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2005.05.22

フィリピン日系人の調査

 先日NHKラジオで、日本政府によるフィリピン日系人の調査が進めらることになると聞いた。違和感というものでもないが、なんで今頃なんだろうかとも思い、少し調べてみたのだが、ネットなどを見ている限りは、支援団体の活動はわかるのだが、その時点でメジャーなニュースにもなっておらず、また政府の動向もよくわからなかった。そんなわけで、なんとなく気にしていたのだが、今日の読売新聞”フィリピン日系人、身元調査へ…高齢2世らの要望受け”(参照)に関連の記事があった。


 政府は、終戦前にフィリピンに移住した日本人の2世や3世に関する身元確認調査を近く開始する。戦後60年を迎え、高齢化が目立つ2世らから、「祖国が日本であることを確認したい」との要望が出ているためだ。日本人移住者の子や孫であることが確認された人は、日本の定住ビザを取得し、日本で働くことも可能になる。調査は約300人が対象で、年内に結果をまとめる方針だ。
 調査は、現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)に依頼し、本人への面接調査を行う。

 実務部分は、読売新聞の記事には「現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)」として特定されていないが、NHKラジオの話では、このNPOは、NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(通称PNLSC)(参照)とのこと。同NPOのサイトでは、弁護士でもある河合弘之理事長の次のような「ひとこと」を掲載している。

「経済的に豊かで、現地の人たちとも仲良く暮らしていたフィリピン日系人社会をたたきつぶしたのは日本軍ですから、これを再建するのも我々日本人の責務だと思います。そのためにはより多くの残留2世の親を捜し出し、2世の国籍を確認し、彼らのアイデンティティを確立し、日系3世、4世の定住ビザ取得を容易にしなければなりません。そして1人でも多くの人が日本で一生懸命に働いて、フィリピンの家族に送金できるようにしなければなりません。さらにはフィリピンの日系人社会を再び、豊かで尊敬される階層へと押し上げなければなりません。私はその日までがんばります」

 このNPOの設立は日が浅いようだ。ネットなどで見るかける、活動史のある「フィリピン日系人支援の会」(参照)といったNPOとの関連もわからない。
 先の読売新聞の記事では、フィリピン日系人の歴史的背景についてはあまり触れられていないが、重要な日本の近代史の一側面ではある。
 話は、明治三十七年以降のことだ。主に、ミンダナオ島ダバオ市周辺に日本人が移住し、日本人街の様相を呈していたらしい。往時にはその人口は二万人を越えたとも言われている。
 第二次世界大戦後、敗戦の処理の一環で、同地の日本人、つまり日本移民と両親がともに日本人である子供は日本に送還されたものの、母親が日本国籍を持たない子供はその対象とならなかった。が、当時の日本国法では父親が日本人であれば、子供にも日本国籍が与えられていた。
 外務省は、今から十年前、一九九五年になってようやく、フィリピン移民日系二世の実態調査を実施し、この際、その総数は二千百二十五人、うち、生存者千七百四十八人と発表した。が、この時点では、日本人戸籍謄本などで身元の証明ができたのは五百四十一人だった。その後、一九九七年にも外務省が調査しているが、この間の経緯は私はよくわからない。NHKラジオでは千人以上の身元が判明したと伝えていた。
 今回の調査では、ラジオを聞いた記憶では八百人ほどが対象になるらしいとのことだが、読売新聞の記事では三百人と少ない。いずれにせよ、おそらくこれ以上問題の解決を引き延ばしては行けない時期でもあるだろうし、二世から三世、四世の時代に移りつつある。
 今回の調査で日系人であることが確認されれば、南米の日系人と同じような待遇になるようで、その子孫は日本での就労も可能になる。
 こうした問題では、いろいろ複雑な要素が絡むので、単純に割り切れない。私自身、沖縄で長く暮らし、類似の問題の多様な局面についても考えさせられた。話は、戦後の構図として、つい日本対アジア人という枠組みで語られることも多いが、戦前の日本人とはなにかという点で、どうしてもマージナルな部分は残るように思う。

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コメント

最近、高山右近に気になり、さまざまな書物やサイトを調べていたのですが、finalventさんのこの記事を読んでいたとき、戦国時代に形成され、その後の徳川時代の鎖国政策によって消滅したアジア各地の日本人町の運命と何か通じるものを感じます。

日本人が、世界中行かざるところはなしという高揚した時代から自国に籠ってしまうという歴史を何度も繰り返しているのはなぜなんですかね。

投稿: F.Nakajima | 2005.05.22 22:07

またトヨタ(奥田)の糞低賃金労働者確保計画の一環ですかね?

投稿: くれふ | 2005.05.23 02:36

私はどうしても違和感を持ちます。国籍については血統主義と生地主義があり、血統主義の日本人としては当然の行為なのでしょうが、生地主義で考えると全く異常な行動に見えます。放置してよいとは言い切れないでしょうが、半世紀も経過しては調査しても調べ切れないで運の良い人だけを助けるに過ぎません。小泉首相の靖国参拝と同様で、立場が違えば裏の意図を勘繰りたくなります。
世界がグローバル化した現在では人的交流の自由化が必要で、日本に移住したいと希望する人には、一定の審査は必要としても、国籍に囚われずに迎える態度が必要だと考えます。

投稿: 工藤  恒男 | 2005.05.23 07:01

一定の審査の内容は大変難しいですが概ね同意、あと自国に籠もっているのではなく、現地に同化してしまうため(周囲と調和する性質のため) 華僑のように一定の文化を維持したまま恒常的に経過することが無かったのではないだろうかと予想する。

投稿: a | 2005.05.23 10:27

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