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2005.06.01

フィリピンの竪琴

 フィリピン南部のミンダナオ島に旧日本兵2人が生存していたという大騒ぎだが、真相がよくわからないまま、日本政府の現地調査が打ち切られた。結局、何だったのか? ガセ、ということに落ち着いたということなのだろうか。マスメディアとしてはどういう結論にしたのか。
 単純に批難するという意味ではないが、先月二十八日付読売新聞社説”元日本兵 戦後60年『奇跡の生還』ニュース”(参照)って、これはこのまま、「あれは、あんときの空気で書いたんだけどさ、忘れてよ」ってことなのか。


 戦後60年を経て、かつての戦地から、奇跡的な生還のニュースがもたらされた。
 フィリピン南部ミンダナオ島の山中で、元日本兵とみられる2人が見つかったという。マニラの日本大使館員が現地に入り、確認を急いでいる。
 旧陸軍中尉の山川吉雄さんと、伍長の中内続喜さんとみられている。ともに80歳を超える高齢だ。
 厚生労働省などによると、2人はミンダナオ島で作戦に従事中、終戦を迎えた。そのまま島にとどまり、反政府ゲリラの勢力下にある山岳地帯で生活していたという。戦後も2人は“戦場”にとどまっていたのだろうか。
 長年の労苦に、心から、ねぎらいの言葉を贈りたい。

 今読み返すと、奇妙な滑稽さがあるのだが、これがどうしてこんな形で社説になり、そして、落とし前というのとは違うが、どう今後のオチになるのだろうか。
 同日産経新聞社説”旧日本兵生存 故国が持つ引力のすごさ”(参照)も似たような感じだった。

 戦後六十年という膨大な時間の嵩(かさ)を挟んで、フィリピンのミンダナオ島で旧日本兵二人が生存していたという情報がもたらされた。二人は山岳地帯で終戦を迎えたため、引き揚げ船に間に合わなかったようだ。その後、山岳ゲリラに戦術指導をするなど、思いもよらぬ運命に翻弄(ほんろう)される人生を送った。
 昭和四十七年に米グアム島で見つかった横井庄一さんや、同四十九年フィリピン・ルバング島で見つかった小野田寛郎さんと状況は異なるだろうが、生存という天のはからいに喜びをともにしたいと思うと同時に、故国の土を踏むことのできなかった歳月の長さに心から同情の念を禁じ得ない。

 ここまでは読売新聞社説と同じ主張でレトリックの差でもあるだろうが、ここから次の締め言葉に向かってしまうのは、なんなんだろう。

 しかし、風俗や人情は六十年前とは様変わりしていても、人間の魂が帰還することを飢渇するところはその産土(うぶすな)だ。故国とは何という大きな引力を持つものであろうと思う。

 逆なんじゃないだろうか。逆というのは、故国を捨てた日本兵も少なからず居たということだろう。
 私はこのニュースの初報を知らなかった。ここんとこだらけてはいたのだが、金曜日はニュースを聞かないとしていたからだ。でも、耳には入ってくる。それほど関心は持たなかった。翌日の読売新聞と産経新聞にすぐに社説があり、私は毎朝大手各紙の社説を読むのを「趣味」としているので、報道よりもこの社説を先に目にした。違和感は、あった。
 「嘘でしょ」と伝え聞く小泉総理のようなリアクションはなかった。というのも、私自身インドネシアを旅行した際、あの人、実は日本兵だよ、という噂の人を見かけたことがある。そうした人が、多いとも言えないが、少なからずいるのだろうと思う。「ビルマの竪琴」である、といって、僧侶が遊楽の道具である竪琴なんか持っているわけもないのだが。
 事件の背景についての記事としては、東京新聞”フィリピン『生存情報』氾らんの背景”(参照)が面白かった。

 彼に案内してもらい、旧日本兵が住んでいたという家を訪れた。「ええ、確かに父は日本兵でした。あまり家族や他の人には言いませんでしたが」と、十二人兄妹の末娘(35)は言う。
 末娘によれば、父親は太平洋戦争終結後、帰国せず、フィリピン人女性と結婚。ガウデンシオ・A・アボルドというフィリピン風の名前を名乗るようになった。「戦争が終わったときなぜすぐ帰らなかったのかは、今となってはよく分からない。ただそのときは私たち兄妹の上の方はもう生まれていて、生活が大変だったから、帰りたくても帰れない状況だったと思う」

 そうした話は多い。
 好意的に考えると、読売・産経の社説執筆者は、そうした、故国に帰らない日本兵の話を知っていたのだろう。そしてそれがある種の感情的なものとしてしこりになっていたのではないか。それと、70年代の横井さん、小野田さんの再来のような期待もあったのではないか。いや、そうした再来への期待感というのが大手新聞の社説という言論に露出したとき、かなり珍妙なことになってしまった。
 おそらく今回の珍騒動はそれなりの沈黙の教訓だけを残してうやむやに終わるのだろう。しかし、故国に帰らなかった日本兵や、父を戦前の日本人に持つフィリピンの人やインドネシアの人々はいるだろうし、そうしたことが、今の日本に問いかけるものはあるはずだと思う。「極東ブログ: フィリピン日系人の調査」(参照)でも少し触れた。
 でも、マスメディア的には、そこまで話は広げないといった空気になるのだろうか。

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コメント

理由はどうあれ500万もつぎ込んでこの結果はいかがなものなんでしょう。

投稿: 植木屋の恋愛事情・株式上場2005 | 2005.06.01 16:56

まあ良い笑いのネタになって良いんじゃないんですかね。インドネシアでも2000人以上残ってオランダ軍と戦ってましたね。もう少しやり方は有ったと思うんですけど。

投稿: a | 2005.06.01 17:31

兵隊さんに限らず日僑というのは結構いるんですがあまり話題にならないですね。ブラジルくらいか?これは一つに日系人が現地で日系社会をあまり作らない、中華街に相当するものを作らない、現地人との婚姻で急速に血統が薄れてしまうといったことが原因としてあるんでしょう。国内では集団好きのくせに外国に移住すると集団志向がなくなるんですね。米国の統計でも日系の血統が薄まる速さは特記されるような状態だったはずです。

投稿: Babur | 2005.06.01 18:47

フィリピンの日本兵のニュースはギリシャのテレビで見ました。なんだか心が騒ぎました。その後調査が打ち切りになってしまったようですが、調査は続けて欲しいです。

さてギリシャのアテネ郊外に朝鮮戦争で亡くなった軍人の慰霊碑を発見しました。平和のためにと朝鮮半島へおもむいたギリシャ軍がいました。その中の187人が戦死したのです。この人たちの前で日本が悪いとかいえるのかなぁと思いましたよ。ギリシャ軍人は謝罪も謝罪金もなくこの世を去りました。見ず知らずの人のために犠牲になりましたよ。平和維持の信念がなかったらできません。

投稿: lemonodasos | 2005.06.01 21:15

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