« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »

2005.11.30

世間知というのは「それは言っちゃだめよ」ということ

 マンションの耐震強度偽装問題関連のお題の一つに「誰が悪い」がある。この変奏というか本来は別スジなんだけど、民営化志向に問題がある=小泉は悪いぞ、というパターンもある。ま、あるというだけ。
 おまえさんはどう考えるのかね、と訊かれるなら、所定の手順で現行法の範囲で悪いヤツというのが決まるのでそれで決めればいいのではないか、というか、民主主義というか自由主義の世界では手順の正統性が正義に近似である云々。で、今回の事件は所定の手順を越えるものがありそうだというなら、そうかもしれない。なのでそれを解決するために政治がある。政治が機能すればいい。緊急の課題は住民の安全ということなんで、リスクを判定して国なり地方自治なりが退避先住居を提供しないといけないのではないかと私は思う。そういう動向があるのか知りたいのだが、わからない。リスクの判定が低いとされているからとも思えないのだが、そこはわからない。自分にしてみるとジャーナリズムが機能してないようには思う。
 その他のことは、それほどは私は関心ないというか、あまり私の利害に関わらない。でも、世間の空気が濃ゆーくなれば気にはなる。というなかで、ブログ「R30::マーケティング社会時評」”ファイナンスした人が責任取れば?”(参照)を一読して、びみょーな気分になった。ご主張は、ぶっちゃけ、銀行が責任を持てばということなのだが、これは現行法の枠ではないので、今後はそうしたらということだと思う。で、これだ。


 そして、日本の最大の問題は、こういう事件が起こったときに真っ先に個人の一般消費者を保護するというルールが、そもそもないことだ。ブログ界隈でも出ていたが「ヤバイマンションを買ったのはお前が間取り図を読んで構造がおかしいと気づかなかったからだろう」的な議論がすぐに出てくる。これは、絶対におかしい。消費者というのは、そのことに気がつく奴もいるかも知れないが、気がつかないレベルだから「消費者」なのである。構造というのは、表からは見えないものだ。それに気がつくのがマンション購入の前提というのでは、個人を法人事業者と対等にみなしているということにほかならない。そんなの、あり得ないじゃん。でも、日本ってこれを「あり得ない」と思う人がほとんどいないんだなあ。残念ながら。一応民法とかにはそう書いてあるんだけど。

 保護するというのは、先に私が行った退避の意味ではない、と思う。ま、それはそゆこと。で、ここでの保護というのは、消費者がこういうやばい物件を買わないようにする、ということだと理解する。
 ほいでこのご主張などだが、正論である。今やスリランカである。ヤバイマンション買ったやつが悪い自己責任論は間違っているというのだ。そりゃ、そーだ。
 で、こっからが私のエントリの話である。上は前フリね。
 で、こうした正論がぶたれると、「ヤバイマンション買ったやつが悪い」論は黙るしかない。もうちょっと正直に言うと、この手の議論はパターンなのでそのあたりを避けるのがブログ炎上をしないコツであって某所や某所や某所で言われている炎上回避作はあまり機能しないというのは別のお話。
cover
マンション買って
部屋づくり
 だ・け・ど…と微妙な気分になるのはここだ。マンションはフツーの人には安くない。だからこそ保護が必要云々はそりゃそう、だけど、高くない買い物をするときフツーの人はびびるというか慎重になるし知識を集めようとする。なぜ?あたりまえでしょ、ババひいたらやばいじゃん…おっとぉ言ってしまったな、コロンボ君、君の勝ちだ。ここでぽろっと世間知というものが露出する。
 世間知というのは正論にはなれないし、公言しちゃだめなものだ。というか、およそ公言する資格が与えられていない。回転ドアを通るときは子供の手を離しちゃだめよ…なぜってXXX 、鬼も十八な娘さんがそんな胸を強調したかっこでクラブに行っちゃだめよ…なぜってXXX 、マンションを買うときは管理組合をよく考えなさい…なぜってXXX 以下略。
 私はここで明言しておかないといけない。今回の耐震強度偽装物件を買った人にそうした世間知が足りないと言いたいのではないということ。逆だ。世間知というのはそういうふうに他者を追いつめるように機能してはいけない。
 ただ、世の中をフツーに暮らしていくにはこうした世間知が必要になる。Dirty dozensは罵倒だけのゲームでもない。そうしたなかに世間知は隠れる。隠れかたも伝えているかもしれない。世間知というのは公言されないものだ。正論にはなれない。
 それでも大人というのはときたま汚れてこそっと世間知を言わないといけないこともあるようにも思うが、そのあたりはよくわからない。よき本はさりげなく伝えることもある。親は子供にこっそり伝えないといけないようには思う。

| | コメント (57) | トラックバック (7)

2005.11.29

耐震設計について十年前を思い出す

 昨日のエントリを書いたあと、耐震設計について十年前のことをぼんやり思い出し、つらつらと考えてみた。
 私はあの頃、なぜ高架が断ち切れたのだろうかと疑問に思っていた。ありえないと当時思っていたのだが、写真にはそのありえないが写し出されていた。耐震設計が間違っていたのか、手抜き工事だったのか、私の記憶ではこの問題はその後曖昧になっていったように思う。
 科学というものはどのような巧緻な理論でも事実の前に棄却される可能性を持つ。高架は切断された。それが事実だった。耐震設計とはなんだったのだろうか。
 考えても埒が明かないことでもあるので、十年前の新聞をざっと眺めてみて、そうだそうだと思い出した。一九九五年三月二九日付読売新聞に伯野元彦東洋大学工学部教授(当時)の”信頼できる耐震設計とは”と題する寄稿がある。そうそうこんなのだった。


 大災害となった今一つの原因は、耐震設計の方法にあると思う。最もポピュラーな構造物の耐震設計法は、構造物の重量に、設計震度と呼ばれる〇・二を乗じて行われる。例えば、重量が十トンの構造物なら、二トンの力を水平方向に静かに加え、変形が許容範囲内に収まるように柱の太さとか鉄筋量などを設計する。
 この方法は、そもそも関東大震災に無傷で残った日本興業銀行本店などの耐震設計に用いられていたもの。同行の水平地震力は自重の〇・一三倍だったが、震源から七十キロも離れていることもあり、より安全に〇・二倍を採用するようになった。よく言われる関東大震災級の地震でも大丈夫――の言葉の由来だ。

 当時これを読んで思ったことを思い出す。そうか、耐震設計というのは経験科学なのだな、ということだ。関東大震災という歴史経験によるものだったのか、と当時思った。
 この算定法が十年後の現在も利用されているかどうか私は知らない。利用されているのではないかと思って読み進める。
 伯野教授は、ロサンゼルス震災で高架が落ちたことについて、その頃、日本は大丈夫だと考えていたらしい。というのは、日本の高架の耐震性はロスの五倍あるからだった。

 日本の五分の一の耐震力しか考えていなくてこの程度の被害で済んでいる。それなら、五倍の耐震力を考えて、しかも桁(けた)落下防止装置も設置している日本の高速道路が、落ちるわけはない――ロスの惨状を前に、そんな思いが頭をかすめて「大丈夫」と答えたことを覚えている。だが、現実には大被害が起きた。

 そうなのだ。あの時の科学は「大丈夫」と答えるしかなかった。しかし、事実は別の答えをしたのである。科学者はありえないと自分につぶやいても、そう発言することはない。次の仕事が待っている。
 彼はこう答えた。

 原因はいろいろあるだろう。根本的なものは、実際に起きる現象と耐震設計方法の違いにあるのではないか。実際には構造物は、地震によって瞬間最大値八〇〇ガル以上の地面の揺れで大揺れに揺れて壊れた。一方、設計は約二〇〇ガルを、構造物に「静かに水平に」加え続けても壊れないようにしていただけだった。
 要は、この「二〇〇ガルを水平に加え続けても大丈夫」な構造物が、瞬間的にではあるが、八〇〇ガルを超えるような複雑な地面の揺れに耐えるかどうかという問題に帰着する。

 長いエントリが書きたいわけでもないし、ベタな引用ばかりするわけにもいかないので話を端折るが、私の素人な疑問は、現代の耐震設計は現実には十分に耐震でないこともありえるのではないか、ということだ。
 科学者ならどう考えるか。伯野教授はこの先に実験してみたいと述べていた。そうだろう。経験科学ならやってみないとわからないことがいろいろあるのだ。
 現在の耐震設計の科学背景を知らないので、素人言になるのだが、最大加速度だけが議論されているなら、そうではない自然の力を私は見てきたことになる。倒壊を起こす力は共振にも関連する。ブランコをゆらすようなものだ。弱い力でも共振で振れは大きくなり、強い力を持つ。一般家屋は小さいので高周波で共振するが、大きなマンションなどは低周波の影響を受けるだろう。…直下型なら低周波は少ないのだろうか。
 わからない。この十年間にその実験が進められたのかも知らない。
 ごく一般論で言えば、人は天災から免れるものではない。人災なら免れうる。耐震データ偽造は人災の元になる。対処は必要だ。そして、実際の災害には別の人災も起こりうる。そのことは、二年前”極東ブログ: 「どこに日本の州兵はいるのか!」”(参照)で触れた。

| | コメント (9) | トラックバック (0)

2005.11.28

姉歯設計建築事務所による耐震データ偽造事件雑感

 ブログは時代のログ(記録)ということもあるので世間の大きな話題についてはお付き合いというかできるだけスルーしないでおこうと思う。というわけで、今更姉歯設計建築事務所による耐震データ偽造事件だが、私はなんだかよくわからなかった。なので雑感、メモ程度。
 ここまでの意図的な偽造というか偽造を取り巻く構造もすごいなとは思うが、杜撰な施工を含めてよくあることなのではないかという感じが私はしていた。阪神大震災後、なぜこんなに死者が出たのかという疑問も個人的にあり、中村幸安「コウアン先生の人を殺さない住宅―阪神大震災「169勝1敗」の棟梁に学べ」(参照)など一連読んだが、これらの建築Gメン的な示唆は興味深いといえば興味深いのだが、いざその提言となると現代日本の実情にはそぐわないようにも思えた。またこの本と限らないのだが、マンションについては論点の立てたかになにか腑に落ちない感じもしていた。
 私事めくが、この間私は八年沖縄で暮らし、沖縄の家がいちいちスクラッチから設計されること、内地からの設計者が多いことなど奇妙にも思えた。それと、基本的に沖縄のカネは土建に落ちるので、羽振りのいいあたりのゴチの末席にいると必ず設計関連がくっついているのでいろいろ裏話っぽい話なども聞いたりした。うまくまとまらないのでふーんという感じではあるが、コンクリートで設計する家っていうのは案外危険かなとも思った。
 在沖時代でも時折東京に行くのだが、そのたびに東京の街ににょきにょきとマンションが立つのにも驚いた。こんなところにもというところにもマンションが立つのでその変遷にも土器の形態のように関心を持つようになった。と同時にマンションがどう地域社会を変えていくのかというのも知るほどに面白かった。が、その話はここではしない。
 マンション形状の変遷で私が今でも興味深く見ているのはエレベーターと通路の関係である。私の認識違いかもしれないが、バブルや億ションという時代にはできるだけ通路を否定しエレベーターが縦にのみ専有されるふうだった。が、それがしだいに変わっていった。通路が増えてくる。横断の通路を作るとマンションは昔風の団地になってしまうわけで、そこをどう団地に見せないように設計しているものなだなと思ってあれこれ眺めていた。
 そのうち規模にも関心の軸を移した。マンションとして一括される建築物という認識でいいのかなんとなく疑問に思うようになった。三百から四百人くらいになにか大きな差があるようにも思う。仮にそこで分けて小規模型と大規模型とする。同じマンションではくくれないのではないか。
 話を戻して、今回の事件だが、あーこれは小規模型だなと私は思った。この場合は、コミュニティ的な配慮が十分に機能しないという感じがする。つまり、その存在が地域社会にとっての追加であって、既存地域社会に変化をもたらすものではない…学校とか流通とかの地域社会の構造を変えず付加物になる。
 で、そうした場合、地域社会が結果的に強いるモラルのようなものも希薄になるだろうし…話を略すが…小規模型は見栄えはよく品質の悪いという傾向を持つようになるだろう、と。
 私が単に事実関係を間違っているだけかもしれないが、そうした状況では品質に関わる偽造などが発生するのはある程度しかたのないことではないのか、というか、それは地域コミュニティや自治的性質をもった住居群とは異なり、より一般商品的な商品なのだろう、とそう思えた。あまりくっきり言うと批判されるだろうが(そう割り切れる問題でもないだろうし)、地域社会の存続に関わる問題なのか高額な商品なのか、という問題ではないか。今回は後者なのだろう。高額な商品が安い時には安い理由があるものだ(あるいは不当ともえる利潤などがある)。
 が、社会問題として多くの人が関心をこの事件に持つのは、そこにどうしても、特定地域に暮らす社会の構成員として地域社会の危険性がないか不安を覚えているからではないか。
 話が少しずれる。今回の事件で、私はあまり映像を見ないのだがそれでも、NHKで姉歯建築士がたんたんと語るのを見て奇妙に思った。ネットを眺めるとポイントはズラかどうかでもあるようだがというのは冗談として、奇妙な印象を受けた。およそ罪責感が伝わってこない。そしてそれを取り巻くどたばたにもそうした感じはない。なんか、姉歯建築士の背景に魑魅魍魎がいるかのごとく感じられるし、そうした背景についてネットなどでトバシ情報が錯乱するのだろうな、また宝塚線の問題のように上をひたすら叩け的社会ヒステリーかな、どうでもいいやオレは寝よ、という感じではあった。
 そうしたなか、ほぉっと思ったのは「筆の滑りまくるリベラルブロガーのネタ日記」ではなく、この耐震強度の偽造問題を国土交通省が公表する二日も前に、元国土庁長官の伊藤公介衆院議員が小嶋ヒューザー社長とともに国交省を訪問していたという話だ。なるほど、発表時点で裏はできていたわけで、姉歯建築士も自分の書き割りはこのくらいと思っただけなのだろう。
 あまり物事はっきり言うものでもないが、今のところ私が思うのは、これはそれほどたいした社会問題ではないのではないか、ということだ。が、そう言ってしまえば震度五で倒壊するマンションの住民のことを考えないのかとかその住民は死んでもいいのかとか、そうした住民でもない人から詰問されそうだ。
 私は生まれてこのかた幸いにも震度五を越える地震を経験したことはない。一応その震度がどのくらいの影響を身体や構造に与えるか頭では知っているだけだ。現実の大震災が発生すれば、強度設計が現状で万全とされていても倒壊するマンションもあるだろう。しかし、地域社会はびくともしないと思うし、そうであれば、そうした大規模災害時の被害が最小限に防げると思う。

| | コメント (12) | トラックバック (7)

2005.11.27

墓地の森、あるいは森の墓地

 先日、ラジオ深夜便でベルリンの最近の墓事情の話を聞き、興味深く思った。「OKWave ドイツのお葬式」(参照)でも識者が触れていたが、ドイツは従来は土葬が多い。だが、ラジオの話では、最近は土葬だと費用がかかることや、子供のない人が増えているといったことなどから、火葬が増えているとのことだ。
 火葬になれば広い土地も要らない…とも日本の墓を見ても言いかねるのだが、さらにドイツでは本人の生前の意思として遺灰の共同墓地化も進んでいるとのことだ。それで墓地のために広い土地は必要なくなり、墓地の空き地が目立つようになったそうだ。結果、墓地の整理・閉鎖が進んでいるとの話もあった。
 とりわけ、へぇと思ったのだが閉鎖される墓地は、最後の埋葬時から三十年後となる規則だ。話の詳細をうまく理解できない点もあるのだが、その時点で土葬死体を火葬にし、共同墓地化するようでもある。
 話が前後するが埋葬の費用は土葬だと二千五百ユーロに対して火葬だと千五百ユーロ。日本の感覚からすれば大差はないというか、日本の埋葬事情はかなりとんでもない事態になりつつある。そういえば、先日はてなダイアリー「antiECOがいるところ」”先祖代々の墓を守るのは誰ですか?”(参照)という問題提起があったが、都市というか都市流入民にしてみれば祖先の墓はかなり整理されている。
 子供のない人にとって墓はどう維持されるかというのもドイツでもやはり問題のようだが、それ以前はどうしていたのか。ゲマインデ的な管理があったのだろうか、あるいは教会が関わっていたのか。そういえば昨年の猛暑でフランス人に多くの死者が出たのだが、子孫があっても引き取り手のない死体が多く、問題ともなっていた。概ね、子孫が墓に関わるということは減少していくとしか言えないのだろう。
 話の後段に墓地の森の話題があった。あるいは森の墓地と言うほうがいいのだろうか。生前に森の特定の樹を選び、死んだらその樹の元に散骨というか遺骨を埋めるのである。現在ベルリンにはないが広まるだろうかとも言っていた。
 私の率直な印象は、あ、それもいいかなというものだった。私はフロイトに傾倒したのだが、たしか彼はロンドンの公園に散骨されたと記憶している。いいなという思いが私にはある。が、実際に自分の死や死に纏わることはたびたび想起して未だに恐怖におののくせいか、情けないことに、どう散骨してくれと言い出せない。いや、その前に世事が多く積み重なることだろう。
 森の墓地についてネットになにか補足話題があるだろうかとざっと見渡したがなかった。墓地の森は別のキーワードでもあるようだ。いろいろ当たっているうちに、ゲーテ研究所の”A Final Resting Place in a Quiet Forest - Alternative Funerals ”(参照)にこの話題があった。


Traditional Christian funeral rites are becoming less significant in Germany. More and more people are deciding in favour of alternative forms of funerals. Many are turning to forest burial grounds, where urns are buried at the roots of trees in the countryside.

 詳細が多少わかった。ラインハルトヴァルトである。いばら姫だな。

There are already six such woodland burial grounds in Germany. Reinhardswald, covering an area of 120 hectares, was the first to open in 2001. The Catholic Church opposes the idea, offered by a company in Darmstadt. The German Bishops’ Conference criticises it, saying that it is based on an avowal of "natural religion" and "lacks key elements of a humane and Christian burial". For its part, the Evangelical Church expressed cautious approval. Under certain circumstances, the woodland burial ground idea "is at least not totally incompatible with the fundamental Christian belief in the dignity of (remembering) the deceased".

