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2005.05.31

伝統社会的な人間は現代社会において心を病むものではないのか

 話は海外小ネタものなので他のブログが取り上げているか、すでに翻訳が出ているかわからないが、今日付のロイター”Trauma common feature of American Indian life”(参照)が興味深かった。
 標題を現代日本語で訳すと「ネイティブ・アメリカンの生活ではその多数にPTSD(心的外傷後ストレス障害)が見られる」となるだろうか。いや、それはちょっと悪い冗談だ。シンプルに訳せば「アメリカ・インディアンの生活の多数にトラウマ(心的外傷)が見られる」となるだろう。
 冒頭も簡単に意訳しておこう。


More than two-thirds of American Indians are exposed to some type of trauma during their lives, a higher rate than that seen in most other Americans, new research reports.

"American Indians live in adverse environments that place them at high risk for exposure to trauma and harmful health sequelae," write Dr. Spero M. Manson and colleagues in the American Journal of Public Health.
【意訳】
 最新の調査によれば、三分の二のネイティブ・アメリカンがその人生において数種類のトラウマ(心的外傷)の症状に置かれており、この比率は他のアメリカ人よりも高い。
 調査を行ったスピロ・マンソン博士らは、アメリカン・ジャーナル・オブ・パブリック・ヘルス誌で「ネイティブ・アメリカンは、トラウマや健康にとって危険な後遺症を示すリスクの高い逆境のなかで生活している」と記載している。


 症例を持つ比率はアメリカ人の二倍程度らしい。
 オリジナルの調査は同誌のWebページ”Social Epidemiology of Trauma Among 2 American Indian Reservation Populations”(参照)で読むことができる。
 調査では大きな二つのネイティブ・アメリカンのグループが対象となっている。興味深いと言ってはいけないのかもしれないのだが、言語、移民、貧困の問題といった点で異なるグループでも、植民地化という点での共通点があり、その派生として、同質のトラウマが見られたようでもある。トラウマの内容については十六種に分かれていて、典型的な項目にはすぎないのだろうが、洪水や火事などが私には気になった。
 アメリカ国内でネイティブ・アメリカンの置かれている状況については、最近の私の読書のなかでは、極東ブログ「 [書評]蘭に魅せられた男(スーザン オーリアン)」(参照)に触れられている話が興味深かった。米政府としても、土着のネイティブ・アメリカンの文化を配慮しているようすは伺える(それが同書ではねじれた問題を起こしている)が、それでも、現代文明とネイティブ・アメリカンの生活の軋轢は強く印象付けられた。
 以下は私の印象で、多分に間違っているのかもしれないとは思う。というか、「パパラギ」「リトル・トリー」といった偽書のように、とんちんかんなことを言っているのかもしれない。
 この調査について私は、ネイティブ・アメリカンの生き方というものが、根本的に米国の現代文明とうまく折り合いが付かないのではないかと思った。凡庸な意見でもあるのだが、私なども若い頃はアメリカナイズした文化のなかに置かれてなんとか適合しようとしたが、うまく行かなかったし、歳を取るにつれ、より日本的な文化のなかに心の安らぎを見いだすようになってきた。
 日本人はかなり上手に近代化した国民と言えるのかもしれないが、西欧的な現代化の世界のなかではうまく生活していくことはできないのではないかとすら思う。そして、そうした生きがたさというのは、とりあえずは個人の心の問題として浮かび上がるのだろうが、これもなんというか、もっと大枠としての文化の無意識の病のように思えてくる。
 話はさらにそれていくのだが、バルザックだったか、後年人生を振り返って思い起こすことは四つだったとか言っていた。いわく、結婚した、子供が生まれた、父が死んだ、母が死んだ、と。
 「自己実現」ということはよくわからないのだが、自分の才能なりを充分に開花して生きるということが個人の問題に還元されているように思う。しかし、人というものは、男女であり(結婚した)、親であり(子供がうまれた)、子であり(父が死んだ、母が死んだ)というある種のひな型のようなものを辿るようにはできている。それは、もちろん、現代の社会では、選択として現れる。
 しかし、こうしたひな型的な人の経験というものは、選択として現れるものというより、それを元に我々を存続せしめた要因であり、それを「大事にせよ」とする個人を越えた心理的な枠組みが伝統的な文化の心性に存在するだろう。
 伝統的な心性は現代社会では病みうるものだし、それが病むということ自体がその重要性の側の問題を提起しているようにも思う。

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2005.05.30

EUが終わった

 EU憲法がフランスの国民投票で否決された。ようするにEU、つまり大欧州という未来が瓦解した。欧米の報道では予想通りということではそれほど衝撃的ではない。私も、今日の日が来ることは一年前に極東ブログ「大欧州がコケるに賭ける」(参照)と早々に賭けておいた。当時は、あなたはヨーロッパの現状を知らないね、と思われていたフシもあったが、また私が正しかったのだ。
 と、威張りたいわけではない。逆だ。その正しさが虚しいものだと思っている。最近の極東ブログ「EU(欧州連合)憲法お陀仏の引導を渡すのはフランスとなるか」(参照)でも同じ主張のままだが、トーンは変わってきていた。どっちかというと、ここでEU憲法が成立してもいいのではないかという思いに傾いてきたからだ。
 このブログを書き始めたころ、つまり、イラク開戦の是非が問われているころ、私はシラク大統領が大嫌いと言ってよかったが、このところ、シラク大統領の敗色が濃くなるにつれ、こういう男の生き様というかフランスの理念というのを通す政治家というのは肯定してもいいのではないかという同情心が沸いてきた。親日家だし、相撲好きだし、なにより、EU憲法成立にフランスの国民投票の必要もないにつっぱしってドツボるその立ち会いの様に、なんというか彼のフランスなるものへの疑い得ない愛のようなものがある。
 しかし、予想は予想だし、結果は結果だ。私は賭けと表現したが、なるべくしてこうなった。EUは壊れた。もちろん、経済統合がなくなるわけでもないし、今日のフィナンシャルタイムズ”France's No is not all bad”(参照)のように、プランBがないとしても、希望がないわけではない、絶望のスパゲティだって腹一杯になるものだ、といった論調もないわけではないが、凝った英国流アイロニーかもしれない。


There was never an instant Plan B on how to respond to the French decision. All 25 members have signed the treaty, and all are committed to debating and ratifying it by November 2006. Several more may say No, including the Netherlands where a referendum is to be held on Wednesday. But that is not a good reason to stop the process. Nine states have already said Yes, including two of the largest, Germany and Spain. Their views should not simply be dismissed because France has voted No. Nor should those of the countries yet to decide.

 ま、がんばってくれ。
 ちょっと余談に逸れるみたいだが、今回のフランスの否決は日本ではあまり報道されなかったようだがフランス国内での16日の休日返上大騒ぎなどという珍妙などたばが案外強く影響を与えていたようだ。あれがなければここまで大差で転けることもなかったかもしれない。
 この後だが、オランダも転ける。間違いなし。こちらの理由は、極東ブログ「テオ・ファン・ゴッホ映画監督暗殺事件余波」(参照)が関係している。そして、英国でも転ける。そして、いよいよブレア首相も終わりとなるだろう。時代が終わるのだ。
 話はEUの終わりというだけでは終わらない。先日の中国で奇妙な反日デモがあったが、中国当局側では日本にばかり目を向けていてEUの視線をややおろそかにしたきらいがあった。日米など軽視する覚悟でいたかもしれないが、中国の貿易比率を増しつつあるEU側でも、おかしいんでね?みたいな声があがってきたのには少し怯んだだろう。
 EUが理性的であり、ある政治・軍事的な統合性を持てば、中国の非理性的な運動へのバランスともなりうる可能性はあった。日本が国連で重要な位置を占めるに際して、米国の視点以外にEUはもう一つの視点を打ち出せる可能性はあるにはあった。
 しかし、もう世界はそうならない。終わったことだ。
 米国が衰退して世界は多極化を迎えるとか主張する人も世の中にはいるが、政治軍事面では、かなり、しばらく、そうなりえないのではないだろうか。
 基底にあるのは、経済のグローバル化は進むが、その反対の力も強くなるということだろう。EUの構想を実際的に否定した少なからぬ要因はフランスの失業者であっただろうし、ドイツの実は混迷の基盤にもそれがある。これらは、保護としての国民国家を志向するが、その力は、経済のグローバル化とせめぎ合う形になるだろう。
 そうした軋轢のなかで、具体的な国家がどういう関係と位置に置かれるのか。美しい夢が美しくても、そこから覚めて、新しい絵を描いていかなくてはならないだろう。

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2005.05.29

NPTの終わり?

 世界は今日フランスを注視しているだろう。たぶん予想通りの結果になるのだ。しかし、その話題は明日以降に回すとして、気が重いが、今回が初めてということでもないものの、合意文書など具体的な成果のないまま四週間の会期を終えた核拡散防止条約(NPT)再検討会議について少し触れておこう。
 率直に言って私は考えがまとまらない。どうすべきなのかがよくわからないからだ。そして、そうなってしまう最大の要因は、私がそれほど単純に米国を責めないからだ。ちょっとヤケな言い方をすれば、米国の核の傘の下にある日本という現実を考えれば、そうなるだろうとは思う。
 自分の頭の上を見ずに反米の旗を振るなら話は簡単だ。NPT会議の失敗は米国が核軍縮を推進しないからだと言えばいい。旧連合国である米露英仏中の五か国だけに核保有を認めるのということ自体が不平等だとか言ってみるのもオツかもしれない。まあ、日本の進歩派の思考はそんなところで止まっているのではないだろうか。
 いや、それよりも今回のNPT会議の報道で、なにかが日本のなかで思考停止になっているのではないかという印象を受けたのは、私の見落としかもしれないのだが、兵器用核分裂物質生産禁止(カットオフ)条約が問題になったという報道はあったものの、それを日本が推進し根回ししてきたことへの言及が見られなかったことだ。カットオフ条約については、従来米国と中国の対立によって交渉入りすら空転していた。しかし、今回米国はこの交渉に入ることも認めていたのである。とすれば、そこで問題となったは中国じゃないのか。そうしたことがよく見えなかった。
 いや、そんなことはもうどうでもいいのかもしれない。すでに、インドとパキスタンはNPTの加盟もなく核保有が事実上世界に認められているのだ。今回のNPT会議では、中国とロシアは、それぞれインドとパキスタンを擁護していた。表面的にはインドとパキスタンはすでにきちんとそれなりに現在の世界のシステムに織り込まれているかにすら見える。そういう現実自体がなによりNPTの終わりを示していると言っていいだろう。
 加えて、今回のNPTでは事実上核を保有しているイスラエルをエジプトなどがやり玉にあげたが、米国としてもそのあたりの問題をまじめに議論する気などなかったのだろう。
 ということは、イランと北朝鮮の核問題というのも、もうNPTという枠組みで考えなくてもいいじゃないかという結果的な暗黙の合意ができたということでもあるのかもしれない。
 米国の知識人たちの考えは、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどを代表例とすれば、両紙とも、NPTの失敗は、米国の指導力不足ということにしていたが、そういう問題だったのだろうか。
 少し話がずれる。先週の日本版ニューズウィーク(2005.5.25)の国際版編集長ザカリアのコラム”核の放棄か、体制崩壊か”では、リードに「北朝鮮問題を解決するカギは米中の協調にあるがブッシュ政権の矛盾する政策がその障害になっている」として、北朝鮮問題について、核の放棄か体制崩壊かの択一を明確にせよとしていた。率直に言って、近年のザカリアのボケはここまで極まったかという印象をもった。彼はこう主張する。


 醜悪な独裁政権を支持する中国の政策はまちがっているし、金政権の非道徳性を非難するブッシュの主張は正しい。金政権は崩壊する運命にあり、アメリカが核計画についてどれだけ議論しても、その定めは変わらない。
 それでもブッシュ政権は、もっと建設的な外交を展開する必要がある。さもないと、世界は恐るべき事態を避けられなくなる。

 北朝鮮の体制崩壊を推進せよという主張なのだろうか。そして、それができなければ訪れる恐るべき事態とはなにか、と問うているのか。もちろん、こうした文脈で書かれればそれがなんであるかは想像は付くし、ザカリア同様そこを明示的に書きたくもない。
 だが、体制崩壊の選択はない。これはすでに明確にされている。では、核の放棄はどうなのか。
 うがった見方をすれば、インド、パキスタン同様、北朝鮮が核保有を宣言しても、翌日はそれはそういう世界が訪れるだけかもしれない。あるいは、現実的に見るなら、北朝鮮の危ういゲームは自らのドジで頓挫するだろうからほっとけということかもしれない。
 しかし、危険なディスプレイのゲームは続き、私たちはそれに麻痺していく。麻痺というのは、核を廃絶する希望をせせら笑うようになるのだ。
 少なくともNPTの枠組みはなくなってしまったのではないか。と、同時に、日本がこれまで推進してきた、世界の非核化への道が大きく挫折したということなのではないか。

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2005.05.28

アイスクリーマーと、私は叫ぶ人かな

 梅雨はまだだが初夏らしい季節になってきた。あー、アイスクリーム。っていうか、ジェラート(gelato)。今年はどうしようかなと悩んでいた。

cover
DeLonghi
アイスクリーム
メーカー
IC4000S
 二年前に東京に出る前の沖縄暮らしではデロンギのアイスクリームメーカーを使っていたが、引っ越しの際、壊れた。もともとちょっと壊れやすい感じはしていたし、重いし保冷に半日以上かかるのでどうしようかと悩み続けていた。
 沖縄だと、いちいち自分で作らなくても、業務用みたいなパックのブルーシールのアイスクリームはけっこうどこでも売っている。本土に戻ってこのサイズはあまり見かけないものだなと思った。コープとかにないわけでもないが…、いまいち。バリエーションもちょっとつまらない。沖縄のブルーシールはウベとかサトウキビとか紅芋とか面白いのが多いのだが、ま、ラクトアイスですね。沖縄ではなにかとアイスクリームでは困らない。くむじリュボウには31はあるし、ハーゲンダッツとかもファミマやローソンにある。が、本土に戻ってあるにはあるけどちょっと困った。とりあえず、昨年は近所のセブンイレブンを活用。しかし…、ハーゲンダッツとか高いし、普通のラクトアイスは苦手だし、シャーベット(ソルベ)も香りがないというか香料の香りが苦手なことが多い。それにもうこってり乳脂肪を取る歳でもないし、こりゃ、また、アイスクリーマーを買うかと物色。
 今度は大草原の小さな家じゃなけど、オールドファッションドな、バケツ型のソルベティエール(Sorbetiere)がいいなと探すが、あまりない。イメージ的にはNordicware Ice Creamerみたいのがいいかなと思っていた。このキャッチがけっこうおかしい。

Nordicware Ice Creamer
No ice, salt or electricity needed!
- Make homemade ice cream, frozen yogurt, sherbert and other frozen treats
- Features a 2 speed gear for creamier churned results
- Non-stick interior
- 1-1/2 pt. model makes 1-6 servings
- Freeze, mix and serve!

 氷も塩も電気も要らない!というのが売りなのだ。つまり、昔のソルベティエールだと氷と塩が必要、デロンギとかだと電気が必要、というわけだ。このあたりの生活感覚って面白いなと思う。
 そのうち、ハンズの通販で「アイスクリーマー ペンギン」というのはどう?と教えてもらった。これはけっこういいかもと思ったのだが、価格的にちょっとこれだと、あれです、この間気になりだしていた「ナショナルコードレスアイスクリーマー[BH-941]」に届くかな、と。実売で5000円ちょいくらいだから、近所の大きな家電店からしょこっと買ってくるかとも思った。デメリットはある。電池式なのでランニングコストがかかるのだ。さて、どうするかと、とにかく家電店に行ったら売ってない。訊いたら、入荷は六月二三日ですとのこと。沖縄の慰霊の日に合わせているのか。他の店に問い合わせたら、同じ答え。売れているのか。
cover
ナショナル
コードレス
アイスクリーマー
BH941
 そっか、売れているのか、じゃ、通販で買うかということで、買いました。で、毎日使っているのだけど、今のところよいです。まず、普通のアイスクリームはできますよ、そりゃね。むしろソルベはどうかなと思って、100%オレンジジュースをばしょっと入れたら、それでもできました(舌触りはイマイチ)。以前は作らなかったのだけど、そういえばと思って、ヨーグルトにオリゴ糖入れて、ばしょっと入れてフローズン。これもできた。うまいよ。じゃってことで、これにブルーベリージャムを入れた。グッドです。
cover
修道院のレシピ
 おお、よいよい。それじゃ、と、「修道院のレシピ」にあるクレーム・アングレーズ(Creame Angleise)でやってみる。ま、いかにもお手製という感じでちょっと手前みそっぽいがよしとしよう。っていうか、これはクレーム・アングレーズの出来によるのだろう。
 なにかを忘れているなと思ったら、甘いワインのソルベだ。沖縄にいたとき、マスカット・オブ・サモスのソルベを作ってパーティとかに出したらうけたなぁ。
 というわけで、話がだらけてアフィリエイト路線かよみたいな流れになってきたのでおしまい。それにあと小一時間もすると、水出したストロベリークリームのハーブティで作ったソルベができるはず。…というところで出来てました。色合いがイマイチだけど、うまかった。

