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2005.10.02

日本人と進化論

 昭和の時代のことだが、永六輔だったか天皇に和服を着せようと提言していた。日本の天皇なのに和服姿というのはないという穿った話だった。宮中儀礼や婚礼の装束も和服のうちでもあろうが、いわゆる和服ではないだろう。天皇の着流しなどは想像もつかない。天皇家は諸事欧風である。日常の食事には和食も当然あるだろうが、かしこまった席では欧風と決まっているはず。明治時代が作り出した日本というのはそういうハイカラなしろものなのだが、平成も十七年にもなるとなんとなく近代日本というか日本というイメージが随分変わってきたような気がする。
 昭和天皇は生物学者でもあった。戦中も自室にダーウィンの肖像を掲げていたと聞く。その業績は同じく生物学者である今上陛下の業績とともに新江ノ島水族館(参照)に展示されている。科学者としての昭和天皇のありようは、北一輝をして「クラゲの研究者」と呼ばわしめたほどだ。
 昭和天皇はダーウィニスト、つまり、ダーウィン進化論者であったか。そりゃ、問うまでもない当たり前ことだ。しかし、日本の戦前、天皇は現人神と言われていたのにその当人がダーウィニストということがありえるのだろうか。いや、そんな疑問を持つ日本人はいなかったし、現在でもほとんどいないのではないか。
 日本の生物学といえば、明治時代に東大で生物学を講じたモース(Edward Sylvester Morse)が端緒であろう。今日では大森貝塚の発見者として日本の初等教育では教えているようだが、彼こそは日本に初めて進化論をもたらした。
 で、どうなったか、日本における進化論教育の影響である。いや、どってことない。日本人はモンキートライアル(参照)などということは起きなかった。人間は猿から進化した、で? なにか疑問でも。
 かくして明治以降日本の知識人はみな進化論を学んだ。山本七平と小室直樹の対談集「日本教の社会学」にこういう話がある。


山本 その例として、こんなおもしろい話があるんです。つまり天皇的ファンダメンタリストがあれば、進化論を否定しなくちゃおかしいですよね。天皇がサルの子孫であるというのは容認できないでしょう。あれは神の子孫のはずでしょう。
小室 ところが誰も問題にしない。
山本 そればかりか不思議なことに、戦争中、平気で進化論を教えているわけですよ。だから私、フィリピンの収容所でアメリカ兵に進化論の説明をされて、こっちははなはだしゃくにさわるわけなんです。このアホ、なにいってんだと。中学校程度の知識をもって、おれに進化論を説明するとはなにごとだ。だから逆にそのときビーグル号かなにかの話をしてやったんです。そうすると相手は驚いちゃうわけです。ところが、先方は「それじゃ、おまえたちは現人神がサルの子孫だと思っていたのか」と。
小室 日本人、誰もこの矛盾に気がつかない。
山本 気がつかない。アメリカ兵にそこを指摘されたとき、こっちはあっと驚くわけです。つまり天皇が現人神だといっていた国には、進化論はあるはずがない、彼らから見ればそれが論理的帰結ですから一所懸命、進化論の説明をしているわけです。
小室 逆に進化論を信ずれば、天皇が現人神であるはずがない。だからどっちか片方信ずるってことはあり得ても、両方いっぺんに信ずることはないと。
山本 あり得ない。じゃ、なぜ日本教において両方いっぺんに信ずるのか、これが日本的ファンダメンタリズムのいちばんの基本問題になるわけですね。

 山本七平は戦後、この問題を考え続けた。「静かなる細き声」ではこの問題をこう展開した。

 徳川から明治に移るころ、日本の学生が進化論の話を聞いても少しも驚かず、これが逆に外人教師を驚かしたという話を聞いた。
 進化論は科学のはずである。人々はそれを科学だから信じたのであろうか。
 これは少々考えにくい。というのは当時のさまざまな事例は、日本人が決して科学的ではなかったことを示している。
 これはことによったら、日本の伝統的な宗教的世界観・人間観に、何かの点で進化論とマッチする考え方があり、その宗教の延長線上で進化論を受け入れて、それを科学だと信じたということではないだろうか。

