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2005.07.31

収賄で死刑判決が出る中国

 中国ってわからない国だと考えるか、おもすれーと見るか、結局同じなら、後者のほうがいいのかもしれないが、たとえば収賄で死刑判決が出るというのはどう? 収賄はいけないけど、それで極刑ですか、中国様。ニュースは国内報道があるのかよくわからないし、私が簡体字が使えないせいもあるのか、グーグル・ニュースでも中国ではあまり出てこないが、香港、台湾では、ざくざくという感じで出ていた。話の主人公は馬徳さんという人だが、日本のGHQ漢字はだめだめで、馬德で検索するといい(参照)。
 大紀元というサイトでのニュースの標題は”中國最大的「賣官案」馬德被判死緩”。日本人なんで漢文はわかるから意味は通るものの、中国語としてはどんなかなとエキサイトの自動翻訳をかけると「中国の最大の「官職を売る事件」馬徳は死刑執行猶予が言い渡される」ときちんと出てくる。つまり、死刑ではなく、死刑の執行猶予ということだ。そりゃねということで、蛮族のようにしゃらっと始末してしまうわけでもなく、実際のところ死刑は名目みたいなものだ。
 それにしても、中国の最大の官職を売る事件なんだからそれでも大ニュースではないのかよくわからない。国内報道はネットでは見かけないように思うが…。というわけで、自動翻訳など使ってたどたどしく、新華社の「新華毎日電訊:“馬德案”與東北反腐風暴」(参照)とか読む。


馬徳事件はまだ綏化市を影響を及ぼしだす下に10の県市を管轄して以上の幹部の260数人につきあう。裁判所の審理は明らかにして、馬徳は1993年~2002年の間に、収賄は人民元の600数万元に考えをめぐらして、“新中国の創立から最大の官職を売る事件”と称される。

 よくわからん。というわけで、英語の新華社"Ex-official sentenced to death for corruption"(参照)のほうがわかりやすい。が、さらっとしていていまいち。妻が噛んでいるというのはどういうこととか思うがわからん。
 なんか補助情報はないかとネットを探すと、「中国からの日記・今の中国」というサイトに「中国に有りそうで、やっぱりあるもの・官吏の汚職」(参照)があった。昨年の八月ごろの記事だろうか。

 この腐敗現象と言うのはどんな事をするのか。その典型的なものが売官という行為で、つい最近の新聞(2004・8・4)にも建国以来の最大の売官事件が起訴されたと出ていた。黒龍江省の綏化市の市委員会書記・馬徳であるが、直轄する10の市、県の上級幹部50人を巻き込んだ事件で、56万元と5万カドルを受け取って、幹部の抜擢や移動に便宜を図った疑いで起訴された。不思議なことに起訴されたのは北京においてであった。

 これにこう続く。

 しかし、この見出しはオーバーかもしれない。金額で言えば 1700万円くらいで、建国以来最大と言うのはおかしい。この男は10年間も売官をビジネスにしていたと言うくらいだから、実際にはもっと大金を受け取っていたのかもしれないが、こんな程度の金額では中国一になれない。もっと凄い金額の売官事件が沢山有る。

 なにかもうちょっとディテールがあるのかもしれない。馬徳さんも控訴をしないのだが、飲んでいるのか、控訴なんて概念が中国にはないのか。
 他に「新しい東北アジア」というサイトの「中国の東北進行政策と北東アジアにおける経済協力」の資料にも今回の汚職がちょろっと出てくるが、なんとくなくだが、これって普通のビジネスだったのではないか。
 ところで、今回の裁判だが、昨今の風潮を反映している。”極東ブログ: 最近の新華社と孔子学院”(参照)でも似たような話に触れたが、関連して”党幹部汚職 腐敗に渦巻く不満”(読売2005.6.21)といった話もある。

 中国紙によると、改革・開放以来、海外などに逃亡した汚職官僚は約4000人に上り、持ち逃げされた資金は500億ドル(約5兆4000億円)を超える。海外や香港・マカオのカジノにも、大量の公金が投入されている。5月には、雲南省の貧困地区を襲った大規模地震の義援金4111万元を政府幹部が流用した事件も発覚した。
 昨年、汚職で摘発された当局者数は4万人以上。表に出ない不正、腐敗の数はだれにも分からない。
 “特権階級”である党幹部の腐敗問題は、「調和社会」実現に向けた大きな関門だ。発展から取り残された地方や農村では、特権への不満のマグマが渦巻いており、各地で発生する住民暴動の多くは、役人らの「横暴」に端を発している。

 というわけで、そうした不満の運動もあるようだ。”中国・江西省の学生15万人、大学腐敗抗議デモ/香港誌報道”(読売2005.7.20)。

香港誌「動向」の7月最新号によると、中国江西省で今年6月末に同省内28大学の学生計15万人が、それぞれの地元の政府庁舎前などで、大学幹部などの汚職や腐敗に抗議するデモを一斉に行った。同誌は天安門事件以来、最大規模の学生運動と報じている。

 実態はよくわからないが、反日暴動なんかで騒ぐ日本は中国様にはかないませんってことかな。

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2005.07.30

世界で最も影響力を持つ100人の女性

 これは悪い冗談だろ。フォーブス"The 100 Most Powerful Women(最も影響力を持つ100人の女性)"(参照)である。「パワフル」という言葉は、「恣意的な権力が行使できる」と訳したいくらいだ。あるいは、フォーブスの編集って…(言葉を濁す)。
 なにはとももあれ、リストをご覧あれ。


  1. ライス米国務長官 Condoleezza Rice (こりゃ間違いないな)
  2. 呉儀副首相 Wu Yi (あの無礼なドタキャン婆さんだよ)
  3. ティモシェンコ首相 Yulia Tymoshenko (⇒極東ブログ: 美人だろうが民主化だろうが、私はチモシェンコ(Tymoshenko)が嫌い)
  4. アロヨ大統領 Gloria Arroyo (メガワティ前大統領と同じく不正まみれ)
  5. マーガレット・ウィットマン、eBay CEO Margaret (Meg) Whitman (現在オークション・サイト)
  6. アン・マルケイヒー、ゼロックスCEO Anne Mulcahy (フィオリーナ前HP会長と違う?)
  7. サリー・クロウチェック、シティグループ最高財務責任者 Sallie Krawcheck (39歳!)
  8. ブレンダ・バーンズ、サラ・リーCEO Brenda Barnes (子供三人 マーサ風味?)
  9. オプラ・ウィンフリー、Oprah Winfrey (そうきたか、芸人。日本だと誰?)。
  10. ゲイツ夫人 Melinda Gates (文句なく偉い!)

 五位からはフォーブス風味ってことか。つまり、なにかとCEOとか。それに、政治家っていうか首相とか大統領、女王様とかなら入れとけ、と。芸人もな、と。そのあたりをごちゃごちゃとまぜてみました、というリストだね。
 それにしても、上位は悪い洒落だろ感はある。というか、ごちゃごちゃ感がいかんのかもしれないが、実直なビジネス・ウーマンでは記事にならないのかもしれない。
 ちなみに、日本人女性は一人。林文子ダイエーCEOはわからないでもないけど、ダイエーをわざとらに持ってくるあたりやはり悪い洒落感はある。なにより日本人から一人くらいは入れておかないとな感が漂う。
 さて、他の国はというと、まずアメリカは半数は占めているでしょと目の子で数えたら六四人。だめだこりゃ。
 英国が五人。フランスが四人。ふーんてなものだが、ドイツが一人。イタリアが一人。おんどりゃまだ連合国の絆は深いですかそうですか。
 ところでドイツはアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)でしょと思ったら違いました。そこまでドイツが嫌いですか連合軍。中国が三人。あ、中国も連合軍ですか。

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2005.07.29

メイドさんの話

 メイドさんの話、というと、「え、マジっすか?」と、はてなブックマークされそうな懸念もあるかもだが(ないよ)、このエントリの話のメイドは、実際のメイドさん、つまり、女中さんということだが、「女中」と書いた途端にATOKが「注意:不快用語等」とコーションを出してきた。で、どうせいと? と変換候補を選ぶと、「お手伝いさん」だそうだ。なるほどね。ついでに気になるのだが、「メイド」じゃなくて「メード」だったんじゃないかと字引を確認するとそのようだ。しかし、ここでは時流に合わせて「メイド」としておこう。さらにずっこけるが、「メール」を「メイル」とかワザトラに書く人が世の中にはいるが、英語の発音は「メール」。
 先日朝のラジオでシンガポール日本人会のかたがシンガポールの外国人メイド事情を語っていて面白かった。
 伝え聞くファクツだが、シンガーポールでは外国人のメイドが十五万人。その外国は、というと、マレーシア、フィリピン、タイ、インドネシア、ミャンマー、スリランカといったところだが、フィリピンとインドネシアの二国で九〇%を占めるらしい。
 出身国によって賃金が違う傾向があり、月額で、フィリピン人が三二〇ドル、インドネシア人が二八〇ドルとのこと。フィリピン人が高いのは英語ができるせいらしい。が、家庭的で穏やかなインドネシア人のメイドの人気も高くなっているそうだ。
 話を聞いていると、総じてメイドの出費は月額二万円というので、あれ?と思って、これってシンガポールドルかと、最近インプルメントされたグーグルの通貨計算機能を使ってみると、"300 SGD in Yen"のアンサーは"300 Singapore dollars = 20 233.7975 Japanese yen"と出る。なるほど、二万円だから、話は、シンガポールドルということのようだ。
 しかし月額二万円で済むわけでもないと話は続く。これに渡航費、食費、医療費が上乗せなり、総じて月額で割ると七万円ということらしい。ふと日本だとどうかなと思うのだが、「じゃ、月額七万円で」とはいかないだろう。住み込みなので専用の部屋が必要になる。住宅事情最悪の日本ではそこでまず無理か。
 メイドの規制もかなりしっかりしているようだ。メイド税みたいなものもあるらしい。外国人メイドは二年に一度は帰省させなくてはいけないという規制もある。
 メイドの側も条件がある。八年の義務教育を受けていること、二十三歳以上、さらに英語で行う試験もあり、買い物の計算、時計の読み方、安全について(交通安全なども)が試されるとのこと。
 私が話を聞いていて、おやっと思ったのは、六か月に一度血液検査が義務づけられていることだ。妊娠とエイズが重視されているらしい。関連するのか、外国人メイドは、シンガポール永住権のある人との結婚は禁止されているらしく、違反は本国送還というのだが、私はもうちょっとその実態に関心を持った。
 現状、シンガポールでは全世帯百万戸の一〇%がメイドを雇っているとのこと。多いと見るべきなのだろう。
 話はそんなところだが、いろいろ考えさせられた。
 なにか思い出すなと思ったら、香港に旅行していたときだが、香港島の広場で夕方ぼんやりしていると、わしわしフィリピン女性がストリートに集まりだした。なんだろと思ったら、メイドの集会らしいというのだ。すごい賑わいだった。一〇年も前の話だが現在はどうだろう。外国人メイドが生活に浸透するということは、こういう集会も必要になるということなのだろう。
 もう一つこれも旅だが、バリのウブドに半月ステイしたことがあるのだが、コテージを借りたらメイド付きだった。朝食の用意はしてくれるし、洗濯はしてくれる。それほど頻繁に話をするということでもなかったが、心根の優しげな少女で、一度だったか、洗濯を頼んだジーンズはどこと訊くと、まだ乾いてないのと深刻に私の眼を見つめて話かけてきて、ちょっとくらっときた。やべ。いやいやなんもなかったですよ。
 日本に女中さんがそれほど見あたらなくなったのはいつのことだっただろう? 私の記憶にある昭和三〇年代の風景でもまだ米人宅で働く日本人メイドさんとかも見かけたものだったが。
 シンガポールでメイドさんが必要になるのは、六割の女性の社会進出とも関係するだろうが、日本社会もいずれそうなるとして、さて、このシャドーワークの部分に外国人メイドが入ってくるのだろうか。という問い以前に、この問題は、社会全体がそうした人を受け入れる体制の変化も伴うものなのだろう。
 それでも子供のいなくなった部屋にメイドを住まわせる富裕な老人というのを、近未来によく見かけるようになるようにも思う。

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2005.07.28

ロレンツォのオイル

 少し古いネタになるのだが、七月十一日付で各種の報道で「ロレンツォのオイル」が有効であるとして話題となっていた。ちょっと感慨があった。

cover
ロレンツォのオイル 命の詩
 「ロレンツォのオイル」は十年ほど前、事実に基づいて難病を扱い、話題なった映画作品のタイトルでもある。
 映画の紹介を兼ねて、現在千円で販売されている同DVDの釣りを引用するとこうだ。

 オーグスト(ニック・ノルティ)とミケーラ(スーザン・サランドン)のひとり息子ロレンツォが難病の副腎白質筋ジストロフィーに冒されてしまった。専門医(ピーター・ユスチノフ)にも見放されたわが子の命を救うため、夫婦は何の医学的知識も持たないにもかかわらず必死の努力の末、ついに新薬“ロレンツォのオイル”を生み出していく…。

 副腎白質ジストロフィーは、映画でも略記されているが一般的にALDと呼ばれる。ネットを探すと日本にも患者の組織があるようだ。
 このアマゾンの釣り文句だが、映画の筋の紹介としては間違っているわけではない。が、登場する専門医は、日本だと珍しいかなというくらい患者よりの立場に立っており、見放したというほどでもない。
 というわけで、実は、私も気になっていたこの映画を見てみた。
 薄っぺらな感動を描いてないのが好ましいのと、この世界の一端を私も知っていることもあり、ディテールの含みにはいろいろ考えさせられた。たぶん、そうした世界を見た人だとこの映画のインパクトはかなり違うのではないか。
 加えて、随所にきちんと医学的な配慮がされているように思えた。医学といっても、この難病は多岐にわたるので、各種の専門家の視点もあるかと思うが、かなりよくできていたと言えるだろう。
 映画としては、イタリア系の人々の生き様がよく描かれていたり、音楽も私好みなのでその点もよかった。普通の人間ドラマとしても十分に見応えがある。
 専門家でもない銀行マンの父親が必死に医学文献を探るようすだが、現代のインターネットなら概要サーチは随分手間が省けるだろう。が、現実の日本では実際に該当の医学論文などは簡素にアクセスすることは少し難しいように思ったりもした。
 些細なことだが、私も多少脂肪酸代謝に関心を持っていることもあり、後半、エルカ酸が出てくる映画のシーンでは、どっちらかというと反対する医者の立場に立ってしまった。詳しくはわからないのだが、トリグリセリドにすることで有毒性は緩和されるのだろうか。この脂肪酸の精製をしている化学者がなかなかいい味出しているなと思ったが、どうやら実際の化学者本人らしい。
 ところでこの映画のエンディングはどちらかというと、これで奇蹟の薬ができたという印象を与える。しかし、この十年間、ロレンツォのオイルについてはあまり定評を聞かないようにも思えた。私も、ありがちな民間薬かなという印象ももっていたので、今回のニュースには驚いた次第だ。
 たとえば、最新医学のスタンダートともいえるメルクマニュアルにも、ロレンツォのオイルについての言及は表面的にはない。

 副腎白質ジストロフィおよび副腎脊髄神経障害は,副腎機能不全と神経系の広範囲の脱髄を特徴とするまれなX染色体性劣性代謝性障害である。副腎白質ジストロフィは男児に;副腎脊髄神経障害は青年期に発症する。痴呆,痙縮,失明が起こることがある。副腎白質ジストロフィは例外なく死を招く。食事療法と免疫調節薬療法が現在研究中である。

 しかし、今回の報道で、少なくとも、映画の元になったアドーネ夫妻の息子さんは二十七歳の現在も存命との話も聞いた。その意味で、美しい「例外」とはなった。そして、もしかすると、ロレンツォのオイルは広義に食事療法に含まれているのかもしれない。
 今回の報道だが、まだネットに残っているニュースとしてはUSA Today”Study: Lorenzo's Oil protects against ailment”(参照)やUPIの”Lorenzo's oil may prevent brain disease”(参照)などがある。日本語で読める記事としては短いが”「ロレンツォのオイル」の後日談”(参照)があった。

University of Washingtonなどの研究者が、X連鎖型副腎白質萎縮症(ALD)患者に対する脂肪酸投与治療法(Lorenzo’s oil療法、以下LO療法)には、ALDに由来する全身の衰弱リスクを減らす効果があると結論した。2005年7月11日にArchives of Neurology誌に発表した。

 ここに記載されているようにオリジナルは七月のArchives of Neurologyにあり、該当の"Lorenzo’s Oil: Advances in the Treatment of Neurometabolic Disorders "(参照)はネットで読むことができる。
 今回の報道などを見渡してみて思うのだが、もちろんと言っていいだろうが、ロレンツォのオイルはALDの万能薬ではないだろう。しかし、かなり有望な(特に初期段階で)治療法とはなるように思えた。
 それと、今回の報道で気になったのだが、映画でも問題になっていたが、昨今流行のエヴィデンス・ベースト・メディスン(EBM: Evidence Based Medicine)の立場からすると、有効な治療法の確立には全二重盲で偽薬の対照群を必要とするのだが、今回の発表報道をみると、偽薬投与の患者はなかったようだ。いろいろなケースがあるだろうが、今回は偽薬を用いないという倫理が優先されてよかった。
 話が逸れるが、脂肪酸代謝は非常に難しい問題が多い。トランス脂肪酸なども、それに毒性があるかと言えば、現在の毒性の概念からすれば、ないということになる。認知症傾向の人向けにアラキドン酸のサプリメントなども存在し効果をあげているようだが、私などにはやはり違和感は覚える。

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2005.07.27

OECD次期事務総長人事についてお笑いを一席

 ブログのネタ帳のようなものを見ていると、OECD(経済協力開発機構)次期事務総長人事について書いてなかったなと気が付く。書かなかった理由はあまりこの問題に気乗りしないこともだし、知識が足りないせいもある。メモ書き程度に触れておきたい。
 現ドナルド・J・ジョンストン事務総長は来年五月で任期を終える(参照)。人事選考の概要は、二〇日付のOECDのニュース"事務総長後継:Six candidates put forward for the post of OECD Secretary-General"(参照)がわかりやすい。候補は以下の通り。


  • ポーランド マレク・ベルカ(首相)
  • オーストラリア アラン・フェルス (オーストラリア競争・消費者委員会会長)
  • メキシコ アンヘル・グリア(前財務相)
  • 韓国 韓昇洙(元外交通商相)
  • フランス アラン・マドラン(自由民主党党首)
  • 日本 竹内佐和子(世界銀行エコノミスト)

 選考は、ヘドロが歌う「世界金持ちクラブ」を聞きながら、三〇か国による話し合いの合議で一二月一日までに決める。
 問題は誰に決まるかということ。候補者リストを見れば日本人なら誰もが違和感とまでも言えないまでも、韓国必死だなを読むと思うが、そのあたりは、”OECD次期事務総長、韓日の争いか”(参照)が笑える。

 これまでのところ、競合候補はポーランドのマレク・ベルカ首相、メキシコのアンヘル・グリア前財務相の2人で、ここに日本の候補がダークホースとして浮上している。
 外交通商部通商交渉本部の関係者は14日、「日本が候補を擁立する見通しで、韓国との激しい競争が予想される」と述べた。
 日本の候補としては川口順子前外相と世界銀行エコノミストの竹内佐和子氏ら女性の名前が挙がっている。さらに重量級の人物が出馬するとの見方も出ている。立候補の締め切りは15日。

 結局、日本は竹内佐和子を出した(参照)。というわけで、日本では、竹内佐和子祭でつか状態になっている。朝日新聞も舞い上がって、「ジョンストン事務総長は後任事務総長の出身国について、日本が有力で、女性が望ましいとの考えを示してきた。」(参照)とか言っている。そのあたりのノリがたまりませんの人は「FujiSankei Business i.BLOG|歳川隆雄のコンフィデンシャルi.」”“後出しジャンケン”で勝機!?”(参照)が面白いのだろうか。ちょっとこの感性に、私はついてけんが。
 さて、実際の世界の空気はどうよということなのだが、フィナンシャルタイムズあたりが指標になるかなと思ってワッチしていたところ、二〇日付”A think-tank revamp”(参照)が扱っていた。冒頭から、ハリポッターの校長先生のような説教がちんたら続くので読みづらいがそのあたりに英国流の皮肉な伏線があるのだろうとは感じる。というあたりで、日本へのほのめかしはねーなとも感じる。そして、だ、ここにも中国様のご威光がぁ。

As an organisation, then, the OECD is clearly still relevant and distinctive. But if it is to remain so, its membership and internal structures need to be reviewed. On an increasing number of issues, big emerging markets such as China and India can no longer be left out of credible discussions. Where such countries cannot be incorporated as members because they fail to meet one or both OECD criteria of pluralist democracy and a market economy, flexible additional participation may provide a way forward. China, for example, is set to join the OECD's influential Working Party No.3 in September.

