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2005.06.30

カナダと米国の処方箋薬事情

 あまり関心をひかない外信ネタでもあるのだろうけど、カナダと米国の処方箋薬事情について簡単にふれておきたい。現在少なからぬ米国民がカナダから処方先薬を購入している。理由は単純で米国内より安いからだ。しかし、二九日付けロイター”Canada to control bulk sales of drugs to U.S.”(参照)でも報じたが、ようやくカナダ側で国家を越えての処方箋薬購入の規制に乗り出すようだ。いろいろな含みがあって簡単にまとめるのは難しいのだが、まず事実確認あたりから。


Canadian Health Minister Ujjal Dosanjh speaks to the media following a cabinet meeting at the Foreign Affairs building in Ottawa June 29, 2005. Dosanjh announced the federal government will draw up legislation giving it the right to ban the bulk sale of prescription drugs and other medicines to the United States when necessary to ensure sufficient supplies in Canada.

 ABCのUjjal Dosanjhの写真のキャプションからの引用だが、彼はインド系移民だろうか。それはさておき、規制の法律はまだ成立していないもののその方向に向かうことになる。理由は、カナダ国民への処方箋薬が不足することのないようにするためである、とのこと。
 ご存じのとおり、カナダは米国とは違って、処方箋薬は無料(だったと記憶)。日本も事実上無料と言っていいだろう。つまり、カナダや日本は、高い税金と薬剤業界の手厚い保護というコストで国民の健康を維持している側面がある。このあたりの国家のありかたというのが基本的に私の関心事でもあり、薬剤の問題はこの側面をうまく炙り出す。
 米国はその逆で、いわゆる個人責任というのか、社会保障は薄い。米国の医療保険の状況については、「極東ブログ: 米国の話だが保障の薄い医療保険は無意味」(参照)でもふれたとおり。なので、米国では特に退職した高齢者にとって処方箋薬を含めた健康管理はかなり家計上の大きな負担にもなっている。
 米国民の国外処方箋薬購入に拍車を掛けているのは、英語圏からばかすかスパムをいただく人ならわかっているように、インターネットの活用がある。だが、国境に近い地域では買い付けツアーなどもあるようだ。この傾向はもう一面で米国に接しているメキシコでも見られるようだ。
 ロイター記事はカナダ発ではあるがカナダの視点に立っているというものでもない。その点、カナダ紙The Star”Canada to ban bulk drug exports 'when necessary'”(参照)を見ると標題からもわかるように、カナダ側の薬剤業界の利害から話を起こしている。

WINNIPEG - Canada's Internet pharmacy industry breathed a sigh of relief today as the federal health minister chose monitoring and consultation over the immediate crackdown many have feared for months.

 当面の問題ではないというわけだ。
 類似の様相は米国側にもあって、処方箋薬を必要とする米国高齢者にすぐ影響するわけでもない。ニューヨーク・タイムズ”Canada Is Drafting Regulations to Curb Bulk Drug Exports to U.S.”(参照)を引用する。

It is unlikely that the two million uninsured and underinsured Americans who depend on cheaper Canadian drugs to treat chronic conditions like diabetes and high cholesterol will be immediately affected.

 つまり、現在カナダの処方箋薬に依存している米国民も問題なし、と。
 ただ、処方箋薬の市場の国際的なシフトはあるのかという話はこれに続く。

It is possible, however, that tighter regulations in Canada may give other foreign online suppliers in places like Israel and Britain a new competitive edge and encourage Canadian companies to warehouse more of their inventories in other countries.

 新しい購入先としてイスラエルと英国があがっている。ある程度の内情を知っている人ならなるほどなということろだ。
 米国政府の本音としては、一方では自国製薬会社の利益を守りたいだろからカナダで規制されるのは好感という面があるだろうし、二期目のブッシュ政権で高齢者の締めあげがきつくなるのでこうした抜け穴はゆるくしておきたいたいというのもあるだろう。全体的な傾向からすれば、処方箋薬の国際購入は米国側の規制は難しいだろう。
 以上の動向が今後日本にどう影響するかだが、直接的な影響はないのだろう。処方箋薬といっても日本の場合ジェネリックに移行すればまだ削減はできる。よりシャープな処方箋薬がイスラエルなどから直接日本の市場に攻勢がかかるということもないだろうし。

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2005.06.29

ブラジル政府が抗エイズ薬のコピーを推進

 ざっと見たところ国内では話題になっていないようなのでふれておきたい。話は特許で守られているはずの抗エイズ薬のコピー薬製造をブラジル政府が堂々と認可したということ。もっとも、現実を追認するという意味でもあるのでそれほど話題なってないのかもしれない。ニュース的には、世界貿易機関(WTO)ドーハ宣言に基づくという点だろう。
 事実確認がてらにというわけで、ブラジルからソースとしてAgencia Brasilのサイトの記事(二七日付)”Brazil requests breaking anti-AIDS drug patent”(参照)を引用する。


The Brazilian government filed a request to break the patent of the drug, Kaletra, used in the treatment of AIDS and currently imported from the American pharmaceutical company, Abbott Laboratories. The drug, which is composed of the active ingredients, "ritonavir" and "lopinavir," is used in all phases of AIDS treatment. With this decision, the Brazilian government laboratory, Farmanguinhos, part of the Oswaldo Cruz Foundation, will produce the generic equivalent composed of the two active ingredients.

 記事にもあるように抗エイズ薬カレトラは米国から輸入していた。となると米国の反応が気になるが、この点はワシントンポストに掲載された二八日付けのロイター”US monitoring Brazil plan to break AIDS drug patent”(参照)が参考になるだろう。

The United States is keenly following Brazil's plan to break a patent held by a U.S. drug company to cut treatment costs for the country's tens of thousands of AIDS sufferers, a U.S. official said on Tuesday.

"We are monitoring this latest development closely through our embassy in Brasilia and here in Washington," a U.S. trade official said, without commenting on whether the United States would challenge Brazil on the issue.


 というわけで事実上は黙認ということになる。
 先に今回の件は現状の追認と書いたがそのあたりは、2001年の日本版ワイアード”米国の特許無視で効果をあげるブラジルのエイズ対策”(参照)が参考になる。ドーハ宣言については”世界貿易機関(WTO)モニター”というサイトの”ドーハからヨハネスブルグまでの道のり”(参照)が参考になる。これを読めば、今回のブラジルの対応がドーハ宣言との文脈に置かれることが理解しやすいだろう。
 この問題の従来からの議論の枠組みについては、DreiRotというサイトの”エイズ治療薬と特許権”(参照)がよくまとまっているし、ブラジルの状況についても詳しく解説されている。問題点は特許というインセンティブがなくなった場合、現状の抗エイズ薬はいいとしても今後の開発はどうなるだろうかという点だ。
 特に気になるのは、エイズの場合、薬耐性ができやすいことだ。レトロウイルスは変異しやすいので、新薬開発がシステム的に行われる必要がある。
 こうした状況に、もちろん、簡単な答えはない。
 政治問題好きの私などからすると、またなんらかの闇が生まれるのだろういう予感はあるが、それがどの程度の問題規模になるのかもよくわからない。
 中国も人口規模が通常国家を越えていることやさまざまな理由から潜在的にエイズ爆発を秘めている。中国は人権意識の薄い国ではあるが、いずれ大問題になることはわかっているのだから、こうした問題になんらかの貢献を提起すべきであるようにも思うが、現実的には沈黙するのだろう。
 日本がどう対応すべきかはよくわからない。あまり話題にもならないのが現状かなとは思う。

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2005.06.28

ユノカル問題続報

 ユノカル問題続報。というか、ふーんな展開になりつつあるので、もうワン・ステップ接近しておこう。まず注目すべきことは米国議員四十一名がブッシュ政権にユノカル買収問題について国家安全保障の観点から調査するよう書簡を送ったこと。朝日新聞”中国海洋石油のユノカル買収案、米議員が政府に調査要請”(参照)より。


 41人の民主・共和両党の議員が書簡のなかで、中国国営企業が、米に拠点を置く企業のエネルギー資源を買い取ったり、また特許技術を手に入れる可能性を持つことによって、米安全保障が脅かされる可能性がある、との懸念を表明した。

 ポイントは、「民主・共和両党の議員」というところ。これは後でふれる予定。
 もう一点。

こうした動きの背景には、原油価格が過去最高水準に達し、また中国の対米貿易黒字が1600億ドルに上り、さらには中国の軍事力が増大している、という点がある。

 どってことない話のようだが、通貨の問題も絡んではいる。これも後で。
 これに対して、中国海洋石油(CNOOC)は問題を緩和すべく協力的な素振りを見せている。読売新聞”ユノカル買収提案の中国海洋石油、米審査に協力表明”(参照)より。

米石油会社ユノカルに対し買収を提案した中国国有の石油大手、中国海洋石油(CNOOC)は24日、米政府の主要省庁で組織する「対米外国投資委員会」(CFIUS)による安全保障上の審査に協力する方針を発表した。

 ブッシュ政権側だが、乗り気薄ともとれないし、すっかり乗り気というふうでもない。微妙なところだが、駒は進めるようだ。日経”中国海洋石油のユノカル買収提案、米報道官「注視している」”(参照)より。

マクレラン米大統領報道官は27日の記者会見で、中国海洋石油(CNOOC)による米石油大手ユノカルへの買収提案について「注視している」と述べ、ブッシュ政権が大きな関心を示していることを強調した。計画が前進すれば、米政府として買収が米国の安全保障に問題を引き起こさないかどうかを審査することになると指摘した。

 同記事に続くように、二十三日上院公聴会でスノー財務長官が証言してように、米包括通商法(1988)では、国家安全保障にかかわりそうな外国企業による米社買収は審査され、問題があれば、政府が差し止める権限を持っている。
 中国海洋石油(CNOOC)としては、ユノカルによる石油・ガス生産量は米国の石油・ガス消費量全体の1%に過ぎないので、米国のエネルギー市場には影響を与えないと主張している。確かに、その面での問題は当面なさそうだ。が、投機への影響は与えるし、日本についても同様とは言い難いことは「極東ブログ: 行け、行け、中国海洋石油!」(参照)でふれた。あまり国内報道ではユノカルと春暁ガス田群問題がリンケージされないように見えるのだが。
 中国海洋石油(CNOOC)は、日本人から見ると、どうしても中国ベタのように見えるが、対CFIUSでは同じくカネに物を言わせて米国のコネを抑えにかかっている。
 CFIUSの審査結果待ちという流れになるのだろうが、その場合、審査結果よりも、審査期間のディレイがシェブロン側に有利になるので、高度な決着が付く可能性もある。あまりいいソースではないがPost-gazett.com”After earlier fumbles, Cnooc played to win”(参照)ではげげげな話を伝えている。このあたり、暗げなニュースなんだけどあまり注目されてなさげ。

In Public Strategies, Cnooc is getting a firm with close ties to the Bush White House. One top executive, Mark McKinnon, ran President George W. Bush's media campaign in the 2004 election. Mr. McKinnon isn't working on Cnooc, however. The point person on the account is Mark Palmer, an expert in crisis communications. Before joining Public Strategies, Mr. Palmer ran communications for Enron Corp., the failed energy firm that became a symbol of corporate excess after its collapse in 2001.

 この話は筆禍ゾーンでもないのだろうけど、これまでにして、冒頭残した「民主・共和両党の議員」のことと通貨の関連だが、端的になぜ民主党? 中国バッシングは民主党のほうがというのはあるだろうが、あれっと思ったのは、昨日のクルーグマンのコラム”The Chinese Challenge”(参照)だった。役どころはちゃんと抑えてるとも言えるのだが、話の向きがちょっと違う印象を受けた。

Fifteen years ago, when Japanese companies were busily buying up chunks of corporate America, I was one of those urging Americans not to panic. You might therefore expect me to offer similar soothing words now that the Chinese are doing the same thing. But the Chinese challenge - highlighted by the bids for Maytag and Unocal - looks a lot more serious than the Japanese challenge ever did.

 メイタグについてはここではふれないが、こうした中国の攻勢について、かつての日本と対比し、そしてやや否定的な立場に立っている。
 理由は、二点ある。
 一つは、日本の米国買いは実際には無害だったが、中国の場合は、そういう生ちょっろいものではないということ。クルーグマンはこの点はさらっと撫でている程度なのだが、背景には企業経営という視点で中国共産党ってどうよという含みあるように思う。
 二点目は、中国には台頭の意識があるよ、ということ。このあたりはちょっと微妙なので引用したほうがいいかもしれない。

The more important difference from Japan's investment is that China, unlike Japan, really does seem to be emerging as America's strategic rival and a competitor for scarce resources - which makes last week's other big Chinese offer more than just a business proposition.


Unocal sounds, in other words, like exactly the kind of company the Chinese government might want to control if it envisions a sort of "great game" in which major economic powers scramble for access to far-flung oil and natural gas reserves.

 ただ、クルーグマン的にはそれほどは深刻になっていないし、毎度のことながら、政治センスはないよなのオチになっている。
 クルーグマンの話のスジはそういうことなのだが、意外に否定的なもんだなという印象は強い。
 議論としては脇道かもだが、案外こちらの指摘が重要なのかもしれない。

So it was predictable that, sooner or later, the Chinese would stop buying so many dollar bonds. Either they would stop buying American I.O.U.'s altogether, causing a plunge in the dollar, or they would stop being satisfied with the role of passive financiers, and demand the power that comes with ownership. And we should be relieved that at least for now the Chinese aren't dumping their dollars; they're using them to buy American companies.

 いずれアジア各国もドルを買い支えなくなるよってな与太話はよく聞くが、米国の赤字と人民元のはいわば共犯的な関係にある。
 マクロ的にはそのあたりで、米国の算盤に合うあたりで答えを出すのか、事態を「いやいやマジっすよ」と出すか。EUの武器輸出が頓挫した経緯を見ていると、陰謀論とかではなく、裏の認識はありそうなので、ワタシ的にはマジな答えが出そうな気がする。

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2005.06.27

少子化問題なんてないのかも

 週末NHKでえんえんと少子化問題の番組をやっていたようで、金曜日のほうはなんとなくHDRに入れたものもまだ見てない。土曜日の近未来ドラマみたいなのはひょんなことから見ることになったので見た。「幸福2020」(参照)とかいうのだ。


 ヒロインは秋月雪乃(永作博美)、離婚歴のある35歳のシングルマザーである。契約職員として介護ビジネスで働き、小学生の娘・綾(大橋彩香)の教育を生きがいにしている。
 雪乃は、友人に誘われて渋々出かけた政府主催のお見合いパーティで高杉隆太(高橋克実)と出会う。隆太は40歳、独身、非常勤講師として小学校で理科を教えている。

 というわけで、高橋克実のトリビアのコメントかよみたいな演技が楽しめたのと、木内みどりの老け役が似合いすぎとか思った。お茶の間ふうにはよく出来た作品のように思えた(意外なディテールがよく出来ている面もあった)が、全体の主張はひどいもので、国民を信じますってなことを吹いてみたり、擬古的な日本のふるさと感みたいなものに情感を収斂させていた。散人先生の一括を待つまでもなくだめだめなビジョンである。ただ、こうした話題はNHKとしてはネタにしやすいだろうし、なんとなくみなさまのNHKという演出にはなるのだろう。
 少子化問題はもう議論の余地はないと思う。日本は縮退するのである。中国はいずれ連邦分解せざるをえないだろうとは思うがそここまでの歴史の経路で日本と朝鮮はかなりのとばっちりを受けることになるだろう。統一朝鮮は日本に匹敵するようになるかわからないが、もともと韓国は日本と同型の社会でもあるので、日本と同じように縮退している。として見ると中華連邦にいずれ縮退した朝鮮も日本も吸収されるのかというと、日本はそうならないだろう。さて、日本はどうサバイブしていけばいいものか。
 そんなことくらいしか思わないのだが、そういえば、「政府主催のお見合いパーティ」(シンガポールで実施された)で思い出したが、23日のフィナンシャルタイムズ”Japan's birth deficit”(参照)が日本の少子化を扱っていた。海外から見ればこの問題はNHKのようにエンタの話題ではなく、もっと冷ややかに見える問題でもある。記事は、ざっと読んだところとくに知見もないければもちろん解決策もない。

Japan is right to consider cutting working hours for civil servants with young children. The country desperately needs more babies and more working mothers. Policies and practices will have to change if it is to get them.

 "desperately"がいい響きだが、考えてみると、このフィナンシャルタイムズの問題の立て方は悪くない。
 フィナンシャルタイムズの言い分をさらっとまとめると、問題は、少子化もだけど、ようするに労働力でしょ。で、高齢者もすでに働いていてそのセクターは増えない(私は増えると思うけどね)、しかも、日本は移民を受け入れる気なんかないでしょ、だったら、つまり、女性を働かせるってことだよね、というのだ。
 少子化問題というのは、なるほど、女性を働かせるという問題なのだな。

Only 35 per cent of Japanese mothers with children below the age of six work, compared with an OECD average of 59 per cent.


The scope for improvement lies in employment rates of women. The female employment rate of 57 per cent is about average for the OECD, but far below countries such as Switzerland, Sweden, Norway and Denmark, where more than 70 per cent of women work.

