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2005.10.20

アスベスト問題を巡って その三 (米国社会と比較)

 アスベスト問題についてもう一エントリ続けたい。話は、この問題についての米国社会との対比についてだ。
 まず、昨日の「極東ブログ: アスベスト問題を巡って その二 (考える会/白石綿)」(参照)に関連するのだが、日本政府はこの問題をどう見ていたかを簡単に振り返りたい。話のきっかけとしてだが、読売新聞八月二十七日社説”アスベスト 行政の責任を避けた政府検証”を、やや長めになるが引用したい。ここでは、次のように政府の対応が批判された。


 じん肺や中皮腫(ちゅうひしゅ)の原因になるとして問題となっているアスベスト(石綿)について、各省庁はこれまで、的確に対応してきたのかどうか。その検証結果を政府が公表した。
 厚生労働省、環境省、経済産業省などがそれぞれ独自に検証した。合わせて百数十ページにも及ぶ内容である。
 政府は「関係省庁の連携は必ずしも十分ではなく、反省の余地がある」と結論づけている。だが、具体的な「反省」例はほとんどなく、大半は、過去の省庁別の対策を列挙したにすぎない。
 これでは、政府・行政責任の検証と言えないのではないか。
 国際労働機関(ILO)と世界保健機関(WHO)がアスベストの発がん性を指摘したのは、1972年だ。今回の検証によると、政府もこの当時、危険性を認識していた。
 旧労働省は、粉じんを発生しやすい石綿の吹きつけ作業や、有害性の高い青石綿の使用を禁止するなど、対策は取ってきた。しかし、アスベストの使用や製造を、一部の例外を除き全面禁止としたのは昨年10月のことだ。

 この批判は的を得ているだろうか。それを確認するには、ソースにあたってみるといい。ソースは”アスベスト問題に係る政府の対策について:平成17年8月26日(金)アスベスト問題に関する関係閣僚会合(第2回)資料”(参照)にある。
 私はざっと目を通しただけなのだが、読売新聞が政府に反省はないとしているのとは逆に、これまでの対応はやむを得ないものではなかったかという印象を持った。特に、ILOとWHOへの読売新聞の言及は、「極東ブログ: アスベスト問題を巡って その二 (考える会/白石綿)」(参照)でも触れたが、アスベストの種類についての考察が含まれていない点、本当に読売新聞が政府資料を検討したのか疑わしくも思う。なお、こうした態度は読売新聞に限定されるわけではない。
 政府資料を読みながら私が思ったのは、アスベストとして一般化される問題よりも、クリソタイル(chrysotile:白石綿)と産業に必要とされるその代替品の有毒性の問題のほうだ。なお、誤解なきように付言するのだが、私はクリソタイルが規制されるべきではないと言いたいわけではない。が、いずれその代替品が必要になるならその安全性が十分に問われていないように見えるのは不思議には思う。むしろ、今年に入ってからクボタの対応による一連の話題では、クボタ側での代替品への対応が背景になっているのではないかという疑念も若干持つ(それでクボタを責めるわけではないのでその点も誤解無きよう)。
 話を戻して、アスベスト問題は日本に限定されないのだから、「極東ブログ: アスベスト問題を巡って」(参照)でも少し触れたが、米国社会との対比について触れておきたい。といって話のネタもとは十八日のNHKラジオの話のメモによる。
 こういうことらしい。まず、米国ではアスベスト被害について連邦政府の推定は存在せず、非営利団体の推定のみがあるとのこと。当然推定は訴訟に関係しており、一九七〇年代以降七十三万人の被害者が八千四百社の企業に訴訟に及んだ。結果、企業がこの訴訟にかけた費用が七百億ドル(約八兆円)。内、賠償金や和解金などで被害側が得た額はその七割で、残りは弁護士費用に消えた。
 裁判への出費や裁判に関連する信頼の低下から株価下落によって破綻した企業数は一九七六年以降全米で七十社以上に及ぶ。
 被害者への実際の支給は、信託基金を介するらしく、実際に被害者が得るのは、要求の八割程度がカットされた残りの二割ほど。より支給を得るのに弁護士の能力が鍵になるのは、被害の因果関係を明確にするのが難しいためだ。転職などが多い被害者のケースはできるだけ多くの企業を対象に訴訟を起こすほうがよいので、効率化のために訴訟の団体も必要になる。日本とは異なり、補償について政府が関わるべきだとする社会的な動向も展開もない。
 被害者としても、国家(連邦政府)が関与し、国民に税負担をしいることを避ける傾向がある。企業も支援を国家(連邦政府)に求める動きはない。しかし、こうした状況は被害者救済という点で十分ではないため、現在国家(連邦政府)に十五兆円補償基金を求める法案が議会に上がっている。
 が、これも公費負担ではなく連邦政府からの支援はないと明記され、カネの出所は企業負担となる。なお、米国ではクリソタイル禁止の規制はなく、その検討もない。禁止の規制自体が一九九一に裁判所によって否定されている。
 以上が話のメモだが、公費負担による救済を志向する日本とはかなり異なる。
 米国の状況について、言い方は悪いが、なにが問題を推進しているかというと、被害の問題もだが、弁護士の存在だろう。実際彼らがここから大きな仕事を得ている。
 顧みて、日本はどうか。被害者救済をこの問題構図から抜いたとき、なにかが残るだろうか。
 何かをほのめかしたいわけではないが、気にはなる。
 そうした関心の背景は、例えば、日本国内の厚労省による結核対応や報道への疑念も関連している。

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