば、私も自分の人生の末路が概ね見渡せる時期になった。そうしてみると、「女と別れた男たち」は、なるほど今の俺の歳の男の内面というのをよく描いているなと思う。もちろん、林は社会的に成功して荒廃した人生であり、私のように社会的に失敗してこそこそと小さな幸せを求めるという人生とは対極的ではある。
 四十九歳の林は本書の後書きでこう書いている。


 それにしても鬱々とした日々を送り続けてこの十年、心が晴れた日など一日とてしてない。そのせいかどうか、作品も男と女の別れの話が多くなった。それを書いている時だけ、気が晴れた。変なものだ。別れ話なら、あと一万でも書けそうだ。

 そしてこの先、五十歳を前にした林はこう続ける。

 五十近くなって初めて夜遊びを覚え、ネオンの巷を飲み歩いている。すると離婚した女、離婚をしようとしている女、離婚の決心をつきかねている女の多さに驚いた。本当に多いのである。本当に驚いている。今こそロマンの時代だと思う。女性は誰でも短編のヒロインになれる時代が来ているからだ。

 ほぼ同じ歳の男として、私などはなんだこの馬鹿と思う(彼のいう女は三十代半ばなのだろう)。元気があって飲めて遊べてよろしいこったと毒つきたくもなるが、林のなかに女性とのロマンを求める人間的な強さにも、驚く。時代が違うからなというのもあるにせよ。
 個々の短編は文学的に見れば、駄作ばかりとも言える。十歳年上の吉行淳之介とは比べるまでもない。が、吉行などとは違った、独自の世間の感性と中年男と女との敗北感がなんというか非常に面白い。
 「P.S. I Love You...」という作品は、主人公を模した売れっ子脚本家が酒で睡眠薬を多量に飲み、心臓にナイフを指して錯乱したその後の描写で出来ている。仕立てはいかにもテレビ的だが、そこの展開される自暴的に近い感覚は、四十八歳の男ならわかるものだろう。

 生と死の谷間、喜びと悲しみの境界線、幸と不幸のドアの間で、俺もまた一人で生き、孤独だった。その時親父は七十四歳の誕生日にあと三日だった。もし同じくらいの歳に死ぬならば、俺にはまだ二十年以上の切り札が残されていた。しかし死の直前の親父と俺は、なにからなにまでそっくりになっているようにも思えた。退院するまでは全然考えてもみないことだった。声、仕草、食事の食べ方、咳、痰を切る時の喉の奥の音……。それは死の予感ではなく、死の前兆なのだ。

 そういうことだ。林秀彦はたぶん今異国で七十一歳になる。林秀彦のことは、もう一つエントリを書くかもしれない。

追記(2005.11.17)
コメント欄にて情報をいただく。
雑誌「正論」11月号(参照)に林秀彦「老いていま、私はなぜ日本で死ぬことにしたのか」が掲載され、それによると、日本に帰国されたとのこと。

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コメント

はじめまして。林秀彦の短編集「女と別れた男たち」には興味があります。私は「みだらの構造」「ジャパン、ザ・ビューティフル」「日本を捨てて、日本を知った」など、失われし、古きよき日本シリーズともいえる、彼の著作から入りました。「日本回帰」にいたる以前の、TV作家としての林秀彦の心のひだが読み取れそうですね。

投稿: Hiro-san(ヒロさん日記) | 2005.11.16 22:22

「正論」11月号の「老いていま、私はなぜ日本で死ぬことにしたのか」によると、林 秀彦は帰国して九州を終の棲家にしたようです。

~私はいま、残り少なくなった時間で、日本の最後を少しでも自分の目で見たい、その断末魔を直に肌に触れたい、地獄への道連れの一人になりたいという本能に導かれ、十八年暮らした異国から舞い戻ってきた。それ以外の理由が見つからないのである。~

投稿: takeshi | 2005.11.17 16:48

takeshiさん、コメントありがとうございます。情報を追記しました。

投稿: finalvent | 2005.11.17 17:11

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