 つまり、ぶっちゃけ言えば、OECDの未来っていうのは、中国問題(プラス・インド)だよ、と。
 そして、結局どうよ、フィナンシャルタイムズさんということだが、皮肉がきつい。

In order to tackle these reforms and address the fact that the OECD is currently under-utilised at the political level, the new secretary-general will require political clout as well as intellectual authority. Nationality should be irrelevant in choosing Mr Johnston's successor. Far-fetched as it may sound, OECD members must avoid settling for a second-rate candidate with the least objectionable passport.

 あー、つまりだな、頭がいいとかは全然関係ねーよ、と。求められるのは政治力だよ、と。
 どの国から出たなんてことは問題にするべきにあらずと言っておくということは、そこが問題だよ、あとからぐちゃぐちゃ言うなと。
 さて、これで、候補者六人のツラを見るに、誰ざんしょ。どう見ても、竹内佐和子は落ちでしょ。韓国やメキシコは論外でしょ。いや、中国様の線で韓国を拾う? 注目は著名なベルカでしょかという線だけど、ランカー様は乗り気でない、と。マドランが出るにはサルコジがまだまだか、と。で、消去法で残ったのは誰? アラン・フェルス、え? それって誰? しかし、フィナンシャルタイムズも"a second-rate candidate"を懸念していることだし、ジョンストンもカナダだったし、コモンウエルスっていうのは、対中国対EUには、よ・さ・げ、かと奥さん。
 というわけで、おちゃらけになった。ので、それほど予想というものでもない。

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2005.07.26

最近の新華社と孔子学院

 中国のメディアでなにかが進行しているのだろうか。中国ウォッチャーというわけでもないが、ご時世でもあり、中国のニュースを読む機会が多いのだが、新華社系で気になる動向が少しある。中国といえば他国のメディアまでご威光で屈服させてしまうほどなので、ほとんど報道なんてものはありえないというふうに思いがちだが、なんとなく当局批判が増えているのかもしれないとそんな気がしていた。
 というところで、昨日付の中国情報局にちょっと興味深い記事があった。”新華社:目立つ当局批判、衛生当局と警察にノー”(参照)である。


中国で最近相次いでいる社会不安に対して、新華社が辛らつな当局批判を展開している。「中国製ビールの95%に有害物質であるホルムアルデヒドが添加されている」と報道された問題では衛生当局に「謝罪か引責辞任を」と激しい口調で迫り、作業員83人が死亡した新疆ウイグル自治区の神龍炭鉱で起きたガス爆発事故では取材制限を行う現地警察に対して「知る権利を」と訴える。こうした新華社の報道の背景にあるものは何だろうか?

 以前からそうだったと言えないこともないのだろうが、それでもそういう疑念の印象は持つ。
 これに対して、同記事では、二つの仮説を出している。一つは、政府挙げての不正撲滅キャンペーンの一環だろうということ。もう一つは、読者獲得のためのしたたかな経営戦略だろうというもの。
 後者であれば、とても喜ばしいことではあるし、日本経済新聞などはそのあたりの色目で中国様々になっている。フィナンシャルタイムズも類似の傾向が見られるともいうが、朝日、毎日、日経といった日本の新聞ほどひどくはない。ただ、そういう傾向だと考えるのはやはり無理があるだろう。
 するとどっちか選べというなら、前者ということになる。その可能性は高いのかもしれない。外部から見ていても軍に根を持たない現在の胡錦濤政権は弱そうだし、その側面での強化に大衆を直結させるのは、ある意味でありがちな政治手法でもある。
 裏付けするかのように、今日付の共同”中国、汚職で約4万人摘発 腐敗の深刻さ浮き彫り”(参照)の記事が読める。

中国の最高人民検察院(最高検)は26日、2000年から今年6月までの約5年半で公務員の汚職事件3万4685件を捜査、3万8554人を摘発したと発表した。摘発分だけで中国経済への損害は約480億元(約6600億円)に上るという。新華社が伝えた。

 実際のところ、中国という国は裏のシステムがなければ動くわけもないと思うので、こうした明白な正義とメディアの結託は、気まぐれ的なガス抜きということがあるだろう。懸念されるのは、これが、昔の壁新聞運動みたいなものになっていくかだが、そのあたりはどうなのだろうか。
 新華社の動向と併せて、私が気になるのは、先日北京で開かれた「第1回世界漢語大会」という薄気味悪い大会だ。この薄気味悪さはお小姓の朝日新聞が全開でもある。”国内外の政府関係者ら、「孔子学院」を絶賛”(参照)より。

世界の政府関係者、研究者、専門家などが中国語(ここでは漢語=漢族の言葉=を指す)教育をめぐって話しあう「第1回世界漢語大会」(開催地:北京)が22日に終了した。今大会は、「多元文化の枠組みにおける中国語の発展」がテーマ。世界67の国・地域から訪れた政府関係者、中国研究者、中国語教師など600人近くが出席した。各国の政府関係者らは閉幕式で、中国政府が海外に設置した中国語学校「孔子学院」の役割を評価した。

 「多元文化の枠組みにおける中国語の発展」というのだから、自国に併合した吐蕃を初めとした各種の民族の言語を中国という国家の枠組みから解放していく試み…というのじゃ全然ない。世界六七か国を招くというあたりから察せられるように、中国内部は漢語という金太郎飴状態が前提になっているのだ。
 全国人民代表大会(全人代)常務委員会の許嘉ロ副委員長の言っていることがまことに中国語でわかりづらい。

人類史の経験が早くから証明している通り、世界には言語的な多様性、文化の多元性があり、異なる言語・文化間の交流がスムーズに進んではじめて、世界の安定と平和を語ることができるようになる。言語は昔から、民族または国家間が連絡を持ち、心を通わせるための懸け橋だった。

 日本語に訳すと、それは中国の内部を単一国家に単一言語で封じ込ませますよということなのだ。次の発言をよく読めばわかるでしょ。

中国語は中華民族と外部の世界との意思疎通を図る上での強力な手段であり、同時に空前のプレッシャー・試練にも直面している。

 中国っていう国はこういう言葉を掲げているときは実際にやっていることを見るほうがいい。そして中国語的に考えるといい。するとすぐわかる。北京で開かれた「第1回世界漢語大会」というだけで、普通語とされる北京官話の押し付けであることぐらい中国人なら無意識でもわかる。そしてすぐに脊髄反射で、上海との対立だなぐらいはわかるだろう。そう、上海から上海語を撲滅するのが「第1回世界漢語大会」ということだ。広東語も撲滅してしまえである。
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野火・春風
 とだけ書くと妄想であるかのように思われるかもしれない。そしてそれは本当に妄想かなとも思う、とちょっと洒落のめしておく。ついでに、台湾が先日、先住民族を対象としたアジア初の公共の専門テレビ局「原住民電視(iTV)」(参照)を開局したようなできごとが、大陸に起きないものかと夢想したい。

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2005.07.25

さよなら、杉浦日向子さん

 杉浦日向子さんが亡くなった。ニュースが信じられなかった。嘘でしょと思わず呟いた。死因は下咽頭がん。享年四十六。亡くなったのは二十二日とのこと。親族だけで葬儀・告別式も済ませたともあった。
 彼女の誕生日は十一月三十日。生年は一九五八年。私より一つ年下、私より一学年下。ほぼ同世代。私は同級生のように彼女のことを思っていた。
 ニュースで年代を照合しつつ書くのだが、「通言室乃梅」で漫画家としてデビューしたのは一九八〇年。私が学部を出たのが八一年。彼女は大学を出ていなかったはずとあらためて調べると日本大学芸術学部中退らしい。世に出る才能の開花が早かった。時代考証学はその後、稲垣史生に学んだというから、そこいらの学者さんでも歯が立たなかったのではないか。
 記憶ではなんとなく日本女子大学文学部史学科だったような気がしていたが、調べてみると違った。私と同じ歳の高橋留美子と混同していたようだ。そういえば高野文子も五七年生まれ。日本大学芸術学部といえば、吉本ばなながそうだが、東京オリンピックの歳に生まれた吉本の世代はもう私には自然に共感できる部分は少ない。
 毎日読ませていただく散人先生のブログの昨年五月のエントリ”NHK「お江戸でござる」、杉浦日向子先生がいなくなってしまった! ”(参照)にもあったが、私も変だなという感じはしていた。


 なんか、最後にお年寄りの男の先生が解説していた。番組は、テンポが速くなって、けっこう楽しめたんだけれど、肝腎の杉浦日向子先生が出てこないではないか! いったいどうなったんだろう? 日向子先生は病気なのだろうか?

 そういうことだったのだろうか。伊東四朗が出ていたころはあの番組を欠かさずといっていいほど見ていたが、その後は関心が薄れた。杉浦日向子も番組から消えていた。言葉に詰まる。
 本当に死んでしまったのだろうか。「百物語」の最後の話は最初から書かれるべきではないと知りながらも、なにか最後の一話がありそうな感じがしていた。そして、彼女は五十代を通して大著を書き上げるのではないかとなんとなく思っていた。それが確固とした未来として私にはあった。
 彼女の隠居宣言は九三年。若い隠居という感覚も、なんだかわかる感じがしていた。「お江戸でござる」の解説にも隠居として世間を見る視線があったように思う。
 こんな話は不謹慎なのかもしれないが、荒俣宏と結婚したのは八八年。「帝都物語」で荒俣が日本SF大賞をとったのがその前年。あのとき杉浦の結婚のニュースもよく覚えている。私は、同じく彼女が好きな知人と、延々とそんな話題で盛り上がっていた。半年後に離婚。その理由が気になって、いろいろ関連の記事も読んだ。荒俣は九三年にお見合いで日航パーサーだった現夫人と結婚。最近、ご夫妻の話をなんかの雑誌で読んだが、すべてが遠い昔の物語のように感じられた。
cover
ごくらくちんみ
 そういえば書架に「ごくらくちんみ」があったはずと思って探したが見つからなかった。なにか示し合わせて隠れてしまったような感じがした。

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2005.07.24

ロンドンのテロ再発とエジプト・シャルムエルシェイクのテロ

 ロンドンのテロが再発し、これに示し合わせたようにエジプトでも多数の死者を出すテロが発生したため、どうしてもまた「テロとの戦い」ということに関心が集まるようになった。どちらもテロも真相がわかっているわけではないし、私に特別な情報ソースがあるわけでもない。しかも、些末なソースから愉快な物語を仕立てる能力もないのだが、少し思うこともあるので記しておきたい。
 私が今回の二つのテロについてまず思うのは、この二つのテロをリンクしてはいけないということだ。むしろ、この二つのテロをリンクさせることが、シャルムエルシェイクでのテロの目的ではないかと思える。後者のテロについては、その場所からして、明確に反米の意図が伺われる。つまり、反米というスジに乗せられることがすでにテロへの屈服の一段階になる。その意味で、今朝の朝日新聞社説”中東テロ 何が憎しみを生むのか”(参照)はまんまと術中に陥ってしまった。


 テロ対策と中東民主化という二つの目的を追求するためには、もっと多面的なアプローチが必要だということだろう。答えは簡単ではないが、少なくとも軍事力に傾きがちな米国の対テロ戦略が見直しを迫られているのは間違いない。

 それこそがまさにシャルムエルシェイクのテロの目的でもある。
 朝日新聞は、米国の中東の民主化の進展がうまく進んでいないというが、この問題はそう単純ではない。むしろある側面で言うなら、大衆が民主化に進むことへの恐れがテロリストを駆り立ている側面もあるだろう。なにより、朝日新聞の稚拙さは世界認識への崩落があるように思える。冷戦時代まではイデオロギーが世界認識の代替たりえたが、その後はそう単純な世界はない。テロとイスラム原理の問題についていえば、より深刻な事態はむしろ中央アジア側にシフトしつつある。そして、テロ対策に「軍事力に傾きがち」なのはロシアと中国なのだ。ここでも中国様のご威光が朝日新聞などモデレートな左派勢力に思考停止を命じている。
 二つのテロのリンケージを緩めて見るとして、この二つのテロについて現状でどのようなことがわかるのか。最初のロンドン・テロについては、事件翌日の極東ブログ「ロンドン同時爆破テロについて」(参照)で示した予想がその後の事件の解明で粗方正しかったようだ。そして、今回の惨事に至らなかったテロだが、どちらかといえば前回のテロの延長ではなかったか。特に、大惨事を避けた理由だが、テレグラフの”What are the theories behind the explosions?”(参照)や”Bomb material deteriorates in 'just a few days'”(参照)の説に引き寄せられるのだが、自家製の過酸化アセトンが使用されていたことにあるようだ。しかも、今回のテロは、それゆえの爆薬の劣化ということが背景にありそうだ。この経緯を見るに取り敢えず今回のテログループの一端なりはある程度までは目星がつくだろう。が、小グループでしかも社会怨嗟が根にあれば、根絶は難しく、その意味で、テロの恐怖からロンドンが自由になるのはそう簡単なことではない。そしてそのスジでいうなら、日本のテロの危険性とは社会怨嗟の関数でもあるのだろう。それは十年前に経験したようなタイプだろう。
 今回のロンドン・テロでは無実の男性(アラブ系か?)が射殺され、これがイスラム圏に報道され、反発を深めている。そこにシャルムエルシェイクの反米的なテロがスジ立てとしてイスラム圏に増幅される。まさにそれが問題でもある。
 シャルムエルシェイクのテロについてだが、このテロを単独で見るなら、明白に、二〇〇四年一〇月七日に発生し、四〇名近い死傷者を出した、シナイ半島のタバのテロに似ているということがわかるだろう。タバのテロについては、その後、エジプト政府がかなり強行に鎮圧に乗り出していることもあり、その後は鎮静しているかに見えたが、シナイ半島という土地柄が土地柄だけに完全なテロの鎮圧は難しいだろう。かつての戦争の兵器の残存も多いのではないかとも思う。
 シャルムエルシェイクのテロについての日本国内の報道について、ざっと見回した範囲なのだが、二十日の午前に同地で行われたライス米国務長官とムバラク・エジプト大統領と会談について言及しているものが少ない。それどころか、今朝の毎日新聞社説”テロ抑止 欧米とアラブ諸国の協力を”(参照)などは悪い冗談のような書き出しをする。

澄んだ水の底で大きなナポレオン・フィッシュがゆったりと泳ぐ、紅海沿岸の街シャルムエルシェイク(エジプト)。そんな平和な保養地で、ロンドンの同時テロに呼応するように大規模な爆弾テロが起きた。

 悪い冗談のような社説はさておき、これはどう見ても、ライスとムバラクを狙ったか、それができずに、手薄になった二三日を狙ったかと見るべきだろう。その意味で、こちらのテロはかなり明白に反米と、反ムバラクの意図が読みとれるはずだ。
 このテロの反米的な性格については、これまでいろいろ語られてきたのだが、むしろ問題は反ムバラクの側にあるだろう。
 重要なのは、エジプトの大統領選挙投票がようやく九月七日に決まった点だ。今回の大統領選挙についてはこのエントリではあまり立ち入らないが、従来は一候補者に対する信任という困った制度だったが、今回は対立候補が名目上は可能になる。しかし、それが実質的な意味をもつかというとまだ不明瞭な状態だ。それでも、さらにムバラク政権が継続されることを好まない勢力は各派にまたがっている。今回のシャルムエルシェイクのテロについては、かなりエジプト的な問題の背景もあると見ていいだろう。

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2005.07.23

金持ち必ずしも健康ならず

 最初にお断り。以下のエントリは改稿しました。当初エントリでは、エストニアとポルトガルに対立するデンマークの構図を逆にしていました。改稿のきっかけとなったAsprinさん、Kagamiさん、コメントありがとうございました。
 ※ ※
 ネタの孫引きみたいな話だが、今日見たロイター・ニュースに「金持ち必ずしも健康ならず」とでもいうような見出しがあり、つい釣られて読んでしまった。ま、ビンボ人としてはそうあって欲しいような羨望感がある。
 ニュースの原題は”Wealth doesn't always predict good health”(参照)ということで、素直に訳せば、「富裕であることは健康を予期しない」というわけで、これは金持ちの子供のことかなとは想像が付く。ふとアメリカあたりの中産階級の子供のことが思い浮かぶが、ここでは詳しく立ち入らないが、実態はアメリカの子供の健康状態は向上している。
 他にニュースを見ていたら、BBCにもあった。”Wealthy kids not always healthy”(参照)。こちらは、明確に金持ちの子供とし、そんな雰囲気の写真まで付けている。
 話はというと、比較的富裕な階層の子供のほうがインスリン抵抗性が高く、よくないということだ。そこで、肥満や糖尿病になりやすそうだから健康とはいえないなという読みになるのだろう。
 ところが記事を読んでいくと、そうしたことが当てはまりそうなのは、エストニアとポルトガルで、デンマークでは逆の結果になったとある。なーんだ、よくわかってないんじゃないか。BBCの記事では、標題みたいなことを言うには、まだまだ研究が必要であるとか囲みの引用にしてあった。ネタっていうやつですね。
 ニュースのネタもとは、ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)なので、ちょっくら概要でも読んでみようと探すとすぐに見つかる。”Association of socioeconomic position with insulin resistance among children from Denmark, Estonia, and Portugal: cross sectional study ”(参照)がそれだ。
 読んでみると、たかが三国の調査というより、デンマークは西欧を示唆させていることがわかる。これに対して、エストニアは東欧、ポルトガルは南欧というわけだ。
 概要を読むと、インスリン抵抗性を指標にするのだが、金持ちの子健康ならずというのは、どうも調査方法による差異と見るには大きいということが強調されている。
 同種の調査が日本でなされた場合、どうなのかちょっと気になるが、このネタについて書き進めながら、より大きな要因は遺伝子かなという印象も持つ。
 話はそれだけ。
 ついでなんで、並びのニュースの紹介。日本人にはあたりまえだけど、「日本女性の長寿一位は20年に及ぶ」”Japan's women set long life record for 20th year”(参照)という話。世界からは賞讃されていると言ってもいいのだろう。
 こちらの記事にあるが、日本女性に次ぐのは香港である。日本女性はまだしらばらく一位かなとは思うし、香港女性も高位が続けば中国の施策も悪くないと言えるのだろう。

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2005.07.22

ほいじゃ、人民元切り上げ

 昨日の人民元切り上げには驚いた。想定の範囲外かというとそれほどでもないのは、「極東ブログ: ヒューストン、何かおかしい(Houston, We have a problem)」(参照)で三月の温家宝首相による、「いつごろ発表するか、どういった方策をとるのかは不意を突くことになるだろう」という発言を受けて、こう書いたとおり。