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2005.05.27

社会事件と説明の関係ということ

 昨今の少女を拘束する事件にはあまり関心を持っていないというか、あまり立ち入った関心を持つのは品が悪いと思ってやりすごしてしまうのだが、先日NHKのラジオでこの問題について宮台真司が出てきて解説していたのを聞いて、奇妙な感じを覚えた。それって間違っているよ、と言いたいわけでもない。ちょっともどかしい感じがするので、書きつつ考えてみたい。
 彼はこうした事件を、まず心理面と社会面と二つ要因あるとして分ける。のだが、冒頭から私はちょっとつまずく。要するに、彼は事件ではなく、事件の背景を説明したいということらしい。そういうことかと思って聞く。
 彼の考えでは、心理面は、大半が古典的な精神医学で説明できる、としていた。正確な言葉ではないが、曰く、現代の青年は、精神発達の過程において必要とされる、全能感・万能感の断念ということができていないため未熟であることが多い。彼の説明では、人というのは、その精神的な発達において、母親的なものに全肯定され万能感を持つが、その後父親的なものに接して自分は限界づけられたものだということを受け入れていくものだ、と。これができないと……このあたり論理が飛躍していると私は思うが……対人関係で対等な人間関係を築けずに相手を支配下に置こうとする傾向が出てくる、と。
 フロイトやラカンの学問を少し学んだ人間なら前半は常識の範囲であり、これらがどのようにその後の国際的な精神医学で受け入れられてきたかという過程を多少なりとも知っている人は、ドン引きとまでは言わないでも、ちょっと引くのではないか。仮にこれが説明として十分であっても、父親的なものつまりファルスの復権が重要になるのだが、それは現代日本社会に可能なのか。この点は、この先の話で宮台は矛盾しているようにも思う。
 社会面ではと、彼は切り出すのだが、私には奇妙にも思えるのだが、心理面と類似だ、としている。そして、宮台の言説に慣れた人なら毎度の歌が流れ出す。曰く、90年代以降、日本の社会では、女性のほうが男性よりコミュニケーションで優位に立ちやすい、と。理由は、トレンドなど社会の情報を処理する能力が女性のほうが優れているためだ、と。これに対して、男性は、性的に開放されたという女性のイメージだけを勝手に受け取ったものの、未だに男性はコミュニケーションなしで女性に対して優位でいられると思っているようだ、と。だが、実際にはそういかないため、男性は劣位になってしまった取り返しとして暴力が出てくる傾向がある、と。さらに、宮台はこうした状況は、これは先進各国に見られるとしている。のだが、はて、これは何の説明なのだろうかと私は思う。当の事件は、日本的なものではないということなのか。
 と、私のちゃちゃがうざったい文章になってしまったが、事件の解説としては奇妙な印象を受けた。
 この先さらに、なぜ少女が自分が逃げられなかったについては、宮台は、恐怖の条件付けとストックホルム症候群を挙げ、そして、今後日本社会はどうすべきかということでは、人間の関係を支配と被支配の二項対立で見ることをやめて豊かなコミュニケーションが必要になる、と宣う。また、彼は、こうした二項対立は国際外交の世界でも同じだ、という。このあたりで、私はちょっと、それってジョークかと思える。
 最後に彼は、男女の関係で、男性が劣位でも構わないという社会に変える必要があるが、日本社会は未だに男性に対して男らしくなければいけないとメッセージを発信しているのが問題だ、とする。
 私はよくわからん。私の要約が間違っているかもしれないが、最後のところ、つまり、男性が旧来の男性らしいというイメージから自由になる必要性、というのは、それって先のファルスの必要性と矛盾しているのではないだろうか。
 書き方が拙いので、宮台真司への批判のように受け止められるかもしれないが、そういう意図ではなく、私が気になるのは、これが当の事件の説明として社会的に充足しえるのだろうか、という点だ。
 社会は、こうした事件について、それなりのある対応の見解を持ちたいものだ。そしてそれを常識と整合させて社会を営んでいく必要がある。それに、この説明が十分なのだろうか? 宮台と限らず、こうしたタイプの、とぞんざいにまとめるのもいけいないが、いかにも西洋輸入思想みたいなもので継ぎ接ぎされた説明の言葉が一般社会的に説明の意味を持つのだろうか。
 話の方向を変えて、お前さんはどうだね、こうした事件をどう思うのかね、と問われると、私はどう答えるか。
 まず、心理的な背景のようなものは原則的に捨象していいのではないかと思う。個人のこうした幻想域に社会はあまり関心を持つべきではないと思う。問題は、それが社会という契機で、つまり、私との関係性で問題になるとき、私はどのような原則で向き合うかということだ。
 今回の事件の一つでは保護観察のシステムにエラーがあった。その意味では、JR西の脱線事件と同じようにシステムの問題がまずある。そして、システムが十分に機能していてもなお問題が発生するかというと、そこがよくわからない。ある一定数の犯罪は、自由主義社会のコスト域にあるので、それを越えてるのかという点がよくわからないのだ。社会学者には、むしろ、そうした点での説明を期待したいと思うのだが。

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2005.05.26

エルサレム旧市街での土地問題

 日本国内ではあまり報道されていないのではないかと思うが、今月の初めからエルサレム旧市街で奇怪な事件が進行している。メジャー所の最近の報道としては、BBC”Autumn of a Patriarch”(参照)を読んでいただくほうがいいかもれない。また、話の発端での様相は、インディペンデント”The man who sold Jerusalem”(参照転載サイト)がわかりやすい。
 話の発端を単純にまとめると、エルサレム旧市街ヤッフォ門(参照)近くのパレスチナ人居住区で、ギリシア正教教会が所有している土地が、イスラエルに居住していないユダヤ人投資家に売却されたということだ(正確には長期リースのようでもある)。
 これが問題になるのは、イスラエル和平が居住区ベースによってなされるため、この売却が成立すれば、この地域においてイスラエル側が有利になるためだ。さらに背景としては、イスラエル人入植者がパレスチナの土地買収を進めている実態がある。
 パレスチナ側としては面白くない事態なのだが、因縁の土地とはいえ、ただの買収劇ではないと問題発端から見られていた。購入したユダヤ人投資家が誰であるかはっきりしていないようだが、それでも、この背後には、イスラエル政府が事実上後押しをしている入植者団体があるらしい。
 日本人の感覚からすると、いくらパレスチナ人居住区とはいえ、ギリシア正教教会が所有している土地に対して、どのようにパレスチナに関連するのか疑問に思えるだろう。で、その件なのだが、これは単純に、この正教会はこの地域のパレスチナ人正教徒によって維持されていることに関連する。パレスチナ人全てがイスラム教信者というわけではない。余談めくが、イスラエル入植以前はこの地域の人々は区分されることなく総括してアラブ人と呼ばれていた。
 今回の問題のもう一端は、このギリシア正教会がどのような判断でこの行動をしたかということなのだが、どうやらここを管轄するイレネオス一世総主教が勝手に行ったらしい。
 ギリシア正教はローマン・カトリックのように集中した中央を持つ組織ではないが、それでも、イレネオス一世総主教にこの権限があったのかも疑問視され、エルサレム総主教庁に所属する聖職者らは会議決定としてイリネオス総主教に退任を要求した。
 このあたりの煩瑣な状況が冒頭のBBCニュースにつながる。国内のブログをサーチしたら、ブログ「日刊ギリシャ 檸檬の森」”エルサレムのギリシャ正教総主教退任劇はカオスから笑い話へ”(参照)に詳しい話があった。
 今後の動向がどうなるのかよくわからないが、民族・宗教・所有権・施政権といった複雑な問題が絡み合い、日本人から見ると複雑過ぎる問題にも見える。しかし、その歴史を交えた複雑さこそがこうした問題の本質に関わっているのだろうから、単純に割り切れないというのはしかたないことであるのだろう。

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2005.05.25

橋梁談合って何が問題

 昨日の新聞社説のネタではあるが、大手紙はすべて橋梁談合事件を扱っていた。巨額な公金が投入される大型鋼橋建築に関わる橋梁メーカーに談合の疑いがあり、すでに公正取引委員会から検察庁に告発されている。検事らによる関係各社の家宅捜索も始まっている。
 なぜ談合がいけないかというあたりは朝日新聞社説”橋梁談合 ペナルティーが軽すぎる”(参照)が啓蒙的だ。


 公取委の資料によると、過去に入札談合で立ち入り検査に入った後、落札価格は平均で18%下がった。
 鋼橋の売上高3500億円を当てはめると、1年間に600億円もの不当な利益を業界は手にしていることになる。これはすべて税金だ。談合は数十年も続いていたという。罪はきわめて重い。

 朝日新聞は、このように「罪はきわめて重い」としているのだが、そのあたりに私は違和感を持った。業界はまるで罪の認識などしていない。ふてぶてしいと朝日新聞などは考えているようなのだが、傍から見ていると、実際には、それってたいしたことないよね的な業界内の空気があったのだろう。
 というのも、朝日新聞社説でも指摘されているが、談合の場合、受注額の6%の課徴金(来年施行の改正では10%)、また関わった個人には3年以下の懲役や罰金、会社には5億円以下の罰金が科される、となることがわかっていながら、業界は特に変わりもしなかった。
 読売新聞社説”橋梁談合事件 『官』とのなれ合いはなかったか”(参照)では一歩踏み込み、これって官民の癒着はなかったかと問いつめている。

 橋梁工事の大半は、国土交通省や日本道路公団などが発注する公共工事だ。本社の調べでは国交省が2003、04年度に発注した5億円以上の橋梁工事の落札率は予定価格の平均95%にも達する。こうした問題は、橋梁業界だけなのかどうか、という疑念が指摘されている。
 問題は、長期間、談合が繰り返された背景だ。発注側の国などが知らなかったとは常識的には考えにくい。談合を事実上見過ごしコスト削減の意識を欠く、予定価格の設定をしてはこなかったか。

 この業界は裾野が広いので、これが秘密裏に行われていたとは、読売新聞の言葉を借りれば、「常識的には考えにくい」。
 実際は、多くの人が知っていたでしょう。当然、新聞社の記者さんでも知っていたでしょ。つまり、知っていて、朝日新聞などは正義面して厳罰がとかほざいてみせている、というのが実態でしょ。いや、知らなかったというなら、それはそれで記者失格じゃないですか。
 新聞記者はプロでブロガーはアマチュアとだというけったいな議論が散見されることもあるが、こうした問題でちゃんとプロを通してこない新聞記者になんの意味があるのかわからないし、職業ブログが求められるとかの雰囲気で「実は今回の談合では…」とさらっと書ける人もいるわけもない。
 と、いうのがみーんなわかっていて、この手の議論をしているというのが、ジャーナリズムもブログも交えて仲良しの現状だし、私とてもやばげなネタは書かない。書くとどうなるかは腹をくくった人でもそれなりのダメージは受けているのも、なんかなぁ、こういう世界かと思うくらいだ。
 話を橋梁談合事件に戻す。端的にこの問題のなにがいけないかといえば、国民の税金をくすねていた企業は許せんということのようだが、それもこうした構図で見ると、国側や、独禁法改正をゆるくしたい日本経団連も、一種のコスト認識だったのではないか。あるいは、富の再配分という意味合いがあっただろう。
 そういうコスト認識と富の再配分という一種の暗黙の国策をこれから止めますよというディスプレイが今回の「事件」ということなのだろう。と、書くとそれだけで陰謀論扱いされますか。
 問題は、国の内部でどこがどう権力のシフトあって方針決定が変わったのか、また、その方針をこうして見せしめにするだけの背景的な意味はなにか、ということだろう。
 そこがブログとかで追及できるのかわからないし、ブログにはブログなりの社会認識と変革の意識が目覚めて別の道を開くのかもしれない。
 新聞記者さんたちがこの問題をどう考えているのかわからないといえばわからないが、先に、記者さんだって知っていたでしょと問いつめたものの、知ってて書かないという世間を知っていたからこそプロの記者さんだったかもしれないし、そこの甘い酸っぱいのわからない記者さんとか出てくると変な光景が見られるのかもしれない。

同日追記

 談合内部で大きな諍いがあった模様。
 日本経済新聞”橋梁談合、専業と兼業で対立”(参照


 国発注の鋼鉄製橋梁(きょうりょう)建設工事を巡る入札談合事件で、大手メーカー17社で構成する談合組織「K会」で激しい内部対立があり、受注調整の仕切り役が2001年度に三菱重工業から横河ブリッジに交代していたことが25日、関係者の話でわかった。個別工事の受注を巡る橋梁専業の10社と兼業7社の対立が根底にあったとされる。

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2005.05.24

政治とブログとその公共的な性格について

 ブログ自体を話題にするのはできるだけ控えたいと思うのだが、少し昨今のブログについて触れてみたい。大筋では政治とブログについてだが、話のとば口に、昨日のFujiSankei Business i.”ブログの影響力は限定的、米で調査結果”(参照)を借りる。ま、冒頭を読んで味噌。


「ブログ」と呼ばれる日記スタイルのホームページは政治に影響を与える存在であるかもしれないが、情報や影響という点で新聞やテレビなどの既存メディアに成り代わる存在ではない-。

 これは、米非営利組織ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・プロジェクトがまとめたブログの調査・研究報告で明らかになった。


 前段だけなら、思わず、脊髄反射的に「ふーん」とか言いそうになるのだが、後段を読んで「ありゃま、これは何?」と私は思った。というか、「ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・プロジェクト」という名前を見て、「ヲイヲイなんじゃそれ」と思う人も多いだろう。私もよくやる単純な誤植かもしれないのだが、これは、”Pew Internet & American Life Project”(参照)のことでしょ。ライフ(生命)を落としては大変。
 対応するオリジナル記事は、たぶんこれでしょ。”Release: Innovative Study Suggests Where Blogs Fit into National Politics”(参照)。その冒頭を引用し、比較のためにちょっと私の意訳を添えておく。

NEW YORK, May 16, 2005 - Experimental research from the Pew Internet & American Life Project and BuzzMetrics suggests that political bloggers can make an impact on politics, but they often follow the lead of politicians and journalists.
【意訳】
ニューヨーク、2005年5月16日 ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスが行った暫定的な調査ではあるが、政治志向のブロガーの意見は確かに現実の政治に影響力を持つものの、政治家やジャーナリストの見解を後追いをしていることもしばしばある、という傾向が伺われた。

 私の意訳は正確な訳ではないが、それでも、FujiSankei Business i.の該当記事と違った印象を持つのではないだろうか。つまり、「情報や影響という点で新聞やテレビなどの既存メディアに成り代わる存在ではない」という主張はどこから出てきたのかよくわからない。なお、詳細なレポート(参照・PDF)も公開されているのが、やはりそう読めるものだろうか疑問に思う。
 些細なことにこだわっているようだが、ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスのこの調査の主眼は、ブログが市民の政治意識・活動にどのような影響を与えるかということであって、新聞やテレビなどの既存メディアと対立の枠組みではない。むしろブログが既存政治の道具となるのか、あるいは、どのように具体的な政治に意味を持つのか、それが問題意識なっている。
 この点、つまり政治ブログというのはどうよ、と。
 極東ブログも政治ブログの分類に見られることもあり、以前日本のブログ界の情勢マップではそうした位置づけだったかと思う。そのおり、私の記憶違いかもしれないが、ブロガーの切込隊長さんから、極東ブログが政治ブログの最右翼っては笑っちゃうね、みたく指摘されたことがあった。彼一流の「けなす技術」かもしれないが、おそらく彼は彼なり実際に政治活動に関与したことがあり、政治のブログならその政治的な立場を明確にし、具体的な結果が得られるようにあるべきだとその時点で政治ブログのあり方を考えたのではないか、という印象をもった。
 その頃アメリカでのブログは、ちょうど大統領選挙前ということもあり、そうしたあり方(政治の道具としての政治ブログ)のほうが通例でもあった。が、その後は、先の「けなす技術」を私も読んだのだが、切込隊長さんのブログ観も、どちらかというと、市民の政治意識の底上げが重要かもしれないというふうにシフトしているようには思えた。
 民主主義社会では、言論が直接政治的なパワーとなりうるものだし、まさにアメリカのモデルで考えれば、政治的な成果を求めることが最優先にあって、それゆえにブログなどもそのためのツールとなりうる。もともと、既存のペーパー・ベースのジャーナリズムでもそういう傾向はあるのだが、今回の調査では、インターネットの特徴から、そのあたりの単純なスキーマの変化が注視されたようには見える。
 この点については、FujiSankei Business i.の記事でもきちんと拾われている。

 それによると、主宰者だけでなく、だれでもコメントを書き込むことができ、他のブログとの接続も容易で瞬時に情報収集・発信ができるブログは「意見交換や討論を形成する場」としてふさわしい特徴を持っていると指摘した。

 このコメントは広義にトラックバックを含めていいだろう。確かに、政治的な意味でのブログというは、「意見交換や討論を形成する場」として重要になってくる。
 というあたりで、多少問題の視点が変わる。
 極東ブログを続けながら、私の側でスタンスが少しずつ変わる点がある。私については、このブログで正論や、知的にレベルの高い意見を述べる必要はない(できもしないが)、と思いつつある。
 そうではなく、ある問題について私はこう思うという発言と、こう思った私の思いをきざんでおく、という二点が重要だと考えるようになった。この二点がブログに満たされれば、ある種の問題に関心のある人が、自由に距離を置いて接することが可能になるのではないか。
 もう少し話を進める。ブログというのは(一部論外は除くとして)、当然そのエントリには著者がいるわけでその著作権は守られてしかるべきだが、かなり公共財的な意味があると思うようになった。特に、RSS情報については公共財に近いと見ていいだろうし、すでに国内ではニュース標題の著作権はないとされていることもあるが、しいて言えば、要約(description)までも公共財ではないかと思う。
 そして、ブログの公共財的な性格について、二つ思うことがある。
 一つは、すでに一部ブロガーでは話題になっているのだが、ライブドアが、先行したエキサイトのブログニュースのようなものを六月から実施するらしい、という話に関連する。いわゆる著名ブロガーの方には掲載許諾についてライブドアからお誘いメールが先週時点であったらしいのだが、極東ブログにはなかった。このブログはそれほどメジャーなブログでもないだろうし、いろいろな選があってもしかるべきだし、そもそも論で言うと、エキサイトのブログニュースと同様に所詮RSSを受信して並べるだけとなるので、RSSは一種の公共財と考えれば、「ご自由にどうぞ」という性質の物でもある。
 ただ率直なところ、極東ブログが選落ちしたのはなぜかとは考えた。1つはレベルが低すぎと見なされた。これはしかたないでしょ。2つめは嫌われた。けっこうライブドアには厳しい評を投げてきたからな、と。そして、3つめは、ライブドアという商品的な性格を持つメディアにこのブログが合っていないということだった。
 エキサイトのブログニュース(参照)の、特にランキングを見てもわかるが、上位は基本的に小ネタとエンタテイメント・ネタである。時に時事的なキワモノネタも上がり、そうしたとき、なんかの偶然のように極東ブログのエントリが上位にすることがある。総じて言えば、ネタとタイトルの妙と、一日のエントリ数で上位は決定するようになっている。
 これではブログの世界の実情というのがうまく伝えられていないか、あるいは曲解されるかなと私は懸念していたし、ある時点から、このランキングには関心を持たなくなったのだが、考えてみれば、こうした小ネタやエンタテイメント・ネタこそが、エキサイトというポータルの商品価値である。
 同様に、ライブドアもなんらかの商品価値の志向があり、そこから極東ブログが排除されたのだろうとも思った。この関連で言うなら、ブログ単位ではなくエントリ単位でグールグル・アドセンスもけっこう厳格に選別をしている。
 仮にこうした傾向をブログの囲い込みなりとして見ると、商品化の枠組みで考えられる。が、RSSを公共財として見るなら、それらは近未来に各人のRSSリーダーに組み込まれるだけのことなので、単に過渡的な問題にはすぎないだろう。
 もう一点は、ブログがそういう公共財的な性格を持つなら、広告(スパム)やあまり低次元な嫌がらせコメントやトラックバックというのも、公共性への侵害のようにも思えてくることだ。その辺りが当面、ブログの課題になっていくのかもしれない。
 しいてもう一点言えば、ピュー・インターネット・アンド・アメリカン・ライフ・プロジェクトとバズメトリックスの調査が暗示するように、政治家や既存ジャーナリストの追従者の系列に近いのだろうが、カリスマ・ブロガーとかがあればそれがある種の危険性を持ちうるだろう。が、それこそが、まさにブログの公共的な性格によって緩和されるものではないか。いわゆるスマート・モブというのは、携帯電話メールのレベルでは起きえるが、ブログの成熟はその抑制に働くのではないか。
 と、話は以上なのだが、このエントリにはちょっとお笑いのオチがある。ライブドアからお誘いのメールが来てしまったのである。finalventさん、落ち込んでるょという支援の声もあったらしい。ありがたい。お受けします、理屈は、いらんでしょ。