 そして彼は江戸時代の思想のなかに、「一種の草木変じて千草万木となり、一種の禽獣虫魚変じて千万種の禽獣虫魚変となる」といった考えを見つけた。鎌田柳泓は言う。

これを以ってみれば天下の生物有情無常ともみな一種より散じて万種となる者なるべし。人身の如きも其初唯禽獣胎内より展開変化して生じ来るものなるべし。

 山本七平はこういう思想が江戸時代に普及しえたことに日本人の進化論への態度と科学への態度について再考していく。
 彼はこう問いなおす。それは「科学」なのだろうか、と。

 その背後には、「科学」ないしは「学」なら信ずるかもしくは敬意をはらうが、宗教なら軽蔑するか問題にしない、といった心的状態があるように思われた。
 一体この「科学」という言葉はどういう意味なのであろう。「占いは科学だから信ずる」という言葉の「科学」は、私には、どう考えても「サイエンス」の意味とは思えなかった。
 これはきっと、仏心を本心と言いなおして、非宗教的な表現にしながら宗教的内容をもっているのと同じように、何かを科学と言いなおしているのである。
 そしてこの「科学」という言葉に、何か宗教的なものがあるから、その人はそれを信じているに相違ない。
 日本における伝道の障害になっているものは、おそらく「科学」と言いかえられた「何らかの宗教的なもの」なのである。

 ここで山本七平が「日本における伝道の障害」といっている背景には、なぜ日本にはキリスト教が根付かなかったかという問いがあった。
 彼は、日本にキリスト教が根付かなかったのは、それが「科学」と言いかえられた「何らかの宗教的なもの」による宗教対宗教の対立ではないかと見ている。そして、日本人とっての進化論の受容というのも、実は、ある種の伝統的な宗教的な世界観の表出にすぎないだろうともしている。
 昭和天皇がダーウィニストであることに違和感のない精神性こそ日本文化そのものであり、そして、たぶん、山本七平が指摘した状況は、なお現代日本にも、若い人にすら、当てはまっているように思える。

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「歴史」カテゴリの記事

コメント

すいません、山本七平は
「アダムとイブの息子たちの嫁」
はどこから来たのか、解決しているのですか?
日本だって、最近は天皇一族の家系図の信憑性を
疑う人が出てますけど、戦前だって
「天皇一族は天孫君臨・神の系統、
一般庶民は古事記に書かれてない、
どこぞから現れた系統」と
思っていたのではないでしょうか?
進化論は認める、しかしこれは
北狄、東夷、西戎、南蛮、あとはまぁ我が国でも
自分を含めた田子作も、猿が先祖だったのかな、と。

投稿: てんてけ | 2005.10.02 17:35

あと
>>天皇に和服を
ですが、私の祖父も戦争中和服を着ていて、
近所の人達から「この非常時に贅沢物を」と
顰蹙を買ったそうです。しかし祖父は
「俺の着ているのは日本の服だ。
お前たちこそ米英の服を着やがって」と
冗談で返したらしいですが、荒俣宏さんの
「決戦下のユートピア」を読むと、当時の
「国家が価値観をどう統制したらいいかの苦悩」が
面白く書かれています。

永さんの発言は面白がるには最高ですが、
真に受けると日本国の矛盾にまともに悩むことに
なりますよ〜。
鯛焼きの尻尾に餡を入れるのは下品だ、
尻尾はかりかりに焼いて、触感の変化を味わうのが
いいんだ、なんて永さんの本で教えてもらいました。
これがもし本当なら、凡百の鯛焼き屋さんとか、
尻尾まで餡が詰まっているのを喜んでた私って、
無教養の上に築かれた価値観を喜んでいたのかと
ショックを受けました。
良い物は良い、その基準は先天的な物、後天的な物、
間接的なイデオロギーの産物、いろいろのようで、
自分とは違う基準の人には…難しい問題です。