 すでに二〇〇一年から試みられているらしい。カトリックは当初反対していたがプロテスタント側はある程度容認でもあるらしい。ドイツにおけるカトリックとプロテスタントの分裂はそれ自体も面白いのだが、双方とも現代という時代に十分に応えているとは言い難いようにも思うし、プラクティカルな神学というのもなさそうではある。
 余り軽々しく言うべきでもないが、森の墓地というか墓地の森は、日本でも広まっていくのではないだろうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.26

[書評]プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神(マックス・ヴェーバー)

 「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(参照)、通称「プロ倫」についてなにかを書こうと思うような日が来ようとは思いもかけなかった。「プロ倫」はただ百遍読めばいいのである。
 しかし、馬鹿につける薬はないな、プロ倫を百遍読めとばかりも言えないかもしれないご時世でもある。ま、かく言う私自身がその馬鹿の部類でもあろうから、たまに恥をさらしておくのもいいだろう。

cover
プロテスタンティズムの倫理
と資本主義の精神
 とはいえ、この本がなんであるかについてはさすがに省略する。ブログを書く手間はあるが、プロ倫を解説する手間はさすがにない。なので、いくつかティピカルなポイントだけ簡単に記しておく。

カルヴァン的なプロテスタンティズムの「神の選びの教義」とは何か
 これを、「神が現世における人間の努力やその成果によって人間を選別し、勝利者を救済し、弱者を地獄に落とす」と理解している人は、およそ社会学なり現代社会・政治を論じるに足りない。昔なら、岩波文庫で頭をぽんと叩いて「プロ倫を百遍読め」で終わり。
 そこで恥じて必死で十遍くらい読み、さらに恥じるのが正しい。だが、恥もせず、これを現代世界の「勝ち組」「負け組」と読み替え、惨めな「負け組」に転落したくなければ、必死に努力して、カネを儲けろとか理解する至っては…なんと形容していいものか。
 カルヴァン的なプロテスタンティズムの「神の選びの教義」とは、神が人間の現世努力いかんにまったく関わらず救済者を既決事項としている点に特徴がある。信仰心も善行も努力もまったく不要。救われようと努力するなど、神を愚弄するに等しい。

ではなぜ、そんな教義が資本主義の精神に結びつくのか
 それが世俗内的禁欲のエートスを生み出したから。おっと、勇み足過ぎた。
 これを、「選別は最初から決まっているが、人間は神に自らが選ばれていることを信じてただ偏執的にカネを稼ぐ」とかで理解しているのは、かなり好意的に言えば、微妙。
 現世の勝ち組・負け組は努力しても無駄、とかいう意味で、最初から決まっているという理解なら論外。
 まず重要なことは、選別の結果は来世(ヴェーバーはこの言葉を使っている)の問題である。なお、カルヴァン的なプロテスタンティズムでは転生の来世という意味はない。とりあえず現世に対峙される絶対的な世界と理解してもいい。そのため、現世は相対化される。人がこの世にいかにあろうが、カルヴァン的なプロテスタンティズムはまったく関心を持たない…とまで言うのは、ちょっと言い過ぎで、カルヴァンの教えを政治原理とする共同体は恐ろしい側面もある…。
 次に、「神の選択に自分があることを信じて偏執的にカネを稼ぐ」という理解は、日本人にありがちな誤解なのだが、信仰は努力ではぜんぜんないというのが重要だ。
 信じるという努力などは、カルヴァン的なプロテスタンティズムにはありえない。カルヴァン的なプロテスタンティズムにあっては、現世のありかたは、選別された人の恩寵の結果として現れるくらい。
 だから、これは、自分が世俗に対して禁欲(アスケーゼ:これは欲望を抑えるという意味ではなく「専心」に近い)であることを通し、選別への確信を深めるということだ。(くどいが、重要なのはこの確信が内面の信仰のありかただけではなくエートスとして外面的な諸活動に及ぶ点。)
 もう一点重要なのだが、カネを儲けることは、世俗内的禁欲の結果であって目的ではないということ。なによりそれが現世ではなく来世に結びつけられていることが重要。
 ではなぜそれが職業を通して現れるかというとその背景に社会構成の原理としての隣人愛の特有なモデルがある。
 いずれにせよ、こうした内面化された行動規範をエートス(倫理)と呼ぶ。エティーク(倫理)とイコールではないというのが難しいのだがそれ以上は踏み込まない。

プロテスタンティズムの倫理(エートス)がもたらすものは競争社会ではない
 プロテスタンティズムの倫理(エートス)を、「各人が負け組への没落の恐怖に怯えて上昇しようとする競争社会の倫理」、ととらえるならとんでもない見当違い。
 社会=現世の上昇など、まったくこのエートスにおいて意味はない。カネ(資本蓄積)は結果論であり、重要なのは、職業(ベルーフ)を神の呼びかけ=天職としてただ実践するだけ。
 しかも、カネはそれが数値によって現れることから、しかもそれが消費やクスネるといった欲望と結びつきやすいことから、逆に自身がいかに正確に神の呼びかけとしての職業を偽り無く実践しているかという指標になる。これが結果的に市場の規範化に結びつくのだが省略。
 よく誤解されるのだが、天職とは、自身に適合した職業とかいう意味ではぜんぜんない。この世に置かれた状況が強いる職業そのままを指す。これは結果としては、多少意外な印象もあるだろうが、共同体(ゲマインデ)の解体をもたらす。
 もう一点、言うまでもないが、こうしたエートスは富裕者と社会的低階層者とを区別しない。

米国はカルヴァン的なプロテスタンティズムではない
 これは、まさにプロ倫を丹念に読んでいただくのがいいのだが、米国のプロテスタンティズムは、ヴェーバーが諸派(デノミネーションズ)と呼んでいるものから発生している。
 もちろん、米国はごった煮的国家でもあるので個々にはカルバン派もあるが、米国史、特にその宗教史的な側面を見ていくなら、カルヴァン的なプロテスタンティズムではなく、デノミネーションズ、つまり、モルモン教などのほうがその社会学的なモデルになる。このあたりは、ジョン・スチュアート・ミル「自由論」(参照)の米国モルモン教徒への視線なども参考になる。
 私の考えだが(ヴェーバーの考えではないが)、結果として、米国がカルヴァン的なプロテスタンティズムに見えるのは、プロテスタンティズムのエートスが資本主義の精神(ガイスト)に転化し、さらにそれが海洋国家としての交易の契機から発生したものなのだろう。

| | コメント (7) | トラックバック (3)

2005.11.25

フランス暴動、あれから思ったこと

 「極東ブログ: フランスの暴動について簡単な印象」(参照)で触れたフランスの暴動の話題ももうそれほどブログでも見かけなくなった。ニュースでもそれほど見かけないように思う。が、たぶん車を焼き払うといった度の過ぎた悪ふざけはなんの変わりもなくフランスの日常となっているのではないだろうか。そういえば、カトリーナ被害の話題も似たように衰弱したといった印象はある。米経済についてもいろいろ言われたが現状はなぜか好調だ。
 グローバル化がもたらす格差や移民がどうのといった議論がすべて虚しかったとも私は思わないが、旧来の左派やリベラルのイリュージョンがだいぶ含まれていたように思う。というか彼らの現実認識と理念の言葉が奇妙な乖離を遂げていたような印象も受けるし、これは言うべきではないかもしれないのだが、これらのイリュージョンは擦り切れた終末論の二番煎じといった趣きも感じられた。
 そうしたなか、ああそこまで言うのかと思ったのは、日本版ニューズウィーク11・30”フランス移民暴動の真犯人”という記事だ。このところ日本版ニューズウィークはなんかネジがはずれたようなピンボケ記事が続くので馬鹿馬鹿しいから購読辞めるかと思っていたが、ときたまこうした記事が読めるならいいかとも思えるほどだった。
 で、フランス暴動の原因はなにか。


 今回の暴動の原因を西洋とイスラムの「文明の衝突」に求めるのはまちがっている。暴動の原因はあくまでも失業問題だ。

 私もそう思う。そして、尻馬に乗って言うのだが、フランスの階級社会がもたらした事件だとかぬかしてたやつらは馬鹿じゃねーのかともこっそり思う。
 だが失業問題というだけならそれほど大したことではないし、先の私のエントリでも仄めかしてはおいた。明確に書く自信がなかったというのもあるが、むしろ失業問題というなら、その先はどうかということに対して、自動的に社会保護的な政策が浮かぶことに奇妙な違和感を感じたからでもあった。もちろん、社会は回復されなくてはならない。しかし、それが国家レベルでの保護施策を巻き込んだ形の理念として立つとき、それは違うだろうという感じがした。
 だが先の記事は問題の捨象も大きいのだが、すっきり書いていた。

 原因ははっきりしている。厳格な就業資格制度や起業に足かせをはめる厳しい規制に加え、フランスの誇る手厚い労働者保護法制がかえって失業問題の一因になっているのだ。


 こうした要因が相まって、ヨーロッパに新しいエリート層が形成されつつある。「雇用のある人たち」という階層である。「雇用のない人たち」を尻目に、この人たちは、過保護な労働法制によりますます恩恵を受ける。
 ドイツと同じくフランスの政府も、従業員の採用と解雇のコストを引き下げることを拒否し、硬直した労働市場の放置してきた。その結果、生涯にわたって雇用が保障されてる人がいる半面、それ以外の人たちは短期的な臨時雇用の職に就くしかない。

 日本も構造は同じだ。
 尻馬に乗って言うのだが、日本でこうした暴動が起きないのは、職がなくても若者が生きられることを社会の安全性として必死で維持してきたためであり、また若者が暴動に走れないほどに社会システムの圧力を強化したからだ。図に乗ってさらに失言しそうになるがやめとく。もう一つ引用しよう。

 しかし、イギリスで増えているのは理髪店の店員だけではない。規制緩和により、知識労働者の数も数千人増えた。それに、今回のフランスの移民暴動を見てもわかるように、いちばん危険なのは、ヨーロッパの若者にまったく働き口がない状況だ。

 日本で一番危険なのは、その状況が社会システム側の力で鎮圧されることだろう。

| | コメント (7) | トラックバック (3)

2005.11.24

究極のダイエット、インチュイティブ・ダイエット!

 サンクスギヴィング・デーである。みなさん、ありがとう。どうもどうも。このエントリが気に入ったら、ここをクリックしてねというようなリンクはエントリ内にありませんし、先日学研が出したブログランキングとかいうムックではなんかのジャンルで当ブログがお目出度く七位になったり、いや、ま、ありがとう。今はなき美しい日本語で言うと、お陰様である。くるりとな、ぬけたとさ、である。いや、なかなかそうはいかないのが昨今の世界でもあるが、なんの話だっけ。サンクスギヴィング・デーだ。もうすでに食いまくっている人もいるだろう。そうだ。食うぞぉ、グレービーはどこどこ…ということもないのだが。
 しかし眼前にある、たらくふくの御馳走に対して、いったいどうしろというのだ。問題はダイエットだ。ということで、今朝の国際ニュースでついに究極のダイエットが明らかにされた。インチュイティブ・ダイエット! これだ。米国ブリガム・ヤング大学の研究者たちはついに究極のダイエットの公式を発見したのである。このダイエットはサプリメントも電気腹巻きもいらない。精神的かつ道徳的には深淵でもあるが、ある意味で実に明快である…曰く、汝の直感に従って食え。
 そうだったのだ、うぜーこと言ったり考えたり、教本読んだりグルに従ったりする必要など、なにもないのだ。直感がすべてを決める。恋愛と同じじゃないか。食うか食わないかは、食う気があるかないかだ。食う気がないと窒息してしまうぞ(寒すぎたか)。
 まじだって、ほんと。おソースはネットにはないが、ニュースならたーんとある。アルジャジーラだって報道していた。"Eat and lose weigh"(参照)がそれだ。たぶん、イスラムの教えにも反してないのだと思われる、直感的に喰え、というのはだ。
 腹が減ったら食って、腹一杯になったら終わる。それだけでアジアの人たちは太ってなんかいないじゃないか、とニュースは伝える。ほんとかよ、とか突っ込むなよな。ってか、海外旅行者なら経験あるだろうと思うが、なんで日本人はあんなにスレンダーなんだ、不思議だと、なんど問えば気が済むんだ、この○ブっていうか、である。
 なに、そんなにことは簡単ではない? どうよ?


To get on the road to intuitive eating, a person needs to adopt two attitudes, according to the researchers. The first attitude is body acceptance. "It's an extremely difficult attitude adjustment for many people to make, but they have to come to a conscious decision that personal worth is not a function of body size," Hawks said.

 二つの態度が必要なのだそうだ。ほぉ。最初はだ、自分の身体を受け入れろというのだ。なるほど、それは、非モテとかにも言えること…かどうか知らないが、それで二番目はなんだ?

The second attitude, that dieting is harmful, relates to the first - namely that dieting does not lead to the results that people think it will lead to.

 はぁ? なんかよくわかんね。よーするに食事になにか別の期待を抱くのはやめろということか。痩せるとか健康になるとか長生きするとか。
 どうやら、マジで考えていくと、この直感ダイエットの重要さというのは、感情の問題でもあるのだな。つまり、肥満の多くは感情的な代償として食うのがあかんということか。
 納得しない? じゃ、もう一つグッドニューズ!
 脂肪分の多い食事は大腸がん(結腸直腸がん)リスクを減らす、っていうのはどう。いやホント。ロイター”High-fat dairy food may lower colorectal cancer risk
”(参照)にあるんだよ、これが。

Women who consumed at least four servings per day of high-fat dairy foods had a 41-percent lower risk of colorectal cancer than did women who consumed less than one serving of high-fat dairy foods per day, the authors report.

 というわけで、脂肪の多い食事のほうがこの点ではベターっぽい。
 これもマジでいうと、ポイントは共役リノール酸(conjugated linoleic acid)ということでもある。つまり、脂肪酸代謝が関係している。とはいえ、概ね、低脂肪ならすべて健康っていうことはないのは確かだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2005.11.23

どういう恰好で寝るべきなのか

 人生の最大の問題とは言えないが些細な問題とも言えない。あれこれ四十八年(生まれてこのかた)悩み続けてきた問題なのだが…どういう恰好で寝るか?
 そんなことが問題かよと言われると癪でもあるので、変奏すると枕の問題でもある。通販生活のメディカル枕でも解決しなかったし、低反発枕でもいまいち。ああ。しかし、ま、枕の問題をここで論じたいわけではない。
 先日、ロイターのニュースを見ていたら、"子供が寝るときの恰好は呼吸に影響を与える(Sleep position may affect breathing in children)"(参照)というのがあって、三歳児以下に限定されるのだが(そしてたぶん一歳以上だろうが)、仰向けできちんとした姿勢で寝るのが呼吸にいいとも言えないという話があった。
 ようするに、この年代の子供(英語だとトッドラーというのだが)は、好きな恰好で寝るのがよろしいという、そんなのあたりまえじゃんみたいな話ではある。ニュースになっているところを見ると、多分、欧米では子供をきちんとした恰好で寝かせるべきというのがあるのだろう。
 ネタ元はJAMA"Arch Otolaryngology Head Neck Surg"の"The Effect of Body Position on Sleep Apnea in Children Younger Than 3 Years, November 2005, Pereira et al. 131"(参照)なので関心のあるかたはどうぞ。
 でだ、子供はそういうことでよろし、と。問題は大人はなのだが、当然今回の研究ではわからない。ただ、ロイターにはこんな話があるにはあった。


Obstructive sleep apnea syndrome is a condition in which airways become blocked periodically during sleep and breathing stops for brief periods. Symptoms improve in adults with this condition when they avoid the supine position, note Dr. Kevin D. Pereira and colleagues, from the University of Texas Health Science Center at Houston, in the Archives of Otolaryngology?Head & Neck Surgery.

 ちょっと読み違えているかもだが、大人も仰向けってよくないんじゃないのか。
 というあたりで、冒頭記したように問題はどういう恰好で寝るかだ。「極東ブログ: れいの『ひざまくら』が世界のブログに苦笑を誘う」(参照)でBBC"Boyfriend pillow for Japan singles"(参照)を紹介したが、こーゆーのが解決とも思えない。いや、解決か。
 先日バングラデシュの日常生活の話を聞いたのだが、みなさん抱き枕で寝るそうだ。ほんとか。そういう国民性ってあるのだろうか。そういえばと思い出すのだが、若い頃ガーナの人と畳部屋の同室で寝泊まりしたことがあったのだが、彼は丸くなって寝ていた。そしてその上に蒲団が乗っかる。あれだ。こ・た・つ、かこれ?みたいになっていた。お国ではそういう恰好で寝るのかと訊いたのだが、答えは要領を得ない。日本は寒いんだものとか言っていた。なるほど。ガーナって蒲団っていう文化じゃないし、蒲団がないと寝るときの恰好なんてそれほど意識されないか。
 どうも話の流れが変になったが、実は、私は、人間というのは丸くなって寝る生き物なんじゃないかと長年疑っている。だが、実際に私が丸くなって寝るというわけでもない。枕だとうまく丸くなれない。
 ま、それだけの話なんだけど。

| | コメント (10) | トラックバック (2)

2005.11.22

スービック・レイプ・ケース

 今朝のNHKラジオを聞いていて、スービック・レイプ・ケースについてだが、あれ?と思ったことがあったので、簡単にログ(記録)しておきたい。
 まず事件の概要だが、五日付け朝日新聞”米海兵隊員、フィリピンで強姦容疑 沖縄の基地所属”(参照)はこう伝えていた。


 米比両国は、ルソン島中部を中心に、10月中旬から今月1日まで合同軍事演習を実施。海兵隊員らはスービック湾に寄港中の1日夜から2日未明にかけ、知り合った女性を船外の車の中で暴行した疑い。女性が訴えて発覚したという。

 同記事には、マニラの米大使館の話として、この五人が沖縄の第三一海兵遠征部隊(31MEU)に所属していることを伝えている。一九九二年フィリピンから米軍が撤退して以降、米兵の強姦容疑事件が発覚したのは今回が初めてになる。
 朝日新聞の記事ではどちらかというと反米運動の側に視点を置いている印象を受ける。
 沖縄サイドの報道例としては、五日付沖縄タイムス”比・女性暴行/兵士はハンセン所属”(参照)がある。オキナワ・レイプ・ケースの歴史もあり、身近な問題として受け止めているようすが伺える。

 フィリピンで強姦事件を起こした米海兵隊員五人がキャンプ・ハンセン所属であることが五日明らかになり、同基地を抱える地元金武町は、綱紀粛正の効果もなく繰り返される米兵の犯罪に「人ごとではない」「基地がある以上、被害に遭うのは住民だ」など不安や怒りの声が上がった。

 沖縄県民としては、これだけでいろいろと思うことがあるのだが、非公開な情報も含まれるのでこのエントリでも踏み込まないことにする。
 読売新聞の五日付け”沖縄5米兵、比で女性暴行 告訴受け大使館に拘束 「またか…」県内に反発の声”の記事は、米軍準機関紙「星条旗」をネタ元にして、もう少し事件そのものを描写していた。

 同紙によると、10月中旬から今月1日まで米比合同軍事演習が行われ、沖縄の海兵隊員ら約4500人が参加した。5人は1日夜、マニラ北西部のディスコで女性と知り合い、一緒に飲酒後、車で連れ出し、暴行した疑いが持たれている

 「星条旗」がネタ元ということもあり、女性側にも非があったかのようなトーンを醸しだしている。
 オキナワ・レープ・ケースの際沖縄県民として暮らしていた私としては、今回も大きな問題ではあるが詳細がわからないので経緯をしばらく見ていることにした。その後、この問題の報道は国内ではあまりなく、こうした問題をフォローしている市民団体のブログなども知らない。どこかに「リベラル・ブログ」が存在するのか。
 一七日付け朝日新聞記事”比政府、米海兵隊員6人の身柄引き渡し要求 強姦疑惑で”(参照)では、この時点での事件の経緯を簡単に伝えていた。容疑者は六名である。

 合同軍事演習でフィリピンを訪れた沖縄駐留の米海兵隊員6人が、比人女性(22)を強姦(ごうかん)した疑いを持たれている事件で、比政府は17日までに、米側に6人の身柄を引き渡すよう要求した。6人は現在、マニラの米大使館の保護下にある。

 つまり現時点ではまだフィリピン側には容疑者は渡されていない。
 同記事には、この問題の本質が簡単に言及されている。

 米比間の「訪問米軍の地位に関する協定(VFA)」は「特別な場合、比政府は米側に(米兵の)身柄確保を要求する」と定めている。比政府は今回の強姦疑惑を「特別な場合」に当たると判断した。

 オキナワ・レイプ・ケースでもそうだし、その後も沖縄で起きた同種の事件でもそうだが、駐留と訪問の差はあれ日本国も地位協定の問題を抱えている。フィリピンでの今後の展開によっては日本国が影響を受けないわけはない。
 また、同記事には、「司法当局は23日から始まる予備尋問に6人を召喚した。」ともあるが、このあたりまでが私の脳裡にあったことで、この先が今朝のラジオでの話になる。
 自分でも事件の読みが迂闊だったのだが、この発端は被害者であるフィリピン女性の告訴であった。どのようにその告訴が可能だったかということまで私は想像せず、その後のフィリピン政府からの容疑者の引き渡し・取り調べの要望があったとの構図から、事件発端時には米軍側が動いて容疑者の海兵隊員六名をおさえていたのかとなんとなく思っていた。
 が、そうではなかった。最初に容疑者の身柄をおさえたのはスービック港の警備当局であり、これを聞きつけた在比米国大使館の口頭要請のみで米国側に移した。
 つまり、最初はフィリピン側に容疑者が拘束されていたことと、米軍引き渡しの手順はそれほど厳格なものとは言えなかったようだ(結果として米軍に渡すとしてであれ)。
 こうした事態が発覚したのは、ワゴン車の運転手(英文報道などによると脅されていらしい)など目撃者も多いためだ。
 英文のニュースをブラウズするとフィリピン・サイドのニュースだと思うが”6th US soldier in Subic rape case a mystery”(参照)などのように事件そのものに解明されていないこともあるようだ。
 今後の展開だが、先の朝日新聞記事にもあるように、二三日にフィリピン司法当局による尋問が予定されており、この機に合わせた抗議デモが予定されている。
 どの程度のデモになるのかネット側から見た感じからはわからない。もともとアロヨ政権への不満は強いものの、これまでなにかとかこつけて行われたデモは今ひとつ力不足という印象だった。そうした印象からすれば、当座の情況としては同じような流れになるだろうかとも思う。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.11.21

ハーフとかレミとか

 先日料理の話っぽい「極東ブログ: スパイスあれこれ」(参照)を書いたとき、蛇足に平野レミのことをちょっと書いてそれでも余談が過ぎるなと思って削った。彼女は…、「英語であそぼ」や新幹線のアナウンスの声で有名なクリステル・チアリも(ちがいます)、安室奈美恵もそうか…「クオーター」……と書いて、あれ?ヤバイ? 共同通信の辞書も入れているATOKは別にコーションを出さなかったが、あー、たぶん、「ハーフ」は、ダメ? と、特にコーションは出ない。使っていいのか? ちなみに「混血児」とやったら、即座に《記:注意 不快用語等》と出てきた。どうせいと?