 不意をつくというのはすごい発言だなということで、ニュースにもなったのだろう。公式な発表ではない。しかし、考えてみるに、それって不意打ち以外にはありえないのだろう。ただ、一気にどかんとくるものでもあるまい。

 今回の切り上げは、二パーセントということなので、切り上げというより微調整というか、米国向けのポーズというか、G8のお約束というか、グリーンスパン彦左衛門の諫言を聞くというかそのあたりで、日本企業もすでにシフト体制が出来ていたので、それ自体は、上期経済成長率九・五パーセントに続くお笑いかなという感じでもある。
 それでもアナウンスには不意感はあった。大方は、九月に予定されている胡錦濤主席の訪米スケジュール前の八月か、米国で小一時間の後の十月かといったところではなかったか。毎度お笑いの”「ミスター円」榊原英資・元日本大蔵省財務官”は年内切り上げはないとふかしていた。グル・ブロガー散人先生の”「人民元切り上げは年内は無い」(榊原英資)”(参照)も読みようによってはハズしたかな感はある。

 日本のエコノミストとかアナリストとかは、政治家の発言を軽視しがち。膨大な量の観測論文を読み過ぎるのか、逆にそれに惑わされてしまっていることが多い。ナショナリスティックな希望的観測がそれに加わる。要は本の読み過ぎ。国際政治情勢でもそうだが、各国政府の公式発言を丹念に継続的に分析してさえおれば、ほとんど間違うことがないのである。
 日本人には政治家の発言をハナから信用しない人が多いが、そういう風土は日本の政治家が作り上げてしまっただけで、他の国では(特に中国のような全体主義国家では)政治家が提示した原則が覆ることはほとんど無い。榊原氏の言うとおりだと思う。

 ある意味ではこれは正しいのかもしれない。中国語が極めて難しいせいもある。というのも十九日の時点で中国人民銀行(中央銀行)がこう明言しているのである。”今後も人民元レートの基本的安定維持 中国人民銀行表明”(参照)より。

 中国人民銀行(中央銀行)は19日、「今年下半期、外国為替管理体制改革を一層深め、人民元為替制度改革を段階的に推進し、人民元レートを均衡のとれた、合理的水準に基本的に安定させ、引き続き通貨と信用の安定した伸びを維持する」と表明した。
 同行は18、19の両日、支店長会議を開いた後新聞発表を行い、次のように強調した。

 と、これに続いて三点強調されているが、これはようするに日本語にすると、人民元を切り上げますよ、という意味で、それに温家宝の「不意打ち」を足せば、翌々日の夜ばい、じゃない、満月の夜というのは間違いないということだったわけで、中国語は難しい。
 今後の動向だが、榊原英資の想定の範囲内でもあり、こんなの切り上げにもなんにもなっていないので、いっそう人民元切り上げ圧力が高まり、外貨がどどっと流れ込む、そして、バブル、いやすでにバブルというのをどうするかが一番問題かなとは思う。短期・中期的には、これまでのレートで保護されていた中国農民が苦しくなり社会不安の圧力が増すことかもしれない。このあたり事実上の地方軍閥をなだめるカネは…あ、それは昨日の話。
 この関連では、あぶく銭によって深刻な中国銀行の不良債権問題がより深刻になるという読みスジもあるかと思う。最近の状況は、”主要金融機関:不良貸付比率3.95ポイント減”(参照)ということらしい。

中国銀行業監督管理委員会(CBRC、銀監会)の劉明康主席が明らかにしたところによると、全国主要金融機関の6月末時点の不良貸付残高は1.5927兆元と年初より5542.6億元減少した。不良貸付比率は10.15%で、年初より3.95ポイント下落した。14日付で香港・経済通が伝えた。

 ほんまかいなと思わず偽の大阪弁が口をついてしまうが、私には反証データはない。ちょっと前までの状況は、新華社通信ネットジャパンサイトの”4大国有銀行の現状と不良債権”(参照)によるとこんな感じだった。

中国銀行業監督管理委員会(CBRC)が05年1月18日に公表した資料によると、不良債権比率は03年末から04年末までの間に、中国銀行が16.3%から5.1%へ、中国建設銀行が9.1%から3.7%へ低下した。自己資本比率は、不良債権処理を積極的に進めたにもかかわらず、同期間に7.0%から8.6%へ、7.6%から9.4%へそれぞれ上昇している。04年末の貸倒引当率は、中国銀行が71.7%、中国建設銀行が69.9%に達し、貸倒引当金の計上も進んだ。

 ただ、ちょと面白いオチは付いていた。

しかしながらこの低下は、06年の金融市場開放や05年以降の上場を前にした経営体質を強化することを目的として、傘下の資産管理会社AMCに移管したためである。

 この時点でのチャイニーズ・マジックのタネを明かすとAMC(金融資産管理公司)ということだが、毎度ながら、「福」の字をひっくり返したような愉快な話はつきまとう。最近のニュースでは”中国、金融資産管理会社の監視を強化へ=金融時報”(参照)がある。

中国銀行業監督管理委員会(銀監会)は、不良債権を抱える銀行セクターを建て直すため、政府系の不良債権処理会社である金融資産管理会社(AMC)の監視を強化し、不正行為があった場合に担当者を罰することを明らかにした。金融時報が伝えた。


 AMCは1999年、国有商業銀行が保有する不良債権1兆4000億元(約1690億ドル)を引き継いだが、インサイダー取引や虚偽の入札などの問題を抱え、透明性が欠如していることが銀行監督当局から指摘されてきた。
 アナリストらは、中国の銀行は少なくとも2000億ドルの不良債権を抱えているとみている。

 ざっと概算すると一兆七千億元の不良債権があることになる。
 それがどのくらいの問題なのかがよくわからないし、あまり話題になっている印象は受けない。大したことない話のかなと経済に疎い私は思う。
 中国が潰れてしまうと大変なので世界の援助も進められているようだ。例えば”スイス銀:中国銀に資本参加か、資本比率は未定”(参照)といった話もある。

なお、米大手銀行のバンク・オブ・アメリカが中国の国有四大銀行の一つである中国建設銀行に資本参加することを明らかにしている。バンク・オブ・アメリカは中国建設銀行の親会社である中央匯金投資有限責任公司から25億ドル分の株式を買収、建設銀行株9%を取得する。

 二十五億ドルがどのくらいのインパクトかわからないが、方向性としてはいいんじゃないかと思う。うまく行かなければ、ホワイトバンドを真似てゴールドバンド(シリコン素材・中国製)でも作って、経済学者につけてもらって、アピールするという手もあるし。

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2005.07.21

不味そうな中国素材をどうブログ風に仕立てるか

 話は米国防総省が一九日に議会に提出した中国軍に関する年次報告書のネタだが、さてこれをブログではどう料理したものか。
 新聞の社説では読売新聞だけが扱っていた。”[中国軍事力]「『脅威』を浮き彫りにした米報告」”(参照)より。


 軍拡路線をひた走る中国の脅威を浮き彫りにする内容だ。
 米国防総省が中国軍事力に関する年次報告書を発表した。
 報告書は、「急速な軍近代化が続けば、周辺地域の確実な脅威になる」と結論づけている。昨年までにはなかった、踏み込んだ表現だ。米国の強い危機感を示す内容と言える。

 とりあえずはそうことでもある。そして大衆紙の社説としてはこんなところかなという線の話が続く。
 ニュースとしては朝日新聞”中国軍「確かな脅威」に 米国防総省が年次報告書”(参照)が一見詳しい。

公表されている05年の国防予算は299億ドル(約3兆3800億円)だが、実際には2~3倍で、最大900億ドルにものぼるとして、軍事費の透明性の欠如を批判した。
 報告書は、中国軍が台湾の対岸に短距離弾道ミサイル650~730基を配備し、年間100基のペースで増強していると指摘。その上で「中国の経済成長、外交上の影響力の拡大、軍事力の増強などによって、台湾海峡をはさんだ(中台の)軍事均衡は中国に傾きつつある」と警告。

 読んでいてあれれ?と思った。ヌケがある。読売新聞記事”中国軍事費は公表の2~3倍、周辺脅威に…米国防総省”(参照)では明記されている。

 軍事力の近代化では、特に空海軍力について詳細に報告。このうち、台湾対岸に配備している短距離弾道ミサイルは、650~730基に達すると明記。昨年の報告書で指摘した「500基以上」を大きく上回り、年間100基以上の増強で、射程や精度の向上も図られているとした。
 また、短距離弾道ミサイルは移動式だと指摘し、ミサイル戦力の残存能力が高まった点に注目している。

 単純な話、核弾頭ミサイルとかあっても、移動式でなければ、最初に叩いてしまえばいい。問題は、それができなくなったので、逆に中国が台湾を叩ける状態になったということでもある。それと、今後図に乗って、米国本土を移動式ミサイルや原潜で射程におさめることができるかということでもある。
 そこまでするかなぁ、中国がという印象はある。エリートたちがそんな儲けにもならない突っ走りをするだろうか。ただ、大衆的な意識はどこの国でも同じだが、突っ走るものだ。ちょっとひどいことを言うと、中国人にしてみると日本人はもともと東洋鬼と蔑視の対象であり(このあたり朝鮮も真似っ子)、かつての連合国幻想で反日構図では親米的な素振りを見せる。だけど、日本の敗戦から中国が学ぶべきは黄色人種というものへの白人の強烈な敵意だと思うのだがな。
 いずれにせよ、台湾の軍事バランス上、米国も対処が必要になり、愚かしい結果になると思うのだが、案外、冷戦時の対ソ戦略を考えると、米国としては長期的にはソ連型の自滅へ中国を誘導したいのかもしれない。
 今回の報告書発表の一連で、いくつか変わった流れがあった。まず、中国がけっこうメディア戦略に乗り出してきていること。日経”中国、米に異例の抗議・国防総省報告に反発”(参照)からも伺える。

中国の楊外務次官は20日、米国のセドニー臨時代理大使を外務省に呼び、中国軍の近代化に警告を発した米国防総省の報告書について抗議した。


中国外務省は同日、ウェブサイトで抗議内容を詳細に紹介した。新華社や華僑向け通信社の中国新聞社も速報した。

 問題は、しかし、そうしたぐぐればわかる程度の表層的な情報戦略ではなく、ロビー活動のほうだろう。中国の台頭につれて米議会へのロビーが活発になってきている。対日本の場合は、窓口がちょっととろいのでしばらくしてからなんかキャンペーンが始まるのではないか。ちなみに、こんなしょぼいブログにも宣撫班的な活動が出てくる気配も感じる。
 もう一点は、ロビー活動にも関連しているが、今回の報告書は国防総省と国務省でもめたようだ。そのあたりは中国様寄りの朝日新聞”中国軍は「脅威」か 報告書巡り米政府内で攻防”(参照)が詳しい。もっとも。ライスの訪中の時期を避けたというのが遅れた最大の理由ではあろうが。
 さて、このネタをどうブログ風に仕立てるか、と。
 中国問題の基本は内紛である。中国人がなんでそんなに権力闘争が好きなのかは博打好きと同じで国民性かもしれないしそうでもないのかもしれない。システム的には他に政治のシステムを持ってないという根本的な後進性ではあろう。が、いずれにせよ、軍部を完全に掌握しているとは思えない胡錦濤側としては、カネをやるしかないでしょ的状況があるだろう。基本構図としては資本主義からずっこけた部分の人々への国家的な福利というか依怙贔屓ドブ捨て投資でもあるのだろう。つまり、実際にはあまり戦略的な軍事投資にはまだ現状なってないのではないか。
 それと、これも中国問題の基本であるが、まずは脅せ脅せである。最近は上海人まで脅しているようだ。稚拙な戦略のようだが、けっこう台湾にも効いてきているようなので、この路線で行けと。このあたりの脅しは、日本にも向けられてきているのだが、私としては、台湾人も日本人もそんな脅しに最終的には乗らないと思う。そのくらいのキ※タマはあるが、問題はそれに見合う狡猾さがあるかなぁ。
 ってなところでいかが。

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2005.07.20

李玖の死を悼む

 李玖(イ・ク)が亡くなった。享年七十三。哀悼の意を表したい。
 亡くなったのは十六日で、死因は急性心不全とされたようだ。看取った者はなかった。場所は赤坂プリンスホテルだった。日本の国法上は変死にあたるので、昨日日本の警察が手続き上司法解剖した。
 李玖は日本で暮らし、従姉妹の梨本さんの世話を受けていた。彼女が十八日に李玖を訪問し、その遺体を発見したとのことだ。
 李玖は、李氏朝鮮最後の皇太子、英親(ヨンチン)王(1897-1970)李垠(イ・ウン と日本の皇族、李方子(りまさこ/イ・パンジャ)(1901-1989)の次男である。
 明治四十三(1910)年、通称日韓併合後、李垠は朝鮮の王世子(皇太子)となった。李王家は王公族として日本の皇族に準じる待遇を受けた。敬称は殿下であり、実際は皇族と見なされたし、それを日本人に知らしめる必要もあった。

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日韓皇室秘話 李方子妃

⇒文庫「李方子妃」
 母李方子は、明治三十四(1901)年、梨本宮守正王と伊都子妃の長女として生まれ、当時の皇太子裕仁親王(昭和天皇)のお妃候補として世間を騒がせたこともある。香淳皇后はいとこになる。
 李垠と婚約したのは大正五年のこと。当時の読売新聞(1916.8.3)は、「李王世子の御慶事。梨本宮方子女王殿下との御婚約 李王家と竹の園生の御連絡の御栄えめでたく」と記した。年代を見ればわかるように彼女が十四歳のときである。彼女自身、自らの婚約を新聞報道で知って驚いたとも伝えられている。言うまでもなく、政略結婚である。「内鮮一体」が当時の日本国の国是であった。王家もそれに従わなくてはならなかった。貞明皇后は「お国のためですから」と慰めたという。
 大正十年(1921)、李玖の兄、つまり第一王子、晋が生まれた。翌年、李垠夫妻は嬰児を連れ母国朝鮮に帰るが、再度日本に向かうおり、急逝した。一歳に満たなかった。死因は急性消化不良と診断されているが、毒殺説がある。誰が毒殺したかについてはこのエントリでは考察しない。
 李玖が生まれたのは、昭和六(1931)年の東京である。晋亡きあと、王家の世嫡は玖のみとなった。日本国は李玖を朝鮮王家の皇太子と認めた。教育は母と同じく学習院で受けた。
 昭和二十年日本の敗戦により日本の朝鮮統治は終止符を打った。当時、李方子は日本の敗戦を夫君のために喜んだと伝えられている。読売新聞”日朝融和の政略結婚の李方子さん逝く”(1989.5.2)より。

 日本敗戦の日、東京で玉音放送を聞く。李垠(イ・ウン)殿下との結婚から二十六年目だった。「殿下、おめでとうございます。こう申し上げましたが、殿下は沈痛な面持ちで」。後に本紙記者のインタビューに答えている
 夫妻の心は無論、十分に通じ合っていた。日本敗戦は祖国・朝鮮の解放、独立につながる。が、両国のはざまでどう生きるか。祖国喪失の身で、タケノコ生活の苦難も味わうことになる

 皇太子李垠の鎮痛な表情はきっと当時十四歳の少年李玖にも生涯忘れ得ぬものであっただろう。李垠は朝鮮の王たるべく自らの国に帰ることはできなかった。米国の傀儡李承晩によってその帰国を妨げられた。李垠が故国に戻り、歴史ある国として朝鮮が王政復古すれば、李承晩の地位が危うくなる。そしてそれを避けることは米国の意図でもあったと思う。
 終戦時の朝鮮のようすについては、「極東ブログ: 終戦記念日という神話」(参照)でも書いたので参考にして欲しい。私はこう書いた。

 米軍は、朝鮮に主権が発生することを抑制し、朝鮮への支配をそのまま日本から譲渡するという形態を取りたかったようだ。米軍には、38度線で朝鮮半島を分割する、対ソ連の思惑もからんでいたのだろう。

 米国は朝鮮に国民国家の礼節の規範となる王家を復興させる機会を与えなかった。
 李玖の死を伝える朝鮮日報”朝鮮最後の皇太子が寂しい死 東京のホテルで心臓麻痺で”(参照)は、その後の李玖についてこう記す。

 日本で近代教育を受けた李玖氏は14歳で光復(韓国の独立)を迎えたが、帰国することはできなかった。執権者たちは、皇世孫の帰国を喜ばなかったからだ。
 李玖氏に手を差し伸べたのは、日本占領軍司令部のマッカーサー司令部だった。1950年、米国マサチューセッツ工科大学(MIT)建築科に留学し、卒業後ニューヨークの建築設計事務所に勤務した李氏は、5年年上のジュリア女史と出会い、1958年10月、ニューヨークの教会で結婚した。

 「李玖氏に手を差し伸べた」という表現がまさに現代の韓国なのだろうか。
 李玖の父、李垠は昭和三十五(1960)年梗塞に倒れるものの一命を取り留めた。意識は十分には戻らなかった。李承晩退陣後の昭和三十八(1963)年、朴正熙大統領の計らいで李垠夫妻は帰国を果し、李方子は完全に韓国に帰化した。夫、李垠はその後昭和四十五(1970)年に日本で亡くなっている。
 その後の李玖だが、先の朝鮮日報によればこうだ。

 李承晩(イ・スンマン)政権が崩壊した後、1963年に朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の助けで帰国した李玖氏は、母の李方子女史と一緒に昌徳宮(チャンドククン)・楽善斎(ナクソンジェ)に住んだ。ソウル大や延世大などで建築工学を講義をし、会社を経営したりもした。
 1979年に経営する会社が倒産し、李玖氏は「金を工面しに行く」と故国を離れ、日本に留まった。その渦中でジュリア女史との離婚(1982年)や、母の李方子女史の死(1989年)を経験し、その後は日本の女占い師と暮らした。

 日本の女占い師あたりの詳細を次週の週刊新潮にでも期待したいところだが、離婚の理由については、中央日報”大韓帝国最後の皇世孫・李玖氏が死去”(参照)ではこう説明している。

 故人は63年に、病床の両親、夫人とともに帰国し、昌徳宮(チャンドックン)内の楽善斉(ナクソンジェ)で起居した。しかし、70年に英親王が死去し、77年に夫人と別居した後、事業の失敗などで再び日本に戻った故人は、宗親から、子どもを産めなかった夫人との離婚を勧められ、82年に離婚した。故人は、89年に母親・李方子まで亡くなった後、宗親会などの勧誘を受け入れ、96年に永久帰国し事業を展開したりもしたが、失敗し、再び渡日、東京渋谷の小さなマンションで暮らしていた。

 別居後の離婚ということなので、「宗親から、子どもを産めなかった夫人との離婚を勧められ」ということが離婚の第一の理由というのでもないだろう。
 この説明に「宗親」とあるが、これは沖縄の門中である。沖縄の門中を知る人間なら、この説明に別のトーンを読むだろう。以前田村高廣が演じたNHKの番組だったかと思うが、在日二世という設定だったか、中年になった男が祖先の国韓国に行ったら、親族の長老からもまるで王様のようなもてなしを受けたという話だった。日本人にわかりやすい比喩とすれば、現在の皇太子のような扱いにも近いものだろう。
 宗親の核たる正嫡がなければ親族は崩壊するといってもいいくらいなので、宗親はこの問題に強固になるものだ、と言いたいところだが、現在の韓国の状態については私はよく知らない。
 朝鮮日報は李玖と宗親の関係についてこう説明する。

 そして李玖氏は1996年11月、「永久帰国」した。宗親会(一族の会)の総裁として実務も行い、宗廟(朝鮮王朝時代の歴代の王や、王妃の位牌を祭るところ)で開かれる大祭も主管した。当時、李玖氏は「私はもはや、王家と関係がない、個人、李玖に過ぎない」と常に語っていた。