 北欧みたいにスモールサイズの国家と大国日本と並べるその感性はどうよと思うが、日本の女性の労働力はまだまだ余剰があるのだろう。そのあたりがソルブされると、実は少子化問題は雲散霧消ということになるかもしれない。
 ただ、話がここに来てずっこけるのだけど、先日、大型書店の新刊書を見てなんかようするに玉の輿に乗って勝ち組狙いの本が多いんでないのと思った。どうなんでしょと、それから三十代半ばの女性にちらと訊いてみてたら、苦笑していた。

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2005.06.26

B映画チャイニーズ・フランケンシュタインの復活

 ふざけたタイトルですまん。マジなタイトルにできそうにもない。
 タルネタとも言い難いのにこの時点でエントリを起こすのもなんだが、情報を掘っていく手間に書くきっかけを失してしまうかもしれないし、この問題に詳しい方に情報を教えてもらうほうがよいのかもしれないので、粗いのだがざっとふれておきたい。
 エントリのきっかけは産経系”江沢民前主席、原潜「参観」 存在感アピール ”(参照)である。話は、江沢民・前中央軍事委主席が夏級原子力潜水艦を参観したとされる写真がインターネットに掲載されているというのだ。単純な話、それってどこ?と思うのだが、まだ私は追跡していない。中国語の情報の追跡は苦手でもある。
 産経のニュース発表は今朝のものだが、該当写真のネット掲載時期は四月二二日、つまり先日の反日デモのあたりのことらしい。産経の記事は、胡錦濤政権が反日デモを押さえ込んだ直後」と記すことで、胡錦濤対江沢民死んでないのかフランケンシュタインとの対立と読んでいる。それはありそうな話でもある。
 写真はこうらしい。


写真は夏級原潜(タイプ092型)の甲板上で、私服姿の江前主席が多数の軍人の中央で記念写真におさまっている。撮影時期、基地名は明記されていない。

 問題は、チャイニーズ・フランケンシュタイン復活の恐怖よりも、この原潜の恐怖のほうだ。産経はこう指摘している。

この原潜は今月16日に青島沖から新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験を実施したとみられる艦艇であることもあって、江前主席を中心とする軍の勢力が国内外に向けて存在感をアピールする狙いが垣間見えている。

 一六日のSLBM発射実験だが、朝日新聞”中国が新型SLBMの発射実験に成功 大連沖から内陸へ”(参照)を事実確認として引用しておく。

 中国が、新型の潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)の発射実験に成功したことがわかった。政府関係者によると、16日夕に大連沖の黄海の潜水艦から発射、中国西部の砂漠地帯に着弾させたという。大陸間弾道ミサイルのDF(東風)31型を改造したJL2型とみられ、3000キロ余り飛んだとみられる。
 中国海軍は現有する夏型原子力潜水艦の後継艦を開発中で、新型SLBMは後継用らしい。中国は80年代に初めてSLBMの実験に成功。昨年、新型の実験をしたが失敗したとされる。

 関連の話は、「極東ブログ: 中国は弾道ミサイル原子力潜水艦(SSBN-Type094)を完成していた」(参照)でもふれたので関心のあるかたは参照してほしい。簡単に言えば、これだけは米国は洒落にしない。
 同記事ではさらっとこうふれているのだが、ここはけっこう問題でもある。

 政府関係者によると、数年後には、中国は新型のSLBM搭載原潜を西太平洋に配備するとみられ、米中の海軍同士の緊張が高まる可能性もある。政府関係者は「SLBMにおける技術向上を示したもの。急速な近代化を図る中国の軍事政策の一環」と分析している。

 朝日新聞はなぜ西太平洋なのかを華麗にネグっているが、単純な話、石油のシーレーンである。石油の自由主義市場という米国の逆鱗を中国様はそそっと撫でてくれるのである。余談だが不安定な弧というのは、案外中国問題のカモフラージュなのかもしれない。
 ちょっと読みが甘いし、あんまり読むとネットにありがちな陰謀論ができるだけだが、昨今の次の例えば二点のシフトも、上の文脈にあるのではないか。
 例えば、今日付の産経系”新型イージス艦、舞鶴配備 07年春に「日本海シフト」”(参照)。

 海上自衛隊が三菱重工業長崎造船所(長崎市)で建造している新型イージス艦(7,700トン)を2007年春、海自舞鶴基地(京都府舞鶴市)に配備することが26日、分かった。
 同基地には現在、イージス艦1隻を配備。佐世保基地(長崎県佐世保市)の2隻と合わせ計4隻が朝鮮半島危機に備えた「日本海シフト」を敷くことになる。当初、佐世保基地を候補にしていたが、日本海での任務が多い舞鶴基地を増強することにした。

 もいっちょ。ロイター”台湾、米国から早期警戒レーダーを購入へ”(参照)。米国防総省は二十三日、台湾に早期警戒・探査レーダーを提供すると発表した。受注はレイセオン社である。

レイセオンによると、このシステムで台湾の空軍機は、長短距離の弾道ミサイルや巡航ミサイル、敵の戦闘機・水上艦を「絶対的な」信頼性で探査・追跡できる。

 ただ、こうした緊張の構図はある意味でゾンビの江・フランケン・沢民がのこのこ出てくるあたりで、またですか、中国の内紛、ということでもある。軍が噛んでいるので洒落にならない事態にはなりうるのだが、それでも、胡錦濤政権との対立の構図があるなら、そのあたりは日本もきちんと読む必要はある。
 現状では、胡錦濤はいわゆる中国の平和的な台頭という路線からそれほど外していないようにも見える。場合によっては、日本も戦略的に折れてもいい局面はあるかもしれない。みそくそな言い方をするとそのあたりのタイミングは米国は出す可能性も高いと思う。

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2005.06.25

くじらバーガーの伝言ゲーム

 くじらバーガーが国際的な話題になりそうな気配がある。予想したとおりだなと思った。
 欧米のニュースをブラウジングしているうちにそう思ったのだった。私はこのところRSSの環境を少し変え、はてなブックマークと連動させているうちに、ニュースに目を通す量が増えたので、くじらバーガーといった話についても以前より見渡せるようになった。なんだろと思ってこの報道について眺めているうちに、ちょっと気になることがあった。はっきりとした追跡というわけではないが、情報の流れ方とその影響について、僅かながらも示唆になればいいと思うので、簡単に記録しておきたい。
 現状の問題の気配を端的に示すには、共同”「くじらバーガー」を非難 英国の動物保護団体”(参照)がわかりやすいだろう。事実としては、24日、ロンドンに拠点を置くWSPA(世界動物保護協会)が、北海道函館市のファストフードチェーン「ラッキーピエロ」がミンククジラの肉をベースにした「くじらバーガー」を発売したことに対して、「腹立たしい悪趣味な宣伝行為にすぎない」と強く非難する声明を出したということ。WSPAがそう言い出すのはどうという話でもないのだが、この先が興味深い。


声明は、国際捕鯨委員会(IWC)総会で日本の調査捕鯨拡大計画への反対決議が可決されたのと同じ週にこのバーガーが売り出された点を指摘。「(日本が主張する)調査捕鯨は、鯨肉が結果的に食材として消費されており、その内実は商業捕鯨にすぎない」と批判した。

 つまり、野蛮な日本人はやっぱり鯨を食べたいために捕鯨をやっているのだ、という政治主張にしたいというわけだ。ありがちといえばありがちの曲解でもあるが、そのこと自体は毎度おきまりの陳腐な議論にしかならない。
 私が問題にしたいのは、どうして、WSPAがこのささやかなローカル・ニュースに着目したのかという点だ。
 時系列で見る。国内の「くじらバーガー」報道で簡単に確認できるのは、20日付け共同”くじらバーガーを発売へ 北海道のファストフードチェーン店”(参照)がある。ここでは表面的には好意的なトーンで結んである。

函館はかつての捕鯨基地。王社長は「最近はホエールウオッチングでクジラを見る機会が多いが、鯨食文化も大切にしたい」と話している。

 同記事について、間違っているとも報道姿勢がいけないというのでもないが、次の指摘にはちょっと複雑な印象を持つ。

調査捕鯨で捕ったミンククジラの肉を使用。高温で竜田揚げにし、軟らかく仕上げた。肉を納入する共同船舶(東京)によると、捕獲を禁止されていない小型クジラを使ったハンバーガーはあるが、ミンククジラの肉では初めてという。

 記者の心理はどうだったのだろうか。
 次いで、21日付けだが、当地北海道新聞”ミンククジラ肉のハンバーガー 全国初、函館で23日発売開始”(参照)がある。こちらの記事にもミンククジラの肉についての言及はあるものの試食会の取材が濃く出ている。
 同じく21日付で、朝日新聞の地方の話題として”鯨食復活応援「くじらバーガー」/函館”(参照)が出るが、ミンククジラの肉についての言及はない。むしろ私には重要な情報だと思えるのだが、「10店舗で1日限定20個」ということが明記されている。同記事では、このくじらバーガーが利用者の応募によるものであり、しかも、「ジンギスカンバーガー」に次いだものであることも明記されている。よい記事だと思う。むしろ、先行した共同の視点に生活感がないことが対比される。
 さて、こうしたニュースをWSPAはどうやって入手したのだろうか。共同のベタ的な記事からと考えてもいいだろう。そして、その記事がソースだとすると、当然、現地の生活感覚や具体的な状況については抜け落ちたのもしかたがない。
 しかし、どうやら、国際ニュースの流れを見ていると、欧米では、英文毎日新聞の次の記事が着目されていたようだ。22日付"Hokkaido chain to sell whale burgers"(参照)である。

HAKODATE, Hokkaido -- Lucky Pierrot, a hamburger restaurant chain active mostly in Hokkaido, will begin selling whale burgers on Thursday.

Whale and lamb burgers were the two most popular choices of fillings in a contest held by the Silk Road Group, which owns Lucky Pierrot.


 毎日新聞の和文の元記事はどれだろうか。ざっと見ると写真も同一であることから22日付”雑記帳:羊と鯨のバーガー新発売 函館”(参照)かなとも思うのだが、英文と比べるとわかるように単純な翻訳ではない。
 この英文毎日記事はすぐに欧米に注目され、主要ニュースとして私のRSSにひっかかってきた。そして、それを追うように各種のニュースが出た。"Whale burger"でGoogle Newsを検索し、このニュースについての最古の状況をみるとそのあたりが如実にわかる(参照)。ご覧のとおり、一番下の最古のものが英文毎日であり、そこから伝搬していく状態がわかる。

Whale burger on menu at Japanese fast food chain
Reuters.uk, UK - Jun 23, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling programme, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts -- whale burger ...

Want fries with that whale burger?
CNN - Jun 22, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling program, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts -- whale burger. ...

Whaleburger on menu at Japanese fast food chain

Stuff.co.nz, New Zealand - Jun 22, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling programme, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts - whale burger ...

Whale
burger on menu at Japanese fast food chain

Ninemsn, Australia - Jun 22, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling programme, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts -- whale burger ...

Whale
burger on the menu at fast food chain

SABC News, South Africa - Jun 22, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling programme, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts - whale burger ...

Want fries with that

CNN International - Jun 22, 2005
... Japan under fire for plans to expand its whaling program, a fast food chain is offering a new product aimed at using up stocks from past hunts -- whale burger. ...

Hokkaido chain to sell whale burgers

Mainichi Daily News, Japan - Jun 21, 2005
... choice. The idea for the whale burger was put forward by Toshihiro Okawa, 37, an employee of a whale meat sales company in Tokyo. ...

 UPIなどは、具体的にニュースソースを毎日新聞と明記している(参照)。

Asia-Pacific News
Whale burgers go on sale in Japan
Jun 22, 2005, 11:19 GMT

HOKKAIDO, Japan (UPI) -- Japan`s hamburger restaurant chain Lucky Pierrot, active mostly in Hokkaido, will begin selling whale burgers Thursday, the Mainichi Shimbun reported Wednesday.


 こんなニュースを英文で流すなよと言いたいわけではない。が、現実的に流れた結果は端的に言えばジャパンバッシングの類と言っていいだろう。以下のショットはThe Age(参照)で、写真はロイターのものだが、これを見て日本人への悪意を感じない日本人はどのくらいいるだろうか。


写真のキャプション:A Japanese woman tucks into a whale burger.
 

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2005.06.24

おばあちゃん細胞が発見された

 最新「ネイチャー」の記事が欧米の報道でけっこう話題になっていた。国内ではまだ見かけないようだが、いずれにせよ、遠からず日本版「ネイチャー」で読むことができるのだろうから、簡単に触れるだけにしたい。
 報道バージョンはいろいろあるが、ロザンゼルス・タイムスに掲載された”Study Shows How the Brain Recalls What Turns It On”(参照)が読みやすいように思う。リードに”Small groups of cells are found to use abstract memories to recognize specific objects.”とあるが、拙い訳だが、「特定対象を識別する抽象的な記憶のために利用される少数の細胞が存在することがわかった」ということ。簡単に言うと、人間の記憶のメカニズムにはいろいろな仮説があったが、今回の研究では、特定記憶に特化された僅かな細胞が実体として存在することがわかった、というのだ。これは、この分野に関心を持つ人なら「おばあちゃん細胞(A Grandma Cell)」といった名称で知っている仮説でもあるのだが、その裏付けになる。やっかみだと思われてもなんだが、クオリアみたいなぼけぼけ概念は必要としないという話でもある。
 ネイチャーの見出し(参照)ではこう書いてある。


神経科学:友達用とおばあちゃん用は別
How do neurons in the brain represent movie stars, famous buildings and other familiar objects? Rare recordings from single neurons in the human brain provide a fresh perspective on the question.

 発見のきっかけは、映画俳優の写真を使った実験だったので、おもしろ半分な報道ではそこが強調されがちでもある。この傾向の出所はネイチャー自身でもあるだろう。”Jennifer Aniston strikes a nerve”(参照)というふざけた標題の記事がネーチャーのサイトにある。
 というわけで、面白いには面白い話だし、背景を含めて関心のある人は、「人間がサルやコンピューターと違うホントの理由―脳・意識・知能の正体に科学が迫る」など読まれるといいだろう。
cover
人間がサルやコンピューターと
違うホントの理由
脳・意識・知能の正体に
科学が迫る
 私自身は、これは基本的には情動を伴った記憶の領域なので、現在のパラダイムで実体論的に展開するのはどうかと思うが、脳とかについて哲学めかした折衷的な議論などよりはより科学的ではないかと思う。科学は科学、哲学は哲学。その融合は要らないよという感じだ。
 話はそれだけなのだが、報道バージョンのなかでは、今回の知見が所謂認知症の改善にも関わるようなトーンも受け止めた。そういえば、このところ、街中で、認知症の老人ではないかという人に出くわすことが多い。じわじわと身近なところで日本の光景が変わっているようにも思う。
 そういえば、週刊文春や週刊新潮なども、なんだか、レトロな写真が多くなったが、年寄りにとってある種の記憶を強く喚起する映像メッセージはそれ自体で価値があるのだろうしその価値は今後より高まるのだろう。話がだらけきってしまったが、もしかすると、ヨン様ブームとか擬似的なレトロもそうした流れにあるのかもしれない。ま、考えようによっては、このあたり、ビッグビジネスの予感てやつかも。

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2005.06.23

行け、行け、中国海洋石油!

 行け、行け、中国海洋石油(CNOOC)! 川口浩隊長と共に未知なる世界に大金もって突撃。BGMは当然、中国人お気に入りの「軍艦マーチ」(参照)。というわけで、”中国海洋石油、米ユノカルへの買収案提示を最終決定=関係筋”(参照)ということになりました。すっかりその気のようです。
 昨晩までは”米ユノカルに対する買収提案、役員会は最終決定しておらず=中国海洋石油幹部”(参照)ということだったので、そういうあたりで落ち着くというのもありかとも思ったけど。別分野でもあるけど”中国国際コンテナ:憶測報道に対して反論”(参照)という一幕もあったりしたし、”極東ブログ: すごいぞ、中国国際ビジネス”(参照)ということでもあるし。
 と、中国人の熱気に当てられたもののこのエントリの話はごくしょぼく、備忘メモみたいなものとしたい。わけわかんないし。
 時系列で。ユノカルといえば春暁ガス田(参照)。昨年の秋の時点では、今年中に年二五億立方メートルで生産を開始し海底パイプラインで中国東部にガスを供給するという話もあった。
 が、”東シナ海の中国ガス田 欧米2社が開発撤退 「境界問題」で日本に配慮か”(読売2004.9.30 )が報じるように、ユノカルは引いた。


日本が東シナ海の排他的経済水域(EEZ)の境界として主張している「日中中間線」近くで中国が進める天然ガス田(春暁ガス田群)の開発に関して、プロジェクトに参加していた英・オランダ系石油メジャーのロイヤル・ダッチ・シェルと、米石油大手のユノカルは二十九日、天然ガスの開発プロジェクトへの参加を打ち切ると発表した。


二社は昨年八月、中国国有会社の中国海洋石油総公司、中国石油化工集団公司と、春暁ガス田群の探鉱、開発、販売などの契約を結び、一年間の評価・分析の後に本格参入するかどうかを決めることにしていた。

 パイプライン計画の一部は進んでいたようでもある。
 ユノカルが引いた理由は採算性らしい(「商業的理由」だそうだ)のだが、よくわかっていない。中国国務院側も外資との協調が重要だとしていたふうでもある(陰謀もあったかも)。
 なんだろねと思っているうちに”中国企業、米石油大手の買収検討 海洋探査・採掘技術獲得へ”(読売2004.9.30 )という話になってきた。ユノカルがやらないならユノカル買っちゃうよと中国様。

英フィナンシャル・タイムズ(FT)紙アジア版は七日、中国の国有石油大手、中国海洋石油が130億ドル(約1兆3600億円)以上を投じ、米石油大手ユノカルを買収することを検討していると報じた。


 FT紙によると、中国海洋石油はユノカルを買収後、米国内の事業は売却し、海外事業を傘下に収める方向で検討中という。アジアでの権益や海洋探査・採掘技術などの獲得が狙いとみられる。