なるべく「父が日本人で母がドイツ人という国際児童」などと具体的に書くように心がける。

 はい。ま、なるべくそう心がけるだ、イシシ。
 そういえば、と思い出して、Wikipediaの「差別用語とみなされることがある言葉一覧」(参照)を見ると微妙ではある。

ハーフ、混血、あいの子
日本人と外国人の間に生まれた子供。また、違う種類の動物の間に生まれた子供の場合はあいの子も使われるが、いずれも差別用語あるいは不快感を与える用語として、放送での使用は控えられている。

 どうやら「ペコポン侵略」と同じようだ。ついでに「ハーフ」の項目(参照)を見たら、こうある。

3 日本人と外国人など人種、国籍あるいは民族の異なる男女間に生まれた子供。著名人では岡田真澄、宮沢りえ、加藤ローサ、ダルビッシュ有など。主に日本のみで使用され、純血思想による呼称であったり、「半人前」という意味を持つことから、差別用語ではないかとの意見がある。近年では、欧米で一般的に用いられる混血という意味のミックス(mix)や、二重のルーツや文化を持つという意味のダブル(double)に変えようとする動きがある。しかし、ダブルという呼称は、在留アメリカ軍と沖縄に住む日本人との混血児が通う、創価学会の「アメラジアン・スクール」で使われていた呼称である。沖縄が抱える基地問題を背景としており、本来は、生まれてから一つの文化の中で育ったものには当てはまらない。ハーフと日本人の子供はクオーター(四分の一、1/4)と呼ばれる。

 そういえば、沖縄で暮らしているときそういう言いかえ運動がよくあったなと思い出す。当時の自分の生活圏にも何人もクオーターがいた。というか、ハーフはその母の世代になるから。彼ら彼女らは……というところで、さて、沖縄の話をするとまた嫌われるか。はてなダイアリー「perish the thought!」”[雑感]カタカナはわかりません”(参照)でも言われたしな。ってことで、パス。
 話を戻して、平野レミだが、そういえばと思ってアマゾンで彼女の父平野威馬雄の本のリストを見てみたら、「エプタメロン―ナヴァール王妃の七日物語(ちくま文庫)」(参照)がトップ。そして、威馬雄先生お得意のお化けの話が画家で平野レミの兄の平野琳人の共著で並ぶ。
 怪著「陰者の告白(ちくま文庫)」(参照)は絶版らしく古書にプレミアがついていた。
 なにより平野レミの名前の由来を暗示する「レミは生きている(ちくま文庫)」(参照)は古書でもプレミアつけても買えないみたいだ。こういう本こそ中学生くらいに読んでおかないといけないと思うのだがと、同書と威馬雄先生のことを思い出すとなんか泣けてきそ。
cover
家なき子
 レミという名前自体は、「家なき子(河出文庫)」(参照)のあのレミである。ちなみに、同文庫の訳者の一人福永武彦は池澤夏樹の父である…云々。
 英語ではハーフはなんと言うのか? まるで思いつかない。"half"とかベタでいうわけもあるまい。そういえば、この「ハーフ」という和製英語は、私の歴史的な語感が確かなら、「オンリー」と同じ地平のものだろう。こちらの言葉は消えた。消えていい。
 英語では"mixed"とでもいうのか…どうもそんな気もしない。沖縄での米兵と日本人母の子供を幾人か思い出すが、特になんと呼んでいたか思い出せない。英語では特に言わないような気がする。うちなーんちゅのおじーたーに言わせるとクオーターもみんな「あめりかー」だった。別に差別意識もなんにも感じられなかった。「たーちまちゃー」とか「がっぱやー」とか「かんぱちゃー」とか言うのとそれほど変わらない。おっと、そういう話はやめとこ。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

2005.11.20

生活保護は国がするのか地方がするのか

 ちょっと手間がないのでメモ書きみたいになる。あるいは問題が難しいので、なんとなく書かず仕舞いになりそうでもあるので、その意味でも一応触れておこう。
 テーマはとりあえず単純に言えば「生活保護は国がするのか地方がするのか」ということ。私の結論も単純にすれば、地方がすればいいのではないか、というものだ。ただし、この問題はディテールが非常にやっかいだし、制度や実態の把握も難しい。現実問題としては、政府がやろうとしているようにここでゴリっと進めればいいとも言い難い。
 この問題が厄介なのは、昨今の流れで見ると、この問題解決の気運が高まって出てきたというより、例の奇妙な名称の「三位一体改革」のカネの辻褄合わせで出てきたためで(八〇〇〇億円相当)、本来の問題解決のプロセス(それはそれなりにあるせよ)から導かれたものではない。ただ、こうした問題は、私としても自分でも矛盾すると自覚はするが、どっかでゴリっと進めないとどうにもならないのかもしれないとも思う。
 三位一体改革のカネの辻褄合わせという点では、生活保護は国か地方かという問題は、「極東ブログ: 中央教育審議会最終答申は無意味になるのだろうが…」(参照)で触れた義務教育の問題と類似の構造がある。が、構造が類似なのに方向は非常に異なるのが面白いといえば面白い。簡単に言えば、地方は概ね義務教育費についてはヨコセと言っているのだから、生活保護費についてもヨコセと言うならすっきりする。が、そうではない。地方は、そりゃ困る、国がヤレ、と言っているのである。
 そうした構図だけで言うなら、地方の言い分は矛盾していてむちゃくちゃにも思えるのだが、地方としてもそれなりのスジはあるにはあるようだ。概ねのところで言えば、省庁紐付きの各種助成金の削減を累積すれば一兆円減になるのだから、そうせい、というわけ。そうした点から言えば、いきなし生活保護は国か地方かって問い詰めかた自体スジが違っているのだ。ようするにカネをどうせい、という問題に矮小化したからしっちゃめっちゃかということでもあろう。もうちょっと国と地方の両者の思惑を読めば、今後生活保護費は増大する一方なのでババを引くのはいやよんでもある。
 とはいえ、地方の言い分とかで言われる、生活保護は憲法が保障する国の義務だというのはちょっとおかしい。それはたしかに国の義務だが行政単位としての国が任務に当たれということではない。この議論はお好きな人はお好きだろうが、私は本筋として国は小さいほうがいいし、地域の生活圏から国はできるだけ遠隔化すべきだと思うでこの議論につっこむ気はない。というか、最終的なセイフティネットとしての国の機能は平時ではなくイマージェンシー(緊急事態)の対応だけ明確にすればいいだろうと思う。
 それに地方の言い分がこのまま通れば、生活保護の規定も国の一律ということになり、地方の実態にそぐわないことになる。やっぱ、地方はその裁量と権限を持つべきだろう。
 で、だ。ぶっちゃけ地方にはそれだけの行政の能力がないでしょというか、そうした能力を育成する助走期間もなかったでしょというのが、実態ではないのか。
 とすれば、理念的に正しくてもあるいはマクロ経済学みたいに学問的には正しくても画餅になるだけで終わりというのが見えるなら、議論すら無意味になりかねない。じゃ、国が有能かというとその議論もまたお好きなかたはどうぞといった趣きではある。
 結局どうかというと、国だって無い袖は振れないという現実を直視するしかないわけで、地方移譲の方向を多少なり段階的なり弾力的に推し進めるということだろう。
 話の方向をちょっと変える。
 この件についてNHKの解説番組を見ていたら、ちょっと気になる数値があった。識者にしてみれば当たり前なのだろうが、生活保護対象の人口だが、昭和六〇年には一四七万人。それが平成七年に八八万人となり、平成一六年に一四二万人となったというのだ。
 私の庶民的な感覚からすると、平成七年あたりから昨今生活保護者が増えているのはわかる。自殺者も増えているし、生活は苦しいよな、である。が、昭和六〇年から平成七年にかけてなぜ減少していたのかが、わかるようでわからない。もっと脊髄反射七六へぇしてしまいそうなのは、昭和六〇年の生活保護者の人口が現在と同じというあたりだ。よくわからないので思いつきでいうのだが、昔のほうが社会は安定していたというなら、現在の生活保護者数の水準というのは、美しい日本の普通の状態っていうことはないのだろうか。
 関連して、今回の問題の発端は、よーするにカネカネカネということで、現在の生活保護費二・五兆円はつらいよねということだが、一〇年前に比べると一兆円増えているらしい。なるほど平成七年ごろは現在より生活保護者が少ないのだから、そりゃ納得、なのだが、その前の昭和六〇年ころはどうだったのだろうか。生活保護者数が現在と同じなら同じくらいの出費? もちろん一九八五年の経済と今の経済は違うのだが、そのあたり二〇年前はどうしていたのだろうか?
 くだらないことに関心を持つようだが、生活保護の問題が最終的にはその半分の責務が地方の問題となれば、それほど潤沢でもないカネで地方における社会・生活圏の問題として困窮者を助けていかないといけなくなる。
 そういう問いを出したとき、二〇年前はどうしていたのだろうか、この二〇年間でどう変わったのだろうかというのが気になる。この二〇年私も大人として生きてきたのだが、うまくその風景というかその歴史の生活的な感触が思い出せない。
 もうちょっと言うと、この問題、生活保護者数の増減という問題だけとすると、そこには隠れたパラメーターがありそうな気がするし、そのパラメーターが問われないと問題の解決にはならないのではないか、と思う。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2005.11.19

鳥インフルエンザとサイトカイン・ストームのメモ

 鳥インフルエンザについて簡単にメモを記しておきたい。現在問題になっているH5N1だがすでに1918年のスペイン風邪に類似であるということがわかっている。スペイン風邪がどれほど人類に大きな影響をもたらしたかについては、タミフルを日本で扱っている中外製薬が企画した「インフルエンザ情報サービス」(参照)の”20世紀のパンデミック<スペインかぜ> ”(参照)を見るとわかりやすい。このページではその死者数を、数え方にもよるのだが、第二次世界大戦を越えるものとしている。余談だが、米国南北戦争の死者数も驚くほど高い。これにイラク戦争を並べるとどうかというのは趣味が悪すぎる。
 日本でも同年、つまり大正七年、二千三八〇万人が罹患し、 三八万八千七二七人が死亡。驚くべき数字とも言えるし、当時と今とでは違うので同種のインフルエンザであれば、さらに死者数は少ないだろうとも言える。数万単位の死者であれば、交通事故一万人、自殺三万人に隠れるかもしれない。これは悪い冗談の意図はない。
 スペイン風邪で興味深いのは、先のページのも言及があるが、青年の死者が多いことだ。昨今の中国での鳥インフルエンザの死者も印象だがああまた若い人かと思う。


20代から30代の青壮年者に死亡率が高かった原因は不明で、謎として残っている。通常は小児や高齢者の死亡率が高い。死因の第一位は二次的細菌性肺炎であった。このとき、始めて剖検肺中に細菌が証明されないことから、ウィルス肺炎が疑われるようになった。

 通常のインフルエンザでは小児や高齢者の死亡率が高いが、スペイン風邪ではそうとは言えなかった。Wikipediaの項目「スペインかぜ」(参照)にはこうある。

また青年層の死者が多かったが、これは理由がはっきりしていない。可能性として、パンデミック以前にH1N1型の流行があり壮年層に免疫があったのではないかという説もあるが、これは少年以下層の死者が特に多くないために疑問視されている。

 Wikipediaの情報は知識の点で不足があるのはしかたがないが、このあたりの解説はそうした知識の問題なのだろうか、少し奇妙に思う。というのは、この分野に関心を持つ人なら、サイトカイン・ストーム(Cytokine Storms)を想定すると思われるからだ。
 と、思っているさなか、十一日付け日経新聞”鳥インフルエンザの高致死率、免疫系の「暴走」と関連・香港大”(参照)に関連のニュースが出た。

鳥インフルエンザの患者の死亡率は5割以上にのぼるが、この高い致死率はウイルスの体内侵入をきっかけに患者の免疫システムが「暴走」する現象と関連があるのを、香港大学の研究者らが突き止めた。国際的なオンライン医学誌「レスピラトリー・リサーチ」に10日発表した。


 研究グループが患者の肺組織などを調べたところ、免疫細胞が分泌するサイトカインと呼ばれる物質の量が通常のインフルエンザに比べて異常に多いことがわかった。
 専門家らが「サイトカイン・ストーム(嵐)」と呼ぶ免疫システムの暴走現象で、肺など多くの臓器がうまく働かなくなることがある。

 なお、「レスピラトリー・リサーチ」のオリジナルは”Proinflammatory cytokine responses induced by influenza A (H5N1) viruses in primary human alveolar and bronchial epithelial cells”(参照)。
 サイトカインは現代人の常識用語の部類だろうか。間違いではないが「免疫細胞が分泌するサイトカインと呼ばれる物質」で通じるだろうか。いずれにせよ、鳥インフルエンザの問題はやはりサイトカイン・ストームかという線での話題にはなっている。科学に関心のある高校生(あるいは高校の先生)なら、NEJMのこのフラッシュ(参照・SWF)を見ておくといいだろう。
 随分遅れた感の十七日付けで朝日新聞”高い死亡率、免疫の過剰反応が原因か 鳥インフルエンザ”(参照)も同じ話題を扱っていた。サイトカインの説明はわかりやすい。

 ウイルスなどが体内に侵入すると、白血球がサイトカインと呼ばれる物質を分泌する。これが炎症を起こして身を守るのが免疫反応だ。
 研究グループがH5N1型の患者から採った気管支や肺の細胞を分析したところ、毎年流行するH1N1型と比べ、炎症性サイトカインの分泌量が異常に高かった。分泌が過剰だと、肺組織が破壊されるなどして呼吸困難になる。
 こうした免疫機能の過剰反応は「サイトカインの嵐」と呼ばれ、スペインかぜで若者が多く死亡した原因と考えられている。

 このインフルエンザの症状はウイルス自体が引き起こすのではなく、その過剰防衛反応が起こしていると見られる。であれば、免疫の反応を鈍くすることで症状を緩和させることもできるし、あるいは炎症自体を抑制するような対策も可能ではあるのだろう。
 ついでだが、記憶を辿って、ニューズウィークのバックナンバーを見ていたら、二〇〇四年二・一八号に「隠された鳥ウイルス 中国では数年前から大流行? 死者二〇〇〇万人の悪夢」という記事を見つけた。同記事を読み直すに、すでに中国内では散発的に発生していると見てもよそうな感じではある。

| | コメント (8) | トラックバック (11)

2005.11.18

スパイスあれこれ

 じゃ、料理の話でも。スパイスとか。私は園芸とかそれほど好きでもないが、英国ハーブ協会っていうのの会員だった。今で言ったらミクシのコミュニティみたいなものだがそれなりに国際的だったりする。ま、ハーブとかスパイスとか薬草とか好きだった。料理にそれほど凝っているわけでもないが。

cover
料理上手の
スパイスブック
 昔ながらの米人家庭のキッチンの棚とから見ると、ずらっとライブラリーのようにスパイスがある、ことがある。彼らにとって秘伝のレシピとかいうのはその組み合わせにあるわけで、ケンタッキーフライドチキンも日本に上陸した当初は十一種類の秘伝のタレと煮干しのダシがウリだった。ちょっと違うか。Wikipediaをみたら似たような話が載っていた(参照)。

カーネル・サンダース(本名ハーランド・サンダース)(1890年生-1980年没)によって1939年に考案されたフライドチキンの調理法があり、使用される調合スパイスの種類(一部公開)と調合率はごく一部の人しか知られていない。

 米人の料理なんてそんなものだとも言える。いやなかなか米国料理というのは奥が深いとも言える。どうでもいいが、長嶋茂雄の奥方長嶋亜希子の米国料理の本も書架のどっかにあるはずなのだが出てこない。
 前振りが長いが私がよく使うスパイスのご紹介など。

オレガノ
 最近はあまり使わない。理由は出来合いのピザソースを使うようになったので、それに入っているから。しかし、あるとイタリア料理とかには便利。トマト料理にはたいてい使える。トマトソースというのは、けっこうなんのソースにもなる。焼き魚にオリーブ油とトマソでなんでもイタリアンになってしまう。

カルダモン
 最近はあまり使わない。以前は、カルダモンコーヒーとかに使っていた。ミルクティーのスパイスにも使っていた。オリエントな香りがする。話はずっこけるが、バリ島のイスラム教徒の多い市場でスパイスをいろいろ買ったが、バリ・カルダモンは安いよとか言っていた。見たら、沖縄の月桃の実でした。この種はかなり固いが潰すとそれなりに香りがよい。

キャラウェイ
 クッキーやパン(フォカッチャ)に入れたりカレーのときにご飯にかけたりとか以前した。最近はとんと使わない。

クミン
 これは今でもけっこう使う。日本人にしてみるとカレーの香りの元みたいに思うだろうが、肉料理とか豆料理に合う。使うとエスニックな感じの味になる。以前はホールを使っていたが最近は粉末を買う。生姜焼きの生姜抜きでクミンとかいうのもけっこう好き。

クローブ
 クリスマスティーに欠かせない。私はスパイスティーが好きで、これには欠かさず入れる。以前職場で眠いとき、ホールを囓っていた。辛みが口に炸裂する。お菓子に小量使うと甘みが引き立つ。

ケーパー
 マリネとかアクアパッツァには欠かせない。なんか日本のは高い。

コリアンダー
 これは私のレパートリーじゃない。なんかうまく使えない。ちなみに、このハーブは香菜で、いやもう大好物。ばくばく喰える。日本人辞められるかと三十代には思ったほど。香菜はなんにでも合うというかなんでもエスニックにしてしまう。タイのスイートチリソースに交ぜてチキンとかサツマアゲとか喰うと幸せ。

