米タイム誌取材源秘匿問題雑話
米タイム誌取材源秘匿問題が重要な局面を迎えた。この問題もいくつかの側面があり、簡単に断ずることができないのだが、それでもこの問題にふれずしてこのブログを継続する意味はない。簡単に触れておきたい。
状況についての概要は毎日新聞”米取材源秘匿:タイム誌記者の取材メモ 連邦大陪審提出へ”(参照)が読みやすい。
米中央情報局(CIA)工作員の氏名漏えい事件に絡み、連邦最高裁が、取材源の秘匿を理由に捜査への協力を拒否した記者2人の収監を認めた問題で、米タイム誌は30日、同誌のマシュー・クーパー記者の収監を避けるため、同記者の取材メモを連邦大陪審に提出すると発表した。
ごく簡単な構図で言えば、司法がジャーナリズムの原則とされてきた取材源の秘匿に介入できるかということでもある。古風な頭で考えると、ここは臭い飯(死語)を喰ってでも、司法に楯突くのがジャーナリストである、となるように思う。
その構図は、ある意味で、ジャーナリズム論としてだ。
問題のもう一つの側面は、当の取材が国家にとってどれほど重要な意味を持っているかということもある。それが重要であれば、ジャーナリストの原則・気概ということではすまないかもしれない。
問題はなんであったか。おさらいがてらに引用する。
漏えい事件では、ブッシュ政権を非難していた米外交官の妻がCIA工作員であることが暴露された。ホワイトハウス高官が、国家機密にあたる工作員の氏名を主要メディアに漏らしたとみられており、大陪審が容疑者を起訴するかどうかを決定するため、両記者やタイム社などに情報開示を求めていた。
私はとりあえず二つの視点を持つ。一つはこの外交官の生命が危機に陥る可能性はないか、ということと、CIAという諜報機関の権力を制御するにはこうした手法は肯定されるべきかということだ。
後者からすると今回の事態がどれほど国家運営に重要かということになる。そこがよくわからない。やっかいなのは、その取材メモが開示されないとわからない面があるかもしれないということだ。司法がそれに関心を持つのは、国家権力のありかたとして是認される面はあるようにも思える。ただ、その傾向が強まっているかなとも思う。朝日新聞”取材源の秘匿、また認められず スパイ疑惑報道で米高裁”(参照)などからはそうした傾向の示唆を受ける。
前者だが、ここはまさに個別の問題でディテールの情報が重要になる。
二点の部分について、タイム誌と一緒に関連していたニューヨーク・タイムズ紙の六月一九日付けエディトリアル”The Thinking Behind a Close Look at a C.I.A. Operation”(参照)が重要であるように思うが、率直のところこのディテールをうまくまとめて自分の見解するだけの力量は私にはない。
この問題が日本の状況に示唆する点はなにか。
基本構図というか潜在的な構図は同じだろうが、現実側面で日本のジャーナリズムで問題になることはあまりないようにも思う。くさしたいわけではないが、よくブログでは新聞ジャーナリズムが話題になるが、日本の新聞はあまりジャーナリズムとしては機能していない。しいていうと、週刊新潮と週刊文春くらいだろうか、ジャーナリズム的な相貌をもっているのは。単純な話、我々が日常の生活で直面する権力的な団体の問題が、新聞ではあたかも存在しないかのようになっている。
ジャーナリズムの一般論にまで引き戻せば、今週の週刊文春の「新聞不信」”匿名情報を排除する愚”(7・7)の結語が、あたりまえとはいえ現場の感触を伝えて興味深かった。匿名情報についてだ。
取材される側から言うと、オフレコがダメならうっかり新聞記者と話せない。身の危険、いや家族にも危害は及びかねないのである。
権力とはなにかの議論は哲学者にまかせておけばいいが、権力の機能は単純である。恐怖であり畏怖である。些細な話だが、ブログなどでも恐怖や畏怖を意図した乱入があれば、それは権力の機能であると言っていいだろうと思う。ブログがそうした権力と向き合えるか。現実主義者にして敗北主義者の私は、だめだろ、と思う。希望をもっているかというと、馬鹿なので、もっているけど。
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コメント
権力が恐怖や畏怖としての機能を持っているとしても、馬鹿正直に恐怖や畏怖という言葉を用いないからなあ。
投稿: 初見 | 2005.07.01 22:05
↑のかたへ
人それぞれの表現方法がありますので、
そろほど熱くならなくても。
投稿: ねお1 | 2005.07.01 23:24