郵政民営化後の日本経済でそのカネの流れがどうなるかについて考察するには、現状では、平成十七年六月一日経済財政諮問会議に提出された「郵政民営化・政策金融改革による資金の流れの変化について」(参照・PDF)という資料が重要だろう。執筆者は、跡田直澄慶応大学教授との高橋洋一内閣府経済社会総合研究所員で、両氏とも竹中郵政民営化担当相ブレーンのメンバーでもあるといわれていることもあり、政府の見解にも近いはずだ。
前提として明確にしておきたいのは、郵政民営化は、財政危機回避やデフレ克服が当面の目的ではなく、財投改革に端を発した入口改革であることだ。簡単に言えば、無駄遣い・天下りの根である特殊法人(財投機関)に流れ込むカネを徐々に減少させ、最終的に封じることである。だが、郵貯・簡保が、第二の国家予算ともいえるような不透明な国家運営の資金源になることを断つのが目的であるとしても、現実問題としては一朝一夕にそれを断つことはできない。ウォルフレンがTIME”The Play's the Thing”(参照)で指摘しているように世界経済にとっても危険なことにもなりえる(なお、彼は郵政民営化法案を誤解している面があるようにも思える)。
日経済財政諮問会議の該当資料の推定によれば、郵政民営化の十年後、二〇一七年度に財投に流れるカネは、二〇〇三年度の二〇〇兆円から一〇兆円にまで減少するとのこと。十年をかけての緩慢な変化ではあるが目的は達せられることになる。
「官から民へ」という全体については同資料が次のようにまとめている。
この改革によって、2003年度と2017年度の資金循環を比較すると、家計資産に占める公的金融のシェアは26%から5%へ激減し、民間負債に占める公的金融のシェアは19%から6%へ激減するなど、資金の流れは「官から民へ」と大きく変化するだろう。
しかし、「官から民へ」という表現も「民」のとらえ方によっては、その評価が分かれる。
例えば、「民」を民間の銀行をターゲットにするのではなく、その先にある民間企業か国かという点で見るなら、十年後も、依然、民へではなく、国(官)への流れが大きい。
朝日新聞”郵政民営化Q&A お金の流れは変わるのか”(
参照)はそこに着目して、解説用の設問から郵貯のカネは民間には流れないという結論を誘導している。
ところが、視野を郵政→財投の外に広げると、光景は一変する。民間金融機関から国債・地方債を通じて政府・自治体に流れるお金が、280兆円から670兆円に激増している。家計が直接国債を買う額も現在の10倍の100兆円に増加しているのだ。
さらに、郵貯・簡保が直接買う国債・地方債も、130兆円から150兆円に増える。合計の増加額は500兆円。つまり、政府・自治体に流れ込むお金をみると、財投経由は確かに、80兆円減るものの、差し引きでは、400兆円以上も増える計算なのだ。
これに対し、民間企業に回るお金は、民間金融機関経由が100兆円から240兆円に増え、郵貯・簡保からも最大30兆円増加する見通し。「伸び率」で見れば大きいが、家計預金の行き先に占める「官」と「民」の比率が大きく変わるわけではない。
「視野を郵政→財投の外に広げると」という点ですでに論点の変更があるが、それでもいわゆる三百四十兆円が最終的に民間に回るわけでもなく、家計のカネも最終的には依然国へ流れているという構図は正しい。余談だが、だから巷間の奇妙な陰謀論も成り立たない。
この朝日新聞解説記事のように、郵政民営化は、民間にカネを回すという点では効果がないという結論も引き出せる。が、ここに二つの陥穽があると私は思う。
一つは、近未来のスパンで見るなら、最終的にこのカネが国に流れないことは日本の国家運営を危うくするだろうということ。いわゆる三百四十兆円も旧勘定となり安定運用として事実上隔離されるに等しいのだが、これは国債など国家保障のもとで運営するしかないだろう(実質的な敗戦処理だろう)。このカネをリスクにさらすわけにもいかない。また、財政危機の深刻さを思えば、財政を支援するこのカネの流れは十年程度で断てるものでもないはずだ。
二つめは、「では郵政改革が無意味だ」と結論するには十分な程度には財投改革は進む。朝日新聞の解説も認めている。
Q では、郵政民営化は無意味なのだろうか。
A 財投改革を後戻りさせないという意義はあるだろう。「(財投と一般会計という)政府の二重性を排除できる」(跡田教授)ため、財政の透明性は高まる。「資金の通り道」とはいえ、民営化で、資金の配分に市場原理が強まり、政府の無駄遣いへのプレッシャーにはなるだろう。
つまり、かつての利権、国家から見えない巨額のカネの流れというのは事実上終わることになる。
つまるところ、それでいいのではないかというのが私の考えでもある。これは自由主義国家というものの根幹の制度の問題であり、市民が豊かなら社会主義国でもいいという話ではない。別の面から言えば、財政危機回避やデフレ克服は経済の分野にあるとはいえ、範疇を異にする問題でもある。郵政改革は財政危機回避やデフレ克服には役立たないという論も見かけるがそれならなおさらのこと、郵政改革はそれ自体の限定性のなかで重要性がある。
以下は余談だ。
経済財政諮問会議資料を巡る郵政民営化十年後の話題はこれで終わりかというと、そうもいかない奇妙な疑問が残る。大きな余談になるが触れておきたい。