サフラン
 使わない。高いんだもの。代わりに、アジアン・サフラン=ターメリックを使う。

山椒
 日本人は鰻のあれを思い浮かべるだろうけど、私が使うのはさらに二種類。一つは実の塩漬け。これがうまい。あまり売ってない。売ってるところを知っているがとてもではないがネットには書けない。もう一つは、中華料理用のキメの粗いやつ。これを麻婆豆腐にばさばさと入れる。そう、普通の日本の麻婆豆腐に入れる。

シナモン
 どっかで有名なイヌのことではない。サンリオのあれでもない。シナモンはスパイスティーに欠かせない。余談だが、日本だとカプチーノというとシナモンだが、海外ではココアを使っていた。

アニス
 使わない。あのフレーバーは嫌いじゃない。

セージ
 これもうまく使えない。ので、使わない。スマッジとかいってこれを束にして煙りを楽しむというのもあるが、やったことない。

タイム
 これは使う。山羊とか羊の肉の臭み取りとかに。

ターメリック
 ウコン。黄色のが秋ウコンというかウコン。あまり使わない。純度の高いターメリックのカプセルがあるのでそれを使ってご飯を真っ黄色にするとかときたまするくらい。これだとあの泥臭い匂いがない。春ウコン(キョウオウ) は生のを泡盛に入れて香り付けにしていたことがある。タイ料理のカー(ナンキョウ)の代わりに使ったことがある。

ディル
 シードを酢に入れてヴィネガーの香り付けによく使っていた。最近やってない。

ナツメグ
 ハンバーグですね。以前はホールをごりごりと挽いていたけど、最近は粉。終わり。

バジル
 ドライのが嫌い。最近は生が売っているのでそれを買う。沖縄暮らしのときは庭に植えていた。すげー匂いだった。スイートバジルの生を適当に包丁で叩いてポットに入れ熱湯を注ぐ、待つこと三、四分というハーブティーが好きだ。バリ島で覚えた。

パセリ
 日本のパセリについてなにか言うべきことがあるのか。ない。

バニラ
 以前はいくつか持っていたし今でも棚のどっかにあると思う。アイスクリームとか作るときは、アルコールに浸けたのを使う。バニラは、ほんまものは本当に美味しい。昔のハーゲンダッツはよかった。

パプリカ
 といっても生のではない。タンドリチキンを作るときに使う。ちなみに、タンドリチキンは簡単にできる。いずれご紹介しよう。

フェンネル
 最近は使わない。っていうか以前、よく暇つぶしに食っていた。あれだ、インド料理店の入り口(または出口)にあるアレ。生のは沖縄語でイーチョーバーである。マキシで売っている。

ベイリーブス
 ポケモンである。ちょっと違うか。使い方は決まり切っている。

胡椒
 黒胡椒はかならずその場で挽いて使う。肉に使う人が多いが、意外と野菜に使える。キャベツをちぎってビニール袋に入れ、塩を少し入れてまぶして小一時間ほどおき、しなっとしたらこれを小量の油と黒胡椒で炒める。うまい。

ミント
 これはもっぱらドライのをミントティーに。日本で売られているドライはどうも香りが弱い。私は米国からオーガニックのを取り寄せている。

レモングラス
 エスニックの定番。日本だとこれのドライのハーブティーが多いが、生のほうが香りがいい。これも沖縄生活では庭に植えていた。

ローズマリー
 最近は鉢植えにして、ソーセージを作るときに使う。ソーセージは意外と簡単にできる。

五香
 餃子には必ず入れる。

ガラムマサラ
 最近は使わない。カレー粉で代用。

 ま、そんなところでしょうか。じゃ。

| | コメント (4) | トラックバック (2)

2005.11.17

遼寧省の鳥インフルエンザ発生からよからぬ洒落を考える

 お笑いネタとして軽い洒落を書いてみたい、という前書きをつけておくので誤解無きように。
 と言って話のスジをどう展開していいのか二案考えてみるのだが決まらない。
 第一案は、十一月六日に報告された遼寧省の鳥インフルエンザ発生だが、確かにその発生に嘘はなくて海外ジャーナリズムにもなんか実にマレにきちんと公開したわけだけど、なんでよりよって遼寧省かなぁ。遼寧省ってすることで中国様になんかメリットがあるんじゃないのか、さてそのメリットはなにか。このどさくさに遼寧省の問題分子を締めあげてやれ、かな。
 第二案は、同じく鳥インフルエンザが発端だが、中国様の本音としては、ほ、本当なのか、やべーな遼寧省かよ、こんなんでさらにあそこに問題が広まったらどえりゃーこっちゃ、オレの責任じゃないからな、ってことで、責任所在錯乱でぶちまけて観客よろしく諸外国のジャーナリズムでも入れたれ、かな。
 さて、どっちか。考え方のスジとしては、鳥インフルエンザ発生で遼寧省が注目されるのはどうよというのがあるのだが、なんとも腑に落ちない。ちなみに、上澄みは人民網”遼寧省の2村で鳥インフルエンザ発生 H5N1型”(参照)にある。


 遼寧省阜新市の阜新蒙古族自治県にある大阪鎮朝陽寺村、同省錦州市にある南站新区大嶺村で6日、養鶏業者が飼育するニワトリ計1100羽が死亡し、直ちに省動物衛生監督管理局に報告された。同省は同日、高病原性鳥インフルエンザの疑いがあることを認め、直ちにサンプルを国家鳥インフルエンザ参考実験室に送付。同実験室で9日、H5N1型の高病原性鳥インフルエンザであることが確認された。

 ということで、蒙古族自治の地域というのがいい味出している。
 これまで中国の鳥インフルエンザというと、湖南省や安徽省などどっちかというとベトナムに近いよな地域。とはいえ、正確にいうと、CRI”中国、鳥インフルエンザ対策を続行 ”(参照)にこうある。

 先月中旬以降、中国の内蒙古自治区、安徽省、湖南省、遼寧省、湖北省などで相次いで「H5N1亜種」の高病原性鳥インフルエンザ感染が起きており、これを受けて、関係部門は家禽を1000万羽近く処分したということです。

 というわけで、内蒙古自治区は入っているのだけど、どうも地域的にそういうもんか感は漂う。
 話を先の二案どっちで行こうかと考えるのだが、これの補強ネタはなんといっても先週のニューズウィーク日本語版11・16”東北部の怒りと不満は爆発寸前”である。

 昨年、北京を訪問したアメリカ政府高官が中国の高官と酒席を共にしたときのこと。話題は、中国国内の社会不安に及んだという。

 で、中国の社会不安といえば、東トルキスタンでしょという通念があるが、そうではなく東北部なのだとこっそり言ったというのだ。

「この地方では、国有企業がことごとく売却されていて、しかも労働組合の力が最も強い。中国政府は、一刻も早く手を打たなくてはならない」
 東北部の遼寧省、吉林省、黒竜江省の工業地帯は、中国の社会不安の震源地になりつつある。中国東京の統計によると、昨年中国で起きた大規模なデモの12件に1件は遼寧省で起きている。

 ほぉってなもので、ネットを探ってみたのだが、ほとんど裏なし、っていうか、ネットに本当の情報はないのか、そもそも情報はないのか、このエントリのようにフカシなのか。悲惨な情況についてはいくつか話はあるが略。
 同記事は、遼寧省が北朝鮮に接しているという問題にも触れている。つまり、北朝鮮に事あれば遼寧省に波及してやばいでしょ、と。
 いや、遼寧省と北朝鮮の関係はそれだけでもなさげ。読売新聞(2005.11.14)”膨張中国]第4部 きしむ周辺世界(3)北朝鮮の鉱物開発”にはこんな美しい話がある。

 北朝鮮から中国へ、いま大量の鉱物が運ばれている。鉄鉱石、無煙炭、亜鉛、鉛、銅……。中朝国境の鴨緑江と豆満江(中国名・図們江)に架かる橋は鉱物積載のトラックが盛んに往来し、渋滞も起きる。
 北朝鮮は地下資源の宝庫として知られる。高度成長を続け、慢性的な資源不足に苦しむ中国が、その獲得に血眼になっている。

 そのあたりはごく普通に知られているところ。特にレアメタルが多い。ついでにウラン資源ってどうよとも思うがそれはさておき。

 9月初め、中国の「本音」が一瞬、垣間見えた。吉林省長春市で開かれた豆満江開発計画の次官級会議。同計画は、中朝国境地帯の共同開発を目指す。南北朝鮮と中露、モンゴルの5か国は年末に満期となる計画の10年延長で合意した。
 会議で、中国代表がこう持ちかけた。
 「計画の対象を『グレーター豆満江地域』とし、中国の東北3省に北朝鮮全域を含めるのがよい」
 北朝鮮代表は猛然と反発した。「黒竜江、吉林、遼寧省に次ぐ東北の4番目の省になりかねない」との危機感からだった。

 そうだよな。北朝鮮は中国様にしてみれば、「東北の4番目の省」なのだ。というあたりで、昨年韓国と中国でがたがたやっていた歴史認識問題もスジが通ってくる。
 さて、このあたりのネタもどう愉快な話にまとめていいか悩むところ。表向きには中国様としては、東北振興(参照)という流れにしたいし、このあたりで東海の島国のカネも入れるとよさげにも見えるが、考えてみると、中国の東北”四”省ってベタにあの島の歴史も関わっているしな。ところで、ニュースを見ていたら、シンガポールもこれに絡んでいるらしい。
 なんかいいスジがあるときれいな洒落になるのだが、うまくいきませんね。ウ的世界の才能がないのか、話はそう単純でもないのか。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2005.11.16

[書評]女と別れた男たち(林秀彦)

 一九八三年に創林社から出た林秀彦の短編集「女と別れた男たち」だがすでに絶版で現在入手は難しいかもしれない。他にも林秀彦の本出していた創林社自体すでに無くなったとも聞く。この短編集は現代に読んでもそれなりに面白い。「生きるための情熱としての殺人」の現代版の映像(参照)も人気になったようだが、こちらも原作は絶版のままではなかったか。林秀彦の主要作品は、中公文庫あたりで復刻されてもよさそうに思うが、どうだろうか。
 林秀彦は一九三四年の生まれ。五五年から六〇年にかけてドイツ、フランスで哲学を学ぶ。がその後、テレビ界に入り「七人の刑事」「鳩子の海」などの脚本家として時代の寵児となる。と書きながらふと山田太一の生年を見ると同じく三四年だった。山田の場合は一度教師となりそれから三十歳過ぎての脚本家。そのせいか、私の記憶では林と山田ではテレビ界で脚光を浴びていた時期は五年から一〇年のずれがあるようにも思う。
 私が林秀彦を意識したのはある意味最近になってのことだ。気が付くとテレビを通して林の影響を強く受けていたなという感じがした。なかでも決定的だったのは一九八四年十一月に始まる「名門私立女子高校」だった。そういえば南野陽子がこの作品でデビューしたというのだが主人公の娘役だったのか、私の記憶ではその後のスケ番刑事(全部見た)とは結びつかない。
 私はなぜかこの「名門私立女子高校」というドラマを初回から最後まで丁寧に見ていた。この年は私の若いころの大きな転機でもあり、そうした思いも投影していた。
 最初のシーンをよく覚えている。グレースケールの映像で中年男の人生の再生を願う独白が続いた。独白はその作品の中へも織り込まれていくのだが、主人公に託されていたこともあり、物語の進展につれ次第に薄れてはいった。
 主人公は妻から離婚を切り出されたうだつのあがらない高校教師で、西田敏行が演じた。彼が、生徒を自殺未遂に追い込んだという若い女性教師との軋轢のなかで恋が目覚める。こちらは桃井かおりが演じた。伊武雅刀が校長を演じていた。こう書くとお笑いドラマのようだがそうでもなかった。
 「女と別れた男たち」は、林秀彦の生き様や思いからすれば、「名門私立女子高校」の前作にあたるのだろう。そして、自伝的長編「梗概(シノップシス)」が八〇年の刊行で、林の青春の結実でもあるフランス人の妻との別れがさらにその前段になり、そうしたある種の敗北感が基調を響かせていると思う。
 この時代の林秀彦が今の私の歳に近い。現在の林秀彦を思えば、私も自分の人生の末路が概ね見渡せる時期になった。そうしてみると、「女と別れた男たち」は、なるほど今の俺の歳の男の内面というのをよく描いているなと思う。もちろん、林は社会的に成功して荒廃した人生であり、私のように社会的に失敗してこそこそと小さな幸せを求めるという人生とは対極的ではある。
 四十九歳の林は本書の後書きでこう書いている。


 それにしても鬱々とした日々を送り続けてこの十年、心が晴れた日など一日とてしてない。そのせいかどうか、作品も男と女の別れの話が多くなった。それを書いている時だけ、気が晴れた。変なものだ。別れ話なら、あと一万でも書けそうだ。

 そしてこの先、五十歳を前にした林はこう続ける。

 五十近くなって初めて夜遊びを覚え、ネオンの巷を飲み歩いている。すると離婚した女、離婚をしようとしている女、離婚の決心をつきかねている女の多さに驚いた。本当に多いのである。本当に驚いている。今こそロマンの時代だと思う。女性は誰でも短編のヒロインになれる時代が来ているからだ。

 ほぼ同じ歳の男として、私などはなんだこの馬鹿と思う(彼のいう女は三十代半ばなのだろう)。元気があって飲めて遊べてよろしいこったと毒つきたくもなるが、林のなかに女性とのロマンを求める人間的な強さにも、驚く。時代が違うからなというのもあるにせよ。
 個々の短編は文学的に見れば、駄作ばかりとも言える。十歳年上の吉行淳之介とは比べるまでもない。が、吉行などとは違った、独自の世間の感性と中年男と女との敗北感がなんというか非常に面白い。
 「P.S. I Love You...」という作品は、主人公を模した売れっ子脚本家が酒で睡眠薬を多量に飲み、心臓にナイフを指して錯乱したその後の描写で出来ている。仕立てはいかにもテレビ的だが、そこの展開される自暴的に近い感覚は、四十八歳の男ならわかるものだろう。

 生と死の谷間、喜びと悲しみの境界線、幸と不幸のドアの間で、俺もまた一人で生き、孤独だった。その時親父は七十四歳の誕生日にあと三日だった。もし同じくらいの歳に死ぬならば、俺にはまだ二十年以上の切り札が残されていた。しかし死の直前の親父と俺は、なにからなにまでそっくりになっているようにも思えた。退院するまでは全然考えてもみないことだった。声、仕草、食事の食べ方、咳、痰を切る時の喉の奥の音……。それは死の予感ではなく、死の前兆なのだ。

 そういうことだ。林秀彦はたぶん今異国で七十一歳になる。林秀彦のことは、もう一つエントリを書くかもしれない。

追記(2005.11.17)
コメント欄にて情報をいただく。
雑誌「正論」11月号(参照)に林秀彦「老いていま、私はなぜ日本で死ぬことにしたのか」が掲載され、それによると、日本に帰国されたとのこと。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2005.11.15

タミフル副作用報道雑感

 タミフル(リン酸オセルタミビル)の副作用が疑われる少年の突然死のニュースだが私は当初それほど関心を持っていなかった。特殊なケースではないのか、またタミフルの副作用とするのは難しいのではないかと思った。このニュースは海外のニュースを見ても注目されているようだ。この機に外堀を眺めた感想を少し書いておきたい。
 話の発端は、NPO法人「医薬ビジランスセンター」(参照)の調査である。十三日付け読売新聞”タミフル 服用後 2人異常行動死 学会で報告 副作用との関連不明”(参照)によるとこうだ。


 インフルエンザの治療薬「タミフル」(リン酸オセルタミビル)を服用した患者2人が異常行動を起こし、事故死していたことが、NPO法人「医薬ビジランスセンター」(大阪市)の調査でわかった。同センター理事長の浜六郎医師(60)が12日、津市で開催された日本小児感染症学会で発表した。浜医師によると、昨年2月、岐阜県内の男子高校生(当時17歳)がタミフル1カプセルを服用、約4時間後に、近くの道路のガードレールを乗り越え、トラックにはねられ死亡した。

 詳細は先の「医薬ビジランスセンター」のサイトに詳しい。医学・薬学に関心を持つ人は同サイトの情報「リン酸オセルタミビル(タミフル)と突然死、異常行動死との関連に関する考察」(参照)をどう読むだろうか。私はある疑問を持ったがこのエントリでは控えておきたい。
 読売新聞記事では次のように専門家のコメントを加えている。

 これに対し、厚生労働省研究班のメンバーで、小児インフルエンザに詳しい横田俊平・横浜市大大学院教授は「意識障害からくる異常行動は、脳炎・脳症の症状でもあり、発表事例もそれに含まれるのではないか。タミフルの副作用とまでは言えない」と話している。

 製造元ロシュはこのケースを副作用であるとは認めていない。十五日付けロイター”タミフル副作用で異常行動リスクは高まらず=ロシュ”(参照)では次のアナウンスを伝えている。

 ロシュの販売担当者は記者団に対し「タミフル服用、もしくはインフルエンザ感染による神経精神病行動発症の確率はほぼ均衡である。タミフルの服用により、そのリスクが高まるということは確認されていない。しかし、今後も状況を見守っていく」と述べた。

 余談に近いのだがこのアナウンスは株価にも影響した。現在タミフル大量購入は国際的にも大きな問題となっており、巨額なカネが動くようになっている。
 タミフルにこうした副作用の可能性はないのか。先の読売新聞記事では厚労省アナウンスをこう伝えている。

 タミフルの副作用については昨年6月、厚労省のまとめで、服用した14人が幻覚や異常行動、意識障害などを訴えていたことが判明、同省は医療機関に注意を呼びかけていた。また、副作用が出る可能性を使用上の注意書きに明記するよう、輸入販売元の中外製薬に指示している。

 このあたりの情報は、現状ではおそらくロシュ側と噛み合ってはいないだろう。
 こうした副作用の可能性が大きいなら、タミフルが利用されている海外でも報告があろうだろうしロシュ側も把握しているはずなので、重要な副作用としてロシュ側は認識してなさそうにも私は思えた。なお、若いラットに大量投与した実験では脳から高濃度の薬剤成分が検出されているが、血液脳関門の機能が未熟なためだろう。
 情報の流れの点で気になることがあった。「医薬ビジランスセンター」のサイト「タミフル脳症(異常行動、突然死)を医学会(小児感染症学会)で発表」(参照)より。

その発表内容のポスターを公開する。なお、毎日新聞朝刊1面に掲載されたこともあり、会場には多数の報道陣の取材を受けた。

 該当の毎日新聞記事は十二日付け「インフルエンザ薬:タミフル問題、学会でも論議」(参照)である。ざっとメディアの情報の流れを見ると、この毎日新聞の記事が発端となり、共同で増幅という印象を受ける。そのせいか、毎日新聞では十五日社説「タミフル 副作用の可能性十分伝えよ」(参照)で他紙社説並びネタではなく取り上げている。が、この社説の文章は箇条書きメモにお説教を加えたかの趣向といった印象を受ける。
 当初の毎日新聞記事に戻ると、「医薬ビジランスセンター」の主張は日本におけるタミフル多用の批判が際立っている。

 これに対し大阪府の医師は「異常行動とタミフルの関係は否定できず、学会として調査すべきだ」と主張した。愛知県の医師は、タミフルの年間販売量のうち、日本が世界の8割以上を占めている現状から「日本だけがタミフルを多用している現状はおかしい」と発言した。

 日本がタミフルを多用しているという批判というか疑問は世界からも投げかけられている。二〇〇三年十一月四日の読売新聞記事”[医療ルネサンス]冬に備える(4)「新型」の感染拡大を警告(連載)”では二年前の事態をこう描いている。

 「特効薬が足りない」。インフルエンザが、過去十年で二番目の規模で流行した昨冬、全国の医療機関でインフルエンザ治療薬が不足する騒ぎが起きた。発症して二日以内に使用することが必要なため、夜間、救急病院に患者が殺到した。
 その結果、治療薬の一つオセルタミビル(商品名タミフル)は今年一―三月、世界中の売り上げのうち、日本が76%を占める異常事態になった。欧米では「特効薬」は費用が高く、主に重症者の治療に使われており、米国は15%、EUも9%に過ぎない。
 今年十月、沖縄で開かれた国際インフルエンザ制圧会議では、欧米の研究者から「日本人は金持ちだね」という皮肉も聞かれた。

 ここには二つの意味があるだろうと思う。一つはなぜ日本だけが特例的な状態になっているのか。もう一つはそれゆえに世界の注目を浴びているということ。
 後者については、今日あたりの海外ニュースを見ていて思うのだが、日本でのタミフル副作用騒ぎについて、ある種日本人というラット実験のようにも見ているのだろう。また、日本は特殊だからなと見ているような印象も受ける。
 もう少し思うこともあるが、うまくまとまらないので、このエントリはここまでとしておきたい。

参考
インフルエンザによる青年の精神活動の変化はタミフルとは関係なく報告されている。
Post-influenzal psychiatric disorder in adolescents.(参照


The association between influenza and psychiatric disorder in adolescents was studied at a time when both were highly prevalent concurrently.

