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2005.08.02

カネは天下の回りもの

 身辺記事の類。先日、ぶらりと花火を見に出かけた。私は花火が好きで、よく見に行ったものだったが、沖縄暮らしを終えて東京に戻り、もうすぐ三年にもなろうというのに、昨年も一昨年の夏も花火を見に行くことはなかった。なぜか自分の心に問うてもよくわからないが、その夕暮れは、なんの気なしにぶらっと行く気になった。なんか、やさぐれた気持ちもあった。
 花火会場の最寄りの駅に降りて、違和感があった。人が少ない。花火は中止だろうかと思った。が、多少の人出はある。浴衣着の若い女性もいる。昨年は変な浴衣が流行るものだと思ったが、見慣れた。若い男性の浴衣もあるが「つんつるてん」という古い言葉が思い浮かんだ。
 花火は結局あった。しけた花火だなとも思ったが、それなりに夏の夜空に美しく、帰りも人出の少ない夜道を歩いたのだが、喉が渇いた。
 そんなときに必ず自販機があるのが日本である。なければ地面からぬっと出現する、わけもないのだが。さてなんかお茶でも飲むか。生茶でもいいぞ。いつの間にか茶香料を抜いたみたいだし、と奇妙に輝く自販機を見ると、七色亜茶というのがある。七つのお茶をブレンドしたらしい。温度で味が変わるとかいう。お茶好きにチャレンジするその意気込みがよろしいと、コインを突っ込む。百二十円。私は自販機をほとんど使わない。そうか、百二十円か。百円と二十円か。沖縄だと、百円だったよなとふと思う。
 と、出てこないことにふと気が付く。なにがあったのかと機械を見ると、お前の突っ込んだカネは百十円だよと言いたいらしい。そんなわけはない。おつりのところに指を突っ込むと案の定、そこの十円がある。ほらな。俺はドジな男だが、こういうことで嘘はつかない。その十円をさらに突っ込む。が、きゃつはぺっとまた吐き出した。その十円がまるで気に入らないみたいだ。壊れてるのか。北朝鮮の偽金と思ったか。金さんはこんなしけたカネは作らない。私はこうした事態にしかしそれほど悩む人間でもないので、別のもう一個持っていた十円玉を突っ込んだ。ビンゴ。かくして、七色亜茶を買い、電車の来ないホームでちびちび飲んだ、そう不味くもない。なんだこれと帰宅後グーグルで情報を検索して萎えた。世の中知らないほうがいいことは多い。
 話を戻す。電車の中で夜の街を見ているうちに、ふと下車したくなった。私はそういう人間だったのだ。定期を持っているときなど、気まぐれでふと下車してその街をうろつき、なんか喰うのが常だった。そしてあのころ私には才能と呼べるものが一つだけあった。うまそうな店がわかるのである。私だけがそう思っているのではない。女もそう言ったものだ。ま、その話はどうでもいいや。というのもその才能も尽きたのかもしれない。故事にある食指が動かない。だめだな俺。やさぐれた気持ちでいると目の前に松屋というのがあった。麦とろ御前四百九十円は魅惑的だ。五百円のワンコインで飯だ。と、その話は省略。
 店を出るとまた喉が渇いた。糖尿ってことはない。店の水というのを飲まないたちだし、味噌汁はちとしょっぱかった。なので、また自販機がぬっと登場する。爽健美茶でも買うかと、百二十円を突っ込む。そう、百円玉と、おつりの十円とさっきの十円があるぞ、と。しかし、また十円突っ返された。時は2005年シグマドライブでエネルギー問題を解決した人類の文明にいったいなにが起きているのか。ま、いいや、帰って自分で熱い茶でも飲むかとと駅で切符を買うとき、それがまた起きた。十円がぺっと返ってくるのである。
 ここに至って、この物語の主人公が私ではなくその十円であることがおわかりいただけるだろう。そうだ。なんなんだこの十円。私は、場末の駅の蛍光灯の白けた灯りのなかでじっくりとその十円玉と見た。
 もちろん、ただの十円玉である。偽金ではない。が、よく見るとというかよく見なくてもわかった。昭和二十八年とある。昭和二十八年。俺が生まれたのは昭和三十二年だぜ。俺より四つも年長さんでしたか、こりゃすまん先輩。俺が四十八歳だが、おまえ様は五十二歳(参照)。いや、お互い戦後生まれの戦争も知らない世代とか言われたものだが、半世紀の時が経ちましたなぁ…感慨モードに落ち込む。
 よく見れば、昭和二十八年の十円玉も私のように擦り切れている。そういえば、と、縁を見る。ギザがあるよ。ギザを撤退したのはいつのことだったか。そういえば子供ながらに、ギザのない新しい十円玉を不思議に思った記憶もある。
 以前、西洋の魔法の本を読んだことがあるが、魔術師は物体から記憶を読み出すことができるらしい。私は魔術師ではないのだが、その十円の記憶の雰囲気のようなものには当てられた。
 帰宅してから調べてみた。十円玉というのはいつできたものか。これはすぐにわかった。Wikiによると(参照)、一九五三年一月一五日。つまり、昭和二八年だ。つまり、こいつ、第一世代の十円玉だったのだ。へぇー。
 Wikiにはギザの話もあった。「一九五九年二月一六日:十円硬貨が、側面のギザの無い新しいデザインに変更される」 とすると、私が二歳の時だから、物心ついて切り替わったわけでもないのか。ついでに、稀少性の十円玉は私の生まれた昭和三十二年とのこと。そうか。初代二十八年の十円玉は希少性もなく、天下を回り続けて、花火の夜に我が懐中にやってきたわけだ。
 ところで、なんで自販機がこいつを吐き出すのか、重さでも違うのかと計ってみたが、一グラムと違いはない。どこで見分けているのだろうか。

