ロンドンのテロ再発とエジプト・シャルムエルシェイクのテロ
ロンドンのテロが再発し、これに示し合わせたようにエジプトでも多数の死者を出すテロが発生したため、どうしてもまた「テロとの戦い」ということに関心が集まるようになった。どちらもテロも真相がわかっているわけではないし、私に特別な情報ソースがあるわけでもない。しかも、些末なソースから愉快な物語を仕立てる能力もないのだが、少し思うこともあるので記しておきたい。
私が今回の二つのテロについてまず思うのは、この二つのテロをリンクしてはいけないということだ。むしろ、この二つのテロをリンクさせることが、シャルムエルシェイクでのテロの目的ではないかと思える。後者のテロについては、その場所からして、明確に反米の意図が伺われる。つまり、反米というスジに乗せられることがすでにテロへの屈服の一段階になる。その意味で、今朝の朝日新聞社説”中東テロ 何が憎しみを生むのか”(参照)はまんまと術中に陥ってしまった。
テロ対策と中東民主化という二つの目的を追求するためには、もっと多面的なアプローチが必要だということだろう。答えは簡単ではないが、少なくとも軍事力に傾きがちな米国の対テロ戦略が見直しを迫られているのは間違いない。
それこそがまさにシャルムエルシェイクのテロの目的でもある。
朝日新聞は、米国の中東の民主化の進展がうまく進んでいないというが、この問題はそう単純ではない。むしろある側面で言うなら、大衆が民主化に進むことへの恐れがテロリストを駆り立ている側面もあるだろう。なにより、朝日新聞の稚拙さは世界認識への崩落があるように思える。冷戦時代まではイデオロギーが世界認識の代替たりえたが、その後はそう単純な世界はない。テロとイスラム原理の問題についていえば、より深刻な事態はむしろ中央アジア側にシフトしつつある。そして、テロ対策に「軍事力に傾きがち」なのはロシアと中国なのだ。ここでも中国様のご威光が朝日新聞などモデレートな左派勢力に思考停止を命じている。
二つのテロのリンケージを緩めて見るとして、この二つのテロについて現状でどのようなことがわかるのか。最初のロンドン・テロについては、事件翌日の極東ブログ「ロンドン同時爆破テロについて」(参照)で示した予想がその後の事件の解明で粗方正しかったようだ。そして、今回の惨事に至らなかったテロだが、どちらかといえば前回のテロの延長ではなかったか。特に、大惨事を避けた理由だが、テレグラフの”What are the theories behind the explosions?”(参照)や”Bomb material deteriorates in 'just a few days'”(参照)の説に引き寄せられるのだが、自家製の過酸化アセトンが使用されていたことにあるようだ。しかも、今回のテロは、それゆえの爆薬の劣化ということが背景にありそうだ。この経緯を見るに取り敢えず今回のテログループの一端なりはある程度までは目星がつくだろう。が、小グループでしかも社会怨嗟が根にあれば、根絶は難しく、その意味で、テロの恐怖からロンドンが自由になるのはそう簡単なことではない。そしてそのスジでいうなら、日本のテロの危険性とは社会怨嗟の関数でもあるのだろう。それは十年前に経験したようなタイプだろう。
今回のロンドン・テロでは無実の男性(アラブ系か?)が射殺され、これがイスラム圏に報道され、反発を深めている。そこにシャルムエルシェイクの反米的なテロがスジ立てとしてイスラム圏に増幅される。まさにそれが問題でもある。
シャルムエルシェイクのテロについてだが、このテロを単独で見るなら、明白に、二〇〇四年一〇月七日に発生し、四〇名近い死傷者を出した、シナイ半島のタバのテロに似ているということがわかるだろう。タバのテロについては、その後、エジプト政府がかなり強行に鎮圧に乗り出していることもあり、その後は鎮静しているかに見えたが、シナイ半島という土地柄が土地柄だけに完全なテロの鎮圧は難しいだろう。かつての戦争の兵器の残存も多いのではないかとも思う。
シャルムエルシェイクのテロについての日本国内の報道について、ざっと見回した範囲なのだが、二十日の午前に同地で行われたライス米国務長官とムバラク・エジプト大統領と会談について言及しているものが少ない。それどころか、今朝の毎日新聞社説”テロ抑止 欧米とアラブ諸国の協力を”(参照)などは悪い冗談のような書き出しをする。
澄んだ水の底で大きなナポレオン・フィッシュがゆったりと泳ぐ、紅海沿岸の街シャルムエルシェイク(エジプト)。そんな平和な保養地で、ロンドンの同時テロに呼応するように大規模な爆弾テロが起きた。
悪い冗談のような社説はさておき、これはどう見ても、ライスとムバラクを狙ったか、それができずに、手薄になった二三日を狙ったかと見るべきだろう。その意味で、こちらのテロはかなり明白に反米と、反ムバラクの意図が読みとれるはずだ。
このテロの反米的な性格については、これまでいろいろ語られてきたのだが、むしろ問題は反ムバラクの側にあるだろう。
重要なのは、エジプトの大統領選挙投票がようやく九月七日に決まった点だ。今回の大統領選挙についてはこのエントリではあまり立ち入らないが、従来は一候補者に対する信任という困った制度だったが、今回は対立候補が名目上は可能になる。しかし、それが実質的な意味をもつかというとまだ不明瞭な状態だ。それでも、さらにムバラク政権が継続されることを好まない勢力は各派にまたがっている。今回のシャルムエルシェイクのテロについては、かなりエジプト的な問題の背景もあると見ていいだろう。
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コメント
考えれば考えるほど、中米のテロとよく似た構図がある。中米のテロを指導しているのは、旧来の封建的勢力で、彼らが最底辺の少数民族を動かしつつ、アメリカと結んだ近代化に反対している。
サパティスタなどの武装蜂起による、メキシコの経済崩壊をみれば、アメリカ資金の導入に反対する、在地権力の意向であることは明白。
これは小泉郵政改革に反対する特定郵便局長と自民党右派の結合とよく似ている。
かれらが、民衆蜂起の形をとれないのは共産党と公明党に、底辺民衆を組織されてしまっているからだ。
投稿: 通行人 | 2005.07.24 09:54
どこだって同じような状態だからなあ、権力と対立がない場所なんてどこにあるのやら。
怒りにも相応のレベルというものがあるのではないかな?
投稿: ↑ | 2005.07.24 15:30
テロの目的がどのような形であれ達成できるような社会は、将来ますますテロを目的達成の手段にするような傾向を生むと思う。
アメリカに対する批判の前にテロに対する怒りと無法が通る無秩序の修正を。アメリカに対する批判はその後にしないと問題を間違えてしまうと思う。
何を言おうともテロは悪いということをもっとマスコミは大きく取り上げるべきであると思う。
投稿: to-inoue | 2005.07.25 07:41