追記(2005.11.16)
 ナニワの浜六郎世界を動かすではないが日本発タミフル副作用ニュースはBBCでも大きく取り上げられた。報告だが日本で二八件、米国一〇件、カナダ五件、ドイツ三件、フランス二件。ざっと見るにタミフルの利用数に比例している印象は受ける。欧州医薬品審査庁(EMEA:European Medicines Evaluation Agency. European Medicines Agency)も調査に乗り出している。BBCの記事を読んでいただければわかるが、現状では概ねタミフルが疑わしいということではない。

BBC NEWS | Health | Suicides raise fears over Tamiflu(参照

| | コメント (9) | トラックバック (8)

2005.11.14

フジモリ元ペルー大統領の動向についての印象

 フジモリ元ペルー大統領の動向について、特にまとまった考えはないが、自分の印象を簡単に書いておこう。フジモリは六日に日本を公的には秘密ということで出国しチリのサンティアゴに到着。その後、チリ当局から拘束され現在に至る。余談だが、フヒモリと呼ぶべきかとも思うが、通例どおりフジモリとしておく。
 漫然と日々のニュースを聞いている私などには、半ば降って湧いたような出来事にも思えたが、反面では予てよりフジモリが大統領復帰の執念を燃やしていることをまったく知らないわけでもない。まさかという思いではいた。日本で若い奥さんと漫然と暮らしていればいいではないか。
 過去のニュースを夏ごろまで当たってみると、八月三十一日付け共同”日本滞在のまま立候補も 来年大統領選でフジモリ氏”に大統領選立候補の話はすでにある。


ペルーのフジモリ元大統領が率いる政党「シ・クンプレ(成し遂げる)」のデルガドアパリシオ幹事長は30日、日本に滞在中のフジモリ氏が、ペルーに帰国しないまま来年4月の大統領選に立候補することを想定していると明らかにした。リマの自宅で共同通信に語った。

 もっとも共同が取材をするまでもなく、フジモリ自身は二〇〇二年九月の時点で意思の表明をしている。記事のバリューは、フジモリの政党の存在だろう。共同には政党とあるが、三党の政治同盟ということだ。
 突然にも見えた出国だが準備も進んでいた。九月十四日共同”フジモリ氏が新旅券取得 大統領選立候補が目的”によればその目的でパスポートを取得をしていた。唐突な事態でもないということだ。出国際しては米国での支援者もいる。
 フジモリの容疑についてとりあえず置くとして、ペルー国民の支持はどうかということが重要になるが、その点について彼は、十月六日共同”フジモリ氏、正式出馬表明 来年4月のペルー大統領選”でこう述べている。

 日本に滞在中のペルーのフジモリ元大統領(67)は6日、都内で記者会見し、来年4月の大統領選について「私の支持率は3割以上ある。法的に問題はない。復帰する」と語り、正式に立候補を表明した。

 ペルー国民の三〇パーセントほどの支持があれば、勝てる、つまり大統領復帰可能だと公言している。大統領選ということであれば、今後の「シ・クンプレ」の活動いかんにかかっているとはいえるのだろう。
 フジモリは現ペルー政権側からは二十一もの容疑をかけれていることになっているが、先月十九日に一件無罪判決が確定した。十月十九日共同”フジモリ氏に初の無罪判決 ペルー最高裁”より。

現職当時の軍用品の調達に絡み、公金横領などの罪に問われたペルーのフジモリ元大統領について、同国最高裁は18日、証拠不十分で無罪とする判決を言い渡した。ペルーのRPPラジオなどが伝えた。
 フジモリ氏は2000年に失脚した後、20件以上の罪で刑事訴追されているが、無罪判決は初めて。来年4月の大統領選への出馬を表明しているフジモリ氏の支持勢力が勢いづきそうだ。

 私の印象では横領などの面で無罪であれば、あとは推して知るべしか。問題はむしろ無罪判決というよりそれがどうペルー国民に訴求するかだろう。そのあたりの空気が読めないものかと思うのだがわからない。沖縄とペルーはつながりが深く自分の沖縄での体験からペルー民衆を想像もしてみるのだがわからない。
cover
アルベルト・フジモリ
テロと闘う
 ニュース報道は、率直な私の印象を言えば、かなり偏っているように思える。左翼に言わせれば国粋主義の権化のごとき石原都知事はフジモリを支持しているというので、では右派はフジモリを支持しているかというとそうも見えない。簡単にいえばヘタレ右翼ならぬポチ親米派がるっせーなと思っていることだろうか。ペルー国民の少なからぬ人々が日本からの支援を感じているようだが実際の日本国内でのそうした動向の空気はほとんど感じられない。余談だが日本の左翼はフジモリを快く思っていない。理由は説明するのもくだらないので略。
 さて、こっそりと私の印象を言う、これは革命なんだろう。失言だか放言だかということになるのだろうが、そういう線で考えれば、大統領選挙も各種犯罪容疑なども、別にそれほど本質的な問題ではない。単純に言えば、フジモリ革命が成功するかしないかだけが重要だ。
 そう考えれば、その成功の是非は単純に軍事力かかっているとしか言えない。つまり、フジモリ勢力が、頼みとする国民の三〇パーセントを背景に、なんらかの方法で国軍を動かせるかということだろう。率直に言えば、とんでもないことだともいえるが、ソ連崩壊を思い出せば、あながちそうとばかりもも言えない。
 では、そうした可能性はあるのか。私はないと思う。理詰めで考えれば、フジモリが大統領に返り咲くことはないだろう。それでも、私は歴史という生き物の鼓動をこの一連の騒ぎに感じてはいる。

| | コメント (8) | トラックバック (4)

2005.11.13

健身球

 ナグチャンパの石鹸が消滅したのでさて次はどれにしよかと棚をごそごそとしていたら、懐かしい石の玉が出てきた。石でできた玉二つである。直径四センチくらい。ずしっとした重みがある。


大理石健身球
 なんに使うのかというと手のひらに乗せて回す。なぜ回すかというとボケ防止である。俺にぴったりじゃん。って、十年以上前に買ったものだったか。そんな前からボケていた…ってことで。
 名前はなんていうのか忘れた。中国語の効能書きもついていたはずだが紛失した。記憶ではたしか神をなんたらとかいう感じであった。神とかいうのは中国語では精神という文脈が多かったように思うがどうか。
 ネットをごそごそと検索したら、名称は健身球というらしい。楽天をひいたらやたらと在庫切れであった。大変よく売れました、キューさま。よく売れたものよのぉ。おーほぉっほっほっ。
 「パンダ図 健身球」というのもあった。中国デザインのパンダはたれパンダみたいにキャラクタ化してなくていい。王陽明のように事物の本質を見抜くのが中国人である。パンダの絵も肉食にもなる本性を描いたものが多い。
 通販の健身球の大半は七宝焼きである。見た目も大切か。いや人間でもそうだが見た目だけが大切というのもある。中国向けのiPodも七宝焼きが売れているというのも頷ける。しかも、手のひらで回すとチャイナリンとか鳴る玩具仕様である。ま、輸出向けだし、お土産だし。
 私が健身球をよく使っていたのは、二十代のころか。そのころからボケていたというのもあるが、あれだ、なんか手でいじる物が好きで、じゃ自前でもいじってろとか女でもいじってろっていう下品なツッコミはなしとして、この手のものがあるとつい買ってしまう(安いし)。ある弾性をもってふにゃーっと縮むソフトボールというのもある。何種類もあるが、にくい顔をした象のがよかった。うりゃーとかぐいぐい潰すと象が情けない顔になるのである。その他、なんか金属製の輪っかのようなのとか、カービィみたいのとか、トゲピーみたいのとかとかとか。握っていじるのである。
 なんというのか、手の貧乏揺すりみたいな感じだな。パソコンのキーボードとかピアノのキーボードとかでもやっていると落ち着くが、そーゆーのがないと苛立つ。なんにもないとげーろげろげろ…カエル、とか作ったり、各種密教の印を作って「臨兵闘者皆陣列在前」とかやったり、「栗田式 新・指回し健康体操 - 痛み、ストレスに驚きの速効力!」(参照)をやったり、各指の第一関節を指一本ずつ順に曲げたり…子どもの頃からそんな感じ。
 そういえばアテネのプラカをぶらぶらしていると、よくたるんだ数珠のようなものが売っていて、なんでこの数珠はたるんでいるのかと訊くと、数珠じゃないらしい。売り子のギリシア人が、こんなのものは意味がない、ただの遊びだ、とか言って、親指に輪をかけてスナップさせて、手のひらでキャッチさせた。ほぉ、おもすれー。たくさん買い込んだ。それでも無くして、百円ショップで数珠玉買って作ったりもした。そういえば、海外をぷらぷらとしているとなにかと数珠をもてあそぶというかいじっている人をよく見かけた。
 なんの話してたっけ。中国健身球だ。いかんなマジ、ボケ。
 以前職場でもくるくる回していたら、中国旅行好きの年下から、先輩っ、それってめっちゃ恥ずかしいっすと言われた。それって中国じゃまじボケ老人がしてるっす、というのだ。胡桃とかもあるらしい。ほぉ。というか、胡桃が原形なのか。どんな経緯でこんなものがあるのか今まで疑問にも思ったことがないのでグーグル先生に訊いてみると、「健身球の歴史と景泰藍の健身球」(参照)とか嫁。うーん、説明になってないな、他も以下略。
 私が健身球を知ったのは高校生ころだろうか。三十年も前になるのか。ふと思い出すと、私は華僑の雑貨店が好きでよく入ったものだ。中国茶とか香辛料とかま、いろいろ、当時の私には変なものがあった。今でもそうだが、私は変なものが好きだ。ある種の変なものというのか。スプラッタな感じは受け付けないし、かわゆいというのもそれほど好きでもない。シナモロールは好きだが、ケロロ軍曹はそれほど好きではない。
 これはなんだと私は華僑の老人に訊いた。これはこう使うのだとヨーダみたいな老人は教えてくれた。ほぉ。おもすれーと思った。最初は小さい玉でやるのだ。それから大きな玉にするのだ。重たいほうがいいぞとも教えてくれた。そして、ある日、秘伝を教えてくれた。玉はこすらないようにするのだ、玉と玉が触れてはならぬ。離れて、こう自然に陰陽の世界が量子的なカンタムジャンプを牽制するようにそれ自身が己の手の上で天体のように回るように…と老人の手の上で、重たいでかい玉が回り始めた。
 指が回しているのではなかった、と私には見えた。な、なんの力で動いているのか、弱い力、強い力、電磁気力、重力…いや第五の力がそこにあった…ということはなく、それはあたかも楊露禅の手のひらにとまった雀がどうしても飛び立てないような微妙に絶妙な気のコントロールがあった。いや、ま、そんな、感じ。
 今日は久しぶりに石の玉を回してみた。老師のワザにははるかに及ばない。三十年の日々は無為に過ぎて修行ではなかったしな。ま、無為にして化すというのは、こーゆのじゃないんだろうけど。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.11.12

一九二三年十一月十一日、二〇〇五年十一月十一日

 生涯を振り返って、その少年が忘れることができない一日となったのは、一九二三年の十一月十一日だった。誕生日を一週間後に控えた十三歳の少年は、奇しくも正確に八十二年後、死んだ。
 場所はウイーン。その日はオーストリア共和国の記念日だった。五年前、オーストリア・ハンガリー帝国皇帝カール一世が退位し、以降共和制を祝う日となった。
 その日は市中の交通は止ることになっていた。街に行列が行き交うからだ。学生たちも行列を作り、赤旗を掲げ革命歌を歌った。その行列の先頭に少年がいた。が、少年はふと立ち止まった。行く手を遮る大きな水たまりを見たからだ。
 立ち止まったのは少年だけだった。行列は進み、彼はうしろに残された。なぜかもう行列に戻る気にはならなかった。
 その行き先にあるものを少年が直感したからではなかった。自分の人生はこれから始まる激動の時代を見つめる証人(bystander)になると感じたからだった。そしてそのとおりになった。長く生きて歴史を見つめた。
 激動の時代を見つ続けた彼は後に自分は作家(a writer)と呼ばれたいとも言った。生涯に二冊ほど小説を書いたが、それが彼を世界的に有名にしたものではなかった。小説は人の精神の苦悩を表現していたが、医学生として直接フロイトの講義を受けた母の気質も継いでいたかもしれない。
 少年の家はオーストリアということもあり音楽にも関係が深かった。祖母はシューマンの弟子でもあった。父はザルツブルク音楽祭の創始に関わる政府高官だった。オーストリアの豊かな感性は、変貌しつつあるドイツの世相を受け入れるはずもない。
 その日から四年後ギムナジウムを終え、青年となった彼はハンブルクの輸出会社で書記見習いとして働いたが、その間に書いた経済論文が注目され、その縁でオーストリア・エコノミストの編集長カール・ポランニと知り合い、その家族とも親交を深めた。ポランニの思想は青年の心に引き継がれていった。

cover
明日を支配するもの
21世紀の
マネジメント革命
 青年は実務をこなしつつフランクフルト大学から一九三一年、法学博士号も取得した。フランクフルト大学法学部で助手も勤めた。ケルン大学から教官の声もかかった。が、それにはのるわけにもいかなかった。時代は大きく人を押しつぶしつつあったからだ。彼は三三年、「フリードリヒ・ユリウス・シュタール論」(参照)を書き、追われた。ロンドンに逃れた。
 彼はそこで実務家として成功を感じ、そして苦悩した。最晩年の著作「明日を支配するもの」(参照)で彼は当時の自分をこう語っている。

よくできること、とくによくできること、おそろしくよくできることが、自らの価値観に合わない。世の中に貢献している実感がわかず、人生のすべて、あるいはその一部を割くに値しないと思えることがある。


 私自身も若い頃、成功していたことと、自らの価値観の違いに悩んだことがある。一九三〇年代の半ば、ロンドンの投資銀行で働き、順風満帆だった。強みを存分に発揮していた。しかし、資産管理では世の中に貢献しているという実感がなかった。
 私にとって価値あるものは、金ではなく人だった。金持ちになることに価値を見いだせなかった。大恐慌のさなかにあって、特に金があるわけでも、他に職があるわけでも、見通しがたっていたわけでもなかった。だが私は止めた。正しい行動だった。

 彼は経済記者となった。そのころ彼は恋もしていた。金よりも価値観を選ぶという情念は恋にブーストされていたのかもしれない。一九三七年、若き伴侶は物理学を専攻していた。そのころ彼女がメガネをしてたかについてはよくわからない。
 二人は新世界へ移った。
cover
「経済人」の終わり
全体主義はなぜ
生まれたか
 孔子曰く、三十に立つ。最初の主要著作「経済人の終わり」(参照)を彼は著した。そこには彼のそこまでの生涯の意味がこめられ、そしてその後の世界を正確に予言した。以下略。

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2005.11.11

[書評]心とは何か(吉本隆明)

 吉本隆明の講演集「心とは何か-心的現象論入門」(参照)は副題に「心的現象論入門」とあるが、これは吉本の心的現象論の入門という位置づけになると、おそらく弓立社の宮下和夫が考えたのだろう。ネットをうろついたら、その様子をうかがわせる話が「ほぼ日 担当編集者は知っている」(参照)にあった。


吉本さんの仕事を大きく分けると、3つになる。本筋は文芸批評家だが、「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「心的現象論」という3つの大きな仕事がある。


『心とはなにか-心的現象論入門』は、この「心的現象論」の最良の入門書だ。どこをとっても面白い。吉本さんの本を読んだことのないひとでもおもしろく読めるはずだ。心というとらえどころのない対象が、こんなにはっきりと考えられるのか、という驚きと、それでもなお、果てしなく残る不可思議さ。

 優しい言葉のなかに宮下和夫の相貌のような気迫がこめられていると私は思う。この本を出すにはある種の執念を必要としたのだろう。

この本は、1994年に初校のゲラが出ながら今まで7年もかかった。その間、他の出版社から数十冊の本が出るのを見送ってきた。なぜ、吉本さんはこの本にこんなに時間をかけたんだろう?