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2005.05.23

コーヒーについての雑談

 コーヒーについての雑談。ネタもオチもなし。先日、談話室滝沢が閉店になるというので、ちょっと懐かしくもあり、新宿店に行ってみた。店内に入るのは十年ぶりくらいだろうか。しかし、一歩踏み入れたら昔とまったく同じに思え、ちょっとタイムスリップした。地下のほうには昔と同じ小さな池があり鯉がいた。あれがけっこう好きだった。二十五年前の私はまだ青年だった。当時の青年には滝沢は割高なのでたぶん年上の誰かに連れられて来たのだと思うが、誰だったのかの記憶がない。
 新宿でうろついていたころよく行った喫茶店というと、今は「思い出横町」と改名されたあたりの但馬屋だ。最近は行ってないが、今でも客を見てカップを選んでくれるのだろうか。もしそうでも、もう私には花柄っぽいのは来ないだろう。但馬屋ではなんどか女性とまったりコーヒー飲んだような記憶があるのだが、それも誰だか思い出せない。他に、酒飲んだあと、歌舞伎町から東口に行く途中の地下に梵という喫茶店によく行ったが、今でもあるだろうか。当時は勘定台にマッキントッシュが置いてあった。
 話を滝沢に戻す。あのコーヒーを旨いという人がいるが、私はよくわからない。久しぶりに飲んでみるとたしかに懐かしい味がしたが、私は好きではない。私が好きなコーヒーは、参道の大坊のナンバー2だったか、とにかくダークローストだ。十年前だと東京でもまともなダークローストというかヨーロピアンローストのコーヒーはあまり飲めなかった。ちゃんとしたエスプレッソの香りのするエスプレッソもほとんどなかった。
 八年東京を離れている間に東京は変わった。沖縄暮らしでも時折東京の街には出て来たのだが、驚いたのはその度ごとにスタバが増殖していることだった。どんなコーヒーかと思ってスタバのを飲んでみた。まずまず満足できる味、というわけで、以前はコーヒー豆を海外のショップから買っていたものだが、最近はスタバで買う。と書くとコーヒーにこだわりがあるようだが、それほどでもない。普通のコーヒーでいいのだ。
 そういえば先日ラジオでブラジルのコーヒー事情を聞いた。ブラジル人もコーヒーを飲みましょうというような話だった。ブラジル人はすでにけっこうコーヒーを飲んでいるはずなので、なぜだったのか。具体的にどんな話だったかも失念したが、コーヒーの世界統計の話などもあり、いくつかへぇと思った。この手の情報ならネットにあるだろうと見ると、確かにある。
 全日本コーヒー協会の統計資料のページ(参照)にコーヒーについていろいろな統計データがある。国別の生産量を見ると、やはりだんとつにブラジルが多く、約254万トン。次が、少々意外だったのだが、ベトナムで72万トン。コロンビアの約70万トンを抜いている。ベトナムは行ったことはないが、私がよく海外のショップに注文したのはベトナム・タイプのブレンドだった。サイゴン・ブレンドとか言ったか。ベトナムを仏印と呼ぶほどの歳ではないが、サイゴンはある意味、フランス文化が根付いたところなので、ヨーロピアンローストのコーヒーが美味しい。とか言って、私は旅行したことはないのだが、幾人かから聞いた話だ。
 ベトナムのコーヒー生産量が多いのは、中国での消費拡大だろうか。邱永漢が数年前から中国人も今後はコーヒーを飲むようになるから雲南でコーヒー農場をするのだと、美しい夢をよく語っていたが、私などには実感はない。雲南にコーヒー農場ですか。わからない。
 中国とコーヒーはどういう状況にあるのかと見ていくと、同じく全日本コーヒー協会の”中国コーヒー市場の将来性”(参照)という記事があり、それなりに面白かった。が、ベトナムとの関係はわからない。考えてみると、中国に近い生産地であっても中国内部であっても、コーヒーのグローバルな市場には関係ないだろう。
 世界のコーヒー消費の話といえば、どの国の人が一番コーヒーを飲むか、である。私の記憶では北欧だったのだが、”世界の国別一人当たり消費量”(参照)の資料を見ると、概ね当たり。とはいえ、なぜ北欧でコーヒーなのかという理由はよくわからない。身体が温まるからか。でもブラジルとかも飲むしな。
 個人消費の統計を見ると、この数年で大きく構造的に変化している国はなさそうだが、しいていうと、オーストリアが徐々に減っている。ウィンナコーヒーとか飲まないのだろうか。という以前に、オーストリアでウィンナコーヒーなんて飲んでいるのだろうか。よくトルココーヒーとかいうが、トルコではそれほどコーヒーは飲まれてないかった。ましてトルココーヒーは少ない。
 全日本コーヒー協会の資料にはないが、日本のコーヒー生豆の輸入量は2003年統計で世界第三位の年間約40万トン。けっこう多い。インスタントコーヒーが相対的に嫌われているのか(単に国内生産でないのか)、あるいは喫茶店文化がそれなりに盛んなのか。ついでに資料を見ていて知ったのだが、「キリマンジャロ」というのはタンザニアからの輸入豆、「ブルーマウンテン」というのはジャマイカからの輸入豆のことらしい。
 と書きながら、そういえば、喫茶店で「俺、ブルマン」とか言わなくなった。「私、キリマン」とか言うのもないだろう。時代だなあ。「お前、モカ、…ブルータス、お前もか…」といった洒落も現代では注を要する、というあたりのオチにする予定はなかったのだけどな。

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2005.05.22

フィリピン日系人の調査

 先日NHKラジオで、日本政府によるフィリピン日系人の調査が進めらることになると聞いた。違和感というものでもないが、なんで今頃なんだろうかとも思い、少し調べてみたのだが、ネットなどを見ている限りは、支援団体の活動はわかるのだが、その時点でメジャーなニュースにもなっておらず、また政府の動向もよくわからなかった。そんなわけで、なんとなく気にしていたのだが、今日の読売新聞”フィリピン日系人、身元調査へ…高齢2世らの要望受け”(参照)に関連の記事があった。


 政府は、終戦前にフィリピンに移住した日本人の2世や3世に関する身元確認調査を近く開始する。戦後60年を迎え、高齢化が目立つ2世らから、「祖国が日本であることを確認したい」との要望が出ているためだ。日本人移住者の子や孫であることが確認された人は、日本の定住ビザを取得し、日本で働くことも可能になる。調査は約300人が対象で、年内に結果をまとめる方針だ。
 調査は、現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)に依頼し、本人への面接調査を行う。

 実務部分は、読売新聞の記事には「現地の日系人団体と東京の非営利組織(NPO)」として特定されていないが、NHKラジオの話では、このNPOは、NPO法人フィリピン日系人リーガルサポートセンター(通称PNLSC)(参照)とのこと。同NPOのサイトでは、弁護士でもある河合弘之理事長の次のような「ひとこと」を掲載している。

「経済的に豊かで、現地の人たちとも仲良く暮らしていたフィリピン日系人社会をたたきつぶしたのは日本軍ですから、これを再建するのも我々日本人の責務だと思います。そのためにはより多くの残留2世の親を捜し出し、2世の国籍を確認し、彼らのアイデンティティを確立し、日系3世、4世の定住ビザ取得を容易にしなければなりません。そして1人でも多くの人が日本で一生懸命に働いて、フィリピンの家族に送金できるようにしなければなりません。さらにはフィリピンの日系人社会を再び、豊かで尊敬される階層へと押し上げなければなりません。私はその日までがんばります」

 このNPOの設立は日が浅いようだ。ネットなどで見るかける、活動史のある「フィリピン日系人支援の会」(参照)といったNPOとの関連もわからない。
 先の読売新聞の記事では、フィリピン日系人の歴史的背景についてはあまり触れられていないが、重要な日本の近代史の一側面ではある。
 話は、明治三十七年以降のことだ。主に、ミンダナオ島ダバオ市周辺に日本人が移住し、日本人街の様相を呈していたらしい。往時にはその人口は二万人を越えたとも言われている。
 第二次世界大戦後、敗戦の処理の一環で、同地の日本人、つまり日本移民と両親がともに日本人である子供は日本に送還されたものの、母親が日本国籍を持たない子供はその対象とならなかった。が、当時の日本国法では父親が日本人であれば、子供にも日本国籍が与えられていた。
 外務省は、今から十年前、一九九五年になってようやく、フィリピン移民日系二世の実態調査を実施し、この際、その総数は二千百二十五人、うち、生存者千七百四十八人と発表した。が、この時点では、日本人戸籍謄本などで身元の証明ができたのは五百四十一人だった。その後、一九九七年にも外務省が調査しているが、この間の経緯は私はよくわからない。NHKラジオでは千人以上の身元が判明したと伝えていた。
 今回の調査では、ラジオを聞いた記憶では八百人ほどが対象になるらしいとのことだが、読売新聞の記事では三百人と少ない。いずれにせよ、おそらくこれ以上問題の解決を引き延ばしては行けない時期でもあるだろうし、二世から三世、四世の時代に移りつつある。
 今回の調査で日系人であることが確認されれば、南米の日系人と同じような待遇になるようで、その子孫は日本での就労も可能になる。
 こうした問題では、いろいろ複雑な要素が絡むので、単純に割り切れない。私自身、沖縄で長く暮らし、類似の問題の多様な局面についても考えさせられた。話は、戦後の構図として、つい日本対アジア人という枠組みで語られることも多いが、戦前の日本人とはなにかという点で、どうしてもマージナルな部分は残るように思う。

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2005.05.21

量的緩和政策は続行しますとも

 今朝は大手紙の社説がこぞって、量的緩和政策をテーマとしていた。ということは、経済プロパーな話題というより、お茶の間の話題というふうに理解できるだろう。朝日新聞などはできるだけお茶の間的な解説にすべくその苦慮が伺われて面白いには面白いのだが、無駄な誤解を招いているようにも感じられた。「そのうえで、日銀は量的緩和の経済効果について、もっとわかりやすく整理し、説明してもらいたい」(参照)とするのはユーモアのつもりかもしれない。いずれにせよ、お茶の間の話題というレベルで当ブログも触れることにする。
 話の発端は、二〇日の金融政策決定会合で、日本銀行の量的緩和政策の目標である日銀当座預金残高について、一時的に下限の三〇兆円を下回っても容認することにした、ということだ。議論の争点は、量的緩和政策を継続するのか、それともここらで止めろということか、ということ。毎日新聞を除いて、量的緩和政策を継続せよという主張であった。
 しかし、実際のところ、福井俊彦日銀総裁が記者会見で強調したように(参照)、量的緩和の骨格はそのまま維持され、日銀が金融引き締めに転換したとの見方を否定しているので、どう議論してもそれほど現時点での重要性はない。私などから見ると、なにがそれほど問題なのかという印象は受ける。
 読売新聞社説”量的緩和政策 デフレ完全脱却まで粘り強く”(参照)では、「世界の金融関係者は、日本銀行がどう出るのか、注視していたのではないか」と切り出しているが、私の見落としかもしれないが、世界の金融関係者が必ず読むであろうフィナンシャル・タイムズでこのニュースが注視されているふうはなかった。
 それも当然かな、という感じもするのは、極東ブログ「OECD対日経済審査報告と毎日新聞社説でちと考えた」(参照)で今年のOECD対日経済審査報告に触れたが、ここでは、2003年10月の日銀政策委員会で公表された量的緩和政策の解除の条件、つまり、インフレ率がわずかでもゼロ以上になれば解除の可能性が検討されるということに、OECDは懸念を表明している。しかも、日本の量的緩和策については、仮に消費者物価がプラスに転換しても拙速に解除しないように強調されていた。そんなことをすれば、日本経済がデフレに押し戻されかねない、とOECDは言うのである。というあたりで、日本経済の金融政策面での国際的な視点が変化するとも思えない。なので、今回の件は、この分野の日本特有のファス(fuss)のように思えるし、そのファスにはそれなりの国内事情というものがあるのだろう。
 今回の件の背景的な要因としては、先日発表された今年1~3月の実質成長率年率5.3%というのを、景気の中だるみから離脱と見る見方があるだろう。国内需要も増加しつつはあるのかもしれない。が、総じて見れば、日本経済は以前デフレのままであり、十八日日経社説”素直に喜べない5.3%の高成長”(参照)の指摘は的確だ。


第一に、消費の回復(年率4.7%増)は暖冬や台風災害で不振だった昨年10―12月期の反動増という色彩が強い。最近の小売業販売額をみると、2月が前年同月比2.7%減、3月が同0.6%増など、決して強いというほどではない。


さらに、総合的な物価指標であるGDPデフレーターが前年同期比で1.2%下落と、下落幅が昨年10―12月期の同0.4%より拡大したのは気掛かり。原油など素材価格は上昇しても全体にデフレ傾向から脱却していないことが読み取れる。

 少し古いがフィナンシャル・タイムズが四月二十六日に”Japanese economy stuck in deflation”(参照)と題する、日本のデフレについて扱った記事があった。私などには国内の経済記事よりわかりやすかった。というか、次の指摘に苦笑というか、笑った。それ以外なにができる?

Jesper Koll, economist at Merril Lynch, said Japan’s economy continued to limp along, but had not yet achieved “self sustaining, demand-driven growth.”

Under the leadership of Junichiro Koizumi, who began his fifth year as prime minister on Tuesday, Japan had at last started to grow in nominal terms, adding Y5,500bn or 1.1 per cent of gross domestic product since 2002. That compared with a nominal decline of Y23,000bn from 1997 to 2002, but was hardly spectacular, he said.

Mr Koll quipped that there had been three factors behind Japan’s growth, namely “exports, exports and exports.” Since 2002, domestic consumption had contributed just one-tenth of GDP growth, he calculated.


 メリル・リンチのエコノミスト、コリー氏によれば、日本の経済成長の第一要因は、輸出である。第二要因は、輸出である。第三要因は、輸出である…。
 結局、いまだに「ウォルフレン教授のやさしい日本経済」で指摘されている、日本の新重商主義的なありかたに変化はないと対外的には見られている。
 そして、日本経済が輸出に依存しているということは、中国に依存していることであり、とすれば中国が国際経済にどんな問題を抱えているかという波及を日本経済も受ける…はずだが、そのあたりがよくわからないといえば、よくわからない。

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2005.05.20

[書評]希望格差社会(山田昌弘)

 以前に読んで心にひっかかったものの、そのあたりがうまく言葉にならず、もどかしく思ったまま、そういえばこの本について結局なにも書いてこなかったことに気が付いた。と、いう次第なので、いまだにうまく思いがまとまらないが、気にもなるので、書きながら、考えてみたい。

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希望格差社会
 「希望格差社会―「負け組」の絶望感が日本を引き裂く」は、副題にあるように、日本社会が勝ち組と負け組の二極化になるという、社会の危機感を社会学的に考察し、その解決策も提示したものだ。それがどうして、「希望格差社会」になるかといえば、Amazonのサイトにある日経ビジネスのレビューにあるように、とりあえず、こういうことだ。

現在の日本は職業、家庭、教育のすべてが不安定になり2極化し、「勝ち組」「負け組」の格差が拡大している。「努力は報われない」と感じた人々からは希望が消滅し、日本は将来に希望が持てる人と絶望する人に分裂する「希望格差社会」に突入しつつある。

 このまとめは誤読だ、とも思わないが、一つ重要なキーワードが抜けている。「リスク社会」だ。リスク社会があり、二極化があり、希望格差があるという連鎖が本書の骨子だと私は読んだ。
 そのリスク社会という概念だが、これはウルリヒ・ベックの「危険社会―新しい近代への道」から山田が借りているもので、こちらの書籍では標題ではリスクが「危険」と訳されている。これはもちろん誤訳に近い。虎穴に入らずんば虎児を得ずというリスクで、リスクをテイクしない人間は得るものがないという場合のリスクのことである。
 リスク社会は、単純に「努力は報われない」というのではなく、努力はそれ自体が水泡に帰す可能性のあるリスクとなる、ということだ。そして、その失敗でドツボったら負け組というわけだ。
 と、ここで、いきなり本書の枠組みからずれるのだが、しかし、負け組になってもチャレンジして這い上がることができればいいじゃん、というのはあるだろうか?
 実際、山田のこの書籍から提起を受けた形で、この四月にNHKの『日本の、これから』「格差社会」という長時間番組が放映され、山田も出演していたのだが、番組の主眼はなんといってもホリエモンだった。当然、勝ち組の代表という役回りでもある。そこで、彼は、まさに、「失敗したらやり直せばいいじゃないか、できますよ」、というふうに、なんどもぶちかましていた。
 そのあたりで、番組では話が空転したように思う。確かに、建前では、ホリエモンの言うように、再チャレンジがなんども可能だし、彼の言葉にはある種のカリスマティックな響きもあった。
 ここで私の思考は一旦止まる。
 個人的には、俺はホリエモンにはなれないよ…つまり、この私は希望をすでに失った負け組であり、しかも、ホリエモンの言葉に対抗できそうにもなく自分から負けているのである。
 再チャレンジができるから負け組は固定していないのか。
 その答えは…私は実感としては、わからない。が、しいていうと、ホリエモンの主張が結果として示唆しているのは、博打型人間の創出だろうと思う。そして、それ自体が、実は、絶望の別形態なのではないか、と私は疑っている。
 話を本書に戻す。要するに、リスク社会の出現によって、努力は必ずしも結果に結びつかず、転けたら負け組になり、二度と這い上がれへん、もう、希望なし、というのが今後の日本だというわけだ。
 確かに、生温かく日本を見ると、それはそうだなと思う。
 違和感があるとすれば、そうした社会参加の側面のリスク・テイクと二極化というのはわからないではないが、家族問題(元来山田の専門は家族社会学)に適用し、特に、結婚という家族のありかたも、社会と同型の二極化として見ていくあたりにつては、本当にそうなのか。
 というのは、私はどっちかというと吉本隆明主義者なので、共同幻想(社会)と対幻想(過程)とは別の次元だというふうにまず考える。
 だが、では、家族形成、つまり、結婚において、希望格差というのはないのか? あるいは原理的に克服できるのか? 
 そこでまた思考が停止する。いくら原理的には独立していても、実際には、結果的に山田の考察どおりでいいのだろうと思う。つまり、ダメじゃん、俺の考えなんてダメダメ、でもある。家族というものもリスク社会に取り込まれている。家族形成にも負け組がある、と。それが、結婚できない層の人々なのだと……かなり私には違和感はある。
 少し話を進める。
 こうした希望格差社会をどう是正したらいいのか?
 私の本書への理解が違うかもしれないが、ここで提言されているのは、要するに、努力を社会制度に吸収し、リスクを限定すればいい、ということだろう。比喩的に言えば、自動車教習所的社会を構築せよ、と。受講者の大方が合格できる社会にしとけと。そして、おそらく、山田は明示してないと思うが、その受講を階梯化し、その過程で徐々にセイフティーネットに人々をふるい落とす社会にしておけ、ということだろう。
 そりゃ、そうかなと思う。
 でも、たぶん、そんな社会にはなりっこないし、そういう社会を構築するための道もわからない。
 通常の近代国家の市民なら、制度とは、作為の契機として出現するし、政治活動の課題となる。でも、日本はそうならないだろう。
 そうなる気配もないどこか、逆に、リスク社会と二極化を固定し、実質の階級を構成していて、その階級から出られないような社会に着実に向かいつつある。
 個々人の自覚なりが日本の社会をそうした希望格差社会を改善する契機として存在するかと言えば、その努力も多分に無意味になるだろう。
 結局、どうしたらいいのかというと、私はわからないし、絶望しているに等しい。本当に絶望しているのかというと、そのあたりはよくわからない。毎日ブログを書いているのはなぜなんだい? どっかに希望とかを考えているんじゃないかね? と問われれば、取りあえず、なんかの希望を捨ててもいないようにも思うからだ。