 蛇足ながら、春暁ガス田群だけが中国様の眼中にあるわけでもない。そうこうしていると、”米石油大手シェブロンのユノカル買収 M&Aで資源量拡大狙う”(読売2005.4.6)という、よくある話かなとなってきた。

米石油2位のシェブロン・テキサコが、9位のユノカルを買収するのは、時間がかかり、リスクも大きい新たな油田・ガス田の開発より、資源量の拡大や地域基盤の多様化を一気に実現できる買収の方が得策と判断したためだ。

 シェブロン・テキサコが東アジアにどういう関心を持っているのかわからない。が、そのあたりで落ち着くといいのだけど、中国様すっかり本気という流れで、米国様の一部もちょっと本気になりかけ。”中国海洋石油のユノカル買収提案報道で、米議員が政府に調査要求=WSJ”(ロイター2005.6.20)。

中国石油大手、中国海洋石油(CNOOC)<0883.HK>が米石油大手ユノカルに買収提案する、と報じられていることをめぐり、米議会の共和党議員2人が、ブッシュ政権に差し止めも視野に置いた調査を要請した。米ウォールストリート・ジャーナル(WSJ)紙が19日、伝えた。
 CNOOCは、米メジャー(国際石油資本)のシェブロンテキサコに対抗してユノカルに買収提案しようとしている、と報道されている。

 しかし、それってどうよとツッコミ。”中国海洋石油のユノカル買収案、米議会は干渉すべきでない=エクソン”(ロイター2005.6.22)。

 米石油大手エクソンモービルのレイモンド会長兼最高経営責任者(CEO)はロイター・エネルギー・サミットで、中国国営の中国海洋石油(CNOOC)<0883.HK>による米石油大手ユノカル買収案に米議会が干渉するのは、「大きな誤りだ」との見解を示した。

 かくして冒頭の流れになってきた。
 流れを見ていると、中国お得意の中国内部の軋轢がありそうでもある。
 一般論的に見れば、産経系”中国企業による米企業買収が活発化 中国海洋石油→ユノカルなど ”(参照)のように資源を求めてということでもあるのだろう。マネーゲームとすればちょっと信じがたい手のようにも見える。

英経済紙「フィナンシャル・タイムズ」によると、同社のユノカル買収方針は、中国経済の急成長を維持するために、原油などのエネルギー資源を確保しようとする中国政府の政策に沿ったもの。原油価格が高騰し、今後、原油需給が逼迫(ひつぱく)するとの見通しを受けた動きとみられている。

 そうなのかちょっと疑問も残るが、同記事では私にはちょっと意外な話もあった。中国は北米のオイルサンドにまで手を出していたのかということ。

すでに、同社を含めた中国の石油大手3社が今年4月以降、相次いで大量の重質原油の埋蔵が見込まれるカナダのオイルサンド事業への参入を決めており、中国のエネルギー政策は、国内外を問わず、原油・天然ガスの確保を最優先課題としている。

 ある意味でよく知られていることだが、米国はいざとなれば、自国からまだまだ原油を汲み出すことはできる。問題は技術とコストであり、つまりは、コストということだ。しかし、中国様はさすがは社会主義国だけあってコストを考えないのか?

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2005.06.22

原油高騰とロシア周りの雑駁な話

 原油高騰とロシア周りの話。今朝のラジオでもふれていた。そういえば、このところのこの関連の動向で心に残っていることがいくつかあるので、このあたりをメモしておいてもいいかもしれない。例によって間違いも多いかもしれないし、きちんと資料に当たってまとめるべき内容ではあるのだけどごく簡単に。
 まず、基本。ロシアの現在の原油生産は八〇〇万バレル強となり、すでにサウジに匹敵している。ロシアとサウジの二国だけで世界の原油の二〇%になる。この構造が世界にどういう影響をもたらしているのかというだけで大きな課題ではあるのだが、簡単には議論ができない。総じて見れば、地政学的リスクはロシアのほうが少ない。しかも、ロシアはOPECからもIEAからもフリーな王様でもある。
 サウジとロシアに着目して、近未来的に今後はどうなるかだが、まずサウジがよくわからない。「極東ブログ: 原油高騰の背後にある石油枯渇の与太話」(参照)でふれたように、全体像から見ればサウジについては近未来での原油枯渇という問題は言われているほどにはないにせよ、現状すでに高水圧で汲み出すほどなので現行の油田にはそろそろ無理があるようだ。当然、新規の油田開発などが必要になるのだろうが、そのあたりの動きが見えない。この問題は精製の問題とも関連しているのであとで少し触れるかも。
 ロシアのほうも現行の西シベリアの油田は老朽化している。サウジほどの潜在的な問題はもってないのかもしれないのだが、この機に新油田の開発を行う必要性があるだろうし、もともとロシアでは20ドル程度の採算ラインがこのところ50ドルという高騰でウハウハに外貨を貯め込み、少し前なら不可能と思えた海外債務返済も前倒しで進んでいる。
 しかしこのまま好調に進むわけでもないようだ。れいによってロシアにイヤミ入りの産経系”原油落ち込み露経済減速、成長見通し5.5%に下方修正(FujiSankei Business i. 2005/6/20)”(参照)のようにロシアの原油生産の劣化が目立ちつつある。
 で、ロシアも新油田開発となるのだが、そこもどう動くのかがよく見えてこない。輸送という面でのパイプライン側の話で見れば、日本が大きく関与しているのだがそのあたりは、ちょうど一年前に書いた「極東ブログ: 宣戦布告なき石油戦争の当事者は日本と中国」(参照)や「極東ブログ: ユコス国有化が暗示するロシアの大望」(参照)でもふれた。後者の欧米からのロシアへの厳しい視線も今後の火種にはなるだろうが。
 その後のこの分野の動向なのだが、私などから見ると、日本はなにやってんだという状況でもあり、そのあたりの苛立ちもあってか、ロシアは中国とインドをウラジオストックに呼び出して結果的に日本に痛烈なメッセージを発しているが、日本はわかってなさげ。いずれ、中国体勢はどうころんでもあれだけの人間が生きて行かなくてならないのだから、石油の潜在的なニーズはある。問題はロシアがそこでどう商売していくかということだが、日本が傍観できるわけもないだろうに。
 ロシアの極東のパイプライン問題や天然ガスのサハリンプロジェクトなど、つい極東という観点から考えがちだが、地球儀を上から見るとわかるように、これらのロシアのエネルギー戦略は北米も視野に入っている。対応する形で、米国もなんらかの戦略はもっているのだろうが、そこもあまり見えてこない。
 話をロシアの西側に移すと、端的に言えば、ロシアとしてはエネルギーという強力なカードでいざというときにEUを締め上げてやれということはあるだろうし、先月末にできたロシアをスルーするBTC(アゼルバイジャン・バクー、グルジア・トビリシ、トルコ・ジェイハン)パイプラインももとはいえば、対ソ連・そして対ロシアの一環でもあったことだろう。具体的には、英BP(British Petroleum)などの企業連合に日本も加わっていたが米国の旧世界戦略でもあった。
 現状、西側諸国はまだその枠組みにいるし、追米ポチ日本もそこにぼけっといるのだが、このあたりが今後どういう意味を持つのかあまりに微妙。長期的な原油ニーズから見た世界経済の今後の発展は、やはり中国やインドにあるのは明らかだし。
 米国としてはBTCパイプラインは原油の中東依存をさけるメリットもあるだろうが、この地域の中央アジア諸国にヘンテコな幻想が広まる原因にもなりかねないし、すでにやばい兆候が多い。ちょっと気になるだが、いわゆる「不安定な弧」というのはついインド洋側から見やすいのだが、これは中央アジアを含めた地域でもあるので、パキスタンやイランといった地域もそちらに強く関連している。もろやばい。
 ロシアの新規油田開発がそうした意味で、いよいよクリティカルな問題でもあるのだろう。
 現行の原油高騰でロシアの内政もうまく行っているかというと、そうでもない。ロシア市民にしてみるとガソリンは高値だし、経済全体もインフレ(10%)の状態にあるし、旧共産党系の老人の保護というか貧困層をどう扱うかはイデオロギー的なくすぶりにもなている。
 もう一つのクリティカルな問題は石油の精製問題だ。ロシア国内での石油の流通にこれが噛んでいるだろうこともだが、国際市場においても、そこがボトルネックになっている。サウジなども、現在の原油価格高騰は米国の石油精製能力の問題だといきり立っているが一理はある。なぜメジャーは動かないのか。理由は、それだけのインセンティブというかメリットがないだけだろう。
 中東に新規油田を開発するための原油の高騰ラインは80ドルというふうに記憶している。そのあたりまで高騰て高止まりしないと開発の機運はないだろうし、精製についても同様なのではないか。陰謀論を撒く意図はないが、メジャーとしては現在の状態を馬鹿げた投機と見ているとしていいように思う。
 ただ、その間、サウジもだが、OPECもジリ貧に弱くはなっていくのだろう。今回のOPECの五〇万バレル増産アナウンスも闇生産の追認ですかという冗談にしかならなかった。
 日本の立ち位置についてはすでにふれた部分以外でいうと、やはり80ドルくらいまでけっこう平気な状態であり、石油精製能力の優位はあるだろう。あまり奇矯な意見を述べる気はないが、冷戦とも違った奇妙な持久戦の時代にはなっているだろうし、中長期的には日本はかなり有利だろうとは思う。ただ、対露政策はもうちょっとなんとかならないのだろうか。

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2005.06.21

オゾン層の変化で台風(ハリケーン)経路が観測できる

 小ネタの類なのでさらっと。話は二週間前、米国時間で八日付のNASA (National Aeronautics and Space Administration)のニュースに、”Ozone Levels Drop When Hurricanes Are Strengthening(ハリケーンが強化されるときオゾン・レベルが落ちる)”(参照)という話があった。標題は正確なのだがあまり一般に関心をひくものではない。同じネタでもサイエンス・ライターが書いた”Surprise New Technique Improves Hurricane Tracking”(参照)のほうが注目しやすいだろうし、話も読みやすい。こちらの標題を意訳すると、「意外な最新技術がハリケーン進路計測の精度を高める」になる。日本の状況で言うなら、ハリケーンは台風と言い換えてもいいだろう。発生する場所の違いだけの熱帯低気圧なのだし。
 話は、宇宙から観測したオゾン濃度によって台風の進路計測が可能になりそうということだ。研究はフロリダ州立大学のXiaolei ZouとYonghui Wuという、名前から察するに中国人の学者が発表したものだ。一二個のハリケーンについてその目の移動とオゾン層の状況について見ていったところ、その経路に関係が見られたというのだ(参照・図)。特にハリケーンの目の位置ではオゾン濃度が高まりその周りの濃度は低下する。イメージでいうと、あれだ、シャブシャブ鍋みたいな感じ。
 一般的な補足だが、台風やハリケーンというのは対流圏の現象だが、オゾン層は成層圏まである。なので、実際のハリケーン時に、特徴あるオゾンの濃度分布で見極めることが可能になるなら確かに衛星から観測しやすい。
 さらに今回の研究では、ハリケーンの発生についてもオゾンに着目することで観測精度を高めることができるのでは、としている。従来なら雲が覆って見にくい状況でもオゾン濃度は計測できる。
 今回の発見で台風観測の精度が向上すれば、それについで経路予想の精度の向上も期待できるだろう。

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2005.06.20

イラン大統領選挙雑感

 イラン大統領選挙について簡単に触れておきたい。一七日に実施された選挙では、七人の候補者のいずれもが当選条件の投票総数の過半数に達しなかったため、上位二位のラフサンジャニ前大統領(穏健派)と現テヘラン市長アフマディネジャド(最高指導者ハメネイ師に近い強硬派)が二四日に決戦投票で争うことになった。
 一七日の投票では、投票率は62%(前回は67%)。CNN日本”イラン大統領選、決選投票へ”(参照)によると、ラフサンジャニ616万票に対してアフマディネジャド571万票ということなので、これだけ見れば、ラフサンジャニが有利かと思えるが、他候補が消えた現在、それほどの差とも思えず、どちらが大統領になるのかは予想が付かない。
 欧米の論調では、今となってはやや滑稽な感もあるが、一二日付けロイター”イラン大統領選、モイーン元高等教育相が支持率2位に”(参照)のように、改革派のモイーン元高等教育相への期待もあった。とはいえ、Newsweek日本版6・22”改革派なき改革選挙”で断言されているように、モイーンが勝つ見込みなどあるわけもない。
 なのに、毎日新聞”モイーン氏「ボイコット」克服できず”(参照)ではやはりモイーンに注目したお話を展開していた。もちろん、論点は、モイーンよりボイコットに移さざるをえない。


改革派支持層が大挙して保守強硬派に票を投じたとは考えにくく、多くの改革派支持層が投票をボイコットしたのは確実だ。
 モイーン氏を支えたハタミ大統領の実弟でイスラム・イラン参加戦線のレザ・ハタミ党首は毎日新聞に対し、「真のライバルは他候補ではなくボイコットだ」と語っていた。選挙結果は「ボイコット」というライバルを克服できなかったことを示している。
 また、ラフサンジャニ氏を支持した市民の多くが「実行力」を投票の基準に挙げており、改革の成果を思うように上げられなかったハタミ大統領に対する失望感は想像以上に大きく、改革派支持層からラフサンジャニ氏に流れた票もあったとみられる。

 その読みはどうなんだろうか。その読みが正しければ、決戦投票ではラフサンジャニに目が出てくるということになる。そうなるだろうか。確かに、一七日の選挙での非強硬派の票が固まれば、ラフサンジャニが勝つ可能性は高い。
 とはいえ、ラフサンジャニが勝って大統領に返り咲いても、それによって改革が進むわけでもないのは、現在のハタミ大統領の無力状態でもわかる。
 イラン国民の状況についても、大衆はある種の政治的な無気力感に覆われているだろうし、若者は特にそうだろう。マイルドに改革を希望していても、それが実現できないという挫折感は強硬派に吸収されるだろうし、米国が表面的にいきり立ってもその動向を進めるだけだろう。
 先のNewsweekでは、「誰が選挙で勝ったとしても、イランは変化への道をたどってる」として、緩やかながらにも改革は進むのだろうとしている。
 私もそれに同意したいのだが、できない。現行の斬新的な変化では、ある決定的な変化をもたらすことはできないのだから、その閾値は奇妙な逆転を誘発する可能性のほうが高いようにも思われる。むしろ、危険なのはイランの内部ではなく…とつい考えてしまう。

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2005.06.19

先週実施されたイタリアの国民投票

 また先週のニュースから。一二、一三日の二日間、イタリアで人工授精と体外受精の自由化の是非を問う国民投票が実施されたものの、投票率は約26%と少なく、投票自体が無効になった。
 日本国内でこの報道がなかったわけではないけど、それほど注目されなかったように見える。「どうせこういう結果になるでしょ」と見越したものだったからかというと、違うのかもしれない。十日付け毎日新聞”人工授精:イタリアで自由化の国民投票 賛否両論で物議”(参照)では、結語を「カトリック教会対リベラル派の構図となった投票の行方に、注目は集まるばかりだ。」として奇妙に浮いた熱気を感じさせて微笑ましかった。確かに、26%の投票率については、実際にはイタリア国民が関心がないというより、カトリックが今回の国民投票を実質的に阻止させたという意味もあり、それも「投票の行方」ではあった。
 今回の国民投票の背景は、昨年二月成立の生殖補助法へのリベラル派の反発がある。同法では、人工授精と体外受精を不妊夫婦にのみに認め、精子・卵子の第三者提供、代理母、ヒト胚凍結保存実験研究などを禁じた。
 リベラル派はなんとか国民投票実施にまでは漕ぎ着けたものの、ボスキャラ、新教皇ベネディクト十六世はこの動向に批判的な立場を明らかにし、カトリックとしては実質的にこの国民投票のボイコットを勧めたとされている。
 欧米のメディアでの受け止め方としては、やはり、カトリックの勝利でしょうとしている。ある意味でプレーンな報道であるAPも”Vatican Gets Victory in Italian Referendum ”(参照)としてカトリック勝利を強調していた。
 リベラル派といえば米国での受け止めかたはどうかというと、ニューヨーク・タイムズ”Italian Vote to Ease Fertility Law Fails for Want of Voters ”(参照)もさらっとした印象を受けた。が、読んでいて、私が共感したのは、むしろ、国民投票というありかたへのコメントだった。


But even amid the polarization, there were voices on both sides that said problems in the law could possibly be worked out in Parliament, rather than in an emotional referendum and expensive advertising campaign.