 この問いかけの答えはほぼ日のサイトにはない。出版されたのは二〇〇一年。その七年近い日々の間、吉本は講演集をリライトしまくっていたかといえば、本書の後書きを読めばわかるようにそうではない。話し言葉のまどろこしさを開いた程度である。ではこの七年の時間とはなんだったか。
 私は、吉本の心的現象論の挫折がその理由であると思う。だが、それを言えばマルクスだって資本論に挫折したのだ。
cover
心とは何か
心的現象論入門
 吉本隆明がマルクス思想を継いで「心的現象論序説」(参照)の初版を北洋社から出したのが一九七一年。それ以降も、彼は彼が主催する雑誌「試行」に心的現象論を書き続けた。正確な日付の参照はできないが四半世紀に及ぶだろう。よってその総体は大部となるだろうが、その価値は(この極東ブログと同じように)、ただのゴミだろう。なにより失敗作であり、小林秀雄の失敗作「ベルクソン」(参照)のように復刻する意味もない、だろう。
 一九七一年は印象的な年でもある。いわゆる吉本シンパなり吉本隆明神話が形成されるのは一九六八年以降勁草書房から刊行された「吉本隆明全著作集全十五巻」によるのだが、その一九七三刊行の十巻目、思想論I「心的現象論I(書き下ろし)」は序説の別バージョンではないだろうか(この巻は私は持っていないのでわからない)。いずれにせよ、吉本シンパにとっても、心的現象論はその序説をもって終わり、「試行」の連載はいわば「情況への発言」のように終わりなき漫談といったふうに読まれていたのではないか。
 私が「試行」を購読し始めたころ、当時は紀伊国屋でバックナンバーが購入できたので正確にはいつだか忘れたが、八〇年代後半にはすでに、吉本の心的現象論は三木成夫からの決定的な影響下のもとに再編成が進んでいた。すでに序説との整合は俗流フロイト説を除けばどうつながるか理解不能だった、もっとも私が馬鹿なだけのかもしれないが。
 「試行」は一九九七年に廃刊となった。心的現象論漫談もそこで終わった。並行する吉本の思想深化は、これも書籍としては珍書と言ってもいい「母型論」(参照)に見られるのだが、さすがにこのエントリはそこまで触れない。
 二〇〇〇年を前にし、心的現象論の最終的なかたちは、だから、結局のところ、「心とは何か-心的現象論入門」しかないということを吉本隆明自身も諦めただろう。悪口で言えばこのころから吉本にも老境というにはボケも感じられる。本書の後書きもそうした趣きが漂っていて多少気味が悪い。つまり、吉本がこのゲラを数年して読み直し、これでよいとしているのである。

全体的に読みかえした感想をいえば、現在も持続して関心をもつ主題で、わたしの精いっぱいの考えが保存されていて、現在のわたしの水準として読者が考えていただいて一向に不服はない。

 本書は心的現象論入門ではなく、その最終の姿の近似と言ってもいいのだろう。
 その最終の姿とはなんだろうか。
 私は、三木成夫が胎児のなかに人間身体の発生の動的な構造原理を見いだしたように、それに対応する心的領域における動的な構造原理だろうと思う。が、その原理が本書で十分に描かれているわけではなく、三木成夫が胎児の時間に想定したものを吉本隆明は一歳児に投影しているのを予感するだけだ。私は、直感的には、その方向でよいのではないか、つまり、心的領域の構造生成は出産前数ヶ月から一歳くらいまでではないか、と思う。
 本書には、ずばり「三木成夫について」という章がある。三木成夫の「海・呼吸・古代形象-生命記憶と回想」(参照)の解説でもあるのでこちらの本を持っている人には不要かもしれない。この解説記事では、三木成夫の思想から吉本隆明の思想へすでに明確に一歩が踏み出されており、三木思想の忠実な解説というよりは、その発展になっている。が、それでも、三木成夫の思想に俗流オカルト的な解釈を読む人が多いなかで、吉本がいかにも理科系男らしく読み込んだ、その上質なサマリーとなっている。そして本書の他の部分はそれに呼応してはいる。
 結局、心とはなにか? 私のがさつな言葉でパラフレーズするのだが、心というものは、脳神経システムと肺という呼吸器システムの相克で生じるものだと理解したい。そして、この相克こそが、私が彼らの思想から私が受け取った部分なのだが、人の心に決定的なダイナミズムを与えている。
 彼らの思想にはないのだが、これに免疫のシステムが関与したとき、人の身心の病的な領域が、人の進化の必然とその途上性の可能性を示すものとして、現れるのだろうと思う。

| | コメント (5) | トラックバック (1)

2005.11.10

[書評]胎児の世界(三木成夫)

 新書形式の「胎児の世界」(参照)をもって三木成夫の畢生の大作と言えば違うのだろうが、そう言たくなるほどのインパクトを持っている希有な書籍だ。思想家吉本隆明は晩年になって本書を初めとした三木の思想の直撃をくらい、心的現象論を大きく変えることになった。と、大上段に語ることもないか。普通のエッセイとして普通に読める本でもある。

cover
胎児の世界
人類の生命記憶
 内容は標題どおり「胎児の世界」である。受精し生命が誕生し母体のなかで人間になる過程を発生学の専門家である三木成夫が一般向けに語るのだが、その過程こそヘッケルが「個体発生は系統発生を繰り返す」としたように生命史が凝縮されてもいる。
 が、正確に言えば、不用意な誤解を招くのを避けるのなら、言うまでもなく、ヘッケルのこの命題は間違いであり、そのあたりはWikipediaのヘッケルの項目(参照)や同じく反復説の項目(参照)でも参照されればいいだろう。と読み返すに、なかなかギャグっぽいお話が掲載されている。

 しかし、現在でも大筋では認めることができるものと思われる。進化の過程を正確になぞるということは当然あり得ないが、それをごく単純化し、省略した形での反復までは認められると言ってよいだろう。おおよそ、初期段階であるほど、その省略が激しい。また、反復に近い形であっても、その構造が変化している場合も見られる。
 と、このように書けば、そこまで認めれば、どんな説だって認められるんじゃないか、とか言われそうな気もするが、実際そういう面もある。同じ内容も解釈次第、という場合もある。たとえば、ほ乳類の胚における鰓裂の形成に関しても、その部分から形成される諸器官の元基としてできるだけで、鰓を再現したものとは見なせない、との批判がある。
 ただ、一つには、生物学における法則は、大抵に於いてこんなものである。また、それを認めた上でも、発生の過程が進化をたどる形で行われることを認めることで、よく理解できる現象が多々あることも事実である。

 ようするに修辞を弄すればそういうことになる。問題は最初に結論を置きそれに修辞に逃げることではない。三木成夫のようにひたすら胎児に向き合うという奇妙な生き様があり、その結実が多少狂気を帯びた言説になったという、その意味をどう捕らえたらいいのかという課題だ。私たちもまた胎児を経て人間となったのであり、自分の身体的な根源が問われている。
 ま、通称「反復」と訳されるRecapitulationだが、大筋では生命史を反復していると言ってもいいだろうし、Wikipediaで自明のごとく捨てられるラマルキズムの用不用説も三木の弟子筋の西原克成などはある程度までだが実証的に覆しつつある、とまでは言えないが、そのあたりは「極東ブログ: [書評]内臓が生みだす心(西原克成)」(参照)で少し触れた。
 つまらぬ回り道が多くなったが、本書が読者に強いインパクトを与えるエピソードは、椰子の実のジュースと母乳の話だろう。三木は椰子の実のジュースを飲み、太古の記憶を呼び戻すように感じたという。もう一つは、彼の細君が授乳期に乳が張りすぎて痛いので吸って飲んだという話だ。
 椰子の実のジュースの話は本書でも少し触れているが三木が飲んだのは劣化していたのだろう。あれはほとんどただの水だ。人間の母乳の味については、たぶん、人に、特に男性に強くしかし語りがたいなにかを想起させるだろう。

 事は二番目の男の子が生まれて間もない赤ん坊のときに起こった。それは、親からうけた免疫抗体が切れる、そんなある日、突如として高熱を発し、まるっきり乳を飲まなくなるというところから始まったのである。当然、母親の乳房はおそろしい形相に怒張し、搾乳器もこわがって作動しなくなる。やむなく友人の小児科医に相談すると、それは亭主が吸うのだという。
 「なに?」こちらの肉体は、もちろんそういうこと拒絶する。考えてもみるがいい。哺乳動物の雄が授乳期の雌のからだに近寄り、しかもその哺乳のいあだに割って入る、などという光景があるのだろうか。母性はしかし、まことに広大無辺だ。そういった男性の思惑など、まるでひと飲みだ。あの深海性鮟鱇の矮雄の運命か。

 そんなこと考えるまでもないとツッコんでもいいだろうが、こうしたところに三木成夫らしい感性がある。知的にこうした事態から遠隔化しても、男の人生には母乳の味への奇妙な忌避と希求は伴うだろうし、それは無意識より身体の深い意識のなかでいつまでもしこり続けるだろう。世の中にはおっぱいの味を知っている男とそうでない男がいる。その違いは、ただの味の記憶というものだけではない。
 と、なかなか本書の本質は語りづらい。発生学的な観察記録には科学的な価値があっても、その考察はトンデモでしょと言ってもいいだろう。が、そのあたりから、乳の味を知る男とそうではない男の差のようなものが浮き出てくるようにも思われる。もっと言えば、鮟鱇の矮雄となる運命を知った男とそうではない男には、違いがある。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2005.11.09

World 3.0 という雑想

 このところ一人ぼんやり虚空を見つめながら、なんどか思い、そして苛立つ。もうちょっとなんとかフォーマルに考えられないものか…。World 3.0 という雑想である。バージョン1の世界があり、バージョン2の世界がある。切れ目は、私にとっては明確である。カール・ポランニが「大転換」(参照)と呼んだそれだ。この本は実家に置いてきた。けっこう難解な本なので自分でも理解したとは思わない。代わりに書架にある、漫談風の高須賀義博の「マルクス経済学の解体と再生(御茶の水選書)」(参照)をぱらぱらとめくって読む。塩沢由典との対談などなんだか冗談のように面白い。オリジナルは一九八四年『思想の科学』に掲載されたもので、八四年は私などにはついこないだのようにも思うが、もう二十年経ったのか。


塩沢 高須賀さんは、「マルクス・ルネッサンス」を一九六八年パリの五月革命以降に顕著に見られるようになったマルクス経済学に対するアカデミズムからの妥協点としていますが、このとらえ方はかなり独自なものですね。今一度説明して下さい。
高須賀 (略)
 ベリー・アンダースンは、この五月革命は、実践と理論が分離していた西欧マルクス主義がそれを克服する「一つの底の深い歴史的転換点」とみています(『西欧マルクス主義』)が、この評価は少し甘すぎると思います。五月革命は本当の革命的実践に結びつかず、「マルクス・ルネッサンス」をもたらしたにすぎないというのがわたしの判定です。これは五月革命が「知性の反乱」であったことと関係しています。五月革命は現代社会の過剰抑圧に対する重大な異議申したてだったのですが、それはマルクーゼ的にいえば、革命の主体たるべき労働者階級が体制内化され「一元的人間」にされてしまった状況のもとで、社会的存在としては「遊民」である知識人や学生によって担われたものでした。(略)それゆえこれに対する体制(エスタブリッシュメント)側の対応は、マルクス主義に対するアカデミズムの妥協で足りたわけです。(略)

 今読むとギャグかよ、という感じもするし、「現代社会の過剰抑圧に対する重大な異議申したて」という問題意識はさらに悪化しただけではある。そして日本ではどうだったか。とりあえず苦笑して言葉が出てこない。

塩沢 シンポジウムのなかで「マルクス・ルネッサンスを担った人達は従来のマルクス主義者とは違う人達だ」といわれてますね。なぜ従来のマルクス主義者は新しい動きの蜷手になれなかったのでしょう。
高須賀 「マルクス・ルネッサンス」の特徴の一つは、マルクス解釈権が一党(一個人)によって独占されていたスターリン時代の一枚岩のマルクスが復活したのではなく、多様なマルクスが登場してきた点にあります。それゆえ思想的問題としての「マルクス・ルネッサンス」の焦点は、スターリン教条主義からの脱却にあります。一度でもスターリン主義にコミットしたものは厳しい自己清算を経ないと「マルクス・ルネッサンス」の担い手にはなれません。(略)

 ギャグだよなとさらに思う。スターリンの延長にレーニンをおいて共産党の名の変更を共産党の党首に求めるようなけたたましいギャグだってできないわけではない。高須賀自身はどう思っていたかしれないが、マルクス・ルネッサンスが遊民の知的お遊びであればその先にはなにもあるわけがないのだ。
 と、高須賀も、そして塩沢もというべきか、森嶋通夫的な数理モデルのなかにマルクスの再定義をとりあえず見たいと思っていたのだ、あの頃。しかし、この本にあるようにスラファの先から出てきたものは、サミュエルソンに言わせれば「剰余価値率がプラスであるのは利潤率がプラスの場合だけである」という、はいはいワロスワロスになっていった。その先は、私は知らない。あるとき、ぷっつりと関心が失せた。いや、高須賀がそっちの方向ではなく、貨幣という特殊商品についてどう思想を繋いでいくだろうか、十年してあるいは二十年して見てみたいものだとは思った。そして二十年は過ぎた。

 このように貨幣商品金は特殊な役割をもった例外商品であるがために、一般商品とは決定的に異なる。第一に、貨幣商品金は一般商品と同一基準で生産されるにもかかわらず、価格を持たない。第二に、一般商品は生産され、交換され、最後には消費されてその任を終わるのに対して、貨幣はあくまで市場にとどまる。第三に、一般商品とは異なって、貨幣は、資本主義の理念型においてすら、国家が深く関与する。価格標準の決定権と鋳造は国家主権に属し、信用制度は中央銀行を中核として整備され、中央銀行の政策には国家が影響を与える。

 ああ、そうだ。そして二十年して国家は超国家的な国家となり、国家の関与性に知識が忍び込んでその関与に知性をかさねた壮大な与太話が舞い飛ぶ。与太なんだから水でもぶっかけてやれとも思うが、なかなかね利口な装いとなっていて物言えばこちとらが馬鹿みたいだというか馬鹿なんだろう。でも、高須賀があげたこの奇怪な特性から私が目をそらすわけでもない、ロートルだし、俺。
 そして、ぼけきった自分が高須賀義博の「マルクス経済学の解体と再生」をつらつら読むに、ふと違った風景のようなものも見えてきた。高須賀は私が当時思っていたよりカール・ポランニに傾倒していたのだと思った。

『大転換』(一九五七年)におけるポランニーの優れた着想の一つは、資本主義の経済システムの自立性を擬制的であるとした点にある。彼によれば、経済システムは本来社会システムの下位に置かれねばならぬものであるのに、資本主義は経済システムのなかに社会システムが埋めこまれてしまうことを原理的に要請する社会である。これが完全に達成されれば、経済システムの自立性は社会構成原理として確立されるが、それは本来無理である。ここに彼は資本主義の歴史性あるいは過渡的な正確をみる。それゆえに資本主義は、彼が「社会的防衛の原理」と呼ぶ異質の原理を導入して変質してゆかざるをえない。

 まあ、そういうことだ。しかし、そうはならなかった。ポランニの弟子筋のドラッカーはたぶん、その原理性の一つに戦後日本の企業経営のようなモデルを夢想していた。そしてそこからさらにサードセクターと呼ぶ現代のNPOの原理性を問いつめていった、テクノロジーと市場を見つつ。しかし、それが、特異なローカルなモデルを除けば、うまく実を結んだようには見えない。それどこかその成功にはどこかしらカリスマを必要としているかに見えるのは不思議でもある。
 大転換、つまり、World 2.0 は経済システムのなかに社会システムを埋め込むことであった。そしてそれには、強く貨幣が関与し、そして貨幣は強く国家と国家を操作する知を求めた。そしてその知が知性たる高等遊民を、まるで火に集まる蛾のように集めても不思議ではない。しかし、遊民など無害だし、あらかじめ敗北が決められているようなという洒落にしてもそう外れでもない。
 問題は、むしろ、超国家的な国家と、超貨幣的な貨幣の運動だ。それは、どこに地球をもっていくのだろう。というポエムな響きからわかるように、私の話も与太な領域に入りつつある。そして、与太といえば、石油だろ、そりゃ。
 原油価格が上がった。理由は…以下略というくらいなものだ。奇怪なのは投機のスジだ。私はなんとなく四〇円以上は投機でしょと当初思っていた。ま、流れを見て五〇円くらいかな。でも七〇円とか六〇円とかは投機でしょとかは思う。よくわらんが。
 いずれにせよ、がぼがぽと無駄に儲けた金が世界にぶふっと溢れて、そしてどこへ行くのか、おーいである。答えは理念的には簡単だ。カネがカネを産むところへだ。というあたりで、途上国への投資とかとかとか思っていたのだが、あれだな、どうも高度資本主義の国に環流しているのだな。トンデモ? そうだったらいいだろう。高度資本主義の国がカネをもっと必要としているのだから、ジャブッと増やしてみたらみたいなリフレ派を世界規模でやってみましたということなんじゃないのか。
 というあたりで、どっかで World 3.0 になってしまったのか。いやいや、World 2.0 の奇妙なドンヅマリを見ているのか。さて。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2005.11.08

[書評]ブータン仏教から見た日本仏教(今枝由郎)

 「ブータン仏教から見た日本仏教(NHKブックス)」(今枝由郎)は標題のとおり、ブータン仏教から日本の仏教はどう見えるかという話だ。

cover
ブータン仏教から見た
日本仏教
 ブータン仏教研究に半生を注いだこの分野の第一人者が、広義にとりあえずチベット仏教と言ってもいいブータン仏教と現在の日本の仏教を比較している。現状の日本仏教のわかりやすいモデルとしては玄侑宗久「私だけの仏教―あなただけの仏教入門(講談社プラスアルファ新書)」(参照)があげられている。
 私はこの本をさっと読んだとき、別にどってことない本だなと思った。日本の仏教と仏教という宗教についての私の考えは、すでにこのブログになんどか書いてきたが、基本的に私は日本の仏教には批判的だ。

  • 仏教入門その1(参照
  • 仏教入門その2(参照
  • 仏教入門その3(参照
  • 仏教入門その4(参照
  • 仏教入門おわり(補遺)(参照
  • 般若心経について(参照
  • [書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)(参照

 ざっと思い返すとそんなところか。私は日本の仏教に基本的には批判的でもあるので、今枝由郎「ブータン仏教から見た日本仏教」はむしろなじみやすかった。と同時に多少退屈な読書という感じもした。ブータンが抱える民族問題などに仏教の視点で触れてもよさそうなものだがとも思った(参照)。
 今枝は翻訳書の他に「ブータン―変貌するヒマラヤの仏教王国」(参照)や「ブータン中世史―ドゥク派政権の成立と変遷」(参照)など学術的な著作があり、また、写真解説といった趣きの「ブータンのツェチュ祭―神々との交感アジア民俗写真叢書」(参照)や「ブータン・風の祈り―ニマルン寺の祭りと信仰」(参照)がある。しかし、一般向けの書籍としては本書が初めてであり、出版社側がよく企画したようすも本書から伺える。
cover
悪魔祓い
 本書は一般書としては上田紀行の「がんばれ仏教(NHKブックス)」を意識しているが、それも企画側の意図とも共鳴することがあったのだろう。余談だが、上田紀行は彼が若い時代に書いた「悪魔祓い」(参照)が面白い。初版は「スリランカの悪魔祓い―イメージと癒しのコスモロジー」としたものだ。
 しかし、本書を再読して奇妙に印象が変わった。単純に言えば、私は親鸞を捨てることができるだろうか、という問いを自分に再度立ててみた。私は家の宗教ということを除けば、親鸞への関心は吉本隆明のそれに近い。広義に思想家としてもいい。その思想的な意義はどれほどのものだろうか、さっぱりと真宗の評価を下し、親鸞は別とするのか。親鸞もまた排せるものだろうか。今枝は本書でそれほど意気込みもなく、ブータン仏教との僧たちとの交流から真宗を抜け出しているように思えた。
 今枝由郎はフランス人である。仏教を学ぶためにフランスに渡り、フランス人となった。彼は大谷大学での思い出からこう語る。

 チベット語の稲葉先生が、二年生の夏休み前に、「本当にチベット語を勉強したかったら、まずはフランス語をしっかり勉強しないかん」とおっしゃった。その理由は、先生は第二外国語としてドイツ語を学ばれたが、晩年になって世界各地でのチベット研究の視察旅行に出られ、それまでまったく知らなかったフランスでのチベット研究が、世界の最高水準をいくものであることを発見された。

 仏教を学ぶならフランス、となった理由は簡単で、中国様がチベットの叡智を世界に散らしたからである。私は、訳書が多いこともあって、ダライラマ以外にチョギャム・トゥルンパ(「チベットに生まれて―或る活仏の苦難の半生」)やチューギャル・ナムカイ・ノルブ(「虹と水晶―チベット密教の瞑想修行」)などの本をよく読んだ。トゥルンパは英米圏、ナムカイ・ノルブはイタリアといったことから欧州におけるチベット仏教の状況はある程度知っていた。池澤夏樹が「異国の客: 024 川の風景、マニフ、記憶論とチベット」(参照)で次のように語るときも、特に違和感もなかった。。

 ここでチベット仏教という主題はどうだろうか。
 フランスでこの宗派に再会するとは思っていなかった。
 ぼくにとっては信仰ではなくまだ文化的な関心に過ぎないけれども、チベット仏教についてはこれまで多くの契機があった。
 北インドの山の中で開かれたカーラチャクラの大法会に2週間に亘って参加したこともあるし、ネパール国内にあって最もチベット的なムスタン王国にも行った。
 ダライラマ法王猊下にお目にかかったこともある。
『すばらしい新世界』という長篇では大事なテーマの一つだった。
 