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コメント

昭和28年の10円玉だけが、そうなんですかねぇ~
不思議な話!
機会があれば、というのは28年生の10円玉が手に入れば、ぜひ試してみたい!

投稿: to-inoue | 2005.08.02 17:46

何処で使っても何故か戻ってくる硬貨ってありますね
急いでるときは焦ります

投稿: 案山子 | 2005.08.02 20:01

ギザがあるのとないのでは、厚さが微妙に違うという話を聞いたことがある気がします。
それで自動販売機では使えないとか。

投稿: hiro-tak02 | 2005.08.02 22:16

句読点が。やたら。多い。書き込みは。ださい。

投稿: うんこ | 2005.08.02 22:19

何度か。入れると。普通に使える。事があります。

投稿: kaze | 2005.08.02 23:01

沖縄はいま110円になってます。
本土が110円→120円になるタイミングで110円になっちゃいました。

投稿: Lefty | 2005.08.03 01:21

俺もググってトップページみて萎えた。知ってたら絶対こんな茶は買わんな。

投稿: quiteafew | 2005.08.03 09:07

戻ってくる10円玉は入れる時に勢いをつけたりすると認められる時もあります。製造年に原因を求める考え方が新鮮。単なる摩耗で硬貨が認識されなくなるのだろうと今まで思っていました。

投稿: vender | 2005.08.03 09:37

シズマドライブ…

投稿: 樊瑞 | 2005.08.03 10:50

今日は、まるで、小説のような、書き方をするのですね。たまには、おもしろいかもぺ。

投稿: ash | 2005.08.03 10:51

古い硬貨はその長い使用年月から、磨耗し厚さや最大直径、重量が減少するため自動販売機が認識しないと聞いたことがあります。
ハイ。

投稿: Hiro | 2005.08.03 15:49

往年の切子のような文で面白かったです

投稿: あうら | 2005.08.03 19:04

飲料の自販機で戻ってくる100円玉は硬貨の挿入口を軽くたたいてやってからいれると
認識されたりします

投稿: 猿小玉 | 2005.08.06 00:17

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昭和26年 15枚 昭和27年 86枚 昭和28年 79枚 昭和29年 84枚 昭和30年 24枚 昭和32年  8枚 昭和33年  2枚 合計   298枚 え〜〜〜と。勘の良い方なら、なんの話を書こうとしてるのかすぐ判ると思いますが、10円玉の話です。タダの10円玉じゃないぜ。ギザ10ですギザ10。確かに盆休みヒマだとは日記にも書きましたよ。しかし、来年30にもなろうと言う男が、夜中の1時頃ギザ10の数を、チャリチャリ数えてるわけなんですよ。(手を十円玉臭くしながら)もう、こんな姿を母ちゃんに... [続きを読む]

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数日前の「極東ブログ」さんの記事で取り上げられていた「昭和28年の10円玉」に遭遇した。 f:id:kurimax:20050806145021j:image [http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2005/08/post_e162.html:title=カネは天下の回りもの] よく見れば、昭和二十八年の十円玉も私のように擦り切れている。そういえば、と、縁を見る。 確かにギザ十だった。 f:id:kurimax:2005080614511... [続きを読む]

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