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2005.05.19

はづかしきもの、色このむ男の心の内

 雑談。初夏っぽい季節になった。混雑もしていない電車に乗ると、ものうげな人々の表情が面白い。女性の白い肌も目立つ。徒然草に言うように、「九米の仙人の、物洗ふ女の脛の白きを見て、通を失ひけんは、まことに、手足・はだへなどのきよらに、肥え、あぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし」と思うだけなら、害もなき中年男の常ゆえ、免罪とされたい。男の心を指して「人の心は愚かなるものかな」とは今も変わらぬ正確な批評。「世の人の心惑はす事、色欲には如かず」ということであろう。男の心内恥ずべきと言われれば、なるほどなとも思う。が、その一線を越えてはならぬもの。
 そういえば、五月十一日の日本経済新聞コラム春秋はこう切り出していた(参照)。


 「はづかしきもの 色このむ男の心の内」。『枕草子』で清少納言はそういっている。込み入った空間で見ず知らずの男女が共に過ごすのは一筋縄では行かない。満員の通勤電車の中で作法を誤れば痴漢の冤罪(えんざい)を着せられる時代である。
 遅ればせながら、今週から関東の大手私鉄や地下鉄でも朝夕のラッシュ時に女性専用車両が導入された。「逆差別」といった批判もないわけではないが、男性の側からも誤解やぬれぎぬをなくすためには歓迎という声が多い。「色このむ男」の心を前提とすれば、男女のすみ分けは車内平和へ一つの選択肢だろう。

 一読して首をかしげた。
cover
枕草子
 「はづかしきもの 色このむ男の心の内」はたしかに枕草子にある言葉だが、春秋の筆者、「色を好む男の心の内というのは恥ずかしいものだ」と解釈して書き出したのではないだろうか。どうも文脈が変だ。
 もちろん、古典の言い回しというのは、時代時代によって解釈が変わってきてもしかたがないものだが、はっきりと「『枕草子』で清少納言はそういっている」と書く上は、その古典を踏まえないと、恥ずかしい。
cover
枕草子REMIX
酒井順子
 当然ながら、枕草子のこの文脈における「はずかしきもの」というのは、現代用例の「恥ずかしいもの」とは意味が異なり、「気後れがする」という意味だ。気が引けると言ってもいい。もっと現代風にいうなら「あらまドン引き」にも近い。私の語感だと、ばつが悪い、という感じだ。
 「色このむ男」の意味も当時はどちらかというと「恋愛が趣味っていう男」ということだから、桃尻訳は参照していないが、まとめると、「恋愛が趣味っていう男の本心を知ると、ちょっと引くわよね」ということだろう。
 実際、原典は、こうなっている。

 はづかしきもの 色好む男の心の内。いざとき夜居の僧。みそか盗人の、さるべきものの隈々にゐて見るらむをば、誰かは知る。くらきまぎれに、ふところに物などひき入るる人もあらむかし。そはしもおなじ心に、をかしとや思ふらむ。
 夜居の僧は、いとはづかしきものなり。わかき人々集まりゐて、人の上をいひわらひ、そしりにくみもするを、つくづくと聞き集むらむ、心のうちはづかし。

 古文は読みづらいが、それでも、まずこの文章は、「夜居の僧は、いとはづかしきもの」と続くことをおさえておかないといけない。
 意味はこんな感じだ。

 気後れするものいえば、男の本心とか、目ざとい夜勤の僧侶だ。こそ泥も物陰に隠れていても見えなければわからない。そんなふうに、深夜の暗闇に紛れて、ちょいとものを懐中へとくすねたりする人がいる。そんな気分も人によっては面白半分なのだろう。
 夜勤の僧侶というは、気が引けるものだ。深夜、若い女たちが集まって、こっそり上司の悪口を言い合っているのに、この夜勤の僧侶ったら、それをじっと聞いているのだ。それってないじゃない、ばれたらばつが悪いったらありゃしない。

 つまり、相手の本心とかばれると、こっちのほうがばつが悪いというのが「はずかしきもの」なのである。
 さらに。

 男は、うたて思ふさまならず、もどかしう、心づきなきことなどありと見れど、さしむかひたるほどは、うちすかして思はぬことをもいひ頼むるこそ、はづかしきわざなれ。

 意味はこんな感じ。

 男は、好きな女に対して、「こいつわがままで思い通りにならないし、いらつくし、気にくわねーんだよ」と内心思っているのに、実際に会っているときは、女をだましているつもりなのか、心にもないこと言って、ちやほやするから、ついその気になるじゃない。わかっていたら、引くわよ。

 ということ。男に対して言う、ガセピアの沼の「嘘つき」にも近い。
cover
桃尻語訳
枕草子
 春秋の執筆者の文脈は原典と違い過ぎるのだが、たぶん実際には枕草子を読んだことがないのだろう。昨今若者の学力が落ちたとも言われるが、日本経済を支えているビジネスマンが読む日経コラムの教養レベルは、こんなもの。
 と、他人を評すれば同じ評をこちらも受けることになるので、それはそのくらいで終えるのだが、春秋のこのコラムが言いたいことは、普通の男性でも、混雑し接触することもある電車の中では男女が一緒にいないほうがいいだろう、ということ。それはそうかもしれない。
cover
ピーター・
グリーナウェイの
枕草子
 そういえば、今日発売の週刊文春には”同乗ルポ「女性専用車両はオンナの無法地帯」大開脚に香水地獄”という面白い記事があった。副題も頷ける。エレベーターなどで私もときおり窒息しそうになることがある。他、女性専用車両では、けっこうだらしない女性が多いとも記事にあった。
 今日、電車のなかで私が見かけた女性の多くもけっこうだらしなかった。すでに驚きもしないが化粧している人もいた。大股を開いている女性が少なからぬというか、閉じている女性のほうが少なく思えたのは、私の感性が古いのだろうけど、ちょっと驚きだった。

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2005.05.18

世界経済フォーラムによる日本の男女格差調査

 日本は国際的に見ると男女格差(ジェンダー・ギャップ)の大きい国である、と言っていい。一六日に発表された「世界経済フォーラム」の報告書”Women's Empowerment: Measuring the Global Gender Gap”(参照)によると、主要58カ国のランキングでは38位と、中の下というか、下の部類になった。それだけ聞くと、先進国にあるまじき女性差別の国だよなということになるし、実際、そう言ってもそれほどハズしているわけでもないということになった。
 ざっと上位ランクキングを見るとこんな感じだ。

  1. スウェーデン
  2. ノルウェー
  3. アイスランド
  4. デンマーク
  5. フィンランド
  6. ニュージーランド
  7. カナダ
  8. 英国
  9. ドイツ
  10. オーストラリア

 上位は北欧が多く、次にコモンウェルスが目立つ。先日の国別学力調査でも北欧はよい成績だったので、さすがに平和な時代の長い国は社会が進展するものだと言いたくなる。
 ちなみに現実の主要国で見ると、米国は17位、フランスは13位、ロシアは31位、中国は33位、という感じの並びで、日本が38位。なんとなく国の民度を表しているようでもある。これに韓国54位と続けると、ちょっと笑える。韓流とやらで韓国人男性を好む日本人女性も多いと聞くが、恋愛はいいとして、現実にその社会でやっていくのは大変かなもと思える。
 このあたりで話を終わりにしておくと、いかにも日本の新聞とかの記事のように、それげな感じがする。私は、この結果を見て、かなり違和感を持った。
 ちょっと他の国も見てみる。逆に見る。58位エジプト、57位トルコ、56位パキスタン、55位ヨルダン…というわけで、イスラム圏の国が並ぶ。そりゃ、この手の調査をするとそうなるだろうとは思う。が、これらの国をどうやって上位させるかというのは見えてこない。ここには文化圏の価値観との衝突があるだろう。それをどう考えたらいいのだろうか。国力がアップすれば自然に女性の地位は向上するとも言える側面はあるが、それは解消に向かう指針でもない。
 もうちょっと見る。イタリアは45位と日本より低い。イスラエルは37位で日本とどっこいどっこい。そして、アルゼンチン34位。スペイン27位。その国の文化的な傾向への依存が感じられる。コスタリカ18位、ポーランド19位、ベルギー20位、ハンガリー24位、チェコ25位…この当たりはロシアや中国のように社会主義圏的な要因だろう。
 いったい、どうやって調査してのかというのは、オリジナルを読んでいただければわかるが、日本語で読みやすい朝日新聞記事”男女格差の少なさ、主要58カ国で日本は38位”(参照)を引用しよう。


国連のデータや聞き取り調査などに基づき、女性に関する経済への参加度、雇用機会の均等性、政治的な決定権限、教育機会の均等性、健康への配慮の5分野を指数化して算出した。

 やや恣意的なものも感じるがそれほど間違ってもいない。指標もこんなものだろう。というか、この手の指標を使うと、北欧のようなスモールサイズで重税的な先進国が上位にくるものだ。たぶん、隠れたパラメーターは国家の適正サイズというものと、経済学でいう比較優位ではないが、移動かもしれなない。というのは、米国などは、実際にはスモールサイズの国家の集合なのだが、移動が自由なので均衡してしまう。
 ざっと見た感じでは、私の印象では、こうした指標によるこうした調査が無意味だとは言わないが、それをもって、それぞれの国がどう受け止めるかというと、文化や国家体制の基幹が問われるので現実的には洒落にしかならないのではないか。とはいえ、日本については、政治的な決定権限などで、もっとアファーマティブな施策が求められるだろう。
 ついでにというか、データを取り出して、エクセルに入れて、教育機会の均等性と健康への配慮の順位を掛け合わせた値でソートしてみた。なんでそんなことを思いついたかというと、父性的な保護国家は女性の経済への参加度、雇用機会の均等性、政治的な決定権限といったその国家での男性領域と衝突せず、それでいて福利的な立場に立つんじゃないかと思ったからだ。この思いつきの結果はこうなった。

  1. スウェーデン
  2. デンマーク
  3. フィンランド
  4. アイスランド
  5. ノルウェー
  6. 日本
  7. アイルランド
  8. 英国
  9. ウルグアイ
  10. アルゼンチン

 予想はしていたが、もう一条件で北欧とか小規模国家をフィルターアウトしてしまうと、日本は1位になる。日本は国家が女性を保護している構造を持つ国家ということは言えそうだ。そして、それに英国やアルゼンチンが続くというのは、保守的な古い国家の枠組みを持っているということなのだろう。
 もっとも、日本がこれで上位になると予想したのは、健康への配慮が3位と際立っていたからでもある。
 日本は今後、その健康への配慮の順位が落ち、女性の経済への参加度、つまり、女性に労働させるという指標が上がるようになるだろう。そのあたりはバランスしてこうした報告では日本の中の下状態を保持する機能になるだろう。
 日本でのこの分野の問題は、雇用機会の均等性や政治的な決定権限だろう。後者はアファーマティブな施策が必要だろうが、前者は制度的には改善されているし、これだけ女性教育が普及しているのにその制度が改善されないとすれば、ちょっと批判を浴びるかもしれないが、女性の社会政治意識にも問題があることになるだろう。
 日本男性の社会意識はと問われればこれは苦笑領域にある。5日の毎日新聞社説”少子化 流れが変わるとすれば男が変わるときだ”(参照)を思い出した。


 家庭が幻滅の源泉であるとすれば、理論的には夫婦の共同責任だが、現実には男の責めに帰すべきだ。なぜ? 私はフェミニストというほどの人間ではないが、この社会で、そして家庭で女性が割を食っているのは自明だと思う。

 日本の中年男性はそんなふうに考えているわけだ。

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2005.05.17

数独やってみた

 小ネタの類だが、英国で日本発の数独(SUDOKU)が流行っているという話が、時事”英国で「数独」が大ブーム=クロスワードパズルをしのぐ?”(参照)にあった。


英国と言えば、クロスワードパズル好きが多いことで知られるが、日本の一部マニアの間で盛んな数字パズルの「数独」が最近、大人気を呼び、各紙が競って掲載、専門誌まで誕生するほどのブームとなっている。

sudoku
数独完成例
 Google Newsを引いてみるとなるほど、テレグラフ(参照)でも、ガーディアン(参照)でも話題になっていた。携帯電話でもできるというあたりも売りらしい。ま、そういうものかね、と、ふーんと思って、ま、まずは、やってみた。
 もちろん、一番簡単なのから。ニコリのパズルジャパンにある「数独のおためし問題 」(参照)からいちばん簡単なのをPDFで印刷し、ボールペンを持ちながら、飯後の眠げな頭でちょいちょいと始めた。ちなみに、ルールはこちら(参照)。
 やってみると、なーんだ、やっぱ簡単じゃんと、八割がた出来たあたりで、矛盾をきたした。むっときた。おい、ここでデッドロックっていうことは、どこまでトレースバックすればいいのか。どこまで鉄壁だったのかと検証しつつ、試行錯誤して、放り出した。自己嫌悪。
 いやまったく、よくこんなパズルが好きなやつがいるよなと思うが、振り返ると、若いころはツクダオリジナルがまだロゴを入れてない初期ロットのルービックキューブを買っていじっていたし(そのうち、任意の状態から何秒で戻せるかとかやっていた)、倉庫番とかもはまったクチではある。倉庫番、知らない? シンキングラビットってその後どうなったんだろ。
cover
数独
FORエキスパート
Vol.2
 話が逸れた。数独だが、数字を使っているが別に計算的な要素はない。アルファベットでもいいにはいいのだろうし、そうしたバージョンもネットで見かけた。やってみてわかったが、ある程度推理して、未知のマスに、たとえば、9と7という二つの数字を量子力学的に置いていく作業をすすめて、それがある条件下で崩壊して、9とか7とかになる…という感じだ。その不確定さをどこまで許して、先を進めるかというのが、このパズルの醍醐味なのかなとも思った。けっこう推理力というのが必要になるので、疲れる。
 最終的に解法された数独のマトリックスを作成するのは、プログラム的にも難しくないだろうが、と思ってネットを見渡すと、予想通りいくつか見かけた。が、一般解を導く手法は確立しているのだろうか。私なんぞ、数学が苦手でしょとか思われているフシもあり否定もしないが、基礎論なども勉強したには勉強したので、ある特定の数独が解法可能かの条件というのも若干気になった。そうした数学的な特徴付けが可能だろうとは思う。と、同時、解法可能性と難易度もなんらの関連性があるのだろうが、そのあたりはどのようにパズルが作成されているのだろうか。
 英国では一過性のブームになるのか米国とかにも広がるのか。ネットを見ると、なんとなくコモンウェルスには広がりそうな気配も感じるので、これって英国的なのかもしれない。クロスワードパズルほどの地位になるだろうか。と、いわゆるクロスワードパズルというのは、実際には、文学的な教養を必要するちょっといやったらしいゲームだがそれに比べれば数独はシンプル。
 また、数独をソリテア系に比べると、偶然という要素はない。なんか、好みと国民性というか、性格とかも関係しそうでもある。あれか、エイト・クイーンとかそんな感じに近いパズルのようにも思える。
 英国サイトなどをざらざらと見ながら、このパズル自体の知的所有権というのは日本のニコリにあるのかどうかわからないなとも思った。個別の数独のパズル自体は著作権が成り立つだろうが、これをオンラインゲーム化した場合はどうなのだろう。テトリスなども、あれがゲームだから著作権になったようなもの。最初にゲーム自体を特許にしておけばよかったんじゃないかとも、つらつらと思ったが、余計なお世話。しかし、こうした側面で日本が有名になるというのもいいことには違いない。

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2005.05.16

シンガポールのカジノ雑感

 注視したほうがいい時事の話題もあるがよくわからないことが多い。というわけで、ずっこけ、たるい話。シンガポールのカジノ。
 先月十八日シンガポール政府は自国内にカジノ設立する方針を決定した。建設地は二カ所。セントーサ島(本島と橋でつながっている)は当然として、シンガポール中心部ビジネス街近くマリーナベイ地区は意外といえば意外。
 滅菌されたシンガポールになぜカジノ?だが、単純に観光産業の振興だ。アジアの観光業が昨年6.5%アップしているなか、シンガポールは17%減と取り残され、もうカジノしかないでしょということになった。投資額三千五百億円、雇用創出見込み約三万五千人、経済成長率は1.5%アップする…との試算だが、ほんまかいな。とはいえ、開業は2009年とのことなので、そう遠い未来の話でもない。
 FujiSankei Business i.”シンガポールでカジノ導入に不安の声 「観光の目玉」と政府は推進”(参照)では、しかたないかも感を次のようにまとめていたのが面白い。


“建国の父”で、元首相のリー・クアンユー顧問相は「健全な国際都市というイメージがシンガポールのセールスポイントだった時代もあったが、もうそれだけでは不十分だ」とカジノ導入に理解を示している。

 この決定に至るには国を挙げての議論があったようだ。建前上シンガポールは多民族多宗教国家であり、特にイスラム教はカジノの利用は宗教的に禁られている…と、そのあたり、逆にシンガポールのメリットであると考えられているのかもしれないが。
 華人のカジノ好きはマカオの現状を引くまでもない。民族性なのだろうか、あるいは日本人や朝鮮人でも同じなのだろうか、そのあたりはよくわからない。
 個人的な話だが、以前、台南の浜辺を本省人の人と散歩していたら、安っぽいスマートボールみたいのがあり、大人が興じていた。なんでこんなものをと思ってなんとなく見ていたら、彼が笑ってやってごらんというので、やってみた。面白くもないよと言うと、彼はさらに笑ってルールを知らないからとねと言うのである。というわけで、ディープなルールを教わったが、それに従って興じることもなかった。
 そういえば、海外でホテルでぼーっとしてフロントのお姉さんにどっか暇つぶしはないと聞いたらカジノでしょやっぱりという感じで勧められた。ま、そういうものなんだろうなと思いつつ。それはいいやということで教会巡りをした。そちらのほうが性に合っている。の、だ、が、この歳こいてカジノは苦手というのも野暮なことではあった。さらに、そういえば、子供のころ祖父が賭け事についてじっくり伝授してくれたことがあった。いいか、遊ぶカネを決めておく。そのカネがなくなったら帰れ。運がないときはどんなにやってもダメだ。…よい教訓だったかわからない。
cover
カジノゲーム入門事典
 以前仕事をしていた同僚がフランス暮らしでカネがなくなって、じゃっていうのでカジノで稼いだと言っていた。呆れた。が、話を聞くと、特に変な手もなく稼ぐことができるようでもあった。と、書棚をみると、チェスだのバックギャモンの本と並んで、「カジノ教本 愛蔵版」(参照)や「カジノゲーム入門事典」(参照)が並んでいる。というわけで、関心だけはある臆病者というやつだ。
 「カジノゲーム入門事典」の著書は松田道弘と谷岡一郎つまり、これはそれだけで名著であることがわかる。学問的な雰囲気も漂っているのは、谷岡一郎大阪商業大学学長さすがの一冊でもあるからか。