 この因縁がフランスまで続いていた。
 ぼくが住んでいるこの家の家主のアンヌの夫はチベット文化の専門家で、今はオックスフォードでチベット学の講座を主宰している。

 余談ばかりのようだが、米国のAbout.comの仏教(参照)を見ても、禅を除けば、国際的には仏教は、かなりの部分がチベット的な仏教に親和的になってきているように思える。
 話を本書に戻す。再読して、二つのエピソードに心惹かれた。一つは、胎内仏である。私は奈良時代の文化が好きで二十代後半から三十代後半よく奈良を歩いたのでその仏像のいくつかが胎内仏を持つことを知っている。なので、それほど新味はなかったが、本書にはこういうエピソードがある。今枝がブータン高僧に日本の仏像を紹介したところ、「スンが奉納してあるか」と訊いたのだそうだ。

私はスンという言葉をそれまで聞いたことがなかったので、問い返すと、チベット系の仏教の伝統では仏像のなかには、仏とその教えを象徴する仏舎利とか教典を収めることになっており、それをスンと総称する、とのことであった。

 その仏像には当然、スンはない。今枝はしかし、この仏像はとても有名な彫刻家によると高僧に語ると、「それではこれは仏像ではなく、たんなる木と変わらない」とそっけなく答えたそうだ。それはそうだろう。
 もう一つのエピソード。今枝が日本人の知人の十三回忌の話をブータン僧にしたところ、僧はこう答えた。「あの人は、そんなに悪い人とは思えなかったが、なにか重大な悪業でも犯していたのか。」
 チベット仏教でもその延長の三島由紀夫のコスモロジーでもそうだが、人は死後四十九日をもって転生する。何十年も冥土に置かれて冥福を祈られるものでもない。
 いや、おそらく日本人にとって冥土とは黄泉の世界であろうし、仏教とは異質な宗教ではあったのだろう。それが神道かといえばまたややこしい話にはなる。

| | コメント (2) | トラックバック (2)

2005.11.07

フランスの暴動について簡単な印象

 フランスの暴動について簡単な印象を手短に書いておくのも同時代資料的なブログの意味かもしれない。事件の発端は、先月二十七日パリ郊外セーヌ・サンドニ県で、強盗事件捜査中の警官に追跡されたアフリカ系未成年二人が変電所に逃げ込み感電死したこと。その翌日二十八日、サルコジ内相が二人は追跡されてなかったと表明したことにアフリカ系移民社会が反発し、同日金曜日の夜から移民社会の、主に未成年による暴動が始まった。休日を挟み、十一月の一週には収束すると見られていた暴動は今なお継続して世界的な関心をひく事態となった。しかし、暴動による死者はまだ出ていないようだ。
 私は当初それほどたいした事件ではないと思っていた。現在日本人は各国で暮らしており現地からのブログを読むこともできるからだ。そうした一例として、ブログ「ujuの日常」の七日付けエントリ”パリ郊外の暴動”(参照)ではバリの状況をこう記していた。


とりあえず、私は今パリ市内に住んでいて何の問題もないです。
今日も彼とメトロに乗り、ちょっと遠くまで出かけていましたが
普通のいつもの日曜日と変わりはなかったです。
それでも
いつどこで何が起きるか分からない今の状況
ちょっと不安だったりするのは事実です。

 生活者の視点としては、パリの日常も東京のそれとあまり変わらないではないかという印象を持った。まず、メディアによる情報が先行しているが、暴動自体は極めてローカルな連鎖のようだ。
 暴動の進展につれ、私は過去二つの暴動に思いを巡らした。一つは一九九二年のロサンゼルス暴動(参照)。そして、もう一つは同じくフランスで一九六八年に起きた通称「五月革命」(参照)である。
 ロサンゼルス暴動の連想は人種差別と社会的な憎悪の蓄積が引き金となった点である。今回の暴動はこれに近いのではないかと当初私は思っていたので、偶発的でもあり早晩収束するだろうと見ていた。しかし、そうではなかった。では、ミシェル・フーコーなども関わった五月革命的なものだろうか。しかし、今回は目立った知識人の関与はなく思想性も伺えない。ただ、これだけ長期化するには、火炎瓶などを継続的に作成する必要があり、そのあたりに下準備があったのではないかという疑問はもった。一部報道ではそうした準備も指摘されている。例えば、”仏暴動:パリ南部で火炎瓶製造工場発見 背後組織を捜査”(参照)にはこうある。

北アフリカ系を中心とする若者による暴動を捜査しているフランス警察当局は5日夜から6日未明にかけ、パリ南部エブリの廃虚ビルの中で、火炎瓶製造工場を発見し、火炎瓶50本と、ガソリンを詰める前の瓶100本以上を押収した。


 ただし、仏警察はこれまでの逮捕者の調べなどから、暴動について単一のグループが全体を指示している形跡は薄く、各地の別のグループが他地域での暴動を「模倣」する形で広がっていると見ている

 暴動はそれほど偶発的ではないのかもしれない。現状では扇動するような背後組織についてはなんとも言えないが、ありそうな印象はある。
 フランスの暴動について報道は各メディアを通して行われていたが、解決策への示唆を含む論調のものはあまりなかったように思う。そのなかで英国のガーディアンが左翼っぽく、差別解消、反サルコジといったトーンを出していたように思えた。が、特に見るべき内容でもなかった。国内ニュースでは毎日新聞”仏暴動:移民若年層、差別に怒り 疎外感が過激化招く”(参照)がそうしたトーンに近い。

 暴動がこれほどまでに拡大した背景には、治安維持を優先するサルコジ内相の強硬路線に対する反発だけでなく、就職、家探しなど日々の暮らしの中で移民が直面する差別への怒りがある。さらに、仏社会に溶け込めない一部移民は大都市郊外などで一種の「ゲットー」を形成しており、社会からの疎外感が若者の過激化を招いている。

 こうした論調を否定はしないがタメにする議論のようでもある。むしろ同記事で重要なのは暴動の主体だ。

 今回、暴徒化した若者の多くは、高度成長期のフランスに北アフリカなどから両親が移り住んだ移民の2世、3世だ。

 端的に言えば、暴動の主体は紛う方なき歴としたフランス人なのである。言語的にもカルチャー的にもフランスに違和感をもって育った人ではない。暴徒の行動原理は一義的にはフランス人のそれであると理解していいだろうと私は思う。つまり、移民が問題の根幹にあるのではなく、ある問題が移民に投影された問題と理解したい。また、彼らの大半は未成年でもあり、大枠では、思想性もない、ありふれたお子ちゃまの大暴れという認識に留まるだろう。
 暴動の別側面だが、「極東ブログ: シラク大統領の次はサルコジ大統領」(参照)でも触れたサルコジだが、今回の暴動は結果的に彼を追い落とすという流れになるだろうかということが気になった。しかし、最新の報道では、読売新聞”仏暴動、発砲で警官ら30人負傷…大統領が緊急会議”(参照)にあるように、シラク大統領も表面に出てきたようなので、そのあたりの面々の泥の被り方が見ものである。
 今後の動向だが、暴動はいずれ一段落した後、今回の暴動を嫌悪した右傾化の度合いが深まるのだろうと思う。関連の話はいくつかこのブログにも書いたが、「極東ブログ: 親日家ブリュノ・ゴルニッシュ(Bruno Gollnisch)発言の波紋」(参照)あたりが気になる。

| | コメント (12) | トラックバック (13)

2005.11.06

シリアスなシリアの状況

 国内ではイラクほどには注目されてないような印象も受けるが、ここらでちょっとシリアスなシリアの話でしょう。十月三十一日の安保理で、シリアに向け、ハリリ元レバノン首相暗殺事件に関する決議が採択された。じゃシリアへドカンと一発も経済制裁もない。そりゃない。決議はシリアに対して国連の独立調査委員会に無条件に協力(妨害中止)することを求めるというもの。これには被疑者の拘束や資産凍結を含む。全会一致の採択となった。中露も賛成したのは米英仏が折れたため。決議にシリアが抵抗し国際調査委員会への協力を拒否すると、「さらなる措置」とかでチェックメイトになるかもだが、私の印象ではステイルメイトか。
 暗殺されたハリリ元レバノン首相は在任時レバノンに威圧的に駐留するシリア軍の撤退を主張し、シリアと親シリア派のラフード大統領と対立。結果、昨年十月に辞任し、今年二月に無惨な最期を迎えた。誰がやったのか真相はわからないが、対立していたシリアでしょという気運は「国際世界」にはあった。またか君か的である。シリアによって暗殺されたと見られるレバノン要人は既に二十人以上にのぼる。今回は駄目押しのように独立調査委報告書が出てシリアとレバノンの治安機関などの関与が指摘された。シリアのアサド大統領の実弟(四男)マーヘル・アサドや義兄(姉の夫)アーセフ・シャウカトなどシリア軍の要人も事件に関与したとされている。が、その名前を掲げた証言は最終版では「高官」の表現となり実名は消された。国連の聴取中シリアのカナン内相が自殺したとされているがそのあたりもきな臭い。
 今回の決議採択についてワシントンポスト(参照)とニューヨークタイムズ(参照)は仲良く「ええんでねえの」的に意見を一にしているのだが、私はどうも解せない。もちろんシリア内に以前からレバノンのうるさいやつはやっとけ組織が存在していた。その関与がないわけもないだろう。だが、シリアの国策としてこんなことをやったのだろうか。やったらどうなるかくらいわかんないのがシリア・クオリティなのかどうも私には信じがたい。とはいえ、この先は疑惑の「宇」宙が開けてようでもあり、なんともな。
 大枠で見ると、まず、米国とシリアの関係というのはなかなか微妙なものである。このあたりは、以前にも少し触れた。例えば、「レバノン大統領選挙がシリアの内政干渉で消える(2004.9.3)」(参照)や「極東ブログ: シリア制裁発動(2004.5.12)」(参照)など。
 アメリカの本音としては、もちろんなにかと強面だが、実際は中道化を狙っているんじゃないの的ブッシュ政権はシリアを孤立させるだけでよしとしているのではないか。大統領とはいえ浮き世の義理の世襲王アサド(参照)は筋金入りのヘタレだしスンニ派の嫁ももろたりと世俗的でもある。立てといて悪くない。それにマジでシリアとレバノンをボロボロにしたらイスラエルまで飛び火する。そこまで米国がするだろうか。
 おりしも、在イラク米軍はシリア国境を固めつつある。


 イラク西部フサイバ(CNN) イラク駐留米軍は5日、シリア国境に近いフサイバ市で、外国人戦闘員も交じる武装勢力を掃討する大規模作戦「鋼鉄のカーテン」を同日早朝、開始した、と述べた。海兵隊、海軍、陸軍などの米兵約3000人、イラク軍550人を投入している。
 武装勢力は、路上爆弾、自動車爆弾など使い、散発的に抵抗している模様。近隣地区では、武装勢力の最後の拠点ともみなされている。米軍は、フサイバ市は武装勢力の作戦の指揮センターで、イラク各地へ戦闘員を送り出す中心地ともみている。

 イラクに入り込むシリア側の武装勢力を押さえ込むということもあるだろうが、シリアへの威嚇もあるのだろう。

| | コメント (1) | トラックバック (2)

2005.11.05

ブラジル銃規制国民投票失敗の雑感

 少し旧聞になるが、先月二十三日ブラジルで銃器類や弾薬の販売禁止の是非を問うという世界初の国民投票が実施され、結果はすでに報道されているとおり、販売禁止に反対が六三・八九%と多数となった。つまり、銃器類や弾薬の販売の規制は失敗した。
 夏頃(現地の実感では冬だが)までのブラジル世論の雰囲気としては、これで銃器の規制ができるという感じではあった。CNNジャパン”「銃の販売禁止」の是非、国民投票で反対派が多数 ブラジル”(参照)がこう伝えている。


ブラジル政府は昨年、銃の買い戻し計画を実施して35万丁の拳銃やライフル、散弾銃を回収した。この結果、保健省によれば死者数は8%低下。そのため、ある世論調査では、銃の規制強化を求める人々は今年初めには80%に達していたという。

 同記事では、国民投票の直前になって拍車をかけた規制反対派によるキャンペーンが功を奏したとしている。曰く、「政府はあなたをちゃんと守ってくれるのか?」ということだ。
 ブラジル直の声を伝える二十五日付けニッケイ新聞”銃器販売禁止は「ノン」=国民投票=反対派、63%と圧勝=治安対策への根強い不信感噴出=ルーラ政権への反発も”(参照)では、標題のようにルーラ政権への反発という文脈を強調していた。

これを受けた関係者らは、政府の治安対策の欠如に対する不信感が噴出した証だと指摘し、野党筋は国会スキャンダルを隠ぺいしようとしたルーラ大統領への反発であり、手痛い黒星は来年の大統領選挙に影響するとの見方をしている。

 私の印象だが、今回のブラジル国民投票の結果は米国社会のように銃を肯定的に受け止めているというより、現状の政治的な状況が大きな要因なのではないだろうか。と同時に銃犯罪と共存している社会ということでもあるのかとも思う。先のCNNジャパンの記事にはこういう数値を示していた。

 ブラジルの銃による死者は年間約3万9000人に達しており、人口がブラジルより多い米国の約3万人を大きく上回っている。
 ユネスコによると、ブラジルの銃関連の年間死者数は人口10万人当たり21.72人で、世界第2位の水準。1位はベネズエラで同34.30人だが、人口が1億人を超えるブラジルと、2500万人ほどのベネズエラでは、死者の絶対数が違うとしている。
 あるスラム街での死者数は、人口10万人あたり150人で、17-24歳の男性に限れば、その数は250人に跳ね上がる。

 これはたぶん中近東の紛争地域並と言ってもいいだろうし、逆にそういう紛争地域は、こういった事態でもなければ銃問題がクローズアップされないブラジルのような地域ともそれほど変わらないのだろう。ちなみにブラジルの交通事故の死者数も同程度のようだ(参照)。ブラジルの人口は一億七千万人程度。日本の倍はないので交通事故死亡の率も高いと言えそうだが、率でいうならフランスくらいなものではないか(昨年は大幅に縮小したが)。
 銃犯罪の数字を見るとブラジルは危険な国のようにも見えるし、実際危険な面もあるのだろうが、交通事故と同じような風景という面もあるだろう。
 私は先日のラジオ深夜便のブラジルからのレポートで今回の国民投票の話があるのかとちょっと期待して聞いていたが、なかった。暗い話はしたくないというのもあったのかもしれないが、案外他国が思うほどブラジル社会では大きな話題でもなかったのかもしれない。日本としてもこの話はそれほど話題にもならなかった。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2005.11.04

アン・ライスの新作はキリスト

 私はアン・ライス(Anne Rice)のよい読者ではないが、彼女のことはなんとなく気になっている。なので、今週号(11・9)の日本版Newsweek”ヴァンパイアからキリストへ(The Gospel According to Anne)”の記事に、彼女がいよいよキリストを描くと知って、そう、「いよいよ」という感じがした。

cover
Christ The Lord:
Out Of Egypt
 日本のアマゾンを見たら、すでに”Christ The Lord: Out Of Egypt”(参照)の表紙写真も掲載されていた。十一月の発売というからもうすぐなのだろう。私の英語読解力では楽しめるわけもない。訳本も遅からず出るだろうが、それにヴァンパイアものもまともに読んでないのに読めるものか。そういうためらいもある。が、それでも、死ぬまでに読まなきゃなリストの一冊にはなるのだろう。
 ある程度アン・ライスをみてきた人なら、彼女がなぜキリストを描くのかという疑問はわかないようにも思えるのだが、そうでもないのだろう。彼女のファンですら、なぜという疑問はあるようだし、実際刊行されればさらにそのなぜが深まるのかもしれない。彼女はそういう存在なのだから。そういう作家である以前に。Wikipediaの項目(参照)にちょっと面白いコメントがあった。

カトリックの影響を色濃く反映したその独特の非日常世界観で根強いファンを獲得する反面、その世界観に付き合えない人も多い。

 読書家なら苦笑するかもしれない。というか、ブログが興隆したりアマゾンの素人評が充実したりするにつれ、読書家というもののバランスのよい批評眼が必然的に見逃してしまう、本の魂というものがあるように私は最近思う。文学というのは、そのバランスのよい評価より、狂気とも言える愛着のなかでしか見えないなにかがあるからだ。
 アン・ライスについての苦笑というのは、ただ、もうちょっと別の側面がある。先のWikipediaの段落にこう続くのが印象的だ。

アン・ランプリング(Anne Rampling)、A.N.ロクロール(A.N. Roqueloure)のペンネームがある。

 ふと気になってアマゾンでアン・ライスの売れ筋を検索したら、おやまぁであった。

  1. 「眠り姫、官能の旅立ち スリーピング・ビューティ〈1〉扶桑社ミステリー」
  2. 「眠り姫、歓喜する魂―スリーピング・ビューティ〈2〉扶桑社ミステリー」
  3. 「呪われし者の女王〈下〉―ヴァンパイア・クロニクルズ扶桑社ミステリー」
  4. 「至上の愛へ、眠り姫―スリーピング・ビューティ〈3〉扶桑社ミステリー」
  5. 「夜明けのヴァンパイアハヤカワ文庫NV」
  6. 「呪われし者の女王〈上〉―ヴァンパイア・クロニクルズ扶桑社ミステリー」
  7. 「ヴァンパイア・レスタト〈上〉扶桑社ミステリー」
  8. 「ヴァンパイア・レスタト〈下〉扶桑社ミステリー」

 そういうことだ。アマゾンだからというのはあるかもしれない。ただ、このあたりいわゆる読書家というのと読書の行為というものの奇妙な関係に隠されるなにかを結果としてアン・ライスが暴き出しているようにも思う。
 私は知らなかったのだが、二〇〇二年に夫のスタン・ライスが脳腫瘍でなくなっていた。年齢は知らないが六十歳は過ぎているだろうから早世というものではないだろう。ちょっとアン・ライスの年代を調べたら、彼女は一九四一(昭和十六)年生まれで六一年に結婚している。スタンとの結婚は二十歳だった。娘ミッシェルが生まれたのが六六年。白血病で亡くなったのが七二年というから六歳になるかというところ。母としてのアンは三十一歳のことだった。その死が創作になんらかの影響はもっていただろう。
 Newsweekの先の記事によると、一九八八年に糖尿病が原因で昏睡、二〇〇四年には腸閉塞で手術を受け、死期が近いと噂されたそうだ。

 「これからは神のためだけに本を書く」と、ヴァンパイア・クロニクルズの産みの親は言う。ボブ・ディランが神への信仰にめざめたと宣言したとき以来の、センセーショナルな「転向」かもしれない。」
 今回の新作とその続編(全3作の予定)で、従来のファンを失うかもしれないことは、本人もよくわかっている。ライスは新作の後書きで、「今までの仕事を打ち壊す覚悟ができた」と述べている。

 十九世紀のロシア文学っぽい響きでもあるし、まさにそういうことなのかもしれない。私としては、たぶんその三作を読むのだろう、自嘲を込めてだが、イエス・キリスト・オタクだし。そのあたりは、「極東ブログ: 時代で変わるイエス・キリスト」(参照)にも書いたっけ。

| | コメント (2) | トラックバック (1)

2005.11.03

土の器

 はてなブックマークの注目のエントリーに「はてなダイアリー - 土の器とは」(参照)というのがあり、ちょっと不思議な感じがした。いや、もう少しコレクトに言うと、注目のエントリーというのは三ユーザーのブックマークをもってリストされるのだが、その一人が私である。二ユーザーのリストを見ているとき、ふっと拾ってみたくなったのだ。
 「土の器」とはなにか。
 はてなのキーワードにはこう書いてある。


出 典 --- 新約聖書コリント人への第2の手紙4章7節から引用の言葉。
本 文 --- しかしわたしたちは、この宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、わたしたちから出たものでないことが、あらわれるためである。 
 本欄執筆者の表現したい言葉の意味 --- 『自分は脆弱な醜い土の器』なのだと言うことは決して忘れないようにしようと思っているのです。『しようもない奴や、だけど使って下さる方があれば、お役にも立つように努力しような。』と言う自制と自助努力の言葉として使っている。

