結核というトトロ
もう一昔前になる。宮崎駿のアニメについてポストモダンだかなんだか知らないが七面倒臭い議論をしているやつが同席していた。話が「となりのトトロ」(参照)に及んだので、ちと聞いてみた。作中、お母さんの病気は何だか知っているか? 頓珍漢な応答だったので、結核だよ、とのみ答え、なんだこの馬鹿、という続きを呑み込んだ。「千と千尋の神隠し」(参照)が遊女というテーマを覆っているように、「となりのトトロ」は結核を覆った物語である。
結核といえば、医事評論家水野肇「クスリ社会を生きる」(参照)が興味深い。プロローグは「昔の結核、今の結核」という題で始まる。
結核体験
私は昭和一ケタ生まれである。この時代に生まれた人の共通項のひとつに「結核」がある。私もご多分に漏れず、肺門淋巴腺炎(結核の一種)になり、小学校の五年と六年は半分しか学校に行けなかった。
その後、幸いに回復し中学校にも進学でき、その後再発はないと言う。しかし、そうした結核とつきあいというのが昭和という時代そのものでもあった。私の母も従姉妹を何人も結核で亡くした。
その時代を水野はこう語る。
結核が全盛をきわめていたのは、日本では紡績などの産業が起こり、多数の工場労働者が誕生した明治の中ごろ以降、大正、昭和にかけてで、日本では長い間、死因では結核が一位だった。”亡国病”といわれ、特に戦時中は、結核は淘汰すべき第一の目標とされた。私たちの年代では、小学校のとき「ツベルクリン反応」を強制され、ツベルクリンが陰性(マイナス)の生徒はBCGを接種された。このBCGの評価は戦後になって有効説と無効説が対立したが、戦時中の厚生省は自信を持っていたという。
続く段落で水野はBCGをそれなりに評価しているが、その有効性という点ではない。
それともうひとつ、このツベルクリン反応→BCG接種という考え方は、公衆衛生学(当時は衛生学)を基礎とした厚生行政の手法として日本に定着したということがある。このことは、当時としては先進的であったが、戦後行われた公衆衛生行政の大半は、この結核の手法の焼き直しであった。
いずれにしても、厚生省技官OBと話をしてみると、古い人ほど結核への思い入れは深い。それというのも、医学部を出て内科の教室で結核を勉強して保健所に入り、そこから厚生技官になるというケースを辿った人も多く、自分の人生と結核を切り離すことができない人が多かった。保健所所長をしていても、結核の検診のフィルムを読影しないと飯がまずいという人さえいた。
つまり、がん検診など戦後の公衆衛生行政はすべてこの結核対処の仮説の上に成り立っていた。水野は言わないが、つまり、それは日本経済の構造と同じように、戦時体制を継いだものだったのである。大蔵省・通産省と同じように厚生省も戦後の行政に勝利したと思いこんでいる点も同じである。
昭和三十年代後半には、結核は過去の病気となっていった。昭和三十二年生まれの私はその変わりゆく風景の一端を知っている。
結核はどのように克服されたのか。
水野によれば、克服の理由について、厚生省、つまり現在の厚労省の官吏たちは、こうした体制に加え、ストレプトマイシンなどの特効薬ができたことによると考えている。しかし、水野はそれがまったく別の要因、つまり国民の栄養の向上によるものだという仮説を知り、それが真相であろうと確信していく。
多くの技官は、ツベルクリン反応→BCGの接種とストマイの発明によって結核に勝ったと思っていた。それも保健所を中心とした結核行政と結核予防会との総合戦略で勝ったのだと思っていた。そういう考えの持ち主が結核予防会に多くいた。そこへ「結核患者が激減した理由は食生活の改善だ」というルネ・デュポスの問題提起は、日本の結核学者や厚生省にとっては、真偽を確かめることより、”信じたくない”と思わせるものだったにちがいない。もしも食生活の改善が結核を追放したというなら、日本の厚生省がやってきた公衆衛生行政は全面否定されることになるからである。
私は同様のデュポス博士の発言を当時の厚生技官の幹部二、三人にも話したが、一顧だにされなかった。それはそうかもしれない。デュポス博士の考え方は、自分の人生を否定さえるようなものであったというべきだろう。
