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2005.09.04

[書評]砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)

 私の書架に「砂漠と幻想の国 アフガニスタンの仏教」(金岡秀友・菅沼晃・金岡都)という対談本がある。一九七七年の初版だ。ネットの古書店を見ると、まだ入手可能でもあるようだ。内容は標題からわかるが、アフガニスタンの仏教を巡っての話が主軸になっている。アフガニスタンにソ連が侵攻する以前の様子もよくわかって面白い。私がこの本を買ったのは、密教への関心から金岡秀友に関心を持っていたことと(参照)、仏教というのはヘレニズム宗教なのではないかという漠たる思いからだった。
 世界がタリバンに関心を持つようになってから、私もアフガニスタンのことが気になり、なんとなく折に触れて読み返すことがある。昨日も自室でぼーっとしながら書架を見ていてこの本に気がつき、また手に取ってみた。
 アフガニスタンの仏教といっても、パキスタン領のガンダーラ地方とも関連が深いように現在の国境で区分されるものではない。パキスタン側の地域シルカップ(参照)には重要な仏教遺跡クナーラ塔(参照)があり、ここはクナーラ伝説で有名である。
 本書にも引かれているが、クナーラ伝説はこういう話である。アショーカ王の子、クナーラ王子は、美男聡明ということもあり、実母亡き後、若い継母に色仕掛けで言い寄られるが、王子はこれを諫めた。継母は逆恨みをして、夫である王を騙し、クナーラ王子を僻地に追放した。しかし王子は僻地をよく治め評判を高めた。継母はさらに怒り、謀略で王子を罪人とし、その刑罰として、両眼をえぐり山野に追放した。王子は流浪の身となり、歌うことで命をつなぐのだが、ある日、その歌が王の耳に入る。王はそれが息子の声であることを知り、また妻に騙された自分を後悔した。どうしたらよいのか。王は阿羅漢(仏教の聖者)に息子の目が見えるようになるように懇願した。阿羅漢は民衆を集めなさいと王に答えた。そして、阿羅漢は仏教の根幹教義である十二縁起を説法すると、民衆は感涙極まった。阿羅漢は王に言った、その涙を集めて王子の目を洗いなさい。すると、王子の目は元に戻った。
 話は後世のアラビアン・ナイトを彷彿させるが、そういう関連もあるようだ。こうした仏教説話はジャータカ(参照)として収集され、今日では日本では上座部仏教系で知られるようになるのだが、クナーラ王の話でもそうだが、原点は索漠としたアフガニスタンの地ではなかったか。

cover
ブッダ
 銀面女の話も本で紹介されている。こんな話だ。バラモンのカースト(階級)に生まれた銀面女は、女に生まれたことを悔やみ悲しんだ。その人生は苦労を積み重ねるもので、最後は自分の乳房を切って人に与えて死んだ。その善根因果で願いが叶い次の転生ではバラモンの男に生まれた。そして、今生にあってはさらに善根を積むべく、我が身に千の穴をあけ、飢えた動物の子の糧とさせ、死んだ。三度目の転生では王に生まれたので、人々に善政を施した。が、誰も供養しない虫たちもいることを知り。虫たちにこの身を捧げるため、山に入り、虫に血を吸わせて死んだ。かくして四度目の転生に仏陀となった。
 ジャータカではないが本書にはこんな説話も引かれている。スルーパ王という王がいた。王は妻子をつれて山に修行に入ったところ、先に修行した叔父から、欲を断ち切らなくては真理は得られないと告げられた。また、真理がマントラ(偈)にあることも知ったスルーパ王は、叔父にそのマントラを請うと、叔父は腹が減って言えないと答えた。そこで、スルーパ王は息子を差し出すと、叔父はその息子を食った。さらに妻も差し出させ、食った。それでも教えてはくれない。しかたがない。この身を食ってもよい。だがその前にそのマントラを教えてくれと懇願した。すると、ようやく叔父は教えたのだが、スルーパ王は食われた。とその時、王は帝釈天に変わったという。
 こうした話は日本人の心性としてはドンビキという感じだろうか。しかし、アフガニスタンの古い仏教というのはこういう感じのものだっただろうし、その地の風土というのはそういうものなのだろう。金岡秀友の対談相手である菅沼晃はこう言っている。

 しかし、そういう説話を聞かされても日本人はピンときませんね。身を猛獣に投げ与えることにしても美談だとはとても思えない。しないでもいい苦労を、好んでしているのじゃないか、そんな感じさえします。
 それもわが身を飢えるのもののために捧げるのならまだしも、わが子をトラに与えて供養したとか、頭や首を切りとって供養したという話にいたっては、とういてついていけない気がします。

 旅を想起した対談は同じく菅沼晃のこうした言葉で締められる。

 さて、アフガニスタンからパキスタンへ遺跡をめぐりながら重ねた旅行も、このあたりでピリオドを打つことになりますね。アショーカ王がその勢力を誇った地域からすると、その何十分の一にも足りないほどの間を歩いたのに過ぎません。しかも、民族の精神を支えて生きつづける日本の仏教に比べて、すでに遠い昔、砂漠の中に埋もれ去っていったその西アジアの仏教を廃墟の中に訪ねながら、私は人間の精神と風土という問題を、改めて考えずにはいられませんでした。

 捨身と暴虐を背景とした古代のアフガンの風土のなかで仏教は陶冶さてきた。しかし、日本人もその仏教もそうした原風景のようなものに立ち向かうほどの精神性は持ち合わせてはいないのだろう。

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コメント

つまるところ個人の魂の救済なのですよね。

彼我は同じ輪廻を語ってるようでいて、一つのカオスなスープからの出入と考えるか、それともあくまでも独立した魂の輪廻サイクルと考えるか。

子には血の繋がり、妻は現世の契りがあっても所詮輪廻のサイクルは全く違う赤の他人と思えばこそ、それらを犠牲にして平然としていられる。

投稿: | 2005.09.04 15:29

>わが子をトラに与えて供養したとか、頭や首を切りとって供養したという話にいたっては、とういてついていけない気がします。
これは仏教説話ではありません。ジャータカの中に第3者を犠牲にしてまでの利他行は見受けられません。よって仏教の教えでは、
>犠牲にして平然としていられる。
間違いなく悪業として報いを受けることになります。


投稿: F.Nakajima | 2005.09.04 20:12

>捨身と暴虐を背景とした古代のアフガンの風土のなかで仏教は陶冶さてきた。しかし、日本人もその仏教もそうした原風景のようなものに立ち向かうほどの精神性は持ち合わせてはいないのだろう。

まず、地理的に間違いがあります。仏教思想の研究・深化の中心はガンジス川であり、カイバル峠を越えたアフガン地域はマウリヤ朝の支配下にあるとはいえ、辺境にすぎません。そこには「仏教の原風景」など存在しないのです。

その上で、たとえジャータカなどは釈迦を超人化するために相当脚色がほどこされています。書かれた風俗=当時のインドでは当然とは言い切れないのです。

私の私見では気候・風俗も含めればおそらく仏教の原風景に一番近いのはバングラディッシュ辺境の上座部仏教徒だと思います。
もっともそこには捨身も暴虐もなく、ただ戒を守り、輪廻のもとに八正道にいそしみ、いつの世にか解脱を成し遂げようとする人々の姿しか見受けられませんが。

投稿: F.Nakajima | 2005.09.04 21:03

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