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2005.05.15

沖縄本土復帰記念日

 今日は沖縄本土復帰記念日だが何十周年という節目でもないせいか、大手新聞でも社説で触れるところがなかった。社説執筆者が単に失念していただけのことかもしれないし、こんなのネタにならないよ、と見なされたのかもしれない。どっちだろうか。私も、なぜかこの話題に今日触れたいとも思わないのだが、昨日の琉球新報の記事を読んでしばし天を仰いだ。
 記事は”「核密約」遺書でわびる 密使として関与の故・若泉敬氏”(参照)だ。標題を見て推測がつく人も多いだろう。


 著書「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」の中で沖縄返還交渉において、自らが佐藤栄作首相=当時=の密使として核持ち込み密約にかかわったことを告白した元京都産業大学教授・若泉敬氏(1996年死去=享年66歳)の遺書の写しがこのほど、関係者の手により明らかになった。遺書は1994年6月23日の日付で、県民と、当時の大田昌秀県知事(現参院議員)あて。この中では、核持ち込み密約にかかわった自らの責任を悔い「歴史に対して負っている私の重い『結果責任』を取り、国立戦没者墓苑において自裁(自決)します」と記されている。

 「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」(参照)を書き終えた若泉敬が強く自決の意思を持っていたことは、彼に関心を持つ人なら知っていたことであるので、それほど驚きでもない。と言いたいところだが、「嘆願状」と題された十行便箋五枚という遺文は公開されていないしその予定もないのかもしれないが、その引用部だけ見ても、私には鉛のようなものが胸にずしんと来る。三島由紀夫の死は文学者だということでいろいろ語られるが、私の浅学のせいもあるだろうが、若泉敬の自決をそれに比して論じたものを読んだことはない。もちろん、結果的に若泉敬は自決はしなかったし、そのありかたは三島由紀夫とは違うものだと論じることはできる。しかし、本質は同じだ。昭和の日制定で浮かれて立っている、昨日の産経新聞社説”昭和の日 話し合いたい歴史の誇り”(参照)や読売新聞社説”昭和の日 歴史を語り継ぐ日としたい」 ”(参照)は私には耐え難い醜悪さを感じるし、その耐え難さの全容に深く関わった人間には自決もあるだろうと思う。
 なぜ今この事実が確認されるのか。もちろん、今日の本土復帰記念日の、日本国での意義の薄れようも背景になるだろうが、これまでおそらく秘してきた大田昌秀元沖縄県知事(現参院議員)の思いも気になる。だが、この件については記事では次のようにあっさりと説明されている。

 若泉氏の同墓苑参拝に立ち会うなど、92年から亡くなる直前まで取材した琉球朝日放送(QAB)報道制作局長の具志堅勝也さん(50)がこのほど、同氏の弁護士から遺書の写しを入手した。具志堅さんは「いつも沖縄のことを気に掛けている人だった。本土復帰は良かったのかと質問を受けたこともある。密約は県民にとってありがたい話ではないが、歴史の裏に隠された真実を知ってほしい」と話した。

 沖縄に深く関わった人間なら、これでとりあえず得心がいくだろう。というのは具志堅勝也さんは若泉敬の生前から密着取材と言っていいほど深くこの問題に関わり、ドキュメンタリー作成や記事も執筆されてきた人だからだ。その仕事は明確に若泉敬の意思を伝えるものだった。
 私は、その取材によって公開されたものだと思うが、衝撃的な一枚の写真を見た。若泉敬は後年、戦没者遺骨収集に精力的に関わったがそのおりの写真だ。沖縄で暮らしてみるとわかるが、遺骨収集は現在も継続されており沖縄県民の有志が地味に継続的に参加している。写真は数点あり、遺骨収集をする若泉敬の写真なのだが、私がショックで記憶が歪んでいるのかもしれないが、その一枚で、若泉敬は白装束で骨箱を抱き、遺骨を口に咥えていたように記憶する。こういうことは公開に書いていけないのかもしれないのでぼかすが、私は若泉敬の精神はすでに異常なのではないかとまず思い、そして恥じた。そういえば、三島由紀夫の自決の際も佐藤栄作は同種のことをさらりと口にした。しかし、この狂気こそが正気なのかもしれない。当時イザヤ・ベンダサンは三島の檄文が理路整然としたのもであることを淡々と説明してみせた。小林秀雄はじっとその正気に耐えていた。大著「本居宣長」がその遺文から起こされていることはその結実でもあっただろう。
 結果として若泉敬は墓苑での自決を思いとどまり、その二年後膵臓癌で死去した。史学的には若泉敬の著述は歴史の事実と見なされるだろう。
 そのことはつまり、米軍は、沖縄に現存する核兵器の貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、さらに有事が想定される際は、日本政府と名目的な事前協議はするだろうが、核兵器を沖縄に再び持ち込めるとしたということだ。私は嘉手納基地を通り過ぎるたびにここに核兵器がまどろんでいるのだろうかと思った。いや、もう撤去されているという沖縄によくある”極秘”情報を酒席で聞いたこともあるが。
 もちろん、密約の存在をキッシンジャーは言下に否定した。日本の外務省もこの秘密を公開する気はない。

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2005.05.14

[書評]戦国武将の養生訓(山崎光夫)

 「戦国武将の養生訓」が面白かった。標題はハズしているとも思わないが、そこから受ける印象と内容は少し違う。内容は、曲直瀬道三の「養生誹諧」と「黄素妙論」の現代解釈である。特に、やはり、「黄素妙論」が面白い。

cover
戦国武将の養生訓
 本書にも説明があるが、曲直瀬道三(1507~1594)は、安土桃山時代の医者で名は正盛。金・元時代の李朱医学を修め、京都に医学舎啓迪院を設立し、正親町天皇から翠竹院の号を受けるほど名声を得た。足利義輝や織田信長、豊臣秀吉、徳川家康にも厚遇された。日本漢方では後世方派の巨人である。もっとも、近代日本漢方は吉益東洞らの、ある意味即物的な古医方派が主流になったと私は見ている。と、いうような話は抜きにしても、曲直瀬道三は興味深い日本史上の傑物である。
 標題の養生訓は「養生誹諧」を貝原益軒の著書に模したものだろう。近代日本では常に各種養生訓が話題となる。日本に本格的にミシェル・フーコーの思想を受け止めた人がいたら、この分野の考古学的な研究に着手するのではないか。でもないか。
 本書には「黄素妙論」が全訳で掲載されている。原典は、京都大学附属図書館所蔵 マイクロフィルム版富士川文庫『黄素妙論』(参照)で公開されているので、そちらを直接読まれてもいいだろう、とか言いたいが、その際は、現代日本人だと、私も愛用している「おさらい古文書の基礎―文例と語彙」が必要だろう。
 「戦国武将の養生訓」に含まれる、現代語訳「黄素妙論」だが、冒頭でも書いたが、これは現代人にも面白いものだろう。若い栗先生でも得るところがあるにちがいない。「黄素妙論」は知る人ぞ知るこの分野の名作で、日本最古の医書「医心方」巻二八房内に匹敵するとされている。のだが、私は未学にして「医心方」巻二八の原典を読んだことも実践したこともない。というか、ちょっとこのこってりした感じはあれだなとか思っていた。しかし、比較するに「黄素妙論」は、その点とても和風というか、あっさりとしている印象を受けた。史学的には、「医心方」は隋・唐の医書であり、「黄素妙論」の散失原典「素女妙論」は明代の医書なので、そうした原典の差もあるのかもしれない。
 じっくり読んでみてしみじみ思ったのだが、「黄素妙論」は実践的でもある。さすがに九勢之要術の魚接勢や鶴交勢というのはやったこともないしやる気もないが、他はふむふむそこが要点だったかとか思い至ることは多い。
 なにより、読後、不覚に思ったのは「八深六浅」を誤解していたことだ。なんてこったと思うがこのあたり(参照)でも間違っているので、普通そんなものか。というわけで、本書には正しい「八深六浅」の解説がある、というか、これが日本史的には事実上の原典なのだろう。なお、些細なことかもしれないが、「八深六浅」のカウント単位「息」だが、訳出した山崎はそのまま呼吸と解している。「寸」が通常の寸と違うだろうように(日本人で八寸はありえないのでは)、「息」もそのまま呼吸するには、実践的には遅すぎないかとも思う。もちろん、このあたりの数字表現は一種のゲマトリア(参照)でもあるのだろう。と、洒落のめすこともなく、九勢それぞれに適切な「息」配分がしてある点が重要だ。他、各勢については、女性からのコメントもありそうだが、そのあたりこの手の一般的な禁則でもあるが「どう?どんなかんじだった?」とか訊けるものでもない。杉本彩さんのように、この分野に関心を持ち、知性のある女性のブログにキ・ボ・ン・ヌ。
 言葉遣いも面白い。あれこれの呼称というのは、ある種、言葉による歴史のタイムカプセルとも言えるもので、まことに興味が尽きない。玉茎玉門は言うに及ばずだが、「男子わかくさかんなる時玉茎しばしばおゆるにまかせ」の「おゆる」は山崎は「お生ゆる」としているが、当時の表現であろう(多分、公家か)。「赤珠」について、「古代中国における玉門関係の一表現」とのみ解があるが、ずばりあれでしょとも思うが、「琴弦」のほうをあれに当てて解している。このあたり微妙なるものがありそうにも思うが、文脈はそれぞれ、「男子其しりゑにひざまづき即玉茎をさし入れて赤珠をたたき…」、「女の手にて玉茎をにきり玉門にあて琴弦にのぞましめ、うるほい生ずる時、ふかくさしいれ…」とあり、そうかなとも思う。
 現代でも応用可能かと思えるのも興ではあるが、「黄素妙論」は広義には養生法であり、健康指南書でもある。これは仙術全体にも言えることなのでどうということでもないのだが、気になるのは、そうした道教的なものではない側面だ。これついては、「黄素妙論」は松永弾正久秀に与えた物として現代に残っている点が重要だろう。
 山崎は本書を弾正に与えたとする奥付から次のように考えている。

 花押があるのは、あたかも茶道の家元が弟子に免許を授ける「印可状」的な性格をもっている。

 山崎は「黄素妙論」の実践それ自体を美学としてはみていない。が、私はこの理解と実践には茶道のような一種の美学的な側面もあったのかもしれないと考えている。弾正といえば、下剋上時代の典型的な人物と見られるが、信長との茶道具の確執からもわかるように、当代一の審美者でもあった。
 茶道と「黄素妙論」的世界というと、川端康成の「千羽鶴」が連想されるが、この小説はどっちかというと、「雉を食べ卵を食べる(コンモッコ・アルモッコ)」的だが、魚接勢などを見ると、いわゆる夫婦和合というものでもないようだ。
 とはいえ、広義には「黄素妙論」は養生法であり、これに従ったであろう曲直瀬道三は八四歳という当時としては超長寿であった。しかし、晩年は切支丹に入信している。回心したのかもしれない。

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2005.05.13

斎藤昭彦さん拘束の背景

 斎藤昭彦さんがイラクで武装勢力に拘束されたとするニュースに関連して、私は専門ではないが、簡単にPMC(Private Military Company)について触れておきたい。なお、冒頭から余談めくが、斎藤昭彦さんについてだが、英文のAPニュースなどと比べると、事実認識のレベルは同じでも英米系の報道の陰翳は国内とは違うものだなと思う。国内報道では日本人としての大衆心情を結果的に反映することがニュース・バリューになるのだろう。その線上には朝日新聞”「家族持ちたい」と除隊、拘束の斎藤さん 驚く元同僚”(参照)といった不確かな物語もニュースのように紛れ込む。
 イラク戦争と関連したPMCについては、毎日新聞記事”イラク邦人拘束:戦後担う民間軍人 復興に、治安に”(参照)や溜池通信vol.233”イラク戦争の再評価~PMCを中心に”(参照PDF)が読みやすい。極東ブログではこれまで幾つかのエントリにばらばらと書き散らしてきた(参照)。
 いつもなら簡単に基本部分だけまとめるのだが、今日は気になる点だけさらっとメモするに留めたい。
 イラク戦争では、この勢力が一万人から一万五千人程度と見られている。単純に割合で見ると、十人に一人となるが、彼らは高度なプロフェッショナルであり、米軍の内部の指揮にまで関与している。つまり、頭数を揃えたというものではない。
 仮に単独勢力と見れば、米国に次ぎ、しかも、英国(九千人弱)をしのぐ。これだけでもこの戦争が特徴付けられるとも言える。実際のところ、米国もこの勢力に依存しているとすら言え、昨日のイラク向けの関連予算七百六〇億ドルの三分の一がこれに充てられている。
 という点で、すでに、これはある種、通常のコモディティ化しているとも言えるし、マーケットも充分に機能しているようだ。これらを支えている背景は、皮肉にも冷戦後の各国の武力ニーズの縮小であったようだ。つまり、視点を変えれば、大量雇用が新規マーケットにシフトしただけと言えないこともない。
 イラク戦争ではこの勢力は当然ながら米国防総省下におかれるのだが、雇用面では英国が多いらしい。なぜ英国かというのは規制が緩やかというのもあるが、コモンウェルスの広がり、つまりこうした点で数世紀に渡るグローバル化のノウハウがあるからなのだろう。
 今回の斎藤さん関連の報道で、あまり指摘されていないように思えるのだが、戦時国際法的にはこれらの勢力は戦闘員とは見なされない。よって、それらが享受すべき権利も存在しない。死者が出た場合でもカウントされない。なので、その数は大きいだろうと吹く人もいるようだが、ざっと見た感じでは、それ以外と比較して極めて少ないようでもある。やはり、プロフェッショナルということなのだろう。
 朝日新聞社説など日本国内では、あらためてイラクの治安の悪さがこれによって明らかになったみたいに吹かれるが、実際は、暫定政府の要請で斎藤さんらが事実上の丸腰にされていることの要因のほうが大きいだろう。今回の襲撃は計画的であり、直接的な力配分からみてもことが発生してしまえば対応は事実上不可能だっただろう。
 あと、いくつか気になることもある。例えば、現在進行中の米国勢力の活動や、イラク内の複雑な抗争だ。が、それはそれとして、メモ書きすると、なんとなく日本ではこうした勢力を悪のようにみなしがちだが、不確かな情報ではあるが、自衛隊を事実上守ってきたのもこの勢力だし、イラクの最低限のライフラインを守ってきたのも彼らのようだ。しかも、実質的に解体されたスンニ派の組織を友好的に再組織していたのも彼らであったようだ。実態は、そう単純に割り切れるものでもない。

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2005.05.12

米国のヒスパニック層

 ホットな話題がないわけでもないが、個人的にこのところ米国のヒスパニック層 (hispanic) の状況について気になっているので、そんな話を。
 ヒスパニックは、メキシコなど中南米系米国人マイノリティで、スペイン語を母国語としている。当然ながら混血も多い。このヒスパニックの人口が大きく米国を変容させるまでに増加しつつある。象徴的なできごとと言えると思うのだが、アフリカ系米国人の人口を抜いた。
 現状については、簡素にまとめたAussie English Greeneryのサイトにある”ヒスパニック・レポート(3)”(参照)の引用で代えたい。


2003年1月に発表された米国商務省統計局の調発表によると、ヒスパニックの人口が全米人口の13%の3,700万人に達し、黒人の12.7%を抜いて米国最大のマイノリティー集団に浮かびあがりました。つまり、過去10年間に60%もヒスパニック人口が膨れ上がったことになります。

 別の統計では3900万人とも聞く。大雑把に言えば、米国の総人口が三億人であるのに対して、ヒスパニック人口が四千万人ということだろう。全体の一割を越える程度だとも言えるのだが、総人口に注目すれば、オーストラリアの総人口が二千万人であるのに比べると、その倍の人口でもある。ヒスパニックを購買力で見ると、メキシコ一国分に匹敵する。米国の消費市場には内部にもう一つメキシコを抱えているという印象も受ける。余談めくが、ヒスパニックが多いのはテキサス州だが、現在でこそテキサス州と呼ばれているが、この地域は1836年にメキシコから独立してから、十年ほどはテキサス共和国(参照)として独立国だった経緯がある。
 米国のヒスパニックにはいろいろな特徴があるが、ほぼ同数のアフリカ系米国人の人口と比べても顕著なのは、言語の問題だろう。アフリカ系米国人と限らず米国の移民は二世になるとたいていは英語を母国語とするのだが、ヒスパニックはスペイン語が保持される傾向があるようだ。
 米国の公用語というのを考えたことはないが、こうした現状、スペイン語が事実上の公用語となりつつある。先にヒスパニックの購買力に触れたが、市場でもスペイン語の市場というのもが事実上確立されつつある。はっきりとした統計を見たことはないのだが、ヒスパニックの消費行動の大半はこのスペイン語の市場に閉じているようだ。実際の商品においても、ヒスパニック志向が見られる。象徴的な例としては、ハーシーズもスパイスシーなキャンデーをヒスパニック向けに昨年から販売している(参照)。
 一般的にマイノリティというと収入が低い層と見られるし、統計上もそれを裏付けてはいるが、一部ヒスパニックでは高額所得者は増えつつあり、年収十万ドル層でみるとその増加率は白人系の米人の二倍にもなるらしい。
cover
分断される
アメリカ
 こうした動向が今後どういうふうに米国を変えていくのか気になる。「文明の衝突」で日本でも有名になったハンチントンだが、ヒスパニック問題について触れた「分断されるアメリカ」では、米国の文化的なアイデンティは、各種の移民を受け入れながらも、ナショナル・アイデンティティとしては、アングロサクソン的、プロテスタント的な文化・価値観を保持すべきだとしている。そうなれるものかどうかわからないし、それがアメリカという国を分断する問題となるのかもわからない。
 近いところで、前回の大統領選の結果から見れば、ヒスパニック層については、それほど目立った兆候を示すわけでもなかった。というか、それまでヒスパニックは民主党支持が多いと思われていたフシもあったが、共和党票も多かった。日本では大した理由もなく頭が悪そうなイメージを投げかけられるブッシュ大統領だが、彼は、スペイン語をしゃべる初の米国大統領と言われており、ヒスパニックの支持層も厚い。
 いずれにせよ、人口動態は国家の内在的な動向を決める最大の要因だろうし、このまま推移していけば、いずれ、他国のほうが遅れて米国というもののイメージを変えていくことになるようにも思う。

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2005.05.11

繊維問題についてのメモ

 日本のメディアから見えない国際的な問題でも英米メディアからはくっきり見えることが多いのだが、このところの中国関連の繊維問題はあまり見えてこないように思う。つまり、それは大した問題ではないのだよ、ということでもあるのかもしれないが、私の印象としてはなんか違う。なにか重要な変化が進行しつつあるようにも感じられる。とりあえず、考える手がかりとして少し書いてみる。
 繊維問題はすでに四月からEU関連で話題になっていた。経緯は「繊維ニュース」”対中セーフガード発動で/EUが指針を発表”(参照)を引用する。