 そして、これにこう続く。

 だが、李玖氏の「永久帰国」は長く続かなかった。神経衰弱も患っていた李玖氏は、故国の地に完全に適応することができず、日本と韓国を行き来して、日本の地で最期を迎えた。

 韓国側のニュースによると、李玖は神経衰弱を患い日本で日本人の女占い師と暮らして死んだということなのだろう。そしてそれは一面では事実ではあるのかもしれない。
 李玖の母、李方子は、一九八九年四月三十日、韓国・ソウル特別市鍾路区昌徳宮・楽善斎の居宅で亡くなった。死因は静脈瘤出血だった。享年八十七。李玖が喪主となった。日本では旧令に従い韓国皇太子妃として執行された。遺体は夫の墓所、京畿道ビ金市金谷里・英園に合葬された。
 李方子は、韓国帰化後は、知的障害児、肢体不自由児の援護活動に取り組み、知的障害児施設「明暉園」と知的障害養護学校「慈恵学校」を設立し、その運営に尽力した。
 方子は死の前年、社会福祉事業の資金作りのための来日中に倒れ、宮内庁病院に二か月ほど入院した。
 あのとき、私は彼女に、日本で死ぬわけにはいかないという気迫のようなものを感じた。

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2005.07.19

錬金術師ニュートン

 古ネタにして、たるいネタ。ちょっとネットを見るとあらかたニュース・サイトでは消えていたが、日刊スポーツの七月四日付けで残っていた。”ニュートン自筆の錬金術覚書見つかる”(参照)である。


 ロイター通信によると、近代科学の祖と言われる英国のアイザック・ニュートンの錬金術に関する自筆の覚書が、英王立協会でこのほど見つかった。
 この覚書はもともと、ニュートンが亡くなった1727年に発見されたが、1936年に競売で落札されて以降、行方が分からなくなっていた。今回、研究者が同協会で文献を整理中に発見した。

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錬金術師ニュートン
ヤヌス的天才の肖像
 というわけで、新発見というものでもない。ニュートンが晩年錬金術に凝っていたことは現代ではよく知られている。このあたりの話は、「錬金術師ニュートン―ヤヌス的天才の肖像」に詳しいのだが、なんせこの本は高い。これこそ図書館とかに入れてもらいたいものだと思う。「ぬい針だんなとまち針おくさん」なんか一つの図書館に三十五冊も公金で買わなくてもいいからさ。
 ニュートンと錬金術の関わりについては、現代ではあらかた、上記のドブスの本に尽きている印象もあり、つまり、科学者ニュートンと頭のいかれたニュートンという二面性というより、ある種統一された何者かであったのだろう。それがなんであったかというのは、すでにあるパラダイムの定着した現代ではわかりづらくなっている。しかし、ドブスの考察に引きずられてしまうのだが、ニュートンにとって、物質を構成するもの間に働く力の解明という問題意識はまさにその錬金術的な研究に継承されており、その意味では「プリンキピア」の意味論といった意味合いもあるだろう。
 余談だが、ニュートンは光学にも関心を持っていた。光や色というものも、現代ではただ電磁波の周波数としてしか特定されないのだが、なぜ「赤」という色が「赤」なのかという理由は答えることができないようになっている。一昨日、はてなでこんな質問が出ていた(参照)。

赤い色が何故「赤く」見えるのか教えてください。赤色が波長700nmに対応していることは知っています。そういうことではなくて、私が知りたいのは、700nmの光が、何故、青や緑ではなく、この「赤」という色に見えるのかということです。ずっと疑問に思っているので、納得のいく答えにはできる限りポイントを出します。できれば難しいURLではなく、わかりやすい説明文でお願いします。

 このエントリ執筆時点でこの質問には各種の回答が寄せられているが、質問の核心には触れていないような印象を受ける。この問題は私も若いころ考えたことがあるが、やはり一種の神秘論のようなものに行き着かざるをえないように思う。もちろん、そうした私の思考はすでに現代の科学的なパラダイムからずっこけているのだが、人間の思惟にはそういう特性はあるのだろう。
 元のニュースに戻ってだが、今回の文献は再発見ではあるが、新発見ではない。なので、それほどの重要性はないのだろうとも思うが、海外の報道を見ていて、少し考えることはあった。たぶんこれが各種ニュースのネタ元になるロイターの記事ではないかと思うが、”Found! Isaac Newton's lost notes”(参照)にはこうある。

The text was written in English in his own handwriting, but it is not easy to decipher.

At the time, alchemists tended to record their methods and theories in symbols and codes so others couldn't understand.


 というわけで、まだこれらの文書が十分には解明されていないようではある。もちろん、そのあたりも写本なりがあるだろうから研究には影響しないかもしれないとも言えないこともないが、やはり原典は重要だろう。
 ただ、人類の未来においてというか、科学の発展というか、そうした流れのなかで、ニュートンの残した錬金術文書の解読っていうのはどんな意義があるのだろうか。たぶん、なんの意義もないというようにも思えるし、そのあたりが、「ふーん」といった程度の話題にしかならないのだろう。
 恥ずかしながら、私は若い頃西洋神秘学に関心を持ったことがあり、そうした文脈でいうなら、錬金術とは魂の成長の技術の暗喩であると言えないこともない。しかし、あと数十年たらずしか生存しそうもない自分の魂にどんな成長を期待するものでもないなぁ、という脱力感はある。

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2005.07.18

中国のちょっとわけのわからないフカシについて

 さてこの手のフカシはスルーするのがいいのかもしれない、と少しためらうものがあるのだが、内容が内容だけに、核の恐怖を歴史に知る国民としては言及しないわけにはいかないだろう。中国の愚かな軍人朱成虎が核兵器使用の可能性を公言した。日本国内の平和勢力はきちんと抗議すべきだろう。
 話は読売新聞”台湾軍事介入なら米を核攻撃の用意…中国軍幹部が発言”(参照)がわかりやすい。


 15日付の英紙フィナンシャル・タイムズによると、中国人民解放軍の朱成虎・国防大学教授(少将)は、外国人記者との会見で、米国が台湾に関する紛争に軍事介入するなら中国は米国に対し核攻撃する用意があると語った。北京発の特派員電で伝えた。
 これによると、同教授は個人的な見方とした上で、「米国が中国の領土にミサイルや誘導弾を発射すれば、われわれは核兵器で対応しなければならないだろう」と発言。さらに、「中国は西安(陝西省)以東の全都市の破壊に備える」とする一方で、「米国は数百の都市が破壊されることに備えねばならないだろう」と述べた。

 この先、「ただ、同紙によると、台湾問題に関連した核兵器の使用に言及したのは朱教授が初めてではない」という言及もあるのだが、率直なところ、「英紙フィナンシャル・タイムズによると」というのは、ニュースというよりブログだと思う。読売新聞も中国総局で出すのだから、二次ソースではなく、ちょっと独自取材をしてはどうだろうか。
 おソースは? というと、”Top Chinese general warns US over attack
”(参照)である。記事は改訂されているのだが、以前のはもうちょっと洒落ぽっかったように記憶している。
 中国様のお小姓である朝日新聞はスルーを決め込まず、火消しにまわったかに見える。”米が台湾に軍事介入なら「核使用も」 中国軍高官が発言”(参照)がそれだ。

さらに朱院長は「台湾は中国の安全にとってがんであり、治療が必要だ。我々は世界のどの国も攻撃する意図はないし、米国の軍事力に挑戦するつもりもない。ただ、米国が(統一を)妨害した場合には備えている」と述べた。

 そのあたりを強調してみせるのはあまり芸がないなという印象だが、朝日新聞記事の問題はむしろその冒頭にある。

 中国人民解放軍の朱成虎・国防大学防務学院長(少将)は14日、北京で外国記者団に対し、台湾情勢をめぐって米国が軍事介入するなら、中国が米国に対し、核攻撃をする用意がある、と語った。

 冒頭こう書かれている。嘘とはいえないのだが、記事内容は先のフィナンシャルタイムズと同じなので、フィナンシャルタイムズを伏せているのは、おソースに近いものを隠蔽したいのだろうか、このインターネットの時代に。それにしても、朝日新聞はちゃんと中国様とのチャネルがあるのだから、火消し記事の取材でもすればいいのだが、しない。なぜなのだろう。
 ちなみに、この問題は、朝日新聞社内に髷も知らない日本通オーニシを抱えるほどのお友達であるニューヨーク・タイムズも記事にしているが、フィナンシャルタイムズの言及はない。ま、それは当然だろうが、朝日新聞が同じ立場に立つっていうものではないだろう。ニューヨーク・タイムズの記事は”Chinese General Threatens Use of A-Bombs if U.S. Intrudes”(参照)である。記事の注にもあるように、ニューヨーク・タイムズのオリジナルというより、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンの記者によるものだ。
 少し余談だが、米国の中国叩きは、ラムちゃんの軍事扇動はさておくとすれば、議会のなかでは民主党のほうがきつい。共和党側はユノカル問題でも、ええんでないの的な雰囲気が漂っている。このあたりは、今後さらにある種のねじれ感を強めていくのかもしれない。つまり、リベラル=反中国、保守=親中国、という構図も深まるかもしれない、ということ。
 さて、中国ばか軍人のアナウンスだが、米国は脊髄反射はしてない。ま、礼儀として、「おめーばか?」的なコメントは出している。ニューヨーク・タイムズ”U.S. Rebukes Chinese General for His Threat of Nuclear Arms Use”(参照)がそのあたり、でマコーマック報道官の洒落がよろしい、曰く"The remarks from that one individual are unfortunate."と。補足すると「個人の意見なんてありえねー中国で個人のおばかな見解が公式アナウンスされてしまうなんて、なーんて不幸な事態なんだ」ってなこと。
 英国はこの件で、BBCが早々にネタじゃーんという感じでそれなりにふかしている。”China general warns US on Taiwan ”(参照)がそのあたり。

Major General Zhu Chenghu is not directly involved in China's military strategy, but these comments could add to tensions with the US.

 というわけで、「祭でつか?」をたきつけているふうでもあるが、米国は現状では乗ってこない。というか、米国のこの問題についての関心者の腰の据わりようはただものではないので、フカシには反応するわけもない。
 反応しているのはどこかというと、Google Newsを眺めると、オーストラリアあたりだ。へぇという印象を私はもった。ちょっと印象でいうのだが、オーストラリアは中国問題について米国並みに、腰を据えつつある、ある種の移行期間にあるのかもしれない。
 さて、中国様だが、なぜこの時期に物騒なフカシをこいた理由は田中康夫的に言うと那辺に有り乎、ってなものだが、これがイマイチわからない。ちょっと鎮火に動いているふうでもある。BBC”China plays down nuclear 'threat' ”(参照)では、祭不発感がちょっと漂う。
 時期的にみると、男はやっぱり顔でしょ的な無力感漂う台湾の中国国民党の主席選挙があるのかもしれない。予想通り、本省人王金平が破れ、外省人馬英九が出てきた。党内選挙なんでどってこないべと見るむきもあるだろうが、今の台湾のへたれた流れでいけば、次期総統は馬英九という流れになり、事実上台湾問題は終わる。
 中国としてもそのホクホクの流れが読めないわけでもないのに、人民解放軍朱成虎少将にフカシをさせているのはなぜか?というのが問題でもある。案外、中国様お得意の世界の空気が読めないというだけかもしれない。そのあたりのボケ感が陰謀論を阻止する最大の要因でもある。

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2005.07.17

アスベスト問題を巡って

 アスベスト被害の問題が急速にメディアで取り上げられるようになった。被害者救済という点ではよいことなのだろうと思う。C型肝炎の問題でもそうだったが、識者は現状や予想について警鐘も鳴らしていたのだろうが、それが一般の社会問題に取り上げられるに至るには、なにか別の経路を取ることもある。今回のアスベスト騒ぎでもそのあたりが気になっていたのだが、ざっと見た限り、特に気にすべきこともなさそうだ。
 米国では二〇〇二年十二月に、米油田開発サービスのハリバートン社が、アスベスト被害について、従業員が中心となって起こした訴訟で、四〇億ドル(約四千八四〇億円当時)で和解している。この時点で、日本国内の産業衛生学会もアスベスト問題の研究を発表していた。この時期、損害保険大手も内部で保障費用の概算をしていた。が、特にその後日本で話題になるわけでもなかった。この問題は極東ブログでも扱っていないのだが、当時は私もあまり関心を持っていなかったのが正直なところで、どうにもならないのではないかという印象を持っていたと思う。
 昨今のアスベスト被害ニュースの発端は、クボタのアナウンスによるところが大きいようだ。元のソースはインターネットで公開されている”アスベスト(石綿)健康被害に関する当社の取り組みについて”(参照)だろう。


平成17年6月30日
株式会社 クボタ

 現在、社会的問題となっているアスベスト(石綿)疾病の治療法は未だ確立されていません。また、石綿疾病と石綿暴露との因果関係においてなお不明な点が多く、かつ労災給付による場合を除いて石綿疾病に罹患した時の社会的救済措置が無いのが現状です。
 当社は長年に亘り、石綿含有製品を製造してきた企業としての社会的責任を明確にするという観点から下記取組みを行っております。


 アナウンスでは「社会的責任」が強調されているが、社内ではかなり問題を詰めての発表だったのだろう。
 アナウンス中、「石綿疾病に罹患した時の社会的救済措置が無いのが現状」とあるが、石綿疾病については、一番重要なのは悪性胸膜中皮腫、つまり肺がん、と言っていいだろう。
 話が前後するが、企業が「社会的責任」としてこの問題に向き合うようになり、恐らくその結果(なのだろうか疑問は残るが)、国も新しい動きを取るようになったのは、よいこととは言えるだろうし、大きな流れの一環だろう。時期的にはハリバートン訴訟が大きな影響を持ったのではないかとも思う。
 というのは、かつてはそうではなかった。話が前後してしまうのだが、アスベスト訴訟が米国で沸き起こったのは、むしろ一九八〇年代のことで、PL法との関連もあった。これが元で企業倒産も出た。八九年には集団訴訟の七割を占めるに至った。
 しかし、米国動向の影響ではないかと思うが、国内で八八年七月にアスベスト被害で訴訟を起こした通称「横須賀じん肺訴訟」は、和解に至るまで九年近い歳月を要した。三億五千二百万円の損害賠償であったが、一九九七年四月、一億四百万円で和解した。同種の訴訟としては、国に対して起こした米軍基地じん肺訴訟がある。
 国内の対応は及び腰であり、ジャーナリズム的にも「じん肺訴訟」という呼称でアスベストが強調されているわけでもない。しかし、これからはアスベストが前面に出るだろうし、また、被害者も万単位に増えるだろう。国政としても向き合っていくしかない問題になったと見てよさそうだ。
 クボタのアナウンスに戻るが、「アスベスト(石綿)疾病の治療法は未だ確立されていません」とあり、それは正確な表現ではあるのだが、これには少し裏というか悪い裏ではないが背景的な含みがある。アリムタ(参照)である。
 アリムタ(ペメトレキセド)は、昨年二月に米国食品医薬品局(FDA)が悪性胸膜中皮腫への治療薬として承認した。臨床成績は、Wikiを借りると、「シスプラチンの単独投与222名の平均生存期間が9.3ヶ月なのに対し、シスプラチン+アリムタ投与の226名では平均生存期間は12.1ヶ月であった」とのことで、有益な薬剤ではあるように思われる。「中皮腫・アスベスト疾患・患者と家族の会」のサイトでは、”アスベストについて- 悪性胸膜中皮腫の新しい治療薬”(参照)としてこう見ている。

開発当初は副作用による死亡者もあったようですが、葉酸とビタミンB12の併用により解消され、抗ガン剤としての副作用は白血球減少や嘔吐等が10~28%程度の人に認められています。この治療の2年以上の生存者の比率は悪性胸膜中皮腫の方の全体の2割以下ですので、病気を「治す」薬と考える事は現段階では早計です。この薬単独投与と支持療法(緩和ケア)のみとの比較試験で、生存期間の延長が確認されれば、今後の標準的治療になりうる治療薬が登場した事になり、多くの方にとり朗報となる可能性がある薬だと思います。

 国も承認の動きがあるようで、ブログを見渡すと治験のようすも伺える。また、”抗がん剤併用療法に関する検討会 第6回議事要旨”(参照)などでも検討されているようすがわかる。
 あと、あまりこうした問題で不用意な情報を記載するのもいけないのかもしれないが、極東ブログではちょこちょこと言及することもあるCOX-2選択的阻害薬だが、中皮腫に有益の可能性を示唆する研究も出てきている。

【参考】


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2005.07.16

「徒然草」を読む

 このところ、「徒然草」を読んでいた。学生のころやその後も折に触れて読んでいるのだが、今回は少し違う。現代語訳のない岩波文庫「新訂 徒然草」のを買ってきて、原文のままつらつらと読んでいた。

cover
新訂 徒然草
 歳を取るにつれ、不思議と古文がそのまま読めるようになってきて、古文を読むのが楽しい。古文は現代訳を気にせず読むのがいいものだ。と、もちろん、鎌倉時代から南北朝時代の日本語なのですべてわかるわけでもないが、文庫の注であらかたわかる。
 いろいろ思うことがあった。一つは、兼好法師も日本人だなということ。それは、つまり、自分も日本人だなということでもある。ものの感受性や批評性というのが、実に、日本人という以外ないようなありかたをしている。「家にありたき木は、松・桜。松は五葉もよし。桜は一重なる、よし。」ああ、まったくそのとおりだ。
 七百年近くも前の人なのに、日本人であるという感性ことはこういうことかなと感慨深い。これから日本という国が何年続くのかわからないが、あと七百年しても日本は日本なのかもしれない。もちろん、このブログは消え去り、徒然草のほうがその時まで生きるのだろう。
 もう一つは、法師め、若いな、ということだった。これは三十代の感性だな、今時分でいうなら「はてな」でぶいぶい書いている若造さんと似ている。と、読み進めるに、おや、これは四十代の感性だと思うところもあり、文庫の解説など不要と思っていたが参照するにこの文庫の校注の元を作った西尾実(受験参考書を書いていた人ではなかったか)の説では、執筆時の法師は三十代と四十代にまたがるとのこと。確かにそういう感じもするし、おそらく、最終的に編纂されたのは法師、五十近いことであろう。
 五十近いといえば今の私の年代である。それが、とても、実感をともなってわかる。と、どこでそんな年代が気になるかといえば、あまり品のいい話ではないが、女である。女との関わりで沈んでくるある種の思いが、三十代、四十代を刻印する。
 もう一つは言葉だの、しきたりだの些細なこだわりだ。「相夫恋といふ楽は、女、男を恋ふる故の名にはあらず。」なんだか、俺もそんな些細なこだわりを日記に書いているような希ガス、じゃない、気がする。
cover
モオツァルト・無常という事
 そういえば、ふと思い出して、小林秀雄「無常という事」の「徒然草」のところを読み直して、暗誦するほど読んだ本なのに、奇妙に、稚拙な文章に思えた。若いな小林、文章が駄目だぞ、とか思った。年表を見るに、これが書かれたのは昭和十七年、小林四十歳である。なるほどな、四十の文章だなこれはとか思って苦笑した。言うまでもなく、私なんぞの屑が批評の神様を論じるまでもないので洒落としてはあるが。
 細かいところもちょこちょこと気になった。例えば、百三段。

大覚寺殿にて、近習の人ども、なぞなぞを作りて解かれける処へ、医師忠守参りたりけるに、侍従大納言公明卿、「我が朝の者とも見えぬ忠守かな」と、なぞなぞにせられにけるを、「唐医師」と解きて笑ひ合はれければ、腹立ちて退り出でにけり。

 高校の時読んだ記憶では、「唐医師」ではなく、唐瓶子(からへいじ)で「平忠盛」の洒落であったような、と、岩波の注ではその解釈は廃されている。このあたりの校訂というのが、青空文庫とかへの収録を難しくしているのでもあろうが、さて、「唐医師」と介してこの段の面白みは通じるだろうか。率直に言ってよくわからないなと思った。
 校訂の問題ではないが、似たようなことで読み返して奇妙に引っかかったのは百五十二段などもある。

西大寺静然上人、腰屈まり、眉白く、まことに徳たけたる有様にて、内裏へ参られたりけるを、西園寺内大臣殿、「あな尊の気色や」とて、信仰の気色ありければ、資朝卿、これを見て、「年の寄りたるに候ふ」と申されけり。
 後日に、尨犬のあさましく老いさらぼひて、毛剥げたるを曳かせて、「この気色尊く見えて候ふ」とて、内府へ参らせられたりけるとぞ。

 さっと読めば、昨今のネット・モヒカン族のごとき心性は七百年前にもしかりとぞ、といった感じではあり、そして、そういう有様を法師は冷徹に見ているとでも四十歳の小林秀雄は言うであろうか。
 私が気になったのは、歴史である。自分の生き様が歴史に組み込まれてつつあるせいか、法師の言も、一つの歴史の姿として見えてくる。つまり、徒然草とはちょっと気の利いたエッセイといったものではない。ある苛酷な歴史を生きた同時代報告でもあるだろう。
 注にもあるが、「資朝卿」とは日野資朝(参照)である。

 日野資朝(ひのすけとも、1290年(正応3年) - 1332年6月25日(元弘2年/正慶元年6月2日))は、鎌倉時代後期の公家である。父は日野俊光。権中納言。
 1321年に後宇多院に代わり親政をはじめた後醍醐天皇に重用されて後醍醐とともに宋学(朱子学)を学び、後醍醐の討幕計画では中枢にいた。1324年に計画が北条氏が朝廷監視のために設置していた京都の六波羅探題に察知された正中の変では日野俊基らとともに捕縛されて鎌倉へ送られ、佐渡島へ流罪となる。1331年に後醍醐老臣の吉田定房の密告でふたたび討幕計画が露見した元弘の変が起ると、資朝は佐渡で処刑される。

 と、Wikiの解説だが、こう続く。

資朝が後醍醐天皇に登用される話は、吉田兼好の『徒然草』に記されている。

 法師め、この段を書きながら、資朝の末期を見ているのである。
 同じように同時代への符丁が、徒然草のあちこちに隠れているようにも思う。まるで、時事を扱うブログでもあるかのように。
 というあたりをオチにしてこの話はおしまい。なに? つまんね? だったら、斎藤孝先生の「使える!『徒然草』」でも読んでくれ。

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2005.07.15

「ほっとけない 世界のまずしさ」なのか?