投稿: てんてけ | 2005.10.02 17:46

興味深いテーマですね。とりあえず思いつくのは、本草学ですが、それを言うなら本草学が日本でさかんになった理由を探さねば。

投稿: worldnote | 2005.10.02 19:49

終戦間際のぎりぎりの局面で、国体の護持=天皇制の護持=三種の神器の護持、という極めて明快な考察をもっておられた昭和天皇はダーウィニストどころか、ドーキンスの「利己的な遺伝子」論を先取りした、極めて有能な生物学者であったと思います。
つまり、天皇家の歴史を見れば、個体としての「天皇」は、「三種の神器(遺伝子)」を受け継ぎ後世に伝える「乗り物」にすぎないのだと考えておられたのではないでしょうか。

投稿: やぶ猫 | 2005.10.02 21:30

上記に書かれた進化論のことを読みながら
地動説についてちょっと思い浮かびました。
あやふやな記憶では信長ですか、「地球が丸い」に、
ふつうにフーン。で済ませてしまったのは?
江戸時代にサクサク諸学問、蘭学という感じで入ってきても
それなりに受け入れてしまったのに何故キリスト教だけが?と。
日本人の節操とか「ひっかかり」ってなんだろうなぁ…等々

IDのことからいろいろ楽しませてもらいました。(笑

投稿: かえる | 2005.10.02 21:47

進化論が神と対立するのは神が造物主であるばあいで、日本の神道にその教えは(殆ど)無いからではないでしょうか。

日本では人間も神になりうるので、天孫とかいっても、実際の所多くの人は天皇も何となくそんなもんかと思っていたんでは。

投稿: 変異自体は中立でもselectionはそこに意味を与える | 2005.10.02 22:22

 シャーマニズム信仰に基づく宗教観ならば、もともとそんなことで思い悩んだりしないのではないでしょうか。
八百万の神々の世界です。神が生み出されるのに(合理的な理由はあっても)論理的な理由なんてありはしませんし。

 もっと言ってしまえば、そんなこと気にするのはユダヤ教から派生した一神教の国だけなのでは。

投稿: nishi | 2005.10.03 02:02

このエントリで指摘されている精神性は、日本にかぎったことではなく、多神教の国一般に見られる輪廻的世界観が背景にあるのではないでしょうか。

自然を観察していると、輪廻的世界観はそれなりに正しそうだと感じられます。たとえば人間とは何かを考えたとき、自分という人間は両親という人間から生まれたわけで、その両親、さらに両親とたどっていくと、最初はどこにあるのだろうというような問題は、どこの国の人でも考えるものでしょう。

この問い対する答えは、2つ想定されます。つまり、(1)最初というものは分からない。ただし、人間のルーツをたどっていくうえで、それが変化してこなかったとは考えにくい、人間以外のもの(猿なり動物なり)から変容してたまたま言葉を話し道具を使う人間というものに自分は生まれた。(2)最初というものがあるはずだ、何らかの力がはたらき、そもそもそこに存在しなかった「人間」というものが生み出された、人間というのは最初からいままで変わらず人間であり続け、自分もまたそのような人間なのだ、という2つです。

(1)は輪廻的世界観です。世界というのは再帰的に構成され、極限になにがあるのかは分からないという考え方。それゆえ、そのことを考えても仕方がないし、そんなことをするのならこの世界の美しさ、はかなさを語り合おうというある意味での刹那主義です。(2)は一神教的世界観です。世界には絶対というものが必ず「存在」し、それを証明しそれに触れることができるのだという精神性。

なぜこのような2つの考え方が存在するかは分かりませんが(まぁそのような考え方が存在するのかも証明できていませんが)、個人的な感覚では、それは接していた自然環境の違いであったのではないかと思います。西洋人と日本人を比べたとき、日本人のほうが「猿は自分の延長線上の存在である。本質的には人間も猿も同じである」と考えやすかったのではないかと。

そしてそれは、やはり自然が人間と共生できるほど豊かで穏やかなものであったからではないかと思います。自然の延長線上に人間は存在していると考えられるか否か。そう考えられる精神性を備えているならば、どこの国の人間であっても昭和天皇がダーウィニストであることに無頓着でいられるのではないかと思います。
# 長いコメントで失礼しました。