先の朝日新聞解説記事の引用部分で、カネの流れについて、絶対量より比率が着目されていたが、この資料では郵政民営化にかかわらず家計のカネの量が大きく膨れることを前提にしている。大まかなところだが、二〇〇三年では八百七十兆円であるのに対し、二〇一七年では千四百兆円に膨れている。一・六倍に家計が成長する。しかし、過去の十年を考えると、率直なところ「ありえない」感が漂う。
資料を見るとこの効果は郵政民営化がもたらしたものではないようだ。郵政民営化とは独立して家計の成長が想定されている。この意味をどうとらえたらいいか。なお、先の朝日新聞解説記事には、結果として、家計の膨張をあてにした国債消化がありうるのかといった解説的な設問も提示されているが、とりあえずそれは郵政民営化とはまた別の話であり、財政改革とごっちゃにしないほうがいいだろう。
いずれにせよ、資料に示されているような家計の成長が今後十年の日本で可能なのか、という疑問は残る。朝日新聞解説記事はこう言及している。
財政改革は、郵政民営化より、はるかに大きくて複雑なテーマだ。経済の成長力や社会保障や税制のあり方など、様々な要素を考える必要がある。
例えば、試算で前提とされている経済成長や財政収支の見通し自体、決して低いハードルではない。実質成長率は1%台半ばから2%程度。インフレ率を加えた名目成長率は3%台半ばから4%程度が想定されている。名目マイナス成長も珍しくない現状のままでは、実現はおぼつかない。
朝日新聞は郵政民営化の話から財政改革の話へシフトし、それは無理だろうという雰囲気を醸しだしている。
だが理論的には無理ではないだろう。さらにきつい可能性すら机上では想定できそうだ。その一例として、
「日本経済にいま何が起きているのか」(岩田規久男)には、こういう想定もある。
勇ましい掛け声だけでなく、本格的に構造改革を進めることにより、潜在成長率を四%程度まで高め、そのうえで、名目成長率を五%~七%程度に維持しようとすれば、GDPデフレータは一%~三%で上昇しなければなりません(定義により、名目成長率は実質成長率にGDPデフレータの変化率を足したものになります)。つまり、日本経済が真に復活するには、デフレを止めるだけでは不十分で、物価が一%~三%で上昇し続けることが必要でしょう。
この本の趣旨では、そうするにはインフレを誘導せよということでもあるのだが、逆にそのような想定が先の資料に含まれているのか、そこまでは私は十分には読みとれない。
資料が暗黙の内に政府の立場を代弁しているとすれば、この想定には、弱い形でのインフレ誘導が含まれているようでもあるし、そのことは国家運営の側でも折り込まれているのかもしれない。そこが私にはよくわからないところだ。それはもちろん郵政民営化の問題ではなく、財政改革の問題でもあるのだが。
また、インフレ誘導が暗黙に含まれているというならその実質的な増税効果を国民がどう捕らえるのか、どのように国民に提示されるのか、といった点が明確ではない。こうした経済政策は国民の意思とは別に遂行されるのかもしれない。
関連して気になることがある。先日十三日付フィナンシャルタイムズだが、選挙後の小泉改革を論じた”Koizumi's mandate for reform”(
参照)に、今後の日本の経済にこうした提言があった。
Given that growth resumed during Mr Koizumi's first term, despite the absence of serious economic reforms, his best option now is to let it run its course. However, that is not his decision alone. First, the Bank of Japan could seize on the return of even modest inflation to raise interest rates prematurely. Second, although Japan's growth depends less on exports than it did, it would not be immune to a global economic downturn.
前段には消費税アップといった間違った施策は取るなという話があり、それはわかりやすい。また、全体としては経済をいじるなというのもわかる。含みとしては昨今出てきた量的緩和の出口論の牽制でもあろう。問題はこの二つの提言だが、二番目の提言のほうはわかりやすい。以前ほどではないだろうが日本は輸出依存ではなくなっているものの、また輸出志向になれば世界経済の負の影響をかぶるだろうから自制せよというのだ。中国の崩壊の含みがあるかもしれない。
一番目の提言がわかりづらい。日銀はこの機に乗じて緩和であれインフレ誘導はやめとけ、ということなのか。そのあたりの話と背景がよくわからない。単なる私の受け止めかたの間違いかもしれない。もっともこの部分は本質的には郵政民営化とは関係のない話ではあるのだろうが。
追記:この部分、コメントで指摘をいただいた。「日銀は控えめなインフレの果実すら時期尚早に刈り取って利上げに走ってしまうかもしれない。」ということで現状の弱いインフレ政策の続行を示唆している。