 このエントリの標題は「ほっとけない先進国のアホさ」とでもしたかったのだが、そこまで言えるものでもないし、私のようなアホの筆頭にはよくわからないことも多い。ただ、アフリカの貧困に対する善意と援助の陰に隠されているものについては、やっぱり、書いておこうと思う。
 なにが隠されているか。これまでの極東ブログの話の流れで言えば、「端的なところ、中国様のご威光」とかになりそうだ。ダルフール危機についても、端的に言ってしまえばこういうことだ、つまり…
 南北内戦が片付いてきて、イスラム系スーダン政府が「け、南北問題では下手を打ったから石油の取り分が減ったじゃなねーか」と考え、さらに「もうこれ以上減らされるのはご免だな、じゃ、次にぐだぐだ言いそうな西のダルフールの住民を先手で追っ払っておけ」と考え、「なんか、うまい追っ払いの口実はないか? 古くからある住民対立を増長させておくのもいいが…なぬ!西側の反乱軍がいる! 大した勢力じゃない? 勢力なんてどうでもいい、おお、それだそれだ、それを口実に、やっちまえ! それなら民族虐殺じゃなくて内戦っていうことになるし、内戦っていうことなら、この手のブラフな国内問題宣言がお得意の中国様も国連でがんと我々を支持してくれるだろうし(石油の分け前を中国様が狙っているしな)。あー日本? 日本は大ジョーブ、だって…(筆禍予防の伏せ字 by finalvent)…」という漫画みたいな話だ。
 まったくダルフール危機でなにが内戦だよと思う(力のバランスをなぜ考えないのか)。先日反乱軍とやらの映像をNHKで見たが、あの映像だけでもGJ(グッジョブ)だった。反乱軍とやらはボロの銃をもった自警団というくらいなもので、スーダン政府軍のヘリでばばばばと空爆するのに、どうやって闘うというのだ? 「ヘリが来たら木登れ!」という訓練映像を見て、私は、泣けましたよ。
 スーダン政府にさらについていえば、原油高騰で、スーダン政府にガボガボゼニが流れ込んでいるのに、なぜさらに金銭援助? っていうか、その金で政府軍の民衆虐殺の軍備ができているっていうことこそ、ほっとけない倫理の貧しさではないのか。
 というわけで、そんなダルフール危機の原因のどこが「ほっとけないアフリカの貧しさ」のか、わけわかめである。「素材:シリコン 生産国:中国」のホワイトバンドって悪い冗談ではないのか。
 と、いうような話をしたいわけではない。
 そうではない。
 気になるのは、本当にアフリカの貧しさを解決するには、どうすべきかということだ。
 ダルフール危機については、この問題をマジに考えてきた世界のブロガーの意見はだいたい一致してきた。AU(アフリカ連合)の軍事力を強化して、民族虐殺を制止する力にせよ、ということだ。実際、政府側に石油代金よろしく兵器がばこばこ投入さればこばこ利用されて活用されている現状をどうやって制止させるのかといえば、調停の軍事力以外はない。そして、その軍事力をどう世界のシビリアンがコントロールするかということでもある。
 それはそれで、不可能な道筋ではない。
 中国様に国際世界でちょっと引いてもらって、国連がまともに機能すればいい。そのために日本が貢献しようというのに、なぜそこまで中国様が邪魔するのか、というか、日本の世界平和への意志への対立者として中国様がドカーンと浮かび上がっているのが現状の国連改革の問題である、と簡単に言えば、簡単に言いすぎだが…。
 問題は、その先、本当に自立的にアフリカの貧困を解決するというとき、まともな政府によって豊かな鉱物資源なりを分散するだけでいいのか、ということのように私は思う。
 私は間違っているのかもしれないが、重要なのは、農業ではないのか。農業を貧しい国家のなかに樹立させる援助となることが重要ではないのかと思う。
 ではその最大の障害はなにか。
 それは、先進国の自国の農業助成金(agricultural subsidies)制度ではないのか。
 そんなふうに考える人はいないのか、と思っていたら、いた。テレグラフだ、また。
 九日付”More to do to aid Africa”(参照)がよかった。
 まず、こう現状のアホさをまとめている。


Yet there is a danger that increased aid and debt relief will appear patronising, a latter-day version of the white man's burden, without corresponding reforms in the developed world.
【試訳】
増加する支援や債務帳消しは、恩着がましさとなり、かつての「白人の責務」(参照)となる。そこには、先進国との対等な応答などない。

 そして、こう続く。

Having failed to commit his G8 colleagues to a fixed date for doing away with farm subsidies, he expressed the hope that the Doha Round of trade negotiations would agree to their elimination by 2010, at a meeting in Hong Kong this December.

Given the difficulties already experienced by the round, that seems wishful thinking. Yet the removal of subsidies by the European Union and the United States would have a much more beneficial impact on African economies than increased aid.

Mr Blair's persistent championing of Africa has, with the Live8 concerts and the Gleneagles summit, paid off politically. His success is deserved. But it still has to be translated into effective aid programmes and furthered by abolition of an iniquitous system of agricultural subsidies.


 テレグラフの主張をなぞるだけだが、アフリカの貧困を救済しようとするブレア首相らの熱意は意義のあるものだが、先進国の農業助成金の撤廃が伴わなければ、その効果は充分ではないと言えるように思う。
 この問題に絞れば、今後の見通しは、WTOでのBRICsとG20が関係してくるのだろう。大連で開かれていたWTO非公式閣僚会議では、農業分野関税引き下げ方式について、一定割合で一律削減する方式が提案された。
 この決定がアフリカの未来の農政にどれだけ関わるのか私にはよくわからない。なんとなくではあるが、貧しい国は新興の途上国グループからも取り残されていくというこになるのだろうか。

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2005.07.14

カール・ローブ(Karl Rove)を巡って

 考えようによっては先日の「極東ブログ: 米タイム誌取材源秘匿問題雑話」(参照)の続きの話とはいえないこともないが、米タイム誌取材源秘匿のもとの取材源がカール・ローブ政治顧問兼次席補佐官だったという流れになり、米国民主党およびリベラル派を中心とした勢力(つまり大統領選挙負け組)が、これをきっかけに一気にブッシュ叩きの祭を始めている。言うまでもなく、ローブは大統領選挙においてブッシュのブレーンであった。事実上、ブッシュのスタッフのなかのボスであると言っていい。
 単純に言えば、誰がCIAの工作員かということは知っていてもしゃべっちゃいけないのに(そんなことをすればその工作員の生命が危ぶまれる)、ローブは大統領選挙でブッシュに有利に持ち込むために、これに違反して暴露したというのだ。
 とはいえ、ディテールが私にはよくわからない。この問題は、反ブッシュの色合いをもっていることから日本のジャーナリズムも喜んで取り上げているかのように見えるが、どうも要領を得ない。つまるところ、「だから、ローブは法律に違反したのか?」という点がどうもクリアではない。どうなのか?
 APと提携したFOX News”Cooper Details Rove Conversations About Plame”(参照)では、そのあたりをこうまとめている。


The leak case is problematic for the administration on two fronts. First, is the question of whether Rove, or another administration official, broke the law in revealing Plame's identity. The 1982 Intelligence Identities Protection Act makes it a crime to knowingly reveal an undercover agent. Only one person has ever been convicted of violating the act.

Second, is the political problem of keeping on a staffer at the center of a scandal. Even before Rove helped Bush to his first major victory over Democratic superstar and former Texas Gov. Ann Richards in 1994, he was a trusted consultant to President George H.W. Bush. The Bush clan is known for prizing loyalty; turning Rove out of the administration would be a hurt felt both professionally and personally.


 まず、法的な部分の最低ラインがクリアになると事態の予想もしやすいのだが、どうもそうではない。私の見る限り、これは、政治的なけじめといった問題でもあるのだろうが、どちらかというと、ただの政争というだけのように思える。
 ちなみにこのエントリ執筆時の日本での報道はこんな感じだ。読売新聞”タイム誌記者が大陪審証言、ローブ氏側と合意の上”(参照)より。

 クーパー記者は2時間半にわたる証言の後、記者団に対して、情報源の秘匿の原則にもかかわらず証言を行ったのは、記者の弁護士とカール・ローブ大統領次席補佐官の弁護士との間で合意書が交わされたためだと確認し、記事の「情報源」がローブ氏であったことを事実上、認めた。
 一方、ローブ氏の弁護士は13日、ローブ氏が工作員の実名を明らかにしたことはないとして、違法行為はなかったとの立場を示した。

 話は前後するが、このところサロン・コムなどリベラル派の報道を見ていると、ローブもチェックメイトかという印象を持っていたのだが、十三日付けのウォールストリート・ジャーナル”Karl Rove, Whistleblower”(参照)が、小気味よいほどローブ擁護にまわっていて面白かった。

Democrats and most of the Beltway press corps are baying for Karl Rove's head over his role in exposing a case of CIA nepotism involving Joe Wilson and his wife, Valerie Plame. On the contrary, we'd say the White House political guru deserves a prize--perhaps the next iteration of the "Truth-Telling" award that The Nation magazine bestowed upon Mr. Wilson before the Senate Intelligence Committee exposed him as a fraud.

 民主党だのマスメディアがローブを巡って四の五の言っているが、ローブは正しいのだ、彼のお陰で嘘つき野郎が暴露されてよかったのだ、といった調子である。話を読み進めていくと、民主党とCIAがイラク戦に関連して大統領選でブッシュ潰しにかかった策略がローブのお陰で粉砕されたから良いのだという感じで、このところの問題とはあまり関係なさそうではある。しかし、その話にお付き合いすると、ようするにイラク戦の評価ということになる。私としては、その論法で現状の問題の可否を迫るというのも、なんだかなという印象を持つ。
 ついでながら、一昨年秋のどたばたはこういうことだった。この年の一月、前期のブッシュ大統領は一般教書演説で、イラクはアフリカからウランを購入しようとした疑惑があると主張したところ、その情報について、ジョゼフ・ウィルソン元駐ガボン米大使(民主党)はその前年CIAの仕事として調べたが信憑性が薄いと反論した。ブッシュ窮地といった展開になったが、保守系ジャーナリスト、ロバート・ノーヴァック(Robert Novak)がこれに反論。この反論は、政府高官情報として語られたものだが、ウィルソン元大使がニジェールに派遣されたのはCIA工作員である彼の妻がCIAに働きかけたためだとした。単純に言うと、ウィルソン元大使の発言はCIAがブッシュ潰しに動いていた謀略だということ。先のウォールストリート・ジャーナルではこのあたりのことで英国資料なども参照させ、ブッシュ支援側で補強もしている。なお、昨今の問題でもある、タイム誌、ニューヨーク・タイムズ紙はノーヴァックに続いて、この政府高官情報に関わった。
 こうした流れで、さらにブッシュ叩きの民主党側の反論として、「じゃ、その政府高官って誰よ?」ということになった。二年近くも前のことだ。
 それがなぜ今頃くすぶりだすのか私はよくわからない。
 イラク戦争の是非云々は基本的にすでに神学論争の領域に近いので、私は、その立場を決めてからこの問題を論じるという気にはならない。くどいようだが、今回の件では、法的な問題と倫理なりの問題の線引きがどこで落ち着くかという点が気になる。
 ローブがこければブッシュは打撃を被ることなり、米政府の勢いが低下するということで二次的に日本もその時点で巻き込まれるだろう。
 さて、個人的なローブの評価だが、率直に言えば、私はローブを援護したい心情がある。彼という人間に関心があるからだ。ローブにはバチェラーの学位すらないたたき上げの人間であり、そしてここまで勝利してきた。しかも安逸な戦いではない戦いを勝利してきた。そして、いよいよブッシュがレイムダックとなるかならないかという、歴史にその意義を問う最後の決戦が近い。このスキャンダルはその緒戦でもあろう。
 後世の歴史家もきっと、ローブという人間に関心をもつだろう、この緒戦をくぐり抜ければ。

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2005.07.13

六か国協議再開は期待薄だがその先は

 六か国協議についてはあまり気の進まない話題だが、気が進まないで済むことでもないし、ニューヨーク・タイムズのクリストフのコラムが面白いと言えば面白いのでそのあたりにひっかけて少し書いてみよう。
 その前に六か国協議だが、私の見渡せるブログだと毎度のことながら、カワセミさんの「対北朝鮮政策における一提言」「対北朝鮮問題に関する提言(補足)」がわかりやすいといえばわかりやすい。氏の見解に同意というわけではないが、次の表現は六か国協議の重要な側面をうまくついていると思う。


 基本的に私の意見は以前のエントリと同じで、6ヶ国協議は破綻しているという考えだ。外交交渉の場としては、手を尽くしたが失敗したという形を整えるためのものと考えている。

 たしかにそういう印象を受ける。そして、この先にこう続くのも同意しやすい(が同意はしない)。

そして米国の政権内で路線対立があるという事は、日本が軍事的な内容も含めた実質的な負担を負うという決意も含めて意見を表明すれば、その路線決定にかなりの影響力があるという事も示している。

 前提となるのは、米政権内に対立路線があるのかという点で、ある程度米国という国を見ている人間なら、常識的にそりゃあるでしょと言いたいところだが、私はこの点ではためらう。軍事というのはある合理性をもっており、米国は基本的に軍事の合理性においてはそれほど外すことがないと考えるからだ。もっともそんなことを言おうものなら、イラク戦の失態はどうかと突っ込まれそうだが、まさにあの失態こそその合理性の無視でもあった。
 そのあたりの亀裂が北朝鮮政策にも反映しているのか、というふうにも切り分けられるのだが、よくわからない。私はライスを買いかぶりしているのかもしれないが、なにか裏があるようにも感じる。
 カワセミさんの指摘でもう一点、このあたりの国際常識を日本のジャーナリズムが共有してくれればなと思うのは、これだ。

 クリントン政権の時の失敗でも分かるが、通常兵器に大きく劣る北朝鮮が核カードを欲しているのは切実感がある。これはむしろ米国のような軍事大国が理解し辛いことかもしれない。あのような途上国は、核さえ持てば日頃うだつのあがらない状況を大きく改善できると考えるものなのだ。

 それはイラクでもそうだし、ずばり言ってしまえば、イラク戦開戦のときこそこそと逃げ回っていた金正日は核宣言をしたことで、少し安心しているのだ。そのあたりの心理はなかなか現代日本人にはわからないし、そして、やや言い過ぎのきらいはあるが、金正日のこの心理の延長には韓国の国家的な大衆心理もある。中国も日本も恐いので核が欲しいという幻想があるのだ。日本の左翼陣営にもかつてのソ連の核への親和性を思うとそうした思いを共有しているのかも知れない。「主体思想」というのはそういうことなのだ。
 話を冒頭で触れたニューヨーク・タイムズのクリストフのコラムに戻すが、該当のコラムは”Behind Enemy Lines”(参照)だ。クリストフは、今月九日からアーサー・サルツバーガー(Arthur Sulzberger)ニューヨークタイムズ会長のお供という名目で(でないと入国禁止状態)、北朝鮮を訪問しており、副主席や外務大臣(でいいのか)とも直接対談してその内容を掲載している。ちなみにこのあたりのサワリが、夏の爽快感をもたらしている。

General Li said that if the U.S. launched a surgical strike, the result "will be all-out war." I asked whether that meant North Korea would use nuclear weapons (most likely against Japan). He answered grimly, "I said, 'We will use all means.' "

 単純に読めば、米国がイラク攻撃をしたように、直接的に北朝鮮に攻撃するなら、日本に核弾頭をお見舞いしてやるぜということで、ま、毎度の話でもある。ただ、このあたり、韓国とかには別のコノテーションとして伝わるのだろう。これにつられてクリストフはこう書いて締めるあたりが、民主党的な与太だよお前さん、という感じはする。

So don't let the welcome resumption of the six-party talks distract us from the reality: Mr. Bush's refusal to engage North Korea directly is making the peninsula steadily more dangerous. More than at any time since the Cuban missile crisis of 1962, we are on a collision course with a nuclear power.

 洒落はさておき、問題は、端的にいえば、六か国協議がナンセンスという以上に危険な時間稼ぎになっているという点だ。それは、そうなのだろう。

Mr. Bush is being suckered. Those talks are unlikely to get anywhere, and they simply give the North time to add to its nuclear capacity.

Li Chan Bok, a leading general in the North Korean Army, made it clear that even as the six-party talks staggered on, his country would add to its nuclear arsenal.


 問題は、私の見るところでは、要するに核の拡散ということだと思う。

Kenneth Lieberthal, who ran Asian affairs for a time in the Clinton White House, put it this way: "If they get those two sites up, that then creates the potential for them becoming the proliferation capital of the world."