投稿: ふじさわ | 2005.10.03 06:36

日本人の生活感覚(江戸時代)としては進化論、遺伝の法則などと体系化した理論を構築していないだけで特に園芸植物の改良は大名をはじめ市井の好事家が熱中し実務的なレベル、思想としては西欧を凌ぐレベルであったと考えます。家禽(鶏)も各地で愛玩用して持て囃され闘鶏、美声の品種が作られ遺伝変異については高度の知識があり古事記は単なるお話として解釈していたと考えます。

投稿: tatu99 | 2005.10.03 09:19

山本七平氏の書いていることに同意できません。日本人の心性が矛盾していることをダシに、詭弁をこねくり回しているように見えてしまいます。
http://d.hatena.ne.jp/Itisango/20051003/1128301931

投稿: 135 | 2005.10.03 10:14

天皇 ≠ God YHWH などなど
天皇 = 神道上の神
なんだから矛盾もへったくれも無い。

投稿: 無粋な人 | 2005.10.03 11:03

無粋な人さん。
天皇で考えるのではなく、文脈から考えるに日本神話で考えないといけないのではないでしょうか?
記紀を読む限り、人は、イザナギ・イザナミが作ったのか、あるいは神々の子孫であるように読めます。

投稿: 135 | 2005.10.03 11:13

非常に興味深いエントリですね。
僕個人としてはnishiさん、ふじさわさんのコメントが結構納得できます。

そもそも天皇=現人神という考え方自体、明治維新後、
もっといってしまえば昭和の一時期にしか存在しなかった、元々日本人に馴染まない考え方だったのではないでしょうか?

逆に言えば、西欧人において2000年にわたるキリスト教の刷り込みが
(現代においても)如何に強力なものかが推察されますね。

そう考えると、山本七平氏の主張の最後の部分には、違和感を感じます。
何故日本人がキリスト教を受け入れることが前提になっているのかと。

投稿: mayupu | 2005.10.03 12:32

日本神話に人間の誕生について言及している部分は
あるんでしょうか…。

「神々の子孫」は遠くない答えだと思いますが、
人間と神の境界が曖昧なので
神≒人間に見えます。
(一神教で見られる神→人間(写し身・似姿)という
一方向での≒ではない、双方向の≒)

「これより前の事はよく分からないけど
ここからの人間の物語です」
と言う感じでいきなり人間が出てきます。
誰かが作ったとか、「絶対的」神の子である
と言う定義が、素直に読むと全く出てきません。
言葉を借りれば、物語の登場人物(神・人間他)の登場に
合理的な理由はあっても論理的な理由が無い。

そもそも日本神話は完全なファンタジーではなく、
部分的に史実を基に構築した昔話
だと思いますし…。
(他の宗教神話もそう言う部分はあるにはありますが。)

投稿: 無粋な人 | 2005.10.03 12:54

 「ただ飯はないよ定理の奇妙な応用に関連する悪夢」
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/10/post_aafb.html
の、
> ぶっちゃけてしまえば、どっちも同じ根の西洋哲学的な対立にすぎないのではないか。ホッブズの子孫達が神を暗示するID論に忌避感を持つのは当然だが、八百万の神、直毘霊の日本人がその土俵に乗ることはないんじゃないか…。
 の続きのようなお話ですね。

 キリスト教における神の概念と、古来からの日本思想における神の概念がまったく異なることは当たり前ですが、
 古来からの「八百万の神」と、「天皇」という存在も相当異なる取り扱いがなされてきたことも、もっと広く知られ注意が払われるべきだと思います。
 それに、一神教のことをたとえば日本の戦時中の「天皇陛下の下で一億総火の玉」的なものと誤解しているかたが多い気がします(それはむしろ日本思想の一形態なのに)。

 日本ではクリスチャン人口が1%未満であるという統計があるようです。
 価値相対主義・多神教あるいは無神論を標榜し、表面上は寛容を説いている特定の価値観(山本七平のいう「日本教」)から見るだけではなく、その日本教をも相対化する視点から見るならば、〈他の国では一般に広く受け入れられている宗教が日本ではほとんど受け入れられていない〉という事実は日本教のかなり激しい排他性を物語っていると思います。

