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2005.10.17

[書評]内臓が生みだす心(西原克成)

 この本の内容は、とりあえずと限定するのだが、「内臓が生みだす心」(参照)という標題がよく表現している。人の心というものは内臓が生み出すのだというのだ。

cover
内臓が生みだす心
 現代の医学では人の心は脳が生み出すということになっているから、当然この本の主張はトンデモナイといったことになる。実際、本書を読まれるとわかるが、あちこちにトンデモナイ話がごろごろとしている。だが、これがそれぞれの端となるトンデモナイ主張をあちこちプチプチとビニールの気泡緩衝材のように潰したところで意味はない。というのは、このトンデモナイ説の背景には、巨大な一つの思想が横たわっており体系となっているからだ。…その話はこのエントリでは、まだ、触れない。なお、本書をアマゾンでみたらすでに事実上絶版になっていた。古書では購入できる。追記(2005.10.18):訂正。現時点で「内臓が生みだす心」は絶版にはなっておらず、版元に在庫が十分にあるとの連絡を受けた。アマゾンの現時点での在庫だけの問題のようだ。プレミア古書に慌てて手を出さないように。
 言うまでもなく、今日のエントリは、昨日のエントリ「極東ブログ: [書評]記憶する心臓―ある心臓移植患者の手記(クレア・シルヴィア他)」(参照)の続きでもある。こちらの実記とされた話では、心臓と肺を受けて同時移植手術を患者が以前の臓器を持っていた人間の意識を引き継ぐという奇譚であった。もし仮にそんなことが事実であるというなら、それはなぜか。神経免疫学者ポール・ピアソール は「心臓の暗号」(参照)で心臓という臓器にはそうしたプラスαの要因があるのだと想定した。
 「内臓が生みだす心」でも著者西原克成医師は類似の結論を出しているし、なにより、クレア・シルヴィアの「記憶する心臓」をそうした現象の証明の一つとして受け取っている。しかし、西原の考えの内実は、ピアソールとはかなり異なる。ピアソールが心臓という臓器になにか未知な要素を付加しようとしているのに対して、西原は臓器それ自体のあり方に意識を見ている。その思想をどうまとめていいのか私は戸惑うのだが、西原は生物の全体の意識の発生を生体の発生から論じ、原初的な意識を腸管による食物の選択としている。そして、この腸管が海のホヤといった単純な生物からヒトに至るまでの発生のようすを考察し、原理的に人間の腸が意識を担うとしている。
 ただし、この腸は完成された人間の臓器としての腸ではなく、進化や胎内での発生的な観点から見たもので、その点で、意識を担う腸はむしろ肺であり、「記憶する心臓」がクレア・シルヴィアが移植元の人間の意識を継いだのは、むしろ肺臓の移植によるものだとしている。

 心は心臓にも宿りますが、本当の心のありかは肺のほうです。心臓は鰓の脈管系で、肺が鰓腸の腸管上皮から出来ているためです。腸の上皮の神経と筋肉の一体となった腸の総体に心が宿ります。心臓は肺という筋肉を持たない腸管上皮の脈管系の筋肉の一部と考えることが出来ます。

 いずれにせよ、心は肺に宿るという。そんなことがありうるのか。それが医学であり、科学だというなら、実験で証拠が提示できるのか。
 それがある意味ではできているようだ。西原の医学哲学の大系がもたらす検証はある程度まで可能になっており、その明白な成果はある種奇怪な印象を与える。
 私はこのうまく話をまとめることができないのだが、この奇怪な医学というか生物学の大系は、端的に言えば、西原も明記しているようにラマルキズムでもある。進化論の歴史なかですでに決定的に廃棄されたはずのラマルクなのだが、なぜ復権するか。
 そうえばと思いWikipediaの項目(参照)を見ると、示唆的な説明もある。

今日に措いて、個体がその生涯の間に身に付けた形質が子孫に伝わるとの考えは、ラマルキズムと言われる。この考え方は、極最近までは、近代の遺伝学的知見に照らして、絶対に成立しないと考えられていたが、最近のエピジェネティクスという遺伝的機構等、幾つかの発見で、それが全く見当外れとは言えなくなった。

 西原はラマルク説のある種の復権として、重要性を重力と化生という現象に置き、個体と種の変容を説いている。このあたりの問題意識は今日発達心理学者として知られるピアジェ(参照)の同化(Assimilation)と調節(Accommodation)の考えにも近い。
 一般的な書籍として「内臓が生みだす心」を見た場合、率直のところ現代の奇書としか言えない。内容のバランスも奇怪だし、中世の魔術書でも読むかのごとく同じ説明がくだくだ循環してもいる。
 なによりトホホな印象をうけるのは、そこから導かれる治療医学のありかたがみのもんたの健康番組といった趣向であることだ。実際に西原は同番組でもドクターとして出演していたようだ。なぜそんな奇矯とも思える立場に彼がいるのかというのも、本書のなかに間接的には描かれているが、悪口で言うのではないが、医学者としては学会で干された人生だったからなのだろう。
 学問を進めていくとき、そうまれにでもなく、ある発見した問題を追及すれば学者としての道を断たれてしまうだろうなということはある。それでも前に進める学者もいる。数学者のブノワ・マンデルブロ(参照)などもそうかもしれないし、言語学者の三上章(参照)もそうかもしれない。ヴィルヘルム・ライヒ(参照)をそこに含めるべきかどうかは難しい。逆に、ライナス・ポーリング(参照)やイリヤ・メチニコフ(参照)がある意味、トンデモナイ主張をしていたことは、学問の世界では、できるだけ触れないことになっている。

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コメント

>現代の医学では人の心は脳が生み出すということになっているから

釣りですか?

投稿: 通りすがり | 2005.10.17 16:04

√おなじ著者の方がお書きになった『生物は重力が進化させた』という本もステキですよ

そちらはAmazonに在庫があるみたいですし、
もしお時間があったらどうぞ〆

投稿: バカヤマびと | 2005.10.17 21:27

これは、このところ実感している真っ最中。
性格異常はすい臓によって起きるみたい。
つまり、低血糖症。
著者の言う、肺というのは、
道元の世界に共通するような。
頭で考えているうちは実感できないかもしれない。

というわけで、GI値で遊びながら、
食事の実験を楽しんでいる。

投稿: 野猫 | 2005.10.18 05:52

宗教とか思想という観点から見るとそれなりに興味深そうですね。
ちゃんとした議論を立てたにもかかわらず学会から干されて復活した人っているのかな。

投稿: tt | 2005.10.25 23:43

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