 北朝鮮がプルトニウム胴元になるのだろう。
 率直に言うのだが、日本の左翼や中国様やその他の愉快な仲間たちは、北朝鮮にも平和的な核利用があっていいだろう言い出すのではないか。しかし、それを是認するのが危険なのだ。クリストフが言うように、「その手に乗るな(Don't bet on that.)」ではある。

Officials insist that the new reactors are intended solely to provide energy for civilian purposes - and that in any case, North Korea will never transfer nuclear materials abroad.

Don't bet on that. If Pyongyang gets hundreds of weapons by using the new reactors, there will be an unacceptable risk of plutonium's being peddled for cash.


 話を端折るが、だから、というわけで、クリストフは米国が二か国直接対話に持ち込めというふうに展開していく。どっかで聞いた話だよなとは思う(ケリー大統領候補のあれだよ)。
 私も甘ちゃんかもしれないが、こうしたクリストフのフカシの背後で、実際には北朝鮮と米国の二か国のチャネルは動いているようでもあり、なんとなくだが、本音のところでは金さんが恐いのは中国様かも助けてくれブッシュぅぅというスジが読めないこともない。ま、そのスジで推す気はさらさらないが。
 「極東ブログ: NPTの終わり?」(参照)で日本版ニューズウィーク国際版編集長ザカリアのフカシを取り上げたが、ニューヨーク・タイムズといい、メディア攻勢で北朝鮮の体制転換をぷくぷく吹いているのは、中国へのメッセージというだけのことかもしれない。確かに、朝日新聞とかが泡吹いて、六か国協議の正否は米国と北朝鮮にありと中国様をかばうわけだが、北朝鮮の命運は中国の手の元にある。もともとも北朝鮮は米国の対中国戦略のための恰好のダミーでしかない。そのあたり、中国様もわからないではないので、やっぱここは金さん潰しておくほうが儲け儲けという転換があるかどうかということだ。
 なんとなく考えると、そのほうが儲けのようにも思うが、中国様はがんと動かない。江・フランケンシュタイン・沢民が頑張っているからというスジだけでもないだろう。なんか「お前さんこと陰謀論」とかまた言われそうだが、中国様としても内政を弾圧するためにも米国という敵国が必要なのではないか、まだまだ、当分。

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2005.07.12

普天間飛行場の嘉手納基地統合が動き出す

 この話題、あまり書くのもなんだが、ちょっと報道のバイアスというか雲行きが怪しいのでこのあたりで簡単にメモしておこう。普天間飛行場の移転の問題だ。
 結論から先に言うと、やはり、嘉手納統合で決まりそうだ。というか、それっきゃないことは十年前からわかっていたことでもあり、この話はもう一年近くも経つのかと感慨があるが、「極東ブログ: 沖縄県内代替基地なしの普天間飛行場返還は好ましい」(参照)や、「極東ブログ: 米軍機、市街地墜落の意味」(参照)でも触れた。
 今回の動きは、琉球新報”嘉手納統合は暫定 普天間飛行場”(参照)が詳しい。


在日米軍再編で、普天間飛行場の嘉手納飛行場への統合を10年程度の暫定とし、その後は県内の他の米軍基地内に移設する方向で政府が検討していることが9日までに分かった。複数の政府・与党関係者が明らかにした。代替施設予定地はキャンプ・シュワブ内陸上か嘉手納弾薬庫内が有力。嘉手納飛行場への統合の期間を区切ることで、地元の理解を得たいとする狙いがある。ただ嘉手納飛行場への統合は周辺自治体の反対が強く、政府内にはなお、慎重な見方もある。基地の所在する地元の動向が行方を占うことになりそうだ。

 話の手前、辺野古近くのシュワブ案がふかされているが、それはありえない。っていうか、ワロタ的なフカシ。
 くどくどした話はさておき、簡単に言えば、あとは米国側の決断だけの問題でもある。というのは、同記事にもあるが、嘉手納統合に決まってしまえば日本は口出しできない。

日米地位協定第三条は、基地内の「設定、運営、管理」は米軍の自由裁量と定めており、法的には日本政府も自治体も関与できない仕組みになっている。

 こうした流れになっているので、泡を吹いたように、嘉手納統合案否定の動きがぞろぞろと出てきた。すごくわかりやすいのは、ライブドアニュースも提携する赤旗”普天間基地返還要請へ/宜野湾市長・学生らが訪米/沖縄”(参照)である。

米海兵隊普天間基地の早期閉鎖・全面返還を米国政府などに要請するため、同基地を抱える沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長は十日午前、那覇空港を出発し、関西空港経由で米国に向かいました。


 伊波市長は「日米協議の中で沖縄の声が反映されるよう現状を的確に伝えたい。『普天間』はこれ以上放置できず、県内移設では解決しないことを訴えたい」と強調。新膳さんは「(米軍ヘリの墜落現場で)そのとき、その場所で感じたことをストレートに訴え、若者の代表として基地はいらないものだということを伝えていきたい」と決意を語りました。

 本土左翼の手前、本土移転が言えないところが沖縄のつらいところで、そうなると誰もが納得する「米海兵隊普天間基地の早期閉鎖・全面返還」ということになる。が、これは、端的に言えば、米国内の実質の植民地や軍事同盟国への移転ということで、グアムやオーストラリアに移せということに過ぎない。それで問題が解決かよということろが、旧左翼的な反戦主義が実はナショナリズムに同値しているということでもあり、その先の話もあるが言うも野暮な状態だ。
 だめ押し的な引用だが共同系”宜野湾市長が訪米に出発 普天間の米本国移転を要請”(参照)より。

 沖縄県宜野湾市の伊波洋一市長は10日、同市の米軍普天間飛行場について、米本国移転によって早期返還するよう米政府などに要請するため、関西空港経由で米国に向かうため那覇空港を出発した。

 話を少し変えて、普天間飛行場はさっさと廃棄しないといけないのだが、訓練などは幾分か本土移転になるのではないかというか、そうしないといけないのだろうという思いは小泉首相にもあるらしい。そのあたりはけっこうまともな政治家の感性でもある。
 くどいが、嘉手納統合がベストだとは私もまるで思わない。嘉手納付近の住民に負担が増えるからだ。普天間飛行場を現状のままだらだら放置し、効果のない正論の声をあげて自己満足に陥るよりはマシだろうというくらいでしかない。そんなことをしている間にまたヘリ墜落のような大惨事の危険性が増すだけなのだ。
 この手の話は書くだけ無用な反発を招きかねないのでうっとおしくなりつつあるし、いわゆる右派とか軍事系みたいな人もけっこう外すことがある。米海兵隊が沖縄に駐屯しているのは象徴的な意味しかない。

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2005.07.11

アフリカの貧困というパラドックス

 アフリカの貧困について。特にサハラ以南について。不用意に書くネタではないが、頭のなかに引っかかっているままにするより少し書いておこうと思う。
 と言ってネタ元はけっこうベタにNewsweek日本語版7・13”アフリカ大陸 「極貧」の虚像”である。標題からわかるように、アフリカ全体を極貧とする見方は虚像だということ。この話はアフリカ問題に関心を持つ人にとってはある意味で自明なことでもあるのだが、昨今、というか今回のG8の影響もあるのだろうが、アフリカ=極貧、というイメージが流布されているように思う。ダルフール問題なども、貧困ゆえの内戦といった雰囲気まで醸し出されているように感じる。圧倒的な政府軍の民衆虐殺のどこが内戦やねんとツッコミたくなるが、マスコミは、形なりの反乱軍なりでもあれば内戦ということにしてしまうのだろうか、実態なんかどうでもよくて。
 ボヤキはさておき、Newsweekの同記事だが、端的な数字をこう語る。


 だが実のところ、アフリカを覆う暗いニュースの背後には、明るい光が垣間見える。民主選挙によって選ばれた国家元首は、30年前はわずか3人だったが、今では30人になった。
 アフリカの主要25カ国(人口の4分の3を占める)は、着実に経済力を伸ばしている。IMF(国際通貨基金)の予測によれば、今年のアフリカ全体の経済成長率は5%だ。

 というわけで、数字の上ではただ極貧というものでもない。
 ちなみに、同記事によれば先日のサミットにおけるアフリカ債務取り消しで棒引きになるのは、3000億ドル中の140億ドル。Newsweekは「焼け石に水だろう」としているが、無駄ではないというものの、問題の全体構造を変えるものではないようだ。
 総じて見れば、資源が豊かなアフリカはきちんとした政府が存在すれば、自力で経済回復できる素地はあると言ってもよいかもしれない。特に、原油高騰はアフリカに、しょぼい倫理的な援助以上のカネをじゃぶじゃぶと流し込んでいる。
 二〇〇五年のGDP伸び率で見ると、一位アンゴラ13.8%、二位スーダン8.3%、三位ナイジェリア7.4%、コンゴ(旧ザイール)7.0%ということで、スーダンの伸び率は高い。貧困がダルフール危機の背景にあると言えるわけもないし、日本からのゲンナマの援助が必要というのも疑わしい。
 問題は、政治、というか、政治が不能状態になった場合の調停力だろう。なぜ政治が不能自体に陥るのかは、独裁政治とその背景にあるものだが、今日はあらためて触れない。
 そして、これらとはまた少し違った次元で深刻なエイズの問題がある。

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2005.07.10

ポジティブ・シンキングとやら

 たるい話。ポジティブ・シンキングとやら。七日の「はてなブックマーク」の人気エントリー(参照)に「Dr.米山の活脳塾 グチは他人にとってもネガティブ・エネルギー」(参照)というのが上がっていた。それほど人気の記事というものでもないようだったし、ブックマーカーズのコメント(参照)も、たるい感じのが多かった。いまさらポジティブ・シンキングはないだろだし、それを脳に結びつける「脳内革命」も古い話だなと思って、この本の情報をみると一九九五年出版。十年も前になるのか。そういえば、ポジティブ・シンキングといえば、斎藤澪奈子(参照)も亡くなったな。
 Dr.米山の話はというと、サワリはこんな感じかな。


 「疲れた」と言うとさらに疲れてしまうのは、このように脳が活力の出るような働きをやめてしまうからです。ですから、いくらつらくて、疲れていても、口には出さないことが大切です。

 こういうのって、仕事なんかでリーダーになっている人にはけっこう当てはまる部分がある。人との関係ではこの手のやせ我慢が必要になる。もっとも、集団を率いるならそれなりに兵卒を休ませる必要もあるわけで、そのあたりは難しい。また、疲れというのも昼寝すればいいだけのもあるしもっと深いものもある。むしろ、深いところで人生とかブログに疲れちゃうのはどうなんだろうか…。

 グチを言っていると、脳の真ん中あたりにあって、感情をチェックしている「扁桃体」という組織が働き、怒りとか不愉快な情報として、目の前の情報をとらえ、その結果を大脳皮質に送ってしまいます。そのため、「無視しろ」というような、否定的な行動を取るように命令が出てしまうのです。

 この言及を支えている論文とかあるのか知らない。というか、Dr.米山のこの説では、グチ言う、というのが、そのまま口に出して言葉で言うというストレートな意味なので、一種の言霊信仰みたいな感じは受ける。実際は、こうした脳に関わる問題は感受の時点で認識と関わっているのだろうから、口を付いて言う・言わないはそれほどの意味はないのではないか。
 ネタとしてはそのくらいの話なのだが、十年前の脳内革命とかそれ以前もあるのだが、そのポジティブ・シンキングってやつ。これって、日常実行している人が世の中にはいる。なんかすげーテンション高くてなんでもポジティブ・シンキングという感じな人間って百人に一人くらいいるのではないか。ホリエモンなんかもそのクチだろうか。あまり彼から個別にネガティブな言葉は聞かない。が、全体はすごいネガティブというかニヒリズムみたいなものを感じるが、というか、この手の人って、かなわないなとだけ思う私のような小人は、ドン引く。
 Dr.米山のポジティブ・シンキング説でそっかもなと思うのは、ダメ癖みたいなものだ。そういうのはある。そしてこうしたダメダメのパーセプション(感受性)というか、感受性のサーキットみたいののフレーム(枠組み)というのは、ちょっとした弾みでリフレーミング(枠組み再編)ということが可能なことがある。リフレームして生き方がころっと変わってハッピーというのもないわけではない。…のだが、その当たりは、同じくDrの付く、Dr苫米地の領域なので、私はパス、と。
 ポジティブ・シンキングといえば、その手のものに私もトラップしたことがある。最初は、中学生のころなんかの勘違いで亀井勝一郎とか読んでいるつもりで谷口雅春の本を読んで、そうかと元気付いてしまった。そのままの人生だったら、京セラを起業していたかヤオハンを潰していたかわからないが、なんとなく、れれれと逸れて、小林秀雄とか読み続けた。
 ポジティブ・シンキングではないのだけど似たような経験としては、グルジェフという神秘家の思想に影響を受けたことがある。その説をチープに解説するウスペンスキー「奇蹟を求めて」に、人は否定的な表出をすべきではない、という教えがあって、なんだかよくわからないのだが、試してみた。
 英語ではnegative expressionだったか、たぶん否定的な感受があってもそれを表出してはいけないという教えらしい。たぶんグルジェフの思想のなかでは内的配慮(internal considering)というのと関係があるのだろうが、それはさておき、そんなものかねと試してみた。三つわかった。
 一つは、否定的な表出というのは自我をプロテクトする行為に組み込まれているようだなということ。二つ目は、否定的な表出というのは対人関係のなかでは支配の行為パターンのようにもなっているのだなということ。もう一つはこの手のエソテリック(秘儀)的な修行は、本とかメディアで読んでホイホイ真似するもんじゃないということ。ある種の東洋的な修行というのは、わけもわからずに実践するもんじゃないというのが多い。
 結果的には、この修行は、麻雀勝負師とか自然に行なっている。「げ、まずい手じゃん」とかいうのを顔にもおくびにもださないのが勝負師。なので、この修行の結果なのか、勝負師ってちょっとすごみがある。
 この関連でほかにもいろいろ思うことはあるけど、今日のたるい話は終わり。

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2005.07.09

It's a small world.

 話は最近「はてな」が始めた「はてなマップ」(参照)についての雑談。Google Maps(参照)を応用したサービスだ。Google Mapsは単純に言えば、ネットによくある地図サービスとも言えるのだが、NASAのWorld Wind(参照)のように、衛星写真で世界を網羅していて、世界のあちこちを眺めてみるのが面白い。元画像はNASAだったかと思うので、World Wind同様、北朝鮮の軍事基地とかは見えないのではなかったかと思う。
 「はてなマップ」は、Google Mapsの地形写真情報とインターフェースをベースにして、というか見た目はほとんどマンマでもあるのだが、それに「はてな」らしく、ユーザーが説明書きしたキーワードと、ユーザーが登録した写真のGPS情報を地図上にロケート(位置決め)できるようにしてある。
 単純な話、私はここで働いています…というふう地図上に示すことができるわけで、「はてな」の会社がすでに「株式会社はてなの地図を見る」(参照)というようになっている。この参照リンクをクリックすると、画面中央に写真の吹き出しみたいのがあるが、それをクリックすると、「はてな」のある会社の写真がある。
 衛星写真の解像度はけっこう高いので私の実家なども見分けることができた。というあたりで、こういうのもなんだなという感じはする。
 この手の「はてな」の、ある意味でお遊びがあると、私はすぐにでも参加せずにはいられない性分なので、手元のデジカメ写真のログを見ていた。沖縄で暮らしていたときの写真がいくつかあるのだが、地図ロケーティングで面白いといえば、ランドマークみたいな糸満市の平和祈念堂かなと思って登録してみた。あまりまめまめしい写真もなんだから、あのころの自分のうらぶれた心象を表すようなのを選んでみた。これがそれ、平和祈念堂(参照)である。まんなかに写真のタグみたいなのが出てくるのでクリックすると写真が表示される。

peace_tower

 この写真にはGPS情報は含まれていなかったので、別ソフト(カシミール)で書き込んだのだが、いずれはデジカメにGPSが標準機能になるのだろう。あるいは、デジカメはすでに携帯電話と統合されているので、携帯電話の通信のセルからGPS情報が割り出せるようになるのだろうか。どういう技術が実装されるかわからないが、そうなるのだろう。
 自分がいつどこでなにをしていたかというのが、写真一枚でまとまり、そして、「はてなマップ」のようにロケートできるようになる。ちょっとSFみたいだなという感じはする。人生というのも、こんなふうにコンデンス(圧縮)されるのかもしれない。そういえば、平和祈念堂の写真のEXIFを読んでいたら、この写真は二〇〇〇年十二月二十三日のものだった。クリスマス・イブの前の日になんで私はこんなところにいたのだろうか。
 手元のエジプト旅行やインド旅行の写真もスキャンしてGPS情報を書き込んで、「はてなマップ」に登録してみようかなという思いもちょっとよぎる。地球は本当に小さくなったなという感じがする。It's a small world.♪ でも、思い出はみんな過ぎ去ったことだ。写真に写っている三〇代前半の私は今の私ではない。
cover
紅雀
 はてなマップでは、写真のGPS情報によるロケート以外に、地名などキーワードも緯度経度を指定して登録できる。すでにはてなユーザーがいろいろな地名を登録しているのだが、私はふと、「ランドリー・ゲート」を登録したくなった。ユーミンの「紅雀」の「LAUNDRY-GATEの想い出」は懐かしい曲だ。
 というわけで、登録してみた(参照)。Mapfan.netの位置情報を使えば簡単だろうと思ったのだが、なんか位置の微調整に手間取ってしまった。地図との感じもちょっと違っているかもしれないので、はてなユーザーのかたで「間違っているよこれ」と思うかたは直していただきたい。
 言うまでもなく、「ランドリー・ゲート」は今はない。そして、今はないという地名がこれから日本に増えてくる。地図サービスに20年単位で時間の切り替えができたらどんなだろうか。荒廃していく地球を嘆くようになるのか、緑あふれる地球を求める人々の指標になるのだろうか。

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2005.07.08

ロンドン同時爆破テロについて

 昨日ロンドンで起きた同時爆破テロだが、死者は50人にのぼるのではないかと見られ、大惨事となった。現状では詳細はわからないことが多い。が、大方の見方を踏襲するわけではないが、アルカイダを標榜するイスラム過激派による犯行だと見てよいだろう。
 今朝の新聞各紙社説もこのテロを扱っていたが、情報がないとはいえ、紋切り型の話に終始していたように思った。なかでも、テロに屈してはならない、日本も危ないといったトーンが予想通り際立っていた。
 端的なところ、日本は危ないのだろうか。私は今回のテロ事件を見る限りではあまりその印象を受けない。スペインでのテロ事件でも今回のロンドンのテロ事件でもそうだが、非常に政治的なメッセージ性が際立っているのだが、日本に対してそうしたシグナルを送るべきチャンスというのが想定されないからだ。
 今回のテロでは、アルカイダを標榜するグループから犯行声明が出ている。日本の報道ではまだ真偽はわからないとして、あまりこれに立ち入っている印象は受けない。確かに、この声明とテロの関係は明確にはなっていない、とはいえ、欧米の報道の論調ではこの声明は声明として読み込んでいるようでもある。
 ざっと見たなかでは、こうした点でガーディアン”Intelligence officials were braced for an offensive - but lowered threat levels ”(参照)が興味深かった。この記事に声明を英訳した部分があるのだが、重要なのはこの点ではないかと私は思う。


"We continue to warn the governments of Denmark and Italy and all crusader governments that they will receive the same punishment if they do not withdraw their troops from Iraq and Afghanistan."