 個人的な印象でもあるのだが、極東ブログを続けながら、国民投票(referendum)とか拒否権(veto)とか、以前より重要なものに思えてきている。ある意味で、referendumというのはvetoで国家の最終的な依拠ではないだろうか。沖縄で暮らしているときにちょうど県民投票があり私も一票を投じたのだが、あれは海外ではreferendumとして報道されていた。それが事実上本土側で無視されたのだが、本来ならその無視はそのまま沖縄の独立につながるものかもしれないとも当時は思った。少し話が逸れてきたが、referendumとvetoは国家サイズにも関連するのかもしれない。もう一点、余談だが、ドイツではreferendumそのものが禁止されているという意味で、事実上これが禁止されている日本と同じくキャストレーションでもあったのだろう。いずれにせよ、イタリアでの今回の国民投票はなにか国家の適正サイズとマターの点での錯誤は感じられる。
 偶然だろうが、イタリアの生殖補助法に対する国民投票後が一段落した十六日日本国内では着床前診断(受精卵診断)による出産が報道された。ベタ記事ともいえないが、ブログなどネットを見回してみるとそれほど関心を呼んでいるふうではない。私もブログを書く側におり、ミュージック・バトンといったブログコミュニティの末端にもいるせいか、ブログ界の情報に流れされがちだが、そこではある種の情報のレーティングは奇妙なほど軽い。
 このニュースの一例には共同”着床前診断で3人が出産 流産予防目的は初 ”(参照)がある。「流産予防目的は初」という表現に微妙な含みがあるが、記事ではあまり展開されていない。

 受精卵診断は命の選別につながるとの批判があることから、日本産科婦人科学会は重度の筋ジストロフィーの診断が目的で学会が承認した場合を除き、認めていない。大谷院長は承認を得ないまま実施しており、論議を呼びそうだ。

 論議がどこで呼ばれているのか気になるところでもある。
 着床前診断については同記事には簡単な解説がある。

受精卵診断(着床前診断) 体外受精卵が4-8個に分裂した段階で1-2個の細胞を取り出し、染色体や遺伝子の異常を調べる。異常がない受精卵を体内に戻し、妊娠、出産につなげる狙い。遺伝病の回避から男女産み分けまで幅広い応用が可能。日本産科婦人科学会は実施に厳しい制限を設けており、承認を得たのは慶応大の1件のみで、名古屋市立大学が学会に申請を予定している。

 公式には日本では一例先例があるということでもあるのだろう。私の記憶では海外では千例を越えているはずだ。
 この先に減胎手術の問題も関連しているのだが、うまく考えがまとまらない。まとまる見込みもないかもしれないが。

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2005.06.18

心の問題は現代の文化の問題とは言えそうだが

 スルーしようかなと思ったネタでもあったけど、少しだけ。先週、米国では、米国国立精神保健研究所(NIMH)の発表が話題というかネタになっていた。話は、現代米国人の26%はなんらかの精神障害の兆候を見せているものの、専門家の対応を受けているものは17%にすぎない…というようなこと。

cover
精神疾患は
つくられる
 こんな語り口もある、”健康プラスα 私の本棚:『精神疾患はつくられる ―DSM診断の罠―』”(参照)より。

 かつてアメリカで精神科が大はやりの時期があった。そのころのジョーク、「あなた、一度も精神科にかかったことがないの?それって異常よ、一度精神科で診てもらったら……」。
 しかし、今ではもうこの話、誰も笑わないかもしれない。NIMH(国立精神保健研究所)が行った疫学研究、いわゆるECA研究では、アメリカの成人の32%が生涯に何らかの精神障害にかかり、20%は常時その状態にある、という結果がでているからだ。

 リンク先を見ていただくとわかるが、この記事は、「精神疾患はつくられる―DSM診断の罠」という書籍がそう語るのだ、として、こう続ける。

 どうやら、科学的根拠に基づいて決められたとばかり思っていた診断基準も、政治や文化、経済などの要因によって左右されるかなりあやふやなものだったのだ。それでもこのバイブルには、診断基準の文章をほんの少し変えるだけで、何百万もの患者を増やしたり減らしたりする影響力がある。
 だから、「DSMは普通の人間的な感情しかないところに無理やり精神の病気をみつけだしている」と著者たちは批判する。この世にそんなに多くの精神障害者が「いる」のではなく、全世界に100万部以上も売れているマニュアルが、精神障害者に「した」というのである。

 よく言われることでもある。比較的知識層に読まれただろう十二日付けニューヨーク・タイムズ”Who's Mentally Ill? Deciding Is Often All in the Mind”(参照)も似たようなトーンだった。

But more than anything, historians and medical anthropologists said, the rise in the incidence of mental illness in America over recent decades reflects cultural and political shifts. "People have not changed biologically in the past 100 years," Dr. Kirmayer said, "but the culture, our understanding of mental illness" has changed.

 ということで、この話は、ネタとしては大筋で現代の文化のありかたに還元することが多い。ついだが、同記事では日本の状況についても文化的な背景として言及していた。
 ネタとしてはそんなところで終わりだが、もうちょっと踏み込むとどうなのかという話もないわけではないし、オリジナルと思われるNIMH”Mental Illness Exacts Heavy Toll, Beginning in Youth”(参照)もきちんと読み込むべきかもしれない。特に、若者の問題として考えなおす意味もあるのだろう。
 とはいえ、個人的にだがそれ以上あまり関心の進む話題でもない。この話いろいろ語られうるが、それで現代の文化のありかたがどうとなるものでもないし、具体的にこうした問題に現在苦しんでいる人たちの助けにもならない。
cover
青空人生相談所
 そういえば、橋本治の「青空人生相談所」だったか、相談者が別に日常生活どってことないけどエレベーターに乗ると少しパニックになってうんぬんというのに、橋本はそれって大問題ですよ、と答える話があった。言語化できないから身体に出るのだと。たしかにそういうこともあるろう。
cover
最新心理療法
EMDR・催眠・
イメージ法・TFT
の臨床例
 それに、宗教的な話をしたくはないが、人生にはなにか不思議な局面というのはあり、人の人生というか運命に強く関わっているようにも思うことがある。オリビア・ハッセーが演じるマザー・テレサの映画のスチルを見ながら、よく老けたなという以上に、マザーのことを少し思った。なにが彼女の心を動かしたかはわからないが、見方によっては、そう生きることしかできなかったとも言えるのだろう。運命に逆らわない生き方がその結果でもあっただろうし、それに逆らう生き様というのは可能だろうか。ふと、ヨナ記のことも思うが省略。
cover
EFTマニュアル
 心の問題は脳の問題とかにもされる現代の文化でもあるがそうとばかりも言えないだろうし、知的なアプローチだけで片が付くことでもないだろう。反面、個々人の具体的なケースでは、TFTやEFTといったシンプルなセラピーできっかけで好転することもありそうだ。

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2005.06.17

[書評]「ビルとアンの愛の法則」(ウィリアム・ナーグラー&アン・アンドロフ)

 小学校の国語の教科書だったと思う。ある日学校行くのをさぼってみたという「ジルダンとぼく」という少年の話があった。三十年以上も前になるのだろうが強く心に残っている。ブラジルの話だったかと思う。
 主人公の「ぼく」とジルダンは学校をさぼってみたらどんなに楽しいだろうと思って実践した。しかし、一日中遊んで疲れて途方に暮れ、結局、下校の同級生たちをこっそり見に行く。そして、こう思うのだった。彼らは今日もしかしたらぼくたちが一生の間に学ぶことのできない大切なことを学んだのかもしれない、と。
 そんなことはあるわけないじゃんというのが常識だろう。実際、山村幸広エキサイト社長が熱心に新入社員に「時間を守る、会社を休まない」と訓辞をたれても(参照)通じるものではない。でも、たぶん、社長の言っていることも正しいし、人生には「ジルダンとぼく」的なことはあるものだ。学校とは限らないにしろ、ほんのちょっとの知恵を学ばないがために、その後人生に無意味に近いトラブルが増える。
 前フリが長くなったが、「ビルとアンの愛の法則」という小さな本には、え、それを知っていたら人生楽だったのという知恵がぎゅっと詰まっている。先日、実家の書架で見つけた。1991年初版だが、こういう本って今でもあるだろうかと思ってアマゾンを見たが、あるようなないようなという感じだ。古書としては購入できそうでもある。オリジナルの英語の本は売っているというか、やはりというべきかロングセラーのようでもある。ちょっとリストにしておく。


 この本を買ったとき、私は「ベスト・フレンド―新しい自分との出会い」をまねた体裁としてブックデザインされたのだろうと思ったし、その手の内容かなとも思った。が、違った。原書の標題が"Dirty Half Dozen"とあるように、ラッパーならすぐピンとくるだろうが、"dirty dosens"(参照)の洒落だ。といっても、会話のノリの良さというより、この本では、悪口の言い合い状況への対処という含みがある。
 つまり、人間関係の、特にはてしない口喧嘩のような状況への対処の知恵というのが本書の目的なのだが、そうした状況の典型例は夫婦関係や恋愛関係でもあり、本書でもそこに焦点が置かれていることから、「ビルとアンの愛の法則」というマヌケな標題がついてしまった。それでも副題、「60分で読めて、一生離せない本」というのは嘘ではないと思う。
 短い本だし、一句一句が知恵のかたまりでもあるのだけど、ちょっとサワリをご紹介しておくとわかりやすいだろう。もっとも、どれも当たり前の話ばかりで、なーんだと思われるかもしれないのだが。たとえば、

相手を絶えず喜ばせ、満足させ、魅惑することは不可能だ。
 :
ふつう、人の頭の中には二〇~三〇時間分のネタしかない。
 :
目新しいことを言ったり、おかしなコメントを吐いたり、新奇な行動に出たりするのにも限度がある。

 あたり前なんだけど、これがわからない人を私は知っているし、私もそう見られがちではある。
 多くのブログが熱死してしまうのは、この法則でもある。と気が付くのだが、ブログも対人関係のようなもので、コメントスクラムとかも"dirty dosens"ではある。

フェアプレーは禁物である。
 :
フェアに闘っていいのは、映画の中だけだ。
 :
争いを放棄せよ。降参せよ。それも意識的に。

 そいうもんですよ。

大したコトでない些事について、何か素敵なことを言ってやること。
これが大したコトなのだ。

 これがさりげなくできたら、大人です。
 というわけで、全文引用しそうになるけど、もっとも重要なチャプターである「カネを支配せよ」についてはふれない。このチャプター・タイトルは誤解を招きやすい。表面的な意味ではない。このことを知らないと、人生はかなりつらい。
 人生というのはお釈迦様がいうように本質的につらいものだろうとは思うが、無駄につらいことはありうるので、そこが「ジルダンとぼく」的問題でもあるし、そして、こうした知恵は数多く蓄積すればいいものでもない。Half Dozenくらいでいいのではないか。

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2005.06.16

キルクークにおけるクルドの問題

 このところ日本のメディアに倣ってイラクの問題はあまり書いてこなかった。昨年の極東ブログ孤立かもの、れいの大義問題とやらも日本でもようやく国連疑惑と関連の文脈に置けるようになったし、いろいろ問題はあるが歴史は逆行しないのだし、なにより日本の関わりは限定されている。しかし、今回のニュースはさすがに暗澹たる思いに沈む。
 ニュースという位置づけとは少し違うのかもしれないが、十五日付けのワシントンポスト”Kurdish Officials Sanction Abductions in Kirkuk”(参照)がそれだ。本来ならニューヨーク・タイムズから出そうな話ということもあり、体裁を繕うような感じで”U.S. Says Kurdish Forces Seized Arabs and Turkmen in Kirkuk”(参照)も出た。
 日本ではどういう扱いになるのかと思ったが、共同からベタ記事のような”クルド民兵がアラブ人拘束 イラク、米紙報道”(参照)が出た。ご覧の通り、ワシントンポストを引くだけで、これってブログかよ、みたいな記事だが、日本語で読みやすいので概要を示す上で引用したい。


【カイロ15日共同】米紙ワシントン・ポスト(電子版)は15日、米国務省の秘密公電を基に、イラク北部キルクークで最近、クルド人政党の民兵組織や警察のクルド人部隊が、多数のアラブ人やトルクメン人を拘束してクルド人自治区に連行していると報じた。

 なぜカイロ発というのもツッコミどころではあるが、後日ワシントンからの詳細な記事を期待したい。
 キルクークの現状だが、クルドはスンニ派と見られる勢力やイラク外勢力のような直接的な行動は取ってはいないものの、同記事にもあるように、一月の国民議会選挙以降、地元司法当局の許可もない拘束を実施しているらしい。背景にあるのは、キルクークといえば当たり前の、油田の利権である。
 共同の記事はこれで終わりだが、オリジナルの英文記事を読んでいただくとわかるように、むしろ問題は米軍にある。ワシントンポストの長い記事の冒頭を引用する。

KIRKUK, Iraq -- Police and security units, forces led by Kurdish political parties and backed by the U.S. military, have abducted hundreds of minority Arabs and Turkmens in this intensely volatile city and spirited them to prisons in Kurdish-held northern Iraq, according to U.S. and Iraqi officials, government documents and families of the victims.

 端的に言えば、この事態は米軍がお墨付きになっているわけだ。弁護にもならないのだが、だからより直接的な行動にもなっていないのかもしれない。
 なにかとこの手の話題では目を通すことにしているサロン・コムだが、このあたりの米軍トホホに焦点を当てつつも、この先の悪夢を示唆している。”Revenge takes root in Iraq”(参照・会員制)を借りる。

Rising tensions boiling over into civil war is one serious concern, of course -- and U.S. credibility, or what remains of it, another.

 クルドを巻き込んだ内戦の危機の懸念が強まる。
 そういえば、極東ブログの過去エントリとしては、四月の”国連アナン事務総長と英米との反目”(参照)でこうふれた。

イラクの油田の利権について、英米系のメジャーはキルクークを中心とした北部、つまりクルド人の地区にある程度限定されている。石油利権という点でいえば、英米系はあまり南部には関心を持っていない。その面から見れば、英米にとっては、クルドが安定こそが重要で、シーアやスンニの地域がある程度荒れていてもそれほど問題はなかった。

 また、「極東ブログ: イラク警察と自衛軍は米軍の指導下に置かれる」(参照)を書いたのは昨年の今頃だった。あのころは、懸念はありつつもまだ余裕をもって見ていた。

 いずれにせよ、イラクの警察組織や自衛力としての国軍が整備されることで、時事上の膨大な雇用が生まれ、そこに石油歳入を投入することで富みが配分されるという構造になるように思われる。そして、それは、国家が機能しなければ、石油の地域的な偏在を通して、クルドとシーアに対するスンニ側の潜在的な対立を強めることになるのではないか。

 日本国内の「識者」は結局のところスンニ派の代弁ということが多いので、こうした事態でどのような議論が展開されるのか、気になるといえば気になる。
 キッシンジャーなどもまさに一月の時点で”Results, Not Timetables, Matter in Iraq”(参照)でこう言及していたが、これが基本構図になる。

An absolutist application of majority rule would make it difficult to achieve political legitimacy. The Kurdish minority and the Sunni portion of the country would be in permanent opposition.

 クルドとスンニが両立することはないというのが前提だ。それを調停するのは権力であり、警察力・軍事力でしかないというのも基本だ。
 日本での議論は、その基本からはずれた素っ頓狂な歌になるのか、あるいはこの話題は華麗にスルーなのか。もっとごりごりとした正論が出てくるといいのだが。

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2005.06.15

米国の話だが保障の薄い医療保険は無意味

 米国の話なので日本国内での報道はないんじゃないかとも思うが、今朝見たロイター系のニュース”A little insurance is like none”(参照)が心に引っかかった。標題が端的でわかりやすいので意訳すると「保障の少ない保険はかけてもかけなくても同じこと」という話だ。
 私事だが、このところ、保険はどうしましょうかと人の相談に乗ったりしていたので、その関連の資料をちらちらと見る機会があったのだが、なんとくなくだが、薄い保険って宗教的なお守り以上の意味はないんじゃないか、と思っていた。批難の意図はまるでないが、健康診断不要の保険というのは、いったいどういうバランスで成立しているのだろうかとも疑問に思った。
 ニュースを少し引用しよう。


A little health insurance is not much better than none at all, according to a study released Tuesday.

Officially, about 45 million people in the U.S. go without health insurance, but 16 million people pay for limited coverage that puts them in about the same boat financially and medically as those with no insurance at all, the study found.

These "underinsured" individuals are nearly as likely to be the target of medical bill collectors and to forego needed medical care, the study published in the journal Health Affairs found.


 米国では医療保険未加入が四千五百万人。とすると、五人に一人くらいは保険なしということか。そして、千六百万人が保障の少ない保険で、この部分は、今回の調査によれば、掛けていても掛けていなくても同じということだ。しかも、そういう薄い保障では、結局のところ、いざという場合の医療費はかなりの負担になる。
 この先、ニュースを読むと、その薄い保険というのは、収入の10%を当てている層らしいが、元の収入で違いがでそうなものだがそのあたりはよくわからない。しかし、ざっと収入の10%以上を医療保険にかけろという話でもあるのだろう。
 こうした話を聞くと日本というのは良い国だなと思うし、クリントン(当然ヒラリー)上院議員が大統領夫人だったころ必死に医療保険改革に取り組んで挫折したのも実に残念だったことのようにも思える。
 そういえば、米国の個人破産は高額な医療費によるというロイターの記事が二月にあった。"Half of Bankruptcy Due to Medical Bills -- U.S. Study"(参照)で読める。なお、なぜか米国民主党代理みたいな翻訳転載が多いブログ「暗いニュースリンク」に私的な翻訳がある(参照)。
 ここがポイント。

"Most of the medically bankrupt were average Americans who happened to get sick. Health insurance offered little protection."