 ま、それこそ“触らぬ神に祟りなし”ですが…。

投稿: 左近 | 2005.10.03 17:15

私は、日本人が一神教を受け入れられない精神性を保持しているとは思えません。

歴史的に「一神教的」宗教として真宗と日蓮宗を挙げることができますし、その教義を見た場合、例えば日本の伝統的宗教観より真宗はプロテスタントのカルヴァン派とのほうが共通性が近いくらいです。現実にそれらが戦国時代に一世を風靡した時期がある以上、キリスト教が定着化しなかった理由に日本の独自性を挙げることは出来ないと思います。

では、なぜ日本では定着しなかったか?
これは私見ですが、宗教指導者の資質と時代的背景ではなかったかと思います。
宗教は一定の速度で教えが拡大するのではありません。あるとき突如として爆発的に拡がるのがむしろ普通です。ちょうど戦国という宗教が広がるには格好の時代に真宗には蓮如というすぐれた宗教的指導者が現れたため爆発的に拡がったのです。
それに対し、キリスト教は優れたエヴァンゲリストをザビエル以後送れず、時期を逸してしまったと言わざるを得ません。

投稿: F.Nakajima | 2005.10.03 21:45

 日本教が排他的かどうかは、結局のところ見方の問題なのですよね。
そもそも、どんな宗教・文化でも取り入れてしまう底なし沼の様な宗教観・文化が日本教ではないでしょうか。仏教は完全に取り込んでしまいました。
 キリスト教やイスラム教など"他の国では一般に広く受け入れられている宗教"は、その神を基本定理として論理的に構築された宗教観以外は認めないという「排他的」なもの故、日本教と同化しなかったのではないかと個人的には考えております。
それらの排他性がなければ、あたりまえのように神仏+α(基督教or回教)混合といった宗教観・文化ができあがっていたのではないかと。尤も、伝来してくる可能性も下がりますが。

 もちろん、(ユダヤ教から派生する)一神教が世界で広く普及している現状が当然の現象と捉えると、排他性が高いという見解は別に間違ってはいませんね。

投稿: nishi | 2005.10.03 22:21

こんな理論で感心しとるのは日本人だけである、という意味で日本人は特別といえる。
なぜってそれは、外人が感じている神、信仰というものが、絶対なものではないから。中には原理的なものもあるが一様ではない。むしろこの外人教師が、聞いて、驚いた事に着眼すべきでしょう。それは信じる、信じないの問題ではなく、そういう認識でよいのか?という問題である。
大した問題じゃないのに論理矛盾とかモンキートライアルとか騒いでくれるな。誰も神なんて信じてないんだからさ。

投稿: palet | 2005.10.04 01:13

 ためらいはあるのですが、山本七平と同じ"1%未満"に属する立場から少し考えを書いておく責任のようなものもあるかと思い、書いておきます。

>F.Nakajimaさん
>現実にそれらが戦国時代に一世を風靡した時期がある以上、キリスト教が定着化しなかった理由に日本の独自性を挙げることは出来ないと思います

 キリスト教も少なくとも一時的には、戦国時代に爆発的に広がったといえそうです(あまり確実なソースではありませんが、Wikipediaの「キリシタン大名」の項など)。また、真宗≒一向宗もキリスト教もある時期に激しく弾圧されました(その後の行方はまた違いますが)。
 なので、定着しなかった理由というより、激しく弾圧された理由が焦点となるように思います。それは現在の中国でカトリックが認められていないのと同じ理由だけではなく、日本教にとりこめるものだったかどうかというような表現でも説明されうるでしょう。

>キリスト教は優れたエヴァンゲリストをザビエル以後送れず、時期を逸してしまったと言わざるを得ません

 これは結果論になってしまうのではないかと思います(もちろん個人の力は軽視できませんが)。

>nishiさん
 この極東ブログの記事を拝読して、『「空気」の研究』をちょうどざっと読み返したのですが、山本七平は「日本教にとりこまれた結果として残っている仏教は、もはや仏教とは呼べないものになっている」という趣旨のことも書いていました。私もごく軽くですが一時期仏教について調べてみたことがあり、そう感じました。