 ポイントは二点ある。一点目は、次の標的はデンマークとイタリアであると明示していること。なぜデンマークとイタリアかといえば、日本ではあまり報道されなかったが、デンマークについては、オランダの事件だが、「極東ブログ: テオ・ファン・ゴッホ映画監督暗殺事件余波」(参照)でふれたような背景があるだろう。イタリアについては、政権が不安定でありテロの対応で弱そうな様相を見せていたからだろう。この文脈では日本は明確に浮かび上がってこない。日本は反米という線では前線に見えるようだが、こうした欧州の状況から見ると霞んでいる。
 もう一点目は、"all crusader governments"という表現である。物騒だが直訳したほうがわりやすだろうが、「全ての十字軍政府」である。キリスト教的な国家の政府が意識の対象となっている。この点では明らかに日本は外れてしまう。
 以上のスジで考えると、日本とはあまり縁のないテロのようでもあるし、日本人も内心ではそう受け止めているようにも感じられる。
 ただ、こうしたスジではなく、今回のテロ後に即座に経済に影響が出たように、市場の攪乱なりを狙うというなら、落ちぶれても経済大国日本を狙う意味はあるだろう。このあたりは、今回の経済攪乱の背景の有無が問われるだろう。
 ガーディアンの記事では、標題に"but lowered threat levels"とあるように、どうやら英国ではテロについて警戒レベルを落としていたという背景もありそうだ。手薄にしていたから狙われたとも言えないことはない。

Another knowledgeable intelligence source said last week: "We keep on asking why there has been no terror outrage yet. We know it's bound to come."

 とはいえ、むしろ、なぜこれまでテロがなかったのだろうという疑問のほうが専門家にはあるのだろう。
 ただ、陰謀論というのでは全然ないが、うがった見方をすれば、このテロによって、ブレアがごり押ししようとしていた生体認証の識別カードを英国民に押し付けるのがたやすくなるので、その動向は日本人も注視したほうがいいだろう。
 テロの今後だが、当然、今回のテロの首謀者のプロファイルに関連する。ガーディアンでは次のように若いインテリ層が注視されているとしている。

There have been two distinct groups of people involved in planning the attacks in the UK: British-born young men, often educated and middle class, who may have volunteered for training in Afghanistan and who are prepared to risk jail or death to carry out an attack; and foreign citizens, including a number from north Africa, who see Britain as the next most important target after the US and use false identities to avoid being traced, blending in with existing immigrant communities.

 このあたりのテロリスト像は「極東ブログ: ファルージャに入った反米フランス人が捕まっているという話で」(参照)にも関連する。大雑把過ぎる言い方だが、昨今のイラクの治安の悪化も西欧から供給される自殺爆弾によるところが大きい。
 今回のテロについては、私も、こうしたガーディアンの記事に沿った考えになる。つまり、今回のテロは、従来のように急進的な反米的なアルカイダ組織があるというより、EU拡大にともなうイスラム圏の人々の流入とそれが醸し出す各種の社会的な軋轢が誘因なのだろう。
 その意味では、欧州型のイスラム過激派のテロというのは、日本の既存体制に軋轢を感じて噴出した日本国産のテロ集団に近いのかもしれない。

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2005.07.07

マルコ・ポーロ橋の事件

 この手のネタはネットでわいわいするのが目的ならいいのだろうけど、実際はけっこう不毛。なのでパスが基本なんだが、たるいネタに近い感じでちょっと書いてみたい。蘆溝橋事件である。のっけから脱線だが、日本のマスコミは「盧溝橋」と表記する。
 書いてみようかなと思ったのは、日本のマスコミがけっこうナーバスにこの事件を見ているのかもなという感じを受けたからだ。ナーバスというのは、昨今の日中関係を配慮していうより、史学をそれなりに踏まえていて、さすがに2ちゃんで馬鹿にされるほどうかつなことは言わないようなのだ。たとえば、中国様の鼻息を察するに敏なる朝日新聞でも”中国で愛国キャンペーン本格化へ 盧溝橋事件から68年”(参照)でこう蘆溝橋事件を修飾する。


日中全面戦争へのきっかけとなった37年の盧溝橋事件から7日で68年を迎える。

 「日中全面戦争」という表現もどうかとは思うが、「きっかけ」というのならどっちが悪いというがありそうなもので、本家中国様はのうのうとこう書く。CRI”盧溝橋から世界の恒久の平和へ”(参照)とか。むふっ(鼻息)。

北京の南の玄関で軍事的要所でもあった盧溝橋では、1937年の7月に、日本侵略者による攻撃の銃声がとどろき、中華民族の抗日戦争の幕が切って落とされたのされたのです。

 ヲイヲイ…なんだそれというのがさすがに中国様なんだが、この先読むとこれじゃまじーよなという意識も少しあるらしく、こう続く。

ところで、盧溝橋事件の勃発に先立ち、日本侵略軍は早くも1931年に、中国大陸を侵略するプロローグ・「9・18事変」を引き起こしています。

 「ところで」が効いてるよ、ったくよ、である。そっちに話を濁したいのだろうが、この先こう来るあたりが中国様って面白い。

日本軍は自分たちが仕掛けた柳条湖事件を口実に、総面積100万平方キロもある東北三省を占領し、更に、清の最後の皇帝、愛新覚羅・溥儀を皇帝に仕立て上げ、傀儡政権である満州国を作り上げました。

 このあたりの話になってくると、蘆溝橋事件ほどすっぱりカタが付くことでもないので、当方も切り上げることにする。
 ちなみに右寄りと言われる産経新聞だが”盧溝橋事件 きょう記念日 中国、愛国宣伝激化へ”(参照)は、まろやか仕上げ…じゃない朝日新聞と同じ。

日中全面戦争の口火になった、1937年の盧溝橋事件記念日の7日、北京市郊外の盧溝橋近くにある抗日戦争記念館は、展示を大幅に拡張して再オープン、記念行事を行う。

 ま、そういうことなんでしょ、日本のマスコミは。
 話はずっこけるが、身近なものに盧溝橋を英語でなんと言うか知ってるかと聞いたら、知らないようだ。高校とかで教えないのか。Marco Polo Bridge、マルコ・ポーロ橋である。北京南郊、永定河にかかる大理石の橋。金代に架橋されたが、マルコ・ポーロが十三世紀に欧州に紹介したとされこの名がある…というのは「マルコ・ポーロは本当に中国へ行ったのか」ではないが昨今では疑われている。マルコ・ポーロが史実の人間であるかも疑わしい。「東方見聞録」も定本と呼べるものはなさそうだ。
 というわけで、それが盧溝橋の名の由来かというと、そういう話で済むわけでもなく直接的にはこの橋の近くに乾隆帝による蘆溝暁月の碑があることに由来するというべきだろう。
 盧溝橋事件はこの橋の近くで起こったとされる。の・だ・が、いつからのこの事件の呼称があるのだろうか。私が高校生のころはすっかり定着していた。その意味はというと、日中戦争の発端となった事件とされている。中国ではこの日にちなんで七七事変と呼ぶ。
 そういえば、Wikiあたりはどう説明しているのかと見て、ワロタ(参照)。

 日本側研究者の見解は、「中国側第二十九軍の偶発的射撃」ということで、概ねの一致を見ている。中国側研究者は「日本軍の陰謀」説を、また、日本側研究者の一部には「中国共産党の陰謀」説を唱える論者も存在するが、いずれも大勢とはなっていない。
 「中国共産党陰謀説」の有力な根拠としてあげられているのは、葛西純一氏が、中国共産党の兵士向けパンフレットに盧溝橋事件が劉少奇の指示で行われたと書いてあるのを見た、と証言していることであるが、葛西氏が現物を示していないことから、事実として確定しているとはいえない、との見方が大勢である。
 むしろ現在の研究で注目されているのは、「日本軍が銃声を聞いたという小事件がなぜ日中全面衝突まで発展したのか」という視点であり、その意味では、「第一発」の犯人探しはあまり意味がない、という見方もできる。

 ま、書きかけとのことだし、このあたりまで中国様の鼻息が届いているのかもしれないし、たしかに「中国共産党陰謀説」に焦点を当てるならその程度しか言えないのかもしれない。私としても「昭和史の謎を追う〈上〉」の「盧溝橋事件(謎の発砲者は誰か」「中共謀略説をめぐって」以上には言えるものはない。
 話の焦点をもう少し広くすると、私が高校生くらいまでは、蘆溝橋事件が日中戦争の端緒であり、まだ史実を生きた人達が多くいたので「支那事変」の言葉は生きていた。その後はどこがどうなったのか教育レベルまで十五年戦争史観が前面に出てきたようで、こちらは、中国様が関心を持てよと諭している柳条湖(柳条溝)事件から四十五年の日本降伏までを指すのだが、えっ十四年でしょ算数できないのかよ的ツッコミはさておくとしても、柳条湖事件に端を発する満州事変は三三年の塘沽協定で終結と見るべきだが、そこがそうもいかないのは、中国共産党政権の正統性の問題にも関わってくるからだろう。現在世界の外交ではこの政権が正統であるというのは前提であり、香港の返還のオリジナル証書が台北にあってもそっちのほうが洒落になってしまう。しかし、史学的に見た場合、清朝という非漢族の王朝を継いだとする中国共産党政権の正統性は疑問が残るようには思う…というあたりは、また、めんどくさい議論でもあろうだろう。
 くだらない話でオチにしたいのだがと、思うに、そうそうおあつらえ向きのくだらない話があった。六日付毎日新聞”中国:日本好き、わずか3% 英字紙の印象調査”(参照)である。

中国の英字紙「チャイナ・デーリー」が行った大学生を対象にした日本に関する印象調査で、「日本が好き」と答えたのは、わずか3%だったことが分かった。同紙が6日、報じた。

 日本って中国人に嫌われているなという印象を持つが、続きを読めば冗談であることはわかる。

 「日本人に会ったことがない」と回答したのは80%に達し、60%以上が報道やテレビ、インターネットを通じて日本に関する認識を形成したと答えた。

 苦笑して終わりでもいいのだが、ふと気になったのは、日本人は、日本人と中国人という対立した国民があると思っているし、先日の反日暴動でも、「日本人は…」と見られていると思っているようだ。
 が、私は違うと思う。以前、中国に留学した女性の手記をMSNのエッセイで読んでも思ったのだが、日本人はその名前からして、中国の少数民族に見られるのだ。日本では苗字が姓だと思っているが、二文字姓は諸葛孔明ではないが異郷の含みがある。オチの話らしく端的に言えば、日本人は中国人から見れば、吐蕃(チベット)と変わりない蛮族である。東洋鬼である。そんなふうに中国人は日本人を見ているというふうに心得たほうがいいだろう。吐蕃に中国がしたことを日本という異郷にしても大した違いなどあろうはずもない。
 もう一つ冗談ついで言うと、中国の歴史意識としては、愛新覚羅努爾哈斉(アイシンギョロ・ヌルハチ)が長城を越えて漢族を征服したように、東洋鬼豊臣秀吉が攻めてこないように恐れてもいるのだろう。

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2005.07.06

最新のイランの話題をイタリア料理風に

 このブログでピックアップする種類の話題かどうかちょっとためらうものがあるのだが(タルネタでもなし)、内外報道に差が出つつありそうなので、とりあえずメモがてらにふれておこう。話は、今回のイラン大統領選挙を制したアハマディネジャド次期大統領についてである。
 イタリア料理に例えるなら、選挙のどたばたが前菜と言ったところか。私はアハマディネジャドが勝つとまでは読み切れなかったが勝ちの目はあるだろうな、あったらろくでもないなとは思っていた。しかし、現実、どうなるものではない。むしろ米国がさらに不用意にガタガタ掻き回して変なことにしなければいいがくらいのものだった。単純な話、れいによって中国が大きくからんでいるし、トホホ大国日本も絶妙にからんでおり、どっちかというとこの件では中国に近いのが本音。
 しかし、前菜の後はプリモピアットと決まっている。ここはブッシュというかライスもパスタというか出るでしょと思っていたが、出ました。米国側に言わせると、アハマディネジャド次期大統領が一九七九年テヘラン米大使館占拠事件に関わっていたとのこと。元人質が大統領選報道の写真を見て、実行グループの1人に間違いないと証言した。よくイラン人の顔の区別が付くもんだといった不謹慎なツッコミはなしとしても、これは単なるやらせじゃないかもという感じはした。国内報道では毎日新聞一日付け”イラン:次期大統領、米大使館占拠事件に関与の疑惑”(参照)が比較的詳しい。同報道でも早々に打ち消し情報も込みにしているが、アハマディネジャド次期大統領も青春の思い話はなしよという趣向でもないが、そんなことはねーよと釈明に乗り出す。
 国内報道では同じく毎日新聞の翌日”イラン:次期大統領の米大使館占拠事件への関与を否定”(参照)がおあつらえである。標題は否定とあるが、内容は、とてもそうは読めないのがよろしい。


 AP通信によると、アフマディネジャド次期大統領は事件当時、23歳でイラン科学産業大の学生だった。複数の現地ジャーナリストは「次期大統領が事件当時、イスラム革命を支持する学生連盟の中心的メンバーで、事件を支持していたことは確か」と語る。
 しかし同通信によると、事件を指導したアッバス・アブディ氏やモフセン・ミルダマディ氏らは次期大統領の関与を明確に否定。両氏は事件を指揮しながらも、現在は改革派としてむしろ米国と近い関係にあり、保守強硬派の次期大統領を擁護するとは考えにくい。

 欧米ジャーナリスムの流れでは、この件はほぼ決まりといった印象をうける。あまり補助にもならない右寄りテレグラフだが”A 'head case' in Teheran”(参照)を参考までに。

Details of his past have since emerged, confirming him as a true foot-soldier of the Islamic Revolution. They include participation in a student organisation set up by a confidant of Ayatollah Ruhollah Khomeini, the cleric who overthrew the Shah; membership of the Revolutionary Guards, the shock troops of the revolution; and building up the radical group Abadgaran, which won municipal elections in 2003 and parliamentary ones the year after.

 ましかし、プリモピアットはそんなもの。先の毎日新聞記事では、旧ソ連大使館の占拠も計画にアフマディネジャド次期大統領が関わっていたかもと散らすが、たいした話ではない。日本人にしてみると、イタリア料理はパスタで終わりということでこのまま終わるのかと思ったら、ちゃーんと、セコンドピアットが、まいりました。
 内容は、アフマディネジャド次期大統領が一九八九年のクルド人指導者殺人事件に関与したという疑い。やってくれたのは、オーストリア、ウィーン検察当局だ。これ、国内で報道すんのかよと思ったら、日経が今日付で出した。”オーストリア検察、イラン次期大統領を殺人関与で捜査”(参照)が肉の味わいをあっさりと仕上げた一品です。

検察当局はオーストリア緑の党のピルツ議員の告発に基づき、捜査に乗り出すことを決めた。ピルツ議員は89年7月にイランの反体制組織「イラン・クルド民主党」の幹部3人がウィーンで銃殺された事件で、アハマディネジャド氏が実行犯に武器を渡したとしている。殺害された幹部らは米国でイラン反体制支持者との面会を控えていた。

 というのが現状。話はBBC”Austria probes Iran's Ahmadinejad ”(参照)のほうがやや詳しい。

Austrian politician Peter Pilz said there was "credible evidence" to link Mahmoud Ahmadinejad to the murder of Iranian exile Abdul Rahman Ghassemlou.

 話はロイターのほうが淡々としている印象を受ける。”Iran's Ahmadinejad linked to Vienna murder probe”(参照)より。Witness Dはこの件の重要な証人である。

Witness D's information came from one of the alleged gunmen, who contacted Witness D in 2001 but later drowned, Pilz said.

One of the reasons that Witness D appeared credible is that he knows details that only someone with access to Austrian investigators' classified files could know, he said.

Pilz said Witness D had no ties to any exiled Iranian political groups in France.

Many members of the National Council of Resistance of Iran (NCRI) and its militant wing, the People's Mujahideen Organisation, are based in Paris.


 さて、どれほど裏がありそうかということだが、率直に言うとよくわからない。外交的に見ると、こちらの話にどれだけ米国が噛んでくるかということでもある。
 いずれにせよ、ことはフカシの領域を越えつつあり、実証可能な問題でもあるのだが、さて、日本のジャーナリズムがどれだけこの問題に関心を払うかというあたりが、二の皿を喰いきれない弱々日本人のデザート待ち状態にも近い。

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2005.07.05

同じ遺伝子の双子が違うわけ

 先日トリビアの泉で、双子の女性の男性趣味(見た目)は同じかというくだらないネタがあったが笑ってナンボなんなでくだらないというのも野暮だし、こりゃ一致するでしょとういう選択限定だったが、それでも後から考えると、ヤラセとまでは言えないにせよこの誘導を排除しても、意外に一致してんじゃないのかとも思った。顔の好みと遺伝子的な関連はゾンディ・テストといったろくでもない洒落を混ぜるまでもなく単にわからないといったもので、基本的にまだ議論の条件もできていない。
 が、一卵性双生児は同一のゲノムを持つのになぜ身体的に違った点があるのかとなると、よくわかっていないのレベルが異なる。と、書くと失笑される向きもあろうが、ま、一般的にはその問いでいいだろうし、専門的にも突き詰めればよくわかっていない。
 という背景もあって、五日付けニューヨーク・タイムズ”Explaining Differences in Twins”(参照)は興味深い話だった。


Identical twins possess exactly the same set of genes. Yet as they grow older, they may begin to display subtle differences.

 一卵性双生児とはいえ後年は異なる。一応、生活環境が変われば違うでしょくらいに一応理解されてはいるのだが、遺伝子学的な研究が進んでいる。

But a whole new level of explanation has been opened up by a genetic survey showing that identical twins, as they grow older, differ increasingly in what is known as their epigenome. The term refers to natural chemical modifications that occur in a person's genome shortly after conception and that act on a gene like a gas pedal or a brake, marking it for higher or lower activity.

 というわけで、キーワードは「エピゲノム(epigenome)」である。
 同じ遺伝子でも成長するにつれ、その発現のあり方が変わるというのだ。
 ま、そんなの常識でしょというのもあろうが、曖昧な環境適用という説明よりは、より遺伝子学的な説明の可能性が開けてきたわけだ。
 科学的には、ヒストンのメチル化(参照)とアセチル化(参照)が鍵ということで、そのあたりは別段この分野の科学者には、ふーんといったものだろう。が、それでも、この分野、つまり、エピジェネティクス(参照)がポストゲノムの話題なのだろうなとは思う。
 専門的にはその具体性のほうに関心が移るわけだが、ニューヨーク・タイムズなどを読む普通の教養人としてはそこまではあまり突っ込まない。もっと一般的になぜこの変容が起きるかというのは、こんな説明になる。

There are two possible explanations for Dr. Esteller's findings. One is simply the well- known fact that epigenetic marks are lost as people get older. Because the marks are removed randomly, they would be expected to occur differently in two members of a twin pair.

A second possible explanation is that personal experiences and elements in the environment - including toxic agents like tobacco smoke - feed back onto the genome by changing the pattern of epigenetic marks.