 欧州連合(EU)の執行機関である欧州委員会(EC)は現地時間で6日、対中繊維セーフガード発動のための指針を制定、発表した。ECによると、EU加盟国および中国双方に明確性と透明性を与えるため、対中繊維セーフガード発動の要件や手続きを定めた。被害の調査に当たっては、EU加盟国だけでなく地中海沿岸の繊維品生産国の状況まで考慮に入れる。米国はすでにセーフガード発動のための調査に向かっており、EUも発動に向けて体制を整えたと言える。

 米国議会側では”米国:中国製繊維製品に対する輸入状況調査開始”(参照)といった動きがあるにはある。
 当の中国もこうした動向がわかってないわけではない。九日付け日本経済新聞”中国、欧米への繊維製品輸出額の伸び鈍化・1―3月”(参照)が伝えるように「欧米各国が中国製品に対する緊急輸入制限(セーフガード)発動を検討している影響がはっきりと出てきた格好だ」という傾向はある。他方、毎度の中国様のことだから、”WTO元事務局長、「中欧繊維製品の貿易摩擦は中国側の責任ではない」 ”(参照)といった日本人のように狭い心の民族性では笑えないような豪快なユーモアも披露してくださる。
 いずれにせよ、そうした、ある意味、よくある危ういバランスが続くのだが、たとえば一昨日の国内ニュースでふとこんなふうに顔をもたげるのは、多少違和感に近い印象を受ける。日本経済新聞”仏中、国連改革へ共通認識めざす・首脳会談で一致”(参照)など、標題を読むかぎり、国連改革ですかと受け取れるし、間違いでもないのだが、実態はこちらに比重がありそうに思える。

シラク仏大統領は9日夕(日本時間同夜)、モスクワ市内のホテルで胡錦濤中国国家主席と会談した。両首脳は日本が常任理事国入りを希望している国連改革問題で、共通認識をめざすことで一致した。大統領は中国から欧州連合(EU)への繊維製品の輸出が急増し、欧州繊維産業に打撃を与えている問題も取り上げ、懸念を伝えた。

 つまり、この会談の主眼は前半ではなく後半なのではないか。と、すれば、フランスと中国のトップでなんとかなる問題なのだろか。フランスは現在月末のEU憲法投票を控えていろいろ不安定な情勢にあるし、私の予想としては転けるでしょう、なのだが、仮にEU憲法問題を乗り切り、EUの頭にフランスが立ったとして、さて、この繊維問題が暗示する全体構造はなんとかなるものなだろうか。
 先の繊維ニュースでは問題をこう指摘していた。

この中国からの輸入は、EU諸国の繊維産業に厳しい競争を強いているだけでなく、繊維生産品の95%がEU市場に依存している地中海沿岸諸国(モロッコ、チュニジア、トルコなど)からの輸出にも脅威となっている。さらにバングラデシュなどの発展途上国からの対EU輸出にも後退を余儀なくさせているという。

 つまり、EU自体というより、EUの底辺を支える基盤に構造的な影響を与えていると言える。米国や欧州の中心部にしてみると安価な繊維の輸入は消費者のメリットすら言えるだろうし、実際のところ、こうした中心部では国家産業ではなく周辺への投資ということの関わりが大きい。話を少し飛ばすが最大の問題はこうした周辺域の雇用の構造に強い影響を与えることだろう。そこを媒介として、国家・政治的な運動に反映されることになる。
 最新の動向はどうだろうと、Google Newsを見ていたら、たまたまBangkok Post Wednesday 11 May 2005"Chinese textile tsunami hits Europe"(参照)という記事に出くわした。見出しだけ引用するが、雰囲気は伝わると思う。

There's pain in Spain and tension in other European countries as jobs and sales are lost

 やっかみで言うのではないが、こうした現象をウォーラステインやエマニュエルといった学者はどう捕らえ、どのような世界ビジョンを掲げているのか多少気になる。

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2005.05.10

蚕の話から雑想

 蚕の話から。特に今日蚕の話をする理由はないのだが、季節的には「掃き立て」(参照)である。大辞林をひいたら「養蚕で、孵化したばかりの毛蚕を、羽箒などを使って集め、新しい蚕座に移し広げること」と説明されていた。春の季語でもある。私はこの言葉にちょっと胸にきゅんと来る感じがする。
 養蚕業の農家は和紙に産み付けられた蚕卵を購入し、これを孵化させる。これを掃き立てとして、今時分、新聞紙を敷いた浅い竹籠に書き落とすのだが、要するに、こいつらは蚕の赤ちゃんである。だから、桑の若芽を細かく刻んだ芽桑を与える。最初に与える桑でもある。ここから蚕と桑との半年の生活が始まる。
 蚕のことが気になったのは、昨日だったか、ラジオで「インド養蚕普及強化計画」の話を聞いたせいもある。この計画は、名前のとおり、インドに日本が持つ高度な養蚕技術を移転しようとする計画だ。インド政府から要請があり、1990年代の始めから継続的に実施されていたらしい。
 ネットを覗くといくつか情報があった。少し古いが「JICA-事業事前評価表 インド 養蚕普及強化計画」(参照)ではこうまとめている。長いが興味深いので引用しておきたい。なお、多化性蚕とは年に三回以上卵から孵化する蚕、二化性蚕とは自然状態で年二回孵化する蚕だ。一般的には、二化性が高品質であり高級絹織物の縦糸に使われる。


 インドで生産される生糸の大部分は収量・品質の劣る多化性蚕(※1)または二化性蚕(※2)と多化性蚕の交雑種であり、品質の高い二化性生糸については、国内需要のほぼ全量を中国からの輸入に頼ってきた。インド国内における生糸生産量は増加傾向にある一方、生糸輸入も増加しており、1994/95年には国内生産の3分の1に迫り、国内蚕糸業を圧迫しつつあることことから、自給体制が急がれている(表1参照)。このような状況下、インド政府は、「国家養蚕開発計画」(1989/90~94/95)のなかで、二化性養蚕技術開発について我が国に協力を要請し、JICAはプロジェクト方式技術協力「二化性養蚕技術開発計画」(1991~1997)(以下「フェーズ1」)により、現地に適した蚕品種育成等の技術開発を行った。
 その後、インド政府は、フェーズ1で開発された技術をさらに農家レベルに定着させるための協力を我が国に要請した。そこで、フェーズ1で開発された技術成果を農家レベルで実用化する技術協力プロジェクト「二化性養蚕技術実用化促進計画」(以下「フェーズ2」)を1997年4月1日から5年間実施した。
 フェーズ2では、インドにおいて二化性養蚕が導入可能であることが実証され、かつ農家の所得向上等の成果が見られた。そこで、インド政府は、生糸生産の9割を占める南部3州(カルナタカ州、アンドラ・プラデシュ州、タミルナド州。表2参照。)において、これまで実証された養蚕技術を普及し、二化性生糸を2007年までに6,700トンに増産する計画を策定し、2001年1月、我が国に対しフェーズ3となるプロジェクト協力を要請した。

 単純に言えば日本の養蚕技術をインドに移転することで現地の養蚕業による収入アップを図るということだ。日本とインドとでは気候が違うのでそのあたりが気にもなるのだが、すでに15年という年月をかけているので問題もないだろうし、おそらくそうした活動を通した副次的な支援効果も大きいのだろうと思う。
 そういえば、東高円寺の駅前に昔、蚕糸試験場があった。現在は、蚕糸の森公園となっている。ちょっとネットを見たら、前身は明治四四(1911)年創設の原蚕種製造所だったらしい。ここに蚕糸試験場があったのは、この地域でも養蚕業が盛んだったからだ。以前は趣のある煉瓦の建物があったが、と思い出すに、最近はあの界隈は散歩もしていないな。また、この脇道沿いの蓮光寺にチャンドラ・ボーズの追悼がてら寄ってみようかとも思う(参照)。
 日本から養蚕が消えてもインドに移植されるのは日本人としてはなんだか嬉しいような気もする…と、なにも日本から養蚕が完全に消えたわけでもないのだろう。しかし、1998年に国産生糸の買い支え制度が撤廃され、事実上、産業としては壊滅した。資料をあたると、1993年に一万トン強もあった国産繭の生産量は、2003年には約七六〇トンとなり、生糸生産も同じく約四千トンから三百トンを割るまでになった。しかたがないといえばそうだろう。
 個人的には、養蚕とふれあってきた日本の歴史が消えるような寂しさを感じる。
 私の両親は信州人で、私も子供のころ母の生家でよく蚕と過ごした。その地では「おかいこさま」と呼ぶのである。繭を作り始めるころは、「びーどろ」とも呼んでいた。そのビードロを取り分ける手伝いなどもよくした。夏の夜だったが、蚕のいる部屋の隣で寝ていると、蚕が桑を喰う音が、しゃーっと水を流すように聞こえた。よく覚えている。思い出すと、自分がどうしようもなく日本人なのだなと感傷的にもなる。
 なので、私は、桑の木はよくわかる。どの土地に行っても、桑の木はさっと見つける。沖縄にも桑が多くて驚いた。土地の人に昔は養蚕をしていたのかとなんどか訊いたが、要領を得ない。どうも、その実が美味しくて植えているようでもあった。シーミー(清明)のおりなど、子供たちがよく口の中を赤くしていた。
 そういえば、そういうやつがいたなと思い出す。オハイオから来た、あの頃、自分と同年くらいの青年で、日本の民家を学ぶのだと言っていた。一度、民家周りがてらに一緒に田舎を散策したら、嬉々として桑の実を摘んでは、ほうばっていた。懐かしいらしい。たしかに、桑の実はマルベリー(mulberry)として米人にも馴染まれているものだろう。
 彼の名前は忘れた。なんで民家が気になるのかと訊いたら、大工になるのだと言う。なんで大工になるのかと訊いたら、イエス・キリストは大工だったからだと言う。ワケワカメ。ま、なんでもいいや。今頃、どんなおっさんになってどこで、どんな家を建てているのだろうか。

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2005.05.09

ドイツ終戦記念とヤルタ会議評価の行方

 昨日八日は、第二次世界大戦でドイツが無条件降伏してから六〇年目の記念日なので、ドイツ各地で記念行事が行われた。私は、もう少し荒れるだろうと予想していたが、先日の中国よろしく封じ込めが成功していた。日本国内の報道は軽かったように思うし、英米系の報道でも建前だけですごしていたように思えた。私は率直なところ、この歴史問題が孕むものが、このまま順調に推移していくとはあまり思っていない。
 ケーラー大統領はこの日、ベルリンの連邦議会で記念演説をした。のっけから些細なことだが、朝日新聞”ドイツ降伏60年 不戦誓う記念行事、極右はデモ準備”(参照)はこう伝えていた。


ケーラー大統領は連邦議会で記念演説し、「すべての犠牲者の冥福を祈りたい。それはドイツの犠牲者も含んでいる」と述べ、大統領として公式の場で初めて、ドイツの「被害」にも触れた。

 ケーラー大統領に「冥福」を祈らせるという朝日新聞の記事の日本語はどうなんだろうか。以前に書いた「極東ブログ: 「冥福」は祈らない」(参照)を思い出して変な感じがした。日経新聞”独大統領、独犠牲者の追悼を明言・終戦60周年で演説”(参照)ではこうだった。

大統領はナチスのユダヤ人虐殺などに恥と嫌悪感を表明する一方で、従来は強調を避けてきたドイツ人の犠牲者に対する哀悼を明言。

 こちらは「哀悼を明言」とある。些細なことなんだろうが、そして私なんぞが言えた義理でもないのだが、最近、新聞記者の書く日本語がとみに変だ。
 話を本筋に戻して、この件で気になることが二点ある。
 一つは、冒頭書いた封じ込めだ。読売新聞”終戦60周年、独大統領「自信取り戻せ」”(参照)ではこう伝えている。

 ベルリンではこの日、終戦を「(ナチス支配からの)解放」ととらえる政府や国民の多数派に反発し、極右の国家民主党(NPD)が3000人規模の糾弾集会を実施したが、左翼系市民約6000人の反対デモに遭い、予定していたデモ行進をあきらめて解散した。

 報道が錯綜しているが日経新聞ではこの阻止は警察による包囲だとしていた(参照)。
 いずれにせよ、日本人の感じからすれば、ドイツの極右勢力には困ったものだが、それでも良識派も勢力を持っていて好ましいということだろうか。先の朝日新聞の記事でもそうしたトーンは感じられる。
 私もそれに異論があるわけでもないが、あまり報道されないが、この極右勢力の根は旧東ドイツにある。ちょっと誇張した言い方になるが、これは東西ドイツ問題の現代的な表出でもあると考えている。
 と書くと、旧東ドイツの地域の民主化の遅れや経済格差のように日本では受け止められるかもしれないが、どうもそればかりではなさそうだ。現代日本人は、日本についても戦後の日本領土からものを考えがちだが、領土と国民の関係は陸続きの国家の場合は複雑になる。戦前のドイツの場合など、現行のドイツ領域外にいたドイツ人千五百万人くらいが結果的に退去となりその際かなりの死者が出ている。こうした問題は、現在のドイツの国策の建前からは加害者側扱いに分類されてしまい、当然、その怨嗟は社会にこもることになる。これらが直接的な極右に連結するともいえないが、外交的な外面より、イデオロギーを離れた社会学的な調査と国内での宥和の政策が必要になるように思う。
 二点目はこの宥和に関連する。先の日経新聞記事での表現が興味深い。

 大統領は「暴力行為や攻撃を受けたドイツのすべての犠牲者を悼む。すべての犠牲者を公平に追悼したいからだ」と述べた。捕虜や強制労働、連合軍兵士の乱暴などで犠牲となったドイツ人自身を「被害者」と扱う演説は異例。謝罪と和解を繰り返したドイツの戦後に一区切りを付け、国際社会で新たな地位と責任を負う意図を明確にした。

 後半は日経新聞記者の解釈がややきついようで、重要なのは、この「公平」だろう。これには旧東ドイツの問題を含んでいると思われる。
 話は少し飛ぶのだが、七日ラトビア訪問中のブッシュ米大統領はその地の講演でヤルタ会談を批判した。記事的にはCNN”米大統領、ソ連の東欧支配批判 ヤルタ会談の「誤り」認める”(参照)がわかりやすい。

ブッシュ大統領はさらに、ルーズベルト米大統領とチャーチル英首相、スターリン・ソ連首相が欧州の戦後処理を話し合った1945年2月のヤルタ会談を批判。会議は「小国の自由を犠牲にした」もので、その結果、欧州が分断され、中東欧の数百万人が共産主義支配下におかれたと厳しく批判した。

 この問題の外交的な部分については、ブログ”カワセミの世界情勢ブログ: 米国におけるヤルタ会談の評価”(参照)が手際よくまとめていた。確かに基本的な米国の外交戦略の方向性をよく表しているとしていいだろう。
 が、私はというと、この件については、複雑な印象を持つ。
 旧ソ連下の問題を蒸し返すとき、現行の東欧世界がつい想起されるが、これには先に触れたように旧東ドイツや戦前のドイツ人の問題も関係する。うまく表現できないのだが、米国のこのイデオロギーを仮に「世界における自由の拡大戦略」とした場合、それは違うだろうというか、それは蹉跌するだろうと私は考えている。

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2005.05.08

ラプサンスーチョンという紅茶の話

 このところ、きつい話の比率が多かったのか、アドセンス広告も配信されなくなった。広告自体はそれほどでもないが、なんか世間様からはずれているふうでもあるので、連休も最後だし、じゃ、紅茶の話その2でも。ちなみにその1は「紅茶の話」(参照)なんだけど、別に毎日新聞社説の少子化テーマみたいにシリーズ化するつもりはない。しかも、紅茶といっても、話は、ラプサンスーチョンだ。
 ラプサンスーチョンは紅茶好きな人ならとりあえず知っていると思う。ひたすら煙の匂いのする変な紅茶だ。正露丸の匂いと言ってもいい。なんでこんなもの飲むの?とびっくりするほどの紅茶。日本で売っているかなとネットを見たら、楽天などでもないわけでもない。リストを眺めてどのあたりがお薦めかとも思ったのだが、それ以前に、この紅茶、ダメな人は完璧にダメなので、関心ある人は、20gぐらいちょこっと買うほうがいい。紅茶専門店に行って、「ちょっと試してみたいので20gぐらいください」がいいだろう。
 ラプサンスーチョンは手元の「現代紅茶用語辞典」によるとこう説明されている。


ラプサンスーチョン Lapsang Souchong
 中国福建省崇安で生産された正山小種[セイザンショウシュ]紅茶。形状外観は粗いが、カップ水色[スイショク]は紅色で、こく味があり、松の煙香が強い特殊な紅茶。1840年のアヘン戦争の直後、中国社会は混乱し、崇安県の銘茶「武夷[ブイ]山の岩茶」の生産が激減したため、「にせ岩茶」が出回った。やがてイギリス市場で充分に発酵させた紅茶の需要が集中したため、揉捻[ジュウネン]、発酵、乾燥を終えたあとで、さらに茶葉を竹製の篩のなかに入れ、そのまま木の桟[サン]にツルして、その下で松柏の木を燃やして燻煙し、熱で再乾燥(中国独自の熱発酵)させた小種紅茶が、武夷岩茶の変形として誕生した。これがラプサンスーチョンである。1970年代には中国からのラプサンスーチョン輸出はピークを迎えたが、その後インド、セイロンの紅茶(イギリス帝国紅茶)の追い上げいあって、ついに破れ去った。

 と書き写しながら、ちょっとこの説明は違うのではないかと思うこともある。竹製の篩いで再乾燥するのは昔タイプの頂凍烏龍茶でも岩茶でも行うので、燻煙は当時はその副産物的なものではないか。陳年頂凍烏龍茶でも薫香が付く。が、大筋ではこの説明でいいだろう。ここからもわかるが、武夷山岩茶、つまり、日本でよく中国茶の分類で岩茶として中国茶商に乗せられて珍重されているのは、紅茶と同じ起源で、その意味では、中国茶と紅茶の違いというものはない、というか一種のカテゴリーエラーっぽい。ちなみに、武夷は紅茶好きな知っていると思うがボヘアである。
cover
茶の世界史
 このあたりの茶の歴史の話は名著「茶の世界史―緑茶の文化と紅茶の社会」に詳しい。これは茶の歴史というより、中国近代化の歴史書としてもとても面白い内容を含んでいるので歴史好きは一読されたし、というかすでに読んでいるだろう。惜しむらくは筆者は茶自体には専門家ではないわけで、茶好きには隔靴掻痒の感もあるにはある。たとえば、ペコー(白毫)やコングー(工夫)、ヤングヘイソン(Young Hyson)などが、どのように西洋世界に定着していったかなどの説明があれば、「僕は日本茶のソムリエ―お茶で世界をつなぐ夢」の冒頭にあるようなChun Mee(珍眉)への誤解みたいなのもとけただろう。いずれにせよ、岩茶やラプサンスーチョン(正山小種の広東語的な英名)の歴史については同書にはない。
 と、まいどの文体になりそうだが、ものはためしラプサンスーチョンを飲んでみるのも面白いと思う。私はこのところ、なんとなく、寝る前に薄く淹れて飲むことが多い。タバコ(パイプタバコ)を吸わなくなって久しいが、この燻煙香は、パイプタバコの飛鳥の趣にもちょっと似ている。瞑目すると、鼻腔から脳に静かに野性的な、中年男の心の慰みのような香りが遠く呼びかけてくるふうでもある。英米人ではこれにもミルクを入れてしまう人もいる。
 紅茶としては、ラプサンスーチョンの変形というか、セイロン茶などのブレンドでロシアンキャラバンがある。これは自分でブレンドしてもよそうなものだが、私は他人のブレンドで飲む。セイロン紅茶の味わいの上にラプサンスーチョンの薫香が重なる。ラプサンスーチョンと比べてどっちが日本人に向くかといえば、ロシアンキャラバンのほうだろう。名前の由来は知らない。ロシア人がサモワールでこんな紅茶を淹れるとも思えない。
 