 この記事は要するに、医療保険がないことが問題なのではなく、保障の薄い医療保険に意味がないことを示しているというものだ。
 日本の社会は米国化しており、「自己責任」とかいうおフダでこうした不運としか言えない疾病までも個人の問題に還元しつつある。しかし、根幹のところでは、まだまだ日本社会は大丈夫だとは言えるようにも思う。
 とすると、さしあたっては、保障の薄い保険にどれだけのメリットがあるのか、ある種の算定が可能なようにも思うのだが、そういう資料を見かけたことはない。私が知らないだけかもしれない。

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2005.06.14

中国の遺伝子組み換えコメ

 国内ではベタ扱いだったのが、中国の遺伝子組み換え(GMO:genetically-modified organisms)のコメについて気になる話がロイターで流れていた。”Illegal GMO rice spreads across China - Greenpeace”(参照)がそれだ。
 目新しい話でもない。当ブログでも一度扱おうとしてためらっていたことでもある。が、いろいろ複雑な問題があり控えた。この機に簡単に触れておきたい。
 邦文の記事は共同”違法組み換え米、なお流通 中国でと環境団体”(参照)で扱いは軽い。


国際環境保護団体のグリーンピースは13日、同団体が今年4月に中国での流通を指摘した違法な遺伝子組み換え米が、その後の調査の結果、湖北省や広東省で依然、流通していると発表した。

 グリーンピースと聞くだけでドン引きという向きもあるかもしれないが、それで苦笑して終わりともいかない。彼らの調査では、湖北省のコメにGMOコメが含まれており、当地の卸商によれば、「1日約60トンの湖北省産米を購入し、広州、中山、珠海など広東省内のレストランや工場に販売している」とのことで、本当なら洒落にならない量だ。しかも、このGMOコメは、武漢市の研究用組み換えのコメの種子が外部に流出したものらしい。
 中国的な発想だと何が問題だかわからなくなるかもしれない。少し古いが二月の新華社”GM rice promoted to boost supply”(参照)では、GMOコメに期待が膨らんでいた。

The Changsha Evening News quoted the head of the super hybrid rice scheme Yuan Longping as saying that GM rice would boost China's rice output by 30 billion kilograms a year. That's enough to feed 70 million more people.

According to supporters of GM rice, it will enable farmers to do away with the widespread use of dangerous pesticides, and result in better yields and higher quality grain that will spur farmers' incomes.


 現在中国が抱えている最大の問題は人民元なんかではなく農村部の貧困であり、GMOコメはこれへの対処の強力な要因と見なされている。短い報道ながら含蓄があり、要するにこれは病虫害への耐性を高めたGMOコメであることがわかる。
 このGMOコメの問題、特にその危険性については、四月一六日付けニューヨーク・タイムズ”China's Problem With 'Anti-Pest' Rice ”(参照)が詳しい。当然ながら、人間が食物とすることの危険性は確定していない。そもそも、まだ研究段階のものだからだ。問題は、それがずるっと流通しはじめている点にある。

Farmers and seed market officials here say the planting of biotech seeds is widespread in the region and has occurred for about two years. But they also say many farmers do not eat the rice they harvest. Some farmers think that anything that kills a field pest could also prove harmful to people.

But the farmer holding the fistful of rice in his home says he and his family eat all the anti-pest rice he produces.

"Why not?" he says with a broad smile. "I don't believe the government would poison its own people."


 ブラック・ジョークとしては最高と苦笑できないのは、ようするに農民にとってはすでに政府認可に見えているという実態だ。
 この問題について、日本国内でのリアクションは今回のベタ記事扱いでもわかるように、あまりないように見受けられるが、隣国韓国ではマジで考えると洒落にならない事態が進行しているのかもしれない。四月一八日付け朝鮮日報”中国で遺伝子組み換えコメの不法取引 国内も対策まとめが急務”(参照)では、先のニューヨーク・タイムズの記事を元に韓国内でのGMOコメの流通の可能性を指摘している。

 中国産コメは韓国のコメ市場の開放を受け、今年9月から本格的に国内に輸入され、スーパー等で市販される予定であり、遺伝子組み換えコメの流入を防止するための何らかの措置が必要だと指摘されていいる。
 これについて農林部は、「中国などから輸入されるコメに対しては、遺伝子組み換えかどうかを判別するために国際的なコメ検疫企業であるOMICに検査を依頼している」とし「韓国が輸入する中国産コメの主な生産地は東北3省であり、遺伝子組み換えコメは見た目からも区別できる」と述べた。

 この話にちょっとツッコミたい気がするがなんとなくブログ筆禍ゾーンの気配も感じるので控えておく。
 問題はGMOコメの管理もだが、もう一点気になるのは、このGMOコメがどうアジア経済に影響するかだ。あまり深く掘り下げる余裕もないので、簡単なメモに留めるのだが、三日付けロイター”INTERVIEW - Pressure on Prices as China Readies First GMO Rice ”(参照)では次のようにタイのコメ産業との関連を指摘していた。

As the leading exporter of rice, Thailand is bracing for a slump in global prices once China gives the go ahead to commercialise the world's first genetically modified rice.

 実際にGMOコメが新華社の夢のように実現したとき、中国農村部の貧困層がどう反応するのか。どんな絵柄が出てくるのかについては、ちょっとぞっとするものがあるかなという印象もある。

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2005.06.13

グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)

 グリーンスパンの難問(Greenspan's conundrum)。これも愉快なネタかな、というのもサンノゼ・マーキュリーを見たら”Home buyers enjoying `conundrum' -- while it lasts”(参照)とある。いや、すまん。意味合いが違う、とれいによって私が書くべき分野でもないところで洒落を書くのはよくないか。
 話は、上のサンノゼ・マーキュリーがけっこう面白いし、案外それがファイナル・アンサーかもねだが、ちょっと後回し。国内的には7日付けの日本経済新聞”FRB議長、米長期金利の低下に警戒感示す ”(参照)が簡素にまとめている。
 前提はいうまでもなく、昨年六月末から徐々に利上げを継続しているのに、いわゆる経済学の常識に反して、米長期金利が低下しているという難問(conundrum)だ。この表現はこの二月の議会証言で出てから注目されている。ちなみに、日本の報道ではなぜか「謎」と訳しているが、とするとmathematical conundrumは「数学の謎」かね。この事態をグリーンスパン彦左衛門は、前例がない事態として、警戒感を表明してる。
 この問題について、四つ仮説がその後、専門家から挙げられている。


  1. 経済の先行きに対する市場の不安
  2. 年金基金による債券運用の拡大
  3. 外国の中央銀行による米国債の大量購入
  4. 中国やインドの市場参加に伴うインフレ圧力の抑制


 ただ、いずれの仮説にも疑問が残り、国際化の進展で新たな現象が起きているかもしれないと強調した。議長は2月の議会証言で、長期金利の安定傾向を「謎」と表現して話題を呼んだ。過去数年間にわたるヘッジファンドの成長については「一時的に縮小する恐れがある」と語り、市場の波乱要因になりかねないとの懸念を表明した

 ライブドアニュース”増谷栄一の経済コラム:長期金利低下でもインフレ圧力増すか注視=米FRB議長”(参照)ではその反駁に焦点を当てていた。まとめてみる。

(1)経済の先行きに対する市場の不安
景気が上向いている国でも長期金利の低下を食い止めることは出来ていない。
(2)年金基金による債券運用の拡大
確かに英国やフランスでは50年国債を起債するなど長期債への投資需要が強いのは明らかだが、これだけでは完璧な説明をするには力不足である。
(3)外国の中央銀行による米国債の大量購入
外国の中央銀行による米国の長期債購入が長期金利の低下をもたらしているのは事実だが、米国債市場の大きさを考えると、それらの投資の増加は緩やかなものだ。また、最近のFRBの調査研究でも、外国の中銀による投資は、なぜ米国債以外の長期債の金利もかなり低下しているのかについて、うまく説明できない。
(4)中国やインドの市場参加に伴うインフレ圧力の抑制
過去10年間の経緯の説明にはなるが、ここ1年間で生じた長期金利の低下の説明にはならない。

 日本人的な感覚からすると、それらの複合的な要因でしょ、とか言いたくなる。
 フィナンシャルタイムズは”Still puzzled by the bond market”(参照)でこの問題を扱っていた。彼らの仮説は(1)に近いのだが、考えようによってはもうちょっと深刻な視点を掲げていた。八日付けなのでむしろこの視点をグリーンスパンが織り込んだのかもしれない。

In remarks earlier this week, the Fed chairman reiterated his view that it is very difficult to explain the fall in long-term yields since the Fed started raising interest rates a year ago. But he acknowledged that one "credible" theory is that the economy is in a worse shape than the Fed believes it is.


The bond market is probably signalling that there is a serious risk the current US soft patch will turn into a more serious slowdown, forcing the Fed to stop raising interest rates. Mr Greenspan thinks otherwise. So far the slowdown is mostly inventory-led and the drag from oil should ease.

 このあたりの文章のトーンに英国的なものも感じる。つまりコントローラブルな対象としての世界ではなく、ピュシスとでもいうべき世界が先行し、むしろその事態を聞くべきなのかもしれない。
 ちょっとネタっぽい話ではなくなるが、以下のフィナンシャルタイムズの結語は正しいのでないかと思う。

If Mr Greenspan is right, US corporate investment will recover, and the Fed will be able to continue raising rates. But global factors will limit Mr Greenspan's room for manoeuvre. As long as other countries set policies to achieve trade surpluses, obliging the US to maintain a giant current account deficit, the Fed will have to keep rates low enough to keep consumers spending or risk the US and the world falling into recession.

 つまり、"the US and the world falling into recession"ということだ。なんか金子勝にでもなったような気分だが。
 そんなわけで、今後も債券市場で低金利が続くと見れば、冒頭のサンノゼ・マーキュリーの記事のエンジョイ感につながるのだが…。
 というあたりでネタの文脈にシフトするが、同記事でグリーンスパンの意図をこう見ているのがちょっと面白い。

Seven months ago Mr Greenspan appeared confident he was right and the bond market was wrong. He warned that anyone not properly hedged against rising rates "must be desirous of losing money". In February he described bond prices as a "conundrum" adding that this might be a "short-term aberration". Now he seems a fraction less certain.

 もともと、グリーンスパンの意図としては、"conundrum"発言は、正しくヘッジしない臆病もんに彦左衛門の小言一時間ということでもあったのだろう。穿った見方だが、世界がもっとグリーンスパンとかとか級に賢くなればいいのだと。
 しかし、それがパラドックスの最大要因であるかもしれないというウルトラメタ議論がある。というか、オモスレー。これだ。日銀だよ。”米国の長期金利の「謎」を考える:金融政策との関連を中心に”(参照)。

(要旨)
 昨年半ば以降、米国を中心とする多くの国・地域で、それまでの金融緩和を徐々に修正する流れが続いているが、その中で米欧の長期金利は、歴史的な低水準で推移し、時期によってはむしろ低下していた。この現象については、米国連邦準備制度(以下FRB)のグリーンスパン議長が「謎(conundrum)」であると発言するなど、国際的に関心が高まった。
 本稿では、こうした長期金利の動きに影響を与えていると考えられる様々な要因のうち、とくに金融政策が何らかの影響を与えている可能性について、米国のケースを題材とした分析を紹介する。そこでは、近年、(1)FRB の金融政策運営に関する不確実性が低下しており、それが米国の長期金利を押し下げる方向で作用している可能性があること、また、(2)金融政策がより長期的なインフレ率や景気に関する期待形成に与える影響を強めており、その結果として長期金利の安定性を高めている可能性があることを指摘する。

 PDFのほうが過激なので引用する。

つまり、政策ショックに対する長期金利の感応度の低下は、市場が金融政策の効果を比較的大きく見積もっていること(金融政策の影響力の強まり)を意味していることになる。
 実際、近年の米国のデータをみると(図7)、長期金利のボラティリティは比較的落ち着いており、そのひとつの背景として金融政策の影響力の強まりという要因を指摘する論者もいる。

 あはは。
 経済学における「期待」というのは心理学的な期待ではないというのだけど、なんとく、やっぱし心理学なんじゃないのかなと思うのはネタにはまった証拠。

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2005.06.12

フィナンシャルタイムズもネタなのか

 これもネタかなぁ。ま、なんとなく気になる話でもあるので、気軽に書くのもブログっていうことで書いてみよう。話は、七日付フィナンシャルタイムズ”Now is not the time to tighten belts”(参照)。日本経済を話題にしているので読まれたかたも多いのではないか。標題からもわかるように、まだまだ日本経済は引き締め策に向かう時期ではない、ということ。
 そんなの常識でしょとも思うのだが、欧米は、そのあたりまた日本が愚策を取るのではないかとはらはらしているのかもしれない。だが、記事を読み進めていくと、しかし、あれ?という感じがした。そ、これってネタ? 昨日のエントリでBBCがネタ?とか思ったが、英国ってユーモアの伝統でネタが多いのか。
 話の背景は先日の「極東ブログ: 量的緩和政策は続行しますとも」(参照)と同じ。日本でも量的緩和政策は終了とか読む人も若干いたようだし、概ね観測気球かなくらいの受け止めかただったのだが、どうも海外ではそれほど洒落には見てないふうでもあり、そのあたりが今回のフィナンシャルタイムズの記事にもちょっと反映している。


The Bank of Japan last week allowed liquidity to fall below its target for the first time since it introduced its ultra-loose monetary policy four years ago. Although the BoJ denies any policy change, the move has been widely interpreted as a first step towards a return to controlling the economy by means of interest rates.

 大したことではないが、Althoughとか言う、この当たりの空気がちょっと違うのかなという印象は受ける。というのも、日本だと、なんとなく、まだまだ踊り場ダンスダンスダンスという雰囲気を醸したい人もいるみたいだが、フィナンシャルタイムズなどはあっさり、デフレでしょで終わっていると見ていることもあるのだろう。

Even more important, Japan is still in the grip of the deflation that has bedevilled it for the past eight years. The BoJ's loose monetary stance was designed explicitly to combat deflation. Until it is far clearer that the dragon has been slain, even to hint at a shift in policy is dangerously irresponsible.

 まとめると、日本ってひどいデフレのまんまじゃん、そんなときに変な金融政策しないでね、世界が迷惑するから…それわかる。その先、それほど財政の問題は急務でもないよと話もあるのが、それもいい。要するに税収減は不況のせいだよーんというのも小一時間のたぐい。
 あれれ?と思ったのは、ここだ。まず、日本経済の課題としていろいろ言われている雑音は雑音として、重要なのは継続的な成長だよ、と。成長する経済なら諸問題は従属的だ、とあって、The focus now should be on promoting...

Japan's biggest immediate challenge is not balancing the budget, still less regaining control over interest rates. It is creating sustainable growth. If the latter is achieved, the former will follow. The focus now should be on promoting that goal by intensifying structural reform. Only once it bears fruit should the priority shift to restoring fiscal and monetary orthodoxy.

 フィナンシャルタイムズは、日本政府に、経済問題の焦点を”intensifying structural reform(構造改革に重点を置け)”と言っているのだ。
 え、そうだったのか、フィナンシャルタイムズ。
 この先、若干筆禍の領域に突っ込むのだが、これまで極東ブログでは経済関連はフィナンシャルタイムズとOECD提言あたりを視座に見てきた。簡単な話、経済は私は言われるまでもなく素人なので普通の社会人的な関心しかもたない。ただ、欧米からどう見えるのかなというところでこの二点が妥当かなと思っていた。で、概ね、なるほど欧米というのは、いわゆるリフレ派と似ているのだなとは思った。ま、この話はそんな程度なのだが、なんとなくだが、フィナンシャルタイムズはいわゆるリフレ派の政策とは必ずしも一致せず、どうも陰翳のようなものを感じてはいた。
 今回はそのあたり、構造改革ですかぁ、みたいなものがフィナンシャルタイムズからひょっこし強く出てきたので、このあたりはちょっとどうなんだろうなと思った。
 ま、それだけの話なんですけどね。

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2005.06.11

ハイゼンベルクの新しい不確定性原理

 またネタですか的な話でもあるかもしれないのだが、先日のBBCのニュースがなんとなく気になっていて、これは日本ではどう報道されるのか、ブログとかではどうネタになるのかと思っていたが、私はあまりブログ界を熱心に眺めないせいもあり見かけなかった。ベタ記事で読み落としただけかもしれないし、このネタはグーグル様が嫌うのでみなさん避けたのかもしれない。いや、東京新聞三月二六日のベルリン・熊倉逸男名による、サブリード”独歴史家が新説”の外信ですでに話題になっているので、それで折り込み済みということでもあるのだろう。
 先日BBCのニュースはというと、東京新聞の該当記事とは少し趣が違う。話は今月一日付けのBBC”Drawing uncovered of 'Nazi nuke' ”(参照)である。BBC以外でも報道はあったので、外信を原語でなんとなく聞いている人なら、ふーんというくらいのリアクションはあったことだろう。ニュース的には、該当のBBCのページを見ればわかるように、ナチが書いた原爆の設計図(参照)が発見されたというものだ。発見したと吹いているのは、レイナー・カールシュ(Rainer Karlsch)という歴史学者。これがネタの本も出たことは日本でもベタ記事になった。今回のBBCニュースの元ネタは該当記事にあるように、"Physics World magazine"という雑誌。オリジナルの概要などはネットにあるだろうか、ちょっとめんどいので調べていない。
 今回の設計図の発見をどう受け止めるかというのが当然ネタとしての醍醐味である。結論を先に言えば、概ね、やっぱネタでしょ、マジレスはまずいでしょ、「広島原爆はナチス製だった」ですかぁ(同書はウラン説なので今回の話とは矛盾する)、という雰囲気でもある。私なども、作成日時すらわからない文書から歴史のIFを想像するほどタフでもない。
 それでも、BBCなどが報道するように、今回の「発見」に関連していろいろ考えることはある。やや滑稽なのは、この設計図を見るとわかるように、当初から隣の金さんみたいにロケットに組み入れることが前提になっていることだ。そのあたりは逆に当時を思うとSFチックでもある。
 問題は搭載性よりも搭載された当のシロモノだ。筒井康隆「アフリカの爆弾」といったものでもない。カールシュによれば、戦争終結前日には試験段階としては完成したということだ。それがマジなら歴史というものの色合いはだいぶ変わりはするだろう。
 BBCの記事を読んで私が関心をもったのは、ネタ的なそういう面白い話題ではなく、ハゼンベルク(Werner Heisenberg)への言及だった。そういえば、この問題を考えることを心のどこかで忌避していたことに気が付いたからだ。もしかして、ハゼンベルクと聞いてピント来ない世代もいるかもしれないので、Wikiの「ヴェルナー・ハイゼンベルク」(参照)をリンクしておくけど、日本語の解説は薄いものだなと思う。英語の解説はそれよりはましだが、やはり薄い印象はある。
 BBCの記事にもあるように、当時ドイツでこの研究の筆頭にあったのは、ハゼンベルクだが、現状の史学では、彼は核分裂の連鎖反応については当時十分に理解していなかったとされている。それは今回の「発見」でも見直しされるふうではないが、彼以外はどうだっただろうか。そのあたりを、BBCは"Heisenberg's uncertainty "と洒落で表現している。
 カールシュによれば、ハイゼンベルクとライバルにあったカート・ディーブナー(Kurt Diebner)はプルトニウム型の実験に成功すらしていたのだいうのだ。いずれハゼンベルクは無罪ということに変わりはない。そして、BBCの記事は、やはり、そこを締めで強調していた。そういうものなのだ。