 一つは、歳を取ればエピジェネティクス的な要因は増えるものだということ、もう一つは有害物質などで遺伝子が傷つくということ。
 しかし、それじゃ、いわゆる老化の酸化学説(by Denham Harman)みたいなもので、なんだかなという感じはする。
 というわけで、このあたりのポスト・ゲノム研究の動向と一般社会での理解の枠組みというのがうまく噛み合ってこない。
 それと、ちょっと気になるのだが、雑駁すぎるがメチル化は病気などにもいろいろ関わるわけで、このあたりなんか間違いがあると、あるいは誘導があると、ヘンテコな話題が世間に沸騰するかもしれないなとは思う。

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2005.07.04

南の島のゲンジツ

 南の島のゲンジツについては人間関係というか政治というかそういう側面はあまり書きたくないのだが、人間という存在をよりマクロな視点に移した場合のゲンジツについては、少しふれておいてもいいかもしれない。
 まず、蟻だ。人間はこの地球全体の視点から見れば蟻に等しい存在だと言うのは蟻のことをなんも知らない人だろう。蟻はその生物的な社会性において人間より高度な発達を遂げている。なかでも、生殖と労働を分化させ、実質労働を第三の性として身体具現化した点において人類がその途上にあるとはいえまだまだ到達できない地点にある、といった、高度な与太話はどうもでいい。
 蟻は、南の島のゲンジツを構成するかなりの重要な要素なのである。想像してほしい。あなたはビジネスとかで一花咲かせるとか国際ソムリエコンクールに優勝するとか、あるいは喰いつぶしてなんとなくとか、南の島の午後、のんびりと寝ている。IT機器はすべてオフにした。もう誰もあなたをディスターブする存在はない…と信じてる。なんという間違いだろう! そこに、かーならずぅデデデはやって来る♪じゃない、蟻がやってくるのだ。
 南の島の蟻はただの蟻ン子じゃないのだ。キロロが本土で活動してなにが一番驚いたかというと、蟻のでかいことだった、と感嘆の声をあげて浮きまくってしまったほど、本土と沖縄の蟻は異なる。形状ばかりではない。噛むのだよ。ちくっとね。蟻に噛まれたってどってことはない……オリジナル鉄人二八号に出てくる巨大蟻(だったっけ)じゃないのだがどってことはない……なんてことはないのだ。イテーのだ。蚊がチクっとするなんてもんじゃないのだ。すげーイテーの。なにが起きたのか、というくらい飛び上がる。あたりを見渡すとキロロが馴染んでいた小さい蟻が不機嫌にいるだけ。これの存在に沖縄県民は苦しめられてきたのかと思うが、うちなーんちゅに訊いてみるとそうでもない。「ちょっと、アガっとか言う」とのこと。そうなのか、沖縄で暮らし続けるとそうなるのか。ちなみに私は八年暮らしてそうならなかった。そういえばバリにいたときは、腕と足が真っ赤にただれた。なんだこれというと、ファイーアントと言うのだそうだ。火蟻かよ。たしかに火傷みたくなった。
 蚊も洒落にならない。西ナイルウイルスが沖縄に上陸したのか疑惑というのが数年前ローカルな話題になったかならないくらいだったが、上陸しちゃうとちょっと洒落にならないのだが、あー、かゆいってことでは沖縄の蚊は洒落にならない。すげーかゆいの。しかも、よくわかんないのだが、小さい蚊のほうがかゆい。
 大きい蚊もいる。え、これは蚊かよ、ちょっとサイズでかくねとかのろのろ飛んできて、腕に止まってエンダーのルートビア飲むみたいにちゅーーと始める。おい、オマエやっぱり蚊だったのか、というころで、ええい、真っ赤なトマトになっちまいな、と超能力を発揮するじゃないや、ばちんと叩きつぶすと、ほんとにトマト潰したみたいにぶちっと血の跡が出来て不愉快です。なんでこんなにこのでかい蚊は鈍いのか。
 鈍いといえば、ゴキブリも鈍い。御器ぶりってなものではなく、現地では、ヒーラーとかピーラーとか言う。ジャガイモの皮でも剥いてくれるというわけでもないが。で、これが内地と比べると鈍い。そしてでかい。やあ、元気っ、ボクの食い物どれどれ、ていう感じで、のそっと食卓に上ってくる。ばちんと潰すと、潰れる。
 しかし、それが沖縄の暮らしというのか、いちいちヒーラーなんか殺していてもしかたないので、あっち行けよ、と指さすとサイザンスかと踵を返すようになる。悪友みたいなもんだな。だからっていうわけでもないが、ヒーラー君にやめてもらいたのは、夜ばたばた飛ぶことだ。これがトロくてばたばた飛ぶのだ。歩いていてもぶつかってくるし。あるとき、危うく口に入りそうになったことがある。これが、似たような形状の香港だか広東だかの食用タガメの味がするとわかっていたらムシャラクって感じかもだけど、たぶん、まずいのでしょう。喰わんかったが。
 ごきぶりが悪友といえば、そう悪気もないのが、海の生き物たちである。アーマン(やどかり)とかカニとか。こいつら、ちっこいとかわいげはあるんですよ。おい、何していると問えば、いやねもうすぐ満ち潮なんでこうしちゃいられないと答える、みたいなコミュニケーションも楽しいのだが、こいつらもでかいのがいる。お、おまえホントにアーマンなのか、聖ヨハネの手じゃないのか、みたいにでかい。そして、これは図体のわりに速いこと。一度だったか、十センチくらいのカニが玄関を開けたら、そっと入ってきて大暴れ。あれです、ナイチャーはカニっていうと、ゆであがっているか、道頓堀んのそのそ手足を動かしているディスプレイなイメージを持っているだろうけど、違う。速い。おい、そっちに行くな、トムとジェリー♪、出口はこっちだ、と諭すというか追いつめると…忘れもしない、飛んだ。カニが飛ぶのだ。ほんとだ。一メートルくらいジャンプしてきた。ごつごつと棘のある硬いのが高速に顔面に飛んでくる。恐ぇ恐ぇ。
 と、ウチナー暮らしについて滔々と語りだしたきらいはあるので、あと一つ。
 あれだ。沖縄の夜というのは街は明るいそりゃね二時以降が全開だしではあるが、田舎は暗くなる。しんみりと暗いのだ。
 暑く寝苦しくて暗くなった部屋でじっとソファーにもたれて「月と六ペンス」的な感慨にひたっていると、というか、泡盛に沈没していると、沈黙が巨大な黒いスライムのように思えて、心底恐くなるのだが、そんなとき、あいつは、「ケケケケッ」と言うのである。笑うかよ、このシーンで。というと、「ケケケケッ」とさらに言う。オメー全然孤独じゃないよ、というのだ。ヤモリだ。ウチナーグチでヤールーである。バリ島ではガジャとか言っていたような。
 灯りを点すと、壁に、エッシャーの絵のジグソーパズルのワンピースみたいに、いる。動かない。おいと言うと、「ケケケケッ」と答える。結局、そいつに心というか魂を救われたことはあるように思う。

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2005.07.03

国際決済銀行(BIS)報告雑感

 国際決済銀行(BIS:Bank for International Settlements)の七十五回目の年次報告について先日フィナンシャル・タイムズのコメントがあり、ちょっと違和感をもった。
 と、その前に、本来なら、日本との関連で、特に量的緩和政策についてのBISの示唆をどう理解してよいかを明言できればいいのだが、率直に言ってわからない。
 この件では、記事としては、二七日付日経”日銀の量的金融緩和政策、転機迎える・BIS年報”(参照)が典型的なものだろう。


日銀の量的金融緩和政策は転機を迎えていると分析。金融システムの正常化で民間金融機関は大量の資金を必要としなくなっており、量的緩和の「出口」に向けて日銀が市場とどう対話するかが重要になると強調した。
 年報は日銀が金融機関への資金供給のために実施する公開市場操作(オペ)で、応札額が目標額に届かない「札割れ」が頻発していると指摘した。資金の借り手のモラルハザード(倫理の欠如)や金融市場の機能低下、財政規律の緩みなど量的緩和の弊害も列挙した。

 後段の部分のトーンからすれば、量的緩和政策を終わりにせよ、というふうにこの記事は読めると思う。問題はむしろ、その「出口」の見つけかたということになる。が、むしろ、問題は、「金融システムの正常化で民間金融機関は大量の資金を必要としなくなっており」をどう受け止めるかだ。表面的にはそういうことではあるのだろう。ただ、そこが私にはよくわからない。
 今朝の毎日新聞社説”デフレ・いつまで呪縛にとらわれる”(参照)は論旨全体としては支離滅裂な印象をうけるのだが、そのことはさておき、量的緩和政策についてこうBISがお墨付きを与えたかのように書いている。

 たしかに、国民経済全体の物価変動率である国内総生産(GDP)デフレーターは今年1~3月期でも1%下落とその幅は大きいが、傾向としては縮小の方向にある。国際通貨基金(IMF)も日本のデフレが解消の方向にあることは、最近の対日年次協議などで認めている。国際決済銀行も年次報告で日本銀行の量的緩和政策が転機に来ていることを指摘した。

 毎日新聞社説のトーンからは、デフレは早晩終結する、だから、量的緩和政策が転機、つまり、終わりにせよと受け止めてよいのだろう。
 そういうことなのだろうか。
 BISの報告の原文、特に、該当部分”BIS 75th Annual Report - Chapter IV: Monetary policy in the advanced industrial economies ”(参照)からPDF文書でダウンロードできる。
 ざっと読んでいて基本的にはよく言われる議論だなという印象なのだが、以下の部分に奇妙な陰翳を感じた。

As seen elsewhere in the world, inflation targeting regimes can help to shift inflation expectations down and maintain them at a low level. The Bank of Japan’s challenge, however, would be somewhat different. It would be to achieve and maintain expectations of low inflation in a growing economy after a decade of deflation and sub-par economic performance. Perhaps the more important contribution made by setting an explicit inflation objective, once the economy and financial system were on a sounder footing, would be to reduce the likelihood of inflation expectations overshooting on the upside given the large reserve overhang. Such an overshoot could lead to an increase in borrowing costs and aggravate some lingering fragilities in the economy, not least problems associated with weak companies still battling for survival.

 ちょっとやぶ蛇な意図はないし、反リフレ派とかリフレ派とかいう毎度のご批判はご免こうむりたいのだが、BISのこのあたりの話に、理論通りな施策をしない日本には日本の事情があったんでしょうなといった奇妙な印象を受ける。というか、日本が正攻法を取れなかった、その本当の理由はなんだったのだろうか。
 当面の問題としては、BISとしては、現状での”量的緩和政策”だが、表面的には、目標残高自体の引き下げには慎重にせよということなので、単純に出口を探せというふうに読めるものなのか、そのあたりもわからない。
 と、書いてみると曖昧な前振りが長くなってしまったが、私としては、二九日付フィナンシャルタイムズ”A world economy, living dangerously”(参照)が気になった。端的に言えば、この標題どおり、世界経済が危機的な状況にある、ということなのだが…。

The impression it conveys is of a world economy pumped up on a high-octane mix of public and private debt in the industrialised economies, careering towards a brick wall.

 と、枕に英国風のユーモアを置いたあと、BIS報告を引用し、ユーモアをさらに英国風に研きかける。

The world's current account imbalances are a familiar - but ever bigger - part of the problem. "If what needs to be done to resolve external imbalances is reasonably clear, it seems clear that much of it is simply not going to happen in the near term," is the bank's jaundiced, but all too perceptive, view of how politicians will rise to the challenge.

 つまり、なんにも改善されないでょ、ということだ。
 フィナンシャルタイムズは、この先、でもそう悲観的になることはないよと続くのだが、オチはちょっとやけっぱちな印象を受ける。

The Gleneagles agenda shows how the Group of Eight, which excludes China, India, Brazil and other global players, no longer plays the strategic economic role for which it was set up. A new group is urgently needed that better reflects today's more complex global economy.

 現実的なところ、中国、インド、ブラジルがどんなプレイができるというのだろうか。そして、それは重要なプレイなのか。
 フィナンシャルタイムズもこんなふうに受け止めているあたり、なんか無責任な感じがする。というあたりが、現実の今の世界そのものなのだろうか。

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2005.07.02

マイブームは石けん

 石けんの話。つまり、タルネタ。私が石けんに詳しいわけではない。が、とりあえずマイブーム(死語か)。それほどハマっているわけではないけど、面白いものですね。別所で人にいろいろ教えていただいたのだけど、みなさんいろいろ好みやお薦めがあって、それも面白い。
 石けんマイブームのきっかけは楽天のポイントだった。よくわからないのだが、期日を過ぎるたらポイントをゼロにしてやるぜ、買い物するなら今だぜ、というお知らせを貰った。楽天の仕組みがどうなっているのかまるでわからないが、今までもこの手のことはあった。でも、500円以下とか送料にもならんから勝手にしろ、とか思っていたのだけど、今回は1000円越えているらしい。ってことは送料分は浮くのか。で、何を買う? そのとき、ふとサンダルウッドの石けんが欲しいなと思ったのだった。
 私はサンダルウッドが好きだ。白檀である。お香も白檀が好きだし、サンダルウッドのエッセンシャル・オイルなんかもある。ま、その手の話はうざったいのでさておくとして、以前インド旅行で買ったサンダルウッドの石けんがよくて、あれがどっかで買えないかと思っていた。楽天ならあるでしょと思ったが、以前買ったそれはない。と、物色しているうちに、世の中、石けんがいろいろあることを知る。これがまた面白い。
 結局、サンダルソープとかいうのを二個買った。石けん一個で千円でさらに送料までかかるというのはなんだなと思ったが、使ってみると、よさげ。というわけで、海外からインド製のものを中心にいくつかその手のものを購入してみたのだが、これもよさげである。香りについては好みはあるだろうから、あまりお薦めはできないかもしれない。
 最近買ったその手の石けんが手作り石けんかどうかは知らないが、食器とかなにかと洗うのに石けんを使うようになったのは五年くらい前だ。フェアトレードでチョコのついでに買ったアレッポの石けん、例えばこんなのが、意外によかった。ただ、ボディソープとしてはちょっとなみたいな感じはあり、そっちのほうはもう二十年以上もまえから基本的にはミノンを使っていた。昔は固形だったが、最近では、液状のミノン全身シャンプーさらっとタイプを使うようになっていた。私はそれほど肌が敏感というわけでもないが、鈍感?というのでもないのでミノンだよねと決めていたのだった。
 今回ちょっと幾つか使ってみて、この使い心地の違いはなんだろと思って、ネットとか調べてみたのだが、よくわからない。というか、わけのわからない情報が多過ぎる。それでも、石けんなんて油脂にカセイソーダ(水酸化ナトリウム)を入れて作るという昔中学生んときやったあれ、鹸化じゃんと思っていたのだが、どうやら違うらしい。工業製の石けんは鹸化ではなく、中和で作るみたい。いや知らなかった(中和法を知らないというのではなく工業化がということ)。製法は、石けん百科というサイトを見ると、「石けんの製造方法(1) けん化法と中和法」(参照)にまとまっている。


反応名製法名
けん化けん化塩析法
焚き込み法
冷製法
中和中和法


 ふーん、というくらいだが、どれで作っても同じなんじゃないか、ごちゃごちゃせずに近代工業的に低コストで作ればいいじゃんと思ったのだが、しかとはわからぬものの、この製法と利用する油脂によって石けんの質はだいぶ変わるようだ。
 いわゆる普通の石けんを使うと肌が突っ張るような感じがするが、昨今購入したものだと突っ張り感はなく、すべっとしてくる。この効果は、製法差による残留グリセリンなどにもよるらしい。
 というあたりで、けっこうなるほどねと納得しつつある。
 そして、石けんていうのは、もしかすっと、工業製品に向かないものなのか、とまで思うようになった。もちろん、石けん製造は工業化できるだろうし、安価に高品質なものを提供することはよいのだが、ふと思い出したのは味噌・醤油である。
 あまりエコめいたことは言いたくないのだが、市販されている味噌・醤油はなかなか私の口に合わない。醤油はまだなんとかなるようになったが、味噌とかは未だに困っている。いろいろあってもよいのだが、基本的なところであまり工業化できないものなのだろう。
 すべて手作りならいいとか素っ頓狂なことを言うつもりはないが、石けんなんかもある種のタイプはあまり工業化に向かないものかもしれない。ということでしばし自分の好みを選んでみることになるかも。
 石けんは、自分にしてみると、ミノンだけでもよかったのだけど、ちょっと変えてみたら、香りもだが、夜風の肌の当たり具合とか(ほかにあれとか)ちょっと感触が変わるものだ。たかが石けんを変えただけなんだけど、ライフスタイルが少し変わった感じがする。

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2005.07.01

米タイム誌取材源秘匿問題雑話

 米タイム誌取材源秘匿問題が重要な局面を迎えた。この問題もいくつかの側面があり、簡単に断ずることができないのだが、それでもこの問題にふれずしてこのブログを継続する意味はない。簡単に触れておきたい。
 状況についての概要は毎日新聞”米取材源秘匿:タイム誌記者の取材メモ 連邦大陪審提出へ”(参照)が読みやすい。


米中央情報局(CIA)工作員の氏名漏えい事件に絡み、連邦最高裁が、取材源の秘匿を理由に捜査への協力を拒否した記者2人の収監を認めた問題で、米タイム誌は30日、同誌のマシュー・クーパー記者の収監を避けるため、同記者の取材メモを連邦大陪審に提出すると発表した。

 ごく簡単な構図で言えば、司法がジャーナリズムの原則とされてきた取材源の秘匿に介入できるかということでもある。古風な頭で考えると、ここは臭い飯(死語)を喰ってでも、司法に楯突くのがジャーナリストである、となるように思う。
 その構図は、ある意味で、ジャーナリズム論としてだ。
 問題のもう一つの側面は、当の取材が国家にとってどれほど重要な意味を持っているかということもある。それが重要であれば、ジャーナリストの原則・気概ということではすまないかもしれない。
 問題はなんであったか。おさらいがてらに引用する。

 漏えい事件では、ブッシュ政権を非難していた米外交官の妻がCIA工作員であることが暴露された。ホワイトハウス高官が、国家機密にあたる工作員の氏名を主要メディアに漏らしたとみられており、大陪審が容疑者を起訴するかどうかを決定するため、両記者やタイム社などに情報開示を求めていた。

 私はとりあえず二つの視点を持つ。一つはこの外交官の生命が危機に陥る可能性はないか、ということと、CIAという諜報機関の権力を制御するにはこうした手法は肯定されるべきかということだ。
 後者からすると今回の事態がどれほど国家運営に重要かということになる。そこがよくわからない。やっかいなのは、その取材メモが開示されないとわからない面があるかもしれないということだ。司法がそれに関心を持つのは、国家権力のありかたとして是認される面はあるようにも思える。ただ、その傾向が強まっているかなとも思う。朝日新聞”取材源の秘匿、また認められず スパイ疑惑報道で米高裁”(参照)などからはそうした傾向の示唆を受ける。
 前者だが、ここはまさに個別の問題でディテールの情報が重要になる。
 二点の部分について、タイム誌と一緒に関連していたニューヨーク・タイムズ紙の六月一九日付けエディトリアル”The Thinking Behind a Close Look at a C.I.A. Operation”(参照)が重要であるように思うが、率直のところこのディテールをうまくまとめて自分の見解するだけの力量は私にはない。
 この問題が日本の状況に示唆する点はなにか。
 基本構図というか潜在的な構図は同じだろうが、現実側面で日本のジャーナリズムで問題になることはあまりないようにも思う。くさしたいわけではないが、よくブログでは新聞ジャーナリズムが話題になるが、日本の新聞はあまりジャーナリズムとしては機能していない。しいていうと、週刊新潮と週刊文春くらいだろうか、ジャーナリズム的な相貌をもっているのは。単純な話、我々が日常の生活で直面する権力的な団体の問題が、新聞ではあたかも存在しないかのようになっている。
 ジャーナリズムの一般論にまで引き戻せば、今週の週刊文春の「新聞不信」”匿名情報を排除する愚”(7・7)の結語が、あたりまえとはいえ現場の感触を伝えて興味深かった。匿名情報についてだ。

 取材される側から言うと、オフレコがダメならうっかり新聞記者と話せない。身の危険、いや家族にも危害は及びかねないのである。

 権力とはなにかの議論は哲学者にまかせておけばいいが、権力の機能は単純である。恐怖であり畏怖である。些細な話だが、ブログなどでも恐怖や畏怖を意図した乱入があれば、それは権力の機能であると言っていいだろうと思う。ブログがそうした権力と向き合えるか。現実主義者にして敗北主義者の私は、だめだろ、と思う。希望をもっているかというと、馬鹿なので、もっているけど。

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