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2005.05.07

手抜きうどんの作り方

 うどんの作り方というのはネットにも本にもあると思うし、これから紹介する手抜きうどんこと、簡単うどんの作り方もあるのかもしれない。それはそれとして、私のやりかたを、連休でもあり、ご紹介。慣れれば15分ほどでうどんができあがる。
 二人前で。
 うどん粉だが、これは私はパンに使う「はるゆたかブレンド」を流用している。うどんには国産の地粉がよいと言われているし、自分でも以前はそうしていたが、パン作りと別の粉を管理のするのがめんどくさい。地粉だと中力粉に相当するがパン用「はるゆたかブレンド」は強力粉。粉のうまみはあまりないけど、同じくパン用のカメリア粉でもいいとは思う。これを300g。量は計量すること。
 水は150cc。つまり、粉の半分。粉によって水量が違うかもしれないが、そうむずかしいことは言わない。これに塩を大さじ一杯弱入れて溶かす。自然塩(海塩)がいいだろう。たぶん、普通のうどんよりも塩分は少ないのではないかと思う。が、世の中のうどんは塩が多すぎる。


水回し
 粉をボールに入れ、塩水を入れて、箸でさささっと混ぜていく。いわゆる水回しってやつで、箸はちょっと広めに開いて持つ。コツがあるといえばある。やっていけばわかる。粉っぽい感じがなくなり、ぼろぼろっとした感じなればいい。ここで水が足りないと思って足すと失敗する。
 水回しができたらこれを手でぐっと固める。ちょっと力がいる。それほど力がいるというものでもない。最初はぼろっとしてまとまらない感じだが、しばらくするとまとまってくる。なんとなくまとまる程度でいい。

こねる1
 まとまったら、こねる。少し力がいるが、それほどでもない。パスタを作る要領で向こうに押しつぶすようにこねるとよい。実際つぶしていく。

こねる2
 円盤形につぶれたら二つ四つにたたんでまた、押しつぶすようにこねる。

レンジ弱30秒
 だいたい練ったら円盤状にしてビニール袋に入れ、電子レンジ弱で30秒。人肌程度の温度にする。それ以上に温度が上がれば失敗。やってみるとわかるが、これで水が粉に馴染んで柔らかくなる。取り出して、また少しこねる。適当なとところでもいちど電子レンジ弱で30秒。冬場とかだともう一回やってもいいかも。
 そのうち、うどん粉のかたまりの表面がつるっとした感じになる。すべっていうか。この感じになればいい。ちょっと言葉では説明しにくい。以上の練りが五分くらいなものか。最初は一生懸命練ってしまうかもしれないが、慣れれば、ささっとできるようになる。
 この先は、麺棒で伸ばして、打ち粉(同じ粉でよい)をして、包丁で切るというのが正攻法だが、私はパスタマシンを使う。「インペリア」がいいと思う。日本人の感覚のうどんとしては麺の幅は6.5mmかもしれないが、私は4mmとやや細めがいいかと思う。4mmの替え刃も買っておくのをお薦めしたい。

畳んでこねる
 パスタマシンはこねにも使える。太めに伸ばして重ねていくのだ。パスタマシンの使い方にはちょっとしたコツがあるが、これも慣れだ。よくこねていくとカット前の麺がすべすべとなる。カット時にちょっと打ち粉をするとカットの分離がいい。

カットする
 麺のもとになるのを適当なサイズに伸ばしたら、カットする。カットしたら打ち粉(同じ粉)をしておくといい。最初は、カットがうまく行かないかもしれないが、めげずに。慣れだし。コツはなんどもいうが、麺の表面がすべっていう、感じにすることだ。ベタはだめ、ざらざらはだめ。

できあがり
 これを多めの湯でゆであげる。だいたい五分くらいか。わからなかったらちょっと端っこ喰ってみるといい。
 ゆであげたら丹念に水洗いする。夏とかつけ麺だったら、このまま喰うといい。今日は私はつけ麺。つゆは「伊勢吟撰そうめんつゆ」がお薦め。うまいのだ、伊勢醤油がさ。かけうどんだったら、洗った麺でつゆが冷めないように麺を温めなおすこと。かけの場合のつゆはお好みで。というか、その話はまたなにかのおりにでも説明する。和食の味付けと同じだからだ。

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2005.05.06

An Englishman's home is his castle.

 どちらかと言うとブラックジョークみたいだが、創作童話「博士(はくし)が100にんいるむら」(参照)ほど不正確でもなく、でも日本人にしてみると洒落にもならない話。ネタ的にはちょっと古い。先月米時間で二六日、ブッシュといっても弟、ブッシュ・フロリダ州知事が、フロリダでは市民が正当防衛で銃を行使してもよいとする新法に署名した。ロイターでは"米フロリダ州の新法、危機回避義務のない正当防衛認める"(参照)と普通の外信扱いだったが、エキサイト・ニュースでは、同じくロイターではあるものの、色ものの(((世界びっくりニュース)))"身の危険を感じたら相手を射殺してもOK フロリダ州の新法案"(参照)にしていた。日本のエキサイトは洒落だと思っているのだろう。
 従来なら、服部君事件(参照)のように、州によっては、不法侵入者と見なされる場合には、銃行使が認められていた。が、今回の立法では、結果的に、公共の場でごく主観的に脅威を感じた人が行使してもよい(正当防衛)とするもので、日本人の感覚からすると、冗談でしょ?的な印象を持つが、しかし、洒落ではない。
 共同”市民の武器使用を大幅緩和 米フロリダ州、新法に波紋”(参照)では今回の件について、次のように伝えていた。


 新法は、自宅や勤務先だけでなく公共の場所での武器使用も認める内容。警察関係者からは「酒に酔った野球観戦帰りの群衆に脅威を感じた場合など、不必要な発砲まで認められる危険がある」との指摘が出ており、新法は波紋を広げそうだ。
 法の制定を呼び掛けていた全米ライフル協会(NRA)は「新法は自宅を安全な“城”にするものだ」と強調し、他州でも制定を求める意向。

 記事はこれで終わるので、後段の“城”の意味が取りづらいか、あるいは日本人にもそのくらいは常識でしょということか、ちょっとネットを見回したのだが日本語のサイトには解説が見あたらなかった。
 ので、老婆心で補足すると、まず、自宅の居住者を守るために不審な侵入者を殺害してもよいというのを"The Castle Doctrine"という。が、英辞郎にも用語としては掲載されていなかった。で、ここでなぜ"城"が出てくるかというと、高校英語で誰も学んだと思うが、英語の諺である"An Englishman's home is his castle."または"A man's home is his castle."、つまり、「自分の家は自分の城」という諺に由来している。
 英語のサイトを見ると、辞書の孫引きとして"Re: An Englishman's (a man's) home is his castle"(参照)があり、これが英国コモンロー(不文律原則)との関連で指摘されている。

A MAN'S HOME IS HIS CASTLE - "This saying is as old as the basic concepts of English common law.," From the "Morris Dictionary of Word and Phrase Origins" by William and Mary Morris (HarperCollins, New York, 1977, 1988).
 
"You are the boss in your own house and nobody can tell you what to do there. No one can enter your home without your permission. The proverb has been traced back 'Stage of Popish Toys' (1581). In 1644, English jurist Sir Edward Coke (1552-1634) was quoted as saying: 'For a man's house is his castle, et domus sua cuique tutissimum refugium' ('One's home is the safest refuge for all'). First attested in the United States in 'Will and Doom' (1692). In England, the word 'Englishman' often replaces man." From "Random House Dictionary of Popular Proverbs and Sayings" by Gregory Y. Titelman (Random House, New York, 1996).

 今回のフロリダ州でのこの立法支持者による興味深い解説" The “Castle Doctrine”The right to defend against attack"(参照)でもこの点が強調されていた。

The “castle doctrine” is enshrined as a sacred right in English common law. It holds that, if you’re wrongfully threatened or attacked in your home or on your premises, you have already retreated to the wall and can stand your ground and meet force with force.

 日本人の感覚からすると呆れるし、そんなにフロリダって危険なの?とか思いがちだ。はてなQでもこんな質問が立っていた(参照)。

「身の危険を感じたら相手を射殺してもOK フロリダ州の新法案 | Excite エキサイト : ニュース」http://www.excite.co.jp/News/odd/00081112929445.htmlというニュースを読みました。ビックリしました。フロリダってそんなに危険なのでしょうか? 日本にいるとこの法律の必要性が分かりません。マイケル・ムーアの「ボウリング・フォー・コロンバイン」とかは見ましたけど。フロリダでこのような法律が必要とされている事情について、アメリカに詳しくない人でも分かりやすい、詳しいページがありましたらお願いします。

 しかし、そういう話のスジでもなく、英米法の法学的にもそう簡単な問題でもなさそうだ。
 なお、先の支持者サイトに次のようにあるように、米国社会では、この法案をSenate Bill 436 (SB436) / House Bill 249 (HB249)として参照している。

Two companion bills (Senate Bill 436 and House Bill 249) would allow Floridians to use deadly force to resist attacks in their homes or vehicles. Proponents say current case law is fuzzy, especially in the hands of liberal judges, when someone breaks into your house or car.

 この法案が実施されるとフロリダはどうなるのか? エキサイトのニュースでは次のようなコメントで締めていた。

反対者は、この法律は人種差別的な殺人と議論の果ての殺人が増加する可能性が高まるとしている。民主党のアーブ・ソロスバーグ議員は「この法案で、銃の販売が促進され、フロリダ州はOK牧場になってしまうだろう」と嘆いた。

 実際にそうなるのだろうか。私は、率直なところ、こんな法律はまったく支持できないが、すでに立法してしまったのだから、結果を社会学的に慎重に見てはどうかと思う。なんとなくだが、私の印象では、典型的な事件発生よりも、警察のあり方も大きく変わるのではないかと思う。
 現状このフロリダの傾向はまだまだ主流にはなっていない。アリゾナ州の場合は、州議会レベルで、酒場に銃を持ち込んでもよいとする法案が成立したが、ジャネット・ナポリターノ(Janet Napolitano)知事(民主党・女性)の拒否権(Veto)によって廃案になった。話が少しそれがちだが、アリゾナ州の政治というのは、ある意味で非常に面白いもので、日本の政治にも参考になる点はあるかもしれない。ネットを見渡すと、やや古いが"女性躍進のアリゾナ州政府"(参照)が手際よくまとめていた。

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2005.05.05

日本の小児科医療についての雑感

 連休中なので軽いネタがいいと思うけど、少し重めのネタ。ただし、扱いはごく軽く。日本の小児医療のことだ。最初におことわりしておくと、こういうふうに文章にすると、どうしても医療批判になりがち。しかし、それで済むことではない。現場がそれこそ医師の献身で成り立っていることを私も知っている。
 ニュース的には、「こどもの日」ということでのネタなのだろうが、NHK”1~4歳の死亡率 日本は高い”(参照)から。小児医療の現状について国立保健医療科学院の田中哲郎部長のグループが実施した比較研究の発表が元になっている。


研究グループは、アメリカやドイツ、それにフランスなど先進14か国について、WHO・世界保健機関に報告されているデータを基に、死亡率や死亡原因などを比較しました。その結果、日本のゼロ歳児の死亡率は、人口10万人当たり340人余りで、スウェーデンの337人に次いで低かったということです。ところが1歳から4歳の幼児に限ると、10万人当たり33人で、アメリカの34.7人に次いで高く、犯罪などで死亡したケースを除くと、死亡率はアメリカを抜いて14か国中、最も高くなっていました。

 私の認識違いがあるかもしれないが、ゼロ歳児の死亡率は計算上は平均寿命に影響するはずで、この部分、つまり、出産の医療体制をしっかりすることがまさにその国が先進国であるかどうかを分ける。日本はこの部分で戦後大きな進展を遂げた。
 問題は、引用はしなかったが、この報道の後段では、日本の一~四歳の幼児医療体制を、いわゆる先進国レベルにすれば、毎年三百五十四名の子供の命が救えるとしている。
 このニュースはそれほど驚くべきことでもなく、厚労省側もある意味で熟知していることでもある。ジャーナリズム的にも小児科医療の体勢としてときおり問題となる。
 私がちょっと気になるのは、以前のエントリでも少し触れたことがあるが、小児科という医学の側面だ。その分野が進展してないのがよくないという単純な話ではないのだが、こうしたニュースに接するたびに大西鐘壽氏による、16版メルクマニュアルの後書き(1994年)を思い起こす。

 最後に本書の小児疾患と遺伝の訳者として率直な感想を述べたい。本書には現代小児科学の膨大で複雑かつ多岐にわたる領域について極めて高度な内容で、しかも今日的な課題が取り上げられている。改めて医療における小児科学の重要性を痛感さざるを得ない。米国の医科大学では各診療科の教授以下のスタッフの構成は内科が最も多く、次いで小児科が内科にほぼ匹敵する位置にあり、以下外科、精神科、産婦人科などと続き、本書の各診療科別のページ数の比率もそれに準じた形になっている。翻って我が国における小児科学の現状をみるに目を覆うばかりの貧弱な体勢である。小児科学の卒前教育に費やされるべき時間は最低300時間とWHOにより提唱されているが、現下の我が国では実に150時間前後に過ぎない。

 この文章が起こされて10年が経過したが現状の変化はなかったと思う。
 なんだかったネタ元を忘れたが、先日読んだ英文の記事だったと思うが、……米国の地域医療や小児科医療にもっと尽くしたと考えている若い医学生は多いが、その進学に借り入れた際の学資の返済を考慮して、どうしても高所得な医療現場を志向せざるを得ない、そこが改善できるシステムはないか……、というような話があった。
 日本の場合、医学生と限らず、十分な奨学金は得難い。まして、出世払いで貸与する民間ローンもないように思う。小児科医を志向する医学生にどかーんと基金を打ち立てられないものかと思うが、そのあたりから夢想の領域になるのだろう。

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2005.05.04

明日は韓国も「こどもの日」

 連休が続く。雑談である。この時期日本では黄金週間とか言われ由来もはっきりしている(参照)。海外に出る日本人も多いが他国にはこうした休日がないので海外の観光地は狙い目とも言えるし、観光地のほうでもオフシーズンに客が来て嬉しいものだろう。理由は知らないのだが、この時期、休日が多いのは日本だけかと思っていたが、中国もそうなった。あるいは、以前からそうなのかもしれないが。いずれにせよ、そういうことなので、華人もこの時期繰り出すということになる。
 韓国では明日五月五日が「こどもの日」である。と聞けば、日本人の感覚としてはそれって日本統治下の風習でしょと思うのだが、そこはそれ、あれとかこれとかと同じように別の起源をこさえているので、日本由来ではないということになって、ゆえに問題にもならない。じゃ、野暮なことは言うまいとも思うのだが、少し書いてみる。
 韓国の言い分としては、もともと五月五日というのは祝いの日なのだというのがある。節供だし。ただ、旧暦の地域で八年暮らした私なので、そりゃ違うでしょ、と思う。新暦で節供は祝わないか祝うとしても、その意識は残る。例えば、昨日から、那覇(なーふぁ)ではハーリーが始まっている(参照)。ハーリーというのは爬龍船競争である。ぺーロンなんかと同じ。日本人の感覚からするとふーん、ってなものだが、実は世界で二番目に参加人口の多いスポーツらしい。一番はなんだか知らないが。華人が行えばそりゃ一気に人口が膨れる。爬龍船競争の由来については、屈原などの話も書きたいところだがうざったいのでパス。ただ、いろいろ考証するとめんどくさいことがあるが、実際的には伝統社会では、これは、女子どもの節供で、男の子の祭というものではなかった。特に朝鮮ではそうした歴史・伝統を持っていた。
 中華圏の伝統文化は春節がそうであるように、そう単純に新暦には移動しない。那覇は新正月運動みたいなものと一緒にハーリーまで新暦に持ってきたが、こういうことができるのは、実に近代日本に特有なもので、伝統社会では異なる。特に、世界のことは海と私だけ、という海人(うみんちゅ:漁撈民)などは近代国家なんか糞。それを引いた糸満ではきちんと旧暦でハーレーを行う。ハーリーではないのだ。やってることは同じように見えても、そこに生きる宇宙の時間は異なるものだ。かーんかーんとハーレー鐘が鳴れば雨期は終わる。そういう人の生きる時空というものがある。
 な・の・で、朝鮮が、こどもの日だけ新暦に持ってくるというのは、私にしてみるとすごい疑わしい。一応、朝鮮の歴史としてみると、1923(大正一二)年に方定煥(バン・ジョンファン)らが起こした活動によって「こどもの日」に相当する記念日(オリニナル)が提唱されたとされる。が、1927(昭和二)年には早々に新暦五月五日になった。言うまでもないが、日本統治下の時代のことだ。
 方定煥が東洋大学で学んでいた時期はちょうど、日本でも大正デモクラシーの興隆期でもある。鈴木三重吉が「赤い鳥」を創刊したのも1918(大正七)年で、こうした日本の大衆文学的な動向が高まっていた。児童文学というジャンルも確立した。このたりは文学論としてとても興味深いのだが今日は立ち入らない。ただ、この児童文学の動向の中心的な人物といえるのが巌谷小波(参照)で、方定煥が「小波」と号したのも、巌谷小波にちなんでのことだろうと推測される。
 現代の韓国の「こどもの日」は、戦後1946年に制定されたものだ。韓国では、これに八日の「父母の日」、一五日の「師匠(先生)の日」が続く。現代韓国人としては、子どもの日もそうした一連の記念日として理解しているのだろう。
 と、書いたものの、なにも、現代韓国に対して、「こどもの日」は戦前の日本に由来すると声高に言いたいわけではない。ただ、方定煥の時代とその生き様はもう少し韓国で顧みられていいのではないかとは思う。「いや、そんなこと日本人に言われるスジはない、方定煥についてもきちんと研究され、韓国民はみなその歴史を知っている」ということであれば、それはそれで私の、結果的に良い誤解でもある。

追記(2005.5.7)
 メールマガジン”[JMM 321F] 「子どもの日」Younghee Ahn の韓国レポート”にこの問題が扱われていた。このエントリに対する反論でもなく、大筋では韓国側から主張どおりなのだが、この問題に関心を持つ人のための情報補足ということで、追記したい。
 エントリとの相違点で史的につめていくべき点は以下。


 偶然、日韓の「子どもの日」が5月5日と同じ日であるが、その由来はまったく違う。バン先生は、日本の植民地時代である1923年5月1日を「子どもの日」として提唱し、天道教の恒例行事となり1927年には5月の最初の日曜日となった。しかし、彼は1919年の万歳運動や様々な独立運動に参加する社会運動家だったため、1939年からは日本の弾圧により中断された。しかし、太平洋戦争が終わった1946年5月の最初の日曜日から再開された。ちょうどその日が5月5日だったため、その後は5月5日に決められた。1975年からは国民の祝日となって今に至る。

