世間知というのは「それは言っちゃだめよ」ということ
マンションの耐震強度偽装問題関連のお題の一つに「誰が悪い」がある。この変奏というか本来は別スジなんだけど、民営化志向に問題がある=小泉は悪いぞ、というパターンもある。ま、あるというだけ。
おまえさんはどう考えるのかね、と訊かれるなら、所定の手順で現行法の範囲で悪いヤツというのが決まるのでそれで決めればいいのではないか、というか、民主主義というか自由主義の世界では手順の正統性が正義に近似である云々。で、今回の事件は所定の手順を越えるものがありそうだというなら、そうかもしれない。なのでそれを解決するために政治がある。政治が機能すればいい。緊急の課題は住民の安全ということなんで、リスクを判定して国なり地方自治なりが退避先住居を提供しないといけないのではないかと私は思う。そういう動向があるのか知りたいのだが、わからない。リスクの判定が低いとされているからとも思えないのだが、そこはわからない。自分にしてみるとジャーナリズムが機能してないようには思う。
その他のことは、それほどは私は関心ないというか、あまり私の利害に関わらない。でも、世間の空気が濃ゆーくなれば気にはなる。というなかで、ブログ「R30::マーケティング社会時評」”ファイナンスした人が責任取れば?”(参照)を一読して、びみょーな気分になった。ご主張は、ぶっちゃけ、銀行が責任を持てばということなのだが、これは現行法の枠ではないので、今後はそうしたらということだと思う。で、これだ。
そして、日本の最大の問題は、こういう事件が起こったときに真っ先に個人の一般消費者を保護するというルールが、そもそもないことだ。ブログ界隈でも出ていたが「ヤバイマンションを買ったのはお前が間取り図を読んで構造がおかしいと気づかなかったからだろう」的な議論がすぐに出てくる。これは、絶対におかしい。消費者というのは、そのことに気がつく奴もいるかも知れないが、気がつかないレベルだから「消費者」なのである。構造というのは、表からは見えないものだ。それに気がつくのがマンション購入の前提というのでは、個人を法人事業者と対等にみなしているということにほかならない。そんなの、あり得ないじゃん。でも、日本ってこれを「あり得ない」と思う人がほとんどいないんだなあ。残念ながら。一応民法とかにはそう書いてあるんだけど。
保護するというのは、先に私が行った退避の意味ではない、と思う。ま、それはそゆこと。で、ここでの保護というのは、消費者がこういうやばい物件を買わないようにする、ということだと理解する。
ほいでこのご主張などだが、正論である。今やスリランカである。ヤバイマンション買ったやつが悪い自己責任論は間違っているというのだ。そりゃ、そーだ。
で、こっからが私のエントリの話である。上は前フリね。
で、こうした正論がぶたれると、「ヤバイマンション買ったやつが悪い」論は黙るしかない。もうちょっと正直に言うと、この手の議論はパターンなのでそのあたりを避けるのがブログ炎上をしないコツであって某所や某所や某所で言われている炎上回避作はあまり機能しないというのは別のお話。
マンション買って 部屋づくり |
世間知というのは正論にはなれないし、公言しちゃだめなものだ。というか、およそ公言する資格が与えられていない。回転ドアを通るときは子供の手を離しちゃだめよ…なぜってXXX 、鬼も十八な娘さんがそんな胸を強調したかっこでクラブに行っちゃだめよ…なぜってXXX 、マンションを買うときは管理組合をよく考えなさい…なぜってXXX 以下略。
私はここで明言しておかないといけない。今回の耐震強度偽装物件を買った人にそうした世間知が足りないと言いたいのではないということ。逆だ。世間知というのはそういうふうに他者を追いつめるように機能してはいけない。
ただ、世の中をフツーに暮らしていくにはこうした世間知が必要になる。Dirty dozensは罵倒だけのゲームでもない。そうしたなかに世間知は隠れる。隠れかたも伝えているかもしれない。世間知というのは公言されないものだ。正論にはなれない。
それでも大人というのはときたま汚れてこそっと世間知を言わないといけないこともあるようにも思うが、そのあたりはよくわからない。よき本はさりげなく伝えることもある。親は子供にこっそり伝えないといけないようには思う。
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