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2005.06.10

新薬と世界のこと

 昨日の国家の適正サイズの話と少し関連するのだが、このところの医薬品業界まわりと国家の関係でぼんやり思っていたことをちょっと放談ふうだけどまとめたい。放談というのは本当はソースとかきちんと参照させつつ書くべきなんだけどそこを記憶に頼るよということ。間違っていることも多いかも。
 新薬の開発が非常に難しい時代になりつつある。その理由は、単純に言うと、安全性や効果調査を含めて開発費用があまりに莫大になるためだ。今後は巨大製薬会社しか生き残れないという様相でもある。こうしたこともあり、国際的には製薬会社の再編成がどんどん進み、少し遅れていたかに見えた日本国内でもそうした大きな潮流に呑まれつつある。
 新薬開発費用が増大になるということは、それだけの資本と市場が重要になるので、小さい国家に閉じては行なえない。するとどのレベルの国家のサイズが背景に必要となるか、とも思うのだが、すでにツッコミの声を聞きそうだが、医薬品業界と限らず大企業はすでに国家に閉じてはいないし、その資本も国家にまたがって存在する。一般論で言えば、ドイツなどは国内経済という面でみれば破綻かもの状態だがそこに根を持つ国際企業はいけいけの状態である。このあたりの、超国家(スーパー)企業と国家の関わりというのはよく言われていることではあるが、私などはすっきりと腑に落ちているものでもない。
 国内の医薬品産業をざっと見ると収益に占める市販薬(OTC)の比率がそう高いようにも思えないし、もともと日本は医療についてはそういうコングロマリットでもあるのだろう。いい悪いといことではなく実態の歴史として。国際的にはどうかというとちょっとよくわからない。きちんと調べとけでもあるが、それでも、海外先進国では意外なほど大衆薬の比率が高いように思える。
 こうした大衆薬の市場で最近までニュースの連発だったのはCOX-2選択的阻害というジャンルのもので、安全な鎮痛剤として、米国では発表時期がバイアグラと同じだったこともあり、それと同じくらい人気だったが、日本国内では規制もありしょぼく、大衆薬市場には影響を与えなかった。COX-2選択的阻害は大腸癌などの抑制にも関わっていると見られておりそうした研究が進められているなかで、副作用が発見された。副作用、つまり利用者にとってもナイマス要因がどれほど高いのかは、冷静にリスク判断してもよさそうなものだが、私の見た印象だが、製薬会社の情報隠蔽などと相まって米国などでは社会ヒステリー的な様相にもなった。別の言い方をすれば、ヒドロコドンなどの鎮痛剤の悪用とともに米国というのはそこまで鎮痛社会なのかとも思うし、日本ではそうした側面がただ隠蔽されているだけかもしれない。

cover
クスリ社会を生きる
エッセンシャル・ドラッグ
の時代
 大衆薬の話題としてはぼそっと現れては消えるというのを繰り返しているのがスタチン系の薬だ。これを英国では大衆薬化するかという話題はいろいろもめたが実施になる。米国ではまだそこまで進みそうでもないがどうだろうか。スタチン系の薬は日本では総コレステロール抑制の処方薬として、言い方は悪いがこれほど効く薬はなかったというくらいシャープなため、あっという間にン兆円の市場になった。これと昨今週刊朝日が頼みの綱としているコレステロールは高くてもいいのだネタと搦めて一部で騒いでいたが、あらかた国際的な常識に落ち着いたふうでもある。スタチン系の薬は他分野でもいろいろ重要な効果をもたらすようで、このあたりの身体代謝と人間の生存にはもう少し深い問題があるのかもしれない。が、極言すれば、スタチン系の薬はそれほど重要な薬とも私などには思えない。
 COX-2選択的阻害薬もそれほど人類に重要なのかというと、低容量アスピリンで足りるのではないかとも思える。ということだったが、昨日心臓発作抑制と血液凝固阻害のリスクバランスの点では低容量アスピリンにはそれほどメリットがないというニュースもあった。事態を総合的に見ればそうでもあるのだろうが、各事例と処方ではやはり有効なのではないか。そういえば米国では癌発生を促進するとして大騒ぎした女性のホルモン補充療法も結局は落ち着くところに落ち着きつつある。要はリスク・テークのバランスの問題でもあるし、やや不可解なのだが、日本人はある種の健康リスクから免れている不思議な国民のようでもある(特に乳癌の率が低い)。
 話が個々に移りそうなので大筋に戻すと、新薬開発は市場的には意味を持つだろうが、依然飢餓レベルの大量の人口を抱える現代世界にとってそれほど意味のあることなのか、そのあたりをどう考えていいのかよくわからない。WHOでは、基本的な医療に用いる基本薬をエッセンシャル・ドラッグとして三百種程度にまとめている。これにビタミンA投与の体勢があれば、世界の人々のかなり数が救済できる。
 反面、エイズなどは、おそらくエッセンシャル・ドラッグでは対応できないだろうし、まさに巨大製薬企業が作り出した新薬に希望を繋ぐことになる。その場合の、新薬の市場メリットであるライセンスがどうなるかということは、インドのコピー薬との関連もあって、けっこう国際的には話題になった。このあたりの話題は日本にはないとは言わないが、あまり見かけないし、通時的に追跡しているジャーナリズムも存在していないような印象も受ける。
 エイズは現状では国際的には恐ろしい広がりを見せているのだが、私は今でも覚えているのだが、大学生の時、Newsweek(当然英語版)の、金魚鉢を眺めている写真が表紙の号で、エイズという奇病があるよ、という、なんというかネタかぁみたいな話だった。四半世紀前か。それでも昨日のように思うのだが、奇病かと思っていたものが人類の危機にもなった。
cover
世界の
エッセンシャルドラッグ
必須医薬品
 気になるのは、エッセンシャル・ドラッグや栄養を充実させることで多数の人が救われるとして、少数の難病の人々を救済するにはやはり新薬が必要だろうし、そしてその手の新薬は大きな市場ではないと難病者の市場にならないという意味でグローバル化が必要になる。
 こんなことを言うと電波系のようだが、難病というのは将来の人類の問題を先駆しているかある種の本質に関わるのだろうとも思うので、やはりその研究は進めてもらいたい。それを世界全体のありかたのなかでどうバランスしていくのか。
 話のオチとしては、新薬開発はグルーバル市場の原理だけではうまくいかないだろうが、国家・国際市場の補助というわけでもなかろう。むずかしいものだが、それでも、先進国での大衆薬のあり方にはある種の抑制的な制御は必要かもしれないな、と思う。

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2005.06.09

国家の適正サイズ

 英語のニュースの標題をざっと見てたら、おっ、またネタがあるよ、と思えた話があったが、エキサイト・ビックリとかに明日出てくるかもしれないし、「あのなぁ二日続けてネタ書くからマジレス・マジトラバもらうんじゃん」とご示唆もいただいたので、少しマジな話に戻す、といって、ダルフール問題をマジにやるには鬱になるほど重過ぎる。そこでつまんない話でソースなしだが、このところぼんやり考えていることを書く。
 考えているのは、「国家の適正サイズ」ということだ。国家というものには適正なサイズというものがあるのではないか。各種の外交上の問題や国際問題はこの適正サイズの不都合から発生しているのではないか、とそんな感じが以前からしている。
 サイズといっても単純に領土の広さということではない。むしろ、その国の総人口が一番目安になるだろう。いったい国家というのはどの程度の人口が運営に最適なのだろうか。そういう問いは成り立つだろうか。

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台湾の命運
最も親日的な隣国
 「国家の適正サイズ」という発想は、私は歴史学者岡田英弘の「台湾の命運―最も親日的な隣国」で知った。この本は台湾を知る上では重要な本だがすでに現状とはズレが大きく、また表層的には岡田の予想は外れたかのようにも読める。特にこの本では、台湾というのは国家の適正サイズという条件で優れているので前途は明るい、というトーンで書かれている部分があるが実態はそうではない。それでも、国家の適正サイズにあるという指摘は正しいように私には思える。
 台湾の人口は二千二百万人。だいたい、二千万人と見ていいだろうか。統計上の領域には大きな違いがあるが、オーストラリアもその程度だ。
 これに一千万人ほど多いのがカナダで、三千万人弱。韓国が四千万人を越える。スペインが四千万人を割る。逆に、一千万人代くらいの国家というとギリシアがそうだ。スウェーデンが一千万人を割る。キューバが一千万人程度。チリが一千万人強。国民文化の色が濃い印象を受ける。
 二千万人の線で見ていくと、先の台湾、カナダの他に、マレーシアがある。オランダはやや欠ける。
 大雑把に五千万人クラスだとイギリス、フランス、イタリア、タイと軍事面や国際的なプレザンスが強くなる。
 こうして見ると国家の適正サイズというものがありそうにも思える。一つの国民文化なりが維持できるのが一千万人程度であり、二千万人程度で取り敢えず意義のある軍備がもてるようになる。国土や歴史の問題もあるのだろうが、二千万人から四千万人というのが近代民族国家の適正サイズだろう。
 そこを越えてくるあたりから、いわゆる対外的に国民国家的な主張が強くなり、米国やロシア、中国といったスーパー国家との対立も出てくる。韓国や統一朝鮮といったものの昨今のどたばた騒ぎも、そうした国家の適正サイズのある臨界の現象なのではないか。
 政治的な統合はできずとも、経済が優先される現代世界ではEUなども実質スーパーパワーになりうるし、おそらくその陰にある二千万以下の国家は事実上吸収されてしまう可能性もあるだろう。台湾は、岡田の指摘とは逆に、国家の適正サイズのもっともウィークな位置にあるかもしれない。
 日本はといえば、これから将来的には八千万人くらいに縮退するとしても、依然スーパー・パワーに近い国家なので、その意味では、いわゆる国家のお付き合い的な外交からは優位にズレる性質があり、それゆえ近隣のスーパー・パワーである中国や、軍志向の国民国家の朝鮮などは日本をできるだけ叩けるときに叩いておきたいところだろう。逆に言えば、日本は少し離れた同等のインドネシアなどと組み、また台湾、マレーシアレベルの国と連携して、中国や朝鮮を押さえ込むようにしていけばよいようにも思える。ただし、それでもスーパー・パワーの力学のほうが大きいから、中国のプレザンスに対しては日本も親米と親露の政策が重要になるだろう。
 スーパー・パワーとしての日本の内側という点では、国家の適正サイズを越えているため国民国家的な統合から外れる力学がもっと働いてよさそうなものだが、現状ではまだそれほどひどくはない。日本の都市部と地方は分離し、都市部は、他のスパー・パワーが内在しているスーパー都市(上海・北京など)と並ぶ形になっているが、そうしたかたちでもいまだ地方を分離しきってはいない。スーパー・パワーというものは、スーパー都市を機能とする超国家的な存在で、地方を効果的に従属させるものではあるのだろうが。
 もう一点、国家の適正サイズというとき、市民・社会(コミュニティ)・国家という三項がどう関連するかも気になる。ちょっと話がぞんざいになるが、国家の適正サイズを決定しているのは、内在的には、社会(コミュニティ)の限界でもあるのだろう。心理的には同国民が同胞に感じられるサイズがその限界だ。これには、現代のIT技術やメディアも関連してはいるだろうがいずれにせよ、社会(コミュニティ)がどれだけ内在的に意識されるかということになる。
 ところが国家の適正サイズを越えるあたりから軍事の色合いが濃くなるように、対外的な戦争なり暴力装置の様相が強くなる。レーニン流で言えば、国家とは暴力装置なのだろうが、現代世界では国家が内向きに暴力装置となるのは中国を含めた独裁国家の特徴であり、それ以外では、(シモーヌ・)ヴェイユ=吉本(隆明)の定理とでも言うべきか、軍の存在は相互に他国民を使って自国民を殺害可能にするためシステムとなる。愛国たれ=死ね、というシステムがこうした国家の臨界を決めている。
 ただし、そういう一方的なモデルでもない。国家の適正サイズは、おそらく市民を封殺する社会(コミュニティ)からその市民を国家が保護するという機能にも依存している。社会(コミュニティ)というのは公義(としての正義と法)を持ち得ないので、その調停として国家が必要になるし、おそらく福祉サービスもこの側面の国家の機能でもあるだろう。一見すると社会(コミュニティ)が福祉の原点であるかのように日本人は思いがちだが、公義の原則性を持ち得ない社会(コミュニティ)はその市民社会に内在する暴力性を制圧することはできない。
 杜撰な話に杜撰な話を重ねるのだが、現代は、国家の適正サイズを越えて国軍を含んだいわゆる民族国家とスーパー国家の経済、民族移動(労働者移動)という点で、まさに国家の適正サイズのバランスが崩れたために、さまざまな問題を引き起こしているように思う。

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2005.06.08

フロリダのハリケーンが残していったもの

 また、くだらない話。いや、考えようによっては重要な話。フロリダで時ならぬベイビー・ブームが起きている。短期で見ると出生率が倍増ということもあるというのだ。
 なにが起きたのか。時は十月十日(とつきとおか)前に遡る、というのは旧暦的な月齢換算。実際には280日くらい。米国ではナイン・マンス(九か月)と言われる。そ、そのベビーたちが受胎した時期だ。
 ハリケーンがフロリダを襲っていた。停電した。することがなくなった。いや。することは…あった(田口トモロヲ風)。FOX”Hurricanes Behind Florida Baby Boom”(参照)はあまりに端的に伝えている。


The couple says it, too, was stuck at home with no electricity and ended up getting pregnant.
【意訳】
「停電しちゃって家に籠もっていてさ、結局、妊娠しちゃったわけよ」とご夫妻は語る。

 あれだ、よくある話じゃないか。停電で妊娠が増えるというあれだ。切込隊長さんも政策として”日本政府は少子化対策のために早期の停電を実現するべきである”(参照)でこう提言していた

 なぜ政府は強い指導力を持って停電を実施しないのだろうか。
 ニューヨークを襲った大停電のときに出来たベイビーが山ほどいるという報道にずっと強い関心を持っていたのだが、同じく少子化に悩む台湾でも電力の安定していない地域の出生率が高いというデータを今日聞いて表題の通りの思いを強くしたのである。
 つまり、少子化の決定的な要因とは、性行為をして子どもを儲ける幸せも相対化されて、ほかの娯楽と比べて「つまんない投資先」となっているからだ。我々の周りには多種多様な娯楽があり、しかも刺激的であろうとし、先鋭化の一途を辿るが、性行為、妊娠というイベンツは鎌倉時代の夜這いのころからたいして進化していない。

 それはさておき。というか、ネタはそれだけということなのだが、ネットを見ていると、Newsday.comが一番この小ネタをひっぱっていた。”9 months after storms ...”(参照)がそれ。よく取材もしているじゃんか。

"My husband and I even said afterwards, 'Wouldn't that be funny if we got pregnant during the hurricane?'" Mills-Benat said. "It's probably going to turn out to be a wild child."
【意訳】
若妻ミルズ・ビナットは言う。「それからダンナと話したのよ、なんかバカみたいじゃない、ハリケーンの最中に妊娠するなんて。それに、生まれてくる子供はきっと暴れん坊になるわ」

 大丈夫大丈夫、「渦状言論: 娘が産まれました」おめでとうございますです的世界である。というわけで、このあたり(参照)でフロリダのお写真など観賞するもよし。
 そういえば日本で一番出生率の高い沖縄も台風の影響はあるのだろうか。現地で八年くらしてみた私がよくわからない。東京に戻ってみてわかることはある。沖縄の台風っていうのは通過速度が非常に遅くて、何日間も沖縄本島上に居座っていることがある。台風の目に本島全部がすぽっと収まって数時間なんていうときは、みんなそろってサンエーに繰り出してしまうというくらいなものだ。
 この数年本土ではかなり台風被害が出たがより強い台風慣れしている沖縄では比較的被害は少ない。のだが、それでも台風が近くなるとフリーターならぬフラーターがドライブをするので困る。
 そういえば、台風の翌日の朝、どういういきさつだったかただの物見遊山だったか、那覇空港を見に行ったことがある。飛行機に乗れない若者がところ狭しと雑魚寝しているのだが、あれだな、ちょっとついたてとかあれとかこれとか気をきかせて用意してやると濃い出会いの場になったかもしれない。
 最近では、こうした際には臨時の民宿もできるそうだから、ヒージャーを出す宿でも広めてはどうだろうと、沖縄専門用語が多くなったので引っ張った小ネタは終わり。