 「排他性」ですが、裏返しにいえば〈日本教は、ある神を基本定理として論理的に構築された宗教観は認めないという「排他的」なもの故、キリスト教を同化しなかったのではないか〉ともいえますよね。
 ならば単にキリスト教は日本教とあまりに異質だから日本教にとりこまれなかったということであって、この文脈でキリスト教の「排他性」、という言葉を使うほどのことでもないかと思います。

>もちろん、(ユダヤ教から派生する)一神教が世界で広く普及している現状が当然の現象と捉えると

 「当然」の意味によりますが、現状に価値判断を加えずニュートラルに観察しようとすれば、ある地域に特有の現象がみられる場合にはその地域特有の要因を想定してよいだろうと考えています。そしてある地域での特定の価値観・世界観の受容の程度には、その地域の従来の価値観・世界観が大きく影響すると見ることもまあ是認されるでしょうね。

 この話題については山本七平の『日本人とユダヤ人』や『「空気」の研究』などがたいへん興味深い考察を加えているので、関心がおありの方は実際に書籍を読まれることをおすすめします。

 少し話がぼやけますが、以前自分のブログで書いたことですが
〈価値観というのは人と別個に存在しているわけではないので、(多様な価値観を許容するというのは)実際には単に「多様な価値観の持ち主が存在することを許容する」ということに他ならない〉
 し、
〈誰でも、ある任意の時点を取り出してみれば、ある一つの価値観のみが正しいと思っている(それがAという価値観とBという価値観の奇妙な混合物だったりするけれど)〉
 と思っています。無神論や多神教、あるいは(狭い意味での)やみくもな科学信仰も、そうした価値観・世界観つまり宗教の一つにすぎないわけです。

投稿: 左近 | 2005.10.04 01:16

日本書紀とか、古事記というのは、ファンダメンタリストにとって聖典にはならなかったということなんでしょうね。

日本人には昔から、和魂漢才とか、和魂洋才とかいう考え方があったように、文化的に思想と技術を分けて考えることが出来る民族のようですが、しかし記紀は、たとえファンダメンタリストにさえも「和魂」に含まれなかったのですね。興味深いです。

それとも、天皇ファンダメンタリストなんか、本当は存在しなかったのかもしれません。

投稿: | 2005.10.04 01:45

基本的に我々はミジンコやら微生物やらに対しても「神性」を認めます。
国内に八百万も神はいるわけですからね。

だから、当然サルにも「神性」は認めていたわけで
「おまえたちは現人神がサルの子孫だと思っていたのか」
と言われてもそこに矛盾は感じなかったと思いますが。

投稿: 煮魚 | 2005.10.04 03:18

平家物語で諸行無常が語られ万物が一つとして形を保ち得ない事は割に自然に受け入れられていたと思います。
個に限らず、種に対しても劣化や変化はありだと思っていたと考えます。
天皇というのは天皇機関説を持ち出さなくても、社稷を奉る一つの”霊的な座”という事が言えると思うので、一種の依り代のようなその位置に着く天皇家の当主自身が、下々と同様に”形を保ち得なく”ても、この世の習わし、自然の為したる技ならば、おかしいとは思わないと考えます。

投稿: トリル | 2005.10.04 03:25

ふと思ったのですが、ヨーロッパにはほとんど猿がいないのでは。
だとすると「人間は猿から進化した」ことへ感覚が、日本人とは
全然違う様に思います。
猿と近しい地域に生まれたキリスト教徒の進化論への反応はどう
なのか興味があります。

投稿: motton | 2005.10.04 13:06

そもそもユダヤ・キリスト教圏で進化論が問題になるのは、ユダヤ・キリスト教では、人間が動物のヒエラルキーのトップだと規定されてるからです。

祖先がサルで困るのはユダヤ・キリスト教だからであって、神道で祖先がサルであってなんか不都合ありますか?

