アルメニア人虐殺から90年
日本ではそれほど関心が寄せられなかったが、この24日、第一次世界大戦中、当時のオスマン・トルコ帝国領土内として起きたとされるアルメニア人虐殺事件から九〇周年の催しが世界各地で開催された。
日本語で読める関連記事としては朝日新聞”アルメニア人虐殺から90年 パリなどで追悼の催し”(参照)があるがあまり詳しくない。アルメニアの首都エレバンでの追悼集会の模様は、英語だがCNN”Armenians mark Ottoman killings anniversary”(参照)も参照されるといいだろう。ハリウッドでの催しはAP”Armenian Americans march in Hollywood remembering mass killings”(参照)などが伝えている。
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アルメニア人虐殺について、先の朝日新聞の記事では、次のように簡単にしか触れていない。もっとも、この点が現代的な問題ではある。
アルメニア政府は、迫害による死者を150万人とし、トルコ政府に対して虐殺の認知と謝罪を求めている。だが、トルコ側は死者はずっと少なく、しかも通常の戦争の犠牲者だとして虐殺の事実を認めずにきた。
Wikipediaには詳しい説明が「アルメニア人虐殺問題」(参照)の項目にある。
19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり、オスマン帝国領内でアルメニア人に対する大規模な迫害が起こったことが知られている。これを「トルコ国家」によるアルメニア人の組織的虐殺であるとみなす人々は、この一連の事件をアルメニア人虐殺と呼んで非難している。
二度の迫害のうち、一度目はアブデュルハミト2世専制期の1894年から1896年にかけて行われた迫害・襲撃、二度目のそれは第一次世界大戦中の1915年から1916年にかけて統一と進歩委員会(通称は統一派、いわゆる青年トルコ党)政権によって行われたアルメニア人の強制移住を指す。二度目の迫害では数百万人単位の犠牲者が出たと言われ、「アルメニア人虐殺」といえば狭く二度目のそれを言うことも多い。
人間喜劇 |
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ブッシュ米大統領は24日、第1次世界大戦中のオスマン・トルコによるアルメニア人殺害事件から90周年を記念し声明を発表、同事件を「大量殺人」と表現した。「大量虐殺」だとするアルメニアと「戦争中の行為」とするトルコは隣国ながらいまだに外交関係がない。トルコ側の反発を招く可能性がある。
記事ではさらに、今回のイラク戦争でトルコが米軍の基地使用を認めなかったことが背景だろうと推測しているのだが、湾岸戦争のおりのトルコに対する米国の恩義を考えるとあまり妥当だとも思われない。
アルメニア人虐殺問題の関連で、トルコに対する対応が複雑なのはEU、つまりフランスも同じだ。昨年のEU会議で将来的にトルコをEU加盟とする道筋をつけたものの、フランスは、アルメニア人虐殺への謝罪要求、つまり、おフランス的な追加注文も出していた。
現代トルコとしては、こうした歴史問題は、なにかと対応しづらいものでもあるだろう。日本も類似の問題を抱えていると言えないでもないので、こうした歴史問題にどう取り組むべきか考えさせられることがあるのでは……とも思うのだが。
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コメント
目配りのきいた話題と視点のいい論評に、いつも学んでいます。
アルメニア人たちは、この日を決して忘れまいとしているのでしょう。6年前のこの日、ニューヨークのタイムズ・スクエアを通りかかったとき、真ん中の空き地に折りたたみ椅子を並べ、多くの人が参加して、追悼式典が行われているのを見ました。そのために交通遮断もされていました。多民族都市NYでは、公式の許可をもらって、こんな場所で式典をし、多くの人にアピールすることが許されているようです。
投稿: アク | 2005.04.27 10:31
トルコのダーク面としてはクルド人迫害と比較してどういうもんなんでしょうか
映画「少女ヘジャル」みたかったんですが
投稿: TTJ | 2005.04.28 15:25
TTJさん、こんにちは。直接の回答ではないのですが、以下の、過去エントリなどもご参考にしてください。
極東ブログ: 幻想のクルディスタン、クルド人
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/01/post_67.html
投稿: finalvent | 2005.04.28 15:38
ギリシャがEU議長国だったとき、おととしあたりですが、ギリシャはトルコを会議に招待し、EU加入を賛成する姿勢をとりました。それまでEUの一か国でもトルコ加入に反対するのであればと入れないという姿勢でした。ギリシャの反対のせいにしていました。
フランスのジスカールデスタン元大統領が言っています。
「EUにトルコが入ったら、トルコがEUになるのではなく、我々EUがトルコになるのだ!」
現在ギリシャとトルコの首相は極めてよい関係にありますが、どういうわけかこのように友好関係を築こうしているときでももトルコ軍隊がギリシャの領海侵犯しています。エーゲ海の島の住民たちを恐怖を感じています。そういう報道はトルコではしないのです。フランスだけはいつもギリシャに肩を持ち「図々しい行為」と言ってくれたりします。ドイツはダメ!いい人たちですが、たくさんのトルコ人が国籍を取っているからです。
投稿: lemonodasos | 2005.05.01 04:22
lemonodasosさん、こんにちは。
ご指摘のとおりギリシアとトルコ(加えてキュプロス)は今後EU関連で重要になっていくと思います。
ところで、ブログ拝見しました。アテネにお住まいなのでしょうか。写真など懐かしく思いました。
極東ブログ: アテネの思い出
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2004/08/post_8.html
投稿: finalvent | 2005.05.01 13:01
私はギリシャに住んでいます。アテネの思い出を読ませていただきました。
投稿: lemonodasos | 2005.05.02 08:25
「極東ブログ」を楽しんでいる者です。
僕はアルメニアに滞在していた事があるのですが、
僕の場合はブログで語れるような才能が無くて、
もっぱら現地放浪が主体です。
体験したアルメニアの様子を下記HPにまとめています。
http://www.geocities.jp/putniki/
投稿: Samovar | 2005.05.07 06:35