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2005.06.07

ダイエットの最新の話題

 極東ブログがお届けする最新ダイエットの話題(言うまでもなく洒落)。
 まず、英国で流行のデトックス・ダイエット(Detox diet)の効果から。と、この手のダイエットっていうのは日本でのリネーミングがポイント。だけど、ローカーボ・ダイエットが「低インシュリンダエット」なんて名前でヒットするなんて予想できなかったので、どうリネーミングしたらいいのかわからない。ゾーン・ダイエットもリネーミングで転けているみたいだし、デトックス・ダイエットもなんて訳しますかね。「体内解毒ダイエット」…だめそ。
 デトックス・ダイエットは、英語のDetoxですぐにわかるように、detoxification(解毒)ということ。なんだかなの理屈は、人間の食べ物には毒物が多いのでそれを解毒すると痩せる、というのだ。化学的に考えると毒物の中和とか考えがちだけど、それはもうもうこの分野は化学なんかじゃないわけで、毒物を排出とかわけのわかんない理屈。
 身体内の毒物って言うのだから、ダイオキシン問題で高熱処理施設がばんばん大気に放出している重金属をなんとかするにはキーレーション(chelation)が重要になるのではないかと推論したアナタ、化学知識が邪魔してますよ。そんなんじゃダイエットは理解できません。環境問題だって理解できないかも。
 日本国内でデトックス・ダイエットがすでに流行っているかな、とちょっくらネットを覗いてみると、あまりない。というか、そうかそうきたかの専用サプリメントみたいなのが売っているのだが、そんなのありかよはスルーさせていただいて、英国流はというと、Eikokutabi.comというサイトのDetox dietのあたり(参照)が簡素にまとめている。


このダイエット方式は、昔からある健康療法である「detoxification(解毒)」という考えから来ている。もともとは体内に蓄積された様々な毒素を排除して身体の調子を整えるために食事療法を行なうというものだが、イギリスの芸能人であるキャロル・ボードマンが、この方式で見事に体重を減少、洋服のサイズを2つもダウンさせて本を出版したことから、近年体重減少のためのダイエット方式としての注目を浴びるようになった。

 同ページにはやりかたも簡単に書いてあるわけだが、情報が足りないので勝手に実践なんかしないように。
 このデトックス・ダイエットなのだが、六日付けのロイター”Benefits of 'detox' diets doubted”(参照)で標題からもわかるように、効果ねーんでねーの?という疑問が医学的に出てきた。ネタにマジレス、といった趣向でもあるが。

An array of short-term "detox" diets promise to flush toxins from the body, but some critics say these regimens are more likely to only purge people's wallets.
【意訳】
昨今、短期のデトックス・ダイエットは身体から有毒物質を排出するとうたっているが、こうした製品はお財布の中身を排出する以上の効果はないらしいとも批判されている。

 うまいね、座布団二枚の書き出しである。
 ソースは? なのだが、ロイターの記事は識者のコメントでお茶を濁している。

There is "absolutely no evidence" that detox diets eliminate toxins from the body, Dr. Peter Pressman of Cedars-Sinai Medical Center in Los Angeles told Reuters Health.

 お偉い先生が、まったく実証性がないと太鼓判を押しているだけ。でも偉そうだから話を聞いておくのもよいかも。

According to Pressman, a short-term detox is unlikely to harm a young, healthy person, and may indeed leave them feeling better. But, he said, good health ultimately boils down to the often-repeated advice to exercise regularly and eat a balanced diet rich in fruits, vegetables, whole grains and low-fat dairy.

 短期間のデトックス・ダイエットで気分がよくなるかもしれないし、若い人健康なら問題ないかもしれないが、できたら、運動して野菜や果物を摂り、パンは全粒粉にして、脂を減らすように、と小一時間。
 私も小言を付け加えておこう。よく代謝をよくするために大量のミネラルウォーターを飲めという人がいるが、これについては先月ニューヨーク・タイムズに掲載された”Don't drink too much water, doctors warn athletes”という記事が示唆的。ちなみに現在はHerald Tribuneで読める(参照)。こちらのソースはNEJなんで医学的。

NEW YORK After years of telling athletes to drink as much liquid as possible to avoid dehydration, some doctors are now saying that drinking too much during intense exercise poses a far greater health risk, according to a report published Thursday in The New England Journal of Medicine.

 スポーツする人は大量の水を飲めと言われているが、あまり飲み過ぎると身体によくないという話。ま、スポーツ指導の人は読んでおくといいと思う。
 次行ってみよう。
 日本ではなぜか低インシュリンダエットとかされているローカーボ、低GIダイエットだが、これって、低脂肪ダイエットより効果的というニュースが同じく六日のロイターで流れた。”Low-glycemic may be better than low-fat diet”(参照)。

Foods with a low-glycemic index, which are digested relatively slowly and cause smaller increases in blood sugar, may protect the heart and blood vessels better than low-fat fare, according to the findings of a small study.

 ネタバレしておくと、ダイエットといっても、痩せるというのではなくて、糖尿病や心臓病の改善によい食事療法といったところか。ただ、急速なインシュリン放出は身体に脂肪を溜め込むことにもなるので、低GIは痩せるという意味でのダイエットにも多少はなる。
 余談だが、私は低GI食になるように心がけてますよと、某所で某専門のかたに話したことがあるが、せせら笑われた。GIなんて非科学ですよとぬかされた。だめだな日本の専門家とか思ったが言わない言わない。
 ちなみに、低GIだが、つい表に合わせてあれがこう、これがあーだとか言われるが、こんなもの酢の物を一品足せば、全体で下がるのである。そんだけのこととも言える。
 次行ってみよう。
 米国などでは牛乳を飲んで痩せようとかいうのがあるらしい。その理屈はカルシウムの効果的な摂取とからしい。よく知らないのだが、そんなわけでその反対の話題がニュースになる。六日のワシントンポスト”Study: More Milk Means More Weight Gain”(参照)が面白い。

"There's been a lot of talk recently that somehow calcium in dairy products improves your ability to lose weight. There's certainly no evidence of that in this study," said F. Xavier Pi-Sunyer, a Columbia University obesity researcher.

 ちなみに、ローファット(スキムミルク、脱脂粉乳)ならいいかというとそうでもないようだ。医学的には同ソースだろうと思うが、六日のロイター”Milk may make for heavier kids, study finds”(参照)では明快に伝えている。

Children are urged to drink plenty of milk but a study published on Monday suggests that the more milk that kids drink, the fatter they grow -- and skim milk is a worse culprit than whole milk.

 ついでに、ローファットミルクは女の子にはニキビの元という話は、”Skim milk linked to acne among teen girls”(参照)にあるが、ま、ローファット・ミルクだから健康にいいというものでもなさげ。ついでに、「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」の”アメリカの女子高生に巨乳が多いのは病気か?”(参照)は言うまでもなくネタなんでマジレスとか泣ける(日本の規制はきびしいし)。もっとも牛乳はIGF-Iが高いので背が伸びるというのはそうガセでもない(参照)。
 次行ってみよう…って疲れた? なんだかダイエットとかの話っていかがわしいのか医学的にわけわかんないのかどっちか…。いえいえ、笑えちゃえばいい。
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ゲバゲバ90分!
ミュージックファイル
 笑うことがダイエットになる。AP系”A Good Laugh May Help Shed Extra Weight”(参照)によると、けっこうマジだ。効果的に痩せるには、一日十五分笑う必要がありそうだが、それって、ギャグの拷問か。ネタ一発で二十秒笑えるとしても、ネタが四十五発必要。ゲバゲバ90分とかの時代、日本人が痩せていたのは、たぶん、でも、そういう理由じゃないでしょけど。

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2005.06.06

ダルフール危機報道について最近のメモ

 ダルフール危機についてこのブログで過去にもなんどか扱ってきた。が、昨今の状況についてはなんとなく語りづらくなった。マスメディアが語らないことを語るのがブログの務めとか以前は思っていたが、最近はしょせんヘタレの私などそうした慣習に従ってもいいのじゃないかという気分にもなる。なので、最初に断っておくが、以下、誰かを非難するがために書くという意図はまるでない。真相や実態がよくわからないからだ。簡単にメモ書き程度に留めたい。
 まず、気になのはダルフール危機の被害の全貌だ。日本人ではユニセフ大使としてタレントのアグネスチャン、また民主党岡田党首が現地を視察しているようだが、詳細な報告を私は見ていない。この問題に関心を持つ人には見えないところで発表されているのかもしれない。
 被害全貌で重要になるのは、端的に言えば、死者の数だ。これがわからない。私だけがわからないのかとも思ったが、四月二三日のワシントンポストでもこのこと自体を問題視していた。”Darfur's Real Death Toll”(参照)を引用する。


THE BUSH administration's challenge on Darfur is to persuade the world to wake up to the severity of the crisis. On his recent visit to Sudan, Deputy Secretary of State Robert B. Zoellick took a step in the opposite direction. He said that the State Department's estimate of deaths in Darfur was 60,000 to 160,000, a range that dramatically understates the true scale of the killing. If Mr. Zoellick wants to galvanize action on Darfur, he must take a fresh look at the numbers.

 ゼーリック国務副長官が現地視察に行ったのなら死者数の全容を明確にせよとワシントンポストは言うのだ。厳しいな、米国のジャーナリズムっていうのは、と少し思う。
 推定ではどのくらいかというと、Coalition for International Justiceの主張のように40万人を越えたと言ってもよさそうだ。大げさかもしれないが涙も枯れ果てた目には妥当な数字のようにも思える。二度とこの地上に虐殺が行われてはならないと誓う人は多いが無意味に近い現実がある。

Other authorities suggest that mortality is likely to be closer to 400,000 -- more than twice Mr. Zoellick's high number. The component of this estimate involving deaths by violence is based on a survey by the Coalition for International Justice, a nongovernmental organization operating under contract with the U.S. Agency for International Development, which asked 1,136 refugees on the Chad-Darfur border whether family members had died violently or gone missing.

 ところで死者数が問題にされない理由はなんなのか。ワシントンポストのこの記事の焦点はそこにある。引用が長いが重要なのでさらに引用する。

Mr. Zoellick deserves credit for visiting Sudan and declaring that "what has gone on in Darfur has to stop." He may feel that the precise mortality numbers don't matter. But his international partners will continue to drag their feet unless they are forced to confront the full horror of the killings. If they are allowed to believe that the death toll is one-third of its real level, the Russians and Chinese will pursue their commercial interests in arming Sudan's government and extracting its oil; Europe will make inadequate humanitarian gestures; the Arab world will ignore the murderous policy of a fellow Muslim government; and the African Union, which has a peace-monitoring force in Darfur, will not step up its intervention enough to stop the killing. Mr. Zoellick needs to shake everyone awake. Next time he should cite better numbers.

 ここのところだけは意訳しておくべきかと思うが、そこはへたれてやめておく。暗いニュースがお好きな翻訳ブログも本当に暗いニュースはパスっているじゃないか。
 とはいえ雑駁に言えば、ダルフール危機の実態が語られないのは、上記引用中の各利権の存在があるからだとは言えるだろう。
 そしてそれらが、端的に言えば、巧妙に情報操作をしているのだろう。いえいえ、私が言うのじゃない。またまたワシントンポストだ。
 こういう情報操作者を現代英語ではスピンドクターと言うのだが、彼らは実にグッジョブをしている、と同じくワシントンポストは六月三日の”Darfur's Real Problem”(参照)でこう切り出す。

SUDAN MAY be extremely poor, but its spin doctors are sophisticated. The suffering in Darfur is terrible, they say, but don't blame the government. The violence is a function of generalized anarchy, which is a function of underdevelopment, which is a function of the West's failure to help: To chastise Sudan's impoverished rulers is therefore hypocritical. Rather than urging punitive sanctions, outsiders such as The Post should urge engagement and assistance.

 スーダン情勢は悲惨だがスピンドクターたちは実に優秀なものだと言う。そりゃそうだろう。おかげで、スーダン政府を非難するな、ということになっているのだ。政府なんてどこもでも悪いものさとかとかいろいろ理屈を付けてみせる。たいしたものだ、とワシントンポストは言う。
 続けて、スーダン政府が「国境なき医師団」を引っ捕まえた事態はどう都合よく説明されるのかと問う。

So how do the spin doctors explain this week's news? On Monday Sudan's government showed its real feelings about Western help by bringing charges against the Sudan director of Doctors Without Borders, an intrepid medical charity that runs clinics in Darfur. The next day it detained the charity's Darfur coordinator. Over the past six months, the government has arrested or threatened more than 20 foreign aid workers in Darfur -- not exactly evidence of an appetite for Western engagement.

 ここからワシントンポストは明確に疑問に転じる。

The idea that Darfur's crisis is not really the government's fault has never fit the facts. In response to a rebellion by two local armed groups, Sudan's government attacked civilians with helicopter gunships and armed a local militia to raze villages. Then, far from soliciting international help to deal with the humani-

tarian fallout, Sudan's government actually blocked aid groups' access to Darfur. Its policy toward displaced people was to deprive them of food, sanitation and protection: in other words, to kill them. Recently, government troops and their militia allies have engaged in a systematic policy of raping civilians. Doctors Without Borders has been targeted this week because it documented these offenses.


 引用中、後半に、"Recently, government troops and their militia allies have engaged in a systematic policy of raping civilians."とあるが、ここくらいは訳しておくべきだろう、曰く「最近、スーダン政府軍とその配下の民兵は、一貫性のある施策として、民間人へのレイプに関わってきた」。
 まさかと言うだろうか。それでは、六月五日のニューヨーク・タイムズ”A Policy of Rape”(参照)も参考までに引用しておこう。

All countries have rapes, of course. But here in the refugee shantytowns of Darfur, the horrific stories that young women whisper are not of random criminality but of a systematic campaign of rape to terrorize civilians and drive them from "Arab lands" - a policy of rape.

 この先に悲惨な物語がある。日本の女性団体がこれに言及したことがあるのか私は知らない。
 真偽のほどは?
 ワシントンポストやニューヨーク・タイムズの記事だからって本当だとは限らないじゃないか、お前こそデマとばしてんじゃないのか、お前が現地で見てきたのかよ……と私も批難されるのだろうか。
 そういうことかもしれない。
 物事はもっとポジティブに明るい側面を見た方がいい。たとえば、日本の民間人が関わるこんな話がある。毎日新聞六月五日”スーダン油田:日本の非政府系“小社”が採掘権を獲得”(参照)より。

 非政府組織(NGO)を母体とする東京都内の福祉機器販売会社が東アフリカ・スーダンの油田の石油・天然ガス採掘権を獲得した。19日に正式契約する。日本が海外の石油採掘権を得るのは、00年にアラビア石油がサウジアラビア・カフジ油田での採掘権を失って以来。政府系や専門会社以外の企業による油田開発は極めて珍しく、スーダンで活動を続けてきたNGOの実績が評価されたとみられる。

 画期的なことらしい。

 スーダンの資源利用を思いついたのはメンバーで、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)日本委員会委員の宮嶋ノカさん(60)。NGOの活動資金を確保するため、スーダンの豊かな資源を活用できないかと考え、2年前から、出資者集めと同国側との地道な交渉を続け、今月2日、合意に達した。宮嶋さんは「コツコツとやってきた活動が成果を生んだ。僕らのような小さな組織に任せてくれるなんて信じられない。スーダン政府に感謝したい」と話してる。

 感謝されたスーダン政府も心強いだろうなと思う。
 それ以上に何か言える?

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2005.06.05

英国がアフリカの医療従事者を吸収する

 少し気になったニュース。直接的には日本には関係ないのだが、先日、英国の医療にアフリカ系従事者が増えることで、元の本国の医療が危機に瀕しているというニュースを見かけた。メディア的には、ガーナと英国の関連について扱ったインデペンデント”Medical staff quit for the West, leaving Africa's health service in crisis”(参照同参照)が話題になっていたようだ。


A critical shortage of medical staff who have been lured away to work in hospitals in Britain and the US is crippling Ghana's health service. The rich countries of the West are systematically stripping the developing world of their doctors and nurses in one of the worst acts of global exploitation in modern times.
【意訳】
英国や米国の病院で働きたいと願うことで生じた医療従事者の危機的な不足によりガーナでは医療サービスが壊滅しつつある。裕福な西側諸国は恒常的に途上国の医師や看護婦を引き抜いているが、これらは現代のグローバル化がもたらした最悪の事態である。

 物品の貿易なら比較優位とかで普通の話になるのかもしれないが、医療従事者というのは国家が税を注いで育成補助している側面が大きいので、そうした部分の結果的な搾取にも見える。この問題は次回のG8でもテーマになるらしい。
 同種のより一般的な国際ニュースとしては南アフリカ発ロイター”SOUTH AFRICA: Remedying the medical brain drain”(参照)がある。

JOHANNESBURG, 27 May (IRIN) - The migration of doctors and nurses from Africa has taken a heavy toll of the continent's desperately overstretched health sector, according to a new study published in the British medical journal, 'The Lancet'.

 ここからわかるように話の重要な出所の一つはランセットである。詳細は、同誌 28 May 2005 Vol 365, Issue 9474(参照)にある。参考までに。

Eastwood JB et al. Loss of health professionals from sub-Saharan Africa: the pivotal role of the UK. The Lancet 365: 1893-1900, 2005.