神道はシャーマニズムですが、トーテムに動物神持ってた部族とか、人間以外の生き物としか思えないような一族をルーツに持つとかいうのも神話伝承にはあるわけです。

投稿: ■□ Neon / himorogi □■ | 2005.10.05 01:59

 しかしまぁ、日本って世界でも屈指の新興宗教発生地帯ですよね。(双璧張っているのがロシアか)
逆に言えば、新しい宗教が受け入れられる余地はあるわけで、なぜキリスト教がここまで支持が伸びないのかというのは興味深い話だと思います。弾圧があったとしても、一向宗のようにその地方に残った宗教は存在するわけで。
・・・個人的には、日本で伸びる余地があるキリスト教の宗派はたぶんプロテスタントだけだと思います。なんと言っても、葬式と結婚式が安いという生活に即した大きな魅力がありますし、普段の生活スタイルに朽ち出される可能性が低いです。

投稿: うみゅ | 2005.10.05 12:17

山本氏の初期作品は,個人経営の山本書店店主が狭い交友関係の中で議論不足のまま書いていた感が強いのですが,晩年の作品は筆者が著名になるに従って交友関係が広がると共に議論が深化,成熟して行ったように見受けられます.初期作品だけを見て後期作品(例えば『日本人とは何か』など)も敬遠してしまう人をたまに見かけますが,これは非常にもったいない.その到達点は今日もなお,その価値を失っていないからです.

山本氏が一神教の神と日本神道の神を明確に区別していたかどうかはともかく,(少なくとも後期の)山本氏の主張の基底には,「掘り起こし共鳴論」があるようです.(提唱者の名前は失念しました.山本氏の著作に出てきます.)異文化の急速な受容は,その異文化に似ている文化なり考え方なりがもともと存在する時におこりやすく,そのような本来持っているものが意識的あるいは無意識的に人々の記憶に掘り起こされ共鳴する結果として受容がなされる,という理論です.(ただし,完全に同じものではないために,受容された異文化は意識的,無意識的にアレンジされます.)

例えば,日本の戦国期にキリスト教が信者を獲得した背景には,キリスト教の教える「天国」と日本人がもっている「あの世」に対する認識が似ていたからではないか,という指摘が山本氏の著作の中にあります(この一致は実はユーラシア大陸全体に渡るものであり,ユーラシア教と呼べるような宗教観が存在するのでは,という仮説(提唱者は失念)の紹介もあります).

さらに,日本が中国文化(唐文化)を積極的に摂取した7-8世紀頃,儒・仏・道教が一体となった混淆宗教である中国仏教を正統として受容したことが,その後の日本人の宗教に対する寛容さを決定付けたのではないか,ということも山本氏は指摘しています.(キリスト教徒ではないにも関わらず,キリスト教暦(いわゆる西暦)を使ったり,キリスト生誕日(クリスマス)を祝ったり,教会で結婚式を挙げたりすることに取り立てて矛盾を感じることがない我々日本人は,寛容を通り越していると見るべき,という向きもありますが...)

もっとも,仏教受容時に決定的な変化が本当にあったのか,それとも無かったのか,「掘り起こし共鳴論」を敷衍すれば,縄文文化にまで遡る必要が出てくるでしょう.(むろん,実証的研究は不可能に近いでしょうが.)

山本氏の著作を読んで現在の日本文化について感じるのは,縄文から続く日本人的思考あるいは哲学の集大成を言語化し,蒸留したテキストの不在(あるいは忘却)です(端的にいえば聖書に相当するものがない).山本氏の著作によれば江戸時代にはそのようなテキストが形成されつつあったように思われるのですが,明治以降,西洋文化の受容に励んだ結果,残念ながらその作業は中断され,忘れ去られたままのようです.そのため,現代の日本人は参照すべきテキストも無いまま,主として人間同士の直接的なふれあいによって文化を伝承している側面があります.もし言語化されたテキストがあれば,日本人が無意識に従っているルールを可視化して議論の遡上に置くことを可能とし,風化を防いだり伝承していくことを容易にするでしょう.もちろん,その反面,言語化されたテキストが強力な権威を持ってしまうと,時代に合わせて調整していく柔軟性が失われる弊害もあります(憲法九条がその例でしょうか.)