 この主張が史的に間違いであるとは思わない。ただ、1927年時点での扱いについて、ここでは、「天道教の恒例行事」としているのだが、当時の日本統治下での一般的な朝鮮の家庭でそれがどのような扱いになっていたが重要だろう。
 私の現時点の推測だが、大半は日本本土側と同じであったのではないかと思う。つまり、5月5日を端午の節句として祝っていたのだろうと。
 そう推測する補足は、海野厚・作詞、中山晋平・曲の童謡「背くらべ」である。この曲は、この曲は、1919(大正八)年雑誌「少女号」が初出で、1923(大正一二)年には童謡普及の貢献した鳩の笛社の童謡楽譜集「子供達の歌」第三集に掲載された。以降、この曲が日本人に馴染まれそこに描かれている風俗が存在し、そして朝鮮まで行き渡っていたと想像することは自然であると私は考える。


柱のきずはおととしの
五月五日の背くらべ
粽食べ食べ、兄さんが
はかってくれた背の丈
きのうくらべりゃ何のこと
やっと羽織の紐のたけ


柱に凭れりゃ、すぐ見える
遠いお山も背くらべ
雲の上まで顔だして
てんでに背伸(せのび)していても
雪の帽子をぬいでさえ
一はやっぱり富士の山


 1927(昭和二)年時点ではそうした、こどもを祝う風俗が朝鮮でも普及したのではないかと思う。
 これを「オリニナル」という新語で捕らえ直し、朝鮮の子供を重視した方定煥の志の高さは評価できるが、実際の風俗、実質的な「こどもの日」の普及という点では、むしろ後代の解釈しなおしではないかとも疑われる。
 いずれにせよ、日韓ともに、1946年以前は実質的には「こどもの日」であってもその名前どおりでもなかったという点も補足しておく。

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2005.05.03

日本の安保理常任理事国入り、行けるかも

 日本の安保理常任理事国入りだが、少し空気が変わってきたようだ。つまり、行けそうか、と。この問題は案外難しい側面があるので、書くのをためらうのだが、そこはブログ(ログというのは記録)。今の空気を感じておくべきだろう。
 基本的なところで鍵を握るのは米国と所謂第三世界の票だろう。米国としては本音のところで日本を強大にさせたくはない(事実上劣位で軍事的な属国にしておきたい)のだが、日本という課題が、中国や北朝鮮、そして韓国というトラブル君たちの影でかすれてきた。
 呑気な時代なら米議会が牛肉でも理由に日本を脅してもよかったのだろうが、中国と繊維の問題のほうがはるかに深刻。北朝鮮については、日本では呑気に短距離ミサイルに騒いでいるが、核実験秒読みあるいは核実験フェイク秒読みということもあり、MDがらみもあるのだろうが、米国にミサイルがリーチするかもいう風説に米国民は敏感になりつつある(情報操作もあるが)。韓国については、あはは、って笑い事ではないのだが、実態の部分で米国の関係の動きはありそうだ。
 あるいは、こうしたトラブル君たちの関連で、日本をよいしょしておくべきかという思いも米国はあるだろう。皮肉な話を抜きにして、これからの世界は、所謂第三世界支援のための国連という仕組みが重視されるわけで、実際のところ日本ではなんとなく勘違いされているが、安保理みたいな組織はそれほど意味はない。あるとすれば中国様の面子を守るということで、ロシアもこれ以上叩くと面子を言い出すということだろう。とすれば、こうした面子システムに水を注いで薄めておいてもいい。所謂第三世界援助みたいな大義を実質米国管轄下にしないと、環境問題のようにEUに政治的に出し抜かれる懸念もある(ゴードン・ブラウンとか、サルコジとか次世代が何やりだすかわからない)。
 日本としては当然、屈辱的な敵国条項をさっさと廃棄させるほうがいい。と、駄言ばかりで申し訳ない。というのも、ちょっとそうしたスジだけではないようにも思うが、よくわからない。
 話を戻して、その空気だが、128票必要な票中110票を固め、しかも中国も反日暴動で自滅してくれたおかげで、小泉首相は少しノリ気になっている。朝日新聞”安保理拡大、小泉首相が多数決決着も辞さない姿勢”(参照)はこの時事系を掲載している。


 小泉純一郎首相は2日夜(日本時間3日未明)、アムステルダム市内で、南西アジア・欧州4カ国歴訪を締めくくる記者会見を行った。首相は国連安保理常任理事国の拡大について「国によって意見、立場が違い、全会一致は困難だ。今まで十分に議論しており、9月の国連首脳会議までに結論を出すのが望ましい」と述べ、加盟国の多数決による決着も辞さない姿勢を強調した。

 この日本を含めた新参の票を削ろうと必死な勢力でなんとなくお茶、といった趣向のコーヒークラブだが、燃料が足りないのか、へたれ出してきている。スペイン・イタリア・韓国…て聞くだけで、へたれる向きもあるだろうが、まあがんばれ、と。
 こう言ってはなんだけど、面白いなぁと思ったのは、韓国中央日報”【噴水台】予定された敗北”(参照)だ。

 日本は、例えばスーダンの再建プロジェクトに予算の1/4にあたる1億ドルを、ODAとして出している。毎年、アフリカ開発会議を開き、AIDS(後天性免疫不全症候群)の退治事業、IT(情報技術)育成事業を支援している。ドイツも同様だ。ドイツ・日本は、それら国々に決議案への支持を要請し、「反対すれば支援も終わり」とのサインを送っている。
 名分もある。G4は、常任理事国を、さらに6カ国を増やし計24にしよう、との案を支持している。この案は、アジアに1カ国、アフリカに2カ国を新しく配分するものだ。アフリカの53カ国とアジアの最貧国は、自然にG4決議案に傾けるようになる。「実利と名分」が、このように調和するから、コーヒークラブが116カ国と集まったとしても、G4の決議案を防ぐには力不足なのだ。

 というわけで、韓国から、やばいかもという読みが出てきた。この先のお笑いはリンク先を読んでいただくとして、一言加えれば、韓国外交通商部はほんとにほんとにごくろうさ(ずんどこ節で)と、思う。いや、マジで。
 話はこれで終わりでいいのだが、私はどうもすっきりしないので、ちょっと書き足す。陰謀論というふうに誤解して欲しくないのだが。しかし、事は事だし。
 中央日報の引用に例としてスーダンが上がっていたが、これはけたたましく問題を捨象するとスーダンの石油が問題である。ということは、中国と仲良しでやっていくということである。ということは、ダルフール危機はなにげにうまくひっそり終わらしておくが吉かもという大人の解決である。
 中国としても、このあたりは、日本とうまくやっていきたいのが本音なので、この空気で押していけば、どっかで利を読んで、日本の安保理常任理事国入りにGOを出すかもしれない。このとき、日本の一部のメディアが、あれだ、1972年の時みたいに、日中友好♪みたいな気炎を上げるのだろうか…妄想…であってほしいものだ。

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2005.05.02

科学常識の雑談

 すでにあちこちブログで話題になっているが、昨日の読売新聞記事”科学常識このぐらいは――目安作り、文科省乗り出す”(参照)が自分にも面白かったので、その雑談を。
 話は、文部科学省が日本の大人には最低必要な科学常識の目安を作るとのことらしい。そのネタとしてどっかからシンプルなクイズを持ってきた。


 1999~2001年にかけて、世界17か国の学術機関などが連携して、18歳以上を対象に、「ごく初期の人類は恐竜と同時代に生きていた」など科学分野の11問について正誤を尋ねた。日本の正答率は54%で13位。1位スウェーデンの73%、5位アメリカの63%などに比べ「常識の無さ」が目立っている。

 とのこと。日本人にはとても難しそう、というか、デタラメ答えてるんじゃないかという正答率である。
 私もやってみた。マルバツ問題である。これだ。
〈1〉地球の中心部は非常に高温
 私の回答は○。そりゃ、そうでしょ。でも計ったことないな(計測できないはず)。どのくらいの温度と想定されているのだったか。そういえば、地球空洞説とか膨張説というのを聞いたことがあるがそれは今どうか。正解は○。
〈2〉すべての放射能は人工的に作られた
 私の回答は×。っていうか、なんだその命題。ありえねー。っていうか、ちょっとやな予感。ちなみに放射能は英語で"radioactivity"。で、ラジオはradiotelegraphyまたはradiotelephony の略なのだが、放射性のエネルギーっていう語源だったか。正解は×。
〈3〉我々が呼吸に使う酸素は植物から作られた
 私の回答は○。ちょっとためらう。そう断言していいのか。ちなみに、太古の地球の光合成の結果が現在の地球の酸素の大半ではあろうが…正解は○。ちなみに、藍藻って植物かとよとのツッコミも聞く。さて。
〈4〉赤ちゃんが男の子になるか女の子になるかを決めるのは父親の遺伝子
 私の回答は○。それりゃ、そうでしょ。XXとXYなんだからと。ただ、なんか答えていくのがやや苦痛になる。正解は○。
〈5〉レーザーは音波を集中することで得られる
 私の回答は×。ありえねー。正解は×。
〈6〉電子の大きさは原子よりも小さい
 私の回答は○。ためらいましたよ。量子力学のほんのはっしこでも勉強したことありますからね。しかし、この問題の流れからすれば、複雑な回答はないでしょ。正解は○。虚しい。
〈7〉抗生物質はバクテリア同様ウイルスも殺す
 私の回答は×。ウイルスを殺したら語義矛盾ですよ、ったく。と言いたいが、日本のお医者さんは風邪に抗生物質を出す。理由もあるらしい。私は知らない。正解は×。
〈8〉大陸は何万年もかけて移動しており、これからも移動するだろう
 私の回答は○。しかし、ウェーゲナー(Alfred Lothar Wegener)の大陸移動説って検証不能仮説ではなかったか。この手の話題がお好きなかたは「クラカトアの大噴火」もご参照あれ。正解は○。
〈9〉現在の人類は、原始的な動物種から進化した
 私の回答は×。人間種は原始的な動物種ではなく類人猿から進化した。ただ、最近の学説だと他の類人猿とは共通の祖ではなく、種の来歴は不明な点が多いらしい。正解は○。えええぇ!なぜ?
〈10〉ごく初期の人類は、恐竜と同時代に生きていた
 私の回答は×。ありえねー。正解は×。
〈11〉放射能に汚染された牛乳は沸騰させれば安全
 私の回答は×。そんなわけないじゃん。ちなみに他の毒性も過熱すれば消えるというものでもない。正解は×。
 以上。
 というわけで、私の正答は11問中10問ということなのだが、どうも納得がいきませんね。
 と考えてみたら、この問題って、いわゆる宗教的とか俗信に対抗するという枠組みでの「科学」ってことなんでしょう。進化論の問題も、単純に、神の創造説とかに対応した程度のものではないのか。
 この問題の出所というか英語なりの原典を探してみたが見つからなかった。なんとなく誤訳もあるんじゃないかという印象ある。
 それでも日本人の正答率が54%っていったいどうなってんだ?


追記
 farmさんからコメントで教えていただPDF文書”Public Understanding of Science and Technology in Japan 'The influence of people's liking of science at school age on their understanding of science after grown-up”(参照・PDF)に英文の設問があった。
 私がずっこけた設問の「原始的な動物種」は英文で読むと"earlier species of animals"。なので、「それ以前の動物種」ということではないか。つまり、日常的には言えば、サルから進化した、と。この設問は誤訳という感じがする。
 あと、ビッグバン説や喫煙肺癌説などそれって科学かという印象はある。


In Japan, the following 15 items were asked for basic science concepts.

  1. The center of the earth is very hot. (True)
  2. All radioactivities are man-made. (False)
  3. The oxygen we breathe comes from plants. (True)
  4. It is the father's gene that decides whether the baby is a boy or a girl. (True)
  5. Lasers work by focusing sound waves. (False)
  6. Electrons are smaller than atoms. (True)
  7. Antibiotics kill viruses as well as bacteria. (False)
  8. The universe began with a huge explosion. (True)
  9. The continents have been moving for millions of years and will continue to move. (True)
  10. Human beings, as we know them today, have developed from earlier species of animals.(True)
  11. Cigarette smoking causes lung cancer. (True)
  12. The earliest humans lived at the same time as the dinosaurs. (False)
  13. Radioactive milk can be made safe by boiling it. (False)
  14. Which travels faster: light or sound? (Light)
  15. The earth's revolution (It takes one year for the earth to go around the sun.)


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2005.05.01

日本の排他的経済水域に関連して

 東シナ海の、日本と中国の排他的経済水域(EEZ)境界線付近で、中国が勝手に天然ガス田開発に着手している問題で、日本政府も対抗措置として、日本国内企業に試掘権を与える方針を決めた。これを受けた形で、28日石油開発大手帝国石油が試掘権の設定を九州経済産業局に申請した。とりあえず、そういうことなのだが、少し詳細を追ってみたら、なかなか奇妙な印象を受ける情報の連鎖があった。深く考察しているわけではないが、簡単にメモしておきたい。
 当の帝国石油だが、日本経済新聞に”帝国石油、九州経済産業局に東シナ海の試掘権設定願を提出”(参照)というプレスリリースが掲載さていた。


 帝国石油株式会社(本社:東京都渋谷区、社長:椙岡雅俊)は、4月28日、九州経済産業局に対して、当社の試掘権設定の出願42,000km2のうち、3エリア(約400km2)について、試掘権設定の願いを提出しました。(別紙参照)

 この別紙は同サイトではリンクもない。なので、調べたらすぐにわかった。”プレスリリース「(05/04/28) 東シナ海における試掘権設定の願いについて」:帝国石油”(参照)がそれだ。
cover
関連水域
  海域の地図が掲載されていて、なるほどEEZ境界線で日中が向き合うことなるのかと。と、それはいいのだが、その上にどかんとある日韓共同開発区域ってなんだ? 地図の詳細は「日韓大陸棚協定による大陸棚境界線及び共同開発区域」(参照)を見るとさらに唖然とする。
 韓国と関係なさそうに見える九州沖の水域がなぜ日韓共同開発区域なのか。というわけでちょっと調べてみたら、なるほど。解説は「JOGMEC 独立行政法人 石油天然ガス・金属鉱物資源機構」にある”日韓大陸棚協定”(参照)が詳しい。区域は北部南部に分かれている。

以上の両協定締結の契機となったのは,韓国が日韓中間線を超えて南側の東シナ海の大陸棚及び沖縄舟状海盆の一部に鉱区を設定したことにある(1972年5月)。このため大陸棚の境界画定に関して両国間に紛争が生じたが,交渉の結果(南部協定にあるような)共同開発協定として妥協したものである。


このような曲折をたどったのには多くの原因があるが,大きなものは二つあり,一つは南部協定の共同開発区域が完全に日韓中間線以南の“日本側”大陸棚に設定されていること,他の一つは中国(当時未承認国)の自国大陸棚への侵犯とする激しい抗議であった。

 こんな区域を勝手に韓国が鉱区に設定して日本があわてふためき、とりあえず日本が譲って妥協したら中国からも文句が出たということのようだ。中国の言い分は「日韓大陸棚協定に対する中国外交部声明」(参照)にある。

中国政府は,大陸棚は大陸が自然に伸出したものであるという原則にもとづいて,東海大陸棚の画定は当然中国と関係諸国の話合いによって,きめられるべきであると考える。しかし,いま,日本政府と南朝鮮当局は中国にかくれて東海大陸棚にいわゆる日韓「共同開発区」を画定した。これは中国の主権を侵犯する行為である。中国政府はこれに絶対同意できない。もし日本政府と南朝鮮当局がこの区域で勝手に開発活動をおこなうなら,これによってひきおこされるすべての結果に全責任を負わなければならない。

 現在の日中間の問題もその延長にあるわけだ。
 関連した国会の記録がネットにある「第080回国会 外務委員会、公害対策並びに環境保全特別委員会連合審査会 第1号 昭和五十二年四月二十七日(水曜日)」(参照)が興味深い。

○加地委員 そうしますと、ただいま私が手に持っておりますところの「第三次海洋法会議」というパンフレットの五十一ページに書いてあることは間違っておるといいますか、もう古いということを意味されるのでございましょうか。
 続いてお尋ねいたします。
 最近、アメリカの海洋問題専門家であり、海洋法会議の出席者でもありますところのボルゲーゼ夫人という人の話によりますと「韓国の自然延長論の主張はもう古くなっている。二百海里経済水域の設置は世界的な趨勢であって、中間線を越えて大陸だなの延長を主張することなどは無意味である。大陸だなの自然延長論というのはあるが、それは他国の二百海里経済水域がそこに存在しない場合のことである。しかし、それに対しても反対論は強く、もしあえて主権的権利を主張して開発する場合は、国際管理にしないまでも、海洋国際機関に十分な賦課金を支払うべきだという主張が第三世界に多い。少なくとも、来年は二百海里経済水域を決定する国が大多数となろう。」このような談話を発表しておりますけれども、外務省はこの談話についてはどのようにお考えになりますか。簡単に……。
○井口説明員 ボルゲーゼ女史が一つの学説を持っておられることは事実でありますが、大勢は、二百海里以遠の自然の延長については収入を後進国に分与するということが大勢でありまして、ただ、分与するのが地域的な開発協力の機関か、あるいは今後創設される国際深海海底の機関であるかというようなことについてまだ意見が分かれておりますし、どの程度のパーセンテージを後進国に分けるかという点でも意見が対立しているわけでございますが、二百海里以遠については国際機関を通して後進国に分けるという方向は大体固まってきております。

 大陸棚云々は難しいかもしれないが、基本的にこの時代までは中韓を後進国として日本が譲るという形だったのだろう。
 関連して気になったのは、国際司法についての認識だ。

○中江政府委員 二つの点がございます。一つはなぜ国際司法裁判所に提訴することが途中で消えたかということで、これは、日本側は、おっしゃいますように国際司法裁判所で法律的に決着をつけようということを提案したわけでございますけれども、御承知のように、韓国は国際司法裁判所規程の当事国ではありません。そしてまた、韓国は国際司法裁判所の義務的管轄権というものを受諾しておりませんので、したがって、日本と韓国で提訴するためには、そのための特別合意書というものを改めてつくらないと、当然には国際司法裁判所の管轄の中に入らない。そのためには巨額な経費と相当の年月がかかりますので、そういう道を選ぶべきか、それとも資源を有効利用すべきかという判断が政治的に下されたのが一九七三年のことであったわけでございます。

 現状についてよくわからないのだが、韓国は依然国際司法裁判所の管轄外ということなのだろうか。なので、竹島でもあんな不埒なことを続けている、と。だとすると、これは、ようするに韓国という国の国際的な民度というか品位の問題なので、ある国家が当然あるべきステータスに登れば、国際的な視点にさらされることになり、かなりおそらく、その時点で竹島問題なども終了するのではないか。
 中国についても政府側としては、そうしたことはある程度わきまえているのようにも思える。とすると、その先の問題は、中国がそうした国際世界で政治的な成熟を遂げるだけの余裕があるのかということになる。
 直感的に言えば、なさそうな気がする。

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