 問題の一般的な背景だが、先進国と途上国の経済差もだが、多少変な言い方だが、英語が通じてしまうということと、英語で専門技術が習得できるということも背景にはあるのだろう。
 Newsweek日本版(2005-6・8)”ロンドン 世界最強のボーダレス都市 移民パワーを起爆剤にしてヨーロッパで唯一人口が増え続ける首都”などでは、多民族流入がもたらすロンドンの活気の、どちらかというと明るい側面に焦点を当てていたが、このような医療の問題についてはふれていなかった。
 と、そこまでは、ニュースを眺めての話なのだが、先日ラジオ深夜便でこの話題について英国からの話を聞いた。主観的な印象とのことだが、病院に行くと医療従事者のほとんどが外国人に見えるそうだ。
 その大半はアフリカ人やカリブ海の島国らしいので、見てわかるというのはまさに一目でわかるという意味なのだろう。

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2005.06.04

韓国とその外の世界の認識ギャップ

 昨日の朝、ぼんやりとラジオを聞いていると、現在ソウルで経済関連の学会に出席している評論家田中直毅が韓国経済の話をしていた。聞いてみると、面白いというのと違うかもしれないがそれなりに面白かった。オチはこうだ。韓国としては、米国が北朝鮮に軍事的な圧力をかけると、韓国の情勢が不安定に思われ、投資に支障を来すから困る、というのだ。なんだそれ?
 田中の話は、韓国経済はスランプの状態にある、というところから始まった。スランプになった理由の一つは、輸出主導型の経済なのに輸出の伸びが悪いということだ。特に、エレクトロニクス関連がよくない。
 もう一つの理由は、家計の消費の調整が始まったということだ。単純に言えば、れいのクレジットカードの問題が強く足をひっぱりだしているらしい。五月発表の消費者物価指数では四月はマイナスとなった。
 この話は昨年極東ブログ「韓国のクレジットカード破綻と日本の内需」(参照)でもふれたことなので、私としては納得しやすい。
 幸い、このクレジットと家計の逼迫の問題は先にもふれたように、昨年は、輸出が好調なのでそれほどクローズアップはされなかった。
 田中の話に戻る。こうしたスランプ状態にあって、韓国のエコノミストたちは、家計の冷え込みを補うために韓国政府が、金利を下げる、税を下げる、政府支出を増やすなど、景気刺激策をとらなくてはならないだろう、と見ているようだ。
 それでも韓国の今年の経済成長率(3.5%)は日本(2%)よりも高いのでそれほど重要な問題なのか、私にはよくわからない。より前向きな見方としては、日韓経済協会”調査部の視点:『最近の韓国経済の視点(2005年4月)”(参照)が参考にはなる。
 さて、田中の話はこの先でオチに向かう。中央日報が行なった韓国に投資している海外会社169社にアンケートが紹介された。それによると、もし北朝鮮への経済制裁が実施されると投資に影響があるかとする問いに、63%が投資はできないし引き上げも検討するとのこと。さらに、北朝鮮に対して軍事行動があればどうかとする問いでは、これが73%に上る。
 韓国としては、米国が北朝鮮に強行に出ることの経済のリスクが高く避けたいとみているようだ。
 このあたりで私は苦笑してしまう。それじゃ、北朝鮮が核開発をさらに進めるままでいいのかと思うのだが…、つまりこのあたりに、韓国と日米間に大きな認識ギャップがありそうだ。
 田中の話から離れる。韓国がどう考えても、米国は米国でさっさと話を進めている現状がある。すでに米空軍のF-117ステルス戦闘機の一部が韓国に配備された(参照)。
 この件で日本はどうすることもできない。朝鮮日報”「信頼できない韓国」を直視せよ”(参照)によると、先日、日本外務省の谷内正太郎事務次官が、韓国で「北朝鮮の核問題に関連し、米国と日本が情報を共有しているが、米国が韓国を信頼しないため、日本が得られる北朝鮮の核関連情報を韓国と共有することに躊躇している」と発言したが、この口の軽さにもあきれるが、お小姓たる日本の本音だろう。
 しかし同紙社説は、そうした日本の軽口が問題ではないと、きちんと問題の核心を見ている。


 とはいえ、北朝鮮の核問題が差し迫った時点で、韓国が核関連情報を依存するほかない国によって「韓国は信頼できない」、「韓国に情報を提供できない」といわれる状況に対しては、政府が緊急の処方箋でも設けなければならない。
 北朝鮮の核問題を解決するなら、否応無しに米日との協力は不可欠だ。そのためには、米日との協力体制が現在どういう状況に置かれているかをありのまま直視する姿勢が必要だ。

 残念ながら、現実の韓国はそう進む気配はなさそうだ。
 昨今、日韓で珍妙な小競り合いが続く。こうした認識ギャップの向う側で韓国が日本や米国がどう見えているのかは、なかなか日本側には共感はできない。その分、さらに小競り合いが続くのだろう。が、どこかで引き返せない事態にならないよう、できるだけのことは日本もしなくてはならないようにも思えてきた。

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2005.06.03

北朝鮮での行方不明米兵(MIA)捜索停止

 先月三〇日は米国戦没将兵記念日(メモリアルデー)だったが、その五日前の二五日、米国防総省は、北朝鮮で行われてきた行方不明米兵(MIA: Missing In Action)の捜索活動を一時的に停止したと発表した。
 MIAは、戦争任務遂行中に行方不明になった兵のことで、朝鮮戦争(1950-53)で米兵8177人(他の参戦国兵18人)と時代を感じさせる。ちなみに、ベトナム戦争(1960-75)のMIAは2267人である。
 1996年から開始された北朝鮮でのMIA捜索活動も今年で十年目となる。カーターの置き土産と言っていいかもしれないが、正式には、1994年10月のジュネーブにおける米朝合意に基づくもの。
 行方不明とはいっても事実上戦死者を意味する。これまでの事業では、約220柱の遺骨を収集し、内約30柱の身元が確認されている。
 今回の米国防総省側のMIA捜索停止の理由は、北朝鮮が作り出した不確実な環境によって現地の米国人の安全が確保できなくなったとのことで、場合によってはこれらの米人が人質にされかねないということでもあるらしい。
 私が最初この報道を聞いたときの印象は、あまり成果が上がらないという見通しがあったかなというものだったが、この四月の時点では今年も従来通り継続されるはずだったこともあり、この印象は違うのだろう。
 ニュースなどでは、この件について、北朝鮮への外交的な圧力の一環として説明されることが多い。とりあえずはそういうことだろうし、これを受けて北朝鮮も反発している。中央日報”北「北朝鮮の米兵遺骨捜索団を解体」”(参照)によれば、北朝鮮軍板門店代表部スポークスマンは今月二日、「朝鮮人民軍は、米兵遺骨共同捜索作業のため組織された人民軍側の調査・捜索団を解体する」との談話を出しているとのこと。
 考えてみれば、この十年間、MIA捜索は北朝鮮にとってもおいしいビジネスではあったのだろう。過去の報道をさっと眺めてみると、米国は、作業員や施設提供といった名目で、この十年間に約二二億円の現金を北朝鮮に支払っている。これだけのキャッシュが動くなら、北朝鮮も国内組織が十分にあったことだろう、と、こうした文脈で、ふと思ったのだが、けっこう北朝鮮という国は遺骨の扱いが上手なのかもしれない。
 米国側も単なるMIA探索だけとも思えない。昨今の状況では、北朝鮮の核施設が集中する寧辺など内陸部へ直に立ち入る貴重な機会提供にもなっていた。なるほど、人質懸念というのもありなのかもしれない。
 関連していろいろ思うこともあるが、うまくまとまらない。また機会に考察を深めたい。

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2005.06.02

住基ネットを巡る二つの裁判判決

 昨日の大手新聞各紙の主要なテーマは、住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)からの離脱の権利を巡る、二つの異なる方向と見られる裁判結果についてだった。ひどく簡単に言えば、先月30日の金沢地裁では住基ネットの危険性を認め離脱の権利を示唆したの対して、31日の名古屋地裁ではその情報はプライバシーと言えるものではないとして原告の請求を棄却した。
 私はこの件について、昨日は、各紙社説を読み比べながら、どうでもいいやという思いと、なぜそんなにこのシステムにこだわる一群の人がいるのだろうかと、むしろ、そちらのほうを訝しく思った。さらに、社説によっては、住基ネットの保全性など関係ない話がごちゃごちゃと混じっているのも奇妙に思えた。
 今日になって、ぼんやりと少し再考してみたがそれほど考えはまとまらない。ただ、なにか心にひっかかる感じがするので、そのあたりをとりあえず書いてみたい。
 まず、情報システムとしての住基ネットの問題点については当面触れないことにする。それは当面の話題ではないからだし、技術の問題は技術で解決できるのが基本だからだ。次に、住基ネットが実現されればそれはとても有用だからという視点も捨象したい。有用性は国家のサービスの本質的な問題ではない。三点目に、住基ネットが住民の重要なプライバシーを扱っているかという点で言えば、そうではない。名古屋地裁判決のように、個別に扱われているのは、氏名、住所、生年月日、性別だけなので、これは例えば公共サービスを享受する際のプライバシーと言えるほどのものではない。
 ここまでで話をストップすれば、当然、名古屋地裁判決が妥当ということになるだろう。大手新聞紙の社説で言えば、ここまでの線が産経新聞社説”住基ネット訴訟 より合理的な名古屋判決”(参照)と、これにかなり近い線が読売新聞社説”[住基ネット]「離脱を認めるほどの危険はない」”(参照)だ。なお、毎日新聞社説”住基ネット裁判 なぜこうなってしまったのか”(参照)は論点も外れているし、技術的な側面でも頓珍漢なので読む価値はない。
 朝日新聞社説”住基ネット やはり個人の選択に”(参照)はその点、ここから一歩先の問題に踏み込んでいる。つまり、金沢地裁判決をよく読み取っている。


 住基ネットを使えば、全国の市区町村の窓口で簡単に「本人確認」をすることができて、どこでも住民票の写しを取れる。そうした便利さを認めたうえで、二つの裁判所の判断が分かれたのは、住基ネットで扱う氏名、住所、生年月日、性別の四つの情報と11けたの住民票コードをどう見るかだった。
 金沢地裁は住民票コードに着目し、その危うさを指摘した。行政機関には税金や年金、健康保険など様々な個人情報が集められている。住民票コードをマスターキーにして、別々に保管されている情報を結びつけると、「個人が行政機関の前で丸裸にされるような状態になる」と述べた。

 この問題を私から補足するとこうなるだろう。

(1)住民票コードが、IT用語、グローバル一意識別子(GUID:Global Unique Identifier)のように国民についての一意の識別子になる。
(2)これが各種のプライベート情報のマスターキーにされうる。
(3)国民に一意でかつマスタキーとなった識別子が国家によって保証される。

 金沢地裁が問題視したのは、(2)のマスターキーとしてのありかたそのものだろう。
 しかし、ある種のデータベースを作成するなら、そのようなマスタキーは必要になるし、特に設定しなくても、いくつかのカラム(列)の項目を連結してリレーションをかければ、事実上の、データベースに限定された、かなり一意に近いリレーションは可能だろう。少し、意図的に余談をするのだが、インターネットの世界ではすでにクッキーを使ってそのような巨大なデータベースが作られつつあるはずだ。
 そしてそのようなデータベースの作成ということを、国であれ企業であれ、法的なりに押し止めることはできないだろう。さらに、国家もこうした側面ではサービスでしかないのだから、こうしたデータベースを作成するな、とも言えないはずだ。
 私は間違っているのかもしれないが、問題は、(3)ではないだろうか。そのマスターキーを国家が保証してしまうかのように振る舞うことが問題ではないか。結果的にリレーションができるとしても、それが国家に統一的に、かつ個別のサービスから超越した形で直結されるのは問題だろう。
 とすれば、個別の住民サービスという限定された住基ネットはサービスの側から規定されるもので、全ての国民を一意に網羅する前提は不要だろう。
 考えてみると以上で行き詰まる。
 なるほど。考えてみると、昨日までの印象とは違って、自分が金沢地裁判決を支持しているという結果になった。さらに再考してみるが、そうなるものだなとちょっと不思議に思う。
 蛇足を少し。日本ではあまり話題にならないようだが英国ではブレア首相がやっきになって、主として不法就労者排除のために、生体識別情報を含めた国民IDカード法案を進めている(参照)。また、アジア各国でもそうした傾向はみられ、タイなどではその方向にあると聞く。現実問題として、こうした動向への国家側の要請は強く、日本もそうした流れのなかにあるだろう。以前にも少し触れたと思うが、日本の場合でも、英国のような意図があるのではないかとも思う。
 もう一点はまったくの蛇足だ。なにか忘れているなというのを書きながら思い出した。ダビデ王の大罪だ。といえば、つい文学的にはバテシバの事件を思い出すが、もっと神の怒りに触れたのは、民の数を数えようとしたことだ。なぜそれが罪だったのだろうか(モーゼも数えていたが罪ではない)。なぜだったのかなと考えてみたのだがわからない。民を数えようとする王は罪深いのだろうか。

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2005.06.01

フィリピンの竪琴

 フィリピン南部のミンダナオ島に旧日本兵2人が生存していたという大騒ぎだが、真相がよくわからないまま、日本政府の現地調査が打ち切られた。結局、何だったのか? ガセ、ということに落ち着いたということなのだろうか。マスメディアとしてはどういう結論にしたのか。
 単純に批難するという意味ではないが、先月二十八日付読売新聞社説”元日本兵 戦後60年『奇跡の生還』ニュース”(参照)って、これはこのまま、「あれは、あんときの空気で書いたんだけどさ、忘れてよ」ってことなのか。


 戦後60年を経て、かつての戦地から、奇跡的な生還のニュースがもたらされた。
 フィリピン南部ミンダナオ島の山中で、元日本兵とみられる2人が見つかったという。マニラの日本大使館員が現地に入り、確認を急いでいる。
 旧陸軍中尉の山川吉雄さんと、伍長の中内続喜さんとみられている。ともに80歳を超える高齢だ。
 厚生労働省などによると、2人はミンダナオ島で作戦に従事中、終戦を迎えた。そのまま島にとどまり、反政府ゲリラの勢力下にある山岳地帯で生活していたという。戦後も2人は“戦場”にとどまっていたのだろうか。
 長年の労苦に、心から、ねぎらいの言葉を贈りたい。

 今読み返すと、奇妙な滑稽さがあるのだが、これがどうしてこんな形で社説になり、そして、落とし前というのとは違うが、どう今後のオチになるのだろうか。
 同日産経新聞社説”旧日本兵生存 故国が持つ引力のすごさ”(参照)も似たような感じだった。

 戦後六十年という膨大な時間の嵩(かさ)を挟んで、フィリピンのミンダナオ島で旧日本兵二人が生存していたという情報がもたらされた。二人は山岳地帯で終戦を迎えたため、引き揚げ船に間に合わなかったようだ。その後、山岳ゲリラに戦術指導をするなど、思いもよらぬ運命に翻弄(ほんろう)される人生を送った。
 昭和四十七年に米グアム島で見つかった横井庄一さんや、同四十九年フィリピン・ルバング島で見つかった小野田寛郎さんと状況は異なるだろうが、生存という天のはからいに喜びをともにしたいと思うと同時に、故国の土を踏むことのできなかった歳月の長さに心から同情の念を禁じ得ない。

 ここまでは読売新聞社説と同じ主張でレトリックの差でもあるだろうが、ここから次の締め言葉に向かってしまうのは、なんなんだろう。

 しかし、風俗や人情は六十年前とは様変わりしていても、人間の魂が帰還することを飢渇するところはその産土(うぶすな)だ。故国とは何という大きな引力を持つものであろうと思う。

 逆なんじゃないだろうか。逆というのは、故国を捨てた日本兵も少なからず居たということだろう。
 私はこのニュースの初報を知らなかった。ここんとこだらけてはいたのだが、金曜日はニュースを聞かないとしていたからだ。でも、耳には入ってくる。それほど関心は持たなかった。翌日の読売新聞と産経新聞にすぐに社説があり、私は毎朝大手各紙の社説を読むのを「趣味」としているので、報道よりもこの社説を先に目にした。違和感は、あった。
 「嘘でしょ」と伝え聞く小泉総理のようなリアクションはなかった。というのも、私自身インドネシアを旅行した際、あの人、実は日本兵だよ、という噂の人を見かけたことがある。そうした人が、多いとも言えないが、少なからずいるのだろうと思う。「ビルマの竪琴」である、といって、僧侶が遊楽の道具である竪琴なんか持っているわけもないのだが。
 事件の背景についての記事としては、東京新聞”フィリピン『生存情報』氾らんの背景”(参照)が面白かった。

 彼に案内してもらい、旧日本兵が住んでいたという家を訪れた。「ええ、確かに父は日本兵でした。あまり家族や他の人には言いませんでしたが」と、十二人兄妹の末娘(35)は言う。
 末娘によれば、父親は太平洋戦争終結後、帰国せず、フィリピン人女性と結婚。ガウデンシオ・A・アボルドというフィリピン風の名前を名乗るようになった。「戦争が終わったときなぜすぐ帰らなかったのかは、今となってはよく分からない。ただそのときは私たち兄妹の上の方はもう生まれていて、生活が大変だったから、帰りたくても帰れない状況だったと思う」

 そうした話は多い。
 好意的に考えると、読売・産経の社説執筆者は、そうした、故国に帰らない日本兵の話を知っていたのだろう。そしてそれがある種の感情的なものとしてしこりになっていたのではないか。それと、70年代の横井さん、小野田さんの再来のような期待もあったのではないか。いや、そうした再来への期待感というのが大手新聞の社説という言論に露出したとき、かなり珍妙なことになってしまった。
 おそらく今回の珍騒動はそれなりの沈黙の教訓だけを残してうやむやに終わるのだろう。しかし、故国に帰らなかった日本兵や、父を戦前の日本人に持つフィリピンの人やインドネシアの人々はいるだろうし、そうしたことが、今の日本に問いかけるものはあるはずだと思う。「極東ブログ: フィリピン日系人の調査」(参照)でも少し触れた。
 でも、マスメディア的には、そこまで話は広げないといった空気になるのだろうか。

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