いずれにしても,西洋近代文化の受容を開始して150年あまりが過ぎようとしている現在,成功するにせよ,失敗するにせよ,日本人はここら辺りで江戸時代までの日本文化と西洋文化の受容を通じて新たに生成された日本文化を融合し,言語化することを試みるべき時にきていると私は感じます.そして,そのとき山本氏の著作はまたとない道標として活用すべきものとなるでしょう.山本七平氏が日本に生を受けたことを神に感謝!(この神はどの神?).

投稿: imawa | 2005.10.05 20:40

>日本が中国文化(唐文化)を積極的に摂取した7-8世紀頃,儒・仏・道教が一体となった混淆宗教である中国仏教を正統として受容したことが,

一言だけ反論。唐時代の宗教史をみるとき、これら三宗の混淆はありえません。むしろこれら三宗の思想的対立は激しく、時には政治問題化して仏教が禁教化された時期さえあります。
詳しくは
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122033330/qid%3D1128516330/249-5669938-5708336
参照。
意外と思われるかもしれませんが、中国仏教というのはそんなに他宗に対して寛容なものではないのです。

投稿: F.Nakajima | 2005.10.05 22:00

サルの末裔が神様で、何の不都合があるのでしょうか?
天皇は現人神でしたが創造神では無いはず。
サルの神様だって居るんです。

こんな事が問題視される事が理解できません。

投稿: semi | 2005.10.06 11:09

多くのコメントにあるように、八百万の神々の親玉直系である天皇は、唯一絶対神のイスラム・ユダヤとは全然違う。
簡単なことですね。イスラム・ユダヤ・キリスト教こそが特殊です。
輪廻は世界の常識。「霊長類」とは、動物の一種として最も優れているという意味。
橘の淮を超えて北するや、枳[き](カラタチ)となる(漢籍古典)というのも素朴な進化論として有名です。
葦芽(あしかび)から萌えいでた神の子孫が天皇ですから、猿から来ても全然平気なのです。
ついでに天動説とかも漢籍古典や江戸思想に普通に出てくるので、驚きません。
西洋でも、ギリシャ神話や北欧神話は神と人と動物が混合したやおよろずの世界ですね。
こうして見ると、むしろイスラム・ユダヤ・キリスト教の特殊性・狂信性が浮かび上がります。
そう、カルト教団なのです。

投稿: 臨時 | 2005.10.08 07:01

心と体を日本人は分けて考えることができるからなのでは。
例えば 仙人というと 心は人間なのに 体とかは神様級でしょ

心も身体も神様級(文字通りの神様)
心は神様級 身体は人間、動物(妖怪とか九尾の狐とか)
心は人間級 身体は神様級(仙人)
心は人間級 身体も人間級(人間)

進化論は 人間の身体についての論理で心については触れてないから 猿の身体に人間の心でも 西遊記みたいなものを想像すれば結構納得できるのでは

投稿: 初めてここに書き込みますが | 2005.11.08 08:09

現人神と進化論。――この取り合わせが意外で、
とても新鮮!(笑)。

日本にアーメンが根づかなかったのは、そうねえ…
キリスト教の「自業他得」の教えよりも、仏教の
「自業自得」に共鳴するからではないかしら。

投稿: RiRi | 2005.11.13 19:39

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受信: 2005.10.02 17:56

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受信: 2005.10.03 00:29

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受信: 2005.10.03 01:56

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受信: 2005.10.03 05:37

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 昨日finalventさんが極東ブログで日本人と進化論というエントリーを立てられていました。大変面白い内容だったのですが、ちょっと手元にそれに絡んだ資料がありましてその紹介をして後追いで書きたいと思います。  私の紹介する資料は丸善の出している書評誌『學燈』の2000年1月号にあります。ここで専修大学の長谷川眞理子氏が「現代によみがえるダーウィン」という一文を寄稿されています。その冒頭で明治35年に『學燈』が知識人およそ80名に聞いたアンケートの結果が紹介されていますが、それは「19世紀の最も... [続きを読む]

受信: 2005.10.03 08:33

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