水野はそこまで語った。それ以上は語らない。武士の情けである。古い日本人の人情でもある。でも、真実はといえば、日本の厚生省がやってきた公衆衛生行政は全面否定されるということだ。もちろん、結核は治療できるようになった。死病ではなくなった。しかし、その公衆衛生行政はナンセンスだったのである。
結核の風景を知る私の世代が死に絶えたとき、こうした物語はただ失敗の歴史となるだろう。しかし、それまでは亡霊は生き延びる。トトロは生き延びてしまうのだ。それどころか、ただ亡霊としてのみ再生するかもしれない。
クスリ社会を生きる エッセンシャル・ドラッグ の時代 |
しかし、歴史には逆行というのが常にある。裏トトロは復活するし、伝統和食が健康食だなどいう馬鹿げた話が横行する。それでも、まだまだ日本は富裕であり、栄養は行き渡る。卵だって高価ではない。
とすると、長寿社会になる。今の老人というのは、吉本隆明のように大正生まれの気骨もいるが概ね昭和一桁になってきた。若い頃結核を患った水野肇の世代であり、つ・ま・り、その少なからぬ人が結核菌の保菌者である。平時はなんともないが、加齢やその他の疾患で身体が弱れば結核菌が活躍しはじめる。ということは菌が出るということだ。結核検査の対象の高齢者を増やせば結核統計を変えることもできるし、産経新聞などに結核予防会の爺さんたちがぷっと吹き込んで今朝の社説”結核予防法 廃止論は唐突すぎないか”(参照)みたいなものもできる。いや、厚労省はさすがにトトロの呪縛から離れようとしているのだ。
結核についての最新の統計は見てないが、”平成15年結核発生動向調査年報集計結果(概況)”(参照)をみるかぎり、なにが危機なのか私はわからない。むしろ結核の問題は多剤耐性菌ではないのか。そうであればその対応は質的な転換も必要になる。でも、そういう方向性は見えない。
この問題はこれ以上踏み込むべきではないようにも思うが、Wikipediaの「結核」の項目(参照)はやや混乱した印象をうけるが、関連してBCGの問題も指摘していた。
予防策として日本ではBCGが行われているが、アメリカでは行われていない。フランスなどのヨーロッパ諸国では継続して行われている国も、中止に到った国もある。BCGを行うことのメリットは、小児の結核性髄膜炎と粟粒結核の頻度を有意に減少させることにある(有効性80%)。しかし、成人の結核症を減少させるというエビデンスはない(有効性50%)。いっぽうデメリットとしては、ツベルクリン反応を陽性化させてしまうため結核の診断が遅れることにある。結核菌の頻度が低い地域ではBCGを行うデメリットが大きいと思われる。BCGを中止したスウェーデン、旧東ドイツ、チェコスロバキア等では、中止後小児結核が増加した。残念ながら結核菌の頻度が高い(特に家族間感染が多い)日本などの地域では今後もBCGは行われてゆくだろう。
重要なのは、BCGによって実際に結核が集団感染したとき診断や感染経路の特定が難しくなることだ。そのデメリットが大きくクローズアップされるような事態にならないといいと思う。
この関連事項だが、日本の子どもが先進国にいくとBCGのおかげで結核患者の待遇を受けることがある。”在外事務官情報 アメリカ合衆国(ニューヨーク)”(参照)より。
当地では、ツベルクリン反応陽性者は結核感染者として取り扱われます。しかし、邦人の中には去に受けたBCG接種の影響で反応が陽性となったと思われる方も稀ではなく、これら陽性者(結核感染による陽性かBCG接種による反応か)の取り扱いが度々問題となっています。
この問題が気になる人は海外赴任医療Q&A<FamiNet””(参照)も見ておくといいだろう。
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コメント
集団検診の正体ですね。
投稿: Sundaland | 2005.10.23 19:14
私、若い時分に古風にも労咳病みとなって最終的に肺の一部を切り取る羽目になりましたが、発症してからの検査でもツベルクリン反応は陰性だったと思います。
漠然と「今度発症したら、耐性菌に違いない、リファンピシンもパスも、もう守ってくれないだろう」と勝手に思い続け云十年。とりあえず無事です^^;
でも、職場で定期健診の結果を聞くのはいつも悪い想像をして結構怖いです。
スミマセン、「だから」と言われそうな余計な事書いて
投稿: KU | 2005.10.25 23:18