 まったくの間違いとはいえないまでも、間違いと言ってもいいのかもしれないなと思う。コリント2の4-7が出典というは明白な間違いではないし、正しいと言ってもいい。だが、このキーワードの解説はおよそ聖書的な世界とはかけ離れたものだ。理由は簡単で、聖書にあっては、「本欄執筆者の表現したい言葉の意味」というのは、俗人や平信徒にはありえない。そのありえなさかげんが、たぶん日本人は通じにくい。しかしまぁ、それも文化的な相対性の問題ではあるのだろう。
 通称東ローマ帝国から権威を詐称のごとくに受け取った…かのような…ローマ・カトリックが現代西洋のキリスト教の基点にあり、そこでは聖書の解釈の権限そのものが権威でもあり、それゆえに日本人などからすれば、きやつら奇怪な分派を起こし米国に伝搬するや以下略という状況になった。
 日本の近代化というのは西洋化でもあるので、西洋のあっちこっちから散発的にキリスト教が伝搬されたが、戦後は米国が多い。終戦から遠くない時代はリベラルなキリスト教も多かったようだが、いつのまにか米国のキリスト教や日本で宗教として見られるキリスト教は、エヴァンジェリカル(福音派)が目立つのようになった。もちろん、私にはどうでもいいし、日本人の大半にもどうでもいいことだ。
 大正時代から明治時代へと遡及したように見直すと、「本欄執筆者の表現したい言葉の意味」的なキリスト者やその精神運動のようなものをよく見かける。仮想の武家の倫理のようなものが看板を付け替えたようにも思えるが、その西洋臭い時代も時折振り返ると面白い。森鷗外の墓銘は森林太郎であり、原敬もまたしかり。昨今の日本は右傾化だとか騒ぐ輩もいるが、あの時代に伸びたかもしれないリベラルな日本がひっそりと伸びているだけかもしれない。
 土の器と聖書の話に戻る。聖書は、新約聖書は純然ととはいえないし、旧約聖書にもそういう側面はあるのだが、基本的にはユダヤ教の文書であり、その世界観の中にある。土の器というときも、その世界観に還元していかないとわからないものだ。ではそれはなにか。
 少し話を端折ろう。土というのは粘土である。彼らの神は、粘土をこねこねとして神の形に似せて人間の形を作り、そこにぷーっと神の息を吹き込んだ。おかげで、人間というのは寝ているときも鼻から息が出たり入ったりする。そうしないと、元の土に戻る。もちろん、神話であり、語られる神話がそうであるように、言葉遊びでもある。土はアダマーであり人はアダムという駄洒落だ。
 この神話の人間観によれば、人というのは泥人形なのである。泥人形から人間ができるということは西洋の魔術師達がゴーレムを作成したことで知られているが、ま、そういうことだ。だから、素焼きの陶器と同じで、人間などというものは、がしょっと石に叩きつけて粉砕すれば、また土に戻る。神が創造者であり、人間が被造物、というのはそういうことだ。
 土の器には「脆弱な醜い土」といった価値判断などない。ただの粘土で創作された物なんで壊れるということだ。

陶器が陶器師と争うように、
おのれを造った者と争う者はわざわいだ。
粘土は陶器師にむかって
『あなたは何を造るか』と言い、
あるいは『あなたの造った物には手がない』と
言うだろうか。
(イザヤ45-9)

 ふとこの「土の器」という表現を英語でなんというのか、忘れていたのでネットで読み返してみた。
 私は若い頃英語の聖書を数バージョンもっていて読み返したものだった。というか、リベラルな米人クリスチャンというのはけっこうそういうことをするし、その便宜のために八冊まとめましたというような便覧書もある。比較の基本はAVと呼ばれるキング・ジェームズ版で、そして事実上の権威になっているRSVと呼ばれる米国改訂版がある。日本の昭和訳というかはRSVに依拠していたはずだ。RSVはけっこうギリシア語的にも正しい。というか、その後の翻訳は日本の共同訳でもそうだが、理解することが念頭に置かれ、意訳が多くなってしまった。意訳の聖書を読むのは私のような人間にはつらい。
 AVでは、「土の器」は、earthen vesselsとあった。よい英語である。earthenの響きがギリシア的でよい。さて、RSVではと探すと、ネットにはRSVが見つからず、ASVがあった。同じか。違いがよくわからない。訳語を見るとAVを踏襲していた。さらに最近の聖書訳では、jars of clayとあった。jarsかよ。
 手元の英語の字引(研究社)を見たら、「ジャー《★比較日本では広口の魔法びんのことを「ジャー」とよんでいるが, 英語にはこの意味はない》」と親切だかお節介な解説がある。口の広めな素焼きの壺といったものではあるのだろう。
 日本語となった「土の器」は、おそらくAV系のearthen vesselsをひいたままなのだろう。共同訳ではどうなっているかなと書架を見たら、共同訳の聖書はないや。あはは。読まないから消えてしまったか。
 さらに最近の英語の聖書を見ると、「土の器」は、perishable containersとあった。ほぉ、これはさらによい訳だなと思う。バーナンキみたいに禿げたラビたちが現代英語と格闘しているような連想もする。
 つまり、「土の器」というのは、「使い終わったら壊して自然の土に帰るようなエコな素焼き壺」なのである。イザヤ書に「手がない」とあるのは、取っ手がないということだろうか。
 ぼんやりネットを眺めたいら死海文書が収まった土器のジャーの写真がある(参照)。吊し用だろうか小さな取っ手がある。これは取っ手じゃなくて、耳? 知らんが。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2005.11.02

母親毒殺未遂高一少女事件の印象

 事件の呼称としては、母親毒殺未遂高一少女事件となるのだろうか、四十七歳の母親に劇物のタリウムを摂取させ殺害しようとした容疑で、十月三十一日、静岡県伊豆の国市の高校一年生女子生徒が逮捕された。彼女は服毒自殺を試み十月二十一日に入院し三十一日に退院しているので、逮捕はそれを待ってのことだと思われる。現在容疑は否認している。
 昨日のニュースでは、彼女がブログに母親の容体の変化を記録していたことが十一月一日時点でわかったともあった。ブログということなら、サーバーで情報を封鎖しても少し調べるならキャッシュなどである程度わかるだろうし、この手の事件は早々にネットワーカーが調べ上げるだろう。案の定、すぐにわかった。が、私は奇妙な違和感をもった。
 ブログというは楽天日記だった。楽天日記は中学生などお子様やアフィリエート奥様、つまりCSSなどチューンできない非技術系のブロガーが多く、そのせいか政治議論なども世間並みの風情があってそれはそれで面白い。彼女は高校生のわりに化学知識などもあり理科系少女風に見られるのかもしれないが、違うだろう。
 該当ブログと思われるものをざっとみたときの違和感だが、それが男性名で書かれていたことだ。これは本当に彼女のブログなのだろうかとも思ったが、ジャーナリズム側のほのめかしのファクツをいくつか照合するに、ガチなのだろう。なぜ、男性名で? すぐに思い浮かぶのは偽装である。そうなのだろうか。
 次に男性名である虚構性から当然導かれることだが、そのブログに描かれている母親毒殺というストリーと現実を繋ぐものはなんだろうかと考えた。それはプライマリーには存在しない。ブログの記述と現実の事件を結ぶのは、ある種の思い込みに過ぎないとも言える。だが、たぶん、そこには事実に近い関連性があるのだろうという、一種の確信が私にはあるし、毎日新聞”静岡劇物事件:女子高生、ブログに母の容体 猫使い実験も”(参照)といった新聞記事もそうした前提で叙述している。


 女子生徒のブログでは、母親の容体の変化や当時の心情、薬品の購買記録などが記されていた。9月12日の欄には「今日も母の調子が悪い。2、3日前から脚の不調を訴えていたけど、遂に殆ど動けなくなってしまいました」などと書き込まれていた。「今日薬局から電話がありました。問屋が“酢酸タリウム”と“酢酸カリウム”を間違えたらしいです。すぐに取り替えるそうですが、待ちわびている」といった記述もあった。

 私の心象世界では、なぜ母を殺したのか、それがなぜ毒殺だったのか、なぜ男性名匿名で公開の心情が語られていたのか、そのあたりの疑問がうまく落ち着かなかった。
 母を殺すということは文学的な想像力を越えているものではない。継母ということならフランソワーズ・サガンの古典にして、事件の少女と近い年代に書かれた「悲しみよこんにちは(新潮文庫)」がある。継父というなら、三島由紀夫の「午後の曳航(新潮文庫)」がある。毒殺ではないが、ルイス・ジョン・カリーノが映像で描いた「午後の曳航」には、子供の憎悪がなしえるぞっとするほどの死のプロセスの暗示がある。
 もちろん、実母と継母は違うし、これらの古典文学では、大人の女の性と子供の対立が大きな意味を持っている。この事件はそうした構図とはまったく別だろうか。おそらく全くというほど別ではありえないだろうと私は思う。
 というのは、毒殺という死への関わりはそれが歴史に見られるような功利性でなければきわめて苦しみとの関与を伴うものであり、むしろ死よりもその苦しみの過程への感受を前提としているからだ。それは、おそらく性的な情念に近いものではあるだろう。現存在分析のビンスワンガーの弟子とも言えるメダルト・ボスの「性的倒錯―恋愛の精神病理学」にある描写に類似するものではないか。
 が、私の直感ではそうした古典的な情念を越える何かを、そのブログのざらっとした印象から受け取った。迂遠な表現で包まないなら、それは、無価値な存在に死を与えることになんの問題があるのだろう?という奇妙な自意識である。この意識は常人から遠いものでないのは、ダウンタウン浜田雅功が「死ねばいいのに」というギャグで覆っている笑いのなかにあることからもわかる。他者という存在の奇妙な欠落はまさにドスエフスキーが「罪と罰」で罪と呼んだものに近い。末人たちはみなラスコリニコフになったし、それをいくばくかブログが増幅させているのだろう。
 そうした思いの錯綜のなかで、彼女が少し謎をかけて他者を遠隔化したような掲示板に記した次の言葉は私には衝撃だった。

(無題)  投稿者: 岩本  投稿日: 8月28日(日)01時30分18秒
引用
さて、そろそろ僕は本当の事を話そうと思います。
余り言いたくなかった事だし、変に思われるかもしれないので暫く待ちます。
此処が最後の引き返し地点です。
帰りたい方はどうぞお早めにお帰り下さい。


帰らなかったみたいだね。
本当は大した事じゃないんだ。下らない事だよ。
それでも聞く?


わかった、話すよ。


僕は女だ。

 ここで彼女が自身の偽装をしていると見る人もいるだろう。あるいは、男性的な心性の傾向があったのだろうと見るのだろう。私は、違った。私は、そのままに「僕は女だ」という言葉を受け止め、そのまま衝撃を受けた。
 私の感覚に一般性はないだろうが、この言葉はまさに、その「僕」によるものであり、「僕」が毒物をもてあそぶことで他者との関心の関係性を築こうとしていた。そして、「僕」は、その身体の感触と他者からの身体への視線においては「女」だった。
 「僕が女だ」ということが彼女の言語表出の根幹近いところにあり、むしろ肉親との心理的な関係性はその派生からくるものなのではないか。と、そう言ってしまえば、性的なアイデンティティの問題に矮小化されるかもしれない。そういう傾向がないわけではないが、ここにあるのは、女性であることの違和感ではなく、ただ、「僕は女だ」という秘密の語りであり、その語りのリアリティを保証しているのが毒物の記述であり、そして現実の人間の苦しみへの関与だった。
 先の毎日新聞記事ではこうさらっと記している。

 ブログの中では自分のことを「僕」と呼び、「一度だけ生まれ変われるとしたら、僕は植物になりたい」とも書かれていた。

 私は自分の心のなかで何かが密かに泣いているのを感じる。理由は簡単だ。私は子供のころ、生まれ変われるなら植物になりたいと感じたことがある。いや、私の場合は、自分という存在が植物の転生だと感じていた。
 もちろん、植物の転生が人の世を生きられるわけもないがそれは私のつまらない人生という私だけの物語である。私は強く他者を必要としなかった。そういうタイプの人間は世の中に少なくはない。ひっそりと植物のように生きて死ぬことをもってよしとするのだ。
 彼女は、そうではなかった。なにかが暴力的に植物の世界から女の身体を与えたのだろう。そう、それは暴力的と表現すべき体験であったことを、たぶん事件が暗示していると私は思う。

| | コメント (22) | トラックバック (12)

2005.11.01

中央教育審議会最終答申は無意味になるのだろうが…

 昨日の組閣は先日の改憲の自民党案と同じく、別に議論するほどの話題ではないように思えた。私としては、時事の話題としてはワンテンポ遅れたが、この間二十六日に出された中央教育審議会最終答申のことが気になっている。よくわからないのだ、なにがどう問題なのか。
 現在日本では、公立小中学校の教職員の給与は国と都道府県が二分の一ずつ折半で負担しており、昨年度を例にすると国庫への負担は二兆五千億円になる。金額を見るとわかるように、悪い洒落っぽい命名の「三位一体改革」の三兆円規模の税源移譲に近い。というわけで狙われている。つまり、この額を地方に譲るかというのが昨年時点の問題で、中央教育審議会(中教審)はこの一年間たらたらたらと無駄な議論をしてきた。
 と批難めいた言い方をするのは、この問題は経営の問題なのに経営的な思考ができるやつもいない中教審で議論すること自体ナンセンスっぽい。実際、まともな会社なら提出すべきカネと経営についてのまとめが出てこず、教育論みたいなものと、端的に言って旧文部省の権益指向みたいなものがボロっと出てきた。
 当面の議論は、まず中学校分の八千五百億円を地方が求めたのだが、文部科学省は強く反対してきたし、その反対の絵柄はなんか滑稽ですらあった。
 どうあるべきか。とりあえずは二者択一である。地方か文科省か。つまり、地方に譲るのか文科省が握るのか。
 結論の視点から、現場はどうかなとざっくりとブログを眺めてみるとあまり議論は見えない。というか、新聞のリンクとかコピペが多い。ブログがどう世論に関わっているのかただ基盤が弱いだけなのかよくわからない。
 新聞各社の見解を振り返ってみると、まず朝日新聞だが十月二十八日社説”中教審答申 文科省の代弁者なのか”(参照)では、地方側に立っている。


 子どもたちの教育が大切なことは論をまたない。とりわけ義務教育はどこでも一定の水準を保たねばならない。だからといって、教職員の給与の半分を国が握っておく必要があるのだろうか。
 私たちはこれまで、地方に税源を渡すことについて「義務教育も聖域ではない」「教育を変える好機にしたい」と主張してきた。
 子どもたちの教育は、一定の水準を保つとともに、一人ひとりにふさわしいものでなければならない。地域ごとに中身や学級編成に工夫をこらす必要がある。そのためには、教職員の人材や財源を生かす仕事は、現場を肌で知る自治体にまかせた方がいい。

 読売新聞は十月三十日社説”[義務教育費]「中教審答申に重なる地方の声」”(参照)でみるように文科省側に立っている。

 答申を取りまとめた中央教育審議会の鳥居泰彦会長にしてみれば、真摯(しんし)に投げ返したボールの行方を案じるのは当然だ。政治の力で黙殺されるようでは、中教審の存在意義も疑われてしまうだろう。
 現行の義務教育費国庫負担制度を維持するか、それとも地方に税源移譲し一般財源化すべきか。中教審が政府から、教育論の見地で意見を出し合い、結論を得るよう求められたのは昨年秋のことだ。100時間を超える論議の末、制度「堅持」の答申に至った。

 後段、お茶をぶっと吹いてしまいそうだが、ようするに文科省に任せろというわけで、後段では実は地方の声もそうなんだという愉快な展開になっている。
 朝日と読売を比べて短絡的に政治スタンスの左右でいうなら、左翼は地方指向、右翼は文科省指向ということになる。
 ついでに産経新聞はというと十月二十日の社説”先生の給与 肝心な視点が欠けている”(参照)は議論が明後日を向いているのだが、文科省側に立っている。

 公立小中学校の教員給与にかかわる税源移譲をめぐる問題で、中央教育審議会の義務教育特別部会は、従来通り国庫負担率を二分の一とする答申案を賛成多数で決定した。地方側はこれに強く反発しており、最終決着は小泉純一郎首相の判断に委ねられる見通しだ。
 これにより、税源移譲の問題は政治決着に向かうが、肝心の教員給与の適正化の問題はまだ、ほとんど議論されていない。先生の勤務実態を適正に評価し、それをいかに給与に反映させるかという問題である。

 後段も愉快で、ちょっと図に乗るとこうだ。

 最近、札幌市で、教員の昇給など人事評価の基礎となる勤務評定が行われていなかったことが明らかになった。同じような実態は北海道全域でも続いており、さらに、福岡県や沖縄県でも、勤務評定が行われていないことが明るみに出た。
 これまで、教員を三段階評価で一律「B」とするなど勤務評定制度を形骸(けいがい)化した例は、三重県や兵庫県などに見られたが、全く行われていないケースが表面化したのは初めてだ。いずれも、教育委員会と教職員組合の癒着が背景にあるとみられる。
 教員給与の財源がどう配分されようが、こんな自治体に給与配分を任せていては、どんな使われ方をするか分かったものではない。これが納税者の率直な気持ちであろう。

 つまり自治体なんかに任せておけない、ということで、文科省寄りと言っていい。
 ついでに愉快な赤旗でも読んでみる。十月三十一日付け”国庫負担「廃止」は教育条件引き下げる”(参照)はこう。

 小中学校の教職員の給与の半分を国がもつ義務教育費国庫負担制度。小泉首相は、文科相の諮問機関である中央教育審議会(鳥居泰彦会長)の「制度維持」の最終答申(十月二十六日)を無視し、廃止・削減の方向です。憲法が定める「無償の義務教育」が岐路に立たされています。

 というわけで、朝日新聞と異なり共産党は文科省寄り。共産党は産経新聞と仲がよろしいようだ。
 が、いずれにせよ産経新聞や赤旗がくさっていたように、結果としては、内実文科省の中教審結論は握りつぶされることになるだろう。つまり、地方にこのカネが移されるだろう。それが小泉政権の意思でもある。
 ということは、朝日新聞と小泉政権は仲良しなのである。産経新聞と赤旗が仲良しというのに合わせて、面白い政治風景というか風流ですらある。
 議論とか立ち位置がなんであれ、この問題は実質経営論的な問題なのに経営的なビジョンが欠落しているという状況は変わらず、大丈夫か地方、ということになるのではないか。
 日本は今後少子化に向かっているが、義務教育レベルでは一教師が担当する生徒数は二十人以下に減らすべきというふうに人事的なリストラはそれほどでもないし、共産党が喜ぶようにがんがん地方税を注ぎ込んでいけばいいのだが、小中学校という建屋はリストラされてしかるべきだろうし、学区も整理するしかない。
 というか、まいどながら地方で一括されるけど、そんじょそこいらの国家規模の東京と、有能な昭和の政治家を輩出した島根県と一緒くたにできるわけもない。
 理念を吹くのはいいけど、現実の地域社会の運営問題として、地域の教育はどうなっていくのだろうか。というか、どう学校が経営されるのだろうか。そのあたりが、まるで見えない。
 余談だけどというか、それまた風流という趣きなのだけど、文科省の「義務教育費国庫負担金の取扱に関する報道について」(参照)で文科省が朝日新聞と読売新聞に文句を言っている。文科省、必死?

| | コメント (3) | トラックバック (3)

« 2005年10月 | トップページ | 2005年12月 »